人の定義

 

序、新人はさわぐ

 

災害が起きた。

今度のは、何か良く分からない重量物に、集落が一瞬でぺたんこにされた。本当に何が起きたのかわからなかった。

何かに踏まれたらしい。

いにしえの神話には、糞が一つ落ちただけで集落を潰したというトリが出てくるらしいのだけれども。

正にそんな巨大生物が、踏みつぶしたのかと思ってしまった。

ともかくだ。

潰れただけなら、物資の調達も比較的容易である。

ただ綺麗に平らになると同時に、家の材料なども全て粉みじんにくだけてしまっていたので。

結局復興作業は必要なようだった。

新人を蜥蜴頭の男が連れてくる。

むっつりと不機嫌そうにした中年の男性だ。

目の下に隈を作っていて。への字に口を曲げている。

強い意思力を持っていたのだろうか。

「ほら、挨拶しろ」

蜥蜴頭の男に促され、挨拶を受ける。

軽く話をして、互いの状況を確認。

どうやら地球人類が宇宙に進出せず。破滅的な諍いの末に、色々な意味で文明が後退した世界の住民のようだった。

地球人類の世界は、21世紀に大きく分岐する事が分かっている。

その後宇宙に進出出来るかでかなり別れるし。宇宙に進出しても、太陽系の外に出られるかでもまたかなり変わってくる。

ただ、少し珍しい話も幾つかあった。

「神々?」

「我々はそう呼んでいました。 超常たる力を持つ人間の一派ですよ。 我々をこのような姿にした……」

「普通の人の姿に見えますが」

「……。 本当だ……」

手を見て、そう気付いたらしい。

新入りは、しばらく手を見て。そして嘆息した。

「どのような姿にされていたのです」

「……」

「分かりました。 無理はしなくてもかまいません。 此処には生に納得出来なかった者達が来ます。 貴方もそうしてきた。 それだけの事です」

「納得など、出来る筈もない……」

頭を振る新入り。

頷くと、まずは復興作業に従事させた。どうやらこの新入り、非常に不満を口にするらしく。

やがて蜥蜴頭の男が、愚痴を言いに来た。

「感情が薄くなるこの世界であれだけよく不満を口に出来るものですぜ。 長老、どうしやしょう」

「好きなだけ不満を口にさせてあげるといいでしょう」

「はあ、どうしてでしょう」

「話を聞く限り、あの新入りのいた世界では、余程の扱いを受けていたものと思われますから。 少しでも不満が解消されるのなら、不満を口にするくらいは別にかまわないと判断します」

そういうものかと。

元大海賊は頭を掻きながら、復興作業に戻っていった。

新入りにも家が与えられるが。

小さいとか、穴の中が良いとか、贅沢を言う。この虚無の世界で、此処まで我欲を見せる奴は珍しい。

相当に抑えられているだろうに。

まあ、前にもずっと寡黙だった者がいた。

こう言う者も、まあいる事はあるのだろう。

ただ、最初は五月蠅かったが。

次第に順応して。

やがて静かになっていった。

しばらくして、落ち着いたと判断してから、長老は新入りの家に足を運ぶ。新入りは、膝を抱えて座り込んでいた。

「何をしているのです?」

「何もできないと思いましてね」

皮肉混じりの言葉だ。

本来なら、さぞや毒が大量に含まれていただろうが。

流石にこの虚無の土地では。この色々五月蠅かっただろう新人も、牙を抜かれてしまうらしい。

愚痴をいう余力も無いらしく。

新人はぼんやりとしていた。

話を少しずつ聞いていく。

まずは、詳しく相手の話を聞き。此処を上がるための。納得するための糸口を探していく。

一人でどうにかできそうなら、それはそれでいい。一人で納得を得られるならば、それはそれで尊い事だ。

一人でどうにもできそうにない場合を見越して。情報を少しでも得ておかなければならないのだ。

事実ここに来る者には、それくらい拗らせてしまっていることが珍しくもない。

そして自身の基礎能力を見せておくことで。

相手の信頼も買う。

相手の信頼を買うには、実際有言実行で出来る事を見せるのが一番だからだ。

しばらく話を聞いてみると。

新入りの世界の様相が見えてきた。

どうやら異能が当たり前になった社会で。

地球の文明が分岐する21世紀から、ずっと未来の世界。

地球人類は宇宙に進出出来ず。

独自の文化を地球に構築するという、不思議な世界だった。

異能によって一度破滅的な壊滅を迎えた人類は、様々な愚行の果てに四分五裂を繰り返し。

異能を持っている者が権力を握り。

異能を持っていない者を徹底的に迫害する世界が始まったという。

迫害のレベルも違う。

何しろ、異能がない人間を、そもそも人間の形から変えてしまったというのだから筋金入りである。

それだけの技術力がありながら。

モラルは最底辺層。

人間という生物は、聞けば聞くほど分からない存在だ。

話を丁寧に聞いてくれることに多少気を許してくれたのか。

少しずつ、新入りは口が滑らかになっていった。

「貴方はちょっと他とは違うようですね。 相応に有能さを感じます」

「私は貴方が言う所の覇王でした。 地球出身でもありません」

「余所の星の覇王か。 あのような地球の人間など、皆殺しにしてくれれば良かったものを……」

「私が生きていた頃だったら、生きるもの全てを殺していたでしょう。 無人兵器を放って容赦なく。 私は多くの罪を犯してきましたが、貴方の世界に到来しなかったことは幸いだったと思いますよ」

流石に口をつぐむ不機嫌そうな男性。

だが分かる。

この男性は、相当な不満を持っていたし。

多分血の雨を死ぬまでにかなり降らせたはずである。

それには、理由はあっただろう。

だが、敗れた。

そうでなければ、此処まで不満だらけでは無い筈だ。

少しずつ、話していく。

「貴方は人間だった」

「その通りです。 もはや人間とは似ても似つかない姿にされましたが」

「……具体的にどのような姿にされたのです」

「ハダカデバネズミという鼠をご存じですか」

聞いた事がない。

ここに来たものからは、色々な生物の話を聞くが。知っている者はいるだろうか。

首を横に振ると、説明してくれる。

地中に巣穴を作って生活する鼠の一種で。

真社会性を構築する珍しい哺乳類の一種だという。

女王を中心とした社会を構築し。生殖能力も一部の個体を除くと存在しない。

極めて苛烈な近親交配を繰り返しながら滅びない珍しい種族で。

癌に対しても強い耐性を持つという。

頷くと、その性質を把握。

そして、それに似た性質にされた事を悟る。

「我々はそのハダカデバネズミの因子を体に強引に埋め込まれて、生物としての形質さえ変えられました。 人間としても、勿論扱われず。 人間の気分次第で、いつでも殺される存在となり。 人間を神と呼ぶことを強制されました」

「驚きましたね。 それほどその世界に存在した異能は強力だったのですか?」

「色々「神」に対抗するために資料を集めましたから知っていますが、核と呼ばれる兵器を遙かに凌ぐ出力を個々が持ち、我々に因子を埋め込んで改造することも能力でやってのけたようです」

「……」

それは。本当にある意味では神に近い状態なのかも知れない。

だが、頭のねじが外れているだけとも思える。

ある意味生前の長老も、頭のねじが生前は外れてしまっていた。

だから分かるのだ。

そして、社会そのものが狂気によって構築され。

能力がない相手に対しては何をしてもいいと考えた結果。

相手を動物へと変え。

神を自称するに至ったと。

「そのような人間が、良く滅びずにいられましたね」

「……彼らは己の存在を維持するために、間引きを積極的に行っていました」

「間引き」

「危険因子の排除です。 身内にさえそれは向けられ、社会に仇を為そうとする性格の持ち主や、能力が低いものは、子供のうちに積極的に殺していたようです」

滅茶苦茶だな。

おもわずぼやきたくなる。

自分が生前やっていた事と、同レベルの滅茶苦茶さだ。

まあ、地球人類が色々と問題がある種族なことは知っていた。

ごく一部例外もいた。

あの星の船の乗り手達。

最後まで、圧倒的過ぎる戦力差に屈しなかった者達は違った。

だが他はどうだっただろう。

確かにねじが外れれば、そのような狂った社会になってしまったのも、頷ける話である。

「我々は畜生の一種として扱われ、人ではないものとして女王を中心としたコロニーを作り、そして相争いながら機会を窺っていました。 既に壊滅した文明を調べて、核などの兵器を探し。 更には、神を名乗る連中を殺すための戦術を編み出しもしていたのです」

「だが失敗した」

「……良い所までは行ったのです。 彼らは、自分達で殺し合えないように、己の中に強烈な自己暗示を仕込む事をしていました。 これは彼らの体内に、既に生まれた時から備わっているものでした。 これを利用して、神殺しの神、強いていうなら生きた神殺しの剣を作り上げたのです。 我々全てが掛かっても、奴らの一人にさえ勝てない……だから」

