[数学]
 泉鏡花は数学が不得意で、この科目の不出来のため、四高の前身である専門学校の受験に失敗し、高等教育を受ける機会を失った。
 彼はそれを恥じて、自筆年譜では、ちゃんばらごっこで怪我をして受験出来なかったなどと、いじらしい言い訳をしている。
 後に鏡花の大敵である自然主義の大将となった徳田秋声も、学費の問題もあったが、数学と化学の成績への不安のため四高を退学している。
 数学とは言ってみれば近代の権化で、情趣も綾も入り込む余地の無い、論理的で明快な世界である。鏡花の悦ぶ筈がない。
 鏡花もいっそ開き直って、「数学と筆を揮いて戦いしが、方程式に組み伏せられ深手負い、辛くも立ち退きぬ」とでも書けば良かったのにと思う。
 鏡花の「三の巻」には「同数異号の和は零なり」という言葉が出てくる。
 絶対数の同じプラスとマイナスの数字を足せば零、ということをこんな言い方で表したらしいが、鏡花はその表現の仕方に興味を持って書き留めたのだろう。
 「薄紅梅」の中でも、方程式、三角術、微分積分、といった単語を使って、駄洒落を飛ばしている。鏡花はあくまで言葉の人だった。
 「日本の文学者の数学嫌いは泉鏡花以来」と、数学の得意だったという大岡昇平は言っている。
 文学者ではないが、私も数学に恨みは数々ある身なので、変に納得してしまう。
 金沢出身の桐生悠々はジャーナリストとして、乃木将軍の明治天皇への殉死を批判したり、「関東大防空演習を嗤う」を書いたりしたため弾圧され続けたが、四高時代には数学の授業に感銘を受けたとのことで、数学が得意だったという。
 数学は論理的である。
 数学の得意な人は論理的な文章を書く。
 論理はしばしば世を覆っている現実と衝突する。
 従って論理的な文章を書く人は酷い目に遭うことがある。
 桐生悠々はこの典型的な例らしい。





旧制第四高等学校
物理化学教室

今は犬山市の明治村に
保存されています。

写真は明治村さんのホーム
ページからお借りしました。
http://www.meitetsu.co.jp/meiji-vil/

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