イルポンカルテットが行く!

〜 エピソード II/韓国の離島、オチョン島へ 編 〜


2004年9月20〜29日






 2003年、僕は仕事である鳥の調査に参加していた。
渡りのシーズンには、次から次へと大陸にすむ鳥たちが現れて、
確認種数はうなぎ上りである。そしてそこで会った気のいい調査員たち。
偶然会ったように思えたこのメンバー、
実はその調査の管理担当者によって引き合わされた、
選ばれたメンツだったのである。
会うたびごとにみんなで鳥を見に行く話をして盛り上がった僕らは、
やがて仕事を離れ、さらに日本も離れて、
鳥を見に行ってしまったのである。

 2004年9月、ついに日本最強の鳥見チームが結成された!
・・・いや“日本最強”ってちょっと言い過ぎか、う〜んと謙虚に、
“周囲2キロ以内で最強”の鳥見チームが結成された!
その名も、イルポンカルテット!!




2004年9月20日(日)
 かなり月並みな言い回しだけれど、こんな書き出しで始めたい。ってゆうか、始めるしかない。なぜなら、実際そうだったんだから。「待ちに待った日がやって来た」。
 9月20日の午前7時、僕は鳥見道具を詰め込んだスーツケースを四駆に積んだ。日曜日の朝。倉敷の街は人も車も少なく、すんなりと田園地帯へ抜けた。ふだんの所要時間より早く岡山空港に着く。機内食にシーフードミールをリクエストしてチェックイン。そして、ソウルへ!
 到着ゲートを出ると、振り返っておっきなディスプレイを見上げた。マクドナルドのメニューみたいに並んだ国際便の発着状況に目を通し、そして腕時計に目をやる。たぶん僕が、一番乗りだ。窓に近いベンチに席をとり、読みかけていた文庫本を開いて頃合をみはかったあと、ハングルとアルファベットと漢字と日本語をかかげる両替所を横目に、スーツケースを転がしてゆく。関空発便の到着ゲートへ。そこにはザックと三脚を肩にかついだ二人がいた。Warblerさん、サンダサンの大阪コンビだ。仕事やプライベートのスケジュールを何とかやりくりし、この場所に一緒に立てたことを喜びあった。僕はおそらくマンメンノエミだったはずだ。そして羽田発便でご到着のバッキーさんとも合流。彼の荷物は、ザックと、それって小さめのサンドバック???、 と思ったら、ひとかかえもある口径の600mm望遠レンズだった。
 小雨の降る中、僕ら4人はタクシーやバスを乗り継いで、とある港町へ。すっかり暗くなったころ、町外れのモーテルに部屋を取った。荷物を開いて一段落したあとは、当然のように円座、そしてビールが出てくることになる。まずはこの旅行がはじまったことに、乾杯!!! そこへ羽田午後発便でご到着のガリさん登場で、場は一気に盛り上がる。これで5人、オールスターキャスティング完成、です! シャキーン!!(「どっちの料理ショー」風に(^^)) (写真;5人@韓国)












2004年9月21日(月) 午前
 よく晴れていた。少し肌寒い港の食堂で朝飯を終え、僕らはフェリー乗り場へ向かった。潮のにおいの空気の中を、コシアカツバメ達が舞う。
 船は五十人乗りくらいの小さなものだった。荷物を船室の奥に押し込み、出港。船上の人となった5人は、いきなり双眼鏡をのぞきはじめることになった。潮止め堤防に沿った砂浜に、ミヤコドリが100羽も並んでいたんである。そしてその上を飛ぶクロツラヘラサギ。のっけからこんなんだと、これから旅がどうなるか、大いに期待しちゃうのである。
 さて、ここで今回の旅のメンバーを紹介しなければナルマイ。まずはWarblerさん、実名を知っている人には何の説明も必要ない、あの!、あの本を書いた研究家である。そして彼といっしょに何十年も鳥見をしてきた実力派、サンダサンが脇を固める。氏はこの旅一行の隊長でもある。ガリさんは、野鳥関連ホームページのオーナー。これがよくある写真自慢の趣味的なもんじゃなくって、開設以来百万件のアクセス数を突破した国内最大の鳥サイトなんである。そして4人目は、ご存じ“さすらいの鳥見チャリダー”、「どーもー、僕で〜す」(「銭形金太郎」の有田風に(^^))。 ・・・・で、今回の旅で結成されたこのバードウォッチャー四人組、名づけて「イルポン(日本)カルテット」! そして最後、5人目のメンバーは、今回イルポンカルテットが迎えた超ビッグゲスト! メンバー中最年長の重鎮、東北のスナイパー、バッキーさん。実名を知っている人にはこれまた何の説明も必要ない、あの!、あの本の鳥の写真を全部撮った、正真正銘のプロカメラマンである。
 さて、一行を乗せた船は、初めは穏やかに黄海を滑って行き、甲板のガリさんと僕は、オオミズナギドリだ、アカアシミズナギドリだとはしゃいでいたのだけれど、やがて波しぶきがかかるようになって船内に引き上げることになった。そうこうするうちにあっというまに波が高くなり、船底がバッチンバッチンと海面を打ち始める。サンダサンと僕は船酔いで「きぼぢhぁりーよぉー」とグロッキーになり、他3名は気持ち良さそうに寝息を立てるのであった。
 船は昼過ぎ、目指す島に着いた。 (写真:朝の港にハングル文字。)

