空に生き
序、手癖
その新入りは、いきなり虚無の世界を訪れると同時に物色を始めた。話を聞いてみたものの、どうも要領を得ない。
まともに応対をしようともしない。
そして、何も盗めるものがないと悟ると、集落をでようとし。
更には、集落の外の状態を説明されると、激高した。
勿論、虚無の土地では激高しても意味がない。
すぐに収まってしまう。
此処では感情も、本能も、代謝も存在しない。
存在はしても、すぐに収まってしまう。
だから、その者は。
絶望したように、へたり込んでいた。
ごく当たり前の青年に見えるが。復旧作業の最中でさえもずっと物色をしていたし。何より、元が筋金入りの無法者だった蜥蜴顔の男が、断言していた程だったのである。
あれは、最初からどうしようもない奴だと。
そして、肩を落として、用意した家に入っていく青年を見送ると。
蜥蜴顔の男が来る。
「長老、あれ、どうするんで」
「どうするも何も、此処には問題児が何度も来たでしょう。 だから、しばらくは様子を見るだけです」
「様子を見る、すか。 俺はいろんな悪党を見て来たから分かりますがね、更正する奴とそうじゃない奴がいますんで。 あれはあからさまにどうしようもない方でさ」
「それでも、ここに来たからには様子を見ましょう」
渋面を作っているのを見たからか。
それ以上は何も言えず、蜥蜴顔の男は頷いて離れる。
長老としては頭が痛い所だ。
此処はそもそも、集団行動が苦手な者でも特に問題とされない。本能も欲求も存在しないし、集団行動は殆ど行わなくて良い。
災害の後などには色々とやらなければならない事があるし。
その時には指示を出すが。
それはそれだ。
あの者、ろくでもない家庭で……いや環境で生まれたとみるべきか。
ろくでもない状況で生まれ育つと、人間はろくなことにならない。
そもそも地球人が、原則としてろくでもないのである。
前提として教育が必要な種族が地球人であるので。
あれは、そういったものを一切受けなかったのだろう。
文字通り、野獣のまま。
生き延びてしまった、ということか。
家の中の気配を探ると。
調べて、ごそごそと漁っているようだ。
何処かに何か隠されていないか、探っているのだろう。此処まで行くと、もう病気としか言いようが無いが。
まあいい。
しばらくは好きにさせる。
蜥蜴顔の男も最初は酷かった。
あれは長老である自分を上、と認識してくれたので、早めに態度を改めてくれはしたのだが。
或いは蜥蜴顔の男に任せるべきか。
無法者の扱いには慣れているだろう。
まあ無法者というのもまた、妙な話か。
長老はそういう意味では、宇宙最悪の無法者だったのだから。
とにかく、周囲の者達に声を掛けて回る。
この世界では財産もないし暴力を振るうこともできない。暴力関連のスキルも意味を成さない。
例えば、今話している相手は。
魔法ありの世界から来た、超凄腕の使い手だった。生前だったら、長老でも一対一では勝ち目がなかっただろう。
そんな存在でも、此処ではただの一人のヒトだ。
本能も欲求もない。
「あれは賊の類ですね。 生前なら斬ってしまう所でしたが」
「此処では意味がありません」
「分かっています」
幼い女の子に見えるが、戦闘スキルはなくとも、体の動かし方は覚えている。
だから、もしも戦いになったら、あの青年を抑えるくらいは難しく無いだろう。
だが、そもそも戦いが起きない。
それがこの場所なのだ。
他の者にも、色々話を聞いていくが。
家を探られたり。
周囲を物色されたりと。
証言が幾つも出てくる。
生前は本当にどうしようもない環境に存在していたのだろうと思うと、溜息をつきたくなるが。
自分も、それについては人の事は言えないか。
しばらくは、ごそごそと周囲を探るのを、黙認して放置。此処ではそういった行動は取れないし。
何より財産を奪うことも出来ない。
仮に他人が何かを大事にしている場合。
それを奪おうとしても、体がさせない。
服などを奪おうとしても。その前で止まってしまう。
実際青年は、さっき話した子供から服を奪おうとしたが。それも途中で手が止まってしまい。
子供にしらけた目で睨まれている中、舌打ちしてその場を離れていった。
ともかくだ。
ようやく、盗みを諦めたのが一月後。
家に様子を見に行く。
何度も死のうとしたらしい。
だが出来ずに。出来たとしても即時再生してしまうので。頭を抱えて、蹲っている姿が見えた。
家に足を踏み入れると。
獣のような目で睨んでくる。
だが、威圧仕返すと。
即座にかなわないと判断したのか、下がってがたがたと震えるのだった。
何とも情けない。
溜息が漏れるが。兎も角、話をしていく。
名前を聞くが。どうも地球文明圏の存在のようだが、地球出身では無い様子だ。ただ、地球人である事は確からしい。ただ、偽名だというのは即看破した。
地球の外にもでて、略奪だけをして生きる、か。
そういう輩も来た事がある。
海賊は海賊でも、宇宙海賊という奴である。
そういうのは、大体浪漫。それもピカレスクロマンという独自のジャンルにて語られるものなのだけれども。
実態はクズの集まりである。
一つの銀河を征服し尽くし。
そしてそこにいた海賊を一通り検分したのだから間違いない。
長老も、一人や二人を見て言っているのでは無い。
更に言えば、ここに来たもと宇宙海賊も、大体カスである。
中にはまともな宇宙海賊がいる世界もあるのかも知れないけれど。
それは例外中の例外だろう。
或いは、遊牧騎馬民族のような生き方をしていた集団の所属者か。
宇宙にでても、色々な意味で先祖返りしてしまうような者達はいる。
文明が退化したり。
或いは何かしらのクラッシュを起こしたりで。
地球出身の者達が宇宙に広く散らばり、その生まれた最初の土地が分からなくなっている世界や。
技術だけ持った蛮族と化して、各地で略奪を繰り返している場合などである。
かくいう長老も、ある意味蛮族だったので。
彼らの事をどうこうは言えないが。
過去の自分も含めて、クズというのは事実である。
はっきりいってどうしようもない連中である。
略奪を主とする種族なんて、一時期は隆盛を誇っても、やがて滅びる。第二人者に存在しているから、略奪が成り立つ。最大の勢力になってしまえば、一時期は勢力を誇れるかも知れないが。
略奪によって支えられる力には限界がある。
やがて衰退し、見るも無惨に破滅していくだけだ。
「まずは名前から聞かせてください。 以前の名前は嘘でしょう」
不快感は抑える。
この世界では、感情は殆ど無くなってしまう。だから抑える事が出来る。
生きていた時だったら、我慢できたかどうか。
ともかく、二度同じ質問を発し。
相手は震えているばかりだったので、少し強めに言うと。やっと口を開いた。
名前を聞くが。
はて。
それは確か、地球の中東圏で、盗賊か何かとして知られる存在ではなかったか。それも実在などでは無く、伝説の存在としてだ。
盗賊などが伝説になるというのも色々末期ではあるのだが。
ともかく、まあその名前で良いだろう。
どんな名前を持とうとそれぞれの自由だ。
完全に恐怖にすくみ上がっている相手に。
ゆっくり、上下関係を仕込んでいく。
そうしないと、復旧作業などにも参加しないし。
此処でじっとしているだけだろうからだ。
まずは力関係を叩き込んだ後。
それから話を聞いていく。
名前は分かった。どうやって生きてきたのかを、聞かなければならない。
一つずつ、怯えきった相手に話を聞いていくと。
分かってきた事がある。
その者は、生前は女だった。
女だったのは良いのだが。暮らしていた星がいかれていた。
思わず眉をひそめ。
そして聞き返してしまっていた。
「全員が盗賊!?」
「そ、そうだ。 何もかも、全て力で奪い、盗むのが掟だった。 親や子供でさえ、例外ではなかった」
「愚かな。 そんな法がまかり通っていたら、すぐに滅びてしまっただろう」
「余所から来る者から常に奪っていた。 だが、そんなだから、誰も余所から来なくなっていった。 やがて盗賊同士で奪い合いが始まって……」
口をつぐむ。
当たり前の結末だ。
青年の話によると、大人になった頃には、星の衰退は決定的になっていたという。
盗賊を名乗るわずかな集団だけが割拠し(割拠という程の人数も生き残っていなかったようだが)。
もうろくに旅人も来ない中、ろくに残っていない資源を奪い合い殺し合い。
そして星に住まう凶悪な生物に襲われてどんどん数を減らしながらも。
結局染みついた習性からは逃れられなかったという。
見て来たそうだ。
星を渡る列車で、旅人達が来て。
それが最後の切っ掛けになった。
躍起になって略奪に掛かる者達。
悉くが自滅したり殺し合ったりで滅びていき。
青年が最後の一人になった。
そして、最後の一人になって。助けてくれた旅人にさえ、牙を剥いた。結果、住んでいた凶悪な原生生物に横から引っさらわれ。
生きたまま食われたのだとか。
ため息をつく。
がたがた家の隅っこで震えている青年に、どう声を掛けて良いか分からなかった。
だが、それでも長老として、説明はしなければならない。