「……」

そうか。

ねじが外れた世界で、己の尊厳を守るため。

己の尊厳を投げ捨てたのか。

口をつぐんでいる不満そうな中年男性。

良いところまでいった、ということは。

その生物兵器は何かしらの手段で敗れてしまった、ということなのだろう。

そして負けが確定した。

「私は……人間だった!」

「ええ、人間ですよ。 悲しいほどに」

「貴方は認めてくれるのですね、長老と呼ばれる者」

「認めますよ。 ただし、貴方がした事は、褒められる事でも無い」

俯く男性。

しばらくは、心の整理もつかないだろう。

自分で考えるのが良い。

そう言い残すと、一旦中年男性の家を後にする。

蜥蜴顔の男が来たので、大体要約して話をしておく。

はあと、ぼやくように呟いてから。

蜥蜴頭の男は言う。

「俺は生前、人道からもっとも遠いところにいましたが……その世界の未来人類は、色々踏み外しちゃあいけないものを踏み外していたようですな」

「生前の私や貴方も同じですよ」

「そりゃあ分かってます。 ですが……」

「生物としての地球人は、あまりにも不完全な生き物です。 たまに私を驚かせるほどの者もいましたが、それはあくまでも例外中の例外……あの者は、そんな人間が、あらゆる意味で箍が外れた世界の犠牲者と言えるでしょう」

新人の家を一瞥だけする。

あの新人。

自分の尊厳のためだけに、大量殺戮を行ったのか。

いや、どうにもそうは思えない。

大量殺戮を行うというよりも。

生存のための戦いだった、という印象を受ける。とはいっても、生存のためなら何をしてもいいと考えるようになったらおしまいだ。

あらゆる全ての今まで得た情報が。

生存のために、他者の全てを否定する行為が。如何に危険で愚かしいものかを告げてきている。

しばし腕組みして考え込む。

歩きながら、蜥蜴顔の男と話す。

「あの新人の心残りは何だと思いますか?」

「罪悪感だとは考えられませんね。 多分ですが、尊厳を取り戻せなかったこと、ではないでしょうかね」

「どうもそうだとは思えませんが」

「というと」

あの新人は。

既に人間の姿に戻っている。

話を聞く限り、ハダカデバネズミの因子を埋め込まれ。

鼠人間とでも言うべき姿にされていたというのに、である。

それで喜んでいる様子が無い。

あの新人の中で、人間という要素は、何処かで歪んでしまっているのではないのだろうか。

「まあ、それは話をしながら引き出していきましょう。 いずれにしても、まだ此処で我を抜かれきっていないようです。 妙な行動をしないように、監視だけはしてください」

「分かりました。 それにしても長老。 貴方はまだ上がれそうにありやせんか」

「……もう少しで、とは思うのですが」

「そうですか。 仕方がありやせんな」

蜥蜴顔の男と別れると。

一度自宅に戻る。

横になって考え込む。

あの新入りと自分は似たようなものだ。

新入りは人間から人間ではないものにされ。

そして自分は人間が手を汚さないように良いようにと作られた、一種の生物兵器に自我が宿ったものだ。

どちらも己の尊厳を求め。

戦いに身を投じ。

敗れ去った。

長老の場合は少し違うかも知れない。

変な思想に捕らわれなければ。

何も宇宙全土を焼き尽くすような行動を取らずにいた可能性もある。

あの忌まわしき、自分達を産み出した文明だけを滅ぼして。

後は静かに暮らしていくという路もあったはず。

歪んだ愛というものに捕らわれ。

それを執行し続けたから。

何もかもがおかしくなった。

結局の所、長老は、復讐を果たしたところで一度止まり。そして、其所で考え直すべきだったのだろう。

自衛のための戦力は充分過ぎる程あった。

わざわざ余所へ攻めていく必要などなかった。

あの最終兵器。

方舟を機動するために、余計な連中の手を多少は借りたが。

それだけだ。

基本的に全て自分の意思で行っていたし。

後悔する事が出来たのは、死んでからだった。

しばらく黙り込んで考えていた後。

食事にでる。

ぼんやりと、手に取った木の実を見つめている新人。いや、本能に逆らおうとしているのか。

面白いから見ていると。

やがて本能に逆らえなくなって、木の実を食べ始める。

うまくもないだろう。

長老も黙々と食事にするが。

新入りは大きなため息をついた。

「まずい……」

「この世界での唯一の生体活動ですよ。 性欲も睡眠欲も無い中、この木の実を一定期間おきに食べる。 それだけが残っています。 代謝も消えているので、糞便も必要ありません」

「どおりで便所が家にないと思ったら」

「一度に全てを把握するのは難しいでしょう。 少しずつ、覚えていってください」

ついと視線を背ける新入り。

何もかもが気に入らないという顔だ。

分かってはいるが。

少しずつ、話を聞いていかなければならない。

新入りを上がらせてやると同時に。

長老自身が、この乾いた虚無の世界から上がるためでもある。どちらにとっても、必要な事なのだ。

新入りがいくのを見届けると。何人かに話を聞いて回る。

状況を確認しておく必要があるからだ。

長老としての責務は。

きちんと果たし続けなければならない。

そうしなければ、ここに来る前のように。

皆何もかもやる気を無くして雑魚寝をし。

結果誰も上がる事が出来ないという。不毛すぎる世界が到来してしまうことだろう。

そんな世界では、文字通り尊厳など守る事などできない。

だからこそ。

長老は、動き続けるのだ。

 

1、最低の世界

 

古い時代にも人間の格差はあったというが。

自分が生まれたその世界は最低最悪だった。

人間の中にも格差が巨大すぎるほど存在していて。

それを守るために、おぞましい犠牲がありとあらゆる手段と共に払われていた。

我等は人間だ。

我等を畜生にした奴らを許すな。

神を自称し、我等に名前を与えて喜んでいる連中に鉄槌を下せ。

そう思いながら生きてきた。

あらゆる手を使って出世し。

そして神を名乗る鬼畜共を撃ち倒すための準備を整えていった。

皮肉な話で。

自分と対立していたコロニーの者達も。いずれ神を名乗る連中に対応するために、調査をしていたらしい。

まあ当然の話だ。

相手の気分次第で、いつ滅ぼされてもおかしくないのである。

そんな状況から身を守るためには。

戦いを選ぶ他ないし。

戦うためには、武器が必要だ。

その武器は或いは戦術だったり。

或いは兵器だったり。

千載一遇の好機を手にした後も、油断せず。神を滅ぼすためのあらゆる手管を準備し。襲撃作戦を徹底的に練り。

そして、戦いを挑んだ。

敗れた。

あと少しだったのに。

前々から、関わりがある奴がいた。神を名乗る輩の一人だった。

向こうは此方を気に掛けていた。

恩を売ってやった事もあった。

だが此方は相手が大嫌いだった。

結局、其奴と。

神に味方することを決めた同胞の手によって、負けたのだ。

裁判と言う名のリンチが行われ。

そして永遠に死なず苦しみ続ける肉塊に変えられた。

自分のコロニーの者達は無条件降伏してなお皆殺しにされた。

最後に、苦しみ続ける自分を、彼奴が。

恩を売ってやったり。自分が負けるきっかけを作った彼奴が、とどめを刺してくれて。苦しみからは解放されたけれど。

納得など、出来る筈が無い。

絶対に許せない。

今度生まれ変わったら、絶対に復讐してやる。

そう思っていても。

こんな何もない場所では、それどころでは無かったが。

そもそもどんどん我が薄れていく。

欲も野心も消えていく。

本能が消えていく、と言うのが正しいだろうか。

文字通り牙を抜かれるという奴だ。

それが悔しくて、色々最初は抵抗してみた。敢えて我が儘の類も口にしてみた。だが、今はそれも出来ない。

ぼんやりと、自分というものを見つめ返しながら。

作ってもらった家の中で静かにしているだけ。

形だけは人間になった。

神を気取る連中だけが、人間の姿をしていたあの世界。

本当に手を見る度に、滅ぼしてやりたいと思う。

だけれども、どうしようもない。

恐らく、神を名乗る連中に味方した者以外は、同胞も皆殺しにされてしまったことだろう。

自分の行動の結果だ。

だが、奴隷のまま。

畜生のままで良かったのか。

神を名乗る連中は、自分達を時に使い捨ての駒にもしたし、実験材料にもした。

戦いを行う時にも連中の許可を取らなければならなかったし。

何よりも、名を与える事を最大の名誉とか抜かしていた。

あんな勘違いした連中に、従ったままで良かったのか。

コロニーの者達だって、皆不満を持っていた。

いつ気分次第で殺されるか分からない。

そんな状況で、生きていると言えるのか。

結果として、自分が主導はしたが。

皆賛成した。

喜んで命を捨てる作戦に出向く者も多数いた。決死隊として志願してくれた彼らには、一人一人手を握って、必勝を祈願した。

何もかもが無駄に終わったが。

溜息をつく。

革命が失敗し。その結果全てを滅ぼしてしまった者の哀れな物語だ。

あのまま、狂った世界は続いていったのだろう。

いつまで続いたかは分からないが。

いずれにしても、ろくでもない世界だったのだ。

破綻していたのは間違いない。

だが、ハダカデバネズミの因子を混ぜ込まれてしまった同胞達は、どの道、元になど戻れない。

何処で何が狂って。

このようになってしまったのだろう。

一体誰が。

人間の頭から、箍を外してしまったのか。

また溜息が出る。

過去の資料だって見た。

本当に長い間、異能を得た人間達は、愚かしい争いを続け。その結末が、あの無様すぎる世界だ。

かといって、異能を得る人間が出始める前の世界だって。

資料を見る限りでは、ろくなものではなかった。

結局尊厳がどうと言いながらも。

人間がろくでもない事は、最初から自分でも分かっていたのではないのだろうか。

それでいながら、何もかもを賭ける価値が。

本当にあったのだろうか。

不意に立ち上がる。

食事の時間か。

最初は精一杯抗ってみたが。それも無駄だった。この虚無の土地では、相手に暴力を振るうことも出来ないし、振るっても何もかも無駄。そしてこの唯一の本能にも絶対に逆らえない。

