凶蛇咆哮

 

序、大雪の日

 

点々と続いている血は、雪の上だから余計に目立っていた。

ずっと待ったのだ。

だから、この程度で、臆してなどいられない。

ヤトは血だらけのツルギを振るう。

白雪の上に、朱が飛び散った。

そのまま、悲鳴を上げて、頭を抱えている獲物の元へ歩み寄る。もうすぐ、奴らが来るだろう。

それまでに、仕留めなければならない。

秋が急激に冬になった。

だからこそ、混乱が起きたのは。ヤトにとっては幸運だった。

たまたま集落の外から見つけた四人目の裏切り者を、どうにかしつけられた蝮を使って襲わせ、殺した後。

七日としない間に、雪が降り出して。

辺りは真っ白になった。

当然目立つから、夜しか森の中を行動できなくなったが。逆に言えば、敵の動きも、簡単に察知できるようになった事も意味していた。

だから、こういう離れ業も出来る。

カラスたちを使って、人間が使わない小屋については、既に調べ上げていた。

夜のうちに小屋に入り込んで、そして獲物が他の人間と離れたときに、襲う。

作戦は上手く行った。

げんに、ヤトの後ろには、三人の裏切り者が転がっている。

首と胴体は泣き別れになっていた。

一人は腹が膨らんでいたが、どうでもいい事である。

母子共に死ね。

心中で呟きながら、ヤトは雪の上で丸まって震えている最後の一人に、歩み寄っていく。

「お、おまえ、女だったら、私達の心も、わかる、だろう!」

金切り声を上げながら、最後の獲物が喚く。

雪の上を這いずるようにして逃げるが。左足は、さっき切りおとしてやった。既にツルギもぼろぼろだが、此奴を殺すくらいなら充分に機能する。

「どうでもいい」

「え……」

「子供など、どうでもいいと言っている」

ヤトの答えにはよどみが無い。

当然だ。

そもそも、ヤトは。子供を産むつもりもないし、何よりも。見ても可愛いとさえ思わない。

ヤトが可愛いと思うのは、誰にも言わないが。動物の子供だけ。

人間の子供を見ていて、育てたいとか、可愛いとか、感じたことは一度もない。

「ば、化け物っ!」

「化け物? それは違うな」

私は。

凶なるものだ。

それがいい。人々に禍をなすものとして怖れられる、蛇の化身。人でなど、無くても良い。ヤマトを怖れさせる事が出来るのなら。

私は、人間でなど、無くても良い。

手で顔を庇おうとした女を。

肩口から、斬り倒す。

血が噴き上げて、辺りを真っ赤に染めていった。しばらくそれでも呼吸していた女が動かなくなるのを見届けると。

ヤトは用意しておいた、木の棒を組み合わせた道具を使う。事前に確保したのだが、地面をならすためのものらしい。

雪が降ったばかりだから。多少これでならすだけで、充分に足跡を消す事が出来る。

森の中に入ってしまえば、後はいくらでもやりようがある。

更に、幾つか死体に細工をしておく。

死体の指を動かして、雪に絵を書いておいた。誰にでも分かるような絵を。

それは、蛇。

細工が終わると、ヤトはさっさとその場を後にした。森の中に入らないと、犬を連れた警備が、駆けつけてくる。

今日は良い日だ。

一気に四匹も、裏切りものを始末することが出来たのだから。

 

1、蝦夷到着

 

チカラヲが駆けつけると、既に惨劇は終わっていた。

首を斬り飛ばされた死体が三つ。そして一つは、肩口から斬り下げられていた。かっと見開いた目が、どれほどの恐怖の中にいたか、雄弁に告げている。凄まじいまでに、容赦の無いやり口。

普通、人を殺すとき。戦場でも無ければ、ためらいが生じる。

だがこの殺しをやった奴は、三人も何ら躊躇せず殺したあげく、おそらく哀願している最後の一人を、両断に切り伏せている。

それだけではない。

死体の周囲には、足跡も残っていないという。

余程の手練れの仕業か。

だが、それにしても、色々とおかしすぎる。

「できすぎだろう……」

チカラヲがぼやいたのには、理由がある。

死体の指が書いていた、蛇の絵だ。それを見て、兵士達が怯えている。邪悪な神が、生け贄を欲したのだと、呟いている者もいた。

邪悪な神など、存在しない。

そうチカラヲがどれだけ力を込めて言っても、兵士も民も信用はしないだろう。これほど不可解極まりない死体を見て、誰が論理的に頭を働かせるだろうか。

それだけではない。

悲鳴が上がってから、瞬く間の出来事だったという。殺した奴は誰だか分からないが、ともかく極めて冷静に。それこそ雪のように頭を冷やして、目的通り三人を殺した後、足跡を消して逃れたという事だ。

下手人がツチグモの戦士だった場合、単純な脅威ともなり得る。戦場でこんな冷静な立ち回りをされたら、何人殺されるか知れたものではない。

今、朝廷にて育成中の影の者達でも、これほどまでに鮮やかに殺しができるか。出来ないだろうと、チカラヲは思った。

これはまずい。

兵士達の中には、信心深い者は珍しくない。

地元の信仰を大事に守っている者もいる。ツチグモから帰化したような者は、特にそれが顕著だ。

このような恐ろしい光景を見れば、恐怖に思考が麻痺するのも理解は出来る。

だが、恐怖を広められると、困る。

「見ろ。 どう見ても、これは人間の仕業だ」

チカラヲが、剣で雪を突き刺しながら言うと、兵士達は真っ青なまま視線をそらした。そう思いたいが、信じられない。表情はそう告げていた。

それにしても、このままだと、旧クロヘビ集落の裏切りもの達は、近いうちに全滅しかねない。

彼女らは重要な情報源だ。

明らかに、狙っているとみて良い。殺しをしているのは、ツチグモの関係者に間違いないとは思うのだが。

或いは、ツチグモに家族を殺された兵士や、その関係者の可能性もある。

下手人がはっきりしない上、恐怖が伝染すると最悪だ。

このままだと、士気に関わる。そう、チカラヲは判断した。

「分かった。 明らかに何者かが狙っているのは、旧クロヘビ集落の女達だ。 これから護衛を付けて、相模まで移送する」

兵士達は、嫌がっている様子だが。

チカラヲとしては、やらせるしかない。これが終わってしまえさえすれば、状況はぐっと楽になるのだ。

更に言うと、チカラヲは此処を離れられない。

蝦夷からの増援がアオヘビ集落に近づいており、その数は伝令によると合計五百から五百五十。

前線にある鳥前砦の兵力は三百。

アオヘビ集落との戦い以降、補修を重ねているから、簡単には陥落しないが。チカラヲがいない状態で攻撃を受ければ、あまり状況は面白くない。

この集落が直撃されても、面倒な事になるだろう。

此処を、チカラヲは、離れられないのだ。

一度、舎に戻る。

しばらく考えた後、チカラヲは対応を決めた。もうこれ以上、兵士達を動揺させるわけにはいかないだろう。

何名か隊長を呼び寄せる。

タケルが置いていった精鋭の指揮官達である。その中で、百名を指揮している、老練な男をチカラヲは指名した。

「センゼン」

「は。 護送任務ですか」

「そうだ」

彫りの深い顔をしたセンゼンは、噂によると渡来人の血が混じっているという。確かに、この辺りでは見られない顔立ちだ。

とはいっても、生まれも育ちもアキツ。それも、朝廷のある大和の近辺。

何らチカラヲと変わりが無い。

特殊な武術が使えるわけでもないし、怪しい術の類を使いこなせる事も無い。普通の、有能な軍人だ。

「五十名をつれて、四人の女達を相模まで護送して欲しい」

「そのようなことをせず、守りを固めているべきなのでは。 タケル将軍も、そう命じると思いますが」

「兵士達に動揺が広がっている。 今は、不安要素を一つでも残したくないのだ」

女達も怯えきっている。

実際、凶行に手を染めた奴は、妊娠している女を躊躇無く殺したのだ。ツチグモの常識でも、考えられない事だという。

勿論、朝廷に属する人間でも、それは同じだ。

「分かりました。 可能な限り急いで任務を行います」

「頼むぞ。 後、道中は気をつけるようにな」

後方でタケルが暴れ回っているとは言え、この常陸には、まだツチグモの縄張りになっているような土地も多い。

アオヘビ集落は当然のことで、帰路にもツチグモが待ち伏せることは不可能では無いだろう。

可能な限り平野を通るようにと指示をしたが、センゼンは鷹揚に頷くばかり。

これは危ないかなと思ったが。

しかし、これ以上割く兵力は存在しない。

もう一度、何か頭がおかしい奴がいる可能性が高いから、侮らないようにと念を押すと、センゼンは面倒くさそうに応える。

「私が任務に手を抜くとお思いですか」

「思わないが、敵を侮っているように感じる」

「平野を行き、山を避ける。 奇襲を受けるような場所は通らず、人気が無い路は避けて進む。 この辺りは、きちんと守ります」

「ああ。 頼む」

何を初陣の小僧に言うようなことを。

そうセンゼンの顔は告げていた。

実際問題、センゼンほどの熟練者が、不覚を取るとは思いづらい。だが、チカラヲの嫌な予感は、消えない。

いずれにしても、この雪だ。

敵がいるとしても、奇襲は難しいだろう。

一度、鳥前砦に戻る。

途中の見張り台も、砦に幾つかある塔でも。敵の動きは、察知できていなかった。あのヤトという女、しばらくは復旧に全力を注ぐつもりなのだろう。

すぐに、指揮官達を集める。

此処にいるのは、いずれもがタケルに鍛え抜かれた者達である。年齢的にも、チカラヲと同年代か、年上である者が多い。

チカラヲとしても、彼らを説得するのには、いつも苦労する。

「村で起きた殺人事件の事は聞いていると思う。 敵による、何かしらの工作の可能性は低くない。 念のために、犬を増やして巡回させろ」

「援軍が近づいている今、敵が戦端を開くとは思えませんが。 むしろ急に行動を起こせば、隙が生じるかと」

「良いから命令通りに動け」

思わず強権を振りかざしてしまったが、指揮官達から反発の声が上がる。

少し考え込んでから、チカラヲは言い直した。

「調べてきたが、殺した奴はほぼ間違いなく、クロヘビ集落の関係者だろう。 クロヘビ集落を裏切った女ばかり四人、短時間で殺していた」

「切り口は、鉄のものでしたか」

「ほぼ間違いない。 青銅であの切り口は作れないだろう。 文字通り、一刀両断されていた」

「それならば、ツチグモに恨みを持つ兵士の線もありうるかと」

常識的な意見が出ると、賛同する声が幾つか上がった。

彼らの本音を、何とか読み取りたい。

チカラヲを単に馬鹿にしたいのか。

いや、それはない。

タケルの部下とは言え、チカラヲも彼らを丁重に扱ってきている。

ならば、戦闘開始前に、無駄な労力を割きたくないのか。

あり得ることだ。

敵の増援が到着したら、アオヘビ集落が攻勢に出てくることは、容易に予想できる。そんな事件は、後方に任せておけ。彼らはそう言っているのだ。

だが、チカラヲはこうも思う。

この砦は、タケルが戻ってくるまで、敵の猛攻に晒されるだろう。

つまりそれは、後方あっての戦いとなる。

「民をないがしろにしては、勝てる戦いも勝てなくなる」

「チカラヲどの」

挙手したのは、小柄な老人である。

この指揮官達の中では、最年長。既に槍も持てないほど年老いているが、不思議と戦場では必ず手柄を立て、彼の指揮する部隊は生還率も高い。

通称、親父。

勿論本名では無い。指揮官達に、そうやって慕われているのだ。

「下手人はしれておろう」

「え……」

「今までの状況から考えれば、アオヘビ集落の神子以外にあり得まい。 司令官としては軽率極まりないが、どうも儂が見る限り、奴は野獣のような心の持ち主だ。 己の復讐心を、合理性に優先させているんじゃろう」