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2004年9月21日(月) 午後
 港の前には、小さな、そして島でただ一つの集落があった。住民は300人と聞いた。そこからアカマツ林のなだらかな斜面が、大きな電波塔の立つ山の稜線へと続く。そして斜面のところどころに建つ建造物は、すべて茶と緑の迷彩色にいろどられていた。韓国海軍の基地である。兵力は500、軍人が一般市民よりずっと多い。
 桟橋からすぐの民宿に部屋をとり、階下の食堂で昼食となったわけであるが、船酔いの残るサンダサンと僕は、銀の茶わんに盛られたご飯を見つめながら金縛りに合っていた。バッキーさんが「少し食べた方が楽になるよ」と言うので、そんなもんかなとモグモグし始めたら、あっという間に治ってしまった。我ながら単純なもんだ。
 さて、さっそく探鳥。五人そろって三脚をかつぎ、双眼鏡をぶら下げて出動である。島のまん中を南北に横切る谷沿いの道を、ゆっくりと登ってゆく。集落内の小径と海軍の施設へ続く数本の枝道を除くと、島にはこの道一本しかない。小さな川の河口があり、サッカーゴールやら貯水タンクやら空き瓶の打ち捨てられたグランドがあり、ため池があり、松林を抜けると、峠に展望台があった。島の反対側へ下るのは急坂だ。コンクリの道を小尾根を巻きながら下りて行くと、どん突きは青い海に映える白い灯台だった。時折聞こえるひと鳴きは、キマユムシクイ。
 そして本日のハイライトは突然やって来た。みんながグランドに戻り、ブッポウソウやらヨーロッパビンズイやら一通りを見終わってしばらくしてからのこと。さっきから猛禽みたいな変な声がしてるなあ、と思っていた林から飛び出して来たキツツキ大の鳥。全身かなり白っぽく、胴体の腹側には黒くてぶっとい横縞が並んだトケン類だ。Warblerさんが、「セグロカッコウの幼鳥や!」と声を上げる。 あぁ、あの春先に山ん中で声だけ聞こえて絶対見れないやつ、その幼鳥がこれなんだ。初日からいきなりライフリスト(生涯で見た鳥のリスト)に一種追加です! (写真;お散歩探鳥。)












