新参者、街へ

 

序、二人

 

都市国家エンフィールドの西方にある洞窟で、一人の人間が苦しんでいた。

周囲は森で、山道からもはずれている。 天候は雷雨で、周囲には雨が地を叩く音が激しく響き渡り

時々雷が鳴って、何かに炸裂する音が響く。 閃光が周囲を白一色に塗装し、だがすぐ静かになった。

苦しんでいるのは、黒い袖までの服を着た少女である。 黒髪で、三つ編みをし

先には小さな黒いリボンをしていて、さほど度が強くない丸眼鏡を付けている。

下はグレーの半ズボンで、皮でできたこれも黒のシューズを履いていた。

側には丁寧に工具箱が置かれ、それはは奇妙によく手入れされている。

歴戦の戦士なら気づいたはずだ、黒づくめの理由を。 服から漂う、匂いの意味を。

それは、返り血を隠すためであった。

服の色故に目立たなかったが、服の各所には人ならぬ者の返り血が大量にこびり付き

壁に手をつき、岩だらけの地面に両膝をついて苦しむ娘が、尋常ならぬ生を歩んでいた事が理解できよう。

故にこういう服装をしているのだ、同業者の魔物ハンター達から、鮮血のあだ名で呼ばれるこの少女は。

少女の名はリーナス。 あまりに常軌を逸した残虐性と、容赦なく敵を殺す冷酷さ

そして常識外の依頼達成率の高さから名を知られ、同時に忌み嫌われてきた娘。

「もう・・・もういや・・・いやなの・・・・」

全身に冷や汗をかき、リーナスが言う。 周囲には異常な力場が発生し、スパークを繰り返す。

唐突に、少女が手をついていた壁に亀裂が走り、砕けた。 岩の破片が飛び散り、少女が顔を上げる。

そこにあった表情は、恐怖、後悔、歓喜、様々に揺れ動き、一定しなかったが

やがて再び腹を押さえて蹲ると、激しく咳き込み、ついで凄まじい勢いで独り言が漏れ出た。

それは決して大きな声では無かったが、だが激しい口調であり

さながら二人の人間が、早口で口論しているかのようだった。

「でも私は殺し無しには心を維持できないできないできないできないできないでもでもでもでもでも

もうやだ血はやだ内蔵もやだ殺したくないでも違うでしょ本当は楽しいくせにこんなに楽しいのに

妬み蔑みなれているはずそんなものがなんだ生まれた所から既に人生は闇の中この先光など

どこにも望めるはずもないでも欲しい欲しくない欲しい欲しくないもうやだいやもっと殺したい!

殺したいいや殺したくない内蔵をぶちまけて飛び散る血の快感やだそんなのもうやだいや味わいたい

肉を斬る骨を断つあの感触脳天を砕く喜びいやいやいやいやいやいやいやああああああああああっ!」

ひときわ大きな音がして、何かがほとばしった。 魔力という力ではなく、気と呼ばれる力だった。

少女の中で、激しく二つの感情がぶつかり合っている。 逃避と願いから作られた部分

それに、欲望と破壊衝動から作られた部分。 二つの部分は戦い、激しく肉体に影響を与えていた。

だがその二つの部分にも、互いの要素が入り込んでいて、一概に光と闇とは言えず

しかしながら別人格とも違う。 心の中の二つは激しく戦い、揺れ、混じり合い、そして離れる。

最終的に、勝利を収めた感情は逃避だった。 だがそれは空しい勝利だった。

凄まじい光が洞窟内に満ち、今ひとつの人影が、狂気じみた笑いをあげながら出現する。

黒服の少女リーナスとは違い、露出度の高い服を着込み、瞳がかかれた異常で巨大な眼帯を付け

髪の毛は正反対の色つまりプラチナブロンド、銀糸は波に揺れるように空に広がった。

リーナスの顔に、本能的なおびえが走り、それをみて異様な風袋の少女が笑う。

工具箱を電光石火の勢いで掴むと、リーナスはそれを命より大事そうに抱きかかえ、雨の中に飛び出した。

 

1,血塗れになるまで

 

