相手は神ではなかった。

  まぎれもない人間だ。強力(ごうりき)の男で、見たこともない顔たった。

  鍔ぜりあいをしながらも、相手の服装、そして首の曲玉などから、相手が相当身分の高い者であることをタケモロスミは感じとっていた。

  どっと力を入れて、押し返す。相手は動じない。ものすごい形相で、タケモロスミをにらみつけている。

  汗が雨滴とともに、頬を伝う。そのうち、ひるんだすきに、とうとう大地に叩きつけられしまった。

  相手の剣が光り、曇天に向って振り上げられた。

  不思議とタケモロスミは冷静だった。自分はここで殺されるのかと、ぼんやり考えていたりした。

  光と音が、同時に炸裂した。

  「ウワッ!」

  電流を全身にあびた男は、タケモロスミから離れ、泥水の中をのたうちまわった。彼の剣に落雷したらしい。雷は小規模で、命を落とすまでには至らなかったようだ。

  タケモロスミは夢中で剣を拾い、それを振り回しながら、あわててその場を離れた。あとは一気に山を駆け降りる。

  麓に着くまでに雷雨はすっかりあがり、青空さえ雲のはざまに姿を見せていた。神坐の森の木々が陽光を受けてその緑を輝かせながら、一斉に雫をしたたらせている。

  タケモロスミは剣を杖に、地に膝をついた。息が切れる。胸が苦しい。おまけに全身ずぶ濡れだ。雨だけでなく、体内からにじみ出る汗と一緒くただから、よけいに不快感は増した。

  しばらくそうして呼吸を整えたあと、彼はようやく立ち上がった。

  背後の霊山を振り返る。何事もなかったように山は静まりかえっているが、一歩足を踏み入れたらそこは別世界だった。他者の介在を無言で拒んでいるような、そんな姿に山は見えた。

  とにかくこの山から、一歩でも離れたいと彼は思った。

  剣を鞘に戻す。

  その時、異変に気づいた。剣が鞘に合わない。鯉口がピタリとはまらず、中でガタガタ音をたてている。手で押さえていないと、抜け落ちてしまいそうだ。

  はじめて落ち着いて、柄を見てみた。見覚えはなかった。自分の剣ではない。

  もう一度抜いてみた。みごとな鉄剣だった。気が動転していたので、自分を襲った男が放り出したのを、間違って拾って来てしまったようだ。

  ただ彼はもう、何も考える気力はなかった。仕方なくその剣を納め、手で押さえながら、とぼとぼと坂道を降りて行った。

  滞在している国造家の私邸の離れに着くや否や、タケモロスミは床にどっと倒れ伏した。あわてた彼の従者の介抱でなんとか寝床に横にはなかったものの、夕刻から高熱を発しはじめた。

  意識はかすみ、頭全体に霧がかかったようになった。全身が汗だらけで、身動きでもしようものならいたたまれない不快感に襲われた。

  こういう時は、気も弱くなるものだ。自分はあの山のたたりにふれて、このまま死ぬのだと本気で考えていたりする。勅使という使命も、もうどこかへ行ってしまっていた。大倭に残してきた妻の顔、そして自分を見送った時に振っていた袖が目の中に浮かぶ。しかしそれをすぐに、山中で自分を襲った男の形相がかき消してしまう。いったいあの男は何者だったのかという疑惑が頭をかすめるが、今の彼はそのような思考に耐えられる状態ではなかった。

  翌朝になっても、状況はさして変らなかった。ただ、幾分気は楽になっていた。少し冷静に、昨日の宮山での出来事を思い出すことも可能になっていた。

  ウマシカラヒサ――思い出すほどに、不可解な人物だった。出雲臣家でも国造家でもない彼は、当然大倭ともつながりはないことになる。つまり、十分イヒイリネを殺害し得る立場にある。しかし本人は、きっぱりと否定した。それが嘘ではないという波動が伝わってきたのも事実だ。しかも彼は真犯人も知っているという。

