影を泳ぐ大蛇
序、拡大する闇
連日、見回りをする兵士がかなり増えてきている。
ヤトは縄張りを広げながら、それをカラスや梟たちに聞き、なおかつ自分の目でも確認していた。
数は、以前交戦したタケルの部隊ほどでは無いが。
それでも五百はいるとみて良いだろう。話を総合する限り、この近辺の山を覆うようにして、配置されている。
そもそも、集落の規模が、アオヘビ近辺とは根本的に違う。
これだけの大規模な兵士が集まってくるのも、ある意味では当然か。今の時点では、交戦しても勝ち目無し。
ヤトはそう判断した。
木の上で手をかざして、巡回している兵士達十名ほどを見やる。
あれなら全滅させることは不可能では無いが。
しかし、全滅させれば、敵の攻勢は更に激しくなる。森に踏み込んでくる人数も増えるし、いずれ此方の実体も把握されるだろう。
アオヘビでの戦いで、ヤトは百人以上の敵を殺した。
だがそれは、味方の支援があっての事。
森の守りがあっての戦い。
何度も出来ることではない。森を焼かれでもしたら、ヤトには文字通り打つ手が無くなるのだ。
一度、部下達の所へ戻る。
部下達も、ここ数日で、急に騒がしくなっていることは把握しているようだ。ヤトが戻ると、不安そうに駆け寄ってきた。一人、鵯だけが、冷たい目でじっと此方の様子を見ている。
「山神様! 一体何が起きているんでやすか!」
「ヤマトの兵士共が、多くうろついている。 戦っても勝ち目が無いから、手をださぬようにな」
「山神様でも!?」
「私の場合は話が別だ」
この近辺の山々を渡り歩きながら、敵を殺して廻れば。或いは、五百程度の敵なら、どうにか倒せる可能性もある。
ただし何ヶ月もかかるだろうし、敵は全滅する前に数を補充するだろう。
ヤマトの兵力は、それこそ何万。
ヤトでも、倒しきれる数では無い。その程度の事は、以前のタケルとの戦いで、身にしみて理解している。
この辺りの森を、アオヘビ集落近辺同様、呪いで包むという手もあるが。
あれはあれで、危険が大きい。
ヤトにとっても、かなり分が悪い賭だったのだ。入念に準備はしていたが、実際死にかけたし、死んでいてもおかしくは無かった。それに、何度も同じ手は通用しないだろう。ヤマトにいる人間は、馬鹿でも無能でも無い。
戦ったヤトが、一番それを知っていた。
特にタケルは、呪いの正体を見抜いていた節がある。また奴が出てきた場合、今度は逃げ場さえなくなる可能性が高い。
勿論、そんな事をいちいち言わない。
「奴らが近づいたら知らせる。 何時でも逃げられるように準備はしておくように」
「分かりましただ!」
「うむ……」
まだ、戦えそうな奴は一人もいない。
水練に関しては、相応のものを全員が持っているのだが。何しろ、度胸が足りないのだ。敵を見ると尻込みするのは目に見えているし、大きな音を立てられたら、それだけで逃げ出すかも知れない。
いずれにしても、まだ戦いでは使えない。
「夜刀様」
訓戒を終えると、鵯が歩み寄ってきた。
表向きはにこやかな顔をしている。女性の一人が新たに孕んだという。既に孕んでいる女もいるから、大事にしなければならない。まあ、手札の数が増えるのは大変に結構なことだ。
ただし、実際に子が増えればだが。
子供は、三人に一人育てば良い方。どんどん孕んで、どんどん産んでもらいたい。ただでさえ子育てには環境が悪いのだ。数を産まなければ、育つ子は出ないだろう。
「他には」
「朝廷の軍勢が、周辺を重点警備しているのは、貴方が殺した事が原因ではありませんか?」
「おそらくはそうだろうな。 手を出すのが早すぎたかも知れん。 だが……」
いずれ、連中と戦いはするのだ。
今回は、敵の対応が早かった。
だが、しばらくは肩をすかせる。そうして、敵がだれてきた辺りで、準備を整え、反撃に出る。
いずれにしても、当分、選択肢は一つ。
雌伏だ。
「それに、復讐を望んでいるのは、私だけではない筈だが」
「それは分かっています。 私だってそうですから」
「ならば文句は言うな。 いずれにしても、ヤマトの犬共に、此方の尻尾は掴ませはせんし、しばらくは彼方此方を移動しながら耐えろ」
鵯には、弱者共の面倒を見てもらわなければならない。
此方が敵の行動については把握するとして、弱者共をなだめたり勇気づけたりする者が必要だ。
戦力が整うには、時間が掛かる。
それまで、一人ではどうにもできない。手が掛かるとしても、予備の戦力を、準備しなければならないのだ
鵯にその場を離れると、自身は山頂の近くまで出る。
以前、気配を把握するまで時間が掛かった相手がいた。
当然、今回も似たような連中が出張ってくる可能性は低くない。そういった輩に尻尾を掴ませないためにも。ヤトは他の連中と一緒にいない方が良いだろう。
幾つか、他の者には知らせていない秘密の穴がある。その中の一つに籠もると、ヤトは一つずつ、武器の手入れをして行った。
大事な鬼は、特に念入りに整備する。
実際問題、これの切れ味で、命が拾える場合もある。
弓矢も。
矢については、まだだいぶ予備がある。此方に来てから、造りもした。鉄の鏃だけはどうにもならないが、それも実のところ、得られる目処がついている。
武器の点検が終わると、カラスたちを呼び集めた。
異常は無いか。
聞くと、答えが返ってくる。
異常あり、一つ。
この山の西側に、見かけない人間が六匹入ってきているという。今、カラスが二匹、遠巻きに観察しているそうだ。
軍としては数が少ないが。
しかし、この山の西側というと、切り立った崖だ。何も知らず、誰かが入り込むとは思えない。
ツチグモか。聞くが、カラスは見た感じ、ヤマトの兵士に近いと言う。
ならば、おそらく危惧していた相手だろう。
こればかりは、殺すか、殺されるかという相手だ。鏃を磨き終えると、ヤトはすくと立ち上がった。
様子を見極め、場合によっては殺す。
そう決めると、ヤトの動きは、早かった。
地面すれすれを飛ぶようにして、山の中を走り始める。カラスに聞いた獲物の位置まで、一気に駆け抜ける。
崖の上。
敵を捕捉。
やはり数は六。見ている限り、戦意は無いようだ。調査をしている。
「極めて巧妙に生活の痕跡を消しています」
「手強い相手だ。 油断するな。 今も見ているかも知れん」
小声でしている会話を、ヤトはしっかり拾っていた。
なるほど、ヤトと張り合える程度には、頭の回る相手だ。この様子だと、伏兵がいてもおかしくは無いだろう。
動きも悪くない。
斜面を滑るようにして移動している。
そして、少し前までヤトが寝泊まりしていた穴に、二人が入り込んだ。残りは周囲に散って、見張りをしている。
しかも、一度に全員が倒されないように、考え抜いた配置で、だ。
これは相当に手強い相手だ。
単独の相手としては、別に脅威は感じない。だが数が集まると、かなり厄介だと思える。事実、今も手を出す隙が無い。
「其処はどうだ」
「此方には、いないようです。 痕跡は見つかりません。 あったとしても、綺麗に消されています」
「そうか、ならば仕方が無いな。 今日はここまでだ」
穴から出てきた二人と合流すると、六人は身を翻し、山から出て行った。撤退する速度もかなりのものだ。
しかもそれだけではなく、それぞれが互いの死角を庇いながら走っていた。最後まで隙を見せていない。
弓を下ろす。
撃つ気は無かったのだが。撃ったとしても、逃げられていただろう。
この調子で、山を調べられると。
いずれ、ヤトと鉢合わせすることとなるだろう。一種の兵糧攻めだ。
安易な戦いは避けたが。
これはいずれ、激突するのは避けられない。
念入りに伏兵がいない事を確認。
確認が終わってから、連中がいた場所を調べる。足跡一つ残していない。これでは、弱者どもは、調べられたことも気付かないだろう。
だがヤトは、何となく分かる。
おそらく臭いが原因だ。
人間の体臭が、わずかに残っている。ヤトくらいになると、それを感じ取れる。
穴の奥に隠しておいた、干し肉を引っ張り出す。
そして囓りながら、外に出た。
手を間違えると、その時点で詰む。
これからは、更に慎重な行動が、必要だった。
1、影の攻防
夕暮れ。
ヤトは、既に自分の庭に等しい山を、一人で走っていた。
想像以上に状況が悪い。
縄張りに等しいこの山の彼方此方に、既に敵戦力が姿を見せつつある。あの影のような連中も。
ヤトの集落の者どもも、何度か彼らに発見されたが。
敵意を見せないように注意はしているので、今の時点で交戦には至っていない。カラスは大忙しで飛び回っていて、梟たちもだ。
そろそろ鳶を育てようと思っていた矢先にこれである。
木陰に身を伏せる。
どうやら、影のような連中は、ヤトについて情報を仕入れてきているらしい。此方の住み込んでいた穴に、狙いを絞って調査を続けている。このままだと、接近遭遇は時間の問題となるだろう。
しかも、だ。
影のような奴らは、かなりの数がいる。
一度に行動しているのは六名が基本。しかし、確認できているだけでも、最低それが五組以上いる。
これだけの訓練を受けている敵だ。
戦って無事で済む保証は無いし、殺せば他の敵を呼び込む可能性が高い。今はひたすらに無視して、敵の隙を狙うしか無い。
すぐ側の木陰を、影どもが走り抜けていく。
ヤトの気配には気付かなかった。
無言で走り抜ける六つの影。
身を伏せたままヤトは、どうにかそれらをやり過ごした。
そして、既に気付いている。
その影を、後ろから補助している、もう一つの組がある。
もしもヤトが今後ろから敵を奇襲したら。
その背中は、矢が無数に突き刺さっていただろう。敵はかなり考え抜かれた配置で、探索を続けていると言うことだ。
もう一つの敵の組をやり過ごすと、ようやく周囲から探索の気配は消えた。おちおち昼寝も出来はしない。
二つ目の敵組は、非常に大きな弓を手にしている。
狙撃を専門としているのだろう。
「なかなか尻尾を出さぬな……」
「大蛇め。 この辺りにいることは確実だというのに」
敵の声が聞こえてくる。
大蛇、か。
どうやらヤトの事らしい。どうやらヤトを蛇と見なすのは、共通認識となりつつあるようだ。
「第三班の様子は」
「反応無しです。 そろそろ引き上げましょう。 夜になると、どうしても不利になりますがゆえ」
「……そうさな」
敵が撤退を開始する。
梟たちを飛ばして確認するが、伏兵はいない。
ようやくヤトは、それで一息つくことが出来た。
痕跡は消して廻っている。
だが、わずかな痕跡が、どうしても見つかってしまう事がある。敵との攻防は、連日連夜続いていた。
