勇者の黄昏

 

1,悲しみの覚醒

 

そこには、音がなかった

暗い沈黙と、塵と、埃と、何かよくわからない物が多数並んでいただけだった

そこには、生物もいなかった

鼠も蚤も、細菌やウイルスさえもいなかった、完璧な無菌状態であったのだ

・・・いや、一人だけ、機械の中に仮死状態の人間がいた

冷凍睡眠状態になっていたその者の名を、レミレエル=サーヴァンスという

サーヴァンスという姓は後から与えられた物で、奴隷という意味を持っていた

 

死んでいるように沈黙していた部屋が、目を覚まし、生き返り始めた

照明設備が作動し、部屋に明かりをもたらし

完全な黒一色であった部屋を、灰褐色を主体とする複数色に着色した

特定の「波長」に合わせ、走るように組まれていたプログラムが、「波長」を感じ取ったのだ

動いたのは照明設備だけではなかった

空調設備が部屋のわずかな埃を吸引し、空気成分を調整し、人間に最も適した状態に微調整した

その他の機械も目覚め、幾つかのメーターに光がともり、針が動き出した

それに伴い、周囲の状況が明らかになっていった

そこにあったのは、冷凍睡眠装置と、幾つかの計測装置、それに一人分の生活器具だった

冷凍装置が、冷たい息を吐き出し、口を大きく開けた

そして程なく、永い眠りについていたレミレエルが目を覚ました

 

レミレエルは大きく欠伸をすると、まず浴室に向かい、体についた汚れを洗い落とした

睡眠にはいる前、調査科学者から、統一政府が保管していた、古代文明の遺産であるこの部屋の

判明している全ての機能は、聞いて覚えていたから、迷うことはなかった

完全密封式の箪笥を開け、保存していたかっての衣服を身につけると、眠たい目をこすりつつ

義務であるかのように、彼女は幾つかの計測装置のコンソールに、聞いたまま指を走らせた

地上の状況を探査する計測装置は、一つを除いて、いっさい反応しなかった

一度ではなく、二度繰り返しても、故障しているわけでも無いようなのに、結果は同じであった

溜息はでなかった、同じく悪態もでなかった

レミレエルは統一政府の秘密警察「管理局」と戦っていた頃、クールなことで有名だった

十六歳の若さながら、長生した大人の雰囲気を持つなどと言われた物だが

本人に言わせれば、単に感情が常人よりも鈍いだけであった

衣服と同様にして取り出した櫛と手鏡を持って、マイペースで肩先まで伸びた淡緑の髪をとかし

続いて靴下とスポーツシューズを履き、彼女は用意された鏡台に身を映してみた

当然、眠っていた間の記憶はないが、ジーンズも半袖のシャツも

それにお気に入りのネックレスも、腐食せず、何一つ変わってはいなかった

活動的な服装に反し、目は半分閉じているように見え、かなり眠そうに見えたが

これは元々のことで、本当に眠いわけではない

これほど、経歴と服装と容姿がアンバランスな人物も珍しかったであろう

美人などではないし、強いて言えばレミレエルは「可愛い」と言われるタイプであったが

彼女を知る人物が抱くイメージと、一見緩慢な動作や、それに反する活動的な服装は

あまりに違いすぎる物であり、彼女にとって侮られ驚かれるのは日常茶飯事であった

七つ目に動かした外部環境探査計測装置は、初めて、唯一作動した

それは時間計測装置、つまり時計であった。 時計はレミレエルの時代の千二百年後を示していた

彼女は無機質な天井を仰ぐと、管理局局長ヴェルフの言葉を思い出していた

ヴェルフは言ったのだ、I shall return 「私は帰ってくる」と

「千二百年も経って帰ってくるなんて・・・器用な人ね・・全く」

一気にミネラルウォーターを呷り、ハンカチで口を拭きながらレミレエルは呟いた

缶詰を開け、空腹を満たすと、古代文明の遺産である翻訳機を片手に、彼女は脱出口へ歩き出した

無論、何故千二百年後なのかは覚えている。 忘れるはずもない

それは、レミレエルが張った封印結界が、効力を保つ最大時間であった

 

脱出装置は大きな声を立てて抗議し、そしていつまで経っても作動しなかった

千二百年も経てば当然のことであったろう。 上に建物が建っている可能性もある

人々の記憶はうつろいやすく、まして極秘事項であった此処の事など、忘れられて当然だった

レミレエルは目を瞑り、上方に「念」を凝らした、上に大型生物の生体反応らしきものはない

そして高エネルギー反応もなく、質量反応も、予想される土砂の量以上にはなかった

どうやら上は無人であり、装置が動かないのは年月による劣化が原因らしい

そう判断したレミレエルは、ゆっくりと、上に手をつきだした、空間を測定しているのだ

一瞬後、地下から地上へと、蒼い閃光が突き抜けた

それは空間ではなく、超空間での出来事であり、レミレエルは一気に空間を飛び、地上にでていた

何も傷つける事なく、動かすことなく、一瞬にして数百メートル以上も空間を転移したのだ

魔法。 この世界では一般的な力だったが、それでも此処までの使い手は少ない

これほどのレベルを持つ術者は、世界にレミレエルと、あと一人しかいなかった

殆どの場合、今のレミレエルと同じ事をしようとすれば、体力を消費しつくし

酷い場合には老化し、寿命を縮めてしまうことだろう

彼女はかって、勇者と呼ばれていた

千年に一人の天才であり、世界最強の魔導師を、仲間達と共に戦って倒し、封印したからである

 