スラム出身のリーナスは、全く血のつながりがない兄弟数名と共に、ろくでもない幼年時代を送った。

一緒にいた親は、子供の世話など一切せず、そればかりか子供に稼がせて自分達の酒代にし

全く心の形成という物をしないまま、リーナスの幼女時代は終わった。

大戦によって王国が崩壊してから、各地は復興する地区と惰性に揺れる地区に分かれたが

リーナスの生まれたサイキンズという街は、全体がスラムと化す有様であり

近くで勢力を伸ばし、王国の後継者たらんとしていた帝国も、初期には無視して殆ど干渉しなかった。

だが、流石に状況が落ち着いてきた頃になると、慈善団体が行動を開始し

それによって孤児院が作られるようになり、その内の一つが、サイキンズにやってきた。

犯罪組織の巣窟であり、街には堕落と腐敗があふれているこの街に来たのは

拳法の達人であるリック、技術工として有能なハルシュを始めとする数十名であり

彼らは苦労を重ねながら、ストリートチルドレンに食料を配り、成人に仕事を斡旋し

また仕事を持てるように技能教育を施し、徐々にこの街に興味を示し始めた帝国のわずかな援助もあって

街は徐々に活性化し始め、荒廃していた農業地帯の整備も始まり、少しずつよくなり始めた。

だが、それはあくまでも少しずつである。 慈善団体の努力も、無駄になる事が多かった。

リーナスはそんな中、リックとハルシュと知り合い、交流を始めるようになった。

寡黙だが剽軽なリックは、<気>を操る珍しい拳法の使い手で、子供達に拳法を教えるのが好きであり

だが怒らせると別人のように怖いため、子供達は決して身を守るため以外に拳法を使わず

またリック自身も子供を選び、どうしても自分の言う事を選べない子供には必要以上の技を教えなかった。

彼はリーナスにとって、父に等しかった。 始めて情がつながった相手だった。

リック自身も、リーナスを我が子のように可愛がっていたが、その心に危険さを感じていたのも事実で

だがスラムの子供達には、心に傷を負っていない者の方が逆に少ないので、過剰に危険視はしなかった。

ハルシュは暖かく物静かな女性で、ずば抜けて手先が器用であり

主に技能教育の担当をしていたが、リーナスには玩具の作り方や直し方を教え

時々は手作りの料理を振る舞ったりもし、若干距離を置きながらも実の母のように接した。

リーナスは拳法に関しては天才だった。 打ち込み方の違いもあったが、数年で基本を完璧に覚えると

めざましい速度で肉体能力を伸ばし、力だけは強くならなかったが、剽悍で凶悪な早さを身につけ

最初は警戒して表面上だけのつきあいだったが、やがて心を許して来るようになると

リックはこの子こそ己の後継者と考えるようになり、基本の<気>を教え込んだ。

<気>という存在の最大の特徴は、使う個人の性格性質がもろに繁栄される事で

その技は使い手によって違う。 リックの技は癒しと広範囲破壊を目的とするものであり

おそらく気の使い手としては、世界でも有数の達人であった。

その理由には、技にばらつきがある事が最大の原因で、使い手自体が少ない事もあったのだが

ともあれ桁違いの達人である事は疑いなく、その技は洗練を通り越して芸術の域まで達していた。

リーナスが始めて気の力を使いこなした時、それは円錐状の形になった。

そしてそれは高速で回転しながら、腕の周りでまわり、触れる物全てをうち砕いたのである。

攻撃のみを考え、極点集中で相手を倒す、殺傷以外の使い道がない極めて極端な能力だった。

この時、若干の不安がリックの胸に芽生えたのは事実であり、後にそれは現実となって悲劇を呼び起こす。

一方で、より大きな危険を感じていたのはハルシュである。

子供がいなかった彼女にとって、リーナスは可愛い娘も同然だったのだが

しかし、同時に心の底がどうしても見透かせない相手であった。

こんな職業をしているのだから、ハルシュは様々な人を見てきた、無論凶悪な異常者も

破滅的な享楽主義者も、快楽殺人者すらもいた。

だから、心の闇にはなれていたし、それが存在する事も仕方がない事は承知してはいたが

リーナスのそれは子供でありながら、純粋で、それ故に危険な要素を秘めていたのである。

純粋故に、奥底に秘めるその闇は強力だった。 子供故に、その心の闇は破壊的だった。

幼女期に心の形成ができなかったリーナスは、幸い少女期には

リックとハルシュの御陰で、不完全ながらも心の形成を行う事ができたが

二つある重要な時期の一方で、完全な無を経験した彼女は、何か欠落した部分があった。

リーナスに、玩具の作り方を教えたのはハルシュだった。 ゼンマイの作り方や

それが動く仕組み、壊れた時の修理法などを教えていくと、速度は遅いながらも確実に少女は覚え

やがて簡単な玩具なら自分で組み立てられるようになり、また修理もできるようになった。

「リーナス、これなら玩具屋さんになれるわね」

そう笑みを湛えて言うと、リーナスは楽しそうに笑みを返した。 それには、やはり欠落した物があった。

だが、リックもメナルドも、リーナス一人に構うわけには行かなかった。

何故なら、彼らが抱えていた子供は、リーナスだけではなかったし

それにスラムで地獄を見てきた子供達は、決して心優しい訳ではなく

幼くして殺人すら犯した子供さえいて、リーナスばかりが危険なわけではなかったからである。

破局は、リーナスが十歳の時に起こった。 その日、街には雨が降り注いでいた

 

両親との仲など無いに等しかったが、一応住居である襤褸家はあり

ハルシュに、誕生日のプレゼントに貰った工具箱を大事そうに抱えながら

雨の中、幼いリーナスは楽しそうに帰宅した。

「おかしいな・・・・明かりがついてますね」

家に着いた彼女は、ふと不安を感じ、一人ごちた。

その不安を肯定するように、家の中には見た事のない大男がいて、両親と何か会話しており

不審を感じたリーナスが一歩下がると、今まで彼女に向けた事もない猫なで声を出して、父親が言った。

「おいで、リーナス。 この人はね、お前に仕事を紹介してくれるんだよ」

「仕事・・・?」

無表情な男が頷いた。 母親も楽しそうにその様を眺め、父は猫なで声を続けた。

だがその笑顔は完全に作り物で、殺気を内包する邪悪な表情であった。

「さあ、こっちにおいで。 そんな所に立っていないで」

母親の表情の意味を、リーナスは知っていた。 この女がこういう表情をする時、何があったか。

それは、大きな収入である。 そして父親のこの声にも、聞き覚えがあった。

前に聞いた時は、道ばたで死んでいた男から財布をくすねた時。 その前に聞いた時は・・・

自分の一つ上の姉を、黒い服の男が連れて行った時。 その姉は、娼館で働かされていた。

素早く思考を組み立てると、リーナスは結論を出した。 両親は、自分をマフィアに売った・・・!

幼女売春は、何処の世界でも需要がある。 特にこういうスラム街では、人間の欲望がむき出しになり

力以外の法が存在しないため、商売が半ば公然と成立している。

豊かな街でも、子供に欲望を覚える大人は多い。

だが、子供が親に保護されて生活できるため、商売は多くの場合成立しない。

逆に言えば子供でさえ働かねば生きていけないこういう場所では、商売は必ず成立するのだ。

「いや・・・こないで・・・ください」

工具箱にすがるように抱きしめ、リーナスは怯えて下がった。

父の顔色が変わり、本性を現し、乱暴に腕を掴もうとする。

「このガキ、テメーの様な役立たずに、仕事を斡旋してくれるっていってるんだよこの方は!」

「やだ! 娼館なんて行きたくありません!」

「うるせえ、さっさと・・・」

言葉が止まった。 鋭い音と共に工具箱が床に落ち、吹き出す大量の液体が壁を叩いた。

リーナスの気が、無意識的に振るわれた破壊の円錐が、父親の腕を根本から切り落としたのである。

後は流れるような動作だった。 そのまま、リーナスは相手の顔に向け円錐を繰り出し

鋭く回転するそれは、おぞましい音と共に下劣な外道の顔を吹き飛ばし、周囲にまき散らしたのである。

マフィアの男が下がろうとしたが、それは敵わなかった。 鮮血を浴びたリーナスは無言で動き

吸い込まれるように、その腕はマフィアの胸の中央に伸びていた。

天才を、世界有数の達人に認められたほどのリーナスの早さ、まさしく疾風

喧嘩なれしていると言っても、ただの男にかわす術無し

体の中央に大穴を開けられた男が血塗れになりながら崩れ、そして母親がその後を追った。

後には、三人分の死体が残った。 返り血を浴びた服は、赤を通り越して茶黒く染まり

内蔵がぶちまけられた床は、そう簡単には血臭を落とせまい。

工具箱を抱えると、リーナスは雷雨の中へかけだした。 外で待っていたマフィアが不審そうに中を見

そして叫び声をあげ、リーナスを追い始めた。 その数は見る間に増え、十人以上が少女を追った。

育ての親に別れさえ言えぬ、少女の独り立ちであった。

 

