〜アジア横断編〜

とりとめのない話 中国(青島市〜香港区)


韓国語と中国語と日本人
 僕は韓国語も中国語も知らない。それでもその国の人たちとなんとか意思を通じ合わないと、旅を進められない。韓国はハングルの国だ。あの記号のような文字。少しは読めるようになったけれど、せいぜい案内板の地名がわかるくらいだ。とても文章は書けない。ところが、声に出してみると通じることがある。たとえば日本語の計算機は韓国語では「ケサンキ」 、約束は「ヤクソッ」。それに英語の氾濫は日本と同じくらいだから、英単語で会話もできる。中国は正反対。いくらしゃべろうと、日本語や英語はもちろん、英単語さえひとっつも通じない。でもだいじょうぶ、漢字で筆談すればほとんどのことは通じる。店の看板や食べ物のパッケージも読める。韓国では、沈黙したらそれまで。中国では話す必要はない。紙とペンがあれば、ただ感情表現のために声を出して笑ったり、驚いたりすればいい。
 ある日泊まった宿の娘さんは、小蕾(シャオレイ)という名前の21歳。そのかわいい名に似つかわしくなく、こちらのあいさつに冷笑を浮かべ るだけのニヒルな子だった。それでも僕は気に入られたようで、彼女は夕食前の1時間ばかり部屋に来て、あれこれと筆談した。彼女は僕のでたら めな漢文をクールに添削したり、意味のわからない漢字を別の表現におきかえてくれたりしたので、それまでわからなかったことがずいぶんわかった。とはいえ、ニュアンスというのをくみとるのは難しい。「日本に恋人を残してきて、帰るのは1年後だ」と書くと、彼女は「悶死」なんていう言葉を使うので、思わず笑ってしまう。宿の食堂には黄色っぽいアオダイショウのような蛇がガラスケースに入っていたので、小蕾に食べるのかと聞くと、そうだという。筆談で「焼?煮?炒?蒸?」と書いたら、「火」へんに「屯」と返してきた。・・・わからない。僕が漢字を知らなすぎるのか、それとも食文化の違いで日本にはない調理法なのかも。さて翌朝、朝めしを食べようとお女将さんに筆談で「朝飯」をおねがいしますと伝えたら、困った顔をする。そのうちご主人や店の他の客があつまって、僕の書いた紙をのぞきこんであれこれ話している。結局他の客が食べているものを指差すので、そうそう、といって同じものを出してもらった。あとで客が教えてくれたのだけれど、「朝飯」とは朝鮮飯の意味。日本語でいう朝めしは、「早上(ザオシャン)」というのだそうだ。つまり僕は、朝っぱらから「韓国料理が食べたい!」と言いだしたワガママな外国人を演じてしまったのである。恥ずかしかった。(2001.5.10 連雲港市)  

中国の宿(その1)
 今のところ僕の走った中国はこんな感じだ。いちめん農耕地の広大な平野にまっすぐ道路が通っていて、5‐10kmごとに小さな街がある。街はたぶん政府がつくって住む人に割り当てているのだろうが、まるでコピー/ペーストしたようにそっくりだ。中国の安宿は、旅館あるいは旅社という。これが街ごとにあるので、宿探しに苦労することはない。そして、宿代は信じられないくらい安い。部屋は2‐5人のドミトリーだ。写真(上)は僕が泊まった3人部屋で、1泊70円。念のためことわっておくが、中国の通貨単位も圓(yuan)だけれど、ここでいう円は日本円です。セキュリティのため、僕は部屋をひとりで借りきることにしているけれど、それでも150円。街ごとの相場で金額差はあるが、まず300円は越えない。500円出せば、衛生上安全なシャワーが浴びられる。ほとんど「飯店旅館」だから食事も頼めて、夕食の値段は宿泊費の半分くらいだ(ただし台所の衛生状態を見て、自分の体の抵抗性と相談して、食べる食べないを決めなきゃならない)。だから、この国の田舎を自転車で旅していて、1日1000円使うことはむずかしい。中国に入ってからは一度もテント泊をしていない。宿代が安いのでテントを張る手間がばかばかしくなる。

