蛇に迫る大軍

 

序、タケルの到来

 

思ったよりも、ずっと簡単に尋問は進んだ。

捕らえたヤマトの戦士達は、先代から服属したか、もしくは幼い頃にツチグモを止めた者達なのだという。

特に口をつぐむことも無く、聞かれたことについては、全て喋った。

ヤトの目つきに怯えている節はあったが、別にそれはどうでもいい。ヤトのような立場は、怖れられてなんぼだ。

貴重な捕虜を殺さずに済んだのは嬉しい。

「なるほど。 服属したツチグモは、基本的に開墾をやらされるんだな」

「そうだ。 それで田畑を耕している者の中から、屈強な男子が選ばれて、兵士にされる」

「屈強、ねえ」

「俺たちはまだ強い方だ。 これでも、幼い頃はツチグモとして生きていたからな」

それだけ、弱体化が早いという事か。

ツチグモからヤマトに移ることで、確かに生きられる可能性は上がったのだろう。子供を多く育てられるというのは、特に意味が大きい。

しかし、大きな弱点も、ヤトには見えてきていた。

ひょっとすると、敵の隙を突けるかも知れない。

「ヤマトのカミは、どのような存在だ」

「詳しくはしらねえが、お日様らしい」

「? どういう意味だ」

「お空に浮かんでいるお日様そのものが、ヤマトにとってのカミなんだよ。 お日様の機嫌次第で、作物の出来が違ってくるからな」

意味がすぐには理解できない。

アオヘビの戦士達は笑っていたが、そうするべきでは無いとヤトは思った。

どうも周囲を見ていると、人間は未知をまず馬鹿にする傾向があるように思えてくる。だからこそ、最初に未知と接すると、大きな被害を出す。

知らない事を言っている奴は、馬鹿だと考えるのは。あまり良い傾向では無いと、ヤトは思う。

「なるほど、だいたいは分かった」

「ならば帰してくれよ」

「それは、ヤマト次第だ」

まず、クロヘビ集落の女達を此方に渡して欲しいと、交渉してみる。勿論、此方に戻る事を望む者達だけだが。

そうでない者は、機を見て殺す。

それで、交換できるのならよし。話が成立しないようなら、この捕虜は。

殺すか。

いや、せっかくだから、オロチの連中と一緒に使う事にしよう。それぐらいで丁度良いはずだ。

腰をかがめて、ヤトは捕虜と目線を合わせる。

そして、敢えて薄笑いを浮かべた。

「分かっていると思うが、騒いだら殺すぞ。 逃げようとしても殺す。 うちにいる犬たちは、人間の肉の味を覚えているからな。 けしかければ、即座に八つ裂きだ」

実際にはそのようなことは無いが、これくらい脅かしておけば良い。

いや、むしろ徹底的に脅かした後、敵に戻すという手もあるか。此方の恐ろしさを、過大に吹聴してくれる可能性もある。

いろいろな手が浮かぶ。

どれも試すのが面白そうだ。

犬は人間より遙かに速く走る。もしもけしかけられたら、絶対に助からない。それを知っているからこそ、捕虜達は動けなくなる。元ツチグモの人間をはじめ、敵の全員が震え上がっているのを確認すると、ヤトは何人か戦士を集めた。

空は良い具合に曇っている。

「雨が降り始めたら、偵察に出るぞ」

「分かった」

戦士達が、腰にぶら下げているツルギを見た。

まだ、ヤマトの奴らから奪ったツルギは有り余っている。幾らかの分は、今槍の穂先に打ち直させている。

だがある程度は残して、主にヤトが使っていた。

「そんな武器を使って大丈夫なのか」

「問題ない。 ただし、大人数を相手にするのは厳しいな」

ヤトの場合、そもそも武勇が不足しているし、倒されたら終わりの立場だ。

多数の敵を相手にして勝つという事は最初から想定していない。だから武器としては、これでいい。

確実に目の前の相手を殺せるのだから。

槍の穂先が打ち終わるまで、少し時間が掛かる。それまでは、可能な限り戦端を開きたくは無いのだが。

雨が降り始めた。

戦士達を促して、出る。

まだアオヘビの集落には、クマの集落などから、援軍の戦士三十名ほどが来ている。彼らの事もあるし、背後は今のところ、心配しなくても良いだろう。

あくまで今のところ、だが。

森の中からは、既に戦いの痕跡が消えている。死体は全て片付けたし、刺さっていた矢なども全て拾い集めた。残っているのは木々に残った傷や、落ちている矢や槍の残骸だけ。それも、見つけ次第拾ったので、もはやほぼ痕跡は無い。

森の再生能力は、それだけ高いという事だ。

歩いていると、気付く。

「ヤマトの連中が、入り込んだ跡があるな」

「ああ。 近くにはいないようだが」

「索敵。 周囲を見逃すな」

こんな奥の方まで入ってきている奴がいるとは。中々に、大胆な相手だ。

今の時点では、気配は見当たらない。

だが、よく見ると、明らかに痕跡をわざとらしく残している。誘っているとみて良いだろう。

カラスたちを飛ばしてあるのだが、今の時点で警告は来ていない。

それだけ巧みに隠れているのか、或いは。

弱点を、知っているのか。

痕跡を見る限り、敵の数は一人。こればかりは誤魔化すことが出来ない。その上、一番厄介なウマは持ち込んでいない様子だ。

この人数で、どうにか出来るだろう。

最悪の場合は、逃げれば良い。

森の中でツチグモに追いつけるわけが無い。たとえヤトでも、それは同じ事だ。

近くにいる。

戦士達も気付いたのだろう。全員が、既に戦闘態勢に入っていた。ヤトが口笛を吹く。警戒を促す音だが、コレはむしろ、相手に聞かせるため。

とっくに気付いているぞと言う意思表示だ。

からからと笑う声。

かなり低い声。しかも、太い。分析するまでも無い。相当な大男が出しているとみて良いだろう。

いきなり、目の前の地面が、吹き上がった。

違う。

木の上から、そいつが降ってきたのだ。

飛び退く。

戦士達が、槍を構える中。腰にツルギを付けているその男は、むしゃりとアケビの実を囓った。

「釣られてくれてご苦労。 アオヘビの神子は貴様か」

とんでも無くでかい男だ。此方にいるもっとも大きな戦士よりも、遙かに体格でも優れている。

一目で分かった。

とてつもない修羅場をくぐってきている戦士だ。

ヤマトの戦士は弱いと思っていたが。こんな例外も、存在するのか。

しかも、ミコをきちんと発音している。

「そうだ。 貴様は」

「俺は将軍タケル。 今日は、俺の部下達をやぶった貴様らの顔を見に来た。 痕跡をわざと残してやれば、釣れるかと思ったが。 まさか此処まで的確に追跡してくるとは思わなかったぞ」

男はじろじろと、ヤトの体を見る。

身震いしそうになるが、こらえた。

少しでも弱みを見せれば、それだけ相手はつけあがる。狩でも、それは同じだ。

「よく鍛えているな。 ツチグモの中でも、此処まで原始的な生活を守っている者はそうそういない。 故にか」

「それがどうかしたか」

「潰すには丁度良いと言うことだ。 俺もここ最近は、弱敵ばかりで退屈していた。 少しは楽しめそうだ」

この間、オロチの老人に聞いた。

ヤマト最強の将軍が何名かいて、そいつらにはタケルという名が与えられると。その一人が、此奴なのだろう。

確かに、見るからに強い。

筋肉の付き方や体格もそうだが、分かるのだ。

此奴は、野に生きている戦士達と同じか、それ以上の獣のような強さを身につけている。つまり、ツチグモの戦士達と同等。その上、更に優れた戦士の肉体を持っている。加えて鉄の武器に対する知識や、それを使って戦う方法も知っている。

戦って、勝てるとは思えない。特にヤトでは、何をしようと斃す事は不可能だろう。それだけの、力の差を感じる。

他の戦士達も、同じ印象のようだ。

全員がかりであれば、あるいは死中に活を得られるかも知れないが。出来れば、この状態での戦いは避けたい。

だが、あまりにもあっさりと。

タケルは身を翻した。

背中を向けても大丈夫という余裕。その広くて大きな背中さえも、圧倒的な威を放っていた。

「今日は顔を見に来ただけだ。 ではな」

「逃がすと思っているのか」

「思っているさ」

優れた状況判断力も持っているか。戦士としても優れていて、頭も回るとなると、非常に厄介だ。

だが、だからこそ。

ヤマトで、最強の将軍の一人、なのだろう。

矢を後ろから射込んでやろうと思ったが、止めた。当たるところが想像できなかったからだ。

すぐにタケルの姿は見えなくなった。

大きく息を吐く。

想像以上の難敵だった。

カラスたちが伝えてきている。昨日くらいから、ヤマトの集落に、今までに比べものにならないほどの数の戦士がいると。

これは、いよいよ来るべき時が来たのかも知れない。

小競り合いとはいえ、ヤマトを此方はやぶった。

相手は本腰を入れてきた。そういうことだ。

すぐに、周囲の集落に、援軍を要請する。戦いはいつ始まっても、おかしくない。

 

1、軍勢

 

