またたき☆アイドル

 

序、雨の中

 

雨の中、歩く。

酷い。でも、もうどうでも良いというのが、事実だった。抵抗できる事では無いし、誰も助けてなどくれはしないのだから。服は濡れるに任せている。傘なんてもっていない。最初から頼る人だっていない。

お金は、全部両親のもの。

その両親だって、今どこで何をしているやら。

ネオンがぎらぎらまたたく街の中。

もう、どこに行って良いかも分からず、歩く。

誰かにぶつかった。

「馬鹿野郎、気をつけろ!」

怒鳴り散らしながら歩いて行くのは、したたかに酔っ払ったおじさんだ。叫びながら、わたしには目もくれていない。

躓いて。

転んだ先にあったのは、ゴミの山。

顔から突っ込んで、そしてゴミまみれになって。

酷い臭いに包まれながらも。

わたしは、何だか今の自分に相応しいなと思った。

必死に動いて、立ち上がろうとするけれど。もう、そんな事をする力も、残っていなかった。

繁華街のゴミ塗れになって、ようやく地面に転がるのが精一杯。

雨が降る中、空を見上げる。

ネオンが瞬くなか。わたしの汚れた視界に入ってくるのは、ただのゴミまみれの、腐りきった空だけだった。

体が冷えていくのが分かる。

誰も声なんて掛けてこない。

分かっている。

散々助けてと、周囲に訴えてきたのに。誰も彼もが、口を揃えてこういったのだから。有名税なのだから、仕方が無いだろうと。

中学生になったばかりのわたしに。

周りは、お前は芸能人で、プロなんだから、自覚を持てと言って。そして、あらゆるこの世の悪徳を押しつけた。

見た事もないおじさんの股間に顔を埋めることも。

ドラッグやらが平然と使われる乱交パーティに出ることも。

違法なアダルトビデオ、いわゆる裏ビデオに出る事だって、やらされた。

プロだから、自覚を持たなければならない。

有名税。

頭の中で、ぐわんぐわんと、その二つの言葉が反響する。

助けて。

多くの人に、そう言ったけれど。誰もが、嘲笑しながら、答えるのだった。自力で、どうにかしないのが悪いと。

今も、誰かがささやいている。

お前はもうプロなんだから、自分の足で立ち上がれ。

それは甘えだ。

そうか、そうなのだろう。

ならば、もう体が冷え切って、死んでしまうのが一番良い。もう甘えとも言われないし。有名税だとも言われない。

地獄に落ちたい。

其処の方が、此処より。ずっとずっと、ましなはずだから。

瞬いているのは、ネオンだけ。

空はどす黒く曇っていて。雨だけが、わたしの体に降り注ぎ続けていた。

 

気がつく。

病院の天井だ。

どうやら、死ぬ事さえ出来なかったらしい。ただし、体がもうまともに動かない事も、わたしは悟った。

目の前に、手をかざされる。

反応は、ゆっくり。大変に鈍く。自分でも驚くほどにゆっくりとしていた。

「覚醒はしましたが、意識レベルが低いですね」

何か、喋っているのが聞こえる。

身元が分からないとか。

繁華街を巡回していた、地元の自警団が見つけたとか。脇腹に酷い痛みがある。何だろう。

「肋骨が折れているのは?」

「浮浪者か何かが、邪魔だと言って蹴ったんだそうですよ。 まあ、繁華街のことですからね」

「酷いな」

そうか、わたし、蹴られたのか。

そのくらいは、日常茶飯事。

だから何とも思わない。

「覚醒剤の反応も出ています」

「まだ中学生くらいだろう。 シンナーじゃなくてシャブかよ」

「今時は珍しくもありませんよ」

「繁華街で、シャブ中のままふらついて、そのまま雨に濡れて凍死しかけるか。 一体親は何をしているんだか」

その覚醒剤は。

撮影の時に。うたれたものです。

答えようとして、出来ない。

違法な裏ビデオの撮影の時には、時々されるのだ。最初わたしが、悲鳴を上げて逃げようとしてから。それ以降は。

今回も、口には出来ないほど、酷い事をされるとしって。

わたしが青ざめるのを見て、監督の人が、シャブを打てと何ら顔色を変えずに言った。それくらい、プロなら当然だとも。

最初の内は、そんなことはなかった。

裸で撮影されたりとか、そんなことくらいだった。

でも、裏ビデオが売れないとかなってくると。どんどん仕事の内容が酷くなっていった。

実際に性行為をさせられるようになるまで。二ヶ月もかからなかった。

「警察には連絡したか。 多分これは、意識がしっかりし次第、少年院送りだな」

「それが、そうも行かないみたいですよ」

「どういうことか」

「どうも見覚えがあると思ったらこの子、ほら、芸能人の」

芸能人。

少しずつ、意識が強く戻ってくる。

でも、身動きは出来ない。きっと、脳がやられてしまっているのだろう。あの雨の中で。きっと心身に、想像以上のダメージが行っていたに違いない。

「ああ、天宮ひかる!」

「テレビから消えたかと思ったら、シャブ中で繁華街で見つかるなんて。 ちょっとこれ、早めに警察に処置して貰いましょう。 芸能事務所とか、ヤバイでしょ。 彼奴ら場所によってはヤクザとかともつるんでますし、何より物理的証拠が色々と危険すぎます」

「そう、だな。 乗り込んでこられると面倒だ」

きっと話しているのは、お医者さんと看護師さん。

そうだ、思い出した。

医者には行くなって言われていた。

多分、撮影でされている事が分かるからだろう。見えない所には、痣が出来るような暴力だって散々受けているし。

何より、いろんなクスリだって打たれた。

売れなくなってからは、悲惨だった。

最初の頃はちやほやされた。天使のようなとか言われて。チャイドルの中でも、特に有名だった。

学校でも、みんな優しくしてくれた。

お父さんもお母さんも、優しくしてくれたことなんて、一度もなかったのに。

だから、天国みたいで。

それにわたしみたいなのが、テレビに出られて。お金を稼げるから、それで良かった。きっと、お父さんもお母さんも、生活が楽になると思ったから。

でも、小学校の高学年になってくると。

お父さんが、ギャンブル狂いで、借金漬けで。

お母さんが、ホストに通っては、お金をドブに捨てていることが分かってきた。わたしがどれだけお金を稼いでも、みんなドブに捨てられていることも。

そして、売れなくなると。

後は悲惨だった。

芸能事務所に、お母さんが言ったのだ。稼げるなら、どんな仕事でもさせろと。

お父さんはその頃には、もう家にも戻ってこなかった。

何処かの海の底にでも、いるのかも知れない。

待遇は、完全に逆転。

わたしは、地獄でも此処よりマシというような、悪夢の生活に、突き落とされた。

そうだ、少しずつ思い出してくる。

もの凄く酷い裏ビデオの撮影で、クスリを打たれて。そのまま、事務所のプロデューサーに言われたのだ。

歩いて次の撮影場所に行けと。

電車代。

そんなもの、出してやると思うか。

もう中学生で、立派な足もあるだろう。七駅分くらい、だったらそれで歩け。甘えてるんじゃない。お前みたいなクズを使ってやっているだけ、有り難く思え。大人の世界の、それがルールなんだよ。

渡されているスマホの向こうで。

事務所の、名前も印象にない、熊みたいなおじさんプロデューサーが、そうがなりたてていた。わたしみたいな、芸能界からドロップアウトしたゴミクズ相手に、まとめてプロデューサーをしている人。ヤクザに顔が聞くと言うより、多分フロント企業の違法撮影を行っている事務所に出向している、本職の人だろう。

ああ、そうだった。

撮影場所へいかなくて、きっとかんかんだ。

撮影場所に行かなくちゃ。

次はスカトロだったか、輪姦だったか。

またクスリを打たれるんだろう。ああ、あれは苦しいし、できれば止めて欲しい。いろんな種類のクスリを打たれるから。何をされているかも、分からなくなる。

何より、遅れると、後で殴られる。

犯されることも。

ぼんやりと、頭の中で。絶望がぐるぐると回り続ける。少年院送り。そこでもわたしは、裏ビデオに出ろと言われるのだろうか。

それとも、裸で写真を撮られるのだろうか。裸で写真を撮られるのは、楽でいい。恥ずかしいフリをしていればいいのだから。実際に殴られもしないし、酷い事もされない。そんなくらいだったら、どれだけ楽だろう。

警察が来た。

病室で、お医者さんと何か話している。外で騒ぎ。或いは、事務所の人も、来たのかも知れない。

ぎゃあぎゃあと怒鳴る声。

何か言っているけれど。殆ど叫び声で、聞き取れない。

確保。

警察の人が叫んで。悲鳴みたいな声が上がった。

ああ、事務所の人。

捕まったのか。

困るなあ。お母さんがホスト遊びが出来なくなると、すごく機嫌が悪くなる。昔は、お母さんが知らない男の人をおうちに連れてくると、押し入れに入れって言われて。お母さんがヒイヒイ言って喜んでいるのを、膝を抱えて聞いていた。男の人が帰るまでは押し入れから出る事は許されなくて。おなかがすいて、とてもかなしい思いもした。

だから、お金が稼げなくなるのは、とても困る。

多分これで、わたしは事務所を首だろう。

困るなあ。

地獄に落ちたい。

現世はもっと酷い事を知っているから。針の山とか、血の池とか、舌を抜かれるとか。そういう地獄へ行きたい。

そっちのほうが、きっとずっとマシだから。

 

1、孤独の無音

 

