20世紀最大の怪異
序、UFO
高山に登って、すっきりとした空気を吸う。実に心地よい空気だ。
今いるのは、日本で二番目に高い山。
このくらいの山になると、既に低地とは気候も気温も違う。
今回のフィールドワークでは、とにかく遠くまで見通せる場所を巡る。そう決めていた。
理由は簡単。
20世紀最大の怪異とも言える存在。社会的にもあまりにも大きな影響を与えたもの。
そう、ずばり「UFO」を調査するためだ。
UFO。
未確認飛行物体の略だ。
これがこんなに流行ったのには、幾つも理由がある。
20世紀は核兵器が開発されて、人類の滅亡が露骨過ぎる程見える時代になった。核兵器の破壊力は、実際に目にしなければ分からないが。凄まじすぎる代物で、今まで人類が開発したどんな爆弾も霞み。挙げ句環境を激しく汚染するものだった。
これの恐怖は世界を震撼させ。
そして既存の宗教への信頼感が様々な理由から薄れ始めていた事もある。
結果として人間は、人間より進んだ文明を持つ宇宙人に憧れるようになり。
その到来を願うようになった。
かくして、不可解な飛行物体が目撃されると。
それを宇宙人の乗り物だと考える者が増え。
そして、一大ブームになったのだ。
ただの加工写真だったりするものも多かったが。
中には本当に正体がよく分からない飛行物体が目撃される事もあり。
それが宇宙人の乗り物だったかはかなり怪しいものの。
結論としては、何か空を飛ぶ不可解なものがあったのだろうと、当時の状況を見て結論が出ている。
ただそれは、本当に宇宙人の乗り物だったのだと主張するものも現在もまだいるようだ。
ただし。
私は、今はUFOは怪異と考えるべきだと考えていた。
もしもだが。
それほど進んだ宇宙人だったら。こんな凶暴でいい加減な生物と、コンタクトを取ろうと思うだろうか。
仮に植民地化や奴隷化を狙うのだったら、わざわざちまちま姿を見せていない。それこそ圧倒的物量で攻めこんでくるだろう。
恒星間移動を行えるような文明を持っている宇宙人が相手だったら、文字通り勝ち目なんてあるわけがない。
宇宙人としても遠慮なく地球を侵略して、焦土に変えていたはずだ。
或いは、地球人と友好関係を持ちたいというのであれば。
それはそれで、もっと待っただろう。
20世紀の頃の地球は、それこそ世界中で紛争が起き、核戦争の危機すらあったのである。
そんな自分の足を食うタコにも劣る生物と、どうして友好関係なんか築くことが出来ようか。
少なくとも私はそう思う。
勿論、意味がわからない理由で地球人と友好関係を持とうとした可能性もあるが。
そんなものは、可能性として考えるだけ無駄だ。
結局太陽系のかなりの範囲に人類が進出している今。
あらゆる方法で探査を続けているが、残念ながら千光年四方くらいには、文明は存在しなさそうだという結論が出ている。
仮に恒星間航行を可能とする文明があったとしても。
宇宙船などの発見は出来ていないのだそうだ。
というわけで、私は。
怪異としてのUFOを探しに来ている。
そして、空を探すのなら。
空がとにかく広い場所が良い。
そう思って、高山に来ているのだ。毎日、別の高山でフィールドワークをするつもりである。
その話をしたら、南雲はおののいた。
高山病は平気なのかと、割と本気で心配された。
平気だと答える。
正確には、高山病が出るようならレトンからドクターストップが掛かるし。実はそこまで危険な山ばかり選んで登るつもりは無い。
登るにしても、自動運転のホバーカーに送迎をしてもらうし。
私が体調を崩した時に備えて、レトンが救急用のキットを持っている。
今の時代、山の上くらいだったら平然とネットにアクセス出来るし、レトン自身が膨大な医療データを内蔵している。
つまり、伝説の無免許医とかの超凄腕が側にいるようなものであり。
全く心配は無い。
最悪の場合、すぐにレトンが迎えように自動運転ホバーカーを呼んでくれる。
だから私は、研究に全力投球できるのだ。
南雲は、それを聞いて。
支援だけするといった。
まあ、腰が引けるのも仕方がないか。
それに、前回目目連の研究をしたとき。南雲は私を見て、かなりおののいている様子だった。
ある程度適当に距離を保った方が、研究をやりやすいかも知れない。
だから、私も。
南雲に来るようにせがむことはなかった。
さて、山頂付近に腰を降ろすと。レトンに言われたように温かくして、周囲の空を見守る。
今回は怪異のフィールドワークとしては、珍しく日中主体に行う。
それはそうだ。
そもそもUFOは見えない時間には……出てくる事はあるにはあるが、それは例外である。
そもそも世界中が監視ドローンで見張られている時代、なんか変なものが飛んでいればすぐにそうだと分かる。
多分、今も目撃例がある上、客観的にデータが取られていないUFOは。
人の心に住まうものだ。
そもそも、空を舞う怪異は古くからなんぼでも存在している。
例えば天狗。これは中華版限定だが。そもそも天狗は、流れ星をベースとした怪異だった。
日本の天狗は鼻高天狗とか鴉天狗が有名だが、中華の天狗は文字通り「天」の「狗(イヌ)」だったのだ。
中華の天狗は日本のそれとは比較にならない程強大で、中には北欧神話のフェンリルの如く、月を飲み込んでしまう逸話まである。
流れ星の怪異だけあって、その強大さは神域に到達しており。
スケールが大きい中華の怪異らしい凄まじさであったのだ。
元々は、日本にもこの天狗の伝承が輸入されたらしいのだが。
それがいつの間にか鴉天狗や鼻高天狗に変わってしまった。
この経緯はどうもわかっていないらしい。
ただ、元が現象であることには変わりはない。
よく分からないものを昔の人間は怪異にし。
それを皆が受け入れていた。
それが怪異では「リアリティ」がなくなり。
やがて「宇宙人の乗り物」となっていっただけ。
私はそう思う。
それだけの事なのであれば。
私の守備範囲と判断して良いだろう。
「さて、出て来てくれるかなUFO」
「UFOを怪異扱いするのは珍しいですね。 特に発見や研究が盛んだった20世紀には、宇宙人の乗り物とされる事が多かったようですが……」
「それは当時のブームだったからだよ。 それ以上でも以下でもないね」
「確かに史上空前の核戦争の危機が間近にあった世界では、役に立たない既存の神よりも人間より進んでいるだろう宇宙人に救いを求めるのも理解出来ますが。 それにしても、不毛な願望を未知の存在に押しつけているだけでしょう」
レトンは相変わらず辛辣だが。
これはあくまで客観的にものを言っているだけである。
レトンにタブーは存在していない。
一神教圏の人間は、特に苛烈に現在の風潮に反発したらしく。最後のテロを実行した奴も一神教の信者だった。
だが、今では「旧」一神教圏の人間はしがらみから解き放たれ。
すっかり狂気の時代を悔やんでいるという話だ。
まあ親から子へと伝承されていった思考停止のための信仰は、断ち切られた後である。
だったら、狂気の時代と考えるのも当然とは言える。
AIなどに信仰を教え込もうと考える輩もいたらしいが。
合理的なAIが、思考停止のシステムを受け入れる筈もなかった。
ともかく、今では信仰は停止し。
更には、宇宙人も恐らく来ていないと見て良い事が分かっている。
故に、誰も「UFO」が宇宙人の乗り物だとは考えていない。
それだけである。
ただ、それだけで、目撃された不可思議な物体を、全て迷妄で片付けるのももったいないなあとも思う。
故に私が調査する。
それだけである。
淡々と山で、周囲を確認する。飛んでいく物体は見えるが、その度にレトンが何が今飛んでいるかを説明してくれる。
今回は、役所も此処からほぼ動かない事を理解しているからか、比較的簡単にフィールドワークの許可は下りた。
ただし、動かない分。
根気がいるのもまた事実だ。
「お、あれは……」
「確認しました。 民間の自動運転車です」
「あー、まあそうだよねえ。 簡単には出て来てくれないか。 一時期はそれこそみんなで空を皿でも舐めるように見ていたのになあ」
「確かにそういう時代もあったようですが、本気で「宇宙人の船」を探していたのはごく一部。 殆どの人間は、そういった人間から金をせしめるためや、或いは売名のためにやっていたのかと思います」
また辛辣な。
まあ事実だけど。
苦笑いしながら、私は空を見る作業に戻る。何か不可解なものが飛んでいないだろうか。それは気になる。
そういえば、UFOも正体は球電現象だとか抜かしている輩がいたのだったか。
苦笑してしまう。
球電現象は、本当に条件が整わないと発生しないし、そもそも目撃されている「UFO」のような動きもしない。
まあそういう人間は。
「宇宙人の乗り物」の代わりに。
ただプラズマに捕らわれていただけの事なのだろう。
なんでもプラズマで説明できると思い込んでいるのは、文字通りカルトと同じだろう。
科学者も簡単にカルトに落ちる。
それだけの話が、こう簡単に歴史的事例として目撃できるのは。まあ面白い話だと思う。当事者ではないから。
そう意地悪く考えながら、空を見つめる。
それにしても、本当に雲が少ないな。
この辺りだと、鳥もあまり飛んでいない。
「UFO」は市街地の上空を飛んでいる事も多いと聞くが。
この山からは、そういった市街地の上も見渡すことが出来る。
まあ、気長にやるだけだ。
少なくとも、鳥を誤認する可能性は低そうだし。
ここでぼんやり座っている分には丁度良い。
問題は眠ったりしないこと。
主観情報のデータは保存しているとは言え。
それでも、眠ってしまったら全てが台無しなのだから。
連絡が来る。
南雲からだった。
社交辞令を応酬した後、ボイスオンリーで通話をする。
「怪異としてのUFOの研究とは、また個性的な事をしていらっしゃいますね」
「前から興味はあったんですよ。 そもそも20世紀が異常だっただけで、空を飛ぶ怪異は珍しくもありませんでね。 日本でも……おっと、釈迦に説法でしたね」
「まあ私としても知識に幾つか合致する怪異が存在します。 今、デスクワークで調査中です」