 公安局のさしずで、やむをえずホテルに泊まったことがある。地方都市で1泊1200円払うと、これくらいの部屋だ(写真下)。ドアの内側には「百姓的食物」をうかつに食うな、と書いてあった。大きなお世話だ。
 なりゆきで4500円の部屋にも(友達割引のため2000円で)泊まった。夕方買い物から帰ってしばらくすると、部屋に女の子が来た。(つ づく)
中国の宿(その2)
  行きがかり上、こぎれいなホテルに泊まった時のこと。夜、外出から戻ると、しばらくしてノックの音が。ドアをあけると、はたち過ぎの女の子が立っていた。控えめだけど、娼婦のメイクだ。中国語で何か言ったがわからない。わからないのにいきなり帰れ、というわけにもいかないので、何か用ですかと英語で言ってペンとメモを差し出した。彼女は部屋に入ってきて「洗髪」のために来た、と書く。この時、へーえそういう表現をするのか、おもしろいなあ、と、彼女にはたいへん申し訳ないのだけれど、僕には中国語の表現に好奇心がわいてしまった。そこで、髪は自分で洗うよ、と書くと、今度は「按」と返す。マッサージだ。これはありきたりな言いまわし。疲れてないよ、と伝えると、今度は「保健」と返してきた。なるほど、保健ねえ。そういえば「保健体育」なんていう授業科目が、清 くエロティックな時代があったよなあ・・・・なあんて20年以上も前のことを思い出していると、じれてきた女の子は胸の谷間にそっと指を入れ 、スキンを取りだした。というわけで、中国語の授業はここまで。あなたのことはかわいらしいと思うし(本当に)、これがあなたの仕事だということもわかっているが、わるいけど相手はできない、と伝えると、部屋を出て行った。ドアを閉めるとき振り返った彼女の顔は、来たときと同じ表情だったので、傷つけてはないと思う。
 さて、5分もしないうちにまたノックの音が。ドアを開けるともっと若い女の子が立っていた。ミニスカで腕を組み、「あたしなら、どうよ !?」とでも言いたげだ。しかもその後ろには「どんな男か見にきたの」みたいな子がコソコソともうひとり。楽屋裏の会話がなんとなく想像で きてしまって、思わずあっはっ!と吹き出すと後ろの子がくすくす笑った。腕組みの子は英単語がわかったので、さっきと同じことを話して帰ってもらった。そのあとも電話で2回、腕組みの子から誘いがあった。営業熱心だなあ。あとでわかったのだけれど、彼女たちはホテルの一室に詰めているのだった。腕組みの子をそこで見かけたとき、手を振ってくれたので、彼女も傷つけてはないと思う。(つづく)  
中国の宿(その3)
 これは宿だけに限ったことではないけれど、中国ではものの値段は安くを望めばいくらでも安く、高くを望めばいくらでも高くできる。これは戸籍制度のせいかもしれない。中国の戸籍は、都市籍と農村籍に分かれていて、事実上の身分制度になっている。農村に生まれたものが、都市に住むことはできない。僕は自転車で走っているのだから、街も通れば村も通る。そのコントラストは残酷に鮮やかだ。乾いた土地の農村は貧しい。水道もなければ、下水道もない。沸かしたお湯しか口にすることはできず、汚水は川にたれ流す。女の子は化粧もせず、強い日差しに日焼けし、毎日髪も洗えない。都市へ入ればスーパーに物があふれて、上品な人たちがドイツ車で買い物に行く。娼婦は清潔で綺麗な服を着ている。だからどうだ、というわけではないけれど、中国はそうなっている。そして、これは大陸の風土なのかも知れないけれど、街の人も田舎の人も、明るくて人なつっこい。(2001.5.19 上海) 
中国の宿(おまけ)
先日泊まった旅社の写真。1泊ひとり40円で、4人部屋を借りきったので160円。夕食はチャーハンで40円だった。宿泊費とチャーハン代が同じということは、物価が安いから宿泊費が安いのではなくて、中国では「泊まる」ということに商品価値があんまりない、ということなんだと思う。日本の宿泊費が高いのは、やっぱり国が狭いからかな。(写真左;古風な門。写真中央;フロントとロビー。写真右;洗面所は井戸水で中庭にある。)  
