〜自転車でペンギンを見に行こう!編〜

探鳥日記 マレーシア

(2002年4月5日〜4月29日)


4月5日(金)(晴/シンガポール〜ジョホールバル Johor Bahru :30km)
 ネパールで故障してそのままになっていたリアギアのチェンジレバー。自転車屋に修理を頼むつもりだったけれど、このトラブルは今回で2度目だ。これからインドネシアのスマトラ島の山岳地帯を走るのに、同じことが起こったらかなりつらいものがある。新品に取り替えるならここシンガポールは最適の場所、すぐにパーツは見つかる・・・というわけで、午前中はチェンジレバーを交換。
 のんびり昼飯を食べたりしている間に午後2時。暑いしもう少し待とうと、クーラーの良く効いたコンビニで涼んでから出発。「コーズウェイ」を渡ってマレーシア、入国したそこがジョホールバル。両替屋とマッサージという名の売春宿が軒を連ねる、国境のドサクサの街。週末のせいか、かなりのにぎわいだった。いちばん安いと聞いた旅店に泊まる。とはいえ、この街の宿代はマレーシアにしてはかなり高め。(写真;自転車はオートバイ用のイミグレーションから出国。)
4月6日(土)(晴/ジョホールバル〜ポンティアンケチル Pontian Kechil :60km)
 9時出発。国道5号線で西へ向かい、マレー半島の西海岸を目指す。道沿いには椰子の木が茂り、時々見かける動物の轢死体はオオトカゲにセンザンコウ、ジャコウネコのたぐい。そうそう、マレーシアの道ってこんな感じだったよな・・・と、半年ほど前を懐かしみながら走っていたら、突然タイヤのど真ん中にみごとに釘が刺さってパンク。そうそう、マレーシアの道って、路肩にいろんなもんが落ちてるんだったよな・・・。チューブ交換のついでに、だいぶすり減ってきたタイヤも交換。ただしこのスペアタイヤ、ずいぶん前に上海で買ったやつなのでちょっと心配。念のため古タイヤは捨てずにキープ。
 いくつかなだらかな丘を越え、最後に気持ち良く下りながら久しぶりに海を見た。そこが港町ポンティアン。ホテルに泊まる。(写真;ジョホール州の州庁舎。コロニアルな建物。)
4月7日(日)(晴/ポンティアンケチル〜ムアール Muar :115km)
 9時出発。海沿いに北西へ向かう国道5号線をたどる。昼間は暑いけれど、インドの刺すような太陽の下に比べたらずいぶん過ごしやすい。もちろん湿度は高いけれど、蒸すのは空気中の水蒸気のせい。それが日差しをゆらめかせるので、肌が火にあぶられるような苦痛はない。
 夕方、ムアール着。宿探しに安宿風のところを5軒訪ねたら、すべて売春宿。マッサージとかなんとか、入り口に書いとけよな。少し高めのホテルに泊まるしかなかった。(写真;お、「金山旅店」、いい感じの安宿だな・・・と思って上がってみたら、キャミソールにミニスカのねーちゃんがいっぱいいた。)
4月8日(月)(雨のち曇/ムアール〜メラカ(マラッカ) Melaka :40km)
 早朝雨が降り、その後も雲は厚いままだった。様子を見ていたら10時からまた雨。昼前にやっと晴間が見えたので出発。国道5号線は交通量がそれほどでもなく、アスファルトもきれいで走りやすい。いちばんいいのは、走っているのが日本車ばかりってことだ。「プロトン」というメーカー名のマレーシア国産車も、日本車のコピー商品だし。あ、それで日本車の何がいいかっていうと、排気ガスが実にクリーン。いつも路上にいるチャリダーにとって、その国の自動車の環境性能は大問題なんである。
 メラカ(マラッカ)は小じんまりした綺麗な街だった。「スタダイス」という観光名所の赤茶色は、僕にとっては醜いものでしかなかったけれど、少し外れたところにある白くて低い街並みは媚びた飾り気がなくっていい。バックパッカー宿のドミトリーにチェックイン。郊外にあるバカでっかいショッピングセンターの本屋へ行き、これから渡るメラカ海峡の対岸、インドネシアの地図を買った。まずはスマトラ島から。さてどう走ろうかな。(写真;メラカ観光のお約束、ポルトガル植民地時代のサンチャゴ砦。)  
4月9日(火)(晴/メラカ:0km)