集落のもの達は、今のところ口を割っていない。
というよりも、彼らが特異な信仰を作り出す事は珍しくないようで、山神という存在について、影の連中はヤトと同一視していない節が見て取れる。
あけびをもぐと、口に入れる。
二つ、三つと食べている内に、月が出た。非常に美しい月明かりが、辺りを照らしていく。今日は雲が多いから、あまり明るくは無いのだが。それを払拭するようにして、月が存在感を示していた。
森は、美しい。
山は、素晴らしい。
だからこそ、ヤトのものなのだ。
目を細めて、美しい森を見つめていると、鋭い警告音が聞こえた。鹿の鳴き声だ。
どうやら、此方に関係するものではないらしい。ツキノワグマにでも襲われたのだろう。一瞬だけ戦闘態勢に入ったヤトだが。すぐにそれを解除して、木に背中を預け、無心にアケビをほおばった。
地面に捨てておけば、すぐに皮は分解されて、土に帰る。
だが今は状況が状況だ。
皮を地面に埋めて、分解されやすくする。勿論、痕跡を消す意味もある。アケビを満足するまで食べると、その場を後にする。
この辺りの山は、ヤトが全て把握している。
周囲を這い回って、影がどのような経路で歩いたか、ヤトを探したかを、全て調べ上げていく。
そうすることで、次の敵の手を読むためだ。
しばらくはこうやって隠れることで、次の反撃につなげる。闇雲に相手を殺すだけでは、敵を利するだけ。
ここしばらくの戦いで、ヤトはそれを学んでいた。
猪を見つけたので、射貫く。
普通、一矢や二矢で殺せる相手では無いが、今の腕ならば、急所を射貫いて即死させることは難しくない。
飛び上がった猪が、枯れ葉の上に横転。
歩み寄ると、抱え上げて、集落に向かった。
現在、数を分けている集落だが。一応中心に据えているのは、鵯がいる所だ。十人の男と、七人の女がいる。
闇の中から、猪を担いだヤトが姿を見せると、連中はひいっと悲鳴を上げたが。
ヤトだと気付くと、鵯を除いて平伏した。
「山神様!」
「めしを持ってきた。 喰え」
「有り難きことにございます!」
蛙のように這いつくばっている連中を一瞥だけ。後は、すぐにその場を後にする。ヤトとしても、此奴らに時間を割いているのは惜しい。
問題は、どうしてヤトに対して、敵が此処まで執拗な探索をかけているか、だ。
まさか、此処から遙か東国で大暴れしたヤトが、此処にいるとは思っていないだろう。もしもそれを特定しているとしたら、流石に敵は人外のものだと言わざるを得ないが。いくら何でも、あり得る事では無い。
そうなると、何が起きているのか。
たとえば、あのタケルがこの近辺にいるとして。それでも、ヤトがいると断定できるとは思えない。
幾つかの可能性を拾い上げながら、ヤトは山の中を歩く。
途中、適当な横穴を掘って、其処で眠る。
ずっと眠るわけにはいかない。
夜にも、影の連中が、姿を見せることがあるからだ。
何度か軽い眠りをした後、伸びをして体をほぐす。日中はずっと敵との追跡戦をするのと同じ。
敵の技量は既に掴んでいる。
油断できるものではない。だから、しっかり力を蓄えておかなければならないのだ。その上、どうやら連中は、カラスと梟が生活時間を切り替える明け方と夕方に、ヤトの動きが鈍くなることに気付いているらしい。
明け方。
案の定、気配が山に入り込んできた。
しかも三つの組に分かれている。今日こそ、ヤトを倒すつもりなのかも知れない。そうだとすると、此方も腹を据えて掛からなければならないだろう。
一つの組が、集落の方へまっすぐ向かう。
カラスを飛ばして、警告はさせる。
その後どうするかは、連中次第だ。
勿論、攻撃を受けるようなら反撃をしなければならないが。ヤトとしても、今は戦いを避けたかった。
しばらく、じっと気配を消して、様子を見る。
一つの組は、この山では無く、隣を中心に探っている様子だ。かなり念入りに調べていて、気配がなかなか動かない。
もう一つは山頂近くに陣取って、何かが動かないか、非常に神経質なまでに見張りを続けている。
彼処にいられると厄介だ。
ヤトとしても、木々の間などを、吟味して動かなければならない。もっとも、相手の位置から、死角は把握できる。
この山について、ヤト以上に知っているものなど、いないのだ。
昼近くになって、状況が動く。
此方の集落を探っていた一組が、動き出したのだ。山の中を走り回って、ひたすらに此方を探し求めている。
一見、がむしゃらな探し方にも思えるが。
何かしらの理由で、近辺にヤトがいると判断した可能性が高い。舌打ちすると、ヤトは近くの洞窟に潜り込んだ。
その穴の奥を通って、山の反対側に出るためだ。
山を逆側に抜けてから、森を抜けて、隣の山に出る。そろそろ対応が面倒くさくなってきた。
周囲に気配無し。
口笛を吹いて、カラスたちを集めておく。
奇襲を受けるほどヤトも貧弱では無いが。しかし、何があっても対応できるようにしておくのが、経験から学んだこういうときの鉄則だ。
敵がまた、気配を見せる。
どうやらヤトが、先ほどまでいた山から移動したと気付いたらしい。
敵の反応が早い。
舌打ちすると、ヤトはまた、影よりも闇に潜んで移動する。
追いかけっこは、続く。
夕刻を過ぎて、夜になると。ようやく敵は探索を諦めて、姿を消したようだった。
しばらくはこうやって、敵をやり過ごすしか無い。
一度集落に戻る。
そして、鵯から報告を受けた。
「人員の調達は」
「移動しながら、近辺のツチグモや浮浪者を取り込んでいます。 そろそろ、六十人に達すると思います」
「そうか。 上出来だ」
実際、移動し続ける事で、近辺のツチグモや浮浪者を次々に取り込むことも出来ている。この追いかけっこも、案外悪くは無い。
もう少し数を増やして、力を付けたら。
そろそろ反撃に出たい。
だが、それには更に広い山と、森が必要になってくる。少なくとも、ヤマトの中枢をまるまる囲むくらいは必要になるだろう。
その規定戦略があるから、まだしばらくは我慢を続けなければならない。ただし問題なのは、敵がいつまでも、芸の無い追いかけっこにつきあうとは思えないことだ。
「一つ分かったことがある」
「何でしょうか」
「この島は、結局山と森で出来ている。 人間が住み着いているのは、河と海の周りであって、山と森は人間が住む世界の外にある」
「……そう、なのでしょうね」
そしてこれは勘だが。
おそらく世界のどこでも。このアキツの島の外側でも、それは同じなのではあるまいか。
多くの人間が住んでいるのは、水がある所。水が無い所、更に住むのに危険が伴うところでは、人間は数を確保できない。
実際問題、此奴らを見ていれば分かる。
ヤトの集落の人間達は、どいつもこいつも弱者ぞろい。巨大な猪に対処できず、追いかけ回されるような連中だ。
そして、ヤマトの兵士。いや、ヤマトの普通の人間も、此奴らとさほど変わらない水準であろう事は知っている。
ヤトも見ているのだ。
逃げ回る間に、ヤマトの集落を。
もしくは、夜の間に。抑えた山々の周囲にある、ヤマトの集落に潜入して、生活の様子を観察して廻っている。
その結果は、さんさんたる有様だった。
ヤマトの人間の中で、戦える者はごく少数。
殆どは、獣が出たときの、対応の仕方も知らないような奴ばかり。人間は森の外に暮らしていると、弱くなる。
森の中で、厳しい環境で鍛え抜かれた人間は、それだけ強くなるのだ。
「つまり、森を全て抑えることが出来れば。 私の力は、ヤマトを越える」
「そう、容易く行くでしょうか」
「容易くは無いだろう。 そのような事はわかりきっている。 だが、把握している森の範囲を広げることは、容易い」
後は、森の中にいる人間を増やしていく事。
森に手を出すと、手酷い報復がある事を、ヤマトの者達に思い知らせること。この二つを両立させる。
かっては、ツチグモの戦士達がいたから、それはさらに容易かっただろう。ヤトも、気付くまでに時間が掛かってしまった。
しかし今は違う。
そして、最終的には。
ヤトが、この島の全てを支配し、森から人間そのものを追い出すのだ。
「このまま、人間を更に増やす。 子作りを盛んにさせろ。 ヤマトから逃げてきた者は、積極的に庇え」
「分かっています。 しかし貴方は、人間を本当に獣の一種として見ているようですね」
「それが何か」
「何でもありません」
鵯が悲しそうに目を伏せるが、正直どうでもいい。
だが、普通の人間が、今のヤトの言葉に反発を覚えると言うことが分かるだけで、充分である。
此奴はそのために生かしているのだ。
そしておそらくは。鵯もそれを理解した上で反発している。機能としては充分。それでいい。
ヤトは人間などには、何一つ期待していない。
道具としてのみ、使い道があると考えている。
「私はこれから、ヤマト中枢の周囲を、全て自分のものとする。 山一つごとに配置できる人数はさほどいないだろうが、それでも数人ずつおければ充分だ」
「……」
「訓練も進めておけ。 身を守れる程度にはなってもらう」
訓練が進んだら、使えそうなのを、ヤトが拾って鍛えていけば良い。
戦いは、刃を交えなくても、行われている。
2、紀伊の劫火
何とも複雑な地形だ。
タケルは三千の兵を連れ、紀伊に入ってそう実感した。
まず、山々が複雑に入り組んでいる。それだけではない。海岸線が縦横無尽に走っていて、どこに何があるのか、まるで分からない。気を抜くと、今向いている方角が何なのかさえ、分からなくなりそうだ。
一応、此処は朝廷の領土となっている。
だが、状況を判断する限り、実際に支配できている部分はかなり小さい。そう判断するほか無かった。
タケルはまず、主力部隊を連れて、駐屯部隊の将軍に会いに言った。
かなり年老いた将軍は、砦に常駐しているようだった。というよりも、危険すぎて家に帰れないというのだ。
街の殆どが、それぞれ好き勝手をしていて、自警組織まで準備している。
それだけではなく、ツチグモも多くいるという。
しかも此処のツチグモは、よそとはだいぶ構造が違うというのだ。
それらの話は、到着前から聞いていた。
しかし、砦を実際に見て、驚かされる。
規模としては、並の街程度だろう。城と言うには少し防備が脆弱だが、それは問題では無い。
城門には矢が突き刺さったままにされていて、見張り台にいる兵士は、常に完全武装して周囲を見張っている。
これは、戦地だ。
軍を連れて砦に入ると、将軍が出迎えてきた。
非常にやつれている。かっては長身で筋肉質だっただろう老人は、今では文字通り枯れ木のようである。目の下には、疲弊からだろうか、大きな隈を作っていた。