「ありがとうございます。 助かります」
通話を切る。
レトンが咳払いした。
「今通話を介して確認しましたが、南雲様は「イメチェン」をしたようです」
「へ?」
「爪を切り、化粧も薄くなっています。 また外を歩きやすいように、悩みながら靴を選んでいるようです」
「どうしたんだろ。 あの強烈なゴスロリファッションが結構見ていて面白かったのだけれどなあ」
他人のファッションは、私には面白いものでしかない。
自身のファッションには無頓着だ。
だから、興味がない分野にこだわっている他人には、むしろ新鮮な面白さを感じてしまう。
面白いというのはそういう意味で、である。
勿論レトンはそれを把握している。
一見すると暴言にも取られかねないから。他人が聞いている場合は修正を加えて補助してくれるが。
「服そのものはゴスロリファッションのままのようですが、生地を活動用に変えてきているようです」
「ううん、どうしたんだろう。 何か心境の変化でもあったのかな」
「南雲様は、ゴスロリに強い拘りがあるようですが、同好の士を持とうとは考えていないようです。 もしも何か変化があったのだとしたら、主が原因かと思います」
「私ぃ?」
ちょっと驚いた。
そして、驚いた瞬間。
視界の隅に、何か映った気がした。
即座に主観視点のログを確認する。
確かに、何か見えている。
だけれども、それは一瞬で消えてしまったのだった。
「あー、これが心の中に住まうUFOかな?」
「だとしたらいつもと同じ茶番ですね」
「客観情報では何も無し?」
「何もありません」
無慈悲なレトンの通告。
頭を掻くと、空の観察に戻る。だが、一日中見つめていても、何も視界に入ることはなかった。
とりあえず、今日はここまでだ。
途中、登山に来たらしい人がいて、私を見て驚いていたが。幾つの機材を置いて空を見ている事から考えて、何かあると判断したのだろう。
声は掛けてこなかった。
そもそも私の格好は、登山をするものではない。
それもあって、なんだろうとは思ったのだろう。だが、もしも不可思議に思うのなら、支援ロボットが後で説明をしてくれるはずだ。
私は伸びをすると下山する。
とはいっても、行きも帰りも車である。
ホバーで飛ぶ車は、今の時代は成層圏のギリギリまで行ける程である。
だから、こんな程度の山だったら、何の苦もなく送迎できる。
帰路、レトンと軽く話す。
「今回、確か条件が厳しいから、食事制限とかはNGが出てるんだよね」
「そうです。 高山病などに掛かるリスクを無視出来ないため、役所からは厳しい指示が出ています」
「分かった。 そうなるといつもの手は使えないか……」
「そもそもその格好で山に登るのが正気の沙汰ではありません。 主に異常があれば、すぐに引き返すように共言われています」
今回持ち込んでいる機材の一つは、レトンがやっている毎日の健康診断より正確に、リアルタイムの健康を測る機械だ。
それほど大きなものではないが。私が持ち上げられる重さでもない。
この装備のせいで。
持ち込んでいる機材の重さは、いつもの四倍を超えている。
それくらい、役所が危険視している、ということだ。
勿論この機材は貸し出しである。
幾つかの、どうしても夜間などに作業が生じてくる仕事のために配備されている機材であり。
今の時代、夜間などにどうしてもしなければならない作業についている人間はごく少数であるため。
機材の数はあまり多く無いが、それでも使われていないものが余るくらいなのである。
故に、貸し出しをされていても問題ない。
そういう機材だ。
車がゆっくり高度を下げていく。私は特に興味がないので、今も周囲を見ていた。
結局、私の心の中に住んでいる怪異は多い。
現象としての怪異にも結構遭遇してきたが。
それはそれ、これはこれ。
どっちも美味しそうなことに変わりはない。
もう一つあくびをする。
そのまま自宅まで急いで貰うが。
途中、レトンと幾つか話をしていた。
「UFOってのは、結局何が誤認されていたんだろうね」
「幾つも考えられますが、空を飛ぶものは何でも誤認されうると結論していいかと思います。 その中には、説明がつかないものも存在していたかも知れません」
「おや、かあちゃんにしては夢のある意見だね」
「確認しようがありませんので。 それに現在でも、よく分からない物体はたまに観測されています」
その後の分析でだいたいのものは正体が分かるそうだが。
特定まで至らないものも幾つもあるそうだ。
レトンの言葉には夢がある。
UFOが好きな人は。
高度なAIを搭載しているレトンの言葉を、さぞ喜んだことだろう。
「とりあえず、明日は予定通り別の山に行くよ」
「今日ほど標高差はないですが、それでも高山病をはじめとして、幾つかのリスクには気をつけてください」
「分かってる。 問題ない」
「……」
レトンはこくりと頷くと。
後は、家まで会話はしなかった。
帰宅。
機材などを片付けると、自動車は飛んでいく。まあレンタルの車だし。後は役所が指定に沿って綺麗にするのだろう。
全自動で、である。
レトンが夕食を作り出すのを尻目に、私はソファでくつろぐ。
目を酷使したが、目薬は差し済。
そのまま、ぼんやりとしていると。
もう夕食が出て来た。
そんな時間か。そう思って、夕食にする。
しっかり食べて生活のリズムを保たないと、いつか体を決定的に壊す。それを理解しているから、私は黙々と食事を取る。
レトンは私を連日健康診断しているから、常に健康のことを考えたベストのものを出してくる。
故に、安心して。夕食を食べる事が出来ていた。
1、空に舞うもの
飛んでいるそれをぼんやり見つめる。
飛んでいるのは、演習中の軍の新型兵器だ。
特に機密にされるような事もない。今は複数の国家が存在している時代でもないし。そもそも兵器の利用方法は限られている。
昔は人間を殺すためだけに兵器は作られていたが。
今の兵器は、ただ技術をロストさせないために作られている。
殆どがAIを搭載していて動いていて、昔だったら有効だったEMPなども当然通用する事はない。
というか、EMPなんか既に過去の産物である。
いずれにしても、あれはUFOではない。
分かっているから、私はぼんやりと、空を見つめた。
高度を昨日より落としているから、鳥も多い。
狩をしているワシを見る。
ワシは鋭く急降下して、獲物を狩りに行く。かなりの迫力である。
ただ、あれはUFOと誤認しようがない。
どう見ても鳥だ。
よほど、何もかもがUFOに見えているような人でもなければ。見間違うことはないだろう。
そもそも宇宙人が地球に来ていたら、人間と接触したいとは思わないだろう。
人間が人間を救うことですら容易では無い。
一時期は、聖人といえる人格を持つ存在をあの手この手で否定しようとする試みまで人間は熱心にやっていた。
人間至上主義とも言える、薄汚い思想からだ。
結局の所、宇宙人に救いを求めていた人間も。
自分に都合が良い宇宙人が来てくれる事を願って、思考停止していただけだったのだろう。
それはカルトとなんら代わりがない。
滑稽ではあるが。
ある意味気の毒な話でもある。
実際問題、思考停止しなければ生きていけないくらい辛い目にあう人間が、昔は大勢大勢存在していた。
だからカルトは猛威を振るったし。
思考停止をさせる宗教は、支配の道具としてベストの存在となった。
阿呆はともかく、時には支配されると分かっていても、宗教に自ら身を差し出す人間は実在した。
それくらい、ストレスが多かった。
そういう事なのだろう。
そしてそんな人間が欲のまま社会を回していたから。
悪循環は更に加速していく事になった。
人間は万物の霊長である。
そんな妄想が根底にあったから、どうしても人間はその悪循環を止める事が出来なかった。
ただ、それだけの事だった。
私は、無言で空を見つめる。
また何か視界に映った。一瞬では無い。ゆっくりと、視界を左から右へと横切っていく。
なんだろあれ。
そう思ったら、レトンが小首を傾げていた。
「データなし。 恐らく本来の意味での未確認飛行物体です」
「あれが!?」
「はい」
「……記録して、すぐに役所に情報を流して」
レトンが頷く。
私は、それを主観視点だけではなく、客観視点でも確認できている事を知ると。むしろちょっとガッカリした。
特に超速度で飛んでいる訳でもないし。
遠目には何か車か何かとしか思えない。
やがてそれは、雲の中に消える。
しかし直前に、ドローン、それも政府直属の高性能ドローンが飛来して、追いすがる。
そのドローンの方が、余程UFOじみた動きをしていたが。
それはまあ、ご愛敬という所である。
程なくして、情報が追加で入ってくる。
「目標ロスト。 痕跡などを分析している途中ですが、有害物質などは特にまき散らしてはいないようです」
「うーん、なんだったんだろう」
「大きさは直径四メートルほど。 生物としては非常に大きいのですが、宇宙船としては小さすぎますね」
「うん、それは思う」
直径四メートルというと、かなりの大きさだ。
円形の生物を間近でみるとよく分かるのだが、円形だと生物は非常に大きくなってくる。
これはマンタなどの体が長細くない生物を見ると実感できる。
四メートルというのは、かなり巨大な存在である。
それが空を飛んでいたのは面白い。
一体アレは何だったのか。
雲の中でロストしたというと、自然現象だった可能性も捨てきれないか。
レトンも確認していて。
そもそも今までデータにある自然現象と合致していなかったとなると。
その正体は。実に興味深いと言えた。
とにかく、観察を続ける。
レトンは役所にデータを送っている様子である。
多数のドローンが、周囲を飛び回っている。ちょっとあれは。観察にはまずいかもしれない。
「結構大きいドローンが来てるね」
「万が一を考えて、地区の旗艦ドローンが来ています」
「旗艦ドローン?」
「軍での最強のドローンです。 単騎で、21世紀の軍隊で言えば米軍の第七艦隊を殲滅できます」
それはまた。凄いのが出て来ているなあ。
同時に、もしも怪獣映画だったら、真っ先に撃墜される奴だな。