嫌だったら此処から上がれと長老は言う。

あの長老は、確かに出来る奴だが。

抗おうと考えないのか。

それが未だに腑に落ちない。

こんな世界、ぶっこわしてしまえないのだろうか。

まずい木の実を食う。

吐き捨ててやりたいが、それも出来ない。

不機嫌なまま家に戻り、また横になる。

此処をでる。

つまり上がるためには、納得しなければならないという。

出来るわけが無い。

あれだけの事があったのだ。

自分の真実を知ったのだ。

奴らを皆殺しにせずして。

納得など出来るはずもない。

大きな溜息が出た。

何度目だろうか。もう、数えるのさえ、億劫になっていたが。それでも、溜息は何だか悔しかった。

気配を感じたので、振り返る。

狡猾さをいつも謳われていたが。これでも、何度も作戦を立てて、戦いに勝ってきた軍師だったのだ。

戦場には常に自分から立ったし。

矢玉が飛び交う戦場でも、臆することなく味方に指示を出し続けた。

修羅場は散々くぐったし。

心理戦もこなしてきた。

だから、ある程度はわかる。

家の前に、長老が立っていた。顎をしゃくられる。来るようにと言う意味だと察して、すぐに出向いた。

逆らう理由が無いし。何より、自分一人ではどうしようもない。それは認めざるを得ないからだ。

事実、長老が監視しているのを承知の上で、色々試してみた。

あの木を蹴ったり、傷つけたりもしていた。

誰もにやにやと見ているだけだったが。その理由もすぐに分かった。

木に何をしても無駄。

即座に回復するのだ。

最初は愕然とし、そして腹立たしくなって地面を蹴った。そして、何度も自分を傷つけるように、木に頭突きをした。木は即座に直り。自傷も即座に回復した。勢いをつけて地面に体を投げ出し、首を折ってみたが。それでも即座に回復した。

そもそも、誰かが此処を上がる度に訳が分からない災厄がこの狭い土地を襲い。

木っ端みじんになろうとそれでも皆再生する。

それを聞かされたとき。絶望で膝から崩れ落ちたのだ。

今更、抵抗は出来ない事は分かっている。

長老についていくと、何人かが待っていた。

いずれも気にくわない。

神を名乗る人間の姿だからだ。

だが、それはある意味おかしいのかも知れない。ハダカデバネズミの因子を埋め込まれなければ、自分達だってこの姿をしていたはずなのだから。

「長老、この新入りが」

「ええ。 ハダカデバネズミの……」

「おう。 それは災難だったな。 話を聞かせてくれないか」

そんな風に身を乗り出したのは。

幼い子供にしか見えない輩。

だがしゃべり方からして、そうだとは思えない。

此処では見かけと中身が一致しない。それは分かっているから、今更どうこう思う事もない。

軽く話をしていく。

何人か集まった連中は、その度に頷き。或いは棒を使って地面に何かを書いたりしていたが。

その字は、どうしてか読むことが出来た。

何の言葉かすらもわからないのに。

そもそも、会話が成立している時点で。此処の世界がおかしいというのは、何となく分かっている。

色々な世界から来ている人間が集っているというなら。

会話なんて成立する筈が無い。

それが普通に意思疎通が出来てしまっている。

その時点で、此処が尋常な土地でないことは、明らかなのだから。

一通り話が終わると、一人が腕組みする。

「最悪の未来の一つだな。 人類が宇宙進出して、あらゆる他の生物に加虐し始めたのと同レベルの最悪だ」

「人間の箍があらゆる意味で外れていますね。 どこまで性格が歪んだらそうなるのか……」

「いや、今までも長老からはそういった最悪の未来からの来訪者の話を聞いているし、あり得たことなのだろう」

「異能を持たない人間を動物と混ぜる、か。 それにしてもおぞましい事を思いつくものだ」

口々に言っているが。

だったら、どうすれば良かったのか。

不快感を言葉にする気にもならないので、ただ話を聞いている。

そうすると、今度は作戦に移る。

「同胞を殺せないという因子を逆用して、最強の兵器を作りだしたのは良かったのだが……その先が問題だったな」

「色々な手を考えていたようだが、いずれもが決定打になり得るものではない。 もう一枚か二枚、切り札がほしかった所だが」

「具体的に伺いましょうかね。 神々を名乗る奴らには、鉄砲だろうが大砲だろうが通じませんが」

「他に死亡例は?」

不意に聞き返される。

そういえば。

汚染され、滅び去ったいにしえの都には、巨大化した訳が分からない生物や。危険な生物がたくさん住み着いていたが。

それらに不意を打たれた場合。

死んだ事があった。

それを口にすると、それだと言われる。

「神を名乗るものを殺せる事例を、もう少し集めるべきだっただろう。 事実、あったではないか」

「しかし、あれは場合によっては奴らでも手に負える存在では……」

「君は頭脳に自身があったのだろう。 不意を打たなければ殺せない、と言う事は。 少なくともその獣たちは、神を越える存在では無かった、と言う事だ」

簡単にいってくれる。

だが、確かにその通りだとも思う。

あれらを手なづけ、尖兵にしていれば。

或いは、もう少し勝率を上げられたかも知れない。

また別の者が言う。

「それと、話を聞く限り、その神を名乗る者達は随分と無理な社会を構築していたようだね。 其所に入り込む事は考えなかったのかね」

「いや、とてもそんな隙は……。 相手はそれこそ、神域の技を片手間に使いこなす怪物どもでした」

「何だ、やはりそうか」

「何がです」

不快感が募る。

そして、ずばりと指摘された。

「君の敗因がそれだ。 君も、相手を人間だとは思っていない」

「!」

「話を聞く限り、君達ハダカデバネズミの因子を埋め込まれた者達と、埋め込んだ神を名乗る者達とでは、差は一つしか無い。 本来人間が扱えもしない力を持っているか否か、だ。 頭の出来については正直大差がない。 古来から、人間はそもそもとして、文明の差だけで勝てたわけではないし、新兵器を持ち込んでも必ず勝てたわけでもない」

長老が頷く。

そういえば此奴、星の海を蹂躙する究極の兵器を有していたとか言ったか。

それで負けたと言う事は。

此奴が無能だったのではない、と言う事なのだろう。

いずれにしても、自分も相手を人間扱いしていなかった、という言葉に対しては。

確かにその通りだったのかも知れない。

手に入れた切り札。

何もまだ刷り込みをされていない神を名乗る者達の赤子。

それに自分達を同胞だと思い込ませた。

後は神殺しの剣の誕生だ。

だが、その神殺しの剣は。

敵の策略にて。

同胞を殺してしまい。

折れてしまった。

その時点で負けが確定した。

確かに、新兵器だけで勝負は決まらない。油断していたつもりではなかった。準備は徹底的にしたつもりだった。

だが、それでもだ。

やはり、どこかで相手は油断しているという、思い込みがあり。

相手は怪物だという、相手に対する侮蔑があったのかも知れない。

だから最後の最後で逆転を許してしまった。

「君は、神殺しの剣を手にした時点で、浮かれてしまったんだな。 その剣を完全にする事を考えず、剣が折れたときの事も考えなかった。 せめて非戦闘員を先に避難させるとか、他にも神を殺せる手段を用意しておくとか、手は打っておくべきだったと私は思うね」

「……貴方は実戦をお知りで?」

「当然だが」

そのまま返される。

話によると、六つの星間文明が入り乱れる苛烈な戦場で戦い抜いた将軍だったらしく。毎年のように繰り出される訳が分からない兵器と常に戦い続けていたという。生前は義手義足と、顔は半分作りものと凄まじい風貌だったらしく。

率いていた兵力も、数十万「隻」に達していたそうだ。

そうか。

こんな虚無の土地だから、エキスパートもいる訳だ。

少し興味が出てきた。

どうすれば勝てたのか。

作戦について、細かく説明すると。

これはなかなか。

こっちは駄目と。

幾つも的確な意見を出してくる。確かに結論を考えると、言われた通りだった。本物のエキスパートだったのだと、認めざるを得ないだろう。

長老が此処に連れて来たわけだ。

世の中上には上がいる。

それを教えておきたかったのだろう。

「それでは……それではです。 もし私と同じ境遇に生まれていたら、どうしましたか」

「ともかく神を名乗る人間共に取り入って、徹底的に観察をしたかな。 一世代では無理だっただろうから、何世代も掛けて」

「奴らは我等を獣とし、侮辱もしていた。 そのような輩に、徹底的に取り入れというのですか」

「驕れる者は久しからず。 確か地球の諺だった筈だ。 とにかく侮らせろ。 相手の隠し札まで読み取れ。 何世代かかってもかまわない。 徹底的に、相手を知り尽くしてから、その知識の全てをぶつけて相手を撃ち倒せ」

凄まじい言葉だ。

此奴は。

自分を人間として認めてくれると言う事か。

少し、口が重くなる。

何も言えなくなった。

長老は頷くと、更に付け加えた。

「此処にいる者は、皆貴方と同じように心残りがあり、納得出来ない人生を送った者達ばかりです。 だから、本音で話してもかまわないのですよ」

「……」

「神気取りの外道など、幾らでも見て来た。 君に足りなかったのは時の運と、準備だけだ。 君は人間だったし、邪神を倒せる可能性ももっていた。 だが、君は相手を侮り、手札の準備を充分に出来なかった。 それが君の敗因だ」