「これはこれはタケル将軍。 この砦の指揮官、セロウにございます」
「うむ……」
まだ、漢字風の呼び名は、この国では浸透していない。
タケルはそのまま猛という意味の言葉であるらしく、この国最強の将軍として相応しい二つ名である。
他にも、ヤマト中枢には、漢字を意識したり、そのまま漢字で読める名前も付けられている者が出始めてはいるのだが。
まだまだ、その数は多くない。
このセロウもその一人だろう。功績を挙げると、朝廷から漢風の名前が与えられることもあり、それを喜ぶ将も多い様子だ。
疲弊しきった様子からも、セロウの苦労がよく分かる。
すぐに、舎に案内してもらった。其処で、話を聞くこととする。
砦の中にいる兵士の中には、負傷者が目だった。片腕が無かったり、片目が無かったり。とにかくここで行われている戦いが如何に凄まじいか、それだけでもよく分かる。これはひょっとすると、上がっている報告はかなり控えめなのかも知れない。
「端的に言いますと、この紀伊はまだ朝廷のものではありません」
「であろうな」
「おわかりいただき、恐縮です」
セロウによると、湾岸部の幾つもの村が、海賊と結託していたり、或いは海賊そのものであったりするという。
それだけではない。
「この紀伊にいるツチグモは、他とは違います。 朝廷から反旗を翻している村や、片手間に強盗をしているような連中が、多く含まれています」
「各地の駐屯軍はどうしている」
「とても対応できません。 中には賊と通じる兵まで出ておりまして」
なるほど、タケルが今此処に来たのは、ある意味天命によるものだったのかも知れない。紀伊は都になる場所にも近い上に、土地そのものも広い。このような状態を許したままでは、いずれ大きな禍を呼ぶだろう。
このような状況が放置されていたのは、何故か。
おそらくは、歴代の官吏にも問題があったのだろう。実際、タケルの元には、此処まで酷いという状況は伝わっていなかった。
朝廷がアキツでの覇権を此処まで広げて、まだ時間が無い。
支配には、彼方此方間隙も生じる。
この紀伊が、まさにそれなのだろう。
だが、それだけではないはずだ。更に大きな問題が想定される。
おそらくは、渡来人だ。
「此処まで混乱が広がっている原因は、何か思い当たらぬか」
「一つには、渡来人系の海賊が、横行している事でありましょう」
やはりそれか。
大陸の混乱から逃れてきた民を渡来人と呼ぶが、その全てがこの国に協力的な訳では無い。
無法を繰り返し、害を為す者も多いのだ。
既に今回は、戦う準備をしてきてある。タケルは海上戦の経験も多少ながらある。今回は丁度良い機会にもなる。
「他には」
「複雑な地形が多く、各地の村が好き勝手をしていることも原因かと。 特にこの辺りは、ナガスネヒコが率いていたもの達の残党が多く流入したとかで、代々朝廷に対する敵意を育てている村があるようでして」
「代表的なものは」
幾つか、地図上の村を、セロウが指さす。
部下にそれを記録させる。荒療治も、仕方が無いだろう。
「これらの村からは、税は上がってきているか」
「徴税など、とても無理にございます」
「ならば、反乱と見なす」
その時になって、ようやくこの辺りを収めている官が来た。此方も毎々の疲弊で、やせ細っていた。
セロウとは違って小柄な老人で、力なくタケルに平伏する。
「一つずつ、片付けていく。 全てを片付けるために、そなた達も協力せよ」
まず第一に、全ての村に税を納めるように、矢文を入れる。
これだけなら、三日もあれば充分だ。その間、タケルは軍勢を引き連れて、紀伊を見て廻った。
三千という圧倒的な軍勢を見て、流石に肝を冷やしたのか。
砦に攻撃を仕掛けてきていた賊は、まるで姿を見せなくなった。それらについても、いずれ追って処置をしなければならないだろうが。
まず、やる事は一つだ。
矢文には、出頭するようにという指示も書いてある。
これを破った場合は、反乱と見なす。
高圧的な対応だが、今まで好き勝手をさせすぎたという事情もある。勿論、官や将軍に問題があった場合も考慮しなければならないだろう。
四日後から、反応が出た。
完全に矢文を無視した村は三つ。
使者を出してきた村は二つ。二つはそれぞれ内容がほぼ同じで、今租税の準備をしているから、待って欲しいと言うものだった。
残りの村は、代表者が出頭してきた。
その中で、税を納めていなかった村は四つほど。
だが、事情がある可能性も捨てられない。一人ずつ、タケルは話を聞いていくこととした。勿論手心を加えるつもりもない。
単に官を舐めていたと判断した二人は、その場で斬って捨てた。
その首を横に置いたまま、タケルは話を進めたので。二つの村の長は震え上がって、以降は税を入れると約束した。
「約束を破った場合は、焼き滅ぼす。 勿論不作などで仕方が無い場合は、此方も対応を考慮するから、必ず申し出るように」
言い聞かせて、村の長達を放逐する。
他の連中については賊や、それに関する情報を出させた。
タケルは嘘を見抜くのが得意だ。
長年戦場で鍛え抜かれてきたからだろう。賊とつながっていそうな数名は、その場に残した。
そして、部下に尋問を任せると。
自身は主力である二千を率いて、砦を出た。
最初に向かったのは、矢文を無視した最初の村。全軍で攻めかかり、一刻もしないうちに滅ぼした。
戦の準備もしていたようなのだが、この軍勢の前にはひとたまりも無い。
長はその場で斬首。
他のもの達は全員を捕らえて、都へ送った。向こうの土地に帰農させて、厳しく管理する。
何名か逃げたものはいたが、それは敢えて放っておく。
此処まで事態が進展してしまっているのだ。見せしめのために、最悪の場所を叩き潰した。
それを周囲に示す必要があるからだ。
犠牲は最大限に活用しなければならない。
砦に戻り、一日待つ。
果断な処置に震え上がったからだろうか。
矢文を無視した二つの村の長が、翌日には出頭してきた。返事だけをしてきた村も、同様である。
このうち、矢文を無視した村の長はその場で捕縛。
村自体にも兵を向かわせ、武装を解除させた。
出頭が遅れた村の長達も、その場で厳しく叱責。軍を入れて、村を調査させた所、驚くべき事が分かってきた。
幾つかの村では、勝手に領主を自称し、周辺の小さな村から税を取っていたのである。
どうやら、此処ではまだ、朝廷の威光は届いていなかったらしい。
ならば、届かせるのみだ。
当然、領主を自称していたもの達は、その場で斬首させた。
翌日からも、タケルは鋭く果断な行動を続けた。
海岸線に兵を出すと、村を抜き打ちで検査。海賊を数十人、まとめて網で小魚を捕るようにして縛したのである。これは、事前に兵を出して、海賊と思われる存在は内偵させていたから、出来た事だった。
紀伊全土に、兵を浸透もさせる。
その過程で、駐屯兵も根こそぎ調査した。
案の定、賊とつながっている者だけでは無い。賄賂を取っていた者や、勝手に権限外の事をしていたもの達が、多くいた。
この紀伊の統括をしていた官もその一人。
決められた以上の税を懐に入れていたのである。
分かってはいたことだが。
タケルは、大きく嘆息した。
「何もかもが腐っていたのだな」
「我々では力が足りず、申し訳ございませぬ」
「うむ……」
深々と頭を下げるセロウに、タケルはこれ以上言う事が出来なかった。
悪質な者は、斬首。
そうで無いもの達も、状況に応じて降格。特に海岸沿いの村の人間は、全員を何度かに分けて都近辺に移動させることとした。しかも、共謀して悪事を企まないように、分散して、である。勿論反発する者は多かったが。しかし、タケルの苛烈ながら平等な裁きを見て、文句はすぐに収まっていった。
後は、海上に逃げた賊である。
四国には、事前に捕縛の使者を出してある。数日間、何もしていなかった訳では無い。紀伊の状況はうすうす分かっていたから、出立時には既に使者を発していたのだ。海上には、四国の駐屯軍が展開して、網を張っている。如何に渡来人系の強力な海賊とはいえ、正面から戦って突破は出来ない。
そうなると、逃げる路は南のみだが。
これについては、別働隊を既に出してある。
渡来人がいるのは、向こうだけでは無い。
朝廷も、少ないとは言え、それ相応に整備された海軍を有している。虎の子の艦を何隻か、海流に沿って配置してある。海賊とは言え、簡単には逃げられない。
五日後。
陸上の処置が大まかに片付いたところで、タケルは自らが海岸線に出た。既に斬首すべきものは処置が終わり、残りも移送が開始されている。
反発したり、抵抗したもの達も出てはいるが。
それでも、紀伊全体は、急速に静かになりつつあった。
タケルは今までの戦歴から、かなりの権限が認められている。朝廷に対して、紀伊での出来事の報告書は、既に提出済み。
駐屯軍も、これから強化されることが決定されていた。更に、官吏のために、官も倍に増やされる予定だ。
これで、少なくとも。
数十年は平気だろう。
ただし、朝廷の力が弱まったり、腐敗官吏がまた出れば、紀伊は地獄に逆戻りする事疑いない。
此処は入り組んだ地形が、そもそもの悪の元凶となっている。
どこの村も独立して好き勝手をしやすいばかりか、悪人が潜みやすい。平和におごっていい加減な監視をすれば、すぐにまた地獄に戻るとみて良いだろう。
海賊について、既に逃げ延びた連中も、追い詰めていると報告が来ている。
後はとどめを刺すだけだ。
海岸線に出たタケルは、用意されている大きな船に乗り込む。
大きいといっても、大陸で運用されているものに比べれば、小舟も同然だが。それでも数十人は乗ることが出来る他、船体に泥を塗り皮を張って、生半可な火ではつぶせないように処置をしてある。
更に、他の船にも、兵が乗り込む。
全部で十二隻の船が、海上に躍り出た。
海岸線には、既に千以上の兵を配置して、逃げ込んできた海賊を捕らえるように、目を光らせていた。
もはや奴らに逃げ場は無い。
だから、タケルが出てくれば、必ず戦いを挑んでくる。
案の定。
船を出して二刻もしない内に、海賊の船四隻が、姿を見せた。
「相手は海上戦の専門家だ。 努々油断するな!」
兵士達が、喚声を挙げる。
ここ数日、小競り合いは数限りなく、此処にいる兵士達は経験してきた。殺し合いをして、腰が引ける者もいた。だが、敵が弱いことを理解できれば、また自信を取り戻せるのだ。
兵士達はタケルの指揮で、敵を叩き潰してきた。
今回も勝てると、皆が確信している。だから強い。
名将の条件は、必ず勝てると、兵士達に思い込ませられる事。
