鬼火は燃える

 

序、それはあまりにも一般的な怪異

 

鬼火。

世界中に類種がある、炎が空中で燃える現象である。

人魂だったり鬼火だったり、色々な呼ばれ方をしていて。しかも古くには、どこでも珍しくはなかったようだ。

正体も古くから様々に考察されており。

多くの場合は、狐などの仕業などと考えられたようだ。

これらの中には、不知火のように実際に解明されて殺された怪異も存在しているが。

一時期流行ったエセ科学により、「死体に含まれるリンが原因だ」とか、検証実験もないまま言われたり。

プラズマが原因だとか抜かす輩が、「室内で完全に再現した」とふんぞり返っていたりと(室外でも再現出来なければ意味がないのに)。

とにかく、エセ科学の食い物にされた怪異でもある。

そして不思議な事に、近世になってからは殆ど目撃されなくなった事もある。

怪異としては、下火になっていった、ということだろう。

或いは、近世になってからは、条件が変わって目撃されなくなったのかも知れない。

その正体については、現在では様々に説が出ているが。これも結局、何だかよく分からない自然現象、として片付いた様子だ。

実際問題死体を土葬している地域でも、鬼火がよく見られるという話はないし。

もしそうだとしたら、研究者がこぞって見にいっていただろう。

何か違う条件でもあったのか。

プラズマなんて、それこそあり得ない。

例えば雷に関連して球電現象というものがおきる。これもよく分かっていないが、これが鬼火とイコールかというとそうでもない。

別に雷の後に鬼火が出ると言う伝承もないし。

ましてや、プラズマの球体がそこら辺を昔は野放図に飛び回っていたというなら、それこそ根拠が必要だろう。

さて、私は。

今回も、山奥に来ている。

墓場だった地域を中心に、鬼火や狐火の伝承がある地域を回っているのだ。

例えば河童などは、類種が山のようにいることで知られているが。このタイプの「炎が出る怪異」というのも、色々な名前で類種が日本中どころか世界中にいる。

その全てが同じ怪異というわけではないだろうが。

いずれにしても、見てみればそれは面白い結果を生むことだろう。

だが、まずは会わないと話にならない。

これだけ過去には普通に起きていた現象だと言う事は、何かしらの理由で今起きてもおかしくは無い。

今は人間が完全に排除された山の中などは、それこそ動物の死体がなんぼでもあるし。

リンだのその化合物だのが原因だとしたら。

それこそぽっぽと燃えていないとおかしくないはずだ。

雨の後に鬼火が燃えるという話もあるが。

それなら。色々な天候で観測してみれば良い。

ただそれだけの話である。

というわけで、やっと「科学的」という迷妄に新たな迷妄を被せる時代が終わった今は。私は淡々とフィールドワークが出来る。

実際に何かが起きたなら。

それを「何々である」と決めつけるのは、再現性のあるデータを出せてから。しかもその場で。

室内実験でそれをやっても何ら意味もない。

そもそも屋外で散々目撃されていたものだ。

目撃例が多かった地域を中心に、私は鬼火を調べて廻る。

かれこれ、二月ほど。

散発的に各地を、私は歩き回っていた。

つい先日、誕生日を迎えて。私は21になった。

今の時代では、まだまだずっと死期は先。更には遺伝子データも登録しているし、人としての役割は果たしている。

遺伝子データから無作為に子供を作るのが今の時代だから、私の子供が何処かにいてもおかしくはない。

ただ、いても会うことはないだろう。

山の中を、支援ロボットであるレトンと、監視用のドローンと一緒に歩く。

この辺りは古戦場で、古くは武者の幽霊やら鬼火やらが、散々目撃されたという話である。

だが、それらしいのとは会わない。

もしも武者の幽霊を見たら、私は大喜びでインタビューを始めるだろう。幽霊の方が困惑するに違いない。

しゃべり方とかを確認して、何処出身の武者なのか。どういう経緯で戦闘に参加して、何が起きて死んだのか。

そういう事を嬉々としてインタビューして、幽霊が呆れて去って行くかも知れない。

いずれにしても、ドローンがばっちり警護しているから、ライフルで狙撃されようが死ぬ事は無い。

レトンは、若干うきうきして夜山を徘徊している私に呆れているが。

そうしてくれていると助かる。

いずれにしても、ここは両軍あわせて三万の軍が激突し、数千の戦死者が出た場所だと言うのに。

幽霊も鬼火も出無かった。

日を変えるか。

そう思って、宿泊施設に戻る。

丁度明日は雨だ。雨上がりになら、鬼火が出るかも知れない。

それにしても、本当に鬼火の正体は何か。

昔は世界中に目撃例があったのだ。

それが近代になってぱたりと消えている。もしも出て来てくれるなら、是非会いたいのだけれども。

なかなか、鬼火の方は私の興味と好奇心には応えてくれなかった。

二ヶ月の日程を散発的に用意しているが、既に一週間分は使っている。此処に滞在するのもあと四日だ。

様々なデータを取得はしている。

一応、鬼火は今でもごくごく希に各地で観測されるらしい。

つまり何かしらの現象、ということだ。

それが怪異なのか、自然現象なのかは、今後の再現性のある実験で解明しなければならないが。

残念ながら、再現性は今の所0。

つまり昔偉そうな学者が言っていた仮説は、「科学っぽい」ものに過ぎず。

早い話がエセだった、という事である。

勿論私も、鬼火が狐の仕業なんて思っていない。

何かの怪異だったらいいなあとは思うが。それ以上でも以下でもない。

そもそも鬼火といっても複数種類あるのかも知れないし。

何かしらの生物を誤認した可能性だってある。

夜道では、人間は簡単に誤認を起こす。

私自身が、主観と客観でそれぞれデータを取っているからよく分かる。

特に客観性なんて概念がなかったのが、昔は当たり前だった。

学者ですら、客観性を放棄するケースが珍しくもなかったし。

情報を扱う、もっとも客観性を必要とする新聞記者ですら、客観性など必要ないとうそぶくのが当たり前の時代もあった。

そういった時代の事を、今は研究が進んだことで反面教師として学ぶ事が出来る。

だから私は、主観で怪異を見る事はあっても。

客観と比較分析して、レポートを書くようにしているのだ。

いずれにしても、この辺りでは不可解な光が何回か観測されている。いずれも短時間で、ドローンが観測に訪れた時には消えてしまっていたようだが。

つまり管理ロボットでも不可解な何かが出現して。

短時間で消えた、と言う事だ。

レトンだけでは無く、二機のドローンが私に随伴している。

この辺りは山深い上に。

私は夜道、しかも雨の上がったあとを探索したいとか注文をつけているので、余計に警護が厳重なのである。

まあそれもそうだろう。

私だって、私を単独でこんな場所に放り込んだら、十中八九生きて帰れないというのは分かっている。

周囲を観察して回るが。

それっぽい光はない。

この辺りは古戦場なのになあ。

そう思いながら、手をかざして見てまわる。

勿論武者の亡霊も出てこない。

はあと嘆息すると、若干ガッカリするが。

空は薄暗く、周囲は真っ暗に近い。

最低限の灯りをレトンとドローンが確保してくれている。また、広域センサで動物の縄張りもチェック。

いわゆる特定動物。

人間に危害を加えうる動物がいるかどうかを、確認もしてくれていた。

勿論いる場合。

退去しなければならないのは私だが。

「ここは可能性がありそうだと思ったんだけどなあ」

「確かにこの辺りでは、短時間光が観測されるケースが何回か記録にありますね。 しかし何年かに一度、ごく僅かな時間。 しかも他の学者が分析した所、特に規則性はないようです」

「分かってる。 だから間近で、チャンスがないかなと思って見に来てる」

「今回は客観的な観測例があるので茶番だとは言いません。 現象に遭遇できると良いのですが」

勿論私は、この古戦場で死んだ者達を冒涜するつもりなどない。

ただこの古戦場は、一度そもそもとして、他の人間の手で冒涜されている。

反社会的団体とつるんだ「再生エネルギー業者」だとかが、一度更地にしてしまったのである。

そこで並べた太陽光発電装置だとかは数ヶ月で風雨に耐えられずに崩壊。

業者は金を稼ぎ、辺りを滅茶苦茶にするだけすると、さっと雲隠れした。

日本だけでは無く、世界中でこのような悪徳業者が蔓延っていたにもかかわらず。それでも再生エネルギーが。エコが。そういった言葉を口にする連中は後を絶たず。エコどころか、貴重な動植物を殺戮して蹂躙した挙げ句、何もかも滅茶苦茶にする愚かしい例が後を絶たなかった。

