足下にそれは纏わりつく

 

序、足下の怪異

 

人間の特徴は、二足歩行で前足を手として使えるようになったことだ。

実の所、道具を使う動物など幾らでもいる。

道具を使って道具を作る動物も存在している。

それも鴉などがそれを行う事がある。

つまり、昔は人間の専売特許だと思われていたことは。別にそんなことなどなかったのである。

人間には幾つか強みがあるが、その一つは足。

早くは無い。

ただ、犬科の動物と並んで持久力はある。

どんなに体力がない人間でも、実はそれなりに他の動物よりも持久力を備えているのが現実だ。

そういうものなのである。

だからこそ、人間は足を失うことを怖れるし。

足には様々な注意をした。

故に、夜道では。

足に何かが絡んだとき。

過剰に驚くことが多かったのだ。

すねこすりは、そんな怪異の一つ。

主に現在の岡山にて目撃されたとされる怪異の一種だ。

基本的に足下に絡んでくるだけの罪のない妖怪であり、話を聞くだけなら怖くないだろうが。

実際問題として。

当時の夜道で、足下に何かが不意に絡んできたら。

それはそのまま、死に直結しかねない問題だった。

灯りが普及している現在とは状況が異なることを忘れてはならない。

可愛い妖怪だと考えるのは勝手だが。

今と昔では、夜の暗さは全く違っている。

そういう事を加味して、行動しなければならない。考察しなければならない。それが、学者の仕事だ。

というわけで、今回私は岡山に来ている。

岡山では、すねこすりは類種は多数存在している。

そして、私がわざわざ調査に来たのは。

すねこすりの類種も、世界中に複数が存在しているからだ。

この類の怪異は、実際にはただの動物がじゃれてきたのを誤認したのが大半だとは私も思うが。

それでも、当時の夜道を再現し。

それで実際に歩いて見たいのがフィールドワーカーである。

実際にやってみると全く違う事は世の中になんぼでもある。

それに、だ。

すねこすりのようなタイプの「足下の怪」は温厚な方。

都市伝説に散々出てくる「足首を掴む幽霊」も、何かしらの理由でそれが起きたら。それは怖いだろう。

それが例え、死者の冷たい手でなくても。

人間は簡単に恐怖で脳に誤認を産み出す。

それは私も知っている。

だから、現地で調査する。

客観的データを幾らでも取る事が出来るのが現在だ。

故に、周囲を監視している監視ロボットのデータも含めると、一ヶ月も研究すれば数年分、下手をするとそれ以上のフィールドワークをしたのと同等以上のデータを取ることが出来る。

それだけ貴重なデータだ。

是非とも、足を運ぶ価値はある。

というわけで、今は私は岡山の山道を歩いている。

今回は山の中では無く、敢えて山道を歩くことにしている。

勿論夜限定で歩くようにしていることもある。

監視ロボットは、山道とは言えついてきていた。

殆ど車が通ることは無い。

車が通っても、自動運転だし。役所と連携して動いているから、私を轢くことはないのだが。

珍しく車が通り過ぎた。助手席に乗っていた人間が、ぎょっとした様子で私を見ていたが。

多分後で、支援ロボットが私をフィールドワーク中の学者だと伝えるだろう。

「幽霊だとかと思われたかな」

「いえ、支援ロボットが今の誰とか聞かれて、すぐに調査中の人間だと話したようです」

「そんなネットワークも組んでるんだ」

「我々は基本的に誰の支援ロボットとも連携して、プライベートに関わらない事なら相互に把握しています」

へえ。

それはそれは。

そうなると、ロボットは反乱なんか起こす必要すらなかったということなのだろう。

勿論支援ロボットに乱暴に振る舞う人間だっているだろうが。

ロボットの耐久性からすれば屁でもないし。

何よりも、これだけ完璧に周囲を固めているのは。

それは反乱なんか、起こす意味が最初からないとも言える。

「もう少し歩く」

「分かりました。 役所の許可は出ていますので、ご随意に」

「もう少し山の奥の方に行きたいなあ」

「今回は山道から外れないのがルールです」

そう、釘を刺される。

研究を申請したときに、そういう話を役所にしてある。

勿論役所としても、山の方をがっちり管理ロボットでまとめているという事もあって。人間が夜道に入ってくることは想定していない。

勝手に入ったりすることは、環境に対する配慮からも許されない。

私は学者だし、そういう事をするつもりはない。

足下をリスが通って行った。

おおと、過ぎ去るリスを見送る。

だけれども、足下に纏わり付かれたような印象はなかった。

「リスだねえ」

「一時期は外来種に圧迫されていましたが、今は在来種が個体数を回復しています」

「いいことだ。 あれ、おいしいのかな」

「あまり美味しいものではないと記録があります」

ただ、食べる事自体は出来るそうだ。

アイヌなどの文化は一時期絶滅寸前まで行ったが、今では努力の末に保全に成功している。

それらによると、リスを食べるノウハウがあるらしい。

ただエゾリスになるが。

なるほどねと頷きながら、私はリスを見送り。

そして山の中、更に奧へと歩く。

足下に、何かが纏わり付いてくる様子はない。敢えて、足下に注意を向けていないのだが。

「上ばかり見ているようですが、どうしたのですか」

「足下の怪ってさ、夜道でびくびくしているときとか、兎に角足下が見えていないときに来ると思うんだよね」

「そうですか」

「そうそう。 だから足下に違和感を覚えて、何か異変があると」

勿論、足下がお留守の時に、怪異が悪戯をして来るのかも知れない。

足下の怪異は、足首を掴んできたりと必ずしも安全なものばかりではないが。すねこすりのように足下にじゃれついてくるだけの存在だったら可愛いものだ。

ばっちこいである。

その正体も、十中八九は夜道で人間にじゃれついた猫か何かなのだろうが。

いずれにしても、当時夜道は真っ暗。

正体には気付けないだろうし。

それに纏わり付かれたときに味わう恐怖は、計り知れなかっただろう。

笑い事ですむのは、それが現在だからだ。

夜の闇が濃かった時代。

夜道で遭難することは死を意味する。

そういう意味で、足下の怪異が恐怖として語られるのは、当然の事だとも言えただろう。

「それで、その茶番は上手く行きそうですか?」

「相変わらず手厳しい。 今の所は成果ゼロかな。 というか、結構人死にがあった場所にも出向いているのに、足首掴まれた経験ってないんだよね……。 何かしらの怪異が主観に出現する事は今までもあったのに」

「それならば、手段を変えるしかないのでは」

「そうだろうね。 とりあえず時間帯と場所を変えて辺りを歩いてみるしかないかな」

今回は、そもそも山道を歩くということ。

そして深山に直接入り込むという訳ではない事もあって。

役所としても、そうがみがみと色々いっては来ていない。

それに帰路はホバーバイクがすぐに来る。

要するに一瞬で帰る事が出来る。

そのため、問題なく調査する事が出来る。

フィールドワーカーとしては、実に楽な仕事である。

ギリギリまで歩く。

星空が見えてきて、かなり明るい。

この辺りはもう完全に人口の灯りから切り離されている。人が自動運転の車などで通るときに、要望があればドローンが追従して灯りを灯す、くらいである。昔あった、常夜灯は存在していない。