オロチの老人が、槌というものを振るっている。

これ自体が鉄で出来ているらしい。棒の先に、丸いものをつけた道具だ。槌を振り下ろす度に、かん、かんと鋭い音が響く。

鉄を作っているのでは無い。

鉄を直させているのだ。

ツルギという武器は、少数だけあればいい。残りは鏃に打ち直させた方が、ずっと効率が良く戦える。

若いオロチの者達も、同じように働き続けていた。

ただし、ヤトを見る視線は、必ずしも好意的では無い。以前アオヘビのハハに性交を迫って袋だたきにされた若者などは、露骨にヤトに対しての憎悪を目に燃やしていた。

今の時点では、老人が説得してくれている。

だが、もしも面倒な事をするようなら。

殺す。

見ていて分かるが、オロチの者達は、さほど身体能力が優れている分けでも無い。殺すつもりだったら、ヤトでもどうにでも出来る。

「鏃は打ち上がったか」

「其処に積んである」

「どれ」

老人が示した場所を見ると。

黒光りする鉄の鏃が、かなりの数出来ていた。辺りには、鉄を叩く音だけでは無い。木を焼く煙と、独特の臭いが充満している。

何度か咳き込む。

肌に合わない臭いだ。

「確認しろ」

戦士達に命じて、自分も確認に加わる。

鏃はどれも申し分ない出来だ。矢につけて見るが、これなら当たり所次第で、敵を一撃で殺せる。

あのタケルという男も、背後から不意を打てば。

ただ、不意を打たせて貰えるとは、とても思えない。

「良い鏃だ」

「ミコ、使って見てもよいか」

「ああ、試してみろ」

戦士達の何人かが、すぐに狩りに出かけていった。

獲物に撃ち込んでみて、どれだけ使えるか、確認しようというのだろう。それでいい。まずは、人間よりも丈夫な獣に使って見ることで、その武器の威力は確認できる。

槍の穂先にも、ツルギは打ち直されていた。

槍につけてみるが、前より若干重い。

ただし、黒曜石の穂先は、どれも形が一定していない。だから、槍にはどれも癖がある。その延長だと思えば、特に問題は無い。

槍をヤトはあまり使えないから、戦士達に任せる。

アオヘビの戦士の中でも、特に槍の扱いが上手いシシという男が、満足そうに言った。

「これなら、簡単に相手を殺せるぞ」

「ヨロイの相手はどうだ」

「いや、ヨロイは……」

シシは大柄でひげ面で、実に男臭い奴だ。

ただしオツムの出来はいまいちなので、非常に正直に言葉を濁した。

隣では、カルノが、片腕で槍を器用に使っている。この間の戦いでも、片腕にも関わらず参戦して、敵と勇敢に渡り合っていた。

「槍を少し短くしてもいいか」

「その方が使いやすいか、カルノ」

「ああ。 どうも腕が一本無いせいか、使いづらくてな」

それに加えて、カルノは高齢だ。

もう戦士としては引退する年でもある。だが今は、戦士は一人でも多く欲しいのだ。引退した戦士は衰えるのが早く、今更戻ってもらうわけにはいかない。

カルノには、しばらく働いてもらうしかないだろう。

ヤトは、ツルギを幾つか見る。

何本かは、使いやすそうだ。

どれも形状は似ている。両刃で、当て所次第では確実に相手を殺せる。使い方について何処かで調べたいが。

中々に、難しいだろう。

老人に、例のものは出来たかと聞く。老人は頷くと、木ぎれを差し出してきた。

ヤマトの文字で、人質交換を要求するものである。

何と書いてあるかは分からないが、内容は頭に入れてある。相手の重要人物を呼び出して、話をするときに、内容は確認するから、問題は無い。

「よし、シシは何名かと森の縁まで行って、相手が気付かないうちにこれを矢にくくりつけて集落に撃ち込んでこい。 その後は、すぐに戻れ」

「普通の鏃で良いか」

「鏃などは使わなくていい」

分かったというと、シシは小首をかしげながら出て行った。

人質交換の話を、そもそも忘れているのかも知れない。

まあ、あの男は、ただ戦っていればそれでいい。別に、戦士に頭脳など必要ない。考えるのは、ヤトがやればいいのだ。

「このツルギという武器、脆いな。 二人殺しただけで折れたぞ」

「使い方が悪い」

「使い方があるのか」

「無理な力が入っている、という事だ。 ただ、あまり多くの人数は殺せない。 殺した後は、もってこい。 研ぎ直す」

頷くと、護衛の戦士達と一緒に、谷を離れた。

見張りをしている戦士達は、如何にオロチの連中が薄気味悪いかと、思いつく限りの悪口を言っている。

オロチの若者達も、影で此方のことを悪く言っているようだから、お互い様だが。

しかしそれにしても、このままでは、まずいだろう。

「どうにかして、内部をまとめなければならないな」

「集落をクマのミコがまとめているでは無いか」

「そうではない。 クマのミコは、いざとなったら我らを見捨てるつもりだ」

「な……」

まさか、気付いていないのか。

他言無用にと言うと、戦士達は青ざめたまま、口をつぐんだ。基本的の他の集落の戦士達も状況は同じ。

アオヘビは防波堤。

ただし、いざというときに責任を押しつけるための存在でもある。

皆、身を守るために必死なのだ。

「一度、集落に戻る」

用事は済んだ。あまり此処にいる意味は無い。集落に戻って、休んでおいた方が良いだろう。

昨日は雨が降っていたから、地面が柔らかい。草にも露がついていて、若干歩きにくい。足を挫かないように気をつけなければならない。

集落に戻ると、食事の準備が出来ていた。

備蓄を確認した後、戦士達に食べさせる。

ヤトは最後だ。今のうちに、やっておかなければならない事が、幾つかある。

穴の奥に引っ込むと、幾つかの卵を並べた。

蝮の卵だ。

昨日、拾ってきた。

身辺を守るために、蝮を飼い慣らそうと思ったのだ。大人の蝮を使うよりも、子供の頃から育てた方が、言うことを聞きやすい。

これは経験則だ。

前も蝮は一度飼っていたことがあるのだが。ならすのに、随分苦労した。

梟や烏も、大人をいきなり飼い始めると、ならすまで苦労する。雛のうちから育てておくと、簡単に手なずける事が出来るものなのだ。

卵を触って、後どれくらいで孵るか確認。

三つの卵は、四日ほどすれば孵るだろう。

触ってみて、四つ目の卵で眉をひそめた。これは駄目かも知れない。死んだとなったら、捨てる。

ただ、今はまだ生きている。

横に寝そべって、時々水分を追加してやる。蜥蜴などは、卵に水分が無いと子供が生まれる前に死んでしまう。

蛇も同じだ。

此奴らの卵は、案外に繊細。鳥の頑丈な卵とは、だいぶ違う。

しばらく声を掛けたり撫でたりした後、自身も食事に出る。猪を仕留めた集落が、送ってきてくれていた。

戦士達が、すぐに捌いて食事にする。

ヤトにも、股の美味しい部分の肉が出された。さっと火で炙って、すぐに口に入れる。この脂の感触が中々にいい。

「ミコ、もっと喰うか」

「いや、止めておこう」

これから夜にかけて、偵察に出向く。

そして、相手側が反応していたら。その場で、人質交換の交渉を行っておきたい。あまり腹一杯に食べると、いざというときに動きが鈍くなる。

戦士達の何人かに、夜連れて行く事を告げておいた。

それから、穴に戻る。

卵のうちから、動物を手なずける作業は始まっている。子供を産む予定はないからか。余計に、動物の子供を育てるのは、ヤトにとっては楽しい作業だ。

卵の中で、まだ子供の蛇が動いているのが分かる。

蛇は鳥と違って、親に育てられない。

子供の時から、自律できる生物だ。

だからこそに、育てるのは難しいし、やりがいもある。

 

夜になってから、ヤトは五人を連れて森に出た。

ヤマト側の反応を、まず確認する。カルノには、たいまつを持たせていた。相手側が合図をしていたら、此方からも仕返すためだ。ただし、今の時点では、火を付けていない。

カルノは不満そうだが、これが一番適している。

他の戦士達と違って、片腕しか無いカルノはどうしても戦力で劣る。しかし判断力は優れているから、すぐに行動することも出来る。

夜の森を歩く。露はまだ、葉から落ちていなかった。

「敵のたいまつは見えるか」

「いや、駄目だな」

カルノは無言で、最後尾を歩いていた。

かってクロヘビの集落で、ミコの兄の息子だった戦士は。凶猛なクロヘビの戦士らしい戦いと、その先の死を希望していたのだろう。

だが、結局今は、たいまつを持って歩いている。

ヤトとしても、活躍はさせてやりたいと思う。

だが、現状で人員を振り分けた場合。どうしても、カルノは予備戦力にしか、置き場所が無いのである。

森の縁まで出た。

柵はとっくに修復されている。そればかりか、大勢の人間が行き交っているのが分かった。

ヨロイを着けている戦士も、多数いる。

数は、正直、わけが分からないほどに多い。

「何だあの数は」

「……あれだけの数を養えると言うことだろう。 ヤマトのやり方ならな」

「信じられん」

呟いたのは、追いついてきたカルノである。

クロヘビが襲われたときも、これほどの数では無かった。あの時も、だいたい二百人くらいだっただろう。

ヨロイを着けた奴だけでも、ざっと五十人はいる。

それ以外の戦士も、それほど強くは無いだろうにしても、その十倍以上はどう考えてもいるのではないのか。

その上、連中の装備。

全員が槍を持っていて、なおかつツルギを腰に付けている。背中には、弓も背負っている。

それだけの武器がいきわたっているということに、ヤトは戦慄した。

以前戦ったヤマトの戦士とは、装備が違う。

本当に途方も無い相手なのだと、再確認させられる。まともに戦って、勝てるはずもない。

しかもよく見てみると、以前の戦士とは、動きが根本的に違うことも見て取れた。何というか、非常に統一が取れているのだ。前の戦士達とは違う。まるで、全てがまとめて一人の戦士のように、息があっている。

これは、容易に崩せる相手では無い。

その上、此奴らを指揮しているのは、あのタケルだ。

たいまつの合図は。

見えない。気がつかなかったという事か。

いや、敵の集落の奥の方で、たいまつが廻っているのを確認。どうやら、交渉には応じるつもりらしい。

カルノを行かせる。

少し離れた丘で、事前に決めておいた動きで、たいまつを廻させるのだ。

そうすることで、敵に、此方が了解したことを伝える。臆病なようにも見えるが、今は一人の人材も失うわけにはいかないのである。

すぐに、移動する。

敵も数人が、森の中に入ってくるのが分かった。

今は殺さない。

交渉が決裂した場合には、命の保証はしない。それだけだ。

戦士達と一緒に、予定通りに待ち伏せの地点へ移動。

最初指定した場所で、話し合いなどしない。敵も待ち伏せしている可能性があるし、そのほかにも危険が大きいからだ。

闇の中で、森の中での敵の動きを見る。

驚くことに、以前とは此方も全然違う。

前はたどたどしかったが、今回はかなり滑らかだ。流石にツチグモの戦士達と比べると、かなり遅いが。

敵の中で、特別強い戦士達なのか。

いや、そう考えるのは、あまりにも楽観的すぎる。

他の戦士達も、かなり困惑しているようだ。

「彼奴ら、森の中なのに、速い」

「油断するな。 お前達でも、危ないぞ」

敵の前に、それでも回り込む。

地形を知り尽くしているし、何より森の中になれているからだ。だが、此方が、立ちふさがると。

敵は、慌てること無く、足を止めた。

月が出た。

敵の顔が見える。

タケルほどでは無いが、かなりの長身で、強そうな戦士だ。筋骨隆々としていて、見るからに手強そうである。

何処かで見覚えがある。

思い出す。以前遭遇した、ヨロイを着ていた相手。

「貴様は、以前ヨロイを着ていた戦士だな」

「話し合いの場所とは、違うように思えるが」

「此方は人数も少ない。 用心のために、場所を変えさせてもらった」

話している間にも、ヤトは相手の顔をきちんと見ている。

そうすることで、何かもくろんでいるなら、だいたい事前に潰すことが出来る。だが、相手の戦士は、面倒くさそうにはしていても、しまったと思ってはいない様子だ。つまり、事前に決めた待ち合わせの場所に、戦士を送り込んではいない、という事だ。