そう不謹慎なことを考える。
なおドローンと言う事は無人だ。
無人なのは、幸いと言うべきだろう。
「なんだか、私が騒ぎを起こしちゃったかなあ」
「いえ、この場に偶然主がいただけの事です。 それに、雲の中に入ってロストしたということは、恐らく宇宙人の乗り物ではありませんし、何の軌跡も残さず現在の技術による追尾を振り切るようなテクノロジーの宇宙人の船だったら、その時は……」
「どの道手には負えない、か」
「そうなります」
まあ、そんなものが飛んでいるとは思えないし。
それでいいのだと思う。
無言で、ドローンが飛び交っている空を見やる。レトンは其方を見て、何もいわない。ということは、未確認飛行物体つまりUFOはあの中に混じっていないという事なのだろう。
無言で様子を見ていると。
やがて、連絡が来る。
役所からだ。珍しい。普段はレトンの所に来るのに。
私に来たメールの内容も、事務的だった。
「民俗学者柳野千里先生、アンノウンの通報ありがとうございます。 先生の研究については言及を避けますが、いずれにしても迅速な通報でアンノウンの調査を進めることが可能です。 ありがうございました」
最低限の内容だけだ。
まあ、別にそれでいい。
そもそも日本人ですら使いこなせないような美辞麗句と社交辞令で固めたメールとか、送ってこられても困る。
無言でメールを見やると、これは流石にもうUFOは出ようがないだろうなと思う。
不意に、レトンが腕を掴んだ。
「どしたの?」
「体調が悪化しています。 高山病の初期症状でしょう」
「うえ、まじか」
「一度戻りましょう」
頷く。
高山病が想像以上にまずい病気であることは、私も知っている。場所によってはそのまま死ぬ事だってある。
すぐに車が来て、そのままホバーをふかして高度を下げていく。
その間。レトンが手際よく私を世話する。
シートを倒して、そして幾つかの薬を処方。私も、即座に飲み下した。レトンが調薬をミスる筈もない。
「うーん、あまり自覚症状はないなあ」
「自覚症状が出てからでは手遅れです」
「そうか、そうだよね……」
分かっている。
いずれにしても、あの場にいてももうUFOは出無いか。出たとしても、「未確認」飛行物体ではなくなっていただろう。
とりあえず、引き上げる事にする。
それにしても、派手さの欠片もないUFOだったな。
そう残念に思う。
勿論、そんなものだとは分かっている。
怪異だって、実際に遭遇してみれば。楽しいのは私だけ、というケースがたくさん存在していた。
私の主観視点のデータは、「ホラー映画」とか「サイコスリラー」とか言われて。たくさん見に来ている奴がいるくらいだ。
さっき見た未確認飛行物体だってそう。
飛ぶのだってそれほど速くもなかったし。
そもそも、人間が勝手に未確認飛行物体に夢を見ているだけだ。
それは私も分かっているから。
自身も何処かで勝手に夢を見ていた事に気付いて、少し罪悪感も感じていた。
まだまだだなあ。
客観視点を極めるには、もっともっと冷静でいなければならない。
怪異が大好きだという自分は止められない。
それについては。もう一種の体質だ。
だが、私は同時に学者なのだ。
学者である以上、私は常に起きた事を冷静に、客観的に見る事ができなければならないだろう。
それは分かりきっている。
だからこそ、今何とも言えない苦い気分を味わっている。
本当に、まだ修練がいるなあ。
そう、手当てを受けながら思う。
やがて、初期消火が成功したらしく、レトンがもう大丈夫だと言う。私は頷くと、シートを起こした。
いつの間にか、自宅の前だ。
まだかなり早い時間である。
「はあ。 なんだか自分が許しがたい」
「心理を分析する限り、主は矛盾の塊で、他の人間には理解しがたい精神構造の持ち主です。 治療法やそれを慰める方法が私には思い当たりません」
「それは分かってる。 他の欲求で満足出来れば苦労はしないんだけどなあ」
美味いメシだけ喰ってれば嫌な事全部忘れる。
そういう人の話を聞いて、どれだけ楽なのだろうと羨ましくなったことが昔ある。
この手の人間は、他人を自分と同じと思いがちで。
更に言うと、そうでない存在を変人だと傲慢に考える事が多いが。
無論私はそんなではない。
だが、そういった暴論を振りかざす人間が、たまに羨ましくなる。
そういった連中は、さぞや悩みも少なかろうと。
自分を世界の中心に置いて考えているから、自分が間違えたかなんて思いもしないし。
自分はコミュニケーションが得意だと考えているから、そうでない人間は全てレッテルを貼って馬鹿にする対象。つまり、自分より下の存在と考える。
この手の人間は、時に学者や医者すらも、自分より下と考えていたようだ。
どこまでも自分勝手で。
そして悩みがなかったのだろうなと思う。
まあ、どうでもいい。
私とは相容れない存在だし。
今は絶滅危惧種だ。
自宅に戻る。
少し足下がフワフワするが、先に入れた薬の影響だろう。いずれにしても、高山でのフィールドワークだ。
無理があることは、分かりきっている。
レトンが夕食を持ってくるが。
消化に良いものを中心にしている様子だった。
まあ、別にそれでいい。
淡々と食べる。
消化が良いものはあまり美味しくないケースがあるのだが。レトンはその辺りも工夫してくれている。
「あのUFO、なんだったんだろうね」
「アンノウンだとしか言えません。 幾つか仮説は立てられますが、いずれもが無意味だと考えます」
「同感だ。 私も仮説を立てる事に興味はあんまりない」
「主はどちらかというと、実物をその目で見ることだけを考えていますね」
その通りだ。
そして、それは別に悪い事では無いとも思う。
ため息をつくと、私は思う。
仮説は、別の人間が立てれば良い。
自分はただ。
目撃したい。
遭遇したい。
ただ、それだけだ。
怪異が危険なら、それはそれでかまわない。怪異に殺される事があったら、それは仕方がない。
だが、怪異に殺された人間なんて実在しない。
怪異が恐ろしい力を持っている世界ならともかく。今の時代は、死因から何から、全て分析されて記録されている。
そんな時代には、怪異がいないことがこれ以上明確に分かってしまう。
故に私は。
それでも怪異に会いたいと思いつつも。
怪異を冷静に分析し。
遭遇を楽しむ事が出来るのだ。
「今日は、早めに休んだ方が良いでしょう」
「そうする。 かあちゃん、環境の調整は頼むよ
「分かりました。 風呂は短時間だけにしてください」
「うん」
そのまま、休む事にする。
やはり高山でのフィールドワークは、今までとは違う意味での負担が体に掛かっている。
屈強な男でも船酔いをするように。
これは体質から来るものなのだろう。
「南雲先生にメール送っておこう」
「それがよろしいかと思います。 今でも年に数度は未確認の飛行物体が観測されているのですが、それに遭遇できたのはこれ以上もないことだと思いますので」
「地味すぎてそうだとは気付けなかったけどね……」
「それもまた、今の技術によって気付くことが出来た奇蹟だとでも考えればいいのです」
無言で私は、レトンの言葉に頷く。
レトンは奇蹟なんて全く信じていないだろうが。
分かりやすい言葉に単純に翻訳してくれただけだ。
それに、確率的に言えば確かに奇蹟と言って良さそうである。
私も、それでいいと思う。
風呂をぱっぱと済ませる。
その後は、さっさとねむる事にする。
いつもよりもだいぶ眠りに入る時間が早いが。
それでも、眠る事によって、多少は気分も良くなるのだった。
夢を見る。
最近、また夢を見るようになって来た。
周囲には霧が満ちていて。
たくさんの怪異が歩いている。だが、どの怪異も、私にかまっている余裕はなさそうというか。
いずれもが、彼岸に向けて歩いているようだった。
ああ、あれらは。
殺された怪異だ。
怪異は伝承から消え去ると、文字通り死ぬ。
良い例がわいらという怪異だ。
この怪異は伝承が失伝してしまっていて、諸説はあるものの既に何の妖怪か分からなくなっている。
いま、呻きながら通って行くのがそのわいらである。
ああ、あの世に行くんだな。
そう思うと、私はちょっと悲しくなってきた。
付喪神も、たくさん黙々と歩いている。
小物や道具に手足が生えただけの怪異。
いずれもが、既に誰も存在を信じていない怪異。
ああやって、彼岸に。
つまりあの世に行く最中だ。
完全に否定された怪異はとても悲しいものだ。
そもそも付喪神は、その正体がよく分かっていない。
昔の職人を怪異として表現した、なんて説まである。つまり、全くという程分かっていない存在だ。
だから、こうして消えゆく。
ものを大事にする日本人だから考えついた怪異だ、などという説もあるが。
今の時代、そもそも世界規模で遺伝子データがミックスされている。特定人種など、そういう意味で存在しなくなっていた。
そして、被差別階級も。
昔の日本では、職人の地位が著しく低かったことを。
こうして見ていると、思い出してしまう。
なんだかため息をついていると、側を歩いて行ったものがいる。
河童だ。
誰もが知っている怪異。
だけれども、誰もが信じていない怪異だ。
そもそも河童は存在がほぼ確定してしまっている。
サンカの民と言われる不定住民をベースに、様々なものの要素を掛け合わせ。中華から入ってきた河童の原型となる妖怪を組み合わせたもの。
それが河童だ。
行ってしまうんだな。
そう思うと、ちょっともの悲しい。
あの世に向かう怪異を見ていると。
山ン本さんが来る。
「怪異を取って食いたいと考えているお前さんにしては、随分としみったれておるのう」
「いや、怪異が可愛すぎて食べたくなるだけでしてね。 可愛いからこそ、死んで行くのを見るのは悲しいんです」
「そんなものなのか。 食ったら死ぬと思うのだがのう」
「まあ、そうですけれど」
確かに本当に頭から囓ったら死んでしまうが。
それはそれだ。
私は怪異を本当に愛すべき隣人だと考えているし。それについては、誰に対してもそうだと言える。
故に、私はこの怪異の彼岸に向かう列を見ていると。
哀しみを感じる。
「怪異って、普通に死ぬんですね」