公安がやってくる(その1)
 中国では、日本のパスポートでは賓館(ビィングワァン、ホテル)に泊まらなければならないという規則になっているらしい。ただこれは原則で、管轄の公安局が許可すれば旅館などにも泊まることができる。ホテルなんて世界のどこに行ってもおんなじでおもしろくもないのに、料金が高いので、できるかぎり旅館に泊まることにしている。
 夕方、行きついた集落で旅館を探す。宿の人と筆談しながら部屋を決め、記帳する。宿は外国人を泊めることをすぐに公安に届け出るので、部屋に荷物を入れてしばらくすると警官がやってくる。多いときには3人くらい来る。ここからちょっとした取り調べが始まる。名前、年齢、国籍、住所、職業、旅の目的、きのうはどこにいたか、あしたはどこにいくか、などなど。これを筆談で二十分ほど、黙々とやることになる。
 「取り調べ」の雰囲気は、やってきた警察官によってだいぶ違う。威厳のある警察官がやってくると、まるで学校の職員室に呼び出されたような緊張感がある。あらかじめ宿の人と仲良くなっておくと、「いっしょに呼びだされた保護者」のようにそばにいてくれて、苦しくなった時あと押ししてくれる。
 ある若い警官は、書類とマニュアルをもってやってきた。あれこれ質問しながら、記入に行き詰まるとマニュアルを見せて、あなたのパスポートはどの種別になるのかなどと聞いてくるので、僕は中国語の文章をいっしょうけんめい解読しなければならなかった。
 町の英語教師がいっしょにきたこともあった。僕には日本語か英語しか通じないことを、あらかじめ宿が公安に伝えておいたのだろう。この時は雑談混じりで10分もかからずに、すんなりと済んだ。・・・と思ったら、30分後にまた別の警官が同じ先生とやってきた。留学していたことが あるのかと聞く。中国語の文章が書けるのが不審だ、ということらしい。僕のデタラメな漢文をそこまで誉めてもらうと、赤面する。日本語でも漢字を使うこと、それを英文法の語順に並べて書いているだけであること、漢字の発音が日本語とは違うから読み書きはできても話せないこと、などを先生を通して説明した。最後はパスポートの初めのところにある「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な・・・」の文を朗読して、日本人であることを納得してもらった。
 ひと通りの質問が終わった後の展開には2パターンある。ひとつは、その場で許可が下りる場合。夜出歩かないこと、戸締りをきちんとすること などいくつかの注意事項を聞き、「あなたの旅がうまくいくといいですね」「謝謝!」と握手を交わしてめでたく宿泊。もうひとつのパターンは、宿の電話で警察官が本局の指示をあおぐ場合。こうなると、だいたい許可は下りない。規則だから、本局の指示だから、のいってんばりになったら、あきらめてすぐに隣町へ行くことにしている。警官は宿まで出向いて来てくれるし、身なりや態度もきちんとしていて礼儀正しい。治安のためになるなら、いくらでも調べに応じようとは思っているけれど、最後に宿泊を許してもらえないとやっぱりヘコむ。(つづく) 
国道105号線沿いの鳥(江西省)