レミレエルは千二百年ぶりに外に出、外界の空気を吸った

それは清浄で、硫黄酸化物や窒素酸化物などの有害物質は全くなかった

・・・そこは荒野だった。 町どころか、家一軒建ってはいない

小さな生物さえ見あたらず、見渡す限り延々と命無き荒野が広がっていた

立ちつくすレミレエルを嘲笑うかのように、爆音をあげながら飛来した者がいる

殺気をまき散らし、その存在は空中で角度を変え、レミレエルのすぐ目の前に降り立った

暫くじっと口をつぐんでいたが、やがてその存在は、残忍な口を開いた

「よーお、レミール、千二百年ぶりだな」

レミールというのは、レミレエルと親しい者だけが使っていた愛称だった

男の口からその言葉が漏れたのを聞くと、レミレエルは不快げに一歩後ずさった

やはり、目覚めの原因は、この男の再来だったのだ

その男、「管理局」局長であり、かって世界を実質支配していた男

不敵に笑う男の名は、人類を超越した世界最強の魔導師、ヴェルフ=コールマンであった

 

「貴方がやったの?」

レミレエルは顔を上げると、ヴェルフに問いかけた

その口調には、怒りよりも悲しみの要素が大きかった

ヴェルフは肩をすくめ、首を横に振って、右手をポケットに突っ込んだ

「まさか。 ワシは世界を管理していたが、それは必要に駆られてのことで

世界の支配や人類の滅亡など望んでいなかった事は、お前さんも知っているはずだ」

沈黙が、風の衣を纏い、その場を通り過ぎていった

それが纏っていた寒風は、レミレエルの髪を撫で、さらさらと小さく音を立てた

「・・・何時から・・・こうなったの」

それを言うだけで、レミレエルには精一杯であった

悪い予感はしていた。 彼女は目覚めた時、人類の状態を知るため

大雑把な人口を知ろうと、地上に「念」を向けたのだ

だが人間の反応は一切無かった。 その時は寝起きで感覚が鈍っているだけだろうと考えていた

いや、予感をねじ伏せ、自分にそう言い聞かせていたのだ

レミレエルは予感を感じることなど滅多になかったが、来たときはほぼ確実に的中した

そして。 今回も例外ではなく、そればかりか予測の最悪を極めてしまった

甘い希望的観測にとどめを刺したのは、ヴェルフの容赦ない言葉であった

「もうかれこれ六百年以上経つ

ワシの干渉が無くなってから、人類が滅びるのに、そう時間はかからなかった」

「そう・・・」

再び沈黙が戻ってきて、二人の間に座り込んだ

彼はさっきより遙かにゆっくりと、そして意地悪くそこに居座った

「理由を教えてやるよ。

人間の馬鹿さ加減と、低能ぶりをな・・・」

ヴェルフはゆっくりと、凄まじい憎悪を込め、吐き捨てた

その怒りは、明らかに、僅かな期待を裏切られた事に向けられていた

 

2,勇者と魔王

 

レミレエルに、親の記憶はない

山村の、小さな農村の末っ子らしい、ということしか知らない

此方の世界とこの世界の間には、さほど差らしき物はないが、強いて言うなら魔法の存在であろうか

それも田舎では滅多に見られず、レミレエルが初めて魔法を見たのは農村を出て後、七歳の時である

この世界の政治形態は此方より進んでいて、世界的な秩序が彼女の幼少時には成立していた

そう、この世界には、全世界を統べる偉大なる統一政府があったのだ

故に戦争もなく、だから平和などは、その偉大な価値を風化させてもいた

もう一つ、この世界にはない物があった

それは、ウイルスに対抗する医療手段である

魔法による治療は、いかなる傷も治せ、場合によっては死人すら蘇らせることができたが

反面、ウイルス性の病気に対しては完全に無力だった、いくら文明が進んでも無力だった

抵抗力を持つ者だけが生き残れた、政府の高官は勿論、偉大な大魔導師とてそうだった

世界は安定し、平和は既成の物だった、途轍もなく贅沢な状況である

だがそれに気付かず、その贅沢に溺れた民衆は、いずれその愚かさを思い知る事になるのだ

 

レミレエルに、少女期の記憶は、親の思い出同様殆どないが

それでも、少しばかりの、空蝉に近い、空虚な記憶はある

その一つ。 顔も覚えていない一番上の兄に背負われ、畑上で揺られながら

レミレエルは、時々村の上空を、何かが飛ぶのを感じ取っていた

幾ら高く飛んでも、生来的に凄まじい潜在魔力を持つ彼女には分かった

後でそれが「飛行機」という存在だと知ったが、その時はまだある現象との関連性しか分からなかった

その現象とは、即ち原因不明の大量死である

飛行機が飛ぶ度、人が死ぬ。 それを口にしたレミレエルは始め、相手にされず笑われ

そして言葉が尽く的中したとき、一転して化け物扱いされた

「この子は、悪魔の化身だ!」

誰かが叫ぶと、すぐにそれは波紋となって、村中を席巻した

身の危険を感じたレミレエルは、追跡者であり残忍な殺戮者でもある村人から逃げ回った

実の兄や、両親すらもが刃物や鍬を持って追ってきた、それはトラウマになるに充分な恐怖だった

レミレエルは逃げ延びることができた、「親切な旅人さん」が匿ってくれたからだ

しかし、安心したのも束の間だった。 その男は親切でも旅人でもなかったのである

男は、奴隷商人だったのだ

奴隷の使用は、この世界でも重大犯罪であり、堅く禁じられていたが

地方の成金などには、奴隷をほしがる者もおり

需要はあったから、少数の奴隷商人が困ることはなかった

レミレエルは逃げられなかった、唯一拾ってくれた人間が、奴隷の買い主であったし

更にその町は完全にその男の勢力圏で、逃げたところでだれも助けてなどくれなかった

どんなに殴られても、怒鳴られても、生きていられるだけましだった

男は明らかに、恣意的に暴行を楽しんでいた

外界に情報を漏らさず、屋敷の内部で複数の奴隷を使い、男はサディスティックな欲望を満たしていた

死のうという者は一人もいなかった、この世界での命は、非常に重い価値を持っていた

だが、その醜い行為にも、終わる時が来た

幸運と言うべきか、それとも報いと言うべきか。 奴隷を虐待していた奴隷商人は病死した

咳き込んでから僅か七日。 呆気ないほどの最後だった

そして、次にレミレエルを拾ったのは、「黒の狼」というあだ名を持つ中年男性

「反乱軍」の中核をなす、最精鋭の一人である魔導師であった

 

