猛る炎の蛇

 

序、森に迫る力

 

良い具合に、雨が降り始めた。

今の時期は、雨が降る事で、かなり視界が悪くなる。森の中でなら、慣れていない人間なら、追うことは不可能にもなるほどだ。

だが、ヤトは違う。

幼い頃から、森の中は散々走り回ってきた。多少視界が悪いくらいで、どうにかなるほどヤワでは無い。

戦士達数人をつれて、ヤトは集落を出る。

今日は昼に偵察に出ると言っておいたから、戦士達も驚くことは無かった。だが、不満はやはり、隠しきれない様子だ。

森を焼くなんて、冗談じゃ無い。

熟練の戦士が何人か、そういって反対した。

今の時点では、ヤトもどこをどうするとは決めていない。それに、ミコ達の賛成を得られなければ、どうにもならないだろう。

いきなり鉄を得るというのが、そもそも無理なのだとすれば。

せめて青銅をたくさん手に入れることが出来れば、話は違ってくる。武器を作る事も簡単になるし、ヤマトの奴らとも戦えるようになるだろう。どちらにしても、ヤマトと此方では人間の数が違いすぎる。

力に差がありすぎるのだ。

その状態で、敵を知らなかったら、勝てる訳も無い。

それこそ、鹿を屈強な男が捻り倒すように。簡単に締められてしまうだろう。

いずれにしても、あのオロチの者達は、今後の苦境を打開するためには、絶対に必要な存在だ。

雨がかなり強くなってきた。

森の中だと、上手に歩けば雨が降ってきても濡れない。此処にいる皆は、器用に濡れる場所を避けながら、ヤトを守るようにして歩いている。

鳥たちは木陰で様子を見ているはずだ。

彼らは雨を嫌う。

ある程度距離を離して歩くように、皆に指示。

奇襲を受ける可能性が大きくなったからだ。その場合、広く展開していた方が、対処がしやすくなる。

鳥以外にも、何か飼うべきだろうかとも、こういうときに思う。

一番視界が広くて、なおかつ飼いやすく、頭が良い動物が鳥だ。

だが、手なずけておけば、役に立つ動物は他にもいる。

熊は流石に難しいだろう。猪も同様。あっという間に増えるし、力が強いから、管理が難しい。

犬は他にも飼っているし、何より集落でもかなりの数が狩に守りに役立っている。今更、犬を増やすことに、意味は感じない。

猿は手間が掛かるから、頭が良くてもあまり使いたくない。

そうなってくると。

蛇か。

とくに蝮や赤楝蛇は、猛毒を持っているし、ちゃんと飼えば飼い主と敵の見分けくらいはつく。

問題は、あまり頭が良くないことだ。多分敵と味方の区別は付かないだろう。

いざというとき、身を守るために、忍ばせておくのもいい。

検討はしておこうと、歩きながらヤトは思った。

不意に、光が差し込んでくる。

森を出たのだ。

木陰に身を潜め、相手の様子をうかがう。雨にも関わらず、大勢の人間が働いていた。殆どは、此方と姿が変わらない。衣服に関してもだいたい同じだが、毛皮を着けない代わりに、木綿を多めに纏っている様子だ。

相手の戦士もいる。

ただ見ると、槍に布をかぶせている。

思い出す。オロチの老人に聞いたが、青銅や鉄は、雨に弱いと。おそらく、それが原因だろう。無茶な使い方をすると、すぐに駄目になるのだとか。

そう言う意味では、石の方が、ましな点もあると。

「前に出すぎるな。 気付かれる」

「ああ、分かってる」

「しかし彼奴ら、何をしているんだ」

見ていると、地面を均一に掘り返している。ベコも働かせているようだ。やはり車を使って、大量の土砂を一気に運ばせている。

気付いたのは、ヤトが最初だった。

何かを土に埋めている。

目をこらすと、小さな何かだ。ひょっとすると、アレは植物の種。

なるほど、そう言うことか。

オロチの老人から聞いた稲作という奴かも知れない。もし違うとしても、だいたい何かは見当がついた。

ヤマトの奴らは、植物を育てて、喰うというのだ。

稲作で育てるのも、米という植物であるらしい。似たような植物を、色々、ああやって地面に植えているのかも知れない。

つまり、ヤマトの連中は。森を喰らって、自分の都合が良い管理できる森を作り、それで喰っている、というわけか。

人間にとって、森や山は大いなる力そのもの。

それを管理することで、爆発的に数を増やしている。なるほどと、ヤトは思った。それならば、合点もいく。

「おい、何か分かったのか」

「ああ。 一つ、ヤマトについて、理解できた」

犬を連れた見張りが来たので、戦士達を促して下がる。今の時点で、奴らはこれ以上森を喰らう気は無いようだし、一端下がる方が良いだろう。だが、それも時間の問題だ。もたもたしていると、もっと森を喰らいに来るはずである。

腕組みして、ヤトは考え込む。

カミを管理するという発想は無かった。

何となく敵の強大さを理解したと思っていたが、知れば知るほどヤマトは凄まじい。どうしてこのような力を得ることが出来たのか。

それが分かれば、対抗できるのだろうか。

いや、難しいだろう。

同じやり方では、とてもではないが、ヤマトの奴らに勝つことはできない。ヤトの目的は、奴らに勝つことだ。

皆殺しに出来ればしたい。だが不可能だろう。相手の数が多すぎる。

だが、可能なら。奴らを追い払ってしまいたい。

犬がいったので、再び監視に戻る。

気付く。

クロヘビ集落の女達を見つけた。働かされている。だが、他の者達と同じで、粛々と作業にいそしんでいた。

ハハだろうが、そうでなかろうが、関係が無いようだ。

他の戦士達も気付く。歯ぎしりしている皆をよそに、ヤトは下がり、カラスを何羽か呼び寄せた。

そして、見張るように指示。どの家に戻ったか分かれば、或いは接触が図れるかも知れない。

勿論危険を伴う。

オロチの老人がいっていたように、ヤマトの生活が豊かで、受け入れてしまう民が多いというのなら。

ヤトが来たことを、ヤマトの連中に話しかねないからだ。

「おい、ミコ! クロヘビの女達がいたぞ! 助けないのか!」

「落ち着け。 あの人数の見張りがいる中に、これだけで飛び込むつもりか。 しかも相手は犬で見張りを守り、武器は最低でも青銅、鉄を持っている奴も結構いるんだぞ」

それに、ヤトは見た。

敵の持っている弓の大きさを。

此方の使っている弓とは、大きさでも構造でも比較にならないように見えた。森の外を出てしまえば、勝ち目が無い。

ましてや、昼間に戦って、どうにかなるとは思えない。

「それに、ヤマトの生活をよしとしてしまっていたら、戻る気は無いというだろう」

「そんな、馬鹿な……」

「オロチの老人に聞いたが……」

ヤマトでは、子供のうち、三人に二人は育てることが出来るというのだ。

聞いていて驚いた。

ツチグモでは、その半分だ。だから、多くの子供を育て上げたハハの偉大さが際立つ。実際、ヤトの兄弟姉妹も、五人いたうちヤトともう一人しか生き残れなかった。生き残った弟は、ヤマトの夜襲で死んだ。

「人間の数そのものが多いのと、食べているものが良いからだそうだ。 子供を育てるための知恵も行き渡っていて、獣に殺される可能性も低いらしい」

「それで、あっちにいく奴もいるのか」

「そうなるな。 いずれにしても、様子を見る」

最初、ヤトはヤマトに奪われた女達は、悲惨な生活をしていると思っていた。

だが見ている限りは、自主的に働いているようにさえ見える。向こうでの生活は、案外快適なのかも知れない。

もっとも、見張られながら仕事をしているようにも見える。

一概に、あちらが良いとは言い切れないように思えるが。まあ、それは見ただけでは、どうにも判断できない。推論以上の事は出来なかった。

雨が小降りになってきた。

これ以上、偵察するのは不可能だろう。夜を待つしか無い。

「集落に戻って休むぞ。 奴らが何を昼間にしているかは分かった。 それに、クロヘビの者達が幾らか生きている事も、な」

「どうしてそんなに冷静なんだよ。 あんたの言うことを聞かなかった連中とは言え、集落の人間なんだぞ」

「今更失うものなんて無いからな。 それに騒いだところで、誰かが一人でも助かるというのか」

我ながら冷酷な物言いだと思う。

というよりも、ヤトは明らかに、あの夜襲の日以来変わった。前はもっと落ち着きが無い性格であったような気がする。

あの日、大事な人間が根こそぎ目の前から消えて。

おそらく、心の何処かが壊れてしまったのだろう。

後ろ髪を引かれている様子の戦士達を促して、集落に戻る。

自分の穴に戻ってから、木綿で顔を拭って、嘆息した。

火に当たって体を温めようかと思ったが、丁度カラスが戻ってくる。そろそろ夜になるし、今のうちに知らせておこうというのだろう。

鳴き声から、クロヘビの女達がどの家に入ったか、見つけたと確認。

なるほど、これで接触を図ることが出来る。

いずれにしても、今のうちに、休んでおいた方が良いだろう。空を見る限り、明日も雨が降る可能性が高い。

雨が激しくなるようなら、今日以上に、大胆に相手を偵察できる。

勿論命がけの作業になる。

力を蓄える事が必須だ。

肉をかじっていると、穴の入り口に、人の気配。オロチの老人に、時間があったら話を聞いておこうと思って、帰り際に呼んでおいたのだ。

老人も暇だったと見えて、すぐに来てくれた。

「何だ、またヤマトの様子を見に行っていたのか」

「ああ。 見れば見るほど、力の差を実感する」

「まさか、まだ勝てる気でいるのか」

「おそらく、森の外では無理だろうな。 だが、森に相手を引きずり込めば、負けないことは出来る」

老人が、目を細めた。

この老人、出雲なる場所から此方に来たと、以前言っていた。老人の話によると、この辺りは常陸というらしい。

「さて、今日は何を聞きたい」

今まで、自分たちは、あまりにも何も知らなかった。

だから、老人の言葉は、何もかもが重要だった。

 

1、鉄

 

老人が見せたのは、黒っぽい土だ。

これを加工することで、鉄になるのだという。

ただし、鉄にするには、多くの過程を経る必要があるとも。

老人が指定したのは、一定の風が、ずっと吹き続けている斜面。幾つか心当たりがあるというと、老人は鷹揚に頷いた。

「見せて貰えるか」

「一番近い斜面は、彼処だ」

指したのは、アオヘビ集落の谷の裏側。

殆ど木も生えておらず、荒野になっている。その辺りだったら、別に焼こうが煮ようが、集落の者も文句を言わないだろう。

だが、案内すると、オロチの老人は頭を振る。

「駄目だな、この程度の風では」

「もっと強い風が必要か」

「うむ」

残念な話だ。流石に、そう上手くは行かないと言うことか。

順番に、風が吹き下ろしている場所を、案内していく。

この近くには山が多い。一番大きな山は、クマの集落の近くにある。其処にはかなり大きな谷があって、此処よりもずっと強い風も吹いている。

ただし、勿論、用いるにはクマの集落に話を付けなければならないだろう。

あれから戦士を何度かやりとりさせて話をした。勿論、何度かはヤト自身も出向いて、話した。

それで分かったのだが。

クマの集落では、オロチの老人達を怖れている。

未知の情報を多数持っているだけではなく、ヤマトに追われている者達をかくまうという事を、避けたいようだった。

つまり、ヤマトと戦いたくないのだろう。

アオヘビの戦士の中には憤慨する者もいるが、今ではヤトにも分かる。きっと、クマの集落では、クロヘビが落ちる前から、ヤマトについて調査を続けていたのだろう。そして、その想像を絶する巨大さを、知っていたに違いない。

