スサの王ソミンは、オオアナムチがオオクナトの主となってからすでに宮山には住んでいなかった。もう国はオオアナムチに任せた以上、自分の役割は済んだと称して、まだ四十歳ではあったが西の方の杵築の北、日御碕(ひのみさき)に隠遁していた。そこへオオアナムチは、従者二人だけを連れて出向こうとしたのである。
  だが、その出かける仕度をしている真っ最中、一大事件が起こった。昨日まで元気だったスクナヒコナが、突然変死してしまったのである。右腕とも言える存在を失ったオオアナムチは号泣したが、今は国難迫る非常時である。いつまでも感傷に浸ってはいられない。スクナヒコナの遺体は木につるし、ある程度腐乱してから神道(しんじ)の海に沈めた後、オオアナムチはようやくソミン王のもとへと向かった。すでに夏も終わろうとしていた。
  しばらくは神道の海伝いに進み、やがて斐伊川にぶつかるとそれに沿って下流に向かっていけば杵築に出る。一日の行程はそこが限度で、野営で一泊してから海岸沿いに北に向かって、日御碕へと向かう。海岸は崖が切り立っている所が多く、道はないに等しい。時には、崖を攀じ登らなければならなかった。それでも、どこまでも青い海が視界いっぱいに広がり、足元の岩にぶつかるときの白い波しぶきがその青と対照となって、目を慰めてくれる。遠くには白い砂浜に緑のラインが重なってどこまでも一直線に続き、その向こうに三瓶山が顔をのぞかせていた。
  やがて、杵築からまる一日かけて日御碕に着いた。直線距離なら半日もかからないはずだが、何しろ道が道である。ソミン王は上機嫌だった。そしてオオアナムチの説明を聞いても、さして驚かなかった。
  「いつかは来るべきときが来たまでよ」
  ただそれだけを言い、オオアナムチの伺いにも
  「俺はもう、隠居の身だ。自分で考えろ」
  という返事しかなかった。
  スサの王ソミン(ソーラン)は魏の帯方郡にいた時に牛頭(ソシモリ)州に居を構えていたために、牛頭(ごづ)天王とも称された。実名のソミン王は漢字では「蘇民将来」とも表記されるが、本稿で何度も触れているように、その風貌は倭人のそれではなく、金髪に青い目、高い鼻の持ち主であった。そうなると、純粋な韓人でもない。出自はその名が示す通り、メソポタミアのスサである。
  もっともソミン王が生まれた時は、故郷のスサはパルチア王国の一部となっており、そこへ何度もローマ軍が遠征の兵を差し向け、そのローマは撃退したものの、パルチア人による政権は崩壊してササン朝ペルシャの支配下に入る過渡期であった。そんな激動の中、混乱を避けて東へ旅立ったのが幼いソミンを含む紀元前のシュメール人の王族の末裔の一族で、物心ついてからずっと漂泊の旅の空にあったソミンは、共に旅する父や同族の長老から自分たちは、遠い昔のスサの王の流れをくむ者であることを嫌というほど聞かされていた。
  だから旅の空で父が死に、長老もほとんど他界し、彼が成長した頃には共に故郷を出たころの父の手勢の二世が付き従うようになっていた。二世といっても母は多くは現地人で、純粋なシュメール人とは言えないまでも、ソミンにとっては頼もしい仲間であった。それが五十猛(いそたけ)である。だからソミンは、自分をスサの王と名乗った。そして長く牛頭州に滞在したが、当時帯方郡を支配する公孫氏のもとには、ヤマトがしきりに使いを送っていた。そこでソミン王は、ヤマトに興味を持ったのである。
  ついに彼は、五十猛たちとともに海を渡った。ところが着いてみると、海岸は自分たちを迎え撃とうとする水軍の出迎えを受けた。まさしく一発触発の状態になった。無理もない。突然海の向こうからおびただしい船団でやって来たソミンたちだ。ヤマトから見れば敵の来襲としか映らなかったのであろう。
  ところが交戦意志のないソミンは、とにかくもヤマトの王に会いたいと申し出た。ヤマトの王は、前線まで来ていた。それほどまでにソミンたちの船団が来たことを、国家の一大事ととらえていたようだ。王とソミンは二人きりで対面した。もちろん、警護の兵はついている。ヤマトの王をひと目見たソミンは、まずは絶句した。姿こそ男の軍装であったが、それはヤマトの女王、()巫女(みこ)のオオヒルメであった。男装の麗人と呼ぶには少し年がいっていたが、ソミン王を驚かせたのはそればかりではなかった。金髪に青い目、高い鼻はまさしくソミン王と同族だった。
  「シュメール・ミグゥ・アトゥ!」
  と、思わずソミン王は叫んでいた。相手も敵でないと知り、ソミン王はたちまち客分としてこのヤマトの国に迎え入れられた。そこには緑が優しい水田に稲穂が広がり、実に神々しい神の国の姿であった。もともとは百余国に分裂していた小国家の共同体、すなわち連邦である。その首都ともいうべきは、現在の福岡県甘木市から太宰府市を含む一帯で、後にトヨヒルメの代になってからは東の大分県の一部にまで拡張した。
  ソミン王がこの国に入ってみてはじめて知ったのは、ヤマトの支配階級は大人(うし)といって皆ソミン王と同族の紅毛碧眼であった。違うことといえば、顔に入れ墨をしていることくらいである。だから、ソミン王も黒い髪黒い目の庶民=下戸たちからは支配階級の一員として崇められた。
  道を歩けば、下戸たちは道の脇によってひざまずき、両手を打ち鳴らしてくる。そしていつの間にかソミンは、日の巫女の弟分として政治に携わるようになった。日の巫女はもっぱら神祀りに専念して、次第に人前には姿をあらわさなくなった。