2004年9月22日(火) 午前
 朝方は少し肌寒く、マウンテンパーカーをはおってちょうどいいくらいだ。ため池のすぐ下には 浄水施設があって、こぢんまりしたコンクリ敷の広場になっている。そのまわりには背の高い草がしげり、チュッとかジュリリリリリリリリリリとか地鳴きが聞こえてくる。バッキーさんが口先で鳴きまねをすると、ムジセッカが草先に登ってきた。もう少し辛抱強く待っていると、シベリアヨシキリも顔を出す。
 ガリさんとサンダサンは港の先の防波堤を攻めに行っていた。その二人から、軍艦鳥が飛んでいると連絡が入った。僕は見に行こうとWarblerさんを誘って道を下り、集落を通り抜けて行く。ところが軍艦鳥に行き着くまでに、もっといいものを見てしまった。防波堤に近い山の斜面にあるこんもりした茂みに、ムシクイ類が群れていたのだけれど、これが混群。とりあえずキマユムシクイの声が聞こえて、メボソムシクイがのぞく。そして次に出たのは、なんとフタオビヤナギムシクイ! さらにカラフトムシクイ!! そこへ飛んで来て隣の松の枝にとまったのは、ダメ押しのマミジロタヒバリ!!!
 ひとしきりエキサイトしたあと、僕はふと冷静になった。待てよ。いまのこの自分が置かれた状況はどうよ。ムシクイ類の野外識別では、間違いなく第一人者のWarblerさんが、目の前の鳥についてマンツーマンで解説してくれている。どの位置にいる鳥が何という名前か。他種との識別にはどこを見たらよいか。色合いの個体差はどうか。飛ぶときの波形は。鳴き声は。その授業のサンプルが、フタヤナとカラムシとマミタヒ。このうえない“上質の贅沢”にひたる。
 さて、ガリさんたちと合流したあと見上げた軍艦鳥は、コグンカンドリの幼鳥だった。写真を撮ろうとデジスコ(フィールドスコープにデジカメをくっつけたもの)のファインダーに入れる。ぐんぐん近づいてくる軍艦鳥。シャッターを何枚か切るうちに、とうとうファインダーからはみ出すほどの直近までやってきた。僕とWarblerさんはあわててスコープからデジカメを取り外し、生デジカメで押しまくる。頭上わずか10メートルを通過! 撮った写真を液晶に再生すると、ピントばっちりのバカでかい画像が写し出された。二人で顔を見合わせ、「うははははははははは!」と声を上げて大笑いした。(写真;韓国人は日本人みたいに魚好き。)

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2004年9月22日(火) 午後
 実を言うとガリさん&サンダサンのペアは、防波堤でコグンカンドリを見ながら、さらにカラシラサギまで見つけていたのである。やっるう。けれど、岬の小さな谷に入ったっきり、見失っていた。昼飯のあと、みんなでグランドへ行く途中に河口にいるカラシラを発見。冬羽だ。親切なコサギがすぐ隣にいて、その違いを僕らに教えてくれているようだった。
 昼下がりのグラウンドで空を見ていると、コイカルが小学校の校庭を飛び回ったり、チゴハヤブサが30羽も上空を通り過ぎて行ったりした。夕方、コホオアカを見たくてバッキーさんに場所を聞いて行くと、かわりにキマユホオジロがいた。
 その晩は軍艦鳥の話で大いに盛り上がった。みんなで爆笑したのは、バッキーさんの話だった。すでに1300種の鳥の写真を撮り終わっているバッキーさんは(彼の「撮り終わっている」というのは、売れるレベルの写真を、という意味である)、今回荷物を減らすためにレンズは600mmしか持って来ていない。そこへ出たのが、あのあどけないコグンカンドリだ。この鳥は僕らに好奇心を示しているのか、あるいは防波堤沿いに低く飛ぶ癖のせいか、すぐ頭上を狙いすましたように通過してゆく。翼開長が1メートル半以上もあるこの鳥が近づいてくるのを600mmレンズで狙っていると、一番欲しい真下からのアングルに来たときには、もうファインダーいっぱいに顔だけが写るんだそうだ。やっすいデジカメで“そのまんま撮り”すれば、すっごく綺麗に全身が撮れるのに! バッキーさんはやわらかな東北弁で、「2時間でョ、3回しかシャッターが押せなかったなぁ。鳥を“小さく”撮影することが、いっ・・・かに難しいか、こんなに苦労したのは初めてだなぁ。」と、ちょっと照れくさそうに笑うのだった。(^0^) (^0^) (^0^) (^0^)。(写真;昼飯も食ったし、さて午後はどこを攻めようか、と山を見上げる隊長。)