警察病院に移されると、耳元でなにか言われた。

でも、それが何のことかは分からない。相変わらず体は動かない。何を言われているかは分かるけれど。それだけだ。

「この様子だと、聴取は無理でしょうね」

「いずれにしても、ほとぼりが冷めるまでは、警察病院だな。 一般の患者にも迷惑が掛かるし、危なすぎて一般病棟には入れておけん」

看護師さんとお医者さんが、何か喋っている。

警察病院というのがなんだか分からないけれど。考えて見れば、覚醒剤ってのは打ってはいけないものだ。

それがばれたのだから。警察に捕まるのは、当然のことなのだろう。自分で打った事なんて一度もないけれど。

ベットごと、運ばれて、救急車へ。

お巡りさんらしい、とてもごつい人が、一緒に乗って来た。事務所の怖いおじさんと、あまり変わらない怖さだった。

若い男の人も乗ってくるけれど。優しそうには見えない。一瞬だけ顔も見えたけれど、とても厳しそうな人だった。

多分ごつい人が、えらいのだろう。

「こんな可愛い子を、違法なビデオに出演させて、シャブ決めて。 需要があるから撮られるんだろうがよ。 あんまりだな」

「僕は前専門の部署にいましたけれど、この界隈じゃ、珍しくもありませんよ。 モグリの医者の中には、専門でそういうヤバイ患者を診るところもあるとか」

「救えねえな。 経歴見たが、まだ中一だろ。 アホな顔で笑って、学校に行ってれば、こんな事にはならねーってのに。 こんな可愛い子を骨の髄までしゃぶり尽くして、薬漬けにしてポイかよ。 芸能界ってのは地獄か」

「親はどちらも連絡が取れません。 父親に到っては、数ヶ月前から失踪しているとか」

事務所もクズなら、親も親か。

吐き捨てるお巡りさん。

でも、ちょっとおかしい。芸能界が地獄なんて、そんな生やさしいところの訳がない。

わたしだって、一応アイドルだったのだから、知っている。彼処は、地獄の鬼達だって、目を背ける場所だ。

早く死にたい。

地獄で、閻魔様に怒られていた方が、どれだけましだろう。こんな状態で、身動きも出来ないまま。少年院に入れられて、きっとそこでも酷いコトされるのだ。

今だって、中学生にもなって、おむつをさせられている。

恥ずかしくて悲しくて。

それでも身動きできない自分が、ひどく惨めだった。

やがて、救急車が止まる。

前よりも、随分と粗末な部屋に移された。周囲では怒号が飛び交っている。きっと此処は、怖い所なんだろうなと思ったけれど。

どうすることも出来ないし。

逃げようにも、身動きできなかった。

お医者さんが来る。

多分赤十字の人なのだろうけれど。厳しそうなおじさんに見えた。色々検査された後、お医者さんが、看護師さんに言っているのが聞こえた。

「親とも連絡が取れないとなると、医療費どころじゃあないな」

「それに聴取も出来ないでしょうし……」

「警察の方は証言が欲しいって言ってるんだろ? これだけ色々なクスリ打たれて脳がやられてると、そもそも喋れるようになるかさえ分からん」

そうか。目が覚めたら。いや、体が動くようになったら。

また、色々な人に、厳しく何か言われるのか。

やっぱり早く死にたい。

わたしは、そう思う。

 

時々、目が覚めて。

何も変わらない現実に気付く。

口には呼吸器がつけられて。

見えるのは天井だけ。

体も動かせない。

時々看護師の人が、床ずれを防ぐとかで、体を動かしてくれる。アイドルになった頃、おうたもダンスも練習したから、それなりに鍛えたのだけれど。今では、その鍛えたことも、全く無意味。

動けないのだから。

ぼんやりと天井を見ながら、思う。

何のために生きてきたのだろう。

頑張りが足らなかったのかな。

両親に喜んで欲しくてというのかは、漠然として分からない。とにかく稼げれば、お母さんに殴られないことは確かだった。親が連れて行ったアイドル事務所で、言われるままに質問に答えていたら、どうしてか採用されて。

それから、アイドルにされた。

最初は楽しかった。

誰も優しく何てしてくれなかったのに。テレビに出られるし、ダンスもおうたも、一杯出来た。

ダンスは練習すればするだけ上手になったし。おうただって同じ。

でも、いつ頃からか。

飽きられた。

お仕事が減り始めると、一気に待遇が悪くなるのが、肌で分かった。どんなに頑張っても、結果は同じだった。

わたしは、知らなかった。

芸能界では、おうたもダンスも、どれだけ上手でも、何の意味もない。

ファンと言われる人達は、そんなもの気にもしない。

アイドルの必須項目と言われて覚えたけれど。だれも、そんなものなんて、見てはいない。

どれだけ頑張って、他の誰よりも上手になっても。

結果は同じだった。

頑張りが足りない。

そう散々罵られて。寝る間も惜しんで頑張ったけれど。それでも、何の意味もなかった。お母さんにも、暴力を振るわれる事が、多くなっていった。もっとかせげ。そう言われて、頭からケチャップを掛けられたこともある。顔以外は、散々に殴られた。でも、幼い頃から殴られることは多かったから、何とも思わなかった。

楽しかったのは、最初だけ。

後はどれだけ頑張っても、一切報われない日々の始まり。

報われて欲しいとは思わなかった。

ただ、少しでも良くなって欲しいとは思った。

でも、結果は。

身動きさえできなくて。時々体を拭かれて。見えていても、何も出来なくて。カテーテルを体に入れられて。

そして今。

お巡りさん達が、聴取のために、わたしの回復を待っている日々。

聴取されたところで、少年院行きは確実だろう。

クスリは注射されたものです。

そう説明したって、事務所の方だってどうせ弁護士をやとっているだろうし、知っている。

ドロップアウトしたアイドルに、事務所がどんな仕打ちをするか。

わたし以外にも、いた。

違法な裏ビデオの世界に放り捨てられて、ズタズタになって、自殺した子が。その子に到っては、壊れる寸前に、あらゆる悪い情報を、事務所が流していた。その子が全部悪いと、世間に思わせるため。

それだけじゃない。

他のアイドルの子は。みんなよろこんでいた。

あいつがいなくなって、せいせいした。

アイドルというか、プロにとって。

他のアイドルは、お金を稼ぐために、じゃまな存在。だから、本当に死んで欲しいと、思うものらしい。

年かさのアイドルほど、その傾向が強かった。

わたしは、いつもぎゅっと身を縮めて。悪意しかないあの世界で。やっと、どうにか、生きてこられて。

でも、それもここまでだ。

死ぬよりつらい生殺し。

手だけでも、動かせれば。

この呼吸器を、外せるのに。

はやく、地獄に落ちたい。

そう考えていると、今日も、お医者さんが来た。

機械的に、わたしに処置をしていく。体を拭いたり、目の前で手をかざしたり。小さな懐中電灯みたいなので、目を照らしたり。

「改善の傾向、なしか」

「早く回復してくれないもんかな」

「何だか知らんが、複数の事務所が噛んでるんだろ? 裏ビデオの業者はさっさとトンズラかましてるらしいし、此奴が目を覚まさないと、どうにもならないんだがな」

ぺしぺしと、頬を叩かれる。

あまり優しそうなお医者さんでは無い。

殺して。

そう言っても、殺してくれそうにはなかった。

 

どれくらい時間が経ったのだろう。

わたしは、また病院を移された。

警察病院という所から、何だかよく分からないところへ。多分わたしの回復が、見込みがないと判断されたこと。

そして何より、ほとぼりがさめたから、というのが原因らしい。

どうでもいい。

早く死にたい。

今度の病院は、少し騒がしい。周囲で、ぎゃあぎゃあと叫ぶ声が聞こえている。お医者さんや看護師の処置も雑。時々酷く痛い思いをするけれど、別にそれくらい、なんとも思わない。

今までに感じた痛みに比べれば、何ともないからだ。

「この患者、早く死なないかなあ。 植物状態の患者生かしとくほど、病院には余裕も無いんですけどねえ」

「警察が参考人として考えてるらしいし、そういうなよ。 一応市からも金は出てるんだしな」

「どうせ起きやしませんよ。 なんで安楽死が合法じゃないんだか」

「まあそうだろうけどな。 意識があるから聞いてはいるようだけど、死人とほとんど変わらんしな」

けらけらと、耳元で笑っている声。

本当にそうだと、わたしも思う。

さっさと安楽死させて欲しい。

そうすることで地獄に行けるなら、その方がずっとマシだ。

時々体を触られているのも分かった。看護師が、医者に隠れてやっているらしい。別に何とも思わない。

その程度の事。

撮影現場では、もっと酷い事を、散々された。

今更なんとも感じない。

急に、近くで叫び声。

どたばたと激しく何かが暴れる音。引きずられていく音。

何かが暴れている。

多分、患者だろう。

医者が舌打ちしているのが分かった。また誰誰だかが、暴れている。さっさと取り押さえて連れて行け。そう、がなり立てるお医者さん。

怖いとは思わない。

むしろ巻き込まれて、死ぬ事が出来るなら、それでいい。

本当に安楽死させて貰えないものか。

もう、自分では何も出来ない現状。

ぼんやりと、そう思うくらいしか、わたしには出来ることがない。それは、甘えなのだろうか。

息を止めてみようと、頑張ってもみた。

でも、どうやらそれさえ出来ないらしい。漠然とした頭の中で、死ぬ方法を色々考えて見るけれど。

どれもこれも。

ぼんやりと周囲を見ることくらいしか出来ない今のわたしには、実現が出来ない事ばかりだった。

それは甘えだ。

努力が足りていない。

自分で何でもしろ。

わたしに浴びせられた罵声の数々。

それは、此処でも。

わたしの中から聞こえてきて。そしてわたしの体に突き刺さる。これで死ねるのなら、どれだけ楽だろうか。

何度も何度も思う。

早く死にたい。

でも、神様がいたとしても、そんな願いは叶えてくれない。神様が願いを叶えてくれないことは、わたしは良く知っている。

幼い頃から、色々願ってきても、何一つかなうことなんてなかったのだから。わたしは、アイドルとして持ち上げて貰う事とか、周りに優しくして貰う事なんて、一度だって望んでいない。

お父さんとお母さんに仲良くして欲しい。

お母さんが、わたしを殴らないでほしい。

かなうことがあっても、それはほんの一瞬のことだけ。

そしてその後に浴びせられる言葉は、決まっていた。お前が、全て悪い。そして、みんなが、それを正しいというのだった。

ならば、きっと正しいのだろう。この世では。

だから、早く。この世から離れたい。

 

2、戻らぬもの

 

