孤独の大輪

 

序、向日葵畑の暴力妖怪

 

一面に拡がる向日葵畑。一見すると牧歌的な風景だが、この秘境。未だに妖怪と神々が実在し、多くの人間がともに暮らしている幻想郷で知られている危険地帯の一つである。

向日葵畑そのものが危険なのでは無い。

此処に住み着いている妖怪が危険なのだ。

一見すると大人びた、日傘を差した物静かな女性に見えるその存在は。

風見幽香と呼ばれる、超危険妖怪なのである。

近隣で最強と呼ばれる実力は伊達ではなく。

向日葵畑に近付くことは死を意味し。

周辺に住んでいる妖怪は、持ち物が向日葵畑に入ったら回収を諦め。

近くに住んでいる妖精達は、向日葵畑という単語を口に出すだけで恐怖に青ざめて逃げ出し。

人間は自分からは絶対に入らず。

もしも向日葵畑の主が人里に来た場合は、相手の機嫌を損ねないように、可能な限りの笑顔を保つのだった。

普段から怖いと言われる風見幽香は。

元々言動が物騒な事で知られており。

大量虐殺を遊びと称したり。

虐げる事を楽しいと称したり。

色々と恐怖をばらまいているため、単独で幻想郷における他の強豪妖怪集団から一目置かれている特異な存在である。

だがその実情はどうなのだろうか。

向日葵畑に人間が降り立つ。

この不思議な土地、秘境を守る人間側の代表、博麗神社の巫女。博麗霊夢である。

向日葵畑のなかにぽつんと家があるが。

実は年中この家が使われているわけでは無い。

風見幽香はいわゆる「渡り」をする妖怪で。

花の咲いている場所に沿って、年中移動を続ける存在である。

このため、実はあばらやだと思っていた場所に、いきなり風見幽香が現れて、仰天する人妖は珍しく無いとか。

勿論それらの者達は、恐怖に引きつり。

そしてこけつまろびつ逃げ出していくのだが。

また、怖いもの知らずの強豪妖怪達が、風見幽香に喧嘩を売りに行くことがあるが。

風見幽香は優れた身体能力と多数の妖術の持ち主で。

特に花が荒らされたときは凄まじい怒りを見せるため。

強豪妖怪達ですら、覚悟を決めて挑みに行く様子だ。

博麗の巫女、霊夢は。

今日は用事があってこの幻想郷でももっとも単独で怖れられている妖怪の元を訪れている。

今まで何度も交戦し。

何度も退治してきた相手である。

というわけで、古くからの縁者だ。

現状、実の所霊夢とはさほど仲が悪い訳でも無く。

逆に良いわけでもなかった。

「幽香、いるかしら」

「開いているわよ。 勝手に入りなさい」

「では失礼して」

周囲は花だらけ。

これが恐怖の妖怪として知られる、風見幽香の家だと誰が信じるだろうか。正確には夏から秋にかけて使う家であるが。

内部で幽香は霊夢に背中を向け。

せっせと植物の世話をしていた。

たくさんの花が周囲に植木鉢ごと置かれていて。

その中には、人里の花屋に卸しに行くものもある。

実の所。

恐怖の噂話と裏腹に、風見幽香は逆鱗に触れさえしなければ其所まで凶悪な妖怪ではないのだが。

それは本人の力にも関わってくるので。

博麗の巫女たる霊夢は、周囲に話してはいけないことになっている。

戦闘力に関しては本物だが。

究極殺戮生物などと呼ばれているのは、流石に過大評価である事を、霊夢も知ってはいた。

そもそももしそうなら、人里への出入りなどする筈も無いのだが。

「例の花を受け取りに来たわよ」

「もう少し待ちなさい。 茶は適当に自分で淹れなさい」

「はあ。 相変わらずマイペースねあんたは」

「ふふ、長生きの結果よ」

背中を向けたまま、幽香は言う。

確かに凄まじい妖力は感じる。

圧倒的な身体能力もびりびりと来るほど分かる。

霊夢は想像を絶する戦闘経験を積んで来た。だからこそ、幽香の実力がその場で戦わなくても分かるのだが。

それにしても妖怪は大変だ。

人間に怖れられなければならない。

人間に退治されなければならない。

幽香くらいの実力者になってくると、たまに直接威を示さなければならないし。

何よりも、無駄に殴られたりしなければいけなくなる。

故に異変と呼ばれる問題を起こす必要があり。

霊夢もそれで何度か交戦したのである。

昔は霊夢もその辺りの仕組みを細かく理解していなかったから、幽香に対しては凶悪な人間の敵だと認識していた。

今は違う。

勿論妖怪と人間でなれ合うのはあまり褒められた行動では無いのだけれども。

それでも相手を、そういう立場の存在として認識している。

戦いなら何時でも受けて立つ。

異変を起こすなら解決する。

だがその後は。

出来るだけ、誰も死なないように話を穏当に済ませる。

そういう方向で、解決に持っていきたいと考えていた。

幻想郷の妖怪の長である賢者、八雲紫の存在を理解してから、こういう考えに至った霊夢ではあるが。

異変解決時の仕事モード時の凶暴性は現在も変わっておらず。

戦闘時の恐ろしさは周囲から引かれるほどだと聞いているので。

今後も、其所は継続していこうと思っている。

怖れられることが、重要なのだ。

勿論それに関しては、幽香も同じだろうが。

命蓮寺のように、妖怪と人間で本気で上手くやっていくことを模索していく集団は、幻想郷では異質で。

妖怪は人間に怖れられている方が普通である。

そして、その普通の妖怪の究極系こそ。

訳が分からない強者である風見幽香だとも言える。

程なく、茶をもそりもそりと啜っていると。

幽香が植木鉢と花を持ってくる。

真っ赤な、見た事も無い花だ。

異国のものだろうか。

「はい、これが注文の品よ。 結構気むずかしい子だから気を付けてね」

「全く、使いっ走りなんて面倒でならないわ」

「仕方が無いでしょう。 賢者が居場所を明かしている存在が、貴方くらいしかいないのだからね。 これ、説明書」

「全く、高くつくわよ」

凶悪な戦闘能力と裏腹に、風見幽香の能力は植物操作。

それも戦闘で、植物を盾にしたり剣にしたりする事は殆ど無い。

幻想郷では、自己申告で適当に能力を口にしている者が多いのだが。

風見幽香はそれが非常に例外的で。

口にする能力を戦闘で生かす事が殆ど無く。

単純な肉体と妖力の強さで勝負する妖怪だ。

神々の中にも似たようなのがいる。

くしくも、そういう神々も。

圧倒的な能力を持っているから、自己申告の能力などに頼らなくても充分強い場合が殆どである。

ああだこうだ偉そうな能力を持っているよりも。

実際に戦闘でどう立ち回るかが重要。

初見殺し能力を持っていたとしても。

それを相手に当てられなければ意味がないのだから。

その辺りを、証明している存在とも言える。

風見幽香という大妖怪は。

植木鉢を受け取ると、茶を飲み干した後、そのまま靴を履いて。その場で空間転移する。

賢者。この幻想郷で一番偉い妖怪の一人である八雲紫の、幾つかある屋敷に。最近霊夢は空間転移で出向けるようになっている。

このため、紫が忙しくて動けないときに。

幻想郷の顔役級の妖怪の所に出向いて、仕事をすることが出始めてきたのだが。

今回もそのケースだった。

今回受け取った花は、何でも天の世界に咲く花だとかで。

色々と、強い魔法の効果を、存在するだけで発揮するらしい。

その代わり極めて気むずかしいため。

幽香に紫が直接手入れを頼んでいたのだとか。

霊夢だったら枯らしていただろうな。

そう思いながら、暗い屋敷の中を歩く。

ほどなく、ぬっと目の前に現れる長身の影。紫の側近の妖怪に違いなかった。

幻想郷では、女の子の姿を取る妖怪が主流だが。

紫の麾下にいる精鋭は、男性の姿をしていることも珍しく無い。

これは単純に、周囲と関わる必要がないから、らしく。

賢者直衛の精鋭部隊として、普段人にも妖怪にも見せる必要がない仕事に従事しているそうだ。

その代わり、戦闘に出るかというと。そうでもないらしい。

なお、地底に去った鬼。幻想郷最強の妖怪である鬼の内。

何割かは紫の配下に入ることを承諾したらしく。

今姿を見せた大男も、その一人かも知れない。

「博麗の巫女、仕事をしてくれて助かった。 今賢者は動けぬ状態でな」

「後で金一封届けておいて頂戴」

「承知している」

紫の書状を出してくる。

高度な妖術で封がされていて、紫でないと扱えないものだ。開いてこの妖怪が紫の配下である事を確認。

手間が掛かるが。

この花は、それだけ重要な戦略物資と言う事だ。

この戦略物資という言葉も、最近覚えたが。

植木鉢と花を引き渡すと。

そのままさっさと帰る。

博麗神社に空間転移して戻ると。

人の気配がある。

珍しく参拝客かと思ったら、知人だった。

奥にある生活用のボロ屋に、友人である魔法使い、霧雨魔理沙が来ている。小さくあくびをしている所からして、来てから時間が経過しているのだろう。

魔理沙は船を漕いでいたが。

霊夢が近付くと、流石に気付いて顔を上げる。

大あくびをしたが。

ちゃんと口に手を当てていた。

魔理沙は今でこそ危険地帯で一人暮らししているが。

元は人里の金持ちのお嬢だ。

乱暴な言葉遣いは後付で覚えたもの。

素の状態だと、育ちの良さが出たりする。

ただ、本人はそれを良く想っていないので。指摘することはまず無いのだが。

「よう、仕事だったのか」

「ええ。 ちょっと幽香の所にね」

「幽香? そういえば、花の匂いがするな」

「鋭いわねえ。 その通りよ」

魔理沙に上がって貰い、茶を出す。放置しておくと、多分菓子とかを勝手に漁り出す。

魔理沙はとにかく手癖が悪く。

放置しておくと、好き勝手にものを漁り出すので。

そうしないように、先手を打って茶菓子は出す。

この茶菓子も、定期的に補充しておくのが面倒だ。

博麗神社には、それなりに来客があるのだから。

人間の来客は殆どいないが。

ましてや参拝客は。

「幽香の花が必要となると、何か事件でも起きたのか?」

「いいえ。 「足りなくなった」らしくて、補充よ。 手が足りないらしくて、使いっ走りを頼まれてね」

「はあ。 最近賢者と関係強化しているって聞いたが、人里にそんな話がばれたら面倒だぞ」

「そうね。 もしもばれたら面倒だけれど、勿論だれも見ていないことを確認して動いているから平気よ。 人里の妖怪退治人くらい……最近は少しは腕を上げているようだけれど、下手な隠行くらい即座に見破れるから問題ないわ」