「此処には、心残りがある者が来ます。 心残りを解消したとき、虚無の世界から上がる事が出来ます。 貴方の心残りはなんですか?」
「……あの二人から、盗めなかったことだ」
「そうですか。 ゆっくり、その心残りが本当だったのか、考えなさい。 時間は幾らでもあるのですから。 そうそう、後で此処の世界について、仕組みを説明します。 それまでに、私には従えるように、心の準備をしておきなさい」
いつになく厳しく言う。
相手が怯えきっているのは分かるが。
それでも、相手が相手だ。
容赦はしないし。
しない方が良いだろう。
とりあえず話を切り上げて、家を出る。
蜥蜴頭の男が外で待っていた。
話を聞いていたらしい。
まあ気配でいるのは分かっていたが。とりあえず、顎をしゃくって、家から距離を取る。呆れていたようだった。
「俺も褒められた人生は送っていませんでしたが、とんでもない所に住んでいた奴もいたもんですな」
「私だってそれは同じですが、ちょっと破滅的すぎますね。 破滅することが分かっていて動いていた分、ある意味生前の私と同じか、それ以上にタチが悪いかも知れないですけれども」
「……海賊も駄目でしたが、宇宙でも賊はクズの集まりのようですな」
「しばらくは貴方に任せます」
それだけ告げると。
一旦木の実を食べに行く。
丁度時間だからだ。
しばらく木の実を食べていると、蜥蜴頭の男が青年に何か言っているようだった。説教できるような人生ではないから、多分上下関係を叩き込んでいるのだろう。
それでいい。
彼処まで獣と区別が付かない輩になると、そうなって貰わないと困る。
一旦あの盗賊青年については、元々賊の中の賊だった蜥蜴頭の男に任せ。
他の者の話を聞いて回る。
とりあえず、本能が希釈されてきて。
大人しくなってきてからが本番だ。
それにしても、盗むことが法か。
それもまた、無茶な話である。
ため息をつく。
愛を曲解し、無茶苦茶をしていた生前の自分も今になって見ると色々困り果てた存在だったけれども。
宇宙には、あそこまでどうしようもない者もいるのか。
もしも、自己宣告通りだったら。最後に奪えなかったのが心残りだった、だったら。
もう救う方法が思い浮かばない。
良心があったとしても。
環境があまりにも悪すぎる。
というか、そのような環境で。
良くも大人になるまで育てたものだ。
人間という生物は、良くも悪くも社会を構築しなければ生きていけない。他人から奪うことが大前提という社会は、そもそも成立しない。単独の人間というのは、驚くほど弱い生物で。
恐らく宇宙でももっとも弱い生物の一種に入るだろう。
それが、何を勘違いしたのか。
奪いながら生活する。
肉食獣ならありかも知れない。
もっとも、肉食獣でも、見境無しに奪いながら生きるなんて事をしていたら、その内滅びてしまう。
ましてや、肉食獣ほど単独では強くなく。
更に言えば決して単独では頭も良くない人間が。
何もかも奪わなければならないなどという生き方をしていれば。
それは絶滅するのも当たり前だ。
いつの間にか、荒野を黙々と歩き。
集落に戻ってきていた。
世界を滅ぼそうとした自分がぼやくのも何だが。
人間は本当に、どうしようもない生物なのだなと、結論するしかない。勿論自分も例外ではない。
強靭な生体兵器として作られた自分でさえそうなのだ。
ただの人間が。
強い武器だか文明だかを得て。
自分が強いと錯覚してしまい。
全ての頂点に立ったと勘違いして。
他人から奪うことで生きていく事を考える。
それはもうなんというか。言葉がないほどに愚劣である。
しばらく歩いて、集落を見て回る。
声を掛けて来る者がいるので答え、問題があるなら対応する。問答をしてくる場合もあるので、受ける。
こういった問答が、此処を上がるための重要な要素になったりするのだ。
しばらく色々な者から話を受ける。
そして、自宅に戻ろうとしたとき。
蜥蜴頭の男が戻って来た。
「長老」
「何ですか?」
「あの青年、しばらく俺の方で躾けますが、それはそれとして、長老の方でも色々頼みますわ」
「久しぶりに厄介な新人ですね」
うんざりしきった様子で、蜥蜴頭の男が頭を掻く。
まあ気持ちは良く分かる。
此処までヤバイのは久しぶりだ。
問題児は結構来るのだが。
生まれからして、そもそも盗むことが前提なんて世界で、どうやって生き延びてきたのだろう。
まだ幼子の頃は、与える事もあったのだろうか。
そも乳幼児は、親から与えられないと生きていけないのが人間。
強靭な強化人間だった長老でさえ、それは同じだというのに。
「それで、彼奴どうやって上がらせます? 何か戦略をもって接しないと無理だと思いますけれど」
「今の時点では良案はありませんね。 少し考えさせてください」
「……」
「私にも、すぐには思いつかない事はありますよ」
苦笑い。
一度解散する。
家で横になると、しばらく思索にふける。
今度の新人は、色々な意味で大型だ。数万年分の経験を動員しても、どうにか突破出来るかどうか。
更に言えば、今度の新人のようなのを何とか上がらせることが出来るのなら。
ひょっとすると、この世界を。
長老も、上がる事が出来るかも知れない。
1、最悪の世界の最悪の住人
何人かで集まって話をする。
手癖が悪い新人は、当然集まりには出てこない。
というか、集団行動が無理なのだろう。
一応、新人のいた星には、盗賊「集団」もいたらしいが。
その賊の集団も、内部で奪い合いをする連中だったらしい。
無茶苦茶だ。
その言葉しか出てこない。
様々な文化があるのは別にかまわない。
だが、いくら何でも。
滅ぶことが確定している文化を創り。
それにこだわるというのは、どう考えても問題としか思えない。
新人からの話を聞いた後、しばらくして、考え込んでいた者が一人挙手する。
比較的此処に長く留まっている者である。
「そういえば……以前宇宙を渡る鉄道の話を聞いたことがあります。 同じ世界の出身者かも」
「ほう?」
「地球文明が他銀河まで勢力を拡大している世界でしたが、これといった絶対秩序がなく、星によって文化も滅茶苦茶だったようですね。 そういった無茶な文化に落ち着いた星があったのかも知れません」
「……なるほど」
幾つか話を聞かせて貰う。
とにかく、あらゆる頭が痛くなるような文化の星が列挙される。
どうやら、一つの星がそれぞれ政府を持って自治をしているくらい、秩序が存在しない世界だったらしく。
その鉄道を運用している会社が比較的大きな権力を持っていたものの。
それでも絶対存在ではなく。
多くの賊や。
法に従わない邪悪の徒が存在していたらしい。
地球人類の根元である地球ですらそんな有様で。
更に無体なサイボーグ化や、サイボーグ化していない人間への迫害なども相当厳しい段階まで進んでいて。
文化が崩壊するのも近かったのでは無いかと、学者は分析していたようだ。
「自分はこの虚無の世界に来る者から、色々な世界の話を聞くのがつい楽しみで、中々上がれずにいますが……ちょっとその鉄道のある世界であるとしたら、行きたくは無いですな……」
「ふふ、私のいた世界も、ひどさではあまり変わりは無かったですよ」
「それもそうですか」
からからと皆で笑う。
しかし、笑った後。長老は真顔に戻って、話を戻す。
「それはそうと、破滅に向かう文化に染まって育った者を此処から上がらせるのに、何か良案はありませんか? 此方としては様々な視点からの意見を聞いておきたいのです」
「此処はある意味で地獄。 ずっと地獄に留まらせておけば良いのでは」
突き放したのは、生前は精悍な軍人だったらしい人物だ。
元々は、幼体固定された女性軍人だったらしい。
戦場では常に最前線で戦い。
夥しい戦果を上げてきたそうである。
だが、だからこそ。
同じ性別で。
しかもどうしようもない文明に従って生き。
こんな所にまで来ても、何も改めようとしないものに対しては、相当意見も厳しくなるようだった。
「自分も同感ですね。 けちなこそ泥だったら兎も角、どうしようもない賊となってくると……」
「私も生前はどうしようもない存在でした。 だから余計に救ってやりたいのです」
「長老は……まだ生前色々あったでしょう。 やった事は褒められませんが、其所に至るまでは過程がありました。 しかしあの者は、それもない」
手厳しい意見である。
確かに先祖達が作ったあまりにもおかしいルールに従って生き。
それに疑問さえ持たず。
朽ちるようにして果てた。
それはとてもではないが。
褒められる生き方とは言えない。
だが、だからこそ。
救いの路は無いか、今探しているのだ。
丁寧に皆に説明すると。困り果てたようにして、皆顔を見合わせる。
ここに来ているのは、生前に未練があったもの。
善人ばかりでも、聖人ばかりでもない。
悪党も戦闘狂もいた。
もっと邪悪な存在だって来た。
だが、その全てを上がらせてきたのだ。
その先に何があるのかは分からない。
しかしながら、神が存在するのは確かなようだし。此処を上がる事は、祝福すべき事だろう。
どうしようもない輩だからこそ。
此処で挽回の機会を与えられているのかも知れない。
