無言の者
序、寡黙にして語らず
その者はどうにも掴めなかった。様々な新入りがこの虚無の世界にやってきたが、基本的に感情や欲望、それに代謝が変わるため、口が滑らかになる傾向があった。それにしても、此処まで喋らない者は初めてだった。
最初に言葉を掛けたときも、静かに俯くだけ。
見かけはまだ幼い女だが。
動作からして、かなり年かさの女だなと長老は判断した。ただそれにしては、どうも行動が妙なのである。
家を与えると、寡黙なまま其所に引きこもり。
ずっと静かに黙り込んでいる。
まるでこれから何かの罰を受けることを望んでいるような。まだまだ己には何かが足りていないと考えているような。
困り果てた蜥蜴顔の男が、話をしてくる。
「長老、アレは困りましたね。 会話をそもそもしない奴は始めてでさ」
「……余程深い心の傷を受けてここに来たのでしょう」
「それにしても、此処に来たということは、感情とかの箍は外れている訳でしょう? どうにも腑に落ちませんぜ」
「私が対処してみます」
まず、家を訪れる。
そうすると、静かに目礼し。そして目を閉じて、向かい合ったまま座る。何をされてもかまわない。
そう告げているように思えた。
殉教者だな。
そう感じた。
信仰については、生前色々な所を回ってみてきた。まあ見た端から殲滅していった訳だが。
自身にも、生前には愛に対する歪んだ信仰が存在していた。
だから、信仰というものについては分かる。
この者は、何を求めているのか。
自身には何も語る資格すら無しと考えているのか。
話しかけてはみるが。
静かに口を閉ざしたまま。
幼子の姿をしているからなおさら違和感が際立つ。
一体どれだけの心の傷を受けて来たというのか。
「分かりました。 気が向いたら、少しずつで良いので話をしてください。 此処はそもそも虚無の土地。 様々な信仰における地獄に極めて近い場所です。 もしも貴方が罪人だというのなら、既に此処に来た事で、貴方が罪を受けていることを意味します。 此処は虚無そのものの土地。 此処でなせることは何も無く、此処は個人が心の地獄に向き合う場所です。 貴方が何か罪を抱えているのであれば……話をする事で、何かが変わるかも知れません」
相手は無言のまま。
やはりその言葉に答える資格すら無し、という感じである。
難しいなと思う。
そもそもどういう信仰をしていたのか。
どういう生き方をしていたのか。
どこから来たのか。
それすら分からないのでは、対応のしようが無い。ただ、動きなどから判断するに、戦闘経験は持ち合わせている。それも尋常では無いレベルで、である。
これは相当に深く、闇の深淵を覗いたのだろうなと長老は判断。
そして、元々良き方向の心を持っていたが故に。
こうなってしまったのだろうとも。
いずれにしても、今は出来る事がない。他にも此処には、上がりを迎えられず苦しんでいる者がたくさんいるし。
それは長老自身だって例外では無い。
周囲を見て回り、様子を聞いて回る。
現時点で、上がりを迎えることが出来る者はあまりいない様子だ。
ならば、一人ずつ丁寧に様子を見守るしかない。
時々、こういった上がりが中々迎えられない者ばかりになる。そうなると新人も入ってこなくなるし、新しい風が吹き込まない。
しかも今回の新人は手が掛かる事確定である。
対応には手間が掛かるだろう。
だが、今まで数万年をこの虚無の土地で過ごしてきたのだ。
今更数年が何だというのか。
食事を終えると、家に戻る。
しばらく眠る事にする。
ぼんやりと生前の事を思う。
記憶を引き継ぎ、体を乗り換えながら。
狂ったように憎悪と怒りで殺戮の限りを尽くした。ただ生きている。それだけで苦しみである。
そう考えて、徹底的に鏖殺の刃を振るい。
新しい技術はどんどん取り入れて。
そして何もかもを破壊して回った。
目が覚める。
自分の行いについては、既に客観的に判断している。勿論許される事では無い。どれだけ救えば良いのかも分からない。
一番分からないのは。
これをどう償えば良いのか、と言う事だ。
ため息をついて、外に出る。
木の実をもいで、例の無口な新人が食事をしていた。声を掛けるが、相手は静かに悲しそうな目を向けると、自宅に戻っていった。
やはり、しばらくは声を掛けても反応さえ期待出来ないか。
