几帳布筋(のすじ)

『新史・源氏物語』の執筆

その本、作家の藤本(せん)さんによって昭和55年に出版された「源氏物語の謎」(祥伝社・NONBOOK)が投げかける疑問は、「(源氏物語が書かれた)11世紀の初めには、世界のどこを見ても――いや、14世紀までは、世界のどこの国にも、女性の大河小説というのは存在しない。(中略)だとすれば、なぜ、世界史の中のただ一つの例外が、日本に存在するのか。」というものだ。藤本さんによると、源氏物語はダンテの「神曲」より300年、中国の「水滸伝」より400年も前にかかれたものだという。はたしてこのような大作がこの時代に、しかも一人の女性の手によって書かれたというのははなはだ疑問であるということだった。
  私はこの考え方に、大いに同調した。では、本当の作者はということになるが、その前に源氏物語そのものは果たしてどのような性格を持ったものなのかという前提を考察する必要がある。私は藤本さんに啓蒙されつつも、源氏物語にはかなりの部分史実が含まれているのではないかと考えた。それも、光源氏自身が実在の人物の反映に思われてならないのだ。それも、藤原道長の時代ではなく、もう少し前の時代のである。東北大学の山田孝雄(よしお)博士によると、源氏物語に出て来る音楽関係の用語は道長の時代よりも50年ほどさかのぼる時代のものだという。つまり、道長の時代には流行していた今様に関する記載が古典「源氏物語」には全くなく、逆に道長の時代にはすでに廃れていた「大篳篥(ひちりき)」「(きん)(こと)」などの楽器が登場するという(山田孝雄『源氏物語之音楽』)。私が史学科と文学科の二つの学科を卒業したからこそ、日本史学と日本文学を結びつけたこのような結論にたどり着けたのかもしれない。
  そもそも、「源氏物語」とは何であるか。人はそれを恋愛小説と思っているであろう。いや、思っている人が多いと思う。しかし、源氏物語は実は政治小説で、しかも権力闘争という実にどろどろとした政治的背景のもとにかかれたものであると私は思う。
  大学を卒業後、高校の国語教師となって古典を教え、さらに予備校の古文教師となってからは、ますます職業上でも源氏物語と接する機会が多くなった。その頃に、あの「あさきゆめみし」が発表された。前の「ラブパック」にはまっていた私は、違う意味でまたはまった。授業の折にも、「あさきゆめみし」を読むようにと生徒に勧めた。さらには買っただけで「積んどく」していた与謝野源氏を「通読」し、さらには田辺源氏も読み、ついには学生時代には買わされて文句を言っていた「源氏物語」の原文をも通読した。ちなみに高校で古文の教師でございとがんばっている方の中で、源氏物語を全文通読したことのある人は果たして何人くらいいるであろうか。
  さて、そんな折に、私が所属しているある文芸サークル(創作者集団)の会合の中で、ある会員が「一生の間に、何とか源氏物語を書いてみたいねえ」といったのが私の心に刻まれた。その方は今は故人となられたが、そのひと言が私に一大発起させたといっても過言ではない。「そうだ! 源氏物語を書こう」と私は思いたったのだ。しかも、古典「源氏物語」の翻訳でもパロディーでもなく、自分の中で消化した源氏物語を、自分の小説作品として書こうと思ったのである。かつて吉川英治氏が「平家物語」や「太閤記」を自分のものとして消化し、そして著したように、だ。つまり、自分の史眼で平安王朝とその政界を忠実に再現し、その中に源氏物語の世界を位置づけようとしたのである。タイトルは吉川氏の「新・平家物語」「新書太閤記」「私本太平記」などに習おうと考えた。だが、「新源氏物語」というタイトルは、すでに田辺聖子氏によって使われている。そこで「歴史の再現」ということに主眼を置いて、私の作品は『新史・源氏物語』とした。
  繰り返し述べるが、『新史・源氏物語』は決して古典源氏の翻訳でもパロディーでもなく、実際の平安王朝に光源氏なる人物が実在したらという前提で書かれた歴史小説であり、政治小説である。
  平成5年に私は、『新史・源氏物語』の第1行目の筆を下ろした。そして脱稿したのは平成8年3月22日午前2時46分、つまり足掛け4年の歳月を要して『新史・源氏物語』400字原稿用紙2850枚は完成したのである。その後は日の目を見ずにほこりをかぶっていた原稿だが、世の中のIT革命によってついにオンラインで登場したのである。ぜひ、ご一読あれ。『新史・源氏物語』をお読みになりたい方はこちらをクリック。
  さて、『新史・源氏物語』はとりあえずおいておいて古典「源氏物語」についての雑談にお付き合いいただける方は、下の「次へ」のボタンをクリックしてほしい。

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