障子に浮かぶもの

 

序、本当にそれは錯覚か

 

今回の研究対象は目目連。障子に浮かぶとされる怪異だ。

まず私が最初にやったのは、実際に障子を購入することからだった。

昔は障子は色々な家にあったが、それもやがて文化として廃れた。それはそれとして、別にロストテクノロジーになるようなものでもない。

今でも販売はしている。

家の一つの間を、障子で区切る。

元々のドアは別の場所に格納しておいた。

工事なんか一日で終わる。

だから、そのままやればいいだけの事である。

そして、障子にして。

しばらく眺めてみた。

いわゆるバーゲン錯視という現象がある。目目連の正体とされる現象だ。

マス目を見ていると、ちらつきが生じるという現象だが。

それだったら、障子を毎日見ている人は、それを目撃しているはずである。

目目連の目撃は、どの家でも起きていたはずなのだが。

それに、そもそも格子は別に障子だけにあるものではない。

バーゲン錯視は見る角度によって変わったりもするものなのだが。それにしても、別段珍しくもないものである。格子は。

それで起きると言う事は、やはり何かしらの別のトリガーがいると判断していいものなのだろう。

現象としての怪異として、今回は目目連を考えているが。

障子を見ていて、どうにもぴんと来ない。

あらゆる角度から障子を見て実験をする。今日は家でフィールドワークだ。それぞれに家がある今の時代では。私の家もそれなりに広い。

それこそ、その気になればもう四人は住める程度には。

今の時代は、誰もが基本的に一人暮らし。正確には支援ロボットと一緒に二人暮らしである。

それが人間にとってもっとも理想的だと判明して。

以降はそれがスタンダードになっている。

ただ、それだけ。

私は黙々と、障子を見ているが。

やがて疲れた。

はあとため息をついて、少し休憩を入れる。参考資料として、バーゲン錯視に対する研究結果の論文へのアドレスをレポートに載せておく。

更には、自分の主観視点による障子のログを確認もしてみる。

この客観情報と主観視点の区別は大事な事だ。

私だって、怪異を食べてしまいたいほどおいしそうだと思っているが。

それはそれとして。客観的に怪異が観測出来ないのなら、それは心の中にしかいないのだとも判断出来る。

学者なのだから当然だ。

まずは、あらゆる角度、あらゆる距離から障子を確認する。

勿論家の中からの確認でかまわない。

この時、プライバシーがばれるような情報は、それはそれで隠す。こういう論文では、それもまた許される。

兎に角淡々と障子を色々な角度から見続ける。

それを、数日間続けて、レポートにする。

その間、一回も目目連は出無かった。

出てほしいのになあ。

そう思ったが。

まあ、出無いものはしかたがない。というか、怪異が私を怖がって出てこない可能性もある。

いずれにしても、私の自宅に乗り込んでくるほど、怪異も恐れ知らずではないのかも知れないし。

むしろ大喜びで認識して貰おうと乗り込んでくる怪異もいるかも知れない。

それは、怪異次第だ。

ともかく。現象としての怪異なのか、そうではないのかを確認する必要があるだろう。徹底的に障子を見る。

だが、そもそもだ。

家に元から障子があった家だったら、幾らでもそんなものは見ていただろう。

それで目目連が出ないと言うのも変な話だ。

更に数日、色々な角度で目目連が出無いか、障子の観察を続ける。

無駄なように思えるかも知れないが。

今の時代は、膨大なデータをとる事が出来る。

文字通りの主観データだが。

その主観データを、客観的に採取できる時代なのだ。

だから、こうして見る事に意味がある。

散々障子を穴が開くほど見つめたが。

勿論、それで何かが起きる事はなかった。

レトンと軽く話す。

「これ、本当に現象としての怪異なのかなあ」

「バーゲン錯視という現象があるのは事実ですが、しかしながら主が疑問に呈するように、それなら障子のある家で頻繁にその怪異、目目連が目撃されていると考えるのが妥当でしょう」

「そうなんだよねえ。 一体これはどういう現象なのか……」

「見知らぬ家にある障子を見るというのが重要なのかも知れません。 緊張状態が、普段ならなんでもないものを錯覚させるのかも知れませんが……しかし何とも言えません」

現象としての怪異については、レトンも懐疑的ではない。

だが、バーゲン錯視がそのまま目目連の正体だという事に関しては、レトンも疑問を持っている様子だ。

この辺り、視点が公正で私にとっても嬉しい。

「とりあえず、自宅での検証実験はこれくらいでいいかなあ」

「そうですね、あらゆるデータが取れたと思います」

「せっかくだから色々やってみよう」

「はあ……嫌な予感しかしませんが」

レトンが嫌な予感を覚えている。

500年前のAI制作者が見たら、それこそ感涙で溺れ死ぬだろう光景だ。ポンコツで人工知能どころか人工無能なんて呼ばれた時代もAIにはあった。

それが、嫌な予感を覚えているのだ。

生物としての人間は、まったく進歩なんてしていない。

強いていうなら、人間の生活環境だけは進歩した。

だが、こうしてレトンがいてくれるというだけで。

人間の技術は進歩していることがよく分かる。

実際問題、21世紀頃のAIの無能ぶりは、私も良く知っている。

そういう歴史を知っているから。私としても、この言葉には意味があると理解出来ていた。

家の中といっても、様々に工夫することで、怪異の出現実験は出来る。

ましてやバーゲン錯視が原因だというのであれば、もっと軽率に彼方此方で目目連は出ていなければおかしいはずだ。

だから照度を上げたり下げたりして、様々な実験をする。

人影が通るとか、そういうのもやってみる。

レトンに実験につきあって貰っているので、ついでなのでやってもらう。

そうしている内に、目目連が見えるかというと、そんなことは全く無い。

視界の隅にだけ障子を入れるとか。

出来るだけ離れて見るとか。

色々やってみるが、結果は同じである。

全てを丁寧に記録して、レポートに載せる事にする。

しかも今回は、自宅内での実験だ。

役所に資料を出す必要もない。

事前の時間や場所の設定も打ち合わせの必要がない。

実験し放題である。

とはいっても、今の時代は持つ事が出来る土地の量などは決まっている。私有地など、ほぼ存在していない。

自宅内はこうやって実験し放題だが。

自宅の広さなどは決められている。そしてそもそも、誰も不自由はしていない。

更に広い自宅が必要な人間は、役所に申請して、相応の許可を貰わなければならないし。役所が許可を出しても、その目的が達成されたらすぐにもとの家に戻される。

南雲が時々ぼやくのは、こういう理由から目だって個人資産を持てない事だが。

しかしながら、「個人資産」が過去に猛威を振るい。

1パーセントの人間に世界の富が殆ど独占されていた時代の事を考えると。

南雲がぼやくのも分かるが。

人間に過剰な富を与えても碌な事にならないというのも分かるので。

それについては、何とも言えないのだった。

黙々と実験をする。

時々レトンの言う通り、食事や休憩を取るが。それ以外の時間は、ずっと検証実験に時間を使う。

こう言うとき、根気は大事だ。

そして私は、その根気についてはある程度あるらしい。

そもそも、怪異が出ると分かれば、なんぼでもその場に貼り付いていられる。だから、それで良いのである。

そうして、一日、二日と時間が過ぎていく。

時間帯を調整しても、色々と環境を変えても出無いなあ。

そうぼやきながら、バーゲン錯視の資料も確認し。出やすい条件を整えている。

脳内物質とかの調整も考えたが、それは多分レトンに止められる。

薬は当然必要な時に使うべきだが。

脳内物質は脳内麻薬と言われるくらい色々と問題がある。まあ一時期猛威を振るったドラッグと違い、体に害はないが。それ以外で色々と問題がある。ましてや体に注入するのは良くない行動だろう。