一体どれだけの罪悪感を抱え込んでここに来たのか。
此処には悪党も善人も来る。
だが、こうも反応が薄かった新人は、正直覚えがない。
とりあえず困り果てたが。しかしながら、今まで蓄えた知識でどうにかしていくしかないのも事実。
それにだ。
長老が生きていた時は。
あんな風に、心を病んでしまうものをたくさん生産していただろう。
鏖殺から逃げ延びたものは、恐怖で心を壊してしまったかも知れない。それを考えると、他人事ではとてもなかった。
しばし思惑を巡らせる。
今此処にいる者達は、皆拗らせているが。基本的に、自分でどうにかしていける者達である。
ならばあの者へのとっかかりを、まずは作るべきだろう。
何か興味をもつ事は無いか。
観察するが、数日で、何となく分かってきた事がある。
自分の手などを見ると、特にしばらく停止していることがある。
子供が何かのトラウマになっているのかも知れない。
それも、極めて重度の。
だとすると、何かあったのか。
見た感じ、かなり出来る。
子供専門の暗殺者……というのは考えにくい。どうも見た感じ、それなりに年を重ねていた印象だ。
子供を専門で殺す暗殺者がいないとは言わないが。
あの様子では、どうもそれはありえない。暗殺者に向いているのは、実の所屈強な男でも、老練な女でも無い。
相手が警戒しない子供や老人だ。
あの新人は、動きなどを観察する限り、自力で大概の苦難ははねのけられる能力を持っていたようである。
だとしたら、どういうことなのだろう。
更に数日が過ぎる。
蜥蜴頭の男が、報告してきた。
「長老。 定時報告ですが……」
「聞かせてください」
「へえ。 まずは……」
順番に全員の話を聞く。長老自身でも、それぞれの観察と会話、経過の状況の注視はしているのだが。
こうやって、他の者の目を経ることで、分かる事は多い。
勿論集落のもの全員にこの行動を強制はしない。
ただ、この虚無の世界からは、早く上がらせてやりたい、というのはある。
この世界に来たということは。その外があるのは事実。
少なくとも地獄に等しいこの虚無の世界より。
外の世界の方がまだマシで。
しかも何も変化が起きないこの虚無の世界よりは。
何か生産的なことが出来る場所の方が良いはずだ。
最後に、例の新入りの話になる。
少し躊躇った後。
蜥蜴顔の男は言う。
「俺は生前……今も本質が変わったかどうかは分かりませんが、鬼畜でしたんで。 ああいうのは何回か見た事がありますし、ああなった人間を見てケタケタ笑っていた事もあります。 子供に対して何か余程の事があったのでしょうね。 しかも全責任を自分に押しつけていると見ました」
「見た所、生半可な使い手ではないように思えますが……」
「それが不思議なんでさ。 俺は海賊をしていましたが、あの手の場所はクズが集まってくる山師の巣窟でしてね。 そこでは男も何も無く、単に腕が立つかが全てで。 皆殺しには慣れていても、戦いに慣れているかは話が別だったんですよねえ。 俺自身も、結局軍隊とやりあって負けた訳ですからね」
「ふむ……」
妙だと思うのは共通か。
強く、子供思いだったとしたら。
一体何があったのか。
より強い相手に蹂躙されたのだろうか。
それだとすると、あの女に責任はあるまい。どんな世界でも、上には上がいる。長老だってそれは同じ。
最後には究極の兵器をも滅ぼせる神によって滅ぼされたのだから。
「他に何か気付いた事はありませんか?」
「本当に丁寧な対応を一人一人にしていて頭がさがりまさ。 そうですね、なんというか……熱心な信仰をしていた様子ですね」
「それは私も見ていて思いましたが……どの辺りからそう感じます」
「いやね、ああいう手合いは。 力がある上に、信仰を己の強さに変えている手合いってのがごくごく希にいるんですわ。 そういうのと同じ臭いがするんですよ」
臭い、か。
殺戮の雨の中を生きてきて、そして最後にはここに来たのだ。
蜥蜴頭の男の言う事は信用できる。
頷くと、話し合いを終える。
そして、少し考え込んだ後で、何人かいる中身が子供の者に話をしに行った。
長老はどうしてか慕われている。
昔は子供など大嫌いだったのに。
今は、大人と同じように扱うからだろうか。
むしろ子供からは、長老は好かれている様子だ。
それ自体は嬉しくはあるが。