梟たちも、既に放ってある。

更には、周囲には、戦士達が伏せている。五名だけでは無い。事前に出発させた数名が、この辺りにいるのだ。

二重三重の用心の結果。

もっとも、これは人数も戦力もおとるがため。

本来は、あまり好ましくないことは、ヤトも承知している。

「まずは名乗ろう。 私はアオヘビのミコ、ヤトだ」

「此方はチカラオ。 私の配下を二度も破ってくれたのは、やはり貴様であったか」

「そうだ。 それがどうかしたか」

「いずれ殺してやろうと思っている。 もっとも、それは今日では無いが」

一瞬だけ、間に火花が散った。

戦士達は驚いている。ヤトが、本名を相手に名乗ったからだろう。基本的にミコは、自分の名を他人には知らせない。

ヤトはどうして名乗ったかというと、これからの交渉をするのに、名が必要だと判断したからだ。

それ以上の意味は無い。

状況は現時点では此方が有利。今の時点では、慌てることも無い。ただし、油断だけは出来ない。

前回と違って、チカラオはヨロイを身につけていない。

だが、それでも、敵の戦士としての力量はびりびりと伝わってくる。戦ったら、少なくともヤトでは勝てない。

それだけではない。チカラオがつれている戦士達は、側で見るとかなり強い。槍もツルギも弓も持っている。ヨロイはつけていないが、此奴らが団結すれば、チカラオを逃がすことは難しくないだろう。

下手をすると、ヤトを捕らえることさえ、不可能では無いかも知れない。

ヤトだって、そのような不覚は取らないが。

「それで、人質についてだが」

「出来れば帰して欲しい」

「ならば、書いてあったとおりだ。 クロヘビ集落の者の中から、此方への帰還を望むものと交換だ」

「それは出来ない」

殺意に目を細めたヤトに、チカラオは説明を続ける。

何でも、ヤマトでは自分の集落に迎え入れた者のうち、降伏した者は同胞として扱うと決めているという。

それを聞いて、やはりと思った。

あの夜襲、実は計画されたものだったのか。

おそらく、クロヘビの中にも、ヤマトに内通していた者がいたのだ。それは、クロヘビのハハのうち何名か。

そして、確認できている生存者の共通点は。

ハハにはなったが、子は育てられなかった。そういった者達だった。

「そうか、クロヘビが落ちる前に、裏切っていたのだな」

「彼女ら自身も、戻る事を拒否している」

「ならば、人質を帰すわけにはいかない」

「そうだろうな。 だから、今度こそ提案をしたい」

無表情のヤトに、チカラオは言う。

その内容は、ヤトの想像通りだった。

「ヤマトにくだれ。 今なら、最大限の厚遇をしよう。 お前達の土地は、お前達自身のものとして認めて良い」

「それで?」

「勿論、戦ったことは水に流そう」

「そうかそうか」

あまりにも条件が良すぎる。

ヤトが冷ややかな反応をしているのを見て、チカラオはなおも続けた。

「何が不満か」

「戦いになったら此方の戦士を出させる、というわけか」

「仕方が無い事だ。 ヤマトに降伏したのだから、その法に従ってもらう」

「それだけではないだろう」

だいたい見当はついているが。

この辺りの森を焼き払って、全て畑にでもするはずだ。そして、最終的には、ヤト達は追い払われてしまうだろう。

そう指摘すると、チカラオは、殺意を視線に乗せてきた。

「くだらぬことを言うな。 森と生きるにも、限界があるくらいは理解しているだろう」

「そのような理解は知らん」

「後悔する事になるぞ。 今、ヤマトにくだっておけば、皆無事で済むのだと、どうして分からない」

「そうすることで、お前達の犬に成り下がるというのは目に見えている。 だから、断っている。 それだけだ」

分からず屋が。

チカラヲが吼えた。

ヤトは冷ややかに鼻を鳴らすと、皆を促す。

そして、その場を離れた。

戦士達も、此処でヤトが話を聞くふりをしたら、大きな不満を見せただろう。そもそも、此処で降伏するのは色々とまずい。

ヤマトの連中は、これだけの戦力を連れてきているのだ。

降伏しても、無事で済むはずが無い。

「人質交換の件は、残念だったな」

「いや、そうでもない」

帰り道、合流してきたカルノに、そう返す。

元クロヘビの女達が、相手側に行ってしまっている事については、最初から予想の範囲内だった。

むしろ、これから殺さなければならない事が、手間で仕方が無い。

早速だから、手なずける予定の蝮たちを使って見るか。それもまた、面白いかも知れない。

「それにしても、良いのか。 本当に」

「これは戦いだ」

人間同士の戦いは、動物同士のそれとは根本的に違う。勿論、動物と人間の戦いとも、違っている。

容赦すれば、それだけ負けるのだ。

徹底的に叩き潰して、相手の抵抗力を無くした状態で、やっと終わる。

殺せ。

潰せ。

焼き払え。

ヤマトがクロヘビの集落にたいしてした事を、今度は別の形で、返してやらなければならない。

ヤマトが、ヤトを手強いと認識し。

なおかつ、戦いが割に合わないと判断したとき。

やっと、ツチグモは戦いに勝つことができるのだ。勿論、そうなった場合、ヤトに相手を追い討つ気は無い。

アオヘビの集落に戻る。

戦士達は、かなり数が増えていた。援軍と、物資は、着実に送られてきている。しかしそれでも、あのヤマトの戦士達の圧倒的な数には抵抗できないだろう。

鉄についても、少しは状況がマシになったが。

やはり、まだ何か、もう一つの決め手が欲しい。

自分の穴に戻ると、卵がかなり良い状態になってきていた。死んだかと思った一つも、どうやら育っている様子だ。

四匹の蝮を育て上げるのに、それなりの時間が掛かる。

卵の側に座ると、ヤトは思うのだ。

何かを、可能な限り急いで見つけなければならない、と。

 

腕組みして調練を確認していたタケルの元に、チカラオが戻ってくる。表情からして、結果は明白だった。

「駄目だったか」

「はい。 予想以上の頑固者にて。 いや、しかし。 あの女は相当な切れ者である事に間違いは無い様子です。 何か勝算があるのやも知れません」

「ならば叩いて力の差を分からせるだけだ」

訓練は、後少しで終わる。

今まで此処にいた惰弱な兵士達も、タケルがしっかり鍛え直して、別人のように表情が引き締まっている。

更に、森の中での戦いを想定して、幾つか特殊な訓練もしていた。

全員には、小型の笛を渡してある。土器を作るのと同じやり方で作った。吹き鳴らすと、高い音がでる。

接敵したときに用いるものだ。これを使う事によって、どこで戦いが起きたのか、すぐに分かる。

問題は、敵の奇襲を察知する能力の高さ。

まだ、それについては、からくりが掴めない。

「兵士達は怖じ気づいていないか」

「それに関しては、今の時点では問題ありません」

「そうか」

ツチグモは人間だ。

それを理解しているタケルは、知っている。奴らには超常の力など無い。そして、タケルはこうも考えている。

この世に神などいない。

不可思議な現象は、いずれ何かしらの形で説明がつくものだ。

これほど無味乾燥した考えの者は、大陸にも中々いない。大陸での権力闘争に敗れ、このアキツに来た渡来人は、そう言っていた。

だが、兵士達はそうでは無い。

ツチグモ由来の連中は、神を大まじめに信じている。そうで無い者達も、神を怖れる者が多い。

奇襲を察知している方法を調べ出さないと、色々面倒な事になるだろう。

ヤトとか言ったか。

本名を名乗ったという事は、相当な変わり者なのだろう。だが、おそらくいわゆる神がかりでは無いとみた。

つまり、何かからくりがある可能性が高い。

「クロヘビにいた女達を連れてこい」

「今更、何を聞かれるのですか」

「何か知っているかも知れん。 時間の無駄にはならないだろう」

奇襲を察知するからくりさえ分かってしまえば、対処法などいくらでもある。

肉を炙ってくるように、部下に指示。

タケルは肉が好きで、特に油が滴るようなよく焼けたものに目が無い。少し時間があると、体を動かすか、肉をほおばってしまう。

畑の方から、女達を連れてくるチカラオ。

タケルに平伏する女に、ヤトというミコについて聞いてみる。一人が知っていた。

「うちのミコだった女です」

「詳しく聞かせろ」

やはり収穫はあった。

幾つか、面白い話を知ることが出来た。

ヤトという女は、先代のミコが抜擢した新米であったそうだ。まだ若いという事もあって、集落の者達からは侮られていたという。

戦いなどでは積極的に前に出て、戦士達が冷や冷やする中戦っていたそうだ。弓は達者で、戦士達にもそうひけを取らなかったという。

体の方は特に強くも無い。

ただし、妙な力を持っていたという。

「集落が滅びた日、あの女は夜襲があるって一人で騒いでいまして。 正直、肝を冷やしました」

「どういうことか」

「はい。 我々は、ヤマトの皆様にくだって、夜襲を手引きしましたが。 後を付けられていた様子も無いのに、あの女は騒ぎ散らしていまして。 幸い、大人達は誰も信じていませんでしたが」

なるほど。

つまり、夜襲の察知はまぐれでは無かったという事だ。

完全に何かしらの必然性があった、という事なのだろう。これは厄介だ。

他の女にも話を聞いてみるが、ヤトの力の正体については、分かっていないようだった。女は男に比べて、無味乾燥した物事のとらえ方をする事が多い。

しかも噂好きだ。ヤトがどうやって夜襲を察知していたのか、女達なら知っているかと思ったのだが。

順番に話を聞いていく。

捕らえたり、くだったりした女は十二名ほど。残りは暴れたりしたので、別の集落や田畑に移してある。あまり五月蠅いようなら奴碑にするだけだが、今の時点ではそうした者はいない。

最後に話を聞いた者から、興味深い言葉が聞けた。

まだ若い女だが、ヤトのことを毛嫌いしていた。

「お前、名前は」

「カリハタといいます」

「では、カリハタ。 どうしてそうもヤトを嫌っていた」

「というよりも、同年代の女で、彼奴が好きな奴は、多分いなかったと思いますが」

女は言う。

ヤトという奴は、同年代の男女の誰からも距離を置いていたという。とにかく小賢しくて、誰かを先にけしかけて、後ろで結果を見て。隙を見て、美味しいところを横取りしていくような奴だったという。