人権屋の同類が、この手の「耳障りが良い」事業にはほぼ必ず絡んでいて。

人間の心理を知り尽くしている詐欺師達が。

やりたい放題をしていた。

それが、再生エネルギーがどうのこうのと言っていた時代の現実だった、というわけだ。

色々すったもんだの末にAIが政治を見るようになってから、こういった愚かしいケースはなくなったが。

それから数百年がかりで土地を再生し。

今では生態系が戻って来ている。

古戦場を荒らした連中が呪われることはあっても。

この土地を再生して生態系を再生し。

今、こうやって細心の注意を払って足を運んでいる私達が呪われる言われは無い。

これは単純な論理的思考である。

まあ、そういった再生業者の連中がどうなったかは分からない。どうせ反社団体だったろうし、ロクな死に方はしなかっただろう。

山をしばらく歩く。

霧が出て来た。

レトンが、命綱をつけるように指示してきたので、それに従う。

人間には霧は文字通り致命的だが。

レトンには文字通りなんの意味もない。

その時だった。

ぽっと、何かの光が点った。

おっと、私は声を出してしまう。

監視ドローンが、静かにと二機揃って警告してくるが、昂奮が一瞬で跳ね上がっていた。

勿論、光が点るような場所じゃない。

此処に棲息している動物を脅かさないように、無意味な光は絶対に生じさせないようにしているのだ。

すぐに光は消えてしまった。

それでも、とても興味深い。

「か、かあちゃん。 見た、今の見た!?」

「観測しました。 距離は700メートルほど先。 出現時間はおよそ17秒ほどででした」

「おお、母ちゃんも見た!」

「現象として観測したと言うだけです。 主が好む怪異かどうかは情報を分析しないといけないでしょう」

珍しい。

レトンが茶番だといわない。

つまり客観的データで、今の発光現象は確認できたと言う事だ。早速、発光が起きた地点に出向く。

周囲を調べてみるが、特に変わったものはない。

「後でこの辺りのデータを回してくれる?」

「了解しました」

監視ドローンも、データを採取しているようだ。

怪異かは分からない。

だが、今のは何かの発光現象だった。

そしてロボットもそれを観測している。

つまり、現実に存在したのだ。

それが何かは分からない。

怨念が篭もった火の玉なのか。

それともリンだの化合物だのが燃えたのか。

或いは球状放電現象なのか。

それらは検証しないと分からない、と言える。

いずれにしても、今日は大満足だ。時間もそろそろだし、下山することにする。うっきうきで、スキップしかねない有様だった。

思わず顔がにやけてしまう。

私は怪異が大好きだ。

そういう主観があるからこそ、今のは嬉しい。

だが、主観は主観。

学者としては、冷静にデータを分析しなければならないだろう。

すぐに宿泊拠点に戻る。

山道に出ると、ホバースクーターが来たので、ドローンとともに山裾までそれで降りる。山裾で解散。

今はかなり冷える時期だからか。

ヤマビルの類も、ほぼついていなかった。

ただダニがかなり多いようで、レトンが手際よく処理していたが。

「処置完了しました。 後は私が洗浄しておきます」

「ありがとうかあちゃん。 じゃあ、今日は寝るまでレポートをまとめないと」

「昂奮してなかなか眠れないのではありませんか? 少し昂奮を抑制する薬を処方しておきます」

「よろしく」

昂奮していると、どうせロクなレポートにならない事は私だって分かっている。だけれども、客観的にも観測された鬼火である。

実に興味深い。

七百年とか八百年とか前の人達は。

あれを見たのかも知れない。

しかも、何処にでも普通に出ていたのだろう。

そう思うと、私としては昔の良い所を見たような気がして、とても気持ちが良かった。

レポートを凄まじい勢いで書き上げていく。

主観データと客観データが一致する例は殆どない。

ただし、火の玉の研究については先駆者が幾らでもいる。

これについては当然だろう。

中には疑似科学を持ちだす輩やら、屋内での実験で全て解明したとかほざいているような阿呆も存在しているが。

22世紀以降に行われた研究は、殆どがまともなものだ。

故に、私も今回は、とてもいいデータを取れたし。

しかも今の時代は手癖が出ず、誰が書いても似たようなレポートになるように、データだけを貼り付ければほぼテンプレとしてそのまま完成するようになっている。

データなどを貼り付けて、そしてレポートとして仕上げる。

大きく嘆息すると。

私は大満足した。

これぞ研究者冥利に尽きる、という奴である。

私は大変に今満足していた。

レトンが夕食を持ってくる。多分睡眠導入剤や、昂奮を抑えるための薬も入れているだろう。

勿論中毒性がないように、慎重に量などを吟味してのものだ。

薬剤師は昔は専門知識もいるものだったが。

今では膨大なデータで管理尽くされている事もあり。それにアクセスできるレトンは、即座に処方が行える。

こういう所では。

人間はもう絶対にAIを搭載したロボットには勝てない。

だから、単純に仕事を担当して貰う。

それだけである。

夕食を喜色満面で終えると、そのまま寝る事にする。

レトンは呆れていた。

「あの発光現象がそれほど嬉しかったですか?」

「それはもう」

「しかし、昔話に出てくるような炎が空中で独りでに燃えるというような現象とも微妙に異なったように思えます」

「それは私も思った」

よく昔の絵に描かれていたような鬼火や人魂は、何か球体のものを中心に炎が燃え上がるように描写されていた。

これは海外の類種の怪異でもほぼ同じだ。

ジャックオーランタンなどが有名だが。

それも「火」として形容されている。

あれは光だ。

「火」ではなかった。

「いまでは滅多に見られないというのが悔しいなあ。 もっと出てくれれば、研究がはかどるのに」

「仮説とかは立てないのですか?」

「そんなものは無意味だね」

「そうですか」

レトンは小首を傾げている。

というのも、仮説なんか先人が山ほど立てている。中には仮説だけで存在を解明したと息巻いているような連中もいるが、それらは科学者としては三下に等しい。

「いずれにしてもデータがほしいなあ。 生の奴。 昔怪異とされていたものが、生で観測出来るなんて滅多にある事じゃないからね」

「確かに、怪異として認識されていたもので、現在も観測出来るものは希ですね」

「うん。 だから私は嬉しい」

「……」

完全に呆れるレトン。

いずれにしても、夕食を下げる。そして、もう寝るようにと言い残すと、部屋の環境を整えていった。

いずれにしても、続きは明日だ。

必然的に、フィールドワークは夜になる。

だから、私としても。

日中をレポートの主戦場にしたい。

そういう本音が。ずっと強いのだった。

 

1、鬼火を探して

 

山に入る。今日はジェットパックを背負っている。かなり危ない場所があるからだ。

ジェットパックといっても、ジェット燃料で飛ぶものではない。強いていうならば、現在のドローンが採用している浮遊用の装備だ。足を踏み外したりしても、即座に姿勢制御を行ってくれる。

