蛇神の旅路

 

序、道行く先

 

人間はおろか、獣たちにさえ存在は悟らせない。

地面に足を付けることもしない。

枝を飛び移りながら、ヤトは東へ向かう。目指すは蝦夷。以前アオヘビ集落での戦いで、関わりを持った農耕民族の国。

現在、アマツミカボシという傑出した指揮官の出現により、劣勢だった状況を、どうにか膠着にまで持ち込んでいるという。今のうちに、見極めておくべき存在だ。

森を抜け、河を飛び越え、更に次の森へ。

山深いところを通っているから、飛び越えられるような河しか無い。近畿に向かう際に通った路とは、違う経路を通っているのは。いずれ、この辺りも支配下に収めるためだ。効率よく山々を見て廻った方が良い。

たまに、この辺りでは、ツチグモも見かける。

だが、どいつもこいつもが、ヤマトを怖れて逃げ隠れるものばかり。ヤトだって、毎度ヤマトと正面切って戦ってばかりいるわけではないが、まるで計画性がなく逃げ隠れているのが見え見えな相手は、正直虫酸が走る。

中には、山で暮らす術まで失っているような者達までいるので、そう言う連中を見ると反吐が出た。

いずれ全部山から森から追い出すという事は、この時点では関係が無い。いずれ何かの処置をしてやろうと、ヤトは思った。

途中、木の上で小休止。

この辺りは、地形から言って、以前通った信濃だ。山深く、多くの木々が密生し、幸も豊富だ。動物たちも多く、見ているだけで目を細めてしまう。こういう森を、ヤトは守って行かなければならない。冬は過酷だろうが、それが何だ。

もう少し行けば、関東。

そして其処を抜ければ、東北だ。

途中、守り抜いたアオヘビ集落と、近辺の森を見ていきたい。あの辺りには「呪い」をばらまいたから、人間共は近寄ることがないだろう。だが、もしも誰かが入っていたら、許さない。

皆殺しにしてくれる。

山の様子を見て、動物の数を確認。兎が少し多かったので、数羽を捕らえた。そのまま首を折って、炙って食べることにする。既に、兎くらいなら、追い回さないでも捕らえられるようになっている。

以前は、此方を発見して逃げ出そうとする前に捕らえていたが。

今は違う。木の上から接近し、降りつつ捕らえる。こうすることで、更に相手の初動からの逃走を抑止することが出来るのだ。

ヤトは身体能力が以前と比較にならないほど上がっているから、それを最大限利用している。

狩も、出来るだけ効率的にやった方が良い。

火打ちを使ってたき火を作ると、兎の腹を指で割き、消化器官を引き抜く。皮ごと火で炙っていると、油が落ちてきて、美味しそうな臭いを周囲に撒いた。適当に火が通ったところで、頭から囓る。骨ごとかみ砕きながら、ヤトはふと気付いた。

これ、丸呑みにした方が、栄養を全て取り入れることが出来るのではないのか。

事実、二匹は袖の中に潜ませている蝮たちに与えた。今では蝮たちは、兎を呑むくらい、平気でこなしている。

一瞬だけ考えたが、止めておく。

流石にそれは喉に詰まりそうだ。

ヤトが蛇だったら出来るのかも知れないが。まあ、今はかみ砕いて食べるだけで、満足しておくとしよう。

数匹を平らげてしまうと、横穴を探して、その中で寝る。

まだ、旅路は長い。

 

数日間、無心のまま旅を続けた。

通った経路だから問題は無いが、やはり微妙に路をずらしているので、時々どの辺りか、分からなくなることもある。

その時は木に上がって、影から方角を確認。

そして、山々を見ることで、自分の位置を知るのだ。一度通った山は、忘れなくなっている。だからこそ、出来る技だ。

勿論海岸線を通っても良いのだが、それは以前試した。だから、今更やろうとは思わない。

途中、予定通り、アオヘビ集落の跡地に寄る。

人間共はほこらを造り、それを必死に崇めていた。どうやら、ヤトが恐怖の象徴として、根付いている様子だ。

ヤトの事を知っている人間も、その中には混じっている。

かってアオヘビ集落にいた人間も、散見できた。おそらくはタケルに降った連中だろう。

別に今殺そうとは思わない。

連中は恐怖にむしばまれ、やつれきっている。森の中で何かがあっても、心臓をわしづかみにされて、恐怖に絶息するだろう。むしろ今殺してしまうのはもったいない。恐怖に追い回され、絶望に尻を叩かれながら、精々地獄の生を送り続けると良いのだ。

森の中に入る。

わずか二年ほど前の出来事だったとは思えない。

砦は既に動物たちに占拠され、多くの鳥が巣を作っていた。まだ残っているめぼしい構造物は、全て破壊しておく。大きな音をわざと立てて。さぞや周囲の集落では、恐れる事だろう。

破壊すると言っても、わざわざ鬼を使うまでもない。

動物の斬れる場所が分かってきているように、構造物の脆い箇所も何となく見える。そこを蹴り砕いてやれば良い。

地面には、くっきり足跡が食い込むので、それはそれで面白い。

それに、建物そのものも、苔むして脆くなっている。流石に石材を砕く事はできないので、木材だけを粉砕して、それで満足した。

アオヘビ集落の中に。

自分が暮らしていた横穴には、熊が住んでいたが。ヤトが顔を見せると、怯えきって逃げていった。

やれやれ。

自分は一体何に見えているのだろう。

熊が持ち込んだ骨などの類を全て外に捨てると、久方ぶりの我が家で横になる。時間を分けて飛んでくるように、梟と烏、それに巣を飛び立ったばかりの鳶には躾けてある。すぐに追いついてくるだろう。

翌日、なにやら集落の方で音がする。

木に登り、手をかざして見てみると。どうやら、ヤトを鎮めるために、祭をしているようだった。

よその祭とは違う。

ごく最近、猛威を振るった邪神を鎮めるための祭だ。さぞや気合いが入ったものだろう。見に行っても良いのだが。やめておいた。

これだけ恐怖が浸透しているのなら、充分だ。下手にこれ以上恐怖をまき散らすと、窮鼠の反撃を招く可能性が高い。それはヤトも本意ではない。村の連中は、恐怖に包まれて、ずっと身を縮ませていればそれでいい。普通に殺すよりも、よっぽど苦しめることが出来る。

呪いは最低でも、数百年は機能する。ヤトは人間という概念から逸脱しつつあるが、その時まで生きていられるかは流石に分からない。ただし、もし生きていたら、また呪いを撒く必要がありそうだ。

他の集落の跡地も見ていく。

クマの集落は、完全に朽ち果てていた。元々森の中枢部にあったのだ。木々の侵食が激しく、特にあの二枚舌の老婆であったクマのミコの家は、完全に木に覆われていた。此処でも、めぼしい構造物は、目につく次第壊してしまった。出来るだけ早く、森に戻す必要があるからだ。

イノムシの集落にも足を運んだ。

オロチの者達を住まわせていた谷にも。

どちらでも、徹底的に家の後や、構造物は壊して廻った。谷の周囲では、まだ木々が生える気配がない。

元々この辺りは荒野になっていた。

或いは、緑化の工夫が必要かも知れない。しかし土にしみこんだ毒は、十年や二十年では消えないだろう。

人間はやはり森を喰らうのだ。

ふと気付く。

金床の一つの下に、木ぎれが差し込まれていた。かなり朽ちていたが、引っ張り出してみると、文字が書かれていた。

オロチの老人から、ヤトに当てた手紙だった。

今では、ヤトも文字が読める。

ざっと目を通してみる。

「凶暴だったそなたの事だ。 生き残ったとしても、おそらくは暴威を振るい続けている事だろう」

「その通り」

うそぶきながら、ヤトは口の端をつり上げていた。

あの老人は、ヤトの暴力に心を痛めながらも。何処かで、ヤトを孫娘のように思っていたらしい。

そう思われることを、ヤトは嫌がってはいなかった。元々クロヘビ集落でも孤立していて、ミコとしても信頼されていなかったヤトは、あまり肉親に親近感を覚えた事がない。だから、だろうか。

ヤト自身も、あのオロチの老人は、悪く思っていなかったようだ。今になって考えれば、そうだと分かる。

不可思議な肉親の感情もあったものだ。多くの人間を殺すために観察してきたヤトは、自分がツチグモの中でも特に異様な性格だったことを、今では理解している。だが、ツチグモとしての考え方は根元にあるし、誰よりも森を愛している自負もある。だから結局の所、ツチグモから逸脱したオロチの老人と自分では、歪んだ祖父と孫でしか、あり得なかったのかも知れない。

「蝦夷に逃げ延びても、儂はあまり長くは生きられぬだろう。 儂の最高傑作である鬼を、大事にしてやって欲しい」

「鬼に何度命を救われたか分からぬ。 これからも鬼は、私の相棒だ」

手紙には、幾つかの事が書かれていた。

驚くべき事に、それらの中には、製鉄の奥義も含まれていた。これは或いは、蝦夷との交渉で、または自分の部下達とのやりとりの中で、切り札として用いることが出来るかも知れない。

どうしてか、心がしんみりした。

私もまだまだ甘いなと、ヤトは思う。

そして、何となく気付く。

自分が決定的に歪んだのは、こういう感情をまったく受けることがなかったから、ではないかと。

自然からは、厳しいながらも、対等の関係を保ってもらった。

だからこそに、今は思う。

人間は、結局の所。最初から最後まで、ヤトの敵なのだろう。

手紙の内容は、全て記憶した。記憶しきった後、少し悩んだが、燃やす。それで良い。ヤトの中に、記憶は全て刻まれた。

あの老人が、ヤトを心配していたことも、何となく分かった。わざわざ暴威などと記したのも、ヤトが怖かったからではなく、気の毒に感じていたから、なのだろう。

残っていた構造物を全て壊し尽くすと、ヤトは谷を出る。

まだ、集落の方では、祭を続けていた。

 

1、タケル集結

 

このアキツのヤマト朝廷には、四人のタケルと呼ばれる傑出した将軍がいる。北のタケルと言われている自分の他に、方角の名を冠した三名が、それぞれ頂点に君臨するものとして、朝廷の信任を得ていた。

陸中に到着した北のタケルは、ざっと陣を見て廻る。

連れて来た六千二百の兵士達は、行軍をしながら編成と訓練を済ませてあり、鋭気充分。

それに対して、アマツミカボシの猛攻で打撃を受けたという東のタケルの軍勢は、少し前にようやくこの地に戻ってきたと言うが、鋭気に欠けるところがあった。それでも、並の軍とは比較にならない装備と、編成、それに軍全体から立ち上るような気を感じ取ることが出来る。

越後に、現在南のタケルが。これは敵の前線から離れているが、一種の遊軍として行動しているためだ。

そして敵の主力とぶつかり合っているのは、西のタケル。

かってクマソを叩き潰した英雄の息子に当たる。クマソを葬った西のタケルは、線の細い美男子で、それこそ女装が似合うような男だったが、軍才には恵まれておらず、主に軍の指揮は懐刀と呼ばれる将軍達が行っていた。

今の西のタケルは、幼い頃からその将軍達の教育を受けて育った、生粋の軍人である。世代を重ねて鍛え上げられた軍馬のように、戦の才能は凄まじいものがある。

敵は専守防衛に徹しているから、全域に散っているこれらの軍勢と、主力決戦はあまり行っていないようすだ。

殆どの場合、砦を取ったり取られたりの戦いが続いている。

それらの報告は、道中にて、既に受けていた。

東のタケルが姿を見せる。

頬に凄い向かい傷が出来ていた。戦いの最中に、受けたものだろう。下馬して、礼をかわす。

「東の、久しぶりだな」

「北のタケル将軍も、ご健勝で何よりです。 都近辺で、夜刀なる邪神と戦い続けていたとか」

「うむ、手強い相手でな。 追い詰めはしたのだが、死体は残念ながら、まだ確認できてはおらぬ。 故に、蝦夷にとどめを刺したら、すぐに戻る予定だ」

「お忙しいことにございます」

まだ若い東のは、気力もみなぎる様子だ。タケルと呼ばれる四名の将軍の中でも最年少であり、気力に満ちているのも当然だ。長身であるから単純に武力も高そうに見えるが、残念ながらそちらの才覚には恵まれなかった。