しかし、先代のミコは、ヤトに次を託せる素質がある、と言ったという。

ミコの言葉は絶対だ。

何より、他にミコになれそうなものもいなかった。渋々、ヤトがミコになるのを認めたが。内心では嫌い抜いていたというのだ。

「彼奴、気味が悪かったんでさ」

「……」

話を聞いていて、引っかかるものがある。

今、アオヘビ集落に移ったヤトは、其処をある程度まとめている。それは、的確に夜襲を察知して、此方を撃退しているからか。

何故、クロヘビの時にはそうしなかった。

それほど狡猾に動けるのなら、どうして。

或いは、余程恐ろしい思いをして、心の何処かが壊れたか。その結果、非常に頭が切れる怪物的な奴が誕生した、のだろうか。

あり得ぬ話では無い。

タケル自身も、そうだったからだ。

その力の源は、こう呼ばれている。

狂気。

ヤトという女、タケルに近い狂気を秘めているのだろう。それならば、若くしてあれだけのことが出来るのにも、納得がいく。

「分かった。 下がるが良い」

褒美として、米を俵一つ分けてやる。女達は平伏して、米を受け取ると、畑に戻っていった。

既に女達にとって、ヤトはその程度の米で売る相手になっている、と言うわけだ。飼い慣らしているつもりはない。単純に、子供を産み育てることが出来るのが、嬉しいのだろう。

牛に引かれた車が来る。

油を満載している。見せつけるようにして、わざと運んできたのだ。森を火攻めにするという脅しである。

森の奥深くに追撃するのは骨だ。

出来れば、入り口近くで決定的な打撃を与えておきたい。

これ見よがしに油を見せびらかせば、必ず敵は出てくるだろう。

問題は、其処まで、どう引っ張るかだが。

「犬による警戒を少し減らせ」

「よろしいのですか」

「構わん。 油を狙ってくるようなら、むしろ好都合だ。 周囲に水を張って、いつでも消せるようにしておけ」

頭が切れる獣は、厄介だ。

既にタケルとヤトの戦いは、実際に刃を交える前から、始まっている。

敵を森の入り口付近で殲滅できなくても、油は戦略的にいくらでも使い道がある。タケルが打った手は、一つで複数の効力を示すものだ。

敵がどう出るか。

それが、タケルには、楽しみになり始めていた。

 

2、狩と網

 

夜に紛れて、偵察する。

ここのところ雨が弱く、どうも日中に偵察するのは難しかった。この時期はもう少し降っても良いのだが。今年は、少し森の幸が少ないかも知れない。

そうなると、鹿や鼠が木々を囓る。

木々が荒れれば、食い物が減る。そうなれば、熊が人間を襲うこともある。

この辺りにいる熊に襲われても人間が殺される事はまず無いが、怪我はする。そうなれば、場合によっては戦士としては致命的な事になりかねない。

ミコは、そういったとき。戦士達の不満を鎮めるのが役割の一つだ。神に祈るふりをしたり、何かしらの儀式をしたり。

いずれにしても、今年は良くない事が起こりすぎた。

これ以上は勘弁して欲しい。

野犬を途中で見かけたので、無造作に頭を射貫いた。他の戦士達もそれに倣って、眠っている野犬の不意を突いて皆殺しにする。悲鳴はほんのわずかしか上がらなかった。縄張りさえ侵さなければ攻撃してこない山犬と違って、彼奴らは厄介だ。集落から出ている女子供を襲うのは、だいたい野生化した犬なのだ。

口笛を吹いて他の戦士達を呼ぶ。

仕留めた野犬の群れを、集落に持ち帰るように指示。自分たちは、更に森の外縁に出る。

現在、集落に来ている戦士達は、合計で二百を越えた。

野犬のような駆除が必要な動物は、さっさと殺しておくに限る。食い物は、いくらあっても足りないからだ。

ヤトは頭を掻く。

毎日整え直さなければならない髪型が煩わしくてならない。

そういえば、鉄の刃を使えば、髪を容易に斬る事が出来るのでは無いのか。まあ、貴重な鉄を、そんな使い方をするようでは駄目だ。贅沢にもほどがありすぎる。

無言で歩いているヤトを、戦士達は最近尊重してくれるようになってきている。

予言をぴたりぴたりと当てるからだろう。

「ミコ、今日も偵察するだけか」

「隙があったら、敵にくだった女を殺す。 丁度雨も降っている。 視界が遮られている状態になれば、良いのだが」

勿論、戦士達には手を下させない。

彼らにとって、女を殺すのは最大の禁忌だ。

ミコにとっても良い事では無いのだが、今回はヤトが肩代わりするしか無い。隙が無いようなら、時間を掛けて、蝮たちを使うか。

森の外縁に出る。

ヤマトの奴らが、何かを運んでいる。

戦士達が前に出ようとするのを、手で止めた。臭いで分かる。油だ。

「彼奴ら、凄い量の油を運んでいやがる」

「そうなのか?」

分かっていない様子のシシに、戦士の一人が説明していた。油に火を付ければ、どうなるか。

やっと理解した様子で、シシがあんぐりと口を開けた。

「そりゃあ大変だ」

話すに任せておいて、ヤトは森の端を這うように進んで、多角的に様子を見ていく。そして、気付く。

普段は巡回している犬連れの戦士がいない。

月の様子を確認。

巡回している時間だ。この状況なら、なおさらだろうに。

「引くぞ」

「どうしてだ、隙だらけだろうに」

「おかしいと思わないか。 この状況で隙だらけなんだぞ。 敵も、油を狙われたら危ないことくらい、理解しているに決まっているだろう。 ましてや相手は、ヤマトでも最強のタケルだぞ」

分かっていないようなので、梟を周囲に放つ。

案の定、かなりの数の戦士が、臨戦態勢で待ち伏せている様子だ。下手に仕掛けると、かなり危ないだろう。

だが、あの量の油に、火を付けられれば。

一気に、この集落を、炎に包める可能性が高い。

誘惑に、心をくすぐられる。

罠をかいくぐって、火を放つことは可能だろうか。

一端皆を下げた後、説明する。周り中に伏兵がいることは分かっているのだが、罠をくぐって火を付けられないかと。

使うなら火矢だが、着火してから速射しなければまず駄目だろう。

しかも、よく見ると、油はまとめておかれている。あの様子だと、着火しても、集落全てを焼き尽くすのは難しい。

「もしも、敵の裏を掻くとしたら、何が必要だろうか」

敢えて口に出してみる。

戦士達に、頭脳活動は一切期待していない。彼らは、ヤトがいうままに戦ってくれさえすればいい。

シシはぽかんとしているようで、ぼんやりと雨のしずくが木の枝から落ちている様子を見ていた。

他の戦士達も、小首を捻るばかりである。

見張りが来たので、少し下がる。犬は連れていない。

その場で射殺したくなる衝動に駆られるが、こらえた。隙があると言っても、殺せば色々面倒だ。それに、三人一組で動いている。簡単に殺す事は出来ないだろう。

「条件としては……」

まず第一に、油をぶちまける。

丸い容器に入っているようだから、それを零して廻れば良い。そして、逃げて、遠くから火矢で着火する。

着火するのと、容器の油をぶちまけるのは、別の戦士が良いだろう。

まとめられている油をぶちまけるには、計画的に動く必要がある。

やるなら、ヤトが。

いや、まて。

むしろこれは、別の方向に、目を向けるべきかも知れない。

梟の声を聞いて、集落のどの辺りに敵の伏兵がいるかはある程度把握している。今の時点では、敵に動きは無い。此方の動きを、ひたすらに待ち伏せしている、という事なのだろう。

それならば。

此方が関係無い動きをすれば、彼らは対応できない。

「焼き討ちは止めた。 むしろ、クロヘビの女共を殺す」

「どういうことだ」

「敵は罠に集中している、ということだ。 裏切った女達を殺すのには、最適の状況だと思わないか」

「……」

ヤトの冷酷な物言いに、戦士達が目を見合わせる。

別に構わない。

鹵獲した武器の中には、矢もある。そのまま、鉄の鏃がついている奴だ。

梟を飛ばして、敵の死角を冷静に割り出す。運が良いことに、雨脚がかなり強くなってきている。

女共がいる家は、場所を既に突き止めている。

そして、この間の印に気付くことは無かった様子だ。まだ、そのままぶら下がっていた。

雨の中、ヤトは弓を引く。

きりきりと、弓が軋む音。家には入り口があって、布が掛かっているが。中はそのまま覗くことが出来る。

中には、四人の女が眠っている。特徴からして、どれが元クロヘビ集落の女かは、一目で分かった。

雷が、遠くに落ちた。

同時に、ヤトは、矢から指を離した。

首筋に矢が突き刺さる。うめき声。女がもがいていたが、すぐに息絶える。

更に、第二矢をつがえた。

もう一人が、今のうめき声で、目を覚ましたようだ。辺りを見回して、そして、死体に気付いた。

声を上げようとした女の側頭部に、直撃させる。

女が弾かれたように倒れて、痙攣しているのが見えた。当たり所は完璧。即死だ。

無言のまま、雨の中を離れた。

鉄の鏃を二つ失ったが、充分。

だが、すぐに寝ていたもう二人が気付くだろう。できる限り急いで、この場を離れる必要がある。

森の中に逃げ込んでも、安心は出来ない。

「首尾は」

「殺った。 だが、まだ多くクロヘビの女はいるだろうな」

一人や二人が裏切ったとは思えないのだ。

他も見つけ出して、全部殺す。探すのは、カラスと梟たちにやらせる。

今は、とにかく。雨に紛れて、この場を離れる事だった。

元々、クロヘビ集落の女には、ヤトを嫌っている者、侮っている者も多かった。罪悪感がまるでわかないのは、それが理由なのかも知れない。

 

死体を見聞したタケルは、舌打ちした。

こわごわ此方を見ている兵士達を一喝する。

「死体を運び出せ! ……丁寧に葬ってやるのだぞ」

「分かりました!」

兵士達が、死んだ女達の死骸を運び出してくる。

一人はカリハタ。昨日、最後に話を聞いた女だ。寝ているところに、首筋を撃たれたらしい。

苦しまずに死んだのが、幸いだろう。矢がつき立ったままになっていた。矢を抜く暇さえ無かった、という事だ。苦しむ場合、だいたい矢を無理に引き抜いたり、或いは折ったりしてしまう。

