イルポンカルテットが行く!

〜 エピソード I/イルカル・ビギンズ 編 〜


2004年4月26日〜4月30日

それはまだ“イルカル”というチーム名もなかった頃。

日本の離島での鳥見に飽き足らない3人の男たちが
韓国の離島を目指して旅立った。

言葉も通じない国で旅行することの困難を乗り越え、
黄海上のある島へたどり着く。
そこで見た、大自然が仕掛けた「マジック」とは!?

イルカルの前身「離島屋」が贈る
5日間の旅の記録。

(探鳥地:韓国オチョン島)



★★★★★★  本文制作 /  Warblerさん & ガリさん  ★★★★★★




ガリさんは今日も離島の夢を見ていた・・・
「ミヤマヒタキ・・・でたー!・・・・オレンジツグミおりすぎ!! ・・・・たのしぃ・・」
そのとき同じような夢にうなされるもう一人の男がいた・・・
「でたー!初記録!・・むにゃむにゃ・・・セジロタヒバリ500・・・」
「群れ・・・群れ・・・むにゃむにゃ・・・・」 
そうつぶやき寝たままよだれを垂らしている男がいた・・・・
離島病が音もなく歩み寄る・・・・・・・・・・

チリリン!チリリン!ガリさんの電話が響く。
・・・この世にはマジックアイランドなる島があるらしい・・・・
  この一言を号令に三人の心が決まった。

その名も離島屋!しゅーつじん!
















2003年4月26日(月) 午前
 朝7:00 やばすぎるくらいに満面の笑みの三人の姿がそこにはあった。久しぶりに再会する三人は不安や緊張を感じあう。どんな旅になるのだろうか・・・。とりあえず、メンバーを紹介しよう。
 凄腕バーダーのWarblerさん。有名な図鑑の執筆者である。韓国新記録をだすつもりなのである。リゾートがほとんどで鳥見はおまけ程度らしいが、海外慣れはしているようである。
 世界を飛び回っていたバーダーのガリさん。有名HPのオーナーである。ライフリストは1820種。英語はちょっとだけであるが、図図しさだけは天下一品である。
 探鳥会のリーダーもこなす群れが大好きなサンダサン。海外はなんと初めて。海外にいけることにハッピーになっている。でも、海外慣れしていないため、大変です。
 こんな三人は韓国へ向けて出動した。
 Warblerさんは3万円を換金、ガリさんとサンダサンは2万円のみ。韓国で換金しようと考えていたが、「4万円換金すると言ってなかったっけ。地方へ行くのに足りなくなるで」とWarblerさん。「大丈夫ですよ。カードがありますから」とガリさん。これがあとあとピンチを招くことになるとはつゆしらず。離島に行く時は食べ物とお金を持って行けという鉄則を忘れていたのでした・・・・。
 まずはチェジュへ。三人は仲良くならんで座っている。図鑑を眺め、鳥の話に盛り上がり、なんとビールを5本も飲んでしまった。チェジュへ着く頃にはガリさんとサンダサンは少々飲み過ぎ、サンダサンの顔は真っ赤っかだった。
 せっかく、チェジュに来たのだから外に出た。空港前のロータリー広場で休憩することに。空はどんより曇り空で気温も低め。機内の予報では昼から雨だとか。だけど雨は今のところ降っていない。サンダサンがモアイ像みたいなおばあさんの像をデジカメで撮影した。するとデジカメがシステムエラーになり再起不能に・・・・のろいだなこりゃ。(写真;チェジュ/デジカメ壊れた。)