戦いは全てアオヘビに押しつける。

そして、アオヘビが陥落したら、ヤマトにくだることも、視野に入れているに違いなかった。

あの老獪なクマのミコのことだ。

いざとなったら、アオヘビの事は見捨てるだろう。その時は、逃げてきたアオヘビの戦士達を、捕らえてヤマトに引き渡す位のことはしかねない。

幾つかの谷を案内する。

数日がかりの作業になった。老人はさんざん山や森を歩いても、文句を一つも言わなかった。

老人が満足そうにした谷が出たのは、調べ始めてから三日目のこと。

其処は、事もあろうに。イノムシの集落の近く。

あれからイノムシは、完全に此方を目の敵にしている。クマの集落で話を聞く限り、他の集落に、アオヘビの集落と、ヤトについての悪口を言いふらしてもいるらしい。

とはいっても、アオヘビの集落と一緒に戦う事を決めた者達は、今の時点では揺らいだりはしていない。

ただし、長引くとどうなるか分からない。悪口は、集落で大きな発言権を持つハハ達の大好物だからだ。

頭が痛い問題だ。

イノムシの集落は、まだヤマトの恐ろしさを理解していない。

更にいえば、ヤマトの集落がアオヘビに手を焼いた場合、イノムシを懐柔しに掛かる可能性も低くは無い。

その場合、アオヘビは側背にも敵を抱えることになる。

勿論、この場所に鉄を作る場所をこさえる場合は、生命線を抑えられてしまうことになるだろう。

「此処は無理だ」

「ふむ、しかし条件が一番良いのだがな」

「イノムシのミコを説得する方法が無い。 イノムシのミコがいなくても、集落の戦士達は、此方を目の敵にしている」

いっそ、ヤマトに蹂躙でもされれば話は別なのだろうが。

そこまで相手が阿呆では無いとヤトは知っている。あれから調べれば調べるほど、ヤマトの連中は論理的に動いている。こうしている間にも、アオヘビを襲う計画を立てていても、おかしくは無かった。

「この谷については、保留しておいてほしい」

「分かった。 ただし使うとなると、単独では無理だ。 クマの集落のミコに話を通して、説得してもらう必要が生じる」

「御前さん達の事情なんてしらんよ。 とにかく、次だ」

老人が苛立ち紛れに言う。

こんな小規模勢力のあつまりなのに、強力なヤマトを前にして、まだまとまることさえ出来ていないツチグモに、苛立ちを感じているようだった。

オロチの話を、道すがらに聞かせてもらう。

どうせ、かなりの距離をあるか無ければならないのだ。強健な老人は弱音を吐く様子こそなかったが、やはり退屈を感じていたのだろう。

最初こそあまり話したがらなかった老人だが。やがて、ぽつりぽつりとは話してくれる。

それによると。

オロチはかって八岐大蛇と名乗っていたそうだ。

大々的に鉄を作って、その武力を用いて周辺の集落を支配し、暴虐の限りを尽くしたのだという。

女を浚って妻にする事もあったし、場合によっては差し出させることもあったそうだ。とにかく、製鉄の技術を独占していることは、あまりにも強大な力を生み出した。青銅では歯が立たない鉄の武器は、無敵だったからだ。

其処へ、ヤマトが現れた。

気付くと、周りの全てが敵になっていた。

「最初は、それでも負ける気がしなかった。 だがな、周囲の全ての勢力がヤマトに荷担した。 その結果、此方の弱みも動きも、全てヤマトに筒抜けになっていたのさ」

「それで負けたのか」

「ヤマトには、スサノオという優秀な将軍もいてな」

非常に暴力的だが、戦争に関しては天才的な将軍だった、という。

戦争というのがどうもぴんと来ないのだが、大勢での戦いだといわれて、何となく納得がいった。

とにかく、そのスサノオが率いるヤマトの軍勢は、満を持して攻めてきた。

それだけではない。

一斉にオロチの支配下にあった集落も、裏切った。

四方八方から袋だたきにされて、わずか一晩でオロチは壊滅したという。

そして、製鉄の技術は、ヤマトの手に落ちたのだそうだ。

「一族の大半はヤマトに連行され、今でも奴らのために鉄を作らされておるよ」

「口惜しいか」

「いや、そうは思わない。 自業自得だと、今では思っている」

この口ぶりからして。

老人も、若い頃は、相当に酷い事した、という事なのだろう。

集落から女を奪い、暴力で掟を押しつけ、森を焼き、山を奪い。なるほど、そんなことをすれば、カミの怒りを買うのは当然だ。もっとも、ヤトはそのような理屈は、あまり信じてはいなかったが。

老人は、信じているのだろう。

老人自身は、逃げ延びたオロチの者達を連れて、ずっとこのアキツの島を、東に東に逃げていたそうだ。

「ヤマトは元々此処まで強力ではなく、アキツの島の中央部にあった小規模勢力に過ぎなかった。 米を作る民の勢力を、一つずつ下して、大きくなってきたのだ。 だから、前はヤマトに抵抗する勢力がいくらでもあった。 だが……」

ヤマトには、スサノオだけでは無い。

タケルという、優秀な将軍がいたという。このタケルという名前は、どうやら同一人物では無くて、働きがめざましい者に与えられるもの、であるようなのだ。

とにかく、タケル達による働きで、ヤマトは勢力を拡大。

オロチの一族は、その度に逃げ惑うことになったそうだ。

逃げ込んだ先でも、オロチの一族は、決して歓迎はされなかった。ある時期から、アキツの島では、ヤマトの圧倒的な勢力が知れ渡るようになったから、である。

次の場所に着いた。

かなり深い谷で、ごうごうと風が吹き続けている。

この辺りは吹き下ろす風が強く、生えている木がどれも同じ方向に傾いているほどである。

故に、傾き谷と、周辺の集落では呼んでいる。

風は砂粒を含んでいるから、あまり体には良くない。風に出来るだけ真正面から向かわないようにしながら、ヤトは案内する。

「この辺りは、イシオニの集落の土地だ」

「イシオニの集落は、御前さんがどうにか出来るのか」

「中立の集落だな。 今回の件でも、援軍は出さないが、邪魔はしないともいっている」

というよりも、勢力圏がヤマトに接していない集落の一つなので、あまり危機の実感が無いだろう。

ただ、この谷は、イシオニの集落でももてあましている節がある。

集落の戦士達は近づかないし、オロチの者達が好き勝手にしたいといっても、何も言わないだろう。

「風にムラがある」

「しかし、もう好条件の場所は無いぞ」

「ふむ……やむを得ぬか」

老人が、つれていたオロチの者達を呼んで、辺りに散らせた。

連れてきている護衛の戦士達が、一緒に散る。ヤトは、老人と一緒に、その場に残った。飛んでくる砂が面倒なので、いっそ風に背中を向ける。老人はヤトの隣を抜けるようにして、谷の奥へと歩き始めた。

「元のオロチの土地でも、こういう谷を使っていたのか」

「ああ。 いい谷があってな。 山の木々を全て焼き尽くすほどに、たくさんの鉄を作った」

「それでは、反感もかっただろう」

「それが当時は分からなかった。 強い力を持っているから、どうにでもなると思い込んでしまっていた」

おろかだったと、老人は呻く。

或いはこの老人。

そのおろかだった時代のオロチを束ねる長だった、という事なのだろうか。そうだとすれば、今更後悔しても、しきれないだろう。

「風が、この辺りなら良さそうだ」

老人が足を止めた。

一族の者達が、戻ってくる。幾つか、良い場所がある様子だ。老人が、説明をしてくれる。

「まず、炉を作る」

それは、土盛りで作った筒状のものだという。

その中に、黒い土を入れる。西、オロチのかっての土地では、タマガネと呼んでいたのだそうだ。

そして、火を入れる。

細かい部分は理解できなかったが、ずっと黒い土を燃やし続けるのだそうだ。

その間、風が通り続けていなければならない。

上手く行くと、七日ほどで、鉄が焼き上がる。その後、オロチの一族が作り上げた技術で、武器へと形を変えるのだとか。

「イシオニと話を付ければ、すぐにも取りかかれるか」

「いや、まず道具類をどうにかしなければならない。 更にいえば、この生き残りだけでは、どうにもならん。 御前さんの集落から、手を回してもらわねばいかんな」

それに、ここからが問題になるのだが。

大量の木が必要になるという。

森と一緒に生きる者達には、聞き入れがたい要求だ。たとえば、この辺りの、傾いだ木々なら持っていっても大丈夫だろうが。

話を聞いている限りでは、それではすぐに足りなくなるだろう。

大々的に鉄を作るとなると、森をそれこそ食い尽くす勢いで、木を切らなければならなくなると、老人は言う。

「枯れ木を切り出していては、おそらく間に合わなくなる」

「なるほど。 それも解決する必要があるな」

「話し合っている時間があるとは思えんが」

「いや、話は通さないとまずい」

ヤマトに対抗できるか否かの瀬戸際だ。

此処で、他の集落にそっぽを向かれたら、勝てる戦いも勝てなくなる。人数、武器、それに地の利。

全てが揃って、やっとヤマトとは戦いが出来るのだ。

「木については、周囲の森から調達するしか無いだろうな」

「それでは時間が掛かるぞ」

「時間は稼ぐ」

ヤマトの強力さについては、嫌と言うほど分かっている。偵察を重ねれば重ねるほど、絶望的な力の差を感じてしまう。ヤマトの戦士は、此方の万倍はいるというオロチの老人の言葉が、嘘では無いと思えはじめている。

だが、森の中に引きずり込めば戦いようはある。時間は、アオヘビの集落が体を張って作るしか無い。

幸いにも、今のところヤマトは、アオヘビに喧嘩を売ってくるつもりは無い様子だ。

ただし、痛い目にあってもらうといっていた、あのヨロイの男の言葉が、気になる。何か仕掛けてくる、或いは仕掛けてきている可能性は否定できない。

手が足りない。

ヤトがもう一人いればいいのだが。そうも行かないのがつらいところだ。

戦士の一人を、クマの集落にやる。

また、ミコの話し合いをする必要があるだろう。議題は鉄だ。見当もつかなかった鉄の生産が、どうにかなりそうな事については、この上ない幸運。これをいかせるように、皆で補助しなければならない。