ぼんやりしていると、不意に近くに声がした。

顔も動かせない。目も禄に動かせない。

ちょっと瞬きが出来るくらい。

だから、声が近くで聞こえるくらいしか、分からなかった。

「ひかるちゃん?」

その声は、中年手前の男性のもの。

そうか、そんな風に、呼ばれたこともあった。ファンの握手会とかで、周りはみんな、わたしをそう呼んだ。

「間違いない! ひかるちゃんだ!」

歓喜の声。

そうか、わたしの事を知っている人も、いるのか。でも、知っていたからと言って、何だろう。

病院に入れられたとき。最初の方で、わたしを知っているらしい人がいたけれど、それでなにか待遇が変わったか。

無邪気に喜んでいる声が近づいてきて、顔を覗き込んでくる。

小太りの、無精髭を生やし放題の男性だ。

きっと、患者の一人だろう。パジャマを着ている事からも、それは確実だ。だらしない笑顔を浮かべていて、口元にはよだれの跡もあった。

男性の気配は、すぐに近くから消えた。多分看護師や医者が、巡回してくるからだろう。確かに他人の病室に、勝手に入ることは、あまり喜ばれないはずだ。

ファン、か。

ファンの人達は、どうしてわたしに「飽きた」のだろう。

ちやほやされたいと思った事は、一度もない。アイドルをやっている中には、周りがちやほやしてくれるのが嬉しいと言う子もいた。むしろそっちのが、主流に思えた。でも、わたしは。

おかねがあれば、お母さんに殴られないというのが、一番の切実な理由だった。

勿論、ファンの人達が喜んでくれれば、それでお金が入るという図式は分かっていた。これでも、一応それなりに売れたアイドルなのだから。ファンの人達は、大事だと思っていた。

周りのアイドルは、よくファンの悪口を言っていた。

キモイだとか臭そうだとか。

ファンレターなんて、みんな笑いながら読み飛ばしていたし。場合によっては、そのまま見もせずマネージャーに捨てさせていた。

ファンから貰った高額のアクセサリーとかを付けて、イケメンの俳優やサッカー選手と、デートに行ったと自慢している子も見た事がある。

確かに、ちょっと怖いと言う見かけのファンの人もいた。

でも、わたしはおかねの大切さは知っていたし、みんな大事にしたいと思っていた。だから、ファンの人達には、出来るだけ誠実に接するようにしてきた。お手紙だって、可能な限り返事をしてきたし。

握手会とかで、たまに気持ちの悪いことを言われることもあったけれど。それでも、出来るだけ、丁寧に返事もした。

ファンの人は、おかねをはらって、わたしを見に来てくれている人達。だから大事だと思って、極力一生懸命、接するようにしてきた。

分からない。

わたしの何が、悪かったのだろう。

教えてくれれば、改善したかったけれど。

周りはみんな、こう言うばかりだった。

努力が足りない。

だから飽きられると。

自分なりに、色々調べてもみた。でも、その全てが無駄だった。

きっと、わたしの頭が悪いのが、原因だろう。

しばらくすると、ファンの人らしい男性が、また来た。あれから何日経ったのかも、よく分からない。

顔は脂ぎっていて、てかてかしている。そして何より、満面の笑み。不思議の国のアリスの、チェシャ猫そっくりだ。

「生のひかるちゃんに、こんな所で会えるなんて、本当に幸せだなあ。 あ、握手、していい?」

どうせ何も出来ないのだから、好きにすれば良い。

ちなみに、もう手の辺りには、感触も殆ど無い。触られているのかも、よく分からなくなってきていた。

ただ、手に何か触れられている、漠然とそう感じるだけ。

「ぼ、僕、ひかるちゃんがデビューした頃からの、ずっとファンだったんだ! また来るね!」

どたどたと、病室を慌ただしく出て行く音。

何だか騒がしい人だ。

嫌悪感はない。

多分あの人は、わたしに酷い事はしないだろうというのが、何となく分かるのだ。実際、撮影現場には。

けだものでも青ざめるような人が、たくさんいた。

ああいう人達に比べれば。

あのおじさんは、ちょっと見かけが変わっているだけの、普通の人。何をどう、怖れる事があるのか。

お医者さんに乱暴に診察されて。

看護師さんに、体を触られたりして。その間、あのおじさんは、当然此処には来ない。正直、誰も彼も、どうでもいい。

看護師の人は、まだ中学一年のわたしの胸とか触って、楽しいのだろうか。

楽しいから、やっているのだろう。

よく分からない。

意識も、あるんだかないんだか、よく分からない。夢を見ることも少なくて、自分が今、生きているのか、死んでいるのかさえ、はっきりしない事も多い。死んだのかなと思うと、とても嬉しくて。

でも、すぐに生きている事に気付いてしまう。

はやく、死にたいな。

何度そう思っただろう。

どうしてこの国には、安楽死の制度がないのだろう。早く死なせて欲しいと、どれだけ願っても、神様はかなえてくれない。知っている。神様なんていないのだから。それでいながら、地獄へ行きたいと望むのは、少しばかり馬鹿かも知れない。

でも、もうわたしには。

他にすがるものもない。

 

脂ぎったおじさんは、時々わたしに話をしに来た。

多分コミュニケーションというのが、とても苦手なのだろう。わたしに、好きなことばかり話していく。

その中には、わたしに関する事もあって。

それは、とても助かった。

たとえば、お父さん。

少し前に、東京湾で、ドラム缶に縛られて、沈んでいるのが見つかったらしい。ギャンブルで三百万も借金があったとかいう話だから、無理もない。わたしの稼いだお金も、殆ど遊ぶのに使ってしまっていて。とてもこわい人達にお金を借りて、返す事もしなかったのだそうだ。

そうか。

多分もう生きていないだろうと思ったけれど。

あのお父さんの事だ。きっと地獄でも、ギャンブルばかり続けて、鬼に頭を叩かれているに違いない。

「ごめんね、こんな悲しいニュースしか話せなくて」

そういいつつ、にたにたおじさんは笑っている。

でも、おじさんはわたしの手を握る以外の事はしない。胸とか下腹部とか触っていく看護師の人に比べると、まだマシだ。

それに、下手に遠慮して、本当のことを話さない人も困る。

むしろ、きちんと言ってくれた方が良い。

わたしの手を触ったりすることくらいで、これだけの情報をくれるのだ。今まで散々体に汚いことをすることを強いられてきたのだし、こんなくらいでは、何とも思わない。

他にも、色々教えてくれる。

わたしのお母さんについても教えてくれた。

何でもわたしが担ぎ込まれた赤十字病院に怒鳴り込んで、看護師を殴って逮捕されたらしい。

あれは金づるだ。

返せ。

動かないんだったら、内臓でも何でも売って金にするんだよ。

そう叫んでいたらしい。

結局その場で逮捕され。そうしたら、余罪が出る出る。今では、幾つもの裁判のために拘留されていて、多分生きているうちに刑務所は出られないそうだ。

そうか、お母さんも。

わたし、なんのために頑張っていたんだろう。

そう思っても、涙だって流れない。おじさんは、やっぱりわたしの手をなで回すと、そのまま消えるのだった。

いつ頃からか。

おじさんは来なくなった。

元気になって、病院を出たのだろうか。それとも、わたしに飽きたのだろうか。他の、ファン達みたいに。

でも、お医者さん達が話している内容を聞くと、違う事が分かった。

「あの患者、202号室の」

「ああ、あの変態。 いつの間にか退院したな」

「この部屋に出入りしては、写真とってたらしいですよ」

「こんな身動きできない状態でも、アイドルの写真なら高く売れるって事か。 そもそも彼奴、ストーカーか何かで捕まって、精神鑑定のために此処に入れられてたんだろ」

ストーカじゃなくて、下着泥です。それも小中学生専門の。

けらけらと、看護師さんが喋っている。

そっかあ。

わたしは下着どろぼう専門の人に、あんな風に親切にされていたんだ。で、それが何だというのだろう。

今更、そんな程度では何とも思わない。

写真を撮るのが何だというのか。

今までも素っ裸にされたり犯されたり、糞尿をかけられたりされた写真を、散々撮られたんだし。

何とも思わない。

むしろ、お父さんやお母さんのことが分かったのだけでも嬉しい。

あの人には、感謝している。

話を聞く限り、精神鑑定でシロが出て、正式に逮捕された、という事らしいのだけれど。経緯はよく分からない。要するに、頭がおかしいから逮捕されるかされないかという瀬戸際で。頭がおかしくないと結論が出たから、捕まったという事なのだろうか。

それなら、あの人は、まともでしたと、証言してあげたい。

少なくとも、今わたしの胸を揉んでいる看護師よりは。

医者と看護師達が出て行く。

ため息もつけないし。

涙も流れない。

ただ、両親の末路が分かったことだけ。そしてこれから、わたしの末路も、どうせろくでもないことだけが、分かっただけ。

早く死にたい。

その思いは、強くなる一方。

でも、わたしには死ぬ権利さえもないし。

それどころか、身動きも出来ず、外に何かを発信することだって、許されてはいないのだ。

 

いつ頃から、だろうか。

痛みが、出るようになり始めた。

全身が酷く痛い。

でも、それを周囲に伝えるすべが無い。そもそも体は全く動かないし。何より、喋ることさえ出来ないからだ。

不思議と、それで。

体の感覚は、少しずつ戻りはじめてきた。

全身の酷い痛みが、何かの切っ掛けなのかも知れない。ただ。おかげで、全くというほど、眠ることは出来なくなった。

うつらうつらとするのが精一杯。

毎日、体中が引き裂かれるような痛みが、走り回る。

いうならば、お母さんに死ぬほど殴られたときの痛み。

あの時の痛みが、何倍にもなって、常時続いているような感じだろうか。

嗚呼。

そうか、何だかよく分からないけれど。わたしの中での現実は、まだまだ続いているんだ。

この痛みで、よく分かる。

看護師が、悲鳴を上げた。胸を触ったとき、わたしがぴくりと動いたから、らしい。医師が舌打ちする。

「ひょっとして、覚醒レベルが上がって来てるんじゃ無いのか」

「何だよ、せっかく……」

「おい、いい加減にしろ。 警察に連絡しておけ」

「……はい」

不満そうな声を上げて、看護師が部屋から出て行く。

さわり放題のわたしだったのに。意識が戻ればそうも言っていられなくなるという事から、だろうか。

痛みは酷くなる一方で、叫ぶことも出来ないわたしは。鉄条網にくるまれて、転がされているような気分だった。

でも、そのくらいだったら、我慢は出来る。

今まで受けて来た事を考えれば。

ひょっとして、これが地獄なのだろうか。

それならば、本当に楽々だ。

こんな程度で済むのなら、もっとやってくれてかまわない。

でも、冷静に考えてみると。お医者さんが嫌なことを言っていた。覚醒レベルが上がる前触れだというのなら。

或いはわたしは、またあの地獄よりも悪夢に満ちた芸能界に、戻されるのかも知れない。

 