 朝からドーナッツ屋できのう買った地図を広げ、「シナモン」をかじりながらこの先を思案。インドネシアとは旅をしにくい国である。東西5000キロにばらまかれた大小1万以上の島々。経度で言えば、西の端はイ ンド、東の端は日本まで届いている。さらに、いくつかの島はかなりデカい。例えば最初に行こうと思っているスマトラ島の面積は、日本の1.4倍だそうだ。そんな国なのに、インドネシアには最長60日しか滞在させ てもらえない。もちろん期限切れ間際にいったん他国へ入国してトンボ帰りすればもう60日いられるらしい。けれど、そこは島国の不便さ、ボルネオ島とニューギニア島をのぞいては陸路で接した国境がない。つまり、船か飛行機を使わなければ出国できないわけで、それはお金がかかるということ。スマトラ、ジャワ、バリ、ロンボク、・・・と線で連なる島を東へたどるにしても、見る島をしぼらなきゃならないだろう。とりあえず大スンダ列島で外せないのはスマトラ、トラとオランウータンのいる島。ただし全域は無理なので島の中央部のメダンからパダンあたり限定。小スンダ列島の方は、フローレス島にしようか。
 きのうまではここメラカからスマトラ島のドゥマイへ渡るつもりだったけれど、滞在日数の節約のため予定変更。ずっと北のジョージタウンまでマレーシアを北上してから、対岸のメダンへ渡ることにした。まぁ、急いでいく必要はないし。だって、スマトラ島の乾季は5月から始まるんだから。
 ところで、シンガポールに着いてからこっち、食事時は中華料理屋にしか入っていない。モンドームヨーで口に合うのである。マレー料理屋の前は、また今度にしよう、と素通りし、インド料理屋の前は避けて通ってしまう。ゲストハウスのドミに連泊。(写真;丘の上の教会。空は青い。)  
4月10日(水)(曇/メラカ〜ポートディクソン Port Dickson :85km)
 朝方は雨。朝食をとりながら、雨も困るけれど快晴も暑いんだよな、などと自分勝手なことを思いながら曇り空を見上げる。雲が薄くなった11時前に出発した。国道5号線を北西へ。暑い日差しをやわらげる雲がうれ しい。アブラヤシ林の丘を越え、時々海の見えるシーサイドを走る。上海で買ったリアタイヤはやっぱり劣化していて、一部分がぷっくりとふくらんできた。とりあえず古いタイヤに換えて走り、途中の自転車屋で新品に交換。
 ポートディクソンに近づいていくと、白いビーチとホテルが並ぶリゾート地に入った。その中、街の中心地手前6キロほどの所に見つけた“ホリデイ・ホステル”は、ドミトリーがあって1泊180円(6リンギット) だった。5号線を通るチャリダーのみなさん、泊まっていきましょう。(写真;マラッカ海峡の夕焼け。)  
4月11日(木)(晴/ポートディクソン〜モリブ Morib :85km)
 9時出発。今日も国道5号線をたどる。ポートディクソンの市街地を抜けてもしばらくは交通量が多かったが、やがてアブラヤシ畑の中を進む単調な道。
 夕方着いたモリブの町は小さくてホテルなんてなさそうだったので、たまには野宿でもと思い、夕暮れまで走ってアブラヤシ畑にこっそり入る。久しぶりのテント泊。(写真;乾季とはいえ、海沿いの野宿はちょっと蒸し暑い。)  
4月12日 (金)(晴モリブ〜タンジュンカラン Tanjung Karang :110km)
 8時出発。ケラン Kelang に近づくと車が増えて走りにくい。まあ5号線がクアラルンプールに最接近しているところだから仕方ない。そこを越えるとまた閑散、丘を越えていくまっすぐな一本道。アブラヤシ園が延々と続き、景色が単調で眠くなってくる。だから、いちばん暑い時間は屋根のあるバス停で寝た。
 夕方着いたクアラセレンガー Kuala Selengor には安宿がなかった。もう少し進んで町を離れ、今日もテント泊。(写真;これが道。)  
4月13日(土)(晴/タンジュンカラン〜テルックインタン Teluk Intan :90km)