それもあって、星空は相応に綺麗だ。

昔に比べて、幾つも星が増えているが。

それらは宇宙コロニーである。

実験用のプラントだけではなく、一千万人が暮らす規模の宇宙ステーションが現在だけで八つ、衛星軌道上に浮かんでいる。

また、金星や火星にも同規模のものが浮かんでいる。

現在、地球人類の70パーセントが宇宙にいて。

たまに、フィールドワークで出向く事もある。

宇宙ステーションにも当然怪異関係の話はある。

一隻一幽霊とまではいかないが。

現在でも、新しく作られた宇宙ステーションでも、正体不明の現象は起こることがあるらしく。

怪異として時々噂話がある。

そういった時は、フットワーク軽く出かけていく。

宇宙ステーションはこういった地球の深山と比べて入るための許可を得やすい。

それに、シャトルを使って宇宙に出かけていた時代と違い。

今は軌道エレベーターを用いて宇宙に出向き。

其処から宇宙バスを用いてコロニーに出向く。

何回か金星や火星に出向いた事もあるが。

それらも衛星軌道上のマスドライバを用いて加速する事で、十日ほどで片道を消化することが出来る。

勿論ランニングコストは安くは無い筈だが。

仕事で金星や火星と地球を往復する人は少なくなく。

私も利用した事がある。

それだけの話である。

今度、条件が整ったら、火星の地表コロニーに出向こうと思っている。

テラフォーミング作業をしている火星では、近々恐らくだが始祖の巨人の伝承が出てくるのでは無いかと私は睨んでいる。

もしも出て来た場合は、それはとても面白い事なので。

是非現地で確認したい所だ。

金星はテラフォーミングするのが非常に厳しいのか、そういうのは出ないだろうと睨んでいるが。

その代わり、色々な幽霊話が豊富らしい。

だから、何かしらの機会があったら出向こうと考えている。

それでいいのである。

「そろそろ時間です」

「あー、そんな時間か。 ちょっと空が綺麗だから見とれてたよ」

「ホバーバイクを呼びますか」

「よろしくかあちゃん」

レトンにホバーの手配を頼む。

すぐに文字通りすっ飛んできたホバーバイクに乗る前に、レトンが足下をチェック。ダニだとかヤマビルだとか、危険な生物の付着を確認。

こういった山道では、基本的に動物が近付かないように処置をしている。

それもあって、ほとんどヒルもダニもいない。

レトンの処置も素早く。

すぐに確認は終わった。

「問題ありません」

「ありがと。 じゃあ今日はもう宿泊施設に戻って休もう」

「それがよいかと思います」

ホバーに乗り込む。

そのまま、自動運転に任せて、宿泊施設に運んで貰う。

そういえば、新しい方の怪異と言えば、こういうナビシステムに幽霊が、というものがあったそうだ。

今はそういう話は聞かない。

AIに不具合があった場合、AIが自分で修復作業を行い。即座に治してしまうし。不具合情報もそのまま公開する。

人間と違って面子とかそういうものはないので。

全くミスを隠さない。

そういうこともあって、AIが何か不具合を起こせば、その内容は詳細に公表されるし。

ここ数十年は、それも公表されたという話は聞いていない。

それもあって、あくまで都市伝説と、皆割切っている。

そのためか、近年はナビゲーションシステム関連の怪異は、殆ど聞かれなくなっているのが現状だ。

降るような星空だったが、それもやがて雲に隠れる。

敢えて天候が余り良くない時期を選んできているからだ。

雨が後二時間ほどで降り始めるらしい。

そういえば、湿気が多いな。

そう思いながら。空を見上げる。

その方が、怪異も足下に悪戯しやすいだろう。

ばっちこいと待ち構えているが、結局宿泊施設まで、怪異は現れない。宿泊施設についた後も、当然現れなかった。

ため息をついて、宿泊施設に。

今回使っているのは、何とか言う研究施設。いわゆる箱物の残骸だ。

今では殆ど研究施設としては機能しておらず。

私のような学者が宿泊施設として使う。

ただもと研究施設と言う事もあって、色々な設備も整っていて。

何人か、殆ど住み着いてしまっているような人間もいるらしい。

昨日、そういう年季が入った研究者に廊下ですれ違った。気むずかしそうな老人だったが。

実年齢については分からない。

今の時代は、敢えて老人の姿を取る事で、舐められないようにする人までいるらしいので。

自分の部屋に入ると、まずは夕食にする。

手際よく夕食を準備するレトンを横目に、私はメールチェックなどをしておく。基本的にフィールドワーク中は、メールなどは見ないようにしている。

これでも、作業には集中しているのだ。

ただ、レトンはメールを事前にチェックしている。

スパムなどが飛び交っていた時代の名残だ。

スパムメールなどは、レトンが事前に処理してくれているのである。まあ、それも今では殆ど来ないのだが。

「特にこれといって重要なメールは来ていないと思いますが、確認はしてください」

「うん、分かってる。 それにしても、今回も中々成果が出ないなあ。 フィールドワークというのはそういうものだって分かってるけどね」

「愚痴であれば幾らでも聞きます」

「いや、別に……まあ愚痴か。 もう少し怪異は私に姿を見せてくれてもいいのになと時々思う」

フィールドワークを一月やって、怪異に遭遇できるのは毎回数回くらい。それも殆どが主観でだ。

客観データにそんなものは出現したケースが殆どない。

鬼火などの現象として出現する怪異くらいである。私が直接目にして、更に客観的だと言えるのは。

幾つか今までそういった現象系の怪異とは遭遇した事があるが。

いずれもが、単に解明されていないだけの現象だろうなと、私も心の何処かで思っている。

とはいっても、それでも怪異はいると信じたいし。いるなら会いたい。

だからこうして、フィールドワークを続けているのだ。

夕食はわりとがっつり目に出てくる。

私はフィールドワークでかなり歩き回るので、相応量の食事は出てくるのが普通だ。今日もそれには代わりがない。

黙々と食事をしていると。

メールが来る。

南雲からだった。

「夕食中だったら後に目を通してください。 すねこすりの類種について、自分なりにまとめておきました」

「お、これは有り難い」

「相変わらず南雲様は有能ですね」

「向こうにもメリットがあるからね」

フィールドワーカーではない南雲は、私がいつも歩き回りまくって現地調査をしているのを聞くと、真似は出来そうにないと思うらしい。

そういう発言を何度かしていた。

元々、今の時代。その気になれば、激しい運動など一度もしないでも生きていける時代である。

体が衰える人はとことんまで衰える。

それはそれとして、支援ロボットがある程度の運動は行うように仕向けるそうだ。

ただ、それもあくまで生活に支障がない範囲。

別に問題がない範囲での衰えだったら、別に気にしないし。

体をある程度鍛えるつもりだったら、的確な支援を行う。

今はそういう存在が誰の側にもいる。

だから、不満を口にする人間は殆どいない。

事実現在の社会に不満があるらしい南雲も、社会体制をぶっ壊そうとかは思わないそうである。

食事を終えると、返事をしておく。

「ありがとうございます。 すねこすりの調査ですが、今の時点では主観、客観、ともに遭遇していません。 しばらくはフィールドワークを続行します。 進展があったら真っ先にレポートを挙げますので、閲覧してください」

メールを返信すると、そのままレポートに移る。

寝るまでに軽くレポートを仕上げて、それで終わりとしておく。

実際、特にこれといって怪奇現象の類は起きていないのである。

何もレポートにかくようなことはない。

すぐにレポートは終わったので、後は少し早めに休む事にする。

寝るのが早くなりすぎると、生活リズムが崩れるが。別に許容範囲内だ。レトンも文句を言うことはなかった。

今の時点でも、すねこすりとの遭遇については諦めていない。

是非出て来てほしいと思う。

気がつくと、翌朝である。

今回も、普通に夜道を歩き回っている。疲れが、相応に溜まっているのだなと思って。スケジュールを確認。

すねこすりは基本的には日中に出現しない、完全夜行性型の怪異だ。

だから、日中には、レポートのまとめや。次にやる調査の準備など。基本的に基礎的な準備作業しか、やることはなかった。

 

1、願って出現するものではなし

 

私は別に動物は好きでも嫌いでもない。

動物系の怪異は好きだが。

怪異全てが好きなのであって、別に動物だろうが何だろうが関係がない。ただそれだけの話である。

昔は私も動物園などに出向いた事がある。

今の動物園は、檻の中でダラダラしているだけの動物を臭いを我慢しながら見るのではなく。

殆どの場合ドローンで撮影する主観情報を、家でVRで体験するものとなっている。動物はほぼ野生と変わらない環境におかれていて。

主に、個体数が回復していない動物や。

習性に分からない事がある動物などが。

動物園で増やされて、そして環境の回復を行う下準備をしている。動物園は現在では、殆どがそういう施設だ。

一部古代生物のDNAを復元して、恐竜などを育成している施設があるが。

少なくとも、昔とはかなり施設の性質が違っているのが実情だ。

それもあってか、動物園を楽しいと思った事は一度もない。

特に動物と触れあう云々の施設は、基本的には現在は存在していない。

動物に負荷を掛けるだけだし。

何よりも、動物と触れる事は人間と動物とどっちにとっても幸運な事ではないから、である。

サラブレッドなどに乗馬できる施設はあるにはあるが。

それはそれ。

わざわざ乗ろうとは思わない。

だから、もしもすねこすりの正体が猫なり兎なりだったりしたら。

私はがっかりしてしまうだろうな。

そう、自己分析はしていた。

夕方から、山道に出る。

今回のフィールドワークの範囲はかなり広い。

元々夜道を歩いて回るだけなので、環境管理用のロボットが細心の注意を払って巡回しているような場所にはほぼ入らないという事もある。

役所も活動範囲を広めに申告しても、特に何も言わなかったし。

研究の範囲を広く取っている事についても、好ましい事だと珍しいコメントをくれたくらいである。

淡々と道を歩く。

岡山と行っても広いが、それでも山が無限にあるわけではない。

山道も数が限られている。

よって、幾つかの山道を、夕方から夜に掛けて歩き回る事になるのだが。

すねこすりは。出てくれない。

昔は岡山内だけでも複数の類種がいるような怪異で、遭遇例も多かったらしいのに。

溜息がもれる。

そのまま歩き回って、時々車とすれ違う。

レトンは黙々とついてきている。

レトンから、何か喋る事はない。

比較的曇り空で、星空が一切なくくらい日も多い。

雨が降っている日も出向く。

それでもすねこすりは現れない。

もはや人間と怪異が交わる時代では無い、とでもいうようにだ。

がっかりしながら歩いていると。

足下に、何か違和感があった。

思わず足を止めて、周囲を見回す。何か足下に触れたような感触だった。足首の辺りである。

レトンが、目を細める。

「何か今、足に触れた?」

「いえ。 半径15メートルに、大型の動物の姿無し。 20メートルほど先にて、日本兎が此方を伺っていますが、近づいて来てはいません。 犬や猫は姿がありませんし、他の動物もいませんね」

「今の感覚はなんだろ」

「客観情報を見る限り、主観だけのものかと」

つまり気のせい。

そうレトンは言っている。

まあ、私としては別にそれでもいい。今のがすねこすりかも知れない。だとすると、すねこすりも主観に。

つまり心に住まうタイプの怪異。

それはそれで、別に一向にかまわない。

やはり、足下を一切気にしていないときに姿を見せるとみて良い。ただそれが、昔岡山によく出たすねこすりと同一の存在かは分からない。

まあ、後でデータを分析するだけだ。

黙々と、また山道を歩く。

どうしても足下を意識してしまう。ということもある。

追随しているドローンが、動物を近づけないようにしている、と言う事もあるだろう。基本的に、私の側に動物は寄らないと考えて良さそうだ。

ひゅんと目の前の近くを何かが通り過ぎて行った。

多分蝙蝠だろうなと思う。

レトンに聞いてみると、やはり蝙蝠だという。

「蝙蝠ですね」

「ああやっぱり。 結構人の近くまで出てくるね」

「今の時代、人が危害を加えてこないことを知っているんでしょう。 この辺りで餌を採っているようです」

「ふうん……」

あれは、どう考えてもすねこすりではなさそうだな。

そう思って、夜道を歩く。

多少わくわくしたが。

それもあって、以降は怪異は出てこなかった。

基本的に怖いくらいの時が、怪異は出てくれる。もしくは気がそれたり、油断したり時にである。

それらから加味して、以降怪異が出無かったのは当然だと言えた。

まあそれでも全くかまわない。

私としては、すねこすりに主観でも遭遇できて、充分過ぎる程だ。

時間が来たので、ホバーバイクで宿泊施設に。途中で、何両か大型の車両とすれ違った。軍用車両だ。

珍しいな。そう私は思った。

今の時代、当然一部を除いて軍も機械化している。

そもそも国家間の紛争がない時代だし、そもそも今は統一政府で回っているのだが。それでも軍が存在しているのは。いつか必要になるかも知れないからだ。

エイリアンが攻めてくるとはいわない。

何かしらの理由で、軍が必要になる可能性はある。

というわけで、今もああいう大型の軍用車両はたまに見かける。

ただ、昔のように戦車のために重厚な道路は必要なくなっている。今の時代は、昔の戦車よりも遙かに軽く。

そしてそもそも陸上での移動にこだわらない兵器が主体だ。

それに、ああいう兵器は、今は基本的に災害救助用に活動している、と言う事もある。

試運転は、普段からしておくべきだという事なのだろう。

ただ、あまり私は軍に興味はない。

そのまま、宿泊施設に戻る。

レポートをまとめる。

主観情報と客観情報を並べて記載しておく。

やはり、客観的に私の足に何か触れたような記録は無い。

そうなってくると、あの時のすねこすりは心の中に出た、とみて良いだろう。

それにしても、心の中に出るすねこすり、か。

もっとこれは、物理的な接触を伴う怪異だと思ったのだが。

それは足首を掴んでくる幽霊とにたようなもので。

実際には単なる気のせい、とみて良いのかも知れない。

気のせいであったとしても。

心の中に住まう怪異だと判断出来る材料が揃うなら、フィールドワークをやる意味は存分にある。

私はそう思いながら、レポートを黙々と書く。

良い感触だ。

淡々とレポートを仕上げている内に、レトンが夕食を持ってきた。多分レポートに集中しているのを考慮して、持ってくるタイミングを敢えてずらしたのだろう。

「丁度きりもいいし、晩ご飯にしよっか」

「温かい内にどうぞ」

「うん」

レトンと夕食を囲む。

同じものに見えるが、レトンのは体内管理用のナノマシンが主体だ。レトンは人間の細胞を使うような生体ロボットではないから、こうやってナノマシンをある程度採ることで、体の維持管理をしている。

