革新なる芸術
序,初めて舞い込む大仕事
奇怪な<冗談>が関係者一同を硬直させた、結成式以来
レヴォルド=フリアイをリーダーとするエンフィールド自警団第三部隊は、着実に業績を上げている
初めて自警団第三部隊の任務をするリオ、トリーシャに対しては、当初からレヴォルドが仕事を見て
アルベルトには得意な力仕事を一任し、熟練を要する仕事には、自分が自ら赴いた
一月ほどが経過すると、リオは一日に平均二つの任務をこなせるようになり
また、トリーシャの学校生活と両立しての協力体制も確立、仕事の能率は上がっていった
第三部隊は仕事を選べる状況にはない。 喧嘩の仲裁や、幽霊の退治、雑草の処理など
雑多な仕事も多く、毎日が違う仕事のため、慣れても油断は禁物だった
冷や冷やさせられた時も何度かある。 リオの担当任務の中で、魔導師ギルドからの依頼があった
その時、リオは魔力をマジックアイテムに注入する仕事の補助と、書類の整理を任せられたのだが
危うくマジックアイテムを爆発させるほど魔力を注ぎ込んでしまい
(本人の魔力が並外れて強力という理由もあった)その時はレヴォルドが謝り
最終的にその仕事は赤字になったが、誠意ある対応がギルドの魔術師に好感を与えたようで
結局仕事は損にならなかった。 それ以来、魔術師ギルドは第三部隊によく仕事を持ち込んでくる
レヴォルドがミスをしたこともある。 アルベルトも、トリーシャも何度かミスをした
だが総合的に見て第三部隊は着実に地歩を進め、互いにミスをカバーしあって団員達は実力を付け
街の住民の感心を、良い意味でも悪い意味でも集め始めていた
そんなおりのある日、自警団事務所を、初老の男が訪れた
「お姉ちゃん、この人が・・・・」
リオが、事務所になっている部屋に、その男を連れてきた
部屋には、ヘキサとトリーシャとアルベルトがいて、仕事で得た報酬、使った備品の整理をしていたが
男が入ってくるのを見ると、レヴォルドに続いて頭を下げた
「初めまして。 自警団第三部隊に何のご用でしょうか」
「うむ・・・それが実は・・・我が劇団を、立て直す秘策を練って欲しいのです」
レヴォルドの言葉に、男ははげ上がった頭を下げ、言葉を選びながら続けた
「筋違いなのは分かっています。 でも、もう我々には、ここしか頼る場所がないのです
報酬も用意しました。 是非、我らをお助け下さい・・・」
前に、レヴォルドは潰れかけた飴屋を、リオと一緒に立て直したことがある
しかし、今回はそれと規模が根本的に異なる。
しばらくの沈黙の後、考え込んでいたレヴォルドが顔を上げた
そして、ヘキサの顔を見る。
例の如くメモリー不足に陥ったことに気付いたヘキサは、素早く耳打ちし
それで客の用件を思い出したレヴォルドは、咳払いをすると言葉を発した
「分かりました。 成功するかは分かりませんが、引き受けさせていただきます
報酬は、成功した暁で構いません。 ・・・・詳しいお話を聞かせていただきましょうか」
これが新生自警団第三部隊にとって発の大仕事になるとは、誰も気付きようが無いことだった
彼らにとって良い意味でも悪い意味でも記憶に残る、印象的な出来事になる事件の始まりでもあった
しかし、幕開けは、意外なほどにあっさりしていた。
初老の男は帽子を机に置き、静かに用件を話し始めたのだった
1,芸術と退廃
悲恋演劇の大作として知られるものの一つに、モルゲスタ劇団が最も得意とする
<アーティとミルラーダ>という作品がある
作品の内容は、仲の悪い家に生まれながら、互いに愛し合ってしまった男女の悲恋を描いた物で
その絶妙な甘ったるさといい、開演の初期に美男美女が主役を務めたこともあり
(しかもこの二人は、当世を代表するほどの名優だった)
絶大な人気を博し、以降は悲恋が劇の定番となって、一世を風靡した
つまり、演劇の主流となった記念すべき作品であり、革新的な名作であったのだが
初公演から50年以上も経ち、悲恋物が腐るほど世間に蔓延すると、その価値も廃れてくる
しかも、モルゲスタ劇団にしても、<アーティとミルラーダ>以上の作品を作れず
作ろうともせず(最初の成功が大きすぎたせいもあった)、現在は凋落の一途を辿っている
無論根強いファンも多く、彼らによって劇団は支えられているのだが
しかしその数も年々減少し、今回劇団のオーナーがついに決断を下したのである
それは藁にもすがる行動であり、実際失敗したら別の手を捜すことになっただろう
そう、今回の依頼主は、そのモルゲスタ劇団であった
初老の男は劇団のマネージャーであり、様々なつてを頼って第三部隊が信頼できることを突き止め
駄目元でジョートショップに仲介してもらい、ここを訪ねてきたのだ
レヴォルドの答えは、勿論<仕事を受ける>であった
と言うよりも、第三部隊は住民への奉仕が目的の部隊だから、断るわけには行かないのである
(勿論、相手がその意志を示した場合は断っても良い)マネージャーが満足して帰った後
第三部隊の面々は、額を集めて話し合った
「モルゲスタっていえば、アーティとミルラーダだよねー!」
楽しそうに第一声を上げたのはトリーシャだった。
年頃の女の子らしく、こういう話題には目が自然と輝く。 アルベルトも、腕を組んで相づちを打った
「それしかないが、だがそれに関しては右に出る物が無い所だな、あの劇団は
確かになかなか良い劇だけどよ、俺は毎回凝ってる主役のメイクにもっと興味があるぜ」
「・・・なあなあ、それって一体どんな劇なんだ?」
素朴な疑問をヘキサが発し、呆れたような視線を向ける二人に先立って、リオが言う
「ヘキサ君、世界で一番有名な恋愛劇だよ
お金持ちの家に生まれた女の人と、別のお金持ちの家に生まれた男の人が恋をするんだけど
二つの家はとても仲が悪くて、二人は最後に死んじゃうんだ・・・」
「な、なんか根暗な劇だな」
「そんな事無いよ。 僕はまだ見たこと無いけど、一度見たら忘れられないって・・・」
その時、レヴォルドが立ち上がった。 暫く考え込んでいたのと、皆の話に割り込む理由がなかった為
無言でいたのだが、考えがまとまったので口を開くことにしたのである
「そう、昔はそうだった。 劇が公開された当初は記録的なヒットを出して