  しかし自分はあの山で、正体不明の男に襲われ、殺されかけた。あれはウマシカラヒサの差し金だったのだろうか。

  考えれば考えるほど思考は同じ所を旋廻し、少しも前へ進みはしなかった。寝所の中で頭はあれこれ堂々巡りをしつつ、とうとう一日が暮れた。

  その間、一度もウガツクヌは姿を見せなかった。

  そして、翌早朝。

  ハヤサチという従者が一片の木切れを持ってきた。

  「これ、今朝方まだ暗い時に、誰かがおれたちの寝ている小屋の窓から、投げ入れて行ったんです」

  横になったまま、タケモロスミは首だけハヤサチの方へ向けた。

  「顔に当たりましてね、それで起こされたものだから、腹立って投げ返してやろうかって思ったら文字が書いてあるし、一応お目にかけようと思いまして」

  「何て書いてあった?」

  「あのう、字は読めませんもんで」

  照れくさそうに頭をかきながら、ハヤサチは木片を差し出した。

  「どれ」

  手をのばして受けとり、木片の表面をタケモロスミは見てみた。

  「告大倭武諸隅大人、

  ――今日黄昏時於真奈井而待爾。

  甘美韓日狭――」

  ウマシカラヒサからだった。夕暮れ時に真奈井にて待つということだ。

  その時彼は、自分の体の様態のことなど、少しも考えなかった。

  ウマシカラヒサは、イヒイリネの事件について何か知っている。それに山中で自分を襲った男のことも問い正したい。これはわなかもしれない。しかし行ってみる価値はあると彼は思った。

  夕暮れが来た。

  好奇心と充分な警戒心とともに、彼はこっそりと国造邸を偲び出た。歩行はまだかなり苦しい。時には激しく咳き込んで、物につかまって立ちすくみもした。

  真奈井は神奈備山の麓で、馬に乗らなくても歩いてすぐの距離だ。神奈備山のすぐ下にまで水田が広がり、木立ちの中を山の方へ少し石段を登れば、天の真奈井はある。

  うっすらと暗くなった頃、剣の柄に手をそえてタケモロスミが石段を登ると、ウマシカラヒサはすでに井戸の側に立っていた。

  ニコニコとやけに、愛想がいい。

  「いやあ、どうもわざわざ。おや、顔色が」

  「昨日から、寝込んでいるんですよ」

  ぶっきらぼうに答えるタケモロスミだったが、それでもウマシカラヒサも相好を崩したままだった。タケモロスミの肩を抱くようにして少しだけ平らな土地の、手頃な石の側まで押していった。

  「さ、どうぞ。おつらそうですからね」

  「私は殺されかけたんですよ、あの山の中で」

  「えッ!?」

  ウマシカラヒサは、驚きの声をあげた。

  「まさか!」

  「本当に知らないのですかねえ」

  何をしらじらしいというそぶりで、タケモロスミはウマシカラヒサを横目で見た。

  「いや、本当に知らない!」

  口調に熱が入っていた。ふとその言葉は真実なのではないかとさえ思ってしまう。

  「本当に御存じないんですね」

  「はい。しかしもしや……  いや、まさかあなたまで…」

  「えッ、なんですって!?  何か知ってるんですか!?」

  「出雲の国は、複雑な国です」

  ぽつんと、はぐらかすように、ウマシカラヒサは横顔で言った。

  「今では山奥に追いやられて、蛮族扱いされている山の民こそが、この国の先住民だったんですよ」

  タケモロスミは焦れてきた。自分が知りたいことはおよそ関係のない談議が、ウマシカラヒサの口から始まったのである。

  「だから、おれを襲ったのが誰なのかということを、聞いているんですよ!」

  「とにかくお聞きください。そのことと関連するんですから」

  そう言われてしまえば、口のはさみようもない。

  「農耕の民は、あとから来た者なんです。しかも西の果ての国からね。彼らは狩猟生活をしていた黒い目で黒い髪の、この国の先住民を下戸と呼んで差別して、紅毛碧眼である自分達は大人と称して支配階級となったんですよ。そうしてできたのがあの築紫の大倭の国でしてね、日の巫女と称していた女王も、もちろん金髪の赤人だったんです。さらにあとから来た私の御先祖のスサの王も同民族でしたからね、日の巫女の弟分として入り込むことができたんです。でも彼は、許せなかったんでしょうね」