酷い痛みよりも。

不安感で苦しんでいるわたしの所に、いつかのお巡りさんが来た。熊みたいにごつくて、怖い声をしている人だ。

お医者さんと何か話している。

「意識の覚醒レベルが上がってきているというのは、本当か」

「ええ。 体中多数の薬物で滅茶苦茶になっていたようですけれど、それもようやく抜けてきたという事なのでしょう。 このまま上手く行けば、喋れるようになる可能性も、ひょっとしたらあります」

「期待はしすぎるな、ということか」

「後遺症が残る可能性は大きいでしょう。 記憶も全てなくしてしまっているかも知れません」

おあいにくだけれど。

何もかも、全部覚えている。

というよりも、不思議な事に。頭が悪かったわたしなのに。どうしてだかは分からないけれど。

頭が冴えて冴えて仕方が無いのだ。

最初に入った事務所から。

最後にいた事務所の名前。一回でも名前を聞いた人は。全員が顔と名前が一致する。なんでだろう。

身動きが出来なくて。

ずっと、痛みの中にいて。

それで、何か変わるものがあったのだろうか。

ふと、分かったことがある。

この人、記憶をなくしてしまっているかも知れないと言っていたけれど。違う。わたしに、記憶をなくしてしまって欲しいのだ。

ああ、そうなのか。

わたしは、この人達にとって、邪魔だというわけだ。

婦警さんが顔を覗き込んでくる。

もの凄く厳しそうな顔だ。手を触られる。ぴくりと、手が動く。酷い痛みの中で、ちょっとずつ、動きが制御できるようになってきている。

昔はダンスを散々していた手足なのに。

ちょっと動かすのが精一杯というのは、とても悲しい話だ。どうでもいいだらけの中。こういう悲しいもある。

不思議だ。

「聞こえているかしら。 もし聞こえているなら、二回指を動かして」

一生懸命気力を振り絞って、動かしてみる。

年配らしい刑事が、なにやら不満そうに声を張り上げた。

「何してる」

「意識があって、体を少しでも動かせるなら、こうしてコミュニケーションを取ることが可能かも知れません」

「なるほど、考えたな。 証拠能力はないかも知れないが」

「今、二回ひかるちゃんは指を動かしました。 これが偶然かどうかを、何回か試してみます」

幾つか、質問をされる。

貴方は女か。イエスなら二回指を動かして。

イエスなので二回。

私の顔が見えるか。

イエスなので二回。

名前が分かるか。

ノーなので一回。

何度も何度も質問を繰り返す。いつの間にか、医者が冷や汗をだらだら掻いているのが分かってきた。

わたしはというと、体中が痛くて、そろそろ勘弁して欲しいのだけれど。色々分かる事があっても。この痛みの中だ。

「そろそろ疲れてきた?」

イエスで、二回指を動かす。

だけれど、婦警さんは容赦してくれない。

「もう少し我慢して。 貴方の証言で、逮捕できそうな業者が何人もいるの。 もしも貴方がこのまま喋ることが可能になるまで回復したら、それはそれでいいのだけれど。 そうなるかは分からないから、私達としては、少しずつ話を聞いていきたいの。 いい、貴方が証言してくれれば、貴方と同じくらいの年頃の女の子を、骨の髄まで搾取して、絞りきった後はゴミ箱に捨てるような業者を、幾つも摘発できるのよ」

「おい、其処までにしておけ」

「……いずれにしても、この子は警察病院に移しましょう。 此処だと、正直何をされるか分かりませんから」

婦警さんが、じろりと医師をにらむ。

青ざめた医師が、無言のまま下がるのが分かった。

 

それから、酷い痛みなのを訴える前に。

わたしは別の病院に移された。

多分、警察病院という奴だ。また戻ってきたことになる。体の痛みは、酷くなる一方。でも、二択でしか話に答えられない私に、出来る事なんて、ない。

ましてや婦警さんは。

忙しくて、わたしにはりついている余裕も無い様子だった。

時々、写真を見せに来る。

この人を、知っているかと。

記憶がはっきりしてきているわたしは。知っている相手なら、それが誰なのかを、すぐに判別できた。

この人は、スカトロの違法ビデオを撮影していた人。

確か撮影の最中、よく分からない中国製のクスリを私に打った。それからは意識がもうろうとしていて、何をしていたかは分からない。

ただ気がつくと汚物まみれで、裸で転がされていて。

シャワーで体を無理矢理洗わされた。

それでも酷い臭いが取れなかった。シャワー室で何度も吐いて。胃の中には、考えたくも無い汚いものが、たくさん入っていた。

それを見て、ゲラゲラ笑っているスタッフ。

クスリでぼんやりしている私の頭の中では。それが、酷く歪んだ三日月型と、丸の集合体にしか見えなかった。

それから完全におなかを壊したけれど。

勿論、仕事なんて休ませて貰えなかった。

その辺りを詳しく説明したかったけれど。顔写真と名前を一致させて。幾つかの質問に、答えるしか出来なかった。

痛みが酷くなる一方なのは、やはり治るまえぶれなのか。

少しずつ、体も動かせるようになってきている。指も、ほんのちょっとしか動かせなかったけれど。

ただ、お医者さんが、もう少しでもっと動けるようになるとか、太鼓判を押してくれて。

それで、わたしの気分は、少しだけ楽になるのだった。

どうしてだろう。

もう、死にたいと思っているのに。

あ、そうか。

動ければ。

簡単に、命を絶つことができるからだ。

 

3、拡がるものは

 

喉の奥から、酷い音が出た。

婦警さんの質問に答え続けて、どれくらい時間が経ったのだろう。酷い痛みに全身が包まれる中。

わたしは、ついに、喉から音を出せるようになっていた。

でも、それだけ。

ほんの少しだけ、体を動かすのに、酷く労力がいるし。

喉から出る声も。昔おうたをうたうのに練習したときとは、比較にもならないほど、酷い代物だった。

そして、痛みは、前とは比べものにもならない。

今は、全身にさび付いた釘を突き刺されて。それをぐりぐりと抉るように押し込まれているような痛みが。いつも続いていた。

でも、慣れた。

むしろ、嬉しくてならない。

気付いてしまったからだ。体が動くようになれば、自殺することだって、出来るようになる。

どうせ動けるようになったって、世の中で生きていけるわけがない。

わたしはもう中学二年生になっているらしいけれど。小学校の高学年くらいからは、勉強なんて全くやっていない。

その上、両親はあんな状態。

親戚だっていない。

その上わたしは、テレビにも芸能界にも盛大に喧嘩を売ったのと同じだ。仮に普通の中学生とかに戻っても。

その後、就職なんて出来るはずもなかった。あの業界が持っている影響力がどれくらい凄いかは、私が体で知っている。

今は大分衰えてきたみたいだけれど。

「仲間を売った」わたしを、許すわけがないのは、明らかだ。

痛みが酷いことは、言っていない。

何となく、分かるのだ。

この痛みが、体が治ろうとしている証拠だと。つまり、痛みを抑えるようなお薬とかを入れられたら、きっと治りが遅くなる。

一刻も早く、体を治して。

一刻も早く、死んでしまいたかった。

地獄に行きたい。

この世よりは、まだ其処の方が、マシなはずだから。

それで、最近思うようになったけれど。

地獄がなかったらそれはもっと良い。

何も無い方が。

今のわたしの取り巻いている世界よりも、ずっとマシなのは、明らかなのだから。

婦警さんがくる。

今日は、検証らしい、険しい顔をした人達と一緒だ。

幸い、待遇はずっとマシになってきた。前の看護師さんと違って、此処の人はわたしの胸とか下腹部とか触りまわしたりしない。

「ひかるちゃん、おはよう。 気分はどうかしら」

全身に突き刺された針のような痛みも。

今日は格段に酷いけれど。

それを除けば、どうでもいい。普通の日だ。ぼんやりと、婦警さんの方を見る。

最近は、動けるようになっている事を、少しずつ隠す知恵もついてきた。もしも完全に動けることがばれてしまったら。

きっと、自殺するのを、防がれるかも知れないから。

今日も、いつもと同じように、写真と名前の一致。それから、細かい質問が、幾つもされていった。

今日の人は、確か四回目の事務所にいた人だ。

最初の事務所の孫請けだとかの事務所。

この辺りになってくると、もうヤクザとの関係を隠してもいなかった。いるアイドルも、殆どがドロップアウトした子達ばかり。

全員が完全にやけばちになっていて、暴力沙汰は日常茶飯事。仕事も、ろくでもないものばかりだった。

プロデューサーに体を触らせて仕事を優先的に廻して貰ったり。

枕営業をしたいと、ねだる子もいた。

わたしは、プロデューサーにむしろ言われた。

枕営業をしたいって言わないのか。

お前みたいなクズは、仕事なんか来ない。

でも、ガキが好きなプロデューサーもいる。二回か三回やらせてやれば、仕事が貰えると思えば、安いものだ。

喰わせてやっているって自覚が足りない。体を使って、自分で仕事をとってこい。そう、暴力を交えて説教もされた。

そして、何回か。

実際に、枕営業もさせられた。

お前は一度は有名になった。見かけだけはいい。それ以外はクズだが、その見かけだけが欲しいお客様もいる。

その分幸せなんだよ。

だから体で売り込め。

そうすれば、俺が評価もされる。

何度も殴られて、ぼんやりと頭の中で、その言葉が反響した。勿論、枕営業の相手は。わたしの意識が飛ぶまで、好き勝手に体をいじった。

写真の人の名前を答えると。

婦警さんが頷く。

どうやら、しっかり頭が働いているのは間違いなさそうだと。

お医者さんも連れて来ているようで、声が聞こえる。

「回復までの見込みは」

「分かりません。 こういった症例はあまり数がなくて。 ただ、確実に回復はしてきているようですが」

「喋ることが出来るようになるまででも構いません。 実際この子の証言で、今まで何名か、悪徳業者を逮捕し、悪辣な事務所を芋づるにつぶせています。 このまま上手く行けば、マスコミと芸能界に住み着いている巨大なドブネズミを、まとめて捕獲できる可能性も高い」

