はんと!

 

序、かるものかられるもの

 

陽の光に、目を覚ます。

獲物は間近だ。だからこそ、よく寝ておく必要がある。不意を打たれても此方は負ける恐れがない。

だからこそに。

敵の最後の抵抗だけを気にしておけばいい。

のそりとおきだして。

目を擦りながら、歩き出す。手にぶら下げているのは、今回の狩猟のために持ち出した、バトルアックスだ。

自分より大きいから、引きずるようにして歩く。

さて。

臭いを嗅ぐと、やはり近くにいる。

逃げ切れるわけが無いとは思っていたし。何より、この気候だ。

裸足で雪を踏む。

流石に足跡は残っていないけれど。色々な獣の臭いに混じって、そいつの血は、確実に此処まで居場所を届けてきている。

出会い頭に一撃を叩き込んで。

そして、今。

とどめを刺すために、追い詰めるのだ。

雪を踏んで歩いて行くと。

周囲を縄張りにしている獣が、此方に警告の唸り声を上げてくるけれど。放置して、そのまま歩く。

此方が引きずっている巨大なバトルアックスを見て、仕掛けてくる獣はあまり多くない。それに、私の臭いは、この狩り場に彼方此方残っている。

其処には、同時に、死臭もある。

此処に長く住み着いている獣ほど。私の前には立ちふさがらない。獲物を奪おうとも、考えない。

臭いが、近くなってくる。

雪が降ってきた。

というよりも、塊が、だ。

上の方にあった塊が、陽の光で溶けて、バランスを崩したのだろう。どしゃりと音がして、雪に埋まる。

だけれど、すぐに這い出す。

体を振るって、雪を吹き飛ばして。

あくびをしながら、また歩き出す。

そして、足を止めた。

雪山の一角。

恐らく、最後の希望を掛けて、逃げ込んだのだろう。まだ新しい血が、点々と散っている。

最初に一撃見舞った時のものだろう。

脆い体だ。

どうして、こんな体で、無茶をしようとしたのだろうか。

まあいい。

私がすることは、ただの狩り。

狩られる側に、反撃されることも考えてはいるけれど。どうでもいい。追い詰めて、殺すだけ。

狩った後は、肉を喰らう。

そして、残りは持って帰って。報酬に変えて。

もっと良い肉を買う。

仕事は、あまり多くない。ずっと仕事が来ないときや、とても遠くに行かされる事もあるけれど。

生きて、食事をすることには。それほど、困ってはいなかった。

奥の方から、小さな悲鳴が聞こえる。

逆光に照らされた私の姿が、見えたのだろう。

無言で、歩く。

骨を、裸足で踏み砕く。この洞窟には、大小多数の生物の亡骸が散らばっているけれど。大半はミイラ化しないで、骨になる。

鋭く尖っている骨もあるけれど。

私はそれくらいでは傷つかない。

「来るな!」

悲鳴混じりの声。

放たれたボウガンの矢が、顔の側を掠めた。一発くらいはもらってやってもいいかとおもったのだけれど。

恐怖で手が震えていて、狙いもまともに定まらなかったらしい。

「来るんじゃない、化け物!」

化け物か。

確かにそうだ。

獲物から見れば。

私が化け物と呼ばれている事は知っている。ある程度人間に合わせてはいるけれど。狩の時は、基本的に一番動きやすい全裸だ。

雪山だろうが、溶岩が溢れる火山の洞窟だろうが。

私が全裸でターゲットを追い詰め、狩ることに代わりは無い。

獲物とは、幾つか体も違っている。

それが何がまずいのかは、よく分からないけれど。とにかく私は、私を利用したい連中に言われて。

こうして、時々狩りをする。

引きずっていたバトルアックスを、片手で振り上げると。

もう、言葉にならない悲鳴を上げた獲物の頭の上から、降り下ろした。

肉塊になる。

潰れた頭。

失敗した。もう少し綺麗に残しておいた方が、後でごねられなくて済む。私は死んだ獲物の左腕を引きちぎると。

そのまま、むしゃりむしゃりと、噛み裂き。そして、飲み下した。

まずい。

だけれど、獲物に対して、するべき儀式だと思っている。だから、私は。殺した獲物は、必ず食べるようにしている。

 

獲物の首から上右半分を掴んだまま、里に下りる。

一応服は着る。

前、そうしないと、非常に面倒だったからだ。姿形が似ているとはいっても、私は人間とは少し違う。

向こうには、此方にあわせるという感覚がない。

だから、此方としても。面倒だけれど、向こうにあわせるしかない。なんで私があわせなければいけないのかは、よく分からないが。

肉塊を掴んでいる私を見て、さっと人間達が隠れる。

前は、適当に殺した相手の身につけていたものを体に巻いていたのだけれど。そうすると、郷の連中には文句を言われることが多く。

仕方が無いので、一度金をはたいて、郷の連中が着ている服を買った。

何着かは用意しているけれど。

これも、此奴らが扱っている肉を得るためだ。

私の腹は基本的に肉しか受け付けないし。

何より、此奴らを全部相手にして勝てると思うほど、頭も湧いていない。集落の一つくらいは潰せるかもしれない。

だけれど、此奴らの中には。

時々、とんでもなく強いのが混じっているのだ。

単独で負けると思う相手には、今の時点では遭遇していないけれど。此奴らは、星の数ほどいるのである。

戦いを本気で始めたら、勝てない。

ある程度妥協は、するしかない。

もっとも、もし戦いになった場合。此奴らの集落を可能な限り潰して、死体の山を積み上げてやるつもりだが。

一番大きな家屋に足を運ぶ。

其処に、私が金を受け取り。仕事を依頼される場所があるのだ。

私が入ると。

雑談していた人間共が、さっと黙り込む。

始末屋だ。

ハラ無しだ。

そんな声が聞こえる。

どうやら私は、此奴らにハラ無しと呼ばれているらしい。私には此奴らで言う性別が存在しなくて。それが理由らしいのだけれど。

はっきりいって、どうでもいいことだ。

カウンターとか言う所に。

仕留めてきた獲物の頭半分を乗せる。

すっとんで奧に行ったやつが、此処の代表者を連れて来た。

「今回も、ご苦労だったな」

「容易い相手だ。 報酬を寄越せ」

「……間違いは無さそうだな」

顔の半分は、ある程度形が残っていたし。

持っていったのが早かったのが良かったか。

腐ったりすると、すぐに人間の顔は原型をなくす。血だらけの顔の上で、金貨の入った袋を交換。

枚数を確認。

一応、規定通りの数が入っている。

「受け取った。 次の仕事は」

「そうルール違反をする奴や仲間殺しをする奴はでんよ。 ましてやあんたの話は、命知らずの間でも噂だからな」

「そうか」

それこそ、どうでもいいことだが。

此奴らは私のことを、抑止力として利用しているらしい。

基本的に、この辺に来ている連中は。この辺りにいる珍しい動植物を殺して、肉や皮、骨なんかを売って金に換えているらしい。強い動物になるほど珍しい素材が取れて、良い金になるそうだ。

ただし、動物を乱獲しないように、かなり厳しく規則が設けられているらしく。

それを破ると、罰則が与えられる。

目に余る場合は。

私に仕事が来る、と言うわけだ。

そのほかにも、私の縄張りに逃げ込んだ、同族殺しや。何かしらの理由で、殺さなければならない人間が出た場合にも、私に仕事が来る。

もっとも、私の縄張りは、あくまで自然の中。

人間がたくさんいる場所では、別の奴が、仕事を請け負うらしい。

人間共は基本的に私よりずっと背が高いし大きいけれど。

力は弱いし。

何より、裸で雪の中にいると凍って死ぬ。

そういう脆弱な生き物だから。私と似ていても、私とは違う。

建物を出るとき。

恐怖と怒りが混ざった視線が、たくさん飛んでくるけれど。別にどうでも良い。今いる奴らは、素手でも遅れを取ることは無い。

肉を買うと、家路につく。

面倒くさいので、服は途中で脱いでしまう。その場で捨ててしまいたいくらいだけれど。これがないと、里には下りられないのだ。

住処である洞窟に戻りつく。

周囲には、私が殺した餌の血肉をばらまいてあるから。基本的に、どれだけ獰猛でも、この洞窟には動物は近づかない。

洞窟に入ると、そのまま肉にかぶりついて、食いちぎる。

人間のまずい肉と違って。

この肉は、とても美味しい。

 

1、鬼神の横顔

 

