娘が生まれた日のこと



 1997(平成9)年11月9日、日曜日。天気、晴れ。昨日から妻に少しの変化が見られる。今までとは少々違う種類の痛みが、しかも定期的に見られ始めた。公休後の出勤初日で、しかも業務スケジュールがしんどかったのだが、それよりも妻のことを優先し、仕事を休むことにした。2月か3月に妊娠が判って、今月の14日が出産予定日なので、陣痛ということも考えられたのだが、先日の検査で、まだ子宮口が1cm程度しか開いていない(といっても先生が無理やり開いたのだが・・・)ので、まだ少し早いのにな、という感じではあったものの、仕事の休みのローテーションから考えると、働いている最中に産気づくような気がしたので、入院させることに決めた。先日の検査の時に、入院するか、しないかの選択肢を先生に問われていたので、そんなに早い訳ではないような気もしていた。
 ということで、入院の準備は以前からしてあったので、妻は入浴を済ませ、比較的のんびりと産院に向かった。かかりつけの産婦人科に着くと、入院することを知っていた父と母が気の早いことに先に着いていて、「遅い」との叱責にあったが、構わずに10ヵ月目にして初めて産院の中に入る。日曜日の、しかも夕刻ということで、診察のほうもやっておらず、面会の人の為だけに開いている院内に入ると、電話を入れておいたので、すぐに妻は診察室に入っていった。子宮口1.5cm。10cmで全開ということで殆ど開いていない。だが痛みはかなりのものらしく、10分置きぐらいに苦しんでいる。「陣痛の間隔からいくと、もしかしたら今晩中から明日の朝方に生まれるかもしれない・・」という先生の説明に少したじろぐ。予定日が4日後というのもあったし、その子宮口がまだまだというのがあって、とにかく実感が無かった。とりあえず病室(病気じゃないので病室というのも変だが・・)の26号室に入る。廊下の一番奥、新生児室のすぐ隣の部屋に入る。なんとも言えない匂い・・。そして目の前の生まれたばかりの子供たちを見て、平常心ではいられなくなり、妙に落ち着かない。そうこうしているうちに先程浣腸をしたばかりだというのに夕食を取ることになり、陣痛の隙間をみて食べると、後はする事が無い。陣痛の時はかなり痛そうなのだが、その間は意外とケロッとしていて、ふざけているのかとも思うが、でもやっぱり痛そうだ。20時頃、職場の先輩から携帯に電話があり、その後奥さんと見舞いに来てくれた。こういう時に話し相手は必要と、切に感じた。
 面会時間が21時ということなので、一旦、家に戻ることにする。適当に一人淋しくコンビニ弁当の夕食を済ませた22時頃、妻から電話がある。子宮口が5cmくらい開いてきて痛みもだいぶきついらしい。急に自分の中に緊張が走る。頭の中でドーッと音がする。もしかしたら夜中に生まれるかもしれない、との事。何か変化があったら、出来るのであれば自分で、出来なければ看護婦さんに頼んででも電話するように、と告げて電話を切る。いてもたってもいられなくなり、とにかく落ち着かない。少し寝ておいたほうがいいかなと思って寝る準備をし始めた23時30分頃、突然の電話のベル。ドキッとする。出ると妻から。子宮口8p。出産予定午前3時頃。まだ今すぐではないのだが陣痛がひどいので来てさすって欲しい、との事。わがままな頼みだが、普段そんな頼みはしない女なので、かえって真実味があり、すぐに家を出る準備をする。すぐに車に飛び乗り、産院に向かう。自然と武者震いが起きる。もうすぐ我が子が生まれるのだという現実が、まだピンとこない。「11月10日生まれ。」と何度も頭の中に浮かぶ。そして今まで聞いたことのある、嫌なことも頭に浮かび、慌ててそれを否定する。とにかく母子ともども無事であって欲しい、とまだ生まれてもいないのに気ばかり焦る。ハンドルを握る手が自然と汗ばみ、アクセルを踏む右足が今ひとついう事を利かないままに、日にちが11月9日から10日に変わる5分前、産院に着く。辺りはあまりにも静かで吸い込まれそうな錯覚を感じた。
