「よーしお前ら集合!!」
「この号令…また調査でしょうか?」
「ええ、また今回は遠征だからね。」
「おーし!腕が鳴るぜ」
「以前の遠征調査では下調べ不足で断念したこともありましたが…。」
「今度は大丈夫!調査する範囲も狭いしさ。」
「とは言え、その現地まで公共交通機関がないに等しい場所なのですが…」
「おまけにその本数も乏しく、まず現地の県に行く手段ですら手間取る始末…。」
「三連休が悪いんだよ!畜生めー!!!」
「さーて、本題に入るわよ。」
「ご当地幹部達が…動き出しましたね。」
「そこに刺青羅刹やアンブレイカブルに六六六人衆・果ては味方にイフリートまで巻き込んでの大乱戦だな。」
「全ての狙いは、ラグナロクと目されるダークネス・ゴッドモンスター…なんとしても確保しなければ!」
「と言うことで恒例になりました、いつもの例のアレですね。」
「新潟ロシア村…廃墟としてはわりと有名なほうらしいがね。」
『新潟ロシア村』
新潟県北蒲原郡笹神村(現在の阿賀野市)に存在した、ロシアの魅力を紹介するテーマパークである。
1993年、ロシアとの文化交流を目的に県内初のテーマパークとしてオープン。
民族舞踊の実演や民芸品の販売、森の地ビール、
ふれあい動物園やバイカルアザラシの飼育展示などで話題を呼んだが、
1999年10月に融資元の銀行が破綻。新規の融資が受けられなくなったことなどから資金繰りが悪化した。
ハバロフスク地方政府などから物資の支援などを受けながら営業努力を続けるも、
2003年12月には休業状態へ入り、業績回復の見通しが立たないことから
再度開園することなく2004年4月に閉園した。
開園当初は大きな話題となったが、入場者数は開園当初から伸び悩んでいた。
客への訴求力が低く、リピーターを獲得できなかったことも大きい。
閉園以降は放置され、周囲に人家等がないこともあって警備体制に不備が多く、
敷地内に人が無断侵入するケースが相次ぎ、施設の荒廃が進んだ。
施設内外の引き払いの処理がされていないために敷地内には開園当時の展示物や備品が
放置されたままになっており、建物は風雪による劣化が進んで廃墟と化している。
「以上、武蔵野書房刊『テーマパークの落日』より抜粋ですわ。」
「…まあこんな場所じゃリピーターは付きにくいでしょうね。当時はシャトルバスくらいあったのかな?」
「ともかく、手付かずの状態ならこの場所へ入るのは容易であるということですね。」
「厳密に言うと不法侵入に当たるから、ちょっと気は引けるけど…これも調査のため!」
「では今回の調査場所の紹介ですね。こちらが全体マップになります。」
©GoogleMap
「なんだかものすごく遠く感じますね……この赤い破線矢印は?」
「これは私が求めた駅からのお勧めルート。歩きやすい舗装道重視って事で。」
©GoogleMap
「地図だと当該場所がまっさらなんで、虚空写真とあわせてみたぜ。」
「さすが放置されているだけに建物は確認できるようですわね…。」
○進撃の前に
「まずは基点、JR羽越本線・神山駅。」
「主要駅である新発田~新津間を結ぶ単線区間ですね。」
「これはまた典型的な無人駅といいますか…。」
「…でその先に広がるのは、のどかな農村風景であると。」
「ちょっと入り込むとこんな未舗装道に出くわしたりとか。」
「状態から見ると、車両は通行できるようですね。」
「だいぶ歩いたが…この長いストレートを抜ければゴールも近いか?」
「あら、こんな所にお社が。」
「ちょうどいい機会だし、戦勝祈願でもしていきましょうか。」
「ふう、だいぶいい所まで来ましたね。」
「やっと着いたわ、入り口の麓にね。」
「でもなんか違う名前の看板が…。」
「一応連名になってんな…ここまで放置されてるって言うのか?」
「で、登ってはいってみたものの…。」
「放置されて荒れ放題……見ていて悲しい気持ちになってきました。」
「電柱はサビ付き、木は苔むし、カーブミラーも破損して…放置にも程があるわ!」
「10年以上も時の止まった空間…といった感じですわね。」
(1)新潟ロシア村駐車場跡
「着いたわよー。まずここが私達の拠点にある駐車場ね。」
「…第二とか書いてあるな。第一はどこなんだ?」
「第一は、入場口の前にあるそうですね。」
「ていうか、何か解体されてるぅ?!ご当地幹部達の改造の手が入ったと言いますの?!」