さっそく本陣に通された。

この近辺の戦線で、アマツミカボシは確認できていないという。

「敵はこちらの軍勢に打撃を与えても、兵を進めては来ませんでした。 他の戦線で打撃を受けたから、かも知れませんが。 どうもアマツミカボシという将軍には、専守防衛にしか興味が無いように見受けられます」

「ふむ、続けて欲しい」

「現在アマツミカボシは、その所在を確認できておりません。 ただ、少し前に、西のタケル将軍が、軽く小競り合いした相手が、恐ろしく精強であったということです。 おそらく指揮官はアマツミカボシだったのでしょう。 二千同士の兵力でぶつかりあい、此方の損害の方が六割ほど多かったとか。 短い時間での交戦故、さほどの被害は出なかったという事ですが、危険度には拍車が掛かっていますね」

思わず、北のタケルは唸っていた。

蝦夷の兵士達の武装は脆弱。とてもではないが、ヤマト朝廷の兵士達の装備には及ばない。指揮官の力量が、それだけ高いという事だ。

軍才においてはタケル随一とさえ言われる東の軍勢を一蹴し、なおかつクマソを屠った英雄の血を引く西の精鋭に打撃を与えるとは。

それから、敵の兵力配置について、説明される。

現在敵は野戦用の兵力を三千ほど有していると言う。前線の各地に散っている守備用の戦力は、合計して一万ほど。主力決戦をする場合、これらから引き抜いてきて、五千ほどの戦力を用意できるだろうと、東のは言った。

その五千をアマツミカボシが率いた場合の危険性は、想像を絶する。ただ、どういうわけか、基本アマツミカボシは二千程度の兵士か率いて行動しないという。

此方の軍勢は今のところ、四名のタケルが率いる部隊が二万四千。これから兵力の補充や人員の交代を行い、二万五千ほどにする予定だ。それに加えて、各地の守備兵が合計して一万五千ほど。

ただし、この守備兵は訓練も装備も脆弱で、遠征に使える代物ではないという。

東北全域を含む長い長い戦線であるから、これだけの軍勢が、双方で結集している。早く戦いにけりを付けなければ、さらなる面倒な事態が訪れることだろう。大陸ではまだ統一国家は作られていないが、急がないと面倒な事になりかねない。

更に言えば、ヤマト側の兵力は、それこそアキツ全域から少しずつ、地域の負担にならぬよう集めたものだ。それに対して、蝦夷の軍勢は、狭い地域から、総力戦覚悟で集めたもの。長期戦になれば確かに味方は有利だろう。

しかしその一方で、東北が荒れ果ててしまう。

今後の事を考えると、可能な限り東北の荒廃は避けたい。豊かな土地なのは、間違いないのだ。

「敵を食い破れそうな戦線は」

「そうですね、この辺りならば」

敵の守備兵力は、現在西のタケルが率いる主力軍の近辺に密集している。神出鬼没のアマツミカボシの事もあって、現在は攻勢を控えている状況だが。しかし、幾つか守りが甘い箇所もあると言うことだ。

他のタケルとも、連携して、一気に戦線を推し進めたい。

すぐに使者を派遣する。

他のタケル達と協議することが決まった。現在、タケルの中では最年長の、南のタケルが指揮を執る形で良いだろう。

北のタケルは会議を切り上げると、一旦西へと兵を進める。

兵を移動させるだけで、敵は守備兵力を見直さなければならない。それだけ、相手に圧迫を掛けられると言うことを意味している。

移動しながら見て廻るが、東北は海沿いが非常に豊かな反面、山々の深さが尋常では無い。

特に北陸に入ってしまうと、まるで未開の原野だ。

平野部分では、豊かな耕作地帯が広がっているので、その対比が強烈である。案の定民に話を聞いて廻ると、山には魔物が住んで言うという話が聞けるのだった。

数日兵を移動して、西のタケルの軍勢と合流する。

眉目秀麗を歌われた先代の血を受け継いでいるからか、西のタケルは若々しく、そしてとても目立つ。

今でも宮中の女官達には人気があると聞いているが、無理もない。

北のタケルの軍勢が現れたと聞くと、すぐに西のタケルは姿を見せた。挨拶もそこそこに、本陣に案内される。

戦況についてすぐに説明されたのは、この若々しい将軍が、戦の中で生きてきた男であることを証明している。

若い頃から、戦漬けだったのだから、当然だ。

しばらく兵力の配置について説明されたが、非常に遊びのない説明だった。全ての説明を受け終わった頃には、辺りの兵力配置が、頭の中に浮かぶほどになっていた。

「ご質問は」

「アマツミカボシについて聞きたい」

「此処一年ほどで、私はおそらくその指揮官と、四度にわたって交戦しました。 指揮の癖などで、分かります」

流石だ。

戦の才については東のが上だと聞いているが、実直に積み上げた軍事知識がものをいう。西のタケルは、文字通りの、常在戦場の男なのだ。

「して、どのような相手だ」

「文字通り、閃くような軍才の持ち主です。 兵はみな、確実に勝てると信じて、したがっている様子です。 おそらくは、現在アキツにおける、最強の指揮官であることでしょう」

これほどの絶賛。

是非交戦して見たくなった。だが、兵士達を無為に死なせるわけにはいかない。幾つか、質問を重ねていく。

「東のが敗れた戦いについては、聞いているか」

「はい。 陸中で行われた戦いなのですが、敵の前線を突破した東のタケル将軍が、追撃を続けていたところ。 不意に精強な敵軍に遭遇しました」

それが、アマツミカボシの兵だったというのだ。

装備は決して優れているとはいえず、雑多な編成。しかし、侮ってかかった東のタケルの軍勢は、前衛を瞬く間に突破されたという。

新兵器や、何かの新しい戦術であるのかと北のタケルが聞き直すと、どうやら違うらしいと言う。

「追撃で長く伸びきっていた陣形を突かれたようです。 前衛が潰走するのを見届けた東のタケル将軍は、陣を立て直して反撃に出ましたが」

「如何したのか」

「銅鑼が数度叩き鳴らされたかと思うと、不意に敵が陣形を変えました。 錐のような鋭い陣に変わったかと思うと、まるで蛇が敵ののど頸に噛みつくようにして、横腹を突いてきたと。 凄まじい早さで、とても対応できなかったそうです」

おそらくは、その訓練をずっと続けてきたのだろう。練度は凄まじかったらしいと、西のタケルは言う。

更に、敗走していた敵が戻ってきたのを見て、東のタケルは抗戦を断念。自身が殿となって、敵軍を食い止めながら、撤退を開始した。

敵の追撃は凄まじく、兵力差が逆転したこともあって、殿は大きな被害を受けた。東のタケルも、負傷した。

兵は関東まで一旦後退し、食い破った敵の防衛線は、一気に回復されてしまった。

更に本格的な冬が到来してしまった事もあり、これ以上の攻撃は無理となった。以上が戦いの経緯だと、西のタケルは説明を終えた。

「最初は半信半疑でありましたが、その後何度となくアマツミカボシという指揮官は、前線に出てきました。 その度に味方は大きな被害を受けており、兵士達の中には、まがつ神としてアマツミカボシを怖れる声も出始めています」

「良くない傾向だな」

「前線を進めようとするとアマツミカボシが現れる事からも、指揮官の中には、味方の中に内通者がいるのではないか、という声まで出始めている様子です」

それは、ますますまずい。

疑心暗鬼は内紛を呼びかねない。或いは、武王自身に出陣を願うという手もあるのだが。その場合、もし負けたら、この国が転覆しかねない大事だ。

しばらく考え抜いてから、北のタケルは判断した。

「これより、南のタケルも交えて会議を行う。 その際に、アマツミカボシを屠る算段を進めよう」

「やはり、それしかありませぬか」

「うむ。 これ以上敵を利すれば、関東にいる不満分子が騒ぎ出しかねぬ」

問題は、どのタケルも我が強いということか。

現在の状況は、必ずしも理想型とは言えない。確かにアキツにおける最高の指揮官が結集しているが、ヤマト側には司令となる存在がいない。それに対して、蝦夷側は、アマツミカボシ一人が、戦線を支えている状態だ。

このいびつさ、下手をすると即座に戦線が崩壊する要因となりかねない。一体どうして、このようなことになってしまったのか。

武王の時代になってから、朝廷はあまりに勝ちすぎたのも要因だろう。

九州の制圧。長年手強い敵として君臨したオロチの撃滅。それが終わってしまえば、後は東進だけ。

抵抗できるツチグモは殆どおらず、押し潰すようにして前進していった結果。最後の強敵として立ちふさがった蝦夷に、こうも苦戦してしまっている。アマツミカボシが現れたのは、決して偶然ではないだろう。

数日後、越後にいた南のタケルが姿を見せる。

少し遅れて、東のタケルも到着した。

南のタケルは最年長。かってオロチを屠った、スサノオと呼ばれた将軍の親族、正確には甥だ。かって北のタケルとなったスサノオの名を引き継いだ自分とは、因縁浅からぬ存在である。しかし現在は加齢による衰えが酷く、将軍達が代わりに指揮を執っている。

現在、タケルにおける東西南北の称号は、かってほどの意味を持たなくなっている。ただ、空席に座るという状況に近い。

実際問題、北のタケルと言われている自分も、それほど北の地で決定的な武勲をたてた訳では無い。都の近辺では武勲を重ねたが、北陸に来るのは初めてなのだ。

南のタケルは何度か咳き込みながら、馬を降りる。その老人の体を、見たことが無い娘が支えた。

非常に幼い印象を受ける娘である。

鎧を着込んでいるが、どうにも似合っていない。一応太刀も腰に付けてはいるが、戦場では役立ちそうにない。

しかし、自分より遙かに小柄な夜刀に苦戦した経験もある。

見た目だけで馬鹿にしようとは、タケルも思わなかった。

愛人では、ないだろう。

昔からこの国では、戦場に恋人を連れ込むことは、悪しきことだとして遠ざけられる傾向がある。

となると、武人だ。

「おう、北の、東の、西の。 全員が揃っているようだな」

「早速、作戦会議を始めましょう。 最年長である貴方が、司令となっていただきたい」

「またれよ、北の」

「如何なさいましたか」

衰えが酷い様子の南のタケルは、娘に手伝ってもらいながら、床几に腰を下ろす。かってはスサノオに勝るとも劣らないと言われた猛将が、今ではこのような姿になってしまったか。

口惜しいと言うよりも、悲しみさえ覚えた。

「指揮は、貴殿が取れ」

「な。 貴方が適任でございます」

「いや、気力、経験、それに戦の才。 全てにおいて一番合計で優れているのは、間違いなく貴殿だ。 儂は年老いて、既にチカラを前線で振るうにはむずかしい。 そなたが皆を導いてくれぬか」

困り果てる北のタケルだが。

東のタケル、西のタケルも、まんざらではない様子だ。

「分かりました。 それでは、僭越ながら、引き受けましょう」

「うむ。 それでは、弘子、挨拶をせい」

「南のタケルの娘、弘子にございます。 以後お見知りおきを」

「実質的な指揮は、弘子が取る。 すでに数ヶ月の実績を積んでおり、我が軍の指揮官達も、弘子に従う事を了承しておる。 戦の才に関しては、相当なものがある故、心配めされるな」

