その怪異はもっとも有害な
序、怪異の極み
私はあぐらをかいて、呆れながらその番組を観ていた。
20世紀の番組だ。
社会に出るのが遅れた若者を、「若いカリスマ経営者」とか称する人間が囲んで、怒鳴りつけるもの。
馬鹿馬鹿しい内容だと、私も一目で理解していた。
この時代はマスコミの腐敗が極限に達していた。結果として、殆どの人間に見捨てられ、21世紀の半ばにはあらゆるマスコミが瓦解することになるのだが。その直接原因とも言えるような番組だ。
似たような番組は他にもいくらでもある。
当時の「常識がある」と称する人間が、「そうでない」とした人間にレッテルを貼り、暴言や暴虐の限りを尽くすような代物。
今でもアーカイブが残っているから見る事が出来るが。
はっきりいおう。
恥知らずの極みである。
あのアインシュタインが口にしているとおり、この時代に限らず「常識」何てものは、文字通りの偏見の塊でしかない。
「マナー講師」などという輩が横行したように、誰も「常識」なんてものは分かっておらず。
中には「お気持ち」を最優先して、それを理由に「正論には言い方がある」などと馬鹿馬鹿しい持論を口にする輩までいた。
文字通りの末世だったと言える。
反吐が出ると思ったが、研究の一環だ。
一通り、「社会的な成功者」が、「社会的な落伍者」を罵倒する番組を観た後。ため息をついて、調べて見る。
愚かしい事が分かってくる。
「社会的な落伍者」は、実際にはただの売れない芸人がそう扮しているだけ。
「社会的な成功者」は、後に脱税などで告発されたり、或いは不正が発覚して牢獄に入ったり。
または失踪して、数十年後に海底や山の土の下から一部が発見されている。
更には、実際には「社会的な成功者」どころか、会社の幹部にいいように操られていたような者もいた。
「お気持ち」とやらを優先する文化がどれだけ有害か、これを見るだけでも一発で分かる。
どんな英雄でも、基本的に正論が聞ける内は輝くほどの存在だが。
正論を聞けなくなると、それは「老害」と呼べる存在になる。
ただ、それだけの話である。
このクズの塊みたいな番組は、一体何を目的としているのか。
要するに、自分が特権階級と思い込んでいる連中が、そうではない人間に対してマウントを取る。
ニホンザルが行うような行為と同じである。
うんざりして、私は溜息を零すと。
これらの実体を、レポートに記載していく。
勿論こういった腐りきったマスコミが作り出した、腐敗そのものの権化みたいな番組についての研究例は幾らでもある。
だが、それはあくまでその時代のもの。
今、私が調べているのは。
「常識」。
恐らく最も多くの人間を不幸にした。怪異の中の怪異だ。
そんなものは存在しない。
23世紀に、AIが政治経済を本格的に管理し始めてから、この声明が正式に出されたとき。
流石にAIが政治経済を回す方がいいと判断した人々も、驚きの声を上げたものである。
それまであるのが当たり前だった「常識」などというものが。結局集団内で一番強い個体がお気持ちで回しているものだという研究結果が出たからである。
反発もあったが。
考えて見れば、おかしな事ばかりだったのだ。
良い例が「マナー講師」やらだろう。
連中が作り出した「常識」「マナー」のせいで、21世紀のビジネスはがんじがらめになり、誰も身動きできなくなった。
まともに会話も出来なくなった人も多い。
何しろ、全員が適当に違う事を口にしたからだ。
いずれ此奴らのせいで、「マナー」というものは誰もが鼻で笑う代物になって墜ち果てていくのだが。
それはまあ、当然の結果だろう。
いずれにしても常識なんてものはお気持ちの産物である事がはっきりすると。
それはある程度の混乱を呼んだが。
そもそも支援ロボットがあまりにも円滑に意思疎通をサポートしていく時代が到来したことで。
やがて誰もが納得していった。
私は、その「アフター常識」とでもいうべき今を研究しているのではない。
「常識」が猛威を振るい、場合によってはそれにそぐわない人間を容赦なく死に追いやった事を調べている。
恐らくだが、天変地異なんぞよりもよっぽど多くの人を不幸にしただろう、最悪の怪異である。
私としても、これは食いたくない。
かわいげがあってそのまま頭から囓りたくなる怪異と違って、こいつははっきりいって人の業そのもの。
糞尿にも劣る、汚物の中の汚物だ。
歴史の汚点。
人類が作り出した最悪の創造物。
それが常識、だろう。
なお、常識というのは実際には仏教用語だが。汎用性が高いのでこの言葉はそのまま利用する事とする。
ため息をつきながら、資料を集めていく。
レトンがコーヒーを淹れてくれた。
ちょっと胃が荒れ気味だからか、とても優しい味だった。
「ありがとかあちゃん」
「ストレスが掛かる作業のようですね。 作業時間を区切りましょう」
「分かった、そうするよ。 ちょっと口直しがほしいかなあ」
「音楽が良いでしょう。 リラクゼーション用のものを適当に選びます」
任せる。
レトンが言う通り、一時間ほど作業をした後、一度レポートを切り上げる。
常識を怪異として扱う。
これについては、困惑する声も見受けられたが。まあそれはそれで良いのだろう。
これほど人を縛った言葉は他にない。
個人の中でそれぞれ違っているものなのに。
これに沿わない存在には、何をしても良いと思う人間が余りにも多かった。
それを迷妄。
そして更には怪異と言わずして何というか。
未だに常識を怪異というと困惑する人間がいると言うのは、それだけ今でも呪いとして強烈に人間という種族の心を縛っているからだ。
群体生物として、人間はやっていくために色々なものを作り出した。
その結果として、思考停止をするために必要な宗教や。
それに準ずるものとして、常識を作り出した。
時に、希にそれは良い方向に作用することもあったが。
多くの場合蛮行を正当化させ。
挙げ句の果てには大量虐殺を引き起こしても、「相手に常識がないのが悪い」というとんでもない言い訳をさせたのである。
それが、人間という生物だ。
ようやく、この呪縛から人間は自由になれる土台が整ったのに。
まだ残念ながら。
人間は呪縛を解き放つことが出来なかった。
愚かしい話である。
多様性だなんだと口にしていた人間が、もっとも多様性を弾圧したような。
それは醜悪で。
私でも食いたくないと思わされる。愚かしすぎる怪異だった。
ともかく、これについては研究していると、本当に深淵から伸びてきた触手に掴まれて、引きずり込まれそうになる。
自分が生きていた時代の常識であった一神教を否定し、新しい世界を作ろうとした人間は西洋にもいたが。
いずれもが理解を得られずに、ろくでもない末路を遂げている。
中には、深淵に引きずり込まれてあっち側に精神が行ってしまった存在もいる。
音楽で、少し落ち着く。
私は、伸びをして、少しリラックスしていた。
「はあ。 ちょっと考えるの止めるわ」
「精神に負担が大きい研究かと思います。 それにしても、今回はどうフィールドワークするんですか?」
「今回は、ネットコミュニティに潜ろうと思う」
「というと、実験的国家等ですか?」
頷く。
今まで、仮想空間内に、人間だけでやっていく国家を何度も実験的に作る試みが行われた。
AIに政治経済を任せるのでは無く。
人間がやっていく方法を、模索したい。
そう考える人は、なんぼでもいたのだ。
だが、それを力尽くでやれば、多くの静かに暮らしている人々の生活を無茶苦茶にもする。
ましてや今の時代は、20世紀や21世紀とは違って、人間の幸福度が尋常ではないのである。
そこにいきなり畑を自分の手で耕して50には死ねとでもいうのか。
ということもあって、まずは実際にどうすればいいのかを試してみて。
それで良さそうだったら、自治区を作ってと言う方法を模索するようになっているのだが。
そういった試みは。
AIが一切合切介入していないにもかかわらず。
悉く失敗していた。
AIとしても、自身で散々シミュレートして、そういった方法がないかを調査しているらしいのだが。
民主主義といいながら、実際は緩和した貴族制に過ぎなかった状況や。
資本主義といいながら、実際はただの無法経済方式だった状況。
共産主義といいながら、平等には程遠く大半の人間は極貧で、ごく一部の人間だけが富を独占していた状況。
愛による統治を歌いながら、現実にはただのカルトによる洗脳支配などなど。
歴史上存在した、ろくでもない政治体制を越えるものが全く出てこないそうだ。
事実として、仮想空間上に作られる擬似的国家のもくろみには、多数の人間が参加するらしいのだが。
いずれもが、ロクな結末を迎えない。
現実社会の人間にまでろくでもない影響を与えるので、支援ロボットも困っている状況が多い。
そういう結論を聞いていた。
咳払いするレトン。
「分かっているとは思いますが……」
「うん、分かってる。 とにかく闇が深い研究だ。 だから私も、気を付けて取りかかる事にするよ」
「今回ばかりは、仮想空間に作った実験国家のデータを、デスクワークで集めるだけでもいいのではありませんか」
「それは南雲先生に任せる。 南雲先生も、結構乗り気だし」
南雲は元から、資本主義的な傾向が強い。
野心が強く、自分で稼いだ金で贅沢をしたいという、基本に忠実な欲求の持ち主である。本人もそれは否定していないし。公言もしている。
ただし、いきなり現在の平穏な態勢を破壊して、資本主義とは名ばかりの経済的無法地帯を作るつもりはないらしい。
最近聞かされたのだが。南雲もこういった実験国家の試みには参加していたらしいのだ。
それで散々人間の闇を見たらしい。
仮想空間にある実験国家だ。
実体がないから、処刑とか死刑とかも平然と行われる。
南雲は何度か参加したが、凄まじい人間の業に身を焼かれるような目にあい。
それ以降はかなり行動が慎重になったそうだ。
現在は、可能な限りルール内で自分が豊かに暮らす方法を模索しているらしいが。
AIの作る法は人間の悪知恵を既に凌駕しており。
基本的に、法の抜け穴をつくような事は出来ないと、零していた。
まあそういう言葉だけ聞くと、南雲は危険人物だし。
実際に過去にいたら詐欺とかやっていた可能性があるが。
現在の社会では、南雲も法を犯さないで生きる事が出来る様になっている。
それでも、不満は多いのだろうが。
幾つか調べて見ると。
現在も稼働している仮装空間上の実験国家はある。
やっぱり。AIに政治経済を管理されている現状を気にくわないと思う人間は多いのだろう。
かなり若い人間が、積極的に試みに参加している様子だ。