崖の上をぽんと飛び越すとかそういう事を使う事には推奨されない。

ただし、私は崖とか平気で覗き込むので。

レトンが事故を起こしかけてから、こういう場所では必ず装備するようにと口を酸っぱくしていっていて。

私もそれに従っていた。

私は怖いもの知らず、というわけではない。

実際死にかけたときに、恐怖というものをきちんと学習した。

それ以降、恐怖はきちんと感情として機能していないとまずいと判断する事が出来る様にもなった。

それで、今はジェットパックをこういう。

今、フィールドワークしている崖際の山道を歩くときなどは、装備することにしているのだった。

夕暮れがそろそろ終わり、夜闇の帳が降りようとしている。

崖際から下の川を覗き込む。

一番下まで降りてもいいのだけれども。

それは、今日はしない。

今日の探索範囲には含まれていないからである。

ただ、覗き込むならいいだろう。

別に深淵……精神的な意味での深淵でもなんでもないのだし。引きずり込まれることも別にあるまい。

私は手をかざして覗き込んでいるが。暗いだけで、とくに何も目を引くものは見えなかった。

はあと嘆息すると、夜道を再び歩く。

監視のドローンは何も音を発さずついてくる。

木の枝の上で、マムシが退屈そうにしていた。

だが、猪辺りが来たら、鬱陶しいから逃れるのだろうし。今は退屈にしているだけである。

生態系が保全されている以上。

頂点捕食者でもない生物は、人間以外は基本的にいつでも死を迎える可能性がある。

人間は生態系から切り離されているから。

自分もそう意識して、動かないといけないのだ。

あの光を目撃するエキサイティングな体験の後は。

特に何も起きていない。

いつもと同じだ。

怪異を探して、伝承のある地域を歩き回る。

それ以上でも以下でもない。

本来フィールドワークというのは地味極まりないものだ。中には、フィールドワークをしているつもりが。

いつの間にか、山歩きが趣味になってしまった研究者もいるそうである。

まあ、分からなくもない。

私も無駄に山歩きが好きになりつつあるかも知れない。

怪異が出るのは、人間のテリトリとは微妙に切り離された場所だ。

家の中などでも怪異は出る事があるが。

それもいわゆる闇の領域である。

人間は闇を怖れる。

昔の人間は、特にその傾向が強かった。家の中でも、光が弱い場所は苦手とする場合が多かった。

だから家の中などの、本来は人間のテリトリである筈の場所にも怪異が出た。

そういうものだったのだ。

その点、わくわくして怪異を探して回っている私は、闇とは相性が最悪なのかも知れないが。

これでも、科学者としては適性がある。

客観的な事実だ。

主観と客観は切り離して考えなければならない。

そうでなければ、学者としての最低限のラインにすら立てない。

私は、そう考えている。

「今日は出ないなあ」

「光の出現は数年に一度あればいいほう、くらいのものです。 昨日今日で連続して出るとは思えません」

「普段着目していない場所で出るかもよ」

「それはあり得ません。 着目していない場所などありません」

レトンの言葉は、客観的データによるものだ。

管理ロボットと監視ドローンは、山の全域をカバーしている。数年に一度くらいのペースであの発光現象はあるそうだが。

それらのデータはしっかり残して、研究に回しているようである。

此処を専門にしている研究者は流石にいないようだが。

此処のデータも検証している研究者も、別にいる。

その人のレポートも見た事はあるが。

他のレポートと同じ。

テンプレにデータを貼り付けているもので。

更には。どうにも見たものは、私と同じ。「火」ではなく、「光」のようだった。

この山に出る「鬼火」はどうも光のようであり。

古くにこの辺りに残る伝承を見ても、やはり「光」のようだった。

いずれにしても、私としては調査するだけだ。

今回はかなりの至近で遭遇する事が出来た。

これは幸運である。

出来れば、真正面、至近距離で遭遇したいものだ。

なお、「光」の出現にパターンは無い。

場所が同じだったら、ずっと其処に張り込んでいればいいのだが。山全域で目撃例がある。

「この崖の下でも目撃例はある?」

「目撃例というか、発生例ならありますね」

「確かにもう観測開始から数百年もしてるし、何より山全域で出るならそれもそうか……」

「一度戻りますか?」

「いや、もう少し山の中を歩いてみるよ」

レトンに返すと、今日の探索地域を調べて回る。

普段の主観にだけ働きかけてくる怪異と違って、今回のは普通にロボットも観測している現象だ。

だとすると、至近で目撃すれば何か起きるかも知れない。

しかもこの鬼火。

この山の。全域でどんな季節に出るかも一定していないのだ。

だとしたら、機嫌が良ければいきなり間近に出て来てくれるかも知れない。

とはいっても、そう都合が良くはいかない。

時間が来た。

レトンにそれを告げられる。

レトンはきちんと、帰路を加味しての時間を告げてくるので、素直に従う事にする。

山に入るのには資格や、役所の許可がいる。

生態系を守り、山の環境を整えるためだ。

山を下りる。

今回は比較的山裾に近い位置だったので、山道に出るまでは時間もそれほどは掛からない。

スクーターに乗って、そのまま降りる。

操縦も全て全自動である。

何の問題もない。

「風を切って峠を攻める、と」

「無法な運転をしていても、いずれ大けがではすまない事故を起こすだけですよ」

「そんなことはしないし、できないし」

「分かっていますが、念の為です」

レトンはスクーターの後部にちょんと乗りながら、そんな風に警告してくる。

峠を攻めるといっても、今の車は基本的にどんな車種でも自動運転で、人間が介入する暇はない。

更に言うと、後部座席にいるレトンも、支援で運転が出来る。無線で、である。

だから、最悪の場合はレトンが介入するし。

それでも間に合わない場合は、レトンが私を抱えて跳んだりとか、そうやって私を守る。

もしもが起きないように、ホバースクーターは速度を出しすぎないし。

更には動物もスクーターもAIが全てを監視下においているから、接触事故の類は起きようがない。

そもそも動物との接触事故を起こさないために、ホバーなのである。

そのまま、夜闇の山道を下りきる。

麓に下りると、連絡が来ていた。

この間連絡を入れてきて知り合いになった、南雲からだった。

彼女は私より年上で、研究分野がある程度被っている事もあって、情報交換をしている仲である。

ほっぺの星のペイントや、攻めに攻めた髪型、ゴスロリファッションは完全に趣味らしい。

今の時代は蓄財の類はあまり出来ないようになっているが。南雲は複数の支援ロボットを所有していて。

出かける場所によって、伴うロボットを変えているそうだ。

どうも現在許される範囲で最大の贅沢をしたいという上昇志向の持ち主らしく。

髪型やら独創的な格好やらも。

いわゆるパンクロック。

反骨精神の現れ、であるらしい。

あくまで本人の自己申告だ。私には全く理解出来ない世界なので、それにについてどうこう思わないし。

勿論、偏見もない。

犯罪をしないなら、本人のしたい範囲で、許される範囲内でなら。好きにすれば良いのである。

南雲が送ってきたデータを見ると、この辺りの山についての伝承である。

やはり大規模な古戦場があり。

しかもその古戦場の戦闘を行ったのが、戦国時代でも有名な人と言う事もあって。

この辺りには、相応の怪異や、幽霊話が残されているそうだ。

鎧武者の幽霊についても、それなりに伝承が残っているようだが。

21世紀前後を最後に、目撃例は絶えているとか。

最後に目撃されたのは。例の無法者ども。再生エネルギーがどうのこうのとほざき散らかしている連中が、山を更地にしていた頃。

周囲で働いているドカタや、山麓の人間が、凄まじい形相で怒りの視線を向けてくる鎧武者の幽霊や、生首を目撃する例が多発したそうだが。

環境の回復が行われ始めてからは目撃例は減り始め。

山の環境が回復した頃には、完全になくなったそうである。

今では、山で目撃例がある謎の光以外は、とくに不可思議な現象の観測例はないという話である。

この辺りは専門時期が現代では無いとはいえ、よく調べてきてくれるものである。

勿論ビッグデータのなかから洗い出す事もあるのだろうが。

それはそれとして、参考にはなる。

鬼火の伝承についても詳しく調べてくれている。

これは恐らくだが。連携して動く際に、モチベが生じるからだろう。

いずれにしても、昔からそれほど鬼火は出ることがなかったらしく。

鎧武者の幽霊が頻繁に目撃された頃も、別にそれとセットで鬼火が出ることはなかったようである。

昔の妖怪絵などでは幽霊と鬼火がセットで出てくるのが定番だったというのに。

実際に目撃例を調べて見ると、そういう事は殆どない。

なんというか、雰囲気作りの為にあれは行われていたのか。

それとも、墓場で鬼火が目撃されやすいという伝承にかけたものなのか。

それはなんとも言えなかった。

いずれにしても、南雲には礼をメールで送り。

そして宿泊施設で休む。

今日はちょっとばかり険しい山道を歩き回ったので、中々に疲れた。それで収穫がないのはちょっと寂しい。

夕食を運んできたレトンにぼやく。

「はー。 耳元で、戦国時代の武者の幽霊とかが、出て行けとか言ってくれないかなあ」

「そんな事を望む変人は主くらいです」

「だってさあ……何も収穫がないんだもん。 鬼火くらい景気よく燃やしてくれてもいいだろうに」

「もしもそんなに景気よく現象として発生していたら、恐らくはとっくに解明されているでしょう」

レトンのド正論が飛んでくる。

その通りである。

鬼火は古くは世界中のどこでも当たり前に目撃されていたようだが。近現代からぱったりと目撃例が減り。

しかしながら。今でも時々目撃される不可思議な現象だ。

事実解明しようと挑んだまっとうな学者も少なからずいたわけで。

だが、どうしても目撃例が少ないことや。

再現実験が上手く行かないこともあって、どうにも解明には至っていない。

まあはっきりいって、別に解明する必要すらもない、というのが解明されていない原因ではあるのだが。

ただ、今の時代であるからこそ。

真面目に解明する事を考える学者がいるのも事実だろう。

21世紀の中盤くらいは、文字通り人類の絶滅が見えている時代だった。

そういった余裕がない時勢では。

スポンサーもつかなかっただろうし。

研究に理解を示す人だって、やはり出無かったと見て良さそうだ。

「いずれにしても、今回の研究は主のものとしては珍しい茶番ではない代物です。 主観を排して、客観から研究するべきでしょう」

「学者としてはそれが正解だと分かってるんだけどねえ。 ロマンがこうあるじゃん」

「せっかく茶番では無い研究を、茶番にしてしまうおつもりですか」

「いや、それはないけどね……」

レトンの言葉はいちいち正論だ。

人間は出発点を間違うと全て間違う。

「こうに違いない」という思い込みは、時に一流の学者すら、誤った認識と結果を生み出させてしまう。

良い例がファーブルだ。

ファーブルはカメムシの研究をしたとき、カメムシの一部が子育てをするという事実を認めず、否定している。

ところが、実際にカメムシの一部は子育てをするのである。

昆虫を根気強く観察して、名著昆虫記を記したファーブルらしくもないミスだ。昆虫に関する歴史に残る大学者といってもいいファーブルですら、時に思い込みでミスをする事がある。

それを考えるに。

レトンがいうように、もっと客観的に情報を見ないといけないと言うのは。常に考えなければいけないことである。

一般人でも当然の事。

学者である私は、なおさらだ。

そして、レトンに私は正論を望んでいる。だから、言葉はしっかり飲み込まないといけないのだ。

「一度鬼火を比較的近い距離で見てしまったことで、冷静さを欠いているのではありませんか?」

「う、痛いところを」

「とにかく眠ってください。 どうせ数年に一度しか現れません。 出たら幸運だと思って、フィールドワークにいそしむしかありません」

「分かってるよ。 うん……そうかあちゃんが言ってくれるから、科学者として私は間違わずにいられる」

夕食を終える。

確かにレトンの、かあちゃんの言う通りだ。

だから、私は言葉を飲み込むと。

オカルトに寄っていた意識を引き戻す。

南雲はどちらかというとデスクワーカーだが。それでもやはり、現地に足を運ぶ事もある。

だから、私に研究の一部を代行してほしいとも言ってきている。

デスクワーカーは、今の時代には膨大なデータを触る事になる。

だからフィールドワークをしようとすると、それこそ体が幾つあっても足りないのである。

一方、私は資料漁りなんて面倒くさい事、いちいちやりたくない。

利害は一致していると言える。

なお研究データを共有した場合には、共著という形になるが。

私としては、それは別にどうでも良い。

研究が共著になった所で、ペナルティがあるわけでもなんでもないからだ。ともかく、私には、今できる事をする。それ以外の選択肢は、存在していなかった。

寝る事にする。

良い夢でも見られるといいのだけれども。

レトンが環境を整える。

私は、静かにねむる事にした。

 

夢を見る。

戦に敗れて命を落とした多数の武者達が、集まって話をしている。ああでもないこうでもないと。

今、私が調査している山の話だ。

戦国時代の末期になってくると、いわゆる専業軍人が出てくるようになり。それが戦場で強さを発揮するようになったが。

それまでは、才能に依存する指揮官が、そうでない指揮官を倒すのが戦場のならいだった。

戦場に出てくるのは、戦慣れしている土豪。

村単位で武装している農民である。

江戸時代の農民と違い、戦国時代の農民は村単位で戦力単位になっていて、凄まじいたくましさと強さを誇った。

だが逆に。

それが故に、村単位でものを考える癖もあった。

負けると判断したら、早々に退散する。

そういった行動を取るが故に、いざ形勢が傾くと、容易く戦場を逃げ出してしまう。

後の時代の人間が忠義だの大義だのと口にするが。

戦場の主力だった者達は、そんなものはどうでもよく。明日の生活が良ければ、それで良かったのである。

如何に当時最新鋭の先込め式マスケット銃、つまり火縄銃がどれだけ普及していても。それに変わりはなかった。

また、そういった戦場が普通だったから。

鎧兜で厳重に武装している武将級の武士は目立ち。

落ち武者狩りや、敗戦で陣が崩れると殺される事も多かった。勿論フル装備で訓練を受けている武士は、一対一の戦いでは圧倒的に強かったが。

それでも多数には歯が立たなかったし。

それに戦国期は、そういった武将を倒すための戦術に、農民兵でも習熟していたのである。

傷だらけの武士達に混じって、私が座る。

当時の言葉で、武士が話しかけてくる。いずれも、生きているとは思えない怪我をしていたり。

中には肉が腐れ落ちて、骨が露出している者もいた。

「恐れ知らずだな。 我等が怖くは無いのか」

「怖いと言えば怖いですが、興味が勝りますね。 貴方方は北条軍の将兵ですね」

「いかにも。 小田原城の包囲を解いた信玄入道を追撃したものの、巧みな用兵で山間に誘いこまれ、この有様だ」

悔しそうにいう兜をつけた幽霊。首にざっくりと鋭い傷がついていた。

うんうんと頷きながら、話を聞く。

「私の調べた所によると、500年くらい前を最後に貴方たちは出無くなったようですね」

「それ以降、我等は山を取り戻したことで満足したからな。 悔しくも主家は後に滅ぼされてしまったが、もう我等とは関係の無い話であったし、それにまで恨みを持つつもりはない」

「山を取り戻した」

「われらは静かに眠りたい。 それだけよ」

そうか、確かにまあそうなのだろうなとも思う。

一応、私の夢だと言う事は分かっている。

夢だから、多分戦国期の鎧とか正確に再現されている。足軽らしい幽霊が殆どいないのも、そういった兵士にはここでの無念とか殆どなくて、故郷に帰ることを優先したかったのだろう。

