〜アジア横断編〜

とりとめのない話 中国 (香港区〜雲南省)



バスに乗る
  広西省で平果縣から百色市までバスに乗った。あまりの暑さに早めに宿入りしようと街を走っていた時、バスステーションを見つけた。立て看板の時刻表を見ると、出発30分前だ。乗ろう、と決めた。問題は自転車を載せてくれるかどうか。ふつう短距離のバスには屋根にキャリアがついていて、大きな荷物や自転車を載せているのを見かける。でも長距離バスでは見たことない。名札を付けた係員を呼び止めて聞いてみると、いいよ、という。はじめ車体の側面や後部の荷室に入れようとしたけれど無理で、結局座席に置いた。座席はサマーベッド型、いちばん後ろの席2つをもらった。自転車を非常用出口から積みこむのを、従業員2人が手伝ってくれる。ゴム紐で倒れないようにしばってくれて、僕はその横に寝そべった。出発前、制服の女性が乗り込んで来てチケットをくれたので、100圓札(1400日本円)を手渡した。すると、小額紙幣になって全額返ってきた。降りる時にそれぞれの料金を払うように、ということなんだろう。百色市まで約130kmのバスの旅。
 出発後、しばらくすると車掌の女の子がやってきて、チケットと140円を下さい、と言う。中国語なのでそれ以外のことはわからなかったけれ ど、初乗り運賃か自転車の持ち込み料金だろう、と思って払った。寝転んでバスに乗るのは実に気持ち良かった。もちろんエアコンなんかないけれど、全開の窓から入ってくる風はカラッとしているし、まるで単気筒大排気量のオートバイのような、心地よいエンジンの振動に身をゆだねているうちに、僕は眠り込んだ。
 目が覚めてみると、まわりのお客はすっかり入れ替わっていた。お金の払い方を見忘れたなあ、と思っているうちに、終点。にこやかな運転手に自転車と荷物を下ろすのを手伝ってもらう。駐車場の片隅で荷造りしている途中に、あ、運賃払い忘れてら、と気づき、バスへ戻る。おしゃべりしている運転手と車掌の女の子に「あの、お金」というと、2人は僕が座っていた席のまわりを探し始めた。あわてて、いやいや、落としたんじゃないよ、と、首と手を振る。筆談で「僕はまだ140円しか払ってない。これは自転車代でしょう。乗車賃はいくら?」と聞くと「140円」という。はぁあ? 4時間も自転車と乗って合計280円? やっすいなあ・・・と思いながらポケットから追加のお札を出すと、女の子が手のひらをかざして止める。全部で140円よ、という。そんなはずはないと思って、平果縣から乗ったんだよ、と確かめたけれど、それでも140円だという。ふつうの中国人が使っている公共の交通機関は、目玉が飛び出るほど、安いのだ。
 中国では、宿代も驚くほど安い。以前泊まろうとした宿に、1泊40円だと言われたときには、間違えて400円を払おうとしてしまった。それ でも宿代が安いのはまだわかる。経営者がやることといえば、シーツを洗って床を掃くことくらいだろうから、原価償却はほとんどない(とはいえ、40円というのはスゴすぎるけれど)。だけどバスは、ガソリン代だっているし、オイルやエアクリーナの交換、その他にもメンテナンスがあるだろうに。それにバス自体、いくらなんでも20年はもたないだろうに。それを140円、昼飯代で4時間130kmも乗せてくれる。しかも親切で笑顔の接客だなんて。地球の陸地の7%が中国なんだそうだ。広大な国土の中の130kmなんて、その程度のもの、なんだろう。(01.7.14、田林縣)
ガールフレンド:中国的女朋友(その1)
 綺麗な人だ・・・。通り雨を遅めの昼食でやり過ごそうと店に入って、すぐそう思った。チャイナ服の立ち姿。170cmの細身。小顔にショートカットの黒髪。バランスのいい背中と肩のライン。すらりと長い腕と脚。くっきりした目鼻立ちと日焼けしたすっぴんの肌は、内面から発散する野生味さえ感じさせる。 僕は入ってすぐの大きめのテーブルについた。店は彼女と若い女の子の料理人でやっていた。もうひとりいた別の女の子は、客の入りの多いとき に手伝いに来る隣の美容師だと、あとでわかった。料理を待っている間に、他の客は少しずつ引けていった。食べ始めてしばらくすると、僕のテーブルにはもう2人分の昼食が運ばれ、彼女と料理人が席についた。初めに話しかけてきたのは、彼女の方だった。筆談が始まると、店に残っていた男性客や美容師も輪に入ってきて、いつものように僕は旅の話をした。28歳の彼女の仕事はスポ−ツインストラクターで、午後からこの店に立つという。そのうち彼女は「いっそわたしも旅についていこうかな。自転車もあるし。」といい出した。彼女はどこかしら他の女性とは違った、一歩ひいた感じがあった。家族が許さないよ、というと、家なんかないわという。