元々素早いリーナスは、近くの山の中を駆け回り、徐々にサイキンズから離れていったが

マフィアも自分たちの威信がかかっていると考えたのか、しつこく何処までも追ってきた。

だが、彼らは不幸だった。 途中の山道で、凶暴なファイアードラゴンが現れたのである。

ドラゴンなどと名が付いているが、実際にこれはドラゴンではなく、大蜥蜴の亜種で

空こそ飛べないが、しかし名の通り炎を吐く能力を持ち、体も大きく

肉食でしかも貪欲、凶暴さはそこいらの魔物とは比較にならない。

これはその中でも特に獰猛な一体で、近くの魔物ギルドに退治依頼が出されていた者で

不意をつかれたマフィアは、必死に反撃した物の、たちまちにして数人が叩き殺され

頭をかみつぶされる仲間を見ながら、舌打ちして逃げ出していった。

不味そうに頭のないマフィアの死体を放り捨てると、ドラゴンはリーナスへ視線を移し

残忍な笑みを浮かべると、雷に影を描かせながら、一歩一歩と前に踏み出す

リーナスは地面に工具箱を置くと、奇妙に冷静に、歩いてくるドラゴンを静かに見た。

堪忍したのではない、壊れたのでもない。 相手の動きが、奇妙なまでに緩慢に見えたのである。

リーナスが走り出し、ドラゴンは失笑を湛えて向かってくる相手を見た。

首に手が触れ、痛くも痒くもないとドラゴンは笑い、死んだ。

三人を殺したのと同じように、リーナスの手にまとわりついた円錐が、大穴を穿ったからである。

彼女の目に、駆け寄ってくる何人かの魔物ハンターが映った。

だが、リーナスはそれを見てはいなかった。 彼女は、始めて感じる、目覚めた感情に全身を振るわせ

そして歓喜に、心を支配させ、陶酔していたからである。

肉を裂く感触、骨を砕く感触。 これ程までに甘美で、これ程までに美しかったとは。

人間の骨格では柔すぎて実感できなかったが、命を奪う喜びとは、ここまで心振るわせる物なのか。

そして、思っていたよりも、遙かに上の自分の実力。

その気になれば、いつでもこの甘美を味わう事ができる。 次の瞬間、リーナスの意識は負へ落ちた。

「うふ・・・うふふふふふ・・・・・うふふふふふふふふふふふ!」

「大丈夫か、お嬢ちゃん? しっかりしろ!

かわいそうに、怖かっただろうな。 もう大丈夫だ、バケモノは死んだ。」

ハンターが肩を揺すると、哄笑していたリーナスは、ゆっくりと視線を向けた。

「大丈夫ですよ・・・私は正気です」

「そうか、怖かったろうな。 しかし此奴を嬢ちゃんが倒しちまうとはな・・・

正直すげえぜ。 後で、ギルドに寄って、賞金を受け取ると良い」

「賞金?」

「何だ、そんな事もしらねえのか。 まあいい、後で色々教えてやる

・・・あっちの連中は残念だったが、嬢ちゃんだけでも助かって良かった。

取りあえず、カゼひいちまうから街へ行こうな」

親切にしてくれる男に体を任せながら、リーナスは静かに笑っていた。

この男が魔物ハンターへと、救いのない深みへと、リーナスを落としていく元凶になるのだが

男には悪意など無く、そればかりかリーナスを思っての行動であり、攻める事は出いないだろう。

このドラゴン退治が、リーナスを鮮血の二つ名で呼ばせる契機となり

そして故郷の街で忘れられた存在にもなった。 ある意味、恩人であったとも言えただろう。

ドラゴンの死体は、その後すぐにギルドによって運び出され

一足違いで到着したマフィア達は、ドラゴンに喰われた仲間の死体を発見した事から

ドラゴンに丸飲みにでもされたのだろうと結論を出し、リーナスの捜索をあきらめ

最初から何もなかったとして内部で処理し、その結果、リックやメナルドには被害が及ばなかった。

二人に手を出せば、帝国が介入して来る事情もあったし

たかが小娘一人のために、これ以上の損害を出すわけには行かない事情もあった。

こうしてリーナスは、泥沼へ、血でできた泥沼へ、最初の一歩を踏み出したのである。

 

2、ジョートショップにて

 