もう一人も、クロヘビ集落の出身者だ。

此方に至っては、こめかみを正確に射貫かれている。矢は頭のかなり奥まで入り込んでいて、カリハタより更に楽に、一瞬で絶命したようだ。

的確に、二人を探し出して、殺したという事か。

どうやったのかが分からない。まさか、この中に、敵の密偵が紛れ込んでいるのか。いや、それは考えにくい。

ツチグモの連中は、原始的な習慣を守っている者どもだ。

其処まで器用なことが出来るとは思えない。

拠点の中に入り込まれた事については、どうしてかは分かる。油の警戒と伏兵に力を入れていた、隙を突かれたのだ。

ヤトという女、やはり頭が回る。

一瞬でこの拠点を焼き尽くせるかも知れない好機を目の前にぶら下げてやっても、食いついては来なかった。

「油の警備は固めておけ」

「分かりました」

兵士達が、警備に戻る。

あれは、存在するだけで相手に対する警告になる。片付けずに、見せびらかしておいた方が良いだろう。

勿論、次からは警備に隙を作らない。

殺された二人と一緒に寝ていた女達は、完全に混乱していた。恐怖にすくみ上がってしまっていたと言っても良い。

何が何だか分からなかったと、二人は言うのだ。

起きたら、いつの間にか、死んでいた。

夜中に少しだけ音がしたような気がしたとは、その内の一人はいった。だが雨の中、気付かない程度の音だった、という事なのだろう。

既に雨は止んでいる。

口惜しいことに、足跡も残っていない。犬による追跡も空振りに終わった。臭い自体は捕まえたのだが、森の中に入ると、犬は困惑して尻尾を巻いてしまうのだ。奴らにとって、森は完全に庭も同じ。

あらゆる所に、臭いが残っている。

そうなると、もはや犬には追えないのだ。犬が新しい臭いと古い臭いを区別できないことは、タケルも知っている。

兵士達が、不安そうにしているのを、タケルは見て思う。

此奴らは、女達が矢で殺されたという事を、忘れてしまっている。つまり結局の所、何かしらの形で、人間が合理的に犯行を行った、という事だ。

ヤトというあのツチグモのミコが、神か何かの力を借りて、殺したのでは無いかと言う恐怖が、兵士達を包んでいる。

元クロヘビ集落の女達が来た。

全員、青ざめている。

「タケル様」

「分かっている。 警備には万全を尽くす」

女達にはそれ以上応えず、そのまま家に帰る。

軍を出立させる前に、困った事態になった。

 

警備がぐっと厚くなった。

夜闇に乗じて、また森を出てきたヤトは、それを感じた。木陰に隠れながら、手をさしのべると、ツキヨが降りてくる。

梟は、女達を見つけていた。

合計五人。

どこの家に戻ったかも、既に確認している。

ただし、今夜は殺さない。

今日は、カルノを連れてきている。カルノは片腕だけだが、槍を構えたまま、茂みの奥に伏せて、いつでも命令があれば飛び出そうとしていた。

他にも戦士が四人いる。

いずれも、手練ればかり。

「敵が多いな」

「ああ。 仕掛けるのは難しいだろう。 だが、何かしらの隙が無いか、様子は見る」

今晩は、昨日のように伏兵はいないようだ。

隙も敢えて作っていない。

つまり罠を張っているのでは無く、完全に守りを固めているとみて良いだろう。タケルが、どうして守りに入ったのかは分からない。

ヤトが動物たちを使って、偵察をしている事は見抜かれていないとみて良い。

戦士達にも教えていないのだ。ヤトが動物を操っていることは知っているようだが、具体的にどうしているかは、誰も分かっていない。

この秘密は、誰にも喋る気は無い。

ただし、クマのミコ辺りは、或いは勘付いているかも知れない。

敵の偉い奴が来た。確かチカラオという男だ。

兵士達に、あれこれ指示をしている。今日はヨロイを身につけていた。あのヨロイの隙間を抜いて、首や顔を撃つのはかなり難しい。

「良いか、犬の子一匹見逃すな!」

「分かりました!」

数人がひとかたまりになって、ばたばたと走り回っている。

これは夜襲は無理だ。そうヤトは判断した。

森の外縁を通って、彼方此方を見て廻る。

河の側に出る。

相手もよく考えていると、この辺りに来ると感じ取れる。河を使って侵入できないように、色々と工夫がされているのだ。

見ると河の周辺は意図的に木が伐採されており、犬を連れた見張りが常駐している。そればかりか、川の中には、時々杭のような木が撃ち込まれていて、簡単には通れないようになっている。

此処も、無理か。

だが、焦ったら終わりだ。

ヤマトの奴らは人数がとにかく多い。それを利用して、交代しながら見張りをしているらしい。

それは此処一月ほどで掴めた。

何か、それに乗ずる隙は無いのか。

戦士の一人が来た。

「油がまた運ばれてる! かなりの量だ!」

「分かっている」

いつでも、森を焼き尽くせるという意思表示。

勿論戦士達は、集落に戻ったら皆に話すだろう。此方も、かなり追い詰められてきている。

この間の戦いには勝った。

裏切り者の暗殺にも成功した。

だが、どうしても、ヤトが勝っているようには思えないのだ。相手に多少の傷を負わせたかも知れないが、ただそれだけ。

相手はまるで苦にしていない。致命傷どころか、かすり傷にさえなっていない。

この警備を見ても、非常に冷静だ。焦っている様子が見えないのである。

更に言うと、警備に全員が出てきているわけでもない。

敵の大半は、ゆっくり休んで英気を養い、戦いに備えているように思えるのだった。

明け方近くまで待つが、結局隙は見えず。

戦士達を促して、戻る事にする。

これ以上居座ると、敵に発見される可能性が上がる。一度発見されてしまえば、もう終わりだ。

此方は圧倒的少数。

しかも、今のところ優れているのは、動物たちを使った早期警戒が出来る点しか無い。この様子だと、タケルという男、ツチグモとの戦いになれている。どうすれば奇襲を防げるのか、完全に熟知しているとみて良かった。

集落に戻ると、戦士の一人が、手招きする。

何かあったのだろうか。

夜明け近くまで、敵の集落に張り付いていたのだ。少し頭が、ぼんやりしている。ここのところ、昼夜関係無い生活をしていたから、体に無理が掛かっているのかも知れなかった。

「ミコ。 オロチの連中が、呼んでいた」

「どうした。 何かあったか」

「鉄を作る準備が出来た、とか言っていた」

何度かの折衝の結果、既に谷には薪が集められている。オロチの老人の話によると、一回鉄を作るには、充分な量、という事だった。

問題は、オロチの老人が言っていた、煙などが出す害だが。

それはまず鉄を作らせて、それから試すしか無い。

幸い、敵は今のところ、守りに入っている。

攻勢に出られたとしても、すぐに分かるし。何より、アオヘビには今、二百人以上の戦士がいる。

簡単には落ちない。

「分かった。 確認に出向く」

数人の戦士を連れて、すぐにアオヘビの集落を出た。

休んでいる暇は、当分得られないらしかった。

 

3、鉄の炉

 

谷に入ると、異様なものが目についた。

護衛兼監視の戦士達も、皆が不安そうにそれを見ている。

それは、土で作られた筒とでも言うべきものだった。

地面にへばりつくようにして作られたそれは、見た目芋虫のようである。大きさは人間の数倍ほど。

そして、その中を、風が吹き抜ける構造になっているようだ。

「待っていたぞ」

「これが、鉄を作るためのものか」

「そうだ」

以前説明はされていたが、ぴんとは来なかった。

実際形にされると、なるほど。これは驚かされる。芋虫と言うよりも、巨大な蛇が近いかも知れない。

中を覗かせてもらう。

坂に沿って作られていて、中を風が吹き抜けやすいようになっていた。

今、丁度良い具合に、風が吹き下ろし続けている。

若いオロチの者達が、黒い砂をかなりの量、筒の中に詰め込んでいた。なにやら土をすくうための道具らしい、棒と平たい板を組み合わせた道具で、運んでは放り込んでいる。

「此処に薪を入れて、七日間火を灯し続ける。 その間、風が吹き続ければ、鉄になる」

「意外に簡単だな」

「いや、そうでもない」

老人が説明してくれたが。

薪をどう配分するか、黒い砂をどう配置するかで、かなり変わってくると言うのだ。

更に、風の吹き方次第で、入り口の調整もしなければならない。

集められた薪では、この炉の分の鉄しか作れない。そうも、老人は言った。

「で、やってしまって構わないのかね」

「まずは、この炉の分だけだ」

「わかった。 それでは取りかかろう」

老人が指示をする。

既に幾らかの薪が、炉の中に入れられていた。

其処へ、火を灯す。

どういう手段を用いたのか、薪はかなり乾燥していた。其処に火を入れるのだから、一気に燃え上がる。

炉の尻の方から、炎が吹き上がったので、戦士達が小さな悲鳴を上げた。

ヤトは平然とみている。風が吹き込んでいる方にいるから、火に襲われる心配は無い。ただし、見ていて不安になる。

まず、風が吹き込むことによって、炉は凄まじい熱を帯び始めていた。

寸胴の形にされているわけである。

そうでなければ、周囲が焼けてしまう。それほどの熱を感じる。

炉の中は真っ赤になっていて、吹き続ける風によって、見る間に薪が燃え落ちていく。其処に、更に薪を加えていく。

煙が凄まじい。

黒かった砂が、赤熱しているのが、外からでも分かった。

「これ以上近づくと、危ないぞ」

「これは、人外の技だな」

「そうだな。 大陸では、かなり古くからある技術だ。 こうやって鉄をたくさん作る事で、戦いのやり方も全く違っているそうだ」

大陸の戦いは、だから根本的に違うと、老人は言う。ヨロイを着た戦士が、考えられないほどの数、殺しあうものなのだという。

そのようなことをしていたら、多くの人間が無駄に死ぬのでは無いかと思ったが、それは黙っていた。

谷を吹き下ろす風が、煙を運んでいく。

風下に行くと、煙で目がちかちかするのが分かった。

幸いこの辺りは荒れ野になっているが、この煙が森に直撃したらどうなるか。なるほど、オロチの者達が、周囲の人間に恨まれたわけだ。

言われていたことなのに。

実際に目にすると、どれだけの災厄が周囲に撒かれるのか、実感できる。

「ヤマトも、こんな風に、鉄を作っているのか」

「そうだ。 我らから奪った出雲で、今は大々的に作っているだろう。 出雲のタマガネが尽きるまでは、其処で。 尽きた後も、このアキツの島は多くの鉄が眠っているから、どこでも作れるだろうな。 もっとも、それがいつまで続くかは分からんが」

