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2006年 3月某日 なぜクラッシック?
オラ!
コモエスタ ウステ?(メキシコに敬意を表しつつ)
面白かったですネ。
ワールドベースボールクラッシック。
アラカワさんの影に隠れ、ひっそりと始まってひっそり終わるかと思いきや、
最後は瞬間最大視聴率56%っつーなんともスゴイ結末になっちゃうとは。
「ビバ、勝てば官軍!」って奴デス。
ココでわしがいまさら開催国に偏重したイベントの問題点をあげるまでもないんでしょーけど、
とにかく野球発祥の国を差し置いて「第1回大会優勝」っつー金字塔を掲げるコトができたのは、
感動っつーより痛快この上nothing。
それにしてもこーいう国際大会を見ていると、
それぞれの国の民度っつーのがわかりますよネ。
結果的にはニホンを準決勝に導いてくれたメキシコ。
史上最強のアマチュア軍団キューバ。
それぞれの国を応援する国民は、自分達を打ち負かしたニホンに一言物申したいに違いないのに、
発言する内容の、実に紳士的なコト。
それに対して、対決となると怨念すら感じさせるくらい牙をむく、
どこかの国の国民はもう…。
まぁ、当然逆の内容や意見を吐いてるヒト達もいたり、
それを編集の段階でカットしているのかもしれないのでしょーけどネ。
やんわりとしたナショナリズムに身を委ねるのも、
なんだかたまにはいい気がします。
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2006年 3月某日 3原則。
1段階も半ば、
ボチボチ生徒様も緊張が解けてくる段階ではありますが、
まだまだ油断をしてはいけません。
わしが担当するのはMさん(18歳・♀)、
間もなく高校の卒業式っつー花も恥じらう乙女さんデス。
初々しい表情を浮かべ、夢と希望に満ちた将来に幸アレっつー感じの生徒様なんですが、
今日の履修項目は20番の「踏切」ですヨ。
さ、いつもの質問、ぶつけてみましょ。
「Mさん、踏切を通過する際の3原則は知ってますか?」
「ハイ。」
「なんでしょ?」
「停まる、」
「うん。」
「見る、」
「そうそう。」
「えーっとぉ・・・、」
「うん。」
「んーっとぉ・・・、」
「うん。」
「黙る。」
「うん、そうですネっておい。」
スイマセン。
ノリツッコミは苦手なんデス。
ま、間違いじゃないからいっか。
で、しばらくしてポツリと。
「じゃあ、しぼる?(小声で)」
・・・・・。(牛じゃあるまいし)
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2006年 3月某日 衒いもなく。
ギャルですヨ。
ギャル。
わしの担当車両の前に立っている生徒様は。
オマケに高速教習のよーですヨ。
うー、なんかイヤな予感が。
道中、渋滞にはまり、ただ黙っているのもなんなんで、
ふと、聞いてみたんデス。
「高速道路のインターチェンジ付近によくある施設ってなんだと思います?」
ガソリンスタンドとかドライブインなんて答えを期待しつつ、
あわよくば、そこからビミョーに話を膨らませよーとしたわしの思惑に対して、
「何を突然言い出すんだコイツは」みたいな顔しながらも、
化粧で塗りつぶした顔に思案を浮かばせ、しばし考察。
そして思考が彼女の頭の中でまとまったのか、
いつになくハッキリとした口調で、
それでいて疑問形で言い放つ彼女。
「ラブホ?」
ヽ(´ー`)ノ
「…まぁ、よくあるよネ、その手の建物。」
で、会話終了!
話、膨らませません!
お疲れ様!
わし!
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2006年 3月某日 ポール。
お隣、中国国籍の生徒様(♀)、
ある程度はニホン語を話せ、多少は理解できているよーなのですが、
ここぞっつー場面では正確に意思疎通ができていないよーで、
異文化コミュニケーションの難しさを感じる場面がしばしばあるのですが、
当校、武闘派指導員としてならすS指導員が担当した時のコト。
1段階項目7番、「目標に合わせた停止」、
ポールの立った停止位置めがけて停める練習をしていた時、
S指導員が指示を出しました。
「あのポールの所にクルマを停めてくださいね。」
「ぽーる? ぽーるッテナニ?」
「ほら、あそこに立っている棒のことですよ。」
「棒? 棒ッテイッタイナニ?」
「ほら、あそこに立っている奴ですよ。」
「アァ、アノぽーるネ。ワカタヨ。」
「・・・・・。(ポール、わかってるし)」
それでも、全然見当違いのポールに停まるのは、
中国4千年のご愛敬。
彼女達の「わかったわかった」は、あまりあてにならないよーで、
ニホン人が英語圏のヒトに対して何か話し掛けられると「OK! OK!」って言うのと、
きっと同じなんでしょーネ。
とりあえず、
「言っておけ」
みたいな感じで。
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2006年 3月某日 もっと速く。
いつも使ってる電器屋のポイントカードの期限が、
間もなく切れるっつーコトで、
特に何かを買うわけでもなく、いざ電器屋へ。
使えるポイントは1万円分弱。
さぁ、何をいただいちゃいましょ。
で、いただいちゃいました。
ブロードバンドルータ!