統一世界政府に反抗する武装勢力、「反乱軍」が勢力を飛躍的に伸ばしえたのには理由がある

政府の研究機関から逃げ出してきた男が、全国ネットでとんでもないことを喋ったのだ

その内容は、現在世界の総人口が五億人に保たれているのは、政府の管理政策であるという事だった

政府は「ウイルス」という物で意図的に人口を制御し、その治療法と対抗策を知りながら

自らの利権のためにそれを隠蔽し、将来的には全国民を奴隷化するという衝撃的な内容であった

そして男は付け加えた、政府高官のみはウイルスの脅威から逃れる術を知っていると。

実際には、この放送には多分に誇張が含まれていたが、だが疑惑より確信を持って世界に伝わった

思い当たる節が、幾らでも状況証拠に似たものがあったからだ

反乱軍と正面から戦ったのは、ヴェルフという謎の男が率いた「管理局」であった

幹部はいずれもマスタークラスの高位魔導師で、圧倒的な実力を持っていた

自然と戦いに身を置いていったレミレエルだったが、その才能は周囲を驚嘆させるに充分であった

彼女は常識外れの速度で、ありとあらゆる魔法を修得し、魔力の上昇も桁違いだった

数年で師匠を超えたレミレエルは、必然的に反乱軍の中核をしめる精鋭部隊の長となっていた

反乱軍は破竹の進撃を続け、やがて軍も動き出したが、反乱軍を止めることは不可能であった

そして、ついにレミレエルと仲間たちは、管理局本部への突入を果たしたのである

 

その時既に、管理局幹部は全滅していた

「氷の王」も、「炎の王」も、「風の王」も、「地の王」も、レミレエルには歯が立たなかったのだ

抵抗を排除しながら、奥に進むと、そこにはヴェルフが傲然と待ちかまえていた

レミレエルと仲間たちは見た、その恐るべき力を

かっては存在していた「神」や「魔王」、彼らに勝るとも劣らない、根元的に全てを超越した力を

戦いが始まった、ヴェルフは亜空間を作りだし、その中にレミレエル達を引きずり込んだ

ヴェルフの圧倒的火力をどうにか防ぎながら、反乱軍の魔導師が、降伏しろと叫ぶ

「すでにここは囲まれているわ! 抵抗は無駄よ!」

一人で反乱軍の最精鋭六人を同時に相手しながら、ヴェルフには充分以上の余裕があった

「外にいる連中か、その囲んでいるとかいう奴らは?

くくく、ワシが出れば一分で片が付くが、それがどうかしたか?」

ヴェルフは六人の一斉攻撃を右手一本で余裕を持って受け止め、傍若無人に言い放つ

皆の背に、等しく悪寒が走った、ヴェルフの言葉には、圧倒的な実力に裏付けられた説得力があった

一般に、二つ以上の魔法を同時に使いこなせれば、一流以上の魔導師としてもてはやされる

だが一つ一つの威力は当然落ちるし、高位魔法を使うなど以ての外である

だがヴェルフは、非常識極まる事に四種類の高位魔法を、余裕を持って同時に使いこなし

しかもそれぞれの破壊力が、完全に桁違いであった、亜空間を作りつつ戦っているのに!

千年に一度の超天才レミレエルとて、三つの魔法を同時に使うのがやっとだというのに!

事実、ヴェルフの実力を持ってすれば、外の兵士達を一分で片づける事も容易かっただろう

先に叫んだ、反乱軍最精鋭魔導師の一人、防御魔法の大家である魔導師ミーナが再び叫ぶ

「貴方がいかに強くたって、もうこの歴史の流れは変えられはしないわ!

もう統一政府は終わりよ! 貴方ほどの人物なら、それくらいは分かっているはずよ!」

「馬鹿を言うな。 お前達がやったのは、単なる集団ヒステリーの扇動だろうが。

死人が大量に出るからな、ワシが出ることは自粛してきたが、それも今日で終わりだ

一週間、一週間で反乱軍を全滅させてやろう

聞き分けのないガキには、仕置きしてやるのが一番の薬だからな」

客観的に、余所の世界から見れば、ヴェルフの言葉の方が本質をついていた

確かにその言葉には、力による暴虐が含まれてはいたが

事実、安定し、平和を極める世界に対する、どうにもならない病気に対する、集団ヒステリーを

反乱軍は利用し、民衆を煽っていたのである

戦いに勝ち目がない事を、レミレエルは悟った

ヴェルフと戦うのは、超天才レミレエルでも、三十年早かった

ヴェルフが際限なく放ってくる、途轍もなく重い攻撃を捌きながら、レミレエルは全員に合図した

皆が一丸となり、複合呪文詠唱を汲み上げ、封印の魔法を完成させた

一瞬の隙をつき、一糸の乱れもなく、それは完璧に行われた

凄まじい相乗効果と、絶妙のタイミングで放たれたそれには、流石のヴェルフも屈せざるを得なかった

「見事だ・・・しかし後悔することになるぞ・・・

人類の総意でワシを追い出すのはかまわん、それだけの事を出来たお前達に敬意を表してやろう

此処は退いてやる。 だがよく覚えておけ! I Shall Return!]