というわけで、私は淡々と調査をする。

条件を色々変えて調査をして、レポートに記載していく。障子をあらゆる条件で動かしたり、或いは別の場所に移動させたり。

そういった実験にも、レトンは何も言わずつきあってくれる。

レトンが文句を言うのは、私が実験に対して所見を述べた時だ。

実験そのものは、淡々と手伝ってくれる。

まあ終わった後に茶番だと、手厳しい言葉が待っている事も多いのだが。

それはそれとして、こう言う現象としての怪異に対する実験に関しては、レトンは比較的中立的な視点を保ってくれる。

それがありがたい。

「もう少し距離を取るかなあ」

「屋内ではこれ以上は無理です」

「何かしらの方法で出来ない? レンズとか使ったり」

「それは可能ではありますが、動かせる資産を圧迫するので、行政から指導が来るかも知れません。 申請しますか?」

少し考えてから、止めておくと答える。

ただでさえ、いつも実験の時には行政と打ち合わせして、監視ドローンや管理ロボットを出して貰っているのだ。

それだけでも、結構な出費になっている筈。

実験に使うような高精度のレンズなんか要請したら、それこそ次の実験の時に何を言われる事か。

此処は工夫だ。

普段の実験については、打ち合わせありとはいえど行政が協力してくれているのである。

だったら、自宅でやるような実験は、自分でやるべきだろう。

黙々と実験を続ける。

しかしながら、やはり目目連は現れない。

出て来てほしいなあ。

そう思う。

敢えて恐怖を喚起すべきかと思ったので。

途中で自分的に怖いホラー映画とかを見たりもした。

中々に私から見ても怖いホラー映画で、しっかりツボを突いて恐怖を刺激してくる作品だったが。

その後にいい恐怖の余韻を引きずりながら実験をしても。

やはり目目連は現れない。

腕組みして悩む。

レトンは呆れ気味に言う。

「これだけのデータを取って出ないと言うことは、主の目ではバーゲン錯視がおきにくいか、或いは前提条件が違うのだと思います」

「仕方がない。 古民家系の民宿でまた実験するか……」

「行政に連絡しますか?」

「そうして。 こっちでは、実験の具体的な内容を考えておくよ」

すぐに手分けして動く。

レポートを書きながら、実験の内容を貼り付ける。

主観データ、客観データともに目目連の出現は無し。

勿論それについては正直に記載をする。

ここ最近は、私のレポートはホラー動画か何かと勘違いされているらしく、かなりの人間がアクセスしている。

VRでの会話なども、軽く見る事が出来るが。

やはり下手なホラー映画より怖いとか言われて、それで見に来る人間が出ているようだった。

どうにもなあ。

私のレポートを読んで、真面目に検証してくれている人も多いし。

怪異に興味を持ってくれればなおさらいい。

だが、そういった人達を、一時の快楽目的でレポートを見に来る人が邪魔するのはいただけない。

幸い、今はそういう事はないが。

ホラー映画代わりに私のレポートを見ている人間が増えてきたら、ちょっと対策を考えなければならないかも知れない。

まあ、今はまだいい。

頭を掻き回しながら、どう実験するかを考える。

適切な古民家はなんぼでも見つかる。

文化の保全は、今は何処の地域でも熱心にやっている。

昔は他の宗教に排他的な人間が、文化的遺産やらを破壊して回ることが珍しくもなかった。

21世紀もそれは普通にあったし、22世紀でも報告例がある。

かっちりそれがなくなったのは、23世紀くらいからだが。テロ未遂の報告はまだ23世紀にはあったそうだ。

流石に25世紀になると、最後のテロが防がれて以降は、そういった事はなくなったのだが。

現在は、文化の保全と同時に。

それまで作られた文化の再生が、非常に大きな課題となっている。

26世紀の今は当然。

後数百年は、この文化再生保全作業は続くだろうという話である。

まあ、それはいい。

ともかく、古民家に泊まって障子を確認する実験のために、役所に申請をしなければならない。

レトンが役所と交渉をしてくれているので、具体的なスケジュールを私は作る。

古民家を十日ずつフィールドワークで回るのを、三回セットで良いか。

いつもの一月コースである。

検証実験としては現在の基準では標準的だ。

十日もあれば、家の中限定で実験をするなら、それこそ昔での数十年分のフィールドワークが出来る。

民俗学者としては、それで充分過ぎる程である。

レトンに候補の民宿を告げて。

レトンは黙々と役所と交渉をする。

やがて、一段落ついた。

「指定の民宿での検証実験、検討するとの事です。 恐らくは許可が下りるだろうという事です」

「そっか。 じゃあ後は少し休んで待つかな」

「そうしてください」

「風呂入ってくる」

レトンが並行で風呂を沸かしておいてくれたので、さっと入る。

一緒にレトンと入っていた頃が懐かしいが。まあそれはそれだ。

別に汗を掻いたわけでも、泥だらけになったわけでもない。

シャワーを軽く浴びて、風呂も長風呂はしない。

烏の行水と言う程短くもないが。

ダラダラ一時間も中にいるほどでもない。

体の手入れは、面倒な場合はロボットにやらせてしまう。昔は風呂で女性がしなければならない事はたくさんあったらしいのだが。今は自動である程度出来てしまう。とはいっても私はその辺りに興味がなさすぎて、何度もレトンにもう少し興味を持ってくれと言われるが。

風呂から上がって、ベッドで横になっていると。

レトンが夕食の話をしてくる。

少し休んでから食べると言うと、頷いて準備に掛かってくれた。

この辺りは、とてもレトンはよく出来ていて嬉しい。

実際、私がどれくらい「少し休む」か把握しているので、しっかり温かいのを準備してくれるのだ。

起きだすと、すぐにレトンと夕食を取る。

しばらく食事を黙々とする。

家の中でずっと過ごすのが続いていたが。

それはそれとして、レトンの作るご飯はどこでもうまい。

レトンが言う。

「たまには、純粋に娯楽で出かけてみてはどうでしょうか」

「うーん、私に取っては研究こそが娯楽なんだよねえ」

「根っからの仕事人間ですね」

「それは思う」

勿論、21世紀の頃の意味とそれは違っている。

過酷な時代における労働は、それこそ死に直結していた。

下手をすると、死ぬまで絞り取られて。そしてうち捨てられる時代が存在していたのである。

だからそういう時代での仕事人間というのは、危うい意味を持つ言葉だった。

今の私に向けられている仕事人間という言葉は、勿論だいぶ意味が違うが。

それはそれとして。

危ない人間という意味では、違っていないのかもしれない。

「この間怪異を美味しそうと思ってから、ますます怪異が大好きになった」

「いわゆるキュートアグレッションであるのは理解していますが、度を超すと狂気に足を突っ込むことになるかと思います」

「それは分かってる」

「ならば良いのですが」

レトンも呆れ気味にだが、ちゃんと私に応じてくれる。

南雲がこの間、記載した記録の主観視点を見て、文字通り血の気が引いたと言っていた。

流石に足音の怪異に食欲を感じるのは狂気じみていると。

だが、誰でも狂気なんて心に飼っているものだ。

今更、それについてどうこう思う事はない。

「今回も一週間くらい、申請には掛かるかな」

「恐らくは」

「じゃあ、自宅でもう少し検証実験をするか……」

「ご随意に」

ただ、今日は休むようにとレトンに釘を刺されたので。

そうする事にする。

実際問題、毎日目を結構酷使しているのもある。家の中で何をしているんだという話ではあるが。

研究だとしか答えられない。

それにしても、バーゲン錯視について散々調べて、起きやすい状況を作り出しているのに。

こうも目目連は出て来てくれないとは。

まあ、根気強くやるしかないだろう。

言われた通り、全部終わった後は寝る事にする。

夢はそういえば。

最近殆ど見なくなっていた。

 

1、田舎の光景

 