タケルは必ずしも常に勝っている訳では無いが。
しかし、今回の戦いでは、勝てる。
兵士達の自信を完全なものとすべく、確実に敵を葬らなければならない。タケルの指揮に、此処からは掛かっている。
海賊は、見る間に近づいてきた。
さすがは渡来人の技術。なかなかの速度だ。
しかし残念ながら、隙がある。
四隻はどうやら同じ海賊に率いられている訳では無いらしく、雑多な動きで、此方に突入してくる。
もはや死を逃れられないとみて、破れかぶれになっているとみて良いだろう。乗じるべき点だ。
「火矢!」
指示をすると、兵士達が矢を放ちはじめる。
海上での矢を放つ訓練もしてある。
実戦でいきなり成果を出すのは難しいが、何本か矢を撃っている間に、慣れてくる。事実タケル自身も、そうだ。
揺れながら放った一矢は、最初大きく逸れた。
しかし二矢目は敵の帆に直撃。燃えはじめる。
三本目は、こつが分かってきた。
敵の一人を、そのまま射すくめることに成功した。舌なめずりしながら、タケルは次の矢をつがえる。
兵士達も、それを見て奮い立つ。
距離が近づいてくると、命中精度がうなぎ登りに上がっていく。
勿論、向こうも矢を放ってくる。帆を畳んでいる此方に対して、向こうは火による被弾面積が広い。
しかし、敵の方が、動きが速いのも事実。
戦いは、五分五分。
火を消すための訓練を受けた兵士達が走り回る。
櫂を動かす男達が、筋肉を躍動させ、勇壮なかけ声を上げた。
凄まじい矢の打ち合い。
タケルの兜に、矢が直撃。弾いた。
敵を、立て続けに数人射貫く。
やられた分はやり返す。タケルは、武将だ。兵士達の前でも、常に見せなければならない。上に立つ者に相応しい実力を。
敵の船が、旋回をはじめた。
怖じ気づいたのでは無い。
敵は此方の前を横切りながら、火矢を放ってくる。一隻が炎上したが、三席がまだ無事。此方も、二隻が炎上しはじめている。消火が無理となったら一旦海に飛び込み、他の船に移るようにと指示は出してある。
敵が一旦離れた。
燃え落ちた一隻は、完全に見殺し。
敵ながら、残忍である。
敵の船が沈んでいく。タケルは嘆息すると、周囲を見た。被害は決して小さくは無いが、継戦不能というほどでもない。
まだやれる。
「火を消せ。 敵の様子は」
「逃げ散っています」
助けを求めてくる海賊もいる。
捕らえておけと言うと、タケルは逃げはじめた敵を追尾。追いつけるとは思わないが、味方が先に待ち伏せしている。
おそらく、知っているからだろう。敵は大きく海上を旋回して、反撃に出てきた。背後を狙う動きだったが、タケルはそれを読んで、先に船を旋回させていた。
結果、敵は此方の真正面から、突っ込んできた。
火矢を構えさせる。
そして、敵が射程距離に入った瞬間、火矢を放たせた。今度は先とはまるで精度が違う。炎上していた二隻も、既に消火は終わっていて、火矢を旺盛に敵へ叩き込みはじめていた。
たちまち、残っていた敵船が燃えはじめる。
だが、一隻が炎上しながら、タケルの旗艦に突っ込んでくる。
船は回避に入ったが、間に合わないだろう。
タケルは大弓を引く。
そして、此方をにらみつけている男に向けて、ひょうと音を立てて、矢を放った。
矢が男の眉間を貫く。
同時に、船が、激突した。
凄まじい衝撃に、転びそうになるが、こらえる。海賊がなだれ込んできた。すぐに乱戦になる。
中には、体に火がついたまま、戦っている賊までいる。痛みを興奮でかき消しているのだろう。
「シャアッ!」
敵兵が叫ぶ。
味方も雄叫びを上げながら、迎え撃つ。原始的な肉弾戦が行われる中、タケルは剣を抜き、右左に敵を斬って捨てる。
更に、飛びかかってきた一人の頭を、唐竹に割った。
剣が折れたので、倒れている兵士の腰から新しいものを拝借する。その隙にと襲いかかってきた海賊の足下を薙ぎ、倒れてきたところで、首を刎ね飛ばした。吹っ飛んだ敵の首が、転がり、海に落ちる。
血の臭いをかいで、多数のサメが集まりはじめている。
今海に落ちると、かなり危険だろう。
囂々と、凄まじい音がする。
船同士の激突で、海も荒れ狂っている様子だ。
他の二隻の海賊船も、此方の船に突っ込んできたようだ。味方も、その船に突っ込み返す。
絡み合った数隻の船の上で、兵士達が怒濤の勢いで荒れ狂った。
波間に揺られる船上での戦い。激しい揺れに、足を取られる。それに対して、相手は完全に、この環境に慣れていた。
だが、それでも。
タケルは、襲いかかってきた敵を、二人、三人と斬る。
この程度の相手など、タケルの敵では無い。司令官はもう討ち取っているし、他は者の数では無かった。
乱戦になり、押されたのも最初だけ。
後は敵を押し返していく。
それでも、手傷は受けた。
完全に敵を制圧したのは、陽が直上に上がった頃。燃え残った敵を調べて見るが、やはり渡来人系のもの達が大半だ。
ただし、大陸から来たにしては肌が黒いもの達も目立つ。
或いは、漢人だけでは無かったのかも知れない。
いずれにしても、海賊の大物のうち、生きたまま捕らえた者は、此処にはいない。捕らえたのは下っ端ばかりで、聞いても何も分からない。海岸の村で捕縛した連中に、詳しい話は聞くしか無いだろう。
旗艦もかなりやられたが、全焼は免れた。
敵の首をひっさげて、凱旋勝利と行きたいところだが。紀伊はまだまだ、しばらくは混乱が続くだろう。
海賊を撃滅し、治安は取り戻したが。
しばらくはタケルが駐屯しなければ、政務に支障をきたすだろうし、何より隠れ潜んでいる賊達が蠢動するのは目に見えている。
海岸にまで戻る。
民の視線は、必ずしも好意的では無かった。船を桟橋に着けると、兵士達に指示。海賊は壊滅させたこと、その指導者達は全て討ち取ったことを、紀伊中に喧伝させるように、と。
これで、ひとまずの安定は保てる。
問題は此処からだ。
駐屯軍の再編成を進めながら、タケルは政務も連れて来た文官達に進めさせた。
案の定、税も取れないような村が多数ある状況では、政務も相当に滞っていたらしい。文官達が、文句を次々に上げてくる。
「今まで紀伊の文官達は、何をしていたのでしょうか。 租税に関しても、何もかもがいい加減すぎます」
「そういうな。 これまでの状況を見る限り、紀伊では朝廷の威光が届いてはいなかったのだ」
まずは暴力を用いて、威光を広めなければならなかった。
思うに、武王の統治はまだ歴史が浅い。
同じように、威光が届いていない土地はまだまだある筈だ。
特に、朝廷の膝元となる畿内に関しては、もっと地固め足固めをしなければ、今後が危ないだろう。
紀伊の近辺は、鉄の山地としても有望だという話が出てきている。出雲は多くの鉄が出るが、それも限界が見えている。そのために、幾つか都の南に、鉄を作れる場所を準備しはじめているのだ。
既に、本格稼働すれば、出雲を凌ぐ製鉄量になるという報告もある。
紀伊は、戦略上の重要拠点。
しっかり抑えておけば、朝廷のためにもなる。
「駐屯軍の再編成は」
「今、兵士達を全員尋問して、面談後に割り振っております」
「うむ……」
特性が無い兵士は、帰農させる。
一方で、意欲がある民の中からは、兵士を募っていく。
そうすることで、多少は兵士の質を上げる事が出来る。後は訓練次第で、紀伊を守るますらおに成長させることが出来るだろう。
文官に関しても、改革がいる。
民を虐げるようなものの跋扈を許してはならない。そのようなもの達が我が物顔に横行するから、統治に隙も出来るのだ。
二度と、此処を外来勢力の好き勝手にさせてはならない。
朝廷でさえ、気を抜けば渡来人に蹂躙される可能性があるのだ。ましてやこういった僻地をしっかり抑えられなくて、何が覇権か。
中間報告書を、武王に提出する。
それが済むと、タケルは自らが、紀伊の視察に出た。海上戦で鎧の上から一太刀浴びて、多少手傷は受けたが。もう痛みも無い。傷も残らないだろう。
ただし、ここからが大変だ。
大本は断ったが、まだ蠢動している賊は残っている。
山などに逃げ込んだ賊を、根こそぎに片付けていかなければならない。しばらくは、強力な部隊を駐屯させて、睨みを利かせなければならないだろう。
兵の訓練には、やはり丁度良かった。
タケルの配下の部隊も、適当な力を持つ相手と戦って、自信を取り戻している。調整が済んだ部隊から都に戻し、空きは随時新兵で補充する。
紀伊には、現在の人口で考えると、三千の駐屯が必要だ。
今後開発が進み、人口が増えてくるならば、更に駐屯の兵を多くしなければならないだろう。
新兵は、三千以上徴募される。
その殆どが、今年は紀伊に配備、という形になるだろう。
視察していくと、無人になった村に人影があった。元からの住民は、租税を納めなかったかどで、都へと連行済みである。
「捕らえよ」
「はい」
兵士達が数名、狼のような剽悍さで、影を追っていった。
すぐに影が捕らえられる。
まだ幼い子供だ。
血に飢えた獣のような目で、タケルをにらみつけている。幼いが、なかなかの肝である。こんな小さな子供からすれば、タケルは熊のように見えるだろうに。
「殺せ! おとうとおかあのように!」
「ほう。 お前の父は」
「この村の長だ!」
なるほど、そういうことか。
タケルは子供を縛らせ、連れて行かせる。母は殺していないと告げると、子供は驚いたようで、何も喋らなくなった。
子供の父を殺したのは事実だ。
だが、殺さなければならなかった。
いずれ、タケルは。子供に、それを説明していく義務を背負った。勿論代理で説明させても良いが。
そうしなければ子供は、朝廷に対して牙を剥く存在になるだろう。
そうさせてはならないのだ。
出来るのであれば。
禍の種は、摘み取らなければならない。
夜刀の件で、それをタケルは思い知らされていた。
3、思わぬ収穫
しばらくしつこく嗅ぎ廻っていた影は、やがて諦めたのか。ヤトの尻尾さえ掴めないからか。
姿を見せなくなった。
それでもヤトは数日間、慎重に動き回っていたが。
いずれにしてもカラスも梟も、敵を見ることは無くなった。しばらくは問題ないだろうと、判断した。
それにしても、これでは軽率な動きは出来ない。
考えて見れば、それでいい。ヤトは元から、非常に戦略を吟味して動かなければならないのだから。
彼方此方の山に散らせた集落の人間を、少しずつ増やしていく。
街に行く者もいるから、山に逃げてくれば良いとそそのかさせるのだ。実際、田畑を持っていても、どうにも出来ない状況の者は珍しくない。
確実に、集落の人間は増えている。
