山口・萩2泊3日の旅
今回の旅行も、大学時代の友人Y氏と2人で行ってまいりました。Y氏は今年は少し高くなっても構わないとのことなので、今までよりも少し高めのところを考え、見に行きたい所も多いということで山口・萩に決定しました。
 
 第1日 2003年8月7日(木) 羽田〜湯田温泉〜山口〜湯田温泉
 第2日 2003年8月8日(金) 湯田温泉〜萩〜湯田温泉
 第3日 2003年8月9日(土) 湯田温泉〜秋芳洞・秋吉台〜羽田 
 

第1日 2003年8月7日(木) 羽田〜湯田温泉〜山口〜湯田温泉

 今回の旅行は、このページのタイトルの所にも書きましたが、今までの旅行よりも少し値段が高め。インターネットで往復の飛行機と2泊付きのパック(1人約40,000円)を見つけ、予約。ただ、ツインが満室とのことなので、シングル2室(その分、少し割高)。今までY氏と行った旅行と比べると10,000円以上高い!(山口・萩は安い宿泊施設があまりないようなので、少し値段が高い感じです)
 さて、当日の待ち合わせは羽田空港。自宅最寄り駅の始発だと飛行機の時間がぎりぎりそうなので、車でもっと早い時間の電車のある駅へ行き、始発に乗る。無事、羽田空港に到着し、飛行機で山口宇部空港へ向かう。

 1時間半ちょっとで山口宇部空港に到着し、さらに、バスで小郡駅へ。そして、JR(ワンマン電車!)で湯田温泉へ向かう。少し早いが昼食にしようということで、事前に調べたそば屋に行くと定休日・・・(教訓:店の場所だけでなく、定休日も調べましょう)。次に、ラーメン屋(これも事前に調べたお店)に行くと、まだ開いていない・・・。

 そのため、山口へ行き、そこで昼食をとることにし、徒歩で山口へ向かう。歩くこと約40分、ようやく店を見つけ、昼食をとる。
 腹ごしらえがすんだところで、まずは山口県政資料館(下左の画像)へ向かう。下左の画像は、1916年に建てられた旧山口県庁舎で、昔の知事室などが見学できます。また、県会議事堂も本来公開されているのですが、2004年まで修復中で閉館していて見ることができませんでした。うーん、残念。
 次に、瑠璃光寺五重塔(下右の画像)へ向かう。この塔は、1442年に大内盛見が建立したもので、国宝です。山口は戦国時代に大内氏の本拠地として文化が栄えたところですが、当時の建物等はほとんど現存しておらず、この塔は、現存している数少ないものの一つです。こういったものを見ていると、当時の大内氏の文化の高さを知ることができるかと思います。

山口県政資料館 瑠璃光寺五重塔
山口県政資料館 瑠璃光寺五重塔

 次に向かったのは龍福寺。ここは、大内義隆(1551年に陶晴賢の謀反で自刃した人)の菩提寺で、もとは大内氏の館跡だったところです。先ほど少しふれたように、大内氏の時代の建物はほとんど現存しておらず、ここも同様です。ただ、ここは、大内氏の遺跡の調査・復元が現在すすめられているそうです。
 そして、次に山口サビエル記念聖堂へ向かう。山口は、フランシスコ・ザビエル(私は日本史でこう習いました)が戦国時代にキリスト教の布教活動を行った地であり、この聖堂では、ザビエル等の資料の展示がされています。

 そろそろ時間も夕方になってきたので、ホテルにチェックインするため、湯田温泉へ向かって歩いていったところ、雨が降り始める・・・。そのため、バスで湯田温泉に戻ったのですが、バスはやはり早い。徒歩で40分以上かかったところがあっという間に到着。で、ホテルの部屋に入ってみると、あれ、ベッドが2つある。Y氏の部屋も同様とのこと。うーん、二人で一部屋でも十分な気がしないでもない・・・。一休みしたあと、近くの居酒屋で軽く飲み、昼に開いていなかったラーメン屋へ行く。このラーメン屋はとんこつ醤油味のスープに麺は細麺なのですが、結構美味しい。その後、ホテルへ戻り、この日は寝る。



第2日 2003年8月8日(金) 湯田温泉〜萩〜湯田温泉

 ホテルで朝食後、バスでへ向かう。萩へは、JRだと大回りになるため、バスが便利です。さて、この日は台風10号が接近し、雨が降る生憎の空模様。台風が直撃しないことを祈りつつ観光する。バスで東萩駅に到着し、市内の循環バスの1日乗車券を購入。
 そして、まず最初に向かったのが反射炉(下左の画像)。これは1858年に萩藩(長州藩)が建設したものです。こういったものを見ると、幕末の長州藩の実力を窺い知ることができます。こういったものを建設する実力があったからこそ、明治維新の中心的な役割を果たすことができたと言えるのではないでしょうか。
 次に、循環バスに乗って向かったのは、伊藤博文旧宅(下中の画像)。伊藤博文は、日本の初代総理大臣ですが、長州藩では下級武士であり、その当時に住んでいた家です。また、隣には、伊藤博文が東京に建てた別邸が移築公開されています。
 そして、次に徒歩で松下村塾(下右の画像)へ向かう。ここは、幕末、吉田松陰が謹慎中に門人を指導した所で、門人には後に明治維新や明治政府で活躍した人が大勢います(高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋など)。この小さな私塾から数多くの優秀な門人を輩出したことに改めて驚かされます。