重ねてきた罪を考えると、喜んでばかりもいられないか。
「あの人? あたしを見ると、すっと悲しそうに目をそらして、それっきりだよ。 何か悪い事でもしたのかな」
「いいえ、貴方は何もしていませんよ。 あの人は、とても大きな傷を心に負ってしまっているのです」
「ええと……でも、長老もそれは同じなんでしょう?」
「傷といっても、色々なものがあります。 そして、その傷によって受けるダメージもまた、人それぞれなのです。 あの者は、罪悪感によって押し潰され、動く事が出来ずにいるのでしょう」
多分死因は自死だなと、既に当たりはつけている。
だが、それを口にするつもりは無い。
相手に対して、過去の事を見ていないで未来を見ろ云々といった説教をするつもりもない。
此処ではそもそも、どう納得するかが大事なのだ。
驕っているものに対しては、相応に諌めることはあるが。
それはそれである。
時間を掛けて、己がどうして虚無の土地に来てしまったのかを考え、そして受け入れて。己の罪に行き当たる。
それが重要なのだが。
あの者は、そもそも己の罪が何かを最初から受け入れてしまっていて。
此処で罰を受けるために、じっとしている印象である。
そうなってしまうと、そもそもどうしようもない。
何を呼びかけても耳に届かないだろうし。
「力尽く……は無理でしたね。 此処では相手に対する加害行為は一切無理でしたわ」
「貴方よりあの新入りの方が強いと思いますよ」
「またまた、じょうだ……えっ」
「ふふ、大海賊も目が鈍りましたか?」
困惑する様子の蜥蜴頭の男に苦笑する。
咳払いすると、今後の事について決めておく。
「それでどうしますか。 放置で行く感じですか?」
「いえ、それはあまりにも無情というものです」
「しかし、あれはそもそも……暖簾に腕押し? でしょう」
「そうそう、まさしく糠に釘ですね。 ただそれはそれです。 少しアプローチについて、考えてみましょう」
頷くと、会話を切り上げる。
こうやって時々話し合いをしているのだが。今回はすぐに此処をでられそうな者がいなくて、少し長引いた。
自宅に戻って横になる。
その前に、ちょっとだけ新入りの家を見たが。
どうやら何かに祈りを捧げているようで。
それ以外の事は一切考えてもいないし。
音も耳に入っていない様子だ。
凄まじい集中力である。
この世界では、感情、欲望、代謝などは殆どなくなってしまう。だから、素の自分が表に出やすくなる。
それなのに、あれだけ強固な自罰の檻に閉じこもるというのは、少しばかり異常である。
生前は本当に凄い達人だったのではあるまいか。
だとすると、壊れたことによって、精神鍛錬が悪い方向に働いてしまっているのだろうか。
それもまた、自分に覚えがある事だ。
千年以上、憎悪と怒りで心を焼き続けた自分にも。
違う方向で壊れてしまったのだなと。
ため息をついた。
虚無の土地は基本的に何も起こらない。
だからこそ虚無なのだ。
普通は人間は耐えられない。
だが、此処では関係無い。
故に虚無の土地なのである。
しかしながら、あの新入りは。それらに関係無く、此処でずっと、永遠にでも自分を罰していそうだ。
宗教家というのは、大概ただの銭ゲバだ。
ろくでもない宗教家は、宇宙を旅しながら長老もたくさん見て来た。
あの手の輩を見る度に、やはり全ては愛によって平等に抹殺しなければならないと考えたものだ。
今では考えを変えているが。
ただ、エセ宗教家どもに対しては嫌悪感が強い。
あの新入りは多分違う。
本物の、生真面目な宗教家だったのだろう。
だがそれならば。
何があったのかが、本当に分からない。
禁欲的に一生を送ったというのなら。
どうしてああも罪悪感に全身を包んでいる。
しかも見た感じ、一人や二人の子供に対して行った事で悔いている様子では無い。
精神鍛錬を極限まで重ねている人間が。
そもそも子供に虐待を行うのか。
金目当ての銭ゲバエセ宗教家なら話は分かるが。
しかもあの新入り、相当な腕利きだ。どんな世界にいたかは分からないが、多分大半の世界で通じるほどの実力者だろう。
それがどうして。
溜息が漏れた。
やはり、相手に直接話をどうにかしないと駄目か。
相手の仕草などからは、ある程度分かる事もある。だが、あくまでそれだけである。
やはり相手から直接言葉を引き出さない限り。