「その脇にあったけど、これが5年前に火事起こしたホテルなのかな?」
「近年にも小火騒ぎがあったらしいし…放置にもさすがに危機感を持ったのかな。」
(2)入場口
「そしてもう見るも無残に破壊された入場口跡です。」
「駐車場と入場口の垣根がないから、さすがにこっちを拠点にするわけにはいかねえか…。」
(3)アメリカンショッピングモール
「ここが、当時のお土産物屋さんだったのですね。」
「アメリカンコンドルがアメリカ風に改造しようと企んでいるようですが…。」
「内装も…まだ一部は残っているみたいね。」
「ナンバープレートはずされた車なんかも放置してあったけどさ。」
(4)スーズダリ教会跡
「次は教会跡ね。これはまだ形も結構残ってそう。」
「傍から見ると何かの宮殿にも見えますね。」
「そして近づいてみると…お決まりのように瓦礫の山。」
「小火騒ぎがあったのはここだっけ?煤っぽい部分も見えるし…。」
(5)森の小道
「先ほどのお土産物屋さんの裏手から伸びる通路ですね。」
「つーか、瓦礫が階段をふさいで通れねぇ…。」
「木々は一応残っているけど、舗装は荒れ放題ね…。」
「確か以前の資料ではアーケードで覆われていたような…。」
「そしてたどり着く先は、広場前のロシア紹介コーナーの建物ですね。」
「ちょっと見えにくいが、マンモスイリュージョンスタジオの案内看板もあるな。」
「見る影もない……その一言に尽きるわね。」
「…当時は色々な展示品でにぎわせていたのでしょうけれど。」
「…とは言え、教会裏の搬入用通路を使えば小道を経ることなく広場へ行けるようですね。」
「うわぁ、台無しだ!」
(6)中央広場
「そして建物を抜けて…広場に到着。」
「まったくここも瓦礫まみれかよ…。」
「右手にはロシアンファーストフードの店、レストラン方面へ抜ける小道がありますね。」
「正面左手寄りはエンターテイメント系の建物になっていたようですわね。」
「で、ショーホールの脇に、美術館・マンモス方面へ行く小道もあるわ。」
「案内板もわりと綺麗に残ってたな。ここはアルバート広場っていうのか。」
「…同じ種族だったアルバート君、元気かなぁ。」(銀雨時代の記憶)
(7)マールイ美術館跡
「先ほどの小道を抜けると、わりと立派な門扉跡みたいな物がありましたね。」
「ってことは、もうこのすぐ先に鎮座してるってわけだな。」
「…って、解体されてるぅ?!」
「なんだとぉ!?改造どころか新たに作り直すつもりかぁ?!」
「あちらに見えるのは…『日ロ親善戦没者慰霊友好の碑』とありますね。」
「さすがにあれは壊さなかったか…。」
(8)レストラン「ダーチャ」跡
「…そしてこちらも、跡形もありませんわね。」
(9)マンモスイリュージョンスタジオ跡 ~そしてガイアゾーンへ…~
「ここもだよ…あの幹部ども、これを期に一気に大改造を施すつもりか?」
「ただぽつんと残された友好の碑が哀愁を漂わせて…。」
「しかし見通しは効くようになったわ…ガイアゾーンの推定も出来るか。」
「マンモス館の会った方角的には、おそらくこちらかと…。」
「木々に覆われた中にこそ、かのラグナロクが隠されているのですね…。」
「ああ、本番はここ目指してぶっ飛ばしてやらぁ!!」
「報告は以上ね。あくまでも背後世界のデータだから、本番で活用できるかはわからないけど。」
「こういう風景を思い出しながらリプレイを楽しんだりイベピンを想像したり…な程度には使えるでしょうね。」
「当日は激しい戦いになりそうですので、楽しむ余裕があるかどうかは人それぞれですが…。」
「気に入ったネタがあったらいろんな所でどしどし使ってくれな。命を賭けた戦いも楽しみがなくちゃね!」
「では、本日はここまで!この次は戦場でお会いしましょう!!」
◄■■...To Be Continued.■■
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…船崎由徒
…黒無
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○ お ま け
「……農協もゆるキャラの時代なのね。」
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