 8時半出発。海沿いを進む5号線は、あいかわらず見渡す限りのアブラヤシ林の中をゆく。走っても走っても、いつまでも続くこのプランテーションを見ていると、こりゃ自然破壊という意味では、かなり激しいレベルだよなぁと思う。たまにちょこっと残っている熱帯雨林の樹の種類の豊富さと比べたら、砂漠に思えてくる。とはいえ、パームオイルの生産はマレーシアの主要産業だから仕方ない事情もあるだろうし、国内には数億年齢の広大な森林が保護されている所もあるので、それほど深刻な気持ちにはならない。それに引き換え、日本のスギ植林。あれはなんとかならないのかなぁ。高速道路建設よりもダム建設よりもずっと凶悪な自然破壊プロジェクトなのに、ほとんど何の規制もなく続けられている。スギ林の中歩いたらわかるけれど、鳥も虫もけものも、なぁぁぁぁんにもいないよ。せいぜいサンコウチョウとヤイロチョウくらいしか繁殖できない、死の林。
 道はサバック Sabak から少しずつ内陸へ折れていく。昼飯を食べた中華料理屋が、なぜか食後にシャワーを浴びさせてくれるという。テント連泊のあとだったので、よろこんで親切に甘えた。テルックインタンの旅店に泊まる。(写真;これが川。)
4月14日(日)(晴のち曇、激しい夕立/テルックインタン:2km)
 インターネットとは罪な文明の利器である。マレーシアの片田舎を自転車で旅していても、手紙が届いてしまう。別れを告げた彼女からの返信メール。すぐに言葉が思いつかず、漫然とサーフィンしながらあれこれと考え、結局返事を書く。ドアはきっちり閉めてからでないと、一歩も前へは進めない。
 何もないがサイバーカフェはあるこの小さな街に連泊することになった。今日は日曜日。シャッターを降ろしたままの店も多く、夕立のあとはきのうより静かな夕暮れ。(写真;ジューススタンドには、毎日立ち寄る。)
4月15日(月)(晴のち曇/テルックインタン〜タナーラタ、Tanah Rata:自転車40km+バス60km)
 9時に出発、避暑地キャメロンハイランドを目指す。国道58号線は車の少ない走りやすい道。ビドール Bidor からは国道1号線。首都クアラルンプールからそう遠くはないし、すごい交通量なんだろうなと、ブルーな気分で走りだす。ところが、たいしたことはなかった。おそらく並走するハイウェイの方に車は流れているんだろう。よかった!
 タパー Tapah からキャメロンハイランドへは、バスに乗った。なぜなら、わずか距離60キロで一気に標高差1500メートルも自転車で登りたくないから。どうせ同じ道を戻ることになるのだから、下りだけ楽しむというイイトコドリ。
 タナーラタという町のゲストハウスのドミトリーに入る。ここにはもう20日も連泊している日本人セイゾーがいた。彼は“虫屋”さんで、昼間はジャングルで昆虫採集、夜は街灯回りをして毎日過ごしているという。さっそく今夜から夜回りにつきあわせてもらい、コーカサスオオカブトムシのオス・メスをゲット。でも、オスの角はちょー矮小だった。フェラーリみたいな色をしたカタツムリもいた。(写真;タナラータの町。この時期、午後は雨。)
4月16日(火)(晴のち雨/タナーラタ〜“セブンマイル” ;バス(往復))
 9時発のバスにセイゾーと乗り、通称“セブンマイル”という昆虫採集ポイントへ。ここのハイライトは、アカエリトリバネアゲハ。ワシントン条約の規制対象種だからもちろん採集はできないけれど、集団吸水をしている姿をどうしても見たかった。絶対来てますよという彼の言葉通り、河原へ下りていくと・・・いた! いくつかのグループに別れて合計100頭近くが、砂地に下りて水を飲んだり、そのまわりを乱舞したりしている。黒い体に映える赤のライン、角度によって色合いの変わる羽根のエメラルド、裏側にわずかに光る瑠璃色。チョウが小刻みに羽根を震わせるたびに、あざやかな色の粒が木漏れ日の下でキラキラしていた。そのあとはセイゾーの採集につきあって、捕虫網のない僕もアトキリゴミムシとカッコウムシを少し採った。森を歩いている途中に、初めて見たトビトカゲの仲間はちょっとした感動モノ。腹の両側の膜を広げ、ゆらりゆらりと左右に揺れながら、木から木へと滑空していった。
 午後からはあいにくの雨。日が暮れても上がらず、気温が低くなったためか夜の街灯回りは収穫なし。(写真;久しぶりに熱帯雨林へ。)
4月17日(水)(晴のち雨のち曇/タナーラタ:0km)