 部屋に入ると、妻はベッドの上で横を向いて苦しんでいる。「今日入院させて正解だった・・」と、ふと思う。先までとはうってかわったような緊迫感。陣痛の痛みを見せつけられた思いで、何か息苦しい気分になる。今までに見たことのない痛がり方が、出産の時期が近いことを雄弁に物語る。ただ腰の辺りをさすることしか出来ずに、じっと見つめているのみ。この寒さの中、妻は額に汗を浮かべながらその痛みに耐えている。いつかドラマで見たような陳腐な言葉をかける自分に空々しさを感じながらも、結局「がんばれ、がんばれ。」としか言えない自分。男の無力さを痛感せずにはいられなかった。陣痛の間隔は3分近くまで狭まっている。もうほぼ間違いなく数時間後に生まれてくる我が子が母親を苦しめる。「あまり苦しめないでくれ。」と思いながらも、この子もきっと苦しいに違いないと思う。父親だけ何もしない、何も出来ない・・。こういう時父親というものは、何をすればいいのか、何が出来るのだろうか・・。


 辛い時間が短針一つ分過ぎた頃、助産婦さんが分娩室に移動することを伝えてきた。2階の部屋から階段を下る。時々襲い掛かる陣痛に立ち止まって耐えながら、やっとこ分娩室に入ると、外で待っていようとした自分を、あまりにも当たり前のように立ち会うようにと助産婦さんが呼び止めた。何か言いたくても声には出せない雰囲気。妻の右横に立っているようにと指示された。初めて見る本物の分娩室。消毒液のツンとくる匂いに背筋が伸びる。痛みに泣き叫ぶ妻の横で、助産婦さんは今まで何度もそうしてきたように、淡々と出産の準備を整えていく。そのうち、今起きました、と言わんばかりの先生が登場、初めて対面する。初老というにはまだ若い先生だったが、助産婦のお婆さんに容赦なく指示を出す。今ひとつ要領を得ない助産婦さんに少し不安と怒りを感じながらも、時間だけがただ、何事もなく過ぎていった。生まれるのは、あと2時間後くらいの午前3時頃との言葉に、妻はこの痛みがまだそんなに続くのかと愕然としていた。何とかもう少し早くならないものかと思う。どうしてもいきみたがる妻に、先生は特に止めない。「そんなものなのか・・」と思いながら、なんとなく下半身に目が行き、動かすことが出来ない。やがて少し緑っぽい濁った羊水が見えてくる。先生が言うには本来の色とは少し違うらしいが、特に問題はないらしい。出血も多いように思える。僅かながら不安を感じつつも先生の手は動きつづける。その時はその手の力を信用するしかなかった。
 妻の辛く重いいきみの声が大きくなり、そして痛みが最大に達したかに見えた午前1時20分、あまりにも突然に、本当にあっけないほど突然に、我が子は先生の手の上に現れた。本当に「ポンッ!」という擬音がふさわしい位に突然だった。あまりの唐突さに我を忘れた。吸引器で口の中や鼻の中を洗浄される、あまりにも小さいその我が子を見て、あまりにも辛い仕事を終え、呆然としている妻を見て、グッとこみ上げてくるものを感じずにはいられなかった。ギュッとこぶしを握り、10ヵ月という長い時間、妻のお腹の中でじっとこの日を待ち続けていた小さい体。子宮という密室の中から急に解放され動揺しているかのようにぎこちなく動く我が子に、なにか今までに感じたことのない感情が沸き起こり、少しだけ涙腺が緩んでしまった。生まれた赤ん坊は泣くものだと思っていたが、我が子はちょっとグズッたが、すぐに泣き止む。静かな分娩室。先生の器具を扱う金属音だけがやけに響き渡る。妻は先生が我が子を見せた時にふと、我に帰り、涙ぐんでいた。体重、2394g。ほぼ予定通りだが、かなり小さい。ちゃんと10ヵ月たって生まれた2500g以下の子を、未熟児とは言わず、「低体重児」と言うのだそうだ。おかげで出産が楽だったらしい。指の数を数える。ちゃんと5本ずつある。よかった。心からそう思う。臍の緒で繋がっていた命の帯を妻から切りはずし、我が子はついに母体から独立した。ついに一人の新しい命がこの世に生を享け、血の繋がった家族が誕生したのだ。これからの長い、そしてあまりにも重い責任と、後には戻れないという決断を叩きつけられ、妙に口数は少なくなるのだが、それ以上の喜びと満足感で、体の中に新しい気持ちが満ち始める。今までに感じたことのない新しい気持ち。階段を一歩、昇った気がした。