世間には悲恋物の劇が大流行した。 しかし、五十年も経つと話は違ってくる
トリーシャ。 恋愛系の有名な劇は、幾つ思いつく?」
「えっと・・・30個くらいかな・・・」
返ってきた答えに頷き、レヴォルドは核心を突く
「その中で、<アーティとミルラーダ>はどれくらいの良さだ?」
「あ・・・そっか」
「そう、真ん中くらいという評価が、大半の人間からは帰ってくるだろう
要するに世間には、この作品よりも認知され、人気のある作品がもう幾らでもあるのだ
内容が如何に高度であれ、民衆は既に<アーティとミルラーダ>には飽き飽きしている
である以上、採る方策は必然的に限定されてくる」
「まどろっこしいな、さっさと言えよ」
直情径行のアルベルトが、目に興味の光を湛えながらも茶化すと、皆それに同意した
だが、レヴォルドは口の端に微妙な微笑みを浮かべ、すぐにそれには応えなかった
第三部隊の面々が、レヴォルドの恐るべき考えを知るのは、少し後のことになる
二日後、書類整理の仕事から帰ってきたトリーシャと、ペットシッターの仕事から帰ってきたリオ
それに魔物退治から帰ってきたレヴォルドとアルベルト、ヘキサは合流し
昼食を済ませると、一緒にエンフィールドに滞在中のモルゲスタ劇団へ向かった
劇団は未だにかなりの規模を誇り、団員も多かったが
高齢化が目立ち(流石に主演の男女は若かった)、設備は老朽化しており
また、誰の目にも覇気と活気が無く、レヴォルド達を見ても反応が鈍かった
入り口には一昨日自警団事務所に現れたマネージャーがおり、レヴォルドを見てすぐに腰を上げた
挨拶の言葉もそこそこに、自警団第三部隊は、劇団の団長が宿泊している部屋に通され
有無を言わせず席に着かせられると、紅茶と茶菓子を出されて静かな沈黙が訪れた
「まずは、自己紹介いたしましょう。 私はワッフス=メートアダロ
この劇団の、オーナーをしている者です
このたびは、経営再建にご協力いただきありがとうございます。
専門家ではないあなた方にこの様なことを頼むのは、筋違いと分かっているのですが
それでも力を貸して下さり感謝の言葉もありません」
「・・・・貴方の名は聞いたことがある。 <アーティとミルラーダ>の三代目主演俳優ですね」
静かに頷くと、老人は茶を啜った。 成る程、老いたりといえど老人は眉目秀麗な顔立ちで
だが覇気はなく、全体的に動きが鈍い印象を受ける
隣では、トリーシャとリオが小声で会話を交わしていた
「ねえねえ、考えてみればレヴォルドさんって恋愛劇にやたら詳しいよね。」
「そんな・・・・不思議な事みたいに言うのは失礼だよ
お姉ちゃんだって、女の人だからじゃないかな?」
青ざめて吹き出すトリーシャ、夜道でのあの出来事を思い出したのである
鋭い一撃、凍り付くような殺気。 そして無茶苦茶な<冗談>。
元女の子だというのは分かるが、それを指摘されると、余りに大きな違和感に押し潰されざるを得ない
咳き込むトリーシャには緯線を向けず、レヴォルドは身を乗り出した
「まず、単刀直入に申し上げましょう。 <アーティとミルラーダ>に、未来はありません」
大きな音を立てて、ワッフスが吹き出した。 その有様は、隣で見ていたアルベルトを心配させたが
やがて咳き込む老人に向けて、レヴォルドは容赦なく第二射を放った
「<アーティとミルラーダ>は間違いなく良い劇です。 しかし、長く生きすぎた
これからは新しい世代の劇を作り、それを育てて行くことが必要でしょう」
「しかし・・・・そんな・・・・どうやって・・・・」
ようやくそれだけ言うことが出来た老人に向け、レヴォルドは立ち上がって言い放つ
「即ち、新しい劇を、革新的かつ今までとは一線を画する劇で、世間の注目を集めればよい!
これぞフリアイ流暗黒武神剣術奥義、新作大公開・大乱舞! わはははははははは!」
凍結した時の中でレヴォルドは一人笑っていたが、やがて思い出したように懐から紙束を取りだし
その場の全員に配り始めた。 それは、劇の台本だった
「私の父は劇作家。 今でも恋愛劇を中心に、様々な劇を書いているが
これは<是非世に出して欲しい>と頼まれた革新的一作。 目を通してもらいましょう」
その劇の内容は、凄まじい、あまりにも凄まじすぎる内容だった
革新的であったが、余りにも革新的すぎた故、常軌を逸する内容に成り果てていたのだ
リオは途中で魂が抜けかけ、トリーシャは読み終えると同時に悶絶
アルベルトは発熱を覚えて蹲り、そしてヘキサが呟く。 その目は完全に明後日の方向を見ていた
「おい・・・・レヴォルド・・・・これ観客に死人がでるぞ」
その言葉に、場にいるレヴォルド以外の全員が、泣きながら同意する
だが、レヴォルドは、不敵に笑みを浮かべそれを破砕してのけた
「心配ない。 心臓が弱い方は立入禁止と張り紙を出せばいい」
そう言う問題じゃない。 その場で逝きかけている皆は、心の中で同時にそう言葉を吐いていた
最も積極的な反撃を試みたのは、劇団の責任者であるワッフスだった
「し・・・しかし・・・・今からこれをやる準備をするには・・・・」
「それも問題はない。 既に必要な小道具、大道具、それに配役の構想は私の頭の中にあります」
反撃を苦もなくかわされながらも、老人は屈しない。 汗を流しながら必死に言葉の剣で反撃する
「でも・・・台詞を覚えられるかどうか・・・」
この時、レヴォルドが笑った。 アルベルトが青ざめて、後ずさるほど恐ろしい笑みだった
「では、私が主演女優をやりましょう。 この劇は昔から気に入っていて、台詞は全て覚えています」
この時、冥界の門が、音もなく開かれたのであった
2,恐るべき操作術
細かい打ち合わせを終え、皆は事務所に帰還を始めていた
トリーシャはあの劇の内容があまりにも衝撃的だったらしく
途中で小さな物音がしてもいちいちびくびくし、リオに心配されていた
一方のリオも、あの劇には驚くべきショックを受けたようで、時々貧血を起こしてうずくまって
最後にはアルベルトに背負われ(文句を言いながらもアルベルトはまんざらでもなさそうだった)
自警団の事務所に向かっていた。 何時も陽気なヘキサさえ、今日は口数が少ない
「明日からは、私が直接向こうと交渉しておく。 結果は三日後に話す