遙か昔の事だ。

私は、人間共と争った。

多くの人間が、押し寄せてきて。私はそいつらを散々殺して。そしてその代わり、傷つきもした。

争いの切っ掛けは。私の縄張りに入り込んだ人間共が、好き勝手をしたので。そいつらを殺した事だ。

生き残りが仲間を呼び。

そして、殺し合いは泥沼化した。

人間から見れば私は化け物で。

彼方此方に住み着いている強力な猛獣よりも、殺さなければならない相手であったらしい。

私が人間と似た姿をしていて。

それでいながら生殖能力がなく。

奴らがかってに作り上げた神々とやらに似ているのが、その要因であるらしかった。

激しい殺し合いの末に。死体の山を築きあげて。

人間共は、私に提案をして来た。

争いを、もう止めようと。

仕掛けてきたのは人間共で。奴らは手段を選ばず、私の縄張りを随分荒らしもしたのだけれど。

正直、戦っても最終的には勝てない事は、わかりきっていた。

だから私は譲歩した。

それからは、人間と定期的に接触し、仕事を受けている。

奴らは私に、自分たちではしたくないらしい仕事を押しつけ。私は肉を得るために、それを請け負う。

奴らの世代で、三十を越えるくらいは生きているから。

既に奴らの言葉も完璧に使いこなせるようになっているけれど。

私にとって、それは奴らと接するために使うだけのもの。私は一人でいる時は。自分だけの言葉で思考している。

洞窟の中では、基本裸でいる。

これが一番動きやすい。

人間を殺すときには、武器を持っていく。

これは大昔に殺し合いをしたとき、使えそうなものを鹵獲したものだけではない。時々、余った金を使って、人間に作らせる。

私の体より大きいくらいの武器が、丁度良い。

いつも仕事で使っているバトルアックスも、人間共に比較的最近作らせたものだ。

気付くと、陽が昇り始めている。

仕事を確認しに行く頃合いだ。

服を掴むと、裸のまま洞窟を出る。

人間共は、私が定期的に顔を見せないと、非常に怖れる。

奴らは、私が人間と「契約」を結んだと考えていて。その契約に従う限り、自分たちは安全だと考えているらしかった。

よく分からない理屈だが。

人間の中では、それが正しいものなのだろう。

雪が激しく降り始めているけれど。私には大した問題では無い。そのまま、黙々と山を下りる。

途中、大型の長髭熊が通りがかるけれど。

私を見ると、すっ飛んで逃げていった。

そういえば此奴、少し前にたたきのめしてやったか。別にハラは減っていなかったから殺さなかったけれど。

無駄な争いをしなくて良いのは結構なことだ。

人間共が売っている肉は、山の獣のものよりも美味い。ただし体が鈍るのは嫌なので、基本的に山の獣の肉も食べるようにしている。

一番まずいのは人間の肉だ。

殺した相手は喰わなければならない。これはどういうわけか、私の中でずっと根付いているルール。

だから、破るつもりはないけれど。

里に下りると。血の臭いがした。

どうやら争いをしているらしい。少し前で面倒くさくて仕方が無いけれど、服を着込んで、そのまま里に入る。

中では、怒鳴り合う声。

家屋は何処も堅く戸を閉ざしている。巻き込まれるのを避けるためなのだろう。

争っている人間が二人。

かなり体格が良い雄どうしだ。武器を使わず、拳でひたすら互いを痛めつけている。肌が浅黒い奴の方が少し背が高いけれど。髭が生えている方が、押し気味である。

私は無言のまま、歩いて行き。

そして、そいつらは。私を見ると、同時に飛びずさった。

「ハラ無し……!」

「邪魔だ」

「……っ!」

青ざめた雄どもが下がる。私は鼻を鳴らすと歩き出そうとして。しかし振り向きざまに降り下ろされた棒を受け止めていた。

肌が破れるほどでは無いけれど。

それなりに、右手に衝撃が来た。

かなり大きな棒だ。

人間にしては、腕力が強い方だろう。だけれど。

無造作に棒に力を掛けると。私を棒で殴った浅黒い方の右肘から先が、引きちぎれた。棒を掴んでいた方の手だ。

悲鳴を上げて、鮮血が噴き出す腕を押さえながら、転がり回る浅黒い雄。

別に殺していないし、肉を食べる必要もあるまい。手がついた棒を放り捨てると。私は、仕事がないかを聞きに、一番大きい建物に入る。

中に入ると。

いつも以上に強烈な敵意が、私に向けられる。いい加減面倒になって来たけれど。今に始まった事では無い。

人間が、常に自分は正しいと考えて。此方に譲歩させるのも。

私を怖れながらも、どうしてか不可思議な理屈で見下すのも。

そういえば、私に神の教えとやらを説こうとした輩もいたけれど。私が興味を見せないので、落胆して帰って行った。

思うにあれは、私をその神とやらの走狗として使うつもりだったのだろう。

カウンターの向かいに立つと。

いつもと違う奴が出た。前の奴は12年くらい此処にいたのだけれど。そうなると、新しいのと交代になった、ということか。

「あんたが鬼神、だな」

「ハラ無しだとか鬼神だとか、好き勝手な呼び方ばかりするな」

「……表にいたツラッスを殺したのか」

「腕を引きちぎっただけだ。 攻撃をして来たからな」

私の前に立っているのは、珍しく雌だ。

此処に立つ奴は大体雄なのだけれど。こいつは雌で、かなりの長身。私と比べると、頭二つくらいは違うだろう。

強さに関しては、私が見てきた人間の中でも上位に入る。

此奴とやり合うとなったら、相応に本気を出さないといけないだろう。

「仕事は」

「幸いない」

「幸いなのか? 人間の理屈は良くわからんな」

「そうだ。 私にも、時々分からなくなる」

此奴は、言葉数も少ない。それに珍しい事に、私を怖れていない様子だ。このカウンターとやらに立つ奴は、どいつもこいつも私を内心おそれて。びくびくしながら接していたのだが。

戻ろうとすると、そいつは。引き留めてきた。

「私の名はアンジェラだ。 貴殿はなんと呼べばいい」

「好きに呼べ」

「ならば鬼神どのと呼ばせてもらおう」

「そうしろ」

面倒くさくなったので、建物から出る。

まだ腕を押さえてもがいていた浅黒いの。私を見ると、鼻水と悲鳴を垂れ流しながら、後ずさって逃げようとするけれど。腕が引きちぎられたせいか、上手に逃げられないようだった。

どうでもいい。

もう一匹は、距離を保って、青ざめたまま私を見ている。

此奴は私に仕掛けてこないのか。

それなら、それこそ本当にどうでもいい。

金を払って、肉を買っていくと、洞窟に帰る。

途中で服を脱ぎ捨てると。人間共の里の臭いが移るようでいやだなとだけ思った。

 

人間は基本的に、必要なときにしか山に来ない。

動物を狩るときが、その必要なときで。

その時でも、私の洞窟の側には絶対に来ない。それは契約の一つであると、認識しているらしい。

もっとも、私の仕事のターゲットが、私の洞窟の側に来ることはよくある。そう言う奴は基本的に、自分が何処をうろついているのかも分かっていない事が多い。或いは、意図的に、私の縄張りに追い立てられるケースもあるようだ。

そう言う場合には。

追い立てた連中には、相応の報いを、いつもくれてやっている。

本気でやり合ったら勝てないのは事実だとしても。

尊厳までくれてやるつもりはないのだから。

洞窟に戻って、肉を噛んでいると。遠くを飛龍が飛んでいるのが見えた。飛龍族は様々な種類に分化した、人間の次にこの世界で発展している生物だ。基本的には大きなトカゲに翼があるような姿をしているけれど。色々と形を変えて、あらゆる場所に住み着いている。