しかしながら全てナノマシンというわけでもなく。

一応形だけ食事をするために、レトンらしい工夫を幾つもしているそうである。

昔から、私と同じに見えるものを敢えて食べているレトンだ。

それが私が一番落ち着く行為だと判断しているのか。

それとも何か他に理由があるのか。

いずれにしても、合理が前に出てきていることだろう。

何かしら、理由があるのは確実とみて良い。

「今回も、二三回くらいしかすねこすりには会えないかも知れないなあ」

「そもそも何も客観的には起きていません。 そう考えると、会えているという感覚が私には理解出来ません」

「うん、そうだろうね」

「ただ、茶番とは言え客観を受け入れて、それを主観に優先するレポートにしているのは評価できます」

そうか、分かってる。

レトンの言い分は厳しいが。その通りである。

だから、私はフィールドワークをする。

怪異が心の中に住まうものなら、そうだと証明できるための材料がほしいからである。

必ずしも、全ての怪異が心の中に住んでいるとは限らない。

いい加減な人間の脳が見せる幻覚、と言う風に斬って捨てることも出来るが。

それは、そうだと確認できる材料を、それなりに集めてからである。

その材料を集めるのがフィールドワークだ。

本来なら年単位、下手すると十年以上掛けて行う作業も、今は周辺監視装置のおかげで、一月もあれば集める事が出来る。

だから私は、その環境で最高効率でフィールドワークをする。

それだけだ。

怪異を解き明かすつもりはないが。

怪異に会いたいというこの気持ちに、嘘はない。

結局今でも、私はやっぱり怪異が大好きである。

「それでかあちゃん、何かしら変わった事は起きていなかった?」

「ああ、軍用車両の事ですか」

「うん。 あれって基本的に人がいる所を通らないよね」

「あれは次世代型の空陸両用戦闘車両で、現在は人間を識別するための最終チェック段階に来ています。 丁度主がいたので、其処を通る事で、非武装の人間を確認するAIがきちんと働いているかチェックしていたようですね」

なるほど。

私が通ることも計算済の上で、彼処を通っていたわけだ。

レトンの説明によると、あの手の戦闘車両は搭載しているAIと、ネットワーク上に存在している統括AIが連携して動いているが。

EMP等の手段で通信が遮断された場合に対応して(現時点では基本的にあり得ない話だが)、独立行動型のAIを搭載しているらしい。

今日のはその独立行動型のAIのチェックで。厳重にセーフティロックを掛けた上で、人の近くを通っても大丈夫かを確認していたらしい。

もしも私を排除対象判定するようなら、AIに調整が必要だったのだろうが。

幸いそういったことはなかったそうだ。

今後は市街を移動して、AIに問題がないかなどの調査をするそうだが。

いずれにしても、もう遭遇する事は無さそうだ、という話である。

まあ昔から主力戦車というのはおっそろしい存在で、人間が勝てる相手ではまずないという話はあったが。

今の時代はそもそもどう工夫しても戦車を倒せる手段がない。

一般人がどれだけ頑張って色々やっても絶対に破壊出来ないので。

ああいう主力戦車の後継兵器が、人間に向かって暴威を振るう事は恐らくはないだろう。

そもそもAIやロボットが人間に対して反乱を起こす理由もない。理由がなくても反乱する奴はいるかも知れないが。

それだったら、とっくにやっている筈だ。

それが出来る機会は、今まで何度でもあったのだから。

軽く話をした後、夕食を片付けるレトンを尻目に、レポートの仕上げをしておく。

あまりいいデータは取れていないが。

それよりも、今まで書いたレポートへの反応が気になる。

特に鬼火のレポートに関しては、かなりのアクセスがある。活発に議論もされているようだった。

これらの反応は嬉しい。

今の時代。レポートに客観的情報を入れないのは論外だ。

これらもあって、マスコミというのは姿を消した。

ともかく、客観性のない情報は見向きもされない。

故に、今鬼火のレポートにアクセスがあると言う事は、相応に認めて貰っていると言う事だ。

しかも、アクセスしている先達には相当なベテランも多い。

そういった人達がフィールドワークの成果を認めてくれるというのは、有り難い話である。

少し顔が緩んだが。

まあ、それはそれ。

すぐに気持ちを立て直して、レポートのチェックなどをしておく。

寝る時間が来るまで、黙々と細かい作業をして。

それが終わったら、眠る。

まだ、フィールドワークはしなければならない。

明日以降は、気持ちだって切り替えなければならないのだから。

 

翌日。

少し早い内から、宿泊施設を出る。

黙々と山道を歩いていると、日が暮れ始めた。もともと今日はかなり暗かったのだけれども。

それもあって、暗くなるのは文字通りあっと言う間だ。

すぐに真っ暗になったので、逆に感心する。

立ち尽くして、空を見ていると。

レトンが側で、周囲を警戒しているのが分かる。余程の事がないと、レトンから声を掛けて来る事はない。

真っ暗な空を見て、感心している私。

気がそれれば。怪異が出てくるかも知れない。

そういう計算もある。

だけれども、それはそれとして。

夜闇の圧倒的さに感心していたのだ。

これなら、確かに恐怖で色々誤認する人も出てくる。それが怪異につながっていくのなら、確かに怪異は心の中に住む。

そう思って、私は感動する。

それで感動されたら、怪異の側ではたまったものではないかも知れないが。感心してしまうのだから、それをどうこう言われても困る。

感性は人の数だけある。

それは、今の時代に、教育の最初。自分と他人の区別をつける教育をしている時に言われる事だ。

古くは、多くの人間がそれを学習できていなかった。

「適切な感性」が存在すると信じ。好きな色やらものやらを、強制する事が当たり前だった。

今はそれはなくなっている。

これが間違いだったと気付いたからだ。

一時期の社会ではそれがデリケートな社会問題になって。それにつけ込んだ人権屋が様々な文化を滅茶苦茶にする事件があった。

今で言う「ポリコレ」という奴である。

人権の価値を著しく貶め、一部の詐欺師だけ儲かるシステムを作りあげたろくでもない代物だったが。

今ではAI管理の結果、そういったものはとっくにこの世から消えている。

それぞれは、好きなように己の感性に正直であればいい。

他の人間を意図的に殺傷する事を好まなければ、それでいいのである。

昔は悪戯に他人を殺傷する事を格好良いと勘違いする輩もいたらしいが。

それこそ、迷妄も迷妄。

最悪の迷妄だろう。

勿論考えるだけなら自由だが。実際には絶対にやってはいけない。ただ、それだけの話だ。

私も、その辺りの線引きはわきまえている。

だから、こうやって外を歩き。

暗闇の恐ろしさを堪能している訳だ。

黙々と夜道を歩く。

提灯とかぶらさげて歩いていたら、それこそ昔だったら怪異か何かだと勘違いされたかも知れない。

実際、夜道を通る自動運転の車に乗った人間が、私を見てぎょっとすることが時々あるのだ。

今ですらそれなら。

昔の人は、夜道だったら身内がすれ違っても勘違いしたかも知れなかった。

実に私に取っては魅力的な空間だ。

これほど怪異にとって住みやすい場所はないだろう。

そう思うだけで、わくわくしてくる。

だが、わくわくしていると、怪異は怖れて出てこない。

結構怪異はデリケートな存在なのだと。

私はもう分かっている。

だから、隙を敢えて作り。

怪異に見せつけて回る。

隙があるぞ。心にも足下にも。

だから絡んでこい。

ばっちこい。

そう思いながら歩いているが。すねこすりは出て来てくれない。もっと決定的な隙とか恐怖がいるかなあ。

そう私は、歩きながら思う。だけれども、養殖した恐怖では、怪異をつり出せるかどうか怪しい。

もっと恐怖しないと。

だけど。私は夜の闇に対する畏敬と。

何よりも、怪異に対する愛着が、恐怖を凌いでしまっている。

特に今の時代は、昔と違っていわゆる「失踪」がなくなっている。

昔にしても実際には事件性のある「失踪」は今私が住んでいる国のあった場所ではまずなかったらしいのだが。

それでも、これが、怪異に殺された人間などいないという確固たる統計的証拠を作り出している。

それが、怪異に対する恐怖を悉く抹消したのも事実だ。

実際問題、変死もほぼ起きなくなった時代だ。

怪異によって、誰も殺されないのなら。怪異に脅威などないのだと、そのままの証明になる。

都市伝説では、よく失踪を題材に、怪異が殺傷力を持つ恐ろしい存在のように語られ続けた。

だが現実にはこの通りだ。

これだけ自分を餌に釣りをしようとしても、出てくるどころではない。

私としては、あまり面白くもない話だが。

それはそれとして。今の怪異と人のあり方は。

適切な距離を取れているとも言える。

問題は怪異が人の脅かし方を忘れてしまっているように思う事。だから、それは何とか改善してほしいが。

夜道を歩く。

別に山の怪異だったら何でもいいから出て来てほしいのだが。それも、当然の事ながらない。

すねこすりを今回は調べているが。

別に送り狼でも山童でもかまわないから出て来てくれないかなあ。

そう思うが、あたりまえのように出てこない。

まあ当然か。

今山にいる狼は、DNAから復元される際にも散々苦労があったと聞いている。そして復元された狼は、人間に気付くと確実に距離を取る性質を持っていて、動物学者を苦労させたと言う。