 「おんなじだね、僕も家がない。あるのは自転車だけ。1日80キロくらい走る。」
 「そんなに走れない! 40キロまで!」
 「大丈夫、荷物は僕が持つから。」
 「お金がないけれど、それでも連れていってくれる?」
 「自転車の旅はたいしてお金なんてかからない。さあ、出発しよう!」
 すると彼女は「OK!」と言って立ち上がると、にっこり笑うのだった。そのあと、日本に帰って2人で暮らす話をしたり、デジタルカメラの画像の中からドンナちゃんを見つけた彼女が「この子はだれ!?」と詰め寄って来たり。僕は少しどぎまぎしながら「こ、こ、この子はフィリピン人で・・・」と言い訳めいた返事をするのだった。こんな会話が、なぜだか僕らにはこのとき限りの遊びだと、はじめから分かっていた。友達にならない?と彼女がいい、僕はうなずいて名前を書いた。彼女の名前はフェイ。 もう今日はこの街に泊まることにして、これから公園へ行こうとフェイが誘う。美容師の女の子が特に引きとめているのよ、という言い回しだった。次の街まで走りたいからと断ると、フェイは「薄情な人ね。」と書き、その下に「ひとでなし!」と付け加えてあははと笑った。僕は、ひどいことゆうなあ、と抗議してから、公園へ行くことに決めた。店の前で車を拾い、フェイと僕と美容師女の子の3人は街の真中にある公園へ向かった。池のまわりをめぐる散歩道を歩く。あからさまに僕の気を引こうとする女の子と、フェイの間の微妙な位置を保ちながら、彼女の涼しげな歩く姿を見ていた。露店の並ぶマーケットにつくと、女の子は布生地の店に入ったっきり、いなくなってしまた。僕は、フェイが品定めして夕食の材料を買うのに付き合ってから、女の子のことを少し心配しながら、2人で店に戻った。(つづく)
ガールフレンド:中国的女朋友(その2)
 フェイと料理人の女の子が夕食の仕込みをしている間、僕は昼と同じ席について、鳥の図鑑を見て過ごした。仕事が終わると、彼女は編みかけのグレーのセーターを持ってきて隣にこしかけた。女の子は、同じテーブルに突っ伏して気持ち良さそうに眠ってしまった。午後のゆったりした時間の中、僕はページをめくり、彼女は毛糸を編んだ。しばらくして彼女はペンを取ると、2、3行書いて1枚の紙を手元に差し出す。彼女の細長い指を見て、それから目を見た。少し伏し目がちだった。「実はわたしには2人の子供がいる。男の子と女の子。だけど、いっしょには暮らしてない。わたし、離婚したの。」。僕はふうっと息をついた。はじめに彼女に会ったときの、他の人とは違う雰囲気のわけが少しわかった。僕は紙から目を離さなかったけれど、彼女は編物をしながら、それでもこちらを気にしているのがわかった。打ち明けてくれたことと、そのタイミング。彼女は僕を気遣ってくれた。返事を書く。「僕もね、離婚したことがある。子供はいないけれどね。」。彼女が読み終えると、ふっと空気が変わった。少し間をおいたあと、堰を切ったようにペンを走らせるかたかたという音がした。書き始めは“我們運命相同。”だった。中国で離婚することと、日本で離婚すること。子供のいる離婚と、いない離婚。まわりの様子は違っても、その時に交わされた男女のやりとりなんて、きっと似たようなものだ。ただ、今は彼女の立場の方がずっとヘビーだ。僕は正直に、あなたの本当の心の痛みはわかってあげられない、と書いた。だけど、それはそれとして、これからだよね。
 僕らの気持ちは近づいた、というよりは、いっしょに階段を一段上がったような感覚だった。それから僕らは家族の話やスポーツの話、昆明の動物園にいる体重が35キロもあるヘビの話をした。筆談には、会話にはないニュアンスがある。紙を差し出すときの表情や、読みながら変わっていく表情。気持ちが伝わるまでの、ちょっともどかしい十数秒の時間差。暮れない夏の日のように、いつまでも続くとりとめのない話。それは癒しの時間でもあった。(つづく)