私も時々戦うけれど。

妙な能力を身につけている奴が多くて、戦う事になるとたまに苦労する。上位のものになってくると、自然を操る力を持つ奴もいる。

もっとも、飛龍族も、基本的に私の縄張りには入らない。

向こうも向こうで、此方の危険性を認識しているのだろう。そうすることで、お互いにむだな争いを避けられるのだ。

もっとも、争ったとすれば、私が勝つが。

どんと、凄い音。

飛龍が落下していく。

恐らくは、あの飛龍。人間に対して、何かしら仕掛けたのだろう。里を襲ったのかもしれない。

飛龍の狩りは、人間も滅多に許可を出さないとか言う話で。

基本的に四人一組のチームで狩りを行い、しかも必ず手練れをその中にいれるという。

あくびをしながら、死闘を遠くから見つめる。

人間が一人、飛龍の吐いた火球の直撃を受けて吹っ飛ばされ。火だるまになって、谷底へ転がり落ちていった。

あれは死んだだろう。

ただし、飛龍も無数の矢を浴び翼をやられ、体中に傷を受けて、必死に逃げようとしている。

執拗な攻撃に耐えかねて、脚を滑らせ。

斜面を滑落していく飛龍。

私は基本的に、他人のおこぼれにはあずからない。ぼんやり見ていると。人間共は、飛龍に必ずとどめを刺そうと考えているのか。

執拗に、追いかけていった。

目を細めたのは、それからだ。

飛龍が落ちた先で起き上がると。必死に足を引きずって、逃げ出したのである。問題は、此方に逃げてくる、という事。

舌打ちすると、立ち上がる。

洞窟から外に出ると、私は大きく空に向けて息を吸い込み。

咆哮した。

雪山に、とどろき渡る声。

昔、人間共と争ったとき。私が稲妻を操ったとか言う噂が流れたとか言う話だが。それはこの咆哮が、そう思わせるほどだったからだろう。

飛龍が身を竦ませ。

そして、回れ右をする。

しかし、追いついた人間共が、其処で待ち構えていた。

滅多打ちにされて、飛龍が倒される。

一人を失いながらも、人間共は飛龍を打ち倒したのだ。

分からないのは、肉を食おうとしないこと。

もっとも、私は人間共とは違う。自分のやり方を、連中に押しつけるつもりはない。私の縄張りにさえ入らなければ。

そして山を荒らすことがないのであれば。どうでもいい。

ほどなく、大勢の人間が来て。飛龍の死骸を荷車に乗せて、運んでいった。丸ごと分解して、売り物にするのだろう。

崖に落ちた人間の死骸も、回収された様子だ。

どうでもいい。

横になって寝ることにする。

此方に被害がなければ、人間と飛龍で、つぶし合ってくれとでも言いたいほどなのである。

ぶっちゃけあの里がなくなれば、私も面倒が消える。

勿論人間の勢力から考えて、あの里が陥落しても、すぐに別の奴らが来ることだろうけれど。

分かっている。

この世界は、人間の手に落ちつつある。

年々減っていく飛龍。

それに反比例して増えていく人間。

飛龍は人間が手を緩めなければ、確実に滅ぶだろう。それくらい、人間の数は多くて、圧倒的なのだ。飛龍も進化しながら対抗しているが、明らかに数が削られる方が早い。

奴らにとって、強力な動物から採れる素材は、余程稀少であるらしく。

故にこの周辺では、まだ強力な動物も飛龍もたくさんいて。

結果的に、私も。人間共に、追われずに済んでいるという皮肉な話だ。

頭に来るが、仕方が無い。

まともにやり合っても、勝てる相手では無いのだ。私はふて寝して、この忌々しい生き物どもとの生活を、こなしていくしかなかった。

 

ずっと昔。

私は、雪の中を歩いていた。

その時はどうしてか、とても心細かった。恐怖と不安で、ずっと泣いていたような気がする。

大きな獣が現れると。

悲鳴を上げて、逃げ回っていた。

勿論助けてくれる者など、いる筈もない。

しかし、私は気付く。

此奴らは、私よりも、ずっと弱いのだと。

引きちぎって、殺して。肉を食べて。そして知る。此奴らは、私にとって、狩りの獲物に過ぎないと。

恐怖はなくなり。

私は狩りについて、急速に学んでいった。

いつしか恐怖も不安もなくなって。

私にとって、この山はとても居心地が良い場所になった。飛龍達でさえ、私の事は怖れて。

若い獣が時々仕掛けてくる以外。

私が戦うケースは、なくなった。

人間という、私に似た生き物が、現れるまでは。

どうしてだろう。

人間に対しては、私はとても強い憎悪を感じる。奴らが縄張りに入り、戦いが始まる前にも、既に。

彼奴らのせいでという思いが、何処かにある。

でも、私も随分と永く生きてきた。正直な話、戦いの細かい経緯については、よく覚えていないのだ。

人間共が、三十も世代を交代する間此処にいるけれど。

その間に見た人間なんていちいち覚えていないのと同様。流石に向かしすぎて、思い出すのに骨が折れる。

それに、どうしてだろう。

私の何処かで、拒絶している。思い出す事を。

一体私は。昔人間共と何があったのか。

 

2、血に濡れた手

 

仕事が来た。

里に下りて、カウンターに着くと。アンジェラだとか名乗ったあの雌が、仕事を持ってきた。

久しぶりの仕事だ。

内容を見ると、三人。また随分と一片に来たものである。

「多いな」

「此奴らは凶悪な強盗団でな。 今までに二十人以上を殺している」

「どうでもいい。 私にとってはただの獲物だ。 で、何処にいる」

「近くの山に逃げ込んだ。 これが連中の臭いが残った道具だ」

受け取ったのは、血がついた布。

人間共は、私の鼻が利くことを知っている。だから仕事を依頼するときは、こういう風にゆかりの品を持ってくる。

臭いはすぐに覚えた。

仕事に出向こうとすると、不意に若い雌が、立ちふさがる。

肌を健康的に焼いて。この辺りで狩りをする人間らしい、鎧を着込んだ雌だ。背中には、長剣。

腕はそこそこに立つようだけれど。

アンジェラとかいうのに比べると、かなり劣る。

「待ちな。 そいつらは、アタシがやる」

「ヒース、止せ」

「嫌だね。 そいつがバケモンだって事は分かってるけど、その三人は! アタシの家族を殺した仇だ!」

どうでもいい。

正直、そのままこの雌も引きちぎって道を空けさせたいくらいなのだけれど。相手が仕掛けてこない限りは、手を出さない事にしている。

「それはお前達ハンターの仕事では無い!」

「だが、あいつらは!」

「良いから止めろ。 お前の資格を取り消されたいか!」

そう言うと、流石にヒースとか言う雌は引き下がるけれど。

それでも納得できないらしく。私の背中を、じっとにらみつけ続けていた。こういうのは逆恨みして、襲撃してくるのがあるから、面倒くさい。

まあその場合は、返り討ちだが。

里を出る。

確かに山の方から、獲物の臭いがする。

臭いからして、かなり殺しになれた個体だ。それも、同族限定の。たまに人間の中には、異常行動をするのがいる。

同族殺しを好んだり。

或いは、無意味な殺戮ばかりをしたり。

まあ、その辺りは、人間とか言う生き物が如何に不完全で、いい加減な代物かという良い証拠だろう。

私にして見れば、どうでもいいが。

単なる獲物なのだから。

山に入る途中で、服を脱ぐ。一端洞窟に戻って、服を片付けてから。バトルアックスを引きずって、狩りにでる。

ふと、気付く。

あのヒースとか言う女。山に入ったな。

まあいい。

私の獲物を横取りしたり。私の縄張りに入らなければ、どうでもいい。私は攻撃さえ受けなければ。人間などと争おうと思わない。

雪が降り出す。

これは、このままだと吹雪になるだろう。

好都合だ。

どういうわけか、人間は雪の中では、極端に動きが鈍くなる。そして山の上層は、私の独壇場。

人間が軍勢を仕立ててきても。

負ける事は無い。

案の定、すぐに吹雪き始める。視界が覆われるほどの雪だけれど。私にはどうでもいいことだ。

白銀の髪に積もる雪を、払いながら歩く。

裸の肩に時々掛かる雪も、歩いているうちに勝手に落ちる。臭いを追っていくと。途中で罠を発見。

どうやら、追われている自覚はあるらしい。

虎ばさみとは原始的な罠だ。ちなみにもろに引っかかったけれど。私の脚を傷つけるほどでは無い。

そのまま力任せに引き裂いて、放り捨てる。

対人用の毒が塗られた針もあったけれど。

そんなものは、私にとってはむしろ薬だ。効くはずも無い。

雪の中を歩く。

獲物が近づいてきている。

小道にさしかかった途端。前に人影が二つ。後ろに人影が一つ。いずれもが武装していて、分厚く防寒着を着込んでいた。

間合いを計っているようだけれど。

分かっているのだろうか。

「噂通り出てきましたな、兄貴」

「ハンター協会が飼っている化け物、ハラ無しか。 確かにナニがついてないなあ」

「体つきもまるでガキ。 この雪の中で平然としている時点で、ただものじゃない、物の怪の類でさ」

「いずれにしても、好都合だ」

好き勝手なことをほざきまくってくれるものだ。

武器を捨てろとか言われたので、鼻で笑うと。

私は跳躍した。

吹雪の中。

自分たちの背丈よりも私が高く飛んだのを見て。そいつらが硬直。まずは一人目。大上段に振りかぶった斧を叩き落として、頭を粉砕。更に着地と同時に、斧を力任せに叩き付け。二人目の首を吹っ飛ばす。