ヤト自身は、クロヘビ集落の跡地をもう少し調べたい。

クロヘビの女達がもし逃げたいと思っているのなら。助け出さなければならないからである。

それが、集落をまとめるミコとしてのつとめだ。

どちらか一つを任せられる相手がいないのが厳しい。彼方此方を走り回り続けなければならないから、体に気をつけなければ、あっという間に倒れることになるだろう。

オロチの老人達には、護衛を付けてある。

一度アオヘビの集落に戻ると、ヤトは何か無かったか、戦士達に報告を受けた。今の時点では特に何も無いというのだが。

一部の老人達が、不満をため込みはじめていた。

「オロチとかいうあの連中、気に入らん」

怒声を上げたのは、最長老の一人だ。

オロチの者達が、掟を守らないというのが、怒りの理由だ。具体的には、ごみを捨てる貝塚の使い方がなっていないという。

貝塚は、獣が群がらないように、使った後は土をかけるのが基本になっている。

だが、オロチの連中が使ったあとは、土もかぶせられていないというのだ。集落で飼っている犬たちが気付いて、野犬を追い払ったことが既に三回。

何度か注意したが、聞く様子も無いと言う。

オロチの若者の何人かは、自分たちが生命線である事を鼻に掛けてもいる。そういえばその内一人は、既に相手がいるハハに、子供を作ろうと持ちかけて、戦士達に袋だたきにされていた。

オロチの老人が間に入って謝罪したから良かったが、その若者はまるで懲りていない。むしろ、恨んでさえいる様子だ。

何名かのオロチの者は、おそらく此方の掟にあわせる気が無いだろう。

しかし、これ以上火種を内部に抱えるわけにはいかない。

ただでさえ、問題だらけなのだ。

ヤマトを目の前にして内輪もめなどしていたら、おそらく戦う前に負けてしまうことだろう。

これ以上、集落を蹂躙させるわけにはいかないのだ。

「分かった。 私がどうにかする」

「頼むぞ」

戦士達は、どうにか怒りを収めてくれた。

幾つか、厳しい手を打たなければならない。場合によっては、掟を守る気が無いオロチの若者を殺さなければならないだろう。

流石にオロチの老人もへそを曲げるだろうが、その場合は一族もろとも、この土地で滅びてもらう。

別に掟など、どうでもいい。

不和が起きているという事が問題なのだ。鉄という力は、其処まで人を狂わせるのかと、ヤトは慄然とする。

鉄を作るにしても、それほど大規模にはやれないだろう。

いずれにしても、オロチには早めに首輪を付ける。もしも勝手に動くようなら。その時は、鉄を得られない不利を承知の上で、皆殺しにするほか無かった。

クマの集落にやっている戦士が戻るまでに、幾つか決めておきたい。

ヤトは、自分の思考が、どんどん冷酷になっている事に気付いたが。別に、どうとも思わなかった。

 

夜闇に紛れて、偵察に出る。

戦士達も、クロヘビ集落の跡地に出向くのに、だいぶ慣れてきていた。元々夜の森を歩くのは、さほど難しくない。

しかも今日は雨が降っている。

これはかなり好都合だ。雨が降ると臭いが消えるから、犬の追跡を振り切りやすい。ただし足跡が残る事を考えると、移動する経路は考えなければならないが。

かなり深く、ヤマトの集落を探れる。

風がかなり冷たいのが難儀だが。しかし、今日という好機は、もう何度と得られるものではないだろう。

既に、敵の見張りがどう動くかは、把握している。

闇夜を進みながら、ヤトは戦士達についてくるよう促した。しとしとと冷たい雨粒が降り注ぐ中を、急ぐ。

敵が立てた、木の塀の影に隠れながら、行く。

溝が掘られている。奴らは集落の周囲を、溝で囲むらしい。此処にやがて水を流し込むのだろうというのは、河に向かって掘られていることからもわかる。なるほど、戦う前に、此処を拠点として活用する準備をしている、というわけだ。

だが、まだどこが出来ていないかは、ここ数日夜に紛れて偵察することで、把握している。

集落の中に、潜り込んだ。

梟と烏を使って、クロヘビ集落の女達がどこにいるかは、把握している。

問題は、ヤマトの女と一緒にいることだ。

それに、クロヘビ集落の女達が、此方に戻る気があるかも分からない。下手をすると、騒がれる可能性もある。

良い匂いがする。

見ると、何かを作っているようだ。それぞれの家から、煙が上がっている。

あの林立する家の中で、それぞれ火を焚いているのか。共同で火を焚くのでは無いというのか。

この辺りも、風習が違うのだと、感じてしまう。

影から、家の一つを覗く。

やはり、家の中にたき火がある様子だ。

土器の類を使って、何かを煮ているのが見えた。土器はアオヘビの集落にもあるのだが、遠くて造りは見えない。

いずれにしても、何かを喰っているときは、注意が逸れる。

戦士達を促して、クロヘビの女がいる家の側にまで来た。中には四人。全員が女で、その内二人がクロヘビの出身者だ。

戦士達は、既に戦闘態勢に入っている。

その気になれば、家の中にいる者達を、音も立てずに殺す事も可能だ。狩になれている彼らは、それくらいのことは朝飯前。そうで無ければ、森の中で獲物に逃げられてしまう。クロヘビ集落の戦士には劣るとは言え、ツチグモならば、出来て当然。

様子をうかがう。

会話が聞こえてきた。

「飯が炊けたか」

「ああ、問題ねえな」

聞こえてきた。

後者の言葉は、知っている声。ハダと呼ばれた、元クロヘビの女だ。

少なくとも、ヤマトの女と、対等に話しているらしい。

オロチの話によると、ヤマトには奴卑という制度があるらしい。人間を他の人間と同じではなく、動物と同じに扱うそうだが。

話している内容からして、どうも違うようだ。

「明日もまた、畑を作るか」

「もうじきこの辺りの開墾は終わる。 そうしたら、作物を作る作業に移るな」

「そうか。 面倒なこった」

「なに、もうちょっとだ」

開墾が、終わる。

意味がよく分からない言葉を幾つか聞いた。

梟が降りてきて、肩にとまる。気付くと、かなり雨が弱くなってきていた。この様子では、何も出来なくなる。

一度、距離を取る。

移動した路を戻って、森の中に。雨はかなり弱くなってきている。

戻るときに足跡は丁寧に消してきたから、ばれる畏れは無い。だが、一つだけ、仕掛けはしておいた。

クロヘビ集落の印を、一つ。

ハダの家の下に、ぶら下げておいたのだ。草の茎を、二重にして丸めたもの。蛇がとぐろを巻いている様子を示している。

もしもハダがこれに気付けば、反応を示すはず。

ヤマトの連中に言った場合も、何かしらの反応があるだろう。危険は承知の上である。だが、やっておいた方が良い。

雨が、上がり始めた。

梟が鳴いたのは、犬をつれた見張りが来たからだ。

あまり良くない。このままでは、おそらくばれるだろう。すぐに戦士達を促して、森の奥へ。

森の中に入ってしまえば、犬の追跡を怖れる必要は無い。

犬については、知り尽くしている。

犬は恐ろしいほど鼻が利くが、一つ欠点がある。臭いが新しいか古いかを、区別できないのだ。

この辺りはクロヘビの集落近くの森。

ヤトは幼い頃から知り尽くしているし、アオヘビの戦士達だって、何度となく来ている。それならば、問題は無い。犬は臭いの新旧を区別できないから、森の中に分け入っても、右往左往するだけである。

完全に雨が止んだので、木陰に入って頭を振るう。

雨粒を飛ばした。かなり寒くなっている。早くたき火に当たりたい所だ。

それにしても、ヤマトの連中。

一つずつの家の中に、たき火があるとは。どれだけの贅沢な生活をしているのか。ヤトとしては、驚かされる。

子供のうち、三人に二人を育てられるというのも、嘘では無いだろう。子供は主に、環境に殺されるのだ。

「何だか、様子がおかしかったな」

戦士の一人が呻く。

酷い扱いをされていると思ったのだろう。だが、意外にも、扱いそのものは悪くなかった。

それどころか、ハダは溶け込んでいた。

クロヘビ集落の誇りはどうしたと、吐き捨てた戦士もいたが。それは違うように、ヤトには思える。

女は適応力が高い。

ハダは確か、ハハではあったが、まだ子供を育て上げたことが無かったはず。二人産んで、二人とも死んだ。

もしも、ヤマトでならば、子を育て上げられる可能性が高いのだとすれば。

そちらに移ったのも、頷ける話だ。ヤトはハハでは無いから今後も子を産む予定は無いが、それでも女だから分かっている。女が子供にかける情熱と執念については。

子供の親を選ぶ権利は、基本的にハハにある。

父親が役に立たないと思えば、換える。

同じように、クロヘビを捨てて、ヤマトに移ったのかも知れない。自分の子供を、産み育てるために。

だが、それを戦士達にはいわない。理解できるとは思えないし、軋轢を深くするだけだからだ。

それに、これで覚悟を決めなければならなくなった。

「戻る気が無いのなら、ハダは殺す」

「え……同じ集落のハハだった相手だぞ。 ミコ、それでいいのか」

「やむを得ない。 ただし、分かるようには殺さない」

毒を使う。

ただでさえ、此方のやり口を知っている相手だ。もし敵につけば、戦士では無いとしても、厄介極まりない。

集落に戻る。クマの集落に行っていた戦士が帰ってきていた。

さて、此処からだ。

少しずつ、ヤトの心は、氷のように冷たくなっている。それはもう分かっていたが、ハダの様子を見て、冷たさについては更に実感できた。

たき火に当たって、体を温めながら、報告を聞く。

「クマのミコはなんといっていた」

「面倒くさそうだったが、ミコの話し合いは開いてくれるそうだ」

「分かった。 すぐに準備をする」

戦いに備えておけといおうかと思ったのだが、止めた。

おそらく、すぐに戦いがある事は無い。

話を聞いて分かったが、奴らは開墾とやらに、今のところは集中している。他にも、幾つか理由はあるのだが。

何度か偵察して、奴らがすぐ攻めてくる可能性は低いと、ヤトは判断した。

或いは。

既に降伏することを約束した相手に、何かしらのことをさせているのかも知れない。荒事の可能性もある。

ただし、イノムシの集落の場合は、攻めてきたとしても、対処は出来る。

問題はオロチの者達を襲われることだが。

それも対策はしてあった。

明日の朝くらいに出かければ、時間としては充分になるだろう。

ヤトは自分の穴に戻ると、ようやく思考を切った。

緊張が途切れると、急激に眠くなってくる。

今までに無いほど、頭を使っている。だから、かも知れない。これほど考えたのは、生まれて初めてだと思いながら、ヤトは横になった。

気付くと、もう眠っていた。

 

2、大蛇の本領

 

ミコの集会には、前回以上の数が参加していた。

前回参加しなかったミコの姿も見える。ヤトが、ヤマトがどれだけ危険な存在かを、知らせているからだろうと思いたいが。実際には、最前線になっているアオヘビの様子を確認したいのかも知れない。

