[乃木将軍]
 私の祖父は富山県砺波の小農の末っ子だったが、兄の一人はは徴兵されて日露戦争に従軍した。金沢の第九師団第七聯隊だったので乃木将軍の第三軍に属し、旅順の盤龍山攻撃に参加した。
 第三軍の旅順攻撃の拙劣は有名で、第一次攻撃で七聯隊は約千八百名のうち千五百名が死傷し、残ったのは三百に足りなかった。祖父の兄は幸い生きて凱旋し、勲七等の勲章をもらって近所の子供達に見せて自慢していたという。
 帰還できた者達は良かったが、旅順の丘に斃れた者達の家族はどうなっただろう。
 乃木将軍は日露戦争の前に軍の用事で金沢に来たことがある。
 その折、夜の広坂通りで声を張り上げて辻占を売っている少年を見かけ、事情を聞くと、祖母と幼い弟妹達を養うため、八歳の年で働いているという。
 乃木は心を動かされ、二円を渡して激励した。これが今越清三朗少年で、彼は後に金箔職人として大成し、滋賀県の無形文化財にまでなったが、昭和三十七年になって、この事をNHKに話した。
 今、浅野川大橋の主計町側の袂には、昭和五十四年に建てられた「今越清三朗翁出生の地」の碑がある。
 日露戦争では一家の働き手を失い、今越少年のような境遇に陥る家も多かっただろう。
 乃木は自分の責任で旅順で夥しい将兵を死なせて、その家族を苦しめ、自身は死に場所も得られなかった。
 少年に話しかけた夜の乃木も、広坂通りの後ろにうずくまる金沢城の暗い森の中の第九師団と自分自身にどんな運命が待ち受けているか、想像も出来なかっただろう。



(左)第七聯隊の施設だった建物

乃木の時代よりは新しいでしょう。金沢大学教養部の校舎として使われていました。
写真は金沢大学創立50周年記念展示のHPよりお借りしました。
http://web.kanazawa-u.ac.jp/~shiryo/50th/index.html

(右)浅野川大橋の主計主計町側
手前に少し見えるのは「今越清三朗翁出生の地」の碑です。
「乃木将軍」という字が少し見えます。
写真は「My Walking Course」のHPよりお借りしました。
浅野川や犀川の桜の大版写真がきれいなページです。
http://www.cute.to/~tokusabu/course.htm

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