はたと、思い当たる。

確かにそれ以外には、考えにくい。

だが、それならばなお。巡回を強化し、奴を森の中で捕捉できれば。倒せれば。この戦いは、勝利が確定する。

後ろの方で去就を定めようとしているクマの集落など、ものの数では無い。

実際には、チカラヲが重視しているのは、タケルと同じく、アオヘビ集落の戦闘力だ。その多くを担っているあの神子さえ倒せば。

「だが、今は後ろに任せるべきじゃろう」

「何故!」

親父殿と言おうとして、チカラヲは口をつぐんだ。

チカラヲも、この老隊長を、親父と慕う一人だった。

「アオヘビさえ潰してしまえば、必然的に敵の襲撃は止むから。 それでは不満かな」

「しかし、民は既に、訳が分からぬ殺しを怖れはじめています。 このままでは、士気が保てません」

「ふむ、ならばこうすればいい」

地図の上で、親父殿が、指を走らせた。

今まである防衛線の上をなぞりながら言う。

「今回侵入してきたのは、雪が降っていたからだろう。 だから、こうやって、柵そのものを延長する。 柵を越えなければ、絶対に村には入れないようにする。 柵の内側に、犬を多めに巡回すればいいだろう」

「河を泳いでくる可能性は」

「ツチグモだったら絶対にやらんよ」

「……確かに」

森の民であれば、余計に理解しているはずだ。

秋から冬にかけての河が、如何に恐ろしい存在か。下手に入ればあっという間に体力を奪われ、水死体のできあがり。

生粋の森の人間であるアオヘビの神子が、そんな失態を犯すはずがない。

勿論、念のために警備も置いておけば充分だろう。

確かに、この方が、森の中を闇雲に巡回するよりはずっと効率的だ。兵士達の負担を減らすことも出来る。

「このようなところかな」

「流石です。 助かりました」

「何、なんと言うことは無い。 それにお前達、少し態度が悪いぞ」

他の指揮官達も、親父の言葉に恐縮し、それぞれ謝罪してくれた。

チカラヲは満足して、その場を離れる。

見張り台に上がって、澄み切った冬の空気の中、アオヘビの集落を見た。

顔の真横に。

いきなり、矢が突き刺さったのは、その時だった。

集落がある谷の上。崖に密生している枯れ木の中で、光るものあり。

まさか、あの距離から、狙ってきたのか。

伏せると、チカラヲは、兵士達に指示。

「見張り台に敵の矢が届く! すぐに防壁を張れ!」

こんな距離を狙撃してきたとなると、タケルが使っているような剛弓か。それとも、風の動きなどを読み切った達人技か。

蝦夷の技術が入り込んできているとしても、前者は無いだろう。

今回は外れたが。

もしも今の射手が、アオヘビの神子だとすると。恐ろしい相手に育ちつつある。

兵士達が慌てて防壁を張り直す中、チカラヲはその隙間から、相手をうかがった。悠々と弓から矢を外すと、此方を一瞥する女。

間違いない。彼奴だ。

チカラヲが見ていることに、気付いているのだろう。せせら笑ったようだ。しかし、悔しい事に、やり返すすべが無い。

敵の増援が到着したのは、その夜。

先鋒らしい百五十が、敵の集落に入っていった。

更に二日後には、三百を超える敵の軍勢が到着。アオヘビ集落の外に、陣を張った。

一応の訓練を受けていることからも、間違いない。

蝦夷の軍勢だ。

装備は青銅が中心のようだが、鉄製の武器を持っている兵士の姿も見受けられる。組織的な訓練も受けているし、かなり手強いはずだ。

これに、凶猛なアオヘビをはじめとするツチグモの戦士が百名以上加わる。

この鳥前砦の兵力は三百。ただし後方に六百五十の戦力がいて、逐次補充することが可能だ。

それだけではなく、タケルが後方から、増援を集めて接近している。

もしも到着すれば、五千以上の兵が、この近辺に展開することとなるだろう。

しばらくは、敵の挑発を無視して、専守防衛。

戦略は理解している。

それが正しいことも。

下で騒ぎが起きる。

見ると、兵士の一人が、頭に矢を生やして死んでいた。かなり遠くから狙撃されたらしい。

山の下では、今丁度矢を放ち追えたアオヘビの神子が、弓から手を離している所だった。

「反撃の許可を!」

「無視しろ!」

兵士達に怒鳴る。

敵の嘲弄が聞こえた。

 

今度は、此方が攻められる番となったが。守勢に立つ状況は、チカラヲも何度か経験している。

如何に蝦夷やツチグモに対して圧倒的な兵力を持っているとしても。

状況や配置によっては、敵より兵が減ることは、日常茶飯事にある。そういうときは味方の到来を待つため、守に徹する。

敵は今のところ、嫌がらせのように時々矢を撃ち込んでくるが、それだけだ。

火矢を放ってくることもないし、後方の見張り台に攻撃を仕掛けてくる様子も無い。むしろ、動きが遅いくらいだ。

妙だなと、チカラヲは思う。

そもそも、あのアオヘビの神子。此方を挑発するような性格をしていたのだろうか。

そして、気付いたときには、事態が動いていた。

伝令が飛び込んでくる。

丁度、舎で書類を作っていたチカラヲは、何故かそれを見て、驚かず、起きてしまったかと思った。

「ご注進!」

「如何した!」

「センゼン様の部隊が襲われました! 被害多数!」

立ち上がったチカラヲは、すぐに向かうと兵士達に言明。

この砦を親父に任せると、即座に村に向かった。村に向けて急ぎ足で歩きながら、話を聞く。

センゼンの率いる五十名は、村を出てから、海岸沿いを歩き、相模に向かっていたという。

その辺りは完全に此方の勢力圏。

全く問題は無い筈だったのだが。

不意に降ってわくようにして、百名ほどの敵が現れたのだという。

味方の支援が得られない状況で、センゼンは円陣を組み、角笛を吹かせた。これを聞いて、周囲の駐屯軍は反応した。

しかし、五百ほどの駐屯軍が駆けつけたときには。

センゼンは戦死していた。

四人いた、クロヘビ集落を裏切った女達も、一人残らず殺されていた。攻撃がそれだけ苛烈だった、という事だ。

生き残った兵士達に話を聞く。

敵はいきなり、的確にセンゼンだけに矢を集中してきたという。元々それほど目立つ容姿では無いのに、どうしてセンゼンを指揮官だと判別できたのか。馬に乗っていたわけでもないのだが。

確かに、倒されたセンゼンの死体を見聞すると、額に矢が突き刺さっているだけでは無い。鎧にも、何本も矢がつき立っていた。

額の矢は、急所を一撃で貫いている。

見たところ、センゼンの指揮に問題があったとは考えにくい。嫌々ながらも、チカラヲが言うように、きちんと奇襲を受けづらい場所を通って、相模へ向かっていた。

兵士達も油断はしていなかったと、口を揃えている。

生き残りの兵士達は、ことごとく怯えきっていた。

「まるで、此方の動きを知っているかのように、奇襲をしてきました。 センゼン様の事をどうやって見分けたのかも全く分かりません」

「アオヘビ集落の神子が、怪しい術を使ったに違いないです」

「愚かな事を申すな!」

チカラヲが青ざめて怒鳴りつけるが。それで兵士達の恐怖が払拭されるはずがない。

実際、この兵士達からすれば、考えられない状況で、あり得ない奇襲を受けたのだから。恐怖は想像を絶するものだっただろう。

敵の死体は残されていない。

数名は戦死したようなのだが、全てを引きずって消えたそうだ。

犬を使って敵を追跡させたが、いずれも成果が無く戻ってくる。途中で河を渡ったらしい。犬の弱点を、知り尽くしている。

「敵はツチグモだったか」

「いえ、蝦夷の正規軍に見えました」

「なるほど……そういうことか」

アオヘビの神子は。おそらくは、チカラヲを受け身にさせるために、敢えて挑発を繰り返していたのだろう。

心理戦に、まんまと乗せられてしまったのだ。

歯ぎしりしたくなる。

こういった行動を取ること自体、アオヘビの神子が人間で、怪しい術など使えない事の証左なのだが。

兵士達にそれを納得させるのは、難しいだろう。

いずれにしても、この襲われた部隊を戻すわけにはいかない。兵士達に、恐怖がまき散らされるだけだ。

「生き残りは、どれだけいる」

「十七名です。 全員が負傷しています」

「そうか。 相模に最近発見された温泉がある。 そちらへ行って、休養せよ。 心身の傷を癒やせ」

温泉が怪我に効くことは、渡来人による知識の伝達からだけではなく、古くから知られていた。

兵士達を相模へ向かわせると、チカラヲは可能な限り急いで、鳥前砦へ向かう。

おそらくこの襲撃には、アオヘビの神子が加わっていたはずだ。

奴も急いで戻っている最中の筈で、チカラヲが先に戻ってさえいれば、不意打ちは防げるだろう。

今回は負けだ。それは認める。

だが、次は。

歯ぎしりしながら、チカラヲは今回の件について、書状をしたためることにした。

兵士達に広がる動揺は、想像以上に大きくなるはずだ。だからこそ、タケルには、急いで此方に来てもらわなければならない。

 

ヤトが集落に戻ったとき。敵の砦は、既に静寂を取り戻しているのが、遠望できた。

手をかざして様子を見ながら、ヤトは表情を変えない。

舌打ちでもしたいところだが。

この事態は、予想できていた。今更悔しがっても仕方が無い。

敵は心理戦に乗ってくれた。それだけでも、良しとしなければならないだろう。

敵の不意をつけたのは、いつも通り、徹底的な調査の結果である。

今回も、カラスと梟を使って、敵の集落を監視し続けていた。

旧クロヘビの女達が、集落を出たことは、すぐに察知できた。丁度蝦夷の軍勢が来たこともある。

その数をごまかす方法については、弥生に聞いていた。

百名ほどの部隊を割いて、敵の勢力圏を避けながら移動。そして、敵の勢力圏の間隙に入った瞬間を、襲った。

空に目があるから、出来た事だ。

まだ、敵はこのからくりを理解できていない。

敵の司令官については、追跡中に見当がついていた。

こればかりは、動物的勘とでも言う他が無い。ヨロイを着ている戦士は何人かいたのだが、その中の一人。

特にふてぶてしい奴が、司令官に間違いない。

そう、ヤトは判断。

襲うときにまずそいつから殺した。案の定、蝦夷の兵士の一人が眉間を打ち抜くと(ヤトの射撃は、肩に突き刺さって、致命傷にはならなかった)、敵は大混乱になった。後は突入して、蹂躙した。