今回の実験では、京都に出向く。

別に京都でなくても良かったのだけれども、障子がある古民家は今日に多かった。それだけである。

昔の京都は色々と面倒くさい土地だったらしい。

交通機関のバスの民度の低さは、語りぐさになる程だったらしいが。

今はAI制御で動いているので、何も問題はない。

たまに好きでこういう運転手をやる人間もいるらしいのだが。

支援ロボットが色々手伝うこともある。

基本的に暴言が飛んだり、危険運転はされないようになっているそうだ。

それはそれとして、私はホバーの自動車で現地に到着。

機材類を持ち込む。

古民家の管理ロボットが出迎えてくれる。こういう所は観光目的で来る客が多いからだろうか。

着物を着込んだ、時代がかった格好の女性型管理ロボットだった。

挨拶などを済ませた後、条件通り障子がある部屋を借りる。そこそこに開放的な、広い部屋だ。

古民家とは言うが、既に役割を終えた寺を改装したものらしい。

仏像などがある部屋もあるそうで。

研究者が見に来ることもあるらしい。

ともかく、今宿泊しているのは私だけ。研究に使う十日の間で、私が他の客とバッティングすることもない。

というわけで、ゆっくり研究をさせて貰う。

それだけだ。

黙々とチェックをしてから、実験のセッティングをする。

私の部屋よりちょっと広い。

だから、障子もなかなか遠くに見える。

これは良い感じだ。

縁側に出ることも出来る。

だが、此処の庭はよく手入れされていて。管理ロボットは着物を着た女性型以外にも円筒形のものが何機か働いている。

庭は特に非常に見事で、池には錦鯉も泳いでいた。

これは、土足で踏み荒らすのは気が引ける。

レトンは管理ロボットと無線でやりとりをしていて、庭の管理については周知されているのだろう。

勿論手伝いはしないだろうが。

私が踏み荒らさないように、見張るはずだ。

それはそれとして、しばらくは風景を楽しむ。

京都は殆どの史跡が保存されていて、今でも美しい光景が広がっている。

一方で住んでいた人間の心が極めて貧しかったというのは、なんとも示唆的ではあるとも思う。

手をかざして見ていると。

レトンは側でじっとしている。

「良い景色だねえ」

「殆ど500年前と変わっていないそうです」

「そっか。 人間が減った分、更に過ごしやすくなった、かな」

「それはなんとも」

実際問題、現地に観光に来る人間は減っていて。殆どがドローンから取れる映像を見て、それで満足するそうだ。

私は少し休んだあと、実験に取りかかる。

屋内での実験だが、此処は民宿とは言え一応公有財産だ。

だから、指定時間外での実験は出来ない。

さて、やるか。

そう呟くと、私は決めておいた通りに実験を開始する。

兎に角此処からは。

障子との勝負だ。

黙々と障子を観察する。角度を変えたり、距離を変えたり。

レトンは特に何もせず、実験の補助の時だけ動く。今回は、基本的に危険な事は一つもしないのだ。

怖い話でもするか。

そう思って、私は怖い話をレトンに聞かせる。

これでも民俗学者である。

京都の怖い話は、なんぼでもストックがある。

だが、レトンはそれらを聞いても、特にこれといった反応は見せない。

別にそれでかまわない。

私が怖くなるために、怖い話をしているのである。

一通り聞いた後、レトンは言う。

「そもそもこの京都が日本という国家の中心地であった時代は、とても限られていると聞いています」

「それは確かにそうだね。 「京」そのものも何度か移動してるし」

平安京とか平城京とか、そういう奴の事だ。

日本の歴史がはっきり分かってきているのは7世紀くらいから。それまでは、色々な話があって。

結局邪馬台国に関する話も、色々と説があがったものの、決定的な証拠は出ずに終わっている。

ただ7世紀の頃は、仏教関係の勢力が国政に食い込んできていて。

様々な弊害を国にもたらしている。

どこの国でも遷都の理由になったのが、宗教関連の勢力の政治への介入だ。

日本でもそれは普通に起きていた。

そして京都周辺と言わず、それこそ戦国時代くらいまでは。宗教勢力は、非常に大きな影響力を持っていたのだ。

いわゆる石山本願寺が東西に分割されて、更に様々な手を打たれたことで、日本では宗教の権威がかなり低下したが。それでも文化などには強く影響力を残し続けたのも事実。

宗教の権威を排除できなかった他の国では、21世紀でも平然と様々な弊害が残り続けたし。

22世紀まで、宗教で人を殺す輩は実在していた。

22世紀中盤くらいから、流石にほぼその手の輩はいなくなったが。それでも時々、燻る事件はあったらしい。

だから、林立する様々な史跡を見て、複雑な気分にもなる。

怖い話がたくさん出てくるのも、それは当然なのかも知れなかった。

「かあちゃんは何か怖い話はある?」

「どのようなタイプの怖い話がお望みですか?」

「あ、そっか。 アーカイブにアクセスできるし、あらゆる怖い話をそのまんま話せるか」

「はい」

それは釈迦に説法だな。

苦笑してしまう。

そうこうしている内に、幾つかの行程をクリア。

やっぱり、目目連は出て来てくれない。困ったなあ。そう呟いて、頭を掻く。

暗くなってくると、雰囲気も出るだろうか。

そう思ったのだが、なかなかそうも行かない。

障子の中を、無数の目が動き回る。

そんな光景を見たら、雰囲気のある部屋だったらそれこそぎゃっとか悲鳴を上げる人もいただろう。

だが、私が見ている範囲ではそんなものは見えない。

見えてほしいのになあ。

そう何度か、溜息をついてしまった。

ともかく、淡々と実験を続行する。

そうしている内に、時間をレトンに告げられた。

今日分の行程はクリアしてしまっている。

大きな溜息が出ていた。

「分かった、今日はここまでだね」

「夕食を準備します」

「じゃ、私はレポートを書くよ」

部屋を明るくするレトン。目が悪くなるから、という理由だ。そのまま。レポートを淡々と書く。

南雲からのメールも来ていた。

目目連の追加情報だ。

相変わらず、マニアックな情報を持ってくる。共著なのだし、有り難くレポートに使わせて貰う。

しばしレポートの作業を続けていると、レトンが夕食を持ってきた。

そのまま、二人で夕食にする。

不意に音がした。古民家そのものから、である。

まあ、わざわざ特定するまでもない。家鳴りだ。

古民家だから、まあ仕方がないだろう。特に驚くようなものでもない。

「家鳴りには興味を示されないんですね」

「怪異としては完全に死んでいるから仕方がない」

「確かに現象が完全に解明されています」

苦笑いすると、そのまま夕食を続ける。

上品な味付けだが。

私としては、いつもの方が好きかな、と思った。

せっかくの古民家だし、敢えて京都風の、というわけだろう。

そういえば、あの織田信長も。

京都風の料理が舌にあわなかったらしく、それについて文句を言ったとか言わなかったとか。

甘党だったり下戸だったりと、結構愉快なエピソードが残る織田信長だが。

一方で戦国大名らしい残忍な所もきちんと持ち合わせている。

間違っても聖人ではないし。

面白いだけのおじさんでもない。

幾らでも状況に応じて残酷になれる戦国を生きた英雄だが。人間らしい部分もあった。それだけの話である。

「せっかくですので京都風を出しましたが、舌にあいませんか」

「うーん、まあこればっかりは好みだね」

「そうなると懐石なども止めておきましょうか」

「まあほどほどに、妥協点になる料理をくれると嬉しいな」

分かりましたと、レトンは言う。

この辺り、今のAIだから出来る事だ。

昔のAIだったら、この時点で火を噴いて爆発していただろう。

夕食を終えると、風呂をすます。

檜の良い風呂だ。

これはいいな。

普通にそう思う。

ただ、良い風呂であっても長風呂するつもりはないが。

さっさと風呂から上がると、自室に戻る。そして、後は横になって、ただ寝ることにした。

 

夢を見ているな。

久しぶりに、それを感じた。

夢は最近見ていなかった。

見たとしても、怪異と会話するような夢は殆ど見なかった。

ぼんやりとしていると、怪異が此方を伺っているのが見えた。

おお。

思わず身を乗り出すと、きゃっと可愛い悲鳴を上げて逃げ出してしまう。あーあー。そう思っている内に、もう何処か遠くに消えていた。

頭を掻いていると、声が上から降ってくる。

「お前さん、怪異に怖れられているのう」

「山ン本さん!」

「いや、そんなに喜ばれても困る」

私は立ち上がると、老人の姿をした妖怪。

東日本の妖怪の総元締め(とされることもある)山ン本さんと相対する。狐狸や天狗ではないらしいので。

多分何か違う姿をした「魔王」なのだろう。

「まさか妖怪をおいしそうとか思うとかのう。 流石にわしも引くわい」

「あはは−、キュートアグレッションという奴でしてね」

「その言葉はしっておるが、ちょっとばかり怪異が怖れるのも当然だとはおもわんかね」

「まあ怖がられるのは確かですが、実際に頭から囓って食べたりはしませんよ」

説得力が皆無だ。

そう言われて、何故か照れてしまう。

それはそうだろう。

怪異と相対しているとき、獲物を狙っている猛獣の顔をしていると、何度も第三者から指摘されているのだ。

それについては私も分かっているから。

どうこうというつもりはない。

「それで、怪異に危害を加えるつもりはない、のだな」

「まあそうですね。 流石に本物が目の前に現れたら、頭から囓りたいとは思いますけれども。 思うだけで、実行はしないと思います」

「しないと言ってくれ頼むから」

「いやー、ちょっと自制心に自信が持てないですね」

とんでも無い事を口にしている事は分かっているが。

こういう性分なのだ。

だから、別に気にしなくて良い。

それだけだ。

「それはそれとして、目目連になかなか会えませんでしてね」

「目目連か。 あれもまた、バーゲン錯視とやらのせいにされている怪異だのう」

「そうそう。 でも、バーゲン錯視が原因なら、もっと古くにはどの家でも軽率に出てこないとおかしい」

「はあ。 まあ自分で調べて見るといい。 怪異には、くれぐれも危害を加えないようにしてくれよ。 我々怪異は、もはや人の心の中に僅かに住処を持っているにすぎん。 貴様のような存在に虐げられたら、後は滅ぶしかないからな」

まあ、そうだろうな。

学者としての観点からは、それが事実だと言うことが分かる。

既に怪異は、人からそれほど怖れられていない。

実際問題、私の心理の方が怪異より怖いなんて、レポートを見て宣う人間の方が多い位なのだ。

夜の闇の恐怖は、既に現役では無い。

現役ではあるが、直接命を脅かすことはなくなった。

夜の闇への恐怖がある以上、怪異はまだ存在している。現役ではある。

だが、怖れられる存在ではなくなったのも事実、ということだ。

それはそれだが。

「私がどうこうしたくらいで、滅ばれては困ります」

「……努力はするよ」

「もっと出て来てくれれば、手伝うことも出来ると思うんですけどねえ」

「とてもその言葉は信じられん」

山ン本さんが去って行く。

あーあ、逃げられちゃったかなあ。

そう思う。

だが、怪異が手元に来るように工夫すれば良いのだ。

そう考え治して、気分を入れ替える。

ただ、それだけの話だ。

 

目が覚める。

多分、夢を見た。それも、久々に良い夢だ。

うふふうふふふふふ。

そう思わず嗤ってしまう。そして、歯を磨いて顔を洗っている内に、レトンが朝食を運んできた。

流石に京都でハンバーグもないだろうと考えたのか、魚料理だ。ただ、骨はしっかり取り除いてある。

「良い夢を見ていましたか」

「内容はしらないけどそうらしいね」

「起きると全て夢を忘れてしまうと言うのは、何というか難儀な体質ですね」

「人によるらしいね。 夢を断片的に覚えている人は、それなりにいるらしいけど。 私は違うという事だと思う」

魚を食べる。割と悪くない。

ただ、やっぱり味付けが薄いなあ。そう感じた。

確かに上品な味付けではあるのだろうが。

「さて、今日も実験をするかな」

「バーゲン錯視で見えないとなると、他に何か条件がやはりあるのでは」

「うーん、それは思う。 でも、それが思いつかないんだよねえ」

「確かに資料を見て、異物を見やすい条件は整えながら実験をしているとは私の観点からも思えます」

客観的な視点から、そう太鼓判を押して貰えるのは嬉しい。

ともかく、今は次の段階に実験を進めるべきだろう。

自宅で散々やれることはやったのだ。

だとすると、もっと怖い目に会うべきだろうか。

だが、どうにも違うような気がする。

あの圧倒的な食欲を思い出すべきか。

そう、怪異は美味しそうなものなのだ。

しかし、その感情が残っている内に実験をしていた自宅では、成果が上がらなかったのも事実である。

だとすると、やはりあらゆる条件を試すしかないだろう。

既に条件設定は役所に指定してある。それに沿って動くしか、手はない。

それで駄目なら、今回は残念ながら縁がなかった、と言う事だ。

また条件を変えていつかリベンジで調査をしに来るしかないだろう。

日中はレポートを書く。

レトンに言われて、外を少し歩きもする。

殆どの観光客はホバーの自動車を使って外を移動しているが、歩くのも悪くない。

ただ、一部の史跡に直接入るには資格がいる。

一時期史跡に悪さをする輩がいたから、である。

今回は直に入るつもりはないので、外から確認する。

歴史に出てくる史跡がなんぼでもあるので、それは眼福である。

しばらくみて回った後、民宿に戻る。

時々、わざわざ海を渡ってここに来ているらしい人も見かける。今は簡単にそれができる。

ただ人間の数が減っているから、あまり多くは見ないだけ。

今、地球に直に住んでいる人間は10億程度である。

逆に言うと、それでやっと地球の環境は、人間とやっていける状態になったと言うのが正しいだろう。

人力車が走っている。

あれも、確かたまにやりたいという人が出て、走るそうだ。

中々に好評だそうである。

一時期は料金が高すぎると言う事で、客も減っていたらしいのだが。

「おお、人力車だね」

「乗りますか?」

「いいよ。 私は自分の足で歩いて、見て回りたい」

「その辺りは一貫していますね」

まあ、根っからのフィールドワーカーと言う事だ。

今回の目的は、史跡の調査では無い。

こういった史跡では怪異話がなんぼでもあるので、今後来る可能性は確かにあるのだけれども。

それはそれとして、今回は目的が違っている。

宿舎に、時間通りに戻る。

途中京都の菓子を多少買って戻る。まあそれほど珍しいものではない。今だったら、自宅でいつでも食べられる。

これも、たまに仕事にしている人がいるそうだ。

まあそういう風に受け継がれているだけあって、割と悪くない。

菓子を片手に。

私は、仕事に入る。

後は、ひたすら淡々とみていく。

障子を。

目目連が出て来てくれれば万々歳。とても私は嬉しい。

出てこなかったら、この条件では出てこないと言う事が分かる。科学的にも、学問的にも有意義である。

そう自身に言い聞かせながら、障子を見やる。

なかなか目目連は出てこない。

そして、その日も。

目目連は、姿を見せなかった。だが、フィールドワークというのは、こういうものなのである。

諦めるしかない場合は、そうするしかないのだった。

 