ましてや他の山の怪異に至っては、元になった部分がとても大きい山にいた不定住民であるサンカの民が既に定住化していなくなっている事もある。

出てくる事は、極めて困難だろう。

足下。

また、ふわりと何かの感触があった。

ため息をついた瞬間だった。

やはり、気を抜いた瞬間の事だった。今の落胆は本物だった。だから、心の隙をついてくれたのだろうか。

だとしたら。

実に有り難い話である。

「かあちゃん、周囲の客観情報くれる?」

「分かりました。 また出たんですか?」

「うん。 連続して来たねえ。 良い傾向だ」

「はあ……。 此方でも確認しましたが、完全に茶番ですね。 特に主に何かが接触した形跡はありません。 熱源探知を含めあらゆるデータを照合しているのですが」

そうなると、やはり心の中にすねこすりは住んでいると判断して間違いないのだろうか。

それが分かる材料になればそれはそれで面白いのだが。

いずれにしても、分析は私だけで行うべきではあるまい。

ともかく、すねこすりが私に何度か主観的とはいえ遭遇してくれるようになったのは事実だ。

このまましばらくこの辺りをフィールドワークして。

もっとすねこすりの情報を集めたいものである。

ただ、その日はやはりというか。もうすねこすりは出無かった。どうしてもこういうジンクスはある。

仕方がないので、一度遭遇した事だけを可として戻る。

フィールドワークでは、わくわくはむしろ敵。

わくわくしていると、それに見合う成果はまずないからだ。

特に私がやっているようなタイプのフィールドワークでは、基本的に何も起きないことを基本とするしかない。

それは、私も。

もう何年もこの仕事をして。

怪異相手のフィールドワークをしているから、分かっている事だった。

 

2、姿を見せない見られない

 

レポートを書く。

二回の主観的遭遇。

いずれも客観的情報には特に何も無し。

それをレポートには正直に書く。

鬼火以外のレポートはだいたいこれだ。基本的に私は推論とかは一切口にしないようにしている。

だから、事実を陳列しているだけだ。

それに対しての、これといったコメントは無い。

非常に正直にデータを集めているという他のフィールドワーカーの意見もたまに見かける。

また、この主観的データを分析している人も時々いるようだが。

それが成果につながったという話は、まだ来ていなかった。

怪異の研究は、昔からそれなりに多くの人がやっていた。たかがオカルトというなかれ。昔から、多くの人がそれなりに怪異の研究をしていた。いわゆるノーベル賞を取得したような人間にもそれは混じっていた。

それで怪異は結局分かっていないものも多いのだ。

とはいっても、怪異になるような化け物がいるかというと、それには大きな疑問も残る。

そして私は、怪異を心の底では殺したくないとも思っているし。

それでも、学者として解明したいという欲求もやはりある。

怪異を調べれば調べるほど、その欲求は強くなる。

結果として、私は自分でもこの矛盾を解決できないでいる。

色々複雑な悩みを抱えたまま。

今日も研究のため、フィールドワークに出向く事になる。

今回取っている日時は、既に半分を切っている。残りは十四日。出来るだけデータがほしい。

とにかくデータだ。

もしも解明できないにしても。

解明できるにしても。

今の環境は、ニホンオオカミやニホンカワウソもいる。

今回これといった成果が上がらなかったら。

動物を飼っている場所に出向いて。夜道で犬や猫、場合によっては慣れている他の動物ともじゃれてみて。

どう行動するかを確認してみたいものである。

それですねこすりだと判断出来るなら良いのだが。

もしもそうでないのなら、やはりこういった歩いて見て実際に取るデータが意味を成してくるだろう。

実際にやってみないと分からない事なんて、それこそ世の中に幾らでもある。

セロテープというものなどそうだ。

あれは理論的には使えないという風に発明者が判断して、ずっと実用に至らなかった。

だが実際に使ってみたら、実にあっさりと実用的な代物だと言う事が判明してしまったという経緯がある。

だから、私も怪異に対して。

一見科学的っぽい説が正しいかどうかは。

体を張って、確かめてみる。

それだけだ。

時々、足下にやはり違和感がある。

あれからまた何度かあったが、どうしても主観情報になる。

それも気を抜いたり、意識がそれた瞬間に起きている。

やはり、夜道での山道を歩くという行動で、それが主観的に誘発されるのではないのか、という説も自分の中で持ち上がってくる。

だとすれば怪異の可能性が高いが。

しかしながら、本当にそうなのだろうか。

もっとデータがほしい。

あらゆる条件下で、すねこすりが出るかを確認したい。

ましてや今回は、何というか手応えがない。

ここはすねこすりが昔出た場所だ、という意識がどうしてもあるから。

それですねこすりが出ているのかも知れない。

何も知らない人間を連れてみたらどうなるか。

それに、レトンも主観情報で怪異なんか見ていない。

嘘は絶対につかないようになっているから、それは間違いない。人間だけに見えていると言うことは。それは要するに脳のバグと言ってもいいし。

或いは。

だが、今日はここまでの様子だ。

「時間、かな」

「その通りです。 ホバーバイクが今此方に向かっています」

「仕方がない、帰ろう」

「そうしましょう」

元々、この時間にこの場所にいるのは、役所に申請して行っている。学者なら、そうすべきだし。

無為な残業は、行政全体に迷惑を掛ける。

昔と違って、エゴまみれの無能な人間が役所を回しているわけではない。

今はエゴと切り離されたシステムそのものとなっている。

だから、それについては全くというレベルで信頼出来るし。

逆に信頼したからには、言う事を聞く必要もある。

事前に自分から時間を申請して、それを行政が許可して、今の調査を行っているのである。

ならば、ルールには従うのが筋だ。

ホバーバイクが来たので、後は帰路につく。レトンに、軽く聞いてみる。

「やっぱりこう言うとき、延長したいってごねる人もいるの?」

「プライベートの情報になりますから、誰がどうと具体的に言う事はできませんが、います」

「ああ、やっぱり」

「主はその辺り、公私の切り替えがきちんと出来ていて立派ですね。 あまり面と向かって褒めることは良くないとは分かっているのですが」

ありがとうと、レトンに礼は言っておく。

レトンも口が厳しいだけではなくて、ちゃんと出来ている事は客観的に褒めてはくれている。

ただしやっぱり正論はしっかりぶつけて来るので。

それはそれとして、受け止めなければならないだろう。

ホバーバイクで帰路に、足首でも掴まれないかなあと思うけれど。そういう事は起きない。

不思議な話で。

今も、足首を掴まれたと。何かしらの理由で夜道を歩いていて、そういった足下の怪に遭遇する人はいるらしい。

だが客観的にデータを調べてみると、どうしても実際に足首を掴まれたという状況は起きておらず。

やはり主観情報になるそうだ。

すごく冷たい手が、足首をぎゅっと掴んだというような具体的で生々しい証言も出てくるのだが。

今の時代は、非常に客観的にデータが出てくる。

なお、脳の異常云々でわざわざ治療はしない。

人間の脳なんか、異常だらけだ。

いちいち治療していく意味がない、というのも実際問題としてあるからである。

人間の脳に対する調査が進めば進むほど、どんなに正常に見える人間でも精神疾患なんて抱えているのが当たり前という事実がわかってきている。ましてや今は非破壊で、機材など一切使わず人間の脳を調査できる。

それでバグだらけ、という結論が出ているのだ。

だったらそうだと、データを見て受け入れるしかないだろう。

昔は精神疾患を持つとレッテルを貼られた人間は、それこそ生涯虐げられたらしいが。

現在では、精神疾患なんて誰でも持っているのが当たり前と、冷徹な現実が人間に突きつけられている。

それを受け入れられない人間が、一時期はテロとかを画策したこともあったらしいが。

今ではそれもなくなり、世相は落ち着いているのが実情だ。

さて、宿泊施設に到着。

ホバースクーターから降りる。

こう言うときが。

仕掛けて来るチャンスだと、私は思うのだけれども。当然、すねこすりは仕掛けて来る事もない。

はあと溜息が漏れた。

そして、自室に引きこもると。

後は、黙々とレポートに徹する。

それにしても、本当に出現条件が良く分からないな。

レポートを書いていて、そう思う。

例え主観情報が主体に出現している怪異だとしても。

心に作用するトリガーみたいなものはあってもおかしくはないだろうに。

それが分からない。

無言でレポートを作っていると。

レトンが夕食を持ってくる。

気分転換にいいか。

そう思って、レポートを作るのを一時中断。

後は、無言で夕食にする。

夕食を黙々とレトンと一緒に食べるが。

やはり、もやもやが晴れない。

レトンは夕食を片付けると、後は無言でさがる。基本的に余程の事がない限り、レトンからは喋らない。

私ははあとため息をつくと。

後は、機械的にレポートに励んだ。

データは集まって来ている。

それなのに。一体何なのだろう。このこれじゃあないと言いたくなるような、不可解な感触は。

怪異に敢えてどうにも嬉しくない。

というか、もっとすねこすりっぽい感触を味わいたいのに。

それも上手く行かない。

確かに足下を何かが通る感触はある。それは主観情報だが確かだ。データも取れている。それなのに、どうしてだろう。

どうにも、私は満足出来ないでいた。

 