超空間結界に封じられ、異空間の檻に飲まれながら、ヴェルフはそう叫んだのだった

 

その後の展開は早かった

七百年以上の歴史を誇った統一政府はあっさり瓦解し、そして新政権が誕生した

それらの経過を横目で見ながら、レミレエルは「眠り」につくことを提案した

表向きは、自分の役目が終わったからだが、本当はヴェルフの言葉が気になったからだ

すぐにそれは受け入れられた、政府を支えていたのがヴェルフであった事は、調査により判明していた

「魔王」といって良い存在だった、ヴェルフの消滅後、「勇者」は無用の存在だったのである

そしてレミレエルは、暗い地下の奥、旧時代の遺跡の中で、「眠り」についたのだ

大好きなうたた寝ではない、何の楽しみもない眠りに・・・

 

3,愚かさと馬鹿さ加減と

 

レミレエルはいつの間にか、翻訳機を取り落としていた、あまりにもショックだったからだ

幾ら何でも、世界が滅びているとは思っていなかった

理想社会が築かれるなどと言う寝言は最初から頭になかったが、幾ら何でもこれは酷すぎる

「・・・ワシは結界に封じられていた訳ではない

別の世界に逃れ、そこからこの世界を定期的に監視していたのだ」

「でしょうね。 貴方だったら、あんな結界ぐらい、百年もすれば打ち破れたはずだもの」

「百年だと? ふん、笑わせるな、かかっても十年だ」

ヴェルフは手を振り、一人で笑った、レミレエルは笑わなかった

「さてと、どこから話してやるかな

まずは、新政権が十年しか持たなかった事からにするか」

 

新政権は短命だった

幹部達は軍人としてはともかく、政治面では無能揃いで、内部抗争に明け暮れ

民衆の支持をすぐに失い、そして内外からの圧力により自壊した

盟主をしていたラスムレア将軍の病死も痛かったが、結局彼らには重すぎる荷だったのだ

それからは政治的混乱、統一の崩壊、そして地獄の時代が始まったのである

「哀れだったのは、お前さんの仲間達だった、レミール。

政治的野心など無かったのに、政治犯として逮捕、投獄され

酷い拷問の末、罪を「自白」させられ、殺されていった

ワシを倒した名声が怖かったのだろうが、全く人間という奴らは仕方がないな」

ヴェルフは笑っていたが、その目は全く笑っていなかった

そこにあったのは、核爆発にも似た、破壊的な怒りの炎だった

レミレエルの表情は沈んでいた、聞きたくなくとも、聞かねばならぬ義務があったからだ

この事態を招いた責任の一端が自分にある以上、人類の愚行を聞いて知っておかねばならない

 

民衆が気付いたときには、既に政治的統一など、過去の遺品となり果てていた

各地で有力者が勢力争いを始め、戦国時代の到来と同時に、権力の集中化が図られていった

統一政府の崩壊から百年もした頃には、世界は万単位の独立国家に分かれ

今まで当然の権利だった全ての物、自由権、参政権、平等権などは過去の存在に墜ち

反対に貴族などの特権階級が復活し、正当化されていった

文化は破壊され、各地の古美術館は略奪され、孤児院や病院は焼き討ちされた

全ては凶暴な怪物、戦争に酔った兵士達によって行われ、批判できる者は誰もいなかった

そして、それから三百年。 ようやく無秩序な時代は終わるのである

「何故だと思う?」

「・・・分からないわ」

「答は簡単だ。 三つの超巨大国家がほぼ同時に誕生し、勢力バランスが安定したのさ」

ヴェルフはそこまで言うと口を閉じ、レミレエルを促して歩き始めた

その手にはいつの間にか蝙蝠傘が出現し、それをクルクルと回しながら、ヴェルフは話を続ける

 

その後二百年ほどは、三竦みから来る冷戦、それに起因する平和が世界全土を覆った

混乱の末、既に民衆の権利は、辞書から抹殺されていた

それは旧時代の悪しき産物として、不文律的に封じられ、それを口にする者は少なく

また口にしたところで、「旧時代を崇拝する反動主義者」と罵られ、酷い場合には処刑された

傘を脇に挟み、ヴェルフは天を仰ぎ見ながら、太陽に向けて怒りを叩き付ける

「専制国家にとって、市民の自由だの権利だのは、危険な異端思想以外の何者でもないからな

奴らは悪い意味で利口だった、旧時代というタブーとそれを結びつけることによって

自らの絶対統治と、搾取を完全に正当化したのさ」

「・・・それで、どうして人類は滅びたの?」

最終的な質問が投げかけられ、それと同時に時刻が正午を回った

ヴェルフは何処からともなく弁当を取り出し、近くの大岩に腰掛けて食べ始めた

近くの岩に腰掛け、レミレエルも同じく携帯食料を頬張った

 

暫くして、食事を終えたヴェルフが再び話し始めた

レミレエルは一瞬口を止めたが、それも一瞬だけのことだった

本当は、好物のアップルパイとて喉を通りそうにない心境だったのだが

ここでヴェルフにつけ込まれるわけには行かない、平静を装って食べねばならなかった

遠くには、先ほどは見えなかったビルの残骸が、骸骨のように崩れながらも建っている

かっての超文明の、哀れな末路であり、そして破壊の産物だった

「・・・当時、世界の人口は四十八億に達していた

混乱時代を乗り越え、冷戦初期の十倍以上に増えたわけだが、その数と人間のエゴが悲劇を生んだのだ」

 

一部の科学者が、その事実を発見したのは偶然だった

発見してもしなくても、結果は同じだったであろうが、ともあれそれが悲劇の幕開けになった訳である

深層海流の流動、地軸の動き、太陽の活動と重力バランス、大気成分の変化、その他多数

それらを総合すると、どうあっても、どんなに遅くても五十年後、超氷河期が確実に到来する!