それまでは、通常業務を続けて欲しい」
「・・・・了解」
とにかく、それだけ言うのが精一杯だったと言うのが実状であろう
事務所でそれだけ会話すると、今日は解散となった。 疲れ切った体で、各は帰宅していった
トリーシャとリオをそれぞれ家に送っていくと、レヴォルドは夜道で静かに苦笑した
「少々やり口があざとかったかな・・・・今回は」
「あざといっていうかなんていうか・・・」
他の者より受けたショックは少ないとはいえ、大きなショックに多大な精神疲労を受けていたヘキサは
空中で頬杖を付きながら、レヴォルドに応じた。
その姿を横目で見ると、<肝が据わった>剣士は、静かに続ける
「ヘキサ、大事な話がある」
「何だよ。 金なら貸さねーぞ」
「そんな事ではない。 トリーシャはちゃんと家に送り届けたっけ?」
真剣な目で自分を見るレヴォルドに更なる脱力を覚えながら、ヘキサは言葉に応じた
「今送ったじゃねーか・・・・早く帰って晩飯にしよ−ぜ」
「そうか。 では今晩は・・・・あれにするか」
その<あれ>とやらを、レヴォルドが帰宅した頃にはすっかり忘れていたことなど
別に言うまでもないことだろう、いつものことであるからだ
<あれ>とやらが一体何だったのか永遠の謎となったわけだが、悲しむ者もおそらくいまい
それから一週間ほどは、第三部隊にとって平常的な業務が続いた
リオは洗濯物の片づけや配達、トリーシャは烏の巣を撤去し、アルベルトは壊れた家屋の修理等を行い
その間レヴォルドは劇団に何度か足を向けつつ、自身は専門任務をこなしていき
いつもより激しく<メモリー不足>に陥りながらも、任務自体は大過無く片づけていた
一週間が経過した日、レヴォルドは団員に向け、事務所で発表を行った
「では、これから皆に、モルゲスタ劇団の新劇<ダークオブラブ>における、役割を発表する」
「役割・・・・てことは」
「そうだ、アルベルト。 お前達にも参加してもらう」
皆が互いの顔を見合わせるのを確認すると、レヴォルドは言葉を続けた
「皆、それぞれにしかできない役だ。 気合いを入れて望んで欲しい
まず私だが、ヒロインの<アーリア王女>を演じる」
「やっぱりやるのか・・・・」
呆然とするアルベルトを前にしたレヴォルドの顔には、微妙な高揚感と緊張感があった
レヴォルドの父は劇作家、母は剣術道場の師範である(余談であるが、この母の実力は近隣屈指で
その気になれば大都市でも充分に道場をやっていけるのだが、レヴォルド以上の変わり者であり
また欲望が非常に薄いため、そう言うつもりは毛頭ないようだ)
剣術で度胸を、父による指導で演技力を鍛えられたレヴォルドは
実は役者としての適性を、充分以上に備えていたりするのである
(ただし、普段から訓練しているわけではないため、水準の役者と実力は同等くらいである)
ちなみに、この時点では誰も主演をやりたいとは言わなかった。
理由は、劇の内容を知っているからである
「主演男優は、モルゲスタ劇団の男優に演じてもらう
続いてリオ。 お前には、魔王を演じてもらうぞ」
その場の空気が凍結したことにも全く構わず、レヴォルドは言葉を続けようとしたが
リオが必死の勇気を振り絞り、言葉を吐き出した
「お、お姉ちゃん! 僕が・・・僕が魔王!? 魔王になるの!??」
「そうだ。 それに関しては、色々とお前にはやってもらうぞ
今から役作りはともかく、度胸も付けねばならないし・・・・
何故お前を選んだか教えてやろう。 まず、魔王を子供がやるという強烈なインパクトが一つ
そして、真面目なお前の人格に対する期待が二つ。
いずれにしろ、これはお前にしかできない役だ。 頑張ってくれ、リオ」
その言葉を聞いた途端、少年の不安は雲散霧消し、代わりに認められたことに対する喜びが浮かんだ
必死に感情を抑えようとしながら、それでも嬉しさは隠せないようで、満面の笑みを浮かべる
「う、うん! 僕頑張るよ! お姉ちゃん!」
「い・・・一体どうゆう恋愛劇になるんだろう」
さり気なくトリーシャが呟くが、既に高揚感で目を潤ませているリオには聞こえない
それを見て満足げに頷くと、レヴォルドはトリーシャに顔を向けた
「トリーシャ。 次はお前だが」
「は、はいいっ! ボ、ボクは何をすればいいの?」
「お前は最初にでてきたメイドだ」
見事に机に突っ伏したトリーシャは、リオが急に顔色を変えて外にでていったことにも気付いていない
おのメイドがあんまりにもあんまりな役だったのを、彼女は良く覚えており
一瞬遠くに行きかける意識を抑えて、必死の反撃を試みる
「ボクが・・・・あの役やるの?」
「トリーシャ、あれはお前にしかできない役だ。
お前の端整な顔立ちと明るい魅力が、花を散らすようにあのような目にあうアンバランスさ
これは客の心を掴むのに必要不可欠だ。 是非お前にやって欲しい」
「え・・・そんな・・・・端正だなんて・・・・その・・・・
やーん! 面と向かって言われると照れるじゃなーい! トリーシャチョーップ!」
照れ隠しにトリーシャが放ったチョップは、何故か隣に座っていたアルベルトの顔面を直撃した
レヴォルドの言葉にすっかり気をよくしている少女に、そんな事が分かるわけもなく
それを満足げにみやると、レヴォルドは鼻柱を抑えているアルベルトに向き直った
チョップがそれほど効いたわけでもなかったアルベルトは、咳払いをすると、表情を改める
「俺の役はなんだ?」
「お前には裏方をやってもらう。 色々と、リオを補助してもらいたい」
一瞬の沈黙の後、アルベルトは激昂していた。 直情径行の彼には当然の反応だろう
「なっ・・・! 何でこの俺が裏方なんだよ! 説明しろ!」
「口で言うよりも、実際にやってもらった方が早いだろう
リオは外か。 では、そちらで実験しよう」
不満たらたらのアルベルトを連れ、レヴォルドは外にでた
リオは外にある木に手を突き、激しく咳き込んでいたが、第三部隊体長に気付くと顔を上げた
「おねえちゃん・・・・げほっ・・・げほげほっ・・・・ごめん・・・・急に外にでて」
「気にするな。 いずれ話してくれればそれで良い」
自分の秘密にレヴォルドが気付き始めているのではないか、それはリオにとって恐怖の一つだったが