ずばりと指摘される。

今は、その通りだとしか返せなかった。

話し合いが終わり。家に戻ると。

少しだけ気分が楽になった。

此処には似たような境遇の者ばかりがいる。

そして、自分の事も対等の存在として認めてくれている。

それだったら、此処は。

ため息をつく。

来たばかりの時とは、別の意味の溜息だ。

そして、じっと手を見た。

この手が。

いつの間にか、それほど憎くは感じられなくなっていた。

 

一月ほどが過ぎる。

少しずつ、心が落ち着いてきているのが分かる。

体の動かし方にも慣れてきたが。

同時に、他の者を傷つける事は出来ないし。自分を傷つけても無駄だと言う事も、充分に理解した。

以前は、荒野にわざわざ出ていって。足を石で挟んだりして、餓死する事を狙うものもいたらしいと、長老に聞かされる。

執念は自分以上だった、と言う事か。

戦いに負けたのは。

敵が強かったからではない。

手札が足りていなかったから。

その話も、すとんと腑に落ちた。

生前は、散々戦いに明け暮れたのだ。身内での権力争いも、他のコロニーとの諍いも、である。

そんな事を続けていた人生だ。

だから、更にそれを超える壮絶な人生を辿った者の言葉は、すんなりと耳に入ってくるし。

自分のものにしたいとも思う。

心残りなんてたくさんあるに決まっている。

一番の心残りは勝てなかった事。

だが、いつも勝っていた。最後以外は。

そうでなければ、ハダカデバネズミの因子を注入された者達の中でも、双翼を争う存在にはなれなかった。

最後の最後に負けた。

野心があった事は否定しない。

だが、己の尊厳を取り戻したいと願ったし。

同胞を神を名乗る悪辣な連中から取り戻したいと願ったのも事実だ。

それについての批判はされなかった。

むしろ手札が足りなかったという、より現実的な事を言われて。納得する他無かった。

無言で横になって、何度か寝返りをうつ。

与えられた名前なんてクソ喰らえ。

だから、此処でも本来の名前を名乗っているが。

それについてもおかしいとか言われる事はない。

此処は虚無の世界だが。

少なくとも、自分を否定し、拒む場所では無い。

それについては、理解出来た。

しばらくぼんやりしていると、長老が来る。最近は、長老に対する態度が変わり始めた事を、自覚できている。

少なくとも最初のように。

毛嫌いはしていなかった。

「何用ですかな」

「話し合いをします。 今、上がる事が出来るものがいるかどうかを見極めるために、意見を出し合うのです」

「全員が招待されているわけではないようですが……」

「自分で上がれるように、内面を錬る事が出来る者は招待していません」

ああ、そういう事か。

ずばずばと本質を言う奴だが。

それに対して腹が立つ事はない。

理由はよく分からないが。

どうしてか言葉が通じている事と、関係しているのかも知れない。

ともかく、それほど不快では無いし、ついていく。

生前はコロニーを事実上仕切っていたが。

それはそれ。

今、ここでは。

自分の仕切っていたコロニーの小ささと。

如何にスペシャリストが集まっているかを、思い知らされるばかり。

そして、此処を上がると言う事は良く分からないが。

まずは知識を得ていきたいという、欲求も生じ始めていた。

何人かが集まっている。

前に話をしてくれた者もその中にいた。

長老が今回の会合を始めるというと。蜥蜴顔の男が、色々と話を始める。順番に名前が呼ばれていき。

自分の名前が呼ばれてから、質問に答えていく。

「何か掴めそうですか?」

「現時点では厳しいですな。 心残りが何なのかも、まだはっきりとは……もう少しで掴めそうではあるのですが」

「ふむ。 貴方の心残りは勝てなかった事、ではないのですか?」

「それは否定しませんが、それだけではないと思いますね」

頷くと、長老は話を始める。

どうやら心残りが複数あるものも珍しくは無いのだろう。

此処では、認めて貰えている。

生きている間は、同胞の間でさえ、諍いが絶えなかった。

無理矢理神を名乗る連中憎しで同胞をまとめ上げ。そして決死の思いで反旗を翻したのだけれど。

それでもやはり、内部では内輪もめが絶えなかったし。

此処でスペシャリスト達に言われたように、準備が足りなかった。

戦争をするつもりなら。

絶対に勝つために準備をしておけ。

効くかも知れないではなく、絶対に効く戦術を可能な限り用意しろ。戦略的にその裏付けを取れ。

切り札は最後まで温存しろ。最初に切り札を出してしまうと、絶対に対策される。頭が同じ程度の相手ならなおさらだ。

その辺りの話をされて。

自分に足りなかったものを再確認する。

これでも準備は徹底的にしていた筈なのに。それでもまだ足りなかったというのが実情だったのだ。

会議が終わる。

有意義な話だった。

戦いをしたのが悪かったとか、非人道的行為がどうとか、そういう話は出なかった。それもやむを得ない状態で。

その時代には、そもそも人道も何も無い。

頭のねじが完全に外れてしまった人間しかいない。

それについて、此処にいる者達は理解してくれている。

それだけで、どれだけ嬉しかったか。

少なくとも、此処では。

人間として、認められているのだから。

 

2、破滅の先に

 

神を名乗る連中に、裁判と称するリンチに掛けられたとき。最後に叫んだ事がある。

私は人間だ。

それが。

動物と混ぜられてしまった自分に出来る、最後の抵抗だった。

その後は、ずっと痛みを受け続ける肉塊にされてしまい。

とどめを刺して貰うまで、ずっと苦しみ続ける事になった。

思えば、あのとどめを刺してくれた奴。

子供時代からのつきあいだったが。

結局、最後の最後まで腐れ縁だった。

あいつの友人の子供が、神殺しの剣となった事を考えると。

因縁は想像以上に深かったのかも知れない。

そしてあいつが神殺しの剣を折った。

野望を打ち砕いたのである。

じっと、一つずつ思い出していく。

痛みの中で混濁していながらも。憎悪は燃えさかっていた。

その憎悪が心残りだったのか。

いや、多分違っている。

もし心残りがあるのだとしたら。

人間として生きられる世界を作れなかった事か。

それも何だか違う気がする。

神を名乗る連中の集落を襲撃したとき。

神殺しの剣に、神を名乗る連中の対応は可能な限り任せ。

自分達は、奴らの乳幼児をさらった。

あれも後で取り返されたのだろうが。

神殺しの剣を増やすためだ。

神を名乗る連中は彼方此方に住み着いていたし。彼奴らを滅ぼすためには、神殺しの剣が一本では足りなかった。

相手が対策を練る前に、何とか押し切らなければならなかった。

これについては誤解されていたかも知れない。

別に自分が頂点に立つ帝国を作るつもりなどなかった。

ともかく、身を守るために。

革命をするための、武器が必要だったのだ。

それが、ワンパターンの。

神殺しの剣だけだったのが失敗だった。

今になれば、それが分かる。

客観的な思考はどうしても必要だ。

人間から変えられた、畜生の混じった存在としての思考では。どれだけ集まっても、どうしても思考が限定されてしまう。

これでもない頭を振り絞り。

更に様々な意見も求めたのだが。

結局どうにもならなかった。

悲しい話ではあるが。

いずれにしても。

どうすれば勝てたのか。それを考えるだけで、かなり気分は楽になる。長老に対する気持ちも、今はかなり違ってきている。人間扱いしてくれたし、スペシャリストの話も聞かせてくれた。

多分自分のような存在には会い慣れていて。

対策も分かっているのだろう。

しかし、長老は数万年も此処にいると言うが。

一体何が心残りなのか。

食事の時間だ。

最初は精一杯抵抗したが。今はもう、抵抗する気にもならない。木の実をもいで食べていると。

神殺しの剣にしたてたくらいの年頃の子供に見える相手が、見上げていた。

中身はどうせ違うのだろうが。

「どうかしましたか。 相談なら長老にしなさい」

「……貴方、鼠と混ぜられていたんですって?」

「その通りですが何か」

「そうですか……私はもう何か、よく分からないものと混ぜられてしまって」

どうやら中身は妙齢の女のようだが。

少し、興味はあった。

そういった、色々な異形を使って、生物兵器にする。

奴らを殺すために、準備した手札の幾つかに、そういうものもあった。

話を聞いてみると。

此方とも、結構共通点が多かった。

どうやら子供は強大な文明に征服された小さな星の王女だったらしい。

その星は果敢に抵抗したものの、圧倒的な力の前に敗北。

王族は見せしめのために、宇宙から連れてきたよく分からない生物と、科学技術で融合させられたという。

王女はというと。

触手が無数に生えた得体が知れない生物と融合させられ。

動物園に展示されて。

げらげらと自分を笑いながら見る声を聞きながら、長い年月を過ごしたのだそうだ。

神を名乗る連中との戦いの時。

手段が他に無かった。

残忍な事をたくさんしたが。

それも、おのれの生命を維持するために必要だったから。

だが、この王女の待遇は、その話に被ってくるものがある。

一つ違うとすれば。

勝利者側が、娯楽のために人間外の存在と融合させたか、否かくらいだろう。

どちらにしても、ろくでもない存在に征服されたものだとしか言えない。

「それは不幸な話ですね。 私も戦いに負けた後、ものも言えず、ずっと苦しみ続けるだけの肉塊にされてしまいましたよ」

「どこでも似たような話はあるのですね」

「ちなみに貴方を破った種族は、どんな残虐なエイリアンだったのですか」

「……? 地球人ですよ。 私がいた世界では、宇宙にでてから、地球人は幾つもの勢力に分裂し、一部では文明が退化さえしました。 そんな文明の一つが、文明の一つを押し潰した……それだけです」