捕まえたところで、どうなるのだろう。

わたしにだって、分かる。

マスコミと芸能界は一体だし、わたしは彼らの仲間を売った大罪人だ。わたしが植物状態から回復していると分かったら、何をすることか。

どちらにしても。

もうわたしの行く先には、闇と悪夢しかない。生きていける道なんて、残っていない。そして彼ら風に言えば。

全部わたしが悪いのだ。

芸能界なんかに足を踏み入れたのが悪い。

努力しなかったのが悪い。

周りに相談しなかったのが悪い。

芸能人としての自覚がないのが悪い。

体が弱いのが悪い。

クスリ程度で植物状態になったのが悪い。

全部逆恨みだ。

そうやって、あらゆるマスコミが騒ぎ立てて。そして誰もがそれに納得するだろう。この婦警さんだって。

多分仕事で、こうしているだけ。

きっと内心は。

たとえば、マスコミが言う事を信じなくて。わたしに同情してくれる人もいるかも知れないけれど。

それは社会の多数派では無いし。

いずれにしても、もうわたしに未来はないのだ。

婦警さんが帰る。

「またすぐに来るからね。 毎日、たくさん仕事させて、ごめんね」

「あー、うー」

情けない声しか出ない。

毎日おうたの為に鍛えていたけれど。

こんな風にしか喋れないようじゃあ。周りの全員が、鍛え方が足りなかったというのは、間違いないだろう。

お医者さんが、ため息をつくと。触診を始めた。

少しずつ、動くようになっている体だけれど。まだ、感覚は完全には戻らない。とくに、くすぐったいという感触は、痛みに打ち消されていて、ほぼなくなってしまっていた。

「例がないからなあ。 いつ治るかなんか、分かりようがない」

ぼそぼそと、独り言を言う医者。

この人にとっても。

わたしは、其処にある肉に過ぎないようだった。

 

病室にテレビが運び込まれた。

痛みが少し前から倍加して、それで体も動かせるようになってきたのだ。といっても、歩いたり手を使ってものを掴んだりするのはとうてい無理。

時間を掛ければ、テレビの方を見られる。

単純な単語なら、口に出来る、くらいだが。

手元には、テレビの操作を行う簡単なリモコンがある。

意識がはっきりしている時間も増え始めた。ただし、全身の痛みもあって、眠ること自体が無理、という事情もあったが。

テレビを付けて、ワイドショーを見る。

案の定だった。

「一時期、究極のチャイドルともてはやされた天宮ひかるが、覚醒剤中毒で倒れ、現在植物状態になっている事が分かりました」

ニュースキャスターが、淡々と言っている。

彼らの主張によると、天宮ひかるは仕事中に覚醒剤を吸い。移動中に目を離した隙に繁華街に迷い込み。

そこで更に複数の薬物を摂取。

倒れたという。

事務所は揃って、天宮ひかるが覚醒剤を吸っていたなんてと、驚きの談話を紹介していて。

同僚だというアイドルは、信じられないと、造り顔で驚いていた。

こんな子は知らないのだけれど。

警察は捜査中ということになっていたけれど。

なるほど、予想通りという奴だ。

わたしが裏切り者と気付いて、その尊厳も社会的生命も、全部まとめて処分しにかかった、という事なのだろう。

婦警さんが来た。

「ワイドショーを見ていたの?」

「……」

誰にも言っていないけれど。

喋るだけで、喉にカミソリを突っ込まれて、引っかき回されるくらいの痛みが走る。呼吸器は出来れば外して欲しくない。

というのも、多分全身が酷い痛みで覆われている事に、気付かれてしまうから。

そうなると、面倒だ。

自殺するにしても、まだ条件が整っていない。これしか体が動かない状態では、自殺は極めて難しい。

「相変わらずマスコミは嘘ばっかりね。 需要があれば、知る権利の美名の元に、人権を蹂躙すること何てなんとも思っていない」

ああ、そうですか。

そう言ってくれるのは嬉しいけれど。だけれど、そんなマスコミをどうにもできないのは、お巡りさんも同じ。

相手がとてもたくさんのお金を持っているから。

それとも、マスコミの後ろに、とても怖い何かでもいるのだろうか。

「多分彼らは、天宮ひかるで稼ぐ最後のチャンスだと思っているのね。 ついでに、自分たちの犯罪を隠すための隠れ蓑にも出来るって考えているのよ」

そんなこと、分かってる。

悪徳事務所を芋づるに摘発できたとか言っていたけれど、それも何処まで本当か。

「貴方が、実際には事務所や親の意向で色々な違法ビデオに出演させられて、その過程で無理矢理覚醒剤やらなにやら、訳が分からないクスリを打たれていたんだろう事は調べがついているわ。 心配しないで、今は体を回復させることだけを考えてね」

そんなこと。

信じられるわけがない。

虚ろな目で婦警さんを見る。そういえば、何でもかんでも、法廷で証言すると思っているのだろうか。

法廷になんか、出るものか。

体が動くようになったら、真っ先に死んでやる。

地獄に行きたい。

その思いは。全く変わらない。

一秒でも早く、地獄に行くことが出来れば。わたしはそれだけで、幸せだ。

婦警さんが、また幾つか質問をしてくる。

どうせ暇だし、答えていく。

何故だろう。

どうしてわたしは、馬鹿正直に答えているのだろう。全部適当にでも、答えてしまえばいいのに。

婦警さんが出て行くと。

わたしはテレビを消して。ゆっくり天井に視線を向ける。首をちょっとだけ動かせるようになってから。時々、こうやって、体を動かすようになっていた。ずっと寝たきりで、骨と皮しか体が残っていない自覚はある。

動かせなければ。

自殺だって出来ないのだ。

手足も、ゆっくり動かしていく。いわゆる床ずれは、防いでおきたい。ちょっと動かす度に、撮影で殴られていたとき並の痛みが、いやもっと酷い痛みが体中に走るけれど、それくらいはもう慣れた。

 

翌日だろうか。

違うお巡りさんが来た。

婦警さんじゃない。

ぼんやりと見つめる相手は。眼鏡を掛けていて。とても厳しそうな人だった。今まで、見た事もない。

声も冷酷そのもので。

此方を、ゴミのように見ているのも、明らかだった。

「ふん、何が究極のチャイドルだか。 こんなガキから、どんな証言が取れるというのか」

鼻で笑っている、眼鏡男。

医師がハラハラしている様子で、側で見守っているのが分かっていた。

「まだ、わずかにしか体を動かせない状態ですが。 記憶力は良いし、意識もはっきりしている様子です。 今までも、モンタージュと名前は、ぴたりと一致しています」

「そんなものは分かっているがな。 法廷でそれが使えるかどうかは、別問題なんだよ」

質問をされる。

しかも、二回指を動かして答えろとかじゃない。

はいかいいえで答えろと来た。

それだけ喋るのに、どれほどの痛みが全身に走るのか、分かっているのだろうか。医師が、不安そうに言う。

「少し体を動かすだけで、相当な負担が掛かっています。 無茶をさせると、回復が更に遅れる可能性が」

「五月蠅い、黙っていろ。 どうせこのガキは、植物状態のまま病室から出られやしないだろう。 だったら、少しでも犯人を挙げる役に立ってもらわないとな」

あ、そう。

呆れたけれど、別に驚かない。

あの婦警さんだって、内心はどう思っているか、知れたものでは無いのだし。今更驚くこともない。

質問は極めてストレートだった。

覚醒剤を買ったのは、この男か。

そういって、どこの国の人かも分からない写真を出してくる。

「い、い、え」

「嘘をつけっ!」

いきなり怒鳴りつけられるけれど。

その程度で、子供が怖がると思うのだろうか。今時、ちょっと怒鳴ったくらいでは、子供は絶対に黙らない。

それはそうだ。小学校の低学年の頃にも見ていたけれど。今の子供は、大人が暴力を振るったら犯罪になると知っている。だから殴られるのを怖がらないし、怒鳴ったくらいでは黙らない。

医師が止めてくださいと言うが、眼鏡男は続ける。

「覚醒剤をやったのは、楽しいからか」

「い、いえ」

「巫山戯るなよガキ。 どうせテメーも、シンナーじゃ飽きて徐々にヤバイクスリに手を出していった口だろうが! 芸能界に入る前からやってたんだろ!? ええ?」

どんと、ベットが揺れた。

どうやらベットの足の辺りを蹴られたらしい。

いっそ、この場で首でも絞めて殺してくれないだろうか。

眼鏡男が、顔を近づけてくる。

もの凄く醜い歪め方をしていた。

「必ず証言を出して貰うからな。 そうしたら、このベットから引きずり出して、少年院にぶち込んでやる。 覚悟しておけ」

威圧的な足音で、眼鏡男が病室を出て行った。

黙々と触診をするお医者さん。

「すまないね。 マスコミがどうやら君が回復しつつある事に気付いたらしくて、息が掛かった刑事を調査に送り込んできたらしいんだよ。 苦しいと思うけれど、我慢してくれよ」

「……」

別に苦しいとも思わない。

体が少しずつ動くようになっている事が、むしろ嬉しい。

手元には、死ぬための道具は無いけれど。

動けるようになれば。

死ぬ方法なんて、いくらでもあるのだから。

お医者さんも出て行った後は、テレビを付ける。無害な番組を適当に廻してみていると、わたしのニュースが出てきた。

相変わらず、わたしにたいしての攻撃中だ。視聴率が稼げると言うよりも、多分顧客向けのパフォーマンスだろう。その程度の事は、わたしにだって知識がある。

わたしが同じ事務所で浮いていたとか。

後輩にイジメを行っていたとか。

プロデューサーも手が付けられなかったとか。

同僚のアイドル達の証言として、あの子がクスリをやっているのはみんな知っていたけれど、怖くて誰も口が出せなかった、というのもあった。

そうやって出てきた、同僚のアイドルという子が。目を隠してはいたけれど、それ以外のパーツにも全く見覚えがないので、困ってしまう。

まあ、テレビを見ている人には、底辺アイドルなんて、どれも同じか。証言の正当性なんて、誰も気にしない。面白ければ良い。面白いためには、人権を蹂躙すること何てなんでもない。それがこの世界だ。