ジョートショップは、エンフィールドのほぼ中央に店を構える、いわゆる〈何でも屋〉であり

だが今は働き手がいないため、主な業務は仕事の斡旋と情報の提供にとどまり

実質的な業務は、半休業状態になっている。

店の主人を務めるのはアリサ=アスティアと言う名の未亡人で、生まれつき目が悪く

だがその暖かく優しい人柄から町中の人間に男女問わず愛され、慕われていた。

アリサの目の代わりになっているのは、テディという魔法生物である。

犬のような外見と、豊かな毛の尻尾を持ち、人語を解する生き物であり

性質はおとなしく力も弱いが、忠実で何より善良であった。

今は亡きアリサの夫が拾ってきたこの生物は、アリサを〈ご主人様〉と呼んで実の親以上に慕い

今日も雨の中、足りなくなった生活用品を買いに、雑貨屋に出かけていたが

やがて血相を変え、店に駆け戻ってきた。

買った物が濡れないよう細心の注意を払ってはいたが、彼の驚きはアリサを不審がらせるに充分で

アリサは荷物を受け取ってテディを落ち着かせると、事情を説明させた。

「テディ、落ち着いて。 外で何があったの?」

「人が倒れてるっス! 雨の中で、何か箱を抱きしめて倒れてるっすよ!」

「まあ・・・それは大変ね。 テディ、さくら亭に行って、誰か人を呼んできて

それと、傘を頂戴。 私がその人の様子を見るわ」

人を呼ばせに行ったのは、彼女とテディでは脱力した人間を運ぶことが不可能だったからで

元々絶対的な信頼をアリサに寄せているテディは、真剣な表情で頷くと、すぐに雨の中駆けだしていった。

目が不自由なアリサは、少し不器用な様子で傘を開くと、雨の中に出た。

完全な盲目というわけではないが、やはり暗い中では非常に動きづらいようで

暫く闇の中を見回していたが、やがて近くの街路樹に、背中を預けて力つきているリーナスを見つけた。

「大丈夫ですか? 私の声は分かりますか?」

優しく頬を叩き、アリサが言うと、三度目に反応があった。

目が見えない分、他の感覚が非常に鋭いアリサは、それを聞き逃さなかった。

たす・・・け・・・・て・・・・・・

「分かったわ。 だから、死んでは駄目よ。

テディはまだかしら。 早くしないと危ないわ」

そう言ってアリサは、リーナスの額から手を離した。 少女の額は、燃えるように熱くなっていた。

「アリサさーん! 行き倒れって、本当ですかー!」

男の子の声がして、泥を踏む音がそれに続く。 それは複数で、アリサが顔を上げると

そこには日頃からジョートショップに出入りしている、アレフ=コールソンと言う青年を先頭に

その親友の、気弱な少年クリストファー=クロス(通称クリス)

後はアリサと縁があって知り合った、シーラ=シェフィールドという女性がいた。

「おっ、可愛い子じゃん。 後で色々聞いちゃおっかなー」

「ア、アレフ君! 倒れてる人に何て事言うんだよぉっ!」

倒れているリーナスを見るなり、馬鹿な事をほざいたのはアレフであった。

当然の事ながら、いずれその軽口が凍り付く事など知るはずもなく

殆ど反射的に反発したクリスも、雨水に濡れて体のラインが露わになっているリーナスを見て

ただただ純情に、真っ赤になるばかりだった。

また、生真面目なシーラが、こんな事態に軽口を叩くアレフに露骨に批判の視線を投げたが

人生経験が遙かに豊富な青年は、痛くも痒くもないようであった。

だがアリサが三人にリーナスを運ぶように言うと、無言でそれに従った。

「アレフ君、意外と、重いね、この人」

「あー? お前なあ、それ女の子に言う台詞じゃねーぞ!」

素直なクリスの台詞に応じながら、アレフも少女が体格の割に重い事を感じており

店の中にリーナスを運び込むと、三人が目を離した隙に、額の汗を拭っていた。

「シーラちゃん、この子の体を拭くから手伝って。 クリス君、アレフ君、覗いちゃ駄目よ」

「ちぇーっ、分かりましたよ。」

「あ、アレフ君! さっきからもうっ!!」

アリサの言葉だけで、女性に免疫がないクリスは真っ赤になって俯き

ついでアレフに批判めいた口調で抗議したが、もとよりそんな気など無いアレフは平然としている。

シーラが運んでいた工具箱は、濡れても中に水が入らない構造になっていて

しかもリーナスが大事に抱え込んでいたため、それほど濡れておらず

だが放っておけば錆びるかも知れないと考えたクリスは、素直にハンカチを出して拭き始めた。

この辺の細かい配慮が、彼が主に年上の女性に好かれる原因であり

だが地での行動故に、それには悪意も下心もない。 本人も認識した所で変える気もないだろう。

それが、例え苦手な相手の永続的な襲来を招く事になるとしても。

「ご主人様、リサさんを連れてきたっスよ!」

「ちわーっす、アリサさん。 行き倒れだって?」

そのとき、ようやくテディが帰ってきた。 一緒にいるのは、リサ=メッカーノという女性である。

熟練した傭兵らしく、動きには隙が無く、視線も鋭い。 やがてその目が、不審さを感じて細まった。

「なあ・・・あんたら、誰か怪我でもしたのかい?」

「いや、誰も怪我してないぜ。 クリス、怪我してないよな」

「うん。 僕は怪我してないよ。 リサさん、どうしてそんな事を聞くの?」

数瞬の沈黙の後、リサの目が真剣さを帯びた。 それは、敵と対峙した時と同じ目だった。

「血臭だ。 しかも複数で、こびり付くような強烈な奴だ

まあ、ニオイ自体はそれほど強くはないから、アンタらには分からなくても不思議じゃないね

行き倒れって、どんな奴だった? ごつくて屈強な男か? 傭兵とか剣士とかか?」

「いや、可愛い女の子だったぜ。 テディ、あれって人間だよな」

アレフが言うと、テディは頷いた。 魔法生物である彼は、魔物と会話をする事ができ

匂いで人間か魔物か判断する事もできる。 そのテディが言うなら間違いないだろう。

「いやな予感がするね。 後でアリサさんに聞いてみよう」

それだけ言うと、リサはアリサがまた出てくるまで黙り込み、一言も発しなかった。

 