炉に土をかぶせるように、老人が指示。

どうやら、予想以上に、火の周りが速いらしい。

戦士が耳打ちしてくる。

あまり良くない話だった。だから、即座に老人に聞く。

「兎や鹿を、炉に入れていた、だと」

「ああ、それは我らが工夫だ。 炉に動物の亡骸を入れておくことで、鉄の出来が良くなるのだ」

噂によると、と。老人は敢えて言葉を区切った。

人間の死体が、一番鉄をよくするのだという。

なるほど、それは面白い。

殺した敵の戦士を炉に放り込めば、一石二鳥というわけだ。ヤマト側にもそれを喧伝すれば、此方を怖れさせる事も出来るだろう。

頭がおかしいと思わせることは有効だ。

普通の人間は、狂気を怖れる。

「一度鉄を作る事は許す。 それからは、此方の許可が出るまでは、作るな」

「どういうことだ」

「森への影響を見極める。 出来た鉄の質についても確認する」

それくらいはしておいた方が良いだろう。

ヤトは森に生きる民の長だ。

鉄という力は欲しい。実際ヤマトの連中から鉄を奪って使い、その破壊力には驚かされている。

だが、それでも。一番大事なのは、まず森なのだ。

ヤトがどう思っているかは、関係無い。戦士達やハハ達が、どう思うかが重要なのである。もしも彼らに愛想を尽かされるようでは、ただでさえ勝ち目が薄い戦いが、更に無理になってしまう。

元々ヤトは、考え方がツチグモの規範をはみ出し気味だ。

こういう点では、慎重に行動しなければならないだろう。

「いいのか、そんな悠長に行動していて」

「今のところ、鉄は足りている」

足りていないのは、供給能力だ。

敵と何回か戦えば、すぐに今ある鉄など尽きるだろう。それにオロチの老人が言っていたとおり、鉄にはさびるという弱点がある。長い間放置しておくと、使い物にならなくなるという意味で、供給はどうしても必要になってくる。

しかし、今はまだ実験段階だ。

他の集落からの力を借りるためにも、無理は出来ない。

此方を刺すように見ている視線には、先ほどから気付いている。オロチの若者の一人。好き勝手をさせないという理由で、ヤトを憎んでいる相手だ。

他の若者にも、同じように考えている奴がいる様子だ。

あまり長い間、放置は出来ないだろう。

最初の鉄が出来てから、対応はしてしまうとするか。そう、ヤトは決めた。

 

炉に火が入った、翌日。

今だヤマトの連中は、守りを固めている。ただし守りを固めているだけではない。

どうやら戦士達に、戦いの訓練をずっとさせている様子だ。このままだと、遠くない未来に確実に攻めてくるだろう。

前線の見張りはカラスと梟たちに任せ、ヤトはオロチの者達の様子を見に行く。

炉は、囂々と、凄まじい煙を吐き続けていた。

蓄えていた薪が、減ってきている。

これで足りると言っていたが。確かにこれは、本格的に作り始めたら、どれだけ必要か、知れたものでは無い。

風が吹き込む側は、さほど熱も強くない。

老人は、吹き込む側の様子を見ながら、時々薪を追加している様子だ。

風は相変わらず、一定を保って吹き続けている。

ヤトが見るところ、この風はしばらく止まない。少し風そのものがしけっているのが気になるが、炉は元気に燃えさかり続けていて、今のところ問題があるようには見えなかったが。

老人は眉をひそめ続けていた。

「少し風の質が悪い」

「此方で出来ることは?」

「薪の追加だな」

このままだと、薪が足りなくなると言う。

少し多めに薪は送ったのだが。それでも足りないというのか。

「雨が降り出した場合は、なおさらに多くの薪が必要になる。 早めに追加を出して欲しい」

「それで作れるのか。 鉄を」

「やってみないと分からん。 この分だと、作る事は出来るだろう。 ただし、質は保証せんぞ」

面倒な話だ。

ヤトは、アオヘビの集落に蓄えてある薪を廻すことを戦士達に指示。

アオヘビの集落にある薪は、元々立てこもりに備えているから、かなりの量である。ただし、送った後に、蓄えなければならないだろう。

それよりも気になるのはこの煙だ。

荒野にも煙が満ち始めている。風向き次第では、他の集落の森を直撃しかねない。更に鉄を増産するとなると、ほぼ確実に、森をむしばむだろう。

「鉄は、この方法でしか、作れないのか」

「大陸では、これより遙かに進んだ技術があると聞いている。 ヤマトは或いは持っているかも知れないが、我々はずっとヤマトから逃げ回っていた身だ。 実際に、新しい技術とやらを、見た事は無い」

「そうか。 厄介だな」

鉄を作るにしても、技術に差があるというか。

ヤマトは大人数を抱える、想像を絶する集団だ。そして数が違いすぎるという点が、此処で大きな力の差を生み出している。

カラスが嫌がって、谷に来ない。

外に出て、口笛を吹く。何羽かのカラスが飛んできて、肩に頭にとまった。鳴き声を分析すると、やはり煙が嫌なようだ。

捕まえておいた虫を与えて、空に放つ。

偵察に戻すのだ。

目をこする。

かなり目にも煙の毒が来ているようだ。カルノが、文句を垂れた。

「ミコ。 やっぱりあの鉄はやばい。 煙が森を滅ぼすぞ」

「分かっている」

「それでも力が必要か」

「勿論、我らは森の民だ。 森にとって必要以上の害になるのなら、鉄を作るのは見合わせなければならないだろう。 ただし、いつまでも備蓄の鉄でヤマトに勝てるとは思えない。 それは理解してくれ」

それにしても。

谷の出口から噴き出してくる煙の凄まじさ。そして、煙自体が帯びている毒が、嫌でも分かる。

ヤマトでは、これを更に大々的にやっているのだろうと思うと、めまいがする。

更に翌日も、様子を見に来た。

昨日よりは天気が良いが、それでも風は若干湿っている。戦士達が、薪を運び込んでいたが。老人の表情は、険しいままだった。

若者達に、何か叫んでいる。

「おい、ジン!」

「何だよ、親父」

「お前、俺が寝ているときに、薪の追加を怠ったな!」

「入れたよ、ちゃんと」

せせら笑っているのは、一番反抗的な例の若者だ。明らかに、手を抜いたことを認めている。

分かっていない様子だ。

それが、決定打になった事を。

ヤトは少し離れて見ている。

連中の会話くらいなら、全部聞こえる。興奮してきたからか、かなりなまりが強いが、それでも充分に理解は出来た。

「まあ、女としばらくやってないから、手元が狂ったかもな。 文句はあのちびっこい女に言えよ」

「私がどうかしたか」

姿を見せる。

青ざめたのは老人だけだ。ヤトが腰にツルギを帯びているから、余計に意図が理解できるのだろう。

「ああ、あんたか。 このままだと、ちゃんと鉄が作れないかも知れないぜ。 あはははは、どうするんだ、これから」

「そうかそうか。 私も一つ、面白い事を聞いている」

「……あん?」

「鉄を作るには、人間の死体を炉に放り込むのがいいらしいな」

ツルギの使い方は、まだ万全では無い。

だが、オロチの貧弱な、戦士でも無い奴くらいは、簡単だ。

多分、何が起きたかも認識できなかっただろう。

ヤトがツルギを振り抜いたときには。

ジンという若者の首は、胴体と泣き別れになっていた。

意図したことでは無かったが。その頭は転がった末、炉に放り込まれていた。

「ひっ……!」

反抗的な表情を浮かべていた他の若者が、見る間に青ざめる。

ヤトは咳払いすると、声を張り上げた。

「忘れるな。 お前達の命は、私が握っている! 多少の反抗的な態度には目をつぶってきたが、自分たちの立場を忘れるようなら、こうする! 一族もろとも滅びたくなければ、言うとおりに働け! そうすればいずれハハとつがいになる事も許してやる!」

ツルギを振るう。血を落とす。

地面に、びゅっといい音と共に、血が飛び散った。

そういえば、ツルギには溝が掘ってあるのだが。其処を血が通っていることに気付く。今更だが。

この溝の意味が最初分からなかったのだが。

なるほど、こういう意味があったのか。

血を抜くための構造というわけだ。

「馬鹿な奴だった。 だが、何も殺さなくても、貴方なら収められるのではなかったのかな」

老人が、避難するような目を向けてきた。

ヤトは大きく嘆息する。

他に方法は無かった。

「死体を炉に放り込んでおけ」

戦士達が、そそくさと、死体を炉に放り込む。

そして、オロチの若者達は、さっきと打って変わって、勤勉に働き始めていた。炉に入っていた火が、再び力を取り戻す。

炉に放り込んでおいた死体の事もある。

さぞや良い鉄が出来ることだろう。

「このツルギは預けておく。 取りに来るときまでに、直しておいてくれ」

「分かったよ。 だが、もう出来れば一族を殺さないでくれ。 生意気で愚かな若者だったが、これでも数少ない生き残りだったんだ」

老人は血を吐くように言う。

だが、ヤトから言わせれば。

状況を理解させるのも、長のつとめだったのではあるまいか。

この老人は、長い間逃げ続けてきて、感覚が麻痺している所があるのだろう。生きることを優先するばかり、教育を怠ってしまった。

その結果、一族を死なせたのだ。

「私にこれ以上斬らせるな。 言っておくのは、それだけだ」

首をはねる感触は、覚えた。

練習がもう少し必要だが、それでも実戦で充分役に立つ。

ツルギを使える戦士を、もう少し増やしておきたい。谷からアオヘビの集落に戻りながら、ヤトはそう思った。

 

二日経った。

ヤマトの集落では、戦士を鍛えることに終始している。ヤトが見たところ、これは近いうちに攻めこんでくる。

ヤトも既に森の中に戦士達を配置して、臨戦態勢に入っているが。

このままだと、押し返せるかどうかも分からない。

先の戦いで、勝ちに貢献した戦士達は、後ろに下げた。

これは先入観の無い戦士達を戦わせる方がいいと思ったからだ。そうしないと、敵を侮って掛かって、被害を増やす可能性が高い。

そろそろ、鉄が出来る頃でもある。

戦士達をつれて、谷に向かう。

流石に、炉に火を入れて時間が経つからか。谷から離れていても、一目で毒だと分かる煙が、漂うようになっていた。

谷に詰めている戦士達が、交代させて欲しいといってくるわけである。

それに老人が、あれほど痩せている理由も、よく分かった。

このような煙の中にいて、体がもつはずもない。

鉄は文字通り、森を焼き尽くす。

ヤマトの連中は、森に毒となるような事ばかりをする。コレを見ていても、それをよく理解できる。

森をどうしたいのだろう。

森がなくなったら、人間は生きていけなくなる。それは、ヤトにも確信できる。それなのに、何故もこうも、森を痛めつけるようなことを、大々的に出来るのだろう。

谷に入ったヤトは、口を押さえていた。

煙が更に酷くなっている。

炉は。

煙の中、辺りを見回す。老人が、槌を振るって、炉を壊している所だった。なにやら巨大な鉄の棒を使って、赤熱したものを取り出しては、先に貯めておいた水につけているようである。