絶句。

人間は、本当に。

頭のねじが外れると。何処でも同じような事をするものなのか。

思考の箍が外れた人間は。

どこでもこのような行為に手を染めるというのか。

冗談抜きに反吐がでる話ではあるが。しかしながら、納得出来る話でもある。

周囲から言われた。

それで漸く気付く事が出来た。

その人間達は、頭のねじが外れてしまってはいたが、人間ではあった。

お前と同じように。

そう。

自分の敗因も。そういった、頭のねじが外れた連中を、人間では無いと見下した結果だったのだ。

思わず口をつぐむが。

相手は更に続けた。

「国民は奴隷化されましたが、やがて技術力の格差を埋め直すと、反撃に転じ、侵略者に大打撃を与えて国から追い出しました。 そして、ようやく動物園に入れられていた私や、家族達を救ってくれました。 殺すという方法でしか、救う事は出来ませんでしたが……」

其所まで自分と同じか。

自分の野望を打ち砕いてくれた彼奴は。

最後に慈悲として殺してくれたのだろう。

同胞達は皆殺しにされ。神を名乗る連中に唯一協力したコロニーだけが生きる事を許された。

記念館に配置された自分の周囲には。

剥製にされた同胞の姿まで存在した。

相手を人間と思わないと、此処まで出来るのかと怒りを滾らせたが。

今になって考えてみれば。

自分も相手を人間と見なしていなかったのである。

だから負けた。

神殺しの剣による皆殺し、などではなく。

相手を屈服させた後、異常な力を持っていない人間に戻すとか。

手は幾らでもあったはず。

相手が人間だと言う事を実感できず。

結局皆殺しという手を選んでしまった時点で。

自分も同類だったのだ。

「貴方の心残りとは何なのです。 国民は国を取り戻し、貴方も救われたのでしょう?」

「私の心残りは、あの国をそもそも最初に救えなかった事です。 戦力差を正確に把握し、冷静に外交して、降伏してでも最高の妥協案を引き出す事が私のするべき事でした」

「なんと……自分を醜い姿に変えられた事は恨んでいないのですか」

「多くの民が殺されました。 私に取ってはその方が遙かに大事です」

頭を振ってしまう。

余裕がある者の考えだ、と言いたいが。

そうとも言えない。

実際この者は、怪物化させられて。

尊厳を全て奪われた挙げ句に、この虚無の世界に来ているのである。

いわば自分よりも更に酷い状態であったとも言える。

それが、恨み事を口にしていない。

ひょっとして、これが。

自分の心残りではないのだろうか。

少し考えてみたい。

適当に話を切り上げると。

自宅に戻る。

そして寝転がると、少し考える事にした。

自分などどうでもいい。

民の事の方が心苦しかった。

抵抗した者達は皆殺しにされ。従った民も奴隷化された。侵略者が油断し、民が力を蓄えるまで。数十年を要した。

そういった話をされた。

数十年も異形の怪物にされていながら、それを恨んでいなかったのか。

元王女が。

王女という地位は、自分のいた世界には存在しなかったが。

それでもニュアンスは分かるし理解も出来る。

ただ一つ悲しいのは。

自分より遙かに上に行っている存在が、そんな風に考えられているのに。自分は違うと言う事だ。

自分に対する恨み事ばかり。

同胞の事はどうだった。

同胞には酷な作戦を要求した。決死隊を募ったとは言え、それに変わりは無い。

だいたい非人道的な人体実験は散々行った。

その点で、頭のねじが外れた神を自称する連中と同じでは無いか。

自分が、自分が。

結局そればかりだった。

責任ある立場だったのに。

それしか口にしなかったし、考えてもいなかった。

組織内の掌握は得意だったかも知れないが。

結局戦争そのものはどうしても対立するコロニーに常に一歩劣っていたのも。

その辺りが原因だったのではあるまいか。

対立するコロニーの将軍は、神を自称する連中が勝つと判断。

命を捨ててまで、戦い続けた。

そう、最後には命まで捨てた。

それはあくまで、コロニーのため。

捨て駒になる作戦を提案されて、それに乗ったとあとで聞かされている。そう、断る事もできた。

その気になれば、作戦を台無しにする事だって出来た。

だが奴は、どっちが勝つかを正確に見極め。

コロニーの者達を守るために、身を投げ出したのだ。

残忍で獰猛なだけの将軍だと思っていた。

しかし実体はどうだ。

コロニーの者達の未来のために。

勝つと判断した方に冷静に膝を屈し。

そして、最低とも思える命令にも静かに従い。コロニーも結果として守りきったのである。

自分と比べるまでもない。

自分などとは違いすぎていたのだ。

溜息が漏れた。

今までは感歎の溜息がもれていたが。

久しぶりに、自嘲の溜息が漏れた。

情けないとはこのことだ。

怒りに目が眩んで、こんな事も分かっていなかったのか。結局この辺りも、敗因だったのだろう。

同胞達の未来のために。

そう考えて、まずは自分を犠牲に出来たか。

出来なかった。

神を名乗る者どもに可能な限り接近したか。媚態を尽くしてでも。どれだけ虐待されてでも。

していなかった。

もっと丁寧に相手に近付き、相手の長所と短所。社会の欠陥を見抜き。

それで戦うべきだったのだ。

それを怠り。

失敗したと判断したら、切り札を温存したまま、自分を捨てるべきだった。

つまり自分が悪事を働いていたので。皆には一切関係がないと、適当な決死隊を募って申し出るべきだった。

神を名乗る者どもと戦うのは、もっと後にするべきだった。

自分達は残忍に殺されたかも知れないが。

そこで滑稽に道化でも演じてみせれば。

同胞達は生き残り。

反撃のための牙を研ぐ事が出来たのだ。

神殺しの剣も、一本と言わずに用意できたかも知れない。

そうなれば、勝率は飛躍的に上がっていたはずなのだから。

他の世界には、こうも凄いのがいるのか。

哀しみと同時に。

自分の小ささを感じて、また溜息が漏れた。

何度溜息が漏れても。

足りるとは、とても思えなかった。

 

長老の所に出向く。

長老は正座して、かなり年上に見える男性と話をしていたが。やがて男性が頭を下げて。その場を去った。

二月ほどだろうか。

あの王女と話した後。

思索を続けていた。

長老と話してみたいと思ったのは、この中でもっとも頭が切れる相手だと判断したからである。

ひょっとしたら、悩みを晴らしてくれるかも知れない。

そうすれば、此処を上がるために。

少しは役に立つかも知れない。

長老は生前、どれだけ巨大な国の覇王だったとは言え、人間だったのだ。

ならば、同じ人間として。

客観的立場から、アドバイスをくれるかも知れない。

長老は此方に気付いていて。

話をしたいと言うと。

軽く頷き。

近くにある石に、腰掛け直した。

たまにこういう石が、災厄の後、集落の中にぽつんと出現するという。

今回は座るのに丁度良さそうなので、残しておいたのだと。長老は、どこか無邪気な子供の様に言った。

そういえば。

神殺しの剣を折った彼奴も。

最初に出会った時は、子供だったっけ。

無邪気とはとても言えない、頭の回る子供だったけれども。

彼奴の事を思い出してしまうと言う事は。

最初から最後まで腐れ縁で、散々争ったのに。

結局相手のことを憎み切れていない。

その証明なのかも知れない。

「それで、何か分かってきたことはありますか?」

「一つは勝てなかったことですな。 皆さんの意見を聞くことで、自分の方に問題があったことがよく分かりました」

「……勝つ方には、必ずしも理由があるわけではありません。 しかし、負ける方には理由があるものなのです。 単純に戦力が足りない、スペックが足りない、或いは準備が足りていない。 場合によっては運がない。 その勝ちの意味も考え出すとキリがありませんが。 貴方が負けたのには、理由があった。 それを貴方が飲み込めたのは、大きな意味があったと思います」

「まことに……」

今でも少し悔しいが。

それは全くの事実だ。

そして、更にもう一つ。

どうしても、解決しておかなければならない事がある。

「私は、同胞達の事を、考えていなかったのだと思います」

「……詳しく」

「私が反乱を起こしたとき、既に探りが入れ始められていました。 とにかく神を名乗る者達の戦闘力は圧倒的で、戦えば勝ち目などなく、神殺しの剣を用いて対抗するべきだという話が持ち上がっていました。 事実私も、勝つためのあらゆる準備を、徹底的に整えていました」

だが、足りていなかった。

人間共が祭を始めた日に。

徹底的な反撃を開始した。

かなりの数の人間を討ち取ったが。結局それは、神殺しの剣を用いたか、或いは人間同士の同士討ちによるものだった。

様々な戦術を試したが。

矢も鉄砲も。

相手が子供であってさえ。

異能力者には通用しなかったのだ。

神殺しの剣が折れてしまったら、絶対に負ける。

神殺しの剣には、弱点もあった。

事実、短時間で解析され。

負けたのだから。

「私はあの時。 同胞達のために、人間に這いつくばって、負けを認めるべきだったのです。 全て私のせいだということにして、同胞達が未来のために準備をする、時間を稼ぐべきだったのです」

