蛇神と仏

 

序、青天の霹靂

 

流石のヤトも、吉野に戻った途端にそれを聞かされて、驚いた。

九州で大規模な反乱発生。

それも、その反乱にタケルが二人も出向いたというでは無いか。何が起きたのか、全く分からない。

話を聞かせてきたのは、鵯だ。

鵯は、九州時代のつてを、未だに有していると言う。その方向から、流れてきた情報と言うことだった。

「それにしても、クマソは徹底的にヤマトに潰されたのではなかったのか。 どうして反乱などを起こすことが出来た。 それも、タケルが二人も出向くような、大規模な反乱だと……?」

「まだ詳しいことは分かっていませんが、ブツドというものによって、民に味方を増やしたようなのです」

「ブツド?」

「聞いたことがあるぞ。 確か、渡来人の中に流行っている教えだな」

急を聞いて戻ってきた千里が教えてくれる。

話によると、何でもこの国土着の信仰とは違う体系の神を崇めるものなのだという。その神々は仏と呼ばれているとかで、仏の道、仏教とかいうのだとか。

いずれにしても、それにより、多くの民を味方に付け。そして、反乱を起こすに到ったという訳か。

どうも釈然としない。

全ての状況を制御したいとは思わないのだが。

「好都合ではあるが、気に入らんな」

「どういうこと、でしょうか」

「何となくだ」

ただ、これで時間を稼ぐことが出来たのは確実。東北にいるタケル二人は、蝦夷を潰しにはいかないだろう。

反乱の鎮圧にどれだけ時間が掛かるかは分からない。

だが、少なくとも、来年中は蝦夷は安泰と見て良い。最終的に潰してしまう予定の蝦夷だが、もうしばらくはもって貰わないと困るのだ。

何故仏教が気に入らないかは、よく分からないのだが。おそらくは、何となくだが、感じるのだ。

自分とは、根本的に相容れないと。

「時間が稼げたのは事実だ。 お前達、すぐに動け」

配下の者達を、急かす。

まずは、東北への路を、確固たるものとしておかなければならない。それだけではない。ヤマト側の兵力がどれだけそげるか。更には、九州での反乱など、成功するはずもないだろうから、残党の吸収が急務になる。

現在、ヤトの配下は九百に迫っている。これには、中途半端な立ち位置の諏訪は含めていない。それ以外で、配下に収めた村もである。

つまり、純粋に戦力として数えられる者だけで、それだけの数に達した。これは大きな戦果だ。

ここで上手く立ち回れば、一気に千を超え、千五百にまで達せられるかも知れない。そうなれば、目的まではあと少しだ。

問題は、その反乱に失敗した勢力を取り込むことが、何か悪い影響を与えないか、という事だが。

今は、数を増やした方が良い。

ただでさえ、手が足りていない状況なのだ。

少し悩んだが、ヤト自身は九州へはいかないことにした。

その代わり、千里を行かせる。おそらくは、人間を恐怖で従えるだけのヤトよりも、観察することが出来る千里の方が、適任かと思ったからだ。勿論、万全を期するために、千里が鍛えた実働部隊としての部下はあらかたそちらに回した。

千里が出向くのを見送ると、ヤトはそろそろ、鵯に話させようと決めた。今はまだその時ではないが。

今後、全てを円滑に動かすために。

鵯が抱えている秘密は、知っておいた方が良い。そう思った。

 

千里は、なんとなしに悟っていた。

おそらくは、鵯はクマソの巫女ではあったが。さほどの高位ではなかったはずだ。本来は、だが。

そうでなければ、あれだけの教育を受けるはずがない。

更に言えば、時代があわない。

クマソが滅ぼされたのは、それこそ何十年も前だと聞いている。鵯が生まれた頃には、既にクマソという存在自体が、灰燼に帰していたのだ。

何度も足を運んだ山陰を西へひたすら進む。

この辺りには、説得して配下にした賊も多い。その配下を通じて更に喧伝させたので、吉野に住まう大天狗と言えば、震え上がらない者はいなくなっていた。蛇が怖れられる地域では、その正体は大蟒蛇であり、一度に人間を五人喰らうと付け加えている。迷信深い山の村では、そう言うだけで夜刀に逆らう気力を無くしてしまう。

先に進んでいた部下が戻ってくる。

山歩きで鍛えているから、行くのも戻るのも早い。夜刀に仕込まれた生活技術もあるから、山の中で何年でも生きられる。

「頭。 この先で、面白い情報を仕入れやした」

「ほう。 どのようなものだ」

「へえ、それが。 タケルの野郎、九州でかなり苦戦しているらしいって話でして」

あのタケルが。苦戦している。

僥倖とは喜べない。それに、本当とはとても思えない。渡来人の配下に聞いているが、タケルとその軍勢は、大陸でも通用する練度と技術を身につけているという。それを、寄せ集めの賊が、苦戦させているというのか。

いろいろな可能性が考えられるが、今は小耳に挟んでおく。

数日掛けて、更に西へ行く。

そうする内に、具体的な情報が、入り始めていた。

どうやら、負傷した兵がかなりの数、東や、この近辺に駐屯地に向かっているというのだ。

九州から戻された兵だろう。

問題は、どこの部隊に所属していたか、だが。話を聞いていく内に、少しずつわかりはじめてきた。

それはタケルの配下ではない。

どうやら、九州に元からいた、駐屯部隊の兵士達であるらしい。

タケルとその配下が、およそ一万の兵を連れて先発しているという事は、既に確定情報として掴んでいる。

しかし、九州全域で言うと、相応の数の守備兵がいるはずだ。

特に肥前と周辺の小島には、かなりの兵力が、大陸の侵攻に備えて配備されているはずで、あわせれば一万以上にはなるはず。

中途半端な賊など、それこそ数日で圧殺されてしまうはず。

そう冷静に分析できるのだが。これは一体、どういうことなのだろうか。仏教とやらには、それだけの力があるのか。

配下に行商人の格好をさせて、近くの駐屯地に行かせる。実際商品も持たせたから、疑われることはないだろう。

すぐに配下の者達は戻ってきた。薬草を持たせたのだが、全て売り切れたという。

「結果を聞かせてくれるか」

「へい。 それがですね。 敵の反乱軍と戦った連中は、みんな怯えきっているそうでして……」

「怯えきっている?」

「それが、敵が全く死を怖れないで、突っ込んでくるんだとか」

武器も劣悪、訓練も惰弱。

それなのに、大きな被害を出している理由。それは、賊が、まるで死を怖れていないという事か。

鮮烈に、夜刀の顔を思い出す。

何となく理解できた。普通の理屈と違う相手には、恐怖を覚えるものだ。夜刀などは、恐怖そのものの存在として、千里の心をわしづかみにしている。あれに逆らうことは、想像も出来ない。その一瞬後に殺されるのが明確に脳裏を支配するほどだ。軽口を叩くのが精一杯である。

「幾つかの駐屯地は、一時的に敵に制圧までされたらしいです。 もっとも、タケルの本隊が来て、敵を蹴散らして廻っているとか」

「そう、だな」

クマソが滅びてから、数十年にもなる。戦から離れていた兵士達では、そのように常識離れした相手をするのは難しいだろう。

しかし、タケルが鍛えた兵士達は、東北で実戦を積んだ精鋭を中心とした、戦闘の専門家だ。

とてもではないが、精神的な強さだけで、対抗できる相手では無い。

更に数日掛けて、周防に到着。

行商に化けて船に乗り、九州へ渡った。

九州と言えば、大陸からの文化が最も早く伝わった地域と言う事もあり、文明度は案外に高い。

村も大きく、人口もかなり多いようだった。

本州にはない珍しい物資も多数売られている。見て廻るが、どれもこれも中々に悪くない。

だが、今はやはり、周辺全域が沈黙している。

やはり、反乱の影響が大きいという事なのだろう。

部下達を散らせて、情報収集に当たらせる。街や村を歩いているときに何度か見かけたが、明らかにカタギではない輩も、時々すれ違った。

おそらくは、影の者だ。

数日掛けて、情報を集める。そうしながら、自身は南下。クマソの者達について、どうにか調べたいと思ったからだ。

かってクマソは、九州にかなり広く勢力を持っていたと、調べていく過程で分かってきた。

人間の数も、朝廷ほどではないにしても、かなり多かったという。

元から農耕民として、かなり洗練された者達だったのだろう。クマソが残したという田畑が、今でも使われている。水路などは、そのままそっくり民が今でも活用しているほどだ。

朝廷との激突は、無理も無い事だったのだろう。

噂に聞く、タケルの武勲も。クマソの強大な戦力が相手では、仕方が無かった面もあるのかも知れない。

だが、調べていく内に。

どうもきな臭いことが、わかりはじめていた。

当時を知る老人を部下達が見つけたので、話を聞いてみる。そうすると、クマソに対して、好意的な言葉が戻ってこないのだ。

老人に、村はずれの小さな家に案内された。家族の者を外に出すと、老人はいろりを囲むように千里と座り、話し始めた。

「あれは、滅んで当然の一族でしただ」

老人は、落ちくぼんだ目で、向かいに座った千里にぶちまける。特に、朝廷に滅ぼされる寸前の何代かの王は、好色、強欲で、とてもでは無いが王の器とはいえなかったのだとか。

自分の姉も、召し上げられたと、不機嫌そうに老人は言った。

「あの時代、村にいた美しい娘は、みんな顔を隠したり、顔に泥を塗ったりして歩いていただ。 そうしねえと、引っさらわれて、クマソに献上されちまったからな」

「そのような事が、行われていたのか」

「ああ、だから滅んだ。 はっきりいうが、儂らみたいな当時を知る人間からすれば、朝廷万々歳よ。 確かに、何処かも分からん所での戦いに、若い者が引っ張り出されたりもするけどな。 税は安いし安全だし、いろんな所から、いろんなものが入ってくる。 朝廷の時代になってから、世の中にはこんなうめえもんがあるのかと、驚いたくらいでな」

「……そう、だったのか」

そうなると、この反乱は、どういうことなのだろう。

意見を聞いてみると、老人は少し考えた後に、棒でいろりの灰を掻き回した。

「確かに、クマソの残党ってのはいる。 クマソの本拠地近くの村とかにはな」

「直轄地だけは、甘い汁を吸えていた、という事か」

「そうじゃねえ。 何というかなあ、クマソは巫女をたくさん使って、情報を握っていたんだよ」

どういう意味なのだろうか。

気になって、身を乗り出す。部下達に、外をしっかり見張るように言うと、話の続きを促す。

鵯が、クマソのことを聞くと、いつも憂いを見せることが気になっていたのだ。

鵯自身に気があることは否定出来ない。だから、という面もあるだろう。

「詳しく聞かせてくれるか」

「クマソの巫女はな、各地に足を運んでは、祭をしたんだがなあ」

その後、有力者と祭の一環として、数日、或いは一月も、家に籠もることがあったという。

それは、あまり人前で口に出来るような内容では無かったらしいと、老人は言う。その証拠に、有力者達は、クマソの巫女が来ると、いつもとても嬉しそうにしていた、のだとか。

妙に詳しいことが気になるが、話を進めさせる。

何となく、鵯がクマソを嫌っている理由が、わかりはじめてきた。

「誰でも寝所では口が軽くなるという奴でな。 クマソの巫女は、体を使って、情報を集めていた、という奴だったのよ」

「……なるほど」

その時に、弱みを多数握っていたのなら。

山中などに、クマソの残党が潜めたのも頷ける。元々の地力が、という話ではなかったのだろう。

クマソは情報を重要視し、それを握ることによって、力を得ていた。

そしてそれは。

滅んだ後も、健在だった、という事か。

クマソの残党は、それら情報を握る巫女達を使い、滅びた後も此処九州で、虎視眈々と復活の機会を狙っていたのだろう。

其処へ、民を先導するのに最適な、仏教が入ってきた。

クマソの信仰と異なることなど関係無い。仏教で不満分子をまとめあげて、そしてけしかけた。

しかし、それでもタケルが相手では、及ばないのは分かっている筈だ。

老人に礼を言うと、家の外に出る。

何となく理解できた。あの老人は、おそらくかってクマソに反感を持っていた、地元の有力者だったのだろう。

それにしても、これでは鵯がクマソを憎むはずだ。何かしらの理由で旧クマソの情報網から、逃れたのだろう。だからこそ、過去に復讐したいと言うはずだ。これでは、過去などは、思い出したくも無いものになってしまう。

