〜アジア横断編〜

とりとめのない話(日本)


出国前
  4月14日。出国が近づき、部屋を引き払うため最後の荷物を車につんだ。もう部屋には、自転車と旅の装備しか残っていない。アパートの階段を降りるとき、オオタカが頭上を飛んでいった。ハシブトガラスの夫婦が林から飛び出して追いかける。タカはメスの成鳥のようだった。猛禽類の性別と年齢を見ようとするのは職業病かもしれない。高速道路で愛知の実家へ向かう。400kmを5時間。捨てられなかった荷物を、旅の間ここに置かせてもらう。
 翌日は入院中の祖母を見舞った。病室のドアをあけると熟しきったバナナのにおいがした。ばあさんは何本ものチューブを体のあちこちから出していて、そのうちの1本からは濁った赤い液体が吸い出されていた。耳元で挨拶をすると力なく名前を呼んでくれた。夜遅くには、赤い液体のチューブは2本に増えた。 その晩は母と交代で仮眠しながら、夜通し付き添った。 翌朝には少し顔色が良くなったようだった。病室を出るとき「また来るからね」と嘘を言うと、ばあさんは手首が曲がらない腕をひじから振ってさよならをしてくれた。その足で名古屋駅から新幹線で東京へ向かった。400kmを2時間。
  神田で韓国の地図と1人用テントを買い、八重洲で肝炎と破傷風の予防接種を受けた。渋谷は平日の夕方というのに待ち合わせの人でごったがえしていて、スクランブルを渡る茶髪が夕日に映えてきれいだった。志賀昆虫社で携帯用の捕虫網を買った。日が暮れるころ、新橋で日本アドベンチャーサイクリストクラブ(JACC)の例会に参加し、誘われるまま飲み会にもついて行ってアジアの情報をたくさんもらった。
 その夜、ばあさんは逝った。これが、僕の生まれ育った国。(2001.4.29/チョンジュ)

とりとめのない話(韓国)