  「何をですか」

  依然タケモロスミの口調は、ぶっきらぼうだ。

  「大倭の連中が、この国の本当の歴史を隠そうとしていたことをですよ」

  「本当の歴史?」

  「ええ、そして大倭はついにこの出雲の国をも征服し、配下においたんです。大クナトの主の流れをくむ出雲神族の大倭に対する恨みは、根強いものがあるんですよ。そしてその時、大倭の隠忠だったのが天の菩比、すなわち今の国造家の祖なんです」

  ウマシカラヒサの言う複雑という意味が、なんとなくタケモロスミにもわかるような気がしてきた。

  「私の御先祖はそんな日の巫女を殺しましたが、新しく豊姫が女王になって、御先祖は出雲の国に追放されて来たんです。その豊姫の子孫であるイワレヒコが都を東の、今の大倭の地に遷して、倭国全体の大王となって神倭朝が始まったわけです。そして今度、あなたの仕える大王様が馬とともに海を渡ってやって来られて、大王の位に即かれた。しかし今でも大倭には、本当の歴史を抹殺しようとする勢力がうようよしているはずです」

  「だからその、本当の歴史とは何なのですか」

   「この国、つまり五つの島の倭国全体が、霊の元つ国だということですよ」

  「霊の元つ国?」

  「人類発祥、五色人創造聖地ということです。この国の大王は、古来スメラミコトといわれて、この国だけでなく、全世界を統治していたんですよ」

  「しかし」

  ぶっきらぼうからタケモロスミの口調が、いぶかしげに変った。

  「大王はイワレヒコ様が初代で、おれが仕えるミマキイリヒコ様でまだ十代目」

  「ところがそれは、神倭朝に限ってのことでしょう。神倭朝の前に武鵜草葺不合朝という王朝が七十一世続いていたんです。その前も代々皇統がありましてね、人類は文明が栄えては万国泥の海となるというような大天変地異滅び、また栄えては滅んでというその繰り返しだったんですよ。神倭朝は実に、人類史上二十七代目の王朝なんです。しかし大倭にとってはですね、なんしろこの国にあとから来たものですから、この国がそんな由緒正しい歴史のある国だとまずいんでしょうね。自分達は支国から来ただけに、支配の正統性がなくなってしまいますからねえ。だから歴史を抹殺しようとして、漢字渡来以前に、この国に文字はなかったなどというデタラメをでっちあげようとしているんだ」

  しばらくため息まじりに考えたあと、タケモロスミは顔をあげた。

  「しかしそれが、おれが襲われたということと、何の関係があるんですか」

  「あなたは、その歴史抹消劇に、足をつっこんでしまったんですよ」

  「え?  おれが?」

  「そう、そしてイヒイリネも」

  「どういうことですか」

  「神宝ですよ。あなたはそれを大倭へ提出させる勅使として、来られたんでしょう?」

  「そうですけど、しかし神宝はいつも神賀詞奏上の時、国造は献上するじゃないですか」

  「今回大王様が所望された神宝は、実は特別なものなんです。クナトの大社の御神宝でしてね、超太古の王朝と関係があるんですよ。具体的に言うと、ヒヒイロガネという金属で造られた曲玉ですけれどね、この金属は今ではこの世に存在しないんです。だからこれが超太古、万国棟梁たりしスメラミコト朝の存在の証拠となってしまう。大倭はだから、欲しいんでしょう」

  「逆に出雲はそれを渡したくないと。国造もそういう腹だったんですか?」

  「さあ、国造家は大倭の天の菩比の流れですからねえ、どうでしょうかねえ」

  「あなただな」

  タケモロスミの声が、急に重い調子となった。

  「やはりあなただ!  今の話を聞いて、だいたいわかった。出雲人は大倭も大王のことも、恨んでこそいるけど心底恭順などはしていないんだ!」

  叫ぶように吐き捨てて、タケモロスミは立ち上がり、ウマシカラヒサを指さした。

  「あなたがイヒイリネを殺し、おれをも殺そうとした!」

  「違う!」

  ウマシカラヒサは、再び強い口調で言った。彼もまた立ち上がる。

  「いいですか。さっきも言ったように、超太古からこの国のスメラミコトは万国の棟梁で、この国は悠久の昔から宇宙最高神の、そして太陽の直系国なんですよ。いきさつはどうあれ神倭朝とて、この霊の元つ国のスメラミコトであることにかわりはない。最初九代は大倭の豪族の長が持ち回り制で大王になった。そして今、あなたが仕える大王が渡来して、位を即がれた。そうでしょう?」