ヤトが知る限り、先代のクロヘビのミコは、こういう事はしなかった。

前線の様子を後方に知らせようともしなかったし、対策を聞いても、曖昧に口を濁すだけだった。

或いは。

いや、疑うのはよそう。

実際、あの夜襲で、先代は死んだのだ。殺されたものを、これ以上疑っても、答えなど出てこない。

イノムシのミコはいない。

まあ、いないだろう。この間恥を掻かされたと思っているとすれば、なおさらだ。

イノムシと交流がある幾つかの集落のミコに聞いてみたが、どうやら様子がおかしいという。

狂ったように此方の悪口を言いつつ、話を聞いてくるのだそうだ。

隙をうかがっているのかも知れない。

これは、備えた方が良さそうだ。

ミコ達がたき火を囲む。

こうして会合を行う度に、参加者は増えてきてはいる。ただし、毎回参加するミコは、あまりいない。

「今回は、何用じゃな、アオヘビの」

「鉄について、確保する目処が立った」

おおと、声を漏らす者複数。

だが、やはり好意的では無い視線も目立つ。おそらくは、既にヤマトにくだっているのか、それとも。

鉄そのものに、忌避があるのか。

「ただし、鉄を作るには、二つ条件がある」

「申してみよ」

「イシオニ集落のミコ。 使っていない砂振り谷を、オロチの者達に貸し与えて欲しいのだが」

イシオニ集落は、さほど大きな集落では無い。

住み着いている場所が、大きくも無い一つしか洞窟が無いからだ。人数を増やせないのである。ある程度増えると、話し合って別の所にハハを移している状態なのだ。元、イシオニ集落のハハだった者は、アオヘビにもいる。

洞窟が一つだけしか無いという事もあり、守りやすい集落では無い。手練れの戦士も少ない。

更にいえば、一昨年に来た野分けで、何名か手練れが死んで、更に守りは薄くなっている。

もしヤマトに襲われたらどうなるか、言うまでも無いだろう。不安そうにしているイシオニ集落のミコは、ヤトよりは年上だが、まだかなり若い。

同じようにして、野分けの時に先代が亡くなったのだ。

かろうじて適格者がいたので、ミコ自体はいるが。そうでなければ、或いは全員が、他の集落に合流していた、かも知れない。

「大丈夫なのか、そのようなことをして」

「そうしなければ、鉄を作れぬ。 鉄を作るには、場所が重要だと、オロチの者達はいっていた。 管理は私がする」

そういうと、ほっとした様子で、イシオニの集落のミコは黙り込む。

護衛としては、アオヘビの者達がついている。

そして彼らは、監視も兼ねているのだ。

もしも、怪しい動きをするようなら、殺せ。そう命じてある。オロチの者達が気に入らない戦士も多い。

もしも妙なことをすれば、即座に殺す事は間違いない。

勿論、オロチ側も反発しているだろう。この会合の後、話をしに行って、言うことを聞かせなければならない。

「分かった。 イシオニとしては、異存は無い」

「良いのか、イシオニの」

「良いも何も、ヤマトの攻撃を受けたら、うちの集落にはなすすべがないのだ。 そのまま全員が捕らえられてしまうだろう」

青ざめているイシオニ集落のミコ。

元々気弱な彼女である。ヤマトの戦士に、ミコとして扱われないことを思えば、それこそ失神するほどの恐怖、なのだろう。

此方の掟など、ヤマトには知ったことでは無い事は、今までの出来事でわかりきっている。

幸い、既に周辺の集落には、それが伝わっている。だから、多少はやりやすい。

これで、一つ目の条件は何とか達成できた。

「二つ目の条件は」

「いらない薪木を、イシオニ集落に運んで欲しい。 鉄を作るには、大量の薪が必要になってくるそうだ」

オロチの者達は、下手をすると、周囲の木々を片っ端から切り出しかねない。あの者達も、ヤマトと同じだ。

一族を率いている老人は、分別があるようだが、若者達は違う。此方を侮っている者が、何名かいる。

好き勝手させないためにも、此方で木を管理する必要がある。

幸い、この周辺は豊かな森だ。

それぞれの集落から木を運べば、辺りの森を斬り倒さなくても、充分な量を確保できるだろう。

鉄を大量生産するとなると、今後はそれだけでは足りなくなる可能性が高いのだが。

しかし今の時点では、周辺の集落から、木を集めていけば、問題ない。

他にも、オロチ側の要求物資は幾らか存在している。

それについて話すと、ずっと黙っていたクマのミコが、口を開いた。

「アオヘビの。 それで、鉄はどれほどで出来る」

「一番早くて、十五日の後、だそうだ」

「それまで、アオヘビはもつか」

「もたせるのには問題が無い」

旧クロヘビ集落の様子を見る限りは、大丈夫だ。今の時点で、ヤマトが積極的な攻撃を仕掛けてくる予兆は無い。

ただし、偵察をもっと進めて行けば、違う話が出てくる可能性も否定は出来ない。

可能な限り、早く。

守りを固めなければならないだろう。

「皆、どう思う」

「私は賛成だ」

諸手を挙げて賛成してくれる集落が、幾つかあって有り難い。アカムシの集落も、肯定的だ。

幸い、イノムシがいないから、強烈な反対をしてくる集落は無い。

一通り意見が出そろう。

反対意見は幾つかあったが、薪を出せない、というものが主だった。

と言うよりも、鉄自体をほしがっている集落が無いのが、順調に話がまとまった要因だろう。

幾つかの集落で聞いたが、鉄は穢れた武器だと思われている。

ヤマトが邪なカミに頼んで出してもらった武器だから、出来れば近づけたくないと考えている戦士が、少なくない様子だ。

それに、アオヘビに戦力を集める話をしている現在。

もしもアオヘビが落ちた後、ヤマトにくだる事を考えている集落は、珍しくない。彼らにしてみれば、戦いが飛び火するのは、まっぴらごめんという所なのだろう。

気持ちは、分かる。

最初の会合に比べると、ぐっと話がうまく行った。

しかし、である。

クマのミコが、あまり良くない話を始める。

「残念な話を、此処で皆にしなければならない」

「何処かの集落が、ヤマトにくだったか?」

「いや、そうではない。 その可能性が高い集落が、今の時点で幾つかあるが」

不安そうに顔を見合わせる、何名かのミコ。

或いは既に裏切っている者も、中には混じっていることだろう。それは仕方が無いと、ヤトも諦めている。

イノムシかなと思ったのだが。

クマが告げた名は、意外なものだった。

「ニガノミの集落は、特に裏切っている可能性が高い」

「何……」

ニガノミの集落は、イシオニの集落のすぐ側。

今回も、ミコが来ていない。

もしもニガノミが裏切っているとなると、幾つかの集落から薪を運ぶのが、大変面倒な作業となる。

大きく迂回していかなければならないからだ。

ニガノミの集落にいる戦士自体は数も多くは無いのだが。もしもヤマトの戦士がどっと入り込めば、それも過去の話となる。

それに何より、かなり森が少ないニガノミは、過酷な環境だけに戦士が少なくとも、一人ずつが強い。

ニガノミの戦士を先頭に、オロチの谷が襲撃された場合を考えると。護衛に割く戦力を、増やさないと危険だ。

「ならば、提案がある」

「何か」

「アオヘビに、戦士を何名か欲しい。 アオヘビから、同じ数だけ、イシオニに戦士を回す」

回りくどい話だが。

そうすることで、ヤマトに直接喧嘩を売ることなく、後方の集落がアオヘビを支援することが出来る。

最前線を固めれば、安全となる集落は多いのだ。

今のところ、戦士が足りていない集落は少ない。

幾つかの集落が、話を飲んでくれた。

不安要素もあったが、これでどうにかなるか。会合は終わった。

解散していくミコを見送りながら、クマのがヤトを手招きする。流石にこの辺りの長老格に招かれて、話を聞かないわけにもいかない。

「何か、クマのミコ」

「一つ、提案がある」

「私と貴方の間での取引か」

「そうだ」

察しが良くて助かると、殆ど獣のようにとがっている歯をむき出しにして、クマのミコは隠然と笑った。

化け物のような老婆は、口の中まで人間離れしている。

「鉄が出来たら、此方にも寄越せ」

「まず、出来るかどうかが分からない」

「それは分かっている。 お前達を支援できるかどうかの瀬戸際だ」

クマの集落としては、見極めたいのだという。

もしも鉄の武器がアオヘビに渡った場合、ヤマトの侵略を食い止められるのか。その場合には、他のミコ達を黙らせる準備も出来ているという。

アオヘビが防波堤になり得ない場合は、そうそうにヤマトに屈するのが一番良い。

皆がそれだけ、傷つかずに済むからだ。

そうクマのミコはいう。

本音かは分からないが。理にはかなっていると、ヤトは思った。確かにクマとしては、アオヘビが盾として機能するなら、生活を守るための最大支援をしたいところなのだろう。

それには、鉄が必要不可欠。

一方で、アオヘビがたとえ鉄を持っていても敵を防ぎきれない場合は。

さっさと見捨てて、ヤマトにすり寄るつもりなのだろう。

もしもアオヘビがヤマトを押し返せる場合、鉄の威力はそれだけ凄まじいと言うことになる。その場合は。

なるほど。

ヤマトを追い出して、更に大規模な土地を手に入れるつもりか。

そのための、鉄というわけだ。

「分かった。 ただし、生産が軌道に乗ってからだ」

「当然だ。 今は最前線に回す鉄が優先だからなあ」

「分かっていて貰えるのなら、それでいい」

クマのミコに礼をすると、その場を離れた。

これは色々とまずい。

この辺りの集落は、クマという圧倒的な大勢力によってまとまっていた。クマの集落は、おそらく怖れている。

鉄が広まることによる、力関係の逆転を、だ。

もしもアオヘビがヤマトを打ち払った場合。可能性は決して高くは無いが、そのようなことが実現できたとき。

アオヘビの背後から、鉄で武装した、クマの集落の戦士達が襲いかかってくるかも知れない。

鉄は文字通り、クマのミコの心に住んでいる魔物を呼び起こしたのだ。

更にいえば、鉄を生産できるという利点を握っているオロチの者達をつけあがらせると、これから何をしでかすか分からない。

自分が極めて難しい局面に立ったことを、ヤトは悟った。

元々誰も信用などはしていないが。

此処からは、更に誰も信じるわけにはいかない。

手を伸ばすと、カラスが降りてくる。

最近巣離れした、ハルというカラスだ。かなりのやんちゃ盛りで、珍しいものには何でも興味を示す。

ただし、一通りの訓練は済ませた。

偵察も出来るし、場合によっては警告を発することも可能だ。

ハルに命令する。

クマの集落から、たくさんの戦士が出てきたときには、すぐに知らせるようにと。

 