既にかってのアオヘビ集落に、数だけなら匹敵する所まで行っただろう。問題は、戦闘力が皆無に近い所だ。
どうにかして、補っていく工夫をしていかなければならない。
今の時点では、ヤマトは此方に対して警戒する必要も無いのだ。実際問題、極めて非力なのだから当然である。
ヤトは違うが。
しかし、ヤト一人では、どうにも出来ない。
とにかく、今は数を増やしていくしかなかった。
ヤマトの中枢から、既にかなり南の山にまで出てきている。この辺りに来ると、ヤマトの集落はかなり減っていた。
ヤマトの中枢近くでは、山の中にもかなりの数の集落が見られたのだが。この辺りでは、川の側と平野にしか無い。
相変わらず規模は大きいが、集落そのものの数が減っているのだ。
ヤトとしてみれば、この辺りこそ、集落の民を多く伏せるべきかとも思う。しばらく無心に山を歩き回りながら、地形を把握。
中々に良い場所だと判断。大いに満足した。
カラスが警告の声を上げる。
矢に手を伸ばしたヤトは、烏の声を聞き分けた。かなりの数の人間が、此方に近づいてきている。
数は十二。
いや、十五。
動きは鳴き声から判断できた。すぐに木の上に上がって、先に敵を確認する。
見えた。ヤマトの兵士では無い。
もっと雑多な格好。
ツチグモに近いが、いや違う。どちらかと言えば、ヤマトの農業を行う人間だろう。弥生や鵯の言葉によると、確か農民とか言うはずだ。
問題は連中が、明らかに武装していること。
それも、相当に戦い慣れている。
様子をうかがったまま、距離を取る。仕掛けるにしても、殺すにしても。相手の技量ははっきりしている。
下手に仕掛けると、返り討ちに遭うだろう。
「おい、この辺りはどこだ」
「伊賀を超えたな。 おそらくは、そろそろ大和に入る頃だが」
「ちっ、まだそんなところかよ」
吐き捨てたのは、筋肉質の隻眼。かなり背は高い。
ただし、腕前は、アオヘビの戦士達に比べて、高いとはいえない様子だ。良くてどっこいどっこいだろう。
その後ろにいるのは、その隻眼よりも更に背が高い、禿頭の男。全身は分厚い筋肉に覆われていて、長大な槍を手にしていた。
格好は粗雑だが、全員が人を即座に殺せる装備を持っている。
いずれにしても、このまま北上されると、ヤトの縄張りに抵触するだろう。この辺りで、殺すか、部下に加えるか、決めておいた方が良いだろう。
群れている十数人は、いずれもが男だ。
いきなり相手の至近に姿を見せるのは危険が大きい。だから、まずは木の上から、声を掛ける。
「おい」
「なっ!」
男達が、一斉にヤトを振り仰ぐ。
既にヤトは弓を構え、矢を放つ準備を終えていた。
「ここから先は私の縄張りだ。 入りたいのなら、私の配下になってもらう」
「何だ、このアマ……」
「やっちまうか、オラァ!」
下劣な声を上げた男を、即座に射貫く。
二三匹は最初から殺す予定だ。頭を射貫かれて横転する男を、ヤトは冷たい目で見つめながら、次の矢を装填していた。
距離は百歩以上。
速射で、近づくまでに六匹は倒せる。
残りは射撃戦でどうにでも出来る。此方は木の上にいるのだ。それだけで、充分に有利になる。
隻眼の男が、居丈高に吼えた。
「てめえ、天狗か何かか!? 物の怪の類が、こんな人里の近くにまで来るとは、良い度胸じゃねえか!」
「私は天狗では無い。 山神と言われている」
「山神だと……」
「先もいったが、ここから先は私の縄張りだ。 引き返さぬなら殺すぞ」
様子を見る限り、隻眼の男が首魁らしい。
一人、矢に手を伸ばそうとしている男がいたので、即座に射貫く。頭を貫通された男は、声も無くひっくり返って、小便を垂れ流して土に吸わせていた。当然のことながら、即死だ。
愚かな連中だ。
いっそ、もうこれ以上は話すことも無く、皆殺しにするか。そうヤトは考えはじめていた。数は相手の方が多いが、この程度の敵。タケルの軍勢に比べれば、それこそ蟻か蠅に等しい。
「あまり舐めた真似をするな。 お前達と違って、私はその気になれば、即座にお前達を殺せるぞ?」
「ま、待て!」
隻眼の男が、周囲に目配せ。
そして自身は、手元にあった大きなツルギを、地面に突き刺した。
どうやら、抵抗の意思を捨てたか。
最初からそうすれば、部下も死なずにすんだものを。
「争う気は無い!」
「ならば私の縄張りからされ」
「その言い方、お前はツチグモか? 紀伊にいたツチグモとは随分と違うな。 我々は、紀伊から朝廷の軍勢に追われて逃げてきた!」
なるほど、それでか。
此奴らは、別の国のツチグモというわけだ。それならばそれで、あまり関係無い。仲間意識でも、持つと思ったのか。
「南に戻れば殺される! 頼む、縄張りを通らせて貰えないか」
「配下になるのなら、入れてやろう」
「配下だと……!」
「当然だ。 此処は私の縄張り。 そして私は人間が嫌いだ。 人間に踏み荒らさせはしない」
勿論、相手にもよる。
口惜しいことに、あの影のような連中は、生かしたまま返すことになってしまった。それだけヤマトとの戦いは、慎重を期するからだ。
だが、いずれこのアキツは、全てヤトのものとする。
そのために我慢してやったのだ。
しかし此奴らは、明らかにヤマトの勢力の人間では無い。ならば、縄張りに足を踏み入れる事は、死を意味すると教えてやらなければならない。
「どうする。 引いて死ぬか、這いつくばって生きるか、選べ」
「くそっ! 兄貴、我慢ならねえ! 戦おうぜ!」
「馬鹿言うな! 剣を捨てろ!」
不満たらたらに、隻眼の部下達が剣を捨てる。
どうやら、部下に言うことを聞かせる程度の事はこなせるか。鼻で笑いながら、ヤトは矢をまだ向けたままである。
「分かった、降参する。 南にはどうせ戻れん。 あんたの部下として使ってくれ」
「そうか。 良い心がけだ」
ついてこい。
そう言い残すと、ヤトは木の枝を渡って、飛ぶように移動しはじめる。
隻眼と、その部下達はついてきた。
カラスを先にやって、この近くの山に住み着いている部下を呼びに行かせる。ヤトが呼んでいる合図については、既に連中にも教え込んである。
すぐに、連中は現れた。
戦いについてはほぼ経験が無いもの達だが、相手を縄で縛る事くらいは出来るようにしてある。
隻眼と、その部下達を、本縄にて縛り上げる。
様子を確認した後、ヤトは木から下りた。
枝から飛び降り、着地する様子を見て、隻眼は目を見張った。
「おいおい、本当に化け物かよ……」
「最初からそう告げていた筈だが?」
「くそっ……」
縛り上げた縄目を確認。
しっかり関節も極めているし、問題ないだろう。おどおどした様子でヤトを見ている惰弱なもの達に、指示。
「鵯の所に連れて行け。 後の尋問は、鵯にさせる」
「分かりました、山神様。 山神様は、どうなさいます」
「私は死体の処理をしてから、後を追う」
一応、体の方も検査させる。
本縄で縛り上げている状態で、使える武器など持っていない。これならば、問題は無いだろう。
ヤトが検査をしている横で、隻眼が言う。
「俺の名前は千里だ」
「そうか。 私は山神。 ヤトとも言う」
「ふん、ヤトね……」
相変わらず、反抗的な態度だ。
だが、逆らうようなら殺す。これから此奴らは、各地の山に分散させる。荒事が出来る部下が欲しいと思っていた所だ。十人がかりで近接戦を挑まれると面倒だが、分けておけば不意を突かれても負けることは無い。
意外に、良い収穫だったかも知れない。
「お前のようなもの達は、まだいるのか」
「ああ。 これからまだ何十人か、北上してくるだろうぜ」
「そうかそうか、それは重畳だ」
「出来ればあまり殺さないでくれ。 あんたもヤマトに逆らってるんだろう? そうじゃなきゃ、山神なんてなのらねえもんな」
それは、相手の対応次第だ。
言い捨てると、ヤトは南へ向かう。
荒くれを躾けるのは得意中の得意。何匹か殺す事で、効率よく躾けるのは、更に得意だ。
千里という男が言ったとおり。それから、南から人間が、此方に逃れてくるのが見えた。既に四度目である。
今までに来た者達の中で、言うことを素直に聞いた奴はあまりいない。
十人ほどの集団で逃れてきた場合には、二匹か三匹を殺さないと、そもそも会話が成立しない場合も多かった。
殺した奴は、木から吊した。腹をかっさばいて、内臓をぶちまけるのも無論忘れてはいない。
その凄惨な有様を見て、言うことを聞きやすくなる。
やはり恐怖は使いやすい。
それにしても、逃れてくるのは、殆どが男ばかり。それも、働き盛りのもの達ばかりだ。
しばらく山に陣取って、カラスと梟による探索網を広げ、逃げてくる奴を拾い続ける。翌日になってから、更に三組が来た。
いっきに部下の数を倍以上にできそうだと、ヤトはほくそ笑む。
もっとも、言うことを聞かせるまでに時間は掛かるだろう。
山での生活を教え込むのにも、だ。
ただ、見ていると、ヤトの身体能力を見せつけると、それだけで言うことを聞くようになりやすい。
なおかつ、頭がいかれている所を見せることでも、おとなしくなるようだ。
しばらく逃げてくる奴らを拾い続けていると、鵯が来た。
「夜刀様」
「どうかしたか」
「逃れてきたもの達について、話があります」
木から下りる。
木の幹を伝うこともせず、飛び降りたのを見て、鵯は目を見張った。
実際には、柔らかい地面があるから出来る事だ。それでも棒立ち状態で落ちれば足を折る。
着地のときに、コツがある。
それ以上でも以下でも無い。訓練さえすれば、普通の人間でも出来るだろう事だが。敢えて、ヤトはそれを口にしない。
秘匿性が重要である事は、ミコのときに学習済み。
鵯のように頭が良い奴でも、やり方によってはころっと騙される。それさえ確認できておけば、構わない。
「ますます人間離れして来ましたね」
「よい褒め言葉だ。 それで?」
「あの者達ですが、どうやら紀伊から逃れてきた盗賊崩れのようです。 非常に柄が悪いので、今いるもの達と一緒に作業をさせるのは、危険だと思います」
なるほど。
現時点で、合計五十匹ほどを、ヤトは配下に組み入れた。
今まで部下にしたのは七十匹ほどだが。
今までの部下など、簡単に駆逐されてしまうだろう。確かにそれだけの力の差が存在している。
「見せしめに一二匹殺すか」
「どうして貴方は、そのような事を」
「いや、そんな事よりも、良い方法がある」
少し前から、話を聞いているのは知っていたが。
敢えて放置していた。
闇からぬっと出てきたのは、隻眼の男だ。千里と言ったか。
縄はもう解いたという事か。鵯に好きなようにさせているから、別にどうでもいい。