「科学者達はコンピューター・・・まあ、計算とか色々なことをやってくれる機械のことだな

そいつと格闘し、絶望的な数字をはじき出した

あらゆる観測に基づく事実を、最も好意的に解釈し、最も楽観的に構築した場合

生き残れる人類の数は・・・五億人」

レミレエルが口を止め、息を飲むのを無視し、ヴェルフは続ける

事情を知らないレミレエルにも、その後の展開は容易に予測がついた

「当時、三大大国、ハースヴェル、ラムクス、アメリクはそれぞれに十五億以上の人口を抱えていた

人口制御など、やりたくても出来なかった

何故ならそれは、「民の権利」同様、「悪しき旧時代の遺物」だったからだ

奴らは悪知恵こそあったが、根本的に馬鹿だったのさ」

「・・・・・。」

「殺し合いが始まった、軍隊が総動員され、国境で衝突を始めた

情報の封鎖も、「旧時代の遺物」だったから、民衆は全てを知っていたのだよ

国境は非常に広く、衝突地以外は手薄で、そこから次々に小部隊が敵国へ侵入していった

目的は・・・言うまでもない、分かるよな」

虐殺が行われた。

兵士達は敵国の住民と見るや、子供も老人も、一切容赦なく皆殺しにしていった

殺さねばならなかった、殺さねば、家で待っている家族が生き残れないからだ

無論、殺される方も黙ってなどいない

殺戮は際限なくエスカレートしていき、徹底的に規模を拡大していった

報復は報復を呼び、そして主力部隊同士の戦闘も、妥協のない憎しみから更に激化していった

国内では、病人や社会的弱者の殺戮が行われていた

政府は病院やスラムに手を回し、組織的かつ公然とそれを行っていった

天井知らずに急増していた人口は、突然にして成長率が横這いになった・・・

「だが、問題は解決しなかった

十年間世界大戦が続き、犠牲者は三国合わせて七億人を越えたが

世界の人口を総合的に見れば、減るどころか逆に九千万人増えていたのさ

首脳部の連中は焦っただろうよ、無い脳味噌を絞ったあげく、奴らは最低最悪の選択をしたのだ

しかも揃いも揃って、三国一緒にな!

地獄への扉は、そこで開かれたんだよ・・・」

 

4,滅亡

 

清浄な空気の中で、天からの降水現象が起こっていた

その現象、つまり雨の中、レミレエルはふらふらと、どこともない目的地を目指し歩いていた

雨は、空気同様清浄だった、強酸性でも強アルカリ性でもなく、放射性物質も含まれていない

だがしかし、非常に冷たく、そして悲しさを助長していった

ビルが見えた。 半分以上崩れていたが、どうにか雨だけはしのげそうだった

本能的に、吸い込まれるように、かつては生きていた建物にレミレエルは入っていった

中に入ってみると、コンクリートからは鉄筋が露出し、ささくれだって壁は壊れていた

生物的に言えば、白骨死体寸前の腐乱死体という所か

今このビルは、単にバランスで建っているだけである、何時崩れてもおかしくあるまい

魔法で防御すればビルが崩れる程度の衝撃など屁でもないが、今のレミレエルにそんな気力はない

崩れてくれば、無力な少女に成り下がった彼女など、ひとたまりもなく圧死してしまうだろう

膝を抱えて、かっては気丈なことで知られた少女が、暗闇に向かって呟いていた

「・・・何で・・・どうしてこうなったのよ・・・

わたし・・・わたし・・・・・・・戦ったのは・・・・・生きるためだった・・・・

でも・・・人を・・・・・人を・・・・・・・・・人を信じていたのに!」

劣化しきったコンクリートが、鉄筋から手を離し、下に落ちていった

それを引き起こしたのは、僅かな雨の滴だった、レミレエルの上にも拳大の欠片が落ちかかった

手を振ると、彼女にとっては少量の魔力が放たれ、欠片は溶けて崩れるように消えた

上を見上げると、埃と僅かな雨が目に入り、目をこすらざるを得なかった

そのせいだけではなく、目からは涙が溢れ出て、止められなかった

泣いたことなど、五歳以降では一度もなかったのに、涙など枯れ果てたと思っていたのに

「何で・・・こうなったのよ・・・・

わたし・・・何のために人をたくさん殺したのよ・・・・・

何のために生きてきたのよ・・・・何のために戦ったのよ!

仲間達は・・・なんで死ななければならなかったのよ・・・彼らが何をしたっていうのよっ!」

誰も答える者はいなかったが、雨は風の音と協力し、悲しげな声をあげている

もし生きた人間が此処にいたとしても、答えることは不可能であったろう

ヴェルフに聞かされた、人類の無様な末路を、レミレエルは思い出していた

 