雪の中、鞠のように飛んでいく首。

悲鳴を上げて、三人目が逃げようとするけれど。

そのまま、無造作に斧を放り投げる。

だけれど。

不快な事は、その時起きた。

背中に、巨大な矢が突き刺さったのだ。速さといい大きさといい、明らかに人間が使えるサイズじゃなかった。

四人目。

斧を投げつけた相手は、既に肉塊になって、雪の上に転がっている。

おそらくこれは、飛龍用のクロスボウだなと、冷静に判断。胸から突き出している鏃を掴むと。へし折り、引き抜く。

そして背中にも手を回し。

其方からも、矢を引き抜いた。

傷をつけられたのは、いつぶりだろう。

人間共と殺し合いをした時以来だろうか。

ふらつく。

どうやら、対飛龍用の猛毒まで鏃に塗られていたらしい。舌打ちすると、私は。雪の中に埋もれるようにして、倒れ込んだ。

傷口の修復を始めるけれど。

ここしばらく取り込んだ栄養を、全てつぎ込まなければならない。睡眠も必要になるが、今はそれどころではない。

相手がどうでるかを、まず見る。

今殺した三人が、ターゲットだったことは間違いないのだ。そうなると、此奴らを操って、絶好の死地に私を連れ込んだ奴がいると言う事だ。

雪が、体につもり。

少しずつ、埋もれていく中。

私は、へし折ったクロスボウについていた臭いを覚える。

毒を体内で分解するまでは、いつものように身動きも出来ない。一瞬、動くのが精一杯だ。

もし、近づいてくるのなら、その時に一撃必殺で勝負を決める。

気配がある。

どうやら、クロスボウを使った集団は、一人では無いらしい。というのも、近づいてくる奴には。クロスボウの臭いがしないからだ。

非常に大柄な男で、体も分厚い脂肪で守っている。毛皮を着込んでいるのは、耐寒のためだろう。

無造作に歩いて来るそいつは。

雪の中に、だみごえを張り上げた。

「ボス! 倒れてる! 死んでる!」

「油断するな。 まだ生きている可能性が高い」

「でも、動かない! 体に穴も空いてる! 血もたくさん出てる!」

そういって、そいつが近づいてくるので。

私は手に持っていたクロスボウの残骸を、容赦なく投げつけていた。

クロスボウといっても、槍ほどもある対飛龍用のものだ。それが頭を後頭部まで貫通すれば、ひとたまりもない。

太った男は、断末魔もあげず、後ろに倒れて即死。

しばらく痙攣していたけれど。動かなくなった。

だが、これで私も、身動きが取れなくなる。

私を見下ろすようにして、姿を見せた奴。

それは、若造だった。口元に髭を蓄えているが、目には時々現れる異常個体に共通した、殺戮を必要以上に好む光がある。

「何だ、本当に生殖器がないのか。 これでは楽しみようもないな」

「よせ。 まだ死んだわけじゃ無い。 とどめを刺しておけ」

「へいへい」

まだいるのか。

殺戮を好む個体が、毒が塗られた槍を、倒れて身動きが出来ない私に突き刺してくる。私はもう抵抗も出来ず。

体に穂先が潜り込んでくる感触を、無言で味わっていた。

 

気がつくと、私は。

徹底的に縄で拘束されて、なおかつ鋼鉄製の檻に入れられていた。この縛り方は、以前見た事がある。

関節を固定するやり方だ。

こうすることで、一切の身動きを封じる。縄に対して力も入れられないし、刃物を持っていても切る事も出来ない。

人間ならば、そうだろう。

しかし、縄の感触で気付く。

鋼線を織り込んである特殊仕様の縄。

これでは、抜け出すことは、難しいだろう。

体の傷は、まだ回復しきっていない。

というか、一度喉に致命傷を入れられた気配がある。不愉快なことだ。いっそのこと首を切りおとしてもしてくれれば、長期間を掛けて再生して、復讐しにいったものを。

ひょっとすると此奴らは。

私が中途半端に体を損壊する方がまずいと知っているのか。

しばらくは死んだふりだ。

周囲の気配を探ると、他にも檻が林立していて。かなりの数の動物が、いれられているのが分かる。

そうか、私は此奴らと同じ扱いをされているのか。

中には飛龍種も、いれられている檻があるようだった。

人間の気配が近づいてくる。

この暗い空間。

外から密閉されているされているらしく。音が聞こえはじめると同時に、空気の流れが感じ取れた。

「ボス、買い手がつきましたか」

「今交渉しているところだ。 いにしえの時代の鬼神の一人ともなると、売る相手は王族や、大国の貴族くらいだろうしな。 少し時間が掛かる」

話している片方は、私を槍で刺した奴だ。

既に臭いは覚えた。

いずれ必ず殺す。

奴らが、牢の前に来る。しばらくは死んだ方をした方が良いだろう。勿論不用意に近づいてでもくれば。首から上が動くのだ。

手を食いちぎってやるが。

「死んだふりをしていやがります」

「ふん。 鬼神よ、猿芝居はよせ。 貴様が起きている事くらい、此方はお見通しだ」

舌打ちして目を覚ますと。

そこにいたのは。中年の雄だった。

今まで見たことが無い衣服を着ている。シルクを使った上物だろうか。どっちにしても何というか。

今まで里に来たどんな奴も、着ていない服だ。

中肉中背で、一見すると筋力もどうということもなさそうだが。違う。私には分かる。此奴は、危険だ。

強い。

今まで見た人間の中で、恐らくトップ。いや、臭いで分かる。此奴、恐らくは、人間では無い。

道理で、対飛龍用のクロスボウを、一発必中させてくるわけだ。

あれはそもそも、大きな車に乗せて運び、運用に関しても固定砲台として用いるものなのだ。

勿論人間が使うなら、であるが。

「あの三人は囮として用いたのだな」

「その通りだ。 無能なハンターどもの組織が、凶賊を追い込めばお前を使うことは分かっていた。 後は餌を使って、お前を釣るだけだった」

「舐めた真似をしてくれたな」

「長年人間との共生関係を続けて鈍ったのだな鬼神。 昔のお前だったら、罠の可能性を想定して、油断だけは絶対にしなかっただろうに」

油断、か。

そんなものをしていた覚えはない。

此奴らは恐らく、交戦地点を、人間どもが狩りで用いている場所にわざわざ設定した。

私だって、ハンターとか言う人間共を、悉く記憶しているわけでもない。ターゲットはしばらくの間記憶しているが、それだけである。

つまり、他の人間共の臭いに紛れ。

接近してきた、と言うわけだ。

何人かの人間が来て、別の檻を運び出していく。その中に、片腕がない男がいた。そうかそうか、なるほど。

以前くだらない諍いをしていて、私に棒を降り下ろしてきた奴だ。

彼奴が、何かしらの手を使って、私を陥れようと考えたのだろう。今はこの人間では無い輩の、手先に成り下がっている様子だが。

檻に入っていたのは、小型の飛龍だ。

つまり、何処かの人間が、飛龍を買ったのだろう。なにを目的としているかは、よく分からないが。

「お前はあのようにして売られる」

「は。 私を飼い慣らすなど、人間に出来ると思うか」

「出来るさ」

今の時代、人間は昔より遙かに進歩していると、男は言う。

言う事を無理矢理聞かせる薬。

鬼神でさえ破る事が出来ない檻。

いずれにしても。単純に体が強くて。ちょっとやそっとの怪我では再生出来て。寿命が存在しない、くらいのものでは。人間にはかなわないと、男は言うのだ。

そんな事は分かっている。

私だって、そうでなければ、人間との全面戦争を今でも続けている。奴らが契約を持ってきたのは。単に戦いによる犠牲を嫌がったからで。あれから時間が経って、人間共が狩りをするときの道具も戦術も、進歩しているのは、他ならぬ私が一番良く知っているのだ。