しばしして。
手を上げたのは。元々、小さな国の長だったものだ。
お飾りの王族だったのだが。
それが故に、民と親密に接し。
小さい国ながらも発展させ。
そして死ぬまでは、国を小揺るぎもさせなかった人物である。未だに地球の歴史に名を残しているそうだ。
「自分であれば、まずはその育った文化がおかしい事を理解させます」
「詳しくお願いします」
「長老ならおわかりでしょうが、その者は恐らく、自分の文化がおかしい事をそもそも理解出来ていません。 文化は様々に存在してもいいでしょう。 それについては間違いの無い事です。 しかしながら、どうしても破滅に向かってしまう文化は……悪徳であるとしか言えません」
その通りだ。
だから長老も生前滅びた。
頷いて、続きを促す。
小国とは言え、伝説になるような善政を敷いた人物だ。
何かヒントが貰えるかも知れない。
「まずですが、盗むという行動の不合理さを理解させるところから始めるべきではないでしょうか」
「不合理」
「はい。 歴史的には、他の文明から略奪することで生きてきた文明が存在している事も事実ですが、それらの文明は最終的には敗北しています」
ずばりである。
確かに、略奪型の文明は、最終的に破滅の運命を辿ることになる。
実際問題、もしもそういった文明が力を持ってしまったとしても。
広域に無法地帯を広げるだけだし。
管理が行き届かなくなれば、破滅が近付くだけである。
地球文明における遊牧騎馬民族は、その残忍さが喧伝されているが。
実際には従う相手には非常に寛容で。
後の地球人に言われたような、残忍非道な集団では無かった事も判明している。勿論容赦が無くなると、徹底的にやる連中でもあったようだが。
「盗むのではなく、作り出す。 それこそが社会を拡大させ、より皆を豊か安全にさせます。 それを理解させていく他ないでしょう」
「ふむ、なるほど」
「長老、説得できそうでしょうか」
「説得は兎も角、少しずつ話して納得はさせてみせましょう」
皆で頷くと、一度解散する。
蜥蜴頭の男が、こっちに来る。
話が終わるのを待っていたのだろう。
非常に不機嫌そうだった。
理由はまあ、聞かなくても分かる。
「長老、とにかく最低限の仕込みは終わりましたが……あの新人、病気ですぜ。 いまでも盗めるなら盗もうと考えているようで、ちらちら俺の彼方此方に視線を送ってきていやがる」
「身に染みついてしまっている、ということですか」
「まあ、そうなんでしょうな。 俺も生前は最悪の賊だったので、彼奴をああだこうだとは言えないんですが……それでもものには限度がありまさあ」
「ふむ……」
少し考え込む。
国王に言われた事を思い出す。
盗みは不合理だと仕込めと。
意見を聞いてみると。
蜥蜴頭の男は、腕組みして考え込んだ。生前は、さぞや太い腕だったのだろうと思う。ちなみに長老も今は黒服の女の子の姿をしているが。生前は腕の太さで負けていなかっただろう。
「なんというかですね、生まれつきどうしようもないのはいるんですわ。 俺自身がある程度そうだったので自覚はあるんですが、あいつもそうですね。 言葉が本能を抑えられるかというと……」
「なるほど、貴方でも懐疑的だと」
「あの国王が、本当に立派な奴だったのは俺も認めます。 正直な話、尊敬できる人間には大体裏があるんですが、あれはちょっと例を見ないほどの善人ですな。 あの国王の統治する国に生まれたかったくらいでさ。 だけれども、そんな国王でも、悪党は処刑していた……そういうことでしょう」
確かにその通りでもある。
だが、意見としては、どちらも聞くべき所がある。
それについては。
長老も譲る気は無い。
「分かりました。 いずれにしても、実際に話をしっかりしてみて、どんな状態なのか確認して見ましょう。 そろそろ……きちんと私と話をする事が出来るくらいまで、仕上がっているでしょうし」
「へへ、そこは信頼してくだせえ」
「勿論ですよ」
蜥蜴頭の男は、長老の右腕を自認している。それについて、今更疑うつもりなど微塵もない。
さっきの意見だって、忌憚ないものだったし。
個人的には、一切遠慮のない意見の方が有り難かったりするのだ。
新人の家に赴く。
青年は膝を抱えて、虚ろな目で此方を見る。
その視線が、物色するものなのだと気付いて、苛立ちがわき上がってくるのが分かったが、押さえ込む。
この世界では。
感情を抑えるのはとても簡単だ。
「話をしに来ました」
「わ、私を、どうするつもりだ……」
「此処を上がって貰うつもりです。 この虚無の世界を、上がりたいとは思いませんか?」
「思う」
いや、思っていないな。
言葉に嘘がある事を即座に看破。
この者。
考えから言葉まで、全てが嘘まみれだ。
今の言葉だって、そういえば長老が喜ぶと思っての発言だと、即座に看破した。
蜥蜴頭の男に、散々酷い目にあわされたのだろう。
だからといって、卑屈な振りをしつつ、盗みを目論まれても困るのである。
そもそも、此処から上がったとしても。
また本能のまま盗まれ続けても困るのだ。
此処から上がった意味がない。
皆聖人になって上がって貰う必要はない。
だが、それにしてもだ。
邪悪のまま来て。
邪悪のまま此処を上がられても、それは困るのである。
此処は虚無の世界。
己の納得出来なかった過去と向き合う場所。
だからこそ。
この嘘つきの塊にも、自分としっかり向き合って貰う。
眼光だけで威圧。
悲鳴を上げる相手に。一歩踏み出す。
「まず、私の前で嘘をつくのは止めて貰いましょうね。 其所から始めましょうか」
「……」
「返事は?」
「は、はいっ!」
一喝。
珍しく、久々に大きな声が出た。
今の「はい」も嘘だと看破したからである。
頭を抱えている相手に、ゆっくり言い聞かせる。
「私は数え切れない程の人間を見て来て、接してきました。 相手が嘘をついているかどうかは、一発で分かります。 貴方が私の話を聞く気さえなく、ただ恐怖をやり過ごそうとしている事など、一目で分かるんですよ」
「ひ、ひい……」
「この世界では、暴力を振るうことも、相手を害することも出来ません。 しかし、貴方と私では、くぐってきた世界の血の雨の量も、場数も桁外れです。 私を侮る事が何を意味するか……賊しかいない世界に生きてきたなら、それも分かるはずです」
一つずつ、丁寧に教えていく。
相手は野獣だ。
だから、多少厳しくとも、こうやって躾けていかなければならない。
それにしても。
ここに来てから、いつぶりだろう。
相手を喝破したのは。
もう一度、問答をする。
「私の前では嘘をつかないように。 約束しなさい」
「こ、これ以上、苦しめないで」
「……」
「ひ、ひ……っ!」
喚くばかり。
これは、今回は此処までか。
一度切り上げる。
そして、蜥蜴頭の男に代わった。まだ教育が足りていないと判断したからである。勿論信頼を裏切られたとは思っていない。この新人が、想像を絶する存在だった、という事である。
ため息をつくと、蜥蜴頭の男は、新入りに色々言い聞かせ始める。
もう少し調教しないと駄目か。
いずれにしても、此処まで酷いと。一体どんな破滅的な星にいたのか、気になってしまう所だ。
さっきの歴史学者の所に行く。
そして、もう少し詳しく。
あの新入りの出身惑星らしい場所について、情報が得られないか。話を聞き始めた。
此処までの恐ろしい目にあうのは初めてだ。
生まれた時から盗め。
親にも盗むことを教え込まれ。
そして親からも盗んで一丁前となる世界だった。
親も幼い内に死に。
自分も最後には、鳥に食われてエサになった。
其所までは分かっている。
だが、何が悪いのかが分からないのだ。
虚無の世界に来て。
兎に角恐ろしい怪物に目をつけられてしまった。
完全に理屈が通じない相手。
言葉は通じるのに、どうしてだろう。
なんで力があるのに、盗むことを、奪うことを是としないのか。
それが分からない。
今も、正座させられ。
とくとくと、「長老」の話を聞くように、言い諭されている。
その諭すというのも、半ば脅しだ。
普通、賊に脅しなど通じないのに。
今脅してきている奴は、ちょっと次元が違う。何者かは分からないが、もう数も減っていた故郷の賊共では、束になってもかなわないだろう。本当に恐ろしい。砂漠だらけだった星にいた、恐ろしい生物共でさえ。此奴の前では、可愛いマスコットにさえ思えてくるほどだ。
「分かったな。 絶対に長老の言う事を聞け」
「ハイ」
「また適当に応じやがって!」
首をすくめる。
だが、拳骨したくてもできないようで。
蜥蜴頭の男は舌打ちする。
だが、充分言葉で責め立てられて、精神が参りきっている。逆らおうという気が起こらないのも事実だ。
同時に、従おうという気も起こらない。
そもそも他人は。
奪うか、奪われるかの相手。
今は、奪われている状態。
そういう事なのだ。
蜥蜴頭の男は、額に青筋を浮かべているが。それも短時間で収まる。自分でも感じているが、どうも此処では感情が薄れるらしいのだ。
とはいっても、このバケモノの怖さは変わらない。
更に言えば。
長老とか言う奴は、もっと怖い。