三国の、軍部の連中が揃いも揃って同じ事を考えたのは、おそらく「慈悲深き神の祝福」であろう

彼らは自国の軍事戦略を支配していた戦略コンピューターに、全く同じ命令を出したのである

「どんな命令だと思う?」

いつの間にか、二人は廃ビルのすぐ側に立っていた

コンクリート片を拾い上げながら、ヴェルフが聞く、拾い上げただけでそれは崩れてしまった

レミレエルは首を横に振り、分からないと言った

「・・・答えは・・・・・他国の住民の、完全な、根絶的な抹殺」

ヴェルフが何度めかに拾い上げたコンクリート片は崩れなかったが、遠くに放り投げると

その不格好な人工物は、哀れなほどに、散り散り粉々に崩れた、極限まで劣化していたのだ

「既にその頃には、お前さんの力すら上回るような超兵器、核融合爆弾が開発されていた

一撃で数百万単位の人間を殺し尽くし、放射能という猛毒をまき散らし、生き残った人間をも蝕む

いわば、最強最悪の破壊兵器だよ」

ヴェルフが右手を振ると、前方に光が放たれ、廃ビルを粉々に消し飛ばした

「致命的だったのは、戦略コンピューターが一番最初に選んだ攻撃目標が、各国要人だったことだ

攻撃はほぼ同時にそれぞれの首都に降り注ぎ、地下深くにあったコンピューター本体は無事だったが

人間の首脳陣は不幸な数千万の民と共に蒸発し、統制が完全に取れなくなったのさ

そして自由になったコンピューターは、軍事衛星から人間を捜し出し

一人残らず殺していったのだ、機械特有の正確さでな」

軍事衛星について説明すると、ヴェルフは掌の上に光球を出現させた

それは宙に舞い上がり、はぜ割れ、無数のビットとなって周囲に降り注いだ

地面に突き刺さったビットは熱と破壊をまき散らし、無数のクレーターを作った

「・・・こんな感じにな

大都市が最初に殺られ、それが全て滅びると、小さな農村まで粉々に砕かれていった

何処へ逃げようと無駄だった、何度も繰り返すが、大国は揃いも揃って

充分に人類を滅ぼし尽くせる程の核兵器を、必要もないのに保有していたからな」

「・・・・・・・・・・そんな・・・・・・・・・・」

「ワシは干渉しようかとも思ったが、止めた。

もう人類の滅亡は止められなかったし、それは「人類の総意」だったものな、はっはっは」

笑みを浮かべたヴェルフの顔は、魔王と言われるに相応しい物だった

「人類はその「総意」で、勝手に滅びたわけだ

おお、そうそう、一度だけ干渉したことがあった、何だと思う、レミール」

レミレエルは下を向き、その表情は雨寸前の曇りであった

一瞬だけヴェルフは意外そうな顔をしたが、それはすぐに消えた

同時に現れた、僅かな失望の表情もろともに

「おやおや・・お前さんも、そんな顔をするのだな

くくく、気丈さで知られたお前さんの、そんな顔が見られただけでも、戻ってきた価値があるな

教えてやろう。 三国の一つ、アメリクの生き残った一部要人達は、国民を守る義務をほったらかし

側近と共に、自分たちだけ安全な地下壕に潜ったのさ

そこは衛星からも探知されず、数百年分の食料とエネルギーがあり

女にも酒にも不自由せず、彼らは好き勝手にやっていけるはずだった」

「・・・・・殺したの?」

それは疑問ではなく、事実の確認であった

そして彼女の意図通り、ヴェルフはその事実を暴露した

「空調設備、電気設備、給排設備。 全部まとめて破壊してやった

見物だったぞ・・・暗闇の中で狂気の末、窒息してゆく無様な姿はな・・・完全に自業自得だ

地上に運良く逃れられた奴もいたが、そこには怒り狂った民衆が待っていたんだよ

当然、匿名希望の誰かが教えたんだがな。 リンチにあってなぶり殺される姿も笑えたが

更に笑えたのは、殆ど間髪入れずに、その上に核兵器が降り注いだって事だ

・・・そして、満遍なく皆殺し」

ヴェルフの話は、そこで終わった

長く気まずい沈黙の後、ヴェルフはレミレエルに傘を放り

また来ると言い残し、何処ともなく飛んでいった

後に残されたレミレエルは、傘を差すのも忘れたように、雨の中を歩いていったのだ・・・

・・・彼女は、雨の中佇む廃ビルの体内で、静かに膝を抱え眠り込んでいた

頬には、涙の後が僅かに残っていた

 

5,破壊の後に

 

雨は、翌日の午後から本降りになった

時計は夏だと告げていたが、空気は冬並に寒く、寒い以上に冷たかった

氷河期が来ているというのが、紛れもない事実であると、空気が彼女の体に伝えてくる

リュックに手を伸ばして缶詰を取り出し、開けて不味い食料を無理矢理胃に押し込むレミレエル

もう何のために、こんな事をしているのか、彼女には分からなかった

ただ本能のまま、食物を胃に押し込んでいた

生体維持に何の意味があるというのだ。 もうこの世界の人類は、自分の他には一人もいない

既に絶滅しているに等しい生物が、生きていて何の意味がある・・・

すぐ脇にコンクリートの破片が降り注いだが、もう防御する気にもなれなかった

右腕に僅かな痛みを感じながら、レミレエルは殺した者達の顔を脳裏に浮かべていた

ヴェルフの部下達は、皆優秀な魔導師で、途轍もなく強かった

特に「氷の王」は、まだレミレエルと同じくらいの年で、以前からの知り合いだった

殺さざるを得なかった、殺さねば殺されたからだ、自らに好意を寄せてくれていた少年を!

利用されているのは分かっていた、それでもレミレエルは信じていた

全てを信じ、「黒の狼」の言うことを信じ、人を信じ、殺してきたのに!

「よお、クサってるな」

「・・・帰って」

ヴェルフがいつの間にか側にいた、そちらを見もせず、レミレエルは呟いた

今の彼女は、ヴェルフがもう一人誰かを連れている事さえ分からなかった

ヴェルフは呆れる様に、頭をかいて言った

今では、彼は露骨な失望を隠そうともしなかった

「何時まで落ち込んでるつもりだ、そんな事、別にいつでも出来るだろう

お前さんには、まだまだやれる事があろうに、人生捨ててどうするのだ」

「貴方の元で働けっていうの!? 冗談じゃないわ!