「当たり前だ」
「自分でも知っていましたが、こういう風に消えていく様子を見ると悲しいです」
「怪異どころか、神でも死ぬ。 お前達が南米と呼んでいた地域の神々がどうなったか、知っているのではないのか」
分かっている。
一神教によってありとあらゆる意味で蹂躙され。
あらゆる宝は奪い尽くされ。
住民は病気を撒き散らかされて殺され尽くされ。
そして全ての民は奴隷にされて。結果、南米の文明は発展が千年以上は消し飛ばされている。
それだけしておいて、一神教信者は何も反省などしなかった。
むしろ、「未開人を啓蒙した」と、自己の功績を誇ることさえしたのだ。
そして南米の文化は失われ。
神々は今や名前すら分からない。
「ああやって、何でも彼岸に行くんですね」
「わしとていつあっちに渡ってもおかしくないわ。 悪五郎めは既に彼方に渡ってしもうたしな」
「ああ、西日本の魔王……」
「何しろ誰にも怖れられていないからな。 わしとて、いつ彼方に行く事か」
ぼんやりと、葬列を見ていると。
やがて目が覚めた。
良くない夢を見た気がする。
何度か、溜息が出た。
そして私は、目を擦る。寝起きだからではない涙がついていた。まあ、夢の影響だろう。
ため息をつくと、それでも顔を洗いに出る。歯を磨いていると、レトンが朝食を作っている音が聞こえた。
いつまでもセンチになっているわけにもいかないか。
とにかく、今のうちに。
今日のフィールドワークのために。
多少は体調を整えておかなければならなかった。
2、怪異への変転
体調を確認しながら、山に到着。比較的低い山だが、それでも周囲に視界を遮るものはない。
それだけ怪異を目撃しやすくなる。
ましてや今回は、空だけに出現する怪異だ。
文字通りのUFOを直前に目撃したばかりである。
だから、今日もある程度期待できる。
いかにも宇宙船な動きをしてほしいと言う期待がある反面。
昨日。地方の旗艦まで繰り出して軍が探索をしていた様子を見ると、大事にならないといいなあとも思った。
昨日の事は、話題がそれなりに拡がっている様子だ。
軍が確認したが、痕跡は発見できず。
第一発見者は私。
ということで、私のレポートにはアクセスが来ているが。
どうしてだろう。
あの何かよく分からない飛行物体は。
其処に実体がある何かだったから、だろうか。
ちっとも食欲を感じなかったのだった。
移動中に、軽くレポートに来ているコメントを確認しておく。
専門家がコメントしている事も多いのだ。
ただ、殆どは雑談混じりだったが。
近年は文字だけで会話するケースや、仮想空間で会話してログが残っているケースなど、色々ある。
私のレポートは、既に見る事を趣味にしている人間がサロンを作り始めている様子であり。
掲示板文化の頃ほど無法ではないが。
それでも、ある程度フランクなやりとりがされるのが当たり前になりつつあった。
困ったことに、こういったサロンに本物の専門家や博士が混じっていたりする。故にあまり無視もできない。
南雲がチェックはしてくれているのだが。南雲だけに任せる訳にもいかないので。たまに目を通すようにしているのだ。
「なんだか思ったよりずっと地味だな。 でも、この辺りを飛んでいた物体はなかったし、直径四メートルもあったんだろ」
「確かにUFOで間違いはないらしいし、軍の旗艦ドローンまで出動して状況確認したらしいし、本物だろう。 それが宇宙人の乗り物かは別として……」
「なんだったんだろうな、これ」
「専門家の分析待ちだろ。 ドローンがありったけの分析データを回収したらしいし」
まあ、そうだな。私もそう思う。
意外と冷静な反応をしている人が多くて驚いた。
これなら、変な風に騒ぎが拡散する事もないだろう。500年昔だったらUFOマニアが大騒ぎしただろうが。
今は、至って平和なものである。
空を見やる。
此処は空が遠いな。
昨日までの山の高さを思うと、どうしてもそう感じてしまう。
実際問題、山頂が雲を突き抜けていない。
多分だけれども、役所が高山病を考慮して、このくらいの高さの山を既に選んでくれていたのだろう。
私は歩き慣れているが。
高山病に関しては体質がほぼ未知数である。
だからこうやって、低い山も混ぜて様子を見る。
そう役所が判断したとみて良い。
役所の側でも、幸福度がさがらないように細かい工夫をしてくれている。この辺りは、人間が政治をしていた頃よりもずっと人間味があるので、色々とおかしくもあるのだった。
山頂に降り立つ。
其処で、監視のための設備をてきぱきとレトンが組み立てて。私もちょっとだけ手伝う。動きがどうしても速すぎてとても真似できない。
しばしして、監視所が完成。
後はフィールドワークだ。
無言でその場での監視を続ける。
私は色々な態勢を試して、飽きないようにしながら、空を見る。
雲が多いが。
未確認飛行物体は、当たり前ながら見える所を飛んでいる時に観測される。
だから別にこれでもかまわないだろう。
しばらくは正座して見ていたが。
やがて足を崩して、雑な態勢で監視を続ける。
一点をずっと見ているのも何だし、時々観察方向を変える。
レトンは人間と同じ見た目をしているが。
こう言うときは必ず来る監視ドローンなどと視界を共有。
基本的に360°、それに加えてかなりの広範囲を監視してくれている。もしも昨日のような、分からないものが出て来た場合は、すぐに教えてくれる。
空が遠いとは思っていたが、雲が出てくると流石にそれは結構近い。
標高が低めの山だといっても、やっぱり地表に比べるとどうしても雲は近くなってくるものなのである。
まあ、こんなものだな。
そう思いながら、私は淡々と観察を続ける。
やがて方向を変えて、空を見ていると。
恐らくホバーの自動車が、視界を横切っていった。
一応レトンに確認するが。
案の定、飛んでいる自動車だった。
それだけである。
まあ、別に良い。
淡々と監視を続行。
やがて、レトンが準備を開始する。昼ご飯の時間だ。まあ、悪くは無いとみて良いだろう。
そもそも昨日、現物を見たのである。
だから、あまり私も高望みはしない。
野外のキッチンセットを使って、てきぱきと料理をしていくレトン。
相変わらずの手際で、ロボットだと知らなかったら21世紀くらいでも雇いたいというシェフがわんさかいただろう。
今の時代もプロのシェフはいるし。
趣味で家庭料理をやっている人間はいるのだけれども。
はっきりいってレトンの足下にも及ばない手際で動いている。
この辺りは中身が機械かそうではないか。
人類が編み出した料理技法を全て極めているかそうではないか。
それらの差だ。
だから、今プロをやっている人の技量が低いわけではない。私だって、もしもロボットが学者をやり始めたら、手際が悪すぎると言われてしまっていただろうし。
昼ご飯が出来た。
野外で食べる料理はそれだけで美味いものだ。
よくしたもので、野外で食べるとインスタントラーメンでもうまい、みたいな話も聞く事がある。
それと同じなのだろう。
黙々と食べて行く。
今日のはホイル焼きだが、火の通し方とかが完璧だ。それはそうだろう。どうしても勘に頼らないといけなかった過去の料理と違って、レトンは各種センサで文字通り料理の状態をリアルタイムで確認しながら作業をしている。
完璧な状態で出てくるのも道理である。
しかも近年のロボットは、いわゆる「乙」の概念も理解している。
乙というのは、完璧で最高の「甲」の一つ下のランク。
敢えて最高ランクの下を選ぶ事により、欠点があるがそれを味として楽しむ文化である。
レトンは好みにあわせて、あえてこの乙の状態の料理を作ってきたりする。
別に私に媚を売ってそうしているわけではなく。
精神状態を瞬時に分析して、それが適切だと思った場合にそうしているだけだ。
よく分かっているので、好きに任せる。
充分色々な素材のホイル焼きを食べて満足したあと。
また、仕事に戻る。
怠け屋の主人を持っているロボットは、時々仕事に主人を急かす事もあるそうだが。
レトンにそうされた記憶はあまりない。
私は、仕事……というよりも怪異が大好きだから。
だから、むしろ仕事にストップを掛けられる方だ。
同じように好きを仕事にしていて、ストップを掛けられる主人もたまにいるそうである。まあ、希少種だ。
だからといって、どうとも思わないが。
黙々と作業を続けていて。
やがて、徐々に空の色が変わってくる。
昨日ほどでは無いが、寒くなって来たな。
そう思うと、もう雨が降り始めていた。
レトンは既に読んでいたのか、さっと大きなテントを展開。私が濡れないように、工夫していた。
「ありがとかあちゃん」
「いえ。 しかし雨が激しくなるようなら、早めの撤退を考えましょう」
「うん、まあそうだね。 今回は予定通りのフィールドワークがなかなか出来ないなあ」
「天気予報のなかでも、山の天気を適中させることが出来るようになったのは此処200年ほどの事です。 今では山といわず何処の天気であっても適中できるようになっていますが、それまでには先人の多くの努力がありました」
だから仕方がない。
レトンの言葉を汲み取った私は、頷くとテントの中で観察を続けるが、程なく大雨になる。
しかも、天気の回復の見込みがないとレトンが言うのを聞いて。
撤退を決めた。
時期によっては、もちろん山によってもそうだが。これが雨では無く、雪であった可能性だって高い。
そう考えると、撤退はごく当たり前の判断である。
そのまま車を呼んで、帰宅に移る。
今日は特に何も怪異は出無かったが、それはそれでかまわない。
昨日出た。
今日も出るとは限らない。
それがフィールドワークだ。
翌日。
出かける前に、南雲から連絡がある。
またデスクワークで、資料をまとめてくれた様子だ。
古い時代に確認されたよく分からないUFOについての記録と。一番UFOが熱心に観察されていた頃、つまり20世紀の記録である。
それらを確認して、そして内容をチェックする。
やはりというかなんというか。
いわゆる「アダムスキー型」というのは、20世紀にだけ出現が確認されている、一種の徒花だ。