翌日。

南雲が連絡を入れてくる。

どうも南雲は、この近辺に住んでいるらしい。たまたまである。南雲の自宅の位置は、聞いた事がない。

南雲自身、時々引っ越しをするらしく。

余っている役所が管理しているそこそこ広い家を引っ越して移動しているらしい。

幼い頃は東京に住んでいたらしいが。

今はこの近辺だそうである。

通勤などの問題が解消された今は、何処に住もうが勝手なので。

そういう点では、とても過ごしやすくなっていると言えた。

「其方に伺いましょうか」

「しかし、手伝うことがありますか?」

「かなり苦戦しているように思えます。 私の視点も加えれば、少しはマシになるかも知れません」

「分かりました。 南雲先生にも手伝って貰いましょう」

社交辞令的な応答をして。

それで、程なく南雲が来る。

南雲は支援ロボットを連れていたが、今回は円筒形だ。家では美形の男性型ロボットを何人も侍らせているらしいが。

外で本格的に研究をするときは、こういう円筒形を使うらしい。

それで美形ロボットの用途が分かってしまうが。

まあ、それを指摘しても気まずくなるだけだろう。

相変わらず攻めに攻めたゴスロリファッションの南雲は、民宿の部屋に上がる。

なお、此方で研究をしていることを聞いて。

自宅から通うこと。

研究の内容を変えないことを条件に、役所に許可を貰ったらしい。

元々共著でやっている研究だ。

それくらいの融通は利くのだろう。

上品に座る南雲。

ロックンロールを口にしている割りには、とてもお上品だ。或いはだが。親代わりの支援ロボットに、丁寧に仕込まれたのかも知れない。

だとすると、男性型の支援ロボットを複数侍らせているというのは。

ある意味、歪んだ嗜好の結果なのかも知れなかった。

それはそれで別にかまわない。

人には闇の裏庭が、心にある。

それは当たり前の事なのだから。だから、それを馬鹿にするつもりはないし。そうだと決めつけるつもりもない。

実害がでなければいいのだし。実害を出さないために支援ロボットがいるのだから。

「視点を二つにすることで、更に効率よく目目連を探しましょう」

「それは良いんですが、フィールドワークが苦手という南雲先生がよくこんな事をする気になりましたね」

「今回はたまたま近かったことと、負担があまりないフィールドワークでしたので」

「なるほどねえ」

南雲は肌を殆ど露出しない服を着ている。

その割りに妙な色気があるので、ああと納得出来てしまう。

私なんかももも腕も露出するような服装なのに、多分色気皆無だろう。まあ性欲があんまりある方ではないので。

ただ、人がどう見ているかはちょっと分からない。

だから、その辺りを色々聞くつもりはない。

「それでは検証開始します」

「分かりました」

すぐに検証を開始する。

根気が必要な作業だが、フィールドワークが苦手な南雲は大丈夫だろうか。

そう思ったが、何のことは無い。

多分、外で体を動かすことそのものが苦手なだけで、こういう作業は別に平気なのだろう。

何の問題もなく、作業を実施できている。

私は安心すると、

黙々と、研究を続ける。

ずっと障子を見つめる。目目連が、いつ出て来ても、おかしくないように。

 

2、四つの目

 

バーゲン錯視については、南雲も知っているようだった。まあ、その辺りは目目連を調べているなら、どうしても行き当たる事だ。

だが、それならば、どうして昔の障子がある家でどこでも目目連が目撃されなかったかという話については。

そういえばと、南雲は今更のように答えたので、ちょっと私は呆れた。

まあそんなものだ。

南雲はデスクワークのスペシャリストだが、学者にも専門分野というものがあるのである。

だからそれについて、ああだこうだというつもりはない。

視点が二つ。

目が四つになった。

だから、それを生かして障子を色々な方向から観察する。夕方から夜に掛けて、じっと、である。

目を酷使する作業になるので、レトンに時々目薬を差して貰う。

これはあまり上手に出来ないので、やってもらうとはかどる。

南雲については、円筒形の支援ロボットがそれをする。

南雲も、あまり目薬は上手ではないようだった。

まあ、目に直接薬を入れるのだ。

苦手な人は、とことん苦手だろう。それについては、私もよく分かる。だから、どうこういうつもりはない。

南雲はデスクワークの達人だし。

そもそも何か一芸があれば、それでいいのである。

昔は何でも出来る人材を奴隷並みの給金で雇いたいと考えている阿呆がたくさんいたらしいが。

そんなのは過去の話だ。

今はデータを分析した結果、人間は一芸あれば良い方だと言う事が可視化されており。

それが全てだとも判明している。

他人と上手くやっていくのが上手な人間はいるが。

それは才覚によるものであって。

努力でどうにかできるものでもない。

今の時代は、昔は「他人と上手にやれない」という理由でうち捨てられていた人間が、それぞれ支援ロボットによって最大スペックを引き出せるようになっており。

その結果、90億人間がいた時代よりも、ずっと技術は進歩が早い位である。

この間話に聞いたが、ついに土星にもコロニーを作る計画が持ち上がってきているらしい。

そのうち天王星や海王星でも似たような計画が持ち上がるだろう。

余裕があるから、私達みたいな研究が許されているという側面もある。

資源も環境も。

今は人間の存在を容認できる余裕があるのが実情だ。

南雲とは、殆ど喋る事はない。

淡々と研究内容を確認した後、それぞれの計画に沿って研究を進めていくだけ。

フィールドワークは私が専門家なので、南雲は割り振りを受けて淡々と監視を続ける。

主観視点の情報は、様々な機器を通じて収拾が行われる。

データを得た後、それをレポートに記載。

勿論、場所が特定されるような情報は念の為削除はしておく。

視界に入る南雲の情報も、である。

五時間ほど研究を続けて。

その後、いったん休憩の話をすると。

初日で、既に南雲は疲れが見えていた。

夕食をレトンと南雲の支援ロボットが運んでくる。メニューをあわせることもない。昔はこう言うときは、同じものを食わなければならなかったらしいが。

食事を終えると、やっと話をする。

「南雲先生、少し疲れが溜まりましたか?」

「はあ、まあ。 ちょっと同じものを見続けるのは大変ですね」

「視界は逸らしても大丈夫ですよ。 むしろそうした方が、ちらっと目目連が映り込むかも知れませんので」

「なるほど、分かりました」

南雲は頷くと、話を幾つかする。

私は怪異の存在を信じているのか、という踏み込んだことも聞かれた。

ある意味信じていると答える。

私も、実体を持った怪異という存在がいるかは、かなり怪しいと思う。

しかしながら、現象としての怪異は存在しているし。

それはいずれ科学的にも解明できるだろうと考えている。

怪異と科学は別の存在ではなく。

普通にそれぞれが一緒にいられる存在なのだとも思っている。

そう話すと。

南雲は小首を傾げる。

少し不思議な答えだと思ったのかも知れない。

「主観に映り込む怪異についても、柳野先生は寛容ですよね」

「あれは心に住まう怪異だと考えています」

「心に住まう、ですか」

「これもいずれ解明できるだろうと考えています。 そもそも個々人の妄想だと斬って捨てるには、あまりにも世界中に同じような怪異が多すぎますので。 いわゆるアーキタイプが人の心の中にあるのか、それとも何かしら別の理由か、それはちょっと分かりませんが」

なるほどと、感心した様子で南雲は頷く。

南雲は結構えぐい私生活をしている割りには、かなり純朴な性格のようである。まあ、それは私もか。

自画自賛に気付いて苦笑する。

自画自賛ほど、やってはいけないことはない。

「それで、今日は一度戻るということですね」

「はい。 私は自宅から此処に通います」

「そうなると、残りの二箇所は」

「場所については既に確認しています。 二箇所とも行きます」

それは実に有り難い。

手が増えるというのは、作業の効率が増すと言うことを意味している。南雲はフィールドワークはそれほど経験がないが。

それでもデスクワークの方で怪異の知識はあるし。

むしろデスクワーク専門と言う事は、それだけ怪異の事は私より知っていてもおかしくはないだろう。

「視点が増えるというのは、目目連の調査にはとてもいいですね。 頼みます」

「分かっています。 あと、一目連との関係についてはどう思います?」

「後付かと」

「まあ、そうでしょうね」

一目連という神がいる。

八百万の神々の一柱で、神社もあるれっきとした神格だ。名前は実際にはもう少し長い。

この一目連と目目連の関係をある学者が指摘した事があり。

それ以降、両者の関係性が有名になっているが。

私は色んな資料を見た限りでは、ただのこじつけだと考えている。

そもそも目目連は現象としての怪異であって。

別に一つ目の神であり。

一つ目という事が幾つもの事象を司っている一目連とは関係が生じようがない。

関係があるとしたら、後から生じたものだろう。

そうとしか結論出来ない。

そう告げると、少しだけ南雲は笑った。

「流石は柳野先生。 私も同じ意見です」

「主、そろそろ」

「おっと、済みません。 楽しくてつい話が弾んでしまいました」

「了解です。 では、また明日。 目はしっかり休めてください」

礼をすると、南雲は部屋を離れた。

伸びをする。

レトンが後片付けをてきぱきとする。まあ、この辺りはレトンの得意分野だ。任せてしまって問題は無い。

「南雲先生についてどう思った?」

「どちらかというとより理論派の傾向が強そうですね。 それでいながら、人としての欲望は主より強いようです」

「それは私も思った。 雑念が多くて大変そうだよね」

「雑念ですか」

レトンが言うには、欲望は活力にもつながるそうである。

殆どの人間は。

特に人間は爆発的に増えた時期の人間は、殆どが凄まじい欲望をたぎらせて、子孫を増やしまくったそうだ。

ただ、その結果。

後で文明が崩壊の危機を迎えたそうだが。

「欲望が強い事が強さに変わるとは限りません。 一時期は人間の欲望を神聖視する考えがありました。 まあそれは論外としても、欲望が活力に変わるケースがあるのも事実です」

