古き家手伝うは怪異か

 

序、寒村の名残

 

出迎えに出て来たのは、管理ロボットだ。人が良さそうな女性の姿をしている。男性型の管理ロボットは、殆どの場合警察や消防の仕事をしているケースが多い。状況に応じて管理ロボットの姿は変わり、場合によっては巨大な百足型になる場合もある。

特に生態系管理ロボットは多彩な姿になるケースが多く。現在の山の主は実はロボット、と言う事も多いそうだ。

私が上がり込んだその家は、そこそこ古い古民家である。

今回は、ハウスメイド系怪異。

その中でも最も有名な、座敷童を調査しにきていた。

さっそく上がらせて貰う。

楽しみだなあ。

そう思いながら、糸目っぽい顔つきの、人が良さそうな管理ロボットのあとについていく。

此処は古くも座敷童が出ると言う事で有名だったらしいのだが。

今もそれを目当てに来る観光客がいるらしい。

ただしそういった観光客は悪さをするケースも多いので。管理ロボットはこの人が良さそうな女の人だけではなく。

おっかない仁王像型もいるそうだ。

そして、おいたをした場合、仁王像型にこってり絞られることになる。

私もある意味、座敷童を目当てに来ている訳だから。

怒られないように、気を付けないとならない。

部屋に案内された後、レトンが環境を整え始める。この部屋はあくまで研究用に借りるので、普通に近代的な設備がされている。

まあこの部屋に出て来てくれても良いのだけれども。

レトンが駄目と言ったのだ。

研究が集中できなくなるというのが理由。

わざわざレトンが前に調べて、座敷童が出無い部屋を借りてくれた。

変な所で気を利かせてくれるレトンである。

もっとも、レトンは座敷童なんぞ信じていないだろうが。

とりあえず、今回のフィールドワークの拠点は完成。

一時期は幽霊ブームの事もあって、座敷童は子供の幽霊的に扱われる事もあったのだけれども。

世界中にあるハウスメイド系の怪異は、必ずしも幽霊というわけではない。

キキーモラやシルキーなどと言った怪異も有名だが、いわゆるホブゴブリンもハウスメイド系の怪異と言える。

ホブゴブリンと言うと、一時期はゲームなどの影響でゴブリンの上位種族なんかと思われていたようだが。

実際にはハウスメイド怪異の一種。

そして分類はれっきとした妖精である。

なんだかゲームだかの影響で、ゴブリンは邪悪な存在だとかそういう変な認知が拡がった時代もあるそうだが。

元々のゴブリンはただの妖精であって。

そもそも妖精というのは性格がくせ者で、日本の怪異と大して変わらない。日本の怪異よりも「いい性格」をしているくらいで。

逆に言うとその程度の違いでしかない。西洋圏の妖精と日本の妖怪は、怪異として共通点がとても多いのだ。

中には、子供が危険な場所に近付かないようにと、親達が創作した怪異が今に伝わっているケースもある。

一時期はそういう怪異を創作するのがブームにまでなったそうだ。

だが、ゴブリンは違うし。

そういう意味では、ゴブリンは人間に振り回され続けた妖精という風に考えても良いだろう。

背中に羽が生えている小さな人型。いわゆるフェアリーだけが妖精では無い。

恐ろしい首無し騎士デュラハンだって妖精の一種に分類されるのだ。

妖精とはそういうものだ。

そして、怪異という点では、妖怪と大差ないのである。

さて、準備完了だ。

さっそく座敷童が出る部屋にるんるんしながら出向くが。管理ロボットが、私の奇行については既に知っているらしい。

レトンを通じて学んでいるのだろう。

既に要監視対象に認定している様子で、笑顔のまま着いてきていた。

勿論悪さなんてするつもりはない。

問題の部屋だ。

座敷童は男の子の場合も女の子の場合もあるが、共通して子供、というルールがある。まあ「童」なのだから当然だろう。ただ、現在の感覚では子供でも、昔だったら子供では無い年齢……15歳程度の姿で現れる事もあるそうだ。

そのため、観光客が持ってきた玩具などが、邪魔にならない程度におかれている。

とりあえず、まずは挨拶して部屋に入る。

そして、色々注文した。

「申請したとおり、フィールドワークのために着ています。 此処でしばらく静かに過ごすので、一人にして貰えますか?」

「ものを動かしたりは絶対にしないでください」

「それは当然です! 座敷童を怖がらせたりしたら大変ですので!」

「……」

レトンがまた呆れている。

管理ロボットは表情を変えずに、こくりと頷いて部屋を出て行った。

私は座ると、電気を消してほしいとレトンに頼む。更にレトンは呆れた。

「この部屋は構造上、電気を消すと何も見えなくなります」

「そっか、じゃあ光量を落としてくれる?」

「分かりました。 周囲がギリギリ見える程度にまで落とします」

「お願いねかあちゃん」

そして、私はそのまま待つ。

ものとか動かないかなあ。

そう思いながら。

座敷童をはじめとするハウスメイド系の怪異は、基本的に決まった特性を持っている。

気に入った相手のためには家事をしたりと色々と世話を焼く。

しかしながら気に入らない相手の場合は、悪戯をして追い出す。

これは穏やかそうなイメージのあるシルキーでも同じ。

むしろ私は悪戯バッチ来い状態なのだが。

それはそれで、座敷童が困惑しそうだ。

ふんふんふーんと鼻歌が出てしまう。

笑顔で、何か仕掛けてこないかなあと思う。

スリッパで後頭部をはたいてきても全然かまわない。

いきなり飛びついてきたりしてもいいぞ。

そう思いながら、しばらく待つが。どうしても、わくわくしている間は怪異が出づらいのは傾向として分かっている。

だから、多分今のうちは出ないだろうなと、諦めてもいた。

しばらく、静かな部屋の中で過ごす。

薄暗い古民家の一室。

中々良い感じである。

怪異が出る条件は整っていると思うのだが。中々、姿を現してくれない。こればかりは仕方がないとも思うが。

ただそれはそれ、これはこれ。

私は怪異に会いに来ている。

今でも、此処は文化遺産として保存されているくらいなのである。

勿論座敷童が出ると本気で信じている人間なんていないだろう。

だが、それでもだ。

この辺りには、今は殆ど人間が住んでいる家なんてない。

観光客も、今の時代は必要ない。

それでも、此処は文化的に保全が必要と判断され。注意深く管理ロボットが保全している古民家だ。

だから。出来れば出て来てほしいなあ。

それが私の本音である。

しばらくぼんやりしていると、多分気が抜けたのだろう。

やがて、レトンが来る。

「時間です。 一度引き上げましょう」

「んー。 うん?」

「どうしましたか」

「あの玩具」

灯りをレトンがつけて、それで何となく違和感を覚える。玩具。指さした先にあるのは、鉄道の玩具だ。

古い時代の、石炭をくべて有毒ガスをばらまきまくりながら走っていた、いわゆるSLの玩具である。

精巧な玩具ではなく、かなりデフォルメしてあるが。

それでも今でも丁寧な管理の事もあって、動くようだ。

「あれ、もとの位置から動いていない?」

「いえ、私の記憶しているこの部屋は、何も変わっていません。 しいていうなら埃などが微量、主が入った事で移動していますが……」

「うーん、気のせいか。 でもこの気のせいがいわゆる座敷童なのかな!?」

さっそくテンションが上がる私を見て、露骨に呆れるレトン。

そうそうそれでいい。

私に対して、客観的な観点から正論を向けてくれるのがレトンの仕事。それを臨んでいるから、レトンはそうしてくれる。

本当だったら正論もどきになってしまうだろうが。

今の時代のAIは、ちゃんと本当に正論を向けてくれるくらい出来が良い。

これもあって、まだ少数生き残っている哲学者やネット論客の類は、AIと議論したら絶対に勝てないと断言しているそうで。

私としても、それはとても都合が良い事だった。

とにかく、この違和感をしっかり記録しておく事にする。

座敷童を定点カメラで確認した所、いわゆるポルターガイストに近い現象が起きたという話もあるらしいが。

だいたいの場合それはトリック映像だったりしたらしく。

現在残っている記録の検証実験では再現性もなく。

結局の所、座敷童の真相はよく分かっていないらしい。

そしてそもそも、座敷童の類例は世界中にいる。

それを考えると。

昔の人間は、なんだかんだで座敷童やその同族に結構接していた可能性が高い。それが何を意味するのかは、私もしっかり調べてみないといけないのかも知れない。

いずれにしてもフィールドワーク。

それが私のお仕事だ。

自室に戻る。

そして、レポートを書く。

最後の違和感についても記載はするが。

基本的には何も起きなかった。

それが、素直に記すべき事だ。

そして私についていた機材などを使って、私の主観データを全てレポートに記載する。

東北地方には、同じように座敷童が出るという家が幾つか存在している。今回は、その内三つを一ヶ月で回る予定だ。

つまり、一つあたり十日間掛けて調査する。

昔だったら年単位の調査を必要としただろうが、今の時代はとにかく一度に得られるデータが大変に膨大なので。

これで調査としては充分である。

そして私自身がデータから何も見つけられなくても。

それはそれとして。

誰かが、私のレポートから何かを見つけ出すかも知れない。

それでいい。

私のレポートで、妖怪の真相を暴き出そうとも考えてもいない。

仕事としてレポートを私は出しているだけで。

ただ怪異に会いたいから来ているというのが、実際の所は本音となってくるのだから。

同じ家にいるので、ひょっとしたら私を変な奴だと認識した座敷童が、寝室で悪戯をするかも知れない。

レポートを書いているPCに割り込んできたり、とか。

それはそれでバッチ来いなのだが。

そういった状況は一切起きなかった。

私のような怪異大好き人間の主観に割り込んでくる事さえないので、もうこの部屋は縄張りではないのかも知れない。

基本的に家単位をテリトリにする怪異が座敷童や類種なのだが。

少なくとも、私に興味を持っていないのか。

それとも、私に敵意を持っていても、追い出そうとまでは思わないのか。

その辺りは、よく分からなかった。

座敷童はよく人格を持った怪異として思われがちだが。

伝承を良く確認すると、それが本当かどうかは疑わしい所もある。

少なくとも、ハウスメイドと分類されていても。一時期サブカルチャーで流行った家娼に近いタイプのメイドとは全く違うタイプの存在だと言える。

日本でもだいたい同じだ。

一種の繁栄を呼ぶ福の神であり。

逆に機嫌を損なうと追い出される。

色々な家が、こぞって座敷童を招こうとして様々な事をしたという記録もあるから。

ある意味信仰の対象だ。

そういう意味では、怪異と言うより神に近い存在かもしれないが。

神と怪異は。意外な所で、結構近い。

神は貶められると結構簡単に怪異にまで成り下がる事もある。

そういうものなのだ。

今日分のレポートを仕上げると、レトンが夕食を持ってくる。

伸びをすると、私も夕食にする。

今日は雰囲気を家に合わせて日本食だ。

勿論味はレトンが作っているのだからお墨付きである。正確にはとても私好みの味だ。

なお私は味さえ良ければ料理の内容は殆ど文句を言わない。

ただレトンは、それでも飽きないように色々な料理を作って来る。

淡々と食事を終えた後、片付けを始めたレトンに話をする。

「かあちゃんの方はどう? 視線とか気配とか感じない?」

「視線を感じるというのは、主に人間の五感が産み出すものであって、錯覚である事も多いです。 気配も同様。 私は基本的に得られるデータを客観的に分析しているので、そういったものとは無縁です」