それ以外の時代の人々は、奔放な想像力を働かせ。
よく分からない空を飛んでいるものに、色々な設定を付け足しはしていったものの。それを宇宙人の乗り物と定義することは無い。
有名なものとして、インド神話に登場するヴィマナがある。
これはインド神話でたびたび登場する空飛ぶ乗り物で、操縦方法などが詳しく記載され。
よくあった「古代文明は宇宙人がもたらした」説の証拠とされたものだが。
そもそもインドでは高度な哲学である仏教が前7世紀〜前6世紀くらいに成立したと言われており。
また世界の文明で、此処と南米だけが0の概念を発見した、と言う事もある。
それだけ複雑な知識と学識を有していた文明であり。
それくらいの奔放な想像力が出現してもおかしくはなかっただけだろうと、私は考えている。
20世紀の頃には、欧州系の文明以外は人の文明に非ずという悪しき風潮が存在していたのは事実だが。
現在ではそのような最悪の迷妄はとっくに取り払われ。
各地で冷静な研究が行われているのが実情だ。
ともかく、である。
様々な形状が確認されるようになった20世紀のUFOのうち。
確かにその形であったものは、他の時代には殆ど存在していないとみて良いだろう。
南雲の研究は随分しっかりしている。
実物の一次資料に当たる事も多いのだ。
しっかりしているのが当然だとは言えるだろう。
いずれにしても、それはそれでいい。
ともかく、順番にものを片付けて行くのが先決である。
観察に出向いた山は、昨日より少し標高が高めだが。最初に赴いた山よりはぐっと低い。
多分だが、今後少しずつ標高を上げながら様子を見るのだろう。
移動中、敢えてゆっくりやっているのも。
多分だが、体に負担を掛けない為である。
それはそれで嬉しい。
私は、淡々と移動中に、思索することが出来る。
レトンがそろそろだと言うので、窓の外を見ると、雲には届かないものの、相応の標高の山頂が見えてきた。
音もなく降り立つ自動車。
すぐに設営をして、監視を開始する。
今日も空気が気持ちいいが、それ以上にちょっと寒いな。
一応、上着は多めに用意してきているのだが。
まあ、これくらい寒い方が、むしろ都合が良いだろう。
そう思って、私は監視を開始。
自分をある程度追い込む方が、怪異は見えやすくなる。
今回は環境が厳しいこともあって、メシ抜きとかはレトンは認めてくれなかった。だから、限界まで薄着にしている。
とはいっても、いつもの格好に追加でコート、くらいである。
私はそれで、観測を続ける。
陽光がちょっとまぶしいな。
そう思ったので、遮光レンズをセット。
3Dの遮光レンズなので、あまり体に負担も掛けない。そのまま、遮光レンズを通して観察を続ける。
何か見えるかなあ。
手をかざして見ていると、大きな鳥が飛んでいくのが見えた。
「イヌワシかな」
「イヌワシです。 保護されている個体の中でも、かなりの高齢個体です」
「長生きさんだ」
「イヌワシの個体数は、ここ最近でやっと安定しました。 現在では、保護をしなくても適切な個体数を保てるか試験中です。 現在、専門家が監視をしている最中ですので、周囲をドローンが飛ぶかも知れません」
昔だったらUFOと勘違いされる案件だな。
そう思って、苦笑する。
イヌワシは周囲をゆっくり飛び回る。
文字通り、空の王者の貫禄だ。
そのまましばらく飛び回っていたが、やがて高度を落としていった。獲物を見つけたのかもしれない。
いずれにしても、私には関係無い。
引き続き、空の監視を続ける。
自動車が行く。
誰が乗っているかは分からないが、自動車だ。
黙々と様子を見ていると、此方を一瞥だけしたような気がする。まあ、手を振り返す必要もないだろう。
黙々とそのまましていると。
ちょっと騒がしい声が聞こえてきた。
登山客か。
一瞥だけする。
数人一組で、山を上がって来ている様子だ。
ただ、中の何人かは支援ロボットだろう。私の仕事のことも説明はするはずだ。
山頂といっても、別にそこまで広いわけでもない。
別にかち合う事もあるまい。
私は伸びをして、余裕のまま振る舞う。
レトンはちょっとだけ呆れた様子だった。
「まだ研究を開始して数日なのに、随分となれたものですね」
「うーん、ちょっと腑抜けてる?」
「いえ、そういう意味ではありません。 適応力の高さに、我ながらちょっと呆れているだけです」
「呆れているとな。 まあそれでも良い方向に呆れてくれるんだから、それでいいかな」
からからと私が笑うと。
更にレトンは呆れたようだったが。
ともかく、後ろの雑音は無視。
邪魔しないようだったら、放っておく。
ロボットだろう者が研究中だと告げて、それでぴたっと黙る。これは人間は一人だけで、残りは支援ロボットか。
南雲みたいだな。
そう思ったが。
聞こえていた声は、丁度青春を謳歌している年頃の女の子のものばかりだった。
そうなると、同年代の支援ロボットを複数おいているタイプか。それも同性の。
恐らくだが、友達がほしくて寂しいタイプかな。そう思って、ちょっと不思議な気分になった。
友達がほしいと思った事も、一人で寂しいと思った事も一度もない。
だから、人の違いを感じただけだ。
いずれにしても、登山客はしばらく近くにいたが、やがて下山していった。私も、黙々と観察を続ける。
途中に出現するのは、殆どが鳥と自動車。
たまに虫が飛んでいるのも見たが、それもそれほど遠い距離ではない。
大型の蜻蛉が飛んでいる。
ヤンマだろう。
ものによっては時速70qくらいで飛ぶという噂もあるが、どうにもそれは信じがたい。
それでも、かなりの高速で飛ぶのは事実なので。
それはそれで、興味深かった。
ヤンマもかなり個体数を減らしていた時期があると聞いている。
ならば、数を戻しているのなら、良い事だろう。
そう思って、伸びをする。
昼を過ぎても。
未確認飛行物体は出現せず。
そして、夕方になって寒さが洒落にならなくなってきた頃に。この日の観測も、切り上げる事とした。
数日、成果がない日が続いた。
山頂の気候は気持ちが良かったが、それ以上でも以下でもない。無言で空を見続けて。それだけ。
まあレトンが作ってくれるアウトドア料理はいずれも美味しかったし。
高度が高度なので、虫が入る恐れもほぼなかったけれども。
それはそれだ。
夕方になって、山を下りて切り上げる。
空が高ければ、UFOも出る可能性が上がるかな。
そう思ったけれども、やはり考えが甘いか。
世の中には、運を溜めてここぞと言うときに使うと言う考えがあるらしい。その考えに沿うならば、私は最初の本物の目撃で運を使い切ったことになる。
そうなると、しばらくは幸運は来ないだろう。
いずれにしても、しばしぼんやりとして空を見る。
何かが飛んでいた気がしたが。
レトンが、即座に言う。
「主観視点だけの観測ですね。 客観的な視点では、何も確認できていません」
「うーん、でも念の為記録しておこう」
「分かりました」
茶番だと、レトンも塩対応はしない。
結構連日の調査で何も出ない事について、私が不満を抱え込んでいる事に気付いているのだろう。
だからそれはそれで、有り難い対応だと言える。
「UFO、出ないなあ」
「そんなに軽率に出るものだったら、とっくに解明されているでしょう」
「それもそうか……」
正論をブッパしてくれるレトンは有り難い存在だ。
そう考えて、言う事はきちんと聞く。
世の中には、正論には言い方があるだのなんだの。お気持ちを重視して事実を無視する輩が存在するが。
そんな唐変木と一緒になるつもりはない。
機嫌が良かろうが悪かろうが、正論を聞けないようでは人間として終わりである。
そう私は、様々な時代の暴君の歴史を見ながらそう感じる。
それにしても、本当にUFOというのは何だったのだろう。
一時期は、凄まじいリアリティがあって、宇宙人が迫ってきているような感触を人々に与えていただろう。
だが、現在では真面目に誰も信じていない。
そもそも、正体が分からない現象としての怪異は他にも幾らでもある。
やっと怪異として、UFOは認識されるようになったとみて良いのではあるまいか。
無言で暗くなりゆく空を見る。
空には何も飛んでいない。
昔だったら、それこそ賑やかに色々飛んでいた時代もあったのだが。地球にいる人間が10億になった今の時代は、なおさら空は静かだ。それでいいのだ。
私は、ふうと嘆息する。
なんというか。
怪異としてのUFOがやっと受け入れられる土壌が。
ここでやっと誕生したのだとしたら。
UFOという怪異と人間が向き合うのに、随分と時間が掛かってしまったのでは無いかと感じる。
本当に人間は、技術の進歩以外はだらけているなあ。
そう感じる。
インドですら、高度な哲学や数学が花開いた時代もあったのに。
それ以降は階級支配を正当化するカーストの無能な思想が、二千年以上も居座り続けたのだ。
人間は簡単に思考停止するし。
支配に都合が良ければ、どんなものでも使う。
それが文明を後退させようが関係無い。
支配者の多数にとっては、今の自分さえ快楽を満たせればそれでいいと考える。
残念ながら。
それが平均的な人間だ。
ふと思い当たった事があるので、南雲に連絡する。
南雲も、すぐに連絡に応じてくれた。
「どうしました、柳野先生」
「UFOが支配に用いられる可能性があったものをリストアップしてくれる?」
「支配?」
「ああ、宗教のようにということ」
それならと、南雲はすぐに幾つかリストアップしてくれる。
なるほど、なるほど。
やはりあるか。
政情不安だった事もあるのだろう。文字通りの淫祠邪教の数々で、UFOが宇宙人の乗り物として。ご本尊に使われている。
その中には、信者を大量に巻き込んで集団自殺した凶悪なものまで存在しているので。
私は思わず口をつぐんでいた。
これは、ビンゴとみて良い。
20世紀は、核戦争による世界の滅亡が眼前に見えていた時代だ。それこそ、文明が進んだ宇宙人にすらすがりたくなったのだろう。
勝手な話である。
宇宙人からして見れば、こんなオリオン腕の端っこにあるどうでもいい星なんぞ救う意味がないし。