腹立たしいと、千里は思った。

ここ九州は、魔窟になりつつある。

部下達が戻ってきた。タケルの討伐軍は、各地を転戦しながら、反乱勢力を叩き潰して廻っているという。

だが、あちらを叩けばこちらが顔を出す。

苦戦している、といえば苦戦しているのかも知れない。いずれにしても、今年いっぱいは鎮圧に掛かるという前評判は、本当のようだった。それだけではない。反乱鎮圧後も、九州に残る爪痕は、けっして小さくないだろう。

とりあえず、反乱勢力にも、接しなければならない。

上手く行けば、味方に取り込める。取り込めれば、九州から畿内まで、一気に路をつなぐことが可能だ。

そうなれば、このアキツで、あの夜刀の勢力が、影にて最大になる。

それで千里も、甘い汁を吸える。吸えるのだが。

何故、気が進まないのだろう。

あの夜刀に全てを差し出すというのは、或いは大蟒蛇に餌として、このアキツそのものを差し出すようなもの、だからだろうか。

部下達は、情報をどんどん集めてくる。

転戦しているタケルの軍勢が、近くを通りかかると聞いたので、茂みに伏せて、その様子も見た。

兵力は二千ほどだろうか。タケル自身の姿も見た。威風堂々たる様子で、正に軍神と形容するに相応しい。夜刀の奴は、あんな男と戦っていたのか。戦慄が走る。あれは指揮官としてだけではなく、武人としても超一級の男だ。

統率している軍勢も、凄まじい鋭気に満ちている。行軍に乱れはないし、戦いに対する悩みも感じない。

戦意は充分に滾っていて、戦に倦んでいる様子は無い。

これから、また反乱軍を潰しに行くのだという。

あの戦力では、たいした装備もない反乱軍など、ひとたまりもないだろう。圧倒的な兵力と訓練、それに装備と指揮官の力量差。

何もかもが、戦いにもならないと、告げている。

戦いが終わった地域を見にも行く。

俺は一体、何をしているのだろう。九州の各地を這い回りながら、千里は思った。この九州までをも、あの夜刀の魔手に掛けようとしているのか。いっそのこと、失敗したと言ってしまった方が、良いのではないのか。

背筋に寒気がした。

見られているような気がした。あの夜刀が、千里が造反して、許すはずもない。

それこそ大陸まで逃げても、追ってくるだろう。そして地獄の底まででも、殺しに来るはずだ。

頭を振って、想像を追い払う。

とにかく、今は。反乱軍と接触し、取り込めるだけ人間を取り込まなければならない。影の者達にも、注意して行動しなければならないだろう。

山深い村に足を運んだときには。

九州に来てから、既に一月が経っていた。

部下達は、何度も一時報告のために、戻してある。反乱軍から離脱した数人、十数人単位の者達も、何度か配下として、夜刀の元へ送った。この辺りで、そろそろ確固たる成果を上げなければならない。

少し前に撃破された反乱軍が、此処に逃げ込んだと、噂を聞いたのだ。もっとも弱体化が著しく、他の反乱軍の方が勢力が大きいので、タケルは放置しているという。それならば、なおさら現状を聞くのに、丁度良い。

数人の配下と共に、訪れたその村は寂れていて、とても小さかった。

ふと村に入るときに気になったのは、彼方此方に飾られている不思議な人型だ。なんとなくに、理解する。

あれが仏だろう。

渡来人に聞いたが、本来仏教と、このアキツで祀られる神は、相容れない存在だという。

夜刀などとは、絶対に妥協点が見つからないだろう。本当に戦力として、取り入れることが出来るのだろうか。

不安を胸に、部下に案内されて、反乱軍を指揮していたという男の元に。

村の者達は皆、虚ろな目で此方を見るばかりだった。閉鎖的な環境で、誰も信用できないという面持ちである。

そんな中。

頭の毛を全て剃り、胡座のような座り方で、なにやら呪文のようなものを唱えている男の背中が見えた。

あれが、僧か。

呪文のようなものが終わるのを待つ。

男が、ゆっくり振り返った。

極めて目つきが鋭く、それでいて禁欲的な男だ。どちらかと言えば女も金も好きな千里とは、対照的な人種である。

「そなた達は」

「畿内の大天狗の配下と言えば、分かるか」

「噂には聞いている。 人倫を害する天魔外道が、おぞましくもアキツ中枢である畿内に潜んでいると。 そのような邪悪魔道の手先が、一体愚僧に何の用かな」

色めき立つ部下達を、片手で制する。

本当に此奴が、反乱を指揮していたのか。とてもではないが、武人だとは思えない。

「この反乱を指揮していたのは、お前なのか」

「否。 愚僧は仏の道による救済を説いていただけである。 だが、それをクマソなる者どもに邪魔され、そればかりか利用された。 仏の道はいつの間にか、クマソの利権にすり替えられ、仏道に寄与した民は死地へ追いやられてしまった」

無念よと、男はやはり呪文のようなものを唱えた。

見ると、辺りには木くずのようなものが多数散らばっている。あの人型を、この男が彫っていたらしい。

「渡来人か、お前」

「斉聖と申す」

「俺の主である、お前が言う天魔外道は、お前の思想には関与しないと口にしている」

これは、本当だ。

此方に出る前に、少し打ち合わせをした。仏教自体には関与しないと、夜刀は言っていた。というよりも、あの化け物には、思想などそれこそどうでも良いのだろう。人間そのものがどうでもいいのだろうし、頷ける話だ。

「このままだと、仏教は広まる前に潰されるぞ。 俺の主と手を組めば、山々を通じて移動し、そして思想を広めることも出来るのではないのか」

「そのような邪悪の誘惑には屈せぬ」

「あー、考えは立派だがな。 タケルがここに来ないのは、他を潰すのが忙しいから、だけだぞ。 そのままだと、此処に押し寄せてくるのは時間の問題。 逃げないと、無駄死にすることになる。 それでもいいのかよ」

「上人」

不意に、横から声が来た。

同じように、頭を丸刈りにしている男が姿を見せる。顔には凄い向かい傷があり、体つきもがっしりしていた。

恐らくは、此奴の部下。

この若造の方は、元兵士か、或いは武人だろう。見た瞬間に、戦闘経験者の肉体だと、理解できた。

「弟子の佐安にございます」

「上人、私はこの話、受けようと思います」

「何を言う。 冥府魔道に自ら落ちるつもりか」

斉聖は喝と、鋭い声を発した。

だが、弟子の方も譲らない。

「このままでは、仏の道は途絶えまする。 此処九州で民を救う事は出来ませんでしたが、仏の教えさえ広まれば、いずれは機会も巡りましょう。 この者達は、利用するだけで構わないと言っております。 それならば、互いに利用できる場所だけを利用していけば良いではありませんか」

「それが魔道への誘いであると、どうして理解できぬか」

「私は決して、魔道には染まりませぬ。 例え六天より魔羅が襲い来ようとも、仏道を歪めないと誓いを立てまする」

「悟りは遠い。 そのような過信こそが、堕落を招くと、何故に分からぬ」

千里は、二人が議論を始めたので、席を外す。

部下達は、周囲をその間に、見て廻っていた。

この村は、見たところ娯楽もなく、人の出入りも殆ど無い、文字通りの僻地だ。だが、どの家にも、仏をかたどっただろう人型がぶら下げられている。何も楽しみも無く、未来も希望も無い。

そんなところに、光を与えたのが。

恐らくは、仏教だったのだろう。

故に、民は仏教に耽溺した。全てを救ってくれるという思想が、それを後押ししたに違いない。

部下の一人が、見ていて怖いと言う。

「村の連中、何だか目が尋常じゃありやせん。 もしも坊主に何かするようなら、俺たち多分、生きて出られないですぜ」

「分かっている」

だが、これは好機だ。

おそらくこの仏教なる代物、民の間に爆発的に広まるはずだ。九州の外に、是非持ち出すべき思想だろう。

朝廷の対応次第では、アキツ全域で反乱が発生する。

夜刀のことは、正直千里だって好きでは無い。あんな化け物、好きになれる筈がない。だが、朝廷に対して復讐したいのも事実なのだ。この仏教というものを用いれば、或いは。

弟子が来た。

旅支度をしている。

「師に破門されました。 これより、貴方たちに同道したいと思います」

「その荷物は」

「選別にと、師より。 大陸から持ち込まれた竹簡にございます。 魔道に落ちそうになった時は、これを見て、仏の道を思い出せと」

「良くは分からんが……」

この男の信念は、尊敬できる。

千里は部下達を集めると、指示を出した。

「俺はこれから、この男を連れて、一度畿内に戻る。 お前達は九州全土を廻り、とにかく使えそうな奴には声を掛けて、此方に送れ。 できる限り早く、俺も此方には戻ってくる」

「は。 分かりました」

部下達が、さっと辺りに散る。

千里は仏僧を促すと、寂れたこの村を出ることとした。勿論、千里自身も、仏の路とやらに興味は無い。

だが、この男の覚悟は尊敬できる。誇りには感動した。

だから、命を賭けて、畿内までは送り届ける。

千里は賊だ。かっては賊として好き勝手をし、今では夜刀の暴虐に屈して、復讐という目的だけをかろうじて追うだけの、ボウフラのような人生を送っている。

だからこそ、誇りを持つ者には光を見る。

なにやら、佐安とやらが、呪文のようなものを唱えている。恐らくは師に向けてのものだろうと思ったので。千里はそれを止めず、終わった後に言った。

「行くぞ。 本物の大天狗がこの先にはいる。 危険な相手だし、気を抜くと危ないからな。 気を強く持つんだ」

「御仏の加護が、貴方にもありますよう」

「……」

この分だと、九州を出て、畿内に戻るのは秋だろう。

どうも夜刀が言うように、アキツは混沌へ進み始めているように、千里には思えていた。

 

1、九州炎上

 

九州。

本拠地にしたのは、肥前にある砦だ。周辺に大きな反乱勢力が幾つもあり、戦うには此処が一番適していた。周辺には駐屯のための小さな砦を四つ急いで作らせ、自分は元からあった舎に入っている。

タケルの元には、ひっきりなしに情報を持った兵士が来ていた。

既に十カ所以上の反乱軍を潰したが、まだまだ健在は勢力はいくらでもある。大きなものから優先して潰して行っているのだが、それでも手がとても足りていない。駐屯軍を指揮下に入れて、兵力はおよそ二万。