 上海から長江沿いに西、つまり内陸へ向かったあと、九江市から南昌市 へ南下した。これが国道105号線。そのまま南下を続けると、香港あたりに出るような位置関係だ。山あいの集落を結ぶ田舎道で、両側にはマメ 科やトウダイグサ科の落葉広葉の街路樹が植えこまれてる。水が豊富で、田んぼで は稲かハスを栽培している。ちょうど田植え時期で、水牛で田おこしをしていたり、水を引いたばかりだったり、もう若い苗がうえてあったりと、さまざまだった。山の木は大きく、松林や針葉樹の植林、伐跡があって日本の風景に似ている。けれど、いる鳥はぜんぜん違う。  まず、市街地でも農耕地でも、どこでもいるのがクロウタドリ。朝、旅 館で目覚めるとさえずりが聞こえる。シロガシラも少し林があればいて、 多い。農耕地に出ると、オウチュウタカサゴモズカノコバトがよく電 線にとまっている。ツバメやコシアカツバメ、ハクセキレイ、シジュウカ ラも多い。シキチョウとアオショウビンはよくさえずるので、たくさんいるとわかる。田んぼに下りているのは、アカガシラサギ、アマサギ、コサギ、時々チュウサギもいる。ガビチョウも多くて、小川沿いや山の斜面の 低木にとまって、ダミ声で騒いだり、きれいにさえずったりしている。ハッカチョウバンケン、タカサゴクロサギは見たけれど、あまり多くない ようだった。その他にいる鳥は、こんなもの;カワビタキ、コジュケイ、ケリ、サンショウクイ、カワラヒワ、ギンムクドリ、ダルマエナガ、カワ セミ、カッコウ、アカハラダカ、ズアカエナガ、コシジロキンパラ、アカモズ、カイツブリ、スズメ、カケス。そういえば、カササギは見なかったなあ。  僕の鳥の探し方なんて、いいかげんなものだ。自転車で走っていて気になる鳥がいたら、ちょっと止まって双眼鏡でのぞく。識別できないとフィールドスコープを使うけれど、1日3回出せばいい方だ。ここに書いた鳥は、そんなやり方でも見られた種ばかりだから、よっぽどたくさんいるのだと思う。(01.5.29 南昌市) 
中国の料理(その1・朝食)
   「中国の料理」というタイトルで文を書くけれど、「中華料理の奥義を見た!」みたいな話は期待しないで下さい。僕が毎日食べているのはゴージャスな食事じゃないし、もし食べたとしても知識が浅くてとても書けない。そういう料理は、香港や上海へ飛行機でびゅんと飛んで行って、ご自分で食べてみてください。横浜の中華街でもおいしい店はある。
 さて、朝食の話。中国人の朝飯は粉食だ。家庭ではゆうべの残り物のご飯やお粥も食べているのかも知れないけれど、街角で見るかぎりは、そうだ。朝早くから食堂は仕込んでおいた生地をこね、店の前で調理する。香りで誘われたお客は店の前で立ち食いしたり、奥の小さなテーブルでおしゃべりをしながら食べたり、テイクアウトしてから、自転車で仕事へ向かう。僕も自転車で次の町へ走り出す前に、こんなものを食べた。
 饅頭(マントウ)。具の入っていない肉まん、と言うのがいちばんわかりやすい。店の主人は、奥の粉だらけの調理台の前に座っている。大きな生地の塊から、右手のひらで転がすようにして1個分を取り分け、左手で分量を合わせるためにちょっとつまみ取ったり、足したりする。すごい速さでできていくのに、大きさがよくそろっている。形は丸とか四角とか、魚の形のものもある。これをかまどの上のせいろの中に並べて、じっくり蒸す。蒸しあがりはふっくらとしているけれど、「井村屋の肉まん」みたいに柔かくなくて、生地が締まって張りがある。何段にも重ねたせいろを開けたときには、ふわっと湯気が立っていいにおい。中国名でなんと言うのか知らないけれど、肉まんもあんまんもある。肉まんの具には、ニラとかセロリのような香りのする野菜の千切りが入っていることが多い。具のない饅頭は1個5円ほど。具入りでも10円しない。
 餃子(写真上)。上を開けたドラム缶の中でごうごうと火を焚いている。浅くて平たい巨大な中華鍋が、その上に乗っかっている。店の奥で作ったばかりの餃子を(もちろん皮から)、百個以上も並べる。水を打ってふたをし、蒸し焼きにする。ドラム缶の小窓から火加減を見ながら、頃合をみてできあがり。蒸し餃子もあって、小さなせいろで10個くらいづつ蒸す。餃子の皮は、厚みがあるのに具が透けて見えて、えび入りだと桜色できれい。醋につけて食べる。食感はふるふるしている。10個で80円くらい。 