ガールフレンド:中国的女朋友(その3)
 僕はいったん近くのホテルにチェックインした。店を出るとき、公園の入場料やタクシー代を払おうとしたけれど、フェイは受け取ってくれなかった。それどころか、昼食代もいらないといった。そんなわけにはいかないと何度か言ったけれど、友達になったじゃない、と聞かない。仕方がないので、夕食代は必ず払うから、と言い残した。
 やっと暗くなった8時半頃、店に向かった。客の入りはたいしたものだった。トラックやバイクタクシーの運転手など、男臭い連中が酒を飲み、 トランプに興じる。フェイも女の子も、裏の調理場と食堂の間を忙しく立ちまわる。フェイは手が空くとどこかのテーブルに入り、器量を振りまくのだった。僕はまた昼と同じ席に着いた。何の注文も取られないまま待っていると、3人前の大皿料理が並んだ。先に食べていて、と彼女が身振りする。僕は前菜をゆっくり食べながら彼女と女の子が席に着くのを待った。やっと3人の夕食が始まってからも、フェイは客の声に時々席を立ったけれど、少しでも隣にいる時間を作ろうとしてくれているのがわかった。食事が終わって客の相手をする彼女は、時々僕を話題に入れるようになった。そのせいで、僕は酔っ払いの自由奔放な漢字を解読しなければならなくなった。
 仕事の邪魔をしたくなかったので、11時頃ホテルへ帰ることにした。少し前に夕食代を払おうとしたけれど、思った通りフェイは受け取らなかった。僕は席を立つと、客の間で話す彼女に目くばせをしてから、裏の調理場へ入った。フェイが来た。僕は彼女とまっすぐ向きあってから、「今日はありがとう。お礼と、友達になったしるしに。」と書いたメモといっしょに、銀色のプレートを手渡した。フェイはプレートを開いて中の鏡を見ると、今日半日の中でいちばん無邪気なほほえみを浮かべて、吐息のように「謝謝」といった。食堂を抜け、店の前の駐車場へ出る。帰ろうとする僕を、フェイは中国語でしきりに引きとめてくれた。けれど、隣の店から美容師の女の子の声がすると、フェイは急に無口になってさよならと言った。僕は止めてあるトラックの間を抜けて、部屋へ帰った。(つづく)