奴らが再び戦端を開かないのは。

私という存在が、便利だからに過ぎないのである。

「それで、お前も人間に屈している、というわけか」

「そうだ。 よく分かったな」

「同類では無いが、人間では無い事くらいは、即座にな」

隣にいる異常個体が、ニヤニヤとやりとりを見守っている。此奴は人間のようだが。此奴に飼われることを、良しとしているのだろう。

そして知ってもいると言う事だ。

自分が仕えている相手が、人間ではないと。

ああ、別にどうでも良い。

人間はよう分からない生物だ。自分たちに異常なプライドを持つ反面、ゴミのようにそれを捨てたりもする。

だから、どうでも良い。

今はそれよりも。考えておくべき事が、幾つもある。

まず第一に、慌てなくても、好機はまだまだある。

此奴の言うように、洗脳するための薬剤も。確かに恐ろしい代物だが。いずれは克服することが出来る。

これは知られる訳にはいかない。

また、体を切り取られるなどして、ダメージを受けた場合。

いずれ、回復する。

私は今まで、様々な戦場で、多くの体を失ってきた。

中には、頭しか殆ど残らなかった場合もある。

それでも私は蘇り、今まで命を長らえてきたのである。

生物の中では、圧倒的に不自然な存在。

そんな事は分かっているけれど。

それを言うなら、人間も同じだろう。

順番に思考を整理しながら、脱出の方法を模索する。なにかされたらアウトというものは、今の時点ではない。

それは丸ごと煮えたぎる鉄に放り込まれたり。

或いは完全に凍らされた後、鋼鉄の箱に閉じ込められて深海に沈められたりしたら、それは分からない。

だがそう言うことをするのなら、もうそれなりに行動に出ているはず。

見た感じ、此奴は私の同類というよりは、飛龍に気配が近い。ひょっとすると、進化した飛龍の一種で、人間に擬態できるのかもしれない。だとすると、同族を売り払って金にしていると言う事になるが。

まあ、飛龍が同族意識を持つという話も聞いた事がない。

同類の飛龍でも、縄張りが接触するとかなり激しく殺し合う。今更、なのかもしれないが。

「買い手がついたらまたくる。 それまでは大人しくしておけ」

「ふん、そうするさ」

「……」

男が部下を連れて、この場を出て行く。

さて、此処からだ。

私は厳重に縛られたまま、まずは少しずつ、鋼線入りの縄を外す方法を、考え始めていた。

 

真っ暗闇が続く。

他の檻に入れられた動物が、悲痛な声を上げている。恐らくは、何をされるか、分かっているのだろう。

既に音の反響。

それに臭いなどから、此処にどれだけの動物がいれられていて。広さはどの程度かという事は、把握している。

縄については、少しずつ弱めている。

関節を極められたくらいで、動きを完全に封じられると思ったら、大間違いだ。人間だったらそうだろう。

しかし、私は。

右腕は抜けそうだ。

だが、敢えて縛られたふりは続けておく。

這いずって、檻に。

触ってみて、少しずつ材質を確認。

これは多分、鉄では無い。

触った感触が、何というか、重いのだ。

鉄は基本的に、そのままでは役に立たない。色々なものをいれることで、より強く堅くなる。

だが、逆に言えば。

重さそのものは、加工しても大して変わらない、ということだ。

これは鉄よりも、何十倍も重い。

雪山によくもこんなものを運び込めたものだ。ひょっとすると、あのエセ飛龍。予想より、遙かに巨大な人間組織を従えているのか。

考えてみれば、それもありだったか。

私は煩わしくて、人間との関わりを最小限に抑えてきたし。連中との和平についても、真面目に契約通り履行してきた。

だが人間がいつ裏切ってもおかしくない状況。

あの飛龍のように、人間を多数支配しておく法が、或いはつぶしが利くかもしれない。

光が入り込んでくる。

連中だ。四人以上がいる。

「今日はこの檻を出荷する」

「かなり弱ってるな」

「何、向こうですぐに加工する。 それまで生きていれば良いんだよ」

「生きたまま脳みそ喰うって料理か。 ぞっとしねえなあ」

大型の人間に似た動物が檻に入れられたまま、連れて行かれる。

かなり腕力も強い獰猛な動物なのだけれど。

それでも、人間の群れの前には、ひとたまりもない、ということだ。

己の運命を悟ったらしく、大型の動物はもがいて逃れようとしていたようだが、もうどうにもならないだろう。

再び、闇になる。

さて、私の番が来る前に。

このいけ好かない金属を解析して。

なおかつ、縄も外さないといけない。

小さくあくびをしながら、少しずつ、縄を弱体化していき。

そして、ほどなく。

結び目の一つを、完全に緩めることに、成功していた。

さて、此処からだ。

不意に、大きな声を上げた動物がいる。人間の三倍くらいある大きな鳥だ。縛られず檻に入れられていたのだけれど。

恐らく、恐怖に耐えきれなくなったのだろう。

何度も頭をぶつけて、檻を壊そうとしている。

どやどやと、入り込んでくる人間共。明かりが差し込んでいるが、かなり乱暴に開けたらしく、一部外側が見えていた。

「興奮してやがるな」

「気を付けろ、腕ぐらい食いちぎられるぞ」

「分かってる。 餌に鎮静剤を混ぜて喰わせれば良いんだろ」

「そうだ。 傷がつくと、値段が下がるからな」

おかしな話だ。

その鳥だって、食用にするつもりなのだろうに。

傷がそんなに、味に関係するのか。

色々な動物を食べてきた私としては、味は別に新鮮でなくても良いと知っているし。ましてや多少傷がついたくらいでは変わらないことだって理解している。

恐らく、人間の思想や、信仰に起因することだろう。

あほらしい。

一言呟くと、私は寝たふり。

話を、耳に入れ続ける。

「これは早めに出荷しよう。 ボスに報告してくれ」

「貴族の連中気まぐれだからなあ。 気が向いたときとそうで無いときで、値段が十倍以上変わる事もあるらしいしな」

「そういや、ハラ無しのほうはどうなってる」

「ボスが彼方此方の大物貴族や王に声を掛けているらしいけどな。  流石にふっかけすぎてるんだろ。 中々買い手がつかないらしいぜ」

大形の鳥が、大人しくなる。

正直な話。

そいつは殺して、雪の中に埋めて、半年位したところが一番上手い。生きたままや、その直後だと、肉の中の旨みがあまり熟成されていなくて、食べても若干味気ない。

人間が味付けをして肉を食うことは知っているが。

それは味付けの結果であって、肉のうまさではないだろう。

再び、光が消える。

目を閉じて、私は。まだ機会があることを確認しつつ。周囲の状況を、探り続けていた。

 

3、黒き信仰

 