その中で、比較的若い仮装空間上の国家にまずは参加してみる。
若いというのは、歴史的な意味でだ。
現時点で、一万人ほどが参加しているらしい。ただし、あくまで自分に出来る範囲内でだ。
こういった実験国家には、特性をプログラミングしたNPCを参加させる事が基本であり。
多くの場合は、動物などをそうやって補う。
動物などは殆ど解析が完了しているものもあり。家畜などは特にそうだ。
そういった動物は、仮想空間内に完璧に再現出来る。
中には国家規模を上げるために、人間のNPCを大量に作成して。実際に参加する人間は政治経済だけを担当、なんて実験国家もあるらしいが。
そういったものは、例外なく破綻している。
結局の所、現在は都市国家レベルから、人間だけが参加して上手に現状以上の体制を作れないか模索している者が多いそうで。
仮想空間での時間加速を利用して、上手く行く場合は何百年か廻せるそうだ。
ただしそれらも、ろくでもない政治体制が横行し。
参加した人間は、二度とやりたくないと誰もが零し。
皆、実験参加を止めて今の社会に戻っていくそうだが。
もしも人間が、何かあったら簡単に変われたり。
勝てないと分かりきっていても、立ち向かっていく勇気のある……強い心の持ち主ばかりだったら。
こんな実験を、散々繰り返さなくても良かったのだろう。
だが現実は違う。
悲しい話である。
私は、参加する実験国家を決める。
良くしたもので、上手く実験国家が成立する過程を見たいと、研究目的や興味本位で実験に参加する者はそれなりにいるらしい。
中には実験国家に過去参加して、酷い目にあった人間が。観察オンリーで参加するケースもあるらしく。
それなりに、実験国家の注目度は高いそうだ。
私は敢えて、直接参加する。
それがフィールドワークだからだ。
「私も参加しましょうか」
「それなら、何かしらのサポート要員としてよろしく」
「分かりました。 それでは、そうさせていただきます」
参加申請はすぐに通る。
ちなみにこういった実験国家は、役所も参加しているが。基本的に介入は最悪の事態が起きた場合以外はしない。
最悪の場合というのは、内部で虐殺が正当化されたり、あまりにも非道な独裁体制が正当化されて。
そして参加している人間同士が、仮想空間内とはいえ、秩序を失って殺し合いを始め、収拾がつかなくなったような状況の事だ。
そう言った場合は、実験を中止するが。
それ以外では実験には介入しない。
ひょっとするとだが。
AIの方でも、人間の可能性には大いに期待しているのかも知れない。
そう思うと、何だか滑稽だなと感じるのだった。
ともかく、久々に仮想空間にダイブする。
VRの技術は、21世紀に想像されていたものよりも、ずっと進んでいる。
ゴーグルなんて必要ない。
いったんこういった仮想空間に潜ると、後は超加速した時間の中で過ごす事になるのだが。
その間は、体はベッドに寝かされ、支援ロボットが世話をする。
要するに寝ているのと同じ状態で。
立体映像などを駆使して、本人は仮想空間内で動き回る事が出来る。
中には体感型ゲームなどで、この仕組みをフル活用しているものもあるのだが。
やはり実験国家などの試みの方が今は強くなっている。
理由は簡単。
本人に与える影響が小さくないからだ。
普通のビデオゲームであれば影響は我慢できる範囲に収まるのだが。
やはり自分自身がルールのある別世界で動くとなると、どうしてもそれの影響を精神が受けて引きずられる。
そしてルールのある世界である以上。
いわゆるチートの類は当然犯罪になるし。
自分だけユニークスキルを得て好き勝手をする、などと言うことは許されない。
そういったデザインをした実験国家もあるにはあるが。
最強の力を持った一人が、瞬く間に最悪の独裁者と化すらしく。
数千回の実験を経た結果、好ましくないと判断されたそうで。今では人気がないそうだ。
21世紀には大人気の題材だったそうだが。
現実とはこういうものである。
さて、仮想世界に降り立つ。
周囲には、城壁。
そして、粗末な服を着た人々が行き交っている。私は、周囲を見回すと、レトンを呼ぶ。
レトンは、肩にとまった。
鳥の姿をしているらしい。
「私はあくまで支援だけに徹します。 情報収拾などは自分で行ってください」
「分かった」
私は、今と同じ姿でいる。
ただし、肌の露出などは控えた。
この実験国家にあわせたのだ。
参加する前に幾つか調べた。どうもこの実験国家、最初は数十人から初めて。畑を耕し森を切り開いて、此処までの都市国家に時間加速を利用して千年足らずでこぎ着けたそうだ。
現実では二ヶ月も経っていないのだが。
さて、見て回るか。
そう私は、街の中を歩き始め。フィールドワークを開始していた。
1、果てしない愚行の連鎖
男性は皆髭を生やし。
女性は皆、露出を減らした服を着て行き交っている。逞しい体の男性と、やたらグラマラスな女性が目だった。
何というか、分かりやすいな。
私はそう思う。
魔法とかがない世界だと、どうしてもこれが最適解になる。
実験国家の中には、魔法やそれに遜色ない現在の超技術を最初から持ち込んだものもあったそうだが。
この実験国家は、現実と同じ物理法則と。
技術は最初から開発する方式を取っている。
そうすると、人間は思い知らされるのだ。
青銅ですら、人間が四苦八苦の末に、大変な時間を掛けて作り出したものだと。鋼鉄に至っては、初期は山から吹き下ろす風を利用したり。炭素などの含有量をどうにか調整して、必死に試行錯誤しながら何日も掛けて作っていたのだと。
テレビなどの映像モニタを使う事は誰にでも出来る。
だが、それを一から作り出すことが出来る奴がいたら、それは変態の領域に達している天才だろう。
天才というのは例外なく変態である事が、現在では既に分かっているが。
いずれにしても、こういった実験国家では。
人間の基礎スペックを上げる事が最適解となるわけだ。
千年経過する間に、実験国家内では容赦なく年を取る。死ぬと別の人間をデザインしてまた開始する。
他の方式を採っている実験国家もあるようだが。
此処ではそんな、疑似輪廻を採用しているようだった。
私はまず、石造りの街を歩きながら、自分の家を探す事にする。
最初だけは、自分の家と最低限の身の回りのものは用意される。ただし、それも文明の発展にあわせて。
此処のトイレは当然水洗ではないので、汲み取り式。
一からやっていけば、それも当たり前か。
上水はなんとかあるようだが。それも井戸を共用で用いるタイプ。井戸は綺麗とは限らない。
下水に至っては、街の中で腐臭を立てている有様で。
飼われている豚が、我が物顔に彼方此方を歩き回っていた。豚の姿はむしろ猪に近いほどだ。
「古い時代の欧州みたいだね」
「いえ、それよりは多少は文明が進展しているようです」
「これでもまだマシなのか……」
呆れたが。まあ確かにローマ帝国が崩壊し、ゲルマン民族が好き勝手にやるようになった欧州はこんなものだっただろうなと思う。これでもまだ暮らしやすいほうだと。
恐らくだが。実験国家を一から作ってきた人達が、過去の知識を持っていたのだろう。
だから同じ失敗をしないように色々四苦八苦しているが。
それでも、自分の手でやってみるとこんなもの。
つまりは、そういうことだ。
自分の家を見つけたので、中に入る。
埃っぽくは無いが、おっそろしく冷たい。
そういえば、石造りの昔の欧州の家では、寒さがあまりにも深刻だったという話を聞いたことがある。
まあこれを見る限りはそうだろう。
私は頭を掻きながら、まずは家具などを確認。
規格がいい加減で、ちゃんとしまらない木製の様々な家具。
それに、桶。
大きなものもあるが、これが風呂代わりだ。
昔の欧州では、一月に一回風呂に入れば良い方だった。それが史実なのだが。
まあこの状況では、それも当然だろう。
水を汲んでくるだけで一苦労どころじゃない。
それを湧かすには、大量の薪だっている。
肩にレトンをとめたまま、幾つも確認をしていくが。これは、人が定着しないのも当たり前だと私は思った。
人間らしい生活を。
そう叫ぶ人はなんぼでもいた。
AIが政治経済を回すようになって、これは人類の敗北だと声高に叫ぶ存在は幾らでもいたのである。
では、人間が、人間らしい生活をしてみたらどうなるか。
これが結論である。
ため息をつくと、まずは家の周囲を見て回る。
みんなムキムキかバインバイン。中には女性でもムキムキにしている人もいる。
そりゃあそうだろう。
この状況だと、外に出るだけで命がけだ。
ドアをノックされる。
入ってきたのは、髭だらけの気むずかしそうな男だった。徴税吏だという。頷くと、話を聞く。
新しく国民になった以上、労働の義務がある。
納税の義務も。
それについては、全くかまわない。
フィールドワークの一環としてここに来ているのだ。徴税吏は、気むずかしそうに肩にとめているレトンを見た。
「その鳥はさっさと食べてしまうなりして、処分した方がいいでしょうな」
「そんな事は私の自由ですが」
「自由だと? 愚かしい事を口になさるな。 此処にいる以上、此処のルールに従うのが当然だ。 それが嫌なら、出ていけ」
「いきなりですね……」
この実験国家に関しては調べてある。
ある一定ラインから全く住民が増えなくなったと聞いている。その結果、疑似輪廻も上手く回らなくなり。
都市国家の規模も大きくならなくなったそうだ。
こういった役人は、みんな古参住民が疑似輪廻を回しながら独占しているそうで。
新しく実験国家に入ってきた住民は、みんな労働を強制され、税金を納めなければならない立場らしい。
まるで過去の北米だな。
そう思って、苦笑する。
国家としての北米は、最初に北アメリカに上陸した住民の子孫が実質的な貴族階級だった。
その子孫が大統領になるのが暗黙のルールになっていた。
数百年程度の歴史しかない北米ですらそうだったのだ。
それは、千年も掛けてやっと都市国家を建築したのなら、自分達が作りあげたという自負もあるだろう。
だが。この傲慢さはどうだ。
私が呆れているのを見て、徴税吏は不愉快そうに羊皮紙を突きつけると、出ていった。
レトンが内容を翻訳する。
「この都市国家独自の言葉を用いているようですね。 内容的には、税金の額と、労働の決まった時間についてです」
「この数字、ひょっとして12進法?」
「そうなります」
「実際に使っている人がいるんだ……」
実験国家としても驚きだ。
現在、10進法が当たり前に使われていて。そして2進法や16進法は、コンピュータ関連ではメジャーな数え方だが。
「合理的な可能性が高い」とされていた12進法は、結局実社会のメジャーストリームで使われる事はなかった。