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2004年4月26日(月) 午後
 午後のフライトで最寄の空港までたどり着いた。ここからフェリーターミナルに行かなければならないが、空港職員に英語で聞いてみる。しかし、気が付けばドロップアウト・・・。そして誰もいなくなった。仕方がないのでバス停へ行くと、全てハングル文字。もちろん読めるわけもなかった。誰もいないし、大雨、更にはめちゃくちゃ寒く、いきなりテンパった。しばらくして、一人の女の子が現れた。恐る恐る話しかけると少しだけ英語と日本語が理解できるようだった。「フェリーターミナルまで行きたい・・・」と説明すると一緒にバスに乗り、案内してくれるとのこと。まさに救世主の登場だった。何故そこまでしてくれるのか問うと「助けたい」と真剣に話してくれた。辛い気持ちが完全に洗い流された瞬間だった。彼女が電話をかけ、携帯を渡される。すると電話から「こんにちは。事情は彼女から聞きました。彼女が一緒にフェリーターミナルまで行くので心配しないで良いですよ」と・・電話の主は友人で岡山に留学経験のある人だったらしく、日本語堪能。我々の意思を十分に伝えてもらった。20分程度走り、フェリーターミナル近くのバス停へ到着した。チケットカウンターで彼女が島までの行き方を聞いてくれている様子。しかし今日はもう船がないらしくおまけに明日もこの悪天候だと欠航だとか。一同呆然・・・。
 気を取り直し、宿を取ることにする。事前に調べてあった日本語がしゃべれるモーテルに電話したが、何度電話しても誰も出ない。またしてもテンパった。しかし、ここからが彼女の本領だった。ターミナル前のモーテルを見つけ、さっさと商談成立させ、我々を導きいれた。怪しげだが、いい感じの部屋だった。彼女のお蔭で何もかもがうまく運んだ。彼女の電話番号や住所を聞き、部屋で記念撮影し、深々と頭を下げタクシーを見送った。
 雨を拭いて落ち着くと、サンダサンがカメラを触り始めた。故障から復活していないからである。
 何度かやっていると再生は出来た。のろいを疑った二人はおばあさんの写真を削除した・・・すると何事もなかったように起動した。やっぱりそうだったのか・・・。
 やっぱり、韓国に来たからには肉が食いたい。フロントで店の場所を聞くと案内するから下で待てと指示された。下に行くと車が回され、若い兄ちゃんが運転していた。我々は言われるがままに乗り込んだ。過去にこういう経験はやばい状況になることが多かった。しかし、問題なく店に到着。食事が終わったら電話するようにとまで言われた。ただの親切な人であることに気が付くのは時間がかからなかった。
 肉、ビール、キムチをたらふく食べ、店のおばちゃんと意気投合して会話を楽しんだ。兄ちゃんたちにチップを渡し、部屋に戻る。3人でワイワイと慣れない韓国語放送を見ながら、この国の人の温かさを嫌と言うほど感じさせられた夜が更けていった。(写真;韓国人の女の子と。/焼き肉屋にて。)












2003年4月27日(火) 午前
 朝起きると、しとしと雨が降っていた。欠航になりそうなのはわかっているけど、まずは朝食を宿の裏にコンビニに朝食を買いに行き、おにぎりやパンなどを買い込んだ。ふと目を横にやると、紙コップのコーヒー自販機を宿の裏に発見したのだ。値段は300ウォン(約30円)と劇的に安く、ブラック、砂糖入り、砂糖・ミルク入りそれとKorean Teaを選択できる。やたらと甘いのだが、こ の甘さに三人は虜となり、毎日のように3杯は飲んでいた。特にWarblerさんはその甘さにどっぷりつかっていた。買ってきたおにぎりはみんななキムチ入りご飯で、白飯タイプもあったが、必ず具はキムチ入りであった。この辛さにあの甘さが合うんだなぁこれが。
 そうこうしていると出航の時間が近づいた。親切について来てくれた宿の兄ちゃんとフェリーターミナルに入ると赤い看板に白抜きの二文字が・・もちろん読めないが、我々には直感で何かすぐに気が付いた。「んー、なんかまずい感じ」とWarblerさんは呟く。「あっかん!」とサンダサン。我々の意図を伝えてくれている宿の兄ちゃんが窓口で、へにゃへにゃと崩れ落ちる。もちろんその姿を見て「欠航」であることを確信した。
 しかーし、離島屋はあっという間の目的変更。タクシーをチャーターし、セマングムへ行くことに決定した。言葉も通じない、鳥も知らない運転手さん。初めての韓国で、韓国語も全くわからない三人が意思の疎通が出来るはずがなかったが、気合いと根性で意思を伝えた。1時間ほどで目的地付近に。既に干潮が近いらしく、遥か彼方まで干潟が現れている。どこもかしこもシギチドリ・・・それも大型種が多く、ホウロク、オオソリがいっぱい。チュウシャク、オグロ、ウズラも沢山。遠くにはハマシギ、オバシギ、ソリハシの群れがいる。一箇所に集中しているのではなく、全体にまばらにたくさんいるという表現が的確なのだろう。しかしあまりにも寒い!気温は6度くらい。強い風と霧雨が体温を奪う・・春だというのに・・・。(写真;セマングム。)