「精神的ショックと、肉体疲労が蓄積して体が弱っているだけだな

まだ熱は引いていないが、数日ほど安静にしていれば良くなるだろう。 念のためにこれを出しておく」

街一番の名医と呼ばれるトーヤ=クラウドは、それだけ言うと事務的にカルテに書き込み

幾つかの薬を出して、部屋を出ていった。

あの後テディが呼びに行ったこの医師は、腕は良いのだが無愛想な事で有名であり

今日も事務的な診察だけして、それ以上の事は何もしなかった。

その背中に向けて丁寧に礼を言うと、アリサはシーラに向け、いつもの暖かい笑顔を向ける。

「シーラちゃん、疲れたでしょう? もう休んで構わないわよ」

「いえ、おばさまこそ、大丈夫ですか? 私はまだ大丈夫です」

元々素直で優しいシーラは、そう応じた。 周囲に良い人ばかりがいたから、こういう反応ができ

それ故に、薄氷のような危うさを秘めているとも言える。

この娘の持つ優しさは強さと同義ではない為、何か切欠があれば、一気に転落する可能性があり

アリサはそれを感じているのか、よくシーラの面倒を見、シーラもアリサを慕っていた。

「アリサさん、もう入って良いですか?」

「ええ、構わないわよ。 少し散らかっているけど、勘弁してね」

「じゃ、お言葉に甘えて。 どもども、おじゃましまーす」

アレフがずかずかと部屋に入り、クリスが首をすくめながらそれに続いた。

女性と見れば片端から手を出すアレフだが、アリサには手を出さない。

出せないし、何より人間として尊敬しているのだ。

故にその目は、軽口を叩きながらも、首尾良く女性の家に上がり込んだ時の物とは違っていた。

最後に入ってきたリサは、部屋の中を見回すと、暖炉の前で乾かされているリーナスの服に目をとめ

そして、何やら馬鹿な事をほざいているアレフと、真っ赤になりながら反発するクリスの後ろから

ゆっくりとリーナスの顔をのぞき込み、見る間に顔色を豹変させた。

「此奴は・・・!」

「リサさん、この子が誰だか知っているの?」

「間違いない。 此奴は、鮮血のリーナス! 私が知る中で、最も残虐でいかれてる奴の一人だ!」

「ええー、嘘だろ? こんな可愛い寝顔なのにか?」

アレフがちゃかしたが、リサは乗ってこなかった。 沈黙が流れ去った後、アリサは優しく言う。

「分かったわ、リサさん、隣で詳しく話を聞かせて頂戴」

「ああ・・・正直な話、思い出したくもないけどね。」

頭を振ると、リサは隣の部屋に移った。 アレフ達をリーナスが寝ている部屋に残し、ドアを閉めると

椅子に座るように促し、紅茶を入れながら話をするように勧めた。

「リサさん、話してくれる?」

「あれは五年前の事だ。 あたしは魔物ハンターの仕事を、バイト代わりにやっていた。

相手は街道を荒らすグレート・オーガーって凶暴な怪物で、今まで何人も人を食い

退治に向かったハンターも、何度も返り討ちに会ってた。

それで、ギルドはあたしら傭兵と共に、腕利きのハンターをたくさん雇って、本腰で退治にかかったんだ」

机の上で、暖炉の炎に照らされ、リサの顔に影が差した。

「あたしは昔戦場にいた。 きれてる奴もいかれてる奴も何人も見た。

だけど、あれは異常だった。 本気で、心の底から、相手を虐殺する事を楽しんでいやがったんだ・・・

しかも、戦場の狂気に侵されてじゃない。 正気のまま、正気のままでだよ・・・!」

滅多に恐怖を感じないリサが、怯えを隠しているようにさえ見えた。

無言のまま紅茶を飲むアリサに促されてか、リサは続きをゆっくり話していった。

 

そこは山の中だった。 街道はあるにはあるが、昼なお暗く

周囲の森には多数の魔物が生息していて、中には凶暴な者、人を食する者もいた。

たとえば、今狩ろうとしているグレート・オーガーのような。

天気も良くなく、空は今にも泣き出しそうである。

状況は決して良くないが、こういう日にグレートオーガーがよく出現する事も報告されており

総合的なハントのコンディションは、最良とは行かなくとも、決して悪くない。

それに、ギルドの威信をかけた戦いでもあったから、皆気合いが入っていた。

リサは魔物ハンターの知人ルヴァインに促され、愛用のナイフを持ってハンティングに参加し

周囲の緊張するハンターを横目に見ながら、一人少し離れて歩く黒服の少女に気づいた。

その少女は丸い眼鏡をして、黒い体に密着した服を来て、皮の半ズボンをはいていて

少し俯き加減で、なにやらぶつぶつ呟きながら、丸腰素手で、小さなリュックだけを背負って歩いていた。

この時リーナスは十三歳。 平均の体格より若干小柄で、年以上に童顔であり

どうひいき目に見ても、とても強そうには見えなかったが

それが逆に武器になっていて、既にハンター達の間では恐怖と悪夢の噂が流れていた。

「おい、ルヴァイン」

「あん? なんだリサ、何かいたか?」

「違うよ馬鹿。 あっちの子、あれも魔物ハンターかい?」

視線でリサがリーナスを刺すと、ルヴァインは顔色を変え、急に小声になる。

「あれは鮮血のリーナスだ! この業界じゃ有名ないかれ女で、とにかくやばいガキだ

絶対に近寄るな! 不用意に近づいたら、殺されるかも知れないぞ!