戦いの中、ヤトは女達に襲いかかり、全員を殺した。

逃げ惑う奴もいた。

命乞いをする奴も。

勝手極まりない。お前達のせいで、クロヘビの集落は滅び、多くが死んだ。森が喰われ、ヤトは。

心が壊れた。

殺した事は、兵士達も見ていたが。別に愉悦を浮かべて斬ったわけでもなく、淡々と作業はこなした。

内心はどうあれ、それくらいの偽装をする事くらいは、出来るようになっていた。

自慢げに戦果を誇るつもりは無い。

敵に恐怖を撒く事が主目的だからだ。

ヤトは知っている。

裏切り者とは言え、ハハを殺す事を快く思わない戦士は少なくない。自慢げに殺した事を吹聴すれば、ただでさえ数が少ない味方の心に、影を落とすことになる。それはあまり好ましくない。

集落に戻ったヤトを、戦士達が出迎える。

蝦夷の兵士達は、すっかりヤトの実力を認めたようだった。その中の一人。敵司令官を仕留めた男を呼び止めた。

「貴様の名前は」

「はい。 アツスと申します、巫女どの!」

「巫女ではない。 ミコだ。 アツス、貴様が今回の一番手柄だ。 これをやろう」

手渡したのは、腰に付けていた鉄のツルギ。

貴重な品だが、これくらいの活躍はしたのだ。大喜びするアツスを見て、兵士達はやんややんやとはやし立てていた。

兵士達の様子を見て、ふと疑問に思った事を聞いてみる。

「まさかとは思うが、ヤマトに勝ったことが無いのか」

「はい。 戦いのたびに負けて逃げ惑って。 此処にいる奴らは、殆ど村を奪われたり、焼かれたりした者達ばかりでして」

「そうか……」

それが、勝者と敗者の関係だと言うことは、口にしない。

というよりも、ツチグモとヤマトの関係とは、根本的に違っているはずだ。ヤマトと蝦夷では、似た関係にある。同じように農耕を行い、技術でも大差は無いだろう。違うのは、人間の数だけ。

ツチグモとヤマトは違う。

森を奪い、食い尽くす天敵との戦いだ。

相手が人間だと言うことは分かっている。利害関係次第では、この蝦夷達と同じように、和を結べるのかも知れない。

だがヤトの心には、既に魔が巣くっている。

そのような選択肢は無い。

敵の砦を一瞥。

さっきまでとは、まるで違う厳然たる空気を感じる。これは、仕掛ける隙など、みじんも無いだろう。

「この勢いを駆って、そのまま砦を落としましょう!」

「いや、駄目だな」

兵士達が、しんとする。

ヤトの言葉に、彼らはきちんと耳を傾けている。勝利したことも無かったというのだから。

圧倒的な勝利をもたらしたヤトの言葉には、きちんとした強制力が生じている、という事だ。

「指揮官が代わったか、或いは絶対に防御に徹するつもりなのか。 どちらにしても、攻撃は無駄だ。 落ちない」

「しかし……」

「それよりも、今日は肉を振る舞う。 皆、勝ちを喜べ」

兵士達が少し鼻白みながらも、集落の中に入っていった。

わざと見せつけるようにして、宴を行う。ヤトは集落に入りながら、弥生を呼んだ。

「戦士として優れている奴を集めてくれるか」

「はい。 何をなさるつもりですか」

「敵を殺す」

さっと弥生が青ざめる。

ヤトは弥生と、敵をどう殺すかという話しかしていないように思える。弥生はヤトを明らかに怖れはじめている。

少なくとも、親近感はないだろう。

ヤトは、他人に親近感を持たれようとは思わない。

敢えてこう突き放しているのは、親近感を持たれると迷惑だからだ。周囲から非人間的に思われることこそが、ミコによる統率のコツ。

それを知っているヤトは。

出来れば、味方にも怖れられたいと思っていた。

クマのミコは、そう言う意味では理想的な存在だろう。ああなりたいとは思わないが、完成形の一つだろうとは認めている。

ましてや、ヤトはまだ若い。

子供は産める年になったが、顔にはまだ幼ささえ残っている。背も高いとは言いがたい。武芸は相応に出来るが、男の戦士と真正面からやりあったらかなり厳しい。弓矢でならば渡り合えるし、ツルギを使ってヤマトの戦士と戦う事は十二分に出来るが。荒くれぞろいのツチグモの男達を、それでまとめるのは難しいのだ。

弱みを一切見せない。

いっそ、人間だとは思わせない。

そうすることで、ヤトは群れを統率していく。

「敵はおそらく、がちがちにあの砦とやらを固めているはずだ。 後ろにある集落も、堅固に固めているだろう。 だが、其処につけいる隙がある」

「私には……」

「分かってもらう」

弥生は監視役だ。

実際、ヤトが無能な場合は、兵士達をつれて長距離を逃げなければならない、責任のある立場だ。

この娘は頭が切れるようだが、どうも妙なところで自分に制御を掛けている節があって、そこがヤトにはいやだった。

ヤトを殺して、アオヘビ集落を掌握する。それくらいの事を企んでくれるくらいが、むしろやりがいがあって面白いのだが。

この娘に、そんなことは出来そうにない。

もっとも、ヤトも少し前までは、出来なかっただろう。

クロヘビ集落が丸焼きにされ、皆殺しの目に遭うまでは。多少小ずるいだけの、小賢しい小娘に過ぎなかった気がする。

「これから森の中に潜み、隙を見せた敵を少しずつ削り取る。 攻撃する場所は、一カ所には留まらない。 雪が積もった森の中で動くのは難しいから、アオヘビ集落の戦士と、蝦夷の兵士の中から精鋭だけを使う」

蝦夷の兵士達は、一緒に戦って見て分かったが、はっきりいって弱い。

強い兵士と言ってもたかが知れているだろうが、荒猪のような例外もいる。そいつらを使えば、戦力にはなる。

敵の精神を、もっと削る。

そうすることで、敵を動かす。

ヤトが説明すると、しばらく青ざめて視線をそらしていた弥生は、決心したように言った。

「私、ここに来たのは、戦うため、です」

「そうか。 それで」

「連れて行ってください。 間近で、もっと戦いを見て、慣れないといけないと、思いますから。 死んでも恨みません」

「……良いだろう」

宴がたけなわになったところを見計らい、外に出る。

そう告げると、弥生は青ざめたまま、頷いた。

 

2、潜む蛇の牙

 

木陰に隠れていたヤトが、手招きする。

数人の兵士が、音も無く、雪の中にじり寄ってきた。気配を消すのが上手いカルノが先頭で、行けると、手で合図した。

全員が、一斉に矢を放つ。

ヤトも矢を放った。

巡回していた五人の兵士が、一度に首に矢を突き立て、死んだ。

犬が躍り上がったが、その犬も。頭を打ち抜かれ、くるくると廻って、雪の上に落ちた。

すぐに死体から矢を抜くと、袖に潜ませていた蝮に噛ませる。

傷口は切り裂いて、なおかつ手に持たせた短剣を、首を抉るように突き刺した。

こうして、怪死を演出できる。

犬の死体は、錯乱した兵士に刺されたように細工。すぐに、その場を離れた。

敵が見張り台とやらに兵士を置き、周囲を巡回している事は分かっていた。ずっとそれについて監視していたのだが、つい最近、ようやく巡回の道順が理解できた。

後は、森の中を知り尽くしている戦士達と相談して、敵の不意を打つ算段をすれば良い。長い間、敵に対して小規模な攻撃を繰り返して、その反応を見てきた成果が、ようやく出てきた。