丸テーブルに茶菓子を出して。

二人でしばらくのんびりする。

ここのところ色々ばたばたしていて、忙しくてならなかったのだ。今日はこのまま、昼寝をしたいくらいである。

とはいっても、紫は今日も式神も含めて忙しく彼方此方で仕事をしているようだし。

霊夢が昼寝をしている分、仕事をしていると考えると。

想像以上に幻想郷が脆い事を知った今。

そうのんびりもしていられまい。

魔理沙と適当に話して、帰らせた後。

もう一度、賢者が使用している屋敷に出向く。

丁度良い所に、紫の式神である藍が来ていた。

「さっきの花届いたかしら」

「ええ。 ありがとう博麗の巫女。 気付いていなかったかも知れないけれど、あの花結構危険な存在でね。 貴方や、それなりに強い力を持っている妖怪くらいでないと、力を根こそぎ吸い取られる可能性があったのよ」

「はあ。 それで、他に仕事は。 負担を減らすわよ」

「そうね。 一つ、やって貰いたい事があるわ。 此方としても裏側から人里に手を出すのは色々面倒でね」

話を聞かされる。

今度は人里関連か。

手紙を渡される。

人里の自警団の演習か。

別に叩き潰す必要はなく、現状での戦力がどれくらいになっているか把握してほしい、というものだった。

もしも実際に賢者側が関わるとすると、手練れを何名か用意して、色々と面倒な立ち回りが必要になってくる。

霊夢が出向けば、別に人間だからその辺りの手間が一切必要なくなるし。

何よりも、どれくらいの実力かが体感で分かるという。

なお、現在人里の自警団は強大な不死の能力を持つ元人間、蓬莱人藤原妹紅が指揮を執っているが。

彼女の実力は別に見なくても良いと言う。

あくまで「普通の」自警団員。要するに、妖怪が出たとき即応する退治屋達が、どれくらい出来るかを調べるのが仕事と言う事だ。

「分かったわ。 すぐに出向いて片付けておくわ。 その代わり今日はもう仕事しないわよ」

「助かる。 礼は払っておくけれど、派手に人里で使わないようにね」

「……はいはい」

また空間転移し、博麗神社に戻る。

さて、人里に出向くか。

そう思った時、神社に強大な気配が接近して来るのを察知。

普通、此処まで露骨に気配をばらまきながら移動はするものではない。まず天敵がいない奴くらいしか、こういう分かりやすい行動は取らない。賢者ですら、もう少し隠密性の高い行動を取るだろう。

神社の外に出向くと。

かなり派手な妖力をまき散らしながら、降り立ってくる姿が見えた。

風見幽香である。

まさか博麗神社に直接乗り込んでくるとは。

幽香とは話さない仲でも無いが。

神社に宴会でもないのに顔を見せるのは久方ぶりだ。

「何か起きた?」

「さっき渡した花だけれども、忘れていた事があってね。 ほら、メモ」

「……」

「それだけよ。 じゃあね」

また、堂々と空中に浮かび上がると、帰って行く風見幽香。

メモを開くと、かなり細かい手入れのコツだの何だのが、びっちり神経質な細かい字で書き込まれていた。

ため息をつく。

よく分からない奴である。

花に関する情熱が本物だという事は伝わってくるが。この様子からして、あの花に相当入れ込んでいると言う事だろう。

世話を頼まれた花に、だ。

人にも妖怪にも大事なものがある。

自分の基準で相手の持ち物の価値を決めつけた挙げ句、好き勝手に振る舞うのは外道の所行である。

霊夢は褒められた人間では無いと自分で思っているが。

そういった存在になるつもりもない。昔はやった事があるかも知れないから、少なくとも今後はやらない。

仕方が無い。

人里にいく前に、もう一手間だが、お届け物をしておくか。

あの花が枯れたりしたら、幽香がブチ切れることは確定だ。

空間転移も、結構力を使うのである。

色々面倒だなと思いつつ。

霊夢は腰を上げていた。

 

1、加虐の妖怪

 

人里で霊夢が自警団の演習につきあい。

そして、全然だなと結論。

皆とにかく戦闘経験が足りない。

弱い妖怪には勝てそうだが、中堅所以上と殺し合いになったら、普通に死者が出る戦力でしかない。

強くなりすぎるのも困りものなのだが。

もう少し実力がないと、実際に人間を殺した妖怪が出た場合。

対応が、色々と面倒になる。

その辺りは、妹紅に話すが。

向こうも分かっているようだった。

「一応人間を襲った妖怪の退治には同行させているんだがな。 どうにも場数の踏み方がたりねえ」

「見た感じ、色々な術や技を教えて、あんたが鍛えてもいるんでしょう?」

「どんな強い技を持っていても、実際に躊躇無く使えなければ意味がないし。 逆になるようだが、使うべき時を見極められなければ意味がない。 私もそれに気付くまで、随分掛かったが……後続の負担は減らしたいんだがな」

そうか。

自分も苦労したんだから、お前も苦労しろ。

そんな風に考えるのが、平均的な人間だとは霊夢も聞いた事があるが。不死の世界で地獄を見続けた妹紅は、そんな風には思わないと言う事か。

ずっと血塗られた道を孤独に歩いてきたのだ。

まあ、それもそうだろうか。

ともかく、これではまだまだという事を確認後。

もう夕方になっている事もあって、作業を切り上げる。

紫の所には。

まだ全然と報告しなければならないだろう。そうなると、妹紅の負担が増えるだろうが。それはそれだ。

霊夢が知った事では無い。

ただ、人里の自警団が、これでも前に比べると雲泥に進歩しているのもまた事実である。前はもっと脆弱だった。

今は空を飛ぶ事が出来るものや。

そこそこスペルカードルールで戦えるものも出てきている。

正直な所、幻想郷の強豪妖怪達が面白がって出向いてくるほどではないが。上空から逃げる妖獣を追い詰めることくらいは出来る力になってきてはいるだろう。これだけ鍛えているなら、妹紅が本格的に鍛え始めた時期を考えると、充分だとも言える。

引き上げる事にして、妹紅にそれを告げると。

妹紅ではなくて、退治屋の一人が聞いてくる。

「博麗の巫女。 ちょっと聞きたいんだが」

「何かしら」

「最近勉強会が増えてきていて、近付いてはいけない妖怪や、勝ち目がないからあんたを呼ぶべき妖怪についても周知が増えてる。 それでだが……風見幽香についてが分からないんだ」

ああなるほど。

確かにそれはそうだろう。

風見幽香は、人里で人間の妖怪退治屋用に公開されている、妖怪の資料。絶対記憶能力を持ち、転生しながら記録を続けている怪物じみた存在、稗田の阿求が記している「縁起」には、文字通り悪鬼の権化のように記載されている。

実際本人が花を荒らす存在に対しては微塵も容赦しない事もあり。

怖れられているのは事実だ。

妖怪の中でも、最上級の一部……支配者階級の鬼くらいしか、幽香と「遊ぶ」事は考えないだろう。

とはいっても、幽香が人里に来て、花屋に時々出向いているのは事実。

妖怪退治人なら知っている筈だ。

幽香が花屋と談笑までしている事は。

縁起では悪鬼そのものと書かれている超危険妖怪が、実際には数少ない堂々と人里に来る妖怪であり。

花屋で買い物までしていくという事を考えると。

色々不思議な気分になるのだろう。

「結論から言うと、風見幽香は戦闘力に関しては一級だけれども、植物が絡まなければそれほど危険な存在ではないわね。 話すくらいで襲ってくる事はまずないわ」

「強いが、危険ではないのか」

「実力で言うと私でも結構危ないわよ。 油断すると撃ちおとされるかもね」

「ひ……」

妖怪退治屋が情けない声を上げる。

というか、此奴は多分知らないだろう。

そもそも人里の政治が、全て賢者八雲紫に掌握されていて。

天災が起きたときには、多数の妖怪が人里を守っている事など。

人里は幻想郷にとって生命線で。

弱い妖怪は、人里の動向次第で消滅してしまうし。

強い妖怪でも、人里で変な噂が流れれば弱体化は避けられない。

このため、霊夢も妖怪に対してあれは弱いとか、あれは憶病だとか、下手に口に出来ない立場だ。

幻想郷の人間側の管理者であり。

何より、幻想郷が実はとても脆い場所だと、今は知っているからである。

「風見幽香に関しては、別に姿を見せても即座に危険なわけではないわ。 ただ植物を粗末に扱わないようにね。 冗談抜きに叩き潰されるわよ」

「あ、ああ……分かった。 肝に銘じておく」

「……」

妹紅に目配せ。向こうも分かってくれたようだった。

実際問題、縁起に書かれている妖怪の危険度には嘘が多い。

書いている稗田阿求の性格が悪いというのもあるのだが。

何よりも、紫が検閲して、人里で怖れられるように実像をねじ曲げに曲げている。

そのおかげで人間に侮られず、消滅を避けている妖怪もいるのだけれども。

自警団として第一線に立っている退治屋の中には、混乱する者もいるだろう。

厄介な事に、本当に危険な妖怪もいるし。

縁起には、危険だから近付くなと記載されている者の中に混じっていたりもする。

それを考えると、あまりあの本は嘘だとか。あの妖怪はどうだとか。人里で口に出来ないのが色々と鬱陶しいというか。面倒くさい所だった。

後は妹紅に幾つかの問題点を引き継ぐ。

近接戦闘は以前とは別物のように出来るようになっているが、飛行速度がまだ全然足りない。

格上の相手とやりあう場合は、もし相手が本当に危険な場合は霊夢を呼びに来させろ。そのためにも飛行速度を上げろ。

スペルカードルールでの戦いをする場合は、状況判断力が必要だ。

幻想郷の相手ならまず乗ってくれるが。

そうで無い場合は基本的に相手を面白がらせて時間稼ぎにだけ使え。

そう言った話をすると。

分かっていると返ってきた。

まあ戦歴なら妹紅の方が霊夢よりも数段上だ。

才覚で戦闘力にて上回っているが。

そもそも妹紅がいれば、大体の妖怪は撃退可能。それが逆に、自警団員達に甘えを生じさせているとも言える。

「ともかく、もう少し使える奴を増やしておく。 だが、いざという時は頼むな」

「分かっているわよ」

引き上げる。紫の屋敷に出向いて報告を実施。藍がいたので結果を話す。口頭での報告に、藍は苦い顔をしていたが知るか。レポートなんて書いていられない。

博麗神社に戻った頃には夜中。

一人暮らししていると、色々面倒だ。

家事の類を疲れている中片付け。

妖術を使って沸かした風呂に入る。

そういえば、守矢には簡単ポンで沸く風呂があるんだっけ。そういえば素材も外の世界のものらしかった。

板製のフロは定期的に作り直さないと腐ってしまう。

ぼんやりと湯に浸かりながら。

何だか疲れたなと、霊夢は思っていた。

 