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2004年4月27日(火) 午後
 寒い時は歩くことが重要である。風の強いときは風の無いところに行くのが定石である。空模様は良くないが、堤内地が風を避けられるので、そこを1時間ほど歩き回った。しかし、鳥影は少なく、キマユムシクイ、キマユツメナガセキレイ、ムネアカタヒバリ、シベリアアオジが見られただけだった。
 我々が落胆していると、運チャンが新提案を繰り出す。「鳥がいっぱいる所があるからそこへ連れて行く」と説明する。怪しいが、次の案がなかったので、ついていくことにした。案内されたのはクンガンの右岸にあるバードウォッチングセンターだった。センター内には鳥の写真、干潟の生物や子供達による環境絵画が展示されていた。女性のレンジャーが一人とたくさんのアヒルがいるだけの寂しい施設だったが、トモエガモの群れやクロツラヘラサギの動画を見せてくれたり、かなり歓迎された。冬になるとトモエガモが二十万羽近く飛来するらしいが、今は春だから余裕で何もいなかった。
 宿へ戻る途中、クンガンの可動堰を通過すると、干潟に群れる多数のシギチドリが目に飛び込んできた。オグロ、ウズラ、ツルシギ、アカアシ、エリマキ、サルハマが大量にいる。目指すはSpoon-billedのみ。遠い、雨天、冷風の三重苦の中で探すこと10分。Warblerさんが歓喜の声をあげる。探してみると、夏羽のヘラシギが餌を捕ってるではないか!寒さを忘れて夢中で観察した。美しいものは美しいですねぇ。
 今夜は韓国料理を求めて市内を歩くことにした。小さな街だが、ヤングファッション関係の店舗は多く、ブランド店がひしめく。街を少し外れると閑散とした住宅街や魚介類専門の市場筋、穀物品を扱う店が多かった。若者がたくさんいる店を見つけてので、入ってみる。メニューには日本語表記や写真もあったので良い感じだった。チゲ定食などは3,500ウォン(350円)と安く、一番高い食べ物が石焼ピビンバでなんと500円と言うから驚きだ。店内に若い男女が多いのも頷ける。どれもそれなりに旨かった。
 食事を終えて外へ出た。すると「うわーお」と大きな声が響き渡る。良く見ると昨日助けてくれた女の子だった。こんな偶然もあるものだ。彼女は我々に時間はあるかと問うと、急いで携帯電話の料金の支払いを済ませ、一緒に街を歩き始めた。彼女はこの街を案内してくれるようで、何処に行きたいのかを聞いてきた。まずは、Warblerさんのリクエストで本屋に向かう。我々の向かう先は鳥のコーナー。「セ」という一文字だけを頼りに探し出す。彼女は不思議そうに、その光景を首をかしげながら笑っていた。やっぱり女の子がいると雰囲気が明るくなるものですな。ガリさんは特別にノリノリだった。本屋を出ると、全員で喫茶店に行って話をすることになった。韓国はあーだけど、日本はあーだとか、彼女の夢や我々の年齢、仕事のことや鳥のこと・・・いろんな話をした。こうして楽しい夜はあっという間に過ぎていった。そして、彼女とまた会うことを約束し、彼女の乗り込んだバスを三人で見送った。(写真;洋服街/バードウォッチングセンター。)