「あー、そういえば確かに、私も怪異に対する欲望は強いかも知れないね」

「自覚しているのであれば何よりです」

「ただ、私の場合それで手一杯なんだよなあ。 南雲先生はそういう意味だと、元々欲望の総量が多いんだろうなあ」

そもそも本人が上昇志向について口にしているくらいなのだ。

欲望は多め、と考えるのが自然なのだろう。

とりあえず、レトンの言いたいことは分かった。

他人の強みはどんどん取り込め、と言う事だろう。

私ももう少し、他に趣味を持っても良いかも知れない。今はもう、怪異の研究で全力投球している状況だ。

だが、怪異の研究以外で何かを楽しむとしたら。

歴史だろうか。

だが、私は根っからの学者脳だ。

どうしても歴史は歴史として、研究者として接してしまう。

それを考えると。

純粋に何かを楽しむというのは、難しいのかも知れない。

うまい料理を食えれば満足、何て話を聞くと。それでよく満足出来るなあと、時々思う程なのだ。

私はそういう意味でも、色々と昔で言う平均からはずれているのだろうし。

昔に生まれなくて良かったと想うばかりだ。

とはいっても、遺伝子データを無作為に組み合わせて子供が生まれてくる今。

私もそれは同じなわけだ。

昔だったら私は生まれなかっただろうし。

そもそも平均なんてものの幻想も。

昔多くの人の人生を狂わせた同調圧力もこの世からは消えている。

障子を見る。

目目連は姿を見せない。

だが、それでいい。

怪異は多少いけずなくらいで良いのだ。

私は、余計追いかけたくなるのだから。

 

南雲との共同フィールドワーク、二日目。

昼少し過ぎに、南雲が来る。

そして、軽く打ち合わせをした後、南雲はロボットと一緒に、京都の町に観光に出かけて行った。

共同研究者だからと言って、ずっとベタベタしていなくても全然かまわないだろう。私としても、好きにすればいいと思うだけである。

これは二人とも考えが一致している様子で。

南雲も、私が何も言わないし。文句もない様子なので、安心しているようだ。

こういった共同論文は今では珍しくもないのだが。

研究する人間は、基本的に顔なんてあわせない。

有名な学者が、実は10代だったなんて珍しくもない時代だ。

月と火星に住んでいる学者が、それぞれの研究を共著で出していて。連絡を取り合って初めて違う星に住んでいる事を知った、なんて事例もある。

通信技術も進歩しているため、今はタイムラグも発生しないのだ。

むしろ直接何度か顔を合わせたことが以前にあり。

今は一緒に研究をしている私と南雲の方が、研究者としては異端と言えた。

いずれにしても、私は昼間の内に、研究について考えておく。

また、こういったときの視界データも、レトンが保存してくれている。

だから、ちょっと障子を見て。

目目連が姿を見せたら、その時は嬉しいのだが。

残念ながら、目目連は姿を見せない。

伸びをして、畳に横になる。

ごろごろとしていると、レトンは実験のための準備を整えてくれているのが見えた。

スペックが人間とは段違いだから、レトンに任せてしまうのがいい。

そう思って、好きにさせる。

私が手伝っても、邪魔にしかならないだろう。

「そろそろ、目目連が出て来てくれると嬉しいんだよねえ」

「研究の際、いつも四苦八苦しているではないですか。 最近、上手く行きすぎていただけですよ」

「それもそうか」

「主は四苦八苦してもめげないのが取り柄でしょう。 私には茶番にしか見えませんが、それでもしっかり怪異を探しているのは立派なのではありませんか?」

そうか。

そう言ってくれると嬉しい。

軽く昼寝する。

そう言って、昼寝をして。起きだした頃に、丁度南雲が戻ってきていた。

目を疲れさせないように、主に緑を中心に見ていたそうである。

確かに緑は環境色で目に優しい。

「それでは、今日の研究を開始しましょう」

「合点」

そのまま、作業を始める。

ただ、合点という言葉には、南雲は驚いていたようだが。

まあともかくとして、淡々と作業を開始する。

視点を変えながら、障子を見る。

部屋の一角を占めている障子だ。

何度か位置を変えながら障子を見つめていく。

変化は、ない。

頭を掻く。

この民宿では、過去に目目連の目撃談があったのだけれどもなあ。

そう思う。

ただ、その時は人間が管理していた。

今は管理ロボットが、隅々まで、埃一つもなく管理している。木材なども完璧な状態である。

それも、影響しているのだろうか。

いや、考えにくい。

しばらく作業を続けていると、南雲が飽きて来たらしく、目を細めて口を引き結んでいるのが見えた。

「南雲先生、軽く話でもします?」

「いえ、大丈夫です。 集中します」

「分かりました」

そっか。

やっぱり集中力が途切れやすいんだな。

そう思って、以降は声を掛けないようにした。何度か休憩を入れつつ、視点も変えながら、障子を見つめる。

障子を見つめていると、何となく思う事もあるが。

いずれにしても、目目連は姿を現さない。

まあそれはそれでいい。

一日や二日で怪異が現れるものではない。そう自分に言い聞かせる。

部屋の外に出て、廊下側から障子を見る。

これも事前に報告している。

障子の向こうは案外分からないもので、少なくとも南雲の影が映ったりはしなかった。

これで影が映ったりしたら、それなりに雰囲気が出ただろうに。

まあそれはいいか。

じっとしながら、障子の影を見つめる。

やはりこれでも駄目か。

脚立を組み立て終えているレトンの所に行く。

部屋の中に脚立を組み立て。

木床になっている場所から、脚立の上から障子を見る。

もうあらゆる角度から、障子を見て、目目連が出現しないかを確認する。一度の視点変更で、一時間ほどは使う。

その間、じっとしているので。

ある意味世紀末的な光景だろう。客観的に見れば。

這いつくばって、障子を見ている南雲が見える。

体に負担が小さい観測については南雲が優先的にやるように組んだ。この辺りは、フィールドワークの経験が小さいからだ。

体力の測定データも確認しているが。

私よりもだいぶ南雲の方が体力が少ない。

これはタッパもあるのだろうけれども。

まあ、体質の問題だろうな、とも思う。

いずれにしても、ともかくこのまま観測を続けるだけである。

脚立での観測完了。

天井近くから見つめても、駄目か。

目目連は姿を見せない。

この民宿では駄目かなあ。

そう思って。視界を外した瞬間だった。

障子を、何かが横切る。

二度見した時に、脚立のバランスを崩しかける。レトンが落ち着いて支えてくれたので、落ちずに済んだ。

「視界に異物」

「!」

すぐに、退屈していたらしい南雲と主観データを確認する。

確かに何か通り過ぎている。

目のようには見えないが。

「客観データと比べると、確かに何もない所で何か見えていますね」

「やっと出て来てくれた……」

「柳野先生は自宅でも確か研究をしていましたよね」

「そうです。 これが目目連と言って良いのかは分からないですけれども、ようやくですよ」

溜息が漏れる。

そして、いったん少し幾つか話をした後、観測に戻った。

そんな調子で、色々なアングル、視点から障子を観測していくが。

その日は。それ以上目目連が出る事はなかった。

夕食は、一緒に食べて行く。

南雲はゴリゴリの肉料理ばかり食べている。それでいながら、ほっそい体なので不思議である。

まあ体質の問題もあるだろうし。

家での消費カロリーも大きいのだろう。

食事を終えた後、軽く話をする。

「二日だけしかまだ一緒に研究をしていませんが、柳野先生の集中力は色々と凄まじいですね」

「いや、南雲先生も書籍を見ている時は、これ以上に集中しているのでは」

「いえ、私は短時間集中して本を読んで、休憩を入れているので。 書籍を調べるときは、本当に図書館に缶詰になります」

「ほほう」

そんなものなんだな。

ちょっと感心した。

他にも色々と話をする。

南雲は。私自身に興味を持っている様子で、普段についての話も聞く。レトンだけしか支援ロボットを置いていなくて不便では無いのかとか、幾つか聞かれるが。別に問題は無い事。更には普段から怪異の事だけ考えていることなどを話すと、そうなのかと驚いているようだった。

まあ、人はそれぞれだ。

それについては、南雲も理解は出来ている様子で。踏み込んではこない。

それでいいと私も思う。

他人の心に土足で踏み込むのは、褒められた行動とは言えない。

声を掛けられて。南雲も頷く。

そして、自宅に戻る。

私は淡々と、明日の準備に取りかかる。

やっと今日、少しだけ成果が出た。

これが目目連かどうかは分からないが。いずれにしても、明日以降もこの地味極まりないフィールドワークが続く。

荒れ狂う船に乗るとか。

そういう苛烈なフィールドワークではないので、南雲もつきあわせられる。

もしもああいうフィールドワークの時は、参加したいといっても厳しいと返事せざるを得なかっただろう。

格好も、ゴスロリスタイルの今の服では無理だ。

あれはとても大事にしている服だと一目で分かる。

とてもではないが、海とか外の野歩きとかで、させていい格好では無い。

伸びをしていると、レトンがそろそろ寝るようにと促してくる。

頷くと、布団を敷いて寝る。

他にも幽霊とかの話もある民宿らしいのだけれども。残念ながら、そういう存在は一度も出て来ていない。

出て来てくれてもいいのになあ。

そう、私は思う。

勿論見える体質の人にしてみれば、冗談じゃあないというような事なのだろうが。

それはそれ、これはこれ。

そもそも見える体質の人も、私は研究を徹底的にして見たいと思っているくらいなのである。

幽霊がいるなら、それこそインタビューもしたいし。

徹底的に調べたい。

あれ。

幽霊と仲良く話をした事があったようななかったような。まあ、多分気のせいだろう。

布団をしいて、寝る。

障子を見るが。

人影が通り過ぎたりするような事もなく。

目目連も出なかった。

まあいい。これからだ。

そもそも、バーゲン錯視というのも怪しいと思う。もしもそれが目目連の正体だったら、障子でみんな目目連を目撃しているはず。

これだけ出てこないと言う事は。

とにかく出るための条件が、非常に厳しいのかも知れなかった。

だとすれば、それこそフィールドワークの出番だ。

かのファーブルも、一日中蟻を観察することとか、珍しくもなかったと聞いている。昆虫学者という存在が認知されていなかった時代は、それを不審がられて通報される事すらあったらしい。