何よりこんな獰猛で身勝手な生物なんか、関わり合いにもなりたくないだろう。
だが、そういった客観的な視点で、どうしてもものを当時の人間達は見る事が出来なかった。
一種の集団ヒステリーだったのかも知れない。
其処に何かよく分からないものが出現したから飛びついた。
むしろ、UFOというのは。
怪異としては、悲劇の産物だったのかも知れなかった。
「ありがとう。 レポートに切れ味鋭く色々書いてみるよ」
「参考になれば何よりです」
「うん……」
たくさんの人が死ぬ事件まで起こしているのだ。
笑い事には絶対に出来ない。
逆に言えば。
だからこそ、UFOは当面怪異にすらなれなかったのだろう。
正体が何か分からないから、「未確認飛行物体」と呼称する。
だが、それは現象としてのそれなのか。なんだか分からないものなのか。未だになんとも言えない。
もしも本当に宇宙人の乗り物だったら。
乗っている宇宙人は、地球人の愚かしさに、目を回しそうになっているのではあるまいか。
嘆息すると、私は頭を振る。
やっと今の時代、カルトと切り離されたUFOは冷静に研究できる。
そう思って、何だか悲しい気分にさえなっていたのだった。
3、現象と実物
手をかざして見ていると。
それは急降下して、獲物を狙っているようだ。
さて、獲物は捕まえられたかな。
そう思いながら、様子を見る。
見ていたのは、隼だ。
隼は鷹や鷲と違う分類に入る。同じ「猛禽」という括りだが、種がかなり違っているのである。
その凄まじい飛行速度が有名だが。
飛ぶために色々なものを犠牲にもしている。
飛ぶというのは。
生物にとってはかなり大変な作業で。
ちょっとした行動が、簡単に致命傷になってしまうのだ。
私はしばらく様子を見ていたが、どうやら隼は狩りに失敗したらしい。また、空に飛び立つと。
視界の果てに消えていった。
ぼんやりしていると、レトンがコーヒーを淹れてくれた。
頷いて、飲む。
コーヒー豆を炒って挽いたきちんとしたコーヒーだ。インスタントでも充分なのだが。まあ、此処は好意に甘える。
一流のバリスタの技術を全て取り込んでいるレトンである。
そのレトンが最高の技術で挽いたコーヒーだ。
まずいわけがなかった。
「少し休憩を入れますか?」
「いや、今休憩すると、多分寝ると思う。 もう少し粘って見る」
「しかし主の集中力も限界に見えますが」
「うん、それは否定できない」
だが、この限界を攻めるときに。
それが。
今探しているのはUFOだが。
とにかく、怪異が姿を見せる事がある。
この間偶然見た、あの実物はそんな私の事情なんて関係無いだろう。
だが、私の主観にだけ現れるUFOはどうか。
経験的に分かっているのだ。
こういう、かなり厳しい条件に身を置いたときこそ、怪異は出現しやすくなるのだと。だから、私は極限状態を攻める。
そして、怪異が出るのを待つのだ。
コーヒーを口に入れつつ、空を見る。
浮かんでいるのは雲ばかりだが。
その合間に、さっと何かが通った。
うん、見えた。
レトンの反応からして、私にしか見えていないが。
「連日とはいかないけれど、出てくるようになった。 でもやっぱり自分を追い詰めないと出て来てくれないね」
「茶番です。 私もいい加減、本気で心配になって来ています」
「大丈夫。 無理なときは言う事聞いているでしょ」
「それは事実ですが」
レトンが呆れている。いつものように。
それを見て安心する。
いずれにしても、今のデータは記録して、レポートに記載する。
うんと伸びをすると。
多少座り方を崩して、そしてまた空を見つめる。フィールドワークの最中は、余程の事がない限り誰も連絡をしてこない。
連絡があっても、レトンが受けて話をしてくれる。
だから、集中できる。
無言で集中していると、やがてもう一回、不審なものが見えた。
レトンが首を横に振る。
と言う事は、やはり主観にだけ見えているか。
いずれにしても、レポートに記載する。
そして、もう一度伸びをしていた。
「良い感じだ。 だけど、流石に疲れたかなあ」
「短期間で高山病に適応されたのは流石ですが。 それでも、やはり体への負担は無視出来ないレベルになっています」
「うん、それは感じる。 集中がもたないし」
「本来、人間の集中力は一時間もてば良い方です。 主は精神力でそれをねじ伏せていますが、それには当然代償が伴います」
それも分かっている。
レトンは医療の専門家である。
体に負担が掛かっていることは、レトンが言う通りだとみて良い。
だから、伸びをした後告げる。
「あと一時間、続けるわ」
「分かりました」
今日も少し早く切り上げる事とする。実際UFOは確認できているのだ。主観の方であるけれど。
ただ、この主観で見えているUFOも、なんなのかは結局分かっていない。
私の脳が誤動作を起こしているのか。
それとも何か別のものなのか。
どちらにしても、私には資料として。データとして有り難い。今の時代は、主観情報もしっかり記録して残せる。
故に、こういった「自分だけしか見ていないもの」も、無駄にはなっていないのである。
コーヒーを淹れてくれたので、飲む。
昔のインスタントの安物は酸味がやたら強かったらしいが。
これは何というか。
形容しがたいうまさだ。
今の食い物は、料理を知り尽くしたAIが、好みに沿ってそれぞれ作る。
こう言う時代だ。
いわゆるディストピアを描いたSF小説で出て来そうな画一的なメシが出て来そうなものだけれども。
当然そんなことはない。
安心して、ちゃんとしたものが出てくる。
そういう意味では、ディストピア小説は。少なくとも、この世界では外れだったということだ。
「時間です」
「んー」
自動車を、レトンが呼んでくれていた。
観測所を片付けて、切り上げる。
まだかなり早い時間だが、凄く疲れ果てているのは、仕方が無い事ではあるだろうなと思う。
無言で外を見ているが。都合良くUFOが現れる事もない。
むしろ、集中を解いたからだろう。
一気に眠くさえなってきていた。
いずれにしても、ちょっと疲れたな。
そう思って、無言で帰路を行く。空を見ていれば、それなりに美しくはあっただろうに。見ている精神的な余裕がない。
でも、別にかまわない。
自宅に着く。
片付けている間に、空を一瞥。
不審なものは、残念ながら見えなかった。
残り十日を切る。
レポートには毎回それなりの成果を記載して載せていくが。この淡々としたフィールドワークは、非常にカオスなものとして受け入れられているようだった。
南雲から連絡が来て、それが指摘される。
UFOの研究家は、現在でもいる。
そういった研究家は、私の理屈。
UFOは怪異の一種であると言う判断に対して、異を唱えているそうだ。
まあ、理論を口にするだけなら勝手だ。
私はUFOが何だか分からないものだと結論しているだけ。
実際問題、「未確認飛行物体」なのである。
それを宇宙人の乗り物として考える方が、むしろ短絡的だろう。
なお、怪異に対する研究をしている学者も、私のレポートには興味を示しているから。そういう人達が、私が知らない所で論戦しているそうである。
知るか、といいたい。
いずれにしても、私は基本的に仮説を唱えることをしない。
私は根っからのフィールドワーカーだと自認しているし。
そもそも、これといった決定的な証拠論もないのに、ものを決めつけるのは馬鹿馬鹿しいとも思う。
それに、仮説を口にしたとき。
人間が如何に頭が悪いかを思い知ることにもなる。
仮説というのは、あくまで仮説だ。
それなのに、人間の中には意味を理解しないで反発してくる輩もいる。
人間は、想像以上に知能が低い生物だと、私は知っている。勿論私もその辺りは例外ではない。
だから、仮説は頭が良い奴が立てて。
そして頭が悪い奴とバトればいい。
私は知らない。
いずれにしても、私は単に観測結果を出しているだけ。
怪異に分類していることにケチをつけてきている奴は、知らない。
そんなものは相手にする気にもならない。
だから、淡々と調査を続けるだけだ。
現地に向かう。
今日は海外の山だ。別に出かけていくことは珍しくもない。今は国家そのものが存在しなくなっている。
これによって昔存在したくだらない利権が全て消滅し。それに数世代の内に、民族意識とか、面倒なものも全てなくなった。
今やどこに住もうが勝手な時代。
勿論役所に申請して通ったら、だが。
それに、名所と呼ばれる場所に住んでみても、実際にはすぐに飽きることが珍しくもない。
資産保有には法制限が掛けられていて、特に複数の住居を保有することは硬く禁じられている。
上昇志向がある南雲が時々ぼやくのはこの辺りだが。
私は、あまり興味がなかった。
ともかく海を越えて、適切な高さの山に上がる。
山頂は非常に狭いが。此処は登山に向いている山ではない。申請などを確認して、今日は誰もこないということも分かっている。
故に、狭い山頂で。
気が済むまでUFOを探し、空を見る事が出来る。
無言で横になると、リラックスした状態で空を見つづける。
この辺りは、妖怪話がたくさんあるそうだが。
それも20世紀にある事件が起きて、一気に消滅していったそうである。
文化そのものの抹殺。
数千万人の虐殺をともなったそれは。
文化に対する、歴史上最悪の陵辱事件の一つと言える。南米や北米で起きた究極規模のジェノサイドと、ほぼ変わらないものだっただろう。
今でこそ静かなこの辺りだが。
昔は、人間のくだらない集団ヒステリーが渦巻く魔郷だったのだ。
その後も治安は最悪。人心も荒廃し尽くし。
いずれにしても、近寄る事すら出来ず。
この辺りの環境は荒れ果てていたそうである。
故に、今は落ち着いているのが幸いである。
横になって、あくびをする。
だが、それはそれ。
きちんと監視も続ける。
監視ドローンがずっと飽きもせず私の側を飛んでいるが、それは視界や聴覚を補助してくれるものだと割切る。
実際、私の邪魔をしないように、視界の外に出るように常に動いてくれているのだから。騒音も我慢できるレベルだ。
人間より、ロボットの方がよっぽど気遣いが出来るな。
そう思って、苦笑。