この実験国家では使っているのか。
多分、合理的な可能性が高いと考えた初期メンバーが使うことを提案したのだろうなと、私は思う。
だが、結果として。
却って新参には居づらくなってしまっている。
調査で調べた所によると、この実験国家内の時間で、数日も保たずに逃げ出す新参が大半を占めると聞いていたが。
それも納得である。
「以降はボイスのみで支援いたしますか?」
「いや、せっかくだからしばらくはそのままでいてくれる?」
「分かりました」
着替えは1丁だけか。
つまり服を駄目にしたら、襤褸にくるまって生活するしかなくなる。
そして足下の不安さはどうだ。
木靴の存在は知っていたが、硬いわ痛いわで、今の時代の靴がどれだけ進んでいるのかよく分かる。
技術的な改善点は幾らでも思い当たるのだが。
現実的には、改善したくとも、実際にやってみると上手く行かないのだろう。
此処の初期メンバーにしても、ずっと実験国家にいるわけにもいかない。時々自分の生活をしているはず。
その間に、技術については調べてくるのだろう。
だが残念ながら、半導体を用いた基板を作るのには、相当な高度テクノロジーが必要なように。
青銅一つ作るのだって、相当に大変で。
技術を知っていたからと言って、試行錯誤で再現出来るものではないのだ。
あのローマ帝国だって、蒸気機関の開発寸前までいったらしいが。大事故を起こして、計画は中止。
以降は。封印技術になってしまった。
現代の人間が、幾ら知識を持っていようが。
基幹となる技術がなければ、再現なんてできっこないのである。
「身の回りの物資はこんなもんか。 これはヒャッハーな世界だなあ」
「如何なさいますか?」
「まずは社会の仕組みを確認する。 でも、この様子だと……」
「クリティカルな犯罪に巻き込まれて殺されたり、或いは強姦される可能性も低くないでしょうね」
レトンの言葉ももっともである。
こう言う場所だと分かっていてもなお、人間は「生命力が溢れている」とか賛美する事がある。
何が生命力が溢れているだか。
私は呆れながら、まずは街に出ていた。
仕事を探して回る。
新参を無視して身内ルールを適応する業界はなんぼでもある。その身内ルールが常識である。
それを見に来たのだが。
此処では、それも例外ではないようだった。
ふんぞり返って街を歩いている輩に、独特の姿勢で傅かなければならないようだ。私は路地裏に引っ込むと、その様子を見守る。
取り巻きを連れて街を歩いている輩は、どうやら疑似輪廻でこの街を回してきた、初期メンバーの一人らしい。
この実験国家を最初に作ったメンバーは、疑似輪廻で交代しながら街を回しているそうだが。
それは要するに利権の独占で。
貴族制と何も変わらないだろう。
更に言えば、初期メンバーも既に結束は失われているらしく。
街を上手く発展できなかっただの云々で。
外では既に喧々諤々にやりあっているそうだ。
現実社会に影響を及ぼしている、というわけである。
この実験国家を開始する前は、仲が良かったそうだが。
権力を独占している輩が通り過ぎると、街の人間達は仕事に戻る。ひそひそと声が聞こえてきていた。
「何世代働いても、なんで俺はずっと貧しい人生ばっかりやらされてるんだ?」
「お前が無能だからだろうが」
「なんだと貴様……」
「あいつら「最初の者達」が重要なものは全部独占してるからな。 武器もだ。 俺はもう何世代かやってみて駄目なら、此処を抜けるつもりだ」
ひそひそと声が聞こえるのを聞いておく。
これでもフィールドワークで鍛えているのだ。
なるほどね、と思いながら聞いておく。
どうやら、この街では、権力を握っている連中が最初に実験国家を始めた連中達。そして、その下にいる兵士達は。ある程度発展が始まってから、新たに実験国家に加わった者達らしい。
疑似輪廻を繰り返しても、そもそも「都市の発展への貢献度が」だのなんだので。後から入ってきた人間が成り上がるチャンスはないのだそうだ。
馬鹿馬鹿しい話だなあと思う。
まるでインドに存在していたカースト制度ではないか。
それを仮想空間でまで再現するとは。
如何に時間加速を利用しているとは言え、所詮人間は人間なんだなあ。
そう思って、私は呆れながらも、情報を集めていく。
貧しそうな男が、私の方を値踏みするように見ていた。私は大きく咳払いすると、男はあわてて去って行った。
あれはチャンスがあったら、路地裏に引きずり込んで強姦しようとでも思っていたのだろう。
此処では犯罪がそもそも犯罪として弾劾されない。
外だと、そんなことやったら一発でアウトだし、そもそも実施できない。
だが、犯罪を一度やってみたいと、どうしても興味が湧く輩はいるのだろう。
そういうのが、実験国家に来る事はあるらしいし。
更には、実験国家に参加してみたはいいものの。
現実を見せつけられて、どんどん心が腐っていく人間はいるらしい。
レトンが懸念していた奴である。
最終的には、かなり念入りなカウンセリングなどをしないと、社会復帰が不可能なケースもあるとか。
なるほど、疑似国家を作ってAIの支配から逃れよう何て言葉が、上手く行かないわけだ。
今の時代のAIは滅茶苦茶公正だ。
だからこそ、人間だけで回す国家が如何なるものか、実際に体験してみると嫌になる程分かる。
此処にいる連中が「生の人間」で、「美しい」というのなら。
私はそれを真正面から否定する。
労働を探しに行くが。どこに仕事があるのか。
水商売は当然あるようだが、冗談じゃあない。
南雲はむしろ興味本位で参加するかも知れないが、私はわざわざそんなことしてまで……フィールドワークならありかなと、考え直すが。
まあそれはそれ。
いったん後回しにする。
機織りとか、そういう仕事はないのか。
見て回るが、そういうのもないようだ。
肉体労働ばかりである。
まあ、仕方がない。出来る範囲での肉体労働の仕事をやることにする。それでも、結構大きな石を運ぶ仕事だ。
吟遊詩人とかは出来ないかなと思ったが。
どうもこの実験国家では、そもそも文化を禁止しているようなのだ。
石を運ぶ仕事を始める。
てこやころを用いるので、屈強な男でなくともなんとか出来るが。それでも、凄い危険労働だ。
石を運んでどうするのかと思ったけれども、ともかく必死になって石を押す。ただでさえボロボロの服がもっとぼろぼろである。
そりゃあ、ムキムキにするよなあ。
そう思って、ふんぬふんぬと石を押す。
フィールドワークで相応に鍛えている方なのに。全くというほど無理がある。何をさせられているのか。
そのまましばらく石を押していると、やがて鐘が鳴る。
昼メシであるらしい。
パン一個。
それも、原始的なパンで。麹も使っているか怪しい。
硬いわ味はしないわで、とにかくとんでもなくまずかった。思わずうっと呻いてしまう。なお、食事はそれだけである。
「これ、人が定着しないのも当然だわ」
「無駄口を叩くな!」
いきなり鞭が飛んできた。
顔を庇うが、手に凄まじい痛みが走る。
周囲が、ギャハハハとか笑った。
そして、私に群がってくると、いきなり囲んで蹴り始めていた。それも屈強なムキムキの連中がである。
レトンが潰されて、側で死んでいるのが見える。凄まじい形相の者達は、男も女も関係無く、私に罵声を浴びせていた。
「犯せ!」
「肩に鳥なんか乗せて、気取ってむかつくんだよ! やっちまいなあ!」
骨が何本か折れ、鞭で出血している。意識がもうろうとしている中、服が無理矢理剥がされるのがわかった。
そこで、意識が途切れて。
私は、仮想空間から、戻って来ていた。
側にレトンがいて、座っている。
「あー、戻してくれたの?」
「いいえ。 蹴りが脳に致命傷を与えて、それで主は死にました」
「ひーえ。 たった一日ももたなかったか。 これでも、そこまで評判は悪くない実験国家だったのに」
「興味本位で新規参加する人間に対して、特に当たりが強い実験国家のようです。 特にここ十年……実験国家のある仮想空間内での時間ですが。 ここ十年では、新規参加者は半日ももたないようですね」
身を起こすと、痛みが残っているような気がしたが。
勿論それは、もうなかった。
なお、軽く実験国家を見てみると。
私の死骸を笑いながらムキムキの男共が死姦したあげく。
死んだと確認した後は、切り刻んで焼いて食っていた。
それだけで、気が弱い人間は吐き気を催したかも知れないが。
私は、呆れながら見ていただけだ。
女性も笑いながらその様子を見ているだけで。蹴りを積極的に私に入れていたのは、むしろ女性の方が多かった。
私は、本格的に呆れた。
「これ、参加してる人間大丈夫?」
「今この実験国家に参加している人間は、体制側の人間か、残りの殆どが開き直って体制に従いつつ犯罪を楽しんでいるようです。 実社会に影響は当然あるので、カウンセリングを毎回受けています」
「まだマシな方の実験国家の筈だったのになあ」
「実際まだマシな方です」
更に呆れる。
だが、これも実験だ。
まあ実の所、仮想空間で擬似的に殺された事は一度や二度ではないし。別になんとも思わない。
それにしても、あの実験国家。
肉をああやって入手していたのか。
ふと思い当たった節があるので、実験の継続を申し出る。
レトンはしらけた様子で言う。
「やめておいた方が良いかと思います。 主は元々かなり変わった精神の持ち主なので、あのようにはならないかとは思いますが……精神的に良い影響が出るとはとても思えません」
「ああ、それについては問題なし。 デザインとか色々弄くるから」
女性ですらムキムキにしている理由がよく分かった。
一回で止めなかった人は、ああやってムキムキにすることで、過激な肉体労働や犯罪に耐え。
更には自分が暴力を振るえるようにしていた、ということだ。
勿論私はそんなつもりはない。
いずれにしてもはっきりした事がある。
あの実験国家は。
近いうちに崩壊する。
あの実験国家では、あまりにも手前勝手すぎる常識が、何もかもを縛っている。
「最初に実験国家を作り始めた連中は無条件で偉い」。
「その次に入ってきた人間は常識として武器を独占している」。
「それ以降に入ってきた人間は更に後から入ってきた人間に好きなだけ暴力を振るっていい」。
これらの常識が、あまりにも無様に絡み合った結果、あのような状況を作り出している。
そう冷静に、私は分析すると。
レトンは嘆息していた。
「それが分かったのなら、充分では?」
「いいや、他にも幾つか試してみたい事があるから」
「精神に悪影響があるのならとめますよ」
「そうして。 かあちゃんにはいつも世話になる」