更にしばらく話が続くが。
手応えがないと判断したのか、舌打ちして蜥蜴頭の男は家を出ていった。
ため息をつくと。
これ以上奪われないように、膝を抱えて家の奥に引っ込む。
この掘っ立て小屋も。
砂漠の中で、一人ふらついていた時に比べればまだましだ。
時々来る旅人は全て襲撃の対象。
助けられようがどうしようが関係無い。
とにかく襲って奪え。
それだけしか頭の中には無かった。
今、奪われないようにするために、必死に身を守る手段を考えてはいるのだが。それが思いつかない。
数日が過ぎ。
長老が来る。
悲鳴を上げそうになるが。もう逆らう事は出来ない。
従おうとも思わないが。
そうするようにと言われると、体が勝手に動いてしまう。
立ち上がって、ついてくるように。
言う事を全て聞くように。
二つ指示を受けたので。
死んだ目で、それに答えた。
そのまま、集落から出て歩く。
ずっと拡がっている荒野。
本当に何も無いのだなと思う。
影を見ながら、一方向へ歩いて行く長老。今なら、背後からなら襲えるかも知れない。そう思ったが、思考を読まれているように振り向かれた。
「出来ると思うならやってみなさい」
「い、いえ、何でもありません」
「……本当にどうしようもない」
呆れ果てた口調。
長老とやらは、一体何者なのか。
大海賊と呼ばれる者がいるという話は聞いたことがある。何名かいるらしいが。いずれも、自分のいた星にいた賊などとは比べものにならない魔人じみた輩だらけだったそうである。
「顔を上げなさい」
「? え……」
「見ての通り。 この世界は、こんなにも狭いのですよ」
集落が、目の前にある。
ずっと集落から離れて歩いていたはずなのに。
もう一度だと言って。
長老は棒を手に取ると、線を描きながら歩き始める。無言で、それにひたすらついていく。
逆らうという選択肢は存在しない。
従う気は無くても、
もう従うように、調教されてしまっているのである。
無言で歩いている内に。
線はまっすぐなのに。
また集落に戻ってきてしまう。長老が促す。ずっと遙か向こうに続いている線があった。二本だけ。
つまるところ。
行った道と、戻ってきた路。
それぞれ一本ずつである。
「分かりましたね。 脱走は無意味です」
「……」
「この世界の法則について、説明します」
それから、聞くように言われて、説明を聞いていく。
そういえば蜥蜴頭の男にも言われたが。
長老の方が怖いからか、言われた事は何とか理解出来る。
少しずつ分かってきた。
この世界では、感情も、本能も、代謝もなくなる。
だから水がなくても平気だったのか。
それについては感心した。
盗もうとして出来なかった事についても理解出来た。他人に対して、暴力や奪うという行動は、一切出来ないのだと。
だからあの蜥蜴頭も。
拳骨を振るってこなかったというわけだ。
かといって、だから長老に逆らえるというわけではない。
身の芯から震えが来るのだ。
本当にとんでも無いバケモノが目の前にいる。蜥蜴頭もやばかったが、此奴は噂に聞く大海賊達以上では無いのだろうかとさえ思う。
覚えた事を復唱するように言われたので。
必死に思い出しながら復唱する。
それが終わると。
長老は、覚めた目で見た。
「何カ所か間違っています。 もう一度説明するので覚えなさい」
「ハイ」
「いいですか……」
また説明が始まる。
必死に覚える。
立ちっぱだが疲れない。
むしろ、覚える事、復唱させられることのが疲れる。
「よし、覚えましたね。 もう一度復唱しなさい」
「ハイ」
復唱を繰り返させられる。
これは恐怖でしかない。間違えたら、長老に何をされることか。勿論暴力を振るえないことは分かっている。
だが、これは悪夢だ。
ほどなく。
最後の最後まで、復唱を四回続けて。それで長老は満足してくれたらしい。
「良いですか、明日も確認します。 しっかり覚えておきなさい」
「ハイ」
恐怖の宴は明日も続くというのか。
砂漠だらけの故郷では、ずっと麻痺していた感覚が。
ようやく、自分の中に宿り始めたようだった。
2、救いようがなきもの
長老はため息をつくと、新入りを戻させる。
また内容を間違っていた。復唱をやり直させるのも疲れるのだ。
本来これは、褒められた方法では無い。
価値観には多様性があって。
色々な考えで生きる者がいる。
だが、シリアルキラーが許されないのと同じように。
そもそも、他人から奪うだけが思想、という事は許されないのである。
どんな存在でも、他者との行動で相手に還元はする。
一方的に奪うだけの行動では、片方がいずれ枯渇する。
殺人の許可を認めるわけにはいかないように。
あの新人が、好き勝手に盗むことを許すわけにはいかない。
どうして盗むことだけが掟。なんて世界が出来上がってしまったのか。
勿論長続きはしなかった。
実際問題、盗めないのだから死ねと。子供を殺した親は珍しくもなかったのだろう。だからあっと言う間に衰退した。
あの者は、自分は最後の一人だったと言っていた。
当たり前だ。
ピカレスクロマンなんてジャンルでは、悪党を格好良く書くことがある様子だが。
結論から言うと、あんなものは嘘っぱちである。
実際問題、リアルピカレスクロマンの世界から来た者が、このような有様を晒しているのだから。
教育するというのは、何か間違っている気がする。
だから教え諭すというのが良いだろう。
それについては、蜥蜴頭の男にも、生前のノリでやるなとは言ってある。
だが、あの異常な環境で育ってしまった新入りは。
盗むこと以外を知らないのだ。
それ以外を教えるには、本当に人生をもう一度やり直すくらいの事が必要で。
本来だったら、地獄にでも行ってから。完全な無垢な状態でやりなおす、くらいの事が必要だったのかも知れない。
神がいるのは知っている。
だが、そいつも全能ではないのだなと、思い知る。
この間、その神とやらの声らしきものを聞いた。
神経衰弱になっている様子は無いのだから。多分アレは本物の神らしき存在の声だったのだろう。
全能ではないのなら。
せめて、何か現実的な手は打ってほしい。
そう思う。
そもそもだ。
長老だって、故郷であんな目にあわなければ。生き残った同胞達と宇宙を放浪している内に、思想を拗らせていくこともなかった。
最悪の破壊兵器を手に入れて。
宇宙を劫火に包むことだって無かった。
神とやらが存在しているのなら。
もっと早くに手を打ってほしいと思う事はいくらでもある。
残念ながら、今でも。
個々人に、此処を上がらせることには興味はあるが。
信仰に興味は無い。
神がいるとしても。
無条件でそれに従うつもりはない。
神であるならば。
それに相応しい行動を見せて欲しい。
素直な意見を口にするなら、それ以外には無い。
あの新入りにしてもそう。
どうして盗人だけがあつまり。盗みだけが掟なんて世界が出来上がってしまったのか。一惑星の内部とは言え。そんな異常な仕組みの世界が出来てしまったら、滅ぶのは当たり前ではないか。
どんなスラムだろうが、一定の秩序はある。
どれだけ邪悪な海賊だろうが、上手く行った輩は、無法の限りを尽くしていても、自分達の中ではルールを作っている。
盗みだけがルールという世界は。
あまりにも、あまりにもいびつすぎるのだ。
少し休んでから、皆の見回りをする。
ここしばらく、問題児が続いていたからか。当面上がれそうな者は来ていない。古株もそれなりの数がいる。
現在十人ほど、五十年上がれていない者がいて。
まだ一〜二年掛かりそうなものが同数ほど。
それらについては、長老から積極的にアプローチしていかなければならないだろう。
そしてあの新人。
下手をすると、何千年でも此処から上がれない。
頭の痛い問題だ。
どうにかして、手助けをしてやらなければならないが。
幼い頃から、盗みが全てとすり込まれてしまっている頭である。
どうしようもない。
話を一通り聞き終わると、自宅に。
背中を柱に預けて、しばらくぼんやりする。
数万の年月をこの世界で過ごしたからか。
たまに、こうやって何も考えずぼんやりする時が増えてきている。
それは頭のリフレッシュを図っているからなのか。
それとも、ただ疲れ果てたのか。
詳しい事は分からない。
亡者は基本的に疲れることはないはずだが。
かといって、無理矢理に体と心を酷使して、皆が上がれるように努力を続けて来たのである。
誰かが上がる時に生じる、この世界の破滅も数限りなく体験してきた。
だとすると、一体何がこうも自分を疲れさせるのか。
その理由は、よく分からない。
小さくあくびをすると。
一度眠る。
だが、すぐに目が覚める。
あの新入りが、家をこっそり抜け出たのだ。
食事では無さそうだ。
荒野に向かっている。
そして、荒野に出ると。
大きめの石を拾って。それに、頭を何度となく打ち付け始めていた。
やがて、ぐしゃりと音がして。頭が潰れ。
すぐに蘇生する。
此処では死ぬ事はない。
上がる事はあっても、何があろうが……ブラックホールに吸い込まれようが、空間相転移に巻き込まれようが、死なないのである。
石で頭を砕いた程度で、死ぬわけが無い。