老人が、視線で近づかないようにと、指示してくる。

ヤトも手を横に出して、護衛の戦士達に近づかないようにと、無言で促した。

「水を替えろ」

「分かった!」

若者達が走り回っている。

なるほど、どうやら鉄を作る作業は、最終段階に入ったらしい。水を取り替えては、取り出した紅い塊を放り込む。

凄まじい水蒸気が、その度に上がった。

たき火を消すときの水蒸気の比では無い。水を入れないと、すぐに干上がってしまうほどだ。

「水から上げろ」

平らな石の上に、赤熱した塊を置く。

そうして、老人は槌を振るいはじめた。

がん、がんと鋭い音が響く。

老人が槌を振るう度に、赤熱した塊が、伸ばされていった。驚くことに、あれだけ水を蒸発させたのに、まだ紅い。それだけの熱を持っている、という事だ。

周囲では、皆が同じような作業をしている。

若者達は、水を運ぶだけ。

比較的年かさの人間が、叩いて赤熱した塊を伸ばす。

「上手く行ったか」

「出来は並の上という所だろう。 途中で熱が落ちなければ、特上の鉄になったのだろうが、な」

ジンを失ったことを、老人はもう悔いてはいないようだった。

それでいい。

見ていると、鉄は四角い塊へと姿を変えていく。薄い板のような形状だ。

何となく、分かってきた。

そうすることで、後の加工をやりやすくする、と言うのだろう。

「早速で悪いが、槍の穂先と鏃を中心に加工してくれ。 ツルギも一振り、可能な限り強いのを作ってくれるか」

「穂先と鏃は分かるが、ツルギは余っていると言っていなかったか」

「私が使う。 ツルギの使い方は、少しずつ分かってきた。 ただし実戦で試すには、まだ分からない事が多い」

ヤトも森の中で生きてきた。

人間の体をどうすれば壊れるかくらいは理解している。

実際にこの間首をはねたときも、骨を避けるように斬った。それくらいは、手が覚えているのだ。

骨を断つのでは無く、血管を断つ。

首をはねたのは、あくまで余技。

そうすることで、人は殺せるのだ。

「実戦で十人も殺せば覚えるだろう。 そのためには、もう少しツルギがいる。 覚えた後に、強いツルギを使えば、ヤマトの連中を更に効率よく殺せるだろう」

「本気で貴方は鬼のようだ。 禍々しい神にも思える」

「それも結構」

それでヤマトの連中がヤトを怖れてくれるなら、言うことが無い。

人間だとは思わせない。

摩訶不思議な力を持つ、神にも通じる存在だと思わせる。ミコはそうすることで、荒くれの戦士達を統率してきたのだ。

ヤマトの連中には、今の時点ではそれが通じていない。

この間の暗殺で、少しは怖れさせる事が出来ただろうか。これから、もっと恐怖を積み重ねなければならない。

そうか。

いずれ、ヤトを祟りをなす恐ろしいカミだと思わせれば良い。

如何にヤマトの連中が森を怖れず、喰らうとしても。カミを敵に回す勇気がある戦士は、あまり多くないはず。

「ツルギの事は、どうにかしておく」

「ああ。 頼む」

谷を離れると、何度か咳き込んだ。

後ろの戦士達は、もっと派手に咳き込んでいる。これでは、谷に近づく度に、寿命を削りそうだ。

「ミコ、あんな事を、何度もさせるのか」

「いや、止めた方が良いだろう」

薪が集まったら作らせる。それくらいで良いだろうと、今の時点ではヤトも考えている。

それ以外の時は、ヤマトから奪った鉄の管理や修復、加工などをさせておけばいい。捕まえた捕虜も、オロチの連中を手伝わせれば、それで良いだろう。

クマの集落に、出来た槍の穂先を幾らか渡すように手配。

これは約束だから、当然のことだ。

あの鉄の板を、槍の穂先や鏃に加工するには、まだしばらくの時間が掛かると、老人は言っていた。

ただし、それなりの数に化けるとも。

百人分くらいの装備にはなると聞いて、ヤトは安心した。それならば、何度も何度も作らなくても、ある程度は大丈夫だろう。

アオヘビの集落に着く。

来るべき時が来たのは、その時だった。

「ミコ!」

飛び込んできたのは、カルノだ。

前線に出ていたカルノが来たと言うことは。何が起きたかは、明々白々過ぎるほどだった。

「来やがった! とんでも無い数だ!」

「分かった。 すぐに出向く」

後ろは、気にしなくても良い。

ならば、存分に戦えるというものだ。

ヤトはツルギを二本腰にぶら下げると、他の戦士達にも出るように指示。アオヘビの集落には、二十人を残す。

森の中で、敵を迎え撃つ。

数は五倍以上はいるだろうが。それでも、どうにかして食い止める。

森の中ならば、此方が有利なのだから。

 

4、敗退

 

葦毛の馬に跨がると、タケルは全軍に前進を命令していた。

鍛え抜いた一師の中心戦力、およそ八百。これに、元からの守備隊二百を加えて、一千。留守居にも、二百を残してある。

前衛を自分が務めるのは、森の中では戦況判断が難しいからだ。

チカラオは中軍に残した。

この戦いでは、最前線がタケルの居場所になる。危険も増すが、朝廷から賜った要所に鉄をちりばめた重厚な鎧を身につけているし、危険はさほど感じていない。ツチグモの戦士達は凶猛だが、戦い方は充分に理解している。

タケルは見るからに凶暴な外見をしている事を、理解している。

だから陣頭で、敢えて猛将として振る舞っているのだ。

一方で、タケルの側近達は、いつもいう。

タケルの用兵は極めて慎重で、見かけと一致していないと。それは自覚しているから、言われる度に苦笑いしてしまうのだった。

森の中に、全軍が進み始めた。

一部隊が十人ずつで、これが八十。

鱗状に部隊を配置して、それぞれが互いを支援する。

「敵はどれほどいると思う」

「さあな。 五十か、六十か」

「二百はいるだろう」

兵士達に、上からタケルが言う。

森の中でも戦えるように、訓練した馬だ。長大なタケルの体躯には若干窮屈な所はあるが、それでも兵士達の遙か上から見下ろすことになる。

「常に心がけることが一つある。 敵を侮るな。 訓練をしたお前達でも、ツチグモの戦士達を侮って掛かると危ないぞ。 ましてや数を誤認すれば、戦いは不利になる。 心しておけ」

「分かりました!」

「タケル将軍! あれを!」

兵士の一人が指さす。

どうやら、敵の前衛を発見した様子だった。前衛の幾つかの部隊が、既に交戦を開始している。

「全軍を進めよ」

タケル自身が加勢はしない。

敵の配置を見ながら、伝令を飛ばし、順番に支援部隊を投入していく。

やはり敵は森の利を生かして、走り回りながら弓矢を放ってきている。しかも、鏃には鉄を使って来ているようだ。

前回の戦いでの鹵獲品だろう。

これに対して、此方も同じように、矢を射かけさせる。

しばらくは射撃戦だ。

無言でタケルは、自分に飛んできた矢を、剣で切り払った。

反撃は別の部隊に任せる。今は、単純に、距離を確保していけばいい。

負傷者が後ろに運ばれていく。

また、敵の死骸も、ちらほらと見られはじめた。

「若干此方の被害が多いな」

「しかし、押しています」

「油断するな。 このまま陣形を堅持。 敵を散らしながら、更に前進する」

タケルが敵の司令官なら、後方に廻る事を考えるだろう。

だが、そうはさせない。

備えは、既にしてある。

 

ヤトは前線に向けて歩きながら、状況の確認を続けていた。

やはり敵の数は、最低でも千人くらいはいる。此方の五倍以上。その上、前線から戻ってくる戦士達の話を聞く限り、森の中でもまったく動きを乱していないというのだ。やはりあのタケルという男、相当に出来る。

味方の被害も、増えてきている。

このままだと、あまり良くない状況に陥るだろう。

口笛を吹いて、一端味方を撤退させる。

敵の動きを、乱さなければならない。

後ろに回るか。

しかし、その手は前回使った。今回も、上手く行くとは思えないのだ。

「後ろに回ったらどうだ。 火を付けるのなら、簡単だが」

「……」

敵が進んでくる。

此方が考えている時間を与えてはくれない。

物量を生かす戦い方だ。敵は確実に自分の抑えている土地を増やしながら、戦士を進めてくる。

もう少し先まで下がると、崖がある。

だが、それも前回、敵を防ぐために使った。今回も通用するだろうか。通用しない気がする。

もっとも、それも使い方次第だろう。

敵に反撃しながら下がる。

敵は十人くらいずつの戦士をまとめていて、攻撃を受けると他の戦士達が防御に廻ったり、支援をしたりするようだ。

一言で言うと、仕掛ける隙が見当たらない。

その上、中央にいる部隊は、油を入れている容器を、ベコに運ばせている。下手をすると、森が一気に火の海になりかねない。

まずい。

ヤトは焦る心を抑えようとするが、上手く行かない。

敵は不気味なくらい、全く隊列を崩さずに、森の中を進んでくる。ツチグモの戦士達も同じように恐怖感を抱きはじめているようだ。

それでは駄目だ。

敵の方が、ただでさえ数が多いのだ。恐怖など抱いたら、その時点で負けが確定する。

あのタケルという男、非常に粗暴な印象を受けたのに。

いざ戦って見ると、とんでも無く堅実なやり方をする。そして、その堅実さに、ただ押されるばかりだ。

敵の後方に廻るしか無いかも知れない。

此処は庭のような場所だ。敵は進めば、当然長く伸びるはず。後ろに回る隙も出来てくるだろう。

山の上まで上がられてしまうと、かなり厳しい。

アオヘビ集落の場所を、正確に把握されてしまうだろう。ただでさえ、クロヘビから裏切ったハハ達が、相手にはいるのだ。大まかな場所は、既にばれていると見て良い。

そして、今此処にいる、五倍程度の数に押されているのが問題だ。

オロチの老人の言葉が正しいなら、敵の物量はこんなものではない。

もしも、敵が本気を出したのなら。

坂にさしかかった。

敵が隊列を崩さないまま登ってくる。

見ると、杭のようなものを地面に撃ち込んでいる様子だ。あれは一体、どういう意味があるのだろう。

「おい、ミコ! このままだと押し切られるぞ!」

「分かっている。 石を落とせ!」

斜面にさしかかった敵に、上から岩を落とす。

少し前から準備していたものだ。

だが、敵はすぐに散って、岩をやり過ごす。前のように隊列を崩すようなこともないし、乱れもしない。

ツチグモの戦士達は一生懸命岩を転がすが。

たまに敵の戦士も巻き込まれる。

しかし目だった被害はない。

隊列は崩れるが、其処に矢を叩き込んでも、敵全体に混乱が伝わらないのだ。むしろ、坂の下からも矢を放ってくる。

それによる被害が、馬鹿にならなかった。

確実に押され続ける味方。

このままでは危険だと、ヤトは判断した。

口笛を吹いて、戦士達を下がらせる。敵は勢いに乗るかと思ったのだが、そうはならなかった。

むしろ、そのまましずしずと押してくる。

敵の中に馬が見えた。

それに跨がるタケルも。

彼奴を仕留めれば、敵は崩れるかも知れない。だが、一目で無理だと理解できた。分厚いヨロイを身につけていて、誰の腕でも、額は打ち抜けそうに無い。この距離だったら、のどか額をやらなければ倒せないだろう。