翌日は特に用事もないので、食事と掃除、家事を済ませた後、敢えて横になってゴロゴロする。

しばらく無心に眠って、疲れを取った後。

暇つぶしに、妖怪退治と称して幻想郷を飛び回る。

こうして博麗の巫女として飛び回り、見かけた妖怪をしばいておくと。

それそのものの行為が抑止力になる。

妖怪にとって、博麗の巫女は逃れられない恐怖。

少なくとも弱めの妖怪にそう叩き込んでおけば。

妖怪関連の事故は減る。

いつ博麗の巫女が来るか分からないし、もし悪さをしていたらぶん殴られることになる。

そうやって認識させておけば。

人間への被害がそれだけ減る。

勿論妖怪は、幻想郷に住むための税金として、時々人間に威を示さなければならない。

命蓮寺のように、襲うという形以外で威を示す事を推奨している集団もいるが。

大半の妖怪は人間を怖れさせるために、妖怪の力を示す方法を用いている。

風見幽香やら鬼やら、存在その者が恐怖の代名詞となっているものは良い。

別にああだこうだしなくても、人間が勝手に怖がってくれるからだ。

だが、弱小妖怪はそうもいかない。

普段は妖怪なら関係無くぶん殴って回っている霊夢だが。

消滅の危機に相手が陥っている場合は。

人里に知られないように助ける事もある。

ただ、人里を守護するのが第一であり。

天秤に掛けなければならない場合は、人里を優先するドライな思考も崩さないが。

それと、現象としての妖怪。

人格を持たず、一種の災害として周囲に害を為す妖怪に対しては、霊夢は一切合切容赦をしない。

そういう妖怪が出現していないか確認するために、見回りをしていると言う事もあるのである。

一通り見回りをした後。

着地し、周囲を確認。

地面が焼け焦げている。誰かが戦った跡だろうか。

目を細めて確認するが。

どうも今さっき、誰かが戦闘したようには見えない。というか、野原が燃やされた感触だ。

それを見て、頭を掻く。

これを幽香が見たらキレて暴れるぞ。

だが、意外な方向に話が進む。

なんと幽香が、炎の中から現れたのである。うっすら笑みを浮かべているその姿は、なんというか。

燃え上がる炎も相まって。

まるで縁起に書かれているような、邪悪な悪鬼のようだった。

「どうしたの、野焼きの真ん中に立って」

「野焼き?」

「幻想郷は緑が豊かだけれども、この辺りはそうでもなくてね。 土地がそろそろ限界に来ていたから、一度焼いたのよ」

驚いた。

幽香が植物を自ら焼くとは。

そんな事をしたりもするのか。

園芸や農業には殆ど興味が無いのだが。

話を聞いてみると、幾つか納得できる事がある。

植物は人間の手が一切入らない場合は、勝手に淘汰を繰り返し、地面に対しても栄養を自給自足するという。

だが、幻想郷は人間も妖怪も住んでいるし。

当然の事ながら、植物にも小さくない影響が出ている。

其所で、こうやって時々手を入れることで。

土地そのものが死ぬ事を避けるのだという。

やがて火が収まると。

延焼が拡がりすぎないように注意をしていた幽香が、指を鳴らす。

同時に空に雨雲が来て。

局所的な大雨を降らせ始めた。

「外の世界ではゲリラ豪雨と言うそうよ」

「何だか知らないけれど、良いのこんなに激しく雨降らせても」

「大丈夫。 魔法で地面についてはもう処置してあるから」

淡々と作業を進めていく。

植物に対しては絶対的な愛情を注いでいると思ったが。

時にこんなドライな行動を取るのか。

考えてみれば、花屋に出向いている時点で。

植物の選定をしたり。

根を切ったり。

色々やっているわけだ。

植物に対して、何でもかんでもベタ甘に接しているわけではない、と言う事なのだろう。

よく考えてみれば当たり前の事だったのだが。

霊夢も、つい相手のことを、偏見で見ていたのかも知れなかった。

雨が止んだ後は、幽香は指先を空中に走らせ。

複数の石塊が、地面に突き刺さる。

しばらく激しく地面を打ち付けていた石塊だが。多分耕す代わりなのだろう。農具など大妖怪は直に振るわない、と言う事だ。

そして、手元から、直接タネを植え込んでいく。

これは自分で普通にやるのか。

なお手伝う必要はないと言われているので、霊夢は少し離れて人里に影響がないように見ているだけである。

幽香くらい妖力が強いと、流れ弾で人里に甚大な被害が出る可能性がある。

また人里と言っても、壁で守られている場所だけではなく。広大な畑や人里の端になるあばら屋などもあって、その辺りには比較的人間に友好的な妖怪が住み着いていたりもするのだ。

だから、見ているだけと言っても。

ぼんやりしているだけでは無く、いつ流れ弾が飛んでも平気なように、備えておかなければならないが。

幽香は集中して作業をしているので。

声は掛けない方が良いだろう。

あの様子だと、かなり気も立っている。

下手に声を掛かると怒る。

そうなれば暴れるだろうし、霊夢でも制圧するのは一苦労だ。

食事中の獣に手を出されれば噛まれる。

それと同じ事である。

土に関する作業を終えた後、幽香はしばらく少し浮いて上空から念入りに自分が手入れした土地を確認。

しばしして、頷いていた。

「これでよし、と……」

「妖精でも適当に放っておけば、自然は回復するんじゃないの?」

「そう簡単では無いのよ。 妖精だけ放った結果、ろくでもない植物が繁殖してしまうこともあるの」

「そういうものなのね」

まあ餅は餅屋だ。

専門家の言う事を疑うつもりはない。

やがて、幽香が引き揚げて行ったので、霊夢自身は周囲を確認。追い払われたり、怪我をしている妖怪がいないか見て回る。人間が巻き込まれた様子は無かったが、見に来た物好きと妖怪が鉢合わせ、という可能性もある。

何しろいきなり豪雨が降り注いだのだ。

人里から、興味本位で来るアホがいてもおかしくない。

どれだけ妖怪の被害が出ても、アホはアホ。

やらかす奴は、必ずいるのである。

幸い今回はいなかったが。

代わりに下級の妖怪がたくさん様子を隠れて窺っていたので、一喝して追い散らす。

これだと、アホが様子を見に来ていたら。

これらの妖怪に襲われて。

殺されなくとも大けがをし。

自警団が、総力で出る事になっていたかも知れない。

どっちに対しても不幸な結果だ。

そんなものは、幻想郷の管理者として避けなければならない。

周囲の確認を終えると、一旦神社に戻る。

他にもパトロールをしようかと思っていたのだが、そもそも妖怪の山だったり、別の管理者がいる場所だ。

敢えて霊夢が首を突っ込むこともないだろう。

神社に誰か来る。

疲れたから軽く酒を入れていたのだが。

顔を出すと、妹紅だった。

「さっきのは何だ」

「隠しても仕方が無いから言うけれど、土の状態が悪いとかで、幽香が地面を耕していたのよ」

「噂以上の力だな」

「何度か戦ったことがあるけれど、実力は尋常じゃ無いわよ」

妹紅が来たということは、人里が騒ぎになっている、と言う事か。

今の話を伝えるように指示。

もう後は何も問題が起きないだろう事も。

妹紅も納得してくれたようで。

すぐに人里に戻っていく。

これで、良しと。

また酒を入れに戻る。だが、足を止める。そういえば、帰りに人里に寄っていくべきだったか。それはちょっとした判断ミスだった。

帰りに人里に寄っていけば、妹紅に二度手間を取らせることも無かったし。

人里が混乱しているのを鎮めるのも、すぐに終わった事だろう。

この辺り、まだ知恵の使い方が足りないな。

酔いも醒めてしまった。

大きく嘆息すると、今日はもう酒を止めることにする。

上空に出て、人里を観察。

人里の混乱に乗じて、余計な妖怪がちょっかいを出しに掛かるかも知れない。幽香くらいの実力者になると。別に他意なく行動しても、人里にあれだけの影響を与えるのである。まあ、危険度で言えば最大級というのは同意する。

夕方近くまで、人里を監視。

とりあえず、問題は起きそうにない。

夕方頃には、妹紅がまとめたのだろう。人里の混乱は落ち着き、つけいる隙も無くなっていた。

何だか、一手間が抜けただけで。

手間が五倍にも六倍にも増えた気がする。

戦闘時と違って、どうも頭の働きが鈍い。

普段は、戦闘が終わると、一気に疲れが来るような感触を感じるのだが。

それは戦闘時、それだけ気を張っていて。

緊張が抜けた瞬間。

全身の力が抜けてしまうから、なのかも知れない。

それに、戦闘などの気を張った後は、勘も働きにくい。

普段以上に衰える。

この辺り、霊夢にも限界があるという事だ。

考える。

やはり、このままでは駄目か。

今回の反省は生かす。

まず一手間を惜しむことは、十二十の手間が増える事につながる。

無駄な手間を増やしてしまった結果。今回は犠牲は出なかったが。今後はどうなるか分からない。

そして最終的に、手間を蓄積させていくと。

何もできないほどに疲弊し。

大きな隙を周囲に見せる事にもなるだろう。

良い機会だ。

無駄を減らすように、少し考えておこう。

幽香自身にはまるで関係のない話だが。

これは自分にとっては良い薬になった。

霊夢も傍若無人というわけではない。

失敗したら反省するし。

勝てなかったら対策を練る。

天賦の才だけで勝ち抜いてきたイメージが周囲にはあるようだが。

そんな事もないのである。

 

2、花畑炎上

 