「そうだったね。 それで何かいる?」

「いません。 私と主、それに管理ロボットだけです。 この家には信仰が集まってはいたようですが、それは私に取ってはあくまで人間の保全すべき文化であって、それ以上でも以下でもありません」

理路整然としたレトンの言葉。

それでいいので、私もうんうんと頷く。

実際問題、一種の信仰だとすれば。

特に何も問題を起こしていない信仰なのだから、以降は文化として尊重すれば良いのである。

私はそう思うし。

レトンもそう考えるのなら、何の異論もないだろう。

問題は私は座敷童に会ってみたいなあと考えている事で。

それに関しては、レトンはそんなものはいないと考えるというだけの事だ。

もっとも、怪異は主観に宿っているケースが多く。

座敷童もその可能性が高い。

だから、私は今回も諦めるつもりは無い。

夕食も終えたので、少し追加でレポートを書いた後。寝る前に、今まで書いたレポートの様子をチェックする。

かなり既読はされている。

このご時世に、怪異の出現したという伝承に沿って各地に出向き。

それらを確認して回っている物好きがいるらしい。

そういう噂が流れている様子で。

私のレポートを結構見に来ている人間もいるようだ。

冷やかしもそれなりの数がいるが。

ちゃんとした博士号をもった人間も、相応に来ているらしい。

それらは、プライバシーを開かさない範囲で、データとして私に示される。

また、レポートに対する意見なども出て来ている。

今の時代は、客観的かつ公正な意見が抽出される傾向があるし。逆にそうでない意見を身内では無い不特定多数に対してネットなどで放言すると、それなりにペナルティが着く場合もある。

そういう事もあって、冷やかしに見に来ることはあっても。

ただ悪口だけ書いたりとか。

荒らして遊んでいくというような輩はいないようだ。

そういう人間がネットに溢れていた時代もあったが。

そういう時代は、とにかく人間の心が貧しい時代だった。

物質が豊かな反面、社会はストレス塗れで、兎に角生きていくだけでとても辛い時代だった。

だから、今はそれがなくなり。

殆ど嫌がらせの類を他人にして喜ぶ人間もいなくなったのだ。

まあそれでも他人に対しての嫌がらせを大喜びする人間もどうしてもいるらしいので。

それは支援ロボットが、それぞれにあわせた対応をしているそうだが。

まあ誰でも後ろ暗いものは抱えている。

今の時代でもだ。

私は概ね、建設的な意見だけを目にする事が出来て嬉しく思う。

一時期、怪異や伝承は、どうやって殺すか皆で躍起になっていた時代がある。

それら怪異や伝承が、カルトにつながっている場合は、確かに粉砕する必要があっただろう。

だが、カルトの元になる分けでもなく。

ただ怪異として伝わっているだけのものを殺して何になると言うのか。

今はそういった風潮もなくなり。

攻撃的にオカルトだとわめき散らし、それっぽい理論を振りかざすだけのエセ学者もいない。

私みたいな人間には。

とても暮らしやすい時代だ。

とりあえず一通り寝る前にするべき事は終わった。

レトンが既に準備を整えてくれているので。たまに寝る前に話をする。

私が話をしたがっていると判断すると、即座にレトンは来てくれる。

この辺りは、私より私を知っている故だ。

そういえば、こう言う人間を昔は求めるケースがあったのだっけ。

そんな人間滅多にいないし。

いたとしても下心があるに決まっているだろうに。

理解がある彼くんとかいったのだっけ。

馬鹿馬鹿しい話である。

「ねえかあちゃん。 時に何かほしいものとかある?」

「いえ、そういった欲求は私達にはありません。 基本的に主を支えられれば満足です」

「まあそうだよねえ」

「主がやっているのは茶番だと分かっていますが、それでも主がやりたいのなら私は全力で支援します。 強いていうのなら……命の危険があるような場所にだけは、あまり出向かないでいただきたいですね」

そうか。

そういうのなら、言われるままにするばかりだな。

そう思って、会話も切り上げる。

後は眠る。

寝ている所を悪戯とかしてこないかなあと思ったけれど。

やっぱり座敷童は私に興味がないのか。

或いは私を変な奴と認識して怖がってでもいるのか。

一切悪戯はしてこなかった。

 

1、楽しい時間は虚無の裏返し

 

今日は日中から、座敷童が出る部屋についてのデータを取る。なお、座敷童が出るとされる部屋については、管理ロボットががっつり管理をしている。空気の温度や、埃の量などまで全てである。

光量も普段は調整しているくらいなのだが。

今日は敢えて暗めにしてもらっている。

他にも出来れば深夜帯のデータも取りたい所だが。

実はこの部屋ほどがっつり監視されている部屋もない。

管理ロボットが、一番気合いを入れて管理している部屋なのだから、ある意味当然と言えるだろう。

レポートには、ここ百年ほどの状況を記載している。

それくらい、管理データはあるのだ。

勿論、それらのデータには異常が起きた記録は無い。

もう座敷童はいないのかも知れないが。

それでも、私は座敷童がいるかも知れないと思う。

まあ、ここに来るのは私みたいな物好きか冷やかしだけだろうし。

座敷童も、人間がいないなら余所に移ってもおかしくない。

だが、怪異が人の心に住まうものだとすれば。

私が来た時に。

戻って来ても、おかしくは無いだろう。

しばらく、部屋で過ごす。

持ってきたレトロな玩具を取りだして、しばらくそれで遊んでみる。AI制御で動く犬の玩具だ。

一時期は愛犬みたいに可愛がるユーザーもいたらしいが。

そろって似たような時期に機械としての寿命を迎えてしまい。

みんな同じ時期に、哀しみと共に送り出されたそうである。

これはその復刻版。

耐久性を万年単位にまで強化した電子ロボット犬だ。

なお、これについては私の個人資産で、今回のために買ってきている。

私としても、積み木やら何やらで遊ぶのはちょっと流石に気が引けるし。

ロボットの玩具や人形とどうして遊んで良いのかよく分からない。

実物の犬とか猫とか連れてきたら。何もない虚空とかを眺めてくれたりするかも知れないけれど。

それはそれで面白そうだ。

犬のロボットは、私の指示通りしばらく一緒に遊んでくれる。

小さなボールを投げれば拾ってくるし。

私の動きに沿って臥せとか吠えたりとか。それぞれしてくれる。

まあ、賑やかで楽しい玩具だ。

どうだ。

一緒に遊びたくならないか。

座敷童。

もし寝ているなら、起きて出て来てくれないか。

そう思いながら、しばらくロボット犬と一緒に遊ぶが。

どうにも興味を示すこともないらしく。座敷童は、一切合切姿を見せることはなかった。

ふうと、嘆息する。

犬のロボットが尻尾をぱたぱた振っているが。

その時、ことんと音がした。

ふむ。

周囲を見回す。

この家に置いていかれたらしい玩具の中のひとつから音がしたような気がするが、まあそれはいい。

ひょっとして、こういった現象が積み重なって座敷童となっていったのか。

それはそうと、今の音はなんだ。

もう少し、この部屋で今日行う研究には時間がある。

ついでなので、ロボット犬としばらく遊ぶ事にする。

ボールを投げて、拾ってくるのを待つ。

犬は大喜びで拾ってきて、私に愛想を振りまく。

ある意味残酷な光景である。

本物の犬から、面倒くさい要素を全て取り除き。

遊ぶ相手として、最適な要素だけを抽出したのが、このロボット犬だ。

ひたすらに可愛いだけ。

本物の犬のように糞尿をすることもないし。

見境なく吠えることもない。

年老いたら、噛みつくようなことだってないし。

病原菌を媒介することだってない。

人間にとって、とことん都合がいい犬。狩りを犬と一緒にしなくなった人間にとって。犬はただの愛玩動物に成り下がったが。

その究極がこのロボット犬だ。

そういう冷酷な分析を私は出来る一方で。

それはそれとして、怪異については是非会ってみたいとも思う。

やはり私は矛盾の塊だな。

そう思って、苦笑いが零れていた。

視線を感じる気がする。

振り向いてみるが、何もいない。

視線なんてものは、レトンも言っていた通り五感がそんな風なものを感じ取った、というだけ。

余程感覚を鍛えている人間ならともかく。

私程度だったら、誤認するのが関の山だ。

だけれども、今のは何を感じ取ったのだろう。

ロボット犬が小首を傾げている。

愛玩動物として、散々血統管理され。不適切とされた個体はブリーダーに処分されてきた動物、犬。

それですら満足出来なくなった人間によって更に可愛い部分だけを抽出されたロボット犬は。

ただ、私の奇行に対して。

小首を傾げているだけだった。

レトンが来る。

ロボット犬を渡すと、頷いて連れて行く。ロボットとしてメンテナンスをするためである。

これから回る、他の座敷童がいるとされる家でも、このロボット犬には活躍して貰う事にする。

もしも比較的AIとしては原始的なものを搭載しているこのロボット犬が。

何かしらを感じ取ったとしたら。

それはそれで、座敷童を察知したからかも知れない。

とても面白い事では無いか。

レトンが戻ってくる。

「主、いきましょう。 管理ロボットが、この部屋のメンテナンスをするそうです」

「分かった。 ねえねえかあちゃん。 やっぱり物音とかしたし、視線も感じたよ」

「主の主観ではそのようですね。 此方でも確認はしていました。 しかし客観的データでは、そのようなものは存在していませんが」

「やっぱりかあ。 座敷童も、やはり心の中に住むタイプなのかなあ」

レトンは応えない。

主観の中に存在するだけの存在が怪異なのだとすれば。

それは間違いなく、心の中に住んでいると言える。

昼食にする。

その後は、レポートを書く。

座敷童は、昔の民俗学者が可愛い子供の様に自分の趣味で設定しただけで。実は結構不気味な存在であると言う説を唱えた者もいるのだっけ。

まあ私にはどうでもいいことだ。

ありのままの座敷童に会えればそれでいい。

それが主観の中だけで生きている存在だとしても。

それでも私は。

怪異が大好きだ。

 