そんな事・・・死んだってごめんだわ! 貴方なんか・・・貴方なんか・・・! 帰ってよ!」

吐き捨てたレミレエルは、差し出されたハンカチを見て、自分が泣いていた事を悟った

そして、初めてもう一人の人間に気付いた

それは白い法衣を着た少女で、レミレエルの右手の傷に魔法を唱え、無償でなおした

レミレエルは優しく微笑んだその少女を見て、久しく忘れていた何かを感じた

純粋な優しさから来る、屈託のない微笑みだった

かっては自分も、そういう感情を持とうと努力した事があったのだ

周りの環境がそうさせてはくれなかったが、ひょっとしたらそういう感情を持てたかも知れなかった

ヴェルフは暫く黙っていたが、やがて鋼鉄の扉を押し開くように、口を開いた

「人類の滅亡後、何もしていなかった訳ではない

その後ワシが何をしていたか、知りたくないか?」

沈黙を肯定として受け止め、ヴェルフは再び静かに話し始めた

 

人類の全滅を見届けると、ヴェルフは部下の中から精鋭を選抜し、異世界から送り込んだ

目的は、未だ稼働している戦略コンピューター三機の破壊である

それはスムーズに行われ、奇襲によってすぐに成功した

精密すぎる機械は、高度であると同時に非常に脆い物なのである

給水設備を破壊し、コンピューター本体を水浸しにすると、すぐに三機とも動かなくなった

人類を滅ぼし尽くした、人類最悪の創造物、その最期はあまりに呆気ないものだった

続いてヴェルフが着手したのは、残っている核兵器の処理である

コンピューターが破壊された以上、作動する恐れはない故、作業にそれほど危険はなかった

核兵器は全て宇宙に打ち上げ、まとめて太陽に放り込み、さっさと片づけてしまった

次が大変であり、最大の難事業であった

絶滅生物の復活は無理だとしても、生き残った僅かな生物の進化を助けてやらねばならないが

その為には、人類の遺産、放射能を処理せねばならない

放射能、そのうち放射線自体は、医療など様々に利用できる性質を持っている

また放射性物質にしても、利用方法次第では、巨大なエネルギーを、奇跡の力を生む

だが、限度を越した放射能は生物を殺し、猛烈な奇形を産み、寿命を縮め、百害あって一利もなかった

放射能の処理は、放射線と放射性物質両面にわたり、科学技術と魔導技術の併用でも難しく

全土を浄化するには、様々な特殊装置と莫大な人力を使い、百年以上を要した

荒れ狂う放射能が地上から消え去ったのは、人類滅亡後122年経っての事であった

「後は、生物の進化を見守るだけだった

ずたずたに切り裂かれた生態系も、今では大分回復してきている

苦労したぞ・・・どっかの馬鹿共が考え無しにぶち壊しまくってくれたからな・・・」

「何の冗談なの? ・・・気まぐれ?」

「ふざけるな。 ワシの目的は、人類の愚行を排滅させることだ

その愚行によって傷つけられた世界の回復も、またワシの仕事だからな」

「・・・・・・。」

少女が首を傾げて、レミレエルの顔をのぞき込んだ

レミレエルより何歳か年下に見える少女の頭を、ヴェルフは撫でながら続けた

「ワシを排除した以上、人類以上の力を持って、人類を抑える者もいなくなった

ワシは期待していた・・・ひょっとして人類は、理想郷を築けるのかも知れない、とな

だがワシの淡い願いを、見事に踏みにじってくれたよ・・・人類は」

ヴェルフの顔は少女の影になって、レミレエルからは見えなかった

だがレミレエルは、今の自分の気持ちと、同じ気持ちをヴェルフから感じていた

「・・・そして今、という訳だ

どうだレミール。 千二百年前のワシの誘い、受けてみる気はないか?」

「いやよ。」

千二百年前、ヴェルフはレミレエルと戦い、その途中こう言った、ワシのものになれ、と。

部下としてでもいい、配偶者としてならなおいい。

お前ほどの力、是が非でも欲しい、と。

「そういうな、明日、また来る。

おお、そいつの名はミルフィだ、何でも命令してやってかまわんぞ」

ヴェルフは再びその場を離れ、二人はそこに残された

雨雲を睨み付け、レミレエルの口から憎悪が漏れた

「・・・・貴方なんか・・・・大嫌いよ・・・・・・」

少女が悲しそうな顔をし、レミレエルは慌てた

どうもこの純粋な娘の事が、レミレエルは苦手だった

かって自分が手に入れられなかった物を、全て持っているのが妬ましかったのかも知れない

或いはその逆で、羨望と憧れを感じていたのかも知れない

ミルフィは沢山の物を持ち、それが故周囲に愛されているのは疑いなかった

純粋な優しさに満たされた心、自らを心配してくれる人、素直さ・・・・

レミレエルは慌てて付け加え、ばつが悪そうに向こうを向いた

「貴方の事じゃないわ」

少女は悲しげな表情のまま、周囲に防御フィールドを張り、ビルの倒壊を防ぎ、次の指示を待っていた

雨が地を叩き、雲は更に厚くなっていった

 

翌日、雨は嘘のように上がっていた

低気圧が通り過ぎ、結果、温暖前線も寒冷前線も、ここからかなり離れたからである

ミルフィは簡単な調理器具を使い、レミレエルの為に温かい手料理を作ってくれた

料理の技術は稚拙だったが、だが心のこもった料理は本当に温かい物であった

暫くそんな物は、食べた試しがなかった、一番最後に食べたのは、「氷の王」が作ってくれた時だろう

無言のまま食事を終えると、何も言われないのにミルフィは食事を片づけていった

ミルフィが宙を見上げるのと、レミレエルが気配が接近してくるのを察知したのは同時だった

既に、時刻は正午を過ぎていた

 