数日間、雨が降り注いだ。幻想郷は長雨が続く事が珍しく、梅雨の時期でも其所まで酷くはならない事が多い。

勿論洪水とかは起きたりするが。

実際には、災害は人里に通らないように賢者が手を打っている。

大地震とかだと流石に手が打てないだろうが。

台風や梅雨くらいなら、特に問題は無いだろう。

霊夢が外に出ると。

川はかなり増水しているようだが。

洪水の危険にまでは到達していない様子だ。

これでは河童が動員されることもあるまい。

また、風は強いものの。

そこまで異常な強さでもない。

故に、見ているだけでも平気だ。

台風だろうか。

それとも、外の世界で言うゲリラ豪雨なのだろうか。ぼんやり考えていると、大雨の中、飛んでくる影を確認。

友人の一人。

自称普通の魔法使い。

霧雨魔理沙だった。

合羽を着て箒に跨がって飛んできた魔理沙は、着地すると寒い寒いと言う。

霊夢より少し背が低い魔理沙は、年齢も少し下だ。普段は必死に対等ぶろうとするし、気も強いけれど。

時々、子供っぽい所が出たりもする。

まだ十代半ば。

それも前半だ。

その辺りは仕方が無い部分もある。

本来魔理沙は独立して行動する年齢じゃあない。霊夢だってそういう意味ではかなりぎりぎりである。

魔法の森なんて危険地帯で一人暮らしとか、通常では考えられない行動で。

実家である霧雨家と魔理沙の関係の悪さや。

魔理沙自身が実際には人恋しいだろう事も霊夢は見抜いていたが。

それを口にすれば怒らせるだけだし。

敢えて口にはしていなかった。

離れに案内して、火を起こす。

流石にいろりでは無くストーブである。最近霊夢の所でも、寒い時対策のために導入したのだ。

正確には賢者が持って来たのだが。

紫が持ってくる灯油という燃える水を入れて、ちょちょいと操作するだけで動くので有り難い。

その代わり事故が起きると大変なようなので。

術で床に固定し、何があってもひっくり返らないようにはしていたが。

「ふー、人心地ついたぜ」

「よりにもよってこんな日にどうしたの。 何かあった?」

「いんや。 ただ何となく」

「……」

そうか。

霊夢の所は別に暇つぶしに来るような場所では無いし。そもそも博麗神社は幻想郷の要である。

だが、別に魔理沙を追い返す気は無い。

もしも異変が起きた場合には、戦力としてカウント出来るし。

一人でいるよりも、隙を減らせるからだ。

軽く聞いてみる。

無駄のない行動について。

魔理沙の家はかなり汚い。

家の中は殆ど整理されていないし、様々な物資が乱雑に積み重ねられてもいる。

だが、霊夢よりずっと幼い頃から一人暮らしを始め。

それで生き抜いてきたのである。

何か参考になるかも知れない。

魔理沙は話を聞くと、少し考え込んだ後に言う。

「何だか最近変わったな。 今までよりも成長しようとしているように見えるぜ」

「あらそう。 まあその通りよ。 幻想郷が想像以上に脆い事を知ったし、今後は今まで以上に積極的に動くつもり」

「そっかあ。 まあ私にも解決する異変は残しておいてくれよな」

「別にかまわないけれど、遊びじゃないわよ。 最近だと幻想郷の外から強力な異変が持ち込まれる事も多いし」

最近ようやく冷静になって来たのか。

霊夢は魔理沙について分析出来るようになって来た。

魔理沙は戦闘慣れはしているが、本質は精一杯背伸びしている子供だ。

大人になろうとしてはいるが。

やはりどこかで子供であることが抜けない。

魔理沙は霊夢に多分何処かで依存している。強さという点ではかなり高い次元にいるのだけれども。それでもやはり霊夢の側にいるのが嬉しいのだろう。

魔理沙は努力家で、常に努力を欠かさないという事は知っているが。

その努力の根元は何なのだろう。

弱さを知っているからか。

孤独だと思っているからか。

もしも霊夢がいなくなったとき。

魔理沙はどうするのだろう。

ちょっと聞いてみる。

幻想郷の住人は比較的考え方がドライだ。

これは守矢の早苗と色々話してみて、理解できた。

外とは人間の平均寿命がまるで違う。

近年は永遠亭が出来て平均寿命が上がったが、その代わり子供の数が露骨に減った。賢者が何かしたのだろうと思う。

だが、そんな中でも。

別に誰も不満を感じていない。

たまに不満を感じて、人間であることを儚む者もいるが。

それはあくまで例外である。

魔理沙はどちらかと言えば、そんな幻想郷の住人の中では比較的考え方がウエットな方である。

ドライな霊夢は、基本的に来る者拒まず去る者追わずの精神でいたし。

今まではそれで何の疑問も感じなかったのだが。

今になって、幻想郷全体を見回してみると。

命蓮寺はそれぞれの命を大事にする方向で動いているし。

特に近年外から入ってきた勢力の中には、ドライな思考に対して抵抗を示す者も珍しく無いようだ。

それは悪い事なのかというと、霊夢にも違うと思う。

幻想郷にはルールがあり。

この閉じた世界が脆い事も理解はしているが。

かといって、厳格なルールで縛り上げるとろくでもない事になるとしか思えないのである。

例えばである。

守矢は幻想郷に秩序を作ろうとしている。

老獪な守矢の二柱は、現時点で妖怪の山の状態をかなりマシにしている。実績を上げているのだ。

やりたい放題だった天狗達を静かにさせ。

最近は同じように好きかってしていた河童達を大人しくさせた。

かといって、今のまま守矢が勢力を拡大したら、碌な事にならない事が目に見えている。少なくとも霊夢には。

勘が告げている、というと何とも頼りないが。

しかしながら、霊夢の勘は実用的なもので当たるのだ。

そして、である。

効率という観点。

無駄を排除するという観点では。

守矢の方が、紫よりも正しいように思えてならないのである。

頭を今までは使わず。

既存の秩序に沿って、悪さをする妖怪の頭をたたき割れば良いと思っていた。

人間の味方を称してもいた。

だが、そもそも幻想郷で人間は支配される側だ。

霊夢のような例外を除くと、妖怪への畏怖を、幻想郷で生きるための税金のような形で払わなければならない。

もしも、人間の味方だというのなら。

幻想郷の体勢そのものが、問題では無いのだろうか。

その辺りは、今まで考えたことも無かった。

幻想郷を維持する、というのであれば。

妖怪がある程度人間を襲って食うのも仕方が無い、という事になる。

だがその場合。

霊夢だけが例外とは言えなくなる。

博麗の巫女が存在しないと博麗大結界が維持できない、というのはあくまで理屈に過ぎないわけで。

実際幻想郷で暮らしている人間が、死んで良い存在、妖怪に喰われて良い存在なのかというと。

それは否だ。

自分は特別だから食われてはまずい。

他はその他大勢だから喰われても良い。

そんな考えは、流石にドライな思考をする霊夢でも、口をつぐんでしまう。

ゆっくり、断片的に。

そんな風な話を魔理沙にしていく。

魔理沙はしばし黙っていたが。

話を聞き終えると、嘆息した。

「いや、本当に何があったんだ?」

「別に。 ただ時間が過ぎたというだけかしらね」

「……確かにお前が博麗の巫女で特別だから死ぬとまずくて、他の人間は死んでも良いなんて考えだったら、私がお前を倒すさ。 だけれど、ドライで暴力の権化なお前でも、其所までは考えていないだろ」

「ええ」

暴力の権化というのはちょっと勘に障ったが。

まあ事実なのだから別に怒るほどでもない。

魔理沙は更に言う。

「かといって、賢者の言う通り何でもかんでも従ってるというのもおかしい。 そういう意味では、守矢が作ろうとしている新しい秩序についても分かる気がする」

「あんたは秩序が嫌いだものね」

「……正確には何でもかんでも押しつけられるのが嫌なんだよ。 だから幻想郷の人間の仕組みからは離れたし、妖怪になるつもりもない。 最終的に不老不死になって「魔法使い」になるとしても、別に人を食うつもりはないね」

魔理沙は親と深刻な確執を抱えている。

何回か親に雇われた人間が、魔理沙を捕まえに行ったらしいのだが。

全員が返り討ちに遭い、以降は絶縁状態。

魔理沙は人里に出向くこともあるが、基本的に実家がある方向には絶対に行こうとはしない。

そういう意味では、魔理沙は秩序に対する反逆者ではあるのだが。

かといって、そんな魔理沙だって。圧倒的な力で新しい秩序を作ろうと長期計画を立てている守矢には、あまり良い感情が無い様子だ。

雨が止んできた。

空模様は少し怪しいが、丁度良い頃合いだろう。

パトロールに出る事にする。

「気まぐれだな」

「そうでもないわよ。 雨が上がったこういうタイミングに、退屈していた妖怪が悪さを考えたりするからね。 私が飛んでいる姿を見せれば、それだけで抑止力になるの」

「似たような事、命蓮寺がやっていたっけな」

「……そう。 ならなおさらやっておかないとね」

それとだ。

霊夢はあまり頭脳活動が得意ではない。

狐や狸等の、頭脳活動で人間を騙す妖怪には、何度も足下を掬われた。

今後はそれも補っていきたい。

ドライな思考の霊夢だが。

妖怪全てがドライな思考なわけではないし。

人間のウエットな思考をついて、足下を掬ってくる妖怪もいる。狐や狸などがそうである。

そういった妖怪はあくまで威を示すための行動としてそうしているが。

しかしながら、度が過ぎて舐められるといずれ人命の被害が出る。

故に、今後は少し考えておかなければならなかった。

魔理沙も同時に、魔法の森に帰ることにしたらしく。

博麗神社から、別方向にそれぞれ飛び立つ。

しばし無心で飛んで、周囲に目を配っていると。

やがて、妙な川を見つけた。

普段は存在しない小川だ。

少し水はけが悪い土地ではあるが、雨の度に川ができる程ではない。

何かに化かされているのか。

人里の方は、妹紅がいるから大丈夫だろう。

霊夢は川を辿って飛んで行く。下流は、普段ある川に合流しているが。その川も水量がかなり多い。

数日間の雨は、予想以上に水量を増やしていたようだった。

変な川の上流に急ぐ。

やがて、大体の様子が分かってきた。

水はけが悪い土地。

青々と草が茂っているその真ん中に、見覚えのある姿がある。

幽香である。

普段は日傘を差している幽香だが、今は雨傘を差し。しかも、少し浮いて草原の方を見つめている。

何か強力な術を掛けているらしいが。

この位置からは、詳細は分からない。

近付いていって、声を掛ける。

幽香は、霊夢の方を一瞥だけしたが、かなり表情が怖い。

恐らくだが。

相当に難しい術の制御をしているのだろう。

「何をしているの」

「この辺り、数年前から手を入れていてね。 前は荒野だったの覚えているかしら」

「水が入らないし、まあ当然でしょうね」

「そうではないのよ」

幽香が不機嫌そうに言う。

また少し時間をおいてから、説明してくれる。

無言の間は、多分術の制御をしていたのだろう。

「この辺りは土が出来ていなくて、水が土に留まらない状態だったの。 雨が降ったらすぐに地下水脈へ水が流れ込んでしまう状態だった、と言う事よ。 植物も多少はあったけれど、いずれもが枯れ果てていたわね」