反乱軍はこの大兵力でも、潰しきれなかった。

九州を統治していた文官達を集めて、反乱発生の状況を聞いている内は、分からない事が多かったのだが。

しかし、降伏した反乱軍の参加者や、それに地元の駐屯軍兵士から話を聞いている内に、幾つか分かってきたことがあった。

クマソの者達よりも、もっと根深い問題が、其処にはあったのだ。

タケルは、配下に命じて、報告があった文官達を集めさせる。

いずれもが豊富に金を蓄え、威勢を恣にしていた連中だ。そして、此奴らが、ある事に関わっていたことを、タケルは既に掴んでいた。

何より、大きな動かぬ証拠があった。

「タケル将軍、何事にございましょう」

「まずはそなたらに、これを戻しておこう」

そういって、積み上げさせたのは。

この連中が、タケルが来るなり差し出してきた、賄賂である。大陸から来た珍物に留まらず、中には美しい娘や、珍しい動物までもがいた。

受け取ったわけではない。

九州に来たとき、情報収集をしている内に、部下達が持ってきたのだ。賄賂を差し出してきたと。

全てそのままにさせておいた。

他の将軍の兵士だったら、こうはいかなかっただろう。絶対に中抜きをした奴がいたはずだ。

だが、タケルの配下達は、心身ともに鍛え抜かれている。賄賂を中抜きするような不心得者はいない。

「既に報告は受けておる。 そなた達、民にクマソの残党なる嫌疑を掛け、財産を没収し、奴隷にし、大陸へ売り払うようなことまでしていたな」

「な、何を証拠に……」

「斬れ」

問答無用。

余裕を見せていた文官達が、襲いかかった兵士達によって、見る間に首を刎ねられた。このような連中と問答している暇は無い。

大量の鮮血が辺りにぶちまけられ、首が転がっている。鉄錆の臭いが、此処が戦場である事を示していた。

味方の中の悪逆を、まず滅ぼす必要があったのだ。

片付けが終わると、首を晒すように指示。

武王にも、報告書を出す。使者にそれを持たせると、すぐに都へと向かわせた。

すぐ後ろで見ていたのは弘子。少し前に、南のタケルに正式に就任した。現在では、北のタケルである自分の補佐をしている。

穏やかそうな容姿の娘だが、戦場に生きてきた者だ。武芸については残念ながら鈍くさすぎて話にもならないが、血を見て吐くようなことはない。今も、これだけの凄惨な光景を目の当たりにして、平然としている。

戦闘指揮も悪くない。とにかく粘り強い戦いを得意としていて、根気強く反乱軍をしらみつぶしにする手腕に関しては、一種偏執的なまでに技量が高かった。

南のタケルとしては、申し分ない逸材である。

女性の将軍は、彼女が初めてという訳では無い。王族の出身者であれば前例が何回もあるし、事実有能な人物もいる。

受け入れは、さほど問題なく済んでいた。

目を細めて死体の山を見つめながら、南のタケルは言う。

「それにしても、これほどの腐敗が進行していたなんて。 仏教よりも、むしろこの腐敗の方が問題であったようですね」

「うむ。 此処からは、戦略を変えていく必要があるだろう」

最初は、とにかく反乱軍は叩き潰す方針で兵を進めていた。

大規模な反乱勢力は、事実そうやって根こそぎにした。既に千人以上を有していた反乱勢力は、もはや存在していない。

だが、彼方此方に、無数に小規模な反乱勢力が残っている。

放っておくと山賊になるだろう。

タケルが来ているという噂は、既に彼らの中にも浸透しているらしい。実際、軍を進めると、逃げてしまう賊は多い。

ただ、このままでは、いけない。

埒があかないからだ。

「仏教を認める他ないかも知れぬな」

タケルは、ぼそりと呟いていた。

先進的な思想であると言う仏教は、大陸から入ってきた新しいものだ。大陸から来たものが素晴らしいとは一概には言えない。実際、仏教についてタケルなりに調べて見たが、どこが素晴らしいのかは、よく分からなかった。確かにまんべんなく皆を救うという思想は良いのだが。それをいうなら、生け贄を求めるような神でもなければ、心のよりどころになる存在はみな同じだ。

問題なのは、思想である以上、人間が必ず我欲にて利用すること。

今回の件は、朝廷の無能な文官達にも原因があった。かってクマソの支配地域だったということを理由に、搾取と暴虐を繰り返し、民の信頼を根こそぎに奪った。命の危険さえ感じた民は、仏教というよりどころを元に、団結して反乱するしかなくなったのだ。クマソの残党がそれを後押ししたかも知れない。

しかし、主要な原因は、やはり此方にあったのだ。

原因は、取り除いた。

だが、一度火がついてしまったものについては、どうしようもない。

「賊に降伏を促せ。 仏教については、思想を捨てれば命を奪うことはしない。 今後は、仏教を認めるように、オオキミにも働きかけると」

「分かりました」

兵士達、それに影の者達に指示。

独断にも思えるが、此処は仕方が無い。朝廷が進めようとしている太陽神信仰の邪魔になるかも知れない仏教だが。

案外、此方のが、民に浸透させるには適切かも知れない。

いずれにしても、まずは燎原の火を消すことからはじめなければならなかった。

昼過ぎから出陣。近くでまだ勢力を保っていた反乱軍を、草でも薙ぎ払うようにして、撃破した。

捕らえた反乱勢力は、必ずしも皆殺しにはしない。

凶賊と化していた連中は、即座に斬首する。だが、何が何だか分からない内に反乱に荷担していたような者は、事情を聴取してから許すこととした。ただし武装は取り上げるし、しばらく監視下に置くが。

南のタケルは別働隊二千を率いて、各地で機動戦を行う。

アマツミカボシがやっていた、騎馬を多くした部隊編成を真似たものだ。精鋭の騎馬隊で敵の中核を潰し、歩兵で残りを蹂躙する。装備もたいした事がない反乱軍であれば、これだけでほぼ完封することが可能だった。

各地の反乱軍が、少しずつ数を減らしていく。

だが、あくまで少しずつだ。駐屯軍の中には、敵に包囲されたまま、苦境に立っている部隊が幾つもある。

休んでいる余裕は無い。

九州北部の賊をあらかた片付けるのに、一月。

後は駐屯軍に任せても大丈夫と判断したタケルは、本隊を率いて南下。南のタケルと合流し、雑多に集まっていた反乱軍を四回にわたって撃破。戦いがない日は、殆ど無いほどだった。

大隅まで南下したタケルは、駐屯軍の砦に入る。

一ヶ月近い包囲に耐え抜いたのは、ごま塩のような髭を蓄えた、中肉の男だった。たくましさはないが、これだけの包囲戦を耐え抜いたことは称賛に値する。

ヒルと名乗ったその将軍に話を聞いている内に、南のタケルが戻ってきた。

「北のタケル将軍。 かなり手強い敵がいます」

「敗れたのか」

「いいえ。 無為に攻撃すれば損害が増えるだけですので、一旦兵を引きました」

案内されて、外に出る。

丁度制圧した賊がいた辺りの、裏手。

山が連なっている辺りに、旗が無数に閃いている。かなりの数の賊が、山に潜んでいるようだ。

「偵察を出しましたが、相当数の賊が籠もっています。 今まで叩き潰した敵の残党も、加わって、いるようです」

途中、噛みかけて南のタケルはあわあわと表情をめまぐるしく動かした。

こういう所は、基本おっとりしているのだなと感じさせる。まだまだ未熟な所が、こうして表に出てくる。

だが年齢が年齢だ。これくらいは、仕方が無いだろう。

砦の司令官に聞いてみる。

「ああ、あの山には、クマソの残党の一人である、赤熊なる男がいるようです」

「手強いのか」

「いえ、それほどでは。 強欲で部下達からも評判が悪い男でしてなあ。 ただ、配下に仏僧を何名か抱えているようでして」

なるほど、それでか。

大隅の辺りは、まだ反乱軍が多数存在している。この辺りで、大規模な反乱軍を潰しておくのは、決して悪いことではないだろう。

むしろ仏僧がいるのであれば、好都合かも知れない。

影の者達を呼ばせる。

九州には、現在百名ほどの影の者達が来ている。いずれもが、ツクヨミが手塩に掛けて育てた精鋭だ。

その内二十名ほどを集めると、彼らにタケルは指示した。

「あの山にいる反乱軍から、仏僧を浚って来る事は可能か」

「調査をして見ないことには、なんとも。 しばらく時間をいただきとうございます」

「うむ。 では、すぐに調査を開始せよ」

「ただちに」

影の者達は、すぐに姿を消す。

腕組みをして控えていた南のタケルに、振り返った。

「貴殿は、これから機動戦だ。 あの山の周囲にいる賊を、根こそぎにして欲しい」

「えっ!? それだと、あの山の賊が、どんどんふくれあがりませんか?」

「それでかまわない」

まず第一に、ふくれあがったところで叩き潰せば、一網打尽に出来る。

数が多くなっているとは言え、精々二千程度だ。この戦力ならば、真正面から叩き潰すことが出来る。更に言えば、ふくれあがっても、倍以上にはならないだろう。

もう一つの理由は、反乱軍を指揮しているのが、その器にないもの、という事だ。

今は此方に対する恐怖から、まとまっているに過ぎない。更には、心のよりどころである仏僧がいる、という事情もあるだろう。

つまり、一気に片付ける条件は整っている、という事だ。

「なるほど、分かりました。 先の先まで、読んでの行動なのですね」

「この程度は誰にでも出来る。 経験を積めばな。 貴殿は若いし、軍事に触れた年齢も早い。 いずれ、私をも越える、タケルの中のタケルとなるだろう」

少し困ったような笑みを浮かべると、南のタケルは、兵を率いて出て行った。

さて、後は敵の主力を牽制しながら、時を待つだけだ。

 

一週間ほどが過ぎた。

布陣している北のタケルの軍は、敵が全く動かないので、する事がない。そうこうするうちにも、南のタケルの部隊は、敵の支軍を一方的に粉砕し続けて、大隅をほぼ掃除してしまった。

北九州は状況が安定しはじめている。南九州は、まだしばらくは落ち着くまで時間が掛かるだろう。

とにかく、仏僧を無碍に扱わないように、気をつけなければ危険だ。今は多くの反乱勢力を叩き潰して、静かになりつつあるが。もしも此処で反乱が再燃すると、一から全てがやりなおしとなってしまう。

今までの労力を考えると、それは避けたい。

大隅を潰せば、後は日向と薩摩辺りに、少しいる反乱勢力を潰して廻れば終わりだが。どうも嫌な予感がし始めた。

影の者達が戻ってくる。

芳しい報告ではなかった。

「中間報告をせよ」

「は。 それが……どうやら反乱軍にいた仏僧三名が、殺されたようにございます」

「何……!?」

それは、どういうことか。

反乱軍の中でも、仏僧達は生命線だったはずだ。おそらく赤熊という男も、自身に力量が不足していることくらいは理解していたはず。自ら首を絞めるような事は、しないはずなのだが。