  「たいかにそのとおりだ。おれ達の大王様は広い草原の国から、海を越えて遠征に出ることになって、少年だったおれもおやじといっしょにその遠征軍に加わったんだ」

  「そう。ちょうどあの頃大倭は北の日高見の国、大倭でいうところの蝦夷との戦乱に明け暮れていたし、先代、先々代の二代の大王は、日高見に占領されていましたしね。今の大王様はその日高見出身のオホヒヒ(大日々)の大王を日高見に追い返して、位に即かれたんでしたよね。でもおかしいと思いませんか?」

  「何がです?」

  「いくら大倭の王朝は世襲制ではないにせよ、征服した王が新王朝樹立を宣言せずに、前王朝の次代、すなわち神倭朝第十代の大王として即位されたのですよ。やっぱり不自然でしょう」

  言われてみればたしかにそうだ。タケモロスミがぼんやりとそう考えていると、ウマシカラヒサの口調が急に早くなった。

  「だから血統はばらばらでも、この国の皇統は霊的には万世一系なんです。いいですか、その事実を知っていれば、おろそかにはできないんですよ。どうか信じて下さい。私はあなたがたの大王様も、大切に考えているんです。私はイヒイリネを殺してもいないし、あなたを殺そうともしてはいない」

  自分は殺ってはいない――信じてほしい――これはかつて自分が、ウガツクヌに言った言葉ではないか。それと同じことを今度は自分が言われ、タケモロスミは奇妙な気持ちになってしまった。

  「では、殺ったのは誰なんですか」

  「それは勘弁して下さい。私も一応は出雲人ですから。私の口からは言えません」

  「それでは、話が違う!」

  タケモロスミの叫びが終わらないうちに、とっぷり暗くなっていた山の麓の井戸ばたの空間には、静寂だけがとり残されていた。あとかたもなくウマシカラヒサの姿は、闇に消えていたのである。

  「また妖術か」

  そうつぶやいたあと、タケモロスミは激しく咳込み、再び倦怠感が襲ってきた。

  力なく彼は石段を降り、とにかくも戻ることにした。

 

  月があったことが幸いした。

  節々が痛む全身を励まし、ほんの短い距離をやっとのことで国造邸にたどり着いた時は、上弦の月がもう神坐の森の向うの空に傾きかけていた。

  正門から入るわけにはいかない。なにしろこっそり忍んで出てきたのだ。出た時と同じ裏木戸へまわろうと、竹林をぬけて柵ぞいに歩いていた時である。

  道の向うに、人の声がした。そして同時に、いくつかの松明の炎が晧々とあたりを照らしながら、足音とともにゆっくりとこちらへ近づいてくるのだった。

 

6

 

  しまった、と思ったが、遅かった。どこにも身を隠すようなところはない。ふだんだったら逃走もできただろう。しかし今のタケモロスミは、普通の身体ではない。ましてやこんな時に、彼はまたしても激しく咳込んでしまった。

  松明の明かりの中央にいた小太りのウガツクヌは、明かりに照らされておどおどしているタケモロスミに、不審そうな顔を向けた。

  「おや、勅使殿。こげな時間にお出かけですかいねえ」

  「あ、いえ、ちょっと」

  「散歩ですかいね。だけんど、病に伏せっちょうなあと聞いちょったですけどね」

  「あ、まあ」

  意地悪そうな視線を、ニコリともせずにウガツクヌは、タケモロスミの全身にはわせた。そしてある一点で、視線は止まった。

  それからすぐにウガツクヌは、タケモロスミの顔を見た。

  「もう夜は冷えますが。はよう帰って、休みなあたらどげですかいね」

  それだけ言うと松明を持つ従者とともに、ウガツクヌは正門の方へと消えていった。

  いやなやつに会ったと、タケモロスミは思った。ウガツクヌはおそらく、国庁からの帰りだろう。

  とにかく何事もなかったので、彼は裏木戸を押して邸内へと入った。

  倒れるようにして床に入り、夕食もとらずに彼は、そのまま眠ってしまった。

  どれくらい眠ったか、戸のすきまからは光は洩れておらず、朝にはなっていないはずの頃、戸を激しく叩く音でタケモロスミは起こされた。灯火をつけるよりも早く戸は開き、外にいた者がともす松明で、室内は明るく照らされた。