夕食まで時間が出来たので、家の周囲を歩いて回る。

農耕用のロボットが、田畑の手入れをしている。この辺りはほぼ無人だが、AIによる統合政府の政策によって全自動農業地帯となっていて。色々な姿をした専門の農耕用ロボットが、田畑を手入れ。

人間よりよっぽどしっかり稲作りをしている。

一方で、完全に休作地になっていた土地の一部は、小川や池などにしており。

そう言った場所では今ではタガメがいたり。

トノサマガエルがいたりと。

資格と役所の許可なしでは。遠くから眺めることしか許されない場所になっている。

蜻蛉が飛んでくる。

そういえば、そんな時期だったか。

レトンが何かしらの音波だかを発して、蜻蛉が私に近寄らないように処置をする。私も蜻蛉を捕まえて羽をむしろうとかは考えない。

蜻蛉は近くを飛んでいるが、それだけだ。

かなり大きい蜻蛉だ。オニヤンマかは知らないが、多分ヤンマの一種だろう。日本でも最強の戦闘力を持つ昆虫の一角であるらしい。

農耕用ロボットに混じって、ドローンが飛び回っている。

何かしらの管理をしているのだろう。

田畑に住むことで、むしろ丁度良い生態系を確保できている生物も存在している。

そういった生物を、個別で面倒を見ているのかも知れない。

似たようなケースで、港の一部に深海魚が住み着くケースがあるという。

何でも深海と似たような環境が出来るから、というのが要因らしく。

そういった生物に関しては、海中活動用の管理ロボットが、個別に面倒を見ているそうである。

今の時代は、ロボットが管理していて、マンパワーを必要としない。

むしろ変な利権や主観が絡まないから、それで良いのだろう。

私は手をかざして、いわゆる里山を見て回る。

人とすれ違う事は殆どない。

人型の農耕用ロボットとは時々すれ違う。

だが、ロボットに関しては何かしら一発でそうだと分かるようにしている。レトンの場合は髪の光沢などが、人間ではありえない。

今私とすれ違った農耕用ロボットは、レトンより更に小さかったけれど。とても巨大な農耕機具を苦もなく引いていた。

「おお、力持ちだね」

「昔のロボットアニメ風に言うと、あのタイプの農耕用ロボットは215万馬力を有しています」

「それはすごい。 伝説の科学の子も真っ青だね」

「馬力などと言う現実の馬の力でもなければ今更使う意味もない単位には疑問を感じますが、指標として用いているので今更変える必要もないでしょう」

ドローンと連携しながら、ああいうロボット達は様々な作業をしていく。

昔は、米の一粒には七柱の神が宿るなどという話があったそうだが。それは、それくらい米は農家に大事にされていたと言う事だ。

管理ロボット達も、昔の農家と同じかそれ以上に米の世話をしている。

米に寄生虫が着いた場合は適切に処理をする。

米などにつく寄生虫は、それはそれで生存できるように、わざわざ専門の田畑を用意してあるくらいなのだが。

それでもどうしても、たまに農業用の田畑にまで進出してくるので。

それらはロボットが駆除するそうだ。

そしてロボットは、人間と違い文字通り細胞単位で稲の異変を見逃さない。

浮塵子だろうが何だろうが、農耕用の稲に着く害虫は、一匹も悪さを出来ないという訳だ。

いかにも昔の農民という雰囲気の農耕用ロボットが、数人来る。

一人は額にもう一つの目があって、むしろ妖怪っぽい。

ただ、何かしらの手段でこういう人間では無いことを示さないといけないこともあるので。

これは仕方が無い事だろう。

里山を見て回った後は、宿に戻る。

レトンは、靴などをきっちりチェックしていた。

私も、作業を任せながら聞いてみる。

「どう、里山は」

「本格的に農業だけをしているプラントは、更に効率化が進んでいるようですが。 この辺りは環境に配慮してなおかつ里山という文化を保全しているので、色々と効率がよろしくありませんね」

「相変わらず辛辣だ」

「いっそのこと、ドローン経由でVRで感覚だけを共有して、自宅から人間は此処を楽しむべきなのではないかと思いますが。 主のようにこういった場所に来たがる存在もいますので、そうもいかないのが難しい所でしょう」

辛辣な事を言いながら、チェックを終える。

山に入った訳でもないので、ヒルもついていない。ヤブ蚊などに刺されてもいなかった。まあ本当だったら牛虻とかヤブ蚊とかに刺されていてもおかしくないのだけれども。レトンがしっかり近付くのを抑えてくれていたのだろう。

いずれにしてももう夕方。

家の中を、許可されている範囲で歩いて回る。座敷童が足首掴んだりしないかなあ。そう思いながら。

そんな心霊スポットにいる悪霊みたいな事を座敷童は多分しない。

してきたら、私はむしろひょおっとか声を上げて喜ぶだろうし。

座敷童はそれを見たら、むしろ萎えるか怖がるだろう。

当然私にもこわいものはたくさんあるが。

それでも、座敷童は会いたい対象であって。

別に怖いものでも、解明して殺すものでもない。

「あの部屋以外だと、今の所は出て来てくれないなあ」

「主のその言葉だと、実体のある座敷童が主と遊んでいるかのようですね」

「いや、遊んでくれてはいないよ。 多分変な奴がいると思って、警戒しているくらいかなあ」

「言葉もありません」

夕食にする。

管理ロボットが夕食を作る場合もあるらしいのだけれども。レトンの言う所によると、私の食事はなんだかいう工夫が必要らしく。それに沿って動いている。

私はこの通り、興味が無い事はとことんどうでもいいタイプなので。

レトンが説明してくれても、時々何もかもがすぽんと左耳から右耳に抜けてしまう。

興味もないので、そのまま流す。

夕食が運ばれてくる。今回は、基本的に和食で全て済ますそうだ。

なお、ロボットが作っているから米がまずいというような事はない。

今回もご飯が出てくるが。

完璧な管理をされている米を、完璧な調理をしているのだ。

多分、過去のどの時代の人間が食べている米より美味いはずだ。

「普通においしいね」

「それはありがとうございます」

食事を終えた後は、またレポートを書く。

淡々と光学式キーボードを打鍵している内に、就寝の時間が来る。

今回は結構夜遅くの研究もあるので、余計普段はしっかりとこういった時間を守って寝起きしなければならない。

一度生活リズムが崩れると、後は大変なのだ。

もしも年単位で生活リズムを無茶苦茶にしていると、体内時計が壊れる可能性もある。

体内時計のシステムは現在既に解明されているが。

それでも一度壊れた場合、修復するには何年もかかる。

それが現実なので。

レトンも、寝る時間や起きる時間には、気を遣ってくれる。

部屋の環境を整えてから寝る。

何かいい夢でも見ないかな。

そう、私は思った。

 

夢を見る。

田舎の腐った人間関係が何もかもを縛る限界集落。そんな中、ぽつんとこの家はあった。あばらや同然。もう、取り壊しが近いかも知れない。

膝を抱えて、隅に座っている子供。

くすんくすんと泣いている子供が、人間では無いことを私はすぐに理解した。

座敷童だ。

理由は簡単。

こんな限界集落。

もう子供なんて、いないからだ。

幼い頃の力関係が、大人になっても永遠に続く社会。だから限界集落。だからみんな出ていって帰って来ない。

それなのに、若い人間なんて来なくて良いとほざくような老人が蔓延り。来てくれた医師にまで狼藉を働く。

だから限界集落になっていく。そういう村を、流石にこの座敷童もどうにも出来なかったのだろう。

視線を合わせる。

泣いていた座敷童は、びくりとふるえて私をみた。

明らかに怖れている。人間を怖れていると言うよりも、何もかも興味津々という私の目にだ。

座敷童は歴史がそれなりにある妖怪で、多分本来だったら標準語なんて通じないはずだ。

だが、それでも夢の中だから、標準語は通じる筈。

話しかけてみる。

「これ、昔の風景?」

「そう。 どんなに頑張っても、みんな好き勝手なことばっかりいって。 他の座敷童は、愛想を尽かして出て行っちゃった。 私は元々この村の子だから、それでも残ったのに……」

そうか。顔を上げて分かったが、どうも女の子らしい。

私が怖くて仕方がないみたいだ。

それは、獲物を目の前にした大蛇みたいな表情だっただろうし。当然かも知れない。

「今は、何もかも快適だよね」

「でも、家の守りがいがない」

「それは仕方がないんじゃないのかな。 管理ロボットはよくやってくれていると思うけれど」

「私が何もしなくても、誰もいなくても、家だけ残ってる。 玩具なんかいらない。 誰かに住んでほしい」

そうさめざめとなく座敷童。

まあそうだろうな。

私の主観による夢だ。

そんな事は分かっていても。座敷童がいたらこういう事をいうだろうな、とも思う。

本質的には座敷童はハウスメイド系統の怪異。

それらは基本的に共通して。

気に入った人間には福を為し。

気に入らない人間には害を為す。

一神教が他の信仰を悪魔扱いして駆逐していった西洋ですら、シルキーやキキーモラ、ホブゴブリンといった座敷童の類種が存在しているのだ。

要するに、誰もがこういう隣人の存在を願ったのか。

それとも、やはりあれか。

かの妖怪研究家が言っていたように。

人間の心に住む妖怪は、世界中に類種がいて。

名前が違うだけで、殆ど全て同じものが何処にでもいると。

だとすれば、座敷童のいなくなった者達は、貧しい国にでも向かったのだろうか。それは、ちょっと私には分からない。

「東京とかは人住んでるよ」

「それは分かってる。 でも、人を祝福しても、誰も感謝しない」

「そっかあ」

「私は一度東京の仲間を見に行ったことがあるんだ。 だけど、頑張って人間を祝福しても感謝しないし、みんなガリガリになるまで仕事して、倒れるまでやめない。 だから、みんなおかしいって話してた。 私もそれ見て、同じ意見だった」

この夢は、21世紀くらいを基準に話をしているのか。

だとすると、まあその言葉も正しいと言える。

私は、どうしたものかなと思う。

こういう人格を持った座敷童が本当にいたら、それはそれで嬉しいのだけれども。これは残念だけれど。

私の心に住む者だ。

あの山ン本さんと同じ。

そうだ。山ン本に夢の中で会ったっけ。夢の中でなら、思い出す事が出来るのは不思議な話だ。

「じゃ、私がしばらく住もうか?」

「お姉さん怖い。 私をおびき出そうとしてる。 私をどうするつもり?」

「ただ会いたいだけ」

「理解出来ない。 怖い」

怪異に怖がられてしまった。

それはそれでまあいいか。私は怪異に会いたい。ありのままの怪異に。その思考回路を怪異に怖れられるのはまったくかまわない。

ただ私が、自分のエゴとして怪異に会いたいだけだ。

昔だったら変人扱いされていただろうし。

或いはコミュ障呼ばわりされていたかも知れない。だが今の時代。しかも怪異が相手である。

何の問題があるだろうか。

「私は基本的に何も貴方に害を為さないよ。 気が向いたら、会いに来て」

「……」

「じゃ。 いくね」

そういって、まだ此方を警戒している座敷童の前を離れる。

それにしてもいいなあ。

怪異に怖れられるなんて。

最高の経験じゃないか。私は、心の底から、本音でそう思っていた。この辺りが。怪異が怖がる理由かも知れない。

夢の中だけだが。

怪異に人格があったらいいなあ。

そう思う、私が見せた幸せな夢。それが分かっていても、良い夢は良い夢だ。

 