「明日、俺の部下や、紀伊から逃げてきたもの達を集めてくれ。 それで、連中の前で、俺にあんたが勝てば良い」
「ほう。 つまりお前は、紀伊では名の知れた戦士だったという事か」
「戦士なんて言い方はしなかったが、荒くれ達には怖れられていたな。 それに、あんたに好き放題やられたままってのも、性に合わないんでな。 どうせなら、きちんと負けておきたいんだよ」
なるほど、それでもしもヤトが負けるようなことがあれば、この集団は千里がそのまま乗っ取ると。
食えない男だ。
だが、それくらいの方が良い。
アオヘビ集落にいたとき、戦士達が従順すぎると感じたことがあった。迷信深い彼らは、カミを本気で信じていた。
だから、ヤトには逆らえなかった。
一方、この手の輩は、カミなど最初から信じていないだろう。
勿論その部下達は違うだろうが、つまりそれは、力を示せば、きちんと屈服するという事を意味している。
とても分かり易いし、ヤト好みだ。
「良いだろう」
「……」
鵯はあまり好意的な目で此方を見ていない。
此奴からして見れば、ヤトと千里の争いは、それこそ大蛇と熊の死闘に等しいのだろう。どっちが勝っても迷惑千万と言うわけだ。
もっとも、どちらかがいなければ、この集団は瓦解する。
また、ヤトとしても、千里を完全に部下にしておけば、そのつてを使って配下を簡単に増やすことが出来る。
「あんたは何で戦う」
「これで」
「そうか。 良いんだな。 俺はあんたを殺す気でやるぞ。 部下を何人もやられてるし、手加減するつもりはねえ」
ヤトが腰にぶら下げている鬼を示すと、千里は自身の腰にあるもっと大きなツルギを示した。
武器の大きさが勝負に直結しないことくらい、ヤトにも周知。
千里は見たところ、戦士としてはそれほど大きな方では無い。筋肉も若干付き方が薄い。それでも強い事は分かる。
最初はアオヘビ集落の戦士と良い勝負とみていたが、もう少しは出来るかも知れない。
おそらくは、蓄積した戦闘経験が豊富なのだろう。
だがそれは、ヤトのほうも同じ。
千里が部下達に、明日行う事を告に行くのを、見送る。
ひょっとすると千里は、今後部下がヤトに殺される事を防ぐ目的もあって、こんな事を申し出たのか。
だとすると、鵯と同程度には頭が切れると見て良い。
使いでのある道具だ。
だからこそに、懐に収めておきたい。
早朝。
陽が上がると同時に、戦いを始めることにした。
舞台に選んだのは、平べったくなっている山の頂点。周囲の木々には、千里の部下達や、今までヤトが配下に加えたもの達が、鈴なりになっていた。
周囲からの介入をさせても勝つ自信はあったが。
ヤトは敢えて、それを口にしない。
その程度の事をしてくる相手で無いと、面白くないと思った事もある。ただ、カラスたちが鳴いている声を解析する限り、隠れて弓を構えているものはない。そのほかにも、ヤトに敵意を持っているやからはいない。
意外に、真正直に挑んでくるつもりか。
それならそれで構わない。
正面から叩き潰すだけの事だ。
ヤトが姿を見せると、畏怖の声が上がる。片手で引きずっているのは、大人の男と同程度以上の猪だからだ。
「今日の戦いが終わった後、皆でこれを食べる事とする。 お前達、血抜きをしておけ!」
「はいっ! 山神様!」
わらわらと弱者共が群がり、猪を吊す。
以前よりもずっと手際が良くなってきていて、放って置いても問題は無さそうだ。
ヤトは鬼を鞘から抜くと、数度ふるって感触を確認。
一方、千里は、なにやらいかめしい格好で現れた。巨大なツルギを手にぶら下げているだけではない。
背中には長大な槍を、十時に重ねて背負っている。
体にも、鎧のようなものを身につけていた。
「あんたと戦うとなると、これくらいは必要かと思ってな。 卑怯だとか、抜かすなよ」
「いや、その程度で良いのかと、聞き返したいのだが」
「ほう……」
千里の眉間に、皺が寄る。
殺意が煮えたぎっているのが分かった。
今日、勝ち。
そしてヤトを此処で殺す気だ。
殺した後は肉を食うか死体を犯すか。どっちにしても、見せしめとしての行動を行うつもりだろう。
それでいい。
ヤト自身は、千里を生かしたまま屈服させるつもりである。
最初から困難なことなど承知の上。
それくらい出来なくて、どうしてこのアキツの島を制圧し、その全てを握ることが出来ようか。
「じゃあ、はじめて良いか」
「いつでも構わん」
「そうかよっ!」
地面を蹴った千里が、まっすぐ突っ込んでくる。
ヤトはわずかに立ち位置をずらすと、その撃を跳ね上げた。力負けはしていない。二度、三度、縦横無尽の軌道でツルギの刃が飛んでくる。いずれもかすらせもしない。相手が本気で無い事は百も承知。
千里も、ヤトがまるで本気を出していないことは、すぐに悟ったようだ。
攻防が、速度を増していく。
「おおっ!」
気迫と共に、千里が横殴りの一撃を繰り出してきた。それを跳び避けると、体を半回転させて、蹴りを見舞ってくる。がちんと音がしたのは、ヤトが遅れて迎撃の蹴りを出したからだ。
双方が、はじき飛ばされる。
着地はヤトの方が早い。
軽いから、より勢いよく飛ばされた結果だ。
だが、ヤトは、まだまだ余裕を残している。
千里は着地すると、額の汗を拭った。
少しずつ、余裕が失われているのが分かった。勝つつもりだったのだろう。ヤトの動きを見るまでは。
弓矢に関しては勝ち目がなくとも、接近戦ならいける。
そう思っていたのが、丸わかりだ。
ヤトが面倒だと思っていたのは、十人がかり以上で、同時に襲われることだった。別に一人二人なら、ものの数とも思っていない。そう、ようやく気付いたのだろう。そして、実力が、その自身を、裏打ちしていることにも。
「どうやら、本当に天狗か何かみてえだな」
「山神だ」
「ああ、そうかい」
山神。
それも、勝手に言われはじめたことだが。権威としては充分だし、別に何でも良い。極論すれば、犬神でも大神でも良かったのだ。蛇神と呼ばれていれば最高だったのだが、それは今更どうでもいい。
道具になんと呼ばれようと、論じるには値しない。
全力で、千里が躍りかかってきた。
暴風のようにツルギを振り回し、打ちかかってくる。
手数で圧倒するつもりか。
ヤトはその全てを、最小限の動きでかわす。かわせないものだけを、鬼で弾く。限界が、見えた。
まあ、このようなところだろう。
本来ヤトの身体能力では、近接戦で絶対に勝てない相手だ。
だが、ヤトは。
あの時。
そう。クロヘビ集落が滅ぼされ、一族が滅びたとき。
それにアオヘビ集落が焼かれ、タケルに破れたとき。
二度にわたって、人間として越えられない何かの線を、踏み越えた。今ならそれが実感できる。
「くっそおっ!」
怒号を、千里が張り上げた。
既に千里の部下達は黙りこくっている。
戦いの開始時は、やんややんやと喚声を挙げていたのに。ヤトは無言で千里の左腕を掴むと、体を捻って投げた。
地面に叩き付ける。
跳ね起きた千里が、ツルギを顔面に突き込んでくる。
かなり上手な奇襲だ。
だが、今のヤトには通じない。
そう、あのタケルだったら、今のヤト相手でも五分以上の勝負が出来るだろう。だが、此奴は、違う。
所詮は人間。
千里はそこそこに出来る。経験も豊富だし、身体能力も図抜けて高い。アオヘビの戦士達に迫る力を持つだろう。だが人間の域を超えていない。
しかも、おそらくは、達人という境地にも達していない。
すっと手を動かす。
ツルギの腹に手を添えて、軌道をそらしたのだと気付いたとき。千里の目が、恐怖に見開かれた。
直後、顎をヤトが蹴り挙げる。
千里の体が浮き上がった。
その腹に、ヤトは後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
吹っ飛んだ千里が、地面に叩き付けられ、数度跳ねて転がる。わっと喚声を挙げたのは、弱者ども。
ヤトはようやく少しだけ息が乱れてきたが。
まだまだ、せせら笑う余裕も残っていた。
「それで終わりか?」
「まだだっ!」
飛び上がった千里の目には、凄まじい怒りと執念が宿っていた。
此奴は、さぞや血なまぐさい世界で生きてきたのだろう。だが、ヤトは、それ以上の地獄の中を泳いで渡って来た。
そして人間では無く。
今、ここに山神として立っているのだ。
あの時、夜刀の神として、森を呪いで汚染した邪神は。今、人間の女の姿を借りて、此処に立っている。
それは無論比喩だが。
現実に、極めて近い比喩だ。
飛びかかってきた千里より早く動くと、その顎を掌底で横に払う。かろうじて首が折れるのだけは防いだ千里だが。
そのまま、地面に叩き付けられる。
残像を残して跳躍したヤトが、背中から全体重を掛けた蹴りを叩き込んだのだ。
「がふっ!」
落ち葉を巻き上げて、千里が土に半ば埋もれる。
白いヤトの指が。
獲物を絞め殺す大蛇のように。
千里の首筋を押さえた。
経験的に知っている。潰せば、人間は死ぬ場所。大きな血管が通っている所を、ヤトが抑えると。
千里は、真っ青になった。
どれだけの修羅場をくぐってきたか分からない男が、心底から恐怖している。
後、もう少し恐怖を叩き込めば、此奴は壊れる。
だが、其処まではしない。
「さて、何を言えばいいかは、分かっているな?」
「ひ……!」
暴力の中で生き。絶望を糧にして生きてきた筈の男が、恐怖の吐息を漏らした。ヤトは、耳元へ、手綱となる恐怖を流し込んでいく。
「本来、戦士は死ねば相手の糧となる。 私も東国でそうしてきた。 殺した相手はまず血抜きをして、腹を割いて、内臓を取り出す。 糞便を河に流した後は、骨を切り離し、肉をとる。 頭蓋骨を割って脳みそを取り出し、それぞれを蒸して焼く。 喰う権利があるのは、勝者だけだ」
歯の根も合わないほど、千里は震えている。
分かっているのだ。
ヤトが、それを本気で実施すると。
「人肉はいいぞ? まずいが、相手の力が、手に入るようだ。 私はそうして、多くの人間の肉を喰らってきた。 そして強くなったのだ。 赤子も子供も、私にとっては逆らうようなら、ただの飯にすぎぬ。 私は、山神なのだ……!」
実際には、人肉は単にまずいだけだが、そんなことは言わない。
如何に頭がおかしいか、思い知らせるだけでいい。恐怖で、相手を完全に支配することで、ヤトは立脚する。
だが、壊しすぎると、道具として役に立たなくなる。
「だが、お前は、使い物になりそうだ。 だから、特別に生かしておいてやる」
指を、首筋から離す。
そして、上から、立てと言った。
命令に従った千里は、完全に目の焦点があっていなかった。兄貴。声が聞こえる。周囲の部下達が、顔をくしゃくしゃに歪めていた。