しばらくしらけた目で見ていたが。
新入りは、どうしても無意味だと気付くと。
うめき声を上げて、転がり始めた。
長老に気付いたのだろう。
悲鳴を上げて、石に縋り付く。
もう、獣と見分けがつかない。
「何度も復唱しましたよね。 此処では死ぬ事はないのです」
「こんな所、もう嫌だ! さっさと出してくれ!」
「ならば復唱したとおりのことをしなさい。 貴方の世界に存在した究極の破壊兵器を使った所で、此処では死ぬ事はできないのですよ」
「くそっ! 畜生っ!」
汚い言葉を使っているが。
中身は女だった事を反映してか。どうしても、その口調に独特の雰囲気がでる。
分かっている。
この者の生まれた世界では。
自分の子供から盗むことさえ当たり前で。
この者も、どうやってかは知らないが、親も知らず友も知らず、ただ奪うことだけで生き抜いてきたという事を。
長老自身が痛いほど分かっている。
そんな風なことを続けていれば。
破滅しかない。
この者は、成人まで生きられたようだが。
それも奇蹟に等しかっただろう。
その年になるまでに殆ど死ぬ。
新入り自身も、運を使い果たした。どれだけ強靭な存在だろうが、盗む以外に何もできない世界で何て。生きていける筈がないのだから。
弱肉強食なんてものは嘘っぱちだ。
どれほど強靭な生物だって、生まれたての時は弱い。
最終的に最強になるとしても。
弱い時代は必ず過ごす。
だから、最初は諦めて弱い事を受け入れるか。或いは強い個体が庇護することで、種の存続を目指す。
逆に言うと、適者生存は存在しても、弱肉強食は存在しないし。
何よりも、都合良く社会の上層に居座ったものが適者でも強者でもない。
「頭がおかしくなりそうだ! こんな荒野で、何も盗めない! いっそ殺してくれ! 長老だっていうなら追放してくれっ!」
「追放などしたくても出来ませんよ。 貴方は本能で、あの木から離れられない。 勿論木を独占することもできない」
「どうなってるんだ、この世界っ!」
「貴方のような者が来る場所など決まっているでしょう。 地獄ですよ」
悲鳴を上げた新入りは。
また、自分に加虐を加え始めた。
石に頭をぶつけ。
やがて、脳漿を辺りにぶちまけて、倒れ伏した。
それもすぐ再生する。
完全に白い目で見ている長老に対して、怯えきった視線を返してくるが。長老はじっと見つめる。
哀れみしか感じない。
このような存在を産んでしまった世界の。
どれだけ悪意に満ちている事か。
多様性は時に。
このような、世界に対する鬼子にしかならない存在まで、作り出してしまうのだ。
手をさしのべる。
そうしなければならないからだ。
首を折られると思ったのか。
首をすくめる新入り。
手を掴むと、無理矢理立たせる。
体格差はあるが、力の使い方を理解していれば、これくらいは容易い。この者、盗むのは得意だったようだが。
所詮は盗むこと専門。
影をこそこそ動き回り。
隙を突いて奪い取る。
それは、組織的に動いて、全てを蹂躙していく軍勢とは根本的に違うし。其所で組織的に鍛えられた者とも違う。
実際に手を掴んで見て。
その力の弱々しさに、情けなさすら感じた。
立ち上がらせると、そのまま手を引いて集落に戻る。泣き言をぼやき続けているのが聞こえる。
その中の一つが。
どうしても、聞き逃せなかった。
「こんな場所から、自由になりたい……」
「それならば貴方は、盗む以外の価値観を身につけなければなりません」
「そんなものは知らない!」
「だったら覚えるのです」
もう、声を荒げる気にはならない。
この者は、狂ったルールに支配された世界の被害者だ。
だったら、怒鳴っても何も解決はしないだろう。
静かに諭して。
ゆっくり、盗む以外の価値観を、身につけさせていくしかない。
それにしても、皮肉な話である。
生前はそれがついに出来ず。
巨大なトリに食われて果てたというのだから。
だが、この者ほど酷いのはそうそう来ないとしても。
長老だって、そもそも生前は狂った思想に全身を浸していたのである。きっと更正は出来る。
先ほどのあがきを見て、少し考えも変わった。
責任を持って、この者を救わなければならないだろう。
そして、それくらい出来なければ。
長老だって、この世界から、上がる事など出来はしない。
そう、静かに考え始めていた。
蜥蜴頭の男に事情は話しておく。
しばらく黙り込んでいた蜥蜴頭の男だが。
複雑に、口元を歪めていた。
「俺もどうしようも無い奴は幾らでも見て来ました。 俺自身がそうでしたし。 ですがアレは……」
「分かっています。 生まれながらの盗賊だと。 盗賊同士が掛け合わさって、奪い合って出来た最後の一人。 だったら、それが筋金入りなのも当たり前です。 ですが、そんな者を救えなければ……この宇宙最悪の罪人とて、此処を上がる事など、出来はしないでしょう」
「変なところで長老は真面目ですな……。 適当な所で躾けておいて、後は放置で良いと思うのですがね。 此処は地獄。 ああいうものを落とす場所では無いかと、俺は思いますよ」
それも正論ではある。
そう認めると。
蜥蜴頭の男は。もう一度苦笑した。
「長老は生前、本当に剛直だったんですな。 だけれども、その剛直さが最悪の方向に作用してしまった」
「否定はしません」
「ですが、此処ではその剛直さが希望になっている。 俺も、本当は長老が上がるのを見るのが楽しみだったんですが……ひょっとしたら上がれるかも知れませんな」
此処での右腕である蜥蜴頭の男は。
そんな風に、少し寂しそうにいった。
この男、生前は大海賊として、周囲に恐怖の名前をまき散らしていたようだが。
今の発言からも分かるように。
悪い事をしているいかれた悪党だという事は自覚もしていたし。
それでいずれろくでもない死に方をすることも分かっていたようだ。
自業自得と、ある程度あきらめはついていたのだろう。
だからこそに、此処では静かに出来ている。
人間という生き物は、自分を正しい存在だと考える傾向があるらしく。
色々な話を聞く限り。
邪悪の限りを尽くした犯罪王や、自国民の数割を殺戮した狂気の独裁者は、自分を善人だと最後まで信じて疑わなかったという。
そんな中、自分をどうしようもない悪党と考え。
いずれゴミみたいに死ぬ事を自覚できていたと言う時点で。
この蜥蜴頭の男は。
其奴らよりは、マシだったのだろう。
さて、新入りの所に行く。
すっかり神経が参っている新入りは、長老の顔を見ただけで後ずさるが。しかし、しっかりすり込んでいく。
まずは、盗みという概念を。
この者から追い出す。
それは呪いだ。
この者をずっと蝕んできた。
遺伝子のレベルから。
だが、此処ではもはやそれは気にしなくて良い。
遺伝子に刻まれた本能でさえ、此処ではなくなるのだ。
例えのろわれた一族だろうが。
ここに来てしまえば関係がないのである。
だったら、この者だって、それは同じであろう。
盗みだけしか考えない、最悪の社会に生まれた最後の究極凝縮体であろうと。
そんなものは。木っ端みじんにしてやればいい。
生前、長老が。
玉座としていた、究極の破壊兵器で。
数多の星を砕いてきたように、だ。
「も、もう殺してくれ……」
「出来ませんよ、そんな事は。 例えどんなものを持って来てもね」
「怖いんだ。 怖くて、仕方が無いんだ」
「貴方の中から、盗むという行動そのものを奪います」
ひっと、小さな悲鳴を上げる新入り。
その頭を掴む。
加虐にならない程度に、可能な限り優しく。
相手は悲鳴を上げてもがく。
だが、力の入れ方は分かっている。
逃がさない。
丁寧に、少しずつ言葉を流し込んでいく。そして復唱させる。一種の洗脳に近い形で、荒療治ではあるが。
そもそも盗むという事が思想の根幹になっている者をどうにかするには、これくらいしか方法がないのである。
まずは、相手の心に穴をこじ開け。
そこに入り込んでいく。
そして最深部にある、コア。
盗むという思想そのものを奪い取り。そして、其所に生きるという思想を埋め込み直す。
かなり手間の掛かる作業だが。
今まで長老は多数の賢人と触れあってきた。
それら賢人の知識を活用して、この難しい作業をこなして行く。
加害になるとこの世界そのものが判断したら、弾かれてしまう。だから難しいが。それでも、丁寧に作業を進める。
その価値はある。
蜥蜴頭の男は言っていた。
このままだと、この新入りは、永遠にでも此処にいる事になるだろうと。
そんな事は許さない。
地獄にて、ずっと堕落して寝転がっている者達を。ここに来たときに見た。
あの本当の意味での地獄を再現するわけにはいかない。
そもそも地獄とは罪を償うための場所である筈だ。
ただだらだらと、何も無い場所で過ごすための場所では無い。
悲鳴を上げて逃げようとする新入り。
だらだら涙を流しているが。
そこに、容赦なく言葉を流し込み。
ついに心に穴を開ける事に成功する。
それにしても、強固な心だ。
本能でガチガチに固められた、盗むという根本概念。それは、狂った世界で己を保つために、絶対に必要だったのだろう。
だからこそ、この者は。
破滅する事になったのだが。