冷静に分析しながら話す。

「山を荒らされたことが、最後の怒りを喚起したのですか」

「そうよ。 あのならず者ども、皆の資産である山を我が物顔に蹂躙しおって。 信玄入道は強いから負けたのにも納得出来た。 あのならず者共は小賢しいだけで、ただのどうしようもない畜生以下だ。 あのような者どもに、我等が眠る山を荒らされてたまるものか」

「確かにあの手の連中は、目先の金さえ稼げればどうでもよかったみたいですね」

「そうよ、それが分かっているから我等は最後の祟りを向けた。 数年とせずに皆死んだが、最後に取った手柄首よ。 我等は満足し、奴らの魂を地獄に蹴落とした後は、山を見守る事にした。 幸い、一度荒らされはしたが、その後は静かに山は守られ続けているからな」

そうか。

だとしたら。

もしも誰かが山を荒らしたら。この幽霊達は、また怒りの形相で姿を見せるのだろうか。

勿論それはあってはならないことだが。

ちょっとだけ興味があった。

アンコールワットの逸話を思い出す。

地元では幽霊宮殿があるとして有名だったそうだ。

多数の幽霊がアンコールワット跡地では目撃されていたそうで。地元の住民は畏怖していたらしい。

ただこれは、アンコールワットという宮殿。更にはそれを築きあげたいにしえの王に対する畏怖もあったのだろう。

それで不可侵地となっていたのだ。

「私の事はどう思います?」

「別に山を荒らすわけでもないし、どうとも思わん。 我等はもうあの山のものだ」

「なるほど……」

「山さえあらさなければそれでいい」

なる程ね。

私は礼を言うと立ち上がって、幽霊達の輪を抜ける。

向こうも、それに追いすがることはなかった。

とりあえず、主観ではこんな感じか。

元々他にもこの山には怪異の伝承があるのだが、それに関して遭遇したという話は少なくとも近代ではなかったはず。

鬼火についてはあるにはあるのだが。

それも目だって有名な怪異話ではない。

振り返る。

幽霊達の輪には、鬼火はいない。

他の怪異も混ざっていない。

餓鬼の類が出ると言う伝承もあった筈だが。餓鬼道から這いだしてきた亡者は姿が見えない。

ということは、もう餓鬼道に連れ戻されたと言う事だろう。本来、餓鬼道を這いだしてくること自体がおかしいのだから。

目が覚める。

いい夢を見た気がする。

レトンが起きたのを確認して、歯磨きをしている私に朝飯のリクエストを聞いてくる。しばらくぼんやりしていた私は、それに適当に応えて。顔も洗って、身繕いをする。

南雲に連絡を入れておく。

光を見た、という話だ。

勿論資料も付帯させておく。

これで、互いの利益になる筈だ。

頷くと、私は朝食にする。そこそこがっつりした朝食が出て来た。

もくもくと食べる。

戦国時代も江戸時代も、比較的質素な食事をしていたこの国の人間だが。今ではそんな事もない。

ただ、戦の前にはそれなりに戦国時代の武士は食べていたようだし。

ふと、それを思いだしたのかも知れない。

私はちょっとだけおかしくなった。

呆れてレトンが見ている。

「どうしました。 料理が美味しいという顔では無くて、違う意味で喜んでいますね」

「うん。 戦国期の武士について考えてた」

「そうですか」

「まあそれはそれ、これはこれ。 あの山に幽霊が仮に出るとしても、鬼火とは何の関係もないと思うね」

レトンもそれには同意だと応える。

食事を片付けると、私は伸びをして。

眠気を飛ばすと、レポートをまとめる。今日も、夕方には山に登るのだから。

しっかり栄養を取って。

力をつけておかなければならない。

ヒダル神に近いものの伝承が、今調べている辺りにはある。

あれは栄養が足りなくて突然動けなくなる現象だ。ほぼ確定で。

今の時代は、仮にそうなっても動けるが。

多分研究はストップが掛かるだろう。

だから私は。

少なくとも、体調は管理できる範囲で万全にするし。其処はレトンにも手伝って貰うつもりだった。

 

2、鬼火を探して

 

結局、下山して。今回の研究は畳む事になった。

ただし、今回は、である。

次はまた、別の場所に向かうつもりだ。

基本的に鬼火の出る場所は、死人が出た地点が多いというデータがある。ただし、鬼火が出たらしい地点については、今まで調べをつけてあり。比較的出やすい地点をまた回るつもりだ。

普段は家で何をしているか。

決まっている。

私はこれでも博士号の取得者だ。

研究のために、色々なフィールドワークの準備である。

必要に応じて資格を取ったりもする。

金については心配する必要はない。

昔、ポルポトとか言う狂人がある国を乗っ取ったとき。金は諸悪の権化だと判断して、銀行を潰し。

貨幣経済をなくして、物々交換にしたそうだ。

ポルポトという人物は文明や知識が人間を堕落させると考えたようで。共産主義のなかでも最極北に位置していた。

問題は部下達はそうは思わなかったことで。

国民全てに農業をさせて、農産物を殆ど全て輸出。

利益はポルポトの部下達が独占していた。

結果として何が起きたか。

農業に全力を注いでいるにもかかわらず、国民は餓えに餓え、大量の餓死者が出たのである。

これをポルポトは裏切りものがいるからだと考えた。

ある意味それは正しかったのだが。

ポルポトは部下達を疑わなかった。結果として、その疑いの目は餓え苦しむ国民に向けられ。

文字通りの大量虐殺が行われた。

ポルポトがベトナムの侵攻によって文字通り権力の座から叩き落とされるまで。

国民の四分の一と、殆ど全ての文化、知識人が死んだ。

そういう国家、時代もあった。

今の時代は、AIが政治も経済も見ている。経済は存在しているが、人間が触らなくて良くなっている。

勿論問題があった場合はAIが自身で是正する。

その結果、人間は基本的に平等に豊かになる事が出来た。

これでロボットが反乱でも起こしたらSF小説の世界だったのだけれども。

この世界では、ロボットは反乱を起こさなかった。

私も、研究に没頭することが出来る。

今でも、様々に政治を行えないか、経済に再び人間が関われないか研究している人間はいる。

だが、それらには欠陥が多い。

今シミュレーションして見ても、やはり政治に人間が関わると、絶対に不正をする奴が出てくる。

経済も、ある程度以上の規模になると、どうしても過剰蓄財をして過剰な格差が生まれてくる。

仮想空間で実験的に国家や経済を回す試みは、世界がこの体制になってから三百年ほど経つが。

その中で、億回単位で行われ。

いずれもが、問題を克服できずにいる。

もしも人間が政治や経済の場に戻る時があるとしたら。

恐らく、人間の性能をサイボーグ化か何かで無理矢理引き上げたりとか。

或いは人間からエゴを取り去る方法が見つかったときとか。

そういうときなのだろう。

私は淡々と役所に申請を済ませる。

その間に、今まで書いたレポートについても確認をしておく。

レポートに追記データが付帯されていた。

どこぞで確認されたデータというものだ。

内容を精査する。

管理ロボットが観測した客観データがコピペされているだけのものだったが、中々に興味深い。

データをくれた人に礼のメールを送っておく。

意外に、私はフィールドワークをしていない時も、忙しいのである。

昼少し前に、いったん作業を中断。

今回は鬼火というあまりにも有名で、今でも実際に時々起きている現象を調査しているという事もある。

研究を一度で終わらせるつもりはない。

南雲から連絡が来る。

日本中の鬼火、そしてそれの類種の出現記録と目撃についてのデータだ。

やはり江戸時代以前には、かなりの鬼火の目撃例がある。

他の国でも、ガス灯などで街が明るくなる前の時代には、相当数の鬼火の類種の目撃例が存在している。

勿論闇夜で見かけた変な灯りを誤認しただけのものもあるだろうが。

それでは説明できないものだけをピックアップして説明をしている。

これはなかなかいいデータだ。

そう思いながら、内容に目を通す。

デスクワーカーの本領発揮という奴である。

逆に、外に出るときに攻めたファッションで身を固めている事も何となく分かるような気がするが。

まあそれは本人に理由を聞かないといけないだろう。

本人だって、ちゃんと自覚できているか分からないかも知れないし。

他人の精神分析なんて、はっきりいって失礼な行為だと私は思うのでやらない。

「南雲様は極めて有能ですね」

「うん。 私より出来ると思うね」

「そうやって卑下をする。 主は茶番を喜ぶ悪癖がありますが、同時になんでも客観的に分析して、主観と客観が対立したときは客観を優先する事が出来るではないですか」

「前のは余計だけど、そう言ってくれると嬉しいよ」

まあ、確かにその通りなのだろうけれど。

レトンもちょっと舌剣が鋭すぎる。

ただそれは私が望んでそうしてもらっていることだ。

正論を聞けなくなった時、人間は終わりだと私は思っている。怪異を学ぶのは、人間の歴史を同時に学ぶ事もある。

人間が政治をしない方がいいのは、どんな英明な名君でも絶対に年老いて衰えるし。衰えると正論を聞けなくなるからだ。

正論を聞けなくなった頃合いが、年老いて衰えたタイミングだと私は考えている。

私も、レトンの正論が聞けなくなったらこの研究を一度止めるつもりでいる。

昔はこういう正論を聞けない人間を、老害と言ったそうだ。

老害になったらおしまいだ。

実は私は処理として、役所に申請してある。

老害化した場合、幾つかの処置を強制的に頼んである。

その中の一つは、博士号の剥奪。

レトンは支援ロボットである以上、どうしても私の要望に添って動く。今の痛烈な舌剣で刺す言動も、私が客観と正論を望んでいるからだ。

それが受け入れられなくなったときは、レトンの言動は私を甘やかすものに変わるだろう。

それを確認したときには、介護用のロボットを回すようにも手配してある。

これらは、歴史を怪異のついでに研究しているとき。

名君が暗君や暴君に堕落していく過程を幾つも幾つも見て。

そして私はそうはなってはいけないと、敢えてセーフティネットとして作ったものだ。

昼食を終える。

レトンの作る昼食は相変わらず美味しいし、栄養も満点なので力が出る。

無言で黙々と作業を再開。

集中力が続く限り、仕事を続けた。

役所に幾つか申請していたフィールドワークの状況を見る。

役所も現地の管理ロボットやドローンの手配、更には環境への配慮などで、様々な作業をAIがしている。

人間の数十倍どころか数万倍、いやもっと優れた効率で動いていても。どうしても時間は掛かる。

何しろ山には今では生態系が復活していて。

人間がそのまま遭遇すると致命的な動物もいるし。

下手に人間が足を踏み入れると、逆に縄張りなどを即座に変えてしまうデリケートな動物もいる。

だから、役所としては山に入るなどの作業の場合。

人間より生態系を優先しなければならない。

故に時間が掛かる事は、甘受しなければならなかった。

ただ。それでもまだ審査中という言葉を見ると、若干苛立ちもする。

とりあえず、今日はここまでにするか。

気合いを入れて仕事をしていたから、ちょっと疲れた。

軽くゲームでもする事にする。

何をしようかなと思って幾つか見繕った後、南国ビーチをVRで体験するものにした。こういうので他人と会う人もいるが、私はプライベートビーチ……架空のもので、野生の動物もいないものを選ぶようにしている。