・・・ちっ、上の連中、相当焦ってやがるな。 あいつの強さは認めるが・・・」

「あれが? 隙だらけに見えるけど? ・・・まあいい。 分かったよ。」

話半分に答えると、リサは周囲を警戒するべく意識を切り替えた。

森はますます深くなり、街道も狭くなっていった。 そして、ある峠に差し掛かった時、戦いが始まった。

流石に熟練の魔物ハンター達だけあり、奇襲を受けるような無様な真似はしなかった。

数人のハンターが警戒の叫び声をあげ、周囲から二十体ほどのオーガーが巨体を表し

正面から、普通のオーガーの二回り以上は大きいかと思われる、怪物が姿を見せたのである。

それこそが、今噂になっているグレート・オーガーであった。

身長は四メートル強、首飾りを付けており、それは人間の頭蓋骨を連ねた物だった。

冷静沈着にハンター達のリーダーが攻撃を命じ、たちまち激しい戦闘が始まる。

リサも広刃のナイフを巧みに操り、近くのオーガーをうち倒したが

ナイフでは重量級の相手はきつく、当然それなりの苦戦の末であった。

その隣で閃光が走り、腹に大穴を開けたオーガーが倒れ、地面にもんどりうって転がる。

倒したのは、他ならぬリーナスだった。 しかも殆ど一瞬である。

リーナスは無表情のまま、大量に返り血を浴びた右手を舐めると

ゆらりゆらりと独特の歩調で、グレートオーガーに歩み寄っていく。

リーナスの周囲には、何体かのオーガーが腹に大穴を開け、或いは首を失い、胸を抉られ、転がっていた。

いずれも即死であり、驚きと困惑の表情が、虚無と一体となり、顔に張り付いている。

「何だ、今のは一体何をした!?」

リサが叫ぶが、周囲のハンター達は手近な相手との戦いで手一杯であり、構う余裕がない。

三人のハンター相手に、押し気味の戦いをしていたグレートオーガーが

捕らえどころのない歩調で、自分に歩み来るリーナスに気づいたのは、その直後だった。

リーナスの顔を確認して、ハンター達が恐怖を湛えて飛びずさり

小さな、本当に少女が歩み寄るのを見て、一瞬唖然とした怪物に、迅速なる死がもたらされた。

体を沈めると、リーナスの姿がかき消える。 そして、地面が三回軽い音を立て、土が弾け

次の瞬間、笑みを湛えたリーナスが、一瞬にして間合いを侵略した少女が、怪物の真下にいた。

そして綿のように軽く跳躍し、グレートオーガーの首に手を振れ、光が炸裂した。

リーナスの手に出現した円錐が、鋭く回転しながら、グレートオーガーの首を内側から切り破り

前後左右に鮮血をぶちまけ、忘れていたように鈍い音を立て、怪物の首が地面に落ち

地響きをたてながら、巨体が後ろに倒れた。 一瞬の出来事だった。

〈触れてしまえば勝ち〉、極論すればリーナスの能力はそれであり

それを完璧に把握している彼女は、極限まで早さと身軽さを鍛え上げ、また気自体の攻撃力も強化

結果、油断した相手を、ある程度の実力までなら確実に八つ裂きにできる強さを手に入れていたのである。

周囲のオーガー達は、リーダーが倒されたのを見ると次々に撤退を開始し

そして逃げ切れずに、容赦なく攻撃するハンター達の手にかかって片っ端から殺されていった。

その時、ついに雨が降り出した。 何とか三体のオーガーを倒したリサは、リーナスに視線を向け

見た物の凄まじさを感じ、背筋に寒気を覚えた。

雨の中、リーナスはうち倒したグレートオーガーに馬乗りになり、円錐状の気を何度と無く叩き付け

皮を破り、肉を裂き、骨を砕き、内臓を引っ張り出している。

巨大な小腸を腹から引きずり出し、吹き出す鮮血が体にかかるのも気にせず

笑っていた、ただ快楽と歓喜の笑みを浮かべていた。

「い・・・いかれてる・・・!」

戦場を渡り歩き、恐怖など忘れ去っていたと思っていたリサが、純粋な恐怖から声を上げた。

リサはそのとき、リーナスが黒い服を着ている意味を悟った。

返り血が目立たないからである。 あの黒服は、大量の返り血に染まっているに違いなかった。

リーナスは円錐をふるって、小腸を切断して地面に放り捨てた。 他の内臓も、次々と引きずり出し

傷口から体内に手を突っ込むと、両手で心臓を引っ張り出し、天に掲げた。

雷が炸裂し、リーナスのシルエットをリサの網膜に焼き付けた。 直後、グレートオーガーの心臓が弾け

周囲に、鮮血を降り注がせ、魔物ハンター達の心に氷雨を降らせた。

リーナスが振り返った。 リサが見たのは、返り血に心底からの歓喜を浮かべる、闇の微笑みだった。

 

「あたしはあの後、二三日飯が食えなかった。 アリサさん、悪い事は言わない

あいつを自警団に引き渡すか、街の外に放り出した方が良い。 殺されるよ!」

「リサさん、それはできないわ」

「何故だい! あんたの命が危ないんだよ!」

リサの真摯な言葉に、アリサはまた紅茶を口に付けた。 ドアの外では、皆が聞き耳を立て

クリスなど失神寸前の様子であり、普段馬鹿っぷりを振りまくアレフさえ凍り付いていた。

「あの子はね、私に助けを求めてきたの。 私は、相手が誰であれ、助けて欲しいって言ってくれた人を

絶対に・・・絶対に見捨てないわ。 あの人は、私が助けます。」

「アリサさん! 悪い事は言わない! アンタの身が危ないんだ!」

アリサは、首を横に振った。 その表情に、リサは言葉を詰まらせ、下を向く。

「・・・分かった。 あんたの人を見る目は、あたしも確かだと思う。」

「ありがとう、リサさん。 ・・・そろそろ貴方も休んだ方が良いわ」

「そうさせて貰うよ。 悪いねアリサさん。 念のため、しばらくここに泊まらせて貰うよ

ベット借りるよ、いいかい?」

アリサが頷いたので、ドアを無造作に開けると、リサは二階に上がっていった。

その日は、それ以上何もなく終わった。 リーナスが目を覚ましたのは翌日の事だった。

 

3,癒し

 

「動かない方が良いわ。」

意識朦朧とするリーナスの額に、冷たい手が触れた。 その心地よさに、リーナスは目を閉じかけ

精神力で無理矢理こじ開けると、たどたどしい口調で誰何した。

「・・・誰・・・ですか?」

「私はアリサ=アスティア。 こっちはテディよ」

リーナスが視線をずらすと、そちらにはアリサと、アリサにすがってこわごわ彼女を見るテディがおり

その表情は完全に怯えきっていて、大体理由を察してリーナスは苦笑した。

不思議な事に、彼女の中で今まで渦巻いていた、凶悪な殺意と血への渇望は、どこかに消え失せており

相手を人間だと普通に認識する事もできたし、普通に会話する事もできた。

「・・・私が誰だか、知っている・・・みたいです・・・ね」

「ええ。 リサさんから聞いたわ」

「・・・だったら放り出してください。 恨みませんから

私みたいな・・・のを庇うと・・・貴方もろくな目に遭いませんから・・・

これだけ・・・看病してくれれば・・・充分です・・・」

リーナスの言葉に、テディは亀のように首をすくめ、アリサは静かに笑った。

そして、そのまま濡れタオルを絞り、取り替える。

「いいえ。 私は貴方を、最後まで責任を持って看病します」

「どうしてですか・・・・私がどういう人間だか・・・知っているんでしょう?」

そこまで言うと、熱っぽくなっていたリーナスは、目に涙を浮かべて咳き込んだ。

これだけ見ると、ただの無力な女の子にしか見えないが

実際はれっきとした魔物ハンターで、それとは関係なく異常殺戮を楽しむ狂気の存在なのだ。

だが、その手の人間は、自分の行動に罪悪感を感じない場合が多いのに

リーナスは今までの言動からも、明らかに罪悪感を感じている。

それらを悟ったアリサは、この少女を自分の家から放り出す事を、完全に心から排除し

闇の奥底から助ける事を自分の心に誓うと、看病を続けた。

実際弱り切っていたリーナスは、抵抗する術もなく、されるがままに看病されていたが

数日経つと、鍛え抜いた体故か、起きあがれるようになり、アリサを安心させていた。

だが、外に出るようになったリーナスが味わったのは、歓迎ではなく冷たい視線であった。

特に敵意をむき出しにしていたのはリサと、自警団員のアルベルトである。

アルベルトは、アリサの手前ではリーナスに普通に接していたが

懸想している相手であるアリサがいなくなると、とたんに態度を変え、冷たく接したし

リサも、リーナスに対する警戒心を解こうとせず、いつも冷徹な目で見ていた。

アルベルトの場合は、子供っぽくて単純な嫉妬心〈懸想しているアリサに

リーナスが良くされているのが気にくわないようであった〉から来る行動だったが

リサの場合は、明らかにリーナスの正体を知っていて、事あらばいつでも取り押さえようとしていた。

それらを敏感に察していたアリサは、やがて傷ついているか傷ついていないか分からないリーナスに

笑顔を湛えると、諭すように言った。

「リーナスさん、リハビリ代わりに、私のお店で働いてみない?」

行く当てもなく、見ず知らずの自分に、ここまで献身的な介護をしてくれたアリサの事を

純粋に慕い始めていたリーナスは、ただ導かれるようにそれに頷いたのだった。

 