ひゅう、ひゅうと息づかいの音が聞こえる。
悲鳴がそれに混じる。
だが、容赦は出来ない。
人間の世界にある宗教に、悪を倒すために悪の形相を取る神格が存在していると言う。確か明王とかいったか。
だったら長老は。
今、その明王となろう。
相手は明確に恐怖しているが。
それは盗むという、己の根幹になっている思想を壊されそうになっているから。
だが、そんな思想は。
壊さなければならない。
宇宙にさえ寿命はある。
どんな生物にもだ。
実際、盗むと言う事しか知らない存在達は、この者を最後に滅び去った。
壊すと言うことしか知らなかった長老は。
愛と言う言葉でそれを誤魔化しながらも。
結局は破滅の道を辿った。
何一つ生み出せないものは。
生きられない。
生きるためには、強いだけでは駄目なのだ。
多様性を確保すること。
そして、その多様性の中でも。一見意味がないようなものでも、しっかり守り抜くこと。それが必要なのだ。
更に言えば、その多様性の中でも。
明らかに間違った方向に進んでしまい。結果として滅びてしまったものは。其所から引き上げてやらなければならない。
尊い犠牲、等という言葉は無意味。
今此処で。
悪しき輪廻を終わらせるのである。
「も、もう許してくれ、許してくれ……」
「なりません」
更に厳しく、相手の根幹へと攻めこんでいく。
もがいて逃げようとするが。
頭がみしみし言う程、押さえ込んだ手は力を込め、外さない。
少しずつ、見えてくる。
漆黒の塊が。
それは恐らくだが、闇そのもの。
盗むという行為そのものが。あらゆる思想の下禁じられる行為なのに。どうしてそれを肯定する方向へ進んでしまったのか。
それは楽だからだ。
産み出すよりも奪う方が楽。
つまり、堕落の極限こそが盗む。
生きるために必要なのではない。
単に堕落に進み続けた結果。この者達が所属する集団は盗みに特化し。自分だけが良い思いをするために他の者を蹴落とし。
滅びに至った。
ならば、その堕落を滅ぼそう。
より強く、心へと攻めこむ言葉を掛ける。
何度も失神しながらも、新人は悲鳴を上げ続けていた。
3、闇の底へ
この辺りでは、泣く子も黙る大盗賊。
その言葉が、新入りの口から出てきた。
だが、その実態は。
どいつもこいつもそう名乗るから。総体として、盗賊そのものがそう呼ばれ。寄り盗みやすくするために、更に誰もが名乗るようになり。
結果として、誰も近付かなくなった。
当たり前の話である。
盗賊共は、もはや誰からも奪えなくなり。
身内から奪うことしか出来なくなった。
それもまた、無様な結末ではある。
加速度的に縮小していく盗賊という集団。
誰も助けない。
当たり前だ。
助けにいったものまで、奪われるのだから。そのような危険な集団に、誰が近付くものか。
結末として、愚かしい盗賊の群れは滅び去った。
砂漠の星に追いやられ。
無数の怪鳥が飛び交い。
そして何一つ生み出せないその場所で。
唯一、奇跡的に生き延びた子供が。
その新人だった。
周りは親も含めて何もかも他者から奪うことしか頭にない狂人の群れ。そんな中で生きていくためには、自分も狂人になるしかなかった。
それが現実というもの。
自分の心を盗みに染め。
奪うこと。盗んで逃げる事で、生き延びていった。
銃を奪ってからは。
相手を奇襲して殺し。
奪い取って、食糧も水も得た。
やがてそれが、何の疑問もない、当たり前の事になっていった。
星を渡る電車の駅も存在したが。
誰も降りてこない。
いつの間にか、其所を狙う賊もいなくなっていった。
賊そのものが、食い合いの結果減っていったのだから、まあ当然だろう。
そして、降り立った者達。
最後に残った賊達は。
協力しようなどとは、全く考えず。
おのおのの装備で奪いに行き。
奪い合いの結果全員が倒れていき。
或いはトリのエジキに。
或いは返り討ちに。
最後に生き残ったそのものは。
助けてくれた旅人に銃を向けた挙げ句。トリに横からかっさらわれるようにして捕獲され。空中で食われてしまった。
最後のぼやいた言葉。
それは、自由になりたい、だった。
自由とは何なのか。
どうして口から出たのか。
その者にさえ、分からなかった。
それが、心の奥底まで潜り、引きだした情報の全て。
長老は嘆息する。
そして、完全に気を失った新入りを放置して、家を出る。長老自身もかなり疲弊した。疲れなんてたまらない世界の筈なのに。
有識者を集める。
今聞き出した情報を全て開示する。
誰か何か良案が無いか。
そう口にすると。
誰もが、困り果てた様子で、視線をそらした。
「それは、あまりにも末期的な世界ですな。 小さな集団としても、あまりにも致命的過ぎましょう」
そうぼやいたのはある国の大臣だったものだ。
生前はあまり良い大臣ではなかった。
だからここに来てからは。
良い大臣とは何か。
ずっと勉強を続けている。
今では、どこでも大臣をやれそうな程に成長しているが。それを面と向かって褒めるつもりは、長老にはない。
「一時期はセラピーがもてはやされた事がありましたが、殆どの場合効果などありませんでした。 じっさいセラピーの本場であった国でも、精神に問題を発する犯罪は減った試しがありませんでしたから」
そうぼやくのは精神学の権威。
あらゆる精神の病を治したい。
そう考えていて。
此処では、色々なものと腹を割って話して、知識の量を増やしている。
だが、そんな専門家だからこそ。
手に負えないものは、素直にそう口にする。
「生まれた時から、前提からして違う状況にいたものは、簡単にはそれを克服することは出来ません。 長老が必死に引きだしてくれた情報、深淵の中の深淵ですが……本来は隔離して、犯罪者として処罰し、永遠に閉じ込めておくしかないでしょう」
「私もそれに賛成です」
とう静かに、断固として口にしたのは。
ある国をまとめ上げた英雄。
麻のように乱れていた国をまとめ上げたその英雄は。
間違いなく善人ではあったが。
過酷な国政をリアリストとしてもまとめられる英傑だった。
だからこそ、厳しく言う。
「この世界が地獄である事は分かっています。 心残りがあると此処を上がる事が出来ない事も。 しかしながら、根本から盗賊であるものはどうしようもありません。 本来なら速やかなる死を。 そうでなければ、一生の償いを。 自分が悪い事をしていると言う自覚さえない者に、対応する方法はありません」
「……他に意見は」
誰も口にしない。
ならば。
だからこそ。
長老は口にしよう。
「……何度も皆に説明しましたが、私は宇宙最悪の罪人です。 だからこそ、数万年もの間この地獄に留まっています。 そんなものからすれば、あの者はむしろ犠牲者だとも言えます」
「貴方のスケールで言えばそうなのかも知れません。 しかし此処で求められるのは、個々人の救いなのです」
精神学者がそういう。
他の者も同意している。
だが、長老は諦めない。
「私はそれでも救いたい、上がらせたいと考えています」
「……」
誰もが黙り込む中。
長老は、なおも続ける。
「私はものどころか、生存の機会を奪い続けました。 アンドロメダ銀河全域を殺し尽くし、大小マゼランにも手を出し、天の河銀河にまで進出しました。 その過程で徹底的な殺戮を続けました。 それも愛という言葉によってです。 どんな盗賊でも、私に比べれば些細な罪人に過ぎません。 此処が地獄と言うのなら。 罪を償う場所であって……私は、それを証明したい」
誰も言わない。
だが、国王が言う。
「覇王よ。 貴方の言葉は正しいかも知れない。 だが、それはいばらの道だと思います」
「分かっています。 それでもやりとげなければならないのです」
「……分かりました。 一つ、可能性について述べます」
難しいですが、と前置きした上で。
精神学者が言う。
「一度根幹を無にする方法があります。 精神的に死を迎えさせるのです」
「それは……」
「本来なら廃人になりかねない危険な方法です。 しかしながら、盗むという事が根幹になってしまっている者をどうにかするには……それを建設的な方向に植え替えるよりも、一度無にし、全てを学ばせる方が早いでしょう」
そうか。
溜息が出る。
盗賊であっても尊重したかったのだが。
それも無理か。
だが、手としては有りかも知れない。
一度解散する。
そして、自宅で、長老は思索を進めた。
本当にそれで良いのか。
それが救いだというのか。
しばし悩んだ後、結論する。
ならば。
本人に、決めさせるべきだと。
一度、心は覗いた。もう一度、最後の荒療治が必要だ。
顔を上げる。
あの恐ろしい長老に、全てを覗き見られた。また来るに違いない。頭を掴まれて、囁かれるのだ。恐ろしい言葉を。
盗賊など、あの者に比べれば塵芥同然。
泣く子も黙る大盗賊など、笑止千万。
あの者が現れるだけで。
銀河単位で、誰もが逃げ出すレベルだ。
そして、現れる。
長老だ。
もう、逃げる気にもならない。震え上がる自分の頭を、長老はまた、容赦なく掴んで固定。
じっと目を近づけてくる。
口は笑っていない。
目も。
ただ、其所には。厳しい、世界の理を見据えようとする存在の姿があった。
