二つ目の命。



 ―――時期外れの雪は、天からの啓示だったのだろうか。
 2001(平成13)年3月31日、その日は3月も終わりだというのに、朝からの雨は大雪に変わってしまっていた。それこそ「これで打ち止め」と言わんばかりに大粒の雪は降り続き、普通二輪を担当した自分を容赦なく痛めつける。寒さによる萎縮と緊張のせいで体は疲れ果て、それでいて明日からの2日続きの公休だけが救いと感じつつ帰途についたのは、午後8時少し前の事。いつも通り出迎えてくれる娘、その後ろから妊娠10ヶ月目を迎え、お腹をパンパンに膨らませた妻が顔を出す。しかし、その顔は明らかに何かしらの事実を隠している顔だった。結婚して6年目、妻の機嫌くらいは、顔を見ただけでそこそこ判るようにはなってきている。疲れた身に愚痴など聞きたくはないのだが、何気なく問い掛けてみる。
 「出血があった・・・」
 その一言でピンと来た。おりものに混じった少量の出血とのことだが、その出血が意味するものが、今まで詰め込んできた稚拙な知識でも充分に理解出来た。
 (出産時期が近付いている・・)
その言葉だけが頭の中でグルグルと渦巻いている。
 (予定日まで、まだ1週間もあるのに・・・)
そう思いつつも経産婦の出産がかなり早まる事もあるのを話に聞いていたので、自分自身に言い聞かせながら、妻に自分で産院にTELさせる。診察時間はとうに過ぎているが診てもらえるとの事。先程停止したばかりで、キンキンと音を立て冷え始めているエンジンを再始動し、そそくさと車に乗り込む。そしていつも通っていた産院に向けて、重い右足でアクセルを踏み込んだ。

 ふと、3年前を思い出す。あの時も夜だった。全く初めてのことで右も左もわからず、これから起ころうとしている出来事に、畏怖の念しか感じず、ただひたすら祈るような想いで車を運転していた自分。自然と震えてくる手足が、まるで自分で制御出来なくなったような気がして、今考えると事故を起こしてもちっとも不思議じゃない運転をしていた。3年と5ヶ月弱過ぎた今、急激に自分の環境が変わる事に戸惑いすら感じていたあの頃に比べると、あまりにも冷静でいられる自分に、驚きすら感じていた。

 日中の渋滞が嘘のような国道を滑るように走り抜けて産院に着くと、季節は違ってはいるものの、3年前と同じ空気が産院の周りを強固に張り巡らされている。宗教的な匂いすら感じる産院に入り、当番医の女性に促され、妻は検査に向かう。独り待合室に取り残される。ポツン・・・。男が独りで入ることはまず無いであろう産院の待合室。部屋には幸せそうに子供を囲んだ家族の写真付カードが、先生に対しての感謝の言葉と共に貼り付けられている。1枚1枚見ていると、3年前の我が子の写真も飾られていたのには、少々驚いた。思わず苦笑い。妻が写真を送ったことすら知らなかった。今回もきっと彼女は送るだろう。無事送ることができるよう願いたい。そう思いつつ、自然と疲れきっている体をふっくらとしたソファーに沈め、検査の終わりをただひたすら待ち続ける。
 時計の長針が半周ほど移動した時、検査室のドアが音を立てて開き、当番医、続けて妻が顔を出す。
 「入院した方がいいと思いますけど・・・」
 開口一番、当番医である女医さんがそう告げた。話によると、子宮口はまだ以前検査した時と同じ、1cmしか開いていないものの、20分程度の間に軽い陣痛が3回起きているとのこと。妻には痛みなどの自覚はまだないらしい。その状態がいずれ本格的な陣痛へと変化していくのだが、それが今晩なのか、それとも数日先なのか、そこまではわからない、と女医さん。妻と目が合う。お互い何も言い出せない。昔だったら間違いなくすぐに入院させたのだが、今は娘がいる。まだ妻がいないと黙って寝ることが出来ないのだ。娘にじっくり言い聞かせる時間が欲しい。それに自分も心の準備をする時間が、なんとなく欲しい気もした。女医さんの話しぶりからは、その時が来るのはまだ先のような印象を受けたので、なんとなく後ろ髪を引かれる思いを感じつつも、産院を後にした。
 帰りの車中は穏やかだった。なぜだか自分でもわからないくらいに・・・。カレンダー通りに順調なスケジュールの進み具合に素直に喜ぶ。あと何日か過ぎたら会える二人目の子供に思いを馳せながら・・・。ただこの時点では、家に戻ってから妻の状態が激変するとは夢にも思わなかった・・・。