「次」

ヤトが言葉短く指示し、血まみれのままの手をふるって、戦士達を促す。

弥生は慌てながらついてきた。

雪まみれの森の中を行くのだ。体力の消耗が酷い。だが、最初の数日は駄目だったが、ここしばらくはどうにかついてこられるようになってきている。

今日中に、二十人は殺す。

巡回の道順が変えられる前に、可能な限り削る必要があるからだ。

今度は丘のようになっている場所へ。

敵の巡回が巧みで、伏せると二組ある巡回班のどちらかからか、丸見えになってしまう。故に、此処は難所だったのだが。

梟たちを飛ばして解析を続けて、見つけたのだ。

丘の下に、小さな穴蔵がある。其処に潜めば、もう一つの巡回班から死角になる。一気に襲いかかって悲鳴を上げさせず殺せば、次の巡回班をも不意打ちできる。

穴蔵の中は、まるで氷のように冷え込んでいる。

毛皮を被っているとは言え、弥生は完全に死人のような顔色になっていた。

「夜刀様、お聞かせ願いたいのですが」

「どうした」

「あのむごい殺し方を、どうして眉一つ動かさず、出来るんですか。 朝廷の兵士達を怖れさせるためだというのは、理解できます。 でも貴方は、まるで獣のようです」

冷えた空気が、更に冷え込む。

他の戦士達も、疑問に思っている様子だ。それならば、教えてやらなければならないだろう。

弥生は口だけでは無くて、ここしばらく、ずっとヤトの側を離れず、動いてきた。

そろそろ、少しずつ秘密を明かしてやってもいい。

「理由は簡単だ。 戦う時、私は獣だからだ」

「……獣」

ヤトには、獣の気持ちがよく分かる。

だからこそ、獣に好かれるのだろうと思う。

蝮は今ではすっかりヤトの体温が気に入りのようで、袖の中で静かにしている。命令をすれば、指定した相手を確実に襲う。

ツチグモの戦士達も、同じように戦いのときは獣になる者がいる。

ヤトはそれを自分なりに使っている。それだけだ。

「何か不審があるか」

「貴方は、人の知性を持った獣、なのですね」

「それは面白い」

手を振って、無駄話を止めるように指示。

獲物が来た。

巡回しているのは五人。犬を二匹連れている。

この穴の少し先まで行ったところを、背中から襲う。犬の感覚は鋭敏だが、弱点はヤトも知り尽くしている。

アオヘビの戦士達が、ヤトの目配せと同時に、矢を放った。

吸い込まれるようにして、十四本の矢が、敵の背中に突き刺さった。犬が小さな悲鳴を上げたが、おそらくもう一つの巡回班まで届いてはいない。

しかも雪の中だから、倒れたときに音がしない。

身を隠すのに面倒な雪だが。今は、音を消すという機能が、奇襲のために大変役立っている。

敵が全て死んだことを確認すると、無言のまま、丘を左回りに回り込む。

もう一つの巡回班を、後ろから襲うためだ。

かなり危険だが、見張り台の死角で敵を始末できる。巡回班の視界に、死体が入る前に、打ち倒すのが可能だ。

だが。

その時、不意に甲高い音が響いた。

どうやら、臨時で別の巡回班が来ていたらしい。

手を振って、辺りを見回しはじめた巡回班を、後ろから襲う。多少予定は狂ったが、これは片付けておかなければならない。

また、同じ数だけ。矢が敵の首筋に吸い込まれて、敵を打ち倒した。

「死体から矢を引き抜き、予定通りの路を通って撤退」

全員が散る。

おそらく、発見されたのは、最初に始末した巡回班だろう。実際周囲に、まだ敵影は無い。

敵を細工している暇が無いのが残念だが。鉄製の鏃は貴重品だ。此処で放棄するのはもったいない。

全員が手早く作業を済ませた。

ヤトは予定通りの路を通る。途中まで、敵のつけた足跡をたどり、不意に茂みにそれるのである。

似たようなやり口を、熊が使う。

ツチグモとして、狩にも参加したことがあるヤトは。それをよく知っていた。

敵がかなり集まってきている。

急いで集落に戻らないと危ない。

弥生が少し遅れていたが、途中から荒猪が背負って走り出した。

一人も欠けていない。

だが、かなりきわどかった。予定通り、二十人を始末することは出来なかった。アオヘビ集落に通じる洞穴に到着。裏道の一つだ。

先に戦士達を中に入れると、ヤトは入り口を偽装。更には足跡も消してから、最後に中へ。

洞穴の中に入ると、ひんやりとはしているが、外よりは暖かい。

薄暗い中、発光する苔が、びっしりと壁に植えられている。

昔から、アオヘビの集落の者達が、育ててきた苔だ。

しばらく歩いて、それで集落の中に。敵には追跡されていないはずだが、念のためにカラスたちを飛ばして確認しておく。

念には念だ。

カラスたちが戻ってきて、敵の追跡が無い事を確認できてから。

ようやく、ヤトは一安心した。

たき火の周囲に、既に作戦に参加した者達が集まっている。

「手指を念入りに温めろ。 しもやけになると面倒だ」

集落の中には、蝦夷の兵士達用に、幾つかヤマトのもののような建物が作られている。その方が良いという兵士が、どうしてもいるのだ。

その程度は仕方が無い。

薪の類は、後方の集落からも送られてきているし、蝦夷自身も持ち込んできている。森を荒らさないのであれば、ヤトとしても我慢する。

「敵の動きは」

「後方の村から、二百名以上が出てきています」

駆け寄ってきた兵士に聞くと、そう返された。

悔しいが、此処までだろう。しばらくは敵の警戒が厳しくなり、同じように殺す事は出来なくなる。

次の手を使わなければならない。

ヤトとしても、機会さえあれば、集落の目前にある邪魔っ気な砦は潰してしまいたいのだ。

実際、タケルがたくさんの兵士を連れてきたとき。

あの砦があるままでは、多分手も足も出ないだろう。どうにかして、タケルが来るまでに、砦を焼き払ってしまいたい。

今回の巡回班に対する攻撃は、その布石の一つだったが。

成し遂げることが出来なかった。

可能であれば、巡回班が戻らず慌てる見張り台の一つや二つは焼き払いたかった。しかし、今ではそれはもう無理だ。

敵は警戒を厳重にしている。

対し、此方は最小限の人数しか使わず、他は訓練をしたり、鋭気を養っている状況だ。もう少し、敵を疲弊させたい。

隙さえ見せてくれれば、砦にいる人数は三百。此方より少ないから、一気に押しのけられる。

少し早いが、次の手に移るべきだろう。

ヤトが手を叩くと、大きな猪が運ばれてきた。昨日、村の戦士達が仕留めてきたものだ。ここしばらくでは最大の猪である。冬の最初だから、秋の蓄えを体に満たしている猪が、捕まるのだ。

すぐに解体して、他の猪と一緒に料理する。

「今回の戦勝祝いだ。 皆で味わうといい」

兵士達が感謝の声を上げるのを横目に、ヤトは自分の穴に引っ込んだ。

別に良いものをいつも独占しなくても良い。ヤトの穴には、干し肉もある。

慣れてきた蝮を撫でながら、ヤトは幾つか考え事を詰めていく。

次の作戦のためには、幾つか仕込みをしなくてはならない。今回よりも、更に精度が高い準備と、緻密な計画が必要になるのだ。

じっくり、穴の中で、策を練る。

戦いに、勝つために。

 

チカラヲの前に、殺された兵士十五名の亡骸が運ばれてくる。

その内十名は、どう見ても矢で殺されていた。

しかし、残る五名は不可解だ。蛇の噛み跡があり、更には自分の手で、短刀を首筋に突き立てていたという。

この死に方は、見覚えがある。

以前、旧クロヘビ集落の女達が、殺されたときと同じだ。

「兵士達が、動揺しています」

「分かっている……」

巡回班は、相互に連携して、隙が無い行動をしていた。

見張り台とも連携し、いずれもが視界を補い合ってもいた。犬まで連れていたのだ。こうもあっさり、班を三つも潰されるとは。

村の方から、増援を呼んでおく。

更に後方に伝令。幾つかの駐屯所に、兵を割いて欲しいと依頼した。今、後方ではタケルが急速に兵力の再編成を進めているはずだが。

敵が大規模な攻勢に近々出る可能性が高い。

万が一のことを考えると、先に備えておいた方が良いだろう。

指揮官達を集める。

親父が考え込んでいた。

「親父どの、如何為されたのか」

「おかしいと思わんか。 今回の襲撃について吟味すればするほど、妙でならん。 敵が森を知り尽くしているとは言え、どうしてこうも的確な襲撃を行う事が出来た」

「念入りに此方を調査していた、という事でしょうか」

一応、この場に。アオヘビの神子が、不可解な力を持っていると考えている人間はいないので、安心はする。

兵士達の不安を取り除くために、奴の使ったからくりを、一刻も早くとき明かさなければならない。

「誰か、仮説でもいい。 何か思い当たらないか」

「チカラヲどの」

挙手したのは、この中では新参の指揮官。

三十を少し越えたばかりの、まだ気力も体力も充分な戦士である。斑鳩という名前を持っている。

「犬を使って敵を追跡するのには無理があります。 罠を張って、敵をおびき寄せるべきなのでは」

「今、そのように危険が大きな策を取るべきでは無い」

「まあ待て」

親父が横やりを入れてくる。

そうすると、チカラヲも黙らざるをえない。

「囮というと、どのような策なのかな」

「はい。 チカラヲどのは、敵にも顔が知られています。 敢えてチカラヲどのをエサにすれば、確実に敵も食いついてくるのでは」

「お、おい……!」

さらりと言われて、チカラヲは青ざめるのを感じた。

相手の得体が知れない能力を知るのは良い。だが、チカラヲを囮とすると言うことは。敵の能力が、此方の予想を超えていた場合。命を確実に落とすことになる。

相手は蛮族だ。

もし捕らえられでもしたら、どのような残虐な仕打ちを受けるか、知れたものではないだろう。

そして、気付いてしまう。

ひょっとしてチカラヲは、敵の得体が知れなさを、怖れはじめているのか。

これではいけない。

周囲の指揮官達も見ている。もしもチカラヲが怖れてしまっているようでは、兵士達に勇敢に戦えなど、言えるはずが無い。

勘違いしている者もいるようだが、兵士達は常に上役を見ている。

上役が敵を怖れれば、それは兵士達にも即座に伝わる。

恐怖は伝染し、戦わずして兵士は力を失ってしまう。実例を、何度もチカラヲは見てきたのだ。

「チカラヲどの?」

「分かった。 説明を、はじめてくれるか」

「はい。 具体的な策は……」

斑鳩が説明をはじめた。

地図上で説明をしていく斑鳩は淡々としている。もしもチカラヲが死んだとしても、此奴が此処の指揮官になる訳では無い。

落ち着け。

敵は人間だ。それを忘れていないか。

実際に、見た事もある。確かに計り知れない闇を内包しているようであったが、人外の者ではなかった。

「以上です。 これならば、敵をおびき寄せられると思うのですが……」

「策に工夫を加えよう」

親父が、他の指揮官達に話を振る。

腕組みして考えていた指揮官達が、ああだこうだと意見を出し始めた。チカラヲは黙って見ているだけにする。

ここで、チカラヲが敵を怖れでもしたら。

彼らに対する信頼は、致命傷を受けるだろう。此処にいる指揮官達は、タケルの子飼いばかりなのだ。

もしもタケルに直訴でもされたら。

ずっと下積みを続け、戦いを繰り返し、ようやく得た地位が、全て台無しになってしまう。

それだけはいやだ。

何度も死線をくぐってきたのだ。死ぬほどの怪我をしたことだって、何度となくあるのだ。

そのようなことで、全てを台無しにされたらたまらない。

一体何のための人生だったのか、分からなくなってしまう。

「以上です。 チカラヲどの、どう思われますか」

「……そう、だな」

作戦について、詳細を確認していく。

アオヘビの神子がどのような手を使っているかは分からないが、一つはっきりしている事がある。

奴は殺しが好きなのか、或いは指揮官としての自覚が強いのか。

必ず、重要な作戦では、自分が出張ってくる。

つまり捕捉さえ出来れば、確実に潰すことが出来る。弓矢の腕前は相当なようだが、戦士としての力量は、超絶的とはとうてい言えないからだ。

問題は、奴が、此方の動きを察知している節があるという事。

それに、戦の才があることだ。

タケルが認めるほどの才覚の持ち主。下手な罠では、食い破られる可能性が、極めて高い。

「それぞれ、万全を期すように」

「分かりました。 最悪でも、敵がどのように此方の動きを察知しているかは、把握しないとなりませんね」

「ああ……」

本当に、一体どうやっているのか。

多少の犠牲を出したとしても、それを暴かなければ。

今後は被害が増える一方になってしまうだろう。

まず、後方の村から兵力を出す。

増援はどうにか通った。

百名ほどが、此方に到着したのが、二日後。援軍を出してくれた以外の駐屯所では、治安維持のために、これ以上兵力は出せないといってきている。

それは当然の話なので、チカラヲもああだこうだとはいえない。

タケルにも、作戦の詳細を送り、承認は求めた。タケルは若干難色を示したが、それでも許可はくれた。

村に百名を廻し、警護に当たらせながら、訓練もさせる。

そして、訓練を終えている百名を森の中へ移動させた。

チカラヲも、手練れを十名ほど連れて森の中へ。

敵も罠だとすぐに理解するだろう。

だが、其処にこそ、勝機がある。

そう、チカラヲは信じた。

 

ヤトの眼前で、砦の指揮官が出てきた。

明らかに罠だ。百名ほどが、砦の後方にある集落から出てきたという話も、既にヤトの耳に入っている。

丁度良い。

この辺りで、敵に決定打を与えておきたい。

ヤトを仕留めるための策なのだろうが、それを利用する。勿論相手も、ヤトが罠だと気付いていると、理解しているはずだ。

此方を侮ってくれるような阿呆なら、もうとっくに勝負はついているのだが。

ヤトからすれば、敵は阿呆だとは思えない。

だから厄介なのだ。

殺すのに大変手間が掛かる。

カラスたちを放って、情報をまず集める。地図を広げて、敵の配置を確認していく。

敵は犬を連れた斥候ごとに分かれて、森の中に配置されている。

そして、彼らが囲むようにして。

真ん中に、砦の司令官がいた。他にヨロイをつけた奴はいないという状況を鑑みるに。おそらくは、罠に此方が掛かったら、砦の方からも敵の戦士が出てくる、という事なのだろう。