  そうなると、政治の表舞台に立つようになるのはソミン王である。その頃には、すでに公孫氏は滅んでヤマトも魏に使いを送るようになっていた。だから魏の使者はソミン王を見て、日の巫女に「男弟有り。(たす)けて国を治む」などと記録している。同じ顔をした同族だから、弟と思ったのも無理はない。だが、ソミン王は次第に、日の巫女は自分と厳密には同族ではないと感じ始めていた。
  大元をただせば同じメソポタミアの地から出た同族であろうが、どうも日の巫女はシュメール人ではなく、ユダヤ人だと感じたのだ。帯方郡に着く前に通った漢の国でも、多くのユダヤ人がいて、洛陽の都の一角にはユダヤ人街さえあった。さらに砂漠で出会った隊商は、ことごとくユダヤ人であった。事実この時代、ソミン王の故郷を脅かしたローマ皇帝が着用していたのは中国産のシルクで、運んだのはほとんどがユダヤ人隊商たちであった。
  それだけなら、ソミン王は別に甘んじてこの国の補佐的地位に甘んじていたであろう。ところが、彼は実情を目にしてしまったのである。
  それは、日の巫女がことごとく人類の本当の歴史を抹殺しようとしていたことであった。そもそもソミン王がヤマトに行こうと考えたのは、本当の人類の歴史が知りたかったからである。そして、ヤマトこそが()(もと)つ国であって、本当の歴史があるという話も耳にしたからだ。だが、日の巫女はそんな人類発祥、五色人創造の聖地である霊の元つ国の歴史を否定し、それでいて自らを超太古の太陽神である皇統第二十九代天疎日向津比賣(あまさかりひむかつひめ)になぞらえて太陽の女神だなどと称している。さらにはこの国古来の固有の文献や文字をも抹殺して、文字は中国の漢字しか存在しないなどと称しているのだ。これがソミン王には許せなかった。直接いさめもしたが、聞き入れられもしない。そこでとうとうソミン王は行動に出た。馬の皮を剥いで、その馬を日の巫女が聖域にいる時に投げ入れた。そこは神祭り用の機織小屋であったので、日の巫女は針で陰部をついて死んでしまった。
  日の巫女の死とともに巨大な塚が作られたが、お構いなしにスサの王ソミンはヤマトの王として即位した。だが、人心がついていかなかった。いつの間にか彼の知らないうちに、死んだ日の巫女の親戚の娘で十三歳のトヨヒルメが、次の日の巫女に定められてソミン王は五十猛ともども追放されたのである。そして一度は帯方郡へ戻ったが、すでに公孫淵が討たれた後で帯方郡は魏のものとなっており、魏に通じるヤマトから追放された身としてはいづらくて再び倭の地を目指し、たどり着いたのがヤマトの一大敵国クナトの国であった。
  そこで彼は群子一(ムレコカミ)のアシナツチと知り合い、この辺りを荒らすヤマトの鉄人族(ヲロチ)を退治して製鉄権を手に入れ、同時に植林の技術を教えて洪水から守り、横穴住居に住んでいた人々に穴居抜けと称して簡易天幕を教え、さらにはアシナツチの娘のクシイナダを娶って略奪婚を禁じた十二箇条の新しい掟「出雲八重書」を制定してクナトの国を出雲と名付けた。そして彼は、少年であったオオアナムチに出会った。そしてこの少年こそ、将来の出雲を背負って立つと実感し、そればかりでなくそのみ魂の本質まで見抜いたのである。
  ソミン王とはそういった人物である。ところがそのソミン王から、オオアナムチは突き放されてしまった。その真意は分かる。突き放すことによって自分を独り立ちさせようという、大きな愛を感じるのだ。
  それでもソミン王のところからの帰途、オオアナムチの心の中に孤独感がわき上がってしまった。重臣のスクナヒコナを失った哀しみと不安も、急にこみ上げてきてしまった。ソミン王に会うまでは慌ただしくて、それを感じる暇もなかったのだ。またどこまでも青い海と砕け散る波という舞台背景が、余計に感傷を誘ったのかもしれない。
  コトシロヌシがいてもタケミナカタがいても、オオアナムチに自分は一人になってしまったと実感していた。
  うつろに目を海の方に向ける。そのちょうど真西から、間もなくヤマトの大軍が押し寄せてくるかもしれないのだ。畿内大和を平定したときとはわけが違う、大きな戦いになりそうである。
  その時、海が光った。太陽の光に輝くなどといった程度のものではなく、閃光であった。空は晴れているのだから、雷でもない。そのうちオオアナムチは、ものすごい光圧を感じて立っていられなくなった。
  ――我こそは汝の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)なり――
  オオアナムチは、眉間が熱くなるのを感じた。そして、とめどなく涙が溢れるのだった。満たされていると実感した。全身が喜びに包まれる。そしてはっきりと、目が開かれた。かつてソミン王が見抜いたように、自分のみ魂は天の下造らしし大国魂神の御分魂で、その御子孫神ともいえる大国主の神だったのである。さまざまな国の建国の時に、それぞれの国にお出ましになる大国主の神――その一人が自分だったのである。
  オオアナムチは、ゆっくりと立ち上がった。まだ目からは涙が溢れていた。しかしこれで、ヤマトとの戦いに勝てるという気持ちにはなれなかった。ヤマトとの戦いはどうでもよく、もっと大きな使命が、自分にはありそうな気がしたのである。

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<少しだけ予告>
いよいよ大和の大群が出雲に攻め寄せた。決戦のついに決戦の時が来た。出雲の運命は?