他人がいると、どうしても仮想空間でも気を遣う。

私は静かなのが好きだ。

暑い日差しの下に出て。パラソルとかをセット。

流石に仮想空間まで、レトンは出張ってこない。私の指示がない場合以外は。

パラソルの下で、ゆっくり横になって波の音を楽しむ。

こういった体感型ゲームは。

現在では感度を自由に弄くることができるので。

私はゆっくり、普通に寝るよりも数倍リラックス出来るモードにして、しばらく溶けていた。

時間感覚も加速しておいたので、十時間ぐらい体感でダラダラした後、現実世界に戻る。

ちょっと喉が渇いていたので、レトンに飲料を頼む。

私は素朴なサイダーが好きなので、それを適当に飲むと。

寝る前に更に仕事をちょっとだけ追加でやって。

それで休む事にした。

 

朝方、南雲にこの間の資料について丁寧に補足したレポートを書いたことを告げて。それで役所の申請を確認。

一つ、通っていた。

今回はかなり遠いが、それでも国内だ。

すぐにレトンに頼んで、フィールドワークの準備を整える。

レトンは黙々と移動の準備をしてくれた。

今回は飛行機を使う。

通話を南雲が入れて来た。

立体映像つきの通話を軽く行う。私も家だからラフな格好だが。南雲は家でも例の派手な格好を崩していないようだった。

「直接はお久しぶりです。 少しよろしいですか」

「どうしたんですか?」

「次の調査も鬼火ですか?」

「はい」

その通りだ。

だから、そのまま応えておく。

場所などのやりとりをした後、南雲はずばり率直に言ってくる。

「近年は目撃例がない場所ですね」

「しかし七年ほど前には目撃例があります。 見に行く価値はあるかと」

「ふむ、フィールドワーカーとしては柳野先生の方が遙かにベテランですし。 だとしたら、何か見つけられるかな……」

「何か見つかるかは分かりませんが、調査はして来ます。 情報も今の時代は隠す意味がないので、どんどん開示しておきますよ」

互いに相手を尊敬できると判断しているのか。

もう通話では、互いに敬語で喋るようになっている。

なお、こういった通話が苦手な人間もいるので。

今ではAIで、意思や言葉などをリアルタイムで翻訳して、相手の不快感を煽らないように通訳が入るようにも出来る。

実際問題、ブラック企業が横行していた時代。

「コミュニケーション」と称するものが、如何に好き勝手に定義され。実体など存在しなかったかという事実を考えると。

こういう支援ツールは必須と言えただろう。

大思想家であった韓非は、喋るのが苦手という理由で殺された。

それを考えると、もっと古くからこういうツールは必要だったのだろうが。それについては、今は時代が追いついている。

気にする必要もない。

それにしても、南雲はマメだな。

そう思って、感心しておく。

レトンは、南雲については聞かれない限り言わない。

多分比較されると、人間はあまり良い影響を受けないことを、何かしらのデータで知っているのだろう。

後は、淡々とフィールドワークに出る準備をする。

そして、翌日には。

申請が降りた九州に向かっていた。

 

山岳地帯を回る事が多い私としては、珍しい平地の調査だ。

別に山深い土地でもない。

この辺りはかなり湿地帯として深く、無人地帯になった今ではすっかり管理ロボットが見張っている。

やはり不法侵入を謀る者がたまに出てくるらしい。

私も、湿地帯に出向く上に、そこをくまなく探すのは流石に危険だという事で。

今回はホバーボートと呼ばれる、探索用の小型飛行機械をレンタルしていた。

これは小型のちょっとした車のようなもので。

ドローンなどと同じホバーシステムで、沼地の上を移動する事が出来る。何かに激突しても、簡単に放り出されるような事も無いし。

地形をAIが完璧に把握している上、更に護衛用のドローンまでつくので、それこそ八岐大蛇にでも襲われない限りは平気だ。

野生の動物では、イリエワニだろうがアフリカ象だろうがティラノサウルスだろうが(流石に宇宙ステーション内に作られた環境を隔離した特殊な動物園にしかDNAから復活させたティラノサウルスはいないが)、このホバーに襲いかかっても何の問題もなくいなせる。

私は湿地帯の辺りを行く。

この辺りは、大きな会戦があって。ある大名家が壊滅的な打撃を受けた。

その大名家の当主も、若い頃は豪傑そのものの人物だったのだが。

酒豪であり、それが頭に明らかに悪影響を及ぼした。

年老いてからは悪い意味での奇行が目立つようになり、家臣の心も急速に離れた。幼い人質を磔にして殺したりといった奇行が目立てば、それもそうだろう。腹心だった参謀も、最後には彼を見放した。

その大名の最後の土地が此処だ。この辺りで大会戦が起きたとき、往年のキレが欠片もない無様な采配で事故死に近い死を遂げたのである。

彼の側近達、後に言う四天王(実は五人いた)も皆戦死した。

以降、九州の戦力バランスは決定的に崩れるのだが。

それはまた、別の話である。

いずれにしても、此処では多数の戦死者が出て、当然の事ながら鬼火の伝承が残った。

地形が地形なので、この辺りは再開発業者だのがあらすこともなかった。

故に、環境の復旧は容易だったそうだ。

周囲をゆっくり見て回る。

いい感じに霧が出て来たので、ひゃっほうと声が出る。

隣に乗っているレトンが呆れた。

レトンは自前でホバーの能力を持っているので、最悪の場合私を守る最後の盾になるのだけれども。

レトンだけで、単騎でティラノサウルスくらい素手でバラバラにするくらいの性能はあるので。

野生の動物がこの状況で私を殺すのは無理だし。

私も、そもそも動物と戯れるつもりなどない。

それでも、湿地に放り出されたら元も子もないので。

レトンは苦言を呈してくる。

「あまり暴れないでください。 このボートも無理をすれば転覆する可能性があります」

「分かってるけれど、ここ! この霧! いかにもなんか出そう!」

「残念ながら、ご承知おきのとおり此処で前にそれらしきものが目撃されたのは七年も前になります。 以降も客観的にデータの分析が続けられていますが、主が望むものが出る可能性は高くは無いかと思います」

「それは分かってるけど、主観データで何か出るかも知れない。 それを客観データで分析すれば、面白い事が分かるかも知れない」

前向きに応える私に。

レトンはさいですかと応じる。

ともかく、霧が出始めた辺りの古戦場をゆっくり見て回る。常に周囲を確認して、何か出無いかなと思う。

敢えてボートを揺らしてスリリングな気分を味わったりもする。

わくわくしている時よりも、そういうときの方が出やすいからだ。

もしも幽霊とかがわんさか出てくる世界だったら、そんな事はしなくてもいいだろう。

幽霊が人間に多大な害を及ぼすような世界だったら、そもそも何かしらの対策する部隊とかが存在しているだろう。

今私がいるのはどちらでもない。

幽霊に殺された人間なんて存在しない。

いつも人間を殺すのは、殆どの場合病気と人間だ。

野生の動物に殺される人間なんて、その十分の一どころか、千分の一もいないのが古くから共通していたし。

今の時代は、そもそも絶無である。

しばらく沼地を見て回るが。

何か怪しい音が聞こえたり。

変な光は、見えなかった。

フィールドワークの関係上、高度を変えたりと色々工夫もしてみるのだけれども。あんまり変わらない。

まあ、こんなものか。

霧なんか出て、雰囲気が抜群なのになあ。

そう思いながら、私は一度引き上げる。

主観で何か出る訳でもなく。

ましてや鬼火も出無かった。

宿泊施設に戻ると、淡々とレポートを書く。

主観データが主体になるが、当然周囲の管理ロボットが観測していたデータも全てコピペする。

私が主観で何も見えないだけで。

見える人には見えるかも知れない。

ただしそういう人が見えている世界は、全てが違っている。

それも、加味しなければならない事だが。

黙々とレポートを書いて、そして伸びをした。

レトンが夕食を持ってくる。

天気予報を確認。

明日も、霧が出るようだった。天気予報は、今の時代は100%適中する。昔とは予報の精度が次元違いなのだ。

「明日も霧か……」

「霧が出ると、視界が防がれます。 危険ですので、気をつけてください」

「うん、分かってる。 かあちゃんも念の為に備えておいて」

「問題ありません」

性能的にレトンは普段はセーブを掛けているくらいだ。ただレトンがリミッターを全部解除しても、管理ロボットや監視用ドローンには及ばない。

一応、互いに注意を促した後。

今日はもう休む事にする。

鬼火は実際に、昔は世界中でごく当たり前だった現象だ。それは、世界が暗かった事も理由の一つなのだろうと思う。

つまり大半が誤認。

闇夜での光を、何らかの形でそう見誤っただけだったのだろう。

そんな事は分かっているが。

それでも説明がつかない現象はあるので、それはそれとして私は研究をしている。それだけだ。

ただ、鬼火を探しているときは、特に他の怪異が主観に割り込んでくる事はほとんどないようである。

これは私が鬼火を見たいと集中しているからなのか。

他に理由があるからなのか。

それは分からないが。

明日の準備を終えて、夕食を取ったあと、軽く情報を確認しておく。既にニュース番組等というものは絶滅した。

各自でニュースは膨大な客観情報の中から選ぶようになっている。

今の時代は、事故死が起きるのは極めて希。

事故すら、どこでも起きていない。

変死は更に減った。

とにかく徹底的に検死がされる上に、人間の行動はあらかた監視されているということもある。

変死のしようがないのである。

病死も、殆どが支援ロボットが看取ることになる。

そして、もしもおかしな死などを遂げた人がいた場合、それは情報として公開される事になるのだが。

私はここ数年。

そんな変死など、見た事も聞いたこともない。

結果として、ニュースで出てくるのは天気予報とかそういうもの。

観光情報などは、自分にあったものを自分で見つける時代になっているし。

そういった作業のやり方は、幼い頃から教育されるようになっている。

だから私は、なにも気にせず、それらを淡々とみているだけでいいのだった。

「気温はすこし今日よりさがるみたいだね」

「誤差の範囲内です」

「分かってる。 念の為に、耐寒装備を少し追加しておくね」

「ご随意に」

レトンが夕食を下げて、そして眠りやすい環境を整えてくれる。

後は休むだけだ。

鬼火は実際に今も起きている現象だが。

結局の所、再現実験はあまり行われていないし。

原因も解明されていない。

わざわざそんなものを解明しようと躍起になる人間もいない。ただそれだけの話だ。

私はそうそうにねむる事にする。

鬼火は別に逃げたりはしないだろう。

人間なんか相手に、鬼火が逃げる理由など、何もないのだから。

 