もう一度レトンは、どうしてもとめたいという顔をしたが。
私がノリノリなのを見て。
色々と諦めたようだった。
私はスケジュールを決め始める。
常識という怪異が如何に暴走して、人間を食い荒らすのか。
多分、南雲も良いデータを採ってくるはずである。
私はレポートを黙々と書いていく。
ひょっとすると、あの実験国家を作っている連中が噛みついて来るかもしれないが。そんなんはどうでもいい。
あれだけ無茶苦茶な実験国家は、いずれ崩壊するし。
それまでに、データを取るだけ取る。
それだけのことだ。
2、瓦解するもの
何回か試してみる。
どうも私が何度か入っている実験国家のボスは、私が毎回実験的に色々動いている事を察知しているようで。
私が仮想空間の実験国家に入ると、非常に不機嫌そうな徴税吏が毎回来る。
新規で人が来たんだぞ。人口が伸び悩んでいる国家に。喜べよ。
そう言いたいが。
私もそこまで性格が悪くない。
今日は、よぼよぼの老人の姿で入っている。それで、街に出て、物乞いでもしてみようかと思った。
勿論、この街の住人がどういう連中か知っての上でだ。
たちまちに、チンピラが集まってくる。
分かりやすいなあ。
文化が禁止というルールが、この街では絶対になっている。それは、このチンピラ達には娯楽を提供する事にもなっている。
爺、死ね。
そう口から泡を吹いて喚きながら、暴力を振るってくる禿頭のチンピラ。勿論ひとたまりもない。
物乞いをしただけで撲殺、と。
私は痛みを途中から設定でカットしているので、特に何とも思わない。
すぐにキャラクリエイトして次に。
次は、まだ幼い女の子だ。
ぽてぽてと、同じ家から外に出ていくと。
ものの五分で、路地裏に引きずり込まれた。
生理も来ていないような幼子だが、なんの問題もないらしい。
そのまま服を引き裂くと、性欲を満たし始める暴漢ども。弱そうな格好でこの実験国家に入ってくる方が悪い。
そういう「常識」が、この者達を動かしているのだ。
私はさっさと意識を切る。
悲鳴を上げても、助けてといっても。兵士達もポルノでも見るかのようにニヤニヤしている有様。
常識に背く方が悪い。
そういう理屈で行動しているから、こうなる。
それだけの話である。
20世紀くらいからよく見かけられた、犯罪にあうのは隙があるのが悪いとかいう理屈。それが如何に腐っているのか、身を以て体験できる。
ついでに人の本質は光だとか言う言葉が大嘘であるかも、である。
全く持って、お笑いぐさだ。
法がまともに機能していない状況では、人はこの通り。野獣以下である。
さて、入っては殺され入っては殺されを繰り返し、その度にデータをレポートにアップデートする。
あまりにもグロテスクな内容に、流石にレポートを見た人間が騒ぎ始めたようだった。
勿論、実験国家のデータは公開可能である。そもそも実験国家に参加している人間はアバターを纏っているのだ。役所ともきちんと話した上でのフィールドワークであるのだから、文句を言われる筋合いは無い。
また、基本的に実験国家への入国拒否は禁止。
更には、情報の封鎖も禁止となっている。
これは理由としては、今までに何度もあったからだ。実験国家の悪影響で、自殺を試みたりする者がいたり。
現実で犯罪を起こそうとする者がいたりといった事が。
それも納得出来る。
そして、自分で確認してはっきりした。
人間はそもそも、最初の法をどこでもこう作る。法でなければ、宗教でそう定義する。
殺すな。奪うな。犯すな。
逆に言うと。
そう決めなければ、人間はそれすら守る事が出来ないのである。
これらの実験国家では、法制定からして人間にゆだねられている。結果として、人間内で常識が生成される。
其処にはないのだ。
殺すな。奪うな。犯すな。が。
さて、次の実験国家に行くか。
そう思って、得られたデータをレポートにアップデートする。
仮想空間内では時間を加速させている。このため、三日のしかも飛び飛びに休みを入れながらの調査で、いとも簡単に三年分ほどのデータを取ることも出来る。
今回は実験国家、それも比較的評判がいいものでこれだけのフィールドワークを行う事が出来た。
それで、充分過ぎる程だった。
伸びをしていると、南雲が連絡を入れてくる。
「だ、大炎上しています……」
「そうですか。 私はただ事実をレポートに載せただけですよ」
「件の実験国家の経営者がヒステリックに抗議をしているようですが、袋だたきにされていますね。 恐らくですが、間もなく行政が介入すると思います」
「まあ、妥当だろうね。 あれでまだ評判が良い国家だっていうんだから、なんともはや」
私の呆れる声を聞いて、南雲は若干引いたようだった。
そのまま、私は寝る。
散々殺されまくったことは、別になんの影響も心身に与えていない。最初からこんなものだと理解していたし。
むしろ、常識というものが、如何に貧弱であり。
それでいながら、如何に人を不幸にするのか、良く理解出来たので。
すっきりした程だった。
翌朝。
起きだして、歯を磨いて顔を洗って。
そして朝食を取っていると、レトンがメールが来ていることを告げる。南雲からではないらしい。
まあいいか。
おいしいレトンの朝食を食べる。
本当にあの実験国家で食べた飯は悉くまずくて、おぞましい程だったが。
実は後からの調査で、支配階級の連中はそこそこにまともな肉などを食っていたことが分かっている。
それどころではない。
そもそも支配階級の連中は、敢えて開発を遅らせて。都市の規模を拡大しないようにすらしていたらしい。
都合が良い支配には、人間が少ない方が望ましい。
本気でそう考えていたようだった。
その結果があれだ。
そんな頭の連中が支配しているから、犯罪目的でチンピラが入ってくる。そのチンピラ達も、現実ではそれほど問題行動を起こしているわけでもない。
色々な実験国家で、仮想空間……それも犯罪を起こして良い場所で、犯罪を起こす楽しみを知ってしまった者達だ。
今の時代は犯罪なんか現実ではやろうとしてもやれないから。どうしても興味を持つ者は出てくる。
そして興味本位で実験国家に行き。
屈強な肉体をアバターにして犯罪を犯している内に。
ああやって、人間を殺すことも。
犯すことも。
殺した後にバラバラにして肉を食うことも。
平気でやるようになる、というわけだ。
人間に必要なのは常識では無く法だ。それがよく分かる。私は、それを身を以て理解しただけだと、冷静に判断していた。
美味しいレトンの作ったご飯を食べ終えた後、メールを確認する。
「何々……おっと行政からだね」
「……」
「あの実験国家、潰れたって」
「はい」
まあ、レトンは知っているか。
昨日の夜23時ほどに、行政のAIが査察を入れた。
今までも査察はあったらしいのだが、実際に起きている事を確認して、それで問題があると判断したのだろう。
散々殺戮をしていたような連中の中でも目端が利く輩は、既に引き上げていたらしいが。残念ながら、今の時代の行政はログを容赦なく辿って行動をしっかり追跡する。
眼に余る何人かは、以降実験国家へのプログラム参加を禁止されたようである。
それはそうだろうな。
そうとも思った。
実際問題、かなりの悪影響が出ていた。今までは上手に現実世界で誤魔化していたのだろうが。
それでも、そのまま放置して行けば現実世界でああいう行動を取ってもおかしくなかっただろう。
現実と空想の区別をつけるという言葉があるが。
仮想空間に作ったものとはいえ、あれは延長線上の現実だ。
他のアバターを着込んだのは人間であることも珍しく無い。
NPCを用いるケースもあるが、あの実験国家は全てを人間が回していた。
それを考えると、確かに看過できる内容ではないだろう。
それ以上に厳しい罰則を科せられたのは、あの実験国家を作り、特権階級として疑似輪廻を繰り返していた連中だったようだ。
どういう罰則が与えられたかは、レトンも知らないようだったが。
いずれにしても、恐らく実験国家の作成などにペナルティが入ったのだろう。もしくは、催眠教育で再教育でも入ったかも知れない。
軽くレポートを見てみる。
炎上は、起きていなかった。
というか、行政の手が入ってまずいと判断したのだろう。
炎上の原因となっていた実験国家を作っている連中は、即座に引き上げ。
それをリンチしていた連中も、これはまずいかと思って撤退したのだろう。
後は、いつもの私の奇怪なレポートを楽しんでいる連中だけが残った。
そういう事らしかった。
むしろ、理性的にレポートを見ている者が多くて少しだけ安心する。
学者も、何名か見に来ているようだった。
「このデータは興味深いが、しかしながらここまで体を張って実験国家が失敗国家になっている事を証明するとは。 ガッツがあると言うか、根性があると言うか……」
「主観視点のデータ、客観視点のデータ、どちらも記載されているから信憑性が極めて高い。 後で引用できるかも知れないな」
「もう少し内容が充実したら、うちのアカデミーで引用して授業に用いるかも知れない」
「それも良いだろう。 私は私で、別の方向から研究してみるよ」
そんな会話が為されている。
私は伸びをすると。
これは怪異の研究。常識という怪異の研究である事を、もう一度レポートに付け加えたのだった。
水上都市になっている実験都市に出向く。
基本的に実験都市に入るのは禁止されていない。少なくとも私は、である。
そもそも私は、何一つ実験都市で問題を起こしていない。
実験都市であることを言い事に犯罪を犯しまくっている連中や。それを明らかに放置して、裸の王様になっていた連中は。それはペナルティは当然あるだろうが。
私にあったら、それはそれで困る。
人治主義になるだろう。
水上都市は、パンフを見ると綺麗なのだが。現実に近くに行くと、水路はドブも同然で悪臭が漂っていた。
此処は水際の土地を如何に開発するか、という点を主眼にした実験都市で、既に600年ほど続いている。
前の実験都市と同じく、比較的評判が良い場所だが。
此処も大して前と変わらないなあ。
そう思う。
最初は、以前と同じ。私とほぼ同じ姿のアバターを用いる。肩に鳥。中身はレトンのアバターを載せるのも同じ。
軽く解説を受けながら、まずは自分の家に出向く。
酷い実験国家になると、こういった家すらもない場合があるらしい。
この実験国家は城壁で守られていないな。
そう思って、森の方を見る。
森は鬱蒼としている。
森を切り開こうとしている努力も見受けられない。こういった、最初から始める実験国家の場合。
最初の内は森を切り開いて、文明圏を拡大する行為はそれはそれで仕方がないものだ。