盗むことは、相手から奪うこと。
ただそれだけが全てだった自分にとって。
長老は恐怖でしかない。
盗めるものと盗めないもの。
それでしか、相手を区別していなかった。
それなのに長老は、新しい定義をもたらした。
逆らえないもの。
そして今も、がちがちと歯が鳴っている。
感情がなくなるはずのこの世界で。
ひたすら恐怖がせり上がってきては、その度に消えているのだ。
もう、自分が何なのか。
何をされるのか。
それさえ、分からない。
長老は言う。
「貴方が求めているものは何ですか? 何もかもを盗みながら生きる事? それとも盗むという「逃げ」から脱却すること?」
「あ、うあ……」
「貴方に選ばせましょう。 貴方の根元には、盗むというどうしようもない思想が居座っています。 貴方が盗みをしたくないのなら、その思想を破壊し尽くし、無にするしかありません。 貴方がずっと逃げ続けたいならそれでいいでしょう。 しかし、貴方が自由になりたいというのなら……その盗むという悪徳を、私は壊しましょう」
自由に。
自由になりたい。
トリにかみ砕かれながら。
最後にそう思ったことを、覚えている。
何一つ、自由になるものなど無かった。
盗み、盗み返され。
殺されそうになり、殺し返し。
血を浴びながらひたすら逃げ回り。
そして人生の終わりを迎えた。
何が大盗賊だ。
結局の所、破滅に突き進む、ただの愚か者では無いか。それが分かっているから、最後に呟いたのでは無いのか。
自由がほしいと。
「じ、じゆう……」
「自由?」
「自由に、なりたい……」
「そうですか。 では、私は貴方を一度壊します」
悲鳴を上げる。
だが、長老の手は凄まじい力で、万力で締め上げられているようだった。黒服を着た女の子にしか見えないのに。
どうしてこうも凄まじい力なのか。
何となく分かる。
この者は覇王だったと聞いている。
あらゆる困難を力でねじ伏せてきたという話である。
だったら、強いのは当たり前。
盗む必要などない。
全てを叩き伏せていった存在なのだ。
それが間違っていたと本人は考えていたようだが。相手をねじ伏せる方法については、ノウハウが今でも体の芯まで染みついている。
そういうことなのだろう。
言葉が入り込んでくる。
根幹にあるドス黒いものが消えていくのが分かる。
いや、壊されていくというべきか。
盗む。
それが全て。
だが、それではいけない。
存在は、そもそも互いに何かしら補填し合って生きている。
弱肉強食など大嘘。
もしそれが本当なら、誰一人子供など生き残れない。
事実、自分だって。
そうだ。思い出した。本当に最初の最初は。両親は、育ててくれたではないか。
暴力を振るえない範囲内で。
可能な限り行われる、流し込まれる言葉の数々。
長老は此処で何ができるのかを知り尽くしている。
だからこそ、自分の中枢にある全てが。
何もかも、溶けていくのが分かる。
盗むこと。
それだけが価値観。
だからこそ、壊れた両親。
だが最初の最初から、盗むことだけだったのなら。
そもそも幼子が生きて行けた筈が無い。
記憶の奥底にしまわれていたそれが。
少しずつ表に出てくる。
嗚呼。
最初は、母は。
育児をしてくれている。
育児用のロボットを使っている。盗んだものだが。その育児用ロボットだけでは、子育てはできない。
悪態をつきながらも、きちんとどうすれば育児が出来るのか、調べてくれているでは無いか。
父は盗んできたものを集めて来ている。
子育てのために必要だと言って。
まだ記憶が定かではない内は。
そうやって面倒を見てくれた。
だが、その行為そのものが周囲の反感を買ったのだと分かる。
ガキなんぞこさえやがって。
盗みには邪魔だ。堕ろすのが当たり前だろうが。
罵倒しながら、追いかけてくる者の群れ。
ガキは食糧になる。
内臓なんかも売れる。
捕まえて殺せ。
叫びながら追いかけてくる者達。
母は凄まじい形相で罵倒を返しながら、追ってくる者達に叫び返す。父は必死に銃を乱射して対抗したが。
やがて撃ち殺された。
母もいなくなった。
自分を助けるために、身代わりになって、何処かに行ったのだ。
何か、自分に対して悪態をつきながらいなくなっていた。記憶の中で、見えてくる。楚の言葉は。
お前なんか産まなければ良かった、だ。
嗚呼。
だが、その言葉は。
盗賊としての自分が壊れるから。
母親としての本能が喚起されて。必死に自分を育ててしまったから。滅びに抗おうとしたから。
盗賊しかいない世界で。
盗賊が正しいとされる世界で。
何かを慈しみ育てるという行為は、世界への反逆そのもの。実際、周囲中の怒りを買い。リンチされて殺されたのだ。
あらゆる尊厳も蹂躙されたのだ。
しかし、その行動は。
決して。
決して、バカに出来るものではなかったのだ。
生き延びた自分は、彼方此方を這いずり回りながら。
やがて盗賊になっていった。
身も心も。
どうせ両親が生き延びていたところで。盗賊としての教育をされていただろう。事実、記憶にも本能のまま自分から盗んだり奪ったりする両親の姿がある。だけれども、同時に。生かすために、根っからの盗賊である両親なりの苦労もしてくれてはいたのだ。
そうか、そうだったのか。
間違っていたんだ。
地面に叩き付けられ。そして、粉々に砕けて。内臓が飛び散り。血が辺りに拡がっていくかのよう。
ふと、気付くと。
自分の頭から、長老が手を離し。
静かに、此方を見ていた。
もう、今までのような威圧感は覚えなかった。
「中枢にあった記憶まで潜りました。 貴方を壊すというのは、こういうことです。 そもそも本当に盗賊だけで構築された世界だったら、子供が育てる訳がないのですから」
「……」
「少し、慣れるまで時間が掛かるでしょう。 盗賊としての自分が間違っていたことを理解出来たら。 自分から私の所に来てください」
俯く。
泣けるなら泣いていただろう。
死ぬ直前の自分は。恩人にさえ隙を見て銃を向け、奪い取ろうとした。だから死んだ。
それが、今なら。
当然の事だったのだとよく分かる。
もしも此処を出る事があったのなら。
盗賊ではなく。
ちゃんとした親に。子に。まっとうな隣人になりたい。
そんなものが存在するのかは分からない。
どんなものかも知らない。
だけれども、盗賊以外になりたい。
それが、いつの間にか。
盗むという大前提が心の中から消え。
新しく、心の中に居座っていた。
洗脳なんてされていない。
むしろ、親を殺し。自分も殺し。そればかりか、その星の人間全部を殺した悪しき理論が。
心の中に勝手に住み着いていた。
それが、溶けていなくなり。
新しく、まともなものが入り込んだ。
文字通り、壊すか。
違う。
長老は恐らく、本来あるべき姿に変えてくれたのだ。
壊れた世界で培われていった、壊れた理論を。更に打ち砕き。本来、自分が生まれ育つために使われた理論を呼び覚ましてくれた。
弱肉強食という言葉を都合良く使っていたら。
子供なんて誰も育てない。
子供は弱者だ。
特に乳幼児は絶対に一人では生きていけないのだ。
両親は、盗賊なりに苦悩しながらも。
盗みという大前提を曲げ。いや、曲げ切れてはいなかったけれども。曲げようと苦心しながらも。
育ててくれていたのだ。
顔を上げる。
ずっと心の中を制圧してきた真っ黒なもやが。
何処かに溶けるように、いなくなっているのが分かる。
だが、落ち着くまで、しばらく時間が掛かるだろう。
もう、此処への反発は。
無くなっていた。
落ち着いてから、長老の所に行く。落ち着くまで、四週間ほど掛かった。それまで、とにかく心が全く変わってしまったことに困惑していて。まともに喋る事もできない状態だった。
少しずつ、人間としてのあり方を思い出していく。
生きている間は、如何に騙すか。
如何に盗むか。
それだけが全てだった。
此方に来て、その根幹が外された。
だから今は、こうしてどうにかそうではないやり方をしようと、四苦八苦している。でも、時々鎌首をもたげる盗もうという気持ち。
それを必死に抑えるためにも。
人と短く話す事から始めた。
あの恐ろしい蜥蜴頭の男も、それについては何も言わない。
会話で威圧してくることもなくなった。
長老は、敢えて話しかけてくるのを待ってくれている様子で。
此方には干渉してくることは無かった。
はあ。
溜息をつきながら、己が如何に愚かだったのか。
漸く理解出来ていた。
己の属する集団が滅びた理由も。
全てから奪い、盗め。
その考えは、恐らく弱肉強食思想の終着点だろう。だが結果は、全員が盗賊となり、奪いあいの末の滅亡だ。
つまり理屈が根本的に間違っていたのである。
だから押さえ込む。
そして、少しずつ、会話を増やしていく。
盗み癖が顔を出してきたら、すぐに会話を切り上げる。
相手にも最初にそれを告げている。
だから、相手を不安がらせてはいないと信じたい。
四週間で、それが出来るようになり。
なんとか他人と盗むこと前提で話す事が出来なくなったので。
出歩くようにし始める。
前は出歩いているときは、絶対に盗むことを想定して物色していたのだけれども。その本能が疼いたら、即座に家に戻るようにした。