「今日は何の用?」

ヴェルフはミルフィを背負うと、首をねじ曲げてレミレエルの問いに答えた

「こっちだ、見せたい者達がいる」

言い終えると、彼は高速飛行の呪文を唱え、東の方角へ飛び始めた

暫く躊躇っていたが、やがてレミレエルもそれに習った

高速での飛行は、長く続いた、レミレエル以外の者では、ついていくのは無理だったろう

大陸一つを飛び越え、海を越え、次の大陸の半ば程に来て、ヴェルフは降り立った

そこは、かっては人間の町であったらしい森だった

腐ったビルの窓から木の枝が張りだし、根が玄関からせり出し、葉が傘のように広がっている

ビルは木の支え以外に何の用も為していないように見えたが、実際は違った

ヴェルフが奥に向かい、聞き慣れない言葉で何かを叫ぶと、異変は起こった

一瞬遅れてレミレエルが到着し、そして目を見張った

「人類は、滅びたんじゃなかったの?」

ヴェルフが口に指を当て、黙れというサインをした

現れた者達は、レミレエルの声に驚いて引っ込んでしまったのだ

暫くして、危険がない事を悟ると、その者達は再び怖ず怖ずと現れた

子供ほどの身長しか無い者達だった、簡単な衣服しか身につけておらず

全身は毛に覆われ、一見してリスの様な印象を受ける

「・・・人類滅亡の前、三国の一つ、ハースヴェル帝国の首脳陣が

世の理を破壊し、ペット用に創り出した亜人類だ

人間の遺伝子に数々の生物の遺伝子を混ぜ、人間の美的感覚から見て可愛らしく

そして、絶対に人間には逆らえないような弱い生物にしてある

性格も非常におとなしく、進化も遅いが、人間のような馬鹿をする生物では断じてない」

ミルフィが前に出ると、何人かが此方に歩み寄ってきた、完全な二足歩行であった

彼らはヴェルフとレミレエルに警戒しつつも、ミルフィには心を許し、甘えていた

やがてミルフィの手を引いて、彼らは共に奥へ走っていった

「昔は人間のせいで、大型捕食動物が全滅していたから、生き残ってこられたが

最近は数を増してきた捕食動物に襲われて、死ぬことも珍しくない

最後の人類の、保護活動はワシらの義務だが、なかなか大変だよ」

ヴェルフは肩をすくめて見せた、レミレエルは、ヴェルフの言いたいことを理解した

 

夕日は沈みかけていた

レミレエルは保護官であるミルフィら数人と共に、此処に残る事にした

亜人種の数は、ここら辺一帯で、合計して八千を僅かに越す程度だそうである

彼らは「ファーループ」というそうで、それは彼らの言葉で「ヒト」を意味するのであった

かって人間が自らのエゴを満たすため、法則をねじ曲げて創りだした生物

望んでもいないのに戦渦に巻き込まれ、必死に、ようやく生き残ってきた者達

当然、人類には償いとして、彼らを護る義務がある

新たなるヒト、ファーループ

抵抗力も弱く、知能も文明も高くない

世界の覇者になるのは不可能であろう。 だが、それで良いのかも知れなかった

提供された宿舎には、ファーループ達が新たなるガーディアンを見に来ていた

新たなるガーディアン、レミレエル=サーヴァンスは、運命の皮肉を感じながら、決意をしていた

「今度こそ、無駄にはしない」

日記にレミレエルは、そう綴った

千二百年ぶりに書き足された日記が閉じられたとき、既に陽は沈みきっていた

 

レミレエルは、最後に、一つだけヴェルフに質問をした

声をかけられ、振り向いたヴェルフは、その質問を聞いて深刻な顔をした

「貴方は、貴方がやっていた事は正しかったの?」

「・・・まさか。 世の中には、完全に正しい物などないし、同時に完全に間違った物もない

もしあの時、ワシが「正しかった」なら

世界規模での集団ヒステリーが起こることも、秩序が崩壊する事もなかったろう

言うなれば、あの時はお前達が正しかった

最終的に見れば、ワシの方が正しかったと言うべきかな」

黙り込んだレミレエルに、続いてヴェルフは言った

「どちらに価値がある、と言うことはない

ワシが世界に干渉を続けていたとして、世界が滅びなかった保証はない

もう一度同じ事を繰り返せば、歴史が変わる可能性もある

そういう事なのだ、お前さんが気に病むことなど無いのだよ

憎むべきなのは、自分達が得た自由の価値も分からず、世界を滅ぼしたアホ共だ

お前さんに救ってもらった命の価値も、取り戻してもらった大地の価値も分からない

そんな連中のために、涙を流してやる理由が何処にある」

ヴェルフは、最後に言った

「ワシは今、別の世界で行動しているが、現在有能な部下も伴侶も募集中だ

ワシのものになるなら、何時でも歓迎するぞ

ふはははははは、では、さらばだ。 近い内にまた会おう」

 

世界は再生しつつあった

ヴェルフの部下達の努力と、世界自体の生命力により、生き返りつつあったのだ

かって世界を支配していた人類はいなくなったが、世界の為にはその方が良かったかも知れない

また新たな生物がこの地を支配するとしても、それは人類であってはならない

自分のエゴのために、世界を焼き尽くした人類が、支配権などどうして主張できよう

人類にこの世界を支配する資格などない。 この地に来ている異世界人達は、皆それを知っていた

そして、この世界出身の、最後の一人である少女も。

少女は、レミレエル=サーヴァンスは、今度こそやり甲斐のある仕事を見つけたのである

仕事は単調であったが、だが人を殺すことはなく、仕事の後には好きなだけ眠ることが出来た

罪を償い、そして命を守り育てる事の出来る仕事だった

仕事は日没と共に終わり、夜間の監視を担当する職員と代わり、レミレエルは宿舎に帰る

再生しつつある世界の果てで、かって勇者と呼ばれた少女は

仕事の後で、淡い眠りを、大好きなうたた寝を楽しむのだった

今度こそ、今度こそ心から

                          (終)