「よーし、お前ら集合!」
「おや、いつもの号令…また調査のお時間が来たようですね」
「おーし、腕が鳴るぜ!
「今回はわりと早いタイミングで戦争告知が来ましたわね。」
「前回の戦争から2ヶ月と14日ですね…。」
「…どれだけ頑張ってもクラブパワーが75にしかならないじゃない。」
「クラブパワーの恩恵を完全に活かせない、不利な戦になりそうですわね…。」
「これもHKTとかうずめとかベレーザとかの陰謀か?!畜生めー!」
「ということで、今回の戦場は軍艦島となりますね。」
「確か見た目が軍艦っぽいってトコから言われるようになったんだっけか?」
「島自体は江戸時代から続く歴史を背負ってきてるみたいね。」
軍艦島
正式名は端島(はしま)、長崎県長崎市(旧高島町)にある島である。
通称の由来は、海から見た姿が戦艦「土佐」に似ていたことから。
明治時代から昭和時代にかけては海底炭鉱によって栄え、東京以上の人口密度を有していたが、
1974年の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島である。
島は三菱マテリアルが所有していたが、2001年、高島町(当時)に無償譲渡された。
所有権は、2005年に高島町が長崎市に編入されたことに伴い、長崎市に継承された。
建物の老朽化、廃墟化のため危険な箇所も多く、島内への立ち入りは長らく禁止されていた。
2005年8月23日、報道関係者限定で特別に上陸が許可され、荒廃が進む島内各所の様子が各メディアで紹介された。
島内の建築物はまだ整備されていない所が多いものの、ある程度は安全面での問題が解決され、
2008年に長崎市で「長崎市端島見学施設条例」と「端島への立ち入りの制限に関する条例」が成立したことで、
島の南部に整備された見学通路に限り、2009年4月22日から観光客が上陸・見学できるようになった。
「…以上、武蔵野書房刊『めざせ世界遺産 ~ 人と文化の調和』より抜粋ですわ」
「つーか、基本立ち入り禁止なのか。調査できんのか?」
「確かに島内のほとんどはダメだけど、一定の見学ルートは整備されてるそうよ」
「いくつかの船舶会社が上陸ツアーとかを企画していますわね。上陸できずとも周回できるくらいなら…。」
「なお、今回の調査場所はこういう所になります。」
「うわぁ、本当に孤島…。」
「長崎港から伊王島・高島を経由して1時間はかかるようですわね。」
「当日の生徒の輸送が大変なことになりそうだな。」
「拠点となるドルフィン桟橋も、狭い上に滑りやすいところですしね。」
「とりあえず、善は急げ!調査決行よ!」
「今回お世話になるのは、高島海上交通さんの軍艦島上陸クルーズ、船の名はブラックダイヤモンドです。」
「ブラックダイヤ……ああ、石炭の異名か。」
「炭鉱で栄えた街だけに、さすがというべきですわね。」
「そんじゃ、出発ー!」
「お、見えてきたな。」
「沖に出るにつれて、だんだん波が激しくなってきましたわね。」
「波や風が強いと上陸できませんからね…大丈夫でしょうか。」
※端島に上陸する際の安全基準
各号に掲げる場合は上陸することが出来ない
1 風速が秒速5メートル超の時
2 波高が0.5メートル超の時
3 視程が500メートル以下の時
4 前号までに関わらず、見学者が安全に下船できないと船長が判断した時。
「手前に見えるのは軍艦島のすぐとなりの島、中ノ島ね。」
「同じ炭鉱の島であった高島との中間にあるから、このネーミングなのかしら」
「ここは軍艦島になかった火葬場や墓地とかが置かれてた、ある意味重要なところだったんだな。」
「さあ、近づいてきましたよ…。」
(1)ドルフィン桟橋
「ここが侵攻開始のポイントね。」
「フジツボだらけ、波を受けて濡れっぱなしってことで、拠点に向くのか?ここ…。」
(アナウンス)
『波のうねりが激しく、お客様を安全に上陸させることが出来ないと判断したため、接岸を断念し接近ツアーに切り替えさせていただきます。』
   
「「「「!?」」」」
「ここまで来たって言うのに…。」
「これもHK(略)の陰謀か?!畜生めー!」
「逆に考えるのですわ。これなら立ち入り禁止の廃墟部も近場で写せると…。」
「見学コースでは廃墟はほとんど見れませんからね…。」
「なので、近影に加えて…高島にあった軍艦島の1/100模型と比較して説明していきましょうか。」
(2)貯炭場