だが、ヤトにしてみれば、好機でもある。

美味しい餌をぶら下げられているが、その中には釣り針がある。

どう針を噛まないで、エサだけを奪うか。

カラスたちを念入りに飛ばすが、おかしな事に気付いた。どうやら伏せている敵が、移動しているようなのだ。

なるほど、此方を混乱させる策か。

動きに何か決まりがあるかと思ったが、見ている限りは特に何も無い。右に行ったり左に行ったり。

それでいながら、中央部分にわざとらしくいる敵司令官は、隙を見せていない。

しかも、ヤトの狙撃距離を既に相手は見切っている。狙撃距離に敵を捕らえるには、どうしても移動している敵の戦士達の視界に入る必要が生じてくるのだ。

さて、どうするか。

此処で手を下して、敵の司令官を殺せれば。

決定的な恐怖を、相手に与えることが出来る。

ヤトは化け物だと認識され、存在するだけで敵の戦士達の士気を著しく割く事が出来るだろう。

周囲では、戦士達がああだこうだと言っているが、ヤトの耳には入っていない。

たとえば。

敵が気付かないうちに、周囲を動き回っている敵の戦士の一団を処分出来れば。

しかし、敵の外周上にいる戦士達も、互いの監視を崩していない。

しかも犬がいる以上、安易には近づけない。

厄介な状況だ。

カラスたちの報告を受ける度に、ヤトは手元にある情報に、変化を加えていく。

まだ、敵の動きに法則性を見いだせない。森を荒らされることに不快感を感じるが、それ以上に、安易な動きは破滅を呼ぶだけだ。

敵の戦士を皆殺しにしたい。

クロヘビの集落を襲った奴らは、特にだ。

ふと、気付く。

弥生が、此方を心配そうに見ていた。

「どうした」

「夜刀様は、時々とても恐ろしい顔をなさいます。 戦士として、生きるのが普通の世界にいるからですか?」

「私にとって、一番大事なものは復讐だ」

それは際限なく拡大していく。

クロヘビを裏切った女どもは皆殺しにした。

今度は、クロヘビを襲った戦士を、一人残らず殺す。それには、おそらく敵の集落を全滅させなければならないだろう。

それがなったら。

今度は、ヤマトの人間そのものを、皆殺しにすることを考えようか。

いずれにしても、生きる気力を、復讐心が与えてくれる。ヤトの力の根源は、おそらくそれだろう。

「復讐は、生きる力をくれる。 そうでなければ、今頃私には何も残ってなどはいないだろう。 山の中を、ヤマトの奴らに嘲笑され、ツチグモの人間にも馬鹿にされながら漂い、やがて朽ち果てて獣の糞になるのがおちだ」

「張り詰めた糸みたい……」

「何だその例えは」

弥生は悲しそうな顔で、首を横に振るだけだった。

実際問題。

ヤトは、それほどクロヘビ集落が、好きだったのだろうか。

森は好きだ。

動物たちも。

だが、人間は、或いは。

昔から、嫌いだったのでは無かったか。

弥生の言葉に、妙に気が惑わされた。

顔を叩くと、周囲が驚いたようにヤトを見た。

今は、雑念を錬るときでは無い。これから、敵の砦の司令官を殺しに行く所だ。さて、どうするべきか。

カラスたちに話を聞くだけでは、埒があかない。

ヤトが立ち上がると、周囲の戦士達が、一斉に意識を集中した。

「蝦夷の兵士達、ついてこい。 それに、カルノ。 手練れを十名連れてきて欲しい」

「仕掛けるのか」

「いや、一つ試してみたいことがある」

もしも、これで敵が動くようなら、仕掛けてみる。

今回は、アオヘビの戦士だけでは無く、蝦夷の兵士という手駒がある。勿論自分のために使う駒だが、あるなら有効活用したい。

集落を出ると、敵の砦が、なにやら煙を上げているのが見えた。

おそらく連絡をしているのだろう。

さて、ここからが、腕の見せ所だ。

 

チカラヲは雪の中で歩き回りながら、狼煙を見た。

すぐに側にいた兵士が、内容を解析する。

「アオヘビの神子、兵を連れて集落を出た模様です。 数はおよそ百三十」

「何……」

何かしらの罠を用いてくるかと思ったのだが。

随分と大胆な数を率いて、出てきたものだ。既に蝦夷の兵士達が精鋭にはほど遠い事は、掴めている。

百三十名ほどの兵士達は、まっすぐ此方に向かっている様子だ。

各個撃破の好機だが。

気になるのは、アオヘビ集落の神子が、本当にその中にいるか、だ。

もしも各個撃破のために砦から兵を動かしたら、神子が率いる本隊が、砦を強襲してくる、という可能性が生じる。

専守防衛という観点でも、それは好ましくない。

「陣形を崩さないまま、後退」

指示を出しながら、チカラヲは考える。

アオヘビの神子が狙ってくるなら、間違いなくチカラヲの首だ。この百三十人は全て囮で、本人は精鋭を率いて迫っている、という可能性は否定できない。

「外縁部の兵士達には、念入りな警戒をさせよ。 相互連絡も怠らせるな」

当然、この事態も想定はしていた。

だが、問題が生じる。

更に多くの敵が、集落から出撃してきたのである。数は同じく百ほど。

大きく砦を迂回して、此方に向かっているという連絡があった。この数で挟まれると、流石に面倒だ。

作戦は中止するべきだろう。

残念だが、そう判断せざるを得ない。チカラヲは煙を部下にあげさせる。この状況下で、乱戦に発展したら。

あの長距離狙撃を得意とするアオヘビの神子に、狙い撃たれかねない。

そのまま後退して、一度村にまで兵を引くべき。

そうすれば、立場は逆転だ。敵を孤立させて、各個撃破できる。ろくな訓練を受けていない蝦夷の兵士など、同数で攻撃すれば瞬時に壊滅させることが出来るだろう。普通の大和の兵士ならともかく、此処にいる兵士達は、タケルが鍛えた精鋭なのだ。

後方から、兵士が来た。

「狼煙が上がっています!」

「どうした!」

「敵が進軍速度を上げました! かなりの勢いで、此方に向かっています!」

「後退だ!」

何をもくろんでいるか、読めない。

乱戦になど持ち込ませないと、分かっているだろうに。

チカラヲは、犬を周囲に配置したまま、走る。砦の兵士達にも、狼煙で連絡を送った。敵の集落はどうなっている。

返事はすぐに来た。

残った兵力が全て出てきていて、総攻撃の準備に入ったようだと。

何という事か。

おそらくは、出てきている事は察知されているだろうと思ったが。いきなり此処まで大胆な攻勢に出ることは、誰も想定していなかった。

とにかく、作戦どころではない。

すぐに村に逃げ込まなければならない。

かといって、まっすぐに逃げ込むのは危険が伴う気がした。途中、不意に路をずれるように、チカラヲは指示。

兵士達は多少混乱しながらも、従った。

その時。

側にいた兵士達数人が、次々に矢を受けて倒れた。

チカラヲが見たのは、雪をはじき飛ばすようにして姿を見せた、アオヘビの神子が、弓を引き絞る姿。

あれは、天啓だったとしか思えない。

そのまま逃げていたら、此奴の待ち伏せで、至近距離から矢を浴びていたに違いない。鎧に矢が突き刺さる。

必死に逃げるように指示。

兵士達は、チカラヲを守りながら、次々に矢に打ち倒された。

十人以上が、死んだかも知れない。

どうにか、村に逃げ込む。見張り台の上から、兵士達が迎撃の矢を浴びせているが。その時には、既にアオヘビの神子は姿を消していた。

そうか。

退路を予想して、伏せていたのか。

相手の手の内は分からない。

作戦を、一方的に読まれる。

良いところが無かった。ただし、負けたといっても、十名ほどを失っただけだ。全軍に致命打が浴びせられたわけでは無い。

大きく嘆息すると、チカラヲは、鎧から矢を引き抜き。

そして、戦慄した。

下手な字だが。

其処には、必ずお前を殺すと、書かれていたのである。

思わず、矢を取り落としてしまう。

鎧に阻まれて傷は受けなかったが。思わず小さな悲鳴をチカラヲが漏らしたところは、多くの兵士達に見られてしまった。

まずい。

これでは、逆効果だ。

 

ヤトは舌打ちすると、手を振って、撤退を指示。

また十匹ほどは殺したが、それだけだ。結局敵の司令官は逃がしてしまった。そのまま逃げてくれば、確実に討ち取れたのに。

本当に悔しい。

だが、顔には出さない。追撃してきた蝦夷の兵士達をまとめて、さっさと引き上げる。敵の死体からはツルギや鏃を奪い取ったが。それが一体、何になるというのだろう。

敵はがちがちに守りを固めている。

見張り台とやらも、簡単にはつぶせそうに無い。一つを攻撃すれば、他から攻撃を受ける位置にあるからだ。

矢には呪いの言葉を刻んでやったから、或いは少しは怖がるかも知れないが。

その程度では足りない。ヤトの顔を見ただけで、敵が逃げ出すようにしなければならないのだ。

或いは、敵も負けたかと思っているかも知れないが。

負けたのは、本当はヤトの方だろう。

これで、また敵の砦を落とす糸口が無くなってしまった。

兵士達と共に、集落に戻る。まるで見せつけるようにして。

敵は悔しがっているだろう。

だが、敵には、実際の所、たいした損害が無いのだ。

「神子殿!」

集落に戻る途端、媚びる色を露骨にすり寄ってきたのは。蝦夷の軍勢の司令官である。

おそらく碌な経験を積むことが無かったのだろう。とにかく無能としか言いようが無い男である。

髭は既に白くなっているが、ヤトから見ると、どうしてこの男が戦士達の上に立っているのか、理解できない。

「見事な立ち回りでありましたな」

「敵の司令官には逃げられてしまった」

「しかし、見事な勝利である事は事実です。 敵は此方に恐れを成して、逃げ惑うばかりであったと聞いております」

適当に話を濁すと、ヤトはその場を後にした。

どうやらこの男、兵士達が「はじめて勝たせてくれた」ヤトを信頼しているようなので、身の安全のためにすり寄っているようなのだ。

ヤトにしてみれば、分からない。

こんな男を戦士達の長にしているから、蝦夷とやらは押されているのでは無いのか。そうとしか、考えられない。

雪の中に隠れて、随分寒い思いをした。

火に当たっていると、戦士達が、呼びに来る。

「ミコ、話がある」

「どうした」

「オロチの連中が呼んでいた。 お前が前、つくって欲しいと言っていた鉄のツルギが、出来たそうだ」

それは、朗報。

戦いが満足に進まなかった状況である。多少はよりたやすく人を殺せる道具が欲しいところであった。

これから向かうと夜になるが、別に問題ない。

今だからこそ、敵の砦にいる戦士達は、動かないだろう。動いたところで、充分に迎撃も出来る。

そして敵には土地勘が無い。

ヤトは少数の護衛だけを付けて、すぐに谷に向かう。

丁度行き詰まっていたところだ。気分転換には、調度良い。

日が傾いてくる。

闇はヤトの味方だ。だが、途中で足を止めた。護衛の一人をしていた、シシが怪訝そうに小首をかしげた。

「どうした、ミコ」

「何だか、妙な雰囲気だ。 この辺りに、我々以外の人間が、入るか?」

「いや、この辺りは、アオヘビ集落の縄張りだ。 余程のことが無い限り、よその集落からは人が来ない」

「そうだな。 その答えが自然だ」

集落同士、縄張りの争いは御法度だ。平時は侵入もあまり好ましくないとされている。これは、狩りの獲物を保全するためだ。

当然狩の獲物にも生息している地域があって、それぞれの集落が好き勝手に狩ったら、すぐにいなくなってしまう。

だから、縄張りを決めて、狩る数を調整するのだ。

すぐに、周囲に梟を放った。

この辺りからは、カラスが活動できる時間では無い。まだ寝ぼけている梟たちだが、ヤトが足を止めているのを見て、すぐに異常事態を悟ったのだろう。

一羽が、何かを持ってきた。

髪の毛だ。この場にいる誰の物でも無い。つまり、誰かが、この辺りに来ている、という事か。

「一度引き返すぞ」

「え? いいのか」

「危険を冒してまで取りに行くものではない。 明日、人数を増やして取りに行く」

「分かった。 何だよ、無駄骨かよ」

ぼやくなと告げると、ヤトは先に立って歩き出す。

嫌な予感はよく当たる。

どうも、何か悪いことが起きる、前兆に思えてならなかった。

 