「……それで貴方が手を入れたと」

「幻想郷を豊かにしているのよ。 植物は全ての生活の基盤。 野菜を例に出すまでも無く、あらゆる生物にとって豊かな土地、其所に根ざす植物は大事な存在なの。 私のような者が手を入れないと、誰もやらないからね」

で、今は何をしているのかというと。

せっかく手を入れた土が駄目にならないように、余剰分の水を押し流しているのだとか。

これがかなり加減の難しい作業で。

故に難しい顔になっていたのだという。

「後継者がいてくれれば助かるのだけれども、当面は厳しそうね」

「誰か物好きな人間にでも頼んだら? 花屋も人里にはいたと思うけれど」

「駄目よ。 妖怪、それも現象としての妖怪が結構出るような場所を通らなければならないから。 貴方のような例外には問題ないでしょうけれども、他の人間の場合容易に死ぬわ」

「他の妖怪は」

幽香は無言だ。

そういえば。

山を荒らすと怒る類の妖怪は霊夢もたくさん知っているが。

具体的に木々を育てはぐくむ妖怪となると、あまり姿を見かけない気がする。

いるにしても、自分の縄張りの植物を傷つけられると怒るくらい。

幽香のように幻想郷を好き勝手に渡って。

緑化作業をしているような存在は、例外だろう。

溜息が出る。

今になって考えてみれば。

幻想郷がこう緑豊かなのも。ある程度此奴が。幽香が、影で手を入れてくれていたからなのかも知れない。

花が咲く場所を幽香が移動しているのでは無く。

花が咲くように、手入れをしてくれていたのではあるまいか。

だとすると、霊夢の識見は更に狭かったことになる。

なんというか、溜息しか漏れない話だった。

「まあ悪さをしていないのなら良いわ」

「博麗の巫女」

「何よ」

「後継者については、今まで考えたことも無かったわ。 ただ、同じような仕事をする妖怪が増えてくれると、助かるかも知れないわね」

そうか。

少し考えておくと言うと、頷いて。後は、無心で土地の調整を幽香は続けていた。

青々とした草原だが。

まだまだ安定していない、と言う事なのだろう。

植物は逞しいもので。外では強固な「コンクリート」やらすらぶち抜いて育ったりするらしいのだが。

こういう風に、人間や妖怪が手を入れない限り、全く育てない場所もあるという事だ。

無言で飛んで、パトロールを続ける。

霊夢を見るなり、青ざめて飛んで行った妖怪がいたので、軽く追いかけて脅かしてから逃がしてやる。

前は見つけ次第頭をたたき割っていたのだが。

今は其処までしなくても大丈夫、と判断しているだけだ。

妖怪の山まで一通り回るかと思ったが。

妖怪の山は、守矢麾下らしい妖怪が編隊を組んで見回りをしていて。近付くと、スクランブルを掛けてくる。

天狗が好きかってしていた頃とは大違いで。

非常に秩序だっていた。

霊夢を足止めに来る部隊と、即座に守矢に知らせに行く部隊で手分けもしているらしい。

これが秩序かと、舌を巻くほどである。

すぐに早苗が出てくるので、軽く話す。

「こんな状況下で、妖怪の山に入ってくる人はいないと思いますが、麾下の妖怪達には徹底しています。 もしも人を見つけた場合は、守矢にすぐに知らせるようにと」

「供物にでもするつもり?」

「いえ。 人の入る領域では無い事を、畏怖させることで告げてから、人里に私が連れ帰ります」

「またそれは、随分と茶番ね」

霊夢が皮肉を言うが。

早苗は平然としている。

茶番は前からだろう。

そう表情が告げていた。

守矢神社に出向こうというのなら、現在はロープウェーが出来ていて。最近は事故の話も聞かない。

河童が守矢に完全掌握されてから、今まで金に汚い連中で知られていた河童は、露骨に態度が良くなった。

河童が問題を起こしたら守矢に知らせろ。

そう人里に、新聞が配られて。

守矢への知らせ方についても、周知がされた。

いずれにしても、河童が防げる方法ではなく。

守矢としては、河童に容赦をする気が無い事が分かる。

同時に今まで幼児以下だった河童の組織力を、山の戦闘力が高い妖怪を差し込むことで再編したらしく。

河童達は、山の妖怪でも強い方の妖怪達に見張られながら。

真面目に仕事をしている。

故に、そもそも守矢神社に行くにはロープウェーを使えば良いし。

妖怪が出る場所に入り込んでくるような人間に対しては、今までのように妖獣が起こす事故も起きないように出来ている。

それでいながら、妖怪の山で誰かがいなくなったとか、噂を流してもいるらしいので。

良くやっているとしか言えない。

悔しいが、秩序の作り方は守矢の方が一枚上手だ。

「まあ問題が無いのなら良いわ。 ただ、くれぐれも余計な気を起こさないようにね」

「ええ、霊夢さんに迷惑は掛けませんよ」

「……」

悔しい話だが、早苗は今どんどん強くなっている。

今後も幻想郷に問題、つまり異変が起きたとき。解決のための実働戦力として、期待出来る存在だ。

今まで努力をさぼってきたから。

一気に差を詰められてきたとも言える。

早苗もそれを理解しているのだろう。霊夢に対しては、毅然とした態度で対応してくるようになって来ている。

それに、妖怪の山の秩序は、明らかに以前とは違い、整然としている。

どんどん組織化が進み、無駄も隙も無くなってきているのだ。

とはいっても。

守矢が来る前は、文字通り無法地帯だった事を考えると。

今の状態が悪いとは、霊夢には言えなかった。

他を一通りみて回った後、博麗神社に戻る。

また、丁度良いタイミングというのか。間が悪いというのか。雨が降り始めたので。

そのまま家に入ると、今日はもう休む事にした。

寝っ転がって、ぼんやりと考える。

漸く見えてきた色々なもの。

恐ろしい顔をしていながら。実は幻想郷の緑化のために尽力していた風見幽香。今まで何回か異変を起こした幽香だが。それも、単に力が強い妖怪だから、幻想郷での妖怪に対する畏怖を集めるために行っただけなのかも知れない。

紫辺りと連携していた可能性も高く。

要するに出来レースだった、と言う事だ。

霊夢だって、昔は今ほど強かった訳では無い。

或いは勝たせて貰ったことも、一度二度あったのかも知れない。

今となっては分からない。

いずれにしても、博麗の巫女として、どうやって今後幻想郷により強力な協力をして行けば良いのか。

それは課題だ。

小さくあくびをすると。

霊夢は少し早いが、風呂に入って眠る事にする。

幻想郷は変わりつつある。

幾つもの勢力が新しく出現して、その全てが大きな存在感を作り出している。

それに対して既存の勢力である河童や天狗は、力を落とす一方だ。

今後は、それが博麗神社や、賢者になって行くかも知れない。

風呂に入って疲れを落とすと。

後は目を閉じて、思考も閉じる。

まだ結論を出すのには早いし。

悲観的にものを考えるのも、自分らしくないなと、思っていた。

 

3、それぞれのやり方

 

梅雨が明けて、一気に暑くなってくる。特に近年は梅雨が明けた後、強烈に暑い気がする。

そういえば地獄から来た妖精が、地獄より暑いとかぼやいていたっけ。

氷の妖精チルノは最近洞窟にかまくらを作って、夏場は其所で凌いでいるし。

他の妖怪も、水場に集まって、暑さを凌いでいるようだった。

霊夢が姿を見せると、慌てて逃げ惑うが。

これはダラダラしている様子を、人間に見せるとまずいから。

幻想郷は畏怖によって成り立つ土地だ。妖怪が舐められるのは、色々な意味で致命的なのである。

同時に霊夢も、人間の管理者として、舐められるわけにはいかない。

だから、怠けている妖怪は、ある程度追い回して怖れさせなければならなかった。

怖れさせる、か。

茶番である事は霊夢だって分かっている。早苗が無言で、そう告げてきていたように。

本気で妖怪が人間を襲っていたら、こんな小さな幻想郷。あっと言う間に人間なんていなくなってしまう。

人間を殺した妖怪だらけになったのなら。

霊夢だって、その妖怪を片っ端から封印処置しなければならず。

危険度の高い妖怪は、皆今頃地底で、呆然と空を見上げているしかないだろう。

妖怪は人間を襲い。

人間は妖怪を恐れ。

人間は勇気をふるって妖怪を退治する。

その仕組みは。

人間は妖怪を怖れる、という点だけが重要なのであって。

究極的に人間にとって妖怪はいらない。

だから紫は聖徳王を。人間を意のままに操れる政治の申し子を怖れているし。

この世界が想像以上に脆い事を知った霊夢も、苦悩を続けていた。

守矢の早苗はどうなのだろう。

彼奴は苦悩しているのだろうか。

実の所、早苗も色々と鬱屈しているだろう事は霊夢も知っている。

博麗神社で飲み会をすると、早苗は結構来てくれる方なのだが。

酒に弱い早苗は、時々ぼそりと漏らすのだ。

幻想郷は楽しい。

故郷に帰るのはまっぴらだと。

要するに、早苗は故郷。つまり外の世界で、相当嫌な思いをしてきたのだろう。それについては、すぐに霊夢にも分かる。

紫は言っていたっけ。

外の世界の精神文明が、想像を絶する貧しさになって来ていると。

具体的に、早苗に外の世界の話を聞いたことは無い。

また、外の世界から来ている者。

外来人、宇佐見菫子も。

外の話はあまりしたがらない。

里では外の話をしないようにと紫に言われているし。霊夢に対しても、外ではこういうものがあると話をしてくれることはあるが。

外で自分がどう生活しているか、という話は殆どしてくれない。

前に菫子とある程度仲が良い妹紅が、どうも外で苦労しているらしいという話を又聞きで聞かせてくれたが。

レイムっちといって霊夢の事を慕ってくれる菫子が。

外での生活の話をしない。

それは余程の事なのだろう。

パトロールを終えて、神社に戻る。

神社に来ている者を確認。

妖怪かと思ったが、違う。

人里一の富豪。

絶対記憶能力を持ち、転生しながらずっと記録を残し続けている怪物じみた存在。

稗田の阿求だった。

体が非常に弱い阿求は、年齢的に霊夢と大して変わらないのに、細くて弱い。稗田家の当主をしているが、三十まで生きられないとも聞いている。とはいっても、ずっと転生しては記憶を引き継いでいるので、本人にとっては悲劇でも何でも無いのかも知れないが。