  明かりとともに入って来たのは、ウガツクヌだった。

  松明の炎で、室内は照らされた。あわてて飛び起きたタケモロスミの寝床のわきに、ウガツクヌはずっしりとあぐらをかいて座った。

  「何事ですか、こんな時分に?」

  不穏な予感にに身を固くし、恐る尋ねるタケモロスミに、ウガツクヌは居丈高に言い放った。

  「あなたの、剣を見せてごしない」

  「剣?」

  一瞬ためらった。鞘はともかく、中味は自分のものではない。しかし断わる口実もみつからないまま、枕もとの剣をウガツクヌに示した。

  さすがにそれを手に取るという無作法はウガツクヌはしなかったが、ただその柄を喰い入るように見つめていた。

  「抜いてみてもらえませんかいね」

  仕方なく剣を、タケモロスミは抜く。鉄剣独特の重みと輝きを、剣は充分誇示していた。

  ウガツクヌは立ち上がって、一歩退いた。そして、自分の剣を抜いた。

  「その剣はまぎれもなあで、おやじの剣だがね。それをそちが持っちょうとは、やはり!」

  口びるをかみしめて、ウガツクヌは言った。タケモロスミは驚いて自分の掌中の剣に目を落とし、すぐにウガツクヌを見上げた。

  「違う!  この剣は宮山で誰かに襲われて、絡みあっているうちに雷が落ちて、相手が放り出したのを間違えて持ってきてしまったんだ!」

  「じゃじゃ言わんでごせ!  宮山には誰も入れんっち言うてああたが。たった一人入れるフルネは今はおらんし、そげなちょっぱいにどまかされはせんでな。そちがおやじを殺ったに決っちょうが!」

  「違う!」

  「なんが違うかね。そちがおやじの剣を持っちょうことが、何よりの証拠だが!」

  ウガツクヌは剣を購えている。万が一タケモロスミが斬りかかってくることを、警戒しているのだろう。そのウガツクヌによって、床板が踏み鳴らされた。戸が開き、国造家の従者達が、武器を手に乱入してくる。

  「観念せい!  身柄は預かる。剣を捨てい。いや、返せ!  わしのおやじの剣だけんな!」

  タケモロスミは顔が真っ赤になるのを、自分でも感じた。相手は多数。狭い室内で剣を振るってあばれまわったところで、とても勝ち目はない。

  自分は無実なのだ。その誇りが、彼に剣を捨てさせた。

  たちまちに取り押さえられ、庭の隅の牢小屋へと、タケモロスミは放り込まれた。続いて彼の従者達も、次々に投げ込まれてくる。

  「御大将!」

  十二、三名の従者達は怯えきっていて、牢内の土間の上にころがりながらも、一斉に身を寄せてきた。

  「みんな無事か?  傷つけられた者はいないか?」

  「はい。しかしなにしろ寝込みを襲われて、しかも矢をつがえての包囲でしたから、抵抗のしようもなく」

  「面目ない。御大将をお護りしなければならないはずの我々が…」

  そう言って、泣き出す者もいた。

  「御大将!  おれ達、朝になったら殺されちまうんで?」

  「ばかもの。おれはいやしくも大王様の勅使だぞ。それを殺したりしたら大倭への叛逆となって、ただではすまないことくらいウガツクヌとて百も承知のはずだ」

  その言葉は従者に向けてというよりも、タケモロスミは自分自身に強く言い聞かせていた。しかしそれが希望的推測であることは、彼がいちばんよく知っている。なにしろここは大倭ではない。大倭のモラルは、ここでは通用しないのだ。