ただ。こういったテンプレとして用意されている環境は、基本的に地球に準拠している。住んでいる生物なども、である。
これは元々人間が地球に住んでいる生物だから、で。
人間の基礎能力を上げている実験国家や。
或いはある程度の文明がある状態から開始する実験国家を除くと。
基本的に地球で行うのが、こういった実験国家の主題になる。
理由は簡単。
AIによる現状の政治経済の管理を、どうにか人間で行えないかというのが実験の主旨であり。
それには、地球で同じ事をやらないと意味がないから、だ。
なお、昔は22世紀くらいの環境で実験国家をやるのが流行ったらしいが。
それだとほぼ確実に上手く行かないことが判明し。
今ではこうやって、まずは文明を構築する所から開始しているらしい。
ただ、手をかざして見るあの森。
どう考えても、大型の肉食獣。熊やら虎やらがいるだろう。狼はまだそれほど脅威ではないが、最悪なのが野犬だ。
それに、この水路。
さっき、大型の魚が行くのが見えた。
あれは鮫かも知れない。
水の臭いが酷くよどんでいるが、これくらいのよどんだ水でも平気な魚や水棲生物は普通に存在している。
オオメジロザメなんかは良い例で、多少の汚れくらいは全く苦にしない。
遠くから……正確にはパンフを見る分にはよさげな街なのに。
実際に来てみると、散々な場所だな。
そう、私は思った。
自宅に着く。
どうやらもう土地が不足しているらしく、いわゆるボートピープルにならざるを得ないらしい。
そもそも新規の住民が入れないような実験都市になると、家さえない場合もある。
それにくらべると、新規住民用の家があるぶんだけマシだと言えるが。
それでもこの環境は。
まず、家がぐらんぐらん揺れる。
そして、徴税吏らしいのが来たけれども。
どうやらNPCを使っているらしい。
レトンと一瞬でやりとりをして、出ていった。
「詳しく話してくれる?」
「この街の多種多様な税について説明されました。 労働は、ほぼ漁業しか選択肢がないようです」
「漁業ねえ。 農業は?」
「街の縁の方に行けば、命と引き替えに理由がわかると思います」
ああ、やっぱり。
人の味を覚えた動物が出る訳だ。
それなら城壁でも作れば良いのだろうに、それすらもしていない。
いや、この様子では出来ないと見て良かった。
街を見て回る。
兵士はほとんどNPCにやらせているようだ。その辺りは、多少気が利いているとは言えるが。
だったら街の城壁でも、NPCを使って作ればいいだろうに。
或いは景観しか良い所がないのかも知れなかった。
港に出て見る。
粗末な船だな、と一見して思った。
舟幽霊の調査の時、木造船を使って海に出た。その時。レトンが船を漕いでくれたから転覆は避けられたけれども。
あの時に、海の怖さは散々思い知った。
今回も、アバターに痛覚機能はつけていないし。
更に言うと、詰んだ場合は即座にログアウトするようにもしている。
独自の言語や数字を使っているようだが。
レトンの翻訳を聞く限り、結局は10進法に落ち着いてしまい。また、言語も紆余曲折の果てに、英語もどきになってしまっているようだった。
気が利いている実験国家だと、エスペラントなどを使ったりするそうだが。
それも出来ていない、ということだ。
無言で船を借りたい旨を交渉して見るが。
船を借りるには金が当然いて。
それも、漁が失敗したら、即座に借金で身売りするレベルだという話も分かる。
まあそうだろうな。
そう思う。
それに、漁が上手く行ったとしても、多種多様な税が取り立てられる。あの住居となっている家にも税がかかっているのだとか。
この間足を運んだ実験国家と違って、チンピラの類は彷徨いていないようだが。
此処はそれ以前の問題だ。
釣りをしている老人が、魚を釣り上げると。
殆ど音速で飛んできた徴税吏が、即座に魚を取りあげていく。
老人はそれに対して最早無関心な様子で。釣りに戻る。
森の方に出かけていく者もいるようだが。
鋭い悲鳴が上がった。
もう肉食の動物が、餌が来ると知っていて待ち構えているのだろう。
人間の血の味を覚えた動物が、手ぐすね引いて待っているというわけだ。
この都市の状況では、身を守るような手段もあるまい。
森に近付くのは、殺されに行くようなものだ。
とりあえず、四苦八苦して釣り竿を作って見る。針が問題だったが、それはたまたま落ちているのを拾う事が出来た。
釣り竿を作るだけで、この実験国家の時間で数日が掛かってしまった。
恐らく徴税吏のNPCは全自動で動いているのだろう。
収入があった人間の所に飛んできて、取り立てていく。
それだったら兵士のNPCを増やして、森の方で猛獣を駆除させろよと思うのだけれども。
この国家の支配者は何をしているのか。
腹が減って動けない。
数日水しか飲んでいない。
頭がクラクラする中、どうにか魚を釣りに行く。
石畳だけ立派な水上都市では蚯蚓もいないだろう。数日かけて調べた都市の地理を確認して、土がある森の近くにまでいく。
そうすると、貧しい格好をした人々は、ぞろっと鈴なりになって釣りをしていた。
血の臭いがする。
この辺りでも、猛獣が出ると言う事か。
釣りすらも命がけというわけだ。
「引き上げますか?」
「いや、もう少し頑張って見る」
「分かりました」
レトンは意思を尊重してくれる。
私も空腹は経験したことがあるが、それはフィールドワークの一環として。流石にこんな数日何も食べられない状況は初めてである。こんな経験がない人も多いだろう。この実験国家は、いったい何をしたらこうなったのか。
私は憤りすら覚え始めていた。
ともかく、蚯蚓をなんとか素手で地面を掘って見つけて。釣りを始める。鈴なりに釣り人がいるから、場所を探すだけで手一杯。
誰かが魚を釣ると、即座に徴税吏が持っていく。
文字通りの賽の河原だ。
私も、なんとか魚を釣り上げたが、即座に取りあげられた。
徴税吏はNPCだ。
力でも、抵抗できる相手では無かった。
夕方になるまで、四匹の魚を釣り上げたが。
食べるための魚も含め。
全てが、その場で取りあげられた。
これは、法がまずいパターンかな。そう思ったが、誰もそれに対して文句をいう様子もない。
夕方になると、さっと人が散る。
ああ、これは猛獣が出るな。そう判断して、腰を上げる。
鈍そうな老人が、釣りを止めて腰を上げようとして、失敗して海に落ちる。
あっというまにサメが来て、老人を咥えて海に潜って行ってしまった。
血が海に拡がる。
流石に口の端が引きつるが。
それだけじゃない。
人間の数が減ったのを見たのだろう。さっそく、犬の群れが襲いかかってくる。あれは狼ではないだろう。
兵士は、街を守る事にしか興味がないらしく。犬の群れもそれを知っているらしい。
たちまちにして、逃げ遅れた人が、八つ裂きにされる。その人が食われるのを、兵士は何もせず見ているだけ。
昂奮した犬が。街に入った瞬間、NPCは対応。
その犬を八つ裂きにしてしまった。
戦えるなら戦えよ。
そう思ったが、それもどうにもできない。
おなかがすいて、逃げるだけで精一杯だ。
酷い街だなと思った。
そして、翌日はもう動く元気もなく。
気がついたらログアウトしていた。どうやら餓死したのだろう。私は、まだ数分しか実時間で経過していないことを確認すると、大きな溜息をついていた。
ああいうアバターは、空腹などを実際の肉体とは別に感じるように設定している。
だから現実にログアウトすれば、腹は別に減らないのだけれども。
それはそれとして、何だか無性に腹が立った。
「今のデータ、記録してくれた?」
「はい。 この実験国家でも命を落とす事になりましたね」
「本来人間ってのは、昔はこれくらい簡単に軽率に死んでいたんだろうね」
まあいい。
とりあえず、あの実験国家で何が起きているか、確認した方が良いだろう。
すぐにログインし直す。
そういえば。あの実験国家。
兵士は見かけたが、そもそも支配者階級の人間を見かけなかったな。
そう思いながら、今度は屈強な男性型のアバターを作る。
そして街に出て、しばらく回ってみた。
宮殿や屋敷の類はない。
それどころか、バザーの類もなかった。
水路は汚い海水が流れていて、綺麗なのは石畳だけ。遠くから見た分には綺麗だが、これはもしかして。
体力が尽きるまで、街の中を歩いてみる。
そして、確信する。
港から、出ていく船もない。
この街は、ひょっとしてだが。
誰も管理者も、支配者もいないのではあるまいか。
いや、外に向けてのPVは存在している。
そうなると、最低限の管理者はいるはず。石畳を調べて見るが、これだけ異様にテクノロジーが高い。
船を借りるにしても、そもそも船もない。一応港を観察してみたが、一隻も出入りする様子は確認できなかった。
住居用の船にしても、鎖でつながれていて、外すのは無理だろう。
そしてこの鎖も、調べて見ると恐らくは鋳鉄だ。
どうやって作った。
鋳鉄なんて、簡単に作れるものじゃない。
古代文明でも質が高い鋳鉄は、黄金と同等の価値があったという話があるほどである。
「かあちゃん、兵士達とコミュニケーションは可能?」
「不可能です」
「なして?」
「全てオートで動いています。 あれは前時代的なロボットと同じです。 しかも、NPCとして生成されて、何かしらの問題で失われたら即座に補充されるようです」
なるほどな。
だいたい分かってきた。
死ぬ前に、一度ログアウトする。
そして、管理者とアクセスを取ろうと試みるが。忙しいという理由で断られた。
役所に連絡を入れる。
あの実験国家、基礎設定だけした後は、完全に放置している可能性が高い、と。
すぐに役所は反応。
調査を入れて、その通りだと言うことが判明した。
なんと管理者は、ここしばらくずっとログインすらしていない事が分かった。それどころか、政治の類はあの実験国家内の時間で百年以上もしていないらしい。
要するに、初期設定をした後。
色々やってみて、何もかも上手く行かないので、飽きてしまったのだろう。
結果として、NPCだけが動いているというわけだ。
SFに出てくるようなディストピア都市だなと、私は呆れてしまう。ひょっとしてだが、レトンはいつも私の行動を、こんな気持ちで見ていたのだろうか。
「これはちょっと擁護できないなあ」
「あまりにも長期間放置しているようだと、役所から指導が入るものなのですが。 この実験国家は、放置の時間が指導が入る寸前だったようですね」
「人間の自治を取り戻すとか息巻いておいてこれ? 法が悪いのかと一瞬思ったけれど、法を作った人間が悪いじゃんか。 法が悪しき常識になっているパターンだよこれは」
「珍しく立腹していますね」
冷静なレトンに、そりゃそうだよと私は返す。