目を覚ます。

よだれを拭う。これはまた、とても良い夢を見ていたと判断して良さそうだ。顔を洗ってうがいしている間に、レトンが着替えを持ってきた。すぐに着替える。

「良い夢見てたみたい」

「夢の内容については聞かなくていい、でしたね」

「うん。 かあちゃんはその辺り配慮してくれて嬉しい」

「……まあ正直、私には理解不可能な夢でしたので、そう言われても何とも言えない所です」

そうか、支援ロボットのレトンにまでそう言われるか。

それにしてもてきぱきと家事をやっていくレトンは、メイドの格好をしている事もあってばっちり決まっている。

伸びをすると、今日のスケジュールを確認。

そうしている内に、朝食が運ばれて来た。

健康に配慮した朝食に加えて、今日は新鮮な産みたての生卵(鶏卵)もついている。ただ私は生卵はちょっと苦手なので、その場で調理してしまう。

卵焼きに仕上げてくれたので、ありがたくいただく。

ちなみに私は甘い味付けよりも、しょっぱい方が好きだ。卵は品質がいいと、どう料理しても美味い。

それにしても綺麗に片手で卵を割るなあ。

そう感心して、私はレトンの作業の様子を見ていた。ただこれらは、過去の達人級の人間のデータを取り込んだ上で、更に無駄を排除したもの。

つまり人間の手際の延長線上だが。

今日は昼を跨いで、夕方くらいまで座敷童の部屋でフィールドワークする。

今回は鞠でも突いてみるかという事で、持ってきた鞠を出す。ただし、コントロールを誤って部屋を壊すとまずい。

このため、無音で飛行するドローンが部屋にいて。私の遊びを監視する。

こういった配慮は必要だ。

実際、過去に来た観光客にも、悪さをしようとした奴もいた記録が残っているし。何より人間は、どんな善人でも魔が差すときは魔が差す。

そーれ鞠だぞー。

そういいながら。ぽんぽんと鞠を突く。

私はあんまり得意な方ではないが、ジャグリングとかに近い事を出来る人もいるらしい。上手い人になるとよっつとかいつつとか鞠をジャグリングするとか。私にはそんな器用な真似はできない。

しばらく鞠で遊んでいると。

自分の方が楽しくなってくる。

時々不安そうに、ドローンが周囲を飛んでいる。私がむしろ鞠を面白がっているのを理解しているからだろう。

楽しさにかまけると。

人間は色々とミスをしやすいのだ。

一つ。案の定取りこぼす。

即座にドローンが何か空気の壁かバリアーかよく分からないもので防ぐ。そして、足下に鞠が落ちた。

「おっと、ごめん」

「悪意がない事は理解しています。 事前に申請もありましたので問題ありません」

「了解。 続けるね。 ミスったらカバーよろしく」

「分かっております」

座敷童がもしも人格を持った怪異だったら。

ドローンが喋って、驚いたかも知れない。

今までは必要なかったから喋らなかっただけ。

そういうものなのだ。

しばらく、鞠をついて遊んでみる。少しは興味を引けるだろうか。もしも人格をもった何らかの怪異がいるのならそれはそれで嬉しいし。

私の主観にしか存在しない怪異がいるのなら、それを観測出来ればなお嬉しい。

どっちでも。

私はかまわなかった。

 

2、家の守り神とはなんぞや

 

ヤモリという生物がいる。

蜥蜴の一種で、壁などを這い回ることを可能とする足の吸盤を有し。古くから害虫を退治してくれる家の守り神として敬意を払われてきた存在だ。

一時期は見た目が気持ちが悪いとかいう理由で排斥されたこともあったが。

今ではそんな事もない。

ヤモリの生息地は幾つかが厳重に保護されていて。場合によっては家庭に住むことを申請の上で許可もしている。そういう場合は、基本的に支援ロボットが監視に当たる。

私が今滞在している家には、そのヤモリがいる。

勿論ヤモリは、漢字で書くと家を守ると書く。

アシダカグモやゲジゲジもそうだが。

人間にとって見た目がどうかと、人間にとって有益な存在かは。まったく別の問題なのである。

そして古い時代の人間はそれを知っていた。

勿論、古い時代の人間はそれはそれで問題を抱えていたが。

とくに21世紀頃の、世界を解き明かしたと思い上がっていた人間が、それより優れているかは別の問題であったと言える。

私の見ている前で、壁をヤモリが通り過ぎていく。

今は結構遅い時間だ。

この座敷童が出る家では、ヤモリを数個体飼っているらしく。毎年卵を産んで幼体が生まれる。

ヤモリの幼体はあまり成長できる確率が高くないらしく。

基本的に管理ロボットが成長するまでは面倒を見て。

何かしらの天敵に襲われた場合はやむを得ないとするらしい。

それでも年に数匹は育つらしく。

他の家などに配って、様子を見ているそうだ。

その説明を、レトンから聞いて。

私はなる程と思った。

「うちにもヤモリを配置したらどうかな、かあちゃん」

「別にかまいません。 ただ幾つかの書類などの申請が必要になってきますが」

「そんなんはかまわないよ」

「分かりました。 それでは帰宅後に申請しましょう。 この家のヤモリが分けられるかは分かりませんが」

なお、ヤモリはカナヘビなどと比べるとかなり体格がしっかりしている。

掴むと噛みついてくるし(毒牙などはない)。

その時には、キュッと独特の鳴き声を上げる。

日本産のヤモリはそこまで大きくはならないが。

海外にはオオトカゲ並みにまで大型化するヤモリがいるそうだ。

そこまでいくと、守護神の貫禄だが。

勿論、うちに導入する予定のヤモリは、日本産のものである。

私自身の自宅は東京近郊にあるのだが。

話によると、一部の家庭ではヤモリを導入しているらしい。

蠅やゴキブリなどの危険な害虫に関しては、勿論レトン達支援ロボットが家に入った場合は対処しているのだが。

ヤモリを入れると、負担を多少軽減できるそうだ。

なるほど。それは有り難い。

勿論糞などの問題もあるが。

蠅やゴキブリが徘徊する害に比べれば、遙かに小さい。それはアシダカグモなどにも言える。

ただ成長したヤモリは兎も角、幼体のヤモリはアシダカグモの好餌であるそうなので。一緒に二種類の生物を入れる訳にはいかないそうだが。

自室に戻る。

伸びをして、ぼんやり過ごす。

なかなか出て来てくれない。

時々ものが動いたような気がしたり。

視線を感じたりはするのだけれども。

少なくとも伝承にあるような、気に入らないものを追い出そうとするような意思とか。気に入った存在に福を為そうとするような善意とか。そういうものに基づく行動は見られない。

もう誰もまともに座敷童なんか信じていないからへそでも曲げているのか。

それともこの家には既に座敷童がいないのか。

いずれにしても、まだ調査対象の家は残っている。

この家は、あと一日で調査を終わりにするが。

それでも、調査に意味はあったと信じたい。

仮に何も異常だのがなかった場合だったとしても。

それはそれで、「この条件では何も起きなかった」という立派な研究成果になる。

一時期みたいに、「怪異は迷妄である」という発言をして。実際に何かしら起きている現象を頭から否定して悦に入るようでは、そんなものはカルトと同じだ。

科学者だったら、実際に起きている現象を調査した上で、結論を出すべきだし。

現象に対して研究をするべきである。

その結果、怪異が殺されるならそれはそれでよし。

一番良くないのは、一見それっぽい理屈を述べ立てて、怪異を否定したつもりになることで。

これは20世紀から21世紀辺りで、科学者を気取る阿呆がよくやる事だった。

勿論今は。そんなものは科学とは呼ばれていないし。

そういった科学者気取りは、博士号も取れない。

それこそ、「科学盲信」とでもいうべき迷妄。

結局迷妄を迷妄で上書きしているだけというだけだったのだと。人類が気付くのには、随分と時間が掛かったという話だ。

さて、ぼんやりしている間に、夕食が運ばれてくる。

食事をしていると、レトンが小首を傾げた。

「昨日の夜調査が響いていますか?」

「うん。 一日だけとはいえ、結構深夜帯の作業は効くね悪い意味で……」

「21世紀頃には、これを連日普通にやらせていたそうです。 それも明らかに人力以外で廻せる仕事に対しても」

「そりゃあ、体を壊して倒れる人だって出てくるよ」

嘆息する。

警察官や消防士など、当時はどうしようも換えが効かなかった人員については仕方がないだろう。

だが、別にそんなもの人命に関わらないだろうサービスだのの稼働確認やら。

どうでもいい代物まで、夜間作業で監視させていたという話をレトンがする。

そういった認識で、更に「代わりは幾らでもいる」という言葉が蔓延った挙げ句。

21世紀の序盤頃をピークに。

心身を壊す人間が最大にまで増えたそうだ。

心療内科は心身を壊した人間で溢れ。

人が一番いた時代なのに、人手不足倒産などと言う冗談のような事件が起きに起きたらしい。

人類の歴史は愚かしい事ばかりだが。

それの一つと言えるだろう。

「代わりは幾らでもいる」という傲慢極まりない言葉は。

少なくとも間違っていた。

代わりを使い果たしてしまったから、人が多数いるにも関わらず、人手不足などという事が起きたのであって。

それを当時の経営者達は理解する事も出来なかったそうだ。

それでいながら、「金持ちは優秀」等というカルトそのものの思想が蔓延り、当時はかなりの人間がそれを真面目に信じてもいたとか。

それこそ迷妄だろうに。

結局人間は、時代を超えても迷妄から逃れられていない。

またあくびをする。

レトンのメシがあまり美味しくない。結構無理をして生活時間帯を調整したからである。

深夜帯の調査でも、結局座敷童は出て来てくれなかった。

いわゆる丑三つ時、午前二時半でも、である。

それを考えると、私は何をしていたのだろうと思ってしまうが。

それでも、その時間帯に人間が出向いて、主観でどうなるかという調査をした事に意味がある。

食事を終えると、かなり不調な体に鞭打って、レポートを仕上げる。

私の研究結果に対して、結構辛辣な正論をぶつけて来る存在はそもそもレトンをはじめとしてかなりいるけれども。

揶揄するような奴はいないし。

研究を真面目にやっている事を一定の評価はされている。

要するに、私は「怪異はいるに違いない」という思想では、レポートは書いていない。

淡々と主観で起きた事と。

客観でその時の分析をしたことをレポートにまとめているだけ。

だからあまりにも内容は蛋白である。

その淡白な内容を、喜ぶ人間があまりいないのも、それはそれで普通のことなのかも知れなかった。

まあ私も、作業としてレポートを仕上げているだけだ。

いずれ。誰かしらが私のレポートを研究して、更に論文に仕上げるかも知れないが。

そんなのは知らない。

私は自分でやることをやるだけである。

「主」

「んあー?」

気付くと、落ちかけていた。

レポートを書いていたのだが、ちょっと限界らしい。

頭をふりふり、眠る準備をするように促される。

頷くと、歯磨きだのをして、ねむる事にする。

流石にちょっとこれは限界か。

そして、限界が来ていたこともあって。

ベッドに横になると、すぐに落ちてしまった。

気がつくと朝だ。

まだ、ちょっと体調は良くない。

この家は、今日で調査を終わりにする。

まだ他にも調査する家があるのだから仕方がないが。

ちらっとでも良いから、今日くらいは姿を見て欲しいなあと、私は思うのだった。

 