何かあったのかも知れない。

「状況は分からぬか」

「はい。 それが、全く分かりません。 調査のために潜り込んで、近づく術を探っていたのですが。 数日前から、妙なことが起こり始めまして」

「妙なこと、だと」

「はい。 反乱軍の兵士が、数人ずつ、殺されていったのです」

犯人は全く分からず、とにかく凄惨な死体が、気がつくと出ているという有様だったという。

場合によっては数人がまとめて、切り刻まれていた。どの部品が、誰のものかも、分からない有様だったという。

反乱軍は混乱に陥った。

山の神が怒ったのだと、誰かが言い出したという。仏教などと言う異境の思想を持ち込んだからだと。

「それで、暴徒化した者達が、仏僧を襲ったのか」

「いえ、それが……」

どうもおかしいのは、其処からだというのだ。

仏僧達に危険が迫ったと判断した赤熊は、自身も含めた信頼出来る戦力を集めて、仏僧を守ったという。

やはり、何が生命線かは、理解していた、という事なのだろう。

だが、それにも関わらず、昨日事件が起きたという。

それだけではない。

どうも赤熊までも、混乱の中で命を落としたらしいと言うのだ。

「とにかく、反乱軍は大混乱に陥っています。 攻撃するのであれば、今かと」

「……分かった。 即座に敵をたたき、その後状況を究明しよう」

軍の出動を、北のタケルは命じた。南のタケルにも、指示を出して、敵の退路を塞ぐように命じる。

もっとも、見える範囲では塞がない。

あくまで退路に伏兵するのだ。

銅鑼を叩き鳴らし、兵士達を鼓舞する。山に攻め上がるのは多少不利だが、敵は絶賛大混乱中だ。

山へ攻め上りはじめる。

流石に敵は地形を知り尽くしているし、最初の第一波は撃退される。だが、北のタケルが前衛に出ると、兵士達は俄然奮い立った。

それでも、何度か押し返される。

タケル自身は仁王立ちのまま、時々飛んでくる矢を払い、その場を動かない。兵士達は、それを見て、死にものぐるいとなった。

岩が転げ落ちてくる。

必死の矢が飛び交う。

ついに、敵の一角を、味方が喰い破る。元々敵の主力が無事でも、攻め落とすことは可能だと判断されていたのだ。

一度同じ高さにまで上がってしまえば、もはや兵の質がものをいう。

部下達が薙ぎ払うようにして敵を排除しはじめるのを、タケルは後は見守っているだけで良かった。

戦いは早朝に始まったが。夕方には終わった。

反乱軍の主要な幹部は全て捕縛。途中からは、降伏するのなら命は取らないと呼びかけて、かなりの敵兵を捕らえることに成功した。

逃げようとした者達も、南のタケルが兵を伏せていたため、大半が逃げられなかった。

しかしながら、狂信的に抵抗した者達もいた。

主に仏僧達に心酔していた連中だ。

彼らは、タケルが仏僧達を殺したのだと、本気で信じていたらしい。抵抗は凄まじく、狂信者に相応しい怪力を発揮して暴れ狂ったので、手を焼いた。

いずれにしても、夕刻には決着がついた。

山は死体で埋め尽くされていた。おそらく千以上の反乱軍兵士が死んだだろう。味方の被害も、百を少し超えた。

主に、攻め上がるときに、岩を浴びたり、矢を受けたりした事で、受けた被害だった。

同じ高さにまで兵士達が達してからは、完全に一方的な殺戮になった。それからは戦と言うよりも、虐殺が近かったかも知れない。

とにかく戦いは終わった。

後は薩摩と日向辺りに少しいる反乱軍を潰せば。そう思っていたタケルの元に、凶報が届く。

慌てきった兵士が、書状を差し出してくる。

「肥前にて、大規模な反乱が再度勃発しました! 五百人以上の勢力の模様!」

「何が起きた!」

「それが、仏僧が虐殺されたという噂が流れたらしく! おとなしくしていた者達が、再び反乱を起こした模様です!」

最悪だ。

北のタケルは悟る。

反乱が泥沼化した事を。

 

再び兵を北九州に戻した。最初に拠点とした砦に、戻らなければならなかった。

これほどの無念は久しぶりだ。

とにかく補給路を確保することからはじめなければならない。九州はこのままでは、無人の廃墟になる。何故に、このようなことが起きてしまったのか。無言のまま、指揮を続ける。

とにかく、一からやり直しだ。

幸いにも初期消火が早かったから、前回ほどの酷い状態にはならなかった。

しかし、彼方此方の反乱勢力の中には、徹底抗戦を呼びかけているもの、宣言しているものがある。

降伏の呼びかけには、応じない。

仏僧が死んだのは事実なのだ。

彼らにとって、仏僧が心のよりどころになっていたのは、間違いない所だったのだろう。

既にクマソの残党などと、口にする者はいなくなっていた。

これは完全に、仏教が、弾圧に対して立ち上がったという形の反乱になってしまっていた。

影の者達が来る。

その中に、見覚えがある顔があった。青鬼と呼ばれている手練れだ。長身の男で、すらりとした痩躯が遠くからでも目立つ。

「北のタケル様。 お人払いを願います」

「重要な報告か」

「はい」

頷くと、タケルは兵士達を下がらせた。

青鬼は、しばし無言でいた。本当に人払いがされたか、確認していたのだろう。

「何が起きたか、分かったのか」

「はい。 どうやら、一部の我々の同胞が、独走したようにございます」

「何……」

影の者達も、一枚岩ではない。

特にツクヨミが組織を拡大してからは、それが顕著になってきていた。それくらいは、タケルも知っていたのだが。

今回の一件だが、どうやら下手人は、影の者達の中の最暗部として、編成された集団の仕業であったらしい。

今後、このヤマトにて邪魔となる、仏教の中核となる存在を潰すべし。

そう彼らは独自に判断して、勝手に暗殺を行ったというのだ。

頭を思わず振っていた。何たる独断。何たる浅慮。

「今の時点で、仏教と太陽神信仰は、どちらを選ぶかさえ決まっておらぬ。 最終的には、オオキミがそれを統括するという形にするだけだ。 それを安易に判断して、勝手な行いをしたあげく、この事態を引き起こしたというのか」

「既に彼らは畿内に引き上げてしまっています。 ツクヨミ様がどうするかは、現在判断をしているとのことですが」

「処刑だ処刑!」

思わず憤激して立ち上がったタケルだが。

此処で激高しても、どうしようもない。大きく嘆息すると、もう一度座り直した。これは、非常にまずい。

国家が大きくなってくれば、そういった勢力が出てくる事は避けられない。

大きくなればなるほど、一枚岩ではなくなるのだ。そんな事は、わかりきっていたはずなのに。

しばらく不機嫌なまま押し黙っていた北のタケルだが。

ばたばたという足音で、顔を上げる。

南のタケルが、舎に飛び込んできたのだ。かなり慌てている様子だった。

案の定、何も無いところですっころぶ。青鬼があきれ果てて、助け起こした。南のタケルは鼻を押さえて悶絶していたが、北のタケルを見て、居住まいを直す。

「た、たた、大変です!」

「今度は何が起きたのか」

「それが、斉聖なる仏僧が、話があるとか言うことで、北のタケル将軍に面会を求めてきました!」

聞いたことも無いが、今は仏僧だと言うだけで、意味がある。

既に季節は秋。

今年いっぱいはかかると覚悟していた反乱は、このままだと来年になっても終わらないだろう。

今はとにかく、仏僧の味方を作るほか無い。

まあ、その重要性を理解しているというのは、良いことだ。

泥沼化した反乱を、今は少しでも早く解決しなくてはならない。

 

2、伝播されるもの

 

畿内と東北を行き来しているヤトの元に、続々と新しい配下が送られてくる。

その殆どが仏教徒だった。

九州での反乱は泥沼化。一度は沈静の兆しを見せたものの、何だかよく分からないがまた最発火し、今では鎮圧の目処も立たないという。

好都合だ。

今のうちに、東北と畿内、それに九州への路を、確固たるものとする。

続々と流れ込んでくる部下には、一度は必ず顔合わせをしておく。既に配下の数は千をとうに超え、千二百に達しつつある。九州から逃れてきた者達は更に増える予定で、最終的には千五百を軽く超える試算も出ていた。

東北までの路は、ほぼつながった。

幾つかの拠点も確保したし、狼煙の備えも万全だ。人員も、今回の大増員で、ほぼ確保することが出来た。

問題は九州。

それに今後視野に据えている四国だ。

九州までの山路は、少しばかりヤトの本拠地と遠すぎる。一度足は運んでおこうと思っているのだが、時間が掛かることは否めない。

このまま九州でヤマトを疲弊させ、蝦夷との関係を泥沼のまま維持させれば、勢力拡大の時間は稼ぐことが出来る。

一方で、四国である。

調べて見たのだが、四国はアキツの中でも、東北に匹敵する未開地域だ。

今後は発展する可能性があるようなのだが、畿内からも微妙に離れている地理関係もあって、かなり放置が酷い様子である。

つまり、巨大な巣を作る事が出来る素養がある。

此方には、足を運んでおく意味がある。

ヤトは今、東北の最前線の山にいた。

東のタケルと西のタケルは、黙々と訓練を続けている。兵士はかなり絞り込まれていて、機動戦力がおよそ四千。守備兵が一万程度だろう。ただし駐屯軍は各地にいて、蝦夷との戦いでは、それらが出る事が確実だ。

一方で蝦夷はと言うと。

見ている限り、国力の回復が進んでいるとは言いがたい。

まあ、一年も経過していないのだから、当然だろう。

国力の差が、ヤマトとはありすぎる。衰退した村々はもはや普通の人間ならば目を覆うほどの惨状に落ちつつある。ヤトから見ればざまあみろだが。

木の枝の上で、捕まえた兎を頭から囓っているヤトの側に、鳶が降りてきた。

既に翼も大人のものとなり、力強く飛行できる。兎の足を引きちぎって顔の前に持っていくと、ぺろんと飲み込んだ。

手に着いた兎の血を舐めながら、ヤトは鳶の動作を見て、意図を解析。

残った兎を平らげると、立ち上がった。

ちなみに今の兎、消化器官は抜いたが、火は通していない。

体の中に入った寄生虫など、全て消化してしまう事が、ヤトには出来るようになっていた。既に体の中も、人間とは違ってきているのだ。

アマツミカボシが来ている。

どうやら此方に用事があるらしいのだ。話を付けておいた方が良いだろう。

木から飛び降りると気配を消し、無言で歩き始める。森の中を行く間であれば、気配を消していれば、目の前に人間が来てもばれない自信がある。

訓練を続けている東のタケルと西のタケルが、軍勢を動かしている。遠くの平原での事だ。

既にあの戦力は、アマツミカボシよりも上だろう。

山の中を進みながら、峠を二つ越えると。

アマツミカボシが、石に腰を掛けているのを見つけた。

無言で見つめあう。

先に口を開いたのは、アマツミカボシだった。

「情報網はどうなっていますか」

「既に完成しているが、それが何か」

「さすがですね。 それで、一つお願いが」

無駄な言葉は、会話に一切入ってこない。利害関係で互いの間が構築されているから、当然だろう。

アマツミカボシが口にする。

物部という名前を。

物部というのは、ヤマトの武における名門だという。タケルも何人か排出しているとかで、相当な実力者揃いだと、アマツミカボシは説明した。

当然ヤトも、説明などされるまでもなく把握している。勢力が広がれば広がるほど、ヤマトに対する情報は、緻密に入ってくるようになった。実際、物部出身の将軍も、何名か指折りで数えることが出来る。

物部の一族は、王族と血縁関係もある。タケルは基本、王族の妻をもらうようだから、あり得る話だ。

現時点でのタケルには物部出身者はいないと聞いているが、それも世代が変われば、話も違うだろう。

まだ確定情報ではないと言うことだが、東のタケルの後継は、物部の将軍になるとか、聞いたこともある。

「物部が、どうかしたのか」

「物部の一族は、ヤマトの軍事を担う中枢。 蘇我との対立はまだ表面化していませんが、それを表に出すようにして欲しいのです」

「ほう……」

それはまた、悪辣だ。

蘇我というのは、物部と対抗する大勢力である。軍事ではなく、ものの流れを司ることで、ヤマトにおける中枢に食い込みはじめた一族だという。

いぞれアキツが統一された暁には、タケルという制度はなくなるとか、噂がある。その時、ヤマトの両翼は、この蘇我と物部になるだろうとも。

アマツミカボシの考えでは、蝦夷はこのまま潰してしまうのだが、ヤマト側が状況に応じて進駐してこない状態を作りたいのだそうだ。

つまり、抵抗の意思を示さないのであれば、放置する態勢の構築。

それが一番アマツミカボシには、都合が良い状況だそうだ。確かにアマツミカボシが抱えている二千ほどの戦力を、そのままヤトの配下と合流させれば、山中で相当に好き勝手が出来るだろう。

山を、人間が入る事叶わぬ異界とすることも、不可能ではない。

ヤトにも、アマツミカボシにも、都合が良いことだ。

「それで、如何にする」

「仏教を用いましょう」

「ほう……?」

これは、面白い。

アマツミカボシが言う、具体的な方策はこうだ。

まず仏教を、このアキツ中に広げる。そうすることで、仏教による独自の連帯を作る。これを反乱に用いても良いが、まずは物流に生かす。

そしてその利益を、蘇我に流し込む。

蘇我に流し込むことで、物部との力の差を作り出す。

今、蘇我と物部が争いを表面化させていないのは、力に差がないからだ。武王という希代の英雄が両者をしっかり抑えているという事もあるのだが、やはり生まれ始めた物流が、まださほどの力を持っていないという事も、理由の一つだろう。