2004年9月23日(水) 午前
 今朝も良く晴れていた。まだ朝もやのけむる池のほとり。オオヨシゴイを見つけていたのは、誰よりも早く宿を出るバッキーさんだった。この鳥を初めて見る僕は、そのユーモラスなしぐさに見入っていたのだけれど、バッキーさんにとっては他の鳥を探していて、ついでに見つけた眼中外に過ぎない。彼が狙っているのは、ずっと高嶺のコウライクイナ(!)なのです。
 今日はガリさんと組んで、防波堤のパトロールへ。道の先をハクセキレイ(亜種ホオジロハクセキレイ)が先導してくれる。とりあえず軍艦鳥は飛んでいなかったので、テトラポッドに並ぶウミネコたちのエイジング(年齢当て)をしながら、のんびりと防波堤の先端へと向かう。一羽ずつ指差しながら、「成鳥」、「成鳥」、「第一回冬」、「成鳥」、、、で、次のこれ何??・・・「って、軍艦鳥!!」。気づいたら、僕は座り込むコグンカンドリまで5メートルの所にいたのである。飛んでいたらあんなにでかい鳥が、とまるとなんて小さいんだろう。僕はあとずさりして15メートルほどの距離をとり、ガリさんと座り込んで写真を撮りはじめる。しばらくして、Warblerさんたちもやってきた。4人が近くでごそごそしているのに、鳥の方は全くこちらを気にすることなく、リラックスして羽づくろいしている。そこで、これなら“記念撮影”も大丈夫と、定番の「指差し」に始まり、「手乗り軍艦鳥」、しまいにゃ「口から軍艦鳥を出す男」まで、クスクスと笑いながら写真を撮りあった。(写真;入り江を見下ろす。島はアカマツに覆われている。(Warblerさん撮影))

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2004年9月23日(水) 午後
 島の人たちは、おおむねクリスチャンのようだ。というのも、もしここが瀬戸内海に浮かぶ小島だったら鳥居が立っているだろう小高い尾根に、キリスト様が両手を広げて空を仰いでいるからだ。その足もとに黒い実が なる常緑樹があって、いつもヒヨドリたちが集まっている。バッキーさんはこの木には他の鳥もくるはずだと読み、その通りにコウライウグイスの幼鳥を見つけていた。もちろんこれは、彼にとっては、別の鳥を探していてついでに見つけた眼中外に過ぎない。彼が狙っているのは、ずっと高嶺のチャバラアカゲラ(!)なのです。
 午後は誰からともなくグラウンドに集まり、たあいもない雑談を交わしながら空を眺める。全員が集まると、それを待っていたように“今日のハイライト”がやって来た。 突然尾根の上空に現れた「ぴーちゅうぃー、ぴーちゅうぃー、ぴーちゅうぃー」とけたたましく鳴く鳥。誰も聞いたことのない声なので、なんだなんだと立ち上がって双眼鏡に入れてみると、尾羽の先がふたつに分かれてる・・・と僕が思った瞬間には、Warblerさんがもう「ハイイロオウチュウ!!」と叫ぶ。識別はやっ! 大物出現に色めき立つ一同。鳥は尾根に下りていったので、僕らは二手に分かれて、グラウンド側と尾根をはさんだ反対側から見張る。残念ながら、都合良くすぐには見つからない。けれど、誰もがもう一回出ると確信していた。だって、まだ写真撮ってないんだから!
 その後飛ぶ姿が2、3度見られ、最後には「黒い実のなる木」に落ち着いた。トンボでもとっているのか、しばらくとまっては小さく飛んでゆき、また戻ってくる。僕らは三脚を並べ、ハイイロオウチュウがいなくなるとコウライウグイスを探し、コウライウグイスが奥に行ってしまうと、ハイイロオウチュウを待ちながら、ここちよい海風の吹く夕暮れをのんびりと過ごした。(写真;韓国料理、かっらーっっっ!!!の図。バッキーさん、こんなに軽いノリに乗っかってもらえて、、、、恐縮です。)