一番長く時間を取って、出来るだけ座敷童がいる部屋に滞在する。色々持ち込んだ玩具で遊んでみるが。

やっぱり座敷童らしいのは姿を見せない。

小さくあくび。

やっぱり体調が良くないな。

自分を追い詰めているときとかは、怪異が出やすい傾向があることを私は知っているのだけれども。

今日はそういう事はないようである。

怪異がでないくらい、体が疲れ切っていると言う事だろうか。

そんな余裕も無いという事か。

怪異には、ミッシングリンクとでもいうような時期がある。

良い例が、日本で言えば20世紀半ば。

第二次大戦が終わった直後だ。

トイレの怪というものがある。

これは古くから伝承がある怪異で、トイレに出現する怪異なのだが。これが戦時中から敗戦後の10年くらいは、ぱたりと話が途切れている。

そして生活に余裕が出てきた頃、怪異は戻って来ている。

いわゆるトイレの花子さんの出現である。

トイレの花子さんが戦時中に死んだ子供の幽霊だとか言う設定が付け加えられたのもその頃。

そういう時代だった、という話だろう。

その前には、怪異は幽霊ですらなく、妖怪が主体だった事を考えると。

この十年だかのミッシングリンクの時に、ブームというものが変わった事もある。

いずれにしても、怪異が世代交代したのだと言えるだろう。

経験的に疲れていると怪異は出やすいのになあ。

そう思っていると、私は玩具の間に誰かがいたように思ったが。

見返してみると、それは存在しない。

だけれども、今のは主観としては何かいたような気がした。

それならば、否定するならば客観的データでするべきだし。主観的データは、それはそれで保存するべきだろう。

「今、何かそこにいなかった?」

「確認します。 存在していません」

「そっかあ」

「後でパーソナルデータの客観分析データも引き渡します。 それを確認してください」

レトンに比べて、監視ドローンの返事はとにかく事務的だ。

私も頷いて、黙々と作業を続ける。

一度昼食で部屋を離れるが。

はっきりいって、いつもは美味しいレトンのご飯が、まるで美味しくなかった。こっちの方が、余程の怪奇現象だ。

レトンもそれに気付いている様子で。

午後の研究を切り上げるように提案してきたが。

私は首を横に振る。

「経験上、こう言うときの方が怪異が出る可能性が上がるんだよ。 私今、わくわくする余裕もないし……」

「深夜帯作業一度でこれほど消耗するとは、今後はスケジュールを見直さないといけないでしょうね」

「分かってる。 でも、今回の調査だけはそれでやらせて。 さっきも、実際なんかいたような気がしたし」

「それは茶番にしか思えません。 茶番に命を賭ける事はあまり好ましい事だとは思えないと、何度も言っています」

その通りだ。

崖から落ちかけた時とか、レトンは随分と私に説教した。

あれは磯女の研究をしていたときだったか。

あの時は危険地帯の研究をするとき、管理ドローンがついて支援をしてくれたから命を拾ったが。

昔だったら、100パー死んでいただろう。

他にも、かなり危ない目にあった事は何度もある。

だから私は、このレトンの説教については、きちんと聞くように心がけていた。

「分かった、深夜帯の作業は今後はできるだけ控える。 でも、今回の遠征だけはスケジュール通りやらせて」

「……これほど消耗すると分かっているのに」

「それでも、やらないといけないの」

「分かりました。 主の意思です。 しかし、本当に無理と判断したら、主の体調管理をしている身として、研究の停止を強制的に実施します」

いわゆるドクターストップという奴だ。

まあ、毎日健康を診断してくれているレトンだ。

それをする権利はある。

専属の医師がついているようなものだから。

しっかり指示に従わなければならないだろう。

気合いと根性でどうにかするとかいう、悪しき精神論の時代ではないのだ。

若干ふらつきながら、食事後に座敷童の部屋に戻る。

ぼんやりしている様子を見て、レトンと情報の共有をしたのだろう。

ドローンも機械的に声を掛けて来る。

「あまり体を動かす研究は避けた方がいいでしょう」

「んー、分かってる。 とりあえず手元でちょっと玩具を動かして見るくらいにする」

「そうしてください」

「……」

持ってきた昔の動くタイプのプラモデルを、その場で動かして見る。

当時売られていた実物は博物館においてある。

これは3Dプリンタで再現したものだ。

色々な生物を象った「機械生命体」という設定のもので。

当時は何度もアニメが作られるほどの、そこそこに人気なコンテンツであったらしい。

今回は出来るだけ怖く無さそうなのを選んで動かしている。

座敷童だったら、興味を持つだろうか。

「そういえば、此処に出る座敷童って女の子だったよね」

「伝承によるとそのようです。 当機は存在を観測したことがありませんが」

「あー、だったらこれはチョイスをミスったかな」

「それは人格次第ではないかと」

それもそうか。

男女で、それぞれ服の色の好みとかまで強制されていた時期が古くにはあったのだったか。

それと似たような思考だったかも知れない。

正論を入れてくれてありがたい。

礼をドローンに言うと、私はプラモデルを動かし続ける。

効率が良いモーターで動かしているのだが。電池が必要な大型と、ねじを巻く小型がある。

ただ、しっかり歩くタイプと。

動く機能はおまけ程度、になっているものがあるそうだ。

中には欠陥があって、まともに動かないタイプもあるらしい。

このプラモデルは相当な当時でも噂になっていた天才的なデザイナーが手がけたものも多いらしいのだが。

それでも見栄え重視で、まともに動かないものもあるというのだから。まあ天才でも失敗する。

昔風に言えば、弘法も筆の誤りという奴かな。

そう私は思った。

いずれにしても、座敷童は出無い。

時々視線とかは感じるが、それ止まりだ。

私は格闘技で体を鍛え上げているわけでも、五感を磨き抜いている訳でもない。

感じる視線なんて、多分錯覚だろう。

時々何かが見えるような気もする。

それらはいちいちチェックするが、ドローンは残念ながら、と否定するのだった。

時間が来た。

とりあえず、部屋に引き上げる。

これは、数日かけて体調を戻さないといけないな。ふらつきながら、私はそう思う。プラモデルの方は、レトンが自分で手にしていた。

落として壊しかねないと思ったのだろう。

私が手に入れられる程度のものだけれども。

それでも無為に壊すのは悲しい事だ。

夕食にする。

レトンは荷物をまとめ始めていた。

「レポートは明日にしてください。 明日の移動は、役所からレンタルされた車が自動で行いますので」

「分かった。 かあちゃん、色々ごめんな。 私の我が儘聞かせて」

「いや、主の出来るだけやりたいことをかなえるのが、私の仕事です。 ただ、主の体が心配です」

「いいかあちゃんを持って私は幸せだよ」

少なくとも、親ガチャなんて言われた時代の人間に比べて、私は幸せだろう。

とにかく、夕食を済ませて。出来るだけ、レトンと一緒に片付けをしておく。片付けを終えると、管理ロボットが来て、荷物を運んでいった。

先に、次の研究地に輸送しておいてくれるらしい。

助かる。

後は寝るだけだ。

役所とは、研究のスケジュールとかをガチガチに事前に決めている。そうしないと、研究の許可が下りないのだ。

観光でも、スケジュールについて支援ロボットを交えて役所と打ち合わせして、場合によっては資格までとって、それで決めるくらいである。

厳しいのは当然だろう。

疲れきっているので、後はベッドでねむる事にする。

一度の夜勤で、こんなに負担が大きいとは、たまったもんじゃないなあ。

警察や消防、医療なんかの人達も負担が大変だっただろうな。

そう思う。

そもそも、初期の頃の支援ロボットは。人間より寿命が短く。金属などで体が作られていたにもかかわらず。

人間と同じ労働をさせたら、早々に壊れてしまったという話もある。

どれだけ無茶を労働者がやらされていたか、という話で。

それはそんな時代には、夢も希望もなかっただろうなと、私は納得するだけだ。

ベッドに横になってぼんやりしていると、誰かが見下ろしている気がした。

レトンじゃないな。

座敷童が、やっと出ていくのかと、安心しているのだとしたら。

してやったりである。

にやりとすると。そういう気配は消える。

眠る直前に、ちょっと手元のPCを操作して、今のを記録しておく。

勿論客観データではなにもない可能性もあるが。

それはそれだ。

一向にかまわない。

眠りに落ちると、後はつかれもあって。

朝まで目覚めることはなかった。

 

3、座敷童を求めて

 