夢を見る。

夢だと分かっている。

私がぼんやり座っていると、人なつっこい犬が足下でじゃれてくる。

だが、違う。

この感触じゃあない。犬はすねこすりじゃあないのか。

続いて猫が来た。

そういえば。猫は人間に向けての鳴き声と、他の猫との鳴き声が違っている、という話がある。

ニャアと鳴いて、足下にすり寄って来る猫は。

やはり足下を擦っても。

すねこすりとは、決定的に雰囲気が違った。

やっぱりこれじゃない。

そう思って、次、と思うと。

今度は鼬が来る。鼬は今では、自然で見られる生物の一種となっている。かなり獰猛で、本来はペットとして適さないが。

ペット用に調整したフェレットという品種もいて。

それは無理矢理、肉食動物を人間が扱いやすいようにしている。だから、ある意味業の塊とも言えた。

DNAから生物を復元することも出来る今の時代だが。

それでも、やはりフェレットについては、賛否両論あるようだ。

フェレットを今の時代は直接作り出す事も出来る。DNAから、である。

そうして生まれてきたフェレットをペットにしている人もいる。

だが、可愛いペット用動物と、野生動物は違うものだ。

野生の鼬が、人間に懐くことはまずない。

足下を通って行く鼬は、かなり乱暴で。

これじゃあないと私は思った。

次。

狸が来る。狸は元々かなり性格が荒く、犬科の動物でも人間に懐くと言う事は滅多にない。

特に縄張り意識が強く、縄張りを侵されたと思ったら。仮にそれまで仲良くしていた飼い主も、一瞬で信頼しなくなる。

可愛い動物というイメージがあるが、それは勝手に人間が作り出した妄想だ。

夢だが、これは結構再現度が高い夢だ。

足下を通って行く事は狸はまずないし。

通って行っても。これはすねこすりではないなと。私は一瞬でそう判断していた。

次。若干口調が荒くなる。

私も、かなり自分の機嫌が悪いことは理解出来ているけれども。それでも、やっぱり私は学者だ。

これというデータが取れれば、それをそうだと認める度量はある。その度量がない奴は、どんな天才でも学者とは言えない。

客観的なデータを感情的に反発して認められないような奴には、学者を名乗る資格がない。

そう私は判断している。

勿論、私は今の時代だから博士号を取れた程度の人間だと言う事も自覚している。

それでも。プロになったのなら、プロとしての責務を果たす。そう考えるだけのプライドだってある。

黙々と、次の狐の感触を味わう。

狐も違う。

狐は狸よりは攻撃的ではないが、群れを作る生物ではない。このため、人間に慣れる個体は野生には存在しない。

子供の頃から人間と生活する狐は、飼い方次第では人間になつくそうだが。

そういった個体が野生に戻る事はない。

可愛いからと言う理由で飼いたがる人間は昔から幾らでもいるが。

それがどれだけ業の深い行動かは考える事も珍しくはない。

特にエゴが強い人間になると、気分次第で飼う犬を変えたりするような事もあり。そういった人間が適当に動物を捨て。

それがとんでも無い結果になることが珍しくもない。

私の足下を通った狐に対して、違うなあとぼやく。

熊や狼は論外。

そもそも大きすぎて、足下をこするどころではない。

カワウソにも通って貰ったが、警戒心の強いカワウソが通るわけがないし。これも違う。穴熊も駄目だ。

昔は「狢」と呼ばれる事もあった動物だ。

面倒な事に、穴熊と狸は、どっちが「狢」と呼ばれるか地方によってバラバラである。

それも関東と関西で別れているとかそういうようなこともない。

非常に学術的に面倒くさいのだ。

いずれにしても、穴熊も違う。

念の為に、江戸時代にはいたと噂されているハクビシンにも足下を通って貰うが、これも違った。

鼠やリスは。

論外である。小さすぎる。最大種のドブネズミでも駄目だろう。

それでは、猿は。

猿も違う。猿の場合は、そもそも夜に活動する生物ではない。だいたい、猿が天然記念物として保護されるようになったのは後の時代。

それまでは、どちらかというと狼などと同じく、あまり人間と距離が近い生物でもなかった。

人の血を覚えた存在として、狒々という妖怪(当然だが、ニホンザルは人間を殺傷できるほどのサイズにはならない)として扱われる事も多く。当然ニホンザルの方も、人間をあまりすいてはいなかっただろう。

足下を通って貰う。

これも違う。なんというか、股の辺りまで毛だらけの感触が来るし。これだったら、すねこすりとは呼ばれない。

私は夢を見ているときも、こういう実験をしている。

そしてこの実験内容は、極めてリアルだと。夢だと分かっているのに思う。

そもそもとして、どれもこれも違うと感じているだけでは無い。

その違うには、きちんと理由が生じている。

だから、必ずしも笑い飛ばせるものではない。

大きなため息をついている私の所に、歩いて来たのは見覚えがある存在。

気むずかしそうな老人の怪異。

「山ン本さん!?」

「まーた変な事をしておるな。 夢の中でまで実験とは、本当に根っからの変人だのう」

「ははは、よく言われます」

「あの忠実なロボットにか。 忠臣に正論を言うように望む姿勢は立派だし、言う事も聞くようだが。 根本的にそなたはおかしいわい」

山ン本さんが罵倒してくる。

実にファンタスティックな体験である。

うっとりする私を見て、それで更に山ン本さんは呆れた。

「で、すねこすりに会えないと。 すねこすりが何かを調べていると。 夢の中でまでか」

「はい。 そうです」

「お前さんも気付いているとおり、すねこすりは心に住まう怪異だ。 ということは、心の中から迷信として殺された時点で既に絶滅しておる」

「ああ、そうですよねえ」

お化けは死なない、とはあまりに有名なあの妖怪漫画のアニメ版での歌詞だが。

実際には、お化けは簡単に死ぬ。

迷信だと、存在を一刀両断するだけでいい。

後は、文字通り消滅してしまう。

畏怖の対象でなくなるのもいいだろう。

ネットロアに出てくる怪異などは、特にその傾向が強い。ネットロアなんてまともに信じている奴はいなかったが。

やがて、そういう怪異をいわゆるR指定の二次創作で遊びに使う者が出てくるようになった。

そうなってくると畏怖もなにもあったものではない。

文字通り現在の怪異祓いにあったネットロアの怪異は。

そうやって殺されていったのだ。

「わしや悪五郎も同じだ。 今ではわしの事など真面目に信じるものも畏怖するものも存在してはおらん。 だから魔王などといっても虚しいものよ」

「魔王って言葉じたいがミームそのものと化していきましたからね」

「そういう意味では、恐ろしいほどの怪異祓いよ。 身近で遊びの道具とすることで、我等への畏怖を祓う。 その結果、魔王と呼ばれる我等すら、こうして意識の海の片隅に追われてしまうのだからな」

ため息をつく山ン本さん。

やがて、真面目に襟を正していた。

「もう行くが良い。 夢の中でずっと問答していても、詮無きことだ」

「分かりました。 もう時間でしょうし、起きます」

「そうしろ。 それとよだれは拭え。 自覚はないかも知れないが、わしを見てから獲物を見る肉食獣の顔をずっとしておる」

「それは山ン本さんほどの怪異に会う事が出来れば、それはよだれも出ます。 じゅるり」

更に呆れると、山ン本さんは消えていく。

いずれにしても、起きる頃合いか。

これだけの明晰夢なのに。不思議と私は起きだすと全て忘れてしまう。

だが、それもまた一興だろう。

それに寝ている時と起きている時で、私の人格は変わらない。

私は寝ている時でも、主観と客観は別だと考えている。

だからそれが矛盾になっているし。

自分を苦しめている要因になっているのかもしれなかった。

 

目が覚める。

良い夢を見ていたらしく、よだれをまずは拭う事からだ。伸びをする。かなり良い夢だったのだろう。

起きて、随分とすっきりしていた。

夢は綺麗さっぱり忘れているので、それはそれで別にかまわない。

それに夢は記憶の整理だ。

これだけ良い夢を見たと言うことは。それだけ人格に影響が出るような記憶をため込んでいたと言う事で。

あまりいい事では無かったのだろう。

綺麗に夢を整理したことで、今日も頑張って研究に励むことが出来る。

私は文系の学者だが。

それはそれで、研究に励むことに変わりはない。

起きだすと、歯を磨いて顔を洗う。

パジャマから着替えている間に、レトンが朝飯を持ってくる。

レトンに良い夢を見たっぽいと言うと。

レトンは何処かで見たような顔で呆れた。あれ、この顔、どこで見たっけ。いつもこんな風に呆れていたっけか。

レトンは夢の内容を知っている。だが、それについては話さないようにも先に釘を刺している。

それの影響を受けているのかも知れないが。

まあ、どうでもいい。

「主は趣味と仕事が一致していますが、それが言い事なのかは正直あの夢の内容を見ていると、図りかねますね」

「ああ、夢の中でも実験とかフィールドワークとかしてた?」

「さわりがない範囲で言うとそのような所です。 それにしても、よだれをダラダラ流すような内容ではないと思いますが」

「うふふー。 まあ良い夢をみたんだという自覚はある。 それだけで充分だよ」

ご飯が実にうまい。

まあレトンの作るご飯は、余程の事がない限りはうまいので、いつものことだ。

さて、朝のうちにレポートを進める。

主観情報だけでは無く、客観情報ですねこすりと遭遇したいものだけれども。多分無理だろう。

鬼火のように、観測されている現象ではない。

実際問題、すねこすりに遭遇したという例なんて、ここ最近起きていない。それどころか、辿ってみると20世紀には既に起きたという信頼出来る記録がないそうだ。だとすると、明治の頃には既にすねこすりの伝承自体が死んでいたとみて良い。

怪異は簡単に死ぬ。

今もネットロアは出現し続けているが。

それが生きていられる時間は、あまり長くないのが実情だ。

基本的にネットロアには賞味期限があって。

死んでしまうと、それまでである。

死んだ後に、何かしらの形で復活する事もあるのだが。それはあくまでそれ。

どこまでいっても、怪異は人間に振り回されるものなのである。

迷信というのは別にかまわない。

科学的に解明されていない現象まで迷信というのは、あまり褒められた行為ではない。

ネットロアのように、噂話の海から生まれた怪異は。噂の海から生じた以上、用がなくなれば噂の海に帰ればいいだけだ。

だが、そうでない怪異は。

ため息をつくと、レポートをいったん切り上げる。

レトンに言って、昼少し前に仮眠を取る。

レトンも、それを許可してくれた。

「少し疲れが溜まっているようです。 起こしますので、仮眠はとっておいてください」

「ありがとう、助かる」

「主は頭を常人よりフルパワーで長時間動かし続けています。 疲れるのは、仕方が無い事です」

「ああ、昔は何とか言う精神疾患扱いされてたんだっけ」

頷くレトン。

伸びをすると、私は仮眠をとる事にする。

夢は見ない。

だが、それはそれ。

疲れが取れるのならそれでいい。

それにしても、私はどうしてこんなに怪異が好きなのだろう。何がオリジンだったのだろう。

それは、分からなかった。

分かっているのは、結局私は最初から学者で、多分人生の終わりまで学者だと言う事だろう。

きっかり一時間仮眠をとって起きだす。

多少疲れは取れたかも知れない。レトンに昼食を作ってもらい、その間にレポートを再開する。

筆の滑りが良くなった。

黙々と、レポートを打っている間に、レトンが食事を運んでくる。

後は、食事にして。

その後は、今日のフィールドワークだ。

今日も、学者として生活する。

私は、それに生き甲斐を感じている。それ以上でも、以下でもなかった。

 

3、すねこすり

 

