[ラジオ]

 「長春では、北西の風、風力4、晴れ、気圧は・…」

 五郎は少年時代、よくラジオを聴いていた。

 木製の箱で、スピーカーのところには布が貼ってあり、真空管式だった。

 テレビが登場し、茶の間の上座に座るようになってからも、五郎は自分の部屋に持ち込

んで聴いていた。

 ラジオはテレビに比べ、長生きしている番組が多い。

 「ラジオ体操」は戦前から続いているので、五郎よりずっと年上になる。

 おそらく五郎のいなくなった後も毎朝元気に手足を振っているだろう。

 日曜の夜の第一放送の「民謡をたずねて」は、五郎がラジオを聴き始めた頃と同じ少し

哀調のあるテーマ音楽で今も続いている。四十年以上は続いているのではないか。

 第二放送の気象通報は今も昔と同じスタイルでやっている。

 変わったのは、ミリバールがヘクトパスカルに代わったくらいか。

 「気象庁予報部発表の二月八日午後六時の気象通報をお知らせします」。

 「気象庁予報部発表」、どこかで聞いたことがある。

 戦時中のニュース映像にあった「大本営陸海軍部発表」と同じだ。

 「第二放送」や「気象通報」という名前も聞いてみると味わいがある。

 子供時代には「尋ね人の時間」というのがあった。どこで何をしていた誰々さんを誰々さ

んが探しています、という内容を次々と読み上げていた。

 「旧満州」という言葉がよく出てきていた。

 その頃は何とも思わず聞いていたが、今思うとあの頃は戦後の混乱期がまだ続いてい

て、あのような番組が役に立っていたことが分かる。

 気の付かないうちに、あの番組は無くなった。

 時々、モスクワ放送を聴いた。

 五郎の町は日本海に面した金沢なので、国内の放送のようにはっきり聞こえ、特に冬の

夜にはよく聞こえるような気がした。

 番組の最初の、「日本の皆様、こちらはモスクワ放送局です」の呼びかけと、重々しい国

歌とで始まる放送の音声は明瞭だが、話される日本語は硬く、その雰囲気は独特だった。

 始終、何かを非難し、攻撃していた。

 子供時代の五郎には、その放送の意味はよく理解できなかったが、日本海の向こうの冷

たく遠い北に、自分達とはまったく異なる世界が存在していることは分かった。

 そして、気象通報に出てくるハバロフスクやウラジオストックという地名を、軽い怖れの混

じった特別の思いで聴いた。

 五郎の中学生時代にソニーのトランジスタラジオを買った。真空管ラジオと違い、厚手の

本ほどの大きさなので机の上にも枕元にも手軽に置けた。

 そして、流れてきたのはビートルズだった。

 最初はうるさい曲だと思っていたが、やがて病みつきになってしまった。

 そのため、受験勉強時代のラジオは、ビートルズと、旺文社の「大学受験ラジオ講座」の

テーマ曲の「大学祝典序曲」と、「オールナイトニッポン」がすべてになり、モスクワ放送を

聴くことは無くなった。

 その後もモスクワ放送は健在だったのだろう。

 二十年経ち、八十年代も終わりの或る日、ハンガリーの議事堂の赤い星がゆっくりと下

ろされ、続いて東ドイツの人々が一斉にハンガリー国境に殺到し、その水圧でベルリンの

壁が崩れ、ドイツは一つになり、最後にソビエト連邦という氷の巨像は自分の重さに耐え

かねて倒れて砕けてしまった。その間モスクワ放送は何を喋っていたのだろうか。

 ソ連の民主化時代の放送を聴いたことがあるが、雰囲気が変わっていて、ぬるくなった

ビールのようだった

 今日も変わらず気象通報は流れている。ホロナイスクってどこだろう。
                                                   了






モスクワ放送のべリカードです。
各放送局の短波放送を受信した
ことをその局に報告すると、この
ようなカードを送ってくるそうです。

建物の日陰の写った写真を使う
雑なところが、いかにもソ連です。


この写真は、海外放送についてのサイトを開いておられるNakaさんからお借りしました。
http://www.246.ne.jp/~hiroo-n/index.htm

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