「貴方は、同胞を大事だと感じていなかったのですか?」

「感じていました。 しかし……実際に思い起こしてみると。 まだ、覚悟が足りていなかったのだと感じます」

「……」

長老はすっくと立ち上がる。

視線の高さが合う。

相手は石の上だからだ。

だが、不意に相手がもの凄く大きくなったような気がして。

長老を、思わず見返してしまった。

事実、威圧感というか、圧迫感というか。

そういうものがまるで今までとは違っている。

これこそが、覇王の威厳というものなのか。

小さなコロニーを束ねた顔役の威厳とは桁外れだ。生唾を飲み込んでしまったが。長老は、静かな目で。いつものように、黒い服を着たまま、愛想がない顔で言うのだった。

「同胞ですか。 私はその同胞とも呼べる存在を、宇宙から排除するために覇を進めていました。 それが今、最大の後悔になっています」

「同胞を……何故そのような」

「生前の私は、愛によって宇宙を救うという歪んだ思想に捕らわれていました。 私の所には、最強の兵器と、最強の軍隊、最強のテクノロジーが存在していました。 私の愛は死……生という苦しみを終わらせるために、速やかな死を与えてやることでした」

絶句。

それは。

あの神を自称する者達などよりも、遙かに狂っている。

生前の狂気を今、思い起こして苦悩しているのだとしたら。

長老は一体。

どれだけ深い闇の中にいるのだろう。

それは万年単位で、この虚無の世界に取り残されているのも、道理というものだ。

昔の言葉では。

同胞殺しのことを、シリアルキラーとか、スプリーキラーとか呼んだらしい。

長老は生前。

そういうものの中でも、最大限にタチが悪い存在だったのだろう。

愛のために殺し尽くす。

殺す必要がなくとも殺す。

それが愛だから。

生が苦しみなのだから。

そうやって、人を解き放ってやる。それが長老の生きていた頃に掲げていた、狂った愛。最悪な事に、最強の覇王にそれが備わってしまった。

生唾を飲み込む。

色々な世界があるということだが。

長老が生きていた世界は、文字通り地獄と言うのに相応しい場所だったのではないのだろうか。

いや、もっと酷かっただろう。

自分がいた場所と。

どっちが酷かったのだろう。

世界には、色々と過酷なものがある。それは分かっていたが、思い知らされてしまう。自分が一番酷い目に会っているなんて、妄想なのだと。この長老は、狂気の思想にどういう理由か取り憑かれ。

そして、その実行の過程で。

想像もできないほどの数の命を奪ったのだ。

それは、こんな地獄そのものの場所で、ずっと長老をしているわけである。そうでなければ、これだけ冷静に客観的に思考できる者が、こんな場所にずっといる筈も無い。とっくに上がれているはずだ。

「そんな狂った思想は……しかし……」

「皮肉な話ですが、私は最初戦闘兵器として作られました。 しかし、様々な事を経て憎悪に焦がれ宇宙を彷徨う内に。 その焼け付くような怒りと憎悪の炎が私の心を焦がしに焦がし。 最終的に私は人間となっていたのです」

「それが……人間」

「だから私はずっと此処にいます。 人間ですら無い存在であったのなら、恐らくは此処に来る事さえなかったでしょう」

長老の口元は微笑んでいるように見えたが。

怖くて目が見られなかった。

同胞のため。

それが正しい事は分かった。何しろ、長老がそれに関する最大級のやらかしをしていると、今知ってしまったからだ。

更に言えば、長老はそれをずっと悔い続けている。

自分は、今まで。

気づきさえしなかった。

頭をばしりと下げる。

何となく、足りていないものが全て理解出来た気がする。

今までは、どうして気付けなかったのだろう。

結局全て、自分の生存のため。

自分の野心のため。

そんなもの、良い訳が無かった。

どれだけ非道なことをして来たか。

相手が非道だと言い訳をしながら、どれだけ無茶苦茶な事を重ねてきたか。

それは負けるわけである。

自宅に戻り。

そして座り込む。

考え始める。

どうすれば良かったのか、本格的に。あらゆる情報を、丁寧に頭の中で整理し直していく。

最終的に、此処を上がらなければならない。

生まれが悪かった。

そんな事は、理由にはならない。

自分がやらかしたことがまずかった。

それこそが、最大の原因だったのだ。

神を名乗る連中は、いずれ滅ぼさなければならなかった。それについては、確かだ。今でも考えは変わっていない。奴らは人間本位主義どころか、能力者では無い人間には命も権利も認めていない。

文字通りの邪神そのものだった。

邪神を排除するのは人の役割。

それについては、今でも、考えは変わらない。

だが、その邪神は、同時に人間でもあり。

どうしても、その事に目をつぶっていたし。

同胞達への覚悟という点でも。

覚悟が足りていなかったことは、どうしても認めなければならないだろう。

何度か大きなため息をついた。

そして、天井を見上げる。

生きていた時は、殆ど洞穴の中で暮らしていた。

顔役として。

ハダカデバネズミの習性を与えられた、能力を持たない人間の一人として。

器量が足りなかった。

いっそ、対立していたコロニーとも。話をしっかり合わせなければならなかった。人類の未来のためにも。

そして邪神を人間に引き戻し。

一緒に暮らしていくことを考えなければならなかったのだろう。

もっと凄まじい体験をしたものがいた。

もっと凄まじい破壊の限りを尽くした覇王を見た。

だからこそ、今は。

そう結論出来る。

静かに手を見る。

人間の手。

生きているときは、違う手だった。

毛むくじゃらで。

鼠の仲間の手。

ぐっと握りこむ。

今度は、間違えない。

此処をでて、どこに行くのかは分からないけれど。皆のためという言葉を言い訳にして、自分の野心を後押しするようなことはあってはならない。それでは、前と同じ失敗を繰り返すことになる。

同じ事は。

もう二度としてはいけないのだ。

さて、しっかり考えよう。

心残りを無くすのだ。

全ての心残りを取り去った後は。

何をしたいかを考えるのだ。

あの世界に戻るのか。

いや、あんな世界にしてはそもそもならない。

人間に異能が生じない世界にしたい。人間に異能なんて持たせても、碌な事にならないことはよく分かった。

そのためには、ずっと前の世界。

人間に異能が出始める前に、対策をしなければならないだろう。

そもそも記録で見た。

人間に異能が拡がり始めたのは、犯罪に便利だったから。

そして異能は爆発的に強くなって行き。最終的には、どんな兵器でも勝てないほどになっていったという。

それは恐らくだが。

何かしらの病気か何かだ。尋常な代物ではないことだけは、絶対に確かである。それさえ食い止めれば。

あの悪夢のような未来も、変えられるかも知れない。

考え込んだ後。

有識者に話を聞きに行く。

少しずつ話を聞いていくと。

やはり、異能は病気の一種に近いと言う結論が出る。そして異能を食い止めるにはどうすればいいのか、も。

話し合う。

異能を持とうが。

神を名乗るほどの力を持とうが。

人間は人間だった。

要するに、結局の所、人間という生き物は、どれだけ力が強くなっても変わらない。程度の低い生物なのだ。

そんな存在に、異能など与えてはならない。

与えても悲劇が起きるだけである。

誰もが同じように機会が与えられるようにならなければならない。

そうでなければ、誰かが決めた「有能」「無能」で社会が判断され。

そして誰かが決めた基準で人が殺されていくことになる。

どんな社会でもその結末は同じだ。

あの自称神どもが跋扈する魔界。

それが能力主義の行き着く先だ。

 

3、能力主義の正体

 

何度か目の有識者会議をする。能力者主義の極限にまで到達した世界から来たもの。そういう事情もある。

話をすると、皆面白い視点だと聞いてくれ。

どうやったらこれを止めさせられるのかという事についても。

それぞれ意見を出してくれた。

「恐らくだが、その異能はほぼ間違いなく先天的なものだな。 それも、開けてはいけない蓋を開けてしまった結果目覚めたものだろう」

「遺伝子に何かしらの結果異常が生じ、しかも何らかの間違いで爆発的に拡がっていったのだろうな」

「遺伝子に影響を与える能力もあったのだろう? 実の所、最初の能力者は其奴なのではあるまいか」

「ならば、まずは其奴を抑える事から……か」

色々な意見が出るのを、地面に書き留めていく。

どんな悲惨な世界が到来するのか。

此処にいる皆が知っている。

そして、此処にいる皆が、それぞれ悲惨な世界の出身者だ。自分だけが悲惨な世界から来たのでは無い。

だからこそに協力してくれる。

自分も、知っているから。

悲惨な世界で、どれだけ人間が無惨な目に会うのかを。

だからこそに、手伝ってくれる。

食い止められるのであれば。誰もが食い止めたいと思っているのだから。

ずっと戦場にいたという将軍も。

戦争は好きだが、人が死ぬのは好きでは無いと明言していた。

そういうものだ。

無邪気に使われた、いる人間いらない人間という言葉。

それは誰の基準によるものだったのか。

身勝手極まりない、自分は優秀だと信じ込んでいる愚か者の基準だ。

人間の歴史で、選別は何度も行われてきた。

その結果、本当に優秀な人間が残ったのか。

それは否だ。

優秀な人間を掛け合わせても、優秀な人間が出来るとは限らない。そんな事は当たり前である。

遺伝子を無理矢理弄くって、神を自称する怪物を作り出しても。

その先に待っているのは地獄だけ。

それは見て来たから、良く知っている。

食い止めるための方法を。

なんとしてでも見つけなければならないのだ。

「それにしても、いわゆる超能力を人間が実際に身につけても、地獄しか到来しないのだな……」

「今更ではあるが、別に頭が良くなった訳でも無いからな。 能力だけ不自然に得ても、揺り戻しが来るだけだ」

「文字通り頭のねじが吹き飛ぶという奴か」

「……」

たまに雑談も入るが。

それも、根気よく対応する。

自分の事だけでは駄目だ。

それは良く分かっているのだから。

自分の事ばかり優先した。

その結果失敗した。

まず大前提として。この場所で失敗しない。それが大事なのである。

やがて、順番に、前提から説明がされていく。

まず第一に。人間が強大な能力を得た場合の、シミュレーションを公表する。これは異能力者が出始める前に可能なはずだ。政府機能などすぐに崩壊する。事実、そうなった。そして、最初は鼻で笑ったりする者もいるだろうが。手を打つタイミングを見極めれば、何とかなる筈だ。