しかも、戦士の一人が言う。

「彼奴、ツルギで矢を切り落としやがった」

「……そうか。 ツルギの使い方に、相当慣れているのだな」

矢は普通避けるものだ。

切り落とすなどという事は、相当になれた武器で無ければ出来ない。

とにかく、だ。

この距離では、万が一も斃す事は出来ない。岩も尽きた以上、下がるしか無かった。後は、敵の背後を襲うことだが。

逃げて戻ってきた味方の損耗が、予想以上に激しい。

数にものを言わせる戦法が、図に当たっているのだ。敵をより多く倒してはいるようだが、味方の被害も大きい。そして、敵の被害は、味方のせいぜい数割増し。敵は五倍いるのだ。

兵力の差が、響いてきている。

これはまずい。

夜を待つ方が良いと、ヤトは判断した。

山を制圧される。

アオヘビの集落は、敵の視界に入った。谷の入り口は固めてあるが、あの数の敵が明日は殺到してくると思うと、ぞっとしない。

一度、無事だった戦士達をまとめて、アオヘビ集落の側まで下がる。

敵は山を制圧すると、邪魔な木を切り倒しはじめた。或いは、この辺りで神木とされている、あの木に気付くかも知れない。

もし気付かれると、非常にまずい。

戦士達を数える。

三十人が倒されていた。

敵は五十名ほどを失ったようだが。味方が170に対して、敵は950いる。しかも、増援を期待出来る敵に対して、味方はそうもいかない。

「すぐにクマの集落に、援軍を要求。 アオヘビの集落にいるハハと子供達は、すぐに集落の裏手の山に逃がせ」

「分かった」

「集落の中の方が安全じゃ無いのか」

「あの数の敵に囲まれて、都合良く逃げられると思うか。 これは、腰を据えて掛かるしかないぞ……」

ヤトは思わず臍をかんでいた。

小競り合いだが、これは完全に負けだ。それどころか、前の戦いの勝ちを、完全に取り返された形である。

敵は堅実にただ進むだけ。

それを守るだけで、勝った。

 

ヤトは夕闇になってから、強い戦士達三十名ほどと一緒に、森の中を動き始めた。

まず、アオヘビ集落の前の山を制圧した敵の様子を確認する。

たき火を持った敵が一定間隔に並んでいて、仕掛ける隙が全く無い。此処は駄目だ。後ろの方はどうなっている。

山の背後に回り込んで、調べていく。

杭が刺さっている辺りを、敵が巡回していた。いろいろな方法を使って調べたが、山には五百ほどがいると見て良いだろう。十人一組の敵が、五十以上は存在しているからだ。それ以外の敵は、抑えた地域に広く分散しているようだ。

この杭はまずいと、ヤトは思った。

おそらく敵が、森の中で位置を確認するために撃ち込んだものなのだろう。

しかし、かなり深く撃ち込まれていて、とても抜けるものではない。その上、かなりの数の犬が放されている。下手に近づくことも出来ない。

物量の、圧倒的な差。

差を生かす方法を知っている人間による、完璧な統率。

更に、敵の集落の方を探ってみて、愕然とした。

敵の兵が百ほど、手ぐすね引いて待っているのだ。それも臨戦態勢で、である。犬も多数いる。近づくと、気付かれる。

これは、背後から奇襲していたら、その時点で終わっていた。

状況が分かっていない戦士達に、教えておく。

「背後に回っていたら、あれに挟み撃ちにされていた」

「冗談だろ、おい」

「しかもこの杭を見て、敵は迅速に動けるようだな。 杭を抜くにしても、犬を連れた見張りがいるから、簡単にはいかない。 見張りを攻撃すれば、すぐに敵が押し寄せても来るだろう」

「くそっ!」

シシが喚いて、地面に槍の石突きを叩き付けた。

気持ちはよく分かる。ヤトもこれからどうしようかと、困り果てている所なのだ。

敵はとにかく、負けないことを最重要点として、戦士達を進めてきた。

明日には、アオヘビ集落の攻撃に入るだろう。簡単に落とされはしないつもりだが、すぐに戦いが終わるとも思えない。

夜襲を仕掛けようにも、敵に隙が無い今、どうしようもない。

梟が来た。

敵が近づいていると警告される。すぐに戦士達を促して、その場を離れた。

梟たちには、既にタケルのことを覚えさせてある。

奴が一人で行動するようなことがあれば、すぐに知らせるようにと命令はしてあるのだが。

今のところ、そんな隙を敵が見せたという、梟の報告は無かった。

まずい。

敵とは知恵の蓄積が違いすぎる。

あのタケルという男、ヤトなどとは比較にならないほどに戦闘の経験があるのだろう。だから、ヤトの打つ手を先読みしたように動いてきている。

夜闇に紛れ、一度アオヘビ集落に戻る。

退路はきちんと確保されている。勿論、敵に発見されないように、気をつけなければならない。

アオヘビ集落では、幾つかの集落から、速くも増援の戦士が来ていたが。

しかし、足りない。

増援は十名ほど。

今、味方の戦士は二百を割り込んでいる。敵が攻めこんできたら、もはやなすすべが無い。

敵が言うように、降参するか。

そんな声が聞こえた。

だが、ヤマトに降参すればどうなるか。戦士達は、まだいい。

ヤトは。

煮えたぎる復讐心を、どこにぶつければ良いのか。

山を見る。

たいまつは、動いていない。敵は動いていないとみて良いだろう。

休むと言い残して、自分の洞穴に。梟が戻ってきたので、目をこすりながら、鳴き声に耳を傾ける。

思わず、心臓が飛び出すかと思った。

「敵襲だ! 備えろ!」

慌てて、戦士達が集落の戸を閉める。

夜闇に紛れて、多数の敵が攻めてくるのが分かった。鏃に、何かを巻いている。おそらくは、油をしみこませた木綿か何かだろう。此方では、矢そのものに火を付けて用いている。火矢の仕組みさえ違うというのか。

一斉に、矢に火を付けて、放ってくる。

瞬く間に、集落に炎の雨が降り注いでいた。

入り口にも、次々炎の矢が突き刺さる。

消せ。

叫ぶ。

戦士達に、火を消させる。

ヤトは扉の上に登ると、弓を引き絞った。鉄の鏃がついている矢を、敵に向けて放つ。ひょうという風音の後、敵の一人が、眉間に矢を生やして横転した。

流石鉄だ。

この距離なら、一撃必殺か。

勇気づけられた戦士達が、次々に扉や崖の上に登って、矢を放ちはじめる。敵は下がりはじめたが、追撃はさせない。

敵の数は五十やそこらだ。明らかに、後ろに敵の本体が控えている。

既に集落の中の火は消えていた。

ヤトは敵陣を見つめていたが、動きは無い。あくびをかみ殺した瞬間。

耳の脇を、矢が飛びすぎた。

慌てて身を低くする。もしももう少し左にいたら、額に突き刺さって、全てが終わっていた。

敵がまた来たのだ。

まだ夜明け前だというのに、敵は元気極まりない。戦士達を叩き起こして、応戦させる。また敵の数は五十ほどで、応戦するとすぐに逃げていった。ヤトは一人を撃ち殺したが、死体は残っていない。敵が担いでいったようだ。

扉の前には、何も残っていない。

そして、頑丈極まりない扉には。無数の矢が突き刺さり、焦げ付いていた。さっきまで燃えていた矢まである。

「まずい……」

思わず、ヤトは口を押さえていた。

敵は数を利用している。

つまり交代で此方に、嫌がらせの攻撃を続けるつもりだ。

眠らせない。

休ませない。

対応すればさっと逃げ、此方が引っ込めばすぐに炎の矢を叩き込んでくる。そして、此方が消耗しきったところで、本腰を入れて攻撃してくるつもりだろう。

しかも、敵には百名ほどが遊撃として控えている。

下手にこの集落を出て動き回れば、捕捉される可能性が高い。

扉を降りる。

四回の攻撃で、戦士達は疲弊しているのが分かった。疲れが酷いものから、順番に休ませる。

既に日は高くなり始めていた。

最悪なことに、山からヤマトの連中は、此方を監視できているとみて良い。隙を見せれば、すぐに攻撃部隊を繰り出してくるだろう。

水の準備もさせた。

「ミコ、お前も休め」

「ああ、そうす……」

「敵襲だ!」

また来たか。

責任ある立場である以上、休むわけにはいかない。

すぐに扉の上に登る。扉の前には、さっきより更に多くの敵がいて、積極的に炎の矢を撃ち込んできていた。

ヤトが速射して、二人を射倒す。

一人は即死させられなかった。首筋に刺さったのだが、しばらくもがいて苦しんでいた。

鉄の鏃の消耗が激しい。敵の矢を拾い集めて、使った方が良いかもしれない。間もなく、襲撃は終わった。追い払った敵は、若干の死体を引きずって、逃げていった。

この様子だと、またすぐに来るだろう。

「撃ち込まれた矢を拾って、使えそうな鏃を集めておけ」

「ミコ!」

気がつくと、後ろに倒れそうになっていた。

体力が無い事が、口惜しい。

一晩中戦い続けていたのだから、無理も無いのかも知れないが。しかし、支えられるのは、悔しかった。

扉から降りて、無理矢理に洞穴に放り込まれる。

休んでおけというのだろう。

私がいなくて、お前達だけで、襲撃を防ぎきれるか。その先に、どうすればいいのか、考えられるのか。

そう叫ぼうとしたが。

既に、限界に来ていた体力は、瞼を鉄より重くしていた。

そのまま、崩れるように倒れると。

ヤトは、疲弊から来た睡眠を。まるで犬が肉をむさぼり喰うように、貪欲に味わいはじめていた。

 

(続)