そしてこの毒を飲ませるには。

アキツが「統一された」事が必要となるのだ。

そうなれば、タケルどももかってほどの権勢は得られなくなる。英雄は必要ない世界が来る。

その時に山野に潜む邪悪に対抗できる存在は、ヤマトにいるのか。

いない。

つまり。ヤト達の天下が来る。その上、蘇我と物部の争いを煽ることによって、自由自在にヤマトを好き勝手にすることが可能ともなるのだ。

武王の目が黒いうちは、無理だろう。

しかし武王は確か、齢六十に迫っているはず。ヤトやアマツミカボシのように、人間を止めてしまっている訳でも無い。

恐らくは、後何年も保たないだろう。

死なないにしても、いつまでも名君ではいられないはずだ。ヤトの知るクマのミコのように、いずれは怪物のような存在になって、ヤマトを裏から啜る筈だ。

これは素晴らしい戦略だ。

「面白い事を考えたな」

「時間はありましたから。 蝦夷を潰してしまうことは確定事項として、その後どう生かすか、ずっと考えていました」

アマツミカボシも、もう悟ってはいるのだろう。

力で今のヤマトと勝負するのは、不可能だと。タケルが鍛えている軍勢は、とてもではないが、アマツミカボシでさえ対抗できるものではない。逃げようにも、いずれ追い詰められて、殺されるだろう。

ヤトにしても、アマツミカボシにしても、死などは怖れていない。

ただ、欲望の充足ができなくなる事が、怖い。

「良いだろう。 まずは仏教の思想を、道を通じてそちらにも送れば良いな」

「ええ。 こちらだけではなく、アキツ中にばらまいてください」

「分かっているとも」

頷きあうと、音もなくその場を後にする。

何という、誰もが幸せになる戦略だろう。

仏教徒どもは、蟻のようにその数を増やすことが出来る。ヤマト中枢の物流は、仏教徒を味方に付けることで、著しい拡大を果たせる。

ヤトはその過程で勢力を拡大。

アマツミカボシは、自分が好き勝手に出来る下地を手に入れることが可能。

そしてあの忌々しいタケルどもは、その存在が、消えて無くなると来た。思わずヤトは、高笑いしてしまった。

ただし、それこそ数年がかりの計画だ。

ヤトはもはや年を取らないだろう。しかし、配下の者達は、どんどん繁殖させて、世代を交代させ、新しい人材を育てていく必要がある。

表側の世界を掌握しきったときに、ようやく配下の者どもも、山から追い出す算段がつくのだ。

それまでは、とにかく手札がいる。

一度、配下の者達が集まっている場所に戻った。

千里は九州、鵯は畿内。この辺りには、千里が育てた部下しかいない。全員名前は把握しているが、まだヤトとしては、それほど使い勝手が分かっていない者達だ。甲斐の辺りは、この間千里に使うように指示したツグホがまとめている。予想通り相当な手腕をもっていて、全く心配せずとも、配下達を掌握していた。

「山神様。 アマツミカボシ様と、いかなる話を」

「面白い戦略を提案してきた。 乗るつもりだ」

「戦略に、ございますか」

「私は一度、畿内に戻る」

九州で、タケルが相当に苦戦しているという話は聞いている。

アマツミカボシは言っていなかったが、東北に仏教が入り込んだ場合、ヤマトは青ざめて口をつぐむはずだ。

そして、刺激する事を避ける路を選ぶだろう。

ヤトも、これほど思想という奴が厄介だとは思っていなかった。勿論反乱が起きる下地はあったのだろうが、それにしても燃え上がること、乾期における山火事のようだ。凄まじい勢いで広がり、そう簡単には消す事も出来ない。後には炭に覆われた地が残るのみ。

だが、それは好都合。

ヤマトの牙城を崩す、確固たる手段になり得る。

ヤトは実感していた。

今、敵の首に、手を掛けたことを。すぐに首を刈り取ることは出来ないだろうが、数年単位の戦略の結果、奴らの首を落とすことは、不可能ではない。

ただし、上手く行くばかりではないはずだ。

たとえば、ヤトの配下にその仏教思想が蔓延した場合はどうか。ヤトは仏教の思想からすれば、邪悪以外の何物でも無いだろう。此処まで作り上げた組織が、一瞬で瓦解する危険性も、抱え込むことになる。

事実、今、配下には。

仏教に傾倒する者が増え始めているのだ。

それも含めて、部下達と話し合う機会が必要だ。ヤトとしても、この組織はもう少し保たせなくてはならない。

仏教に傾倒した配下達が一斉に離散でもしたら、全ては元の木阿弥なのだ。

アマツミカボシは笑うだろうが、それだけではすまない。

東北にも、近いうちに仏教が伝播する。

その時、アマツミカボシは、恐らくは邪悪なる存在として、周囲の全てを敵に回すはずだ。

奴もヤト同様に人間離れした実力を身につけた。ヤトが見たところ、多分人間ではなくなっている。

それでも、周囲の全てが敵になったら、生き残るのは難しいだろう。

そういうものだ。たとえば、ヤトが今の十倍の力を得たとする。一千の兵を正面から相手にして、勝てる力だろう。

だが、敵が万を繰り出してきたらどうか。

目処が立つまでは、人間の配下は必要なのだ。

まだ通っていない路や、見たことが無い山を通りながら、ヤトは畿内に急いだ。九州が一段落した後は、間違いなく東北が野分けの目になる。

その時、吉野は、今まで以上に重要な拠点となるだろう。

路無き路を疾風のように駆け抜けながら、ヤトはめまぐるしく思惑を働かせた。戦いは、何も刃をかわすだけではない。

その場にいなくても、戦闘は行われているのだ。

 

吉野に着くと、状況は予想以上だった。

展開がかなり早い、というべきだろうか。

新しく到着した部下達の内、十の九が仏教徒だったのだ。好まぬ者には教えを強要しないようにと指示はしてある。

しかし、厳しい生活の中にいる者達は、どうしても救いをまぶしく感じるものであるらしい。

主な部下達を集めると、やはり最初はその話題になった。

「部下がどんどん仏教に改宗しています」

挙手したのは、千里の配下。

現在、絹の技術確保に向けて動いている者達の一人だ。

不快感にヤトは包まれた。仏教自体は嫌いではない。というより、どうでもいい。問題は、別の所にある。

絹の作成については、かなり良い所まで話が進んでいる。

後は蚕の確保だが、それも間もなく叶いそうだ。

いろいろな情報をたぐっていたところ、ついに渡来人の一部に、屋敷で密かに蚕を飼っているものを見つけたのである。

言うまでも無く、朝廷への反逆行為だ。

揺することで、蚕を手に入れることが出来そうだった。

しかし、である。その吉報が帳消しになるほどの面倒さが、話には含まれている。

もしも仏教が広がることで、部下の動きが鈍くなったり、離反の動きが見えてくると、かなり面倒だ。

仏教はまず制御しなければならない。

制御してこそ、具体的にはヤトやアマツミカボシが幸せになれるのだ。他の奴の幸せなど、どうでもいい。特に人間など。

「みな、山神様への感謝は忘れておりません。 仏教に改宗しても、山神様を明王の一種と考えるものもいるようです」

「明王?」

「仏教における戦闘神です」

「ふむ……」

説明してくれたのは、渡来人の部下だ。

規模が大きくなってきたため、渡来人も部下に少しずつ増え始めている。この男は、仏教だけではなく、大陸での宗教にも詳しい様子だ。

「宗教には、戦闘を担当する神がいるものです。 そう言う神は残忍で獰猛で、凶暴性に満ちています。 仏教の元になった印度の宗教では、その傾向は特に顕著だった模様です」

戦闘神か。

それはそれで面白いかも知れない。

むしろ、その方向で行けば、懸念は張れるのではないのか。

鵯が咳払いした。

此奴は或いは、ヤトの懸念を、正確に見通しているかも知れない。

「夜刀様、貴方は部下達の離反を怖れていますか?」

「その時は殺すだけだ」

「……仏教に傾倒した者達は、おそらく死を怖れなくなります。 貴方もそれを分かっている筈です」

痛いところを突いてくる。

鵯は少し前から、九州の話をすると機嫌が悪くなる。

話は既に聞いた。なるほど、九州を嫌悪するのも、無理もない。

「今後も、皆の間で仏教は更に広まるでしょう。 あまり皆を怖がらせると、いつかは痛い目を見ることになりますよ」

「面白い。 私に面と向かってそのようなことを言うのは、お前と鵯だけだな」

他の配下の者達は、蒼白になってやりとりを見守っている。

どいつもこいつも、ヤトの超絶的武勇を直に見ている者達ばかりなのだ。ヤトが怒って暴れはじめれば、この場にいる皆など瞬く間に肉団子になってしまうことを、全員が理解している。

その上で、鵯はヤトを怖れない。

千里は怖れているようだが、それでも軽口を止めない。

「まあ、何だ。 そんなに仏教が面倒なら、あんたも仏教徒になっちまえばいいんじゃないのか?」

「悪いが、私は既に人の域に無い者だ。 何故に弱者がすがる仏などに傾倒しなければならん。 別に弱者共が仏にすがることは止めはしないが」

「恐れながら、鬼子母神と呼ばれる存在の逸話がございます。 それにあなた様は、夜叉明王を思わせる」

そういって挙手したのは、九州から来た仏僧、佐安だ。

ヤトが命じたとおり、必要以上に仏教を広めることはしていない。その代わり、仏教に興味を持った相手には、懇切丁寧に教えているようではある。

此奴は最初ヤトを見た時、夜叉明王のようだと言った。よく分からないのだが、元々恐ろしい邪神だった存在が仏の光に触れて善神になったものだという。

それならば、ヤトとは違う。

相手が何だろうが、多分「善」に目覚めることはないだろう。

「あなた様に仏の道を説こうとは思いませぬ。 しかし、あなた様は、仏を信じる事を否定もせぬし、信者達も自由にさせている。 拙僧は其処に、あなた様の光を見ます」

「よう分からんが、私は夜叉明王の如き存在として、認識されていれば配下共に離反されない、ということか」

「それならば、理想的にございましょう」

なにやら呪文を唱える佐安。

此奴は或いは、鵯に次ぐヤトの天敵かも知れない。話していると、毒気が抜かれること甚だしい。

ブッ殺そうと思えば即座に出来る。

それなのに、どうしてかそう言う気が起こらないのだ。

「分かった分かった。 ではこうしよう。 佐安。 私の配下共に、仏教は今後も広めてかまわん。 だが、私のことはその夜叉明王の化身とでも言っておけ」

「どのような狙いがそこにはあるのでしょうか」

「話を聞く限り、それは都合が良い。 私は本質的にその夜叉明王とやらとは相容れぬが、悪を戒める存在、というのが好ましい」

悪事をすれば、ヤトが現れる。

そして、喰らう。

それだけで、充分だ。仏教はどうでもいいが、もしもそれにより、ヤトの恐怖が本能的なものから、論理的なものへと変われば、抑止力として十二分に機能する。更に言えば、これは好都合だ。

佐安が、ヤトの配下以外にも、仏教を教えて廻っていることは、知っている。

つまり、その過程でヤトの話を夜叉明王として出せば。

その暗黙の破壊と抑止力は、配下以外にも機能するのだ。

意外な妙手に、ヤトは自分でも驚いていた。

仏教については、とりあえずこれでいい。他にも幾つか、解決しておくべき事がある。順番に議題を出させて、それをヤトが採決していく。一つ一つはたいした問題ではないが、既に千数百までふくれあがった配下をまとめると、噴出する問題の数が相応になる。