レヴォルドはそれに蓋をする形で、言葉を断ち割った
そのまま彼女はロープを取りだし、事務所の二階にはしごを掛け、アルベルトを昇らせ
そして、リオの体にロープをくくりつけ、二階に上げた
「よし、アルベルト、リオをロープで下ろしてくれ」
「おいおい、こんな足場の悪いところでか?」
文句を言いながらも、アルベルトはリオを軽々と担ぎ上げ、ゆっくり降ろしていった
意外にそれは難しい作業で、かなりの時間をかけ、心配げに見守るトリーシャとヘキサの前で
ロープは少し揺れながらも、やがてリオは地面に降りた
(事故に備えて、その間レヴォルドはずっと衝撃緩和用のマジックアイテムを構えていた)
「どうだリオ、怖かったか?」
「うん・・・少し揺れたから・・・・」
「本番は、この三倍の高さからだ。
アルベルトのような信頼できる人間以外から、同じ事をされたらどう思う?」
青ざめたリオが、首を横に振った。 アルベルトがそれを見て、肩をすくめた
「やれやれ・・・そう言うことか。 分かったよ」
「それと、揺れないようにな。 本番では、荘厳な雰囲気を出すために、リオは空から降りてくる
その途中でふらふら揺れたら物笑いの種だ。 成功は、お前の双肩にかかっているのだ」
双肩にかかっている。 その言葉を聞き、アルベルトはまんざらでもなさそうな顔を浮かべていた
事務所に戻ると、今度はヘキサに向け、レヴォルドは言った
「最後にお前だが、ヘキサ。 お前は透明になれる特性を利用して、舞台効果をして欲しい」
「お、具体的にはどんなことをすればいい?」
期待に目を輝かせるヘキサに向け、レヴォルドは淡々と応えた
「要するに、銀紙をばらまいたりすればいい。 本来は黒子がやるんだが
姿を消せるお前なら、それ以上の適任だ。 お前にしかできない仕事だ
上手く行ったら、ラ・ルナで豪華な夕食を御馳走してやるぞ」
「お、そうかそうか!? それはすげえな! よし、オレはやるぞ!」
ヘキサの言葉に、レヴォルドは満足げに頷いた
もし、この場にルーがいたら、静かに呟いていただろう
「第三部隊の隊長は、間違いなくあいつだな。 大した人心操作術だ」
また、イヴがいたら、こう呟いていただろうか
「少々やり方があくどいけれど、見事なやり口だわ。 部下が喜ぶ言葉をきちんと心得て
それを刺激してやる気にさせている。 興味深い事象ね」
ただし、彼らも認めてはいただろう
レヴォルドが、悪意を持ってこれをしていたのではないということを
団員達の気持ちをまとめるためにスパイスを使いはしたが、それはあくまで余技に過ぎず
隊長としての役割を果たし、部下達を導くための策に過ぎないことだと
確かに、誠実さで部下を導くタイプではなかったが、狸と呼ばれるかも知れなかったが
レヴォルドには、隊長としての素質が充分に備わっていたと言えるだろう
新生第三部隊はこれで<ダークオブラブ>を演じる心構えが出来、目標に向け邁進し始めた
それのきっかけを作ったのが、レヴォルドであることは、疑いない事実だった
3,新たなる流れをもたらす劇への道
劇の公演は二週間後。 第三部隊の任務を続けながら、皆は技術の習得に勤しんだ
リオとトリーシャには、レヴォルドが自ら発声練習を行わせ、演技を指導すると共に
強引な説得でその気になっているモルゲスタ劇団の団員達も、準備に勤しんでいた
一通りの事を二人に覚えさせると(急あしらえではあったが)、レヴォルドは二人に課題を出した
「次は役作りだ。 リオは、自分が魔王になったつもりで、色々考えろ
毎日、<僕は魔王>と1000回唱えるといい。 自然に魔王になったつもりになれる
お前の父君と母君には、私から話しておこう。 思う存分役作りをしろ」
「う・・・うん。 分かった。 頑張ってみるよ」
純粋無垢な表情でリオが頷く、由羅が見に来ていたら思わず抱きしめて嫌がられただろう
「そして、次は度胸付けだ。 これから仕事が終わったら由羅の家に行ってこれを届けてこい
一週間それを続ければ、自然に怖さが消えてくる」
そういってレヴォルドが取りだしたのは、味はいいものの、アルコール度数の少ない酒だった
由羅の家に届けるのは怖かったが、度胸を付けるためには仕方がない
もう一度決意を持って、リオは頷いた。 何も熊と素手で格闘しろと言うわけでもないのに
滑稽ではあったが、リオにとって由羅は苦手と言うよりも恐怖の対象なのである
「次にトリーシャ、これから毎日これを着て学校に通え」
そう言ってレヴォルドは、仕上がったメイド服をトリーシャの手に渡した
二着作った(しかもレヴォルド自身が)うちの一着であり、自腹を切って作った物である
レヴォルドは、裁縫はさほど得意ではなかったため、エキスパートであるディアーナの手を借り
手を絆創膏だらけにしながら、仕事の後に作っていった渾身の力作で
確かにフリフリびらびらで可愛らしい服なのだが、登校するのに着るのは少々恥ずかしいだろう
「え・・・ええ・・・・? 可愛いけど・・・恥ずかしいよ・・・これ・・・・」
顔を赤くしてもじもじするトリーシャであったが、レヴォルドは静かに冷静に言う
「だからこそだ。 まあ、劇が終わったら、いつもので登校すればいい
教職者達には、私から話しておく。 そちらは心配するな」
実のところ、トリーシャは劇の人物と性格が似ているため、それほど役作りの必要がない
故に、度胸付けだけで良かった。 まあ、トリーシャの場合元々結構度胸があるので
(奇妙に傷つきやすく、繊細な部分も大きいのだが)これぐらいのことで良いという理由もあった
「後は、アルベルト、ヘキサ。 お前達は本番に供えて、訓練を続けてもらうぞ」
「ういっす。 ラ・ルナで豪華な夕食のためにも頑張るぜ!」
「おう、任せとけ」
二人の答えを確認すると、レヴォルドは満足げに頷いたのだった
バクスター家で騒がしくなったのは、翌日の朝からだった
リオが家に帰ってくると、ずっと虚ろな目でぶつぶつ呟いているのに不審を抱いたバクスター夫人が
涙を流して騒ぎ出し、バクスター氏が必死に彼女を慰めたのである
「貴方! リオが、リオがおかしくなってしまったわ!」
「大丈夫だ。 ほら、レヴォルド隊長が言っていただろう?