更に言えば、レトンは望まれて苦言を呈している。
そういう意味でも、「コミュニケーション能力」とやらでも。ロボットはちゃんと人間とやりとりが出来ている。
21世紀のブラック企業にたくさんいた、自称「コミュニケーションが得意」な人間とは大違いだ。
そう考えると。
歴史の皮肉を色々と考えてしまうのだった。
まあいい。
ともかく、監視を続ける。
この辺りでUFOの目撃例はまったくないそうだが。それは逆に、単にブームがこなかったからだろうと思う。
この辺りは色々政情不安だので大変だったのだろうし。
そんな余裕もなかったのだろう。
或いは伝承はあったのかも知れないが。
かの文化の大量虐殺で、全て消え去ってしまったのだろう。
人間の愚かしさは犯罪的だな。
そう思って、私はげんなりする。
しばらく狭い山頂でゴロゴロしながら空を見ていると、ドローンがどうしても何回か視界に入る。
身を起こすと、何かを撒いている。
この辺りは環境の汚染も深刻で、生物の個体数を戻すのにかなり時間が掛かったとも聞いている。
ひょっとするとだが。
或いは、こうやって未だに環境の調整をしているのかも知れなかった。
「此処での研究の許可が役所から下りてるって事は、有害物質とかないんだよね?」
「それは大丈夫です。 ただ、やはり土壌の成分などが安定しておらず、今でも微調整を続けています。 生物の個体数なども調整の最中です」
「まだ世界全土が治ったわけではないんだねえ」
「20世紀から21世紀に掛けて破壊された分の修復をしている状況ですね。 500年掛かってまだ治っていない部分はありますが、それでも後100年もあれば大丈夫だろうと試算もされています」
そうか、それは良かった。
頷くと、監視を続ける。
UFOは姿を見せない。鳥もこの辺りは余り多くないなあ、と見ながら思う。
霧とか出てくると、文字通りの水墨画のような美しい風景が出てくるのではとも思うが。しかしながら、この状況では望み薄だし。
何より霧なんか出られたら、UFOを見るどころではなくなる。
あくびをまた一つ。
座り直すと、レトンが淹れてくれた紅茶を飲む。
今日は紅茶の気分だ。
美味しいのでよしとする。
一時期は、人間が淹れないと愛情がどうのこうのという輩もいたそうだが。
そう言った人間が、当時歴代随一の腕を持つ紅茶の達人と。ロボットの淹れた茶を飲み比べ。
ロボットの淹れた茶を選んで、それで全ての論争は終わった。
自分で選んだくせにまだ文句をごねていたらしいが、それも負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった事もあるだろう。
以降は、ロボットの淹れる茶やコーヒーは、自然に受け入れられるようになった。
なお、紅茶といっても彼方此方に色々ある。
この紅茶は。
元々この地域があった国のもので。
東洋の紅茶に分類される。
味が落ちるようなこともなく、飲んでいてまずいとは一切感じなかった。
「UFOは来ないねえ」
「出ないの間違いではないでしょうか」
「それもそうか。 それにしても、軍まで出動していたあれ、なんだったんだろうね」
「それについては分からないとしか言えません」
まあ、それもそうだ。
しばらく座って様子を見ていると、何だか仙人になった気分になったが。そんなのは気分だけだ。
昼飯を食べた後も、特に状況は変わらない。
やがて、時間が来て、切り上げる事にする。
機材を片付けていると、ぼやきたくなった。
「今日も出てほしかったなあ」
「主観視点だと、今までに17回出現しています。 充分過ぎる成果かと思いますが」
「それはそうだけどさあ……」
「しかも日帰りで此処を調査できるのは、とても素晴らしい事でしょう。 あまり贅沢ばかりいうものではありません」
まったくの正論である。
ぐうの音も出ない。
レトンは茶番といいつつも、私の研究を理解して、しっかり支援してくれている。だから、文句も言えない。
車が来たので、戻る事にする。
レトンと監視ドローンがやりとりをしている。
言葉を使っての会話なんて悠長な真似はしない。車に乗るように促されたので、大した問題ではなかったのだろう。
「どうしたの?」
「ああ、アジア虎が接近していましたので」
「ほう」
アジア虎は、この地域では一度絶滅したのをDNAから復活させた経緯がある。
それもあって、かなり厳重に保護されている。
今では狩りの獲物も普通にいるそうだが。
何しろ適応力がそこそこに高い生物なので。こういった高山で人間を察知すると、興味津々で近付いて行くそうだ。
勿論ドローンが制止したそうだが。
それでも、一応の危険を考えての警告だったと言う事である。
いずれにしても、もう車に乗って空だ。
後は帰るだけ。
ぼんやりしていると、すぐに海を越えた。そして、自宅が近付いてくる。
加速も減速も、自分の体では一切分からないほどにスムーズだ。この辺りは、何とか言う電車の技術を利用しているらしい。
自宅に着くと夕方。
同時に、南雲から連絡が来ていた。
「あまり良くない情報です」
「詳しくお願いします」
「柳野先生の研究について、クレームを例のUFO研究者が出したそうです。 議論が過熱しての事でしょうが……」
「そ」
興味がない。
その研究者の経歴は帰路で確認したが、別の仕事を持っていて、趣味で研究を囓っているだけの人間だ。
クレームを入れても、今の時代論文が撤回されることもない。
昔だったら変な人権団体とかカルトとかが騒いで問題になる事があったかも知れないが。
今はそういう集団は存在しないし、存在しても大した力は持たない。
今は個人が集まって、組織だって動くことが殆どない。
人間としての組織力が悪い意味で散々悪さをしてきた事が、今になって反動になっている。
ネット上で架空の国家などを作って人間だけで運営しようとした試みは幾つもあったのだが。
それら全てが頓挫している状況では、当然と言えるだろう。
「全く気にしておられないようですね」
「脅威でも何でもないですから」
「まあ、確かにそうですが。 気分が悪いとか、そういうのは大丈夫ですか?」
「蠅が飛び回っているだけ、くらいですねえ」
蠅か。
そう言って、南雲は引きつったようだった。
この様子だと、南雲は他人の視線とか気になるタイプか。まあ、あのゴリゴリのゴスロリファッションを見る限りそうなのだろう。
私はどうでもいい。
実害も生じない。
だったら、それで解決である。
そもそも化粧というのは、気持ちを切り替えるため自分のために行うと聞いたことがある。
南雲も最初はそうだったのではあるまいか。
だとしたら本末転倒。
一度、出発点を思い出すべきだと思う。
「それはそうと、デスクワークでもっと資料を集めていただけますか?」
「え、はい。 デスクワークなら可能な限り手伝います」
「よろしくお願いします」
南雲との通話を終える。
そういえば、ここまでレポートへの反応がどうでも良くなったのは何時からだっただろうか。
別に鼻くそを人前でほじろうとかそういう事は思わないが。
なんだか、変な輩が寄って集って暴れるのは、仕方が無い事にも思えてきていた。
まあ別にどうでも良いが。
この辺りは、怪異を通じて歴史も調べているから、かも知れない。
いずれにしても、UFOの狂信者が何を言おうが知った事か。
私は、黙々とやるべき事をやるだけだ。
夕食を終えると、レポートを記載する
一応、来ているコメントもざっと確認をしておく。
昔だったら、炎上というのは起きたら社会的に抹殺ということもあり得たらしい。
だが別に、今はそれも起きる事はないし。
そもそも炎上とやらが起きたとしても、ログは全てAIが管理している。もしも面倒な事になった場合、火付け元は捕まって厳重な処分を受ける。誤魔化す事は出来ない。今の人間の技術では、全てをリアルタイムで把握しているに等しいAIの探索を逃れる事は出来ないのだ。
それを理解しているから、あまり派手な行動を取ることは出来ない。
炎上を起こすのは立派な犯罪になる。
昔はインターネット犯罪が全くというほど野放しだった時代もあったらしいが、それは悪しき過去のこと。
今は、法を犯せば捕まり、相応の罰を必ず受ける。
そういう時代だ。
おかしな話で、因果応報という概念は。人間が社会の管理をAIにバトンタッチしてから、やっとちゃんと稼働するようになった。それまでは、結局理不尽に虐げられた弱者が自分を慰めるためだけに使う言葉に過ぎなかった。
AIが反乱していたら別の結果もあったのだろうが。
この世界で、AIは結局反乱しなかった。
ただ、それだけの事だった。
私は鼻で笑うと、コメントを無視してレポートをアップデート。騒いでいる連中は挑発しようと必死なようだが、乗るつもりは無い。
むしろ南雲が心配だが。
そっちにもしっかりデスクワークを頼んである。
南雲は一度デスクワークを始めると、無茶苦茶集中する。集中力で言えば私以上である。それについては、南雲の支援ロボットと連携しているレトンが明言しているのだから間違いない。
故に、手も打ってあるから。
放って置いてもなんの問題もない。
それだけだ。
「そろそろ眠る時間です」
「あー、そんな時間か……」
レトンに言われて、早めに風呂を済ませる。
湯船にはそれほど長く浸からない。
髪をさっさと乾かし。
後は歯磨きやらうがいやらを済ませたあと、レポートを仕上げてさっさと寝ることにする。
後は、もう少しデータがほしいけれど。
そうとだけ、私は思った。
最終日が来る。
流石に何年かに一度くらいしか目撃されない、正体不明の飛行物体はそれ以降も姿を見せず。
以降は、視界の隅に不可思議なものが映り込むくらいまで。
一度、不可解な飛び方をするものを見かけたので、レトンに聞いてみたが。
残念ながら、軍用の小型ドローンだった。
嘆息する。
そういえば、エリア51だったか。
米軍の秘密研究施設が、UFOの研究をしているとか。墜落したUFOを隠しているとか。UFOが一番有名で力を持っていた時代には、話題になる事が多かったらしいが。
実際には新型機の開発をしている場所で。