多少気持ちは楽になったが、だからといってすねこすりが出て来てくれる訳でもない。

鬼火のフィールドワークの時に、私は持っているなあと感じたが。

基本的にツキというものは、来ていると思ったときにはもう離れているらしい。波もあるらしい。

ギャンブルで生計を立てるような人間の過去にあった証言だ。

そう考えてみると、やはり今はツキが離れているのだろう。

仮にすねこすりが。

過去の人間が経験したすねこすりがいるとしても。

それが私の身に起きている、足下に何かが通ったように感じる主観情報とは、あまり関係がないのだと見て良かった。

夜道を無言でひたすらに歩く。

ドローンが側で警備してくれているが、普通だったら怖くて歩きたくないような道だ。というのも、側でごうごうと音がしている。

谷川の音である。

それほど深い谷川ではないのだが。

近くを歩いていると、露骨に湿気が多いし。

何よりも、夜闇だから足を滑らす恐怖もある。

多分、昔の人はこの辺りには夜に近付かなかったのだろう。

当然である。

今でこそ、危険はほぼないに等しいが。

昔だったら、足を踏み外したらその瞬間におだぶつだったのだから。

歩いていて、周囲を見回す。

結構怖いんだけれどなあ。

そう思うのに。

心の隙を、すねこすりが突いてくる気配はない。なんというか、足下よりも、股の辺りが冷える感触だ。

「かあちゃん、この辺り何か動物いる?」

「動物と言っても多種多様に存在していますが、どのような動物ですか?」

「んーと、今の研究に関わりそうな動物」

「そうなると、ニホンカワウソ、ニホンイタチ、ホンドダヌキ、アカギツネですね。 ニホンオオカミとニホンザルは恐らくは大きさから言って関係無いでしょう」

蕩々とレトンが並べる。

昔のAIは買い物して来いと言うオーダーを聞くだけでパンクしたらしいが。今のAIはこの通り。

今回の研究の主旨を理解して、足下に纏わり付く可能性があるサイズの生物で。しかもどちらかというと毛のある生物を厳選してくれている。

「どれか私に接近して来る可能性がある品種は?」

「絶無です。 此方を伺っている個体はいますが、いずれもが警戒しています」

「んー、それなら仕方がないか」

動物は皆無と。

まだ幼い個体とかは好奇心を持って近付いてくるケースもあるが。基本的に人間に接近を試みると管理ロボットや監視ドローンが阻止行動に入る。

それでいいのである。

人間と生態系は既に切り離されている。

ならば距離を適切に保つべきだからだ。ただし、そうなってくると、困る事がある。

昔は、そうでもなかったということ。

好奇心を持った幼体の生物が、人間に夜道ですり寄ることはあっただろう。それを再現するべきか。

しかし。

だが、今レトンが挙げたような生物が足下に来て、すねこすりと誤認するだろうか。

どうにもそれは違うと言う結論が出ている。

VRで、動物と触れあう事は可能だ。

実際に、どうしても駄目なら、後でそれを試そうとも思っていたのだが。今は不思議と、それは無意味だという思考が頭の中で動いていた。

ともかく、そろそろ時間だ。

結構良い条件だが、仕方がない。

そろそろ研究期間も終わりが近付いている。

この結果が満足出来なかったら、また役所に申請して、調査に来るしかないのだろうが。

それにしても、なんだろう。この奥歯に何か挟まったような消化不良感は。

いずれにしても、私は。

もう少し、色々試してみたいと思うのだが。

これといった良案が浮かばない。

すねこすりを探そうと思って意気込んできたというのに。

なんというか、手応えがまるでないのである。

ただ、それはそれこれはこれ。すねこすりの伝承が殺されているなら、出て来にくいのなら当たり前だ。

ともかく、色々探してみるしかない。

今日はおしまいだ。それはそうとして、気分を切り替えた方が良いだろう。時間が来たので、ホバースクーターを呼ぶ。

帰路につきながら、レトンと話す。

「後五日だったよね」

「そうなりますね」

「ちょっと趣向を変えてみたい」

「分かっていると思いますが、申請している期日に申請している場所だけでフィールドワークを出来ます。 その範囲内で、許される行動をしてください。 その範囲での行動だったら、誰も文句を言わないでしょう」

レトンの言葉はもっともだ。

だから無言で頷く。

さて、どうするかだが。

今履いている、フィールドワーク用のズボンを思う。

これ、ちょっと長すぎないか。

いや、スカートでフィールドワークをするほど私も頭が湧いてはいないが。それでも、足下は外気に晒すべきではないのか。

それだ。

山道を歩く関係上、ダニやヒルなどを警戒して、どうしても足下はガチガチに固めていた。

それがまずかったのだと思う。

後五日は、ちょっと違う条件で夜道を歩くことにする。

レトンに、帰路で提案。

「わらじに、それにホットパンツで行きたい」

「お待ちください。 主、本気で言っていますか」

「本気も本気だよ。 そもそも、足下の怪異だし。 わらじはむりにしても、少なくとも今回狙っているすねこすりに対しては、足首から脛は晒すことが大前提になるんだと思う」

そもそも昔の子供だって、そういう格好で走り回っていたはず。大人だって、それは同じだろう。

つまりすねこすりはそういう時代に出た怪異。

格好だって似せた方が良いはずだ。

そして今回、足下に隙を作っていなかった。これは、本当に大きな盲点だったと言えるだろう。

「気の緩みだけだと限界があるんだよやっぱり。 だとしたら、足首や脛は晒した方がいい」

「役所に確認を取った方が良いでしょう。 私が取りますか?」

「よろしく。 あと、もし取れた場合には、具体案を練ろう」

レトンが、リソースの何割かを裂いて、急いで役所と交渉を開始する。多分一時間は掛かるはずだ。

人間の回している役所だったら、絶対に許可なんて下りなかっただろうけれども。

今はAIが回している。やりとりは出来る筈だ。

宿泊施設に着く。

レトンが手際よくダニやらヒルやらをチェック。

付着はほぼなし。だが、ほぼと言う事は、絶無では無いということだ。それは当然で、あんな山道を歩き回っていれば、そうなる。

普段より若干レトンの動きが鈍いような気がするが、多分マルチタスクで作業をしているからだろう。

現在のAIも、AIを動かすためのPCも。レトンらが積んでいるハードウェアも。500年前とは比べものにならないほどに進歩しているが。

それでも、役所と全力でやりとりをするなら、それは時間だって掛かるだろう。それでもやってくれている。

自室に戻ると、淡々とレポートを書く。

どうして先にこれを思いつかなかったのか。そう思う。

私は服とかに殆ど思い入れはないから、今履いて回っているズボンが破れようがきにしない。

ホットパンツなんて持っていないが、そんなものは買ってくれば良いだけである。

今時、買うつもりなら二時間で現物が届く。勿論採寸など、全てきっちりやった上である。

やがて、レトンが夕食を持ってくる。

温かいご飯を食べ終えると、レトンは切り出した。

「役所の指定が来ました。 わらじは許可できません。 サンダルは許可が出ました。 ただしサンダルも、指定のものを使用してください」

「指定のもの?」

「ヤマビルを寄せ付けないように独自の高周波を常時出しているものとなります」

「それくらいなら問題ないかな」

すぐに注文するとレトンが言うので、頼む。

続いてズボンだ。

個人的には、こっちのが大事である。

「ズボンですが、ホットパンツは流石に許可が下りませんでした」

「あー、そうかもねえ」

「ただし、ショートパンツなら問題ありません。 布の保護面積的にも、脛などには当たりませんので大丈夫かと思います」

「お、じゃあ注文よろしく」

考えて見れば、元々こんなガチガチに固めた装備では、怪異が触れても気付けない可能性が高い。

布の防御能力というのは結構高く、素肌だと大けがをするような状況でも、布だと全然平気と言う事がよくある。

そういうものだ。

逆に言うと、布の防御力を素で知っている私としては。それが無くなる事を肌で感じる事になる。

今までにない緊張感を味わう事になるだろう。

ぞくぞくしている私に、レトンが咳払い。

「分かっていると思いますが、ブッシュなどへの接近は厳禁です。 今後の調査の時も、これは同じとなります」

「それは分かってる。 生足でブッシュに近付くほど私も命知らずじゃないよ」

「それならば結構。 いざという時は、即座に阻止に入ります」

「よろしくねかあちゃん」

さて、此処からだ。

最後のスパートになってしまうのが残念だが。

此処からは、生足晒してフィールドワークだ。本来だったら正気の沙汰ではないのだけれども。

それでもフィールドワークで命を張るのは学者として当然の事だ。

レポートにも記載する。

此処までは、ズボンと山歩き用のスニーカーで足下をガチガチに固めていたが。

此処からは山歩き用に調整したサンダルとショートパンツを用いると。

これくらいしないと、怪異は出て来てくれないだろう。

今の時代は、見かけの年齢と実年齢がまったく一致しない。

私は見栄えさえ整えれば、かなり綺麗になると嘘をつかないレトンが太鼓判を押しているくらいだし。

このくらいの服は、着こなすことが求められるだろう。

寝る前に、サンダルもショートパンツも来る。

すぐに履いて、問題ないか確認。

サンダルはちょっと厚めだ。

これは色々なテクノロジーが入っているから、という理由もあるとみて良いだろう。

ショートパンツも、布面積が小さいが。その代わりにかなり空気が肌に触れるのを感じる。

本来はブーツ辺りが似合うのだろうが、今回は役所の指定だ。

これでいい。

とりあえず、格好については問題ないと言われたので。明日の夕方から、この格好で外に出る事とする。

さて、この格好で山に行くのだ。

役所には散々色々指定されたが、それでもこの捨て身の格好である。すねこすりよ、是非出てこい。

そう思いつつ、一晩しっかり休む。

そして、翌日の夕方まで。

長い時間が掛かった。

 