なお、賢者に阿求は襲わないようにと、妖怪達に触れが出ており。基本的に妖怪に襲われる事はない阿求だが。

現象としての妖怪は勿論阿求も見境無しに襲うので。

遠出をするときは、護衛を連れていることが多いようだった。

賽銭箱に金を入れて、手を合わせる阿求。

わざとらしい行動だ。

霊夢が近付いていくと。護衛がわずかに引きつった笑みを浮かべて、礼をする。

人里で怖れられているのは自覚している。

そして、怖れられている事を、止めるつもりはない。

妖怪だけでは無く、人間にも怖れられる位で、霊夢は丁度良いのだ。

「お久しぶりですね、此処では」

「ええ。 それで何かしら」

「花屋に見た事がない花が並んでいましてね。 それで報告までに」

何だそれは。

目を細める霊夢の前で、阿求は礼だけ完璧な角度ですると、さっさと引き揚げて行った。

阿求が賢者と直接つながっているのは、人里でさえも周知の事実である。

何か問題があるなら、紫にでも言えばいいものを。

どうして霊夢に言いに来る。

或いは、紫が負荷分散のため霊夢に敢えて伝えさせたのか。却って手間になるような気がするのだが。

ため息をつくと。

一旦賽銭箱を漁る。

実際には、生活費は人里から支給されているので、言われている程貧乏では無いのだけれども。

収入があればそれはそれで嬉しい。

流石に阿求。それなりに金を突っ込んでいてくれたので、まあその辺りは嬉しい。多少機嫌は直る。

そこで、花だ。

まず人里に向かう。阿求達一行を一瞬で追い越して、先に人里の花屋に。

確かに、見た事も無い花が並んでいる。

花屋はひっと霊夢を見て息を呑んだが。

霊夢は咳払いすると、静かに、出来るだけ無機的に聞く。

「妙な花が入荷したと聞いたのだけれど」

「え、ええと、此方です……」

「どれ」

霊夢としては、妖怪の類では無いか調査する役割もある。調べて見るが、妖力は感じるものの、あくまで花に付着しているだけ。

花そのものが妖怪では無い様子だ。

咳払いし。

この花がどう入荷されたのか確認。

案の定というか。

幽香からの入荷だった。

「珍しい花だったので、是非と入荷させていただいたんです。 幽香さんは花をとても大事にされる方ですので、その……」

「分かったわ。 とりあえず、別にかまわないわよ」

半泣きになっている店員を放置し、人里を飛び離れる。

まずは幽香を探すところか。

そろそろ夏だから、向日葵畑にいるだろうと思ったのだが。

幽香の強烈な妖気を感じない。

花屋に変な花が入荷されたのは数日前。行き違いと言う事は無いだろう。

ではどこか。

周囲を確認して回る。ついでにパトロール。

霊夢が姿を見せれば、妖怪は大体怖がって逃げていく。自分から離れていく妖怪は放置でいい。

妖怪の山を迂回して、しばらく飛んでいると。

やがて漸く見つけた。

さいの目に分けられた区画がある。

其所で、幽香が黙々と、妖術で岩やら石やらを動かして、農作業をしていた。

咲いているのは極めてカラフルな、見た事も無い花ばかり。

そして、幽香の所有物である事を示すように。

周囲には、縛り上げられた妖怪が吊されていた。

殺されてはいないようだが。

悲鳴を上げてぱたぱたもがいている妖怪達の姿は、他の妖怪の恐怖を煽るには充分だろう。

「あら、どうしたのかしら」

相変わらず幽香は此方を見もしない。

傘を差しているが、それが日傘に戻ったくらいで。数日前に、梅雨の中遭遇したときと変わらない。

霊夢は咳払いすると、あの花は何だと確認。

くつくつと笑いながら、幽香は答えてくれた。

「本来この国に存在しない花よ。 名前はまあ後で守矢ででも聞きなさい」

「どういう意図で人里の花屋に?」

「……最近暑くなってきていると思わない?」

「はあ」

質問に質問が返ってきた。

霊夢は眉をひそめたが。

幽香ほどの強大な妖怪だ。何か意図があるのだろうと判断して、そのまま暑くなっていると答える。

確かに幼い頃より明確に暑く感じる。

それについては、幻想郷の誰もが思っているだろう。

幽香が此方に飛ばしてくる。

温度計だった。

「今30度後半だけれども、ここ数年で数度平均気温が上がっているの」

「あら、意外に細かいのね」

「数度の違いは大きいわよ。 植物たちにとっても人間にとってもね。 私は、こうやって現在の幻想郷でも生きていける植物の研究をしているのよ。 今までの植物がどうやったら生きていけるのかもね」

そういえば、さいの目に切られた土地は。

全て違う植物が植えられているようだった。

「幻想郷に外の植物を持ち込んだの?」

「実際には数十年前に賢者がね。 私は種を預かって、此処でずっと研究を続けていただけよ」

「数十年前……」

「その頃から、この世界の温度が上がることは予想されていたの。 そしてここ数年、無視出来ない状態になってきた。 だから私の研究が役に立っているというわけ」

花屋に変な花を売ったのは何故なのか。

それを確認したら。

威を示すため、だという。

よく分からない。

どうしてそれが威を示す事になるのか確認すると、幽香はくつくつと笑った。

「あの花は、じき珍しくもなくなるのよ。 此処は隔離された理想郷だけれども、流石に気候まではどうにもならないの。 これでもマシな方なのよ、沿岸部と比べると。 だれけれども、暑いものは暑い。 そして暑くなれば、生きられる植物も変わってくる。 それをずっと前から私が知っていたことが人里に伝われば、それだけで威を示す事になるでしょう。 仮にそうならなくとも、知らない花を持ってきたと言うだけで私の存在感は上がる」

「回りくどいわね……」

「幻想郷で威を示すというのはそういう事よ」

まあ、それは否定はしない。

ため息をつくと。さいの目の花畑を見やる。

なんというか、原色の花がたくさん咲いていて、非常に色鮮やかだが。同時に不安にもなった。

幻想郷も、いずれこうなるのだろうか。

劇的な環境の変動が起きたとき。

果たして在来の生物は生きていけるのだろうか。

妖怪は在来の生物と密接に関係している。植物も同じ事。

前に聞いたのだが、西洋の妖精は東洋のものと比べると、格段に荒っぽくて残虐性も強いらしい。

この感じだと、幽香が育てている植物は、恐らく西洋産のものではないだろうが。

それにしても、どう影響が出てくるのかは心配だ。

一度戻るか。

そうきびすを返しかけた霊夢に、幽香が話しかけてくる。

「博麗の巫女としてはどうするのかしら。 例えば、幻想郷の気候が南国のものとなって、植生に釣られて妖精の性格が凶暴化したら」

「……何とかするしかないわ」

「そうでしょうね。 で、具体案は」

「今から考えるしか無いわね」

それだけ。

会話を切り上げると、人里に出向く。

とりあえず、花に問題が無いことを花屋に告げると。

一旦博麗神社に戻った。

幽香が言ったことは。

多分嘘では無いはずだ。

今後、更に暑くなっていく。気候が変われば、植物は変わらざるを得なくなっていく。

それはそうだろう。

たった数年で暑さに適応出来るほど、植物というのは都合が良い存在では無いはずである。

そして、妖精の性格が自然環境に影響を受けるのも事実だ。

西洋のような獰猛な妖精になるとは思わないが。

南国の妖精のようになるかも知れない。

そいつらがどんな性格かは分からないし。

今のうちに備えておく必要があるか。

或いは、阿求が花の情報を流しに来たのも、これが理由かも知れない。

博麗の巫女に、早めに危機感を持たせておく。

回りくどいやり方だが。まあ分からなくもない話だ。

ため息をつく。

神社でしばらくゴロゴロするが。術で涼しくするのにも限界がある。

程なくして。

神社の境内に、強い気配が生じる。

紫だった。

 

幻想郷の賢者。最上級妖怪の一人である八雲紫。その実力はともかく。現在幻想郷を事実上一人で回している存在でもある。

他の賢者が働かないのが理由だが。

最近、霊夢が協力的になったのを見て、本当に喜んでいた。

それで、本当に大変だったのだなあと、色々察してしまった。

紫に案内されたのは書庫。

異国の妖怪についての記述がされた本ばかりである。

「これは?」

「此方で集めた異国の神々や神話、伝承についての書庫。 今、幽香が植物を調べているけれど。 数年以内に、妖精の性格ががらりと変わる可能性があることは聞いているわね」

「気候が変わるのでは仕方が無いわ」

「その通り。 其所で、急に性格が変わらないように、現在の植生を少しずつ入れ替える計画を立てているの」

具体的には、現状の植生は残しつつ。

新しく、熱に適応した植物を入れて行く予定、らしい。

その過程で、妖精の性格が変わるので。

それについて、調査と対策をしてほしい、ということだった。

「阿求が来たのだけれど、貴方の差し金?」

「そう、阿求が。 残念だけれど違うわ。 こちらも忙しすぎて手が回らないの」

「ひょっとして、阿求にもサポートを頼んでいるわけ?」

「……」

紫が疲労の濃い笑みを浮かべる。

あの性格が悪い阿求に頼むのは、色々と大きな負荷を呼びかねないと思うのだが。或いは藍辺りの入れ知恵か。

いずれにしても、仕方が無い。

しばらくは此処に缶詰か。

少し考えてから、提案。

「魔理沙も呼んで良いかしら」

「駄目よ」

「即答ね」

「あの子はあくまで人間として幻想郷の仕組みの中にいるの。 貴方のような管理者階級の存在じゃない。 人間が勇気をふるって妖怪を退治する仕組みの象徴が霧雨魔理沙という存在よ。 まああの子が不老不死である「魔法使い」になったら、後任を探さなければならないだろうけれど」