野象谷熱帯雨林景区の鳥(雲南省景洪市)
 景洪(ジンホン)市街地のすぐ北にある「野象谷熱帯雨林景区」。標高750-950メートルの熱帯雨林に遊歩道をつけ、運がいいと野生のゾウが見られる、というのをウリにした自然公園。 1、2泊してゾウ見て帰ろっ、と思いながら入った谷で、僕は8日間を過ごしてしまった。
 公園の入り口は2つあって、一気にゾウの良く出るスポットにケーブルカーで直行する「前門」。そこから1キロ北にある遊歩道の入り口、「後 門」。日帰りの観光客は前門からケーブルカーで谷へ入って、2キロの遊歩道を下って後門へ出る、というコース。一泊の客は谷の中の「樹上旅館 」(写真)に泊まると、夜や早朝にゾウが来たら間近に見下ろせる。樹上旅館は額面で1泊ツイン2800日本円だけれど、半額までは値切れた。 それでも高いので、僕ははじめの2泊を前門にある宿泊施設1000円(額面1700円、ツインのみ)、次の2泊を相部屋280円(4人部屋、ひとりで使えた)に変えて、毎日遊歩道を通った。5日も通うと樹上旅館の従業員と友達になり、次の3泊を谷の中にある従業員用の空き部屋に泊まらせてもらえた。1泊140円。
 景洪市のあたりは8月まで雨季のため、谷にいる間は毎日一回は雨が降った。だから朝夕に1、2時間遊歩道を散歩する以外は、小さな展望台で 朝から晩まで過ごした。鳥を見たり、観光客を連れたガイドと話したり。「今日の客はうるさいんだよ!」なぁんて身振りを僕だけにわかるようにしながら通って行ったりする。
 鳥はいくつかの種類が混じった群で来ることが多かった。いつもそこにいる鳥もいたけれど、よそものが来るとそういう鳥もよく鳴くようになるので、騒がしいところを探すといろんな鳥が見られる。いちばん可愛かったのはギンムネヒロハシ。灰色の丸っこい鳥で、頭でっかち。犬にマジックで落書きした眉毛のような太い眉斑。腰がオレンジ、翼に瑠璃色のワンポイントがおしゃれに入る。ちょっと金属的でエコーがかかるように「フィル―ッ、フィル―ッ」と鳴く。ヒヨドリ(Bulbul)と名の付くものは、エボシヒヨドリコウラウンコシジロヒヨドリノドジロカンムリヒヨドリ、メジロヒヨドリ、キバネヒヨドリの6種類もいた。メジロヒヨドリはかなり特徴が薄い“褐色のただの鳥”という印象なのに、これにそっくりなのがアジアにはあと2種もいる。インド、バングラ、ミャンマーのやつとスマトラ、マレー半島、ボルネオのやつ。どちらもこの先見ることになるから、よく観察して、とりあえずユニークな「ミュイ、ミュイ」という鳴き声だけはしっかり記憶。オウチュウカッコウは交尾をしているのを見た。托卵性の鳥だから、ムナフムシクイチメドリあたりが代わりに子育てしているのだろうか。キバラサイホウチョウは図鑑によると標高1000mより上、となっている。けれど、900mくらいのところで良く見た。成鳥、若鳥ともいたのでたぶん正しいと思いつつ、この図鑑は分布標高を5m単位まで区切って示しているので、ちょっと不安。もし僕が良く似た大きさ、色合いの鳥と取り違えている、と気づいた方は、ぜひご教示下さい。ただし、ズアカムシクイやマミジロムシクイの見間違いではありません。
 その他には、アジアヒメキツツキ、インドミツユビコゲラ、アオノドゴシキドリ、オオゴシキドリ、アオバネコノハドリヒメオウチュウ、オオヒメコノハドリ、ヒタキサンショウクイ、ヒイロサンショウクイ、エリグロヒタキ、チャバラゴジュウカラ、ハイムネハウチワドリ、ノドグロサイホウチョウ、ズアカチメドリ、ハイガシラチメドリ、アオチメドリ、ホオアカコバシタイヨウチョウ、ムナフタイヨウチョウなど。ちゃんと名前がわかったのが36種。一つの谷の数としてはそれほど多くはないけれど、地面をごそごそしているセキショクヤケイ、水辺のカワセミ、キセキレイ、空のカンムリオオタカ、ツバメ、アマツバメを除いては、全て木々を渡っていく小型の鳥ばかり。見応えあります。
 熱帯雨林は良く茂っているので、姿を葉陰にしか見られなくて、「キガシラモリチメドリ?」とか「ミドリオタイヨウチョウ?」とか、確信が持てないのがいくつも出てきてしまう。ちゃんと見られても「セアオビタキのメス??」など、僕には種まで落とせなかったのもある。さえずりや地鳴きなんて、フィールドノートに「スィ―――――――ツィツィツィツィツィ」とか「ティリュリュリュリュリュ、リューリュリュリュリュ」とか、3ヵ月後に読んだら実際の声を思い出せないようなカタカナ表記がたっぷり残ってしまった。だから、毎日が楽しくて、もっといたかった。(01.08.12、墨江縣)
鳥の本(その2)
 中国に入ってからずっと、鳥の図鑑は「A Field Guide to the Birds of China」を使ってきたのですが、昆明市から南へ下り始めてからは変えました。というのも、中国もここまで来ると“行政区画としての中国”という感じで、鳥も住んでいる人も東南アジアの雰囲気だからです。使い始めたのはこれ。