クマの集落のミコであるアカマツキは。去りゆくアオヘビのミコの背中を見つめながら、呟いていた。

「あの小娘、勘付いたね」

「どうするのだ」

側には、何名かの、クマの集落のハハが控えている。

ふだんは茶飲み友達だが。難しいときに、重要な話をするための者達だ。いろいろな視点から見ることで、多くの発見がある事を、アカマツキは知っている。

「しばらくは泳がせる。 ヤマトにくだるなんて、冗談じゃ無いからね。 アオヘビには、クロヘビの戦士も合流したし、敵を支えるくらいなら出来るだろう。 もしもヤマトを追い払えるなら、おんのじさ」

アカマツキが五月蠅いと空を見る。

遠くの木の枝に、カラスがとまっている。あれはおそらく、アオヘビのミコが放った目だろう。

アオヘビのミコが、獣を使いこなすと言う話は、既に掴んでいる。

ミコとしてのカミと対話する力など得られず。その機転と頭脳だけで、大勢力クマのミコを努めてきたアカマツキとしては、不快きわまりない話だ。そんなインチキな力ごときで、好き勝手をされてはたまらない。

だが、アオヘビのミコと接してみて分かったが、彼奴はけっしてそれだけではない。

たまに、神がかりというのがいる。

カミと対話した「つもりになっている」女の事だ。ミコとして最適といわれるが、実際にはその予言は外れる事が多く、当てにならない。殆どの場合、補助についているミコ見習いやハハ達が、周囲の状況から判断して、正しい結論へ持っていくようにと誘導していくのである。

そういった見習いだった経歴を持つアカマツキは、神がかりが如何にいい加減か、その周囲が苦労するか、知っている。

だが一目で分かった。

アオヘビのは、あれは神がかりでは無い。

元々頭が良いのだろう。獣を操る力が無くても、いずれミコになっていただろう逸材。クロヘビの先代ミコは、あれの素質を見いだすと同時に、おそらくは怖れていたはずだ。

いずれにしても、置いておくならば、最前線だ。

手招きして、あれを呼ぶ。

不愉快そうに、のそのそと現れたのは。

イノムシのミコ。

実際には、クマで首根っこを押さえているから、好き勝手な事は出来ない。アオヘビに反発するのも、事前に決めておいた演技の一つだ。もっとも、イノムシのミコ本人は、アオヘビを本気で嫌っている様子だが。

「何さね」

「イノムシの。 御前さん、戦士を何人か殺せ」

「あん……?」

凄んだつもりだろうが、クマのミコであるアカマツキからすれば、子猫が威嚇しているも同然。周囲のハハ達にも、戦い方は仕込んでいる。

クマの戦力と、イノムシの戦力はあまりにも違いすぎる。

周囲には教えていないが、クマには青銅の武器も幾らか蓄えがある。他には言えない方法で、手に入れた。

「ヤマトは長時間居座るつもりだ。 連中が居座れば居座るほど、力を蓄えていくことだろう」

「それと、大事な戦士を殺させることに、何の関係がある」

「先に、相手から手を出させる」

現在、どちらも自分に有利な場所に閉じこもっている状態だ。

しかもヤマトは、自分が勝てると思い込んでいる。この場合、手を出させる方がいい。それには、死者を出す覚悟がいる。

そして、アオヘビにはこう思わせる。

ヤマトがイノムシの集落に手を出して、戦士を何名か殺したと。

逆に、ヤマト側にはこう思わせておく。

先制攻撃を受けたと。

「いいのか、全面での戦いになるぞ。 鉄が無いのに、どうにかなるのか」

「なる」

「本当か」

「ならないのならば、鉄があってもどうにもならん」

この辺りで、アオヘビのミコの力。それにヤマトの戦力を、正確に見極めておくべきだろう。

そう、アカマツキは判断していた。

ミコは時に、大蛇にたとえられる。

その執念と狡猾さが、そうさせる所以だ。実際には蛇は狡猾では無い事くらい、アカマツキも知っているが。そのようなことは、どうでもいい。

アオヘビのミコは、まだ若いが、大蛇と呼べる存在だろう。

だが、それを越える者が、此処にいる。

「クマからも、戦士を数名出しておく」

勿論これは監視役だ。

どうにもならないようであれば。

アオヘビを生け贄に。クマは、ヤマトに降参するつもりだった。

 

3、朝露の戦い

 

ヤトの耳にも、その絶叫は届いた。

明らかに、殺し合いの声だ。今の声の様子からして、死んだのはヤマトの戦士だろう。だが、激しい戦いの音は、だんだん近づいてきている。

ヤマトの集落を偵察に行こうとした、その矢先のこと。

にわかに戦士達が色めきだつ。

「すぐに増援の手配を」

「分かった」

数名を下がらせる。

ヤトは戦う際には、弓を用いる。ミコの修行をするまえは、普通の女だった。ハハもいっぱしに弓を使えて、集落では一人前になれる。鳥くらいは落とせないようでは、集落に貢献できないのだ。

勿論、戦士達の誰にも劣る程度の腕でしか無い。本職では無いからだ。戦えるとは言いがたいが、しかし今は、自身で最前線に出なければならないのだ。

偵察に出るときには、自分用の弓を常に持ち歩いている。矢筒にも、矢をきちんと詰めてある。

戦士は槍を使って戦えることが求められる。

これは体が大きい男としては、皆の盾にならなければならないからだ。戦いの音は、更に近づいてくる。

飛び出してきたのは、イノムシの戦士。

何故、此処にイノムシの戦士がいる。

殺気だった目で、イノムシの戦士は此方を一瞬だけ見たが。飛び去るようにして、逃げていった。多くの敵が、追いすがってくる気配で、目を細める。

「此方も下がるぞ。 増援と合流して叩く」

「分かった」

何があった。

イノムシが、ヤマトの集落にちょっかいを出したのか。

しかし、距離が遠すぎる。

わざわざ此処まで来て、攻撃したというのは、何故か。

矢が飛んできたが、かなり柔い。手で掴んで、矢筒に放り込んだ。この程度の矢だったら、アオヘビの誰でも避けられる。

手で合図。

もっと下がるように。距離が詰まってきたら、こんな柔い矢でも、かなり危険度が増してくる。

ましてやざっと見たところ、敵の数は三十を超えている。

増援が来るまでは、本格的な交戦は避けた方が良い。

それにしても、カラスたちが警告してくる前に、敵が来るとは。この時間帯になると、もう梟も起きているはずで、何故気付かれる前に敵が来たのか、よく分からない。鳥の目は、特に梟は、闇夜では人間よりもずっと素早く鋭く動くというのに。

敵の戦士が一人、飛び出してきた。

青銅の武器をふるって、襲いかかってくる。闇夜に、刃が閃く。

だが、飛び出してきた敵は、突出していた。

ヤトの周囲にいた戦士達が、息を合わせて槍を繰り出す。槍の穂先の一本が、斬り飛ばされるが。

残りの全てが、敵の体に吸い込まれた。

ぎゃっと悲鳴を上げて、敵の戦士が茂みに落ちた。

死んだかは分からないが、すぐには立ち上がれないだろう。

また矢が飛んでくる。

今度はさっきよりも、ずっと勢いがあった。木を利用して一本を避け、もう一本は頭を低くして避ける。

増援はまだか。

また敵が一人、突出してくる。いや、三人。

冷静にヤトは弓を引き、至近、敵の顔が見えるほどの距離まで来て、矢を指から離した。

額に、矢が突き刺さる。

悲鳴を上げて、敵戦士がのけぞった。

鉄や青銅の鏃だったら、或いは即死させられたかも知れないが。ヤトが使っているのは、黒曜石を削りだした鏃だ。額を打ち抜いたが、それだけで即死させられるかは、微妙なところだ。

まして、今回は武器に毒を塗っていないのである。

追いついてきた敵と、激しい戦いが始まる。

木で作られた槍は、青銅の武器で斬られると、もたない。

だが、戦士としての力量は、こっちが上。しかも、此方は森の中で戦っているのだ。下がりながら、追いついてくる敵を撃退し、更に下がる。ヤトも矢を放ち、武器を振り上げた男の胸に、一撃を叩き込んだ。

横転した敵には目もくれず、下がる。

頬を矢がかすめたので、はっとなる。

驚くほど鋭い一撃だった。

敵にも出来る奴はいる。油断をすると危ない。気を引き締めると、ヤトはまた弓を引き絞りながら、森の中を下がる。

戦士の一人は、カミの名を呟きながら、ヤトの方をちらちら見ていた。

彼らを鼓舞するのも、ミコの役割。ばかばかしいとは思わずに、此方もカミの名を呟く。それで、戦士達はぐっと勇敢になる。

不意に、敵の追撃が止んだ。

この雨の中、森に火を付けることも出来ない。数人を殺してやったか。いずれにしても、もう夜も更ける。これ以上は、危険だと判断したのだろう。

ようやく梟が鳴き始めたので、ヤトは苛立ち紛れに、肩を揺らして息をしている戦士達にいう。

「何人殺した」

「刺したのは六人。 あんたが撃ったのは二人」

「む、そうか」

その内何人が死んだかは、正直よく分からない。

はっきりしているのは。これで、ヤマトの集落とは、戦いが始まってしまったという事だ。

もっとも、以前クロヘビを皆殺しにされている。

その上、クロヘビにいたとき、ヤトは散々ヤマトの戦士達を相手に戦った。

今更どうとも思わない。

増援が来たので、押し返す。どうやら敵は、森の中でも、群れを崩さずに戦っていたらしい。

彼方此方に血の跡は残っていたが、倒れて死んでいる戦士はいない。死んだ者も、引きずって帰ったのだろうか。

梟が飛んできた。

鳴き声を聞いて、気付く。

炎だ。

どうやら、ヤマトの連中が作った柵が、盛大に燃えているらしい。小雨の中、あれだけ燃えているという事は。

さては油を使ったか。

イノムシの連中、一体何を考えている。

ヤトは臍をかむ思いだが、しかし此処は下がるほか無い。ヤマトの連中は、追撃を本気でやっていなかった。もしも此処から大人数を繰り出してきたら、それこそ敵味方に何十人も死者が出る。

敵を殺すのは構わないが。

しかし、此処で味方を多数失うわけにはいかないのだ。

「一度、アオヘビに戻る」

「敵と戦ったのに、か」

「敵の方が数が多いことを忘れたか。 それも、此方よりはずっとずっと、だ」

相手が本気で押し寄せてきたら、こんな人数、得意な森の中でも、包まれて皆殺しにされてしまう。

寒い中すまないと呟きながら、梟を飛ばす。

今のところ敵は燃やされた柵をどうにかしようと、人数を繰り出しているようだ。ならば、撤退するなら、今が好機。

敵は混乱しているとはいっても、備えているし、此方の人数が少なすぎる。

「ヤマトの連中の柵でも、燃えるんだな」

今更に。戦士の一人が、のんきなことをいった。鉄や青銅をふんだんに持っている連中だとしても。

柵には、木を使っている。

つまり、此方と同じ人間と言うことだ。

さっきも、矢を当てたとき、手応えがあった。殺したかは分からないが、かなりの傷を負わせることには成功している。

それで充分だとも言えた。

 