私も、人間で言うと三十世代も生きてきているから。昔の事は、かなり忘れてしまっている。

大事なことでさえ、そうなのだ。

昔は何をしていたのかとか。

人間が言うような親はいたのだとか。そう言うことも、今は正直な所、よく分からない。覚えていないのだ。

ちなみに同族は見たことが無い。

縄張りの山に落ち着いて。

力がしっかり制御出来るようになって。

それからは、彼方此方を見て回ったこともあったけれど。殆どの場所に人間共がひしめいているばかり。

むしろ、動物が普通に暮らしていられる場所は、あまり多くない。

私の縄張りが、その一つなのだ。

海も渡った。

しかし、其処も状況は同じ。

私の縄張りの近くで、人間共が、動物を殺しているやり方は。ひょっとすると、もの凄く非効率的で。

人間がその気になれば。

私の縄張りの近くにいる動物なんて、一日で全て消し去れるのでは無いのかとさえ、思えてくる。

飛龍だってそうだ。

世界中のどこに行っても、遭遇する飛龍だったけれど。

それも、必ず人間からは距離を置いていた。獰猛な品種に関しても、それはあまり変わらない。

勝てないと、知っているのだ。

勿論単独での戦いでは、飛龍が人間を圧倒するのが常だけれど。人間が群れを作ってしまうと、どんなに強力な飛龍も、尻尾に帆を立てて逃げるしか無くなってしまうのだ。

環境が厳しいところに適応した飛龍も、何種も見たけれど。

それは体が強いから出来る事もあると強弁は出来るけれど。実際には人間が入りづらい所に行くことで、かろうじて身を守っているという側面もある。

最大級の飛龍でさえ、もし人間がその気になったら、狩られる運命だけが待っているのである。

私だって。

色々やりくりはして来た。

自分が、最後の同族かもしれないと言う思いもある。そもそも私の同族は、どうやって増えるのやらも分からない。

人間のように性交するわけではない事は知っているけれど。

目が覚める。相変わらず、状況は、何ら改善していなかった。

新しく檻が来た。

中には人間が入っている。数人まとめていれられているのだけれど。そうかそうか。人間は同類も売り物として扱うのか。

別にどうでも良いし。噂には聞いたことがあった。

人間には奴隷制というものがあって。同じ人間をゴミのように浪費して、仕事をさせるのだと。

人間共が嗚咽している。

奴隷に売られるのは、いやなのだろう。

見るとどれも、雌や幼い個体ばかり。その方が、奴隷としての価値があるのだろう。

さて、私はと言うと。

かなり縄を解除できた。

人間共も。飛龍のあの男も。

檻には入ってこない。余程、この縄に自信があるのだろう。或いは、この檻そのものに。

転がって、退屈を紛らわすふりをして。

檻の状態も、確認はしている。

金属そのものは強力だけれど。

問題は、その継ぎ目だ。

金属をへし曲げて逃げる事は難しいだろう。しかし、この継ぎ目を重点的に攻めていけば、砕けそうなのである。

調べていると。

どうやら熱で溶かして、一体化しているらしい。

かなり頑丈にくっついているけれど。

金属は堅いだけではダメなのだと、知らないらしい。これは、好機だ。此処から脱出する事は、不可能では無い。

獰猛そうな猛獣が、檻に入れられて入ってきた。

見覚えがある。

陸上生活に特化した飛龍の一種で、翼が退化している代わりに、四肢が凄まじいまでに強靱になっている。

確か火も吐くことが出来る強力な品種で。

捕らえるのは至難の業だとか、人間が話しているのを聞いたのだけれど。

此奴らの手腕は、それだけ優れている、ということか。

「餌を放り込んでおけ」

人間飛龍が部下に命じると。大量の肉を、檻の中に放り込み始める。

面倒くさそうに肉を平らげ始める陸龍だけれど。その目は、虎視眈々と、反撃の好機をうかがっていた。

見ると喉に大きな傷がある。

火を吐けないようにされているのだろう。

いきなり、陸龍が、檻に体当たりした。

巨体からの一撃だ。檻が激しい音を立てるけれど。破壊にまでは到らない。ただし。その動きは、私も見て覚えた。

やはりこの檻。

破壊可能だ。

人間の奴隷共が、怯えきって、ひゃんひゃん悲鳴を上げている。

私は転がって知らぬふりをしながら。

情報の全てを、可能な限りの速度で解析し続ける。

「ボス、あっちのハラ無しはどうします」

「今、三人の客と交渉中だ。 近いうちに売り手がつくだろう」

「かなり高くなりそうですか」

「鬼神そのものが、殆ど現存していないし、生命力も凄まじいからな。 鬼神の肉を喰らうと不老不死になるとか言う伝承もあるし、殆どはペットとしてではなく、食用肉として鬼神を欲しているのさ」

何を馬鹿な。

確かに私は、悠久の時を生きてきているけれど。

それを言うなら、木とかだってそうだ。

木を食べれば不老不死になるのだろうか。

なるわけがない。

草食動物がみんな不老不死になっていない現状を見れば、そんな事は明らかだろうに。数は増え、技術は高まっても、所詮人間は人間と言う事か。

呆れた私に気付いているのかいないのか。

飛龍人間は、出て行く。

さて、此処からだ。

陸龍が此方を見ているので、寝返りを打って其方を見る。

「おい」

びくりと、身を竦ませる陸龍。

此奴らは人間の言葉を理解する事は出来ないだろうけれど。それでも、私が人間では無くて。

自分より強い事くらいは、一目で分かるはずだ。

「暴れたいか」

低い唸り声を上げる。

此奴も食用として、此処に運ばれて来たのだろう。ひょっとすると、あの人間達の奴隷も、そうかも知れない。

はっきり言って、どうでもいい。

とりあえず、此処をまず出る事が大事だ。

それに私を後ろから撃ってくれた礼は、たっぷりさせてもらう。

今まで散々見せてもらったが。

全うにやり合って、負ける相手では無い。

ただ不意打ちに関しては相当な技量もある。これは恐らく、人間の強みを取り込んでるから、だろう。

「従え。 そうすれば、此処から出してやる」

ゆっくり頷く陸龍。

私は満足すると。

檻の格子の側に近づいて。そして、檻の戸の近くの格子に、触る。

やはり此処は、溶接が甘くなっている。

連中が戻ってくるまでの時間は分かっている。それまでに、此処を一端脱出し。陸龍の檻も、破壊しておく。

そうすることで、更にやりやすくなる。

鬼神を舐めて掛かった報いは。

その命で、償って貰うのだ。

 

いつもより早く、人間共が入ってくる。

いつもとは違う奴だ。

飛龍人間もいるけれど。そいつが連れているのは。ローブだとか言う黒い服を、目深に着込んだ集団だった。

いずれも、感じ取れる。

異常個体の雰囲気だ。

「これが、デミウルゴスでありますか」

「そうなります」

「ほう。 身体能力を見る事は。 ただの人間を売りつけられては、我等聖神教団としても、黙っている訳にはいきませぬゆえ」

「残念ながら、これだけ拘束して、オリハルコンの檻に入れていても、なおも危険な存在なのです。 力がそもそも人間とは桁外れのため、少し触られただけで手足を引きちぎられてしまいますよ」

皮肉混じりの飛龍人間。

黒ローブの集団は、それに納得している様子が無い。

「あそこにいる奴隷を買い取ろう。 牢に入れてみて貰えるか」

「困りましたね。 あれは食用に、今糞を出させている仕込みの最中なのですが」

「その分の代金は払うが」

「やれやれ」

人間同士で、面白い考え方をするものだ。数が増えると人間は途端に傲慢になると知っていたけれど。

此奴らは、揃いも揃って脳が異常だ。

まあ、どうでもいい。決定的な隙が出来れば、それでいいのだから。

既に、準備は整っている。

此奴らは知らないだろうが。

「早くせよ」

「アイン! 一人適当に牢からだし、鬼神の牢に入れろ」

「へい」

部下として、飛龍人間が連れている一人が、人間共が入っている牢に近づいていく。陸龍が此方を見ている。

合図はまだか、というのだろう。

まだだ。

「それにしても、この鬼神をどうするのです」

「我等が神を冒涜するニセの神を、この世から消去する。 殺して肉を神に捧げることで、その御霊を安らかに鎮めるのだ」

「まあ、売った以上どうしようが、私には知ったことではありませんので。 ただ、料金だけは、きちんとお支払いください」

「欲深き背徳の徒よ」

大きな袋を渡している。

金貨を数え始める飛龍人間。悲鳴を上げながら泣きわめく人間を引きずりながら、アインとか言うのが此方に来る。

金貨の袋に、飛龍人間が集中した瞬間。

私は縄を吹き飛ばして立ち上がり。

事前に外しておいた檻の格子を掴むと。放り投げた。

その格子は、槍となって宙を舞い。

完璧な軌道で。

飛龍人間の背中から腹に向けて、突き抜け。そして、彼と向かい合って金貨の袋を渡していた、黒ローブの代表者も一緒に、串刺しにしていた。

「出ろっ!」

叫ぶと同時に。

既に牢から出た私が、細工をしておいた陸龍の牢が、内側から吹っ飛ぶ。

この機会を待てと、陸龍には言い聞かせておいたのだ。手始めに、周囲にいる黒ローブの人間共を、横薙ぎにばぐりと喰らう陸龍。首を一振りで、三人が口の中に。更にもう一振りで、二人が後を追う。