東北の道を行く。

昔は新幹線という高速鉄道が通っていたが、今は路線が廃止された。既にそんなに人間が利用しなくなったからだ。

今では役所の手配した自動運転のレンタルカーなどか。

もしくは飛行機。

そうでなければシャトルが人を輸送する。

そもそも人がこまめに移動する事がなくなった時代である。

大規模な鉄道システムなどは、殆どがなくなっており。インフラに関しては、役所の方でがっつり管理して回している。

仕事の大半は自宅からリモートで出来るので。

そもそも多数の人間が、無理矢理詰め込まれて電車で移動する、というような事はなくなった。

それでいいのである。

レンタカーで移動しながら。私は小さくあくびをする。

今日は午前中は移動と現地での荷ほどき。

そして午後から、座敷童が出ると言う部屋の調査に当たるのだが。

ホバーで移動しているレンタカーでも、移動中は面倒くさいなあと感じる。

それが、一時間半だの二時間だの、非人道的に詰め込まれた電車の中で揉まれた挙げ句。

残業をすることが美徳とされるような精神論で動いている職場で日夜関係無く不自然な程の時間働けば。

それは人間は壊れる。

実際問題、私も通勤電車を擬似的にVRで経験したことがあるが。

こんなんを毎日経験していたら、それは壊れると実感するだけだった。

現地に到着。

殆どの荷物は運び込んでいる。

レトンと一緒に荷ほどきをするが、レトンは私の十倍の速度で作業を進めていく。それでいながら作業はとても丁寧でミスもないので、とても有り難い。

研究環境が整う。

私は頷くと、レポートを早速書く。

移動中にちょっと仮眠をした事もある。

やっと、多少夜間作業の疲弊は取れ始めていた。

それでも、レトンは心配そうだったが。

「まだ昼食までは時間もあります。 だらけていてもかまいませんが」

「いいよいいよ。 レポート少し遅れてたし。 それに仮眠も取ったし」

「移動中も少しレポートを書いていたではありませんか」

「でも終わってないし……」

まあ、それにレトンが無理に止めないと言う事は、それだけ負担が減っていることも事実なのだろう。

さくさくとレポートを仕上げる。

主観で何度か見たような気がする座敷童を、データ比較する。

主観データでは、やはり何度か映り込んでいるのが分かる。自分では気付けていないタイミングで、不審なデータも入っていた。

だがそれは、あくまで私の主観の世界での事。

客観データでは、ドローンが言っていたように、不審なものは何もない。

頭を掻き回す。

座敷童もそうか。

怪異は心に住まうものという結論を出さざるを得ないか。

それは別にかまわないのだが。

世界中どこにでも類例がいる怪異であり。

古くは普通にどこの家でも信じていたような存在だ。

何かしら、それに起因するようなものが。出来るだけ丁寧に保存されているこういった古民家で、出ても良いのではないかと思うのだが。

管理ロボットが来たので、挨拶をする。

今回の管理ロボットは、腰が曲がったお爺さん型だ。

気が良さそうなお爺さん型だが。

こういった管理ロボットは、性能という点では一切変わらない。

なお、支援ロボットより数段性能は上であるらしい。

まあそれもそうだろうなと思う。

人一人の管理をする支援ロボットと。

こういった家を含めて、その周辺環境も毎日保つようにして動く管理ロボットでは、求められる性能がだいぶ違ってくるからだ。

軽く座敷童について聞くが。

事前に調べてきた以上の事は一切聞けなかった。

まあそれもそうだろう。

今時、因習村なんてものは存在しない。

存在していたら、真っ先に調べに行っている。

22世紀くらいまでは、田舎に行くと変な因習を保存している村もあったらしいが。生け贄とかを伴う儀式はその頃までに撤廃され。

23世紀になった頃には、最後までカースト制度を保持しようとしていたインドでもそれらが撤廃されたことがとどめと成り。

因習の類は、人類の中から消えた。

今では宗教は完全に哲学の一種となっており。

信仰はしてもいいが、他人に布教することは絶対に許されない事ともなっている。

今まで人類の歴史上で、宗教が政治と深く関わり。人間の支配に効率的に使われてきたことや、多数の虐殺を招いてきたことを考えると。

政治をAIが回すようになった今。

そうAIが宗教に対して考え、行動するのも当然だっただろう。

顔合わせなどを済ませてから、後は昼食を取る。まだ少し疲れはあるが、体の方は普通に動く範囲だ。

座敷童の部屋を案内される。

比較的開放的な部屋で、典型的な和室である。

洋間だった前の家とは違っている。

なお、此処に出る座敷童は幼い男の子であるそうだ。

とりあえず、色々試してみるとする。

和室の奥の方にはふすまとかあるし。掛け軸なんかも掛かっていて、雰囲気が抜群である。

こうしてみると、保全されている文化は幸せなのだろうなと思う。

忍者などは、殆ど実態が分かっておらず。具体的にどういう生活をしていたのか、どんな道具を使っていたのかが推測でしか分からない。実在していたのは事実なのだが。彼らの文化は、戦国から江戸に掛けて伝わる事がなく。その結果、一度本当に死んでしまったのだ。

死んだ文化は無惨だ。

実際問題、歴史学者の中には忍者を目の敵にして、否定する事を躍起になってしていた奴もいるという。

基本的に死んだ文化だ。何を言っても良いし。

何より人気者を殴る事で気分が良くなる輩はどうしてもいる。或いは、何かが単に気にくわないだけなのかも知れない。

座敷童はその点、ずっと伝承が残り続けた。居着く家も残り続けた。幸せな存在だとも言える。

例え、今は出てこないとしてもだ。

周囲を見回すが、外に対してかなり開放的なので、庭に茂った樹木なんかが雰囲気をかなり増すのに貢献している。

時には鳥が入り込もうとすることもあるそうだ。

管理ドローンがそういう説明をしてくれるので、なるほどと頷く。

一応空気で防御用のシールドを作って、それで外から虫とか鳥とかが入り込まないようにはしているし。

万が一入り込んでも、管理ドローンが捕まえて追い出すそうだが。

さて、ではしばらく適当に持ち込んだ玩具で遊んでみるとする。

昨日も使ったプラモデルを動かして遊んでみるが、やはり座敷童が出てくる様子は一切ない。

此処には人形とか、此処に遊びに来た客がおいていったものも殆どない。

それもあって、和室の畳の上で、プラモデルは虚しく動いているだけだ。時々鳴き声とかのギミックも動くが。

それも虚しく響くだけである。

管理ドローンは必要がなければ一切喋らない。

そして管理ロボットじたいも、広域ネットワークで接続していて、多分私の事は知っているだろう。

筋金入りの変人と思われていても不思議では無いが。

どう思われようと、知った事では無いのでどうでもいい。

今は変人でも排斥されない社会だ。

だから、それだけで充分である。

しばらくプラモデルを動かしていたが、疲労が取れて自分に隙が無い事も要因の一つだろうか。

怪異は。

座敷童は現れない。

興味を惹きそうなものを動かしているのだが。

何も出てこない。

夕方近くまでフィールドワークをするが、結果として今日は何も成果無し。しかし、客観データでは何かあるかも知れない。

一応データは保存する。

それと、敢えてプラモデルは残しておく。研究のためだ。

今日、此処に泊まる他の人間もいないし、管理ロボットも通達はしてある。研究のために敢えて此処に放置する。

だから、それが本来なら動くことは無い。

夜間に座敷童が興味を示して触って動かしたりしたら、それは私が大喜びして跳び上がるような案件だが。

まあそれはおきて見ないと何とも言えない。

今日はここまで。

後は、少し遅れ気味だったレポートを書き進めて、更に前倒しで作業をしておく事にする。

夕食が来た頃には、それも一段落。

深夜作業をしたときと違い。

心地よい疲れで。

もう体調もほぼ戻っていたこともある。

レトンの作る夕食はちゃんと美味しくて安心した。

レトンも、非常に安心しているようだった。

 

翌日は、座敷童が出る家の周りをフィールドワークする。家を外から覗いてみたりもする。

この辺りはいわゆる里山ではなく、山奥の村だ。畑などもあるにはあるが、試験的に作物が栽培されているだけ。殆どの場合は、作物につく害虫などを調べたり、或いはそれで生態系への関与を調査しているものだ。

どうも農業系の学者が年に何度か来るらしく、管理ロボットが畑ごとに専属でついている。

主要な作物はDNAからして全て解析されている時代だけれども。

それでも、実際にはどう機能しているか分からないDNAが結構あるのが実情なのである。

データはあればあるだけいい。

そのため、様々な。海外の害虫なども含めて、厳重な管理の下で畑に放され。管理ロボットやここを担当している農業学者が調査をしているようだった。

それらの話は、歩きながらレトンに聞かされる。

そういうものなのか。

そう思いながら、いわゆる限界集落になった挙げ句、無人化した村落を見て回る。殆どの家は、朽ちかけた状態で現状維持。

こういう家は、一時期はホームレスが屯したり、ヤクザやら暴力団とか言われていた犯罪組織が土地管理をしていて。見かけよりずっと危ない場所であったそうだが。

今見てみても、特に危険だとは感じない。

まあ、管理が役所に移っているからだろう。しかも役所はAI管理。人間の利権が入り込む余地はない。

経済的な格差が多数の不幸を産んでいた時代とは、今は違う。

自由経済の美名の下に札束で殴り合っていた国や、みんな平等に貧乏で一部の支配階級だけが金持ちな国。

そんな国は全てなくなり。

統合政府がAIで経済を管理している今、人は穏やかだ。

器では無い場所に行くと、人間は簡単に壊れるように。

持つべきではない資産を持っても、人間は簡単に壊れる。

そういうことなのだろう。

この辺りは、記録を見ると。閉鎖的な風習が酷く。とにかく排他的で。最後の一人の住民まで頑迷極まりなかったそうである。

その時代のここに来なくて良かったなあ、と思う。

村を見て回った後。

座敷童の家を、周囲から見て回る。

家の周囲はそれなりに整備されているが、なんというか強突く張りというか。

此処は座敷童を金にしようと考えていたのだろう。

それが何となく透けて見える。

此処をこんな風な家にした奴のパーソナルデータをレトンに聞いてみる。既に故人の場合は、パーソナルデータは自由に閲覧できる事も多い。

ましてや今回は、五百年前の人間のパーソナルデータだ。

閲覧には、何の問題もなかった。

「此処の家の持ち主は金に汚く、座敷童を使って観光地を作ろうと目論んで失敗したようですね」

「ああ、そんな気がするよこれ」

「失敗した後は事業に興味もなくし、東京に移ってそこで貯蓄で自堕落に暮らしている内に呆けてしまい、後は老人ホームで余生を過ごしたそうです。 子孫もおらず、後は放置されていたのを当時の役所がある程度現場保全。 管理ロボットが入るまで、どうにか人間が管理を続けていたようですね」