典型的な暗君の行動だ。
名君だった人間が、挫折して暴君となるケースは多い。
だが、これは違う。
自分から見て格好良い「場所」だけ作ったら、後は放置しているだけ。
動いているのはNPCのみ。
そもそも見栄えを重視しているから、生きられる場所になっていない。本来だったら人間の血の味を覚えた獣を駆除したり、森を切り開いたりするような、やるべきことを誰もやれない仕組みになってしまっている。
最初は色々とやろうとしたのだろう。
だが、何もかも理想通りにやろうとして、すぐに上手く行かないことを悟った。
だから、このような有様になった。
そして人間には、根気が続かない輩が幾らでもいる。
あの実験国家の作り手は、そういうタイプだったのだろう。
積極的に人間を虐げ。
チンピラが好き放題していた、最初の都市よりはまだマシだったかも知れないが。
あの実験国家は、もういいや。
そう私は判断。
得られたデータを、容赦なくレポートに記載した。
あの実験国家では、そもそも法を支配者が守らなかった。もしくは、支配者は適当に現実に沿わない法だけを作って、それで満足してしまった。
調べて見ると、私が釣る端から取りあげられていた魚も、みんな倉庫で腐るままにされていたらしい。
それを聞いて、私はあの実験国家に対する興味を一切失った。
後はレポートに記載して、それでおしまい。
常識どころか、法以前の問題だ。
役所も、状況を見て実験国家の閉鎖を決定したらしい。
管理者にも、相応のペナルティがある筈だが。
もはや、私にはどうでもよかった。
3、這い回る怪物
私はしらけはじめていたが。それでもフィールドワークを続けて行く。
三つ目の実験国家は、都市国家全域がスラムと化していて。まともに生活出来る環境ではなかった。
家もなく、放り出されたのは虱だらけのござの上。
それでも地面よりマシだから我慢しろ。
そういう場所だった。
実際には、こういったいわゆる失敗国家は、20世紀から21世紀にかけても幾らでもあったそうだが。
フィールドワークで訪れてみると、まんまそれだった。
三つ目の実験国家は。最初に18世紀相当のテクノロジーをもった状態で始めたようなのだが。
そんなものは。技術者がいなければあっと言う間に鉄屑だ。
そもそも、技術というのは長年知識を蓄積して、ようやく辿りついたものなのである。
最初にテクノロジーがあって便利だとしても
それは持続しなければ意味がない。
この手の実験国家が失敗するのは、ほぼそれが原因だ。
結果として。実験国家は最初無作為に拡大したものの、後は土地が荒れ放題。
「先進的な民主主義」を政治システムとして意気揚々と導入し、最初は実験国家に来た人間も、それを受け入れていたらしいが。すぐに上手く行かなくなった。
そして「資本主義」を考え無しに導入したのが運の尽き。
あっと言う間に貧富の格差が拡大し。
このように後から入ってくる人間は文字通り何もできない状況が作り出された、という事だった。
本当にろくでもないな。
私はそう思いながら、三つ目の実験国家を見て回る。
最初は、案の定初日で殺された。
いつも自分の姿に近いアバターで入るようにしているのだが。白昼堂々路地裏に引きずり込まれ。そのまま殺された。
兵士はいて、見ていたが。何もしなかった。
殺された後どうなったかは、一応記録しておいた。
まあ案の定、殺したチンピラ共は身ぐるみ剥ぐと、私の死体を犯してゲラゲラ笑っていたようだ。
その後貧しい人間が寄って来て、死体をバラバラに刻んで肉を持って帰ったらしい。
まあ、どうでもいい。
次は屈強な人間として実験国家に入ってみたが、そうするといきなり狙撃されて殺された。
この実験国家では、兵士は何をしてもいいとされているようで。
城壁の上から、「ハンティング」を楽しんでいる輩がいるらしい。
それでいながら、チンピラと一緒になって犯罪を犯している連中もいるようなので、文字通り始末に負えない。
そして、強い人間は何をしても良いというのが、常識になってしまっている。
完全に法が機能していない状態で、多数の人間が生活すればこうなる。
私は、じっくりそれを見せてもらった。
リスポーン地点も確認して、支配者階級が何をしているのかもチェックする。
其奴らはスーツを着てボロボロの車を乗り回し、ふんぞり返って贅沢をしていた。
例によって、最初にこの実験国家を作った連中が、疑似輪廻を繰り返して支配者をしているらしい。
少し調べたのだが、こうやって実験国家を作り、支配者ごっこをする輩がそれなりの数存在しているらしく。
役所でも、目をつけているらしかった。
まあこの実験国家は、まだ破綻にまでは到達していない。
そう判断したらしく。役所は結局動かなかった。
ただ。犯罪をするために実験国家にログインしている人間については既にマークしているそうで。
支配者ごっこをしている連中もしかり。
まあ遠くない未来に、相応のペナルティがあるだろう。
私としては、別にそれで充分過ぎるし。
それ以上、何か言うつもりも。
干渉するべきだとも思わなかった。
次に行く。
四つ目の実験国家は、まだ開拓中のものだった。
原始時代同然から、少しずつ開拓していく途中、なのだが。
この時点で、ログインして見ると、嫌な予感がプンプンしていた。
筋肉ムキムキの男性しか存在していないのだ。
どうやら、この実験国家では、強い人間がリーダーになると言うルールを最初に掲げたらしく。
その結果、本当に力の強い人間だけが全てを独占し。
後から入ってきた人間も、それに合わせて屈強なアバターを選択するようになっているようだった。
当然、文明なんか進歩しようがなく。
石器時代のまま。
竪穴式住宅のままである。
それどころか、私を見た瞬間帰れと一言である。
ここでは、屈強な大男である事が常識であるわけだ。
税制とかそういったシステムもなく、獲物を狩ったら分け合うというシステムも存在しない。
本来あり得ない体格をした屈強な男性NPCが、筋肉を誇示しながら獲物を狩り。その場で生で食べる。
そうしないと、すぐに隙を突かれて奪われるからだ。
そして、日常的に殺し合いが行われる。
強さを競うのだ。
当然だが、屈強な大男どうしで殺し合いをすればどっちかが死ぬ。死ぬと、すぐに新しいアバターを作って第二ラウンド。そうすれば、弱っている奴が今度は死ぬ。すぐにまた殺し合い。
血しぶきと汗が飛び交う中。
「国家」どころか、村の規模から一歩も進まないまま。其処では、原始的な殺し合いを続け。
獲物を狩ってきては奪いあい。
死んだら自己責任、という世界が繰り広げられていた。
「力」という常識が支配する世界がこれだ。
野生の獣でももうちょっとマシだぞ。
私はそう思って、二度目からは民としての参加をせず、状況を見るだけにした。
見ていると、屈強な男同士で散々に殺し合いをしたあげく。
男性同士で性交もしていた。
女性ではとても暮らしていけないし、そもそも規律が乱れるから出て行けと罵るような場所である。
それはそうなるよなあと、私は苦笑い。
好きな人は好きな光景だろうが。
私の趣味じゃあない。
少し調べて見ると、面白い事が分かった。
どうやら此処は、筋肉とか原始的な闘争とかが大好きな愛好者の観察スポットになっているらしく。
住民として参加せず、ある種のポルノとして楽しんでいる観察者が多数存在しているらしい。
殺し合いについても、どんなアバターを作ると強いかというような研究までされているらしく。
あまりにも筋肉が凄まじすぎて、もはや怪異に思えて来るような姿のアバターが、闊歩している様子や。
更には強いアバターを作る研究まで為されているらしく。
正直、ついて行けない世界だった。
「屈強で生命力溢れる世界」というのを、無邪気に信仰していた連中が、結構な数21世紀にはいたらしいが。
そいつらがこれを見たら、どう思うのだろう。
ゴリラは元々心優しい森の支配者だから比べるのは不適切だ。
比べるとしたら、実際には極めて残虐で獰猛なチンパンジーだろうか。
この「村」(もう国家と呼ぶには値しない)で暴れている男共は、チンパンジーにも劣る。
実際問題、異常に肥大化した筋力を持たせようが、通常個体のチンパンジーにも肉体のみでは人間は勝てないのである。
漫画で動物をあっさり惨殺する人間が出てくるが、それはあくまで漫画だからだ。
武器がなければ、人間なんて動物の中ではクソ雑魚ナメクジも良い所なのだ。
とりあえず、レポートに資料を記載する。
それにしても、此処まで上手く行っていないものばかりを見るとは。
私は呆れながらも、次に行く。
そうやって、フィールドワークで身を張りながら。
一つずつ実験国家を見て回った。
比較的感じが良い実験国家もあったが。
そういった実験国家は、見かけだけ、というケースが多かった。
人間が動かすと上手く行かないので、NPCを大量に作り、それが政治経済を回しているパターン。
要するに、AIが動かしている現在の状況と同じで。
それを更に改悪しただけの状態に等しい。
人間による政治と経済を声高に叫んだものの。
結局政治も経済も上手く行かず。
あっと言う間に腐敗して、ボロボロになっていくもの。
規模の大小は関係無い。
基本的に、この二つが多かった。
特に何回か遭遇したのは、非常に閉鎖的なコミュニティとしての実験国家だ。
実験国家を仮装空間上で作る場合、外部からの新参を基本的に拒んではいけないという暗黙のルールがあるのだが。
あの筋肉村のように、それすら守れていないものがある。
特に創設者やその取り巻きが回している、少人数の実験国家は内部時間が経過している程まずいと言う結論が出てくる。
どれもこれもが独自ルールを発達させ。
その結果、おぞましい「常識」が根付いている。
古い時代も、「常識」はおぞましい猛威を振るって、もっとも人間を殺傷したものだが。
こういった実験国家を見ると、それがどうしようもない人間の業であり。
どうしようと改善できないのだとよく分かる。
それは、星の数ほど実験国家があっても、上手く行くものが出ない訳だ。
20世紀だろうが21世紀だろうが、人間が失敗国家を作るし。
核で他国を恫喝し、資源を食い荒らして知らんぷりをしている訳だ。
他人を如何に踏みにじるかを自慢し。
犯罪を如何にして行ったかを誇るわけだ。
私は、色々呆れながら、フィールドワークを続けていた。
革命を起こさないのか。
そういう意見も、レポートに来たが。
それは私の仕事じゃあない。
私は民俗学者として、常識という人間をずっと縛り続けた怪異を調べているだけである。まあ、機会があれば革命をやってもいいが。私は適任では無いだろう。