3、鬼火は燃える

 

湿地帯の調査を開始してから十三日。

今回も一月ほど調査の月日を貰っている。今日までの間、鬼火は一度も出る事がなかった。

鬼火は中々出てくれないなあ。

そう思いながら、フィールドワークをする。

他の怪異は、主観情報で結構出てくれるのだが。

鬼火は客観的に観測されている現象、という事もある。

私が主観で見る事は殆どない。

これは、鬼火が怪異とは関係無い証拠なのかも知れないと、漠然と思った。

そろそろ夕方もふけて、すっかり星空の時間だ。

深夜帯のフィールドワークが体に大きな負担を掛けることは、以前のフィールドワークで理解している。

レトンも、深夜帯のフィールドワークについては、かなり厳しい意見を口にするようになっていて。

私も、やるつもりはない。

そろそろ頃合いかな。

そう思った時だった。

ぼっと、何かが点る。

炎だ。

おっと、声が上がる。距離は、200メートルほど。レトンも、観測した様子だ。

「空中で発光現象を確認。 ただ、以前のものとは違うようですね」

「接近して!」

「念の為、細心の注意を」

「了解」

レトンが監視用のドローンに告げる。こういうデータが貴重なのは、今でも変わっていないのだ。

すぐにホバーボートを急がせ、炎らしきものに接近する。だが、残り五十メートル程度の地点で、炎は消えてしまった。

球体が燃えている、というような感じではなく。

もっとゆらゆらと、何か燃えているものが漂っている感じだった。

昂奮が胸の中から突き上げてくる。

これぞ!鬼火!

私はひゃっほいと声を挙げてしまう。もしも今、この地で戦死した将兵が様子を見ていたら、呆れていただろう。

此処で戦死した荒熊と呼ばれた猛将も、あっけにとられていたかも知れない。

「前は七百メートルくらい! 今回は五十メートルまで近づけた!」

「これは、中々価値のある成果ですね。 主観で変な風に歪めないようにする工夫が必要です」

「そう、その通りだ。 ちょっと周囲をもう少し探索。 条件が整っているなら、また出るかも知れない」

すぐに頭を切り換えて、探索を続行。

周囲でまだ鬼火が出るかも知れない。

もし出た場合は、それは私に取っては文字通りのフィーバータイムだ。時間を確認。大丈夫、まだ一時間はある。

この時間帯から、気温が一気に下がっていく。

そういう事もあって、鬼火が自然現象として発生した場合。

恐らく条件が一致しない事になる。

そうなってくると、出無くなっても不思議では無いだろう。

しばらく辺りをホバーボートで探索するが、残念ながら気温が強烈に下がって来たこともある。

二度目の鬼火出現はなく。

フィールドワークの時間切れになっていた。

ため息をつく。

鬼火は別に丑三つ時を好んで出現するわけでもない。そもそも古くに多数見かけられたのだとすれば。

それは人間の生活時間帯に出現していたと言う事だ。

人間は古くには、陽が落ちればさっさと眠ったし。陽が上がれば起きだしていた。

余程の理由がなければ、深夜帯に活動する人間はいなかった。

つまり鬼火のもっとも出現する時間は深夜帯では無い。夜の、比較的浅い時間という事だ。

とりあえず、戻ってレポートにする。

今回の現象は、間近ではないにしても、かなりの近距離で目撃できた。レトンも目撃している。

普通に、学術的に価値のあるデータだ。

見た感じ、球電現象の類ではないだろう。間違いなくプラズマでは無い。

リンだのその化合物だのが燃えているとも思えなかった。

かといって、死者の魂だの狐が出しているだのと思うつもりもない。

そもそも鬼火の鬼とは、中華より伝わった古い概念の方の鬼。要するに正体が分からない得体が知れないもの、くらいの意味の方の鬼だ。

だから、ある意味今回の鬼火は。

鬼火オブ鬼火と言える。そういうのも、またなんか変な言葉ではあるのだが。

「いやー、いい情報取れた! 私持ってるなあ」

「フィールドワークに貼り付く根気があるから得られた情報と言えます。 それで、レポートは」

「うん、すぐにデータのコピペはする。 ただ興奮が冷めてから、明日書く」

「それがよろしいでしょう」

レトンが夕食を運んでくる。

実に夕食が美味しい。これが俗に言うメシウマという奴か。元々のネットスラングは、誰か気に入らない相手が酷い目に会ったときに喜ぶような意味で使うものだったらしいが。

今回は誰も不幸になっていないし。

私が単純に嬉しいので、メシウマなのである。

がつがつと夕食を食べていると、やがてレトンが呆れて言うのだった。

「本当に食欲旺盛ですね。 十代前半の頃を思い出します」

「そういえば、あの頃私一気に背が伸びたんだっけ」

「そうですね。 私もそれにあわせて背を伸ばしても良かったのですが」

「いいんだよ別に。 何というか、かあちゃんは私に取ってそのままでいて欲しくてさ」

昔から、レトンはこうだった。

つまり、私は本質的に正論は聞くべきものだと幼い頃から思っていたのだろう。

歴史を見て、正論を聞けない人間は年老い衰えた証拠だと思うようになったのは。あくまで私に合致した考えだったからそう思っただけなのかも知れない。

それくらい、私はレトンに昔から求めるものが同じだった。

性差が殆ど関係無くなっている今。

私の性格は。性別で好む色まで強制されていたような時代の人間からすれば、奇異に映るかも知れない。

昔の創作を見ると、「理解のある彼君」とかいう意味不明の怪物的な存在が時々出現してくるのだが。

そんなものは全ての時代で実在しなかった。

私は、レトンがそうなってくれるとしても。そうなってほしいとは思わない。

ただそれだけの話だ。

「昂奮を抑制する薬を少し処方しておきました。 これでよく眠れると思います」

「ありがとうかあちゃん。 明日の朝は、ちょっと張り切ってレポートを書くとしようかな」

「無理をしすぎない程度に」

「分かってる」

薬を飲んで、さっさと寝る事にする。

この観測結果は中々に美味しい。

そして、前回の奴とはかなり違う鬼火だった。

やはり、複数種類鬼火は存在していて。

それらは、何かしらの現象だと判断して良い。間違っても、全てがプラズマの仕業だのではないだろう。

私はそれが分かっただけで満足。

何しろ、私は学者。

起きた現象を観測し、それを客観的に分析出来れば満足だ。

怪異を愛してはいるが。

実際に観測した現象については、やはり学者としての血がそれに勝ってくる。

そしてやはり悲しい事に。

こういう職業病は、人としての本能を軽く上回るのだった。

 