反射炉 伊藤博文旧宅 松下村塾
反射炉 伊藤博文旧宅 松下村塾

 松下村塾と松陰遺墨展示館を見終わったところで、雨がやみ、Y氏と2人でほっとする(台風が直撃していたら、湯田温泉へのバスはおそらく運行休止だったのでは・・・)。また、循環バスに乗り、向かったのは明倫館跡。明倫館は長州藩の藩校で、現在は小学校が建っています。
 時刻が午後2時をまわったので、Y氏と2人遅い昼食をとることにしたのですが、多くのお店は午後2時で昼の部が終わっている・・・。で、ようやく探したお店でウニ釜飯を食べました。ウニというと寿司とかは食べたことはありますが、釜飯は初めて。熱が通ってもウニ独特の濃厚な味もしますし、まあまあ美味しい。
 腹ごしらえがすんだところで、また循環バスに乗って萩の旧城下町へ向かう。そして、徒歩で向かったのは木戸孝允旧宅(下左の画像)。木戸孝允(桂小五郎)は、維新の三傑の一人であり、長州藩を代表する明治維新の立役者の一人です。もともと藩でも割と上級武士のほうに属しますので、この旧宅も割と広いです。また、同じ通りには、青木周弼旧宅があります。
 次に、徒歩で通りが2本裏の高杉晋作誕生地(下中の画像)へ向かう。高杉晋作は、幕末に奇兵隊を創設し活躍した人です。ここは、当時の建物がすべて残っている訳ではなく、一部しか残っていません。また、屋内に入ることもできないのが、ちょっと残念。
 その後、徒歩で旧益田家物見矢倉旧周布家長屋門を見ながら、萩城跡(下右の画像)へ向かう。萩城跡は海沿いにあり、地形的には三角州の土地に城下町がある感じです。今では、石垣と堀しか残っていませんが、石垣は城内側は階段状になっていて登ることができます。

 この後、循環バスで湯田温泉に行くバスの発着所まで向かおうとしたところ、循環バスがしばらく来ないので、徒歩で湯田温泉へ行くバスの発着所へ行き、そこからバスで湯田温泉へ戻る。そして、昨日休みだったそば屋へ行き、夕食をとる。やはりそばは、夏は味が落ちますので、美味しさはまあまあといったところ。さらに、その後、一人で昨日行ったラーメン屋へ再度行く。この日、アルコールが入っていない状況で食べた感じでは、スープの味が醤油が少し強すぎるかなという気がしました。とはいえ、やはり結構美味しいと思います。ちょっと、食べ過ぎですかね・・・。

木戸孝允旧宅 高杉晋作誕生地 萩城跡
木戸孝允旧宅 高杉晋作誕生地 萩城跡




第3日 2003年8月9日(土) 湯田温泉〜秋芳洞・秋吉台〜羽田

 この日もホテルで朝食を食べ、それからチェックアウトして秋芳洞(下左の画像)へバスで向かう。この日、台風10号は四国のほうに針路をとったため、直撃は免れたものの朝から雨・・・。秋芳洞は地下100メートルにある鍾乳洞です。洞内は、多量の地下水が流れているのですが、どう見てもこの日の水の量は多い(台風の影響だと思われます)。洞内は、下左の画像のように、さまざまな見所があり、自然の凄さを改めて感じました。
 次に、バスで秋吉台(下右の画像)の展望台へ向かう。秋吉台は日本最大のカルスト台地なのですが、この日は雨だったため、景色はイマイチ。うーん、残念。帰りはもう一度秋芳洞を通って帰る(徒歩で洞内を帰ることができます)。
 そろそろ腹も減ってきたので、お店に入り、瓦そばなるものをたべる。これは鉄板代わりの瓦の上でそば(上に牛そぼろ、卵、きゅうりがのっている)をあたため、温かいつゆで食べます。まあまあ美味しい。

 昼食を食べ終わった時点で、飛行機の時間を考えると中途半端な時間だったものの、まあ、早めに空港へ向かうこととし、バスで小郡駅へ向かう。しかし、山口宇部空港行きのバスがしばらくなく、どうするかY氏と2人で考えた挙句、宇部新川からも空港行きのバスがあるようなので、とりあえずJRで宇部新川へ向かう。JRに乗っていると、途中で、「うん、空港が目の前にあるぞ。」とY氏。何と、宇部新川まで行かなくても、「草江」という駅の目の前に空港が・・・。しかし、電車は既に発車している・・・。結局、宇部新川でもバスがしばらく来ない感じだったので、結局JRで草江に戻り、徒歩で空港へ(徒歩約3分)。やっと空港に着いたところ、今度は東京行きの飛行機の離陸が遅れるとのアナウンス・・・。台風10号の影響で、結局2時間以上離陸が遅れ、ようやく羽田に到着。結局、終電に間に合わず、タクシーで自宅に帰る。家に着いたのは、翌日午前1時過ぎ・・・。うーん、疲れた。

秋芳洞百枚皿 秋吉台
秋芳洞百枚皿 秋吉台

 今回の旅行は、戦国時代の大内氏関係の史跡と幕末の長州藩関連の史跡を中心に見てまわりました。特に、萩に観光に行く前には司馬遼太郎の小説を読むと、より思い入れが強くなり、観光が楽しめるのではないかと思います。食べ物については、今回はあまりお金をかけませんでしたので、本当に美味しい海の幸は食べませんでしたが、どの食事もそれなりに美味しかったと思います。ただ、安い宿泊施設が少なく、旅行のパック料金が少し高い。
 総費用は約7万円。


旅行記へ戻る

トップページへ戻る