実際問題、フィールドワークをやって。出来るだけ客観的に状況を見ようと思っていても。
それでもはっきりいって、はらわたが煮えくり返る瞬間が結構あったし。
普段怪異相手に自分の興味と好奇心とキュートアグレッションを抑えながら調査を行いつつ。
それでも学者としては冷静に振る舞おうと思っていたのだけれども。
しかしながら、今回の調査は非常に不快感が強い。
だが、これも仕事だ。
好きな研究ばかりしているわけにもいかない。
私は研究者としては、行政も相応に評価してくれているらしいのだが。それは研究をしっかりまとめて、資料を上げているからだ。
たまに体を張りすぎだから、ある程度セーブしてほしいと行政から連絡が来るほどであるのだが。
逆にだからといって、だらだらさぼったり。
自分が好きな研究ばかりをするわけにもいくまい。
私はこの研究を。怪異研究を天職だと思っている。
だからこそに。好きでは無い怪異であり。怪異としてはもっとも実際に人間を殺傷する要因となった「常識」を。
しっかり調査もしなければならないのだ。
次の実験国家を調査しに行くことにする。
その前に、南雲に連絡を入れておく。
南雲は仕事中ではなかったらしく、すぐに連絡に応じた。
軽く話した後、いっそ一緒にフィールドワークに行くかという話題になったが。南雲がそれをやんわりと断った。
何となく理由はわかるが。
あまり深くは追求しないでおく。
「それで次はどんな実験国家を調査に行くんですか?」
「戦争をやってる実験国家があると聞いて、それを確認しにいきます」
「戦争」
そう、ゲームでは無い。
なんでも物好きにも、最初から戦争を想定して実験国家を同じ世界に二つ作り、資源が敢えて足りないようにして、二手に分かれて実験をしているグループがあるらしい。
なんでも戦争は人間を進歩させる手段だという思想の持ち主が集まっているらしく。
それに戦争を扱うゲームが大好きな連中が乗り。
実験国家の内部で100年、戦争を続けているのだとか。
100年というと、フランスとイギリスの百年戦争並みだが。
この場合、都市国家どうしで戦争をするというのだから、色々と念入りである。
しかも破壊規模が大きくなりすぎないように、16世紀前後の兵器から始めているという事なので。
ある意味筋金入りだ。
私としては、戦争の悲惨さを知っているから、正気の沙汰では無いと思うが。
これも多様性だ。
現実に戦争を持ち込もうとしないのなら。
まあ仮装空間上の実験国家でなら別にかまわないだろう。
それに面白い事に、此処ではルールを作っており。
一度死んだ場合、敵国にてリポップして其方で生活する事というものがあるらしい。
これは互いに過剰な憎しみを抱かないようにするため、というものらしいのだが。
何故か、この実験国家に参加した人間は、口をつぐんで何も話したがらないそうなので。私は興味を抱いた。
「というわけで行ってきます。 問題があったら、南雲先生の方から連絡をお願いいたします」
「分かりました。 くれぐれもお気をつけて」
さて、次のフィールドワークだ。
黙々とログインを行う。
そして、アカウントを作成して、仮想空間の実験国家にログインすると。
一瞬で、死んでいた。
呆然とする。何が起きたのか分からなかった。
仮想空間には準備空間が存在していて、其処でキャラクターのクリエイトなどを行うようになっている。
いわゆるリポップ狩りは禁止されている筈だが。
戦争をしているという事だ。或いは流れ弾かも知れない。
一応、レトンに確認はする。
「何が起きたの?」
「投石機の石が直撃しました」
「はあ……それはまたいきなりだね」
「双方ともに無差別攻撃を続けている様子です。 安全圏はないとみて良いでしょう」
おいおい。
戦争が目的の実験国家とは言え随分だな。
そもそもリポップ狩りは禁止されている筈なのに。これを報告するだけで役所が動きそうだ。
ともかく。敵対国にてログインして見る。
そうすると、いきなり激しい戦闘音が聞こえた。これは、爆薬か。良く作れたものだな。そう思う。
爆薬は、いうまでもなく錬金術が原因で作り出されたものだ。科学の前身となった錬金術は、火薬という三大発明の一つを作り出すのに貢献した。
しかしながら、火薬をそんなに簡単に使えるのなら誰も苦労しない。
戦国時代の日本では、材料を輸入に頼っていたという事実がある。
これは、火薬は途中から一種のNPCとして無限生産出来るようにしたのか。いずれにしても、それだと主旨が根本的に壊れている気がするが。
周囲には、もの凄い血と煙の臭いが立ちこめている。
死体が彼方此方に散らばっているが、どれも殆ど原型を留めていなかった。
火薬を使っているだけではなく、投石機なども現役ということはさっきの死で分かったけれども。
それを現すように、巨大な石が散らばっている。
「其処のお前!」
いきなりわめき声が聞こえてくる。
頭から血を流し、左足を膝から失っている男が。此方に這いながら近付いてくる。それでも、手には血だらけの銃剣を抱えていた。目も片方が潰れているようだ。
「何を棒立ちしている! さっさと銃を取れ! 殺し合え!」
「はあ……」
そういえば、手にはマスケットがある。
確か先込め式の、かなり古いタイプの銃だ。
日本で言う火縄銃がこのタイプで。
この頃は、まだ銃弾が丸かったのである。
これが入ると渡されるものなのか。しかし、確かもう百年この実験国家で戦争をしている筈だが。
城壁は既に一部破られている。内部では激しい銃撃が行われていて。至近を弾が掠めていた。
うわお。
そう思って、隠れられそうなものを探すが、何もない。
というか、外から散々石が放り込まれているから、それに隠れるしか無さそうだ。
居住空間とか、そういうのも見当たらない。
本当に殺し合いをするためだけに作られた実験国家なんだな。そう思って、閉口してしまう。
というか、戦っているのは、兵士ですらない。
恐らくだが、揃いの制服を用意する余裕もないし。
全員が銃を持っている以上、その時点で兵士と扱うしかないのだろう。
さっきの足を失っていた人は、既に事切れていた。
私は岩陰に隠れると、どうしたものかなと思う。
次の瞬間、影が出来る。
あ、と思った次の瞬間には、息絶えていた。
考えて見れば、投石機が石を放ってきているのだ。同じ地点に着弾しても不思議ではないだろう。
失敗だった。別の場所に隠れるべきだった。
そう思って、私はため息をついていた。
とにかく、また逆の方の国家にリポップする。今度は。子供の姿になって見るか。
そうしてみると、即座に分かる。子供では、先込め式のマスケットはちょっとばかり重すぎる。
一応、過去に使い方は調べた事があるから使う事は出来るが。これは一時期、テロリストが少年兵にカラシニコフを持たせたわけだと苦笑する。
ただ。いきなり即死しなかったので、周囲を走り回る。ぼろっぼろの皮の靴に、布きれ同然のぞうきんみたいな服。
私はこれでは、技術なんか進歩しようがないだろと思った。
そのまま、遮蔽に隠れる事に成功。この様子だと、両軍ともに全く関係なく攻撃を続けていて、秩序も何もないのか。これではゲリラ戦どころか、戦争ですらない。
殺し合いが、常識になっている。
多分これは、リポップした人間はただ殺す事だけに夢中になっている。司令官すら存在しない。
というよりも、システムがあまりにもまずすぎる。
一度の死亡で、向こう側の陣営に行く。
それを繰り返している内に、互いへの憎悪はなくなり。
戦闘本能だけが刺激される。
そして、どんな姿だろうが。殺し合いをすることだけに夢中になる。
闘争を欲しがるだったか。
ちょっと違ったか。
似たような煽り文句を何処かで聞いたな。
人間は殺し合いが本能的に大好きなのだ。これについては、ゲームとしてウォーゲームが相当な人気があること。
仮想空間で、もっとも人気があるジャンルの体感型ゲームが戦争を扱ったもの。
そしてその戦争は、現実の戦争とは違い。
絶望と苦しみに満ちたものではなく、殺戮の楽しみだけを抽出したもの。
それらを考えると。
この実験国家は、ある意味最高の反面教師だろう。
誰かがわめき散らしながら、味方を銃撃している。それを、別の誰かが冷静に撃ち殺していた。
何となく分かってきた。
これはもう、陣営も何も、参加している人間の幾らかは分かっていないのだ。
だから無茶苦茶に殺し合うし。
互いの前線が、互いの本拠に肉薄するという、意味不明な事になっている。
私も、一発射撃。
一応射撃の訓練はした事があるので、撃ち抜く事に成功。
ただし、反動でひっくり返りそうになったが。
別にどうとも思わない。
此処はそういう場所で。
ウォーゲームの最悪の部分を抽出した結果、何もかもが終わっている、というだけなのだから。
一発射撃しただけで、肩が抜けそうになる。
マスケットの反動は凄いなあ。
そう思った瞬間、意識が消し飛んだ。
どこからか狙撃されたのだろう。
味方からか、敵からか。
どっちだろうが、知った事ではないが。
仮装空間上の待機室に戻る。レトンは何も言うつもりはないらしい。レトンに、軽く確認を取っておく。
「かあちゃん、聞いて良い?」
「何でしょう」
「これさ、参加している連中、どんな気持ちでやりあってるの?」
「ウォーゲームのマニアの中でも、特にピーキーな人間や、欲求として殺戮をどうしてもしたい人間が集まっているようです。 ただ悪影響が尋常ではないので、支援ロボットが遊ぶ回数や時間を厳しく決めているようですね」
なるほどなあ。
それで、ハメを外しまくっているというわけだ。
というか、そもそもだ。
色々問題がある人間が、こういう実験国家を利用しているのではないのだろうか。
いや。止めておく。
そもそも仮説を立てるのは私の仕事じゃあない。
私がやるのは、フィールドワークで実際に何が起きているのかを確認するだけ。
仮説を立てるのは、もっと頭が良い奴が、別の視点からやればいいこと。そもそも仮説と断っても、それの意味を理解すら出来ない人間が、あまりにも多すぎるのが現状ではないか。
私自身だって、自分が絶対に正しい何て思っていない。
だから、主観視点と客観視点を両方データとして取って、資料を集めているのである。
今の時代は、それが容易に出来る。
この客観視点でデータを取ることに拒絶反応を示す人間がいる事を、私も知ってはいるのだが。
そんなのは、どうでもいい。
今はとにかく、黙々とやるべき事をやっていくだけだ。
また、別陣営にログイン。
というか、管理システムになっているようだ。暗黙の了解もあるのだが、管理者をしている人間は、それだけを管理している。