アオヘビの集落に戻ってから、情報を整理する。

イノムシにも戦士を向かわせたが、扉は硬く閉ざされていて、門前払いだったという。それでは、何が起きたのかも分からない。

ヤマトの集落では、あれだけ大きかった柵の一部が完全に燃え尽きて、今てんやわんやの様子だ。

戦士がかなり繰り出されていて、辺りを血眼に見張っているらしい。

数は相当なもののようだ。

「ざっと二百はいる」

見に行った戦士の一人が、恐ろしいものを見たと言わんばかりに呟いた。

なにしろ、クロヘビの集落跡だけに住み着いている者達が、ヤマトでは無い。オロチの老人がいっていたように、その数は底なしとみて良いだろう。

二百なら、森の中でなら勝てる。

しかし、森の外で戦うとなると。かなり厳しい人数だと、いわざるを得ない。

「ミコ、どうする。 鉄はまだ出来てもいないぞ」

「様子を見る。 森の中に入ってきたら殺す」

既に、援軍を約束している集落に、戦士を回してある。

朝には三十人、昼頃には五十人の戦士が、彼方此方からこのアオヘビに集まってくるだろう。

問題はイノムシだ。

何を考えてあのような事をしたのか、理解に苦しむ。

だが、その答えの一端らしきものが、翌日の昼に分かった。

イノムシに隣接しているキドの集落の戦士が、情報を持ってきたのである。

ヤマトの人間が船を繰り出して、イノムシの集落の漁場を荒らした、とイノムシは主張しているらしいのだ。

確かに、ヤマトの勢力は広大。

船もたくさん持っているだろう。

だが、どうも腑に落ちないものを、ヤトは感じていた。

こういうときに、相談役がいないのはつらい。だが、元々ミコは一人で集落を切り盛りするものだ。

斥候が戻ってきた。

「敵に動きがあった」

「どうした」

「矢文を撃ち込んできた」

とはいっても、ヤマトの文字は読めない。というよりも、文字というものがあると、知っている位だ。

ツチグモに文字は無い。

意思伝達の手段として、簡単な記号は用いているが。ヤマトが使っている文字のような複雑さはない。

「オロチの老人なら読めるだろう。 持っていって解読させろ」

「分かった」

「皆は戦いに備えろ」

蓄えておいた肉を、先に戦士達に振る舞っておく。

戦いに備えて、食い物は山のように蓄えてある。此処にいる戦士達に振る舞うくらいは、全く問題が無い。

戦いの前に、意気が上がるのを見て、ヤトは満足した。

斥候だけではなく、カラスたちも戻ってくる。

話を聞いている内に、妙なことが分かってきた。

ヤマト側は柵を修復に掛かっている。一部は既に復旧されているようすだ。かなり動きが速い。

だが、あれ以上、戦士を繰りだしてくる様子が無い。

怖じ気づく、というのとは違うだろう。

今までの様子を見る限り、ヤマトが此方を怖れてなどいない事は明白だ。その気になったら、即座に森に入り込んでくるはず。

とにかく、此方は様子をうかがうしか無い。

夜になっても、状況は変わらなかった。

戦士達は戦わせろと五月蠅い。

だが幸い、無理に押し出していく者はいない。

どこの集落でも、ミコが号令を掛けなければ、カミの支援が得られないと信じられているからだ。

ヤトは黙ったまま、ずっと敵の様子をうかがっている。

幸い、ヤトのことを疑う者はいないが。

今まで最前線に自ら足を運び、先日の戦いでは敵に矢を当ててもいる。いつも奥にひきこもっていないからこそ、出来ることだ。

「どうも状況が読めん」

「……」

流石に、クロヘビ時代の戦士達でさえ、今回の件については困惑している。

戦線が開かれてしまったからには、対応しなければならない。

今の時点では、此方に反撃に出る力が無い。総力戦を挑めば、或いはクロヘビにいるヤマトの連中は追い払えるかも知れないが。その後、ヤマトは戦力を何倍にもして、逆襲してくるだろう。

何度もそうしていれば、先に力尽きるのは此方だ。

専守防衛が、打つべき手なのである。

それなのに、どうして先に仕掛けたのか。

イノムシの連中の血の気が多いのは分かっている。ヤマト側がもしも漁場を荒らしたというのなら、怒るのも当然だ。

だがそれならば、クマの集落に話すべきでは無いのか。

そうすれば、もっと多人数でヤマトを襲撃できる。更にいえば、その襲撃の先頭に立つことも出来るはず。

単独で、しかもあんな少人数で。

どうして、先走った。

夜になった。

今だ、ヤマト側が攻めこんでくる様子は無い。ようやく、オロチの老人の通訳が終わったらしく、戦士が戻ってきた。

だが、待っていたヤトに、戦士は人払いを頼んできた。

住居にしている洞窟に入ると、戦士はいう。

「奴らが言うには、こうだ。 先に攻撃してくるのなら、受けて立つ。 首を洗って待っていろ、だそうだ」

「勝手な言いぐさだな……」

クロヘビの集落だけではない。この辺りで攻撃された集落は数も知れない。

だが、ふと気付く。

ヤマトの連中は、ツチグモの集落の全てを、別々に考えているのでは無いのか。

いずれにしても、相手がやる気になっている事はよく分かった。それならば、仕掛けるのは、早い方が良いだろう。

「戦士達に、一晩休むようにと伝えろ」

「分かった。 だが、いいのか」

「構わない。 明日の夜、敵に攻撃を仕掛ける」

ヤトの考えでは、おそらく明日の昼くらいに、敵が押し出してくるだろう。

もしそうでなければ。

今更、先も後も無い。

敵に攻撃を仕掛けた後、森に誘い込んで、殲滅する。

 

結果的に、予想は外れた。

眠っていたヤトは、顔を撫でられて気がつく。

正確には、撫でられたのでは無い。梟が、体を寄せてきたのだ。

「どうした、ツキヨ」

目をこすって、梟を見る。

次の瞬間には、眠気が吹っ飛んだ。ツキヨの鳴き声を聞き取ったからだ。

「襲撃。 人数、たくさん」

来たか。

先手を打たれてしまったが、それでも此方が察知できた。この好機を逃すわけにはいかない。

逆に出鼻を挫いてやる。

すぐに、口笛を吹き鳴らす。眠っていた戦士達が、飛び起きてきた。

「敵が森に入り込んできた! これから全力で迎撃する!」

「よっしゃあああっ!」

「いいか、森の外には決して出るな! 敵とは森の中だけで戦え!」

ヤト自身も、この時に備えて、手元に弓を置いていた。矢筒にも、充分な量が入っている。

我先に飛び出していく戦士達。

彼らも熟練の狩人だ。森の外に出れば勝ち目が無くなる事くらいは、頭の中では分かっている。

しかし、クロヘビにいたとき、ヤトは何度か見た。

戦いの際、人間はおかしくなる。

普段冷静な奴が、笑いながら敵と戦っていたり。殺し合いの後、女が拒むのに性交しようとしたり。

人間の頭は、戦闘を行うとおかしくなる。

ヤトはそれを知っていた。

それにしても、早朝。しかも、まだ陽が上がっているかいないか、という時間に攻撃をしてくるとは。

ヤト自身も、アオヘビの戦士達と一緒に、森に飛び出す。集まった戦士達全員と、アオヘビの戦士二十名で出た。残りはアオヘビの守りに残しておく。ハハ達には、帰ってきた戦士達用に、食事も作っておくよう指示しておいた。

走りながら、カラスたちを全て散らした。どこに敵がいるのか、理解しないといけないからだ。

すでに、戦いは始まっている。

ヤマトの戦士達は、かなりの数が入り込んできている。しかも少人数ごとに分かれて、攻撃を繰り返してきている様子だ。

弓矢は、相当に上手くならないと、森の中では力を発揮しない。

遠距離では有利なのだが。

ヤマトの連中が持っている、槍より短い武器が厄介だ。森の中では、槍はどうしても扱いが難しい。突くしかできない。

それにたいして、ヤマトの者達の使っている武器は、短くて取り回しがいいようだ。あれも欲しいなと、様子を見ながらヤトは思った。ただし、今の状況では、手に入れるのは難しい。

激しい戦いの中、ふいに目の前に、大柄な敵の戦士が飛び出してくる。

速射。

肩に矢が突き刺さるが、男はにっと笑って、武器を振り上げた。

更にもう一射。腹に刺さる。

男はとまらない。

武器を振り下ろしてくる。

かろうじて跳び避けるが、地面に刺さったとき、凄まじい風が吹き付けた。あれは、当たれば死ぬ。首がちょん切れるくらいの威力はある。これが、鉄の恐ろしさか。男がおいすがってくる。周りも乱戦で、ヤトを助けられる戦士はいない。

今度は、横に武器を薙いできた。

転がるように地面に倒れ込みながら、速射。喉に突き刺さる。

男がうめき声を上げながら、無理に矢を引き抜いた。だが、その時既に、もう一射を、ヤトは引き絞り終えていた。

喉の傷口に、もう一矢を叩き込むと。

男は白目を剥き、それでももがきながら、地面に倒れた。

やっと死んだ。

見ると、男が着ている服は、ツチグモの戦士達が着ているものより遙かに分厚い。ヨロイは極めて厄介だったのに。服からして、違うと言うことか。

呼吸を整えながら、周りを見る。

顔のすぐ横の木に、矢が突き刺さった。

ヤマトの戦士は、相当な数で来ている。矢を放った奴を視認。見ると、まだかなり小柄な男だ。

あの筋肉からいっても、戦士としてツチグモでは認められないような体格。ヤマトでは、子供も戦わせるのか。

横から奇声を上げて飛びかかったアオヘビの戦士が、子供を押し倒し、槍で滅多刺しにした。

戦場に出てきているのだから、子供も女も無い。

数人を失ったヤマトの戦士達が、さっと引く。引きながらも、矢を放っていく。ヤトは首を傾けて、自分を狙った矢を避ける。遠矢だったら、避けるのは簡単だ。ヤトにも出来るのだから、他の戦士達にもたやすい。