何が起きたか理解できないまま、絶命した黒ローブの首領。ちなみに飛龍人間は遙か遠くで、槍で壁に串刺しになっている。

陸龍が雄叫びを上げ。

辺りの人間に、殺戮の牙を振るい始めた。

阿鼻叫喚の地獄になる中、私は牢を内側から蹴破り、外に。

跳躍。アインとか言う人間の首を無造作にもぐと、放り投げた。

奴隷はどうでも良い。悲鳴を上げながら逃げていくのを、そのまま放置しておく。

暴れ狂う陸龍の前に。

体を貫かれながらも。目に憤怒をやどして、飛龍人間が着地する。槍を無理矢理体から引き抜いて串刺し状態から脱し、鮮血を体の前後から噴き出しながら、である。

流石飛龍族。

なかなかにタフだ。

「おのれ、下等な痴れ者が!」

「頑丈だな」

私は辺りに散らばった武器を適当に見繕うと。無造作に飛龍人間の首を刎ねた。

と思ったけれど。素手で受け止められる。

なんだ。

こんなに戦えるなら、不意など討たなくても良かったものを。

なまくらがへし折れる。

まあ、どうでもいい。

飛龍人間の後ろで、奴の部下をむしゃむしゃしている陸龍に、私は声を掛ける。

「おい。 此奴は私が引き受けるから、適当に外で暴れろ。 暴れた後は、縄張りに逃げろ」

「よせっ!」

顔色を変えた飛龍人間を尻目に、陸龍がきびすを返すと、どうやら倉庫らしい場所の入り口を力尽くで突破し、外に。

此処が人間の集落なら。

充分以上の大惨事になるだろうが、はっきりいって知ったことか。

悪いのは此奴ということになる。

つまり、此奴はもう終わりだ。

動揺したところに、前蹴りを叩き込んで、吹っ飛ばす。

別に殺す必要はない。

捨てられていた槍を拾い上げると、今度は立ち上がろうとしたところを、太ももに突き刺して、地面に固定。

流石に悲鳴を上げる所を蹴倒し。

今度は腹にもう一本。

外が騒がしくなってきている。それはそうだろう。普通だったら、集落で見かけることがない陸龍が大暴れしているのだ。

正直、あれが逃げ切れるかどうかさえ、私にはどうでもいい。

陸龍が暴れて。

その中心に此奴がいれば。

更に言うと、其処に転がっている黒ローブ。

そいつは人間社会での権力者だったはず。此奴が殺したとしか言いようが無い状況で。此奴が無事で済む筈もないのである。

必死に槍を抜こうとする左腕を踏み砕くと、更にもう一本、右腕を槍で突き刺して、固定した。

地面に三本の鉄棒で固定された飛龍人間は、わめき声を上げながらもがくけれど。

これでも私が突き刺した鉄棒だ。

更に引き抜きにくいように、途中でねじ曲げておく。

「おのれ、殺す! 殺す!」

「喧嘩を売った相手が悪かったな」

「貴様など、私の権力を使えば、ハンター共が大挙しておしか……」

しぶとい。

まだぐちゃぐちゃ喋る予知があるのか。

それと、勘違いしているようなので、私は腰を落として。にっこりと笑みを浮かべた。滅多に浮かべることがない笑みだ。

「お前。 私がお前を殺さないとでも思っているのか?」

首から上は、残しておいた方が良いだろう。

抜き手を腹に突っ込むと、そのまま引き裂き。

そして私は。

悲鳴を上げて逃れようとする飛龍人間の内臓を、そのまま食べ始める。

獲物を食べるのは、私にとって大事な儀式。

何だかよく分からない形状の内臓を引っ張り出して食いちぎる。人間の形をしていても、此奴は飛龍。

内臓の形は。

人間とは、随分と違った。

 

4、雪山の鬼神

 

適当に満腹になったところで。

監禁されていた場所から、正面から出て行く。

飛龍人間は心臓らしいのを食いちぎったら死んだ。別にもうどうでもいいけれど、顔だけ残して後は殆ど食べてきた。

流石にアレなら、もう動かないだろう。

外は大騒ぎ。

やはり、知らない集落だけれど。何となく臭いで、自分の縄張りからどれだけ離れている場所かは分かる。

死体も散らばっていて。

その数は、私がいつも足を運ぶ里の比では無かった。

適当に死体から剥ぎ取った服を身に纏うと、堂々と歩いて集落を出る。陸龍はよく分からないけれど、死体が無いと言うことは、逃げ延びたのだろう。

火でもつけていこうかと一瞬思ったけれど、やめておく。

無意味な殺戮は良しとするところでは無い。

逃げるための混乱だけ引き起こせれば充分だ。

里を出ると、そのまま黙々と歩いて行く。

やはり騒ぎになっているらしく、武装した人間が相当数、私が捕まっていた集落に向かっていた。

私に注意を払う人間などいない。

見かけは子供なのだ。

修羅場で、歩いているだけの子供に注意など払っている余裕は無いだろう。

そのまま、数日は、歩き続けた。

歩いているうちに喰らった分は消化してしまったし、あくびをしながら歩く。どうも雪がない場所は落ち着かない。

山を幾つか越えて。

川も幾つか越えたとき。

ようやく、故郷の山が見えてきた。

白く積もっている雪を見ると、気分が良くなる。

ようやく、いるべき場所に戻ってきたか。

縄張りに戻ると。

荒らされている形跡も無い。

流石にここに入ることがそのまま死を招くと、理解しているのだろう。さて、問題は此処からだ。

幾つか、確認しておくことがある。

 

里に下りると。

アンジェラが、私を見て、驚いた顔を一瞬だけする。

それだけで、私には真相が分かっていた。

「私を売ったな」

「何を言っている。 それより一月も、何をしていた」

「お前が持ってきた仕事をこなしたら不意打ちを受けてな。 あの仕事は私を填める罠だったのだろう?」

「それが本当だとしたら調査させる」

白を切り通すか。

私はこの場にいる全員を皆殺しにしてやろうかと思ったけれど。

人間とやり合っても、最終的には勝てない。

それは分かっているし。

ある程度、折り合いはつけなければならない。

それよりもだ。

ヒースとか言う女は、ずっと私をにらみつけていたが。話が一段落したところで、割って入ってくる。

「まて、貴様、あの三人は」

「殺したが」

「……っ!」

「お前、あの時山にいたな。 私を填めた一味だったと判断して良いか?」

周囲が、一斉に退く。

私が戦闘態勢に入ったことに、気付いたのだろう。

別に恨みなんぞ買おうとどうでも良いけれど。誰が私を売ったのかだけは、はっきりさせておかなければならない。

人間と真正面からやりあっても勝てないけれど。

舐められたらおしまいだ。

人間には、私を怖れさせておかなければならない。

アンジェラが、低い声で、ヒースに言う。

明らかにヒースはたじろぐが。それでも、踏みとどまる。

「ヒース、どういうことだ」

「違う! あの三人は、私が殺すつもりだった!」

「それはハンターの仕事ではないと言っているだろう」

「少なくとも、あのような三人と手など組まない! 私の仇を横取りされた上に、あのような連中と一緒にされて許せるか!」

私を無視して行われる喧嘩。

面倒になって来た。

まとめて殺すか。

そう思った時。

アンジェラが、ヒースを殴り飛ばす。

驚いたのは、私である。

「ハンターの誇りを忘れたか、愚か者! 我等は自然の恵みを受け取り、対価として命を賭ける事を誇りとしている! 悪漢に対する懲罰は、専門の人間がするべき事で、我等の仕事では無い!」

そしてアンジェラは。

私に頭を下げて。済まないと言った。

 