呆れた話だが。
もうどうでもいい。
色々試してみる事にする。
声が大きい人間に、キャラデザをして見る。
「やめろ! これでは秩序も何もない! 一旦引いて、味方同士で集まるんだ!」
極まっとうなことを言ってみる。
だが、帰って来るのは嘲笑。
そして、銃弾だった。
即死に近い状態だったようである。痛覚は切っているが、それでも十発くらいは弾丸を浴びたのが分かったからだ。
また、別陣営にリポップする。
同じようにしてみるが、結果は同じである。
ああ、なるほど。
司令官をやろうとする奴もいなくなるわけだ。此処にいる連中は、殺戮そのものが自己目的化している。
それも、相手を殺す事だけじゃあない。
本来は味方である筈の人間の足を引っ張る事や。それだけではなく、土壇場で裏切る事なども。
それを何回かリポップする内に悟る。
事実、明らかに敵と分かる人間と戦っていたと思ったら。いきなり味方を撃ち殺す奴を何人も見た。
それを誰も咎めはしない。
撃たれる方が悪い。
それが、ここの常識というわけだ。
銃以外での戦闘は、今の所原始的な投石機などくらいしか使われていないようである。一度、投石機に接近してみる。
まるで神体のように扱われていた。
投石機は、どっちの陣営にも大事にされているようで、可能な限り攻撃しないように暗黙の了解も出来ているようだ。
意味不明な常識だが。
そんなものだと、私はもう分かっているので。それについて、どうこうと思う事はなかった。
更に十回ほどログインして、殺し殺され。
更には秩序を作ろうと試みてみるが。
いずれもが、何の意味もなく。血に餓えた獣以下と化した人間が、殺戮の限りを尽くすのを見るだけだった。
明らかに血に酔っている連中が集まっているだけではない。
中には、狙撃手を無言でやっている奴もいて。味方だろうが敵だろうが、弾薬が尽きる間で撃ち続け。
弾薬が尽きたら即座にリポップ、というような事をしている奴もいるようだ。
ある意味スプリーキラーだな。
そう思って、呆れかえる。
そう言った奴を、何回か狙って殺してみたが。
それも、次の瞬間には別陣営にリポップし、同じように殺して回るだけ。ばかみてーだな。
単純に、その感想が口に出ていた。
見切りをつけて、ログアウトする。
愚かしい常識が作りあげられるのが実験国家だ。閉鎖的な人間の集団だ。それは分かっているつもりだった。
だが、フィールドワークをして見て。
実際にその視点に立ってみるとさらに分かった事がある。
人間の本質は、尋常では無く阿呆であると言う事。
子供は犬同然なんて言葉があるが、昔は女性は道具同然だった時代があった。それが常識だったのだ。
事実、史書の類で、まともに女性の名前が登場するのはごく最近になってからである。
母系社会が基本の民族が、あらかた早期に絶滅したというのもあるのだろうが。
常識なんてものは、そんなもの。
そして法は、そんな常識に一定のセーブをかけるために必要なもの。
それが、色々やってみてよう分かった。
更に言えば今ある法は、色々な意味で、やっと人間を先に進ませることが出来ている。
愚かしい話だ。
それを作ったのは人間ではないのだから。
事実、今でも人間が政治経済を握っていたら。とっくに人間なんて滅んでいた可能性が極めて高いし。
そうでなくても、最後の一人になるまで殺し合いを続けていただろう。
溜息が何度も零れた。
ベッドに腰掛けて、情けなさに何度も涙を拭っていた。
これが、人間の現実だ。
古くから、人間賛歌を重ねる創作はなんぼでもあった。それらは確かに勇気をくれていただろう。
だが、身に味わった現実を見ると。それらのなんと無力なことか。
人間の愚かしさを間近に見て、私は涙しか流れてこない。
勿論、それではいけない事は分かっている。
主観では無く、客観でものをみなければならない。それには、涙なんて不要なのだ。だが、私は怪異を見て美味しそうだと思うくらい感情のコントロールが下手だ。人間であると同時に学者なのだから。それはどうしても抑えなければいけないと、分かっている筈なのに。
こんなに泣いたのなんて、いつぶりだろう。
人間であることが、恥ずかしくなってきた。
はっきりいう。
ああいう環境におかれれば、どんな人間だってああなる。私だって、その内あの連中と同じになる。
人間がどれだけおろかか、よく分かる場所だった。
人間は戦い、勝ち取るべきだ。そういう言葉を何処かで聞いた。
確かにそうあるべきなのだろう。理想としては。
だが、ああいった場所を改革できるか。
出来はしない。
実際問題として、21世紀に人間は、がんじがらめになった利権に翻弄されて。滅亡が見えたのだ。
どこでも、改革をしようという事を唱えた人間はいた。実行しようと試みた人間だってたくさんいた。
だがその全てが、嘲笑う利権に踏みつぶされたのだ。
たまたま、AIによって政治経済を動かす仕組みが出来て、今人類は滅亡を免れているけれども。
それも、本当に奇跡的だったのだろう。
レトンが入れてくれた紅茶を口にする。
レトンは何も言わず。私が立ち直るのを待ってくれた。
三日間。
私が立ち直るのには、時間が掛かった。
4、化け物は今も其処に
感情的にならないように、必死に自分を抑えながらレポートを仕上げる。勿論実験国家を運用している人間からは反発もあったが。
圧倒的なデータを叩き付けて黙らせる。
あのナイチンゲールも、統計を取って相手を黙らせたという現実がある。
圧倒的なデータ量は嘘をつかない。
ましてや私は、客観的にデータ収集を同時にしている。
人間がデータ収集をすると、どうしても主観が反映される。それでは意味がないのである。
徹底した、客観性の確保。
それが出来なかったからマスコミは滅びたし。
私も、それが出来なくなったら、研究者を降りるつもりである。
いずれにしても、最も苦しい研究だったと思う。
学者として。研究者として。博士として。
民俗学者として。
怪異を調べるなら、どうしてもいつかはやらなければならない事だった。だから、やった。
それだけである。
常識という怪異は、世界中でもっとも人間を殺戮してきた。怪異としては、どんな恐ろしい設定をされている存在よりも、多数人間を害して来た。心身共にである。
その結論は変わらない。
ただし、仮説を立てる事はしない。
私は、ただ事実を陳列するだけだ。
そして実験国家というものは、基本的に情報を開示することに制限が掛からないようになっている。
そうしないとカルト化して、本当に大変な事になることがあるからだ。
古くに宗教法人が、散々それを利用して悪さをして来た。
それが通用しなくなってきたら、今度は何だか良くわからない「団体」がそれに取って代わるようになっていった。
人間は悪知恵だけは働く生物だ。
だから、私はそれを考慮しながら情報を集め。
そして今回、一気に提示した。
それだけである。
反響は大きい。
実験国家が問題だらけだと言う事はかなり知れ渡っている事だったようだが。それでもこうやって、実際に彼方此方回って調べて見る事をやる人間はあまりいなかったからである。
今、実験国家を作ろうと試みる人間はまだまだたくさんいる。
政治経済を人間が動かさないという事を、「不健全だ」と考えているからだ。
だが、人間は不健全が大好きではないか。
おかしな話だ。
結局過去のように一部の人間だけが利権を独占して、他の人間を虐げて楽しみたいのではないのか。
そういう疑念さえ湧いてくる。
レポートを仕上げる。
行政から、文句が来る事はない。
ただ、あまりにも苛烈な内容に、南雲は青ざめているようだったが。
とはいっても、南雲が集めて来た「常識」だって、ろくなものではなかったが。
古代中国では、頭頂部を晒す事を最大の恥としていた。
今でもまあ確かに禿頭を晒したら、それはそれで恥だろうが。古代中国では、頭頂部を晒す事が刑罰になる程の恥だったのだ。だから頭頂部を隠すべく、誰もが帽子を被ったのである。
そういった、微笑ましい常識から。
おじろくおばさという、ある村でなんと昭和に至るまで続いていた奴隷制度にいたるまで。
おぞましい常識を数多調べて、集めて来た。
レポートは流石に話題になったようだ。
今では、実地で閉鎖空間で作られる常識の愚かしさ、醜さを調べる事が殆どできない中。それでも私はしっかり調べてきた。
それを補強するかのように、南雲が集めて来た大量の愚かしすぎる常識の例。
古今ともに人間は変わらない。
変わらないままおろかだ。
人間は、人間賛歌を歌う人間が言う程強くない。強い人間もいるが。それはあくまで一握りの特例だ。
そして、残念ながら。
人間は弱いのだ。大半が。
だからずっとずっと宗教を必要としていたし。
それが実質上意味を失ってからも、ずっと代わりのよりどころを必要としていったのだ。人間が弱くも強くもなかったら、こんなものは必要なかっただろう。
レポートを仕上げた後、軽く南雲と話す。
南雲も疲れ果てたと言っていた。
私も同感だ。
レトンが、私に提案してくる。
「今回のフィールドワークは、実際に体を動かさなかったものの極めてハードな内容でした。 役所も長期休暇を取ることを反対しないでしょう」
「んー、うん……」
「温泉にでも行きましょうか。 体を休めるには、温泉はかなり効果的です。 地熱による床暖房を楽しむ手もあります」
「そうだね……」
レトンがこう言うからには。効果はあるのだろう。
ただ、たまたま拾った情報があるのだ。
火星に、凄い開拓者が出ていると。
火星で仕事をしている人間の間で、噂になっている者がいるらしい。
なんでも、すごい勢いで開拓を成功させていて。
文字通り、神話のような勢いで各地を開拓しているという。
姿を見た者はいない。
だが、確かに凄い実績を上げているのだという噂があるのだとか。
もしこれが本当だとしたら。
或いは、始祖の巨人。
現在の始祖の巨人の、誕生かも知れない。
だとしたら、調査する価値はあるだろう。
いずれにしても、今すぐ火星に行く訳にもいかない。
ただ、火星には足を運びたい。
レトンに、横になって告げる。
「火星にフィールドワークに行くつもり」
「火星にですか。 以前足を運んだときは、確か観光が目的でしたね」
「ずっと昔の話だね」
「いずれにしても、火星に行くとなると比較的予約などで時間が掛かります。 その間に、体を休めるべきでしょう」
頷くと、温泉も予約してほしいと頼む。
そして、温泉の予約が取れるまで。
横になって、心にたくさんついた傷を癒やす事にした。
(続)
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