鬱々としているチカラヲを見かねてか。

或いは、事前から、チカラヲを力不足と見なしていたのか。

不意に、その老人が、チカラヲの執務室に現れる。猿のように小柄な老人。見覚えがある。

たしか、タケルの元に、無理矢理ツクヨミがよこした男だ。

いわゆる影働き専門の人間。

朝廷の膝元では、既に幾つかの専門部隊が動いていると言うが。この男は、その中では、比較的新参の、実験的部隊の長の筈である。

名前は、確かヤゴ。

本名では無く、偽名だという話だ。

「苦労をなさっているようですな」

「どこから入ってきた」

「この建物は、警備が甘うございます。 私の腕でも、この通り」

「……」

苦虫をかみつぶしているチカラヲに、不気味な笑みを、皺だらけの老人が浮かべる。まるで虫のような不気味さだ。

それにしても、この老人。一体何をしに来たのか。

「本題に入れ」

「実は、アオヘビの神子が、わずかな護衛を連れて外に出たので。 上手く行けば暗殺できるかと思ったのですが」

「上手く行かなかったのか」

「途中で気付かれましてな。 しかも、どうも妙なことに、鳥を集めてから不意に動き始めたようなのです」

鳥、か。

そういえば、奴が鳥を飼っている事は、既に調べがついている。

一体どういうことなのだろうか。

「まさかとは思いますが。 あの娘、鳥と話が出来るのではありませんか」

「馬鹿馬鹿しい。 そのような人間が存在するか」

「鳥同士はどうも会話しているらしい節があります」

チカラヲの否定を、更に老人が遮ってくる。

鳥など、詳しく観察したことは無いが。

動物も、生きているのだ。特に鳥はかなり賢いとチカラヲも聞いたことがある。簡単な会話くらいなら、出来るのかも知れない。

「確証は持てるのか」

「私も、このまま戻るのは手持ち無沙汰ですからな。 少し調べて見るつもりです」

「……そうか」

現れたときと同じように、ヤゴは唐突にいなくなる。

それで気付いたのだが。

ひょっとしてあの老人。実は老人では無い、というのではあるまいか。

可能性はある。実験部隊であるからこそ、熟練の指揮官をつけているのでは無いかと、チカラヲは思ったのだが。

確かまだ朝廷は、地固めが上手く行っていないはず。

本来なら、ツチグモの戦士をそのまま兵士に組み込む、などと言うことは、忠誠度の観念からもしたくは無い筈なのに、行っている。それが良い証拠だ。

以前タケルと話したところに寄ると、大陸の混乱が続いている内に、可能な限りの技術を吸収し、戦力を向上させて、対応できるようにする、というのが朝廷の戦略であるらしいのだが。

今の時点で、それが上手く行っているとは聞いていない。

鉄の増産。馬の繁殖成功。

弓や槍、剣の技術についても、まだまだこの国は稚拙。渡来人に頼らなくても、地力で立脚できるようになり、なおかつ大陸からの侵略があった場合は押し返せるまでにならなければ、この国は地力で立ったとは言えない。

そう、タケルは話していた。

或いは、影働きは、ツチグモのような動物と近しい者達に任せるという手もあるのかもしれない。

だが、それはいずれにしても、ツチグモに対する決定的な打撃を与えてからだ。軍では無く、地方の部隊だけで充分に殲滅できるようになってから、ようやくその手の話が出来るようになる。

酒を持ってくるように、チカラヲは部下に命じた。

考え事をするには。チカラヲは、敵にしてやられすぎた。明日からはもはや敵の挑発を一切せず、敵に対して隙も見せず。

ただ、貝のように口を閉ざして立てこもろう。

それだけが、チカラヲがするべき事だった。

 

3、大蛇対化け猿

 