「ふうん……」

そうなると、比較的人間がいた時代が長かった、というわけだ。

庭から、私が昨日研究した部屋が見える。

比べてみると、ちょっとプラモデルが移動した形跡がある。おおと、喜びの声を上げる私だが。

冷静にレトンが言う。

「原始的な手巻き式のモーターを使っている玩具です。 充填した一部のエネルギーで動いただけでしょう。 客観的なデータでも、それは検証できます」

「分かってるってば。 これはあくまでロマンだよ」

「茶番の間違いですね」

「ふふん、夢がないなあ」

まあいい。

学者としての私は、レトンの正論が正しい事は分かっている。

ただ怪異好きとしての私は、今見たものを喜んでいる。

ただそれだけである。

黙々と周囲を見て回る作業に戻る。一度昼メシを食べた後は、入るのに許可がいる村落外部のギリギリまで行ってみた。

ため池などもあるので、思った以上に危ない場所だ。

なお、こういったため池などでは、自然環境から排除されたアメリカザリガニやウシガエルが試験的に飼われている。

その分監視も厳重で。

管理ドローンが複数ついていて。麦わら帽子を被った笑顔がまぶしい小さい女の子の姿をした管理ロボットも、監視に付いていた。

軽く話をする。

勿論、ガワはガワ。

中身は中身。

この管理ロボット、こんな容姿で120年も稼働しているそうで。このため池の現状の生物を全て知っているそうだ。

見た目と中身が全く一致しない時代だが。

まあそういうものである。

一通り話を聞くが。

やはり怪異などと言うものは、見た事がないらしい。

こんな山奥で、怪異にその気になれば会えそうではあるのだが。まあ、その辺りは非情な現実だ。

礼を言って、ため池の側を離れる。

雨が降り始めた。本降りになるかなと思った矢先に、どっと降り始める。

ドローンが来て、空気のシールドを作って傘になってくれる。そのまま、レトンとともに家に戻る。

風情のある雨と違って、土砂降りだ。

ドローンが来てくれるのが遅れたら、ぐしょ濡れになっていただろう。靴などをレトンがチェック。

昼などはついていなかった。

「丁度時間ですね」

「うん。 そういえばこの辺は名物とかあったの?」

「検索中。 五百年前には……特にありませんね。 特産品がなかったから、座敷童で儲けようと考えたのでしょうし」

「ふうん、なるほど……」

とりあえず、ぐしょ濡れにならなくて良かった。

雨そのものは別に好きでも嫌いでもないが、流石に土砂降りにあいたいとも思わない。風呂に先に入り。

それから、レポートを書く。

レポートを書いている内に、夕食をレトンが持ってくる。

郷土料理だそうだが。

私好みに調整されている筈なのに、あまり美味しいものではなかった。

調べた結果の名物だったのだろうけれど。

私の事を知り尽くしているレトンでも、美味しくは出来なかった、ということだ。それはまあ、これが名物として出てこないわけだなと思った。

全体的に味噌で味を誤魔化しているが、それだけ。

これは何というか。

厳しい気候の土地で生きていくための、保存食であって。

おいしく味わうものではない。

日本人は食文化に世界一五月蠅いという話もあるが。

そんな人間でも改良出来なかったから、廃れていった名物だ。

それが分かったから、それだけでいい。

レトンに、以降はこれはいいやと告げると、レトンも頷く。私の反応を客観的に分析出来るのだ。

もう、分かっていただろうし。

次は出さなかっただろう。

フィールドワークの時の主観や客観のデータも、全て取得済である。レポートに織り込む。

風呂には先に入ったので、今日は寝るまでレポートを書く事にする。

今回は主観と客観の温度差がいつも以上に酷いな、と私は思った。

実際問題、色々これは問題があると思う。

座敷童らしいものを見たとしても、それだけ。

それらしいものを見たかも知れないと言うのは、自分ですら気のせいではないかと思う程曖昧。

感受性が豊かな人間には、今でも見えるタイプの人がいるらしいが。

そういう人は、基本的に主観で見えているものが全て違っている。

21世紀の頃にもこの手の人は健在だったらしいが。

話を聞いてみると、見えるものがみんな微妙に違っている事が分かる。そういう研究結果が残っている。

「迷信」と一言で括るより、その方がよっぽど建設的だ。

主観と客観の差異を調べて、むしろ怪異は心の中にいると判断する方が、よっぽど科学である。

幽霊や怪異なんていないという前提にたって、持論を展開すると。自分が絶対に客観性を失う。

科学者が一番やってはいけない事だ。

だから、私は主観と客観は分けて考えている。

自分が何か見えても。

客観的な分析データはそれに優先するし。

主観的なデータで怪異が見えたとして。客観的なデータで見えなかったのだとしたら。それは怪異は心の中に現れたのであって、現実世界に降臨したわけではない。

ただ、それだけだ。

レポートを淡々と書くのもそれが理由。

レポートを書いている時の私は、レポート書きマシーンである。

そこに主観はいらない。

私の主観と客観的データを比べる。ただそれだけ。

それでいいのだ。

科学者としては。

これでも博士号持ちである。

何だかよく分からない理由で良い大学に入って、博士号を取って。周囲におだてられて、カルトなんかの御用学者になっていたような輩よりも。

今の時代の金が絡まず、好き勝手に研究を出来る時代だからこそ。

学者としてのプライドを持てる。

私は民俗学者であり。

それは必ずしも怪異と戦う訳でもなければ、殺す存在でもない。

私は本音としては怪異に会いたいし。

怪異がいてくれれば嬉しいが。

学者としては怪異をただ淡々と分析するだけである。それが、私の仕事だからだ。

タンと、光学式キーボードを叩く。実際には空を叩いているだけだが、それでも雰囲気である。

適当な所まで進めたところで、寝る事にする。

さて、次だ。

明日は、またちょっと遅くまで調べて見る事にする。寝る前に、レトンとそれについて相談した。

レトンとしても、折衷案を出してくる。

「深夜帯の作業は、三時までとしましょう」

「確かに丑三つ時を過ぎて遅くまで起きていても、怪異が出る時間は過ぎているだろうしね。 それが妥当かも知れない」

「はい。 それに四時は既に人間が活動する時間帯だった時代もあります」

「うん、その通りだ」

レトンが言う通りだ。

特に農家の人間は、そのくらいの時間帯には起きていたケースもあるらしい。

なら、三時までで良いだろう。

前回は五時まで粘って、結果体調を崩した。今回はもう体調は戻っているが、無理はしない方が良いだろう。

研究の時間帯は役所に事前申請している。

だが、その時間帯内で行動する分には、短縮は認められる。

残業については散々文句を言われるし、場合によっては結構重めのペナルティもある。

まあ今の時代は残業をするメリットが一つもないし。

何よりも誰もが個々にあった最適の教育を受けているので、基本的に残業をする人間、私のような研究職や学者くらいしかいない。

合理性で知られるAIが、そもそも残業を無駄どころか有害と判断しているのもあるし。

だいたい向こうでも調査のために様々な準備をしてくれている範囲内で作業を収めるのが、こっちとしてもある意味相手に対しての敬意を払う行動だとも言えた。

「分かった。 それと、先に仮眠を取っとくわ」

「そうなさってください」

「しかしいつも迷惑掛けてごめんな、かあちゃん」

「主のために動くのが私です。 私は主の健康と生活を守るのが仕事です」

まあレトンは、そう望まれて正論を言っている。

レトンの正論は、私を客観に引き戻す。

600年以上前に、深淵を覗くとき、深淵は覗き返してくると言った人がいた。その人も最後は、結局深淵に覗き込まれて戻って来られなくなった。

そういうものだ。

主観の深奥は深淵の一つ。或いは学問や知識も深淵の一つかも知れない。

深淵を覗き込んで、何よりも恐ろしいものに覗き返されないためにも。

レトンという存在は私には絶対に必要だ。そしてそれは、支援ロボットだからこそ出来る事でもあるのだ。

レトンの方から、三時に切り上げる事は役所に申請をしてくれるそうだ。

私はそれを聞いて、安心して寝る。

今回は作業短縮の申請なので、役所としてもつぶしが利くからだろう。

書類とかは必要ない、ということだった。

 