 家に着くと時刻はもう午後の10時近かった。遅い夕飯を済ませて、いつも通りに入浴し、そろそろ日付が変わろうかという時間帯、PCのモニター前に座る自分に妻が怪訝そうな顔でポツリと呟いた。
 「少し痛いかも・・・」
 ゴクッ・・・。息を飲む。ただ痛みは軽いもので、むしろ痛みというより不快感に近いものらしい。しきりに腰のあたりに手を当てる妻。弱いものの確実にそれは数分の周期を経て妻に襲い掛かってきている。なんとなく予感めいた空気が、夜中に静まり返った部屋に漂う。その空気に耐えられず、妻に寝るように説得をする自分。朝になってから考えよう。朝になってから産院にもう1回出向けばいい。それに渋々従う妻を見送り、様々な思いが脳裏によぎりつつ、意味も無くマウスを動かし続ける・・・。
 もうそろそろ眠気に勝てず、寝ようと思ってPCの電源を落とした午前2時過ぎ、部屋のドアが『カチャ・・』と音を立て開いた。・・・眠れない。そう呟く妻。きっと冷静な状態で、尚且つ昼間だったらきっと産院に向かったはず。でも、もう眠気には勝てそうもない。それに痛みではなく不快感であるのならば、もう少し我慢して欲しい。そんな都合のいい言葉を吐き捨てるように妻に言い残し、ベッドに倒れるように潜り込む。妻の身になれない自分にひどく自己嫌悪を感じる。このまま夜が明けた時、痛みが軽減していてくれないだろうか。そんな身勝手な事を考えながら、次第に意識は遠くまどろみの彼方へと消えていく。

 「もうダメ・・・。産院に行きたい・・・。」
叫びにも似た妻の声で目が覚める。時計をふと見る。午前5時半。ベッドに入ってから3時間位経過したのを計算するのに時間がかかった。慌てて飛び起きる。朦朧とする頭の中で、なぜかPCの電源をONにする自分。苦笑い。でも、妻の顔に笑みは無い。あれからずっと寝られずに、数分おきに襲い掛かる痛みと闘っていたらしい。疲労と寝不足と痛みで顔が歪んでいる。すぐに身支度を済ませ、明るくなりだした早朝、あまりにも静まり返った住宅街にエンジン音が響く。嫌な音だとなぜか感じる。午前6時過ぎ、家を出た。10時間前とまったく同じ道路を走る。ただ違うのは妻の苦しみ方。出産時期がすぐそこまで迫っているかのような痛がり方。信号にひっかかる度に、つい舌打ちをしてしまう。日曜の朝方ということで、ほとんど通りに車はなく、それこそ無意味に感じられる信号待ちの数十秒間が非常に長く感じられた。産院に到着。さすがに日曜の朝だけあって、普段混み合っている駐車場には1台の車も停まっていない。少々焦っていたせいか、僅かに曲がって停めてしまったが、切り返しもせずにそのまま停めて、院内に入っていく。すぐに検査開始。昨晩と全く同じ光景。違っているのは、夜か朝かの違いだけ。時計の針は午前6時半をさしていた。
 ふっと外を見る。駅からほどほどに近いこの産院。日曜日だというのに、自転車を止め、駅に飲みこまれていくかのように入っていくサラリーマンらしき人々。逆に疲れきった顔で駅から出てくる若者達。普段、見かけることのないその光景を、少しの間、見入っている自分。淡々と過ぎていく時間の中で、様々な想いが交錯する街並み。首を二、三度降り、なんとなくこれから起こる出来事を想像しては、なんとなく気が重くなるのだった。