 助産婦さんは我が子を新生児室に移す準備に追われ、先生は産後の治療をテキパキとこなした後、なにやら書類を書きに部屋を出て行き、分娩室に妻と二人、取り残される。とにかく色々な事が頭に巡り、なんて声を掛けていいか解らない。ただ、しかし、顔は綻ばないはずはなかった。妻はあと2時間近くこの分娩室のベッドの上で安静にしていなければならないらしい。暫くそこにつき合っていたが、ふと、新鮮な空気を吸いたくなり、なるべくそっと表に出た。コツコツと廊下を歩く自分の足音だけが響く。
 外は当然真夜中で真っ暗な空は、これから始まる長い一週間を耐え抜くためのパワーをひっそりと秘め、隠し持っているようだった。吐く息はいつの間にか白く、冬の本格的な到来を物語っている。夜空に月がボーッと光り、薄雲の隙間に星が瞬く。何万年もかけて地球に訪れる星の光。今、生まれたばかりの儚い命。畏怖の念と畏敬の念に、軽い立ちくらみにも似た気分に襲われる。誰かにこの想いを伝えたくて、真夜中、しかももう明け方近い時間にもかかわらず、携帯で実家に電話を入れる。数回のコールの後、受話器の向こうに現れたのは、意外にも弟だった。きっとあいつもこんな時間の電話に何かを感じ取って慌てて受話器を取ったに違いない。母親に代わり、自分の感情を悟られないように努めて冷静に、あくまでも事務的に、我が子の、彼女にとって初孫の誕生を告げる。ふと両親が健在のうちに孫の顔を見せる事が出来た事に、ほんの少しだけ肩の荷が下りた気がした。数分の会話の後、煙草に火をつける。気がつくと清潔な病院にいたにも関わらず、相当量の煙草を消費していたことを知る。吸い込む紫の煙が少し腔内に滲み、数回すった後、すぐ捨てる。そしてまた、火をつける。どうやらまだ、気が静まらないで幾分動転しているらしい。自己嫌悪に掻き立てられながらも、その辺をフラフラとふらつきながら吸い終え、また分娩室に戻った。喫煙の痕を感じさせないように出来るだけ深呼吸して、煙草の煙を肺から吐き出し、妻の顔を覗き込むと、出産後に縫った部分の麻酔が切れ、だいぶ痛むらしい。産む時に苦しみ、産んでからも苦しむ女の辛さは、まさに気の毒ではあるが、こればかりは共有できるものでもなく、誤魔化すために、ただひたすらおちゃらけて過ごす。午前4時前、分娩室から自室にゆっくりと、本当にゆっくりと戻る。時々妻は立ち眩みみたいな症状を訴えたのだが、何とか部屋に辿り着く部屋に入る前に助産婦さんに頼んで、保育器の中でスヤスヤ眠る、生まれたてほやほやの我が子を見せてもらう。自然とまた、指の数を数えている自分に苦笑い。ちゃんと5本ずつある。小さい爪もついている。一種の芸術作品を見ている気持ちになる。時々何かに反射するかのように、ビクッと動いてはまた静かに眠るわが娘は、生まれたての赤子のイメージとはまるで違い、肌はスベスベでほんの数時間前まで妻のお腹の中に10ヵ月もいたとは思えないほど。つい、周りにいるほかの子供達と比べてしまう。我が子以外に2人既にいたが、我が子が一番可愛い。これを親バカと言うのだろう。やがて新生児室のカーテンは閉まり、再び妻と二人きり。痛みはまだ、当分治まりそうもないが、なぜか不安な気持ちは起こってこない。全てが万事順調、順風満帆、Everything O.K! そんな感じ。安心、安堵。そしてふと、夜明けの風景が見たくなる。今は午前4時過ぎ。夜明けまであと1時間ちょい。それじゃあ、と言いたいところだったが、吸う息よりも吐く息のほうが多い、そんな疲労感を感じずにはいられず、少しでいいから睡眠を取りたいという気分の方が勝ってしまい、ベッドの脇の備え付けの椅子に座り込む。前日、目を覚ましてから間もなく24時間が経とうとしていた。考えてみれば妻の方もこの2、3日殆ど熟睡していないはず。どちらとも言う訳ではなく、部屋の明かりを落とし、これから始まる新しい闘いに備えて、と言うのは大袈裟だが、ほんの僅かばかりの睡眠を取るために目を閉じ、時々聞こえる小さな泣き声を耳にしながら、眠りについた・・・。








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