深夜帯の調査を行う。

ちょっとこれは苦手だなと思う。恐怖とかが深夜帯に喚起されて。それで怪異が出るなら大歓迎なのだが。

単純にやはり疲れるのだ。

昔、これを平気でやらせていた経営者の連中は狂っていたか。もしくは本当に人間を代わりが効く道具としか思っていなかったのだと理解出来る。

それは、その世代の人間がごっそり社会からいなくなるわけである。

政治と経営は人間がやるべきではない。

それについては、AIが政治と経営をやっている今、私が思うことだった。

なお、ネットワーク上ではゲームとして経営や政治を行うケースがある。そういう専門のゲームとコミュニティがあるのだ。

そうすると、人間は結局根本的には何も変わっていないことが分かるそうで。

思想のアップデートどころか、単に今の生活もテクノロジーが進歩した結果、という結論が出るそうだ。

幾つかのレポートを読んだことがあるが。

確かに説得力がある話だった。

黙々と座敷童の出現を待つ。

監視用のドローンが見張っている中、周囲を見回してみるが。やっぱり座敷童は出てこない。

まあ、それも覚悟の上だ。

黙々と色々とタスクをこなして行く。

やはり、この深夜帯の作業は、月に何度もやるものではないな。

そう思いながら、私は結局座敷童が出無い事を確認する。

今日は視線とかも感じないし。

何かが動いたようにも思えない。

此処は和室で外にも面しているから、夜は閉じている雨戸などを開ければ、雰囲気は抜群になるのかも知れないが。

しかしながら、それは管理ロボットが禁止している。

メンテナンスの手間が十倍増しになるのが原因であるらしい。

まあ、そうかも知れない。

私は、伸びをすると。

若干行儀悪く胡座を掻いて、頭を掻き回していた。

座敷童、でないなあ。

そう思う。

此処の家の座敷童は、特にあんまり出て来てくれない。というか、今回は負担が減るように入念に準備してきたからか。

それにしても、ちょっとは出て来てくれても良いだろうに。

何かが動いたようにも思えない。

感覚が変に冴えているから、だろうか。

いわゆる深夜テンションだったか。

だが、そんなものには別になっていないし。

私は黙々と、周囲を見て、今日はご機嫌斜めらしいと判断するしかない。そもそも私の主観ではそうなだけであって。

実は客観データでは怪奇現象が起きているのかも知れないが。

その場合は、管理ロボットやドローンが反応するだろうし。

レトンも素直に認めるだろう。

それにあらゆる方面から、客観的なデータをリアルタイムで取得もしている。

結論としては、此処で怪奇現象と呼ばれるようなものは起きていないのである。

そう考えると、私は無駄をしているのだろうか。

丑三つ時になる。

さて、怪異の時間の筈だが。

それも、時代が降ると変わっていった。

そもそもこの時間帯も起きて働いている人間は幾らでも出るようになってきたし。

そうなってくると、体を壊してしまう人間も加速度的に増えた。

二時半は、誰もが眠っている特別な時間ではなくなり。

結果としては、怪異に有利な時間でも。

人間が怖れる時間でもなくなった。

横になってみたりするが。

座敷童の足が視界に入ったりとか、そういうこともない。

足を掴まれたり、頭を踏まれたりとか。そういう事も勿論起きない。

口を尖らせる私。

出て来ても良いだろうに。

そう思ったが、座敷童にも都合があるのだろう。或いは、私は嫌われていて、関わるのもいやという感じか。

可能性はあるだろう。

でもそれなら、追い出しに掛かってくれると嬉しいのだが。

古くから、たくさん人が死んだような場所はなんぼでもある。

だが、怪異に大量殺戮がされたような場所は存在していない。

噂話はいくらでもあるが。

あくまでも噂話の範疇に過ぎないのである。

それは怪異が大好きな私でも認めている。特にネットロアと呼ばれるようなものが怪異の主体になった後はそれが顕著になった。

変死体を科学的に分析出来るようになった頃にはその傾向は既にあったのだが。

二時五十分。

視線を感じたので、振り向いたが。

何もいない。

はあ。おかっぱとか着物とかのいかにもそれっぽい子がこっちを見ていたりしたら、私はひょおっとか声を上げて喜んだだろうに。

或いは足とか不意に掴んでくれたら、怖かったかも知れないのに。

一応、この視線だけか。

嘆息すると、三時を待って切り上げる。

雰囲気のある廊下をレトンと一緒に引き上げるが、特に問題も起きない。

まだ、今は深夜帯だ。

レトンが、寝やすい環境を整えてくれていた。

「すぐにお休みを。 なんでしたら睡眠導入剤を処方します」

「いや、大丈夫。 すぐに眠れそうだし」

「起きるのは十時くらいにしましょう。 食事時間は、三日ほど掛けて調整します」

「うん……」

この家は、手応えがないかも知れない。

だけれども、研究というのはそういうものだ。

いつもいつも、都合が良い研究成果が出るような研究は。研究者が自分に都合が良い研究が出るように環境を整えていたり。

或いは悪い結果を見ないようにしているケースもある。

そういった事もあるので、全てのデータを掲載するのが今のレポートの基本だ。

そこで、主観と客観的事実のより分けを行うのである。

やはり、あっさりすぐに眠れた。

夢は見なかった。

座敷童が夢の中に出て来て。私を罵ったりしたら面白かったのだけれども。

それもなく。

私は、黙々と眠り。

怠い中、十時くらいに起きだしたのだった。

それからは。研究もぱっとしない。

たまに視線は感じたものの、それだけだ。結構雰囲気のある家なのに。

そういえば、この家の主は、客引きをしようと暗視カメラでそれらしい映像を撮って、宣伝までしたらしい。

当時は心霊映像とかいったそうだ。

後になって嘘だとばれて、一気に客はいなくなったそうだが。

まあそういう事をしていれば。

もしも座敷童がいたとしても。愛想を尽かして家を出ていくかも知れない。

そして、最後の三件目の家に移動する。

どの家でも、研究を出来る時間は限られている。

限られた時間で、淡々と研究をやっていくしかない。

三件目の家は、比較的年かさの。

十三前後歳くらいの男の子の座敷童が出るという噂の場所だ。

今までは幼児だったから、かなり雰囲気が違ってくる。戦国や江戸時代で十三といったら、もう成人扱いだ。

さて、どうなるかな。

そう思って、家の中を見て回る。

この家の場合、座敷童は全域に出ると言う事なので。或いは寝ている所を、気にくわないから出て行け、とやってくるかも知れない。

それはそれで楽しい。

さあばっちこいと思ったが。

やっぱり、何処にいても座敷童はでなかった。

この家の場合、二階建てに昭和期に改装をしたらしく。それが原因かも知れないなあと思う。

別に古民家でなくとも、座敷童は出る。

まあ今の時代は昭和から五百年以上経過しているから、当時のままの建物なんて、充分古民家だが。

黙々と、家の中を徘徊する私。

むしろ私の方が、怪異から恐怖に映るかも知れない。

私についてまわっているドローンや。

この家の管理ロボットである、大きな百足型も呆れていた。

当然、この家を百年管理しているロボットも、座敷童と遭遇した事はないそうである。

それでも、たまに視線を感じたり。

足音っぽいのは感じたりするので。

それらについては。逐一記録を残しておく。それが何かの役に立つかも知れないからである。

だけれども、客観的データにおいては特に何も起きていないことが分かるので。

私は毎回がっかりするのだった。

深夜帯もしっかり調査する。

やはり三時までが限界だろうと言う事で、レトンの提案に沿って調査を行う。それっぽい雰囲気の和室もあるのだが。

それも所詮それっぽいだけ。

私はわくわくして座敷童の出現を待つのだが。

結局。座敷童は出無いのだった。

足音らしいのは聞こえるのだが、それはあくまで主観的情報。客観的データには入り込んでいない。

事実、家の中全てをリアルタイムで管理ロボットは監視していて、埃の動き一つまで確認している。

故に、はっきりいってどんなに五感が鋭くとも、これ以上完璧な監視は出来ないと断言できる。

勿論床下などもである。

研究の、最終日が来る。

私は最後まで粘るけれど、ついに時間が来る。レトンが来て、私は大いにがっかりした。

勿論、私を追い出そうと座敷童がじっと見ているとか、そういう事もなく。視線すら感じなかった。

まあ、視線を感じることもあったし。

足音らしいのを聞いたこともあったから。

それでよしとする。

今回はかなり手応えがなかったが、いつも手応えがある研究ばかりでは無いのがこの業界の常だ。

だからそれでいい。

私は、そう自分を納得させるのだった。

 

4、帰路

 

管理ロボットに礼を言って、座敷童が出ると言う家を離れる。後はレンタルのホバーカーを用いて家に帰るだけだ。

荷物は先に郵送してある、

レトンが念の為に運転席に。

私より頭一つ小さいから、ちょっと不安に見えるが。

レトンは性能が私よりあらゆる点で十倍どころではないので、何の問題もないと言える。見かけと中身は今の時代は特に一致しないのだ。

なお気にくわないという理由で、支援ロボットを自分以下のスペックにする人間もいるらしい。

だいたいが14前後くらいの人間がそれをやるそうで。

現在の厨二病とか言われているとか。

勿論そういうのは、拗らせると何歳になってもやる。

とはいっても、健康診断とかをばっちり行う事で、体のチューニングが出来る事はその手の人間ですら認めている。

21世紀から22世紀に掛けて幾つもの業病が流行ったこともある。

支援ロボットによる毎日の健康診断と。

情報共有による疫病対策など。

それらに関する能力は、誰もが認めているのだ。

帰路に、ぽつぽつと話をする。

「かあちゃん。 今回は成果があんまりなかったなあ。 結局の所、昔の人も私みたいに感じてたんだろうかね」

「どうでしょうね。 ただ座敷童が出たような時代の背景を考えると、客観性や科学的知見などというのは無縁でした。 私からは、そうとしか言えません」

「それもそうだね……」

まあ実の所。

学者がそれっぽいことを言うだけで科学的知見となってしまったエセ科学の時代もあったし。

客観性なんて代物は、人間が身につける事はついぞ出来ず。今でこそ、テクノロジーで実現できているが。

それすら反発してきゃあきゃあ喚く輩はいるらしい。

そういうのが目立たないように今はそれぞれの支援ロボットが抑え込んでくれてはいるけれども。

昔だったら、大規模な暴動にでもなってもおかしくはなかっただろう。

ただ、21世紀に人間はその活力……ただし悪い意味での……を失った感触がある。暴れる気力すらもなくなった、という感じか。

だから、その前の時代に書かれたSFなどにあったロボット排斥運動とか。

AIに反対する運動とか。

そういうのは殆ど起きなかった。

そもそもその頃の社会運動は、人権を利益にするような人間の中でももっとも低劣で邪悪な連中である人権屋がバックにいたこともある。

もう少しでも自分を恥じる事が出来たり、自制できたりする人間は。

そんなものには参加しなかった、と言う事なのだろう。

途中で居眠りしたりするが、そもそも車は自動運転で、しかも念の為にレトンもついている。

車そのものがホバーで移動していて、事故は簡単に避けられるし。

車の数が根本的に少ない。

ロボットは多数が行き交っているが、それらは無秩序とは無縁。

この世界では、怪異は生きづらいかも知れないな。そう、私はちょっとだけ思った。

もっと山奥の家だったら、座敷童が出たかも知れない。

そう思ったが。

それだけだ。

伸びをして、家までの時間。ここ一月ほどでの研究成果をざっとみていく。

今までも、座敷童の実物に限らず。

妖怪の実物なんて、見た事もなかったけれども。

今回はなんというか。

特に手応えがなかった。

まだ座敷童は、別の機会に調査をしても良いかも知れない。

音の怪とか塗り壁とかの時は、現象に遭遇する事が出来たのだ。

他にも現象としての怪異には、何度か遭遇した事がある。

そういうときのような手応えがほしい。

次はアプローチを変えるか、

しかし、座敷童という現象は何だ。やっぱりそれは。信仰から産まれたり、願望が形になったものではないのか。

少し考え込んでいる内に、自宅に着く。

ヤモリを少し後から飼うという話になって、そうだったと思い出す。どんな名前にしようか楽しみにしていると。

ネット経由でアクセスがあった。

珍しいな。そう思う。

ネットに友人は何名かいるのだが。それらの全てとも違っている。しかも映像つきのアクセスである。

顔を見て、おっと驚かされる。

あの星形のペイントをほっぺにしている、縦ロールの子だ。

前に何度かみかけたので覚えている。

でも、今の時代は。

余程の事がない限り、アクセスは行えないはずなのだが。

「ええと、どちら様ですか? 一応見覚えはありますが」

「柳野千里様ですね」

「はい。 貴方は?」

「南雲夏鈴といいます」

そうか、随分と可愛い名前だ。ただ縦ロールの攻めた髪型といい、ゴスロリファッションといい。漫画の人物みたいな雰囲気だが。

用事については、向こうから説明してきた。

「貴方のレポートに興味があってアクセスさせていただきました。 たまに顔を合わせていまして、ひょっとしてと思って調べていたら、丁度そうでしたので。 直接会いに行かないという条件で、支援ロボットに許可を貰いました」

「そういえば。 それで貴方のお仕事は?」

「私の仕事は、怪異そのものの発掘と分類です。 専門は12世紀以降19世紀までの怪異ですね」

なるほど、デスクワーカータイプの博士か。

なお、年齢を聞くと驚くべき事に私より少し年上だ。

まあ今の時代だ。人間さえも、見かけと年齢や経歴が一致しない。

「流石にデスクワークでは限界があるので、たまにフィールドワークに出ることもあるのですが。 数回すれ違った事があるので、連絡させていただきました」

「なるほど、そういうことですか」

「それでもしもよろしければ、たまに情報交換をしませんか?」

ぐいぐい来るなあ。

それはそれで面白い。

私としても異論は無い。

資料整理だったら、政府AIが管理している専門の管理ロボットが国会図書館でやっているが。今の時代でもこういうデスクワーク専門の研究者はいる。

私とは、確かに研究分野という点でも、相性は悪くないだろう。

たまに相談し合うくらいだったら良いかも知れない。

それを話すと、相手も同意してくれた。

映像つきの通話を切る。不必要な干渉はいらない。そういうものだ。今の時代は、誰もがそう。

今回はたまたま利害が一致するかも知れないから、支援ロボット立ち会いの下で連絡をしてきた。

それだけである。

私は、伸びをすると。

さて次の研究はと思って、考えを巡らせるのだった。

 

(続)