あれは素晴らしい劇の訓練だそうだ。 だから、心配するな」
必死に妻の心を落ち着けようとするバクスター氏の側で、リオはただ虚ろな目で
「僕は魔王、僕は魔王、僕は魔王、僕は魔王・・・・」
と呟き続けていた。 やがて、それには様々なヴァージョンが加わり、その中には
「僕が魔王、だから僕は世界を破壊し尽くす」
という物騒な言葉もあったため、バクスター氏は繊細な妻の心を落ち着かせるのに必死だった
リオはその<訓練>を終えるとすぐにまともに戻り、自室で劇の台本を食い入るように読んだ
その集中力はなかなか大した物で、将来性を感じさせる姿であり
それを見ていたバクスター氏が、ふと息子に声をかけた
「リオ、本当に大丈夫か? 母さんは心配しているぞ」
「お父さん、大丈夫だよ。 この劇が終わったら、すぐにやめるから」
リオの表情には、僅かに笑みも浮かんでいた。
長らく少年の笑みを見ていなかったバクスター氏は、追求を封じられ、引き下がざるを得なかった
それほど、彼の息子は良い表情をしていたのである。
変であっても、レヴォルドが息子を変えている人間に違いないことを、改めて敏腕実業家は悟っていた
それ故に、息子の自主的な行動を、制することは絶対出来なかったのである
一方で、エンフィールド学園の方も、翌日から騒がしくなった
トリーシャが、真面目にメイド服を着て登校をし始めたからだ
元々男子生徒に人気のある美少女のトリーシャである(でも、彼は出来た試しがない
仮に出来ても、リカルドに恐れを為してすぐ逃げてしまう)
メイド服の彼女は元々の可憐さに更なる華を加え、周囲の注目を集め
しかしそれで図に乗るような性格ではないため、からかわれると恥ずかしがって真っ赤になり
結果、トリーシャは、毎日いそいそ登校していた
「トリーシャちゃん、それ、どうしたの?」
メイド服で登校する学友に怪訝な視線を向けたのは、シェリルだった
トリーシャの親友であり、分厚い眼鏡をかけたこの少女は、夢想癖のある読書家で
本を読ませると、自分の世界に入り込んで延々と独り言を言う奇癖を持っている
性格は大人しく、いつも破天荒なトリーシャやマリア(同じく学友)のブレーキを務めているが
最近は更に無茶苦茶なレヴォルドがトリーシャを振り回しまくっているため、愚痴を聞くことが多い
(ただし、トリーシャは一度もレヴォルドの悪口を言ったことはない。 疲れるとは何時も言うが)
シェリルは、レヴォルドの行動で疲れ切ったトリーシャが、壊れたのではないかと心配したのだが
学校で普段着に着替えたトリーシャは、苦笑しながらそれを否定した
「違う違う、これ、役作りと度胸付けなんだ」
「え・・・・それって・・・・・トリーシャちゃん、劇にでるの? どんな劇? 教えて?」
目を輝かせ、トリーシャの手を握るシェリル。 恋愛小説マニアの眼鏡少女、当然恋愛劇も好きであり
語らせたら確実に数日は使うことであろう、一歩下がったトリーシャは、困惑した笑みを浮かべた
確かに今回彼女が出演する劇は恋愛をテーマにした物だが、それはそれは物凄い内容であり
免疫のないこの無垢な少女が見たら、冗談抜きに泡を吹いて倒れる可能性がある
だが、断ればシェリルは確実に傷つく。 それだけは、絶対に避けたい
しばらく頭の中で天秤をかけ、やがてトリーシャは結論を出した
「うん、じゃあボクからレヴォルドさんにいって、劇のチケットもらってあげる」
たまには、温室栽培の精神を、外の空気にさらした方がいい
そうトリーシャは考え、行動した。 結果シェリルは喜んだが、後で酷い目に遭う事になる
幸い、二人の友情にひびが入ることはなかったが
だがしかしトリーシャの決断が正しかったかどうかは、はなはだ疑問であるとも言えたであろう
何故なら、劇の後、シェリルには辛い時代が訪れたからである
時間は過ぎていき、本格的なレッスンも何度か行われ、そして劇の当日が訪れた
トリーシャとヘキサの手によって、街にチケットが配られ
モルゲスタ劇団の新劇と言うことが話題も呼んで、劇場は超満員となった
既に大道具や小道具の調整は完璧、最初はレヴォルドの怖すぎる演技に退きまくったリオも慣れ
トリーシャも自分の演技を確立し、アルベルトもヘキサもタイミングを覚えた
それらに劇の成功を確信したレヴォルドが、楽屋で激を飛ばす
「ついに我らが、エンフィールドを新たなる闇の風で覆い尽くすときが来た!」
あまりな言葉にはらはらするワッフス老人の前で、レヴォルドは更に続けた
その表情には熱情があり、高揚を瞳に写し、身振りを交えて言葉を放つ
「ちなみに、この劇が失敗すれば、ワッフル翁は家族と一家心中することが決まっている!