武器を抜こうとしている者もいる。
「くそっ! この天狗っ! みんなで掛かれば……!」
「やめろ! やめてくれ!」
絶叫したのは、千里だ。
驚く部下に言う。
「逆らえば、殺される! 俺が勝てなかった相手だ! お前達では、どれだけ束になっても、かなわん! いいから、従うんだ! お前達まで殺させるわけにはいかん! 頼む、武器をしまえ! しまってくれ!」
「あ、兄貴……!」
「きょ、今日から俺たちは、あんたの部下だ! 足の裏でも舐めるし、糞を掃除しろといわれたらそうする! だ、だから、もうこれ以上は殺さないでくれ!」
土下座されたので、ヤトは大いに満足した。
勢力は、これで一気に倍になったのだ。
天に向け、ヤトは哄笑する。
地固めが出来た。中心となる戦力が手に入った。
後はこのまま山を少しずつ支配下に収めていき、その領域を拡大していく。そして、ヤマトが気付いたときには。
アキツは、ヤトの手に落ちているのだ。
泉に、部下達に付き添われてきた千里は、浴びるように水を飲んだ。
恐怖が収まらない。
何処かで、分かってはいた。
彼奴が、人肉などそんなに食べていないことは。だが、それ以上に、感じ取ってしまったのだ。
あれは。
あのヤトという女は、人間では無い。
ずっとおぞましい、別の何かだ。
恐怖の塊。呪いの塊。憎悪の塊。そして、人間離れした合理主義の塊。
「兄貴、しっかりしてくれ……」
「い、いいか。 二度とあの女には逆らうな。 分かっているな」
「……」
「俺は、あの女と全力で戦った。 勿論本気で殺すつもりで、だ。 あ、あんな奴、勝てる相手がいるとしたら。 きっと噂に聞くタケルくらいだろうよ……」
腹が破裂するほど水を飲んだが。
それでも、動悸が静まらない。
その場で漏らしてしまいそうだ。
今でも、感じる。あの女からたたきこまれた、人間とはとても言いがたい、純粋なまでの、圧倒的な憎悪と悪意を。
多分、単純な強さだけだったら。
あの場にいた全員で掛かれば、どうにか出来た可能性が高い。
人間離れしていると言っても、近接戦で数十人を同時に相手に出来るほどでは無かったからだ。
だが。それでも。
千里は、恐怖で、まともに思考が働かなくなっているのを感じていた。
尻餅をつくと、ゆっくり呼吸を整える。
心配している弟分達。
「俺が、手を抜いているように見えたか?」
「いや、そんな風には」
「だろう? あれは化け物だ。 しばらくは言うことを聞いて、おとなしくしてろ」
「分かったよ。 だけどよ、兄貴。 あいつ得体が知れなくて、こええ。 一体何を企んでいるんだか」
無言で、千里は顔を洗う。
首筋に残った指の感触が、どうしても消えてくれない。
彼奴は山神だと言っていたが。
むしろ闇を這いずり、邪悪をまき散らす、もっとおぞましい何か得体が知れない存在のように、千里には思えた。
足音に振り返る。
鵯とか言う女だった。
「何だ、どうした」
「夜刀様が、話があると。 皆、集まってください」
「……分かった」
震えを必死に殺しながら立ち上がる。
主な部下達も、それに従った。これから、何をさせられるのか。
あの女は。岩の上に座っていた。背筋に寒気が走ったのは、部下共の狂信的な平伏ぶりだ。
本当に山神だと思っている。
確かに、歴戦をくぐり抜けた千里を一方的にたたきのめした実力を見ているのだ。そう感じても無理は無いだろうが。
それにしても、この圧倒的な人心掌握は、少し異常だ。
「よく集まった。 千里が配下になり、その部下達をも加えたことで、私の集落は一気に勢力を増した。 これより、戦略を上方修正する」
夜刀は言う。
ヤマトの周辺の山々を、ことごとく自分のものとすると。
それだけではない。
最終的には、アキツの山、森、全てを自分の手に収めるつもりだという。
正気なのかと思ったが。
しかし、奴の目を見る限り、嘘をついているようには、とても思えない。此奴は、本気で朝廷とやりあうつもりなのだ。
渡来人から聞いているが、アキツはそもそも山が非常に多い。森も極めて豊富だ。土地がそれだけ豊かで、高い潜在力を秘めているという。
その潜在力を、この化け物が握ったら。
一体どうなるのか、見当もつかない。朝廷がひっくり返るくらいでは、とても収まらないのでは無いのか。
「千里」
名を呼ばれ、弾かれるように顔を上げる。
視線が合う。
恐怖で、体の芯が震えてくる。
「貴様は紀伊に向かい、此方に引き込めそうな者を連れてこい。 多ければ多いほど良い」
「今、紀伊はタケルの連れてきた軍勢が充満していて、身動きできる状態には……」
「ならば、私の配下になり得る部下達と連絡をとっておけ。 いざというときに、動ければそれでいい」
思考も予想以上に柔軟だ。
更に、部下達も、分散させられる。幾つかの山に重要拠点を置き、数人ずつで山に分散するという。
浮浪者にしても犯罪者にしても。
ヤマトに抵抗する意思のあるものを、どんどん取り込むように。そう夜刀は、皆を見回しながら言った。
「今年中に、人数を三百まで増やす」
そうなると、更に倍か。
紀伊には、まだ千里の部下が、数十人は逃げられずに残っている。彼らを取り込みつつ、離散農民や浮浪者、賊くずれなどを取り込んでいけば、或いは。
それに此奴らの様子を見る限り、生活自体はさほど苦しくも無い。
豊かな森の食物を喰らって、むしろ肥えている者までいる。夜刀と言う女、森を知り尽くしている。
どれだけの人数で、森を痛めずに生きていけるかを、熟知しているのだ。
一体此奴は、何者なのか。
千里は五名の部下を連れて、すぐに紀伊に赴くことになった。
部下達はいずれもが、荒事よりも諜報が得意なもの達ばかり。それを即座に見抜かれたのも、驚くばかり。
部下の一人。
長身の禿頭が、吐き捨てた。勝という名前の戦士だが、才能がないので、武人には向いていない。
「兄貴。 あの女、本当に何者なんですか。 難しい言葉も知ってるし、頭がすげえキレやがる。 まるで、渡来人に訓練を受けた、朝廷の将軍みたいだ」
「さあな。 だが、はっきりしてるのは。 逆らったら殺されるって事だ」
今は、とにかく従っておくしかない。
身震いをもう一つする。
少なくとも言うことを聞いていれば殺されない。そう思えば。
それに、紀伊の近くまで行けば、奴の側にはいずにすむ。だが、どうしてだろう。ずっと見られているように思えてならないのだ。それも、巨大な蛇が、闇から此方を覗いているような恐怖が、ずっとつきまとっている。
一瞬でも気を抜けば、丸呑みにされる。
そんなおぞましい恐怖が、千里の心臓をわしづかみにしていた。
4、地の下の憎悪
ヤトは地図を作らせる。
鵯は地図の知識も持っていて、言うままにすらすらと書き加えていく。ヤトが抑えている山は、一気に倍増した。人員が増えたのだから、当然のことだ。しかも山にいる人間は常時移動させているから、ヤマトにもその全容は掴ませていないはず。
ただし、あまりにも頻繁かつ大規模に移動させると、それはそれで不信感を呼ぶ可能性もある。
故に、たまにしか動かさない人員も用意していた。
周到な準備は、それだけではない。
紀伊にやった千里は、駐屯しているヤマトの軍勢の目をかいくぐり、旧部下と連絡を取ることに成功。
ヤマトに不満を持つ人間達とも、渡りを付けはじめていた。
何もその全てが山に住みたがる訳では無い。
だが、ヤマトに対する潜在的な敵は多かったという事だ。さらなる人間の取り込みも、成功していた。
既に二十人が、新たに加わっている。
それに加えて、もう三十人以上を、配下に出来そうだと試算も出ていた。
年内に三百は不可能では無い。
それどころか、意外に早く、達成できる可能性が高い。
「この辺りの山は」
指さしたのは、森が無い山。少し前から、気になっている場所だ。
確か、ヤマトの製鉄拠点があるはず。
現時点では警備が厳重すぎて近づけない。制圧するのも、あまり上手なやり方では無い。だが、手段は選ばない。
鉄の武具を、手に入れておきたい。
それだけ鉄の破壊力は大きいのだ。
故にヤトは、「この辺り」と言った。その山だけではなく、周辺の山を抑えておくことに、意味がある。
「私の知る限り、砦が幾つかあって、人間の接近を厳重に監視しています」
「ふむ……」
「鉄を手に入れるのは簡単ではありませんよ」
「分かっている。 しかしヤマトの兵士を下手に殺すと、敵の警戒心をそれだけ刺激する事になるからな……」
難しい所だ。
敵の兵士など怖れないが、現時点では配下がまだ準備を整えていない。千里が連れて来る荒くれは相応に戦えるが、それ以外が貧弱すぎるのだ。
いっそのこと、戦いは千里の部下だけにやらせるのも手か。
だが、それでもまだまだ手数が足りない。
浮浪者の類も、ツチグモ崩れも、様子を見ながら配下に取り込んでいる。焦らず、人員を増やしていくしか無い。
後は、人員をどう配置するか、という話になった。
「この山では、大きな猪が出て、害が増えています。 それも一頭では無い様子でして」
「分かった。 私が皆殺しにしてくる」
猪はあっという間に繁殖する。
定期的に狩らないと、山は猪で埋め尽くされてしまう。そして、住んでいる他の生物が圧迫される。
山のためにも、猪は定期的に駆除しなければならない。
本当は、一番の邪魔者は人間なのだが。それは、敢えてヤトも口にはしない。
「この山ですが、人員を増やしましょう」
「どうしてだ」
「少し前から、この村に赴任した役人が横暴を働いていて、民が次々と畑を捨てて、山に逃げ込んでいる様子です。 山に逃げ込んだ民を早期に抑えれば、或いは人員の増加を見込めるでしょう」
「急な話だな」
妙なきな臭さを感じる。
ヤマト側が、この間ヤトとの鬼ごっこをやめてからと言うもの、不意に動きを見せなくなっている。
何かおかしい。
大蛇のようなヤトの勘が、危険信号を発しているのだ。
「よし、人員は配置しろ。 新しく来た紀伊の荒くれは、其処に配置して構わない」
「分かりました」
「ただし、私も視察する」
次と言うと、鵯は話題を変えた。
今月に入ってから、女達の間で、子が二人生まれたという。三人に一人育てば良い方と、ヤトは考えているので。まあ、その内一人育てば上出来か。
「分かった。 栄養は優先して廻すとしよう。 今度猪を捕るが、肉はそちらに送る事とする」
「お願いします」
話が終わったので、ヤトは早速猪が増えすぎている山に出向く。
風のように山を走りながら、幾つかの事を考えていた。
まず、この近辺の山だが。だいたいは抑えているし、今後はどう勢力を広げるか、だ。