パン(写真中央)。中国名は何と言うのか知らない。洗濯機くらいの大きさの、狭口のかまどの内側に貼りつけて焼く。焼きあがったものは保温のためにかまどの上に並べておく。焼き方のせいだと思うけれど、とても香ばしい。生地には牛乳も砂糖もほとんど入っていない。焼きあがりは締まっていて硬いので、「ヤマザキの超芳醇」系が好みの人には合わないかも知れない。ナッツや干しぶどう、蜂蜜が入っているのもある。7円くらい。揚げパンもある。色と形は、ひねっていないツイストドーナツ(?)のような感じ。ただし、甘味はぜんぜんない。揚げると生地が驚くほど膨らんで長さ40cmくらいになるので中はスカスカで、揚げたての食感を楽しむ。1本3円ほど。 
 削麺(写真下)。これはぜひ食べてみたかった一品。店に入って注文すると、板さんが小さな枕くらいの大きさの生地を軽くこねなおす。それを持って湯気の立つ大釜の前へ。手帳くらいの大きさの金属の板で、生地をシャッシャッと削り飛ばして釜の中に入れていく。さっとゆでてざるですくい上げ、牛骨メインのスープで食べる。具には肉や香味野菜がのっていたりする。麺は長さ10cmくらいで、半透明。厚みがあるのでぷるぷるした食感。100円くらい。ラーメンを注文すると、同じ生地を手際よく伸ばして細麺にし、釜の中へ。ところで、ラーメン(拉麺)の拉は「引く」という意味だと中国に来て初めて知った。ホテルのドアの取っ手に「推」と書いてあって、反対側には「拉」とあったから。ということは、「麺」というのはひも状の物のことを言うのではなくて、あの生地のことを言うのかなという気がする。それを削ったら削麺、引っぱったら拉麺。
 中国の田舎には冷凍食品なんていう便利なものはないし、味の素なんていう化学物質もない。産地直送便の保冷車なんてあるはずがない。作り置きなんか考えてないから、どれも冷めたらおいしくない。だから、さっき原料から作ったものを、今調理して、すぐ食べる。それが1品、せいぜい100円。ぜいたくだなあ、と思う。(01.6.1、永修)
公安がやってくる(その2)
 中国人民が使う「旅館」や「旅社」に外国人が泊まる場合は、宿が公安に届け出て許可をもらうのが原則のようだ。けれど、自治体ごとに公安の方針が違うのか、場所によって取締りが厳しかったりゆるかったりする。
 江蘇省では、毎日のように公安がやってきた。その日も宿入りして部屋でくつろいでいると、警官が3人来た。いつも通り、筆談での「取り調べ」を受けた。それが済むと、40代後半の警官が少し待つようにと言い残して部屋を出ていき、宿の電話で本局に問い合わせを始めた。まずい展開だ。今まで通りなら、不許可のパターンだ。戻ってきた警官の答えは、やっぱり「この街には泊められない。」だった。20km先のホテルへ行けという。実はこの前日も、僕は許可をもらえずに宿を変えていた。2日も連続で黙って言いなりになるなんて、どうも冴えない。交渉をしてみよう、という気になった。
 僕の日本での仕事は、野生動物の調査だ。今は休暇中で、中国の鳥を見るために自転車で旅をしている。中国には1300種以上も鳥がいる。た くさん見るために、あと2ヶ月は滞在する予定だ。だからできるだけ料金の高いホテルには泊まりたくない。日が暮れたら出歩かないこと、明日の朝8時にはこの町を出ることを、約束する。どうか1泊を許可して下さい。・・・と書き、目礼をして警官に渡した。彼は読み終わってから、わか った、という顔をしてもう一度電話をかけに行ってくれた。待つこと10分、戻ってきた彼は、局長の許可が下りた、と言った。さらに、僕が泊ま ろうとしていた1階の400円の部屋よりは、2階の800円の部屋の方が安全だから替えるように、と気を使ってくれた。しかも、宿とどうやっ て話をつけたかしらないけれど、400円でいいから、とのことだった。公安は僕が空調付きの快適な部屋に移ったのを見届けて、帰って行った。 そのあとで、これはいけないなあ、と考え直した。