BUFFALO BBR-4HG
「最大98.7Mbps(SmartBits2000測定値)の高速スループットで、
快適なBroadBand環境を実現。スピード重視のハイエンドモデル」
だそーですヨ。
で、そのハイエンドモデルが5000円ちょい!
ココにまで価格破壊の波が押し寄せていたのですネ!
今回手に入れたモノはコレで3台目のルータなのですが、
わしが今まで使っていたルータは全てBUFFALOの有線モノ。
1台目のBLR-TX4が1万5千円くらいで、2台目のBLR3-TX4が1万弱。
知らないうちにこんなに値段がこなれちゃってたんですネ。
オマケに寸法もやたらと小さくなっちゃってるし。
で、家に戻り早速セットアップ。
計測サイトで測定開始。
【ルータ交換前】
ブロードバンドスピードテスト 通信速度測定結果
http://www.bspeedtest.jp/ v2.4.0
測定時刻 2006/02/** **:**:**
回線種類/線路長/OS 光ファイバ/-/Windows XP
キャリア/ISP/地域 Bフレッツ ハイパーファミリー/biglobe/千葉県
サーバ1[S] 54.3Mbps
サーバ2[N] 54.0Mbps
下り受信速度: 54Mbps(54.3Mbps,6.8MByte/s)
上り送信速度: 67Mbps(67.1Mbps,8.4MByte/s)
【ルータ交換後】
ブロードバンドスピードテスト 通信速度測定結果
http://www.bspeedtest.jp/ v2.4.0
測定時刻 2006/02/** **:**:**
回線種類/線路長/OS 光ファイバ/-/Windows XP
キャリア/ISP/地域 Bフレッツ ハイパーファミリー/biglobe/千葉県
サーバ1[S] 81.1Mbps
サーバ2[N] 91.8Mbps
下り受信速度: 92Mbps(91.8Mbps,11MByte/s)
上り送信速度: 77Mbps(76.9Mbps,9.6MByte/s)
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速っ!
「Bフレッツ ハイパーファミリーの下り平均通信速度は32Mbpsなのでかなり速い方です!
おめでとうございます。(下位から95-100%tile)
80Mbps以上出ており、超高速です。心よりお祝い申し上げます。」
こんなコメントまでいただいちゃいましたヨ!
価格破壊もスゴイですが、技術革新もスゴイですネ。
以前購入したルータだって、たかが数年前のモノ。
当時としては速い方だったはず。
それが安くなって速くなって、もう万歳!
と思いきや。
ルータの設定をちびっと弄って、セキュリティを高くしたら、
以前とさほど変わってないコトが判明。
ちぇ。
それでも以前より10Mbps程度は速くなったから良しとしましょ。
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2006年 3月某日 5W1H.
学科教室の後ろの方に、
なぜかほ乳類のう○こがコロリと。
午前中、
指導員室では、いつ、誰が、なぜ、どーやって、どーしてと、ケンケンガクガク。
その推理にみんな夢中でした。
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2006年 3月某日 恐いらしい。
教習も1日無事終了し、
あとは最後の時限に教習を受けた生徒様を最寄り駅まで送迎するのみ。
「今日1日疲れたなぁー。できれば帰りたいなぁー。」
なんてココロの中で思ってはみるものの、わしが担当するバスの中に蠢く影が。
うむ。
仕方nothing。
キッチリと送り届けましょ。 帰りたいけど。
そー意気込んでバスの運転席に乗り込むと、オトコノコが1人。
暗くてよく見えなかったのですが、
車中、ルームミラーを見ると、その生徒様の頭がチラリと見えたのデス。
ド金髪でやけに身長も態度もデカい、
とってもラブリーな表情をした、いかんともし難いほどガラの悪い生徒様の頭が。
オマケに わしの真後ろに着席してるし。
20数人乗りのバスですヨ。
しかも乗っているのはアナタだけですヨ。
オトコ同士ですヨ。
ほら、
遙か昭和の昔から、ガラの悪いヒトは一番最後尾の乗るっつー暗黙の了解があったじゃない?