2004年9月24日(木) 午前
 サンダサンは黙々と鳥を探す人だ。他のメンバーとは付かず離れずの距離を保ちながら、毎日海岸線から尾根まで丁寧に歩き回っている。今日もみんながグランドに集まり、草むらで見えかくれする謎のヨシキリ類に集中していたとき、サンダサンはひとり遠巻きに見渡していたので、サッカーゴールの前に下りた小鳥を見逃さなかった。鳥はしばらくして飛んだが、追いかけて小学校の塀沿いのやぶにロックオン。これが、「足がピンク色のタヒバリ類」という、どう見てもヤバい鳥。ここでWarblerさんの識別が入り、なんとセジロタヒバリとわかった。サンダサンすごい! 大ヒットです! 初めて見る僕とガリさんは大興奮である。ところがこの鳥、用心深いったらない。餌を探すのに塀沿いの地面を行ったり来たりするのだけれど、これっぽっちも手前に来ないので草にかぶってよく見えない。おまけに木陰から一歩も出ようとしないので、色合いもわかりにくいのである。最後は塀の上に飛び乗ってから、一声も鳴かずにどこかへ去ってしまった。残念ながら僕はこの時、塀の上の鳥が見えない角度にいた。それがくやしかったので、しばらくしてからグランドへ戻って来ていたセジロタヒバリをもう一度探し出し、サッカーゴールへ上がったところを撮ってやった。シゴトはきっちりしとかないと、寝覚めが悪いからね。
 日が高くなると汗ばむ陽気。Warblerさん、ガリさんといっしょに浄水施設の小屋の陰に入って、そこから見える範囲だけ見るダラダラ探鳥。4、5羽のチゴハヤブサがまわりをぐるぐると低空飛行して、ギンヤンマを採りまくっていた。狩りに夢中になってくると、僕らのことなんかお構いなしに、ほんの5メートル先をかすめていく。昼前になって現れたバッキーさんが「これ道に落ちてたョ」と持って来たのは、ツシマヒラタクワガタの完品(脚や触角に欠けがない個体)だった。(写真;なんかいた! (Warblerさん撮影))

