[地震]
私が金沢にいた時は、ほとんど地震の記憶がない。昭和二十五年生まれだから福井大地震は知らない。東京に出てきて、地震がのべつに起きるのには驚いてしまった。
街が活発に動いているので、地面の下の鯰も鎮まってはいられないという風だった。
今では慣れてしまったが、その頃は地震が東京の印象の一つになっていた。

大正十二年の関東大震災は泉鏡花が五十歳の時だった。麹町下六番町の家は焼けなかったが、火事を避けるため二晩外にいたという。怖がりの鏡花にしてみればどんな気持だったろうか。
徳田秋声の場合は、偶々金沢に帰っていた時だった。紺屋坂にあった姉の家にいた時に微動を感じたという。震災後十日以上も経ってから、のこのこ東京の家に帰ってきた秋声に妻は好い顔をしなかったという。本郷森川町の家は無事だったが、向かいの東大の煉瓦造の建物はほとんどが崩れてしまった。
室生犀星は田端にいて震災に遭った。妻が駿河台の病院で長女の朝子を出産したばかりの時だった。そこで犀星は、今私の住んでいる動坂下で自動車を捉まえて病院に向かったが、途中の団子坂下までしか進めず、翌日にやっと避難先の上野の山で見つけ出している。
そして金沢に一時避難し、翌年五月に芥川龍之介が、七月に堀辰雄が訪ねて来ている。
芥川は兼六園の三芳庵に泊まり、数日で金沢弁を操り、野田山墓地の佇まいに感銘を受けている。
堀辰雄の時は夏だったので犀川で泳ぎ、彼の意外な運動能力を見て犀星は驚いている。
中学生だった辰雄は、以前に母親に連れられて、初めて田端の犀星を訪れたのだったが、震災の時は火に追われて母と二人で隅田川に飛びこみ、辰雄は泳ぎが出来たので舟に救い上げられたが、母は助からなかった。









関東大震災の焼け跡

写真は大林組のHPからお借りしました。
http://www.obayashi.co.jp/



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