 「すぐ入院準備をしますね。」
 昨晩と同じ女性が急に扉を開け、そう切り出した。一晩の業務を終え、勤務時間が終わろうとしているせいだからだろうか、やや疲れた表情を隠しきれない。
 「はい・・・。お願いします・・・。」
 喉が渇いていて、声が自然と出てこない。緊張している自分に気付く。子宮口が昨晩から0.5cm開いて、1.5cmになっているらしい。妻の痛がり方はひどくなっており、この痛がり方は尋常じゃないのに、と思ってみても、それを意見する雰囲気ではない。ただひたすら任せるだけ。そういうものなのかと思うしかない。とりあえず入院を予測して持ってきていた入院用の荷物を車から取り出し、部屋へと運び込む。新生児室のすぐ目の前の『26号室』・・・。前回と一緒だ。偶然の産物に過ぎないのだろうけど、妻にはどうでもいいことらしい。ベッドに飛び乗ると、一番楽に感じる姿勢を探し始めている。とにかく仰向けで寝ている姿勢が一番辛いらしい。起き上がってみては体勢を変え、なんとなく四つん這いの姿勢がどうやら辛いながらも、楽な恰好のようだ。その傍らではそんな妻の姿に目もくれず、お腹の子の心電図を測る計器を準備する看護婦さん。両者の動きのチグハグさが、なんとなく違和感を感じる。痛みと痛みの間は、なんてことなく、ケロッとしている。ただ、5分おきに来る陣痛の痛みは、回数を重ねていくに従って、ひどくなっていっていく。最初はじっと堪えていたのだが、やがて痛みに耐え切れず、呻き声にも似た声が室内にこだまし始める。生まれる瞬間がすぐそこまで来ているかのような痛がり方。腰をさすってあげるしか、出来ない自分。ただ、不思議な事に1回目の出産の時ほどの不安感はない。やはり出産を一度見てきているだけあって、慣れてしまっているのだろうか。腰をさすりながらもどこか冷めている自分が、なんかひどく残酷なような気がしてならない。
 陣痛と陣痛の間のつかの間の休戦状態、そんな時にも関わらず妻はお腹が空いた等と言い出す。痛みと戦っている妻に文句を言える立場じゃない自分。まさに妻の言うがままに行動を強いられる。喉が乾いたと言えば、何か飲み物を買ってこなければいけないし、何かしてと言われれば、そうしなければいけない。まるで召使の様相を呈してきているが仕方なし。そしてその命令に従い、近くのコンビニに歩いて食べ物を買いに行く。しかし、こんな時に限って臨時休業。仕方がないので、少しの時間、離れるのは不安だったものの、車でもう少し離れたところにあるコンビニまで買い出しに。妻の悲鳴にも似た痛がり方を聞くのが辛かっただけに、産院を離れ、車内で煙草の煙を燻らせながらの運転は一息つくことが出来た。時計を見ると、針は間もなく午前7時と8時の間をさそうとしていた。

 20分ほどして産院に戻ると、なにやら女医さんのけたたましい足音が聞こえる。緊迫感がその足音から伝わってきた。
 「!!!」
 他に入院患者のいない産院。すぐにその足音の向かう先が、妻のいる部屋だと察知できた。慌てて女医さんの後から部屋に入る。どうやら妻が痛みに耐え切れず、ナースコールのボタンを押したらしい。どうしても我慢が出来ずに息んでしまったと妻が声も絶え絶えに女医さんに伝える。破水を心配している妻。破水はまだのようだ。その様子を見て女医さん、階下の診察室にいくことに決め、泣き叫ぶ妻を半ば強引に抱え上げる。その逞しさに何の手出しも出来ない自分。ただひたすらオロオロとしてるだけ。本当にこういう場面で男は何も出来ないものと痛感せずにはいられない。階段を数段降りては休み、降りては休みで、ゆっくり診察室に向かう二人。その姿を階段の踊り場でただ見つめているしかなかった。

 以前から今回の出産では、その場に立ち会わないようにしようと決めていた。妻のあの、あまりにも動物的な姿は見たくないというのが正直な気持ち。勿論、神聖な出産場面を見て、改めて家族愛に気付くケースも多いのだろうが、それ以上にいつもの妻とは違う姿が信じられなかった。逃げていると言われたらそれまでだろうし、否定は出来ない。でも、どうしても出産の場面は自分には辛いものでしかないのだ。妻に妊娠が判った頃に、一度その話をしたことがある。そうしたら妻は少しだけ笑った。その笑みの理由が自分にはわからなかったが、もしかしたら出産という女にとって一大行事に夫である自分と一緒にいたいと思っていたのだろうか。病室に独り残り、自問自答を繰り返す。きっと独り、診察室で妻は様々なものと戦っているに違いない。自分はもしかして不戦敗なのだろうか。なんとなく後味が悪く、そして独りでいる病室に居心地の悪さを感じずに入られない。ウロウロしては窓を開けてみたり、見る気もないのにTVをつけて、順番にチャンネルを変えてみたり・・・。先ほどまで妻が苦しんでいたベッドの上に横になる。飾りっ気の全くない病室。唯一賑やかなのは、出産後に使うであろう製品を作っている会社のカレンダーだけ・・・。ついさっきめくったばかりらしい、真新しい4月のカレンダー。その1番上に書かれている「4月1日」が、新たに生まれてくる子供の誕生日になるのだろうか。4月1日生まれ・・・。4月に生まれてきたのにも関わらず、前年度生まれになってしまう事実。ある程度の年齢に達してしまえば関係ないのだろうけど、幼稚園や保育園、小学校に入る頃は大変だろう。それこそ1年前に生まれた子供達と同級生になるのだから。4月1日と4月2日、たった1日の違いが、1年先輩後輩の関係になる事実に、妻と二人して笑っていたのが、つい先日。そのまさかの1日生まれになるというのだろうか。色々と想いを巡らせながら天井を見上げていると、睡眠不足のせいか、自然と瞼が重くなっていく。知らぬ間に眠り始めていたらしい。その直前に見た壁掛け時計は午前8時を過ぎていた。