必死に盗むという思考と戦う。
本来の世界だったら、
絶対に許しては貰えなかったことだ。
だが、盗むものなどなきこの世界。
虚無のこの世界で。
しかも此処は一種の地獄。
だったら、許して貰えるのだろうか。
兎も角、みな寛容だった。
或いは、長老がしっかり周知してくれているのかも知れない。だとしたら、此方としては有り難い。
これも、四週間掛かった。
盗まない、という生活は。
どれだけ大変なのか。
此処の者達と話していて分かったのは。どんな人間も基本的にはロクなものではない、ということである。
クズは何処にだっている。
聖人の皮を被ったゲスは何処にでもいる。
むしろ、まっとうな人間ほど、社会から迫害されることも多い。
だからこそ。
此処では、まっとうになろうとしている者は、それを歓迎し。
背中を押す。
そういう話だった。
頷いて、ひたすら努力を続ける。
それは本当に苦しいことだった。
現実がくだらないと分かりきっていても。それでも、どうにかしたいと思うのは恥ずかしい事だろうか。
実際問題、ろくでもない賊が集まって、最初はあの星の社会が出来たのだろう。
そして全員が賊だったから。
盗むことが掟、何て狂った理屈が出来たのだろうと思う。
そんなものが間違っている事は良く分かった。
今は。ひたすら。
まっとうになりたいと思う。
心残りも消えつつある。
盗賊であった事は、恥だと感じている。
死んだのは、罰だったのだろう。
そして、盗賊の誇りなんてくだらないものから脱却できたら。
ちゃんとした存在になりたい。
それだけを、考え続けていた。
4、光はやってくる
長老の所に、根っからの盗賊だった新人が来た。
そして、向かい合って座ると。
最初に頭を下げられた。
本当に申し訳なかったと。
獣のようだっただろうと。
「頭を上げなさい」
静かに諭す。
もう、威圧する必要もないだろう。
ずっと見ていた。
盗人としての本能を抑え。新しく座った価値観を温め。心の中にまだ巣くっていた、盗賊というどうしようもないものを追い出そうとして。
四苦八苦していた様子を。
だから、いまきちんと話を聞いている。
言葉に嘘がないことも分かっている。
あの時。
催眠を掛けて、原初の記憶を引きずり出したとき。
しばらくは、まっとうにはなれないと思っていた。
まだまだ補助が必要だろうと思っていた。
だが、意外にも。
引っ張り出した記憶は、とても真っ白で綺麗だったのである。
だから賊は、努力を始めた。
そして、苦労しながらも盗賊としての自分と決別しようとし始めた。それを邪魔する理由など、一つも無かった。
今は祝福をもって。
盗賊から脱却できた者を出迎えている。
話を聞くことも出来ている。
「心残りはありますか」
「もう、ありません。 賊として生きた事は、本当に恥ずかしいことだったと、今では思います。 恩人にまで銃を向け。 そして情けない繰り言を呟きながら死んで行った事に、もう未練などありません」
「そうですか。 良く、それに気付けましたね」
「……」
咳払いすると。
真面目に正座して聞いている、元最後の賊に話していく。
「自由と無法は違います。 貴方がやっていたのはただの無法だ。 いや、無法を法にする無茶苦茶な世界で貴方は生まれてしまった。 だけれども、貴方はそんな中、無法の世界ではタブーとされる愛情を親からわずかでも受けられた。 だからこそ、背が伸びきるまで生きられた」
「……今なら、それが分かります」
「はい。 未練はなくなりましたね。 それでは、何をしたいと思いますか」
「何も望みません。 強いていうなら、まっとうにいきたい……それだけです」
頷く。
更に、感じた。
上がりが近い。
なんというか、この者は。
最初から、心そのものは狂ってはいなかったのだろう。
自己責任論では、この者を救うことは出来なかった。
世界に蔓延する無責任な自己責任論では、この者の心の闇を晴らすことなどできなかった。
事実、社会そのものに問題があったのだ。
社会そのものが、自己正当化を続けた結果。
自己責任論に押し潰されて、社会が倒壊してしまった。
それが賊だけしかいない社会という、無様で滑稽な瓦礫の塔の顛末だ。そんなものは滅びて当然だったのだ。
長老が率いた、滅びの艦隊と同じように。
もうすぐ上がる事が出来ること。
上がれば、きっと願いは叶うだろう事。
それを告げると。
最後の盗賊は、静かに頭を下げて、自宅に戻っていった。
もう、綺麗に意識は変わっている。
それでいいのだ。
此処をでたら、きっとまともな存在になれるだろう。
人間社会では、まともな存在は決して多く無い。
苦労もするかも知れない。
だが、はっきりいうが。
根本が駄目な人間の中で。
素がまっすぐでまともであるという事は、とても得がたい事なのである。
送別会を行う。
ささやかな宴だが。
最後の賊は、落ち着いた様子で。
もう、盗むという行為からは、完全に全て足を洗うことが出来ているようだった。
その夜、災害が起きる。
全てが溶ける灼熱の中。
長老は、誰かが。
最後の賊を、迎えに来るのが見えた気がした。
蜥蜴頭の男が来る。
災害の復旧が終わった所だ。幾つかの話をして。歩きながら、軽く確認をしておく。
「貴方から見て、あの最後の賊はどうでしたか」
「驚きましたよ。 彼処までのクズは、俺にも手に負えなかったでしょうし。 やっぱり経験を積んでいると違いますな」
「……運が良かっただけですよ」
壊すという表現を使ったが。
実際に行ったのは、ただの催眠術だ。
それによって、オリジンにまで潜った。
その結果、見つけることができた。
狂った社会に生まれた者の。
小さな小さな光を。
小さな光はまばゆいまでに輝いていて。
その輝きには、尊い愛もあった。
勿論それだけでは無かった。
やはり両親も賊だった。
賊だから、幼子に対して虐待は普通にしていたようだ。
それでも。
子供が育てるだけの愛情は、必死に注いでいた。社会のルールに背いてまで。
だまら、両親は殺された。
そんな両親が殺されるような社会は。
滅びて当然であっただろう。
昔話のように。
盗賊から足を洗うなんて、簡単にできる事では無い。
アウトローと法の番人が、簡単に立場を入れ替えられるような世界だったら、或いはそれも出来るのかも知れないが。
あの最後の賊がいたような世界では。
それも難しかった。
事実、誰一人それをなしえないまま。
賊だけの星は。
滅びを迎えたのだ。
頭を掻きながら、蜥蜴頭の男は言う。
「長老。 あんなのまで更正できるんです。 そろそろ……」
「ええ、分かっています。 私自身も、どうにかしなければなりませんね」
「貴方は多くの罪を犯したかも知れない。 だけれども、貴方は俺みたいなド畜生の外道でさえ見捨てるような奴でさえ救った。 俺だって貴方に救われた。 そろそろ、良い筈なんですぜ」
「……」
そうだな。
後一歩、何か切っ掛けがあれば。
アンドロメダの覇王であった自分も。
救われる時が来るかも知れない。
長老だって、狂った社会で生まれた事は同じだ。あがいた挙げ句に、狂った思想にはまり、破壊の魔とかした。
もしも救われるのなら。
その罪を精算したとき。
勿論生きている間、許される行為では無かった。
だが、今であるのなら。
まだ、正直足りないとは思っている。
だが、それでも。
今ならば。
心残りは、罪人であるという事。
そして、もしも、生まれ変わったのなら。
此処をでたのなら。
勿論、犯した罪以上の貢献を、世界にしたい。
世界を滅ぼそうとする者を打ち砕き。
世界に少しでもマシな平穏を作り上げたい。
多くの種族が共に生きていける。
そんな世界を作っていきたい。
それが長老の願いだ。現時点では、まだ罪の意識が重く、それを取り除く事が出来ていない。
だから上がる道筋は、まだ見えてはいないのだが。
復旧作業の完了を確認。
新人と話す。
この新人は、それほど時間が掛からなそうだ。
それと、である。
古株の何人かが、此処を抜けられそうだ。
というのも、この間の「元」賊が上がった事で。それに希望を見いだしたらしいのである。
あのような、本来はどうしようも無いものでさえ救われた。
ならば、というのだろう。
或いは、蜥蜴頭の男も。
同じように元気づけられたのかも知れなかった。
一度、集落をでる。
ふと気付くと、地面に珍しく、金物が落ちていた。いつもは殆ど木材とかしかおちていないのに。
拾い上げて、確認する。
何だこれは。
稚拙な加工技術で作られた、何かの形見だろうか。
此処に金目のものが落ちてくるのは珍しい。それに、此処には欲望を喚起するものは無い方が良いだろう。
埋めてしまう。
そして、素知らぬ顔で、その場を去った。勿論掘り出すつもりはない。此処には、価値があるものは必要ない。
心以外は。
家に戻ると、目を閉じて考える。
救われて良いのだろうか。
だとしたら。
何か切っ掛けが、ほしいかも知れない。
(続)
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