[石川門]
 石川門はあの銀色の屋根瓦と海鼠壁が印象を明るくしている。
 丸岡城の天守閣の武骨さはなく、江戸城の隅櫓のように威圧的でもない。
 特に海鼠壁の雅やかな意匠は白小袖の裾模様のようで、春の桜とよく釣り合う。
 しかし瓦に使った鉛は銃弾の原料、海鼠壁は銃眼を隠すための工夫、と聞くと話は生々しくなる。さらに鉄砲狭間自体が加賀藩時代には塗り込めて隠されていたとなると念が入ってくる。彼らは狭間の向こうに越前松平の軍勢が現れる光景を心の中で見ていたのだろう。
 加賀藩というのは、幕府に睨まれないように、目立たないようにと虎が身を縮めて猫の振りを続けているようなものだった。
 その内に本当に猫になって三百年近くも眠り込んでしまった。謀反の疑いへの申し開きのための横山長知の派遣、二代利長の母芳春院の江戸への人質、利長によって始まったとされる参勤交代、よくも我慢したものだと思う。
 そういえば、金沢城の規模は百万石にしてはあまりにも小さい。
 加賀獅子舞で二人の剣士が目の前の獅子を放ったらかしにして渡り合うのは何故だろうかと不思議だったが、武術の稽古をしているのを幕府に覚られないためと聞いて納得した。
 四代光高が徳川家康を祀る東照宮を城内に建てようとした時、父の三代利常は「そんなものを城内に建てておいて、もし徳川が倒れた時はどうするつもりか。」と危惧したという。
 名藩主といわれた利常の苦労がわかる。
 加賀藩時代の東照宮は甚右衛門坂の上にあり、明治になって今の場所に移転して、尾崎神社になったという。







(上)石川門 (中)石川門の中 (下)尾崎神社

写真はAtsuさんのホームページよりお借りしました。
とてもきれいな写真です。
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/flow/menu.htm

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