「桟橋から右手に進んだ比較的広大なスペースですわね。」
「今は羅刹度もが跋扈してるみたいだがな。」
「手前に桟橋の跡が2つほどあるわね。」
「炭鉱が稼動していた頃はここに船を直結して石炭を輸送していたそうですね。」
(3)野生のグラウンド

「広大なグラウンド…と言えばここ、端島小中学校跡ですわね。ちょっと奥には幼稚園もあったそうで。」
「当時の東京の9倍の人口密度を誇る地区の子供らが集う巨大校、ゆえに圧巻の7階建て!
「生徒数は徐々に減らしたものの、閉鎖直前の最後の生徒達が、あの岸壁の裏側に絵を残しているそうですよ。」
「ある意味巨大なタイムカプセルだな。 それを植物で埋めるなんて、皆の想いを……ヤロウ、ブッ殺してくれる!!」
(4)巳型調整プール

「ベレーザのいる区画ですわね。なにやら新型のデモノイドを量産中だとか?」
「ここは桟橋から見学コースで直通なんだな。狙われやすい場所に…ベレーザって、結構扱いがぞんざいなのか?」
「ここから見える建物のふもとに昔、大きな町民プールがあったそうですね。」
「淡水の調達に苦労する場所だったから、最後の最後まで海水プールだったのよね。」
(5)廃墟ライブ会場

「日本初の鉄筋コンクリート製アパートもあるとかだけあって、重厚な建物だらけで当時の人の多さを感じさせるな。」
「住宅以外も充実してまして、家電も扱う商店・病院・共同浴場・映画館・パチンコ・ビリヤード・雀荘・お寺・神社なんてのも…。」
「神社はあのてっぺんにある祠のような物ですわね。名前は端島神社…採掘の安全祈願に珍重されていたそうですわ。」
「お寺や映画館はさすがに崩壊しちゃったか…まあ、こちらの方面は波風も強い外海側だからね。」
「波を防ぐ護岸の高さはゆうに12m…それでも乗り越えてしまう波はよく来るそうですわ。」
「ただ、火葬場や墓地だけは島内になく、先ほどの中ノ島に作られていたそうですね。」
「建物の屋上には菜園も整備されてましたのね。」
「ここはもともとあの岩場だけが島であって、それ以外は埋め立てて広げた土地だしな。しかもその埋め立てに使われた土が…。」
「ええ、ボタ岩…石炭の採掘時に発生する捨石、いわゆる余りの石で埋められていたのです。」
「さすがに植物の生育には向かないわよね。昔この島を舞台にした『緑なき島』って映画もあったけど…。」
「子供達の情操教育に、ということで、本土から土を運び建物の屋上で菜園を始めたのですね。」
「これもある意味、日本初の屋上菜園と言うところかしら?」
「それだけにあらゆることは島の中で完結しちまうからな。娯楽もあるし映画館の大きさも充実…400席あったんだってよ。」
「封切り映画も長崎県下ではここが必ず一番最初だったらしいし、家電を扱う商店のおかげで普及率もよかったしね。」
「白黒テレビ時代、日本で唯一テレビ普及率100%を誇っていた地区ですしね。」
「職場が過酷でも、それに見合った給料のよさだったのが一因だったとか……そこまでブラックではなかったのですわね。」
「世界遺産にしても恥ずかしくねえ所だ……HKTとかに荒らされてたまるかってんだ!」
(6)改造大坑道(の入り口である児童公園)

「児童公園は2箇所あるみたいですが、立地的にはこちらが有力?」
「コンクリートのアパートに囲まれた吹き抜けのような場所にある公園…廃墟をより廃墟たらしく見せるわね。」
「この軍艦島をモチーフにした作品でもよく使われていたりする感じですね。ただ老朽化も激しいので撮影は難しいでしょうが。」
「たしか007でも、ここを徹底的に写真にとって、再現したセットで撮影したらしいしな。」
「報告は以上ね。あくまでも背後世界のデータだから、本番で活用できるかはわからないけど。」
「こういう風景を思い出しながらリプレイを楽しんだりイベピンを想像したり…な程度には使えるでしょうね。」
「当日は激しい戦いになりそうですので、楽しむ余裕があるかどうかは人それぞれですが…。」
「気に入ったネタがあったらいろんな所でどしどし使ってくれな。命を賭けた戦いも楽しみがなくちゃね!」
「では、本日はここまで!この次は戦場でお会いしましょう!!」
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※DDG-173 護衛艦こんごう
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