此処では勝ったが、周り中で戦闘は継続している。

カラスが来た。

味方が不利な場所を知らせるようにいってある。カラスが示した場所に、すぐにヤトは皆と一緒に向かった。

何度も何度も、敵を追い散らす。

敵に追われている味方を助ける。

昼がいつの間にか過ぎて、夕方が来ていた。

周囲の混乱は加速するばかりだったが。夕方を過ぎると、多少は収まってきた。

口笛を二度吹き鳴らした。一端、此方に集まるようにという指示だ。

ヤマトの連中が全体的に森の中を後退しているのは掴めている。この大乱戦、味方にも被害が大きくなる可能性が高い。

無理な乱戦を続けるのはこのましくない。

味方が戻ってきた。

皆、武器を血にぬらしていた。怪我をしている者も少なくない。当然この様子では、死者も少なからず出ているだろう。

「殺した人数をいえ」

皆、一人、二人と声を上げた。

ヤトも一人殺したから、ざっと数値を合わせると、この場にいる戦士が、合計五十ほどの敵を殺している、と言うことになる。

もっとも、戦場の狂気の中だ。

実際には、殺したと思っていても、殺していない者もいるだろう。だいたい四十位は殺しているとみていい。

「大勝利だ!」

「まて」

「どうした」

「まず、死体を集めろ。 奴らの武器は極めて貴重だ。 あの威力、見ただろう」

槍を斬られてしまっている戦士の姿が目立つ。

ヤマトの戦士が使っていた武器によるものだ。

それに敵は、全く本気を出していないと、ヤトは見ている。軽く戦う、程度のつもりだったのだろう。

しかも、此方の反撃で、予想外の被害を出した。

次の戦いでは、こう上手くは行かないはずだ。

不審そうな顔をしながら、敵の戦士の死骸を集め始める味方戦士達。その間に、味方の被害も調べておく。

十人が死んだ。

アオヘビの戦士が三人。他の集落が、あわせて七人だ。

クマの集落から来た戦士は、全員が生き延びていた。活躍はそれ相応。まあ、こんな所だろう。

敵の死体は、持ち物もあわせて、アオヘビに運ぶように指示をしておいた。敵は今の時点では、攻撃を仕掛けてきていない。散発的な小競り合いは起きたが、今日の戦いはもう終わりとみて良いだろう。

夜になる頃には、戦いは完全に終わった。

運び込んだ、ヤマトの戦士の死骸を見聞する。

着ているものは全て剥がした。使えそうなものは、皆並べていく。

裸にしてみると、どれも普通の男だ。体についている筋肉が妙に弱々しいが、何もこの集落の男と変わらない。

鉄の武器らしいものも幾つかある。これは僥倖だ。ただし、矢の類は完全に消耗品である。

ヤトは敵が使っていた、短い武器を手に取ってみた。

「これは、何というものだろう」

「分からないが、振り下ろして使うものだな。 槍を何本もやられた」

「オロチの老人を呼んでこい。 幾つか、聞いておきたい事がある」

戦士の一人を、呼びに行かせる。

先に、戦士達には食事にさせた。ヤト自身も、片手間に焼いておいた肉をほおばりながら、戦利品を見ていく。

死体は、全て貝塚に捨てさせるべきか。

しばらくはかなり臭うだろうが、こればかりは仕方が無い。

味方の死体も見聞する。

見ると、味方のが傷が少ない。これは武器の威力の差だろう。此方の武器では、何度も突き刺さないと、敵を殺せないのだ。

実際ヤトの矢も、敵の喉という急所に刺さっていながら、即死はさせられなかった。

何より気になるのが、何度も確認している、敵の武器の短さだ。

熟練の戦士を一人呼ぶ。

熊を何頭も倒している、この辺りでは最古参の戦士だ。

「この武器を見て、どう思う」

「よく分からんが、熊を相手には戦えんな」

そうだろうなと、ヤトも思った。

そして、気付く。

これはひょっとして。

人を殺すための武器なのではあるまいか。

ツチグモの戦士達が使っているのは、狩で用いる武具だ。殺傷力が高すぎないのも、獲物を不要に傷つけないため。

ヤマトの戦士達が使っているこれは。

なるほど、合点がいった。

他のツチグモ集落も、数で圧倒されただけでは無かったのだろう。武器としての、根本的な考え方が違ったというわけか。

少しして、オロチの老人が来た。

戦いに勝ったと聞いて、そうかと嘆く。ヤマトは、更に数を増やして攻めてくる、という意味だろう。

「すぐに増援を手配せい。 百人やそこらで、防げる相手ではないぞ」

「既に手配してある。 更に五十人。 それに、物資も、翌朝には、此処に届く」

「相変わらず、意外に頭が回るな」

余計なことを言うと、老人はたき火の側に座る。

ヤトは主な戦士を、みなたき火の周囲に集めた。他の集落から来た戦士達も、多く混じっている。

「まず一つ。 この武器は、狩に用いることを想定していないな」

「ほう。 よう気付いたな」

「つまり、人間を殺すための武器か」

「そういうことだ」

戦士達が、どよめく。

まさか、人間を殺すためだけの武器などというものが存在するとは、予想もしていなかったのだろう。

「まて。 それではヤマトの者達は、どうやって狩をしている」

「必要ないのだ」

「え……」

食い物は、全て田畑から。それに飼っている動物から得ることが出来る。

海などでは魚も捕るが、いずれにしても。ヤマトでは、狩は生活と密着した存在ではないのだ。

武器を手に取ると、老人は言う。

「これはツルギという武器だ。 主に建物の中などの狭い場所で、人間と戦うために造り出された」

「建物?」

「この辺りには無いが、ヤマトの中枢部では、巨大な建物が珍しくない。 中に何十人も入れるような家だ」

「そんな馬鹿な……」

笑おうとした戦士だが。ヤトが、真面目に聞いているので、黙り込む。

あり得ない話だとは思えない。

偵察で奴らの集落の柵を見たが、考えられないほどに大きい。あのような技術があるのだ。

巨大な家を作る事が出来ても、不思議では無い。

しかも、ヤマトの連中は、森の外でも充分に戦える。奴らは、森の中でも戦える手段を有しているのか。

戦って見て、戦士の力量については、此方が上だと再確認できた。

ヤトでも一対一で、相手の戦士を倒せるのである。戦士同士での戦いなら、充分に勝ち目がある。

問題はそのほかのことだ。

幾つかの事を順番に聞いていく。やはりオロチの老人は詳しい。全てに的確に応えることが出来た。

疑問点が解消されていく。

だが、それは。より大きな絶望を、造り出していく事でもあった。

「このツルギを、多数作れないか」

「作るには、幾つか条件があるが」

「それについては、調整がついている。 後で谷で話をしようか」

老人は頷くと、護衛に守られながら、一端戻っていった。

とりあえず、これで一通り、確認は出来た。

「次の戦いに備えて、戦士達を眠らせろ」

「分かった。 交代で眠る」

「急げ」

ハハ達にも、朝方に敵が攻めてくる事を想定して、食事を作ってもらう。

ヤトは休むようにいわれたが。まだ眠るわけにはいかない。梟たちを手配して、敵の動きを探らせる。

それから、ようやく眠ることが出来た。

それも、あまり長い時間では無かったが。

けたたましい声に、叩き起こされる。

やはり、来たか。

「また来たぞ! この間より、数がずっと多い!」

「本気で此方を潰すつもりらしいな」

起き出すと、ヤトは戦士達を振り分ける。

二十名を此処の守りに残し、残りの全員で出る。とにかく、森の中で迎撃するしか無い。敵を可能な限り削って、恐怖を植え付けるのだ。

ヤトは奪い取ったツルギを手にする。一番大きいツルギだが、ヤトにも充分に振り回すことが出来る。

まだ上手に使えないが。

ヤトの場合、それは槍でも同じだ。

弓矢だったら、並の戦士に負けない自信はある。

腕力も、ヤマトの戦士よりも上だろう。

他の戦士達にもツルギを使って良いと言ったが、使いたがる者はあまりいなかった。ただし、鉄の鏃はほしがる者が多かった。昨日敵を三人以上屠った者達が何名かいたので、彼らに配分した。

ツルギについては、使い方がまだよく分からない部分がある。

見た感じ、前後に刃がついていて、とてもよく切れる。ただし、どちらかと言えば振るよりも突く方が相手を殺せそうだ。

老人に、使っていないときは、毛皮をまいておけといわれたので、そうしてある。

戦いになったら、毛皮を取って、相手を刺す。

毛皮は頑丈な草のつるで縛ってあるから、大丈夫だ。縛り方は工夫をしてあり、引っ張るだけでほどける。

敵はずっと多いという事だが、あの集落にいた戦士だけでは無い、ということだろう。もっと多くをかき集めてきた、というわけか。

森の中を、走る。

朝露を蹴散らしながら。多くの戦士達が、戦いの雄叫びを上げる。

向こうも突進してくる。

走る音で、森が揺れるのが分かった。

ひゅうと音がして、凄まじい勢いで矢が飛んできた。

とっさに頭を低くして避ける。遠矢なのに、何という威力か。どういう弓を使っているのだろう。そういえば、何度か偵察したときに、凄い弓を持っている敵戦士を何回か見かけた。あれだ。