人里を離れて山に逃れてくる人間は案外多い。その全てをのたれ死にする前に捉えることが出来れば、かなりの人数を配下に取り込める。
問題が、東に行くか、西に行くか。
西に行くと、出雲がある。
東に行けば、故郷が近くなる。
最終的にはこのアキツの全てを抑えるつもりだ。だが、どちらを先に選ぶかは、重要だ。
その中で、鉄は比重の多くを占める。
鉄をどう入手するか。
それが。ヤマトと戦うには、今後ますます必要不可欠なものとなっていく。ただし、この近辺では、もはや鉄はさほど珍しいものではない。それだけたくさん作られているというわけだ。
もう一つ、東に行くのには、大きな意味がある。
蝦夷と、それだけ連携がしやすくなる。
前のように、蝦夷から援軍を引き出すのは、現時点では不可能だが。常陸の近辺までヤトが勢力を広げれば。或いは。
実際、タケルの軍勢を引き返させた実績も、ヤトは持っているのだ。
いずれにしても、鉄だ。
鉄を容易に入手できるようなら、東進を。そうでなければ、西進を考えて行くのが正しいだろう。
足を止めて、口笛を吹く。
多数寄ってきたカラスたちに、指示。
鵯が言っていた、多くの人員を確保できるという山の近くに、重点的にカラスたちを配置する。
やはりきな臭い。
しっかり見張っておくことで、何かしらの事故が起きることは、避けたかった。
後は鳶を育てる計画だが。
これについては、少し前から着手している。既に幾つか鳶の巣は目をつけている。後は、親鳥が卵を産むのを待つだけだ。猛禽は産んだ卵の内、雛が一匹しか育たないことが多い。鳶もそうかは分からないが、もしもそうなら、はじき出された卵はヤトが好き勝手にしても何ら問題は無いだろう。
猪狩りをする山に到着。
山神様とヤトを崇め平伏する弱者共に、話を聞く。
「それで、猪は」
「山のように大きな奴が、何十頭もおりまして。 木の実も茸も、全部食い荒らしてしまいますだ」
「……分かった」
そんなにいる筈が無いだろうと言いたかったが、この山に配置されているのは、見るからに貧弱なもの達ばかり。
それでは、怖れるのも無理は無い。
カラスを数羽放って調べさせる。少しして、猪の数が十三頭である事が分かった。確かに多い。
それも、山の幸を独占して、好き勝手に太っているようだ。
このままだと、更に爆発的に増殖して、手が付けられなくなるだろう。今のうちに仕留めておくのは良いことだ。
早速、処分に掛かる。
山はヤトのものだ。
だからこそに、好き勝手をする存在は、人間だけでは無い。猪も、許すわけにはいかなかった。
紀伊で今だ燻る反乱の芽に睨みを利かせているタケルの所に、使者が来た。
ツクヨミの配下と、タムラノマロの配下が、ほぼ同時である。わずかに先に来た、ツクヨミの方から面会する。
ツクヨミの配下は、陰気そうな若い男で、目の奥に強く暗い光があった。
「タケル将軍、此方が主の書状となります」
「うむ、見よう」
早速、目を通す。
ツクヨミによる中間報告だった。
様々な痕跡を調査し、なおかつ山に分布しているツチグモの残党や浮浪者を調べたところ、何者かがいる事はほぼ間違いないという。
そいつはかなりの距離から、ツクヨミの部下の手練れ達の接近を察知し、結局具体的な姿形は一切捕らえられなかったのだとか。
ただし遺留物から、どうやら女であるらしいと判断はしているという。
女にしても、圧倒的な戦闘力を持ち、人間離れした勘の鋭さを有している。熊などよりも余程に危険な相手だ。
ツチグモの残党達は、その女をこう呼んでいるという。
山神、と。
「山神か……」
「我が主によりますると、山にて暮らす者どもの動きが、急激に活発化しているという事です。 それまでは猪や熊を怖れ、こづき回されていただけの弱者だったようなのですが、急速に行動が組織化し、山を管理して、なおかつ居場所が掴みにくくなったとか」
「それは分かったが、まさか山神とやらを捕らえようとはしていまいな」
タケルが見たところ、ますますこの山神とやらは、あのヤトである可能性が高まっている。
もしも捕らえようなどとしたら、思わぬ火傷をおう可能性が高い。
ツクヨミは非常に頭が切れる反面、自身の頭脳を過信している所がある。手を出そうとしている相手が、生半可な蟒蛇では無い事を、ちゃんと理解しているのだろうか。もしも理解しているのなら何ら問題は無いのだが。
書状をしたため、使者に渡す。
ツクヨミに対して、相手を侮らないようにすることと。調査を続行させ、必ず正体を突き止めることを。ともに指示する内容だった。
使者が帰ると、今度はタムラノマロの使者に会う。
少し待たせてしまったが。まだ若い使者は、文句の一つも言わずにいた。
此方はツクヨミの使者と違い、随分明るい雰囲気である。
分かり易い、誰にでも好かれそうな若者だ。
「タケル将軍、此方が我が主タムラノマロの書状にございます」
「どれ……」
受け取り、目を通す。
現在、タムラノマロには五百の兵を預け、万が一に備えさせている。
タムラノマロによると、今のところ目だった事件は起きていないという。兵士が殺される事も無いし、山で問題も発生していないそうだ。
だが、タムラノマロは、警戒を解いていない。
あまりにも、静かすぎる。そう歴戦の老将は危惧していた。
タケルも、同意見だ。
報告に上がった兵士の惨殺事件以降、敵はどうして動かない。
山にいるもの達を掌握するだけで満足するとは、どうにも思えないのだ。今、山にいる存在、ツクヨミが報告してきた者が山神だったとして。奴が、単に山を抑えるだけで満足してくれれば、それでいい。
何か企んでいた場合はどうする。
手に負えない事態になるのではないかと、不安が高まる一方だ。
かといって、紀伊の状態はまだ落ち着いたとは言えない。
だいたいの根切りは終わったが、まだ彼方此方で賊の残党が跋扈している。彼方此方で問題は発生しており、タケルが紀伊を離れたら、一気に不満が噴出する可能性も高いのだ。
何しろ、税を納めていなかった村も多数あるような地域である。
税を納めさせて、不満を持たない民などいない。
税を納める見返りとして、治安を確保する。国家としての基礎となる仕組みをしっかり確立しない内は、此処を離れられない。
「タムラノマロは、どうしている」
「各地の村を廻っては、問題の防止に努めています。 何名か、私腹を肥やしていた役人を捕らえ、更迭もしました」
「それで良い。 民の不満を取り除くことで、暴発を防ぐのは、重要な役目だ」
タムラノマロは老練で、しかも私心が少ない。
タケルの期待にも、今のところ何ら問題なく応えてくれている。
得がたい男だ。無為に死なせるわけにはいかない。
「増援が必要なときは、すぐに書状を送れ。 此方からオオキミに働きかけて、すぐに援軍を出すようにする」
「分かりました。 有り難き幸せにございます」
念のため、書状をしたためて、使者に渡し返す。
その後は、各地の村を視察。
治安自体は、少しずつ回復してきている。駐屯軍の入れ替えも進み、賊と結託していた者や、やる気が無かった兵は、更迭を行っていた。
だが、まだ穏やかな状況とは言いがたい。
駐屯軍の部隊長から話を聞くのだが、どうもまだ賊が蠢動しているようなのだ。それもかなりの規模で。
「千里という男が、まだ無事な様子です。 この男は紀伊の賊をまとめていた男らしく、その配下はかなりの数、民に紛れていると思われます」
「どうにかしてあぶり出せないか」
「それが、どうやら紀伊の外から指示を出しているらしく。 大和にいるのか、伊賀にいるのか、なんとも判断がつきません。 今の時点で襲撃をして来たり、民の間に不和を撒くようなことはしていないようなのですが……」
「監視を続けよ」
部隊長に言い残すと、視察を続ける。
タケルに対する民の視線は、相変わらず非好意的なものが目立つ。今まで好き勝手をしていたのに乗り込んできて、税などを取り立てているのだ。好意的に思うはずが無い。
しかし、そのような視点は、狭い。
いずれ放置していれば、大陸からの脅威が迫る。
このアキツがまとまっていなければ、いずれ大陸から押し寄せた軍勢に、ひとたまりもなく飲み込まれてしまうだろう。
渡来人からも聞いているのだが、小さくても強い国は強い。まとまりがある国は、大軍にも中々屈しない。逆に、敵の大軍をきりきりまいさせたり、制圧されても長い時間を掛けて、必ずたたき出すという。
それに対して、まとまりが無い国は、どれだけ領土が広くても、潰れるときは一瞬だという。
アキツの民全てのためにも。
勝手な事をする者が、あまり増えては困るのだ。
大陸に、統一国家が誕生する前に、最低でも十万の兵を養えるようにする。それが、現時点での国家戦略だ。
税など、だれだって収めたくないに決まっている。しかし、そう言っていては、大陸からの脅威を防げない。
見た感じ、紀伊はさほど貧しい場所では無い。
土地も肥えているし、自然も豊かだ。地形が複雑で、人が行き来しにくい。それだけが、此処を魔境に変えてしまっている。
場合によっては、山を切り崩したり、路を税を投じて作る必要が生じてくるだろう。
最後の村を見終わった後、タケルは嘆息した。
これは当分、東へは行けそうに無い。
蝦夷に対して味方は優位を確保し続けているが、タケルが五千の兵を率いていけば、勝ちは確定する。
味方の進撃速度が徐々に落ちているという報告もある。
都と蝦夷は、あまりにも遠すぎるのだ。
だが、急げば足下が崩れてしまう。
舎に戻ると、悶々とした気持ちのまま、タケルは横になる。
嫌な予感が渦巻き、晴れない。
ふと外を見ると。
其処に、此方をにらむ、巨大な蛇がいたような気がした。
勿論気のせいだが。
このような幻を見るなど、どうかしている。
「墨と筆を持て」
起き出すと、タケルは寝ずの番をしている部下に、筆記用具を持ってこさせる。
そして、武王へ書状をしたためた。
内容は、紀伊への増援派遣の依頼。
もう一つは、蝦夷への攻撃中断の要請である。
どうもあまりにも急ぎすぎた結果、国内の彼方此方にほころびが生じ始めているように思える。
蝦夷など、その気になれば、一息でつぶせる相手の筈。
それがこうも手こずっているという事は、やはり進撃を急ぎすぎたのだ。
手紙を部下に持たせ、走らせると。
改めて、タケルは横になった。
眠れぬ夜は続く。
まだ、摘まなければならぬ芽は多かった。
(続)
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