そういえば、少し気になったので、時間を掛けて、テレビを操作する。結構新しい型のテレビだから、出来るかも知れない。

操作を進めるうちに、出来た。

ネットにつないだのだ。

非常に時間を掛けながら、検索サイトを使って、SNSや匿名掲示板を見てみる。

わたしの事は、それなりに話題になっているようだけれど。

マスコミと、反応は違っていた。

「俺、あの子が出てる裏ビデオ見たぜ」

「まだ中一なのに、裏ビデオかよ」

「それくらい今時当たり前だっての。 芸能界が金稼ぐためだったら、どんなことでもするって常識だろ。 ドロップアウトしたアイドルが、どんな目に会うかくらい、言わなくても分かるだろうよ」

笑いながら、話している。

そうか、わたしが出た裏ビデオ、かなり流通していたのか。

「俺が見たのは乱交の奴だけど、目とか完全にラリってたし、多分アレ、撮影のためにクスリ打たれたんだと思うぜ」

「世も末だな。 中一の子が乱交ビデオかよ」

「違法ビデオだしなあ。 アニメだの何だの攻撃する前に、こういうの取り締まれよって話だけどな」

「事務所マジ鬼畜」

自分だって、売り上げに荷担しているくせに。

ゆっくり、ゆっくり動かして、会話を見て行く。

なんだ、少しだけ安心した。

芸能界と、それにつながっているマスコミのことは、意外に誰も信用していないらしい。でも、それとわたしは関係無い。

わたしはどうせ、世の中に戻っても。

居場所なんてないし。

今後生きていても、無駄なのはわかりきっているのだから。

「そういや、天宮ひかるって、芸能界から消える直前くらいから、きわどい写真集もかなり出してたよな」

「結構実用的な奴な。 そういえば、あの頃から目が逝ってるって話があったっけ」

「考えて見れば、あの子、ダンスも歌も桁外れに上手かったんだよな。 最初は年相応だったけれど、どんどん上手くなっていったの覚えてる。 スゲー努力したんだろうな」

「芸能界で、そんな努力が役に立つ訳ねーだろ。 後ろにいる奴の金とコネだけしか意味がないっての。 クッソ不細工で大根演技なのが、やたらプッシュされて映画とかにも出てるの見て、おかしいとおもわねーのかよ」

その通りです。

くつくつと笑いたい。

でも、そもそも、声を出すのでさえ、本当に大変だ。

だから、笑うことさえ、わたしには許されない。

「俺、ファンレター出したことある。 そうしたら、ちゃんと返事が来て、びっくりした」

「マジかよ。 マメだな」

「暇だったからじゃねーの?」

「それが、全盛期の頃なんだよ。 今でも大事にしてるんだよ。 なんなら写真アップしようか?」

嘘くせーと、笑いが巻き起こるけれど。

悪いけど、本当だ。

ファンレターには全部目を通していたし、可能な限り返事も書いていた。ファンの人達を、大事にしたいと思ったからだ。

結果は、見ての通りだが。

一通り見た後、ネットを切る。

どうせ、何をしても無駄だろうし。今更あがいても仕方が無い。後はテレビのチャンネルを、漠然と廻す。

深夜に入ったからか、性交のシーンがある映画なんかも流れはじめた。

ああ、こんな風なちょっとしか映らないシーンだったら。わたしがやらされたみたいな事は、しなくてもいいんだろうなあ。

そう思うと、羨ましくて仕方が無かった。

 

婦警さんと眼鏡男は、それから交互に来るようになった。

どちらも躍起になっているのが分かる。婦警さんも長い時間、色々と聞いていくようになったし。

眼鏡男に到っては、わたしを直接殴ろうともした。

手を動かせるようになってきたけれど。まだ、ペンで字を書くなんて無理。

声を出すにしても、まだ、ゆっくり文字を区切って言うのがやっとだ。

「いいから言えっ! シャブを自分で買いました! 事務所の同僚達にイジメを行って、シャブも無理矢理吸わせてました! そうなんだろ! ええっ!?」

「い、い、え」

「巫山戯んな、このクソガキが!」

「いい加減にしてください」

取り押さえようとした医者を、思い切りぶん殴る眼鏡男。

看護師達がそれを機に、眼鏡男を取り押さえて、病室から引っ張り出していった。情けない人だなあと、呆れてしまう。

ひょっとして、あんなのしか、送り込む人材がいないのか。

そうやって考えると。

意外に、芸能界にも、人脈はそれほどないのかも知れない。

でもそれでも、わたしが外に出て、生きられないようにすることくらいは簡単だ。それだけの、お金を持っている人達なのだ。

お医者さんが出て行った後。

ゆっくり時間を掛けて、テレビを動かす。

また、ニュースが映った。

どうやら事務所は、あらゆる悪事をわたしに押しつける方針にしたらしい。今日もありとあらゆる好き勝手な事を、ニュースキャスターが言っていた。

だんだんそれを見ていると。

性格が悪くなっていくのが、自分でも分かる。

わたしは倒れた時中学一年生で。それで今でも、まだ中学二年生。それなのに、事務所の覚醒剤汚染を引き起こして、恐怖政治を強いていたとか、一体どういう存在だというのだろうか。

確かにおない年くらいのアイドルでも、修羅場をくぐってきて、悪夢みたいな人生に慣れっこになっている子もいた。

でも、それでも、周りはそれ以上の悪魔ばかり。

出来る事なんて、知れている。

わたしなんて、お母さんに殴られたくないって一心でお金を稼いでいただけのコドモ。出来る事なんて、もっと知れている。

言われるままに仕事をしていただけ。

もちろん、仕事をするための努力は、出来る範囲内で精一杯やったけれど。周囲はその努力を、あらゆる意味で踏みにじった。

今でも、思いは変わらない。

さっさと死にたい。

早く地獄に落ちたい。

婦警さんが来た。この人だって、正直な話、何を考えているかは知れたものじゃない。眼鏡男は分かり易いくらいだけれど。

「私の同僚が失礼したわ。 ごめんなさい」

「……」

色々と、近況を話してくれる。

マスコミが発狂したように、わたしの悪評を垂れ流しているという事。この世にある悪事の全てを、わたしがやっていたかのように言っているようだと、憤慨していた。

確かにワイドショーでのやり口は酷い。

でも、この人の憤慨も、何処まで本気だかは分からない。

こうやって同情しているふりをすれば、ころっと転んで、何でもかんでも喋るようになるとでも思っている可能性も高い。

ただ、わたしは、今まで誠実に何でも答えてきている。

それはわたしに残った最後の誇りだ。

「早速で悪いのだけれど、この写真について」

捜査が始まる。

答えていくと、婦警さんは周囲にいるらしい刑事さんと何度か話をしていた。十何個か質問をされた後。

はいいいえで答えるように言われる。

顔に痣を作っているお医者さんが、かなり長引いていると、横から文句を言ってきていた。

「貴方は、覚醒剤を、違法ビデオの撮影中に入れられたのね」

「は、い」

「そう。 入れられたクスリは、大体全部そうかしら」

「は、い」

実際には。

乱交パーティやら枕営業やらの時に、変なクスリを何度か嗅がされた。ただ、それは今言っても仕方が無い。

それくらいの知恵は。

わたしにもついていた。

「この人は、見覚えがある」

あるもなにも。

芸能界の裏側にいるお金持ちの一人だ。確か最初に枕営業をさせられた人。その後、とにかく酷い裏ビデオの仕事が、ぽんぽん来るようになった。

名前は自分からは言わなかったけれど。

滅茶苦茶にされた後、たまたま床におちている名刺を見た。その時は名前を覚えた自覚はなかったのだけれど。

今は、鮮明に思い出す事が出来る。

名前も当てて見せると、少し躊躇った後、婦警さんは言う。

「この男、若いアイドルを相手に、何度も枕営業を強要しているという話が出てきているの。 まさか貴方も」

「は、い」

「何てこと」

具体的な場所、日時は分かるかと聞かれたので。

正確に答えてやる。

今は、記憶力が、前とは比較にならないほど冴え渡っている。だから、全部すらすらと思い出せる。

ゆっくり、何年の何日。

何時頃、何処にあった何処の家。

ついでに、どのプロデューサーに言われて、枕営業したか。

そう話していくと。すぐに刑事達が、病室を飛び出していった。

婦警さんは、咳払いする。

「聞きにくいことを聞いてしまってごめんなさい。 まさか、他にもたくさん枕営業、させられていたの?」

「は、い」

「今日は流石にもう無理ね。 明日から、詳しく聞かせて貰うわ」

 

翌日。

ぼんやりニュースを見ていると、早速動きがあった。

あの情報から元に、逮捕できるデータを見つけ出したらしい。事務所のプロデューサーが、さっそく逮捕されたと話題になっていた。

芸能事務所の敏腕プロデューサーが、アイドルに枕営業をさせていたかどで逮捕。

事務所にも捜査の手が入ったとか。

話がうまく行きすぎている。

ひょっとして、これは。

もうとっくに目星がついていたところを、わたしの証言が、最後の決め手になったのではないだろうか。

いきなり、病院の外でわめき声が聞こえる。

何だか知らないけれど、凄くたくさんの人が集まっているようだった。

言っている事は殆ど分からないけれど。とにかく、病院の外で、押し問答がなされているらしい。

ああ、なるほど。

攻撃が直接自分に及んで、きっと芸能界の人達が、マスコミを蹴飛ばしたのだろう。何しろ、「仲間」が、「理不尽」に逮捕されたのだ。

芸能界にとって、使い終わったアイドルなんて、ゴミも同然。

そのゴミのせいで、仲間が捕まるなんて、許せない事なのだろう。

結局その日は、もう眼鏡男も、婦警さんも来なかった。別に来なくても来ても同じ。そして、体中の痛みは、更に加速する一方。

手足も、少しずつ動かせて。

もう、その気になれば、寝返りも打てそうだった。

だけれど、其処までは動けないという風に、周囲に装う。いざ自殺しようとするときに、動けると思わせておくと、面倒だからだ。

テレビを見ると。

どうやら、警察病院らしきものが映っていた。

枕営業をしていたアイドルがいる病院とか、テロップが張られている。噴き出しそうになったけれど。それすら許されない体なのが口惜しい。

それに、枕営業のお相手は、逮捕されていないのも笑える。

お金をたくさん持っている人らしいし。

人を殺しでもしない限り、捕まらないのだろう。

その日は結局お医者さんと看護師しか来なかったので、そのままぼんやりと過ごす。痛みが酷くなってきていても、我慢は平然と出来ている自分に、不意に違和感が出てきたけれど。