カラスが何羽か、不意に姿を見せなくなった。

ヤト自身は、ここしばらく手元に置いているカラスや梟を増やしているが、だからといって数を見誤る筈が無い。

ヤトは人間よりも動物の見分けが得意な位なのである。

烏が一匹でもいなくなれば、即座に分かる。

「嫌な予感がするな」

カラスたちに、人間には迂闊に近づかないよう指示。

勿論普段から、ヤト以外の人間には近づかないように指示は出してある。それでも、念には念を入れた方が良いだろう。

穴を出ると、ヤトは気付く。

雪が溶け始めている。

冬でも、雪が少なければ、こういったことは良く起きる。身を伏せるには都合が良い。敵の砦の方を確認するが、あれ以来、全く動きを見せない。

もはや此方には知恵比べでは勝てないと判断したのだろう。

悔しいが、完璧に正しい判断だ。

ああやって守りに徹せられると、もはや手の打ちようが無い。そして守に徹しているという事は。

勝てるという算段があるのだろう。

力攻めしか無いか。

しかし、装備にしても、蝦夷はヤマトに及ばないと、弥生は言っていた。弥生だけでは無く、目付役の荒猪も言っていたから、間違いが無いだろう。

弓の射程距離まで入って、砦の様子を確認。

敵は此方を見ているが。

しかし、姿は見せない。

ヤトの腕では、わずかにある隙間から、敵を撃つのは不可能だろう。

視線を感じる。

砦の方から、ではない。

集落に戻った後も、だ。

ここしばらく、ずっと見られている。集落を出ると、即座に視線を浴びるようになった。何か、森の中に、知らない者がいる。

おそらくは。

オロチの者達に会いに行こうとしたさい、森に痕跡を残していた奴、もしくは奴らと、同一の存在だろう。

手詰まりだから、これ以上はどうしようもない。

護衛を二十人ほど連れて、谷に向かう。

途中も、視線をずっと感じる。

戦士の一人、熟練の技を持つ男の膝をつく。

「気付いているか」

「何がだ」

「そうか、ならばいい」

この男が気付かないとなると、敵は余程優秀だという事か。

いずれにしても、この気配、動物では無いだろう。驚いたのは、ヤトは自身が、熟練の戦士以上の勘を身につけていたことか。

ひょっとして、身体能力が、前よりずっと上がっている、とみて良いのだろうか。

戦いの中に身を起き続けていたとは言え、いくら何でもどうしてだかよく分からない。それに、側にいる戦士達と戦って、勝てるとは思えないのだ。

何が、変わったのか。

空を旋回しているカラスが、知らせてくる。

後ろの方にいる。

ヤトは頷くと、そのまま歩き続ける。敵の出方を見ておきたい。

先は、敵の司令官が自分を囮に、ヤトをおびき出そうとしたが。今度は、立場が逆だ。ヤトが囮になって、何か分からない敵を引っ張り出そうとしている。

沼地をそのまま横切る。

冬だから、大変寒い。どうしてこんな所をと、戦士達がぶつぶつ文句を言ったが。ヤトは無言のまま、沼地を歩く。

さあ、今なら動きが鈍っているぞ。

仕掛けてこい。

呟きながら、沼地を渡る。途中、何度かかなり深くなっている場所があったが。どこが危険かは、熟知しているから、問題ない。

敵は仕掛けてこない。

この程度のエサでは、食いついてこないか。

かといって、ヤト自身の技量では、敵から身を守りきるのは難しい。単独での行動は、控えなければならない。

嘆息すると、手に息を掛けて、温める。

或いは、敵はヤトを観察するのが目的なのか。

口笛を吹く。

すぐに返事があった。

谷の入り口では、数人の戦士が見張りをしている。流石に、この中に侵入するのは難しいだろう。

最近は、クマの集落からも、見張りが来ている。

此奴らは正直な話監視役だろうが。

しかし、戦力は戦力。

それに、クマの集落とは言え、ツチグモの戦士だ。敵の接近を、そう簡単に許したりはしないだろう。

谷に入ると、ようやく視線が消えた。

追跡を諦めたか。

オロチの老人は、前より少し痩せたように見えた。ヤトの顔を見ると、煩わしそうに頷いた。

「取りに来るのが遅れたな」

「敵と戦っている最中だ。 仕方が無い」

椎の実を潰して粉にし、焼いたものを持ってきた。岩塩を使って味も付けてある。

老人にも柔らかいから食べやすいはずだ。

手渡すと、無言で老人は口に入れ、食べ始めた。

「素朴な食い物だ」

「ただ焼いただけの肉には飽きていただろう。 ツルギを見せてくれるか」

「ああ」

老人が、岩をどかして、取り出す。

ヤトに手渡されたそれは、布に包まれていた。

布を取ると、なにやら板状のものと、手に持つ部分だけが見える。板状のものは、毛皮を加工している様子だ。

「こうやって、抜く」

鞘というらしいそれを動かして、かちりと音がした。

そして、抜くと。

ツルギの刃が、目に触れた。

刃自体が、以前たくさん使ったツルギとは比較にならないほど美しい。その上、おそらくヤトの手の大きさを想定して、握りの部分を作ったのだろう。とても持ちやすい。

黒くて、非常に鋭い。刃は磨き上げたかのようで、そのままヤトの顔が映るほどだ。鞘を外してから、数度振るってみる。

悪くない。

人間など、それこそ簡単に斬り伏せる事が出来るだろう。

これなら、敵の戦士に肉薄されても、充分に身を守れる。槍を振るってきた場合、槍を切り払う事も可能だ。

「やはり、二三人しか切れないか」

「斬ったら研がなければならん。 手入れは面倒だから、儂の所に持ってこい」

「分かっている」

鞘は、この鋭すぎる刃で、傷を付けないようにするためにあるという。

刃を収めてみると分かるのだが、鞘と握りの部分に簡単な細工がしてあって、少し捻らないと、鞘が抜けないようになっている。

使い方を聞いた後、少し振り回してみる。

これは、使い方に習熟すれば、全く戦い方が変わってくる。

弓矢しか戦士に対する手段が無かったヤトも、前線に出ることが可能となる。それは素晴らしい事だ。

敵を、それだけ多く殺せる。

ヤトの顔を見て、戦士達が青ざめているのが分かった。

薄ら笑いを浮かべているから、だろうか。

「このツルギは、増やせるか」

「次に鉄が出来たときには、改良してみよう」

「そうか、分かった。 此処に、蝦夷の兵士を五十人まわせ」

「どういうことか」

谷を出ながら、戦士達に説明する。

このツルギがもう少し増やせれば、蛮族と侮っているヤマトの兵士達を、おきもののように斬り伏せる事が出来る。

逆に言うと、此処を抑えられてしまうと、此方の勝ち目は完全に無くなる。

変な奴に付けられているという事もある。

警備は徹底的に厳重にした方が良いだろう。

「変な奴に付けられている、だと?」

「だから、わざと沼地を通った。 ヤマトにも、我々以上に、森の中で動き回れる奴がいる、ということなのだろう」

「……そうか」

森の中で、自分たち以上に動ける者はいないと、戦士達は思っていたのだろう。意気消沈していた。

だが、それでいい。

敵を侮っているから、隙を突かれる。これで、戦士達も、勘を取り戻すだろう。ヤトでも気付いているような相手に気付かないという醜態は、もう見せないはずだ。

集落に戻ってから、すぐに手配。

蝦夷の兵士達が、五十名。谷に向かうのを見届ける。

さて、どうでる。

ヤト自身は、集落の外に出ると、ツルギを鞘から抜く。

このツルギには、名前があると言う。

鬼。

得体が知れない存在を示す言葉であるらしい。鬼か。いい相棒だと、ヤトは思った。その鬼を振るうのが自分であるというのだから、なおさら素晴らしい。

これまでツルギで相応の数を殺してきたが、まだ使い方には無駄がある。

これからは、更に滑るように動いて、敵を流れるように殺していかなければならないだろう。

そうすることで、力の消耗も抑えられるし、反撃を受ける可能性も減る。

体の動かし方も、工夫の余地がある。

さあ、この鬼で。

もっと殺そう。敵を。恨みの相手を。そうして、ヤトは。

怖れられる、凶なる者となって行くのだ。

 

砦からも、剣を振るっているアオヘビのミコの動きが見える。

砦に戻っていたチカラヲは、周囲に意見を聞いてみた。アレは一体、何をもくろんでいるのだろうと。

この間、大失敗した囮作戦を提案した、最年少の指揮官は、その場にいない。

流石に無罪放免とはいかなかったので、謹慎処分にした。村へと下げて、タケルが戻ってきてから、軍務に復帰させる予定だ。

「もくろみは分かりませんが、よい動きでありますな」

「渡来人によると、大陸では剣や槍の使い方、戦い方を教える師範という存在がいるのだそうです。 そういった師範がつけば、更に厄介になるでしょうな」

「さもありなん。 あれは知恵を持つ獣だ」

獣と人間が純粋に力比べをしたら。

言うまでも無い。勝つのは獣だ。

獣が武器を使うようになったら、人間には抵抗する方法が無い。

しかもあの獣、知恵は人間以上に回ると来ている。

咳払い。

側に、いつの間にかヤゴがいた。

手にぶら下げているのはカラスだ。勿論死んでいる。

鳥を捕縛する方法は幾つかあるが、ヤゴは弓矢を用いたらしい。いずれにしても、相当な神業である。

「どうした、何か掴めたのか」

「敵が操っている可能性があるカラスを、何羽か捕獲しました。 結果、面白い事が分かってきました」

「操っている可能性、か」

「はい。 数羽を捕らえた途端、他のカラスも人間に対して、極めて強い警戒心を抱くようになりました。 あのアオヘビの神子以外の人間からは距離を置き、相当に強い警戒で、此方に対して威嚇をしてきます」

つまり、それは。

カラスが一群となっているか。

或いは、あのアオヘビの神子が、何かを教えている、という事か。

人間と、鳥が会話を成立させている。

そんなことが、あり得るとは思えない。

だが、この老人の言うことが正しいならば。今まで見た、不可解極まりない現象の数々に、説明もつく。

しかしながら、それを安易に信じるようでは、指揮官など務まらない。

「タケル将軍に報告はしたか」

「部下を一人走らせております」

「……調査には、どれほど掛かりそうか」

「そればかりは何とも。 向こうは若いながらも相当な大狸と見えますが故に」

狸、か。

狸が人を化かすという考え方は、大陸から持ち込まれたのだという。

向こうにも、似た言葉を示す字があるのだとか。いずれにしても、チカラヲは、そのようなことは信じていないが。

「それで、殺せそうか」

「今の時点では、暗殺は難しいでしょう」

「お前は本職だと聞いているのだが。 それでも、あの女を殺すのは、難しいというのか」

「あの女は、本職以上に厄介だと言えますかな」

くつくつと、ヤゴが笑う。

覗き見える口は、殆ど歯が残っていない。そう見えたが。

チカラヲは、この化け物じみた老人が、本当に見かけ通りの人物なのか、疑っている。歯が無いように見える口も、本当は何かのやり方で偽装しているのかもしれないと思うと、不気味極まりなかった。

「まあいい。 ここから先は専守防衛と決めている。 あの女に、奇襲さえされなければ、それでいい」

「随分弱気になられましたな」

「あの女が人間だと言うことは、私も知っている。 だが、どうも化け物染みた相手に、兵士達が惑わされるのは、避けなければ……」

「伝令です!」

兵士が、一人飛び込んでくる。

血相を変えた様子からして、吉報とは思えなかった。

いつの間にか、ヤゴはその場から消えている。

「何が起きた!」

「はい、見張り台の一つから、狼煙が上がっています! 多数の敵から、攻撃を受けているという合図です!」

「すぐに村から援軍を出させろ。 敵に一時的に奪われても、必ず奪回をさせるんだ」

「それが……!」

兵士に促されて、外に出たチカラヲは、思わず愕然とした。

確かに狼煙が上がっているのだが。見張り台の周囲には、敵影どころか、人影一つないのである。

村からの援軍は、既に見張り台に向かっているという。

青ざめているチカラヲ。

事故で、このようなことが起きるとは思えない。

狼煙には、それぞれ意味があり、それを組み合わせて言葉にする。もしも事故で間違って狼煙をたいたとしても、あのような形にはならない。

百名ほどの援軍が、見張り台に到着。

中に入って調べはじめるのが、チカラヲの所からも見えた。

ほどなく。

狼煙が上がる。

敵影は無し。ただし、味方もいない。

見張り台に詰めていたはずの兵士達が、煙のように消え失せていたというのだ。すぐに、報告のために、兵士達を此方に来させる。

指揮を執っている男は、青ざめていた。

「訳が分かりません。 内部には争った跡がありましたが、死体一つ残っていませんでした。 狼煙が上がったのはつい先ほどだという話ですが、その短時間で、詰めていた兵士達を殺すのは不可能です」

文字通り、返す言葉も無い。

見張り台の内部構造は、チカラヲも知っている。

特に狼煙を上げる最上部の部屋は、下で鈴を鳴らして危険を知らすことが出来る上、頑丈な落とし扉で、敵の侵入を塞ぐことが出来るのだ。

その上、見張り台自体が、相互に監視をしているのである。

簡単に落とせるはずが無い。

それも、中の人間に、狼煙をたかせているのだ。どうやって、死体を運び出したというのか。

兵士達の囁き声が、聞こえてくる。

「また、敵があやしの術を使ったらしい」

「おい、冗談じゃ無いぞ。 一体今度は何をやりやがったんだ」

「分からないが、巨大な蛇が、見張り台を襲ったそうだ。 兵士達全員が、一呑みにされてしまったんだとよ」

「ひ……」

兵士達が、そんな与太話をしている。

口に戸は立てられないから、噂が拡散しはじめると悲惨だ。

そして、気付く。

敵、アオヘビの神子は。

それを狙って、訳が分からない恐怖をばらまいているのか。このままだと、兵士共は、アオヘビの神子を見ただけで、怖れて逃げ出すようになりかねない。

まずい。

これでは、専守防衛どころでは無い。

「見張り台の守りを倍にせよ。 村からそれだけの人員を出せ」

「恐れながら。 襲撃を受けた見張り台は、廃棄すべきかと」

「何っ……!」

調査をした小隊長の口答えに、チカラヲは思わず、青ざめるほどに怒った。人は本気で怒るとむしろ青ざめるのだが。チカラヲは、自身がそうなるとは、今の瞬間まで思っていなかった。

見張り台を一つ廃棄すれば、それだけ砦の守りが甘くなる。

おそらく臆病風に吹かれての事だろうが、許せるものではない。

「いえ、私自身は怖れていません。 しかし、見張り台に入るとき、兵士達が既に、腰が引けてしまっておりました。 中には、巫女を連れてきて、呪いを払って欲しいと懇願する兵士までおりました」

「……っ!」

既に、遅いと言うことか。

アオヘビの神子が撒いた恐怖の種は、確実に兵士達の心をむしばんでいる。チカラヲでさえ、その意味不明な力を怖れはじめているくらいなのだ。

兵士達が、既に奴に心をわしづかみにされていても、不思議では無い。

奴が鳥を操っている事が分かったとしても、それはどう考えても、普通の人間業では無い。

むしろ、鳥を操っていると告げたら、ますます兵士達が怖れるのではあるまいか。

蛮族のくせに。

恐怖を押し殺しながら、心中でチカラヲは吐き捨てた。

明らかに、知恵比べで、此方の上を行っているアオヘビの神子は。確かに、戦の天才なのかも知れない。

「分かった、見張り台は焼け。 そして、すぐに新しい見張り台を立て直せ」

「ただちに取りかかります」

「守りはくれぐれも厳重にしろ。 もはや、これ以上、あの女に好き勝手はさせん」

チカラヲは、敵の集落を見る。

まだ、ひらひらとアオヘビの神子は。集落の前で踊るようにして、剣を振り回していた。歯ぎしりが零れる。

あれほどの余裕を見せている相手に。

いや、そもそも何もしていないかも知れない相手に。

此方の大軍勢が、翻弄され続けている。

 

4、大攻勢への布石

 