今はファーブルが苦労したような時代ではない。

私は、淡々と研究をする。

それだけだ。

 

3、目目連

 

五日目。

目に見えて、南雲が辛そうになって来ている。

元々一人でやる事を前提にしていたフィールドワークだ。ここまで地味な研究は、他人にはつらかろう。

そう思って、昨日の夕食時にも声は掛けたが。

やりたい。

やると決めたからにはやる。

そう言った。

だから、南雲の意思を尊重する。

それが、私が今やるべき事だ。

「! 視界に異常!」

今度は南雲だ。

すぐに主観視点を確認する。二人の主観視点は、支援ロボット二機がそれぞれ両方とも確認している。

ログを見ると、確かに障子に何か映り込んでいる。

あれは、目か。

一瞬だけ、何か動いたように見えたが。早すぎる。再生速度を遅らせてみるが、どうにも形がはっきりしていない。

ガッカリした様子の南雲に、私は声を掛ける。

「これは立派な成果ですよ。 このまま続けましょう」

「はい……」

悲しそうな南雲。

障子にわんさか目が生えてくるような状況を期待したくなるのはわかる。怪異好きだったら、そういうのがみたいだろうからだ。

だが、こういうのがフィールドワークである。

とにかく地味なのだ。

だから、他人には勧められない。

忍耐力もいる。集中力もだ。それに、どんなことが起きても、冷静に見る判断力も必要だ。

やがて、時間が来る。

二人でレポートをささっと仕上げる。

文章は南雲に任せても良いかなと思う。とにかく、南雲が書く文章はとても軟らかくて、綺麗な雰囲気である。

私は文章が硬質になりがちだ。

誤字脱字などの修正ツールである程度緩和しているのだが、どうしても根本的な癖は抜けない。

「柳野先生は、硬質の文章を書かれますね」

「いやいや、南雲先生の文章は軟らかくてとても見やすい」

「恐縮です」

ちょっと恐れ入った様子なので、此方の方が困るが。

まあそれはそれでかまわない。

二回、目目連らしきものを見る事が出来た。

それで充分過ぎるくらいである。

夕食が来たので、いったん作業を中断。

やはり南雲は、肉を主体に食べていた。かなり食べる速度も早い。これだけ食べていても太らないのだなあと、ある意味感心する。

「そういえば、レポートのアクセスログを見ましたか?」

「いえ、今回は見ていませんね。 そもそもレポートを誰が見ようと気にしてませんので」

「ううむ、流石ですね。 私は結構気になるほうでして」

南雲が何人かの著名な学者を上げる。

まさかと思ったが。

どうやら、それらは見に来ている人のリストらしい。

南雲は何でも、昔から著名な学者とメールなどでやりとりをしていて、知り合いになっているらしく。

レポートについては、時々意見をメールで貰うそうだ。

「柳野先生の徹底的にストイックで、時に突撃嗜好すらあるフィールドワークは、著名な学者も驚くほどのようですよ」

「突撃嗜好とは、また……」

「一方で今回の研究については、環境動画とか言われているようです」

「環境動画」

ああ、忙しい時代に流行った奴か。

森とか川とかを延々と流し続けるだけの動画。

確かに間違ってはいないだろうが、ちょっと不可思議な気分だ。何というか、フィールドワークを馬鹿にしているような。

「本来フィールドワークというのはこういうものなんですけどね」

「それは私も承知しています。 故に、そういう意見がコミュニティであるらしいと、憤っている人もいました」

「理解があるのは有り難いですね」

「本当に……」

苦笑し合う。

この辺りは、学者同士でしか共有できない悩みだ。

そもそもこういう学問は、極めて地味なものなのである。

だから、結果はすぐには出無い事は覚悟しなければならない。

よく漫画に出てくるようなマッドサイエンティストなんてものは、実際にはいない。

現実にはマッドサイエンティストもいる。

非人道的な実験を繰り返したり。

平然と非人道的兵器を開発するような輩だ。

そういった連中は、実は地味な研究を淡々と続け。そしてスポンサーに金を供給されていたりするものなのである。

つまり、いかれた科学者が、高笑いしながら怪しいマシンを次々開発するような事は現実にはないのだ。

私はそういう意味では、若干マッドサイエンティスト寄りかも知れないが。

それはそれで、別にそうだとしてもなんとも思わない。

「いずれにしても、専門家である柳野先生に、五日で二度の目撃は良い結果だと言われて少し安心しました。 このまま実験を続けましょう」

「やる気が出ましたか?」

「少しげんなりしていたのは事実です。 それでも、これならやっていけるかと思います」

「ふふ」

そのまま、別れる。

何というか、多分個人的嗜好は相容れないけれども。

それでも学者としては、かなり気があうタイプだと思う。

レトンが指摘してくる。

「主、気付いていましたか?」

「何か」

「南雲先生は、私に個人的興味を持っているようでした」

「あー、なるほどねえ」

家に男性型のロボットを複数侍らせているのは聞いていたが、同性愛の傾向もあったのか。

なるほど、それならば育ての親の支援ロボットの形状を変えたのも更に納得がいく。

ただ、南雲が変質者だとか、そういうようなことは思わないし。犯罪を実際に行わなければなんとも感じない。

今は、人間を殺さなければ満足出来ないとか言うような、完全にアウトなサイコ野郎でもない限り。

上手くやっていける時代になっているのだから。

とりあえず伸びをする。

今の時代、もしも支援ロボットをほしいとなったら、自分の側にいるもののガワを変えれば良いし。

幾つかの法律で定義されているが、ロボットを買うための幾つかの手順を経れば、ロボットを増やせる。

具体的には自身で生産をして政府全体の資産増加に貢献する必要がある。

南雲は恐らく、何かしらの副業を持っているか。

或いは自分の細胞でも提供しているのかもしれない。

確か生の細胞は何かしらの利用が出来るとかで、月に一度それなりの量の細胞を提供すると、かなりの稼ぎになり。余剰の物資提供が政府から受けられるとか。

支援ロボットも同様。

南雲は自分の周囲に逆ハーレムを作る時に、それこそ何年もこつこつそういった作業をしたのだろう。

私は必要な物資が必要なだけあれば良い方なので。

真似しようとは思わないが。

努力は素直に凄いと思う。

それだけである。

ともかく、今日は寝ることにする。

布団を敷いて、障子を見ると。

やはり其処に、目目連はいなかった。

これは、食事とかを減らして多少環境を悪化させないと駄目かな。そう私は、考え始めていた。

 

この民宿での研究も、最終日となった。

食事を減らして、障子を見る。

かなり腹が減るが、それでも何とか我慢する。

そうすると、やはり自分を追い込んでいるからだろうか。

目目連の出現頻度が上がった。

流石に障子に多数の目が飛び交う、とまではいかないが。視界に不可解なものが映る頻度が露骨に増す。

今日も、一回出現した。

主観データを調べる。

南雲が、羨ましそうにぼやく。

「二つ同時ですか。 私も食事を減らして対応するべきか……」

「いけません。 主は食事のバランスが非常に難しく、摂取量を変化させると、体に良くない影響が出る可能性が……」

「分かったよもう」

南雲が、支援ロボットにぼやいた。

多分この円筒形が、或いは親代わりだったのだろうか。

勿論違うかも知れないが。

いずれにしても、南雲も不満そうにしていても支援ロボットのいさめは聞くようだった。これは、多分皆同じなのだろう。

私も、レトンが止めるなら聞く。

レトンは基本的に、私に必要な事しかいわないし、エゴを持たない。

それが毒親と決定的に違う。

支援ロボットは、主を尊重する。趣味や嗜好を否定しない。

否定するのは、死につながるような行動だけ。

それが、人間との関係を上手に構築できているコツなのだろう。21世紀のブラック企業にいた、コミュニケーションが得意とか宣う連中とは根本的に違うのが、其処だということだ。

片付けをする。

次の宿に移る。

次の宿は、南雲の家から距離があるが。旅行を楽しむような感じで、車を飛ばしてくるらしい。

まあ今の時代は。車の燃料も激安。

排気ガスも撒かない。

行政としても、拒否する理由は無いのだろう。実際に旅行が趣味の人間は、一年に地球を何十周もするくらいの距離を移動するそうだ。

片付けは、今回のフィールドワークでは殆ど面倒な物資を使わない事もあって、すぐに終わる。

後は、車で移動するだけだ。

自動運転だから、自動車に任せて、道中は寝てしまう。

夜道を行くのではなくホバーで移動だから、事故の可能性もない。AIががっつり、他の車の移動情報も完璧に把握しているのだ。

途中でぐっすり眠ることも出来る。

目が覚めると、朝日が見えた。

既に車は目的の民宿に到着していて。朝の空気が気持ちいい。

伸びをすると、私は朝日を、目を細めて眺める。

本来は直に太陽を見るのは好ましくない。

今日は朝靄が掛かっているので、特に問題は無い。

伸びをしていると、レトンが来る。

「既に機材は運び終えています」

「ありがとかあちゃん。 じゃあ、今日からもまたフィールドワークを開始しようね」

「分かりました、ご随意に。 しかし不可解ですね。 視点が二つに増えても、ほぼバーゲン錯視による目目連の出現はありません。 照明などを工夫しても起きないとなると、これは何か根本的な所で間違えているのでは」