リーナスは普通の女の子と大差ないように見えた。 リサもアルベルトも、特に悪評を蒔いた訳ではなく

ただ敵意のこもった目で見ていただけだから(アルベルトに至っては、リーナスの正体さえ知らなかった)

街の者は特に冷たくリーナスに接する事もなく、穏やかな仕事が始まったように見えた。

ただ、リサの様子から、何かあると考えていたようではあったが。

「リーナスさん、仕事の説明をして、良いっスか?」

テディが彼女をこわごわと見上げ、視線を返されて小さく息を飲み込んだ。

リーナスにしてみても、完全に怯えている相手と、殺戮意外の事で接するのは初めてであったし

普通に話をしたのでさえ、実に八年ぶりであったから、どうして良いか分からず困惑していた。

だが、やがて眼鏡を少しすりあげると、テディに精一杯の笑顔を向けて言った。

左手に提げた工具箱は、あの雨の一件以来、丁寧にアリサが保管してくれていたため、錆び一つ無く

中の工具も皆無事で、絶対的な主君の手に、昔同様揺られていた。

「お願いします、テディ。」

「・・・分かったっス。 夜鳴き鳥雑貨店の店主さんからの依頼で

新しく仕入れたゼンマイ仕掛けの玩具が、巧く動かないんだそうっスよ

リーナスさん、玩具の事が分かるって言ったから・・・その・・・ご主人様が」

再び視線を逸らすと、テディは口中で何事か呟き、そして静かに歩き出した。

「ボク・・・リーナスさんの事、怖いっス」

「そうですか。 そうですよね・・・私の服からにおう血の臭い、消せないですからね」

その言葉を聞き、テディは一瞬身を固めたが、アリサの言葉を思い出し、再び歩き出す。

怯えきっている様子は、遠くから見ても痛々しい。

「・・・ここが、夜鳴き鳥雑貨店っス。」

「そうですか。 ・・・すみません、ジョートショップから派遣されてきました」

奥に声をかけると、肩にオウムを乗せた中年男性が現れた。

小汚い格好であり、太っていて口ひげも上品とは言えなかったが、目に宿る信念は強烈で

この店が小さいながらも多くの商品をそろえ、街で重用されるわけもその辺から感じられた。

店主は、店の奥から段ボール箱を取り出してきた。 上に乗っているのは、ゼンマイ仕掛けの玩具で

どうやら道化師を模しているようであり、それが歩きながらジャグリングをする物のようだった。

「アリサさんが派遣してきたのは貴方か。 アリサさんの人を見る目は確かだからな、信用させて貰うぜ

玩具ってのはこれだ。 新しく開発された商品だが、これ一つに欠陥があるのか

全部が駄目なのか、分かるなら調べて欲しい。 もし欠陥の理由も分かれば、なお良い。

町はずれにある小さな町工場の商品でな、あんな小さな工場じゃ

もし商品に欠陥があったなんて事が知れたら、ふっとんじまうんだ。 人助けだと思って頼むぜ」

人好きのする笑顔を向け、店主は言った。 視線は好奇心と不信感と信頼感が混ざり合っていて

この黒髪の少女が、いや今回もアリサが信頼できるのか、若干の不安を持って見つめている様子が伺えた。

疑り深いと言うよりも、其れくらいでないと、こういう商売はやっていけないのだろう。

リーナスは無言のまま玩具を受け取ると、テディに手渡し、段ボールごと外に運び出した。

陽は暖かで、近くの石畳は適度に暖まり、隣ではカナヘビが日光浴していた。

店の邪魔にならぬように、カナヘビの日光浴する石畳へ移動し

適当な岩に目を付けると、段ボールを引きずって、落ち着いた所でテディから玩具を受け取った。

カナヘビは血の臭いに気づいて首をもたげ、そそくさと草の影に逃げ込んでいった。

「良ければ、助手のような仕事をしてくれませんか?」

「・・・分かったっス。」

「そうですか。 では、箱の中から適当に一つ取りだしてください」

「ええと・・・これで良いっスか?」

テディは箱の中を、延びをしてのぞき込み、適当な物を一つ取り出した。

その間に、リーナスは最初の一つを分解し、丁寧に部品を辺りに置き始めた。

風は弱く、飛ぶ心配はない。 ドライバーで部品を外しながら、リーナスは顔を上げずに言う。

「テディ、店主さんから何処がどうおかしいか、できるだけ詳細に聞いてきてください」

「分かったっス。 手際が良いっスね・・・それも殺しとかで身につけたんっスか?」

「・・・そうですね、そうかもしれないですね」

再び走り去っていったテディを見送ると、リーナスは幾つかの部品に見当を付け

それを詳細にメモして行き、続いて次の玩具に取りかかる。

「おいーっす。 ねーちゃん、何やってんの?」

見当を付けていた部品に手をかけた瞬間、上から声がかかった。

声の方をリーナスが向くと、其処には随分と幼い感じの少年がいて、赤い散切り髪を揺らしながら

顔中に好奇心を湛え、リーナスの動作を見守っていた。

体は健康的に日焼けし、骨格も頑丈そうで、何よりも元気が全身からあふれ出ている。

少年の名前はピート=ロス。 小さな背格好ながら、凄まじい怪力を誇る事で有名で

アリサの所にもよく出入りしていて、リーナスが眠っている時に一度だけ見に来たのだが

本人はリーナスの顔を忘れてしまったようで、全く気づかずにへらにへらと笑っていた。

「ピートくん、お仕事の邪魔になるよ・・・てっ!」

後ろから間延びした声がかかり、それは即座に恐怖の悲鳴に変わった。

声の主はクリスで、リーナスを見て腰を抜かし、あわわわと情けない声を上げてへたり込んでいた。

「どーしたクリス、例の持病か?」

楽しそうにピートが言う、クリスの女性アレルギーは近辺で有名で