皆、気を抜くな! 運命は、貴公らにも同等に降りかかるはずだ!」
ワッフル老人が石化し、楽屋が凍結するのを確認すると
手を振り、最後の言葉をこの劇の裏(真の)主催者は叫ぶ
「勿論今のは冗談だ。 これぞフリアイ流暗黒武神剣術奥義! 偽一家心中! わはははははは!」
「それ冗談じゃないし、お前が言うとそもそも冗談に聞こえないんだよ・・・・」
こっそりとつっこみを入れたのはヘキサだけで、他の皆は冷や汗をかきながら無理矢理笑っていた
楽屋が強制的に和まされた事を確認すると、レヴォルドは頷く
決戦の幕は、此処に斬って落とされたのである
4,新たなる物がもたらす衝撃
積極的な宣伝工作が功を奏し、劇の幕が上がる前から、観客席は超満員であり
その中にはトリーシャの父親リカルドと彼の部下数名の他
旧王立図書館に勤める聡明な女性イヴ、ドクター・トーヤの助手であるディアーナ
セントウィンザー教会に勤めるセリーヌ、教会で暮らすローラ、最近自警団で働き始めたヴァネッサ
それにリオを追いかけ回している由羅や、彼女の被保護者の少女メロディ
アルベルトの妹クレアや高度な頭脳と要領のよさを誇る青年ルーなど、レヴォルドの友人も皆来ていた
ローラはどうもシェリルと一緒に来たらしく、恋愛劇を二人で語りながら、ポップコーンを食べている
そして最前列には、恋愛劇評論家として有名な、ドールトン=ヴァラケスという男の姿があった
この男、何歳になっても自分の足で情報収集を欠かすことのない傑物であり
それだけに、モルゲスタ劇団の新作と聞いて四つも離れた町から飛んできたのである
彼らの期待を一身に背負いながら、舞台の幕が上がった。 拍手が響き、其処には城の情景があった
劇の最初は、大国の王女<アーリア>と、小国の王子<ネフェティ>の出会いから
叶わぬ思い、二人の苦悩が描かれ、極平凡な悲恋物として始まった
レヴォルドは王女の役に相応しい豪華な衣服を身につけており、その身ぶりは優雅にして可憐
普段の彼女が絶対に浮かべないような表情を浮かべつつ、朗々と自分の思いを歌い上げた
目を輝かせているローラやシェリルに比べて、退屈そうだったのがドールトンである
別に一般的な内容だし、役者がずば抜けて上手いわけでもない。
彼が失敗を感じ始めたとき、転機が訪れた
「おお・・・・・ネフェティよ! 何故にお前はネフェティなのだ!
私の思いは届かぬ。 神よ! 何故、我が思いを聞き届けぬ!
汝に、我が一日でも祈りを欠かしたか? 私の些細な願いが、何故叶わぬ・・・・」
テラスに手を突き、レヴォルドは言う。 劇に奇妙な暗雲がかかり始めた一瞬だった
やがて、レヴォルドは肩を振るわせ笑い始めた。
ポップコーンを口に運んでいたローラの手が、奇妙な悪寒を感じて空中で停止した
「神が我が望みを叶えぬ・・・ならば・・・・・」
テラスから身を翻し、レヴォルドが自室に引っ込むと、舞台が代わり、不気味な部屋にと変貌した
一気に血塗られる情景を予測した者が、観客のうちどれだけいただろうか
不安を感じ始めた観客に代わり、目を輝かせ始めたのがドールトンであった
「ミーシャ! ミーシャはいるか!?」
「はーい、王女様、此処にいまーす!」
手を叩いてレヴォルドが呼ぶと、メイド服を着たトリーシャが現れた
観客席から、男性諸君の感嘆の声が挙がる。 それほど今日のトリーシャは可憐であり
リカルドなどは、目から涙を流しながら、娘の晴れ姿を喜び呟いた
「トリーシャ・・・・すっかり綺麗になって・・・・
しかしあんなに綺麗になってしまったら、嫁に行く日も近いのだな・・・・悲しくもある」
レヴォルドとトリーシャは、壇上にて二言三言会話をしていたが
程なく王女を演じるレヴォルドの瞳に、危険な光が宿った
「ミーシャ・・・お前は私が小さな時からの友人だ。 私に良くしてくれて嬉しい
私の命令なら、何でも聞いてくれるという誓い・・・・覚えていてくれたか?」
「勿論ですよぉ! 私、王女様の命令だったら、何でもしまーす」
「・・・・そうか。 では、目を瞑って其処に立て」
言葉通りにトリーシャは、直立したまま目を瞑った
次の瞬間。 レヴォルドは壁に立てかけてあった大剣を振りかぶり、トリーシャに振り下ろした
一人前の剣士たる彼女の一撃は見事であり、それはトリーシャを一撃で深々と切り裂く
飛び散る鮮血、それはレヴォルドが纏う衣装にも飛び散り、顔を半分朱に染めた
観客席の者達の半数が噴き出し、ローラとシェリルに至ってはその場で硬直している
リカルドなどは娘の名を呼びながら立ち上がりかけ、周囲の部下達に制止されていた
「離せ! トリーシャが、トリーシャがっ!」
「隊長、これは劇です! 劇ですってばぁ!」
目を見開き、自分に倒れかかるトリーシャを、レヴォルドは抱き留め
吹き出す鮮血で自らを更に朱に染めつつ、右手に大剣を持ったままで笑った
背筋が凍り付くような笑みだった。 レヴォルドは狂気の視線を、観客席に向け
そして、部屋の中央にある魔法陣に、動かぬトリーシャを引きずっていった
「ふ・・・・ふふふふふははははははははははははははははぁ!