  従者達の泣き声は、いちだんと高くなった。故郷を偲ぶ愚痴が、泣き声ともにささやかれる。

  「ふるさい!」

  牢のある小屋の入り口を蹴破って、警護の兵が叫びながら入ってきた。

  「ぎゃあぎゃあ、わあわあ、泣いても叫んでも逃げれはせんだけん、おとなしくしちょれい!  明日は黄泉の国にえぐんだけん観念したらええがね。こんどひとことでもしゃべってみい。この槍で突き刺してごすけんな!」

  一喝したあと、兵はそのまま格子の外に立たずんでいた。

  「わしらとておまえらのせいで、寝ずの番だ。ええ迷惑だが」

  兵がぶつぶつ言っているうち、その数も二人、三人と増えていく。確実に死が近づきつつあるという恐怖の中で、寡黙を強いられることほど過酷なことはない。しばらくは沈黙が漂っていたが、とうとう一人の従者は耐え切れずに、立ち上がって泣き叫びながら格子をゆさぶった。

  「出せ!  おれ達は何もしていない。ここから出せ!  大倭へ帰せ!」

  次の瞬間、兵の槍はその言葉とおり、従者の眉間を貫いてた。

  血しぶきが、絶叫とともにあがる。兵達は一斉に、槍先を格子の中に向ける。

  誰しもがとっさに反応しようとしたその行為さえ、許されなかった。槍が眉間から抜かれて絶命した仲間のもとへ、駆け寄ることさえできなかったのである。

  涙とともに、、誰もが口びるをかみしめた。

  タケモロスミとて、全身が小刻みに震えるのを、どうしようもなかった。

  彼は静かに目を閉じた。もちろん眠るためではない。そのような努力は徒労になることは、よく分かっている。

  彼はまぶたの裏に、故郷の空を思い出していた。生まれ故郷である。大倭ではない。

  青い空の中に白い雲が浮かび、どこまでも続く草原、地平線までさえぎるものは何もない。群れ遊ぶ無数の馬。その馬達とともに、彼は育った。

  しかし彼らの王が海を越え、倭という国へ遠征に出ることになり、少年だった彼も父とともに遠征軍に加わった。

  運命を後戻りすれば、その時に行きつく。もしあの時、故国に残っていたらと。

  そしてその運命のあ戻りは、勅使の任を呪う。歴史抹消劇に、足をつっこんでしまったという勅使。その勅使の任を仰せつかった時は、受け取ってくるように言われた神宝というのが、超太古の歴史を語るというような、そんなだいそれたものだとは思っていなかった。

  そしてその神宝も今回のようなとんでもない事件さえ起こらなければ、何も知らずに今頃はそれを受け取って、、大倭への帰途についていたはずだ。

  そのように平穏に帰国の途についていたはずの自分達の姿を、思い浮かべてみようとする。しかしそれは夢想でしかなく、何ら心の慰めにはならないことをしる。

  朝になれば、確実が死がやってくる。

  勅使でありながら、国造殺しの下手としてその子に仇を打たれる。しかも無実なのにだ。

  あの宮山での乱闘。あのあと、剣さえ間違わなければ……

  その時、ふと気がついた。自分を襲った男が持っていた剣が、殺されたイヒイリネの剣だったのだ。

  たしかにイヒイリネの遺体のそばに剣はなく、鞘は空で、その鞘と合う木剣が宮山の入口で発見されていた。

  どういうことなのだろうという疑惑が、彼の頭の中を巡っていた。

  それを追求する手だてはない。もはや何もかもが遅い。無実の自分は殺され、真の下手人はこれからもまんまと生き延びるのだ。

  世の中の不条理さを、これほどかみしめたことは、彼は今までなかった。全身が上気し、顔じゅうが熱くなって、頭をかきむしりたくなるようなこともしばしばだった。

  いったい何が悪いのか、悪いものは何なのか。それとも運命には逆らえないのか。いや、運命こそが悪だ。何もかもが悪い!

  彼は激しく、運命を呪う。その運命を作ったやつは――そいつがイヒイリネを殺しさえしなければ、すべてが順調にいったのだ。

  今ものうのうとしているはずの犯人への怒りと憎しみが、今さらながらタケモロスミの中で、燃え上がってきた。

 

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<少しだけ予告>

  ウガツクヌの何気ないひとことの中に、タケモロスミは事件解決の糸口を発見。タケモロスミは事件の真犯人の元へと馬を進める。