襲撃から戻ってきたヤトは、自分のふりをして踊り続けていたマムシに、集落に戻るよう、影から声を掛けた。

そう。

ずっと分かり易くツルギを振り回していたのは。

途中からヤトでは無く、マムシだったのだ。

まだ幼さが抜けきっていないマムシは、背格好からしてもヤトに近い。少し衣服をいじくれば、遠目からはヤトと見分けがつかなくなる。

その間にヤトは、ずっと前から調べておいた敵の隙を、精鋭と一緒に突いた。

敵の巡回する部隊を幾つか潰したのも、このための布石だ。敵が重点をおく監視点から、少しずれたところにある見張り台。

他の見張り台の死角から、其処へ一気に襲いかかった。

見張りを音も無く射殺すと、中に調教した蝮を放つ。

そして、敵が蝮に気を取られた隙に。打ち殺していく。

そうして、中にいた十数人を、気付かれない内に殺した。

最後に、一人だけは残した。

ヤトは相手の体を切り刻みながら、狼煙の使い方を吐かせ。そして、連れてきていた、蝦夷の兵士に再現させる。

やり方を覚えると、生かしておいた敵戦士も殺し、他の戦士達はヤトより先に引き上げさせる。

そして充分な時間をおいたあと、狼煙を上げて、そして自分も影のように、森の中に消えたのだ。

その間、見張り台に様子を見に来た巡回の部隊は、全部隙を突いて始末した。

敵は、見張り台が全滅した時間を、完全に間違える。

そう、まるで一瞬で、何も抵抗できずに全滅したかのように。

実際は、ヤトは戦士達や、蝦夷の兵士達と協力して、かなり時間を掛けて、見張り台の中にいた敵を始末した。

それを悟らせてはならない。

死体は全て、何度かに分けて持ち帰らせた。その装備を使えるからだ。

それだけではない。

他にも、この死体には、使い道が幾つもある。

ヤトは運び込まれておいた死体を一瞥すると、充分な数に満足した。

しかも都合が良いことに、雪が溶けて、森の中で夜に動きやすくなっている。問題は、ヤトを見張っている奴の存在だが。

奴が動きより先に、敵の戦士達の心に、致命傷を与えておけばいい。

「死体の首を全てはねろ」

「敵の戦士に、敬意を払わないのか、ミコ」

「良いから言うとおりにしろ。 そのように型に囚われているから、他のツチグモは、敵の蹂躙を許してきたのだ」

まずは、自分から。

受け取ったばかりの剣を振るって、敵戦士の首へ振り下ろす。骨を斬るいい手応えと殆ど同時に、首がすっ飛んだ。

死体だから、血はさほど激しく噴き出ない。

同じように、二十以上ある死体の首を全てはねた後、鋭くとがらせた杭に突き刺す。そして、夜闇に乗じて、動く。

あのタケルがどうして一端下がったのかは分からないが。

いずれにしても、あまりもたついていると、また攻めてくるだろう。

備えるためにも、アオヘビ集落の前にある砦だけでも、落としておかなければならないのだ。

首の串刺しが出来た後、袋で包む。

そして、ヤトは。精鋭を募って、夜の森に出た。

「周囲の警戒を怠るな」

戦士達に言うと、態勢を低くして、森の中を走る。

刺すように冷たい空気が、肌を刺激する。毛皮を加工し、木綿の上からかぶせている服を着ていても、寒いと感じるほどだ。

そろそろ冬も本番になる。

敵が動くとすれば、そろそろだろう。

ならば、その前に。

乾坤一擲の勝負をしなければならない。

砦の裏口近くに出た。

見張りがかなり大勢いる。だが、夜闇の中だ。此方のことは分からない。犬もいるが、近づきすぎなければ問題ない。

「この辺りで良いだろう。 首を立てていけ。 そして、袋を取れ」

串刺し首を、地面に突き刺す。

全部で二十数個ある。

更に、何度かに分けて。切り刻んだ胴体の方を、その辺りにばらまく。血の臭いは、あまりしない。

とにかく、異常さを相手に見せつけられればそれで良いのだ。

既に敵の戦士達は、相当に神経をやられている。ヤトがまるでカミのような力を持っていると、錯覚している者も多くいるだろう。

それならば、なお好都合。

この異常な光景を見て、どれだけの戦士が、正常でいられるだろうか。

仕込みが終わった所で、集落に戻る。

冷たい中、ヤトは蓄えてある水を使って、手を。そして、その後は体を洗った。きれい好きなのでは無い。

梟たちが、人間の血の臭いを嫌がるからだ。

月が出ている。

森の中で、犬が遠吠えしているのが分かった。あれは狼では無く、野犬だ。人間達が森を舞台に争っているから、駆除できていない野犬がかなり増えてしまった。ヤマトの奴らを追い払ったら、まず最初に駆除しなければならないだろう。

体を洗ってさっぱりしたヤトが、集落の広間に出る。

戦士達が、青ざめた様子で、此方を見ていた。

「どうした、お前達」

「本当に、こんな事をしていて、勝てるのか」

「さてな。 では逆に聞くが、普通に戦って勝てるとでも言うのか」

戦士達は応えられない。

だが、ヤトは不穏な空気を、敏感に感じ取っていた。

臆病風というのでは無いだろう。

戦士達は、ヤトの狂気に、不安を感じ始めている、という事か。

戦利品の山を整理するように、ハハ達に命じてあったのだが。戦利品は、まだ整理しきっていないようだ。

ハハ達もか。

「敵は恐ろしい数で攻めてくる。 武器も優れているし、此方が知らない戦い方を、山のように知っている。 我々が勝つには、二つの方法しか無い。 一つは、この父祖の代から受け継がれた森と共に戦う事。 そしてもう一つは、相手を怖れさせる事だ」

敢えて、狂気の沙汰としか思えぬ事をすることで。

此方が、何をするか分からない、訳が分からない存在だと思わせる。

それだけではない。

このまま上手く行けば、敵は錯覚する。

ヤトが恐ろしい不可解な力を持つ、超常的な存在だと。敵の戦士達は、元々此方の戦士よりも、力量がおとる。

更に、相手が逃げ腰になれば。

「納得したか?」

「わ、分かったけど……」

「まだ何かあるのか」

「ミコ。 あんた、本当にタチが悪いカミにとりつかれているんじゃないのかって、みんな怖がっているんだよ」

ミコの中には、神がかりと呼ばれる者達がいる。

その真相をヤトは知っている。

実際には、カミなどいない。年を経ていくと、神がかりの者達は、やがて狂気に囚われていく。

それを、タチが悪いカミに囚われたと、戦士達は考えるのだ。

何を馬鹿馬鹿しいと、ヤトは思う。

確かにヤトは狂気と呼ばれるものを内包し始めているかも知れない。だがそれは、勝つために必要なことだ。

戦いを進める際には、常に論理的に考えるようにしているし。理性を優先させるようにもしている。戦いを開始するまでには狂気で心を浸すとしても。実際の運用過程では、理性と理論を重視する。

ヤマトの連中を皆殺しにするには。

己の感情を先に出していてはいけないからだ。

狂気は、手を下すときだけに必要だ。目的も、やり方も、狂気で全身を覆うとしても。過程に関しては、狂気を抜かなければならない。

まずは考え、丁寧に手を打っていく。理性を感情に優先させ、そして敵の先を行くように、思考を進めて行く。

それで、ようやく勝ちの目が見える。

「それに、私はミコだ」

「どういう、意味だよ」

「カミが私を従えるのでは無い。 私が、カミを使いこなしてみせるさ」

その時、戦士達の恐怖が、頂点に達したのを、ヤトは感じた。

おそらく。

ヤトが、完全な。それこそ、普通の人間では到達し得ない狂気を、瞳に浮かべていたから、かも知れない。

戦士達を解散させると、ヤトは自分の穴に戻る。

味方まで恐怖しはじめているのは、若干の誤算であったが。

それでも、敵はそれ以上に怖れている。

このまま敵に恐怖をばらまいていけば。勝てる。

明日から、総攻撃に移る。

敵の腰は、既に引けているはずだ。少なくとも、砦を陥落させることは、難しくは無いだろう。

 

血相を変えた部下達に呼ばれたチカラヲは。

兵士達が、吐き戻しているのを見て、尋常では無い状況だと、すぐに気付いた。そして、兵士達を押しのけて、前に出る。

むごい光景は、いくらでも見てきた。

戦場は地獄だ。

死体はカラスについばまれ、野犬に貪られ、血肉は辺りにぶちまけられる。だが、それは殺し合いの結果による、当然のもの。

これは、違う。

本物の狂気が、人間を蹂躙した跡だ。

行方不明になっていた兵士達の、無惨すぎる末路。串刺しにされた無数の首。惨殺され、八つ裂きにされた死体。

そして兵士達の服の残骸には。

呪という言葉が、乱雑に書き連ねられていた。

喉までこみ上げてきた吐き気を、かろうじて押さえ込む。これは、狂気が濃すぎる。

「もう嫌だあああっ!」

兵士の一人が絶叫し、森の方へ走り去っていった。

止めようとしたが、間に合わなかった。

砦でも、兵士達がこの凄まじい有様を、知らないはずが無い。これでは、戦いにならない。

タケルが鍛え上げた精鋭でも、こんなものを見せつけられては、もはやどうしようもない。

チカラヲは、今更に悟る。

アオヘビの神子は、本物の狂人だ。普通の人間なら、分かっていても、こんな事が出来るはずがない。

逆に言えば、奴を此処まで追い込んだのは、圧倒的な兵力差なのだろう。

今、砦と村にいる戦力だけでも、アオヘビの集落では勝てない。蝦夷の兵をあわせても、それは同じだ。

勝つために、あらゆる手を取るというやり口が。

この狂気を呼んでしまったのだ。

悲鳴が上がった。

森の中に逃げ込んだ兵士が、待ち伏せしていた敵に殺されたのだろう。

完全に青ざめている兵士達に。

もはや、チカラヲは、かける言葉もなかった。

「この亡骸を、葬るのだ」

兵士達は、虚ろな目で、チカラヲを見た。

もう一度促して、やっと動き始める兵士達。訓練を受けた兵士とは、とても思えない。死体を火葬。首だけは、それぞれ見分けがつくから、素性を知る兵士達の言葉に従って、灰を分ける。

後は、その場で、全て埋めた。

兵士達は、吐いていたり、泣いていたり。いずれにしても、もはや戦える状態に無い。砦に戻ったチカラヲは、見る。

敵が総攻撃の準備をしている、その光景を。

今攻撃されたら、戦意を失った兵士達は、砦を捨てて我先に逃げ出すだろう。村を守りきるのがやっとか。

すぐに書状をしたためる。

部屋では、どういうつもりか、先にヤゴが待っていた。

丁度良い。

鼻先に、書状を突きつけた。

「この書状を、タケル将軍に」

「敵の内偵は良いのですか」

「お前もあの無惨すぎる亡骸を見たであろう。 もはやこの砦は守りきれぬ。 敵の弱点を探るどころでは無いわ」

「敵は巧みに心理の弱みを突いてきておりますな」

此奴。

アレを見て、それだけか。ひょっとすると、あの化け物じみた神子と、やり合える存在かも知れない。

「タケル将軍は、いつ到着する」

「今、武蔵の国の駐屯軍をまとめているそうです。 おそらく数日以内には、此処に来られるでしょう」

「そうか……」

その数日が、限りなく遠い。

この砦は、明日か、下手をすると今夜には、陥落してしまう。

「チカラヲどの」

「何だ」

「負けると分かっているのであれば、死を選ぶ事だけはおやめなされ。 タケル将軍は、一人でも多くの部下を必要とするでしょう。 敵のやり口を目前で見た貴方は、きっと勝利のための大きな鍵になり得ます。 良いですか、くれぐれも。 安易な死だけは、選んではなりませぬぞ」

そういわれても、自信が無い。

いつの間にか、ヤゴはいなくなっていた。

チカラヲは自室を出ると、既に集まっていた指揮官達を、見回した。彼らも、既に此処を守りきれないことは、悟っているようだった。

「この砦は放棄し、村まで逃げる。 そこで、守りを固める」

それだけを告げた。

だれも、反対する者は。

もはやいなかった。

 

(続)