夕方より、山道に出る。

かなり冷え込むが、それでも別にかまわない。多少冷えるくらいでめげていたら、フィールドワークなどやっていられない。

無言で山道を歩く。

足の下半分、足の裏以外がほぼ外気に晒されている状態だ。枝などがひっかいただけで普段と違って大けがをする。

それを理解した上で歩くと、普段とはやはり緊張感が違った。

私もフィールドワークしているから、細かい生傷は絶えない方だと思ったのだが。この格好は、役所が難色を示すのが分かる。

通る事が出来る様に整備されている山道とは言え、この格好で歩き回るのは確かに正気ではない。

とはいっても、昔の子はわらじで山を走り回っていたのだ。

露出はこの比ではなかっただろう。

今回は山に直接はいる訳ではないが、普段とは違うドローンが来ていた。かなりずんぐりした奴で、私の頭上に貼り付いている。

話を聞いてみると、特殊な音波を頭上から出していて、ダニやヒルの接近を避けるようにしているという。

蚊なども。

人間の可聴域外の音だけを出しているそうだが。音の指向性は強く、私を守るようにシャワー状に展開しているらしい。

これは他の生物には普通に聞こえる事もある。

かなり収束性を絞るとしても、そもそも他の生物に聞こえないように、道を歩くことが必要になる。

故にレトンが、しっかり管理してくれていた。

「少し左によってください」

「おっと、道の端に寄りすぎたか」

時々、そうやって声を掛けながら山道を行くが。

それにしても緊張感が尋常では無いな。

足を晒して歩くのは、別に普段は気にしないのだけれども。夜の山道だと、こんなに恐怖感が増すものなのか。

確かにこれで足下をすねこすりが通ったら、恐怖で一生ものの記憶が残るだろう。すねこすりとは良く言ったものだ。

だが、それが逆に好奇心を喚起もする。

これだけやったんだ。

今の時代、山に入ってくる人間はガチガチに装備を固めているだろう。

例外が来たんだ。

出番だぞ、すねこすり。

そう呟きながら、私は夜道を徘徊する。

人間が警官としてパトロールしていた時代だったら、不審者として拘束されていたかも知れない。

だが今はそういう時代ではない。

監視用のドローンが二機もついている。それに役所に申請もしてある。

そして役所に申請すれば、それは政府が私の動向を把握していて、末端まで情報が届いていることを意味する。

今の政府はAIで回っているから、それで齟齬が生じる事はない。

風通しが完璧な政府だ。

これについては、色々融通が利かないなと感じる私も全力で褒められる。人間が利権塗れで回していた時代とは、何もかもが違う。

今のゆっくりした時代でも、技術がどんどん進歩しているのも、あらゆる技術開発を利権関係無しでこの政府が回しているから。

人間が利権でああでもないこうでもないと無能な政府運営をしていたころとは、前提条件が違う。

いずれにしても、この適度な恐怖、たまらない。

夜道を歩いて、周囲を確認して回る。

やがて、不意にその時は来た。

足下に、ぞわぞわっと何かの感触があった。

私の様子を見て、レトンも気付いたのだろう。即座に、色々チェックしているようだった。

「ひょおっ!」

「どうして怖い目に会って喜ぶんですか」

「いやだって、これだよこれ! 多分すねこすり!」

「客観情報だと特に何も起きていません。 しかし、体には激甚な反応が出ているようですね」

レトンが意外にあわてている様子で、健康診断まで始める。

激甚な反応って、大げさな。

そう思ったが。

私は、心臓がばくばく言っているのに、今更気付く。それに気付けないほど、一瞬で大興奮していたという事だ。

多分瞳孔開ききっているだろうな。

そう思うと、二重に楽しい。

今の私を夜道で見た人間は、昔だったら悲鳴を上げたりするかも知れない。怪異として伝承が残ったりして。

新しい怪異が誕生してしまう。

その起点に自分がなったと思ったら、それはそれで大興奮である。

足下のチェックをしていたレトンが、ため息をつく。

「足の方に負担が掛かっています。 長時間このまま歩くと、恐らくは足を吊って転ぶかと思います」

「ちょっとマッサージとかした方が良い?」

「そうですね。 マッサージで緩和することは可能です」

「じゃあかあちゃん、お願い。 この好機、逃せない」

レトンが、もはや人間ではない別の生物を見るようにして。私を下から見上げていた。まあ、レトンでも呆れを通り越しているのだろう。

とりあえず、近くに腰かけて、レトンにマッサージをしてもらう。

今、右側のふくらはぎの方に痙攣の前兆症状が出ているという。

早めに処置しないと、転ぶだけではすまないかもしれない、ということだった。

ならば、そのまま対応を任せる。

無言で対応をしてもらい、その間に今の時間を確認。残り時間を考えると、もう少し歩きたい。

「客観情報では、何も起きていないんだよね」

「そうなりますね。 ただし素肌を晒していることもあり、過酷な条件で筋肉などに負担が掛かった可能性も」

「家の中じゃ別に裸族とかじゃないし、逆に寒さにそれほど弱いとも思わないんだけれどなあ」

「それでもこの条件だと、足に負担が掛かるのは目に見ていました。 ヒルも直についているので除去します」

おっと、気付けなかった。ヒルまでついていたのか。

どうしてもこういうのがあるから、素足はまずいということなのだろう。

即座に殺菌などの処置をすませるレトン。可哀想だが、ヒルは殺処分。この場で診断もして、病原菌などが体に入っていないことも確認した。

歩いて良し、と許可が出るまで三十分。

それにしても、にやけが止まらない。

「こんな状況で嬉しいと思えるのが理解出来ません。 それも、生半可な嬉しさではないでしょう」

「うんうん。 昔の恋愛脳の女子が、好きな男子と両思いになったらこんな感じだろうなと思う」

「はあ……。 例えがどうにも不純で偏見に満ちている気がしますが。 まあそれでいいのではないでしょうか」

「歩いて良いなら歩くよ」

レトンが許可をくれたので、また歩く。

やはり、素足を晒していることでの危険度は、段違いに増している。ヒルがついていたこともそうだが。

それ以上に、やはり寒さがダイレクトに来る。

ひょっとしてだが。

すねこすりの正体は、人なつっこい動物ではなくこういった寒さだったのではないのか。そうとさえ、思えて来るほどだ。

だがそれは、あくまで仮説。

私の仕事は、仮説を作ることじゃあない。

仮説はあくまで仮説。どこまでいっても、仮説に過ぎないのである。

私はフィールドワーカーとして、怪異に会う事が目的。怪異が主観的な現象だとしても。いずれそれが客観的に解明できるかも知れないし。正真正銘の怪異がいるのかも知れない。それを解き明かすのは、多分私じゃあない。

今回は、一気にテンションが上がってきた。

もっと早くに、このやり方に気付きたかった。

そうとさえ思う。

だけれども、もう遅いと言える。

いや、また申請してくればいい。そう思って、黙々と周囲を歩き続ける。

やはり、足下に寒さがびりびりと来る。それで、足の方に異常が来ているのかも知れなかった。

時間ギリギリまで歩く。

ホバースクーターが来るまでに、レトンが害虫などを取り除いてくれる。途中で何回か、スプレーを吹いていた。

後で何か薬を追加すると言っていた。多分だが、何かしらの感染をしたのかも知れない。薬で下してしまうのだろう。

内容については、レトンは言わなかった。

多分知らない方が良いと言う事で、敢えて口にしなかったとみて良い。

私が聞けば教えてくれただろうが。

それも面倒なので、黙っていく事にする。

宿泊施設まで、無言でスクーターで行く。途中、レトンがズボンを履き替えるか、と聞いてくる。

流石にそれはいいと応える。

レトンが聞いてくると言う事は、余程の事だ。

というのは私も当然分かっている。既に現在では感染がないような病気か、或いは寄生虫かも知れない。

いくら山道にある舗装道路と言っても、ドローンが巡回していても、全てのそういったものを駆除できるわけでは無い。そもそも意図的に、資格制にして山に入るのを阻害した上で、再度野山にはなった生物もいる。

私がどういう感染を受けたのかは、いい実験資料になるかも知れない。

幸い今の医療技術なら、私を回復させるのは難しく無い。

既に人間が掛かりうる病気は全て解明されていて。

その全てが治療可能になっているし。

体内のデータはレトンが山に入る前後で全て把握している。それも細胞単位で、である。

最悪の場合でも、臓器とかをクローンで生成して取り替えればいい。

今は、そういう時代だ。

自宅に戻る。何錠か、見た事がない薬が出て来た。すぐに飲むように、と言われる。

これは、余程ヤバイ感染症でも貰ったか。

私は、大きめの錠剤を口に入れると、早々に飲み下す。その間に、レトンは私の足に色々処置をしていた。

「終わりました」

「このお薬は念の為?」

「いえ、明日の朝までには体内で処理が終わります。 主が眠った後、幾つか私の方でも処置をします」

「そっか」

レトンが側にいて、体内を調整するわけだ。

思うと幼い頃、レトンが側で寝てくれたことがあったけれど。あれも幼い私を側で治療なり、体内の環境を調整してくれていたのだろう。

ただ、レトンが怒る事はない。

役所との話し合いをした上で、リスク加味して向こうも同意したのだろう。

だったら、私にレトンが怒る理由がない。

もしも私に何かあった場合、役所の責任になる。

その場合は、役所が私の治療費なども含めて払う事になる。

人間が利害関係が絡み合った中、政治屋が横行して政治を回していた頃は、こういった判断を政府は出来なかっただろう。

もしも問題が発生した場合は、当然役人の首が飛ぶ。

それが嫌だから、もみ消しに走っただろうし。

最悪の場合、私は消されていたかも知れない。

今は違う。

AIは個人が相手でも、失敗した場合はきちんと謝罪するし保証も出来る。AIには面子なんてものがないからである。

いずれにしても、今日はレポートを早めに仕上げて、出来るだけ早く寝るようにと言われた。

というか、私も薬を入れてから。ちょっと頭の中がぽかぽかするので、正直レポートどころではない。

夕食も白湯みたいなのが出て来た。

これは、本格的に色々まずそうだ。

でも、私も自分で望んでした事だ。当然明日以降も、このフィールドワークを続行する。

勿論無菌状態同然で過ごしてきた私にも問題があるのかも知れない。だけれども、それはそれ。

自分も同意で、承知の上。

だから、それで誰かを恨む事などない。

淡々とレポートを仕上げると、さっさと寝る。

レトンも寝るまでは外にいるといって、部屋を出て行った。多分、さっきの薬には、いつもより強い睡眠導入剤も入っていたのだろう。或いは薬が入っていたのは夕食かも知れない。

全身麻酔はあんまりやったことがないのだが。

それ並みに効いて。眠るときには、一瞬でこてんと落ちていた。

 

翌朝は、かなり怠かった。

目が覚めてこんなに怠いのは久しぶりだ。

レトンが私の足にまだ色々処置をしている。徹夜だっただろう。レトンは二つある頭脳部分を交代で動かしているらしいが、体の方は常に全機能を発揮しているわけではない。ナノマシンを入れて調整していても、それでは壊れる。人間と同じ体細胞を表皮などに使っているタイプは更にメンテナンスが大変らしい。