目が覚めたら9時半、セイゾーはもうとっくに昆虫採集に出かけていた。ゲストハウスの本棚にあった小説を読んだり、町を散歩したり。昼から雨が降り始めたのでインターネットカフェへ。ニュースを読んでメールチェックをすると、また彼女から返事が来ていた。週末にクアラルンプールに来るだって!? ・・・ったく、なぁにが「最後の気持ちを直送便!」だ、なぁにが「あとは運命よ!!」だ。なんなんだこの脳天気なテンションは。半分はそっちのことも考えて別れようって言ってるのによう。1泊2日の弾丸ツアー。イッキオイのある女だなぁ。(写真;キャメロンハイランドはイギリス人が作った避暑地。)
4月18日(木)(晴のち曇/タナーラタ〜“ナインティーンマイル”:バス(往復))
 9時のバスにセイゾーと乗る。通称“ナインティーンマイル”へ。そこから一時間あまりかけて山を登り、「吹き上げ採集」のポイントに着いた。「吹き上げ採集」とは、谷風が尾根の斜面に沿って登って来る稜線で、飛んでくる虫を待ち伏せする採集法。この虫採りは、昆虫採集の中でもいちばんゲーム性が高い遊び。なにしろ、どんな虫がいつ飛んでくるか、まったくわからないのである。切り立った稜線で谷を注意深く見下ろしていると、飛びあがってくる緑に輝く宝石を見つける。「きたきたっ!」と捕虫網を構え、その不規則な飛翔ラインを読みながら、上がってきた虫をアタック! しかしこれがそうそううまくは捕まえられない。足元は崖っぷちだからもう一歩届かなかったり、稜線まで上がってきた虫が突然風に乗って高空 へ舞いあがったり。思わず、「くっそぉぉーーー!」とか「あ゛ーーーーっ!」とか叫んでしまう。何度も採り逃がすけれど、虫は次々に飛んでくる。網に入った虫が“イイヤツ”だと二人で大喜びだ。たいがいは近づいてくるのを見ているうちに、タマムシが来た、とか、今度はハナムグリ、とかわかるのだけれど、時には思いも寄らない虫が採れたりする。こんなカミキリムシ、飛んでるの見たってなんだかわからないって・・・。
 収穫はまずまずだった。夕方のバスでタナラータへ戻る。(写真;見渡す限りの熱帯雨林に囲まれ、吹上で虫を待つ。)
4月19日(金)(晴のち曇/タナラータ〜“セブンマイル”:バス(往復))
 3日前“セブンマイル”に行った時に見忘れたものがあった。それはタマムシの群。ここには天気のいい午後、タマムシの飛んでくる切り株がある。けれどこの間は雨だったために見られなかった。
 午前中はキセルガイやカタツムリを探して過ごした。セイゾーと昼食のパンをかじりながら、雲行きをにらむ。どうやら今日は晴れ間が続きそうだ。川を渡って切り株へ向かっていくと、遠くからでも飛びまわるタマムシが見えた。熱帯の強烈な日差しの中を飛ぶエメラルド、綺麗なもんだ。セイゾーと、「大きいのが来た」とか「さっきの小さいのは・・・」とか話すのだけれど、二人とも“マレーシア規格”で話しているのに気づく。“小さいの”とは言っても、日本の虫に混ぜたら“大きいの”なんだけどね。
 ちなみに夕食後は毎日、恒例の街灯回りをしているのだけれど、やたら大あごの長いノコギリクワガタやらテイオウゼミやらが来ていたりする。どいつもこいつも、でかっ。(写真;切り株で待っているだけで、いくらでも飛んでくるタマムシ。)
4月20日(土)(晴のち曇/タナーラタ〜クアラルンプール Kuala Lumpur:バス)
 8時半、自転車を宿に置いたまま長距離バスに乗る。向かう先はクアラルンプール(KL)国際空港。夕方のフライトで彼女が来る。KLまで二時間、そこから普通電車と路線バスを載り継いでさらに二時間。空港は若 いアブラヤシ畑の広がるはるか郊外にあった。
 夕日の差す到着ロビーで小一時間待つと、大きなガラス張りのゲートの向こうから、澄んだ空色の皮のジャケットが近づいてきた。僕を見つけた彼女はいつもと変わらない笑顔だったけれど、なぜだか少し小柄に見えた。開通したばかりの真新しい特急電車でKL市街へ。そのままチャイナタウンへ向かい、中華レストランでグラスを重ねて再会を祝う。
 ホテルへ向かうタクシーのフロントガラスにぱらぱらと落ち始めた雨は、やがて大雨になった。そして夜が更けても、窓ガラスを打つ大粒の雨と見下ろすビル街を照らす稲光が止むことはなかった。(写真;クアラルンプールは日本の地方都市という感じで、住めそう。)
4月21日(日)(曇/クアラルンプール)
