ちっと毒舌気味に


普通車担当。
めっきり夜間教習の埋まりが悪くなってきた模様。
上のモンは幾らかの危機感を感じているのが伺えマス。
隣接のライバル校が折込チラシを入れたことに対して、自校の立場を肯定するかのよーな話を朝礼で。
5年後、10年後という長期的なスタンスも大事だが、それよりも最近の予約の空きの方が問題は切実だと思うのですが。
あまり目先のことに気を取られるのもどーかとも思うけど。
まぁ、間違いなく言えることは、少ないパイの奪い合いだけに専心していたら、
この業界、確実にお先真っ暗だっつーことデス。



リンク先のSiteの更にリンク先を見てみた。
とあるSiteで、ドイツの教習制度が載っていた。
なんでも、ドイツの免許制度は一生のうちに3回しか受験が出来ないのだと。
おぉ、そいつは凄い。
検定に3回不合格になっちゃった。
もうそれでそのヒトは、ドイツでは免許を一生取ることが出来ないのデスヨ。
国際免許っつー逃げ道もありそーな気はするけど。
凄いデスネ。
これって。
2回受験に失敗したヒトには、それこそ背中に悲壮感すら漂ってるに違いないデス。

「これを逃したら、オレは電車通勤確定だぁぁぁ!」

っつー感じでしょーか。

しかし。
免許の性質を考えると実に理に適った制度に思えなくもないのデスヨ。
ニホンでそれを実施しよーと思えば、国会でギャーギャー騒ぎ立てるだけのセンセイ方に阻止されるでしょーけど。
「全てのヒトは平等であるべき!」
「全てのヒトが車に乗る権利があるのだ!」
支援者やバックボーンのヒト達にいい顔したいセンセイ方は、きっとそー言うに違いないデス。

ただ、「免許は誰でも取れるもの」っつー認識は、ボチボチ改めなくちゃいけない時期だと思うのデスヨ。
ニホンの大学は入口は狭いが、出口は広々。
アメリカの大学は逆に入口は割とユルユルだが、出口はガチンガチン。
教習所っつー施設も本来はこうあるべきだと思うのデスヨ。
死ぬ気で勉強すれば、絶対に1回で受かるはずの効果測定や本免試験。
大してやる気もなく、そして覚える気すらなく、
受けなければ先に進めないからと、一夜漬けでなんとなく覚えたものの、
当然、受かるはずもない。
本来だったら恥ずべきことに違いないのに、ヘラヘラ笑ってるだけ。
あろうことか、受験回数を他人に自慢してるスットコドッコイまでいる始末。
そんな5回も10回も受けてやっと合格したニンゲンが、果たして法規履行出来るのだろーか。
技能検定を何回も何回も受けてやっとこ合格できたニンゲンが、果たして安全に運転できるのだろーか。
勿論、最初から全てをパーフェクトに出来るニンゲンなんていないし、
わし自身も今現在、パーフェクトな運転だって言い切ることは出来ないけど。
でも、少年法みたいに、「更正の可能性にある」なんて悠長なこと言ってられないと思うんだけどネ。
最近教習をしていると、なんつーのか、運転に対する緊迫感っつーものが足りなさ過ぎっつー感じなのデスヨ。
全ての生徒が、とは言わないデス。
全ての生徒とは。
でも、ごく一部の生徒っつーわけでもないんですネ。
これが。

「あと○回落ちたら、免許は取れないんだ!」

そーいうシステムだったりしたら、もちっと悲壮感すら漂わせながら一生懸命努力すると思うんだけど。


教習は免許を手に入れるまでの我慢の時間。
待ってればいずれは免許は手に入る。
うざいオッサン達の言葉を我慢さえしていればいいだけ。
あと、3時限。
あと、2時限。
もうちょっと。
もうちょっと。
我慢。我慢だ!
教習所は我慢大会ダー!


まぁ、いいでしょ。
それでも。
そーいう側面があるのは否定しないデス。
ただ。
ただね、
光溢れる可能性を背負ったコドモの命を一瞬にして奪ってみたりとか、
もう少しで寿命をナニゴトもなく無事終えられそうだった老人の命を縮めてみたりとか、
そーいうのだけは避けて欲しいものデス。
そーいう可能性の芽だけは摘み取っちゃいたいのデス。



とりあえずわしの考え。
とりあえずね。
試験に何回落ちたら免許が取れないっつー話は保留だとしても、
確信犯的な道交法違反でヒトをあやめてしまったモノが、
欠格期間終了後に免許を再取得出来るっつーシステムにだけは反対
デス。
たぶん、皆そー思ってると思うんだけどネ。




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