私が起きだすと、レトンは動かないようにと言ってくる。

大あくびをしながら、私は好きなようにさせる。足が開かれて器具がたくさん刺さっているとか、そういう事はない。

ただ、何かしらの処置をしているのは見えたので。

あんまりそっちは見たくなかったし。

それに、足の方はちょっと感覚が曖昧だ。

「出来れば、今日のフィールドワークは中止したいところですが」

「何の病気か寄生虫か貰ったのかは聞かないけれど、結構まずかったみたいだね」

「そのまま行くと足を交換する事になっていたでしょう。 今は最後の処置をしているところです」

「ひえ」

そうか、やっぱりか。

だとすると単純な病気ではなく、多分寄生虫の類だな。

ただ。今は寄生虫の中にナノマシンが例外なく仕込まれているはず。そのナノマシンとも連動して、治療をしていたのだろう。

やがてレトンが部屋を出て行く。

足の方はまだちょっとしびれがあるが、すぐに収まった。昔だったら大手術だっただろうに。

ともかく、何事もなく片付いたのは、良かったと言う他無い。

嘆息すると、私は黙々と起き上がる。

歩いても大丈夫っぽいな。

そう考えると、後は着替えた。

レトンはズボンとショートパンツ両方用意してくれていたが。躊躇なくショートパンツをはく。

言われてもあんまり自覚は無いが。

足の方は、そこそこ綺麗なのかも知れない。

知らないが。

「やっぱり今日もフィールドワーク出るよ」

「分かりました。 役所の方に、処置を申請しておきます」

「ごめんなかあちゃん。 午前中はレポート書くから、すこしは時間取れるね」

「許可を出した役所の方にも責任があります。 それに今回は万が一の事態が起きてしまったという状況です。 今後再発を防ぐために、役所の方のAIでも、手を打つでしょう」

なるほど、それはまあそうだろう。

私も黙々とレポートに取りかかる。

すねこすりを主観とは言え、非常に強烈に感じたのはなかなかに良かった。客観データと、それと前後で私が貰ったらしい何かの病気だか寄生虫だか。それに加えて、治療のデータも付与する。

これらは役所の落ち度になるし、昔だったら大騒ぎだったかも知れないが。

今だったら、そうでもない。

役所の方でも同意の上で許可を出している。

私の資格停止とか、そういう処置もされていなかった。もしもされていたら。山に入るのを中止と、役所から話が出ていただろう。

レトンとしては、万が一に万が一を重ねることを考慮して、今日はフィールドワークを止めるように言ってきたのだろうが。私としては、そうはいかない。

やると決めたからにはやるだけだ。

それに、足もちゃんと動く。

処置が終わっているなら、休む必要もない。

足をぶらぶらさせながら。レポートを書く。

裸足になれておく方が良いだろう。サンダルなんて、裸足同然なのだ。普段は家の中でも季節関係無く靴下をはいているのだが。それはそれとして。今はフィールドワークに備えて、裸足にしておく。

昔の人間は免疫がどうのこうのと口にする阿呆がいるが、それは違っている。

昔の人間は、同じ状況にあったとき。免疫がなければ死んだだけだ。

自然による淘汰が云々というのもそれは完全に間違っている。

近代医療の否定に等しいし。

体が弱くても、偉業を為した人間なんてなんぼでもいる。

それに、今でも問題が起きうるなら、解消するべくデータを取っておくべきである。

役所はそう考えるし。

私もそれには同意見だ。

それに弱い人間は淘汰されて当然なんて思想は、優生学そのものだ。そんなものに同意していたら。それこそナチやら宗教系の原理主義と同レベルになってしまうだろう。

メールが来る。

南雲からだった。

無事か聞いてくる。ああ、レポートを見たのだなと分かった。すぐに無事だと返しておく。

南雲は心配だったのか、映像つきで連絡を入れてくる。

「柳野さん、本当に大丈夫ですか?」

「問題ないよ。 しっかり処理されてる」

「それは分かっていますが、体を張るにも程があるのでは」

「大丈夫。 私はレトン……私のかあちゃんである支援ロボットと、今の科学技術を信じる。 それに、私が今回酷い目にあった事で、同じ事が起きないように役所がきちんと処理をする。 今はそういう時代だよ」

やはり体を張りすぎだと、南雲は口を尖らせる。

この人は、私より年上の筈だが。

なんというか、精神は私よりもずっと幼いのかも知れない。

とはいっても、人間の精神性なんて幼児の頃からほぼ変わらない。性欲が追加されるくらいだ。

これについては、以前聞かされた事がある。

多分それは私も南雲も同じ。

だから、別にそれを咎めるつもりは一切ない。

「あと四日、すねこすりを探す意味もあってフィールドワークする。 今回の経験はかなり強烈だったし、他にも意味がある研究になったよ」

「根っからの学者ですね……」

「それだけは誇りかな」

「とにかく、いい支援ロボットがいるようですから、きちんと話は聞くようにしてください」

通話がきれる。

昼メシが運ばれてくる。また粥だのである。レトンは、口には出さないが。今日のフィールドワークは反対なのだろう。

食事を終えた後、トイレで凄い色の尿が出たので、思わずうわっと声が出てしまったが。これが、体内がどうなっていたかの証左というわけだ。

流石に口元が引きつりかけたが、それでも決めたことだ。

後四日。

時間は最大限に生かす。

ただ。それまでは横になって少しでも体を休めておこう。

私は、そう決めるのだった。

 

4、学者としてのプライド

 

また、足下にぞわりと来る。

最終日であるが、やはりすねこすりという現象は起こりやすくなっているとみて良い。これが足りなかったのだと、私は思う。

出来るだけ、当時に近い格好。

それがなければ、やはりすねこすりとは遭遇しづらい。

フィールドワーカーであるのに盲点だった。

だが、それを最初からやっていたら。多分レトンも学者になるのを反対していただろう。今、気付けて良かったのかも知れない。

五日間で六回すねこすりを主観的に体験して。

そして今である。

もう時間が来た。

ホバースクーターを呼ぶ。

寝ている間に手術までした生足初日と違って。それからは、そこまで神経質な処置はされていない。

ただどうしても隙を見てヒルはつこうとするらしく。

レトンはかなり気を遣って、スプレーを噴いていた。今も、念入りに足を調べている。

そして念入りに雑菌だとかを取り除くと。

丁度スクーターが来ていた。

そのまま乗り込んで、帰路につく。

レトンは少し疲れているように見えたので、ちょっと悪いなと思った。

「フィールドワークで充分な成果は上がったと思う」

「今後が心配です。 今回の成功体験で、今後も無理をするのはほぼ確定だと思いますので」

「それは仕方がない。 やっぱり当時の格好に似せないと、フィールドワークは成功しづらいと思う。 心の中に住まう怪異といえど、条件を出来るだけ一致させないと出て来てはくれないと思うし」

「茶番のために命まで賭けるつもりですか。 学者というのはどこまで難儀な生物なのか」

呆れるレトン。

もう、レトンが呆れるのは散々見て来た。

だが、レトンも理不尽に怒っている訳ではない。だから、それでいい。自分の価値観を押しつけたりするわけでもない。だからそれでいいのだ。

宿泊施設につくと、横になるように言われた。

足の方に、想像以上に負担が掛かっているそうだ。

頷くと、私はレトンに片付けを任せる。

こう言うときは、レトン一人にやらせた方が却って負担が小さい。それも良く知っていた。

先に荷物を自宅に送り。

後は、帰るべく自動運転の車を待つ。

それまでに夕食を取り。

レポートを仕上げる。

何、レポートを書く作業くらいは、手元の端末だけで充分だ。今はそういう技術力が普通に浸透している。

レポートを書くことくらいについては、レトンは何も言わなかった。

レンタルの自動車が来る。

後は、乗り込んで帰る。

かなりゆったりした造りなので、助手席で簡単に寝られる。レトンも、殆ど自動操縦の補助くらいしかやる事がない。

だから、帰路は必然と、寝ながら戻る事になる。

高速道路なんてものはなく、今の時代の自動車はその気になったら空も飛べる。これもホバーで動いているからだ。

だから気がつくと海の上を飛んでいたりして、驚かされる事もある。

流石に事故に備えて、海の上を飛ぶ場合は沿岸警備用のロボットが側を飛んだりするのだけれども。

そもそも天候などで危険がある場合は、海の上なんか飛ばない。

今はそこまで効率を最重要視しなくても。

別にいける時代なのだ。

途中で、ぐっすり眠らせて貰う。起きたら、もう家についていた。シーツが掛けられていた。多分レトンがやったのだろう。

起きだして、頭を振る。

ちょっと体に負担が出ているが。どっちにしても、今日は一日ダラダラ過ごそうと思っていた。

だから、別に良い。

レトンもそれについては何も言わないだろう。

今回は研究者として、滅茶苦茶体を張ったと思う。

レトンからして見れば、茶番に命を賭けるなんて、という言葉がその感想のすべてと言っていい。

私としても、それについては我ながらばかげていると思う。

だけれども、こうしないと。

多分怪異も、本気になってくれない。

そして条件を整えた結果、実際に主観情報とは言え、非常に鮮明にすねこすりが出て来てくれたのだ。

これぞ、私が望むものだろう。

このためだったら、命だって賭けられる。

私は最初から最後まで民俗学者だ。

この点については、古い時代の偉人達にも負けていない自負がある。

ある意味それは狂気かもしれないが。

そういった狂気だったら、望むところである。

怪異が怖がって逃げるなら。

襟首捕まえて引き寄せる。

それくらいは、やってみせよう。

学者なのだから。

怪異を殺すためにやっているわけではない。私は、ただ学者という観点から、怪異に会いたいだけだ。

全ての処置が終わって、それでレトンと話す。

「次のフィールドワークまで、少し時間を開けた方が良い?」

「体の事を考えるのであれば」

「分かった。 今回は二週間くらいは休日を取るよ」

「それがよろしいかと思います」

伸びをする。

まだまだ研究したい怪異は幾らでもある。

今回のレポートは、客観的情報皆無にもかかわらず、それなりに成果があったようだ。

私としても、すねこすりに会えて満足である。

今後も、こうやって成果を上げていきたい。

怪異に会いたい。

そう、私は思った。

 

(続)