2003年4月28日(水) 午前
 未明にしとしと降っていた雨もあがり、今日こそは出航しそうな気配。通い慣れたコンビニで買出しをし、世話になった宿の兄ちゃんに「また秋に来ます」と別れを告げた。フェリーターミナルは連日の欠航の影響で人々がにぎわう。そして、欠航を告げる看板も無い!すなわち出航確定である。「出航することはわかってたで」とめちゃめちゃ甘いミルクバナナを二本も飲み干しながらサンダサンは言う。
 我々はまだ、島での宿を決めていなかった。近くにいたおばさんが話しかけてきた。もちろんわからないから、一時は戸惑った。離党屋の伝家の宝刀である「笑顔」を発動すると、それだけで気持ちは十分通じ合った。おばさんは自分の胸を指さしたあと、両手を右頬のに持っていく「寝る仕草」をする。このおばさんの家は宿屋であると直感した。おまけに隣にいるおばさんを指さし、「ご飯を食べる」仕草をする。もちろん、飯屋であることは言うまでもない。伝家の宝刀は一撃必殺だった。
 船は無事に出港した。海上にはうねりが残っていたが、三人は広大な干潟に目を奪われていた。沖合の岩礁やちょっとした小島は全て陸続きになっており、シギチドリや数百のミヤコドリの群れが餌場として利用していた。外洋に出るとオオミズナギドリ以外の鳥は見当たらなくなり、退屈になった。
 すると、フェリーのエンジニアさんが日本語で話しかけてきた。彼は九州のフェリーで働いていた経験があるらしく、久しぶりの日本人に会い、嬉しいようだった。彼は私の手を引っ張り操縦室に連れて行いった。そして、船長を紹介し、硬い握手を交わすと記念撮影をした。離島屋は人々との交流を大切にするのである。
 そうこうしているうちに大きな島が見えてきた。Warblerさんは、「はーるばる来たぜオチョンド〜♪」と歌いだす(古)。宿のおばちゃんに連れられ、宿入りする。部屋代を聞くと、1人3万ウォンだという。余裕でお金がなかった。換金できる場所もない。「払えないのなら街へ帰るしかないよ」とおばちゃん。ふざけんな・・・。しかし金がないのは事実。ガリさんの大きな判断ミスが、ここで致命的打撃を受けることは予想だにしなかった。離島屋は頭を抱えた。その時、Warblerさんが閃く。エンジニアさんなら何とかしてくれるのではないかと!早速、船に戻り、「両替できませんか?!」と聞く。すると救世主はまたしても離島屋のもとに舞い降りた。おばちゃんに「どや!」と言わんばかりに、9万ウォンを差し出し、意気揚々と鳥見に繰り出した。(写真;バナナジュース/陳列してある商品)