故に面白がられて年上の女性にちょっかいを出される事が多く、特に今は橘由良という

ライシアン族の天真爛漫な色気過剰の女性に、さんざん追いかけ回されている。

それをピートも知っており、からかったのだが、クリスの様子はいつもと明らかに違っていて

やがて不審そうに眉をひそめ、リーナスに赤髪の少年は笑って見せた。

「で、ねーちゃん、何やってるの? クリスに何かいたずらでもしたわけ?」

「私がしているのは、玩具の修理ですよ。 私はリーナスといいます。

そちらの方はクリスさんというのですか。 よろしくお願いしますね。」

「あうあう・・・お・・・お願い・・・します。」

当然寝ていたリーナスはクリスの事など知るはずもなく、丁寧に礼をし

それを見ていたピートは、頭の後ろで手を組んで、笑いながら言った。

太陽のように、無邪気によく笑う少年だった。

「なんだあ、なさけねーなあ。 おとなしそうなねーちゃんじゃん

でも・・・何でこんなに血の臭いがすんだろ。 ま、いっか、そんな事どうでも。」

「リーナスさん、店主さんから、聞いてきたっスよ!」

ピートの何気ない一言が、リーナスの表情を曇らせる寸前、テディの声が割り込んだ。

そして、彼のメモを受け取ると、リーナスは鋭く分析を始め、やがて結論を出した。

「・・・間違いなく、これ一つだけの欠陥ですね。 多分、他の玩具は正常に動くでしょう

テディさん、それにピートさんとクリスさん、ゼンマイを巻いてもらえませんか?」

玩具を手渡されたピートは目を輝かせ、クリスはこわごわ受け取り

おもむろにねじを巻くと、石畳の上に置いた。

道化師は歩き始めた。 ジャグリングをしながら、綺麗な動作で、石畳の上を移動していく。

無論実際に歩いているわけではないが、小さいながら良くできている玩具であり

故に小さな部品のわずかな欠損が、致命傷につながったのであろう。

「おお、すげー! ねーちゃん、アンタすげーな!」

ピートに笑顔を向けられ、リーナスは困惑した。

クリスも無邪気に道化師を視線で追っていて、テディも喜んでいる。

それを見届けると、リーナスは壊れていた一個の修理を始めた。

妙な気分だった。 相手に喜ばれるのが、褒められるのが数年ぶりだった事もあり

不思議な感覚が体の中を駆けめぐり、巧く形容できない感情がわき上がっていた。

「なあなあ、リーナスねーちゃん。」

「何ですか、ピートさん。」

「へへ、俺の玩具が壊れたら、ねーちゃんになおして貰いたいんだけど、いいか?」

数秒の沈黙、クリスがこわごわのぞき込み、テディが沈黙する中、リーナスは笑った。

心の底から出た、数年ぶりの、八年前の誕生日以来の、暖かい笑みだった。

「ええ、いいですよ」

「うっし! じゃ俺とねーちゃんは、今日から友達だ!

じゃな、今度なんかしてあそぼーな!」

大きく手を振り振り、ピートは去っていく。

街で初めてできた友達が去るのを見届けると、リーナスは額に手を当ててため息をついた。

「敵いませんね・・・本当に。」

ここまでアリサが予想していたのか、それは分からない。

だが殆ど初めてに近い友達ができたのは、紛れもなく彼女の御陰であり

これから仕事を、誠意を込めて続けていけば、必ず報われる事を、リーナスは直感的に悟っていた。

「テディ、私」

突然に視線を向けられて、魔法生物はとまどいの色を浮かべたが

次の一言を聞いて、笑って頷いたのであった。

「私・・・アリサさんのために、一生懸命、精一杯、ジョートショップで働く事にします

多分・・・私には・・・・其れが一番良い事だと思うから。」

 

4,闇のまた闇

 

自警団第一部隊の隊長、リカルド=フォスターは世界最強の座を間違いなく争う一人で

その感覚は五十代になった今でも異常なまでに鋭く、その異様な気配をいち早く察知し

眠そうに目をこすっていぶかしがる娘トリーシャを家に残し、夜の森に出かけた。

森の奥から、尋常ではない殺気が垂れ流しになっている。 そして、血の臭いもである。

怯えきった下等な魔物が、彼の脇を走り去っていった。 鳥が騒ぎ立て、鼠が怯えて走り回る。

慎重に気配を消し、リカルドは森の奥の奥へと、その身を沈めていき、そしてそれに会った。

「んン・・・・? なんだテメーは・・・」

異様な殺気の固まりが振り向き、笑みを浮かべた。 気配を察知されたリカルドが、眉をひそめる。

其処にあったのは、無惨な、無惨すぎるすぎる魔物の死体だった。 街道で時々旅人を襲う魔物の群れが

尽くミンチにされ、そこら中に鮮血をぶちまけ、無惨な亡骸をさらしている。

周囲に漂う血の臭いは尋常でなく、思わず嫌悪感がこみ上げ、リカルドは叫んでいた。

「君は何者だ! 正義感を気取るには、あまりなやり方ではないか?」

「ああン? 何言ってやがる。

人間サマの害になる魔物を退治してやったのに、なんだその言い方はよォ!」

「それにしてもこれはやりすぎだ。 ・・・これ以上行うつもりなら、私との戦いはさけられんぞ」

リカルドの言葉に、その殺気の固まりは、耳まで避けるような笑みを浮かべた。

相手の超絶的な戦闘力を察したからか、或いは他の理由か・・・

「おもしれえな・・・俺の名はシャドウ。 テメーの名は?」

「リカルド。 リカルド=フォスターだ」

「覚えて置くぜ。 ヒャーハッハッハッハッハッハッハッハァ!

じゃあ、アンタに敬意を表して、魔物は暫く殺さねーよォ! 代わりに、もっと面白い事してやるぜ」

シャドウと名乗った存在は、それだけ言うと虚空に消えた。

リカルドは、嫌な予感に体を支配され、久しぶりに武者震いを覚えていた。