 僕はこの国で、どこまで権利を主張していいのだろうか。僕は日本国の納税者だ。だから日本領事館は堂々と利用させてもらう。日本政府は中国に3兆円を援助している。けれど、それと警官の生活とはほとんど何の関係もないだろう。中国の政府がどう考えて日本人の旅館泊まりを原則不許可にしているか、という理由は別にして、規則がある以上、警官ひとりひとりにしてみれば、それに従わないわけにはいかない。そこを個人のふところの深さで許してくれる、ということは、もし万一何かあった場合には、面倒を背負う覚悟をしてくれている、ということだと思う。その40代の警官は、帰る前に公安手帳の名前と写真が載っているページを開いて「何かあったら私に連絡するように」と身振りした。僕は「謝謝」と言いながら握手をして、彼の誠実な目を見たときに、そんなことを思った。
 今でも僕は、旅館に入る。だけど、もう警官と「交渉」はしない。ホテルへ行けといわれたときには、従うことにしている。警官にも生活がある。彼が僕を町に泊めたときに負うリスクよりは、僕がホテルに払う追加金のほうが安いだろう。それに、必要なら、ホテルのフロントを相手に値切り「交渉」をした方が罪はない。(01.6.3 井岡山市)  
中国の料理(その2・宿の食事)
 旅館でもホテルでも、ほとんどの場合1階がレストランになっている。田舎の宿ならもちろん、街の宿に泊まった時でも、他に出かける用事がない限り、宿の夕飯を食べることにしている。例えば小さな旅館でお女将さんに、夕飯をお願いします、と伝えると、じゃあ何を食べる?と聞き返される。肉と野菜を炒めもの、と答えると、彼女は片手に牛肉のかたまり、もう一方の手にインゲンマメの束を持って厨房から出てきて、これでどう?と聞いてくる。そうじゃなければ、冷蔵庫の前まで連れていかれて、どの肉と野菜にする?、と聞いてくる。つまり、夕食に何を食べるか、ということは、中国ではどの食材を食べるかという意味になる。食材さえ選べば、あとはむこうがおいしく調理してくれる。日本の食堂で注文を決める時には、和食にしようか、洋食にしようか、どんぶり物か、定食かと、どちらかというと調理法を選ぶことが多い。「食べる」ということの感覚が中国と日本ではちょっと違うのだ。食材を選ぶか、調理法を選ぶか。僕としては中国流の方が断然うれしい。  小さな食堂でも、冷蔵庫を開けるとけっこういろいろ入っている。新鮮なキスを選んだときには、カリッと唐揚げにしてくれた。15尾、210円(もちろん日本円です)。顔がボラに似た淡水魚(ソウギョ?)の頭を選んだこともある。このときは中華包丁で威勢よくとんとーんと頭をかち割って、豆腐や野菜と白湯スープで煮込んでくれた。ラーメンどんぶりに1杯分、ごはん付きで110円。いけすで泳いでいる魚を選んだときは、開きにして野菜をちりばめ(赤ピーマンとニラの緑があざやか)、さっぱりしたソースで清蒸したものがまるまる1匹出た。スパイスはショウガ。ごはん付きで200円。僕は魚好きなので、自分で選ぶとなるとついそっちにかたよってしまう。
ある町で「金泉大酒店」という安宿に泊まった。さびれた古い2階建ての造りで、1泊140円。はじめは、「大酒店」なんていう宴会場付きホテルみたいな名前をよくつけるなあ、と思ったけれど、これがバツグンに料理がうまかった。宿入りのときに夕食を頼むと、厨房へ連れて行かれた。食材を選ばせてくれるわけだ。まずこの厨房がイカしていた(写真上)。はだか電球1個の明かり。それほど暗くないのは、一度火事にでもなったのか、天井に穴が開いているからだ。背が低いけれど恰幅のいい中年の料理長が指示をだすと、若い料理人2人がてきぱきと動く。そのほかにご飯を焚いたり盛り付けをする老人と一番若い男の子、それから給仕の女の子が3人。食材は何十品も並んでいた(写真下)。 かごに入った生きたウサギまでいる。こんな時は自分で食材を決めては損だ。