前に座るのは学級委員長とか、エチケット袋を片時も離せないヒトとか、
「オイちょっとコンビニ行って昼飯買ってこい」
と紙に手書きのインチキ紙幣を渡されて、
「オツリはちゃんと返せよ」
と言われちゃうよーなヒトが座る場所だったじゃない?
ただただクルマが吐き出すノイズ以外に聞こえる音もなく、
発進と停止を繰り返すバス。
終始無言。
静まりかえった車内。
なぜか、やけに数十p後ろに座っている生徒様の鼻息が耳につく。
そして何回目かの赤信号での停止時、
カレの方から均衡を打ち破ってきたのデス。
「…センセって、顔恐いですよネ?」
「へ?」
あまりにも突然な台詞だったもんで、
「キミには言われたくないですヨ」
と言い返すコトができませんでした。
なんだかやけに殺伐とし、おっかない時代だけに、
ハンコを押してもらえなかった生徒様に逆恨みされて、
背後から刃物でブスリっつー事件が頭によぎっちゃったりしてたのですが、
よくよく考えてみたら担当したコトのない生徒様でした。
でも、駅でカレを降ろした帰り道、
なんだかやけに、ひとり悲憤慷慨。
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2006年 3月某日 あーあ。
そんな記事を、
なにも 2つ一緒に並べなくても。
まぁ、そこそこニュースバリューがあるっつーコトなんでしょーネ。
お互い気をつけたいものデス。
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2006年 3月某日 OVER.
わし、ARBというニホンのバンドが好きデス。
1978年にデビューした、今となってはベテラン部類に入るいかしたビートバンドって奴デス。
わしにもあった中学生っつー青臭くも多感な時期、
そんな時期に出会い、自分と重ね合わせ、共感してみたり、煽られたりしながら20年以上も聞いてきたバンド。
他のアーティストにも触手を伸ばしたコトもあったりはしたのですが、
それでもARB以上に熱を上げたバンドはありませんでした。
そんなARBのオフィシャルサイトをなんの気なしに覗いてみたんデス。
うむ。
相変わらずシブイなぁ。
あれ?
いつもと雰囲気違くないですか?
リニュったのかな?
・・・・・・・!?
エ?
カツドウテイシ?
・・・オシマイ?・・・ってコト?
・・・・・・・・・・。
必ずモノゴトには始まりがあれば終わりがあるわけで、
いつか、ホントに漠然といつか、終わりが来るとは思っていたけど、
いつも一緒でとか、いつも傍らにとか、そーいう溺愛の仕方だったわけではないけど、
しょっちゅうLIVEに行ったり、関連記事が載っている雑誌を買い集めていたりしたわけではないけど、
なにかこう、ポッカリ胸の中に隙間が出来たよーな、そんな物悲しい気持ちデス。
彼らが紡ぎ出す音楽や歌詞に憧れ鼓舞され癒され慰められ、
そしてそのスタンスや生き方をリスペクトし続けてきたわけで。
将来は変えるコトができても、過去は変えるコトは不可能。
過去の記憶に残っている場面の傍らに、まるでBGMのよーに貼り付いているARBの音楽。
その記憶が無くならない限り、わしの中ではそのARBが送り出してきた作品が廃れるコトはないわけで。
ARBというバンドは存在しなくなるけれど、
彼らが残してくれた音楽は、これからもわしの部屋やクルマの中で満たされるコトと思いマス。
昔のアルバム、弔いみたいな気持ちで引っ張り出して聞いてマス。
今の今の今が 通り過ぎてく
昔 胸踊らせた 地図も破れてゆく
揺れる 1985 過去は過去のモノ
手をのばしてみる 夜明けに
アフター1945 俺達は生まれ
狭い街角で 出会った
"AFTER '45" / 石橋凌
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2006年 3月某日 Nだけどネ。
課題を無事通過し、法規走行も無難にこなし、なんとか発着点に到着、
エンジンを停止しよーとしたとある生徒様、
ふとのたまう。
「チェンジレバーをナチュラルにするんですか?」
エンジン停止時はナチュラルじゃなくて、
指導員に言われなくても自然とリバースにして欲しいものデス。
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