鉄だけの問題では無い。

弓なども、向こうが遙かに上だと考えるのが、自然だろう。

鹵獲した弓にはたいしたものはなかったが。敵には、まだまだ多くの底力があると考えた方が良さそうだ。弓も多く種類があって、非常に強力なものもあると見るべきだ。

敵が見えてくる。

昨日とは違う。大人数が一丸となっている。そして、矢を、雨霰と降り注がせてきた。

此方も放ち返すが、とにかく相手の密度が高い。近づけない。殆どの矢は木に防がれるが、当たったときのカンという音が強烈で、戦士達が怯む。

口笛を三回吹く。

下がれという意味だ。

戦士達が下がり、敵が進み始める。この少し先で、待ち伏せするのに丁度良い場所があるのだが。

念のため、近くにいた戦士達を十名ほど呼び集めて、単独で行かせた。

少し下がると、傾斜のきつい崖がある。

その上に、味方を集めた。幸い、まだ死者はいないが。負傷者がかなり出ている。負傷者の中でも、怪我が重い者は、すぐに下がらせた。

敵が進んでくる。

そして、足を止めた。

崖に気付いたのだ。

「石を落とせ!」

敵に向けて、岩を転がす。矢を放ってくるが、此方は崖の上だ。しかも敵は大人数でまとまっている。

敵が下がりはじめるが、遅い。

戦士達も、石を投げはじめる。

敵が追われて逃げはじめる。熟練した石投げなら、相手を一撃で打ち殺すことも出来る。密集していた戦士達も、かなり散り散りになった。其処を追い打てば。

だが、敵もやられっぱなしではない。

逃げながらも、矢を放ってくる。

此方も、崖からは積極的に追撃できない。かなりの数は倒したが、敵が石の届く外まで行ってしまうと、どうしようも出来なかった。

しかし、既に手は打ってある。

煙が上がり始めた。

後ろに回しておいた男達が、森の入り口辺りで、火を焚いたのである。敵が慌てて逃げはじめる。

此処が、勝機だ。

「追え! 逃がすな!」

こうなると、脆い。

敵は森になれていない。それに対して、此方は生まれてから、ずっと森の中で生活しているのだ。

転んだ奴にたちまち戦士達が飛びかかり、槍で滅多刺しにする。

鉄の武器も青銅の武器も、こうなってしまうと関係が無い。ヤトも走りながら速射し、一人の足に当てた。

「生かしたまま、何人か捕らえろ!」

倒した相手の横を走り抜けながら、ヤトは更に一矢をつがえる。

鉄の矢は凄い。石の矢だったら、今ので弾かれていたかも知れない。追いつく。森の中では、此方の戦士が単純に強いという事が生きてくる。

飛びついて、一人にツルギを叩き付けた。

一撃で、肩から背中に掛けて、鋭い傷が出来る。驚くほどの切れ味だ。だが、斬っている最中にも切れ味が落ちるのを感じた。

これでは、何人も斬る事は出来ないだろう。

振り方にもコツがあるようだ。

これは、何人も斬って覚えるしか無いか。

足下で末期の呻きを発している敵戦士の首を折って殺してやる。森の出口が近くなってきたので、口笛を吹く。

これ以上は、敵の反撃を受ける可能性が高い。

口笛を吹きながらも、ヤトは跳躍して、背が高い敵の頭上に躍り上がった。

渾身の一撃を、振り下ろす。

ガチンと音がした。

ツルギが折れたのだ。

ただし、残りの半分は、敵の頭に刺さっていた。頭を半分砕いただけでも、此奴は立派に働いたのかも知れない。

ヤトは死んだ敵の頭から刃を引き抜くと、ツルギを収めていた毛皮に放り込む。

「何人もは殺せないな」

「どうして追撃を止めた」

殺気だった戦士達が戻ってくる。ヤトにくってかかりかねない勢いだ。

「奴らはこんな程度の人数じゃあ無い。 森の外に出れば、勝ちが帳消しになるぞ」

「俺たちの方が強いって、分かっただろう!」

「森の中ならな」

もう一度、撤退の口笛を吹く。

そうすると、流石に他の戦士達も戻ってきた。

やはり、皆目を血走らせている。勝っていたのにと、皆考えているようだ。これで良いのだと、分からせるのが後で大変である。

後は、敵の死体を運ばせる。

敵の武器は可能な限り奪う。

鉄も青銅も、いくらあっても足りない。オロチの老人に、壊れているのは直させる。新しいのを作るかどうかは、今後考えた方が良いだろう。

服についても、出来るだけ奪っておきたい。

作り方が分かれば、此方もかなり楽になる。少なくとも石の武器程度は、ある程度防げるのだから。

手の甲で、顔に飛んできていた返り血を拭う。

呼吸を整える。

意外にもすぐに、呼気は収まった。

昨日もそうだったが、殺す事に忌避は無い。動物を殺すのと、あまり差が無い。

というよりも、ヤマトの連中が此方をツチグモなどと呼んでいるように。ヤトも、家族を皆殺しにし、集落を焼き尽くしたヤマトの連中を、人間だと見なしていないのかも知れなかった。

生きている敵を見つけた。

そのまま縛り上げて、連れて行く。

此奴らには、色々役に立ってもらう。

複数生かしたのは、口を滑らせやすくするためだ。此方が躊躇なく殺すところを見せれば、だいたいの相手は喋る。

その次の日の朝は、もうヤマトは攻めてこなかった。

どうにか敵の攻撃は退けられたなと、ヤトは思った。

だが、これで終わるはずもない。

 

4、朝廷の剣

 

チカラオは、そのものが来ると知って、すぐに粗相がないようにせよと周りに言った。

二度の小競り合いで多少の被害は出したが、この辺りの統治に問題は無い。クマソやオロチなど、もっと激烈な戦いになった相手もいる。

多少賢い奴が敵にいるようだが、それでも何十年でもかけて服属させればいいのだ。辺境に派遣された将軍は、皆そういう認識にいる。

だからこそに、来るはずが無い存在だった。

村の入り口に出たチカラオは、地面に這いつくばった。

一軍の将であるチカラオだが。あまりにも、その相手は、自分とは格が違う存在なのである。

タケル。

この国に何名かいる、最強の将軍の名だ。

今回来たタケルは、アキツの中央部を制圧するのに、大きな功績があった人物である。タケルとなってしまうと、元の名は伏せられるので、以前なんと呼ばれていたかは分からない。

ヤマトの朝廷は、必ずしもこの国の全てを抑えてはいない。

都のある周辺でも、まだツチグモは少数ながら生き残っている。勿論ヤマトの国を脅かすほどでは無いが、山奥にまでは討伐の手が回らないのだ。

タケルが、来た。

顔を上げる。

剛力が自慢のチカラオよりも、更に頭一つ大きい。素手で熊を倒したという噂がある、怪物のような武人だ。

非常に目が鋭く、ただ腕力だけの男では無い事は、一目で分かる。

「出迎え、大義である」

「ははっ。 夕餉を用意してございます」

「不要。 まずは館に案内せい」

「かしこまりました」

路は掃き清めてあるし、周囲の警備も完璧。少し前にツチグモに小競り合いで敗れたが、それもたいした損害では無い。

ましてや、見たところ、タケルは一千の軍勢を連れてきている。

正式一個師だ。

しかも、この辺の兵士とは違う。きちんと訓練を受けた精鋭である。

大陸の基準となる師とは規模が違うし、おそらく訓練もずっと劣っているだろうが。文字通りの未開であるツチグモを蹴散らすには、充分すぎる戦力だ。

館の中では、掃除を終えた侍女達が平伏していた。

満足そうに館の中を見回すと、最上座にどっかとタケルは座る。

その前にチカラオが平伏するのを待ってから、タケルは重そうな口を開いた。

「来る途中に報告を聞いた。 負けたそうだな」

「ははっ。 小競り合いにて、不覚を取りました」

「ふむ。 此処のツチグモは、それほどに手強いか」

「手強いと言えば、手強いのですが。 それ以上に、妙なことが多うございます。 戦いは、既に必要な農地は確保しました故、朝廷にくだるように説得していた矢先の出来事でした。 向こう側の跳ね返りが独走したようにも思えますが、なにぶんこの辺りのツチグモたちは複雑な勢力を構成しておりまして」

ざっと地図を広げてみせる。

大まかな海岸線と山の図。これも、目視で作ったものだから、非常にいい加減な図だ。山の中に、二十を超える点と、だいたいの線。

敵の勢力を示す図である。

その先頭にある、アオヘビと書かれた、中規模の勢力の上で、チカラオは指を止めた。

「此処がくさびとなっております。 敵の戦力は此処に集中し、もっとも抵抗も激しゅうございます」

「お前の部下をやぶったのも、此処か」

「は。 損害は合計して九十名ほど。 いずれもが、周辺からかき集めた雑兵にございますれば」

「ふむ……」

タケルが考え込む。

チカラオは何度かこのタケルの戦い方を見た事があるが、粗暴にして知略を有し、豪放にして常に退路のことを意識もしている。

戦歴も、チカラオよりずっと上だ。

「破れた部隊の隊長を呼べ」

「其処に控えてございます」

「そなたがか。 戦況について聞かせよ」

「は……」

髭が白くなり始めている隊長である。

朝廷に二十年仕え、既に年は四十の半ば。もう少しで、老人と呼ばれる年齢だ。

戦士としての力量も昔は優れていたが、既に衰えが酷い。しかし指揮官としては円熟と言える年齢でもあるので、隊長を任せている。

「それで、如何にして破れた」

「三度の戦いがありました。 一度目は、敵の少数の兵力が、夜、不意に放火をしてきました。 それまでは小競り合いさえなかったので、見張りについていた兵士達が追撃を行い、それが混乱を招きました。 どうにか撤退させはしましたが、少数の被害を出す事となりました」

「それで収まりがつかなくなったか」

「は。 このような場所で、敵に舐められるは致命的でありましたので」

言われたことに、淡々と応える隊長。

タケルも怒っている様子は無い。

「二度目は」

「敵に夜襲を掛けました」

「ふむ、首尾は」

「敵の斥候は発見できませんでしたが、どうしてか察知されていました」

森の中で乱戦になったが、奇襲を防がれた時点で、勝ち目は薄かった。

夜近くまで続いた戦いを、どうにかまとめて撤退。

この時点で止めるべきだったのかも知れない。

だが、チカラオが、周辺の駐屯地から増援を集めていた。その兵力を使って、再度の夜襲を試みたのである。

「だが、それも失敗したか」

「左様で。 しかも敵は、陽動で火を付け、味方の混乱を誘発しました」

「ふむ」

訓練を受けていない兵士達は、退路を断たれたと思い、算を乱して逃げ出し。

そして、敵の追撃の餌食となって、大きな被害を出した。

「ツチグモは、文字通り土に住む者達だ。 狩に生きているが故に、身体能力は高く、戦士としての素養もある。 農業をする事で弱体化した者達では、勝負になるまい。 とくに、森の中ではな」

「はい。 処分はいかようにも」

「いや、不要。 特に作戦上の落ち度は無い。 ただし、次の戦いでは、死んでいった兵士達の分も戦い抜け。 チカラオ」

呼ばれたチカラオは、向き直る。

隊長は、既に下がらせた。

タケルは粗暴そうに見えるが、こういった所では部下の使い方を心得ている。

「そなたは、連れて来た師と合同で、此処にいる兵士共を訓練せよ。 一月で、森の中で戦い抜けるようにだ」

「分かりました」

「それと、近隣から脂を集めよ。 森が乾燥する時期までにだ」

「火攻めにございますか」

最後の手段だと、タケルは言う。

実際、火攻めをすると、近隣の被害が極めて大きくなる。この辺りの山が全て焼けてしまえば、友好的なツチグモまで敵に回すだろう。

脅しとしての行動だ。

勿論、敵に火を付けられることを、防がなければならない。脂は厳重に管理しなければならないだろう。

「一つ気になることがあるな」

「夜襲を察知されたことですか」

「そうだ。 訓練が足りなかったとは言え、どうして察知された」

チカラオは知っている。

これでもツチグモと戦い続けてきたのだ。奴らは所詮人間。不可思議な力など使えない。だが、兵士達の中には、そう思わない者もいる。

ツチグモの女達は訳が分からない化粧をしているし、男達だって極めて不衛生だ。

水を浴びて体を清めることが普通の朝廷の民とは、根本的に生活が違っている。だから、ツチグモから帰化した者では無い、ずっと農耕をしている者達は。ツチグモを怖れるのだ。祟り神の力を持っていると。

実際、今回の夜襲失敗が、その恐怖心に火を付けた。

兵士達の中には、敵が怪しい術を使ったのでは無いかと噂する者が出ている。どれだけ噂を禁止しても、既に野火のように広まり続けている。

「もしも、敵が意識的に何かしらの策を使っているとしたら」

「侮れない相手かと思います」

「うむ。 このツチグモの首領は。 やはりミコか」

「はい。 一度だけ顔を合わせましたが、まだ若い女にございます」

若いと言うよりも幼い位なのだが。しかし、奴がこれまでの奮戦を指揮していたとなると、相当な怪物だ。

もしも、全てが奴の計算尽くだとしたら。

チカラオは、身震いした。

そんなことが、ある筈が無い。

「面白い。 ここのところ、ろくな敵がいなくて退屈していた」

タケルは立ち上がると、明日からは自分が総指揮を執ると、周囲に宣言した。

こうなると、チカラオに出来る事は無い。

あの女、死んだな。

そう、内心で残念に思うことだけが。チカラオに出来ることだった。

 

(続)