事情聴取をしたいというので、適当に応じる。

分かる限りで話をしてやると。アンジェラの方でも、事件については小耳に挟んでいたと言った。

「西にあるアポライトの街で、陸龍の一種が暴れ、多くの死者が出たとだけ聞いていたのだが、真相はそのようなことだったとは」

「その場にいた飛龍人間と部下、取引先の連中は皆殺しにしてやったが、私がやったのはそれだけだぞ」

「いや、充分だ。 後は私が、本部に連絡して処理しておく」

さて、どうだか。

私は人間を信用していない。

私が怒っていることを感じて、保身のための行動に出たのかも知れないし。単にトカゲの尻尾をきっただけかもしれない。

ただ、仕事の報酬は、いつもよりずっと多く渡してきた。

迷惑賃だという。

正直どうでも良いけれど。

嘆息すると、金だけ受け取って。建物を出る。

人間とは今後も、面倒なやりとりを続けなければならないだろう。

それに、色々なところに適応しているとは言っても。あの飛龍人間は、色々とおかしかったとしか言いようが無い。

ひょっとしてあれは。

人間が造り出した存在では無いのか。

あり得ない事とは言い切れない。

人間が狩で使う武器は、どんどん進歩している。小型で火力が上がり、昔は数十人がかりだった飛龍狩りも、数人で出来るようになっている。

人間は、進歩しているのだ。

奴らが、自分に似せた生命を作れても、それは不思議でも何でもない。

必然の結果だろう。

肉を買って、縄張りに帰る。

特に荒らされてもいない洞窟に入ると。やっと窮屈な服を脱いで、落ち着くことが出来た。

肉を食べる。

やはり、肉は生に限る。

それにしても、今度人間が本格的に攻めてきた場合、かなりまずいかもしれない。私も、生き残るために、何か手を打つべきだろうか。

私は、個なる存在。

子孫を残す事も出来ないし。

同族もいない。

寿命は存在しないし。

かといって、何でも出来るわけではない。

人間は数が多すぎる。その進歩の速度は、あまりにも度を超している。もしも、人間共に対抗するとしたら。

肉汁がついた指を舐める。

今のうちに。

手は考えておこう。

遠くで、飛龍が鳴いている。

急速に多様化し。世界中に拡がっているあの生物たちも。或いは。

人間に対抗するために。

その力を増そうとしているのかもしれない。

だとしたら、その極北の一つであった飛龍人間と私が争わなければならなかったのは、悲劇だったのだろうか。

まあいい。

これから、力を蓄える。

今まで以上に食事を増やして、力をつけることに専念。

以前とは比べものにならないほど力をつけて。

人間が近づくだけで、恐怖し絶息するほどの存在になれば。私の安全は、保たれるだろう。

ふと外を見ると、雪が降り始めていた。

雪だけは変わらない。

白い世界は。

ただ美しいと、私は思った。

そして、ふと気付く。

これは、使えるかもしれない。

思えば、あれだけ蟻のように増えた人間が、どうして未だに私を本気で殺しに来ない。理由が何かあるとすれば。

外に出る。

裸足で歩き回って、そして思い出す。

人間共は、雪の中では、満足に動けない。ならば。

腕組みして、しばらく辺りを歩き回る。

良い案が浮かんだのだ。

後は、これをどうやって実行に移すか。私だって、死にたくは無い。静かに同じ生活を続けていきたいのである。

それには、やはり。

人間という生物を、生活圏から排除するしかないだろう。

人間は別に単独では脅威にならない。

不意を打たれるか、この間の飛龍人間レベルの奴が出てこない限りは問題が無い。それならば、その不安要素を、全て消してしまえば良いのである。

それには。

この雪が、最適だ。

そして、今、飛龍共は凄まじい進化を遂げつつある。知能を持つ個体も出てきている。

それならば。

私が手を貸せば。

出来るかも知れない。

それには、行動だ。

目だった強い力を持つ飛龍どもがどこに住んでいるか、私は把握している。多少の手間にはなるが、手を打つのは悪くないことだ。

まずは、里に。

今の時点では、人間共にまだ私が動き出したことを悟らせるわけにはいかない。

このままだと、あの飛龍人間のような事をする奴がまた出てくる。それは人間があまりにも強大すぎるからだ。

身を守るためにも。

この世界を変える必要がある。

私は、そう結論していた。

 

5、銀の魔界

 

久しぶりに、人間の気配だ。

数は三ないし四。いや、四だ。

外は、囂々たる銀の世界。

私が作り替えたのである。

進化を続ける飛龍共の長にあった私は、奴らに提案した。知能も持ち始めていた飛龍共は、人間の脅威を良く理解していたから。一も二もなく、話に乗ってきた。

そして、進化を続けた連中と。

私は共同で進化について研究を続けた。

私自身の肉体も強くした。

それ以上に。この山を実験的に。今までとは比較にならないほど、過酷に雪が降り積もる世界へと変えたのである。

効果は、正に絶大。

何体かの特殊進化した大型飛龍が、天候を乱すことで、ずっと雪が降り続け。

普段から、雪が途切れることがなくなったこの近辺には。

もはや人間が近づくことはなくなった。

近づくとしても、ごく少数。

話を聞いて移り住んできた飛龍共は、全て私の膝下に収め。結果として、私を不意打ちできる存在はいなくなったのである。

飛龍の中には、人間に近い姿に変わった者もいる。

それらは人間の中に紛れ込ませ。

そして、動向を探らせている。いつ、人間共が、ここに来るか分からないからだ。

だからこそ。

今回現れた人間共に、私は洞穴の中で、顔を上げた。

どうやってここまで来た。

麓から此処まで。人間の背丈の六倍近い雪が常時つもり。吹雪は止むことなく続いている。

此処は、魔の世界。

銀色の、死だけが覆う場所。

自然の力を喰って生きることが出来る飛龍達と。その飛龍の中から、家畜化した下位種族を捧げられて。その肉を喰らって生きている私だけの世界。

私は洞窟を出る。

まさか、防衛網を突破されたのか。

いや、それにしては敵の気配が小さすぎる。それに何より、数が少なすぎる。如何に人間共がすぐれた技術を手にしたとは言え。この程度の数と質で、私を倒せるはずがない。昔ならともかく。今は無理だ。

気配は、まっすぐ此方に来る。

舌打ちすると、私は洞窟を出る。

吹雪の中での戦闘の方が、私には有利だ。

勝率は可能な限り上げたい。

昔は、裸の人間と同じ姿だった私だが。今は進化を研究した結果、背中に黒い蝙蝠に似た翼を生やしている。

人間共は、私を見て、こう呼んだ。

銀世界の悪魔と。

鬼神と呼んだり悪魔と呼んだり、忙しい事である。もっとも、ある一線から。具体的には麓にあった人間共の里が雪に埋もれて消えてから。私は人間との関係を断った。だから、人間共が私をなんと呼ぼうと、どうでも良いことだ。

側に降り立つのは。

側近にしている飛龍の一体。

姿は、まんま龍と呼ぶべきもの。全身は真っ黒で、トカゲの背中に翼を持ち。そして口からは超低温の冷気ガスを吐くことが出来る。

私が近衛にしている飛龍の一体で、知能は人間と同程度。

雪の中でも会話は出来る。

というのも、音声などと言う手段は使っていない。空間を振動させて、意思を疎通しているのだ。

「人間が四匹近づいているな」

「それが、陛下に御用の様子でして」

「それで通したのか」

「はい。 連絡が遅れまして申し訳ございません」

良いと言って、下がらせる。

それにしても私に用とは何事だ。

山の周囲には、家畜化した飛龍や、近衛の飛龍が控えている。そいつらも通したという事は。

余程の用事、ということだろう。

まあ、最悪の場合。周囲の気温を瞬時に極限まで低下させ、一瞬で殺す事も可能だ。私も人間が攻めてきたときに備えて、ずっと力を高めてきた。

さて、何をしに来たというのか。

程なく、姿を見せる人間共。

黒いフードを被っている姿は。私を殺して神に捧げるとかぬかしていた連中を思い出させる。

人間共は私の前に立つと。

雪の中だというのに。土下座した。

「神よ」

「何だ悪魔と呼んだり鬼神と呼んだり。 今度は神か」

「お怒りをお鎮めください。 今、世界は滅びに瀕しています。 貴方のお力が必要なのです」

「滅び……?」

はて。

そんな話は聞いていないが。

何体かいる近衛の飛龍に、意思を飛ばしてみる。しかし、そいつらも知らないと言うことだった。

「お前達は蟻のように増え、力を増しているでは無いか」

「故に我等はおごり高ぶり、神を忘れました。 貴方こそは、この世でもっとも神に近い存在。 我等の崇拝をお許しいただきたく」

「……」

呆れた。

散々人を殺そうとしておいて。

どれだけ此奴らへの対応で、私が苦労したと思っているのか。

あげく神か。

笑いが零れてくる。

どちらにしても、こんな輩に用は無い。

崇拝するだけなら勝手だが。どうせ人間共の中に出ていっても、利用されるだけだ。

「崇拝だけなら好きにしろ。 ただし祈りに力を貸すとは限らぬぞ」

「いえ、崇拝を許可いただけるだけでかまわないのです」

「そうか。 ならば下山せよ。 私は人が領に入るを好まぬ」

人間共は頭を下げると、しずしずと下山していく。

私は大きく嘆息した。

結局、私は人に振り回されるのか。

そもそも私は。

人に作られたと言うのに。

連中は忘れている。私も忘れていた。

しかし、力を高めていく過程で、思い出したのだ。

今の人間共より更に古い時代。人間共は、自分と同じ形をして、より強い存在を造り出そうとした。

その失敗作こそ飛龍だ。

私は、その過程で。飛龍どもを支配するべく造り出された存在。結局全ては台無しになったが。

人間共の意図とは別に。私は飛龍どもの支配者となり。

そしてこのような不可解な形で、今人間に崇拝されようとしている。

近衛の飛龍が戻ってくる。

人間が嫌いな此奴は。姿を見るのもいやらしく。今まで、距離を置いていたのだ。

「如何なさいますか。 不快ならば、消し去りますが」

「放置しておけ」

「御意」

私は、もう一度、吹雪の中でため息をつく。

結局、この吹雪は。

ずっと残さなければならないだろう。

人間共は醜悪で複雑怪奇極まる。

奴らから身を守るためにも。

この白銀の魔界は。

必要不可欠な存在なのだ。

私の髪と同じこの白の地獄は。

人から身を守るため。

今後も、私の周囲を、覆い続ける事だろう。

或いは、この世界が、滅び去るその日まで。

 

(終)