北のタケルは、更に困ったが。

しかし、東のも、西のも、何も言わない。という事は、納得がいく話なのだろう。

それにしても、猛将として名高い南のタケルが、こうも衰えてしまっていたとは。かってはまるで狒々のような体格を誇り、群がる敵をなぎ倒して進んでいた、人外の武勇の持ち主であったのに。

すっかり衰えて小さくなって。

自分もいずれ、こうなるのだろうか。しかし、年の離れた娘は、けなげに父を支えている。見習わなければならない。

さっそく、弘子を交えて、会議を始める。

冬まではまだときがある。

此処で一気にアマツミカボシの不敗伝説を崩し、敵を屠らなければならなかった。

 

「アマツミカボシ様!」

外で、兵士達が呼んでいる声がする。私は、ほこらの中で、静かに寝ていたのに。自分だけに作られたほこら。土盛りを作って、その中に生活空間を作った、小さな私の楽園。

あの日以来、私の中には、声が響くようになった。

そして今、外からも声が響いている。

五月蠅い。

煩わしい。

喧しい。

無言で外に出ると、兵士達が、私の前に平伏した。蝦夷の忠実なる兵士達。かっては負け戦しか知らず、怯えきっていた無能な犬共。

今では私のおかげで勝利を知り、兵士らしく動けるようになっている。

だから此奴は、私にひれ伏すのだ。

かって、夜刀にひれ伏したように。

その光景を、かって無力だった私は見ていた。純心だった私は、それを見て、素直に凄いと思った。

濁りきった今は。

もはや、どうでもよい。兵士など、使い捨ての駒でしかない。ただ効率よく敵を殺すために、消耗する素材。

「お目覚めにございますか、アマツミカボシ様!」

「何用か……」

「敵が動き始めました! 結集したタケルが、一気に北上を開始! 兵力は二万を越えると思われます!」

なるほど、数日前からごそごそやっていると思ったら、ついに来たか。

だが、備えはしてある。

「事前の指示通り、堰を切れ」

「は。 川下の村々の避難は既に終えております。 即座に、作業に取りかかります」

「急げ」

兵士達が、ばたばたと散っていった。

私は。アマツミカボシと名乗るようになってから、狂気を心の中で抑えることが出来なくなりつつある。

きっとあの人も。

夜刀も、同じだろう。

私をこのような存在にしたあの人も、畿内で大暴れしていると聞いている。そしてこれは勘だが、近々此方に姿を見せること疑いない。

姿を見せたとき、どんな礼をすると喜ぶだろう。

戦ってみせるのはどうか。

いろいろな達人に技を見せてもらった。今ではその大半を再現することが出来る。あの人も滅茶苦茶に強くなっているだろう。まさか、私に負けるはずがない。だったら、最初から全力で襲いかかっても。

大丈夫なはずだ。

笑いが零れる。

そして、ほこらを這い出た。

今の私は、アマツミカボシ。

かっては。

弥生と呼ばれていた。

陽光が鬱陶しい。狂気によどんだ心には、陽光は正直邪魔な存在でしか無い。ぼんやりと立ち尽くしていると、気を利かせた兵士達が、馬を引いてきた。そう。夜刀が、本当にほしがっていた馬。

此処には、いくらでもいる。

どうやら、この東北の地では、馬を育成するのに適しているらしい。自分用に鎧もあつらえさせた。

巫女だった頃には、とても重くて、着る事など不可能だっただろう。今では鎧を着けた上で、馬上戦闘用の長刀を持つことが出来る。

兵士達を促して、近くの山の上に。

敵はかなりおおざっぱに広がって、此方に迫ってきている。此方にある砦の一つを、揉み潰すつもりだろう。

兵力はざっと見たところ、二万五千。

だが、気になる。

じっと見つめている内に、違和感の正体に気付いた。

まあ、別にそれならそれでも構わない。はっきりいって、今の私には。蝦夷など、それこそどうでも良いのだ。

兵士達が、幾つか準備しておいた、堰を切る。

いわゆる嚢砂の計だ。

どっと流れ出た河が、敵に襲いかかる。だが、その瞬間、敵軍が一気に反転し、後退を開始。

そのまま兵を立て直すと、氾濫を起こした向こう側に、布陣し直したのである。

やはり、そうきたか。

「アマツミカボシ様! 策が……」

「別に構わないよ。 うふふふふふ、その程度の事、何でもないんだから」

実際何でもないのだから、私の余裕は崩れない。

むしろタケルが四人で、どこまで私に対抗できるのか。少し、自分の力を試してみたいというのが本音だ。

今、アマツミカボシが抱えている野戦軍は二千。

その内百が騎馬隊という、このアキツでは例外的な数の戦力だ。ヤマト全域でも、これほどの馬を集めるのはむずかしいだろう。東北では、少し前に馬の量産化に成功した。効率よく子を産ませ、育てる技法を確立したのだ。

そして弥生がその成果である騎馬隊を任されているのには、アマツミカボシと名乗り、最強の将として活躍しはじめたからである。

今では、蝦夷の諸将さえ、弥生を怖れはじめている。

舌なめずりすると、弥生は指揮剣を振るった。そして、堰の上流へ移動。渡河を済ませる。

指揮官の一人が、声を震わせた。

「ま、まさか。 真正面から、敵に挑むつもりですか」

「さあ、どうだろ」

ひひひひひと私が笑うと、指揮官は青ざめたまま口をつぐんだ。

私は基本、誰にも作戦を漏らさない。作戦を告げるのは、自分だけ。自分の中だけで会話して、自分と判断し合って決める。

私の中には、複数の私がいるのだ。

私の一人は言っている。

奇襲すべし。

敵のうち、幾らかは夜通しの進軍で疲れ切っている。夜襲を仕掛ければ、かなりの打撃を与えることが出来るだろう。

だが、もう一人は言う。

敵はタケル。しかも四人だ。それくらい、備えていない筈がない。夜襲はやめて、まずは持久戦に持ち込むのだ。

だが、私は思うのだ。

敵には仕掛ける。その後、機動戦に持ち込み、敵を振り回す。大群である以上、敵は動きが取りづらい。

敵を引きずり回しては打撃を与え、逃げ回ってはまたとって返す。こうして敵の疲弊を誘い、最終的にタケルを誰か倒す。

至宝であるタケルが倒されたとなれば。朝廷は一度兵を引かざるを得なくなる。そうすれば、相当な時間を稼ぐことが出来る。

現実問題として、蝦夷の国力疲弊はかなり酷い。

このまま長期戦が続くと、数年で国家の形をなせなくなるだろうと、分析は出来ていた。此処で勝たなければ、全てが終わる。それなのに兵力を出し惜しみし、いざというときの交渉についてばかり考えている蝦夷の王族に、私は興味が無い。機会を見て、根こそぎにブチ殺してやろうと思っている。

しばらく私同士で話し合って、結論。

全てを混ぜ合わせるのが良いだろう。つまり、まずは夜襲を仕掛ける。その後、機動戦に持ち込む。

木に登って何度か偵察するが、やるならば西のタケルの陣営だ。北は戦ったことがあるがかなり手強いし、南は最近妙に手強い指揮官が加わった。東のは叩きのめしてやったばかりだから、相当に警戒しているだろう。

軍を停止させると、夜を待つ。

私アマツミカボシにとって、今や夜の方が、過ごしやすい時間だ。森の中で静かにしていると、声が彼方此方から聞こえてくる。

殺せ。

嬲れ。

焼き払え。

そんな声がとてもいとおしくて、私アマツミカボシは、いつもいつも夜を楽しみにしてしまうのだ。

しばらく無言にして、明け方近くを待つ。

途中小休止を入れながら、移動を繰り返す。そして、辿り着いた。西のタケルの陣の近くだ。

敵は防御のための円陣を組み、此方の襲撃に備えている。かなり堅い守りだが、私から見れば。

いや、充分硬い。

夜襲は失敗するの前提でやるべきか。まあ、それでも構わない。当初の戦略は、敵の大軍を疲弊させる事だ。

篝火を焚いて、かなり重点的に警備しているが。夜明け前のこの時間は、どんな精鋭でも眠気に心が揺さぶられる。

右手を挙げると、兵士達が一斉に矢を構えた。しばらく、様子を見守る。敵は此方に気付いていない。

地の利は此方にある。さて、やるか。

手を振り下ろす。

一斉に、矢が撃ち込まれた。

 

昼少し過ぎ。

追撃してきた敵をとって返しては屠り、また逃げ回っては、とって返し。繰り返しながら、私は振り返った。

敵の軍勢が、秩序を取り戻しつつある。

夜襲から混乱に陥った敵陣に躍り込んで、手当たり次第に暴れ回り、そして逃げた。敵が追いついてくるのを見計らって先頭を叩き、そしてまた逃げる。敵は以前に比べると冷静だが、それでも数度同じように先頭部隊を蹂躙してやると、ムキになって追ってきた。少なくとも、昼までは。

手をかざして、敵陣を見る。

既に追撃を止めようとしているほどだ。それだけではない。弓兵の部隊を整えて、此方が近づけば射すくめようとさえしている。

これは、敵の状況が変わったと見て良い。

今まで、タケル三人が、それぞれ勝手に動いていた。だから各個撃破は難しくなかったし、むしろ敵が勝手にまとまりを無くしていた。

これは、或いは。

武王が来たか。

いや、そんな報告は受けていない。タケル四人で話し合い、首魁となる者を決めたのだろう。

そうなると、どのタケルが長に収まったのか、探る必要がある。

敵と距離を一旦取ると、夜を待って、此方の勢力圏に戻る。砦の一つに入ると、食料庫を勝手に開けて、兵士達に餌を喰わせた。私自身は、行く途中に鳥を数羽射落として、それを焼いて食べた。

砦の指揮官は青い顔をしている。

いきなり二千もの兵士が来た上、勝手に食糧を食い荒らされたのだ。その上、砦の兵士達を、勝手に引き抜くと私が言うと、激高した。

「如何に貴方が救国の英雄といえど、無茶苦茶にもほどがありましょう!」

次の瞬間。

その指揮官は、何をされたか分からなかっただろう。腰を抜かして、へたり込んでいた。私が肩を軽く叩いたのだ。阿呆が着込んでいる鎧の肩当ては、大きくへこんでいた。

「私はぁ、あんたよりだいぶ強いし、食糧も有効活用できる。 分かってる?」

「ひ……」

「だから、あんた達の食い物は、私の部下の餌。 分かったら、黙っててくれるぅ、かなぁ……?」

私がけたけた笑いながらその場を去ると、ようやく自分が失禁していたことに気付いたのだろう。

指揮官は、這うようにして、その場を逃げていった。

それを笑う兵士達は、一人もいない。

兵士達は、みな私を怖れている。

アマツミカボシという邪神が、私に乗り移ったと、噂している声がある。むしろ私は、それを積極的に煽った。そして、アマツミカボシと名乗りはじめたのだ。蝦夷の許可など、取ってはいない。