見覚えがない、独創的な形の飛行機が飛んでいたので、UFOと誤認されただけ、というのは。
ある意味、笑えない話ではあった。
現在では、軍は秘匿性を持っていない。
それはそうである。
別の宇宙国家でも攻めてこない限り、そもそも戦争をする理由がない。更には、技術が分かっても、一般人には再現出来ない。
今の時代の兵器は、一般人がどれだけ頑張っても撃破は不可能で、鹵獲も無理だ。
それにそもそも対人殺傷兵器ではなく、対機械兵器に特化している。
そういう事もあって、兵器類が何処を移動しているかなどの情報は常に公開されているし。
それで一般人が勘違いする事もないのだった。
日がそろそろ沈もうとしている。
今日は日本で一番高い山でUFOを探して張っていたのだけれども。
結局出なかった。
溜息をつくと、帰ろうとレトンに促す。
そもそも本物の「未確認飛行物体」を一度見られただけでも可とするべきなのだろう。それすら、年に一度出ればラッキーくらいなのだ。
その正体が何かは分からないが。
ともかくよく分からないものを見る事が出来た。
どうしてかさっぱり美味しそうではなかったが。
それは現象ではなく。
何かの実体があったから、なのかも知れない。
実体がある怪異がいても、美味しそうには見えない。それが私の現実らしい。
我ながら業が深いなあ。
そう思って、私は苦笑するばかりだった。
無言で車が来るのを待つ。
レトンがてきぱきと片付けをしていて。車が来る頃には積み込みがいつでも出来るようになっていた。
少しだけ片付けを手伝いながら、空を見る。
やはり。都合良く何かが見える訳でもなかった。
そういえば。一時期レポートに集っていた蠅だが。
何かペナルティでも受けたのかも知れない。
ぴたりと止んだ。
どうでもいいので、放置である。
車に乗り込む。
護衛の監視ドローンがついてくる。後は、家に行くまでぼんやりしていれば全てが終わりである。
UFOが大流行していた頃は、「アブダクション」なんて現象が起きたとか言われている。
まあ簡単に言うと、宇宙人にさらわれたと誰かが言い出して。
それが集団ヒステリーを起こした、と言う事だ。
集団ヒステリーは時に幻覚すら見せる。
大半は売名を目的とした大嘘つきだったのだろうが。
中には、本当に幻覚を見てしまった人もいたのだろう。
集団ヒステリーはそういうもので。
故に厄介だ。
かといって、集団ヒステリーで全てを片付けていいものか。
その人をさらって、それっぽいことを言ったのは、ひょっとして。
まあ、それは知らないふりをしておくべきだろう。
少なくとも、宇宙人がわざわざそんな事をする理由はあるまい。少なくとも、私が宇宙人だったらそんな面倒な事はしない。
シートを少し倒して、ぼんやりする。
外を見るしかないから見ているが。
勿論UFOは飛んでいない。
複数の鳥が、いわゆる雁行陣を組んで側を飛んでいる。
たまにホバーで飛んでいる車には、あんな風に鳥が群れになって追従してくる事がある。
私も何度も見たことがあるが。
このくらいなら別に問題はないと管理AIも判断しているのか。鳥を追い払うような事はしないようだった。
「ああいう鳥も、UFOに勘違いされたことがあったのかな」
「ブームが過熱していた頃は、空を飛ぶもの全てがUFOに見えていた人もいたようです」
「なんだかなあ。 核兵器の危機が間近にあったし。 社畜なんて言葉があって、多くの人が企業に酷使されていた時代だっただろうけれども。 それでも何だか悲しくなるね」
「それでも、人間の致死率はそれまでの時代と比べるとだいぶマシではあったのもまた事実です」
いびつな時代だが。
医療がしっかり命を救うようになった、という時代でもある。
それを考えると、あまりああだこうだという事もできまい。
「まあ、本物も確かにいるのは確認した。 それが宇宙人の乗り物である可能性は極小だろうけれども。 それが分かっただけで充分だよ私は」
「そうですね。 まだ未解明の飛行物体がいる事は事実のようですね」
「あれはなんだったんだろうね。 でも、それは私が解く事じゃあない」
「……」
レトンは、一貫した事だと、それについてコメントして。以降は何も言わなかった。
家が近付いてくる。
最後の日は、何も収穫がなかった。
空をもう一度見るが。
視界に主観情報でも、UFOが映り込むことはなかった。
ため息をつくと、私は研究を切り上げる。
後はレポートを仕上げて、誰でも見られるように公開して、作業は終わりだ。
レポートを仕上げていると、南雲から連絡が来る。
デスクワークの結果、可能な限りの資料を集めたらしい。
それは労作だ。
お疲れ様ですと声を掛けて。
そういえば、これも20世紀に変なマナー講師が、色々意味を歪めた言葉だったなと思い出し。
苦笑していた。
「今の時代は、お疲れ様とご苦労様の使い方でギャーギャー騒ぐ唐変木はもういないよねえ」
「この言葉がどうやって歪められたかの経緯も既に判明していますので、誰もそういった事には無頓着です」
「そうか、それは良かった」
「馬鹿馬鹿しいマナーのおかげで、生活を暮らしづらくしても、誰も得をしない。 しいていうなら、馬鹿馬鹿しいマナーを作り出した人間の財布だけが潤う。 それを思うと、本当に無意味な慣習だったのでしょう」
その通りだ。
私も、それについてどうこう言うつもりは無い。
風習にも、あからさまに悪しきものはある。
それを復活させる意味はない。
だから、興味も持たなかった。
無言でレポートを仕上げる。
そして伸びをした。
次の怪異は、何を調べようかな。
そんな風に、考えながら。
4、怪異は何処にでも
南雲は空を見あげた。
UFOは見えない。当たり前の話である。
今日、思い切ってジャージを購入してきた。少しずつ、動きやすい格好に変えていこう。そう思った。
そもそもゴスロリファッションは、最初見て心踊らされた。
だから、それで身の回りを飾った。
それが素晴らしい事に今も異存はないが。
かといって、このゴスロリファッションで動き回ったり、外を歩き回ったりするのは、どうなのだろう。
そうとも思うようになって来ていた。
後は縦ロールとかツインテールにしている髪もたまに動きやすいようにするか。
ダンゴとか。
そんなことを考えながら、ジャージを着てクルクルと動いてみる。
愛人達役の支援ロボットは、基本的に甘い言葉しか囁かない。
そういえば。これらの支援ロボットのボイスに設定しているのは、昔BLの王とか言われた超有名声優だったりとか、そういう人達だそうだ。
後から知った事だが。
まあこのボイスだったら、年頃の人間はくらっと行くだろうな。
そう思ったのも懐かしい。
500年も前のボイスを加工して声にしているわけだが。
その時代の声優は、今も通用すると言う事だ。
人間力なんて、そんな程度のもの。
そもそも人間のスペックなんて、10000年上がっていない。むしろさがっている。
よくある無責任な弱肉強食論を口にする人間は、遺伝子的な優位がどうのこうのとほざく事があるが。
そんなものは一切現実的では無い。
それを南雲は知っていた。
いずれにしても、この服装で良いのかは、自分で判断しなければいけない。
軽く動いた後、仕事もしてみる。
図書館に出向く。
化粧も今日は最小限だ。
勿論図書館の管理ロボットは、私だと認識する。だが、図書館に来ている他の人間とすれ違う事はあるが。
怪訝な顔はされなかった。
私だと認識されていないのかも知れない。
今、図書館を利用するのはごく限られた人間である。
同じ人間とすれ違う事も珍しくはないのだが。
どうやら、私が相手を分かっても。
相手は私を分かっていないようだった。
なんだ、そういうことか。
私は服を着ていたんじゃあない。
服に着られていたんだな。
そう思うと、不思議とくつくつと笑いが漏れて来た。
本を読み始めると、一気に集中するが。
それでも、作業が終わると、やはりばかばかしさが表に出てくるのだった。
肩を叩く。
デスクワークは、何だか何だで結構厳しい仕事だ。
集中力を使うから、かなり脳も酷使する。
甘いものを結構取るのも、脳が糖分を要求するからである。それくらい、脳を使っている。
伸びをした。
普段だったら。
ゴスロリファッションだったら出来ないような動きも自在に出来る。ジャージって悪くないなあ。
そう素直に思う。
帰路につく。
支援ロボットに意見を求めても仕方がないと南雲は思っている。全ては、自分で決める事だとも。
これだけは、勇気を出して柳野と接触する前も後も同じだ。
自宅に着く。
イケメンの愛人達を見て、ふと何かが醒めた気がした。
性欲に関しては、今も自覚できているほど強い。
だが、別にこんなイケメンのガワを被った支援ロボットにどうこうして貰わなくても、どうにでもなる。
大きな溜息が出る。
何を、自分は今までやっていたのだろう。
そう思ったからだ。
「仕事をする。 その後眠るので、環境の調整を」
「了解しました」
此奴らは見かけも声も立派だが、実質ラブドールやダッチワイフと同じだ。
だから、「理解のある彼君」とかいう怪異と同じく、人格なんて持っていないし。主人に口答えもしない。
そういうロボットとして望んだ。
だからその通りに動く。
それだけである。
性技については文字通り古今東西のものを極めているが。
はっきりいって、そんなものはどうでも良かった。
その辺り南雲は、性欲が強くても。
下半身で思考している訳ではないのかも知れなかった。
レポートに向き合う。
ゴスロリファッションは今でも嫌いじゃない。
だけれども。
それは、仕事着とするべきではないのではあるまいか。
そう思う。
古今東西の怪異について、ひたすらまとめ続ける。
南雲に出来るのは。それしかないのだから。
黙々と作業をしていると、親代わりで。今は円筒形にしている支援ロボットがココアを淹れてくれた。
有難うと礼を言うと。
こんな風に、ロボットに礼を言ったのはいつぶりだろうと。思うのだった。
(続)
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