そうか。

紫が、魔理沙の介入を毎度許しているわけだ。

それだけで、ある程度分かった。

実力に劣る魔理沙の異変への介入は。

むしろ紫が、意図的に許していたのかも知れないと。

いずれにしても、調査を開始だ。

まずは、暑い地方を調べる。

幾つもある。

本も見繕う。抱えきれないほどある。

勉強も努力も大嫌いな霊夢だが、幸いどれも日本語で書かれている。いわゆる翻訳本なのかも知れない。

紅魔館にも色々海外の事を記した本は存在しているのだけれども。

海外の言葉で記されていたり。

魔法で封じられていたりで。

読むのが大変なのだ。

大まかに幾つかを見繕って確認。

やはりなんというか、海外の妖精は相当に荒っぽいようだ。

地獄から来た妖精を知っているが、其奴はかなり性質が乱暴である。海外の妖精も、それとほぼ変わらないらしい。

希におおらかな性格の妖精もいるようだが。

その代わり非常に性に開放的だったりして、文化が違う。

いずれにしても、植生が変わって妖精の性格が変わると。

相当な混乱が予想されるのは明らかだった。

勿論紫もそれは把握している筈。

この後どうするかが。

霊夢のする仕事だ。

勘で本を何冊か選び、博麗神社に持って帰ろうとするが。此処から出しては駄目と、現れた紫に釘を刺される。

まあ手癖が悪い魔理沙も博麗神社には来るし。

此処にあるのは、文字通り幻想郷の宝。

多くの人妖が来る博麗神社に持ち込むのは止めた方が良いだろう。

とりあえず。目をつけた本を、苦労しながら読み進め。気になったところを覚えておく。勿論一日では終わらないので、数日を掛けて少しずつ読み進めていった。色々頭がパンクしそうだが、仕方が無い。

戦う相手の事を覚えるのだと思って我慢する。

妖怪に対する知識を仕入れるのは、立場上必須だ。初見殺し能力を持っている相手もいるし、神々なら兎も角人間の域にかろうじて留まっている霊夢には能力もだいたいの場合効いてしまう。

だから、今後必要だと自分に言い聞かせながら、必死に勉強する。

知恵熱が出そうだが。

我慢するしかない。

幽香が育てていた花と結びつきそうな妖精を幾つかピックアップしてみたが。

幽香は恐らく意図的にそうしていたのだろう。

比較的温厚な。あくまでも比較的だが、温厚な妖精が見かけられた。

それでも現在の在来種と比べると獰猛だ。

悪戯好きな在来種と違って、単純に凶暴で残虐なのである。妖獣のように、人間を襲って喰らうことを考えるのや。人間を殺すことだけを楽しみにしているような輩も見かけられた。

とりあえずメモを取り。一通り知識に仕込んでおく。

また、幽香が育てている植物についても、本人に確認しながら調査し。幻想郷の植生を著しく侵害しないか、確認もしておいた。

一旦植えてみると、とんでもない事になる植物は多いようで。

例えば幻想郷でもありふれている葛は、外の世界では今大混乱を引き起こしているらしく。

「緑の怪物」とまで言われているそうだ。

竹なども同じ。

幻想郷が存在する日本は島国だが。

島国の生物が必ずしも弱いと言う事は無い。

なんでも、世界帝国だった蒙古とかいう国を撃退した歴史もあるらしく。

日の本の他にも、島国に意気揚々と攻めこんできた大国が、撃退される例は幾つか歴史上存在したらしい。

まあ霊夢もその辺りはよく分からない。

幻想郷に関しては、外に幾らでも強い奴がいて。幻想郷最強など、外では鼻で笑う程度の事にしかならないことも知っている。

だが、だからこそ。

この小さな世界を維持するために。

努力を続けていかなければならないのだ。

何しろ此処は最後の秘境。

最後の楽園なのだから。

数日間、本を読んで知識を蓄え。

それをかみ砕いて飲み込むようにして、自分の中の知識に加えていく。

普段から、妖怪についての知識は忘れないように時々復讐しているのだが。

その量が単純に増える事になる。

幽香の所に出向くと、本人が希望した妖精を区画分けした花畑に住ませ。性格の変化を確認している様子だ。

霊夢が何を知っているか幽香は把握している。

だから、データは惜しみなく見せてくれた。

やはり妖精の性格に差が出てくる。

獰猛な性格になったり。

普段はまったくない色気が出てきたりと。

かなり変わってくる様子だ。

「この様子だと、人間と交わって子供を作れる個体が誕生するかも知れないわね」

「妖怪ならともかく、妖精と人間が?」

「海外の神話では珍しくもないのよ」

「……そ、そう」

霊夢も面食らう他無い。

この辺り、幽香は流石と言うべきなのかも知れない。

永く生きているし。

その分知識も豊富だ。

「それで、其方の状況は」

「覚える事が多すぎて頭がパンクしそうだわ」

「うふふ、いっそ花屋で仕事でもしてみる?」

「お断り」

幽香のからかい混じりの言葉に拒否を突きつけると、博麗神社に戻る。

疲れが溜まってきている。

こんな時に異変でも起きられると困る。

小さくあくびをすると、眠れるときに眠っておく。

霊夢は其所までヤワでは無いが。

ただ、睡眠時間が滅茶苦茶になると、どんな頑健な人間でも体を壊すという話も聞いている。

ましてやここのところ、疲れが溜まっているのだ。

眠れるときに、しっかり眠るのは必須だろう。

起きだすと、枕の側に、手紙が置かれていた。

丁寧な文面。

紫に違いなかった。

内容を確認する。ちなみに、機械で書いたような正確な文字で。恐らく紫の所にある機械で、適当に書いたものなのだろう。

内容的には、幽香と連携しての作業を急ぐように、というもの。

しばらく異変の発生は抑える、というものだった。

頭を掻きながら、ため息をつく。

頭脳労働が苦手だと、分かっているだろうに。

新しい知識を手に入れるのはただでさえ苦手だし、それを頭に馴染ませるとなるとなおさらである。

紫の負担が大きいのは分かるが。

霊夢もいざという時に、異変を起こすような相手と戦う力が残っていないと、幻想郷は大変な事になる。

だから、敢えて手紙は無視。

しばし、菓子を貪って。何も考えるのを止めた。

 

紫の所での調査と。幽香の所でのデータ集めをそれぞれ並行して行って、霊夢は結論する。

紫の所に出向き。

そして結論を伝えた。

「止めた方が良いわ、アレ」

「植生の変更について?」

頷く。

霊夢の結論がそれである。

まず幽香が育てている小さな花畑ですら、妖精の性格の変化が極めて劇的である事が一つ。

幽香が書いたレポートをぽんと渡す。

藍が慌てて受け取ったが。

紫が隙間を操作して、そのレポートを手元に移し。ぱらぱらと内容をめくって確認する。霊夢も、そのレポートの作成には関与しているので、内容について文句を言うことは許さない。

「地獄から来たあの妖精が可愛く見える程の性格の悪さよ。 人間と積極的に子供を作ろうとする妖精もいる。 幻想郷の仕組みが完全に壊れるわ」

「……ふむ」

「私が見た所、人間を殺して遊ぼうとする妖精も多数出る筈よ。 そもそも余所の国の妖精は、元々そういう存在らしいけれど」

「どうやら、予想以上に状態はまずいようね」

頷くと。

更に付け加える。

もしも植生を切り替えた場合。

更に妖精の凶暴化は進むだろう、と。

今まで霊夢は、妖精を大人しいと思った事は一度だってない。性格は悪いし、悪戯は大好きだしで、ろくなものではない。

だが、その認識は既に過去のものとなった。

海外の妖精がこれほどヤバイとは思っていなかったのである。

更に、紫が嘆息して、とんでも無い事を聞かせてくる。

「実の所ね、日の本でも……最北部などの環境が厳しい場所に住んでいる妖精は、非常に性質が獰猛でね」

「……本当それ」

「本当よ。 これは、先に実験をしておいて良かったかも知れないわ」

「それでどうするわけ。 どんどん気候は過酷になる一方だけれども」

紫は頷く。

そして、ついてくるように、霊夢に促した。

別に今は時間的に余裕があるし。

紫が、この結論が出ることを予想していた節がある。

なお、藍はついてこない。

これは、ひょっとすると賢者の合議か。

しばし、何だか訳が分からない屋敷の中を歩く。空間が滅茶苦茶につながっているだけではなく。時々訳が分からない場所にも出る。

天井をいつの間にか歩いていたり。

地底にある旧地獄のような場所を歩いていたり。

隔離された結界の外側を、桁外れにやばい悪霊が多数蠢いていたり。

どんどん深くへ潜って行く。

「何処へ連れて行くつもり?」

「幻想郷の深奥」

「……」

「今回の件ではっきりしたけれど、幻想郷では少なくとも環境を維持した方が良いと結論したわ。 幽香には悪いけれど、南国の花々は諦めて貰いましょう」

更に、訳が分からない場所へと潜って行く。

周囲に大量の数字が流れていて。

或いは水の底のようだったり。

直感で悟るが。

コレは多分、紫が作った空間ではあるまい。紫の力では、此処までの異常な空間を作ることは不可能だ。

やがて、深奥だろうという場所に辿りつく。

何も無い空間だ。

ただだだっ広く。

中心部に、魔法陣が置かれている。西洋式と和式の折衷で。非常に複雑な形式だった。

和式の部分を見る限り、何柱かの日本神話の神々の力を借りるもののようだが。

それ以上はよく分からない。

「一体此処は何?」

「幻想郷の深奥。 今よりだいぶ昔、賢者の中の賢者である龍神が幻想郷という最後の楽園を作った時。 賢者達が全員で力を合わせて作り上げた、中枢の中枢。 私は空間の捻れを提供したけれど、他は殆ど別の賢者達が作ったわ。 龍神も含めてね」