数刻で、その砦を離れる。

そして、また敵の近くまで、陣を進めた。兵士達に休憩は取らせる。駒とは言え、動きが鈍ると、戦いには勝てなくなるからだ。

西のタケルの陣は、昨晩の夜襲で相応の損害を受けた。

だが、今の時点で、私が見たところ。損害比率では、せいぜいといといだろう。ならば、もっと敵を引きずり回してやらなければならない。

だが手をかざして見る限り、敵の軍勢に隙は無くなっている。

このままだと、夜襲を仕掛けても、おそらく失敗するだろう。挑発してみるが、乗ってこない。

敵は二万五千の軍勢を進めて、此方の砦を一つ、二つと、力任せに叩き潰しはじめた。この様子では、近いうちに前線が食い破られるだろう。

偵察の兵士達が戻ってくる。

「敵の前線は、兵を入れて固めている様子です」

「……まずいな」

此方の兵は二千。

敵の前線を食い破るのは難しい。しかも、敵は前線後方に補給基地を作って、其処から物資を動かしている。

二万五千の兵は此方の砦を叩き潰しながら、確実に前進。

奇策など必要ない。

圧倒的な兵力で、徹底的に叩き潰す。

工夫も芸もない。だが、戦場では、むしろその方が、被害を減らし、大きな戦果を上げる事が出来る。

私は臍をかんだ。

こんなつまらない相手は初めてだ。夜刀は北のタケルを相手にするとき、こんな苦労をしていたのか。

私の中で、計算する。

このまま行くと、今年中に蝦夷はタケルに降伏を申し出るだろう。それはまずい。それでは、私が暴れられなくなる。

今、私にとっての楽しみは、敵を殺す事だ。私の中の何人かが、それで一致している。そして、軍を使うことで、その趣味を、より効率よく実施できる。

「王に使いを出せ」

「書状はどういたしますか」

「今書く」

すぐにしたためた書状の内容は、簡単極まりない。

敵の猛攻に対するには、兵力が足らず。王族直々の出陣か、もしくは野戦軍を三千以上廻して欲しい。

敵は二万五千だが、六千以上の兵力があれば、どうにかしてみせる自信もある。

今の時点で敵はほぼ完璧な用兵をしているが、それも私から見れば隙が多い。もう少し兵がいれば、崩せる相手だ。

とにかく今は時間稼ぎが必要だろう。

翌日から私は、敵の補給路に、徹底的な攻撃を加えはじめた。

とは言っても、敵の補給路は短い。叩いても叩いても、またつなげられてしまう。無能な王族共が怖がるようなことを、たくさん書いておいたのだ。絶対に援軍は送ってくるはずである。

そうでなければ、死ね。

お前らに、存在する意義など無い。

そう、私は心中で毒づく。

私の中にたくさんいる私が、同意して、皆で笑っていた。

増援が届くと同時に。

さあ、敵に主力決戦を挑もう。そして可能な限り殺して、敵を混沌の地獄に叩き込むのだ。

 

2、蝦夷の夕暮れ

 

前線にいるアマツミカボシからの援軍要請で、蝦夷王が泡を食った。王宮から使者が狂ったように各地に飛び、村々から予備兵力が徴発され、前線に送り出されていった。既に蝦夷の国力は限界が近い。

此処で敵を追い返せなければ、国中が失血死する事になるだろう。

蝦夷王の側に使える神官長であるワテムルは、知っている。

蝦夷王が、神の代理などではないことを。

結局の所、神儀もそれと同じ。巫女をしている者達も、殆どが知っているだろう。実際には、その殆どが、茶番に過ぎないことなどは。

民は、神を信じている。

だから神の代理として、王が必要になってくる。実際に政務を執っているのは神官達だ。朝廷では、文官武官をそれぞれ配置していると聞いている。蝦夷では、とうとう其処まで、国を発展させられなかった。

現在の国力比は、蝦夷1に対して、朝廷が12から15というところ。

鉄の生産力だけではない。

人口も、兵力も、訓練も。それに何より、技術も。

何もかもが、相手に及ばない。

そして、指揮官の質も。

王の器もだ。

今、王宮で震えている蝦夷王は、まだ若い。朝廷の武王に比べると、息子のような年だ。だが青白く痩せたその姿には、武力の欠片も感じる事が出来ない。かっては厳しい環境で鍛えられた蝦夷の民は、武芸優れた王を神の代理人として頼み、周辺の民族の頂点に立ったものだ。

だが、朝廷による侵食がはっきりし始めると、蝦夷から離れる民は多くなった。

今では、藁屋根の小さな宮殿の奥で、震える王。そして、朝廷の軍勢に、かろうじて抵抗する前線。

どちらも、風前の灯火という言葉を、これ以上もなく示していた。

「ワテムルよ」

王が、書類仕事をしているワテムルに声を掛けてきた。恐怖からか、声が上擦っている。先代から仕えているワテムルは、巫女達に目配せ。

すぐに、人払いをさせた。

これ以上王の情けない姿を見せるわけにはいかないのだ。

幸い、王の息子は勇敢で、将軍としても未来を嘱望されている。この若者が成人し、経験を積むまでは。どうにかして、蝦夷をもたせなければならない。

「アマツミカボシは、前線で頑張っておろうか」

「何度となく、タケルの率いる精鋭を撃退しております。 凱旋の暁には、大将軍の地位をお与えください」

「そうか。 あのうだつが上がらなかった巫女がのう……」

「常陸で、鬼が心に宿ったようにございます」

そもそも、アマツミカボシ。巫女弥生は、死んでもいい存在として、常陸に援軍として出されたのだ。

派遣した兵は、半数も生きては戻らなかった。

時間は稼いだから、それで由としなければならなかった。

問題は、その後だ。

戻ってきた弥生は、露骨に様子がおかしくなっていた。言動が常軌を逸していて、最初巫女達は同情した。兵士達に乱暴されたり、或いは余程怖い目にあったのではないかと。しかし、違っていた。

常陸で戦っていた夜刀なる者に、狂気を仕込まれたのだ。

側に付けていた護衛の荒猪は生還している。彼によると、弥生は帰路でも、既に精神が壊れてしまっていたそうだ。

夜刀というツチグモの頭領は残忍極まりなく、様々なあやしの技も用いたという。その一つが、狂気だった。

他にも、夜刀に狂気を仕込まれた兵士はかなりいたという。

アツスという男は、生還してからと言うもの、前線で暴れ狂い、十以上の首級をあげたという事だ。

少し前に戦死したが、その時も数人の敵兵を道連れに、笑いながら死んでいったという。

弥生は剣を使うようになり始め、わずか半月で達人が舌を巻くほどの腕前になった。馬もすぐに乗りこなした。

そして前線に無理矢理出て行くと、初陣でいきなり敵将の首を上げたのである。

かっての弱々しい、優しい女は、どこにも残っていなかった。

敵将の血まみれの首をわしづかみにして、満面の笑みで戻ってきた弥生を見て、周囲の兵士達も皆戦慄していたという。

弥生は名乗った。

私は、アマツミカボシだと。

意味はよく分からなかったが、明けの明星の化身なのだとか。兵士達は、それからも、弥生の武芸を見せつけられ続けた。圧倒的な武力で暴れ狂う弥生が、やがてアマツミカボシとして認識され。

そして指揮官としても優秀だと分かったとき、この国の希望となった。

だがワテムルには、痛々しくてならない。

完全に精神の均衡を崩した弥生は、もはや別人だ。かっての心優しい女は、どこにも残っていない。

死んでも良いからと、送り出した自分に最大の責任がある。

だが、あれほど変わり果てた姿になると、どうして思えよう。やはり、戦争を自分も甘く見ていたのだと。あの時悟ったのだ。

王は安心したのか、寝所に引っ込む。

まだ若いのに、殆どの時間、寝所で眠っている。何かの病気かと思った時期もあったのだが、単に怠けたいのと、現実を見たくないのが半々だろうと、今では思っている。

我々は、弥生に殺されるかも知れない。

だが、ワテムルは、それを諦めていた。自業自得だと感じているからだ。他の巫女達は、殺されないようにしなければならない。

王と自分だけが殺されて。それでアマツミカボシが。弥生の気が済むのであれば。

今でも荒猪は、弥生の側についている。

おそらくは、責任を感じているからだろう。嘆息すると、書状を片付けてしまう。王が役に立てない今。働くべきは、自分しかいないのだ。

 

翌朝、早馬が来た。

続けての催促である。勿論、野戦軍は出せるだけ前線に廻した。行き違いとなったのだろう。

今まで少数の兵士だけで、神業のような用兵を続けてきた弥生が、こうも矢継ぎ早の援軍要請をしてくるとは。

巫女達が、不安そうにしている。

戦に負ければ、皆兵士達の慰め者にされると思っているのだろう。

実際には、タケルは極めて冷静な指揮官で、兵士に略奪もさせないと聞いている。だが、そうだとは言えない。

もしもそう知られれば、戦意を無くして降伏する可能性があるからだ。敵は鬼畜だと思わせておかなければ、兵士達は必死の抵抗をしない。巫女達もそれは同じ。文官のような役割をしている巫女も多い。

兵士に、既に増援は手配したと伝えるようにと返すと、宮廷に戻る。

とはいっても、所詮は小さな建物だ。中に入ると、すぐに王の醜態が見えた。

「ワテムル! 早う、早う来い!」

「如何なさいましたか」

「今のは伝令であろう! アマツミカボシが、負けているのではないのか! どうなのだ!」

「状況はまだ分かりません。 しかしあのアマツミカボシ将軍が、そうそう遅れを取るとは思えません」

情けない声を上げ、すすり泣く王。

嘆息すると、ワテムルは努めて優しく、王を叱責する。

「既に出来る事はいたしました。 いざというときには、民を守るため、私と王、貴方が犠牲になることは避けられないでしょう」

「よ、余は死にとうない」

「野山を駆けまわり、獣たちを狩ってきた先祖が今の陛下を見たら泣きまするぞ」

「しかし、余は怖いのじゃ」

駄目だ。どうしてこの王は、こうなってしまったのか。

昔は、こうではなかった。民の生活を見て廻り、どうすれば良くなるのか、真剣に皆と考えていた。

その頃から体は確かに弱かった。

だが、自分よりも、民を慰撫する、強く優しい心も持っていたのだ。それなのに、今では。

宮殿を出ると、巫女達が待っていた。

皆、厳しい顔をしている。

「如何したか」

「肝心の陛下がこの有様では、弥生は戦えません」

そう詰め寄ったのは、弥生の先輩として、指導をしていた巫女だった。彼女は弥生を派遣したことをずっと恨んでいた。ワテムルとしては、恨まれて当然だと考えているから、何も言わないでいた。

しかし、陛下にもの申すのであれば、反論しなければならない。

「もう少し待て。 陛下も昔は、心優しく、なおかつ強い心をお持ちであった。 それはそなた達も知っているでは無いか」

「昔は昔、今は今です」

「今の陛下は、まるで雷を怖れ、布団に籠もって泣く童子のよう! これでは、そうそうに引退してもらう他ありますまい」

巫女達が、そうだそうだと声を張り上げた。

確かに嫡子のリルイ王子は、非常に勇敢で、責任感も強い。だがまだ若すぎる。それに、王の引退となると、今前線に出ている豪族達の同意も得なければならない。

幸い、野心的な豪族はいない。皆、先代の王に世話になってきている者達ばかりだからだ。

しかし、かといって、今の王に満足している者達などいない。

その一方で、今王を交代させれば、国政が混乱することは、誰もが理解しているだろう。同意など、得られない。

「無理を言うでない。 それよりも、誰か王を慰めてやってくれぬか。 気晴らしが出来れば、少しは変わるものもあろう」

「陛下は少し前から、睦事も出来なくなっています」

「何……」

「正室のアマン様から聞いていないのですか」

それは、初耳だ。

精神の均衡を崩して、体がおかしくなり始めているのか。若い頃はむしろ好色なくらいで、苦言を呈した事さえあったのに。

蝦夷は、頂点から、音を立てて崩壊しつつあるのかも知れない。

アマツミカボシがいなければ、とっくの昔に滅びていただろう。今だって、あの怪物化したとも言えるアマツミカボシが、タケル達四人を相手に奮戦していなければ、いつヤマトの軍勢が此処に押し寄せてきてもおかしくはないのだ。

判断、するときなのかも知れない。

アキツの最北端には、大きな島がある。

極めて過酷な気候に支配されてはいるが、豊かな実りもある大地だ。朝廷麾下の土地に住んでいる者達には、決定的に気候が向いていない。元々ヤマトの住民は、様々な所から流れ着いた渡来人と、その前からこのアキツにいた住民が混血したもの。そしてその多くには、南方民族である山越の血が混じっている。