それでも、どうでもいい。

何だかもう、死ぬまでの予行演習として、痛みを味わっているような感覚だ。

一年経ってこれしか回復しないのだから、どうせまともに動けるようにはならないのだろうし。

動けたところで未来もない。

だからどうでもいい。

翌日も、病院の外では、大騒ぎしていたけれど。婦警さんが来たので、むしろ舌打ちしそうになった。

「昨日は来られなくてごめんなさい」

「い、え」

「そう。 少しずつ、喋れるようになったのは、良いことだわ」

本当に、そうだろうか。

そういえば、病室の外に気配がある。お巡りさんが、常時張り付いているのかも知れない。

「一つずつ、話を聞かせてちょうだい。 貴方の所属していた事務所が、どんな風な事を、貴方にしていたのか。 これから、毎日、少しずつで良いから」

「は、い」

死ぬなら道連れ。

それも良いかもしれない。

どうせわたしには、何の未来もないのだから。

それからわたしは。

毎日来る婦警さんに、あらゆるこの世の悪徳をまき散らしていった。

わたしが経験したのは。

おそらくこの世の最底辺。

ゆっくり、違法ビデオの撮影についても、説明していく。具体的に、其処で何をしていったのかも。

時間が掛かる。

一日辺り、全てを説明できるわけではない。でも、今の私は。何年の何日に。どんな風に撮影をして。

どんな人がいて。

具体的に、何をされたか。

全て覚えている。

婦警さんは驚愕していた。此処まで詳細な情報が出てきたのは、初めてだと。

そして、何日目だろうか。

声を低くして、言った。

「今の時代、好きで体を売る人や、尊厳を売り払う人が、いくらでもいるの。 貴方の受けて来た絶望を、そう言う人の目線で見る人は、どうしても多いと思う。 でも、私は貴方の味方よ。 絶対にこれらの犯罪は許さないから」

そうですか。

本当だかは分からない。

実際、それで逮捕者が出ているのかも。テレビの画面からしか、確認できない。それでも、婦警さんは、熱心に通ってくれているし。

そして、此処で全ての情報をはき出すことは、あまり悪い気分はしない。

テレビを暇つぶしに見る。

もう常時万力で全身を押し潰されているような痛みがあるけれど。今では、もう痛みなんて、何とも思わないようになっていた。

「事務所への捜査が連日続いています。 芸能事務所の薬物汚染と、常態化した枕営業に、ついに捜査の手が入っています」

淡々と、ニュースキャスターが言っている。

同時に、違法ビデオの業者も、連日摘発されているそうだ。

これはひょっとして。

芸能界側も、わたしがいた事務所の幾つかを見捨てたのか。可能性はある。

マスコミにしてみれば、お金が稼げれば、人権なんてどうでもいいという事に代わりは無いだろうし。

むしろ、稼ぎ時だと思って、大喜びしているのかも知れない。

ネットなどを見てみる。

前より体がかなりスムーズに動く。そろそろ呼吸器も外されるかも知れない。実のところ、少し前からもう呼吸器ははいらないと感じていた。でも、出来ればもう少し付けておいてもいい。

「これ、天宮ひかるがゲロッたって噂だぜ」

「そりゃあそうだろ。 裏で色々黒い噂もあったしな。 今、天宮ひかるの出てた裏ビデオ、値段が高騰しまくってるらしい」

「何だよ、もったいないなー。 内輪もめしてないで、もっとやりあってくれれば面白いのによー」

「ひかるちゃんマジ天使。 もっと裸みたい」

ネットでの狂乱も凄まじい。

これはひょっとして。

わたしのばらまいた情報で。芸能界には、激震が走るかも知れない。それはそれで構わない。

正直あんな地獄以下の場所。

潰れようとどうなろうと、知ったことじゃない。

 

4、待望の場所へ

 

リハビリが始まる。

そう聞いて、私は心底から苛立った。それだけ、動けるようになったと、ばれてしまったという事だ。

確実に死ぬ方法を、少し前から調べていたのだけれど。

多分、医者の側も気付いている。

だから、わたしの側には常時警察が張り付いているし。下手なことは、できそうにも無かった。

そうか、わたしは。

死ぬ事さえ、許しては貰えないのか。

病院の外は、静かになった。

少し前に、テレビ局の会長が辞任した。今回の騒ぎの責任を取ったという形らしいけれど、詳しくは分からない。

多分とかげのしっぽを切っただけだろう。

実際、わたしに枕営業をさせていた人は、半分も捕まっていない。

この病院の外に出てしまえば。

わたしに、いきられる場所なんて、ありはしないのだから。

痛みが全身にある事は、誰にも話していない。というよりも、痛みという感覚そのものが、どうにかなっている。

この間、隙を見て針を腕に刺してみたのだけれど。

何も痛みがないのだ。

すぐに針を抜いたのは、多分針を根元まで刺しても、何も感じなかっただろう事を、即座に理解したから。

異常を医師に察知されると面倒だ。

骨と皮だけになっていると思っていた体だけれど。実際に動くようになってみると、あまり前と変わらない。

やられていたのは神経だけらしく。

意外に、思うとおりに、体は動く。

喋ることも、少しずつ、出来るようになっていた。

中二が終わる頃には。

車いすも、必要では無いと判断された。ずっと前から、必要はないと自分では分かっていたのだけれど。

それから、わたしは。

救急車に乗せられて。別の病院に移送された。

途中からは、警察の護送するらしい車に移されて。救急車は別の方へ、走り去っていった。

車の中で、ずっとわたしに聴取を続けていた婦警さんがいう。

「貴方は今や、芸能関係者だけじゃなく、暴力団関係者のおたずねものよ。 だから、警察の方で、身柄を海外に移すことにしたわ」

「そうですか」

多少ゆっくりだけれど。

喋ることは、もう問題なく出来る。ただ、喋る度に、全身を挽肉にされるような痛みが走るけれど。

それは誰にも言わない。

多分ダンスも、全盛期と同じくらいは出来る筈。ただし、した後には、肉塊になったような痛みが、全身を覆っているだろう。

でも、それが何か。

鏡で、自分を見て驚いた。

瞳に光が一切なくなっている。

笑顔も作り笑顔にしかならない。

前は天使みたいな笑顔とか言われて。究極のチャイドルとか言われていたのに。鏡で自分を見て、こうも驚くことになるなんて。

結局、わたしがいた事務所は、悉く壊滅か、何かしらの大打撃を被っている。

社長からして何名かが逮捕され、関わったプロデューサーは複数が牢の中。わたしは芸能関係者から、死神と言われているそうだ。

マスコミがあれほど宣伝したのに、ネットでは誰も信じず。警察の逮捕で、マスコミの報道に批判が殺到。

幾つかの新聞社は、この件を取り上げることから手を引いて。ニュースでも、意図的に取り扱いを避けるようになっているとか。

それにしても、滑稽だ。

死神か。

それじゃあ、彼らに骨までしゃぶり尽くされて、放り捨てられてきたアイドル達は何なのだろう。

彼らは、アイドルをフライドチキンか何かと思っていた。

それが、反撃してきて。

そして、今、死神呼ばわりしている。それは、一体、どちらが理不尽なことなのだろう。この世そのものが理不尽なのはよく分かるけれど。

ぼんやりと、座席に持たれていると。

空港が見えてきた。

行く先は何処なのだろう。

聞いてみるけれど、教えてはくれなかった。

 

ふと、気付く。

汚れた白衣を着て、歩いている。

痛みもない。

手を見る。血だらけだ。

そもそも、わたしは。白衣なんて、着ていただろうか。

しかも、白衣の下は裸だ。ボタンを掛け合わせるけれど。足下は素足だし、下着もないし、落ち着かない。

たくさんの人が、歩いている。みんな粗末な格好をしていて、目がうつろだった。見上げた先にいるのは、とても大きな人。

頭に角が生えていて、口からは牙が覗いていた。

大きな人が、此方に気付く。

ジーパンにサングラス。その上パンチパーマ。どんなファッションだろう。

「あん? 鬼がそんなに珍しいか」

「おに?」

「今時のガキは無知だなあ。 ほら、さっさと並べ。 どうせ時間は多分あんまりかかんねーよ。 向こうに着きさえすれば、普通は最初の裁判で片がつくからな。 見たところ、お前さんは地獄に落ちることはないし、墜ちたところでごくごく軽い地獄だろう」

頭の中で、理解できないワードが飛び交う。

下を見ると石だらけの地面。それなのに、踏んでもちっとも痛くない。

鬼。

まさか。此処は、地獄か。

でも、地獄に落とされないとか言われた。そうなると、此処は、まだ地獄では無いのだろうか。

何だと、がっかりする。

そもそもわたしは、いきなりどうしてこんな所にいるのだろう。

行列を作って、歩く。

逃げようとする人もたまにいたけれど。すぐに鬼に捕まって、列に戻された。見ると、若い人も年を取った人も、とにかく色々いる。

辺りは石だらけの原野。

草も生えていない。

虫もいないし、カラスも飛んでいない。

黙々と歩いていると、その内に川が見えてきた。あれが、三途の川だろうか。

川には船があって、行列の人達が、順番に向こう側に運ばれて行く。列をおばあさんが見定めていて、時々、誰かの手を取る。手を取られた人は、別の列に並ばされていた。その列は、川とは逆側に向いていた。