「うーん、なんだろね。 兎に角情報を集めてみるしかないかなあ。 それこそ、フィールドワークの出番だ」

此処では屋内が主戦場だが。

それでも、フィールドワークはフィールドワークである。

ともかく、今日からの作業もしっかりやっていくだけ。

それだけだ。

まずは民宿の主に挨拶。ここの民宿の主は、不思議な格好をした管理ロボットだった。なんというのだろうか。昆虫型でも人型でもない。

強いていうなら、幾何学的な模様の組み合わせだろうか。

管理ロボットは、支援ロボットを終えたロボットがやる事もある。

今の時代は、物資の無駄遣いは基本的にしないのである。

この支援ロボットは、芸術家の所にいたのだろうか。

ちょっとそんな事を思ったが。

支援ロボットの事を詮索しても仕方がない。私は、淡々と周囲を調べて、他にも怪異が出そうな場所を見繕うのだった。

今後、次の研究をするときに。

またここに来るかも知れないからだ。

それが終わった後、研究に使う部屋を確認する。

それなりの広さで雰囲気もあり、障子がしっかりある。

おおと、私は声を上げる。

これは理想的な環境だ。京都の民宿よりも、バーゲン錯視云々を考えるのなら、条件が良いかも知れない。

いわくなどについても確認しておく。

幽霊話もあるらしいが。

少なくとも管理ロボットは見た事がないそうだ。

まあそうだろうな、と思う。

昔「心霊スポット」として知られていた場所に、何度かレトンと足を運んだことがあるのだが。

レトンは一度も、一切の怪奇現象を見なかったと断言している。

私はなんか変な音とか聞いたりしたのだが、客観情報でそれらがない事を確認すると、がっかりせざるを得なかった。

此処も同じだ。

人間は恐怖に足首を掴まれていると、家鳴りのような解明されている怪異にでも驚き泣き叫ぶ事がある。

そういう事である。

私は横になると、南雲にセッティングを終えた事を連絡。

後は、夕方を待つだけだった。

 

二つ目の民宿での作業は、淡々と進めていく。やはりというか、自分を追い込むほど怪異は出やすくなる。

その結論は変わりそうにない。

食事を減らして見ると、あからさまに目目連の出現頻度が上がる。そして、その出現に、どうしても法則性は見いだせない。

流石に障子に目がびっしりというような、私が大歓喜しそうな状況はこないが。かなり視界の隅を中心に、目目連らしきものが飛び交うようになった。

ひょおっと私が喜びの声を上げると。

びくりと南雲があわてる。

私がそう喜ぶ事は知っていても、それでも怖いらしい。

両刀の南雲でも、どうやら私は怖くてストライクゾーンに入らないそうだ。

それで良いと思う。

一時期の少女漫画じゃあるまいし、なんでもかんでもくっつけるのは愚の骨頂だ。

それに共同研究者同士が、好意やらましてや性的関係やらを持つ必要もなかろう。

互いに畏怖し合っている位で丁度良いのである。

実際そう言った理論を展開した人もいたではないか。あれ、そういえばアレは研究者では無く君主だったか。

まあ、どうでもいい。

「出ましたよ初日から! うーん、やっぱり自分を追い込むのがいいなあ」

「うぐぐ……羨ましい」

「羨ましいと考えるのは学者の証拠ですよ。 よし、次ぃ!」

南雲が考えている。

どうしたら自分を追い込めるのか、だろう。

まあ、それは人によってやり方がある。

私はそれに干渉するつもりはない。

時間まで一杯監視をして、それで三回目目連を目撃した。これはかなりの成果だとみて良いだろう。

これは今だったら、あのきさらぎ駅とかに超特急で行きたい気分である。

レポートをノリノリで書く。

はあ、気分が良い。

そして目目連も。

やはりおいしそうだ。

「柳野先生、恍惚としていますね……」

「だって美味しそうですし、目目連」

「……」

「キュートアグレッションという奴ですよ。 いやはや、頭から囓りたい……。 でも目しかないしなあ」

青ざめている南雲。

流石にちょっと言動がエキセントリック過ぎると思われたか。だが、これについては知っている筈だが。

まあいい。

レポートをるんるん気分で仕上げる。

仕上げ終わった後は、夕食にする。時間が余っているので、殆ど日中にやることはやっている。

夜間のレポート作業は、データのアップデート作業くらいである。

視界が二つになった事で、レポートへのアクセスに関しても変更でもあったかと思うと。環境動画が二つに増えた、くらいしか考えていないらしい。

しかしながら、私の視点は恐怖系環境動画で。

もう一つは普通の環境動画とか言われているらしい。

まあどうでもいい。

この「環境動画」に意味があると、理解してほしいものなのだけれどなあ。そう私は黙々と食事をとりながら思う。

南雲が、食事を終えると軽く切り出す。

「何というか、あれだけ狂気的な精神状態を保ちながら、冷静極まりなく自分を客観的に見ているのは、凄いですね……」

「そう言って貰えると光栄ですが、それにしてもどうしてまた」

「私はどうしても、客観的にフィールドワークをするのが苦手でして」

「ああ、なるほど」

それは、分からないでもない。

というか、初等教育で叩き込まれることだが。

人間ほど、客観的にものを見る事が苦手な生物はいない。これは、生物学的な事実である。

実際問題、人間は自分で考えることを苦手としている。誰かが作った結論に甘える事が大好きだ。

そうでなければ、こうも宗教が長年利用されてこなかったし。

宗教の影響力が落ちたら、イデオロギーがそれに取って代わることもなかっただろう。

私は極端な主観と、冷静過ぎる客観が同時に存在していると言う点で。

二重人格ではないかと、時々思うそうだ。

「乖離性人格障害は、主にはありません」

「此方からも同意します。 その傾向は見られません」

「あ、そうは言っていないよ。 ただ何というか、驚異的だなって……」

レトンと自分の支援ロボットから言われて、南雲は少しあわてるが。まあ私も攻めるつもりはない。

二重人格に代表される乖離性人格障害という病気は。一時期存在を否定されたりと、色々と冬の時代があったと聞いている。

だいたいの病気はそうだが、レッテルとして使われる事が多い時代があった。

差別はそもそもとして論外な行動である。ましてや病気の人間を差別するなんて、人間として最低極まりない行動だと一瞬で分かりそうなものだが。それが分からない劣悪な知能の人間があまりにも多かった。義務教育を受けていようと関係無い。人間とはそういうものなのである。

そういうことで、時代的に話題になりやすい病気は差別に使われる事が多かったのだ。

とくに精神医学は現在でも未解明な部分が多く、たまに多重人格系の病気はまだ差別に使われる事があるとか聞いたが。

それも含めて、南雲にロボット達は警告したとみて良い。

要するに親としての行動だ。

勿論私は気にしていない。

「うーむ、そんな風に見えるのかー。 私は私として、自分を制御する事に全力を注いでいるだけなんですけどね」

「驚異的ですよそれ。 私なんて、二十歳過ぎた今でも自分の本能に逆らえませんし」

「ハハ。 時代によっては風俗に金をつぎ込んでいたりとか?」

「否定はしません」

結構とんでもない事をすっという南雲。

或いはだが。

そっちの方では病気……幾つか性欲が過剰になる病気はあるそうだが。

それを診断されているとか、自認しているとか。

そういう可能性もあって。

さっきの発言で、あわてて撤回したのかも知れなかった。

いずれにしても、ちょっとやそっとの失言は、私は気にしない。

南雲も申し訳なさそうにしていたが。

私が気にしていないことを悟って、安心したようだった。

「私は今日は戻ります。 レポートは帰路でもう少し書いておきます」

「よろしくお願いします。 では、今日はここまでですね」

礼をして別れる。

南雲が行ったあと、レトンが言う。

「かなり人間関係的に問題を起こしかねない発言でしたのでフォローしましたが、不要でしたか?」

「いや、別に。 それに精神に病気を持ってない人間の方が珍しいでしょ」

「主はそうやって割り切れますが、そう割り切れない人間の方が多い上。 そもそも人間は一度自分より下だと判断すると、絶対に以降その相手を人間とみなさないケースが多いですので」

「まあ私は違うから、それで良いじゃないかあちゃん」

からからと笑う私。

それに対して、レトンは大きくため息をついた。

「主は恐らく、狂熱的な研究に対する視野狭窄さえ除けば、いつの時代でも生きていけると思います。 全ての人間がこうであれば、余りにも多すぎる歴史上の不幸な事故は起きなかったでしょうに」

「いやいや、みんな私みたいだったら、多分人類は此処まで発展しなかったと思うねえ」

「シミュレーションして見ましょうか」

「いや、それは止めておくよ」

みんな私みたいだったら、か。

価値観が一つになってしまうみたいで、私はそれは嫌だなと思う。

価値観を一つにと唱える愚か者は、人類史上珍しくもなかった。

歴史的に一神教の信仰者は、特にその傾向が強かった。

一神教は信者の思考を停止させると言う観点で、これ以上もないほど強力な支配用のツールだ。

だからこそに世界中で拡がりに拡がった。

方法論は他にあれど、他の宗教も基本的に思考を停止させる支配用のツールという点で同じだが。

そう冷静な分析が出来るようになったのは、今だからだ。

昔だったら、こんな分析をして発表していたら殺されていただろう。

今でもマルクス主義が唯物論がと抜かす輩はいるらしく。

そういう輩が、宗教史の分析などを見ると噛みつくケースはあるらしい。

やはり。この形が、人間にとっては理想的なのだろう。

私は伸びをしながら、そう思う。

「明日はスパートを掛けたい。 目目連を目撃できるようになってきたし、更にデータがほしいね」

「あまり健康的に問題が出るようなことはお勧めできませんが……」

「健康的に問題が出ない範囲で食事を減らして、腹が減って気が散るようにしてくれる?」

「分かりました、何とか工夫します」

レトンが呆れる。

この呆れている様子が、私を諌めている事につながっている。

それを見て私は安心する。

レトンの諌言が聞けている。

私は、バカにはなっていない。

それが分かるからだ。

正論や諌言を聞けない人間は、それだけ堕落していると言う事だ。私は研究者として、堕落するつもりは無い。

だから、レトンの厳しい言葉は、むしろ有り難かった。

 