極限の冷気には、対応できない。

「蝦夷島へ、逃れる準備をしておこう」

「ワテムル様!」

「分かっている! それはあくまで、最後の手段だ。 その前に、まずは朝廷との和平工作を進める必要があろう」

如何にアマツミカボシが奮戦しても、敵の兵力は軽く十倍。前線に展開している兵力は、総力戦態勢でかき集めたものであって、朝廷の戦力とは質が違う。朝廷は全く無理をしていない。それこそ何年でも、戦闘を継続できる。それに対して此方は、もって精々あと半年だ。

仮にタケルを討ち取ったとしても。敵は一時兵を引いてくれるかも知れないが、態勢を立て直して、倍以上の戦力で攻めこんでくるだろう。元々土地の広さも人口も段違いなのだ。

その上最悪なことに、朝廷は勇猛で名君と言って良い武王の統治下にある。しかも王子達も極めて有能だという話だ。

腐敗している大国であれば、つけ込む隙もあるだろう。

だが、朝廷は違う。今、絶頂期にあるとさえ言える。

蝦夷の重職にあるワテムルだが、分かってはいるのだ。今後アキツは、朝廷によって確実に支配されると。

和平を結ぶにしても、まずは相手に此方の力を示さなければならない。

宮殿の周囲には、幾つかの村が点在している。街と言うには、あまりにも原始的だが。この辺りは雪も深く、あまり巨大な都市を造れないのだ。

その村々に、最大限の負担を強いるしかない。

「蓄えている食糧を、全て前線に」

「決戦ですか」

「そうだ。 だが、勘違いしてはならない。 我々は敵を追い払うために戦うのではなく、此方の力を見せるために戦うのだ。 対等な和平が結べるかは分からないが、少なくとも、敵が此方を侮るようでは駄目だ。 和平にさえならないだろう」

不安そうにしている巫女達を、すぐに使者として発たせる。

全ての戦力を掛けて、ヤマトに決戦を挑む。

いずれ朝廷が腐敗したとき、反撃に出れば良い。その時まで、とにかく腰を低くし、敵との距離を武器にして、堪え忍ぶしかないのだ。

民には負担を掛ける。

本当に申し訳ないと思う。

だが、いつの間にか。冷酷な判断には、慣れっこになってしまっていた。

 

本当に最低限の守備兵だけを残して、殆どの兵士達が前線に出向く。

アマツミカボシから、追加の書状。

タケル達による軍勢が、前線にある砦をまた陥落させたという。仕掛けようにもまだ野戦軍が貧弱で、手を出せない状況だとか。

これで、前線には大きな穴が開きつつある。

どれだけ兵をかき集めても、決戦用の野戦戦力は、せいぜい一万。

それもまとまりがなく、装備が雑多な、文字通りの寄せ集めだ。

アマツミカボシに全軍の指揮を任せてしまうほかないのだろうか。ワテムルは、悩む。自分に指揮能力があれば前線に出向くのだが、もはやそのような事をしても、何のためにもならない。

巫女達が戻ってくる。

青い顔をしているワテムルの前で、巫女達は皆、不満そうな顔を並べていた。

「民の中には、泣いている者達が多くいました」

「どうにかしてください、ワテムル様」

「分かっておる」

「王の出陣を」

一番年かさの巫女が言う。

いつか、誰かが言うと思っていた。ワテムルは、嘆息すると、宮中へ。リルイ王子は、先に来ていた。

リルイ王子は大人としてようやく認められたばかりで、顔にはまだ髭もない。

だが顔つきは精悍。

おかしな話だが。今、布団の中で震えている王の若い頃と、今の王子はそっくりだ。臆病になってしまった王は、昔は向こう見ずで、攻撃的な性格だった。どうして、こうなってしまったのだろう。

「ワテムル、父上は」

「あいも変わらずにございます」

「私が前線に出向こうか」

今の発言を教えてやれば、巫女達が大喜びするだろう。

だが、それだけは駄目だ。王子が死んでしまっては、蝦夷の未来が断たれてしまう。ワテムルには、一つの判断しか出来ない。

「王と私が、前線の一つにある砦に出向きます。 其処に近々五千の兵が集結する手はずを整えております」

「死ぬ気であるな」

「後の事はお任せいたします。 和平については、既にどうすればいいか、書状にまとめておきました」

聡明な王子に、何故和平なのか。ゆっくりと噛み含めるようにして、説明していく。王子はしばらくむっつりと黙り込んでいたが。話が終わると、若々しい顔に、決意を湛えて頷いた。

本当に。若い頃の。まともだった頃の。王にそっくりな、未来ある若者だ。

「分かった。 どうやら、他に方策はなさそうであるな」

「戦に負けたら、王子は巫女達と共に、蝦夷島にお逃れください。 朝廷の軍勢も、蝦夷島にまでは追ってこないでしょう」

「民を捨てて逃げよともうすか」

「幸い、朝廷は、何より武王は悪政を敷く暴君では無いと聞き及んでおります。 民はむしろ、今の王に統治されるよりも、安心かも知れませぬ」

頭を振って、王子は嘆きの声を漏らした。

嗚呼。

二十年前であれば。王は、今の王を、怒鳴りつけてでも目を覚まさせてくれるだろうに。あの気力溢れる英傑は、本当にどこへ行ってしまったのか。

べこが引く車を用意させる。

そして、巫女達と共同して、王を寝所から引きずり出した。

行きたくない。死にたくない。

そう泣く王の口を布で無理矢理塞ぐと、そのまま前線に。巫女達の中にも、前線に出向きたいと言う者が何名かいたが、此処に残るように言い含めた。

最後に、王子を守るのは、お前達しかいないのだ。

王子にもしもの事があれば、この国は終わる。まだ王子には子もいない。他に王族は何名かいるが、いずれも器量に劣るものばかりで、生き延びても蝦夷の終わりは明らかだった。

砦に出向く途中で、進軍中の軍と合流。

前線で戦っていた指揮官達も、多くがタケルに討ち取られ、今では老廃兵のような人物しか残っていない。

アマツミカボシの負担が増えているのも、そのためだ。

合流した軍勢の指揮官も、既に歩くことさえも困難になっている老人で、しかも戦上手ではない。もうろくさえ始まっているこの男を、一線級の指揮官として使わなければならない所に、蝦夷の悲しさがあった。

当然、軍の動きも鈍い。

逃走を図ろうとする兵士がいないことだけが救いか。

「ワテムル神官長」

車の外から、誰かが声を掛けてきた。

窓を開けてみると、荒猪である。顔に凄まじい向かい傷があるのは、近年の戦闘激化の凄まじさを物語っている。

「おう、久しいな。 如何したか」

「砦に、敵軍が向かっている様子です。 兵力はおよそ一万五千」

その程度の兵力なら大丈夫、とはいえない。

敵はタケルが指揮する最精鋭部隊だ。それに対して此方は、砦に集ってもせいぜい五千程度の、なおかつ寄せ集め。

「アマツミカボシはどうしている」

「およそ一万の敵に纏わり付かれて、身動きが取れない模様です。 どうにか兵を移動させて、砦に向かうという事でありましたが」

「どうやら、予想よりも遙かに早く、決戦の舞台が整いそうであるな」

兵力結集の隙を突かれたとみて良いだろう。

当然だ。

大陸でも通用する指揮官と噂のタケル達が、四人も集っている。兵の動きをみて、戦略を予想することくらい、朝飯前だろう。

だが、此方にもアマツミカボシがいる。

あの者は、もはや弥生ではない。心優しかった巫女は怪物と化した。戦の天才としての才覚が目覚めたのは、その副作用に過ぎないだろう。今は、荒れ狂う怪物に、勝機を託すしかないのだ。

三日ほどの行軍の末、砦に到着。

何度かの戦いを経て、既に砦の何カ所かからは煙が上がり始めていた。敵はそれこそ雲霞のごとし。

此方の軍勢も着々と到着しているが。

このままだと、砦ごと押し潰されるかも知れない。砦自体もさほど広くはなく、しかも山城ではない。

車の中で、王が恐怖に目を見開いているのが分かった。

ワテムルは、どうやら命運が尽きたらしい事を悟る。だが、砦の指揮をしている中年の男性に、最初に会いに行くと、勝利を確信しているような顔を作った。

「状況はどうなっている」

「かろうじて敵の猛攻を支えてはいますが……」

どうにかこの砦には、五千程度が集結できそうだという。他の前線部隊は、小規模な攻撃を繰り返す敵の斥候を振り切れず、彼方此方で右往左往している様子だ。

当然の話で、敵はタケルだけではない。

他にも優秀な将軍が、いくらでもいるのだ。

「アマツミカボシは」

「今、迂回して此方への合流を目指している様子です。 敵はおよそ二万五千が、この近辺に展開しており」

二万五千、か。

砦攻めは、互いの実力が伯仲しているのなら、五倍から三倍の戦力が必要になるといわれている。

かろうじて、互角。

ただしそれは兵の数だけの話だ。

アマツミカボシが加わっても、有利とはとても言えないだろう。

これも、来るべき明日だったのだ。もはや、ワテムルは諦め、状況を見守ることにしていた。

戦の才は、自分にはない。

今、出来るのは。

敗戦のときに、命をもって責任を取る。それだけだった。

 

3、激突の果て

 

北のタケルは、敵が布陣している砦の前に、軍を集結させていた。

少し前に、砦にあのアマツミカボシが入ったらしいことも確認できている。敵の兵力は八千弱。

それに対して、此方は二万五千。後方には、更に援軍も期待出来る。

間違いなく、これが主力での決戦となるだろう。

此処で敵を葬れば、アキツの統一は完了する。北にある蝦夷島は、環境が厳しすぎて、まだ踏みいるのが難しい。

最悪なのは、此処で敵に負けた場合だ。

負け方にも寄るが、敵が和平を申し出ている可能性がある。もしも蝦夷を対等な独立国として認めでもしたら、アキツの統一はぐっと遅れる事になるだろう。

大陸の情勢次第では、非常に危険なこととなる。

蝦夷の者達には悪いが、一気に此処で勝たなければならない。このアキツを日本国とし、大陸の侵略にも対抗できる国家とするには、統一は必要不可欠なのだ。軍を整備し、人口を増やし、技術を磨き、戦いに備える。

蝦夷の豊かな土地は、それを成し遂げる武器となる。

「投石機、準備が整いました」

「うむ……」

布陣している軍の前面に、数十ある投石機が出た。投げ入れるのは油だ。

敵の砦はいわゆる山城ではない。

近辺にある街を束ねるための、平城だ。ただし相応の広さがあり、堀もある。今までの攻撃でかなり痛めつけてやったが、敵の交戦意思は消えていない。

西のタケルと、南のタケルが来た。南のタケルは、弘子を伴っている。

「これから攻撃か、北の」

「ええ。 南のタケル殿は、後詰めを担当していただきたく」

「アマツミカボシへの備えであるな」

「はい。 随分手を焼かされますな」

老人は若い娘に支えられながら、後方に下がっていった。

指揮を見ていたが、確かに弘子という娘、中々にやる。アマツミカボシは機動力を生かした鋭い突進戦法を得意としているようで、何度となく前衛が喰い破られた。それでも粘り強く指揮を続け、陣を乱さず、敵を追い払ったのだ。