   「A Field Guide to the Birds of Southeast Asia」 C. Robson
    PRINCETON; ISBN: 0691050120

 載っている範囲は、タイ、マレーシア(マレー半島のみ)、シンガポール、ミャンマー、ラオス、ベトナム、カンボジアです。フィリピンでもこの図鑑を使ってみましたが、やっぱりいくつか名前のわからない種が出ました。亜種まで調べようとすると、まったく役に立ちません。そこで、現地の大学図書館で、

   「Birds of the Philippines」 J. Delacour, E. Mayr
    THE MACMILLAN COMPANY (New York)

 という1946年の古〜い本を見せてもらいました。検索表と種ごとの説明に、モノクロのイラストが1科につき1つだけ。ですが、使えました 。英語ってゆうのは実に科学の記述に向いた言語ですね。言いたいことがシロクロはっきりしていて、50年以上前に書かれたものがストレスなく 読める。ひょっとしたら、そのころの日本語の科学書を読む方が、よっぽどわかりにくいかもしれない・・・。ところで、出版はアメリカ、ニューヨーク。これは侵略の歴史、かな。(2001.8.20 孟力(以上1文字)月昔(以上1文字)縣)
ガールフレンド:中国的女朋友(その4)
 翌朝早く自転車の点検のためにロビーへ下りると、フロントの女の子か らメモを渡された。夜遅く女の人が訪ねてきたという。だれと聞くと、あそこの店の人、と表を指差す。フェイだった。僕はメモを何度も読み返しながら、階段を上がった。彼女は部屋の前まで来たのだろうか。
 出発の身支度をしていると、ノックの音がした。ドアを開けるとフェイが立っていた。僕は左の手のひらを上に向け、首を少し傾けて彼女を招き入れた。窓辺のソファに並んですわる。そして、ゆうべ来てくれたんだね、から筆談を始めた。彼女の話は切なかった。夜、友達とけんかして、とても悲しくなった。だから、僕と「談心」したくて来た、という。友達というのはグレーのセーターのボーイフレンドだろうか。立ち入ったことは聞かなかったけれど、彼女は今、ふと旅に出たくなるような人間関係の中にいるのかもしれなかった。僕らはしばらく筆談をして、朝を2人きりで過ごした。
 そろそろ仕事の時間だからと彼女は席を立ち、ドアに向かう。僕がドアを開けると、彼女は一歩出たところでくるりとこちらを向いた。不意に彼女の手を引き、抱き寄せたくなったけれど、ただ「再見(ツァイチェン)」と言って彼女の笑顔に手を振った。
 出発前、フェイにすすめられた通り、僕は彼女のいない店で朝食をとった。他に客はいなかった。しばらくして料理人の女の子も食事を始めたけれど、同じテーブルにはつかずに、表の小さな椅子で食べていた。ひとりっきりの店の中の、きのうと同じ席。フェイに言い含められている女の子は、やっぱり朝食代を受け取らなかった。僕は、フェイによろしく、と言って、街を出た。(01.7.26、昆明)

とりとめのない話(ラオス)