次に、実際に異能力者の危険性を周知する。

これについては、放置しておいても危険性は明らかになるが、問題は何処かしらの国が、軍事利用を絶対に考える事で。

それはなんとしてでも阻止しなければならない。

いずれの国にも喧嘩を売るように仕向けさせるか。

或いは危険性の方が大きいと判断させるか。

どちらかが必要になるだろう。

実際の資料を持ち込めれば良かったのだが、こればかりはどうにかするしかない。

最後に治療。

治療さえすれば無害になる。

その方法を確立していくしかない。

生きている間に色々調べたのだが。異能力者はどんどん桁外れに強力になっていったという事で。

その発生から発展は謎が多い。

やはり遺伝関連の病気と判断するべきで。

病気なら治して対応するべきだ。

医療は専門では無いが、と前置きした上で。長老が、色々と話をしてくれる。元々優れた技術力を持ち、それをあらかた記憶していたらしいので。医療についても極めて優れた知識と技術を持っている。

教えて貰って、それをメモする。

これだけは、絶対に忘れてはならない。

そう自分に言い聞かせながら。

徹底的にメモを取っていった。

必要な事については、徹底的に覚えていく。何一つとして、忘れてはならない。だから復習もする。

いつの間にか、此処でのルールへの反発や。

さっさと上がるべきだという事に対する反発も。

綺麗に消えていた。

より大きな目的を思い出し。

そして食い止めるべきものがあると判断したからだ。

自分が生きた世界は。

文字通りの地獄だった。

誰も頭のねじが飛んでいて。その結果、あらゆる暴虐が無秩序に行われていた。

具体的な確認はされていなかったが、神を名乗る連中でさえ。

身内に無茶苦茶をしていた事さえも分かっている。

である以上、あのような世界を到来させてはいけないのである。

ため息をつく。

家の床中に、メモだらけである。

地面に直接書くしかないから、踏む場所を考えなければならない。

その事は周囲に告げてある。

問題は誰かが上がりを迎えた時だが。

全て消し飛んだ場合は。

最初から書き直すしかない。

その場合は、覚えておいた事を、全て最初から書いていくしかないだろう。そのためにも、記憶が必要なのだ。

生前も頭を使うことには相応に自信があった。

謀略ばかりやっていたが。

それでも、実戦の指揮経験だってあったし。

危ないときは、必ず自分が最前線にでて指揮を執った。

頭を下げたくない相手にだって頭を下げたし。

何よりも、戦いになった場合は、必ず勝てるように頭を揉んだ。

指摘されたとおり。

勝てなかったのは、相手を侮ったから。

準備が足りなかったから。

自分が悪かったわけでは無い。

戦いそのものが狂っているのであって。相手がいつでも此方を絶滅させることが出来る……それも気分次第で、という時点で。対抗できる戦力を整えておくのは、当たり前の事だった。

自分の行動自体には問題もたくさんあった。

だが戦略そのものが未熟でほころびも多かったのだ。

故に負けた。

リアリスト。それも自分を遙かに超えるリアリスト達にそれは指摘されていたから、もう頭に入っている。

徹底的に準備を整えて。

そして更に二ヶ月が経つ。

有識者に相談しに行き。話を聞いて、それを更に練り上げる。幾つもの問題点をクリアし。新しく立ち上がった課題を処理して。順番に、全てを片付けていく。

膨大なシミュレーションを行い。

その全てに対応出来るように考えを練っていく。

時間は幾らでも必要だ。

あの世界を到来させないためにも。

自分が、やらなければならないのである。

どうせ、あの世界で地獄を見た者達も。ここには来ないだろう。来た所で、具体的な事などやろうとはしないだろう。

なおいわゆるタイムパラドックスについては。

別に新しい世界線が出来るだけ、という説明を受けている。

つまるところ、発生させてしまっても問題ない。

宇宙が消し飛ぶようなことはない、ということだった。

これは以前に、タイムパラドックスを起こせる文明からここに来た人間がいたから、らしい。

どちらにしても有り難い。

長老によって膨大な記憶が此処に蓄積され。

有識者が揃い。

あらゆる問題を、解決する事が出来る。

此処は生半可な学者が束になってもかなわないある意味究極の研究室だ。

何度もため息をつくが。

それは自分の至らなさに。

指摘される問題点を一つずつ片付けるのに、それぞれ時間が掛かる。生前は知恵者を自認していたのに。

これほど問題が大きくなると、やはり簡単にはいかない。

だが、溜息の後は、悪くない気分になれる。

自分は今。

あのドス黒い世界ではなく。

未来の希望に向けて、歩いているのだから。

 

たっぷり数年はかかった。

その間に、六度災害が発生して、書きためたメモが全て消し飛んでしまった。だが、それは別にかまわない。

全てを記憶しておいたからである。

黙々と、最後の精査を行う。

あの世界を到来させないために。

新世界だとしても。

あの世界にさせないために。

例え異能が目覚めるとしても。

全ての箍を外させないために。

徹底的に準備をしてきた。そのための準備は、既に頭に入っている。後は、どう各国政府を納得させ。事前に病気を治療させるか、だが。これについても、膨大な事前準備をしておくつもりだ。

仮に駄目だったとしても、幾つも手を準備しておく。

異能は加速度的に人間の手に負えなくなる。

そうなる前に。

人間に気付かせなければならないのだ。

そうしなければ、またでてしまう。

悲劇の犠牲者が。

人間とハダカデバネズミの因子を掛け合わせるなんて、正気の沙汰じゃない。もしももう一度同じ事が繰り返されたら。想像するだけでぞっとする。

私は人間だ。

最後にそう叫んで抵抗する事しか出来なかった。

今度は、同じような事をする者が出ないように、あらゆる準備をしておかなければならないのだ。

はっきりしている事は。

人間という生物は、神の如き力を持とうが、ただのアホだということだ。

勿論自分もそのアホの一人だ。

だから、過剰な力なんて個人に持たせるべきではない。

多くの賢人と話して気付いた。

人間に、無制限の力は早すぎる。

もしも、人間がもっと高次の存在になる事が出来たら、その時は力を得ても良いのかも知れない。

だが精神性がそのままの人間に、あらゆる兵器が通用しない究極の力なんて与えたりしたら。

またあの地獄が再現されてしまうだけだ。

ふと気付く。

長老だった。

家の中にはびっしりとメモが残されているが。

それを踏まずに、家の入り口で立っている。

今では、長老に対する考えは。

完全な敬意に変わっていた。

生前は、敬意なんて誰にも抱く事などなかったのに。

「おお、長老。 如何なさいました」

「その様子だと、自覚はありませんか?」

「……まさか」

「貴方は上がるようです」

そうか。

それは、良かった。

最後の最後まで準備はしたかったが。しかし、これで準備は整ったと自分自身が判断したのだろう。

それで心残りも消えていたのだ。

送別会を行う。

何人か新人もいる。

自分から講義を受けた新人も中には混じっている。

逆に、色々と講義をしてくれた者がいない。

既に上がったのだ。

上がったあと、感謝に言葉も出なかった。まさか、他人に感謝する日が来るなんて、思ってもいなかった。

生前は、ずっと。謀略、戦争、だましあい、神を名乗る者達からの圧迫で。何もかもが真っ暗だった。其所には誠実とか信頼とかといったものは一切存在せず。あったのは、ただ何処までも拡がる闇だった。

その闇は、この荒野で打ち払われた。

これから、闇を現実世界に広げないための戦いに出向く。

此処を上がるというのは。

決して心残りを晴らした、というだけではない。

新しい戦いにて。

地獄を作らないために、己の全てを賭けることを意味しているのだ。

それぞれから、激励の言葉を掛けて貰う。礼を言う。

長老には、最初の頃は失礼なことばかりをいって本当に済まなかったと、心から頭を下げる。

静かに長老は、わびを受け入れてくれた。

「良いのですよ。 それよりも、此処を上がったあとも、戦い続けるつもりなのですね」

「はい。 私に出来る事は、あの地獄を顕現させないこと、それだけです。 そしてそれには、私の全てを賭ける価値があります」

「……前と違う。 我欲に塗れた汚い陰謀家の顔じゃなくなったな」

蜥蜴顔の男にそう言われる。

この男も、生前は最悪の海賊だったらしいが。

今はすっかり長老の右腕で、心酔しきっている。

それについて、揶揄するつもりはない。

事実、長老は今。

自分の全てを捧げる価値のある相手だからだ。

生前の長老は違っただろう。

此処で、長老は変わったのである。

「そろそろです。 では、それぞれ災害に備え、新人の到来に備えてください」

「分かりました」

解散され。

皆、家に戻っていく。

災害に備えても何にもならないのは既に分かっている。それに、これから上がった先がどうなっているのかもよく分からない。

だがここは、信じる。

此処は地獄。

心残りを晴らす場所。

そして心残りを晴らした後は。

よりよき生を目指せるはずだと。

やがて、凄まじい勢いで、何かが下から突き上げてくるのが分かった。一瞬で、何もかもが消えた。

多分火山が破滅的な噴火をしたのだな。

消し飛んだ意識の中で。

土の中でくらしていた者特有の勘で。そう、考えていた。

 