 朝日のさすベッドの上。「ちゃんと話してから、帰らなくちゃね」と彼女は言った。僕らには正面から向きあって話し合わなければならないことが山ほどあった。思うままを相手に伝えることは、話す側にも聞く側にもつらいこともある。けれど、それを避けては相手に対する敬意はない。
 午後のにぎやかな街角。趣味であれ仕事であれ、あるいはひとつの人格としてでさえ、日本である程度の経験をした先には、必ず海の向こうが見えてくるはず。それが目に入らないふりをし、外へ出ていかない言い訳を考えながら暮らすのならともかく、流れを素直にたどったら、僕にはこの旅があった。何かを思いつめるほどまじめな性格じゃないけれど、今の僕にはここ以外に居場所はないし帰る場所もない、と自然に感じている。
 夜更けの空港のカフェ。ゆっくり話す時間さえない世界に住んでいる彼女に残された時間は、あと5分。エスカレーターを下り、出国カウンターに向かう澄んだ空色のジャケットの背中を目で追った。泣いていた、と思う。(写真;中華街の赤と黄。)
4月22日(月)(曇、昼頃雨/クアラルンプール〜タナーラタ:バス)
 クアラルンプール(KL)市街に戻ってゲストハウスを見つける頃には、午前0時をまわっていた。翌朝、朝食を同室のニュージーランド人サラととったあと、国立博物館へ歩いていく。アジアの国々を旅していると、 その背後に強力に浮かび上がってくる国がひとつある。イギリスである。マレーシア、シンガポール、ブルネイ、ネパールやインドまで、ほとんどの国がついこの間までイギリスだった、ということを思い知らされるのである。この「侵略」の善悪や歴史的な意味はこの際置いておくとして、僕のようなナチュラリストにとってイギリスは大博物学の国。博物館の“総本山”、大英博物館はいつか行ってみたい“聖地”だ。長い間イギリスが占領していたマレーシアの博物館なら、少しはその気概を残していないだろうかと期待したというわけ。
 KLの国立博物館は真新しいきれいな建物。けれどこれはハコモノだった。期待した昆虫標本はちょこっとしかないうえに、すっかりほこりをかぶっている。同じような思いでインドでも博物館に入ってみたことがあっ たけれど、あっちのもひどいモンだった。「標本展示」じゃなくって「死骸陳列」という感じ。
 午前中のうちに全館を見終わってしまったので、KLにもう一泊の予定を変更して宿をチェックアウト。長距離バスでキャメロンハイランドへ。自転車を預けておいたゲストハウスのドミトリーの、前と同じベッドへ戻 った。(写真;バスのチケット売りが、小窓から手を出して客を呼び込む。)
4月23日(火)(晴のち曇/タナーラタ:0km)
 遅く起きて洗濯をした。ゲストハウスの庭で自転車の整備をしたり、日 記を書いたりしながら、雨が降り始めたらすぐに洗濯物を取り込もうと待 ちかまえていた。午後はだいたい一度は雨が降るのに、今日に限って雲が 少なめだった。
 一日ゆっくりした。(写真;茶畑が広がる谷もある。)
4月24日(水)(晴のち曇、時々雨/タナーラタ〜イポー:120km)
 10時半出発。まずは60キロも続く下り。巨大なシダが路肩に生える熱帯雨林の中のワインディングロードを一気に下りていく。景色がいい分、余計に気持ちがいい。ふもとの町、タパーで昼食。ドリンクホルダーの ペットボトルが気圧の変化でペコリとへこんでいるのに気づいた。
 午後は時々雨になった。国道1号線で北西へ。久しぶりに雨の中を走ると、自分が自転車で旅をしていることを実感したりする。降りがひどい時は、食堂に入って冷たいものを飲みながら雨宿り。初めはたいしたことなかった交通量も、イポーに近づくにつれて増えてきて、最後の10キロは我慢の走行。
 イポーは騒がしい大きな街だった。旅店に泊まる。(写真;中国仏教寺院というのは、中国の外じゃないと見られない。文化大革命。)
4月25日(木)(晴のち曇、午後一時雨/イポー〜タイピン Taiping :95km)
 8時前出発。高速道路と並走して北西へ走っていた国道1号線は、イポーから少し迂回して北へ向かう。そのせいでめざすペナン島までの距離は長くなるけれど、車は少ない。小さな町を結ぶ田舎道は広いし、路面が良くて走りやすい。やがて道は大きく西向きにカーブし、再び高速道路へ近づいていく。昼前、いつも通り山の方から雲が吹き上がって来て、お昼にはポツリときた。早めに切り上げようと、最寄の街タイピンへ向かう。