「ここに入ったのは、ひょっとして博麗の巫女としては私が最初?」

「いいえ。 初代の博麗の巫女もここに来ているわ。 戦闘力はもう貴方の方が上だけれども、人格で言うと初代の博麗の巫女の方がずっと性格が良かったかしらね」

はっきりいうものだ。

まあ霊夢自身も、自分の性格が悪いことは把握している。

紫が空中に指先を走らせると、複数の魔法陣が浮き上がる。

幾つかの操作を開始する。

霊夢はじっと待つ。

手伝いが必要なら、紫の性格上言ってくるはずだから、である。

やがて、予想通りになる。

「少し此処に力を提供してくれるかしら」

「死んだりしないわよね」

「今の貴方の実力は、歴代の博麗の巫女でも群を抜いているわ。 間違いなく最強と保証する。 今の貴方の力なら問題ないわ」

「……分かった」

手をかざす。

一気に全身の力が抜けていくかと思ったが、何とか踏みとどまる。やがて、ずっと音がして。

体の力の殆どが吸い取られた感覚があった。

呼吸を整える。吸い取るのは、自動的に停止したが。

それでも、かなり身の危険を感じた。

呼吸を整える。

これは、数日はまともに動けないだろう。

「幻想郷はね。 妖怪のためだけに作られた理想郷じゃないの。 人間の中にも、外で暮らせない者が必ず出てくる。 だから博麗の巫女という人間代表の存在が必要なの」

紫が解説をしながら、多少マシになるだろうと、変な飲み物を渡してくる。

外の世界の栄養ドリンクとやららしい。

確かに効くが。

それでも、一時しのぎだなと思った。

一気に飲み干して、話を聞く。

「今、妖怪である私と、人間である貴方が承認したことで、龍神に意思が届いたわ。 気候をしばらくは安定させてくれるはずよ」

「……そう上手く行けばいいけれど」

「これには当然リスクがあるの。 外の世界で失われたものは幻想郷に入ってくる……つまり外の世界で気候が変動した結果何か無くなれば、それが幻想郷に来ると言う事を意味しているの」

確かにそれはそうだろう。

何が問題なのか。

紫は、口元を扇で隠す。

「幻想郷の土地は限られている。 今後、妖精の性格は変わらないかも知れないけれど、更に色々と過密になるかも知れないわね」

「私は良いけれど、後続の博麗の巫女は大丈夫なの?」

「……何とかするしかないわ」

「はあ。 何だか不安だわ」

そもそもだ。

博麗の巫女は、血縁で引き継がれるものではない。

博麗大結界を操作できる人間が選ばれる。

霊夢にしてもそれは同じだ。

正直な話、後続の博麗の巫女が、今以上の苦労をする事になるだろうと思うと。

あまり楽観的ではいられなかった。

そういえば、紫がこの間妹紅に粉をかけていたっけ。

あれは恐らくだが。

博麗の巫女の負担を軽減するための行動。

要するに、今後来たる未来に対して。

備えている、と言う事か。

今更になって、人里の人間達を鍛え直しているのも、それが理由だろうか。

守矢が幻想郷の覇権を握るために全面戦争を開始する事なんて。今後幻想郷に起きる大激変に比べて、大した問題では無いのかも知れない。

しばし考え込んだ後。

聞いてみる。

「紫。 もしもだけれど、守矢が圧倒的な勢力を有して、幻想郷に新しい秩序を敷いた場合はどうするの」

「その場合は守矢と連携して、新しい幻想郷の秩序を組み直すことになるでしょうね」

「……ひょっとして、現状の維持にはあまり興味が無い?」

「今でさえ、新しい勢力を迎え入れているのよ。 幻想郷はどんなものでもとりあえずは受け入れるの。 そして変化も受け入れる。 それはある意味とても残酷で、そして悲しい事でもあるのよ」

なるほど。

場合によっては、紫は守矢の二柱を賢者に迎える可能性もあると示唆している訳だ。

あの二柱は色々気にくわないが、もしも守矢による強力な統治体制が完成したら。

その時は、霊夢の仕事は博麗大結界の維持だけになる可能性もある。

その場合は、かなり仕事の負担が減るだろう。

異変の対応は早苗に任せれば良い。

彼奴、半分は神になっているし。霊夢と違って年は取らないだろう。今でもかなりの勢いで実力を伸ばしているのだ。

十年後には、霊夢が衰える。

その時、早苗は関係無しに力を伸ばしているだろう。

いつか力は逆転する。

同じ事は魔理沙にも言える。

魔理沙が不老不死の術を手に入れ、種族としての魔法使いになった頃には。

恐らく霊夢は、第一線を退いているだろう。

天才とか、歴代最強とか色々言われたが。

いつまでもバケモノじみた強さを維持できる訳では無いのだ。

ましてや天才は二十歳過ぎればただの人という話もある。

霊夢の場合は、それは正に当てはまる気がする。

今は勘と戦闘センスでどうにかしているが。

この勘。

いつまでも、体の中にいてくれるか分からない。

あくまで霊感的な存在である力だ。自分でも仕組みが分からないし。結局の所、どこまで霊夢が今の力を維持できるのかは分からない、というのが本当の所だ。

かといって、人間を止めるわけにもいかない。

博麗の巫女は。

人間でなければならないのだから。

霊夢自身の実力が、どれだけ人間離れしていたとしても。

その結論に代わりは無い。

「それで、気候はしばらく大人しくなるの?」

「毎年今のをやらなければならないけれどね。 ……外の世界の気候は、外の世界の神々が考える事よ。 強制介入するか、それとも放置するか。 いずれにしても、幻想郷でどうにかできる事では無いわ」

ため息をつく。

龍神はこの下で眠っているのか。

歴代の博麗の巫女でも、多分龍神と直接面識があるのは初代だけだろう。紫は龍神とある程度話をした事があるだろうし。相応に関わってはいるだろうが。

じっと魔法陣を見つめる。

紫に、行くぞと促された。

此処くらい危険な空間だと、紫でも隙間を使ってぽんと移動とはいかないらしい。歩くしかない。

陰鬱たる気持ちが晴れない。

結局の所。

今後、極端すぎる多様性は拒否するしかない、と言う事だ。

どうもそれが良い方向に動くとは、霊夢には思えなかった。

 

4、小さな花畑

 

一応の結論が出てから、霊夢は幽香の所に出向いた。

あの花畑はなくなっていた。

どうやら紫が協力して、地下に移してくれたらしい。

試験的に作っていた花畑だ。

元々土地も幽香の縄張り。

それくらいは、許可してくれたのだろう。

現地に行くと、更地になっていて。あの性格が変わった妖精達もいなくなっていた。多分、元の性格に戻って、それぞれの縄張りに帰ったのだろう。

更地にはあばら屋が一つ。

中に入ると、地下への階段があり。

それを降りていくと、幽香が強烈な灯りの中、植物の世話をしていた。あの畑にあった、色とりどりの花ばかりだった。

どうやら、花の世話そのものはするらしい。

ただし今世代限り。

花達は種を残したら、冷凍して眠らせる。

幽香はそういう判断をしたらしかった。

賢者とも関係が深い大妖怪幽香だ。まあそれくらいの我が儘は許されるのだろう。

人里では恐怖の大魔王のように怖れられる幽香だが。

実際には此処まで色々配慮して行動している。

戦闘力は怖れられているとおりに高いが。

それとこれとは別の話だ。

軽く話した後、聞いてみる。

「花屋に売った分は良いの?」

「あれはあくまで一株だけ。 増やせる花では無いから大丈夫よ。 枯れてそれでおしまい」

「あら、花を大事にする貴方らしくもないわね」

「大事にはしているわよ。 ただ、この世界にはあわなかった子もいただけ」

それが分かったのだから。

充分な成果だと、幽香は言う。

意外に、花に対してもドライなのかこの大妖怪は。

それとも、そもそもある程度は割切って考えているのかも知れない。環境が変われば、他の花が死ぬ。

そういうものだからだ。

しばらく畑仕事を手伝う。

霊夢も今回の件では、色々と思うところがあった。

外の世界は、精神文明も貧しくなる一方だと聞いているが。

生活環境も厳しくなっていると言う。

ひょっとすると、だが。

今後、幻想郷の方が安楽な環境になって。

移民を目論む者が出てくるのかも知れない。

純狐と地獄の女神に潰され掛けた月の民が、幻想郷を更地にして勝手に移民しようとしたように。

いずれにしても、ろくでもない話だった。

ある程度農業を手伝うと。

果実を幾つか貰った。

そのまま切って食べられるという。

見た事も無い果実だが。

種はないらしい。

果実なのに種はないのかと不思議になったが、そういう風に改良された果実だそうだ。妙なものもあるのだなあと感心した。

博麗神社に戻ると。

ふらつきながら、魔理沙が来る。

ある程度博麗神社は色々な方法で涼しくしているのだが。魔理沙の住んでいる魔法の森は、ここしばらくの熱気で相当に厳しいらしい。神社の離れに転がり込むと、ぐったりと横になって、しばらく黙り込んでいた。

熱中症とか言う病気があるらしいが。

それではないのか、少し心配になったが。

一応大丈夫であるらしい。

しばらくすると、起き上がってきて。

霊夢が出したお冷やを口にして、ため息をついた。

「いつまで暑くなるんだこれ」

「もうしばらくしたら涼しくなるわよ」

「……何かしたのか」

「さあね」

魔理沙はしばらく霊夢を見ていたが。

やがて視線をそらした。

「なあ、お前が動かないって事は、この暑さは異変じゃないんだよな」

「毎年どんどん暑くなっているでしょ。 ということは、異変では無いという事よ」

「はあ。 何だか過ごしづらくなりそうだぜ」

「魔法でどうにかしたら」

頷く魔理沙。

これでまた、紅魔館に忍び込むのか。

それとも他の魔法使いに迷惑を掛けるのか。

それは分からない。

いずれにしても、魔理沙は霊夢が賢者と連携して動くようになったのをもう察知している。

余計な事を言うつもりは無いが。

今後は、少し距離を取った方が良いかも知れなかった。

下手をすると、あり得ない話だが。

魔理沙が魔法使いになった頃には。

霊夢とは、敵対関係になるのかも知れないのだから。

だが、今の時点では必要ない。

当面は相棒でいたい。

それは魔理沙も同じだろう。

そうでなければ、博麗神社には来ないだろうし。

何よりも、霊夢が去る者は追わないことを知っているだろうから。

「なあ、霊夢」

「どうしたの?」

「何か助けになる事があれば言ってくれよ。 私だって、幻想郷の事はそれなりに大事に思っているんだからよ」

「……そうね」

魔理沙は博麗の巫女にはなれない。

適性がないからだ。

魔法使いになったらなおさら。

もはや人間では無いからだ。

だから、戦いという点でしか、助けにはなれない。これまでもそうだったし、今後もだ。

いずれにしても、幻想郷は無制限に多様性を受け入れるわけではないし。

今後は更にその傾向が強くなるだろう。

もう一度魔理沙を見る。

彼女とも、いつまでも友人でいられるかは分からない。

数少ない、霊夢が認める戦友。

それも、永遠では無いだろうなと思うと。どこか、やはり寂しかった。

幽香に貰った果実を出してきて、二人で食べる。

まだ暑さは引きそうに無い。

 

(終)