4、地獄は到来せず

 

その博士が発表した論文により、世界中で即座にワクチンが生成され、そして撒かれた。人間を滅ぼしうる最強最悪の遺伝病が、世界に到来しようとしている。その遺伝病は、個人個人を爆弾に変えるも同然の代物で、もしも掛かってしまった場合は、手に負えなくなってしまう。

テロリストも何も関係無い。

もしもこの遺伝病が発病した場合は。

コントロールが一切効かない、究極の殺戮兵器が、誰の制御も受けずに動き回る事になるのだ。

回収することも出来ないし。

操ることだってできない。

それは文字通り、人類の文明の破滅を意味する。

今後、遺伝子崩壊が始まり。

どんどんその傾向が強くなる。

「健康体」の定義が根本的に変わるのだ。

そして結果として、現状の文明は、彼方此方に発生する制御不能の怪物達によって、滅ぼされていく。

よくある異能を持った者達によるバトル漫画では。

異能に対する夢のある使い方が為される。

だが、この異能は。

現実に存在したら、文字通り神の災厄に等しい、抵抗も一切出来ない悪夢と化すのである。

各国の有力者の動きは嫌に速かった。

数年前に、凶悪な伝染病が蔓延し。世界中で大きな被害が出て。経済的にも大打撃を受けていたから、というのもあるだろう。

しかも兵器利用の可能性が0、というデータも一緒に添付され。

ぐうの音も出ない内容だった事からも。

各国政府は、遺伝子の崩壊抑制薬を作らざるを得なかった。

結果として。

異能は世界に出現しなかった。

もしも異能が出現した場合、どういうことになったかのシミュレーションが、嫌に生々しい出来で。誰もが絶句し閉口する内容だったという事もあり。

ワクチンを打つことで異能の発生を食い止め。

文明が崩壊せずに済んだことを、多くの者が喜んだのだった。

その一連の事件の立役者となった科学者のグループが。

今、記者会見を受けている。

「それで、博士はどうしてこの遺伝子の危険性に気がついたのですか」

「偶然です」

博士は静かに笑っている。

優しい微笑みだ。

天才の名を恣にし。

十代で大学院を出て。

そして博士になってからは、ずっとこの研究を続けていた。そして、文字通り世界を救った。

リアルヒーローとの呼び声も多い中。

博士は、そう言われると、寂しく微笑むのだった。

「異能を消してしまったことがもったいない、という声もあったようなのですが」

「何度もシミュレーションを皆に公開したように、この遺伝病は「上限が存在しない」のです。 もしも異能が出現してしまった場合、短期間で制御出来ない核兵器が世界中を荒らし回ることになります。 軍でも歯が立たず、文字通りねじ切られるようにして都市も滅びていくでしょう」

「し、しかし、人は其所までするでしょうか」

「人間の頭の枷というのは、簡単に外れてしまうものなのです。 そして枷が外れてしまうと、人間はあらゆる無茶苦茶を平気で行うようになります。 後に到来するのは、アフターホロコーストものに登場する無法者達が青ざめるほどの地獄絵図です」

まるで見て来たようにいう博士。

だが、その言葉は優しく。

報道陣を黙らせる確かなものがあった。

「フィクションでなら、異能を持ったヒーロー達が活躍するのは大いにありでしょうが、実際に異能を持った人間達が出現すれば、其所は地獄になるのが確定です。 だからこそ……私はこうしなければならなかった。 人間は、この力を手にするにはまだ幼すぎたのです。 いずれもっと遠い未来。 人間がもっとずっと進歩して、それぞれが大きな責任を手にし、過ちを犯さなくなった時に。 この異能の力は、解放されるべきであろうと思います」

会見を打ち切る。

面白い話は聞けなかったと、記者達は顔を見合わせるが。

しかし、納得していない者はいなかった。

 

会見を終え。

会食に移る。

面倒な話だが、今回の件をスムーズに通すために、彼方此方に入念な根回しをしていたのである。

そうでなければ、絶対に兵器利用を考える奴が出現した。

そして、自分が生きた世界と同じ道を。

辿っていくことになっただろう。

破滅への道。

地獄への道をだ。

許される事では無い。自分がいるうちは、絶対にあの地獄を再現はさせない。ぐっと車の助手席で、拳を握りしめる。

人の形をした拳を。

あの虚無の土地から。

全ての記憶を持ち込む事は許されなかった。

だが、世界を地獄にしたくないという願いは。

概ねかなえられた。

だから、記憶の一部を持って、この世界に生まれ。そして、今、四十年以上の苦労の末に、何とか成し遂げたのである。

焼け付くような使命感が。

おさないころからずっと心を痛めつけていた。

ガリ勉と呼ばれ続けて。

周囲からはあまり良い扱いも受けなかった。

だが、それでも。

あの世界よりはマシだ。

そう言い聞かせながら、ずっと独力での勉強を続け。持ち込む事が出来た知識も、徹底的に精査して、研磨を続けていった。

渡米して大学院を出て。

政府にコネを確立。

そして、準備を全て整えてから。

満を持して、超危険遺伝子と、それに対応する方法の論文を提出したのである。

目を剥く内容だったのだろう。

実際に生物実験で試してみた結果。チンパンジー一匹が、鎮圧するまでに軍の一個師団を引き裂くという事件が起きた。

軍も制御は不可能だという説明を受け入れてくれて。

米軍が主体となってワクチンの生成、配布を受け入れてくれた。

一回でも発現してしまえばおしまいだ。

他の病気と違って、押さえ込む事が出来ない。

その説明も功を奏し。

何とか、世界中でワクチンを生成。行き渡らせることに成功したのである。

後は、取りこぼしを避ける事だけ。

そのために、徹底的な監視機関を作る必要があるだろう。

かなり酷使してきた体だ。

後何年動くか、あまり自信が無い。

十年か、十五年か。

今四十六歳だが。体の彼方此方が無理を言っている。持病も、重いものが少なからず存在している。

結局、結婚もしなかった。

後は、後継者だが。

思想を受け継いだ者達が何人かいる。

裏切り者がでないことを祈る。

それしかない。

生きてみて分かった。

滅びる前の世界も、はっきりいってろくでもない代物だ。

あの地獄に比べれば幾分かマシだが。逆に言えば幾分かマシでしかない。

そんな世界を守るために。

戦う価値があるのか。

実際、そういった研究室の学生だっていた。

自分はそれに対して。

丁寧に説得を続けていった。

あの遺伝子が解放されれば世界は文字通り終わるが。

この世界が終わることを望む者もいる。

それがどんな結果をもたらすかも分からずに。

だから、シミュレーションを見せる。

懇切丁寧に作り上げたシミュレーションは、どんな相手を黙らせるにも充分で。今、ようやく多少は安心できる状況が到来している。

だが、多少は、だ。

前の生の記憶は薄れ掛けているが。

それでも、覚えている。

人間がどれだけ醜い生物だったか、は。

会食の場につく。

政府の要人が多数待っていて。警護のSPが多数周囲を警戒していた。案の定、テロリストが動いているという噂がある。勿論、それらに対策もしている。一発爆発させて終わり、などというものではない。

軍を壊滅させ。周囲の全てを壊滅させ。なお止まらず世界を破壊し続ける。

既存の世界をひっくり返すどころか。人類が滅ぶまで止まらない。

そんな兵器なのだ。

使い路がまったくない、という事を。

テロリストどもにも教え込まなければならない。

爆弾や何かを使うテロとは訳が違うのだ。

これをもし人間が自在にするようになったら。

世界は終わるのだ。

米国大統領と握手して、軽く話をする。

やはり制御は出来ないのかと聞かれるので、無理だと答える。異能はそもそも人間には早すぎるし、一度枷が外れると際限なく巨大化するとも。

そうかと、残念そうに大統領は言う。

一個師団が事故で壊滅したのに。

それでもなお、懲りていないのかこの男は。

反吐がでる気分だったが。

それでも、あの地獄が来るよりマシ。

そう言い聞かせて、笑顔を保ち続ける。

そういえば、この笑顔。

何時からか崩せなくなってしまった。

見かけを最重要視する人間に対するには、この笑顔が一番だ。

そういうアドバイスを、虚無の土地で受けたから、だろうか。

この世界を変えるためなら、と自分に言い聞かせたから、だろうか。

分からない。

よく覚えていない。

会食を終えた後、帰り道で倒れる。

病院に運ばれるが、どうやらこれでおしまいらしいと悟る。病床に、同士達を集める。この世界で作った破滅を避ける為の同士だ。

すぐに情報を共有。

データのパスワードなどを、信頼出来る人物に託す。

託すデータには、危険なものもある。

此処にいるメンバーは、信頼出来ると見極めた者達だ。

本当に信頼出来る事を信じる。

「頼むぞ。 人類の未来が掛かっている……! 地獄を到来させないでくれ」

頷かれる。

意識が薄れていく。

ああ。

成し遂げたんだな。

そう思いながら、再び死の闇へと落ちていく。

今度は失敗しなかった。

後は、後の人間達の責任だ。

出来る事はした。

もう、思い残すことはない。

 

(続)