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2004年9月24日(木) 午後
 午後、健康上最悪の事態が発生。イネ科花粉症である。実は島に着いた日からススキの花が満開だったことは気になっていて、少し症状は出ていた。そこへ悪いことに、ゆうべは宿のボイラーが故障していて、シャワーを浴びられなかったことが災いしたのである。一晩で僕の体はたっぷり花粉を吸収したようだ。鼻水は出るわ、脳みそは使い物にならなくなるわで、撃沈。。。昼寝しました。
 夜、「鳥合わせ」の時間には半分復活。鳥合わせというのは、その日みんなが見た鳥をまとめて、グループ全体で確認した鳥のデータ整理をすること。もちろんこれは遊びであって仕事じゃないから、飲みながら、食いながら、わいわいとやるのだけれど、、、鼻がつまってるとビールがただの炭酸水なので、楽しみ半減(T_T)。午後はずっと眠ってたとはいえ、この日記に鳥の写真がないのは寂しいので、Warblerさん撮影のこちらをどうぞ→ツメナガセキレイ。(写真;松の花とか薬草を砂糖漬けにした家庭薬。風邪に効くんだって。)
2004年9月25日(金)
 わずかに雲のある天気だった。島で渡り鳥を見るバードウォッチャーは、みんな天気が崩れることを願う。なぜなら、鳥が島へ下りてくるから。晴れればそりゃあ歩きやすいし、機材が濡れることを気にすることもないんだけれど、そんな日は鳥だって翼が濡れることを気にせずに飛べるのである。つまり、晴れの日が続けば続くほど島に入ってくる鳥は減って、島から抜けていく鳥が増えるというわけ。残念なことに、雲たちはいつまでたっても弱腰だった。晴れ時々曇り。こりゃ猛禽類調査日和だ。
 グランドに集まった僕らの上空を、大量のハチクマたちが次から次へと通過してゆく。ハチクマには色彩変異があるのだけれど、ここでは淡色型がやたら多かったり、低く飛ぶのを選んでよく見ると、体の模様がクマタカそっくりのやつがいたり、日本で見るカンジとなんか違う。ワシタカ図鑑の分布図だと、韓国と日本の亜種はおんなんじことになっているんだけど。あいかわらず飛びまくるチゴハヤブサに混じって、ツミにハイタカ、オオタカも飛ぶ。そんな中、マダラチュウヒだのアカアシチョウゲンボウだの見つける人いるんだよなぁーーー。
 夕方には、暗くなる前に下りてくる小鳥がいるかもと、砂浜沿いの谷に行ってみた。けど地鳴きもほとんど聞こえないし、おまけにまた花粉症が出始めたので、三脚を一番低くし、そのかたわらに座り込んでちょ〜ダラダラ探鳥。と、そこへイタチが現れた。ここは韓国だから、間違いなく亜種チョウセンイタチだ。初めは雑草の陰から顔を出しただけだったのだけれど、僕に気づいているくせに見え隠れしながらどんどん近づいて来て、最後は目の前2メートル。もちろんデジカメでしっかり撮影。はじめは「なんてラッキー!」と思ったけれど、すぐに「・・・ってゆーか、たぶんおれ、ぜんっぜん覇気が出ていないんだ」と気づきました。(写真;小さな島では、こんな乗り物が使い勝手いいみたい。けど、はたしてこの手の乗り物に、レーサーレプリカ的なカッコよさは必要なんだろうか??)
2004年9月26日(土)
 朝イチの散歩で展望台まで登った。曇り空の下、そこかしこの枝先にエゾビタキがとまっていて、飛ぶ虫をフライングキャッチしている。松林からは、猫の声のようなコウライウグイスの地鳴きや、バッタが脚を摺り合わせる音のようなメボソムシクイの声が聞こえる。渡り鳥たちは、少ないながら島へ下りて来ているみたいだ。けど、すでにひと通りの鳥を見てしまった感じで、僕には新しい種類をなかなか見つけられない。そんな中、がりさんはさらりとシロハラトウゾクカモメを出す。天気が崩れなくて小鳥たちが下りて来ないので、だったら他の場所にいそうなやつを、と視線を海上に走らせて見つけているのである。「こっちがだめならあっちを探す」なんて、ちょっと考えれば当たり前のテクニックだけれど、センスがなけりゃ、これがなかなか狙い通りにできるもんじゃない。“待ち伏せ型”のバッキーさんは、林を抜けて行くトラツグミを見逃さない。一日終わってみれば、島に来て最多の55種をマーク。一番の当たりは、アカアシチョウゲンボウのオス成鳥だった。(写真;島のガキンチョたち。)
2004年9月27日(日)
 晴天が戻ってきた。島とはいえ、ここはユーラシア大陸のすぐそば。太陽光線はそのからりと乾燥した空気を一直線に通り抜け、目に見えるものすべての輪郭と色をくっきりと描いていた。
 僕は今日、ひとり島を離れなければならなかった。近づいている台風の進路を考えると、日程を1日早めなけりゃならないのである。もともとこれだけの日数、この時期に仕事の休みが取れるなんて、ありえないことだった。春と秋には、世界中の鳥が渡りをする。つまり、いろんな鳥を見るために旅をする場合のベストシーズンは、今なのである。ところが悪いことに、というか必然的に、この季節には日本にもいろんな鳥がやってくるわけで、鳥の調査を仕事とする者にとっては繁忙期にあたる。それが今回は、ドタンバになってスケジュールの都合がつき、この島に来られたのである。ここまででヨシとしておこう、と言い聞かせる。