三つ目の民宿に移っても、やはり食事を減らして意図的に集中がずれるようにする行動は正解だった。

多分だが、極度の緊張とか。

そういったものが、目目連を見えるような条件を整えている。

それで間違いないと思う。

だけれども、それは仮説だ。

私はあくまで、色々な方法で自分を追い詰めて。それで目目連の観察を行う。障子を見つめていると。

やはり厳しい状況下ほど、目目連は出現頻度が増えることがはっきりしてきた。

これはフィールドワークとしては良い傾向だ。

それに自宅で目目連が出ないのも納得である。

或いはだが。

昔の家庭で。自宅で迫害されているような人間は、障子を見ても恐怖を感じることはあって。それで目目連を見るようなことがあったかも知れない。

だが、今はそれはあり得ない。

私も自宅では無茶苦茶リラックスしている。

だから、どんな条件で見ても、目目連はでなかったのだろう。

バーゲン錯視というのは、あくまで条件の一つに過ぎなかった。

あるいはバーゲン錯視を上手に使えば目目連が見られたのかも知れないが、それは極めて不自然で。

怪異とは思えない代物だっただろう。

一方で、南雲には基本的に平常の状態を保って貰う。

それでデータを比べる事につながる。

南雲は、いつも私が無茶な荒行をしている事を見て、驚いていたが。途中からそういうものだと判断して、驚かなくなった。

それで目目連がさっぱり見えなくなったのだから示唆的だ。

だが私は仮説は述べない。

そういうのは、別の学者が。

データを元に、考えれば良い。

なんなら南雲でもいい。

デスクワークが得意な人間が、適切なデータを渡されれば、それで極めて現実に近い仮説をひねり出せるだろう。

そういうものである。

私が得意なのはフィールドワークであって。

怪異に会いたい気持ちの方が強い。

怪異を殺す事を別に否定はしない。

だが、それは、やりたい人間がやればいいだけ。

私が取った資料が、怪異を殺す事になるかも知れないが。それはそれ。まずは私は怪異を。

取って食いたい。

よだれを拭う。

南雲が青ざめて私を見ている。

やっぱり怖いんだなあ。そう思うと、ちょっと面白い。

ともかく研究を一段落させて。

そして最終日が来た。

フィールドワークをやっていて、最初の内は殆ど怪異に会えなかった。だが最近は、どんどんコツを掴んで来ている。

それが分かっているから、私としても嬉しい。

「主、時間です」

「おっと、もうそんな時間か。 南雲先生、切り上げましょう」

「はい」

南雲はやっと終わったかという顔をしている。

流石に不慣れなフィールドワークに同行したのは、とにかく疲れる行動だった、ということだろう。

というか、私の奇行に引いていた節がある。

別にそれはかまわない。

奇行くらいしないと。

怪異は姿を見せない。

「片付けは私がします。 南雲様はお先にお戻りください」

「分かりました。 ありがとうございます」

レトンがぺこんと一礼。

南雲は、今回も連れてきていた円筒形の支援ロボットと一緒に戻っていった。

まあ、ゆっくり休んでほしい。

その背中を見ながらそう思う。

レトンはてきぱきと作業をしていく。人間より遙かにスペックが高いのだから、確かにレトンを手伝おうにもむしろ邪魔になる。

そう思って、私はだいたい任せた。手元にあるものをちょっと片付けるくらいである。

「自動運転のホバーカーで帰るにして、帰路になにか面白そうなものはないかなあ」

「主もそれなりに疲れています。 帰路はかなり時間が掛かりますし、眠っているのが一番かと思いますが」

「まあそうなんだけど、ずっと眠ってもいられないだろうしね」

「そうですね。 朝方に夜明けが見えるようにしておきましょうか」

ああ、それはいいな。

高度を調整すれば、もしも朝の丁度良い時間に目を覚ませば、夜明けが見えるだろう。

荷物をライトバン型の自動運転車に詰め込む。

後は、車が自動で自宅まで運んでくれる。

帰路で、眠るまでに軽く話をする。

「南雲先生と仕事をしてどうだった?」

「私の尻やももにたまに視線を寄越す事以外は、別に特に何も」

「ハハハ、本人も自覚しているんだからそれは許してあげなよ」

「別に問題とは思っていません。 ただ南雲様は、恐らく私と同じルックスの人間に対しても、同じ事をしたでしょうから」

まあ、そうだろうなと思う。

私も南雲の好みのルックスだったら押し倒されていただろうか。

それはそれで別にどうでも良いが。

人の嗜好はそれぞれ。

実際には押し倒されっぱなしでもないし。

実行されなければどう考えようと自由だ。気にもしない。

「あの人も自身の欲求にふりまわされて大変だなあ。 私も怪異に会いたいって欲求で色々大変だけど」

「前にも指摘しましたが、人間という生物種の観点から言えば、主の方がイレギュラーケースです。 欲求がむしろ原動力になる事は多々あります」

「ああ、それは分かってる」

「勿論、主は自分のありたいようにあってかまいません。 この環境で、自省を出来他者の諌言を聞ける主は立派ですよ」

面と向かって褒められると照れるな。

まあそう言って貰えると嬉しい。

本格的に疲れがぶり返してきたので、一気に眠くなってきた。

ふと、結構な高度を飛んでいるはずの外で、何かが動いた気がした。

バーゲン錯視という奴かな。

そう思ったが、窓の外は雲海だ。雲の上に出ているから、星明かりでそれなりに明るい。

だとすると、いわゆるUFOかも知れない。

宇宙人が乗っているかどうかは別として、何か得体が知れないものの事を基本的にそういう。

20世紀には一大ブームが来たようだが。

今ではすっかりUFOは怪異の一種として落ち着いている。

次はこれをやるか。

伸びをすると、私は寝ることにして、シートを寝かせる。

レトンはそれに対して、何も言わなかった。

 

4、欲求と怪物

 

共同でのフィールドワークが終わる。

イケメンの愛人達が待つ自宅に戻ってきた南雲は、大きな溜息をついていた。

本当に。

怪物じみている。

話していて、それは分かっていた。

だが、フィールドワークを極めるタイプの人間はああなるのかと。柳野のフィールドワークを見ていて本当に困惑し通しだった。

なんでもあるものは受け入れ。

どんどん条件を自分に課していく。

厳しい条件を自分に課しても何のストレスにもならず。

ロボットの支援に全面的な信頼を寄せているとは言っても、それでも集中力を途切らせない。

理論的にはそれが最善なくらい、南雲にも分かっている。

だが、いくら何でもあれは。

ちょっと度を超していて真似できない。

そう思った。

南雲は、自宅では再現なく自分を甘やかすようにしている。

だから好みのツラの愛人役の支援ロボットを増やした。

金を稼いでいるのも。

上昇志向があるのも。

結局の所、自分の欲求を満たすため。

それはよく分かっている。

いわゆるニンフォマニアである事も、既に診断を受けている。幼い頃から、考えて見ればずっとそっちのことばっかり考えていたし。

今でも、こんな風に愛人役の支援ロボットを多数侍らせ。セクサロイドとして用い。

状況によってはその容姿も結構軽率に変える。

南雲は昔だったら暴君になっていたかも知れない。

一方柳野は、家臣の諌言を良く聞く名君になっていただろう。

そう思うと、不思議な気分だ。

風呂に入ったが、今日はセクサロイドを使う気分にもなれない。イケメンにガワを調整している支援ロボットにマッサージだけさせている内に、眠くなったのでそのまま眠る事にする。

枕を抱えて眠っていると。

夢を見ていた。

凄まじい熱量で、がりがりと研究をしている柳野。

これは、20世紀くらいの光景か。

髪もぼさぼさ。

研究のしすぎで目も悪くなって、ぐるぐる眼鏡を掛けている。

周囲は陰口だらけ。

いい年して結婚もしないで。

あれは何かの病気ではないのか。

南雲には。逆に多数の男が傅いていて。女王のように研究室で振る舞っていたが。

それはただ若いから、周りがそうしてくれているだけ。

それをなんとなく理解出来ていて。

更には周囲の陰口を聞いて、南雲はとても恥ずかしくなった。

夢だというのは分かっている。

夢が記憶の整理だと言う事も。

だから、とても恥ずかしい。

男性だろうが女性だろうがいける口である南雲にとっては、柳野はまったくその対象にならない変わった相手だ。

だから、この世界でも友達になりたいなと思った。

目が覚める。

じっとり汗を掻いていた。

南雲は夢を覚えていない方が多いが、覚えている時は覚えている。今日がまさにそうだった。

だから、最低と自分に対して呟いていた。

頭が悪くない自負がある。

だから何の意味を持っていたか、だいたい理解出来たからだ。

夢は記憶の整理である。

だからこそに、夢には見た事に対する意味があるし。

それに対する責任もあると、南雲は考えていた。

朝にシャワーを浴びるのは健康的に良くない。

それを知っているので、顔を洗って歯を磨く。

溜息が漏れる。

支援ロボットは、こう言うときは一人にしていてほしいと知っているので。何も声を掛けてこない。

そして、南雲は。

はだけた格好の自分を見て。

情けないなと思った。

ルックスはそれなりに整っているかも知れない。だけれども、周囲をイエスマンで固めて、自分の欲望に都合が良い世界を作って。

それで満足している自分の、なんと矮小な事よ。

自省して、自制して。夢を叶えている人間を見て、とても恥ずかしく感じた。

デスクワークとフィールドワークという違いはあれど。

現時点では、とても自分では柳野に勝ち目がない。

女として勝てているかどうかとか、そんなカビが生えた価値観に興味は無い。そんなもの、とっくに風化して果てた価値だ。

溜息が何度も漏れる。

しばしして、南雲は伸ばしていた爪を切り始めた。

ネイルのために伸ばしていたのだが、今後研究に更に身を入れるとなると邪魔。

そう判断したからである。

そして、そのままデスクワークを続ける。

怪異が好きなことは、南雲も同じ。

それだけでは。柳野に、負ける気はなかった。

 

(続)