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2004年4月28日(水) 午後
 軍隊と暮らす古くからの漁村だった。集落の奥には一本の谷筋の道があり、草地や畑、貯水池が広がっていた。どこを探そうか迷うまでもなく、ムネアカタヒバリコホオアカの群れが現れた。ツメナガセキレイやビンズイ、シベリアアオジもそれに混ざって餌をついばむ。水路からはアカガシラサギが飛び出し、上空をクロウタドリが通過する。電線にはヤマショウビンがとまり、草地にはキマユムシクイやウスリームシクイが目立つ。あれこれと目移りしていると、ガリさんから無線が入る。「ゴールポストの上にヤマショウ、ヤマショウ、ヤマショウの3連発!そこへコウライウグイスも来ました!」と声が上擦っている。畑にはカラアカハラも複数見られ、ヒマラヤアナツバメも舞う。Warblerさんはオオルリやムジセッカ、コウライウグイスなどを見ながら展望台のある場所まで登っていき、港や集落を一望に見下ろしていた。二人がなかなか登ってこないので連絡すると「鳥が多くてなかなか動けません」とのこと。Warblerさんはガリさん、サンダサンの4倍くらいのペースで識別していくからとても速いのだ。ガリさんはクロウタ4連チャンを始め、キガシラセキレイ♂やコノハズク赤色型見つけていた。3人は合流し、畑に戻ると鳥影はさらに濃くなっていた。チョウセンウグイスや始めは見られなかったマミジロキビタキの姿が目立ち、コシャクシギも草地を歩き回っていた。空は昨日まで天気が嘘のように快晴で鳥もわんさといる。こんな清々しい鳥見は本当に久々だった。我々が求めていたものはまさしくこれである。
 贅沢な我々は、そろそろ新しい場所を探しに行きたくなり、島の東側を歩くことにした。両側が切り立った崖になった場所を通ると、絶好の眺望であった。海上からマミジロキビタキが飛んで来て、クロマツにとまった。つくづく離島だなぁと感じる瞬間だった。海岸にカラシラサギを見つけたが、その他の鳥が少なかったので、畑に戻ることにした。ノビタキやルリビタキ、ビンズイが増えている。上空にはサンショウクイの声が通過していく。天候が荒れるともっと鳥が入るんやろうなぁとWarblerさん。
 港へ行く途中でムクドリ類の声がする。と民家のアンテナにとまった。カラムク♂、ギンムク♂、ムクのトリオだった。更に、キマユホオジロが次から次へと側溝から飛び立つ。そんなこんなで、あっという間に暗くなってしまった。
 明日の買出しをしようと、気になっていたお店に入った。すると一人のおばちゃんが現れた。我々の話しを何度も根気よく聞いてくれ、わからない話にも付き合ってくれるとても友好的なおばちゃんである。
 こうして、怒涛の一日は過ぎ去ったが、三人の顔には笑みが溢れていた。大変だった出来事も忘れ去り、熱い一日にメッチュ(ビール)で乾杯する。失敗の連続だったが、三人の絆は一段と深いものになっていることに皆が気づいていた。(写真;オチョン島/足の蒸れた人たち)
2003年4月29日(木)
 翌日はゆっくり出ようとWarblerさんは思っていた。が、朝早くから目が覚めて眠れない。やはり興奮しているようだった。空がしらみ始めてきた5時過ぎ頃からバタバタと音が聞こえる。二人のどちらかが出る準備をしているようだ。Warblerさんはまだ暗い5時半頃に部屋を出た。港前に人影がある。ガリさんだ。早っ!
 畑付近に行くと昨日より鳥影が薄いが相変わらずコホオアカは沢山いる。上空から降りてくるアカガシラサギは8羽もいる。しばらくしてサンダサンが到着した。キガシラセキレイ、アリスイ、シマノジコなどを次から次へと堪能していった。
 サンダサンから「おじさんがお茶でも飲めへんかと言ってるけどどうする?」と言われたので、ついていくことにした。どうやら島の発電所だった。中には3人の技師が働いていた。お茶を誘ってくれたのは所長さんだったようだ。コーヒーを飲みながら韓国本片手に片言の会話を楽しむ。図鑑を出して鳥の話までしながら盛り上がってしまった。みんなで記念撮影をし、鳥見をするために別れを告げた。
 帰りの船は13:00出港なので、早々に退却した。パッキングを済ませ、昨日のおばちゃんの店に行く。
 おばちゃんが作ってくれたラーメンを急いで平らげる。するとおばちゃんはゆっくりとコーヒーを飲んで行けという。しかし、出航まで10分しかない。船が出ちゃうから急いでいるんだと話すと、「私が出航といわないと出航せーへんで」と・・・・・・。意味がわからなかった。すると、お客がやってくる。なんかおばちゃんと話をして、切符のようなものを受け取っている。見に行くと、おばちゃんが切符を販売しているという。なるほど・・・だから出航しないわけね(笑)
 丸一日で100種を記録する凄い鳥見となった。(写真;オチョン島の風景。)
2003年4月30日(金)
 朝起きると、Warblerさんは全てをパッキングし始めた。それは三脚からプロミナーも全部ということだ。ガリさんとサンダサンはカメラとプロミナーを持って散歩に出かけた。フェリーターミナルの近くには多くの船が係留されていた。そこにはセグロカモメグループがたくさん止まっていた。足が黄色いものや頭がつぶれているものなど多くを観察した。ガリさんは全個体の写真を撮り始めた。サンダサンはカメラを忘れたため、急いで宿にとりに帰った。そこで、Warblerさんに「足が黄色いカモメがたくさんいるよ」と告げると、何も言わずにパッキングを解き始め、出動した。カモメ以外にもオグロシギウズラシギも近くで見られた。近寄っても逃げないし、むしろ寄ってくる。夢中で餌を採っているようだった。あっという間に時間は過ぎ、ソウル行きのバスに乗り込んだ。最後の韓国の風景を楽しむように、三人は窓の外を眺める。楽しかった思い出や興奮したときのことを思い出していたに違いない。
 最高に優しい人々、数多くの素晴らしい鳥たち、珍鳥、おいしい食事。我々の苦難の旅は満足感いっぱいで終了を迎えた

・・・・・・・・・・・・・・かにみえた。

 離島病の病魔に蝕まれていた三人の心は離島ワクチンの投与により、一時開放に向かっていた。しかし、この短い旅行日程が三人の心をより一層蝕み始めていたことを知る由もなかった。(写真;街の風景。)



 Warblerさん、ガリさん、投稿ありがとうございました。

 2002年の秋に1年半の自転車旅行から帰国した僕は、当面の社会復帰のため、「1年間は世界地図を見ないこと」
「2年間は外国旅行をしないこと」というルールを、自分に課していました。そのためにこのエピソードIには参加できな
かったのですが、務め(?)を終えた2004年秋、晴れてエピソードIIからメンバーに入ることができました。この時、離
島屋に冒険旅行者というパーソナリティが加わり、グループ名をイルポンカルテット(略称イルカル)と改めました。

そして僕らの渡り鳥を探す旅は、まだまだ続く・・・・。