翌朝。

レポートを鬼のような勢いで書く。ここでいう鬼は、本来の定義ではなく。後世の定義である。

ようするに強い存在としての妖怪、鬼。

中華から入ってきた「よく分からないもの」としての鬼に、仏教での獄卒。更にそれに、陰陽道の丑虎の思想が加わったもの。

とにかく強い存在を鬼として表現することがこの国では多く。

今の私のレポートのかきっぷりは、自分で言うのもなんだが、その後世の意味での鬼。或いは鬼神の如き有様である。

今日は昼過ぎから夕食までフィールドワークするのだが。

昨日の鬼火については、かっつりレポートにまとめるつもりだ。

朝食を取ってから、ずっとレポートをかき続けている。

テンプレに入れるだけなのに、あらゆる過去の観測データと並べて、それを記載していく。

故に時間も掛かる。

「かあちゃん、飲み物頼む」

「承りました」

文字通り一秒が惜しい。

レポートをどんどん書き進めつつ、余計なものは削る。

とにかく比較データが必要だ。

私は怪異を解き明かすつもりも殺すつもりもない。ただ現象としての怪異に会いたいだけである。

今は、怪異と人間の距離が適切だ。

勝手に怪異を怖れる人間はいるが、それが集団ヒステリーにつながるような事はないのである。

21世紀くらいまで、怪異が集団ヒステリーにつながるような事はごくごく当たり前にあったし。

一番最近の事件だと、22世紀半ばにもそういった事件があったという記録がある。

私は、それとは関係無い。

怪異はひたすらに、私を楽しくさせてくれる。

怪異が恐ろしいもので、人を襲って殺す実績があったのなら。それに沿って動かなければならなかっただろう。

古代の史書には、怪異が散々普通に出てくるものだが。

それらの史書には、だいたいオチがある。

英雄や当時信仰されていた神に退治された、というものだ。

つまるところ、一種のプロパガンダとして、有名な怪異が利用されていたというだけの話であって。

実際にそれらの事件を起こしたのは、怪異などではなかったのだろう。

私も学者だ。

どれだけ魅力的な事象を前にして頭が燃えていても、それくらいの判断は普通に出来る。これが出来ない奴は。

学者の資格がないとも思ってもいた。

タンと、キーボードを叩く。

光学式だから実体などないが。これも気分だ。

ふうと、伸びをする。

実に満足である。

「よし、後は誤字脱字を取ってと。 ざっとツールに任せるだけでいいかな」

「主、そろそろ昼食にしましょう」

「うん。 誤字脱字の処理はツールで充分だし」

「後で一応目は通してください。 今日は昨日ほど遅くまで調査をしないので、夜に時間があるでしょう」

頷く。

それに、これだけ気迫を込めて作ったレポートだ。頭が冷えてから、一度見直すのが最適解だろう。

それは分かっているので、私は食事にする。

それにしても、まだまだメシが美味い。

やはり怪異が好きなのだと、こう言うときには思い知らされる。私はそもそもとして、怪異が大好きなのだ。

だからメジャー怪異であり。今でも目撃例がある鬼火にあんなに接近すれば。それは大喜びもする。

昼メシを食べると、すぐにフィールドワークに出向く。

鬼火は。

夜には単に見やすいだけで。日中にも出現しているかもしれない。それにしても、夜にしか出現しないとなると。

鬼火の出現条件とはなんだ。

最も最近の例だと、21世紀に発生した巨大津波の時に被災地で多数の鬼火が目撃されたそうだが。

それも、日中に出ていたとは思えない。

「とにかくフィールドワークする。 日中に鬼火が出無いとは、誰も決めていないからね」

「いずれにしても、役所に申請した時間内で動くだけです。 今回は結構大がかりな機材を持ち出していますので、余計に色々と時間超過は面倒な結果を生みます」

「分かってる」

ホバーボートに乗り込むと、ドローンが来るのを確認してから、すぐに現地に出向く。

現地では、水鳥がかなりの数来ていた。

調べようと思えば品種はすぐに分かるが。

いずれもが、鷺の仲間だろう。

鷺の仲間に限らず、大型の鳥はかなりの悪食で獰猛だ。鷺は蛇をつるんと飲み込むことがあるし。

小型の鳥を補食することも結構ある。

もっと大型の鳥になると、例えばペリカンなどは相当に大きな生物も丸のみにしようと襲いかかる事がある。

ペリカンは可愛いイメージがあるが。

実はかなり大きい上に、結構獰猛で怖い生物なのだ。

だから、細くて美しい鳥を見ても、別にそれは人間の主観。

それが穏やかでたおやかな生物とか限らない。

人間の美的感覚とはそんな程度のものなのだ。

「鬼火、鬼火ー」

「このような時間帯に出るとは思えませんが。 ましてや昨日の今日です」

「それは分かっているけれども、出無い事を確認するのもフィールドワークの重要な仕事の一つなんだよ」

「それは分かってはいますが」

レトンもフィールドワークの意義や重要性は理解している。

だから、私が周囲をうきうきの様子で見ているのを、呆れつつも否定はしなかった。

ましてや昨日は、あれだけ鮮烈な鬼火を、かなりの至近で見ているのだ。

その上あの鬼火は。

光の球というよりは、やはり炎が近かった。

日本全土に鬼火の伝承は存在していて、ここ九州でも例外では無い。それらに複数種類があるのは、実際に目撃した私としても間違いはないと思う。

しかし、どうして夜にしか出無い。

日中には、本当に出ないものなのか。

一応海外などの例では、そのようなものが日中に出たケースが目撃はされているようである。

一時期幽霊の写真(当時は心霊写真とか呼んでいたか)などでは、オーブという発光するものが話題になった事があったが。

あれは単に埃が光っているだけと現在は解明されている。

あれらとは、違う。

周囲を見回して進む。

バードウォッチングをしているのではない。

この辺りは色々な生物が放されている事もあって、鷺などはたくさん来ている。すっかり野生で個体数を回復したニホンウナギもいるようだ。

「動物しかいないなあ」

「21世紀頃はこの辺りでは絶滅していた品種も多数います。 それらも含めて、条件が変わっているのかも知れません」

「それは分かってるけどさあ。 いて欲しいなあ鬼火」

「あれはいるものなのですか」

レトンの突っ込みが刺さる。

まあ、多少の冷や水はいい。

とにかく、周囲を見て回る。陽が落ち始めると、鳥の姿が減る。

日中帯は鷺が好き放題に辺りを睥睨していたが。この時間帯になると、鷺はむしろ寝床に去る。

鷺を脅かせる蛇はこの辺りには殆どいない。

だが、それでも万が一を考えて、動いているのだろう。

鳥の体はデリケートだ。

生物で言うと、もっとも後期に出現したメインストリームの存在。それでありながら、主竜類が蓄えた世界への適応能力を詰め込んだ体。

陸上を制覇する鳥は結局出なかったが、それも運が悪かっただけ。

生物としての完成度は高く、しかしそれが弱点だとも言えた。

陽が落ち始める。

さて、鬼火出ないかな。

人魂でもいいんだけどなあ。

そう思いながら、周囲を見回す。ちらっと、何か見えた気がした。一瞬だけ、灯りみたいなのが。

逆行で少し見づらかったが、何かあったように思う。

データを保存。

主観データを、客観データで分析する。

これが大事だ。

見かけた近くに行ってみる。

特にこれといった異変は無い。

ふうとため息をつくと、念の為周囲を見回って見るが。何もない。そう判断すると、私はすぐに頭を切り換える。

そして、別の地点を探しにいく。

陽が落ちてある程度経ったタイミングで、今日のフィールドワークは終了。切り上げて戻る。

このホバーボートにしても、鳥類学者とかが使う事がある。観光客が乗ることもある。私が使った後は、管理ロボットが管理する。

なおここの管理ロボットは、熊のようなオッサン型である。

多分、此処の合戦で敗れた例の人がモデルになっているのだろう。

地元の人間の悪ふざけなのか。

それとも何か他の理由があるのか。

そこまで調べようとは、私は思わなかった。

夕食を食べてから、レポートを仕上げる。

今日の主観データも乗せておく。

あの一瞬見えたものは何だったのか。とはいっても、客観的なデータに変なものはなかったし。

やはり主観にだけ存在する鬼火も、それはそれで存在していると言う事なのだろう。

それもまた面白い話だ。

人の主観にしか存在しない鬼火もいるとすれば。

自然現象としての鬼火は複数種類存在し。

更に心に住む妖怪としての鬼火も存在しているわけだから。

この世界には、実に多様な鬼火がいることになる。

私としては、大満足の結果である。こんな風に、怪異のパラダイスな世界があればいいのだが。

残念ながら、怪異は今は肩身が狭い。

レポートを仕上げると、相応のアクセスがあったようだ。

現在では、レポートの途中でも他人が見る事が出来る様になっている。鬼火に対して、此処まで接近して観測した詳細なデータはそうはない。

南雲もアクセスして見ているようである。

文字通り燃えさかる鬼火を見て、何人かの先達の学者が、早速議論をしているようだった。

「柳野というと、あのフィールドワークで存在感を示している」

「なるほど、これは執念で探し当てたデータだな。 鬼火というと禍々しいイメージがあるが、これは燃え上がる炎のようで実に美しい」

「正体はなんだと思う」

「データを分析しないとなんとも言えないが、少なくとも球電ではないな。 複数種類空中で燃え上がる現象は存在しているが、それが山火事などの原因になることはなく、出現も短時間で炎の温度も低いと考えられる。 リン化合物も違うだろう。 ああだこうだ推論で議論をしても意味がないし、もうすこしデータがほしい」

話をしていた学者達が、それで散る。

利害関係で色々研究が潰されたり、金が絡んだ結果研究が続けられなくなったりという悲劇が昔はなんぼでもあった。

今の時代はそれがない。

故に、怪異に対する研究も、理性的で時間を掛けられるものとなっている。

エセ学者がそれっぽい事を口にして、解き明かしたとほざき散らかす時代は終わっている。それが確認できて充分だ。

今日の主観データに対しても、客観データで補足を入れる。

こういう主観データも重要だ。

誰かが見たといえば、他の人間の心理に影響する。

主観データで怪異を見た人間から、まったく同じでは無いにしても、怪異への「恐れ」が古くにはとくによく伝染したのだ。

だから、主観データに出現した怪異はなかなかに侮れない。私は、自分の主観データを後で客観的に分析しつつ、そんな事を思う。

ともかく、データが好意的に迎えられていることは分かったし。

自分がやってきたフィールドワークが成果が出たことは充分だった。

世の中には、一生努力を続けても、なんら成果が出無い人だっている。

昔は特にそれが多かったとも聞く。

一将功成りて万骨枯るとは良く言ったもので。

一人の成功者の裏には、万人の死体が積み重なっている。

しかも成功者は別に才能があるから成功するわけでもなく、運という不確定要素が大きく絡んだ。

だから社会には不公正が充ち満ちていて。

サイコ野郎が好き放題の限りを尽くしていると思えば。

真面目に生きている人間が馬鹿にされるという、最悪の循環が為されている時代もあった。

今はそれもない。

だから、私が成功したのは、単純に時代のおかげだ。

人間はあまり関係無い。

政治も経済もAIが回している時代だからこその成功だった、とも言えるだろう。

ささやかな成功だが。

それでも意味があったと思いたいものである。

ともかく、眠って休む事にする。

作業も一段落したからである。

明日も、フィールドワークに繰り出すつもりだ。

そして、成果が出なくてもいい。

この条件では鬼火は出ない。

それが分かるだけでも、大きな成果と言えるのだから。

 