兵士達も、アマツミカボシを怖れなくなり始めた。

戦って、どうにか出来ると、弘子が示したからだ。

ただし、やはりアマツミカボシの軍勢は、此方に大きな打撃を与えてくる。一瞬でも気を抜くと、陣を蹂躙されかねない恐怖がある。

敵の軍も、アマツミカボシの指揮ならば、確実に勝てると思い込んでいる様子だ。それが余計な危険を増やす。

幸い、砦に籠もっている敵兵は、どうということもない。

一度砦に入り込めば、確実に駆逐する事が出来るだろう。敵は蝦夷王が出てきている様子だが、指揮は思ったほど向上していない様子だ。

既に影の者達が情報を持ち帰っているのだが。

蝦夷王は、若い頃の闊達ぶりが嘘のように脆弱になり、此方の進撃に怯えきっているという。

それならば、余計好都合。

砦を落としてしまえば、逃げ切れないだろう。此方の勝ちは確定だ。

全軍の配置が整う。

攻撃開始。そう指示を出すだけで、戦いが始まった。投石機から、次々油入りの壺が、敵砦に投じられる。

紅い炎の尾を引きながら、次々敵に襲いかかる壺の群れ。轟音。爆裂。吹き飛ぶ敵兵が見えた。

味方の兵士達も、火矢を撃ち込みはじめる。

敵の砦の外面には泥が塗られている。だから、砦の中へと撃ち込むのだ。一隊が矢を撃ち込むと、次の隊が。次の隊が撃ち込み、更にその次へ代わる。三つの隊が交互に矢を叩き込んでいく事で、敵を休ませない。

勿論敵も反撃を開始する。

展開している陣の左右には、それぞれ精鋭が配置され、アマツミカボシの軍による突撃を警戒している。

今の時点で、問題は無い。

此方に来てから、ずっと黙っていた西のタケルが、口を開いた。

西のタケルは、基本的に非常に無口だ。戦場では指揮を執るために喋るし、説明をするときには長い台詞を口にすることもある。

だが本来は喋ることそのものが負担な様子で、滅多に自主的に喋ることはない。

「北のタケル殿。 敵が動き始めたようです」

「ふむ、どれ……」

敵が兵を集中してきた。

火矢が投石機の周囲に、集中的に飛んでくる。一旦投石機を下げさせながら、火矢を撃ち込み返させる。

敵の兵力配置が、めまぐるしく換わる。

火矢を撃ち込んでも、砦の内部で火事が起きる様子も無い。何度かはしごを掛けて乗り込もうとする指揮官達がいたのだが、いずれも上手く行っていない。

しばらく腕組みして戦況を見守る。

敵はかなり余裕を持って、此方の攻撃を捌いている。腹立たしいが、戦況は決して有利とは言えなかった。

夕刻で、一旦攻撃を中止。

今までと、敵の動きがまるで違う。或いは、アマツミカボシが、防衛の指揮を執り始めたのか。

指揮官にはそれぞれ特性があり、何でもかんでも出来る人間はいない。無論経験を積めば得意分野は増えていくが、全ての作戦指揮が出来る者など、大陸にもそうそうはいないだろう。

野戦が得意ならば、防衛戦はむしろ苦手だろうと思っていたのだが。甘かったかも知れない。

此方の損害は軽微。

だが、物資の消耗が決して小さくない。

夜の内に、会議を行う。夜襲にも備える必要があるし、頭の痛い話だ。

「北のタケル将軍が見たところ、やはり敵は手強いですか」

「うむ……。 今まではどうと言うことも無かったのだが、急に手応えが出始めたな」

東のタケルに頷く。

今日、東のタケルには、左側に備えてもらっていた。これは昨日、アマツミカボシが少数の兵で、不意に奇襲を仕掛けてきたからである。大きな被害を出したが、どうにか押し返すことができた。

次に予想されるのは、補給線への攻撃だ。

アマツミカボシは少数の兵を活用しており、機動力が凄まじい。何処かの監視を突破されると、信じられない箇所の補給路を攻撃される可能性がある。

今の時点では、おそらく奴は眼前の砦にいるはずだが。

筈だという観点で、物事を進めるのは危険だ。いつ攻撃を受けても耐えられるように、備えなければ危ない。

妙な話だが、散々煮え湯を飲まされたが故に、誰も油断する者はいなくなっている。

「補給路に関する防御はどうなっている」

「常に複数の補給路を作り、護衛にも兵を割いております。 アマツミカボシといえど、好き勝手は出来ないでしょう」

「そうであれば良いのだがな」

今のところ、味方の陣営に隙は無い。

一方で、敵は、砦を陥落させてしまえば、もはや後がない。

それなのに、どうしてだろう。どうして追い詰められているように感じてしまうのか。

仮に此方の防衛線が一枚や二枚抜かれた所で、たいした打撃はない。武王に迫るのはほぼ不可能だし、都周辺にもあわせれば万を軽く超える軍がいる。

それなのに、この不安は一体何だ。

「今日から、夜間も交代して攻撃を仕掛けよう」

「危険性が大きくなりますが」

「アマツミカボシを釘付けにするためだ」

不意に動きが良くなった砦の敵兵を指揮しているのは、十中八九奴だろう。それならば、連続しての攻撃を続ける事で、砦に釘付けに出来る。

此方は数の暴力という利点もあるし、相手の動きさえ封じれば、叩き潰すことは難しくない。

敵に戦略上では勝っているのだ。

戦術での優位を如何に重ねられても、味方が瓦解することはない。

他のタケル達は、それぞれの反応を見せた。

南のタケルは、しばらく考え込んでいたが。弘子が挙手して、反対意見を述べる。おそらくは父を案じたのだろう。

「兵士達の負担が大きくなりすぎませんか」

「それは承知しているが、アマツミカボシにいつ奇襲されるか分からない状況を考えると、交代で攻撃を続ける方がマシだと判断した」

「……それは、そうなのですが」

「案ずるな。 南のタケル殿に、連日の攻撃につきあわせるつもりはない。 ただし、戦場に来ている以上、負担は背負ってもらう」

次に挙手したのは、西のタケルだ。

西のタケルは、賛成だと言った。歴戦の将軍達に鍛え上げられた戦場の若者は、今回の作戦に瑕疵を見いだせなかった様子だ。

「私もおそらく、北のタケル殿と同じ策を取ったでしょう。 ただ一つ、問題があるとすれば、疲弊したところをアマツミカボシに突かれると、面倒な事になる、という事でしょうが」

「それに関しては、対策を練ってある」

何度かアマツミカボシの奇襲を受けて、分かったことがある。奴はどうしようもない弱点に、果敢な攻撃を仕掛けてくる。

たぐいまれなる軍事的才能がなせることだろう。

だが、それを逆に利用する。

幾つか陣に隙を作ることで、其処へ誘導する。そしてある程度の打撃を覚悟した上で、敵を取り込み、袋だたきにする。

それを悟って攻撃してこないのであれば、それはそれで構わない。

蝦夷の王を討ち取り、本隊を潰した後、じっくり追い詰めるだけだ。

この間まで戦っていた夜刀は、既に人外の存在となっていたが。それでも、やはり数の暴力には叶わなかった。地形を利用して超人的な活躍を続けていたが、死の一歩手前にまで追い込むことが出来ていた。

ましてや、軍を率いて強いアマツミカボシであれば。

説明をすると、西のタケルは満足そうに頷いて、引き下がった。

最後に、東のタケルが挙手する。意外なことを、長身のタケルは言った。

「一つ、懸念がございます」

「申してみよ」

「実は、アマツミカボシなる存在が、朝廷の王族か、その関係者ではないかという噂があるのです」

「何……」

全員の間に、どよめきが走る。

そもそも天津という呼称が、今後展開することを予定されている、太陽神信仰の主軸となるものだ。

元々朝廷は地方の一勢力に過ぎなかった。

母体は近畿に存在した邪馬台国だという説もある。公式には今のところこれが是とされているのだが、真実かどうか、タケルは知らない。武王は知っているだろうが、聞こうとも思わない。

確かに朝廷は大陸の国家ともつながりがあり、アキツ最大の勢力であったことは確かだ。だが、全域を支配していた訳では無いし、蝦夷を一とする敵対勢力は、昔から数知れずいた。

それが各地を制圧したのだから、理由付けが必要になる。

天津の神というのは、それだけ重要なものなのだ。今の時点ではともかく、数百年後には民を納得させる信仰の主軸となる存在。

それを敵が名乗っているというのは、どうしてなのだろう。

確かに、不可解な点ではあった。

「好きこのんで天津などと名前に用いているのは解せぬな」

「兵士の中には、奴を本物の神だと怖れている者もおります。 最近は奇襲を防ぎ抜くことで、迷信からは解放されていますが、それでもやはり怖れる兵士は残っているのが事実です。 此処に、もしもアマツミカボシが朝廷の王族だなどという噂が広まってしまうと、面白くない事態になりましょう」

「長期戦は避けた方が良い、という事か」

「はい。 一刻も早く討ち滅ぼさなければならないかと。 残忍ではありますが、殺してしまえば、後はどうとでもなります」

殺す云々は別に構わない。

問題は、長期戦が出来ない、という事だ。

まさかとは思うが、それに備えて、アマツミカボシはこのような名前を使っているというのか。

今だ正体が分からない指揮官は、長期的な戦略眼まで持っているという事なのだろうか。

もしもそうだとすれば。

ツクヨミがああなる前であったら、おそらく捕らえて配下にと言い出しただろう。しかし、奴は今、都で療養中だ。

「ならば、これからの攻撃を、更に苛烈にする他あるまい」

北のタケルは立ち上がる。

他三名のタケルは、顔を見合わせあった。この時、ようやくこの場にいるタケル達は、気付いた。

此方にも、あまり時間は無いかも知れないと。

「多少の犠牲は構わん。 明日、強引に砦を落とす」

砦に蝦夷王がいるというだけではない。

此処は戦略上の重要拠点。潰してしまえば、敵の王都は指呼の距離だ。王を捕らえられなくとも、勝ちは確定する。

「私が前衛を務める。 遊軍として、南のタケル殿。 貴殿に、是非当たって欲しい」

「うむ、わかったわい」

南のタケルを残すのは、弘子の指揮能力が存外に高いという事もあるが。

今、死んでも最も惜しくないタケル、という事情もある。

これは能力云々の話ではなく、年齢の関係だ。他のタケル達は、いずれもまだまだ若く、朝廷を背負って立つに相応しい将軍だ。

だが南のタケルは、既に往年の精気を喪失し、既に死を待つばかりに衰えている。本人も、その意図を理解している様子だ。

戦いの中で、せめて死にたい。

それがヤマトでも指折りの猛将であった、南のタケルの願いだ。冷酷なようだが、今はその願いに、甘えさせてもらう。

「物資を集めるだけ集めろ。 相手にも分かるようにだ」

北のタケルが指示を出すと、即座に兵士達が動き出す。

相手にも、わざと分かるように。わざとらしいほどに大々的な総攻撃の準備が、整えられていった。

 

アマツミカボシは。鼻歌を奏ながら、城壁を降りた。

城壁と言っても、渡来人から聞いた大陸の城からすれば、オモチャのような規模だ。それでも、兵士を防ぐことは難しくない。騎馬隊も、大陸の規模に比べれば極めて小さいが、それでも五十頭もいれば、千人程度の敵を容易く蹂躙できる。

今、此処で、何が出来るか。

それが重要なのだ。

王の元へ出向く。だが、途中でワテムルが姿を見せた。へらへらと笑いながら、アマツミカボシは聞いてみる。

「おやあ、神官長。 何用ですかあ?」

「王の所へ行くつもりかね」

「それが何か」

「すまぬが、やめてもらえぬか。 王は今、精神的な体調を崩しておられる。 下手な刺激を与えると、致命傷になりかねん」

私が手にしている、常識外に巨大な長刀を見て、ごくりと唾を飲み込むワテムル。かっては此奴を、神官長として慕ったこともあった。

だが、私は。

此奴に、殺され掛けたのだ。捨て駒として。

勿論、それは知っていた。覚悟の上で出向いた。気に入らないのは、弥生だった頃の私を、失っても一番惜しくない巫女として、送り出したことだ。今、その仕返しをして、何が悪い。