「選んでください」と書いて料理長に差しだすと、若い料理人から「さあ、どうする?料理長。」みたいな野次が飛んで、みんなで笑う。牛肉は好きか、辣は入れてもいいか、などとカクテルを作るバーテンダーと若い女の子のような会話をして、メニューが決まった。コリコリしたゼラチン質の多い牛肉と野菜を炒め煮にしたものと、猪の肺のスープ。どっちも初めて食べる料理だったけれど、味も食感も、2品の取り合わせも、本当にうまかった!!・・・としか書けなくて申し訳ないです。スープの出汁はたぶん骨から取ったものなどを使っていると思うけれど、それだけじゃないし、調味料も僕の知らないのを何種類も使っていてわからなかった。もちろんご飯付きで、250円。僕のメニューが決まったとき、料理長はわざと胸を張って、声を作って、オーダーを読み上げた。料理人はニヤニヤしながら「あーい」と返事をして、中華鍋を振りはじめた。(01.06.10、大余)     
中国人に対する誤解
 僕は中国に来るまで、中国の人たちがこんなに明るくて人なつっこい民族だとは知らなかった。華僑の人たちの印象が強いせいか、もっと多忙で、閉鎖的で、計算高いと誤解していた。例えば、昼食で食堂に入ったり宿を決めるために旅館に入る間、荷物を満載した自転車を外に置いておく。すると、みるみる人が集まってくる。中国の田舎では、まだアメリカ製の自転車も外国人も珍しいだろうから、それはわかる。けど、僕が戻ると、この見なれない旅人に対してぜんぜん引くことなく、すぐに話しかけてくる。相手がどこの国の人であろうと、かけねはない。男の人も女の人も、僕の目を見て、1対1で話をしようとしてくる。これは、中国では男女平等と個人主義がしっかり出来上がっているからかも知れない。仮に、この状況の日本人と中国人をすっかり入れ替えたら、どうなるだろう。日本人の人だかりは、中国人の旅人をじろじろ見て(あるいは見て見ぬふりをして)、何も言わないか内輪で話すだけの、ちょっと不気味な集団になるんじゃないだろうか。もしどうしても話さなければならないことがある場合は、つつかれて前に出されたひとりの男の人が、ぼそぼそとしゃべることになる。
 そんなわけで、僕は毎日明るい中国人に囲まれて、旅をしている。話し相手に不自由することがないどころか(もちろん筆談だけれど)、旅館のゲストでありながら、集まった近所の人たちに対してホスト役を務めなきゃならないことに疲れることさえある。けど、大丈夫。そんな時は頃合を見計らって、もう休みたいから部屋へもどるとはっきり言えばいい。こちらも個人主義で行けばいいのだ。もちろん、礼儀だけは忘れずに。
 この明るさは搶ャ平から続いている改革開放政策とどのくらい関係があるんだろうか。中国の歴史なんてよく知らないから、いつから中国人がそういう気質なのか僕にわかるはずもないけれど、もう老人と呼べる人たちでさえ、男女を問わず明るい人が多い。自転車で長旅をしているんだと言う話をすると、歯の抜けたおばあちゃんが、にこにこしながら親指を立てて前に突きだしたりする。中年のトラック運転手は、僕が他のみんなと筆談している間に、後ろの方で「男子漢!祝一路順風!!」なんて書いた手紙をわざわざ作ってきて、ちょっとふざけて表彰状の授与みたいに両手で渡してくれたりする。良く笑う、良く話す。そしていちばん素敵なのは、これは保証してもいいけれど、こちらの笑顔には必ず笑顔を返してくれる。
 中国人は自分勝手で無愛想だという旅行者がいる。それが、もし生半可なバックパッカーの言うことだったら、信用しない方がいい。サイクリストと違って、所詮彼らは自分では移動できないのだ。鉄道やバス路線のある限られた場所にしか行けない。駅やバス停のあるのは街だ。街にはお金と仕事がある。仕事に追われた人が、周りの人の心をささくれ立たせるのは、中国だけじゃない。(清新、01.06.21)  

とりとめのない話(フィリピン)