 意識がはっきりとしていない、混沌とした状態。なんとなく天井のスピーカーからガサガサという不快な音が聞こえてきたかと思うと突然、
 「○○さん、○○さん? おめでとうございます!! 手術室に来て下さい!!」
静かな室内には不釣合いなほどの、余りにも大きな声で飛び起きた。時計を見ると、午前9時を回っている。1時間近く寝ていたらしい。一瞬、自分が今どこにいるのかさえわからず、放送で言われた言葉を独り繰り返す。
 (おめでとうございます、・・・おめでとうございます? おめでとうって・・・。)
 (ちょ、ちょっと待て、おめでとうございますって、もう産まれたというのか?)
意外な看護婦の言葉に訳がわからなくなり、スピーカーの声の主に何も答える事が出来ない。階段を踏み外しそうになりながらも、急いで階下に降り、そこにいた看護婦に状況を聞く。
 「2820gの女のお子さんです。おめでとうございます。」
彼女の言葉に返事すら出来ない。まだ信じられないぞ。だってさっきまで、子宮口が1.5cmしか開いていなかったではないか。笑顔で話す看護婦に、引きつり笑いの自分。あまりにもアンバランスな顔の二人。そして、しばらくして看護婦は大きなタオルに包まれた今さっき生まれたばかりの子供を連れてきた。さすがに『赤ちゃん』と言うだけあって、赤い。しかも真っ赤だ。それにしてもこんなに赤ん坊は赤かっただろうか。そんなくだらない事を、ふと考える。
 「抱いてみます?」
大事そうに我が子を抱く看護婦が言う。丁重に断った。生まれたての子供を抱くほど怖いものはない。相変わらず引きつっている自分の姿に口角を緩めた看護婦が手術室に案内してくれた。グッタリと手術台の上に横たわる妻。それこそ10ヶ月という長距離を走り終えたばかりのランナーの様。自分の存在に気付くと、開口一番、妻が言った。
 「もう、出ちゃった。」
なんか可笑しかった。出産予定日はまだ1週間も先。そして陣痛が来たのがほんの数時間前。手術室に入ったのはそれこそ1時間前の事。経産婦だから早いとは聞かされていたものの、ここまで一気に事が進むとは思ってもみなかった。まるでノンビリと列の後ろを走ってきたランナーが、競技場に入った途端、全力疾走でゴボウ抜きという印象。これを笑わずにはいられるだろうか。
 「・・・1日生まれだな。」
 「・・・1日生まれだね。」
思わずそんな言葉が出る。先生に頼んで4月2日生まれって事にしてもらえないだろうか。冗談とも思えない言葉が、口からこぼれる。妻が笑う。釣られて自分も笑った。幸せな空気が手術室に漂う。しかし余りにもあっけない出産に、一人目の子供の時のような感動というか、センチメンタルな思いを感じる暇はなかった。どちらかと言うと、「お疲れ様」っていう感じだ。二人目の時はこんなもんなんだろうか。子供の誕生はもっとこう、感動的なもんではなかったのか。ふと、自分が冷たい人間になったような気がして、軽い自己嫌悪に陥る。でも、無事に生まれてきたのだ。良かった。とりあえず、そう思ったのは嘘ではない。しかし、なんか、こう、上手く表現できないのだが、何かが違う気がして仕方なかった。果たしてその『何か』とは一体なんなんだろうか。「真っ青な空にポツンと浮かんだ小さな、本当に小さな黒い雲」・・・。そんな表現がもしかしたら今の自分に適切なのかもしれない。
 無事、我が家の次女として生まれてきた新しい命。新しい生命の息吹きと共に西暦2001年の4月は始動した。そしてそれは、これから始まる闘いのPRELUDEに過ぎないのかもしれない。

2001/4/1



〜THE END〜





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