「城壁の外を見ましたかぁ?」

「何のことだ」

「敵が総攻撃の準備をしていますのです。 多分、今日中にぃ、この砦は落ちますよぉ」

言葉を失うワテムル。

けたけたと笑いながら、私はその体を容易く押しのけて、王の間に。

しがみつこうとしたワテムルの顎の下に、掌底を叩き込む。白目を剥いたワテムルが床に倒れるのを無視して、私は王の間に押し入った。

すすり泣く悲鳴が聞こえる。

怖い、恐ろしい。もういやだ。隠れるのに、良い場所はないか。

兵士達が入ってくるが、一睨みするだけでその場で固まる。私はアマツミカボシ。面白い事に、あの夜刀と同じように。

今では、私も。

兵士達から、邪悪なる神だと思われはじめていた。

「アマツミカボシ様! 何を為されるおつもりです!」

「お前達、王様をどう思う?」

「え……」

寝所から、王を無造作につまみ出す。

そして、兵士達の前に、突き飛ばした。けたけたと笑うのは、狼狽する王の姿が、あまりにも滑稽だからだ。

「お前達が命を賭けて戦っているのに、この有様! こんな奴のために、お前達は手足や家族、兄妹を失いながら、戦って来たのか?」

「そ、それは」

「いいんだよぉ、はっきりいっても!」

こんな奴、許せるはずがないって。

兵士達が見る間に蒼白になっていく。狼狽した王は、頭を抱えて、床に蹲るばかりだった。

此奴はもはや用済みだ。

私は、ただ長い事、戦いが楽しめれば、それでいい。

此奴はこれ以上生かしておいても、何の役にも立たない。逆に言えば、此処で死ねば、大いに意味がある。

タケル達に、王を殺させる。

そして、タケル達の遠征軍にも、大打撃を与える。

その結果、痛み分けになり、敵は一度兵を引くことになり。王が死んだ蝦夷は、私のモノとなる。

私が王になれば、後は好き放題だ。

民なんかしらん。

搾り取るだけ搾り取り、全部軍費に変える。そして逆にヤマトの土地に攻めこみ、奪い取り、やがて朝廷をアキツの王者から引きずり下ろすのだ。

そして皆殺しにして、血だらけにして。内臓を引きずり出して、首を切りおとして。大量の血を浴びながら、私は笑う。

そしてそしてそしてだ。

今度は大陸にも攻めこんで、血の雨を降らしてやろう。

兵士達が、悲鳴を上げて、数歩下がった。

私の顔に怯えたか。

この小娘の顔に。弥生などと言う小娘のつらに。こんな軟弱な女の顔に、何を怯えることがあるのか。

足を掴まれた。

冷たい目で、掴んでいる奴をにらむ。ワテムルだ。

「離せ」

「私が、悪かった。 ずっと謝りたかったのだ」

「何を今更言っている。 一番役立たずの私を前線に送り込み、捨て駒にし、夜刀の神の餌食にしたのはお前だ。 だから私は、お前に復讐する権利がある」

「そうだ。 私を、殺せ。 気が済むのであれば、そうしてくれ」

ワテムルは落涙していた。

良い度胸だ。

私は剣を抜くと、気付く。兵士達が、平伏していた。

「神よ、お怒りを、お鎮めください!」

「贄は用意いたします! ですから、お慈悲を!」

此奴らは。いや、違う。おそらくは、私のことをまがつ神と考えているからの行動だ。此奴らは、私を人間だと思っていない。だから私の行動を、ただの突発的な、気まぐれの暴力と考えている。

殺すかと思ったが、駄目だ。

殺したところで、認識は変わらないだろう。

私の中の私達が、相談をはじめる。さあ、どうするべきだろう。とりあえず、この辺にいる奴らを、手当たり次第に殺してみるか。更に兵士達が恐れる事は疑いないし、何よりとても楽しそうだ。

舌なめずりしてしまう。

だが、考えて見れば、此処で此奴らを殺すよりも、敵兵に蹂躙される様子を見つめるのがもっと楽しそうだ。

そう結論すると、私は、私達は、剣を収めていた。

震えながら這いつくばっている兵士達。さながら死人の野。けたけたと笑いながら、私はそいつらの間を通り抜けていく。

砦には、小さいが中庭もある。

其処には、既に麾下の兵士達を集めていた。

兵士達を見下ろす壁の上に出ると、私は声を張り上げた。

「聞けい! 敵は、間もなく砦に乗り込んでくる!」

此方は七千。敵は二万五千。兵力的にいえば、正面攻撃で突破できるかは微妙な所だが、兵士の質が違いすぎる。

敵が犠牲を無視すれば、突破できるだろう。

其処で、此方はこう出る。

「これから、敵の攻撃を、真正面から受ける」

「アマツミカボシ様!?」

「敵も味方も消耗させる。 徹底的に消耗したところで、私が出る。 それで、奴らに致命打を与えられる」

ついでだから、王もワテムルも、奴らに殺させよう。

麾下の部隊を、砦から脱出させる。自身だけは砦に残る。これは、兵士達を、最後まで死にものぐるいで戦わせるためだ。装備も能力も劣弱なのだから、せめてやる気くらい出してもらわなければならない。

敵が、動き出す。

歓喜の声を、私は上げていた。

さあ、殺そう。

敵も味方も、皆殺しだ。

そして何もかもが死に絶えた後。最後に、血だらけの焼け野原で、立っているのは。

この……私だ。

 

4、血に染まった野

 

ヤトが見ている前で、撤退していくのは、おそらく朝廷の軍勢だろう。完全に軍を引くのでは無く、再編成のための後退とみた。

木の陰に伏せているヤトは、思わず口笛を吹きそうになった。

これほどの規模の軍勢に、打撃を与えるとは。一体誰の仕業だろう。考え得る存在は、一人しかいない。

指揮官らしいのが見えた。

かなり顔が整っている奴だ。鎧に矢を三本も受けている。そいつが率いているのが殿だったらしい。

その後には、誰も続かなかった。

情報が欲しい。

北に歩きながら、息がありそうな奴を探す。死体が点々と撤退路に散らばっているような事は無い。よほど整然とした撤退をして、殿も役割を果たした、という事だ。というよりも、追撃そのものが無かったのかも知れない。

退路らしき路をたどっていく。

燃え上がる何かが見えた。というよりも、山が丸ごと燃えているような凄まじさだ。

手をかざして、見る。

どうやらあの大軍勢は、決戦に赴き、大きな打撃を被ったという事だろう。ただしこの様子では、決戦を受けて立った存在も、無事で済んでいるとは考えにくい。

気配を消したまま、近づく。

山を越えて、平野を望む。そして、ヤトは思わず笑みを浮かべていた。

其処には、膨大な死体が散らばっていたのである。どれほどの規模の会戦が行われたというのか。

死体はどうみても、二千、いや三千以上はある。

それだけではない。

消し炭になっている砦の中にも、膨大な死体が散らばっている様子だ。人間が焼ける香ばしい臭いが、此処まで漂ってくる。普通の人間だったら、吐き気を及ぼしているだろう。今のヤトには、むしろ快感でしかないが。

舌なめずりすると、平野に降りる。

しばらく周囲を見て廻った。

どうやら死んでいるのは、タケルの軍勢の兵士達。それも、蝦夷討伐に出ていた連中だろう。

それだけではない。

明らかに装備が雑多な死体が多数散らばっている。明らかに蝦夷の兵士達のものだろう。しかもよく見ると、そちらの方が多い。

焼け落ちた砦の堀は、焼死体で埋まっていた。

彼方此方には、焼け落ちた投石機の残骸や、潰された補給用の車、死んだ牛も点々としている。

どれだけのなりふり構わぬ戦いだったのだろう。

砦に掛かる橋は残っていた。たくさんの死体をぶら下げて、半ば焼け落ちてはいたが。渡って、砦の中に入る。

嗚呼。

感嘆の声が漏れた。

砦は完膚無きまでに潰されている。これは、おそらく砦に籠もっていた人間は、ほとんど全滅だろう。

無念そうな形相の死体が転がる中、見つける。

場違いな、絹服を着た、戦闘員とは思えない男。

間違いなく蝦夷の高官だろう。

砦を見て廻る。途中、無事だった見張り台があったので、登ってみた。階段の途中には、矢を無数に浴びた死体がぶら下がっていたので、放り捨てた。鼻歌を交えながらはしごを登り切ると、そこも死体だらけだった。

中には、此処に逃げ込んで、力尽きたらしい死体もあった。袈裟に切り裂かれながらも、必死に這って此処に逃れたらしい。血の跡が残っていて、目をかっと見開いていた。死体をしばし見聞するが、どれも相応に訓練された兵士による傷だ。つまり、戦争で死んだのである。

見張り台から、向こうを見る。

いた。

二千ほどの軍勢が、整然と隊列を組んでいる。

おそらくは砦の敗残兵だろう。千数百の兵士達が、秩序もまばらに、その後ろでどうにか隊を組んでいた。

状況が、だいたい見えた。

この砦を落とすのに、タケル達は総力を挙げた。そして、壊滅的な打撃を受けてしまったのだろう。

更に砦を潰した彼らが見たのが、あの二千の精鋭。

もっとも、打撃を受けたとしても、それでどうして引く気になったのかは、よく分からない。或いはあの二千が、アマツミカボシが率いる精兵なのだろうか。

いずれにしても、この戦いは、痛み分けに終わった、という事なのだろう。

タケルの率いる軍勢は、一時後退して、兵力の再編成に移った。

二万数千の兵力だったのなら、三千くらいの損害を出したのかも知れない。確か一割くらいの被害を出すと、軍はその形状を維持できなくなるとか聞いている。

じっと観察してみるが、二千の兵士達は微動だにしない。

むしろ、生き残っただろう千数百のほうが、そわそわし通しのようだった。

とにかく、ある程度の事は分かった。一旦距離を取り、小さくあくびをする。蝦夷が潰れることは、すぐには無いだろう。

むしろ、これは面白い事になってきたかも知れない。

 

服を何度か払ったのは、無意識的な行動。

人間の臭いを落とすためだ。

近くの山に入ると、寝るのに丁度良い横穴を探す。何度か蝦夷とヤマトの軍勢を見に行くが、動きはない。

ヤマト側は再編成を進めているようだが、出よう出ようという気迫がない。

一方で、蝦夷側には援軍が集結しつつある様子で、既に六千程度まで、兵力がふくれあがっている。

さて、此処からどうなるのか。

横穴を見つけた。熊が入っていたが、一睨みするだけで逃げていく。

穴の中にあった餌の残骸などを捨てた後、横になって一休み。状況を、頭の中で整理していった。

タケルの軍勢は、戦いには勝ったと見て良いだろう。

敵の主力が籠もっていた砦を陥落はさせた。敵の主力にも、致命傷を与えた。

しかし自軍も相当な損害を受けてしまった。

そして、敵の最も厄介な部隊が無傷で控えているのを、確認してしまったのだろう。だから、一旦兵を引いた。

追撃は、蝦夷側もしなかった。

追撃しても、これ以上得るものがなかったから、だろう。

壮絶な痛み分けだ。

見たところ、死んだ人間の数は、蝦夷の方が多いだろう。だが、どうしてだろう。蝦夷は敵の攻撃を凌ぎきり、ヤマトは兵を一度引いた。

戦略の妙、というよりも。考え方に、何か制約が無い存在が、なりふり構わずの策を実施したのではないかと思える。

梟たちが鳴いている。

外に出て確認すると、見つけた。どうやら、使者が行き交っている様子だ。見ていると、数度にわたって、ヤマトと蝦夷の陣営の間を、馬に乗った戦士が行き来した。或いは、和平を進めようとしているのか。