 早朝の散歩はのんびりとすることにした。コウライウグイスの成鳥が松林の上を飛び回るのをガリさんと眺めたあとは、入り江を見下ろせる小道をのぼって、朝の空気を吸い込んだ。道沿いに咲く花や木々には、ウスバキトンボやタイリクアキアカネのほか、イチモンジセセリが大量にいた。鳥ほどまっすぐには飛べなくても、海を渡って旅をするもうひとつの命たちである。道を這っている赤いナメクジには、いちど鳥がついばんだけれど吐き捨てたような跡があった。外見から察すると、辛子明太子みたいな味がするのかもしれない。
 宿に戻って朝食をとり、そのままいつものようにお茶を飲みながら冗談まじりの会話を楽しむ。好天のせいでやっぱり鳥は下りて来ないね、なんて話しているうち、流れはバッキーさんとWarblerさんが二人で出した図鑑の話になった。そしてこのときから、ふだん寡黙なバッキーさんが大いに語った。鳥の撮影のしかたから始まり、なぜWarblerさんをパートナーとして選んだのかという話を経て、カメラマンとしての彼の生き方にまで及んだ。その内容は軽々しくこんなところに書けないけれど、僕の心はバッキーさんの強靭な独立心に共鳴した。ブスイなので確かめたりはしていないけれど、たぶん似たような感情がイルポンカルテットのメンバー全員に湧いたと思う。なぜなら、僕らはみんな組織に属さず生きていくことに、毎日挑戦している仲間なんだから。
 正午の船。バッキーさん、Warblerさん、サンダサン、ガリさん、それから宿のおかみさんやいつも昼ご飯を食べた雑貨屋のおばちゃんに見送られて、僕は島を出た。入り江から船が出るとき、最後に横目で見送ってくれたのは、テトラポッドにとまるコグンカンドリだった。(写真;後ろ髪をひかれつつ。。。。(サンダサン撮影))
2004年9月28日(月)
 ひとり港町の宿に戻った僕はその晩、疲れを残さず日本へ帰るために早く休んだ。そのせいもあって今朝も早起きし、港で朝のバードウォッチングがてらの散歩、そして朝食。昼前には荷物をまとめて宿を出ると、ソウルへ向かうバスに乗った。
 3、4時間で到着。。。のはずだったのに、これが大誤算。今が韓国の盆休みとは知っていたけれど、ハイウェイの大渋滞が日本以上だとは知らなかった。車の列はどう見てもジョギングの方が速いスピードでとろとろと進み、サービスエリアには人がごった返していた。次の休憩所までトイレを我慢できない人は、車から降りてガードレールの外に向かってやっている。結局ソウルの長距離バスターミナルに着いたのは、とっぷりと日の暮れた、そのまただいぶあとの、午後9時前。市内観光はあきらめた。
 さて、飛行機の出発は明日朝。このあたりで一泊しなけりゃならない。観光案内所はとっくに閉まっているので、英語をしゃべりそうな女の子に声をかけてみる。彼女が言うには、この辺のホテルは高いから地下鉄でソウル駅の方まで行くのがいいということだった。確かに駅前へ行けば安宿“ヨグワン”街があることは知ってる。だって自転車旅行のときに泊まったもの。けど重い荷物をひきずってそこまで行くのがめんどくさいんだよなぁ、、、なんて女の子と話していると、やがて僕の中の「さすらい」が目を覚ます。
 だいたいどこの国のどこの町でも、そこにいる女の子と話した感じで治安の程度がわかるというもの。その感覚でいけば、ここは「きわめて安全」だった。だったらここで寝ちゃおうと、女の子に礼を言って別れると、安眠できる場所を物色。で、バスの待合所にあった健康器具販売展示場のカウンターの陰で眠りについた。注:経験の少ないよい子はマネしないで下さいね! (写真:韓国のコンビニ「LG25」。)
2004年9月29日(火)
 残念ながら、安眠は保証されなかった。まず0時にガードマンに起こされた。眠っていたバスの待合所は駅ビル本体からドアで区切られていて、最終バスが発車したあと戸締まりをするのだった。閉め出された僕は切符売り場の前に移って、太い柱の陰で横になった。3時間後、安眠は再び妨げられた。巡回して来た警官に起こされたのである。身振りから察するに、床で寝てはいけない、ベンチに腰掛けて寝ろ、ということらしかった。仕方なくプラスチック製の椅子が連なるベンチに体を横たえたが、でこぼこした形状は眠りにくいことこのうえなかった。
 さいわい、飛行機は台風の影響を受けることなく飛んだ。わずか一時間半のフライト。着陸した日本は、雨だった。家に帰るとたまりにたまった電子メールに「お返事が遅くなり大変申し訳ありません・・・」で始まる返信を書き、携帯の留守録にかけ直して「しばらく電波の届かないところにおりまして・・・」で始まる平謝りをした。雨風が強くなって来た中を車で大学へ向かい、島で採集した貝の標本を納める頃には台風が上陸。
 悪天候にも関わらず、今日はあすからの仕事にそなえて北陸まで550kmのドライブをしておかなけりゃならない移動日。高速道路へのランプウェイを上がっていくと、「この先50キロ通行止め」の赤い電光表示が決意も固く輝いていた。ったくもう、とは思うけれど、とにかく前へ進まなきゃ。トラブルは乗り越えるためにある!! (一方、韓国に残った4人は、その後本土の干潟でオバシギの大群に感涙したのであった。僕も行きたかった・・・(T-T)。)(写真:離陸。)

イルポンカルテットが行く!

〜エピソードII/韓国の離島、オチョン島へ 編〜 ・完