何だろうと思ったけれど。

側にいる、青い肌の鬼が、教えてくれた。意外と鬼は、ルールを守る人間には、親切らしい。

「アレはお前、間違えてここに来たり、蘇生が間に合った連中だ」

「そうなんですか」

「見たところ、お前は駄目だな。 体が木っ端みじんだし、即死だ」

「木っ端みじん……」

何が起きたのだろう。全く覚えていないから、どうにもならない。

船はあまり速く動いていないし、それほど数もないらしい。お爺さんとお婆さんがのたのた働いているけれど。

それくらいでは、どうにもならないくらい。その辺りにいる人が多いのだ。

おばあさん増やせば良いのに。

漠然と、そう思った。

ふと気がつくと、青鬼が、わたしの顔を覗き込んでいた。食べるつもりだろうかと思ったけれど。青鬼は、心配しているようだった。

「しっかしお前、なんつー目だ。 一体どんな運命にもてあそばれたら、そんな目になるんだ。 目の中が、地獄より酷い闇に満ちてやがる」

「知りたいですか?」

「やめておく。 俺も獄卒やって長いが、現世こそ本当の地獄ってのは、嫌ってほど知っているからな」

座るように言われた。

渡されたのは、おまんじゅうだ。甘くて美味しい。素朴な味だけど、食べていて安心できる。

鬼はため息をつくと、列を乱しているおじさんを怒りに行った。

やがて、お船が来る。

前の方に、様子がおかしい人がいた。目の焦点が合っていない。でも、不思議とおばあさんが一喝すると、大人しくなる。

膝を抱えて、待っていると。わたしの番が来たらしい。

船に乗せられて、川を渡る。

非常にぼろい木の船。二列に並んで、八人が乗ることが出来るけれど、それだけ。船底には、大きな船虫が蠢いていた。

船を漕いでいるのは、骸骨だ。川の流れは激しいけれど。水など流れていないように、船は進んでいく。

対岸に着くまで、ぼんやりと膝を抱えて。顔を膝に埋めて待った。

全身が痛くないのに、今更気付く。

そうか、そうだったのか。

やっと、わたし、死ねたんだ。

それでこれからどうなるんだろう。地獄にはいけないし、行ったとしても軽い地獄というのは、具体的にはどうなるのだろう。

「天宮ひかる?」

声を掛けられたので、顔を上げる。

此方を見ていたのは、やせこけた、青白い顔のお兄さんだった。

「あんたがいるって事は、俺も死んだのか。 そうか、あの状況じゃ無理もないなあ」

「貴方は?」

「俺はただの大学生だよ。 まあ、ニュースで見たからなあ。 空港の前で、あんたが爆破テロに巻き込まれたとか。 警官数名ごと木っ端みじんだって話だけど、どうも過激派とかそういうのじゃなさそうだって言ってたなあ」

「過激派じゃないね」

不意に、長身のおじさんが話に割り込んでくる。

目つきが鋭くで、警官かも知れないと思った。

「あんたさ、周囲の奴らの事ゲロって幾つもの暴力団の息が掛かった芸能事務所が潰される切っ掛け作っただろ。 複数の暴力団の面子を木っ端みじんに潰したんだよ。 だからあんたの事を海外に警察は逃がそうとした。 セーフハウスにかくまっても、殺されるって思ったんだろうな。 だが、「あんたのせい」で捕まったゴミクズ共の中に、国内最大の暴力団の上客がいてな。 手段を選ばずに殺せって、其処の会長が命じたんだよ」

「くわしい、ですね」

「そりゃあそうだ。 俺も現場にいたからな。 情報は掴めたが、警察のキャリアの中にも内通者がいてな。 結局間に合わなくて、犯人ごとドカンだったが」

そうか。いわゆる暴力団対策課の人だったのか。

すまない。

そうおじさんがいうので、むしろ恐縮してしまった。

「あんた、一体何があった。 警察の中でも、あんたの情報は錯綜していて、俺らもよく分からなくてな。 中学一年なのに、幾つもの事務所を薬漬けにして支配していたとか、とんでもない話もあった。 そんな訳無いとは思ったんだが。 あんたのその目、暴力団とやり合い続けてきた俺でも、怖気が走る」

「アイドルとして没落して。 後は、骨の髄までしゃぶられた。 それだけです。 クスリは大体、違法ビデオに出るとき、抵抗しないようにって打たれました。 一日に何種類も打たれたこともありました。 倒れた日には、クスリ打たれて、そのまま次の撮影場所に行けって指示されて。 力尽きました」

「世も末だな……」

「わたしと同じ年くらいでも、お金が欲しくて、喜んで違法ビデオに出ている子もいましたし、お金持ちのおじさんの股間をしゃぶってる子だっていました。 結局わたし、状況を楽しむほど図太くないのが悪かったのかも知れないです。 芸能界って、そういう所なんだって、割り切らなければいけなかったのかも知れないですね」

笑いも漏れない。

再び、膝に顔を埋めて、待つ。

乾いた声が降ってきた。ついたから降りろ。

顔を上げると、対岸。言われるままに船を下りて。鬼が誘導するまま、とんでもなく大きな建物に入った。

おじさんたちとは、其処で別れた。

此方を同情するような目で見ていたけれど。

もう、どうでも良かった。

 

大きな建物は和風というか中華風というか、よく分からない構造で。ただとにかく、何もかもが桁外れに大きかった。

最初に札を渡されて。

歩き回っている鬼に、何処へ行けと言われる。アナウンスが来て、何番の札の亡者は、何番窓口にとか声が掛かるのだ。何だか、この辺りは、生きていた頃に足を運んだ役所みたいだと思った。

呼ばれたので、素足でぺたぺた音を立てながら、七番の窓口に。

裁判官の一人にこれから会うと言われたけれど。ぴんと来ない。

人間用らしい、小さな扉が壁にあって。其処から入る。なんと自動ドアだ。地獄も技術が進んでいるのだろう。でも、自動ドアが木製な辺りは、ちょっとローテクで面白い。

通された先には。

鬼よりも大きくて。威厳のあるおじさんが、席に着いていた。式服というのか、何というのか分からないけれど。着ている服も、随分しっかりしていた。アイドル活動時代も、あんな凄い服は滅多に着た覚えがない。

見下ろされる格好になる。正座しろと言われたので、言われるままに従った。

「ふむ、君はまた、酷い人生を送ったのだな」

髭を豊富に蓄えたおじさんが、巻物を読みながら、そう言う。あの巻物に、わたしの人生が書かれているのか。

そうか。じゃあ、さっさと地獄に落として欲しい。

ぼんやりとそう思っていると。おじさんが咳払いした。

「何か、次の人生に希望はあるかね」

「人生そのものが嫌です」

「それはまた、随分と後ろ向きだな。 君はあまりにも運が悪かった。 親にも周囲にも恵まれず、努力も報われず。 此処まで悲運な人間は、そうそう多くは無い。 それを鑑みて、比較的恵まれた人生を送ることも次には出来るのだよ」

「結構です」

もう、生きること自体が嫌だ。

ため息をつくと、連れて行くようにと、おじさんが言う。

鬼が促したので、部屋を出た。言われるまま歩いていきながら。わたしを連れて行く赤鬼に聞く。

「これから、どうするんですか」

「本人の希望があろうがなかろうが、輪廻転生というのは働く。 お前さんは経歴を見る限り、地獄に落とす必要もない。 だから、適当な所に転生して貰う。 それだけだ」

「いやです。 いっそ、もっとも重い地獄にでも落としてください」

「お前さんみたいに自棄になる子も時々いるがな。 こっちとしても、そんな要求は聞いていられないんだよ。 今あの世は人手不足でな。 しかも来る奴来る奴クズばっかりで、地獄はもう満杯だ。 お前さんみたいに地獄に落とさなくても良い奴まで、地獄に落としてる余裕は無いの。 安心しろ。 極端に運が悪かった分、次の人生は配慮されるから」

逆らおうかと思ったけれど。

それもさせてはくれない。

足が勝手に動くのだ。

やがて、乳白色の池の前に出た。他にも、わたしと同じような境遇らしい人が、池の中へ歩いて行っている。

わたしは。

もう、人間の世界には、戻りたくない。

でも、そのまま歩かされる。

消えたと思った恐怖が。

徐々に、せり上がってくるのが分かった。

いやだ。いやだいやだいやだいやだいやだ。いやだいやだいやだいやだいやだ。もうなぐられたくないののしられたくないおかされたくないくすりうたれたくない。そんげんをきりうりしたくない。

ひとりでただよいたくない。

ごぽりと、口から泡が零れる。

池の底に、沈んでいく。

もがいても、どうにもならない。

見えてくるのは、光。

ああ、光なんていらない。そんなものあったって、少なくともわたしを照らすことはないのだから。

虚無が良い。

何も無い闇の中に、ただ沈んでいたい。それなのに、どうして光なんて、見せるのか。

さっきのお船から、川に飛び込んでいれば良かった。それなのに、決断できなかったのは何故だ。

もう、体が動かない。

意識が、消えていくのが分かった。

 

それから。

わたしは、気がつくと。赤ん坊になっていた。

 

また、にんげんをしなければならないのか。

そう思うと、悲しくて、胸が張り裂けそう。

どうやらわたしの両親は、とてもお金持ち。凄く優しくて、いつもわたしのことを気に掛けてくれる。

欲もなくて、生活はとても安定。

でも、わたしは思うのだ。

此奴らだって、いつどうなるか、分からない。

わたしは、そんなに欲を掻いたか。

ただ、お父さんがいてくれて。お母さんが殴らなくて。それだけで良かった。出来る事は、全部した。

それなのに、どうにもならなかった。

みんな努力が足りないって罵った。

でも、今になって思えば。

努力は、可能な限りしていたのだ。

それでもどうにもならなかった。泣き言だって言わなかった。投げ出すことだってしなかった。それなのに。

世の中を恨んでいる。

気付いてしまうと。後は、闇が全てを覆った。

わたしはいつも膝を抱えて。喋れるのに、喋らないことにした。

心なんて、開くものか。

わたしはまた、地獄より酷い現世に戻ってきた。どうしたら、地獄に落ちることが出来るのだろう。

いずれ、もう少し大きくなったら。

手首でも切ろうか。

自殺すれば、地獄に落ちるって、何処かで聞いた。それならば、ビルから飛び降りても良い。

はやく、こんな世界からは離れたい。

全身が、いつのまにか。

また酷く痛むようになり始めていた。

でも、痛みには慣れっこだ。周りにだって悟らせない。

今日も私は、部屋の隅で膝を抱えて、痛みに全身をむしばまれながら、この世の全てを呪う。

わたしは、地獄に落ちたい。

それだけが、わたしの希望だ。

早く死にたい。

それだけが、わたしの願いだ。

 

(終)