一通り片付いた頃には、丸一日が終わっていた。

部下達を解散させる。

ヤト個人としては、絹の確保について、現実的な案が進んでいるのが好ましい。今の時点では、ヤトが出張る必要もないだろう。

絹自体も、かなりの数が入ってきている。

これは東北への、情報の路をつなげたことが大きい。その道にいろいろなものを乗せることで、大きなもうけが出るようになってきたのだ。

物々交換でも貴重なものがはいる。

絹はその一つ。技術を持っている者に布を作らせて、それを鵯に加工させる。同じ衣装の絹服ばかり着込んでいるヤトだが、たまに全然違うものを着ると、気分転換になって良いことを、知っている。

配下の者達が持ってきた絹を吟味していると、鵯が来た。

何かまた小言でも言いたいのかと思ったら、違った。たき火の側に座っていたヤトの、向かいに無言で座る。

針をちくちくと動かして、服を縫いはじめた。

ヤトのものかと思ったが。違うようだ。見ていて分かったが、服の丈が違っている。

基本的に、ヤトは必要な分以外の服には執着しない。絹の全てを独占しようとか、そんな事は考えない。

同じ服は何着か持っているが、それだけだ。

「その服は、誰に作っている」

「貴方に心を壊された、アマツミカボシという可哀想な方に」

「あれがそんな同情に感動するとは思わないが」

「同情などしていません」

ちくちくと、服が縫い上がっていく。

まあ、他人のものを無闇に奪っても仕方が無い。ヤトはたき火に手をかざしながら、じっと服が縫い上がっていく様子を見ていた。

「お前はあの仏教というものを、どう思っている」

「貴方ほどの方が、怖れているのですか」

「私は別に怖れてなどいないが」

「いいえ、少なくとも面倒だと思う時点で、貴方は脅威を感じています」

これは一本取られたか。まあ、確かにそうなのかもしれない。利用できると分かって、安心したのは事実だ。

お返しに、聞いてみるとしよう。

「九州で、何があった」

ぴたりと、鵯が手を止める。

此方の心を探るようなことを言ったのだ。此方からも、心に手を差し込んで、引っ張り出すようなことをしても良いはずだ。

既に、千里から、概要は聞いている。

クマソが巫女をどのように使っていたかは。こいつも巫女だったという事は、似たような事があったのでは無いのか。

過去に復讐したいというのは、そう言う意味ではないのか。

「お前が生まれた頃には、クマソは滅んでいたはずだ。 それなのに、クマソの巫女だったと言っている。 つまりお前は……」

「その通りです」

また、鵯が針を動かす速度が戻った。

おそらく、一線を越えたからだろう。精神が、平静を再び取り戻したという事だ。余人だったら恐怖に身を竦ませていたかも知れないが。むろん、ヤトはそのようにヤワではない。

「クマソの生き残りの一族は、山々に隠れ住んでいました。 丁度貴方が、そうしていたように」

「ほう。 場所は違えど、考える事は同じであったか」

「貴方と違ったのは、クマソの生き残り達は、捲土重来を夢見ていたことです。 だから今回の仏教の乱においても、積極的に関わって、主導権を握ろうとしたのでしょう」

残念ながら、そのもくろみは失敗したようだが。

千里が何度か報告を入れてきている。

既に九州では泥沼の戦いになっており、クマソの残党など影も見えないという。完全に仏教勢力が、ヤマトに対して苛烈な抵抗をしている状態になっていて、其処にはもはやクマソなど存在しないのだとか。

「何をさせられていた」

「想像の通りです。 まだ月のものが来る前から。 教養も、クマソの残党が志を通わせたい相手を喜ばせるために、身につけました」

此奴は真面目な女だ。

それはさぞやつらかったことだろう。

くつくつとヤトは笑う。そして、その事に関する追求は、もう行わないことにした。既に此奴の心には、土足で踏み込んだ。それで充分。目的は達した。

これ以上踏み荒らすと、反旗を翻されかねない。やぶ蛇になる。

そうなると、色々面倒だった。

無言のまま、たき火を囲んで、そのまま過ごす。

その方が、落ち着くから、だろうか。

鵯は深夜まで、無言で絹服を繕い続けていた。

 

3、際限なき膨張

 

ツクヨミが、直接九州に出向いてきた。どうやら、状況の悪さは、武王も把握しているらしい。

ついに反乱は一年を超えてしまった。

一応、もう大規模な反乱は起こらなくなってきている。北のタケルが仏教徒に対する懐柔策を進めたことと、大規模反乱に対しては容赦ない態度で報いたから、というのが原因だろう。

実際問題、仏教を禁止しろとは言われていないのだ。

北のタケルの側について、反乱側を説得する仏僧も出始めていた。戦いは泥沼であったとはいえ、どうにか解決の糸口も、見え始めている。

やつれていたツクヨミは、かろうじて肉を取り戻しつつあるようだ。ただし、相変わらず体は貧弱。

それに、真っ白になった髪は、戻っていない。

今、タケルが拠点にしているのは、日向の小さな砦だ。

砦の中に、司令部を造り、其処で周囲の反乱軍を討伐させている。今の時点で戦況は圧倒的優位だが、散発的に続く戦いで、兵士達もいい加減かなり参っている様子だ。

ツクヨミはそんなときに来た。

一応、都から新しい戦力を千ほど連れてきている。その中には、この間現役を引退したタムラノマロの配下もいた。

タムラノマロの孫が今、壮絶な鍛錬をしていると聞いている。

その辺りの状況が知りたい。声を掛けようかと思ったが、それは後回しだ。

ツクヨミと、まず儀礼的な挨拶をかわす。その後は、色々と情報を交換した。

やはりというか、なんというか。

都の方でも、仏教が広がりはじめているという。今の時点では刺激しないようにしているということだが、このままだとまずいのではないかという声も、大きくなりつつあるのだとか。

この九州の惨状が伝わっているのなら、無理も無い事だ。

「武王は、北のタケル将軍から、意見を聞いてくるようにと仰せでした」

「国家戦略を切り替えるほかないのでは?」

タケルとしても、半ば自棄だ。

はっきりいうが、仏教徒やらを信じたいのなら、好きにすればいい。タケルとしては、知らないとしかいいようがない。

一応斉聖とやらに仏教の概要は聞いたが、そうかとしか言いようが無かった。

おそらく、心が弱い人間には、魔的な魅力を見せる思想なのだろう。タケルとしては、別に好きでも嫌いでもない。

信じたいのなら、好きにせよ。

部下達にも、そう告げてある。別に仏教徒だからといって、部下としての評価を下げるようなこともしない。

だから、今の乱がどうして加熱しているのか、理解できない部分もある。

「太陽神信仰を中心にして、朝廷の威信を保つというのは分かった。 だが、仏教が邪魔だという事にはなるまい」

「それはその通りです。 しかし、特に物部の一族が、それに反発しているようでして」

「物部か」

各地にいる将軍の中でも、かなりの数を占める物部の出身者。彼らが一斉に反発すると、相応に面倒だろう。

押さえ込む自信はある。

だが蝦夷にアマツミカボシを抱え、いつ爆発してもおかしくない仏教徒が増え続ける現状、更に火種を抱えるのは、好ましくあるまい。最悪の場合は、タケルが説得するしかないだろう。

「この九州は、もう南のタケル将軍に任せても大丈夫なのでは」

「あの娘は、まだまだ経験が足りない」

具体的には、戦略的な判断力が足りていない。

戦術的な判断力は充分だ。実際、同数の兵力で戦ったら、一歩譲るかも知れないと、思っている。

一方で、視野がまだ狭い。

九州全域を守るには、まだ経験が足りていないだろう。

「それならば、何名か熟練した将軍を廻しましょう。 北のタケル将軍には、是非畿内に戻っていただきたいのです」

「何を愚かな事を。 私が九州を離れれば、反乱勢力の思うつぼだ。 一気に敵が攻勢に出るぞ」

「兵力を増強いたしましょう。 もとより、大陸に備えて兵力を増強する予定があったのですから」

その計画は、確かにあった。

いずれ大陸と戦う場合、最前線になるのは間違いなく九州だ。だから精鋭と言って良い軍を此処に駐屯させ、備える戦略構想は、かなり初期からあった。

しかし今、それを前倒しするのは、愚策だとしか思えない。

しばらく話をしたが、完全に平行線だ。

粘り強く自分の意見を通そうとツクヨミはあらゆる手札を使ってくる。

武王が育てた優秀な将軍達は、確かにこのアキツを守ってきた。しかし、アキツは大陸に比べれば人口もぐっと少ない。

たとえば、一万と言えば、アキツにおいては相当な大軍だが。

大陸で一万と言っても、一支軍程度の規模でしかない。数十万と数十万がぶつかり合う戦も、珍しくないと聞いている。

人材は、いくらでも必要なのだ。

タケルがもう一人か二人いれば。本当に口惜しい話だ。

「此処だけの話なのですが」

ツクヨミが、居住まいを正す。

タケルも、何を言い出すのかは、だいたい予想できたが。敢えて黙って、言いたいようにさせる。

「武王陛下は、衰えはじめています」

「何……」

「年齢によるものです。 近年は明らかに腕力が落ちてきていて、判断力も鈍りはじめています」

あのナガスネヒコを葬った英雄も、年には勝てない。

そして、それは何も、北のタケルとて例外ではない。今、衰えはじめた武王を支えるのは、誰か。

タケルの中でも最も知勇に優れた、北のタケルをおいてほかにいない。そうツクヨミは言うのだ。

「今、畿内をしっかり固めないと、この国は根元から崩れます。 タケル将軍には、衰えはじめた武王を支え、王子達が一人前になるまで、この国の柱石となっていただきたいのです」

「……」

悩む。そう言われると、弱い。

九州の大乱は問題だが、もしも武王が健康と判断力に自信をなくしはじめているのであれば、北のタケルが支えなければならない。

大きく嘆息すると、北のタケルは決めた。

「分かった。 ならば、条件がある」

「なんなりと」

「私はこの場に残る。 正確には、公式にはそうする」

以前と同じように、影武者を使う。

また、北のタケルが此処を離れた事を、すぐに察知されないようにしなければならない。そうするためには、参謀格の部下は皆残していく必要がある。

影武者の負担も小さくしなければならない。

「お前の配下の影の者を、二百。 九州に廻してもらおうか」

「その程度の事であれば、すぐにでも」

「それだけでは足りんな」

タケルは、将軍達の名を上げていった。

いずれも、武王が鍛え抜いた名将達だ。タケル候補となっている人物も、四名混じっている。

これに加えて、兵一万を九州に追加で投入する。

そしてそれらの指揮権は、南のタケルに譲渡する。

勿論、すぐに南のタケルに、これほどの戦力を掌握する事は出来ないだろう。だからこそに、北のタケルは、部下をありったけ、九州に残すのだ。

武王には恩義があるが、それ以上の戦略的観点からの事だ。もしも此処で武王の晩節が穢れるようなことになれば、アキツの未来は立ちゆかなくなる。

形式上でとはいえ、蝦夷は屈服させた。

一応、ヤマトの武は、アキツ全域に轟いた。だからこそ、危ないのだ。

「それにしても、お前をわざわざ寄越すとは。 陛下は、何か恐ろしい目にでもあったのか?」

「いえ、これは私の独断にございます」

「おい、独断とはどういうことか」

「独断とは言っても、機のみのこと。 内容については、以前にしっかり許可は取ってございます。 それに、北のタケル将軍を畿内に連れ戻して欲しいと言うのは、陛下の願いにございますれば」

ならば、仕方が無いか。

あの豪壮なる武王も、年老いれば衰える。それを思い知らされて、北のタケルは、暗澹たる気持ちを味わっていた。

 