翌日。

この日は、午前中から出かける。フィールドワークの最中に飯を食うのは御法度である。生態系を此処まで神経質になるほど守っている世界だ。

昔はゴミとか所構わずに捨てる恥知らずがたくさんいたという事の反動とも言えるのだが。

いずれにしても、昼食時は一度戻り。

その後、またフィールドワークに出る事になる。

ホバーで湿地帯の上に出て、周囲を観察する。

昨日の事もあって。かなり気分が良いが。

こう言うときは怪異が出にくいことも分かっている。

何度か深呼吸して、観察に戻る。

気分が無駄に高揚しているときは、普段ではしないようなミスもするし。見逃しも起こすかも知れない。

そう考えていると、心も静まり。

フィールドワークにも集中できる。

ただ、昨日の今日だ。

前回の出現は七年も前。

出たばかりで、また出るとは思えない。

ただし、季節が同じだから、出る条件は整っている、のかも知れないとも考える事は出来る。

故に、色々な条件下で鬼火を探す。

それだけだ。

鷺が飛んでいく。

大きな鳥だから、ホバーから見ているとかなり迫力がある。他の生物からすれば、恐ろしい捕食者だ。

空を飛んで、どこからでも来るのである。

空を飛ぶために鳥はさまざまなものを犠牲にしているのだが。

それでも、あれだけ力強く飛べるというのは、それだけでアドバンテージになってくる。あの鷺も、それは同じ。

人間が滅茶苦茶に環境を破壊していた時期も、鷺は各地にいた。

それだけ、生命力が強い生物、ということである。

ましてや今の時代は。

鷺にとっては、なんの苦労もないのも同じだろう。

鬼火は、ないなあ。

そう思って、一度深呼吸する。

そのまま、周囲を見て。ゆっくり、観察を続ける。ホバーは、少しずつ確実に移動させていく。

そうすることで、沼地を確実に回っていくことが出来る。

この辺りの沼地は、別に日本最大の規模を持つわけでも何でもないが。

それでも万人単位の兵がぶつかり、そして命を落とした戦場である。

それなりに広いし、彼方此方見通しが悪い地形もある。そういった場所で、鬼火を観測しそこねたら悲しい。

黙々と、ホバーを動かして、位置を変える。

集中していると、時間が文字通り飛んでいく事もある。

脳内麻薬がドバドバ出ているような時もそういう事があるが。

ともかく、今はすっきりした気持ちで、フィールドワークを続ける事が出来る。ドローンも、何も口出しをしてこない。

今の時点で、危険行為は一つもない、ということだ。

時間が来た。

一度戻る事にする。

沼地の縁近くに、食事を取ることが出来る場所がある。そこで、レトンが作ってきた弁当を食べる事にする。

黙々と食事をする。

おいしいのは別にかまわないのだが。

出来れば主観情報でもいいから、何か見えてほしかったなあ。そう思う。

ぼんやりと湿地の方を見ながら、私は黙々とサンドイッチを頬張る。普通に美味しいのだが。

それよりも今は、研究者としての思考が優先していた。

「ごちそうさま」

「いえ」

「少し休憩したら、時間ギリギリまで粘るよ」

「分かりました」

レトンも、集中している私に水を差すつもりはさらさらないのだろう。昼間には鬼火が出ないと言う固定観念がそもそもおかしいというものもある。

単に観測しづらいだけで、昼間にも出ているかも知れない。

そう考えると、見に行く価値はある。

実際、かなり鮮明な映像を、近距離で撮ることが出来たのだ。

それを思うと、フィールドワークには大いに価値がある。

それにだ。

複数種類の鬼火と呼ばれるものがあって。

それらがそれぞれ別個だとすると。一つや二つを解明されたからといって、なんら痛くも痒くもなかろう。

中には本当に怪異と言える鬼火もある可能性があるし。

私の主観の中に住む鬼火も。

いつかそれはそれで、何かしらの現象として解明される可能性もある。再現性をどうするのかまでは私は考えなくて良い。

今は、データを集めるだけである。

私はフィールドワーカーだ。

学者がフィールドワークでするのは。現地での調査である。

これは古い時代の学者から、ずっと変わっていないことだ。

昔は地道に聞き込みとかを重ねていった事もあったらしいが。今の時代は、そういうことはしなくてもいい。

そもそも現地に残っている伝承なんて、伝言ゲームの果てに歪みきっている。

仮に目撃した人間だとしても、それがどんな風に認知で歪んでいるか何か、分かったものではない。

そういうものだ。

オカルトは現在でも形を変えて現役である。

それを考えると、民俗学者というのは重要な仕事だし。

怪異をこうやって調べて行くことには。

それだけで、きちんと意味があると言える。

だから、作業をする。

昔だったら、予算なんか出なかっただろうが。それはそれで、はっきりいってどうでもいい。

今の時代に生きている私は。

それを生かして、研究を黙々と進めて行くだけである。

時間が来た。

成果はなし。

だが、成果がないのが普通だ。フィールドワークというのは、こういうものである。そもそも前回でたのが七年前。

そういうものだと判断して動くしかないだろう。

宿泊施設に戻る。

私が見ていない時に鬼火が出ても、それはそれで管理ロボットが映像などを残してくれている。

そういう意味では、最悪私が見なくても良いのかも知れない。

横になって休む。

流石に集中して、少し疲れたかも知れない。レトンも、こう言うときに何か言うことはない。

黙々と夕食の準備を進める。

その背中を見ながら。

私は、もう一回くらい、今回の遠征で鬼火を見たいなと思うのだった。

 

4、遠征からの帰宅

 

リアルラックというものはあるのだなあと思う。

九州の遠征の後、四国に出向いて遠征を行ったのだが。其処では成果は殆どなかった。だが、そういうものだ。

鬼火が肉眼でそれだけ頻繁に目撃されるものなら、もっと研究が進んでいてもおかしくはない。

それがされていないと言う事は、鬼火が今は出にくくなっていることを意味するし。

だからこそ、まだまだ解明されていないということだ。

無論、狐や狸が起こしているとはおもわないが。

それはそれ、これはこれ。

解明できていないなら、解明できるようにデータを取る。

それがフィールドワーカーの仕事である。

自宅に戻ってきた。

とりあえず、この間九州で目撃した上に、至近距離まで接近できた鬼火については。レポートにかなり研究者が集まっている。

条件を再現しての実験をしているものもいるが、中々上手く行かないようだ。

フィールドワークも手間が掛かるが。

実験も実験で、施設の使用だので役所と打ち合わせをしないといけない。

それはそれで、フィールドワークと同じくらい手間が掛かるのである。

私はそっちは専門では無い。

だから、専門の人間がやっているのを、横から見るだけ。

それでいい。

自宅に戻ってきた私は、メールなどのチェックをする。ただ、重要なものはレトンが知らせてくれるし。

基本的には、取りこぼしもなかった。

家に戻った後は、ベッドで少しぼんやりする。

結構鮮明に鬼火を側で見る事が出来て嬉しい。

そして、あれは現象なのだと確認できた。

具体的にどういう現象なのかは分からない。ただ。あの様子だとやはり多数の鬼火があって。

それぞれ違う現象とみていい。

不知火などの解明された鬼火の仲間もあるが。

まだ解明されていない鬼火もある。

それはそれでわくわくするではないか。

しばらくぼんやりしていると、レトンが茶を淹れてくれる。菓子もわざわざ焼いて出してくれた。

こういうのは、余程上手な人が作らないと、市販品より質が落ちるのだが。

レトンは何しろ、プロの料理人のデータを集めたAIにアクセスして料理をすることが出来るのである。

この辺りは、現在の高性能AIを積んだ支援ロボット。

ただ、それらは過去の優れた料理人の腕のデータがあるから出来る事でもあることを忘れてはならないだろう。

そういうものだ。

レトンの焼いてくれたアップルパイを口にしながら、しばらく黙々とレポートへのアクセス記録を見る。

当然冷やかしもいるが、それはそれ。

最初から相手にしない。

今の時代もサイコ野郎は存在している。

そんなのを相手にしていても、時間の無駄である。

一定数人間にはサイコ野郎が混じっていて。

それらは不思議と魅力的に見える。

これは、幼い頃に学ぶ事だ。

サイコ野郎は他人を傷つける事を何とも思わない。自分の行動を常に全面肯定している。

故にそういった連中は人間を大量殺戮することを何とも思わないし、他人を蹂躙して笑い飛ばすことだって何とも思わない。

そのような連中はネットの黎明期には幅を利かせて、散々各地で悪さを働いたものなのだが。

今はすっかり影を潜めて。

たまに冷やかしのコメントなどが来るが。そういったものは、全て自動で削除されるようにもなっている。

そしてサイコ野郎が湧くことは、既に摂理と判断され。

サイコ野郎だと診断されたものは、厳重に監視されるようにもなっている。欲求を発散できるようならそうするし。

そうでない場合は他人に狂刃が向かないように監視される。

支援ロボットを例外なくその手の輩は疎ましく思うようだが。

まあ、支援ロボットの側でも、その手の連中に対しては対応を変えているそうだ。役所などの判断で。

今は、私のようなボンクラには暮らしやすい時代だが。

サイコ野郎には暮らしづらい時代かも知れない。

そういうものだ。

だが真面目な人間が。

一部の他者を傷つけて笑っている連中に踏みつけられているのが、正しいのだろうか。

それが正しくないと言えるようになった時代こそ今ならば。

私は今の方が正しいし。

良い時代だとも思う。

それだけのことだ。

かなり建設的な意見もレポートには来ていたので、それらは確認して、内容も覚えておく。

真面目に怪異に向き合う人間が増えれば増えるほど。

怪異に実体はないと実感できる。

しかし、現象としての怪異は今でも健在だ。鬼火のように何かしらの現象としての怪異は、きっといつか解明できる。

その時、恐らくもっとも優しく怪異を殺す事が出来るはずだ。

私はそうしようとは思わないが。

もしも役割を終えて、怪異としての寿命を全うできるとしたら。

それは怪異としても本望ではないのだろうか。

南雲から連絡が来る。

立体映像で通話をする。

次の調査についての話を聞かれた。鬼火を三ヶ月ほど各地で調査していた。予備期間を含めれば四ヶ月程か。

それで、データ的には昔の何十年分である。

研究者としては垂涎の時代と言える。

「此方としては、研究のデータを回したいと思っていますが」

「そうですね。 次はすねこすりを研究しようと思っています」

「すねこすり。 なるほど……」

「何かいいデータがありますか?」

すねこすり。

夜道などを歩いていると、足下に纏わり付いてくる怪異の事だ。

すねこすりは可愛いイメージがあるが。

夜道を歩いていて、足を掴まれたとかそういう伝承も怪異としてはかなりの数がある。幽霊話などと混ざって語られる奴だ。

古くはあれは、幽霊では無く怪異の仕業とされていた。

つまり、塗り壁などと同じく、主観的怪異である可能性が高い。

それを、現地に研究しに行くつもりである。

こういった研究の予定は、ずっと昔から決めている。

そして、現地で膨大なデータをとりながら集め。

一ヶ月ほどで、昔で言う十年以上の研究成果を出す事が出来る。

仮にそれが何の役に立たなくても別にかまわない。

今は、それでも責められたりしない時代である。

「何も起きない」。

それを解明できるだけで、研究としては意味がある。

それは、学者としては理解しておかなければならない事だ。世の中には成果が上がらなければ云々の事を口にする阿呆がいるが。

そういう風に人材を投げ捨てていくと。

21世紀のように、あっと言う間に人材なんか枯渇する。

そういうものである。

「すねこすりの直接研究データは、年代がかなりバラバラですが、それでも良いですか?」

「まったく問題ないですよ」

「それはよかった。 後でまとめて送ります」

「ありがとう。 助かります」

南雲にしても、私のフィールドワークのデータは喉から手が出る程ほしいものである。やりとりをしているが、どうにも南雲はあの攻めたファッションもあってフィールドワークと相性が悪いということだ。役所からも、毎回私以上にがみがみいわれるらしい。

やりとりを終えて伸びをすると、次の怪異に備えての準備に取りかかる。

役所に申請もしなければならない。

行くための下準備や調査、場合によっては資格の取得も必要になる。

学者は、思った以上に手間が掛かる仕事だ。

 

(続)