 安宿を探して回っていると、やっぱり売春宿に行き当たってしまう。同じことを何度も繰り返すのは時間の無駄なので、おねえちゃんたちが並んでいるフロントまで行って、普通の宿はどこか聞いてみた。親切に教えてくれた。2時半に宿入り。3時から雨。(写真;売春宿の入り口にはなんにも書いてなくて、普通の宿の入り口に、こう書いてある。)
4月27日(金)(晴のち曇、夕立/タイピン〜ジョ−ジタウン George Town :95km+フェリー)
 8時半前出発。国道1号線を北西へ。いよいよペナン(Penang)島、インドネシア・スマトラ島への玄関口である。島へ渡るには、長さ10キロ以上ある橋か、あるいはフェリーを使うことになる。橋は交通量が多かったのでフェリーにした。ちなみに、フェリー乗り場へのアクセス道には自転車通行禁止の道路標識があるけれど、シカトして構わない。
ぺナン島に上陸し、ジョージタウンのホテルにチェックイン。軽い食事のあと、フロントに教えてもらったインターネットショップへ入った。すると、店にいたたった一人の客が、クアラルンプール(KL)のドミで同室だったサラだった。サラは感じのいい子だったのでKLを発つ時に置き手紙をしたのだけれど、不思議とそういう人とは再会できるもんだ。彼女は明日からランカウイ島へ行くというので、「ふうん。船でね?(By ship?)」と僕が言うと「羊に乗っては行かないわ(Not by sheep.)。」と発音を茶化す。その夜は繁華街のカフェで待ち合わせて、遅くまで飲んだ。(写真;金曜の夜。)
4月27日(土)(晴のち曇、夜一時雨/ジョージタウン:10km)
 朝飯を食べにホテルの向かいの中華食堂に入ったら、家族連れでやたら混雑していた。一瞬なぜと思い、そうか今日は土曜日、と気づく。あーあ、また曜日ボケしてしまった・・・日本領事館へ、日本から郵送されているはずの鳥の図鑑を取りに行くつもりだったのに。どうせ開いてやしないと思いつつも、サイクリングがてら行ってみた。当然閉まっていた。月曜までは、この島に足止めということになる。まいっか、ここの宿代、1泊200円だし。(写真;ジョージタウンは良く整備された街。)
4月28日(日)(晴のち曇、夕方から雨/ジョ−ジタウン:0km)
 日本領事館の開く明日まで、一日時間をつぶさなきゃならない。朝からバスで1時間、テルックバハン Teluk Bahang にある森林公園へ。附属の博物館や森を歩いて午前中を過ごす。入り口の売店で軽い昼食をとっていると、自家用車がどんどんやってきて混みはじめる。日曜日のドライブ客だ。街へ帰るにはちょっと早いので、「がっかり」覚悟で近くにあるバタフライ・ファームに入ってみた。生きたチョウの博物館。これが案外良かった。チョウの飛ぶケージの中は良く管理されていたし、標本展示室では他の昆虫もたくさん見られる。そのうえ、ここは私立博物館らしく、商魂たくましく売り物の書籍や民芸品が並んでいた。それを見るのも楽しい。クアラルンプールの国立博物館よりずっと見応えがある。
 夕方から激しい雨で街中に足止めされ、ビールを飲んで雨宿り。同じホテルに3泊目。(写真;森林公園のビジターセンター。)
4月29日(月)(晴のち曇、午後から雨/ジョージタウン:5km)
 日本領事館が開くのが9時で、スマトラ島行きフェリーの出航は8時半。つまりこの街にもう一泊、ということ。のっぽなビルの28階にある領事館で、日本から届いていた東南アジアの鳥の図鑑とガイドブックを受け取る。去年の12月にシンガポールから実家へ送り返したものを、また戻してもらったというわけ。空送費は安くはないけれど、もう一度買い直すよりはマシだから仕方のないところ。領事館には図書室もあって、手塚治虫の著作が並んでいた。午前がそれでつぶれた。
 午後は雨。自転車屋でハンドルグリップを新品に交換。薬局で虫よけスプレーを買う。髪を切ろうかどうか床屋を品定めして迷っているうちに、日が暮れた。(写真;夕立が来る。)

探鳥日記 インドネシア(スマトラ島)