南のタケルに引き継ぎをして、北のタケルは九州を出る。

配下に従ったのは百名ほど。その中には、古参の部下であるチカラオが混じっていた。少し年老いてきたかも知れないが、まだまだ剛力は健在で、並の若者など数人まとめてあしらうほどだ。

「南のタケル将軍は、大丈夫でしょうか」

「潜在力は高い」

その潜在力を、地力で引き出してもらう他無いのだ。アキツは、思った以上に危険な状況になりつつある。

ゆっくり北のタケルが側にいて、成長を見守ることは、出来なくなりつつあった。

都に向かう途上、駐屯所に渡来人を招き、話を聞く。

仏教について聞くと、反応は様々だった。

非好意的な意思を、仏教に向けている渡来人も相応にいる。中には、仏教は邪教だと、言い切るものまでいた。

「あのようなものは、怪力乱心の類となんら変わりませぬ」

そう言い捨てたのは、以前ツクヨミが連れて来た、大陸の武人の一人だ。孫と呼ばれていた男である。

夜刀との戦いで深手を負ったが、今では前線に復帰。主に新参の兵士達に、武芸を教えて廻っている。

馬上で、共に都に向かいながら、話を聞く。孫は余程仏教が嫌いらしく、とことんまでにこき下ろしていた。

「大陸では、神仏の類など存在しないという思想が広まりつつあります。 仏教はそれに逆行したものに他なりません」

「必ずしもそうとは言いがたいのですが、反発する思想があるのも確かです」

ツクヨミが、小声で付け加えてくる。

タケルにとっては、神仏などどうでもいい。そもそも、存在はしていないと思っている。存在しているのなら、どうして弱者を救わないのか、問いただしてやりたいほどだ。

だが、その思想を、他人に押しつける気は無い。

だから、孫には好きなように語らせておいた。

ひと月ほど旅をする。

九州の情勢も、その間に聞いた。南のタケルはよく頑張っている。反乱勢力を押さえ込み、仏教徒達にも一目置かれているようだ。

そろそろ、春が来る。

東北は完全に膠着状態のまま、年をまたいでしまった。そして今年も、決着を付けられる見込みはない。

蝦夷は此方に抵抗するそぶりを見せていないし、文官の中には、強大な軍事力を東北に貼り付ける意味があるのかとほざく連中まで出てきているという。

雪がつもる山々を見ながら、タケルは思う。

まずいと。

アキツが統一されたと思っている連中は、確実に増えている。このままだと、厭戦気分が蔓延し、ヤマトは内側から瓦解しかねない。

そうはさせない。

結局の所、癪ではあるが、ツクヨミが言うように都に戻ったことは、正解だったのかもしれない。

タケルが都に戻った丁度その日。

武王が宣言したのだ。

数年以内に、退位すると。

一つの歴史が終わった。だが、どうしてだろう。

輝かしい未来が、まるでみえてこない。

そればかりか、闇に包まれた時代が迫っているようにしか、北のタケルには思えなかった。

 

4、現れる渦

 

甲斐を通り過ぎて、東北へ向かう。

歩くのは昼なお暗い山道。黙々と歩くのは、不機嫌だからだ。

すこしばかりうんざりしていたが、ヤトはそれでもこの状況が悪いとは思っていなかった。

夜叉明王と、仏教に傾倒した連中がヤトを呼び始めた途端。それがあっという間に浸透していったのである。

主要な部下。たとえば千里や鵯は、仏教にはまるで興味を見せない。だが、仏教に傾倒する幹部級の部下も多く、それらは大きな影響力を持っていた。どうやら思想を同じくすると言うことは、人間を団結させていくものらしい。

千里はどうやら、吉野に戻りたくなくなったらしい。

九州に出向いては、しばらくそちらに張り付きっぱなしと言う状況が続いていた。戻る度にまとまった数の部下を連れてくるのだが。それでも、やはり仏教には少し警戒がある様子だ。いや、何か違う理由があって、ヤトには隠したいのかも知れない。今の時点では、放置しておいても良いだろう。

既に九州で乱が始まってから、一年半が過ぎた。

まだ乱が治まる気配はない。小康状態になりつつあるという話だが、それでも散発的に反乱が続いている。それだけではなく、どうやら地下に潜行して、よりタチが悪くなっているようなのだ。

ヤマトは、南のタケルを司令官として、二万五千の軍勢を投入。

九州の各地で反乱軍をしらみつぶしにしているが。軍が去るとまた反乱というような形で、きりがないらしい。

一方で、北のタケルは、ふいに畿内に戻ってきていた。

いつの間にかというよりは、九州に影武者を置いてきていた様子だ。

ヤマト側も、やられっぱなしではない。仏教に対する策では一致した見解がまだ無い様子だが、それでも反撃を確実に開始している。

そろそろ、此方も、手を打つときだろう。

ふと、背中に殺気を感じた。

ヤトを的確に捕捉し、殺気をぶつけてくるとは面白い奴もいたものだ。そしてこの気配、覚えがある。

振り切っても良かったのだが。敢えて、ヤトは足を止めた。

ばらばらと、数人の男達が飛び出してくる。

どいつも相当に鍛えてはいる様子だ。いずれもが、粗末なみなりの割に、鍛えた体と、妙に質が良い武器を手にしている。

そして、最後に出てくるのは。

以前、タムラノマロを狂気に落とした時、その側に張り付いていた峠という男だ。以前見かけたときよりも、更に気配が鋭くなっている。これは死ぬ気で修練を重ねて、腕を上げたのだろう。

顔には無精髭が密生し、どちらかと言えば端正だった顔は、凄惨なものになりはてている。

手にしているツルギは、一目で分かった。

鬼と同じか、それ以上の逸品だ。

即座に飛びかかってきそうな峠だったが、部下らしい男が戒める。

「若! 相手は人外の者にございます! くれぐれも、慎重に攻め立てましょうぞ」

「……」

ヤトは目を細めて、やりとりを見守った。

此奴らは理想的な包囲陣を敷いた。ヤトの正面に峠とやら。残りは、側面から後ろに回り込んでいる。

伏兵もいる様子だ。

元に今、狙撃しようと狙っている奴が三人。

どちらにしても、ヤトの敵ではない。問題は、正面にいる峠だ。此奴の実力は、手合わせしたいほどに上がりに上がっている。

おそらく此奴は。

ヤトを殺すために、他の全てを捨てたとみて良いだろう。

にらみ合いは、それほどの時間掛からずに終わる。

峠が、躍りかかってきた。

すり足からの、完璧な大上段。一撃は重く、生半可な使い手では、大上段から来ると分かっていても、対処できなかっただろう。

ヤトはそのまま、後ろに下がる。

顔の、毛ほどの厚さの先を、剣先が通り過ぎる。

風圧が一瞬遅れて体を叩くが、その時にはヤトは、包囲網を抜けていた。背後に立っていた奴の後ろに降り立つ。

包囲網を構成していた連中が、どよめきの声を上げる。

「ヒライ、後ろだ!」

「お、おのれっ!」

伏兵達が、たまらず矢を放ってきた。

ヤトは無造作にツルギをふるって、その全てを叩き落としながら、すり足で下がる。飛び込んできた峠が、二度、三度ツルギを振るってきた。

初撃をかわし、二撃目をはじき返す。

ぎんと、鋭い音。

手に響く、ツルギの重み。

ヤトにある程度力を感じさせるほどの技量。そういえば、タムラノマロとやらを潰してから、かなり時間も経っている。

その間、死ぬ気で修練を続けたのであれば。

これほどまでに腕を上げたのも、納得がいく話か。

全盛期の、北のタケルに迫るかも知れない。

「落ちろ、物の怪っ!」

渾身の力を込めた、横薙ぎ。峠が血を吐くような叫びと共に、繰り出してくる。

ヤトは髪を数本それに切られたが、身を低くして避けきる。同時に、峠の配下達が、四方八方から槍を繰り出してきた。

串刺しにされるヤト。

だが、槍の穂先が抉ったのは、残像だ。

どよめく彼らを見下ろすヤト。今の一瞬で、木の枝の上にまで、逃れていたのだ。

「降りてこい、人妖っ!」

「お前、峠とか言う名前であったか」

「今は名を無くした。 姓は坂の上。 しかし、名は貴様を殺してから得る」

「ほう……」

名をなくすほどの執念で、ヤトを追っているというのか。

それは面白い。

タムラノマロを事実上殺した事が、よほど腹に据えかねているのだろう。あれは狩の末の殺しだったのだが。

実際問題、殺さなければ殺されていた関係だ。恨むのは筋違いに思える。だが、人間はそうは感じないものなのだろう。

別にだからといって、人間を今更これ以上軽蔑する気は無い。とっくの昔に、軽蔑するだけ軽蔑している。

むしろそうまでしてヤトを追ってきたことを、むしろ感心さえしていた。

面白いオモチャが増えるからだ。

また飛んできた矢を、斬り払う。槍が繰り出されてきたので、少し面倒くさくなってきた。

枝から飛び降りつつ、剣を振るった。着地した時には。槍の穂先は、綺麗に全て切りおとしていた。

峠の、いや坂の上の配下の者達が、おびえを声に含ませ、下がる。

特に若い戦士は、強烈に恐怖を刺激されたようだった。

「どうした。 私を化け物と知った上で追ってきたのだろう? ならばその程度で諦めるな。 私は山神だ。 お前達が本来倒せる相手では無いと、最初から理解はしているのだろう? それなのに、引こうというのか」

「下がっておれ」

「若!」

「こやつは、俺が斬る!」

裂帛の気迫が、坂の上の全身から吹き上がった。

他が介入してくる余地はない、と言いたいところだが。伏せている狙撃手の一人は、かなりの手練れ。

此奴だけは、おそらく狙ってあわせてくるだろう。

まあいい。

この坂の上というのを斬ったら、他も皆殺しだ。その時に、まとめて処分してしまえば良いだけのこと。

「シャアッ!」

坂の上が、袈裟に斬りかかってくる。

わずかに立ち位置をずらしたヤトだが、殆ど間を置かず、切り上げてきた。空間を抉り取るような、美しい二連撃。

だが、ヤトはその時には、既に坂の上の左後ろに廻っていた。

剣撃は、むなしく空を斬った。

ヤトが、敵の首筋を掴む。

坂の上が、動きを止めた。

その一瞬だけで、力の差は分かっただろう。だが、それでも、相手は諦めない。

反射的に飛び退き、切り上げてくる。中々に鋭い一撃だが、既にヤトは読み切っていた。ヤトは静かに笑いながら、その一撃を跳ね上げた。そして懐に入ると、鳩尾に膝を叩き込む。蹈鞴を踏んで下がる坂の上だが、即座に態勢を立て直したのは立派だ。

頑張りは、其処までだったが。

人間の構造は、理解している。

今、腹筋でかなり緩和されたが、それでも内臓に直接打撃を与えた。崩れ落ち、血を吐く坂の上。

「ここまでだな」

おのれ。叫び声を上げながら、殺到してくる坂の上の配下達。

ヤトは鼻で笑うと、その場から消えた。残像を置いて飛び離れたのだ。

斬っても良かったが。

いや、本当は殺そうと思ったのだが、一瞬だけ対応が遅れてしまった。

弓矢は持ってきているのだが、敵が矢を射かけて来たので、その場を離れるほか無かった。せっかちな連中だ。

個人的に、どうやってヤトを見つけ出したのか気にはなったが。今から戻って、聞き直す訳にもいかないだろう。

坂の上は地面で悶絶しながらも、それでも悲鳴一つ漏らしてはいない。

薬草が効くような場所の痛みではない。もし耐えきったとしても、数年は身動きが出来なくなるだろう。

それでもなお、ヤトに戦いを挑むというのであれば。

その時こそ、殺してやることこそ慈悲か。そう、ヤトは思った。

ならば、慈悲など掛けず、なぶり殺しが良いだろう。そうも思った。

とりあえず、此奴の居場所は探っておこう。

そして、殺せるならば。

殺しておく。

 