ブチ殺して手紙の中身を確認したいという欲求が鎌首をもたげたが、止めておく。

それよりこれから楽しくなりそうだし、英気を養った方が良いだろう。

側に舞い降りてきた鳶に、捕まえておいた兎の肉をやる。鳶は巣立ってから散々躾けたこともあり、今ではヤトに身をすり寄せてくるほどに懐いている。今後、様々に使い道があるだろう。

また、使者が行く。

今度は、蝦夷側から、ヤマト側へだ。

これは相当に、互いでの協議が白熱していると見て良いだろう。それはそうだ。此処で和平など、ヤマト側からすれば屈辱でしかないからだ。ただし、ヤマト側はどうしてか、交渉をはねつけずに、粘り強く話をしている様子である。

何故か。

以前聞いたのだが、タケルは四人いるとか。その四人が、此処に集結しているのは、間違いないだろう。

それならば、その誰かが死んだか。

ヤマトにとっては大変な痛手になる筈だ。しかし、にしてはおかしな点も散見される。陣容に乱れはないし、撤退したにしても中途半端な距離だ。タケルはいずれもが、この国の柱石となる存在だと聞いているし、一人でも戦死したらもっと騒ぎは大きくなっているだろう。

ヤトは思惑を巡らせる。

また、使者が行き来している。もういっそのこと、顔をつきあわせて話し合えば良いのにと思ったが、黙っておく。ヤトが口に出したところで、どうにもならないからだ。眠いが、あくびをしながら見続けたのは、何より面白いからだ。

木の枝の上に上がると、其処で寝転がって、様子を見る。

側に梟たちが降りてきた。雁首揃えて様子を見守るのは、何だか楽しい。

騒ぎが聞こえてきた。

どうやら、蝦夷の兵士達が、なにやら騒いでいる様子だ。

「アマツミカボシ様が、生け贄を欲しているらしい!」

「くそ、熊でも猪でも良い! とにかく出来るだけ生かして捕まえろ! 早くしないと、誰か殺されるぞ!」

殺気だった兵士達が走り回っている。

これは面白い事になっている。どうやらアマツミカボシとやらは、ヤトに近い精神の持ち主のようだ。

兵士達はそれでも必死に探している。

逃げずに走り回っているのは、アマツミカボシに、心を掴まれてしまっているからだろうと、推察は出来た。

やがて、兵士達の槍に追い立てられて、猪が茂みを飛び出す。

兵士達は組み付くようにして、猪を捕らえると、何重にも縄を掛けて引っ張っていった。必死の形相が凄まじい。

怪我をした兵士も多くいただろうに、其処までアマツミカボシは、絶対的な存在という事か。

今の様子を見ていたのは、ヤトと梟たちだけではない。

影の者達も数人、さっきから山に入ってきて、様子を見守っていた。

手を動かして、何かやりとりをしている。おそらく喋るのではなくて、手の動きを使って意思疎通をしていると見た。

それにしても、こんな所まで影の者達が出てきているとは。

いや、違う。

本来、こういう所で、影の者達は働くべき存在なのだろう。考えて見れば、ヤトとの戦いなど、余技に等しいはず。本隊は、おそらく最初から此方にいたと見て良い。実際、様子をうかがっている影の者達は、非常に腕が良くて、気配を消すのも上手い。

影の者達は人数を増やしたり減らしたりしながら、蝦夷の軍勢の陣をうかがっている様子だ。

ヤトは面白くなってきたので、場所を移す。

もう少し、ヤマトの陣と蝦夷の軍勢を見下ろせる場所が良い。木の枝の上を飛び移りながら、別の山へ。しばらく行くと、丁度良い大きな木が見つかった。松の木で、かなりごつごつしていて、登りやすい。ただし葉が棘だらけなので、座れる場所が限られてしまうが。

大木の重畳近くまで上がり、しがみついたまま手をかざす。

星明かりの下で、ヤマトの陣営は活気がある。

かなりの人数を、後方へ送っている様子だ。おそらくは負傷者だろう。三千近く死者が出たのであれば、半数は深手を負っていると見て良い。一方で、蝦夷の軍勢は、数だけは増えているが。

動きから見て、どれもこれも塵芥に等しい。

もし戦えば、確実にヤマト側が勝つだろう。そうヤトは結論した。ただし、二千の精鋭に関しては、分からない。ヤマト側よりも更に上の精鋭のようだから、だ。

ヤトの頭の上に梟がとまったので、別の所へ行くように促す。

悪戯な奴めと、苦笑いしてしまった。

人間以外の相手には、まだまだこんな人間的な表情が出来るのか。

いっそのこと、森以外からも全部人間を排除したら、もっと笑えるかも知れない。

手をかざしていると、見えてきた。

蝦夷側の方で、動きがある。どうやら、ヤマト側へ、向かっていくようだ。ただし、戦闘が目的とは思えない。

陣を接触させるつもりだろう。

両者の陣がぶつかる寸前で、とまる。

どうやら、ようやく顔をつきあわせて話し合うつもりになったようだった。

「やれやれ、ようやくだな」

これから話し合うとしたら、十中八九和平に関してだろう。もはや蝦夷に戦う力は残されていないはずだ。

ヤマト側も相当な損害を出している。

もしも蝦夷に必死の抵抗をされると、手を焼くことになる。そう判断して、和平を受け入れることだろう。

ただし、兵を整える間だけの和平。

殺し合いの準備時間を稼ぐためだけのものだ。少なくともヤマトにとってはそう。これだけの煮え湯を飲まされて、黙ってはいられまい。

蝦夷もそれを承知の上で、時間稼ぎのために和平を行うはずだ。

見ていると、闇の中、たいまつをかざした集団が、蝦夷側からヤマトの陣へ入っていく。たいまつにかざされた旗に、文字。

見て、思わず松から両手を離してしまった。両足でしっかり幹を固定しているから平気だが。

蝦夷王の文字が、其処には躍っていたのである。

つまり、王が和平に直接出向く、という事だ。目をこらしていると、ヤマト側も敬意を示して、陣を広げて通り道を作っている。

どうやら、これは和平が決まるな。

そう、ヤトは思った。

 

結局、それから丸二日、両軍の陣はくっついたままだった。しかし、ヤマト側の軍勢が兵を引き始めて、それに吊られるようにして、蝦夷の軍も引いていった。

肩にカラスたちをとまらせたヤトが、するすると松の木を降りる。仕留めておいた兎を捌いて、カラスたちに与えながら、ヤトは引き上げていく兵士達の会話に、耳を懲らした。聞いておく価値は、充分にある。

「形だけだが、降伏だってよ」

「確かに、戦っても勝ち目がないもんなあ。 何年か時間を稼いで、兵をどうにか鍛えるしかないか」

「鍛えたってどうにもならん。 ヤマトの軍勢は、あれでも全部じゃないらしい。 その気になれば、あの何倍も押し寄せてくるって話だ」

兵士達の声には、露骨な恐怖が籠もっている。

そんな中、明るい希望に満ちた声も聞こえてきた。

「アマツミカボシ様が、どうにかしてくださるさ」

「あのお方は祟り神だぞ。 何か贄を捧げなければ、此方の言うことなんて、聞いてくれはしないだろう」

「いっそ、役立たずの王を捧げてしまうのはどうだ」

「滅多な事を言うな……!」

たしなめる声が飛ぶが、しかし。

その声そのものが、王に対する不審と不平を含んでいることを、ヤトは耳ざとく捕らえていた。

なるほど。蝦夷の兵士達は、必ずしも王を尊敬していない、という事か。

ヤマトの王は兵士達に尊敬されている。戦場の勇者として長年戦ったから、らしい。あのタケルも、王には絶対服従だった。

だが、おそらく蝦夷の王は、そうではないのだろう。尊敬できない相手のために戦わなければならない。兵士達の士気が落ちるのも、当然の流れか。

ヤマト側は兵を引かず、近所の砦に分かれて、其処で駐屯する様子だ。

おそらく領土は新しくむしれなかったのだろう。兎の肉をもむもむと噛みながら、木陰で話を聞く。

「くそっ! アマツミカボシなんて奴のせいで、完全勝利がフイだぜ」

「五体無事で生きてるだけいいじゃねえか。 俺の兄貴なんて、右腕を」

「すまん、そうだったな」

「この戦いの結果、出来れば無駄にしないでほしいよなあ」

ひときわ年かさの兵が言うと、周囲がしんとなる。

なるほど、ヤマトの兵士達は、どうやら戦いを終わらせるための戦いという題目を、本気で信じている様子だ。

蝦夷を潰せば、アキツを統一できる。

そういう心持ちなのだろう。

ヤトは移動しながら、兵士達の会話を追っていく。

「北のタケル将軍は、どうなさっている」

「矢を受けたという話だが、今はもう馬に乗れるそうだ。 治療は温泉にでも浸かるんだろう」

「温泉か。 いいなあ」

「兵士達も、交代で休ませてくれるという事だ。 おそらくは、その内湯を馳走してくれることだろう」

兵士達の声が弾んでいる。

絶望感に満ちていた蝦夷側とは違う。追い詰めた者の余裕という奴か。ヤトは含み笑いと一つすると、兵士達から離れた。

腰からまだ生きている兎を外す。

さっき捕らえたものだが、蝮のために生かしておいたのだ。袖に兎を入れると、即座に蝮が食いついた。何匹かそうやって袖に入れ、飼っている蝮全てに食べさせる。大きく育った蝮が、兎を絞め殺している気配を服の中で感じながら、ヤトは横穴に戻った。

かなり戦略的には面白い状況だ。

ヤトの力を、蝦夷側に見せつけることが極めて容易。兵力を引き出すことも、難しくはないだろう。

問題は、アマツミカボシとやらの正体だが、それはこれから侵入して、調べていけば良いことだ。

夜を待ってから、ヤトは動く。

周囲に影の者達がかなりいるが、誰にも悟らせない。無音のまま、山の中を走る。勿論、気配も零さない。

山を出ると、平野に。

ヤマトの都に比べると小さいが、相応の集落が多数見受けられる。そして、どこまでも広がる田畑。水路から引かれた水が、稲を潤しているのが分かった。夜闇に紛れて走りながら、ヤトは鼻を鳴らす。

こんなもの。いずれ全て焼き払ってやる。

これらは全て、森の犠牲の上に成り立つ存在だ。ヤトにとっては、あらゆる意味で、気にくわない。

だが、今はヤマトと戦うために、利用しなければならない。

反吐がでるが、我慢。まずは利害を調整していく必要がある。

まずはどうするか。

蝦夷はまだ王が無事なようだから、どうにかして接触するか。それにはヤトの力を見せつける必要があるだろう。

この辺りの山には、かなり大型の熊もいる。

適当に仕留めて、持っていくのが良いか。少し熊が余っている場所を探して、其処で間引くのが良いだろう。

一通り話を付けたら、一度畿内に戻る。

ヤト自身が行き来するのは少々骨だ。何かしらの手段で、畿内と東北を結べるようにした方が良いだろう。

幸い、ヤトの通ってきた路にある山々も森も、全て把握した。

それらをつないで行くようにすれば。狼煙などを用いれば、極めて高速に情報を伝達する事が出来るだろう。

後は、いかにして、ヤマトと蝦夷の力を調整するか。

蝦夷は、ヤマトより弱い方が望ましい。

しかし、ヤマトが蝦夷を簡単に屈服させるようでは駄目だ。何かしらの手段で力を調整しながら、相争うように仕向けなければ。

色々と、やりたいことが山積している。

舌なめずりすると、ヤトは。

まず、熊を仕留めるべく、山の奥へと足を踏み入れていった。獰猛な殺気が零れたか、悲鳴を上げて周囲の動物たちが逃げていく。

高笑いしながら、ヤトは鬼を抜く。

そして獲物を求め、疾風のように、誰もいない山の中を、走り始めたのだった。

 

(続)