天よ見よ! 地よ聞け! 我此処に、我を最も信頼する無垢な魂を
自らの愛のために、惨殺するという大罪を犯せり! 神よ怒れ! そして・・・・」
トリーシャを魔法陣に乱暴に転がし、足で蹴ってその中央に押しやると、レヴォルドは大剣を振り上げ
そして、狂気じみた絶叫と共に、剣を胸の中央に突き降ろした
「この者の無垢な魂の叫びに応じ、いでよ魔王っ!」
余りにもリアルな肉を貫き骨を砕く音が響き、更に飛び散る鮮血は、レヴォルドの顔にかかる
そのまま彼女は剣を引き抜き、放り捨てる。 血塗られた剣は、乾いた音と共に床に転がった
そして鮮血を手の甲で拭うレヴォルドの上から、一条の光が射し
深々と蒼いフードを被った小柄な人影が、ゆっくり降りてきた
荘厳な音楽が、その雰囲気を助長する。 着地と同時にマントを翻し、その存在は顔をさらした
そう、それはリオだった。 既に自分の役に没頭し、完全に<魔王モード>になっている
「私は魔王アークフェレギス・・・・闇を喰らい、世界を滅ぼす者成り
我を呼んだのは、汝か、娘よ」
静かに立ち上がり、リオは言った。 その言葉にレヴォルドは頷き、凄絶な笑みを浮かべた
「何を求める、血塗られた娘よ。」
「ネフェティを・・・永遠に私のものにする事だけが、私の望みだ」
血塗られた凍結の後、リオは顔を上げた。 リオの両親は既に先ほどの光景で凍結しているため
息子の晴れ姿を見ながらも、声援を挙げることもなく、ただリオを見ていた
「残念だが、この娘の命だけでは、その願いはかなえることが出来ない
私に愛する者を更に捧げよ・・・・さすれば、願いをかなえてやってもよいが・・・」
「そうか。 では聡明なる王たる我が父王・・・それに賢母たる我が母を貴様に捧げよう」
レヴォルドが言うと、舞台の背景に鮮血が飛び散り、男女の悲鳴が上がった
だが、魔王リオは満足しなかった。 何かを手に納める動作をしながらも、首を横に振る
「まだ足りぬ・・・良き魂だが、まだまだ足りぬ」
「ならば、忠勇無双なる我が城の兵士達を捧げよう・・・・忠臣、名臣達の命も喰らうが良いわ」
更に鮮血がぶちまけられ、悲鳴が上がる。 だが、リオはこれでも満足しなかった
「ふむ・・・・良い魂達だ。 だが・・・・今だ私の腹は満ちぬ」
「そうか・・・では我が敬愛し、我もまた敬愛される・・・・この国の民全てを貴様に捧げよう!
ふふ・・・・・ふふふふふふふふ・・・・・・・ふふふふふふふははははははははははははは!」
レヴォルドの笑いは、劇場を覆い尽くした。 既に身動きするものとていない
そして、周囲を見回して、阿鼻叫喚の渦の中リオは舌なめずりし、マントを翻した
「良かろう・・・・王子は此処に近づいているようだ
奴が来てから、汝の願いをかなえてやろう」
此処で一旦幕がおり、休憩時間に入った
だが激昂して立ち上がるリカルドと、腕組みして考え込むルー
興奮して目を輝かせるドールトンと目を細めるイヴを除いて、誰ひとり身動きしなかった
否、それは否。 正確には、身動きできなかったのである
頭から湯気を立てて、制止を振り切って楽屋に乗り込んできたリカルドは
血みどろのままアルベルトと談笑している愛娘を見て絶句し、そして咳払いをした
「アル! トリーシャ!」
「た、隊長! こんな所までご足労様です!」
「お父さん! どうしたの? 血相変えて!」
先ほどまでメイク係と熱く化粧を語っていた興奮を残さず、トリーシャと会話していたアルベルトは
足下をすくわれた少年のように取り乱し、慌てて敬礼した
リカルドはまず娘の無事を確認してから、溜息をついた
「無事で良かった、トリーシャ。」
「お父さん・・・・ボクを心配してくれたの?」
「うむ・・・・まあ・・・その何だな。」
そこでリカルドは表情をようやく普通に戻し、一体どういうことであったのか聞き始めた
トリーシャはこの劇が開かれることになったあらましと、劇で使われた特殊効果を説明していく
まず、斬られたトリーシャに降りかかったのは、特殊トリック用の血糊であり
洗濯すれば簡単に墜ちる。 また、レヴォルドの振り下ろした剣は、引っ込むように細工されており
効果音は裏方が作った物だった。 いずれにしろ、何度も練習されてきた事である
「ボクの出番はもう終わりだから、後は此処からレヴォルドさんを見るだけだよ
お父さんも此処から見る? こっちの方が、近くて楽しいよ」
「うむ・・・そうだな。 そうしよう」
あんなに興奮したことに後悔を覚えたのか、リカルドは曖昧に頷き、席に着いた
ちなみに、彼の部下達は既に席で硬直している。 故に、楽屋には入ってこなかった
後半が始まったが、席を立つものは誰ひとりいなかった
休憩時間の最中もである。 あまりの強烈なインパクトに、脳が麻痺していたのだ
後半の劇は、ネフェティ王子がアーリア王女の国に赴く所から始まり
王子は数人の部下と共に王女の国に潜入したが、そこは無数の悪魔が蠢く魔境と化していた
部下達を悪魔に貪り食われ、王子は必死に城に辿り着く
そして、深手をおいながらも愛する王女の元へ赴いたのだ
テラスで彼に背を向ける王女を見付け、傷を抑えながら、王子は声をかけた
「王女! 無事で良かった! この国に・・・・一体何があったんだ!」
「ネフェティ・・・・それはな・・・・」
振り向くレヴォルド。 王子役の役者が、息をのんで退いた
演技以上に、鮮血を浴び、凶笑を浮かべたレヴォルドに、精神的な圧迫感を覚えたからである
「私が魔王と契約したからだ。 お前と私の愛を永遠とする為だけにな・・・・」
レヴォルドの声に会わせるように、リオが暗がりから姿を現す
フードの下から除く顔は、相変わらずの魔王モードであり、笑みには邪悪さがあった
「そんな・・・・どうしてこんな・・・・」
「考えても見ろ、ネフェティ」
手を広げて、レヴォルドは言った。 その表情には、闇が輝いていた
「神は、我らに何をしてくれた? 対立する国に生まれたから。
ただそれだけで、愛する私達が引き裂かれるのを、嘲笑を持って眺めていただけではないか!
我は常に願い、信じ、心を捧げてきた! だが奴は、応えようなどしなかった!
だから私は、魔王に力を求め・・・そして得た!」
蕩々と語り、そして手を広げるレヴォルド。 役者の顔が青ざめていたのは、演技だけではあるまい
やがて、王子は顔を背け、そして言った
「そうか・・・・君はもう、私の愛したアーリア王女ではないのか
優しく聡明なアーリア王女では無いのだな・・・・でも、私の思いはかわらない」
「その通りだ。 さあ、我の元に来い・・・・一緒に永久を生きよう
今の私には、何もかもかなえる力がある・・・・さあ、我と共に・・・」
しかし、王子は顔を横に振った。 剣を抜き放ち、寂しい笑みを浮かべた
「それは出来ない。 君はこれからも、その愛を持続するために魔王に願い続けるだろう
それは世界の滅亡を招く・・・・ならば私は・・・・!」
一瞬の空白の後、彼は自分の腹に、深々と剣を突き立てた
鮮血が飛び散り、レヴォルドが駆け寄る。 王子はすぐに動かなくなった
「ぉおおおおおおおおおおおおおおお! ネフェティィイイイイイイイイイイイっ!」
レヴォルドの絶叫は、哀しみを超えてむしろ獣じみていた
リオはゆっくり王子に歩み寄り、そして亡骸を一瞥し、言った
「もう死んだ。 ・・・我に多くの魂を捧げた汝には、二つの願いをかなえてやろう
どうする? まず手始めに、王子を生き返らせるか?」
慟哭が止み、レヴォルドが顔を上げた。 その顔には、おぞましき狂気が張り付いていた
「・・・いや、いらない。 このままで良いから、我とネフェティを永遠の存在として欲しい」
「死体のままでか? 分かった。 よかろう・・・第二の願いは何だ? 言って見よ」
空白がほんの少しだけ会った。 レヴォルドは死体を抱き立ち上がり、そして言った
「我らを、何もない、永遠の空間へと飛ばして欲しい
・・・そこでなら、我は永遠にネフェティを独占することが出来る
そう、永遠にだ・・・・もう我らを邪魔するものは、誰ひとりいない!