東北に着く。

もはや近畿では雪も残っていないのだが。この近辺では、根強く残り、場所によっては山となっていた。

かなり寒いのだが、それはどうとでもなる。

ただ、流石のヤマトの軍勢も、砦に閉じこもっておとなしくしている様子ではある。このような時期には、動くだけ損なのだろう。

雪の困る点は、目立ってしまうことだ。

気配を如何に消して歩いても、その上を通ることで、どうしても姿を露出してしまう。それだけではなく、冬は木々も立ち枯れているから、遠くからも目立つ。

ヤトは白と赤の絹服を着込んでいるが、具体的にはその赤がまずい。後、ヤトの髪の毛の黒も、目立つ要因となる。

冬場ほどではないが、春も気をつけて行かなければ、発見されてしまう。

前線の拠点に到着。

たき火を囲んでいたのは、千里の部下達だ。ヤトを見ると、慌ててたき火の前を譲る。確かに、まだたき火がないと暮らせないほど、周囲は寒い。

気になるのは、いわゆる数珠というやつを持っていたり首から掛けている奴が目立つと言うことだ。

此処まで、仏教は浸透しているのか。

「山神様、定時でのご訪問、有り難きことにございます」

「何か問題は起きているか」

昨日の時点では、何も起きていないはずだ。此処から少し離れた拠点で、状況は確認してある。

最前線の此処では、いつ何が起きてもおかしくない。

幸い、ヤマトと蝦夷の戦端が開かれた、という事だけは無い。それは、目で確認してきたからだ。

「東北と、物資のやりとりが順調に進んでいます。 此方が品目になります」

「ふむ、どれ」

ざっと目を通す。

東北では、金がかなりの量取れるようだ。

きらきら輝くだけの役に立たない物にしか、ヤトには思えないのだが。これが、同質量の鉄と交換できるのだから侮れない。

事実、蝦夷ではこの金を使って、大陸との交易を進める計画まであるらしい。

ただ、此処での金は、用途が違っている。

ヤマト中枢にいる、強欲そうな役人。特に文官にばらまくためのものだ。

そうすることで、ヤマトの内部を、少しずつ腐らせていく。蝦夷に対する同調者を作っていけば、それを盾として活用できる。

アマツミカボシと、何度か話し合って決めたことだ。

ただし、蝦夷そのものは潰してしまうことも決めてある。

アマツミカボシにとって都合が良いのは、ヤマトの軍勢が駐屯軍として入ってこず、なおかつ自身が好き勝手に出来る環境の構築。

ヤマト側としても、不穏な地域には睨みを利かせなければならないから、一定の軍はずっと貼り付けておかなければならないわけで、非常に頭の痛い問題となる。それが狙いだ。

絹については、さほど東北では作れないらしい。

ヤトの方でも、いずれ交易の品目に入れたい所だが。入れる場合は、此方から蝦夷へ流すものとなるだろう。

塩については、売り物にならない事が分かっている。

蝦夷の間では、かなりの量が生産されている。

もっとも、交易の相手は、何も蝦夷だけでは無い。

「ふむ、少しずつ量も増えているな」

「蝦夷の村では、やはり逃散者も出始めています。 彼らの一部は、配下に取り込むことが、出来ています」

「上出来だ」

アマツミカボシとこれも話し合ったことだが。

最終的に、アマツミカボシの直衛軍を、そのままヤトの組織に取り込むという構想もある。蝦夷の民は、いずれにしても、ヤトの配下に入れるには、丁度良い者達だ。厳しい環境でそこそこに鍛えられているし、何よりヤマトに対する憎悪を内に蓄え込んでいる。

現時点で、配下の数は千三百を超えている。

この分で行けば、今年中に千五百に達するのも、夢ではないだろう。

「このまま交易を進めろ」

「は……」

「一つ、気になることが」

ずっと黙り込んでいた男が、挙手した。

例に漏れず、その男も、数珠を首からぶら下げている。まあ仏教はどうでもよい。ヤトに思想を強要しなければ、放置しておくだけだ。

その男は非常にやせ形で、落ちくぼんだ目だけに強い光が宿っている。

「山神様、貴方を付け狙う集団がいるようにございます」

「私は限りない量の恨みを買ってきた。 どこで狙われても、不思議ではあるまい」

「いえ、そのような……」

「続けよ。 何が判明している」

咳払いすると、男は話を続けた。

何でもその集団は、おそらく元軍の組織か、或いは現役の軍部隊だという。幾つかの状況証拠が、そう告げているそうだ。

影の者達ともどうやら連携しているようで、とにかく動きが速いのだとか。夜刀の神を斬ると広言しているとかで、東のタケルも情報の提供を惜しんでいないという。

それだけで分かった。

あの峠、いや坂の上とやらだ。

軍の全面支援を受けながら、ヤトを追ってきているという訳か。なるほど、それで捕捉できたという事か。

もしもそうだとすると。

北のタケルに、ヤトの生存が伝わったと見て良いだろう。

ただ、いずれは伝わるものだ。

この間遠目で見たのだが、北のタケルは衰えてきている。武芸に関してはともかく、頭脳に以前のキレがなくなってきているのが、容易に見て取れた。

おそらく、北のタケルは決戦を挑んでくる。

死ぬ前に、どうにかしてアキツの害悪である夜刀を除く。そんな考えで、ヤトを殺しに来ることだろう。

どうしてだろうか。

それが、不思議と楽しみでならない。

手応えのある相手だからか。まあ、それ以外には、特に理由は考えられないだろう。

そういえば、坂の上に対しても、無意識で手心を加えていたかも知れない。どうしてだろうか。

技量は上がった。

それなのに、どうしてか。

まさか、慈悲など、本気で宿してはいないだろうか。人間などを相手に、である。奴らは敵だ。侵略者だ。

殺さなければならない。

そう、自分に、ヤトはもう一度言い聞かせた。

「お前達も気をつけるように。 私の配下であると言うことは、知られるな」

「分かりました。 山神様も、お気を付けて」

「ん」

タケルと決戦をするとなると、やはりこの東北が適切だろう。

吉野だと、ヤマト中枢に近い事もあって、敵が無制限の増援を繰り出してくる。それに対し、此処ではアマツミカボシへの備えもあるし、何より遠征になる。加えて、今は仏教で面倒な事になっているから、それほどの大軍は出せないはずだ。

ヤトも自分の実力は精確に把握しているつもりだ。

タケルが率いる数千の軍とまともに戦えるほどの力はない。

ならば、戦う時に、敵の力を可能な限り削り取らなければならなかった。そのためには、あらゆるものを利用しなければならないだろう。

とりあえず、この辺りの山を、完全に把握する必要がある。

ヤトは無言のまま、周囲の山を把握するべく、走り周りはじめた。

今はヤマトも、蝦夷と戦端は開きたくないはず。

仏教徒の反乱が燻っている内に、手は全て打っておかなければならない。

 

坂の上が目を覚ますと、西のタケルが覗き込んでいた。

体を起こそうとする。

押しとどめられた。

「眠っておれ。 腹に備えを入れておかなければ、おそらく死んでいたのだぞ」

「申し訳ございませぬ」

周囲の様子が、少しずつ見えてくる。

此処は何処かの砦の舎。恐らくは、東北の最前線の一つだろう。

あの夜刀を捕捉した。

しかし、交戦して見て、分かった。実力の差は圧倒的だ。とてもではないが、坂の上だけで倒せる相手では無い。

数年間の努力が、実を結ばなかったとは思わない。

それだけ努力しても、なお圧倒的な差が、夜刀と坂の上の間には、あったという事だ。

僥倖なのは、負傷を誤魔化すことが出来た事。

腹に、絹で包んだ牛の肉をいれておいたのだ。更にその内側、腹に挟むようにして、鉄板を入れていた。衝撃は、牛の肉と鉄がほとんど殺してくれていた。しかし、見せられて戦慄する。

鉄板には、くぼみがくっきり残っていたのだ。素手で、鉄板にこれだけの打撃を与えたことになる。本物の化け物だとしか言いようが無い。

幸い、擬装用の牛肉が意味を成した。

夜刀は化け物そのものだが、この偽装には気付かなかったはず。数年は動けないと思っているだろう。

実際は、ひと月もあれば、もう動ける。

部下達を呼ぶ。

幸い、一人も欠けていなかった。西のタケルが、密かに手伝ってくれていたのだから、当然の話だろう。

「やはり夜刀の神は生きていたか」

「間違いありませぬ。 その実力は、さらなる高みへと登っているようにございます」

「なんと言うことか」

西のタケルが、即座に使者を手配してくれた。

幾つかの事を聞かれる。

まずは容姿。

夜刀のことは殆ど見たことが無いが、戦闘経験者から聞いて、頭の中で浮かべられるほどになっていた。だから、説明も容易い。

赤が彼方此方に入った絹服をきていた。髪は長く伸ばしているが、どうしてか妙に手入れが行き届いている。奴は野山に伏しているはずだが、ざんばらというのでも、ぼさぼさというのでもない。

ただし、妙な雰囲気があった。

野山に暮らす者は、体臭が強い。だが、夜刀からは、殆どそれが感じ取れなかった。

顔にあった強烈な火傷の跡は、綺麗に消えていた。

ただし、表情に浮かぶ狂気は。

いや、まて。狂気は、むしろ薄れていなかったか。奴は、理性的になりつつあるというのだろうか。

それが強みになるのかどうかは、わからない。

手指の欠損は見られなかった。つまり、以前の北のタケルとの決戦で、夜刀は体を失うことなく、生き延びたのだ。

それらを説明し終えると、西のタケルは書き取った内容を、都へ送ってくれた。

そして、腕組みしたまま、大きく嘆息した。

「おそらく、だが。 夜刀の神という者、本当に人間ではなくなっているとみて良いだろうな」

「そのような事があるのですか」

「実例が此処にあるのだ。 認めざるを得まい。 どの特徴を見ても、生き物としての摂理から外れてきていると思わざるを得ぬ」

確かにその通りだが。

しかし、論理的に強さを積み重ねてきた坂の上としては、どうも信じがたい。この数年、ずっと修行を続けてきた。熊と戦い、倒しもした。それだけの技量を身につけて思うのは、世に不思議な事は無い、という事だ。

自然の摂理から外れるというのは、その更に先にあると言うことなのか。

だとすれば。

本当に夜刀を殺せるのだろうか。

頭を振る。弱気を追い払う。

夜刀を殺す事だけが、今の坂の上にある全てだ。幸い、血統は他の親族が継いでくれる。志を託す相手もいる。

「案ずるな。 夜刀を殺す事は出来るはずだ」

「何故に、そう思われます」

「そうでなければ、攻撃を避けることもない。 我々の前に堂々と姿を現し、正面から皆殺しにしようともしない。 もしも奴が不死の怪物であるとしたら、どうであるか、考えて見よ」

「都に姿を見せて、民を片端から殺して廻る……」

その恐ろしい想像に戦慄したが。確かに奴は、山野に伏して、正面からの決戦を避けていた。

奴は、既に摂理を外れ、不老かも知れないが。

不死ではない。

西のタケルの言葉で、少し勇気が戻ってきた。

食事を用意してくれたので、遠慮無くもらう。まずはかゆから。それから、肉を少しずつ食べていく。

体を回復してからが勝負だ。

北のタケルも、夜刀生存の話を聞けば、必ず動いてくれるはず。この難しい状況下、本人が来てくれるかは分からない。

だが、アマツミカボシへの押さえの兵くらいは、出してくれるはずだ。

奴を、殺す。

坂の上は、自分に言い聞かせるように、呟いた。

もう一度、呟く。

俺は。あの邪神、夜刀の神を、必ず殺すと。

 

(続)