これこそ、私が望んでいたことだ・・・・私の願いだ!」
リオが後ずさる、嫌悪より恐怖を視線に浮かべ、そして笑いが途切れるのを待って応えた
「恐るべき娘だな・・・・私は今まで、我ら魔族こそ最も邪悪な存在だと考えていた
だが、汝ら人間は我らより更に邪悪だ。 恐ろしき者達よ・・・
私は、人間が怖くなった。 地上への侵攻は諦めよう・・・魔たる者達よ、魔界に退くがいい
そしてお前達は、何もない無の空間に送ってやろう・・・・それでいいのだな」
背景が移り変わり、何もない黒い空間になっていった
そこでレヴォルドは座り、自分の膝に王子の頭を乗せ、そして鮮血が飛び散った髪を撫でながら言う
「さあ・・・・もう永久に一緒だ・・・・
お前は我だけのものだ・・・・我だけの・・・・そう・・・・我だけの!
うふ・・・ふふふふふ・・・・ふふふふはははははははははははははははははは!」
照明が、場に光の流れを作る。 レヴォルドの笑いは響き続け、幕が下りていった
そして、最後にナレーションが入る
「こうして、二人の愛は魔王の手から世界を救ったのだった」
観客席は、海よりも深い沈黙で満ちていた
しばらくはその状態が続いていた。 前半の強烈すぎるインパクトに加え、後半の話もアレであり
観客全員が思考停止していたため、誰も身動きできなかったのである
そんな中、興奮に満ちて一人の男が立ち上がった、それはドールトンだった
「素晴らしい! 革新的な、革命的な恋愛劇だ!」
誰も賛同するものはいない・・・・だが、否定するものもいなかった
感動のあまり、ドールトンは膨大な感情を爆発させ、演説を続けた
「先の読めぬ展開! 甘ったるさを排除した雰囲気! それに芸術性!
残念ながら、役者の演技は超一流とは行かなかったが、これは素晴らしいぞ!
私は一刻も早く、この劇の素晴らしさを世界に伝えねばならない!
そして、劇団のオーナーよ! 私と話をさせて欲しいっ! 今そちらに行くぞっ!」
ドールトンはそれだけ言うと、観客席を立ち、楽屋へと駆けていった
その後は、三十分ほどすると皆おいおいと立ち上がり、帰宅していく
皆の顔は、一様に疲れ切っていた。 特にローラとシェリルは、死人のような目で帰宅していった
この劇は、二つの強烈なインパクトをもたらした
一つは演劇会に対する新たなる風、そしてモルゲスタ劇団の再復活である
ドールトンの人脈を介して、この劇はたちまち演劇会に広まり、そして一気に巨大な人気を得た
劇場には長蛇の列が出来、見終わった観客は皆硬直して家に帰り
それについては何も語ろうとはしなかった、その為匿名性が更なる人気を煽り
そして奇妙なドラッグ性も発揮して、一度見に行って死にかけた者も、何度も足を運んだのだった
また、この劇の大ヒットが世界に<芸術恋愛劇>を蔓延させ、シェリルやローラには辛い時代が訪れる
無論、第三部隊の仕事は大成功であり、当初の予定報酬の3倍の金額が支払われ
隊員達には、レヴォルドの手から臨時ボーナスが渡された・・・
劇が公開されてから、一週間後
自警団事務所にて、レヴォルド達は茶菓子をつつきながらくつろいでいた
無論、もう彼らが役者をすることはない。
もっと上手なプロが、これからは残したノウハウを元に演技して行くのだ
「なあなあ、セリーヌに聞いたんだけよ」
お菓子を口いっぱいに頬張りながら、ヘキサが言う。 その行儀の悪さに、トリーシャが文句を言った
「もう、ヘキサ君、行儀悪いよ!」
「そうだよ、ヘキサ君・・・・」
「うっせえな、それでセリーヌの話なんだけどよ、ローラの奴、恋愛のれの字も口にしないんだってよ
ケケケ、ドリーマーな脳味噌にも、たまには活を入れた方がいいってな」
そう言って、ヘキサはレヴォルドの分の菓子も拝借しようとしたが
レヴォルドは一瞬早くその菓子を口に運び、茶で胃に流し込んでからトリーシャの方を向く
「トリーシャ、シェリルはどうしている?」
「シェリル? うーん、時々変な夢見て授業中にトリップしてるけど、大丈夫みたいだよ
そんなのいつものことだから、みんな気にしてないけど、やっぱり少し疲れてるみたい」
アルベルトが肩をすくめ、レヴォルドはまたもう一口茶を啜った
そして思い出したように、言葉を付け加えた
「・・・一月をかけた大仕事だったが、皆ご苦労だった
今後も、この調子で頑張ろう。 第三部隊のためにも、そして自警団のためにも、この町のためにも」
その言葉にはよどみが無く、間違いなく隊長としての威厳があった
それにしても、真面目にしていれば格好良いのに、どうして変なときはああなのだろう
レヴォルドの言葉を聞いて、他の四人は皆頷きながら、そう考えていた
この後、一月ほどローラとシェリルは後遺症に悩まされたが、それも程なく収まった
演劇の世界に、巨大な流れを作った者達も、それをいたずらに誇るような真似はせず
それ故に、恨みを買うことも、慢心することもなかった
・・・レヴォルド=フリアイの指揮の下、自警団第三部隊はこの後も着実に業績を重ねていく事になる
(続)