どうしても、分からないものは分からない。
数日間様子を見てから。
話をしに行く。
やはり、相手は一切口を開かない。何をゆっくり話しかけていっても無駄だ。頑なに己を罰することだけを考え。
口を閉じ続けている。
子供に対する話題を振っても駄目だ。
驚愕する。
ここに来ると、人間はあらゆる意味で箍が外れ。本能からも解放された事で口が軽くなる傾向がある。
元からの精神力で此処まで頑なに己を檻で閉ざすとは。
ひょっとすると、ここ数万年で。長老が此処で見た人間の中で、もっとも強い精神を持っている者なのではあるまいか。
いや、考えにくい。
精神力の強さで言うなら、もっと凄まじい者がいたはずだ。
だとしたら、この新入りは。
色々不幸な条件が重なった結果、こうなったのではあるまいか。
「此処は地獄です。 貴方は既に現在進行形で罰を受けています。 しかしながら、此処は罰を受けるところであって、自分で罰を更に与えるための場所ではありません」
そう告げる。
勿論推測だ。
長老が今まで数万年いて、此処で自罰的になって、上がりを迎えた者はいなかった。その経験則からの話だ。
だが、恐らくはあっていると思う。
此処が地獄かどうかは別として。
「此処には子供達もいます。 貴方は子供に対しては反応を見せている。 昔多くの子供を世話する立場だったのではありませんか?」
やはり反応はないか。
しばし反応を待った後、大きく嘆息する。
「分かりました。 何か話したいと思ったら聞きましょう。 此処には何かの神を信じるものも来た事がありますが、それらの者が此処で神の声を聞いたことはありません。 此処の外になら神はいます。 しかし此処は、虚無の世界にて、己を納得させる土地なのです」
反応無し。
一礼すると、家を出る。
此処まで反応がない相手は本当に初めてだ。困り果てていたが、しかし意外なところから活路が開ける。
ふと気付いたのである。
家の隅に。
たくさんの名前が書かれている。
此処では文字も、全て自動で規格統一される。今は、覚えておくだけで良いだろう。
書かれていた名前を、全て覚えた。
恐らくあの名前全てが、懺悔の対象だ。
ざっと見た所、百やそこらではきかない。
一体何があったのか。
突破口はできたが。
その先に拡がっていたのは、更に深い闇だった。
1、罪業の手
守る事が出来なかった。
戦乱の時代。
彼方此方に賊が出現し。
魔道を学んだものでさえ、賊になる事があった。
各地で火竜が暴れているという噂さえもあり。竜族の国が暗躍しているという話もあった。
また、軍から脱走した兵が、そのまま賊になる事さえもあった。
戦災孤児達を守るためのこの教会。ましてや辺境にあるこの教会は。
絶対に自分が守らなければならなかった。
それなのに。
燃えている教会。
惨殺された子供達。
まだ幼いのに、欲望のはけ口にされた形跡のある子供まで。
そして蓄える富などない教会には。
自分が殺した賊共が、ミンチになって散らばっていた。
嗚呼。
少しでも。でるのを早めて用事を済ませて戻っていれば。賊共の襲撃など、許しはしなかったのに。
子供達だって逃げる事が出来ただろうに。
それすら許されなかった。
この世界の神は、何処で昼寝をしているのか。
いにしえの時代、この世界を竜族が支配していたという話は聞いているが。
その後に神はいなくなってしまったというのか。
子供達の亡骸を、一つずつ埋葬していく。
全員分の亡骸を確認できた。
皆、未来があった。
それをゲスな欲望のまま踏みにじったクズ共が。自分が殺さなければ、またずっと賊を続けていたと思うと。
哀しみと怒りで狂いそうだった。
いきなり記憶が飛ぶ。
気がつくと、またたくさんの子供達を手に掛けていた。
しかも今度は自分で。
邪悪の権化のような、自分より更に格上の魔道の使い手に言われる。
その子供達を殺したのはお前だ。
暗殺者に仕立て上げ。
わしの下僕としてよく活用してくれた。
もうお前は用済みだ。
よく働いてくれたな。
そして思い出す。心の隙を此奴に突かれ。そして、心を魔道で支配されてしまったという事を。
後は、地獄だった。
彼方此方から子供をさらい。賊共も貴族も、目につく者は片っ端から皆殺しにして行った。
戦乱の元凶だったからだ。
凍りきった心のまま。
捕まえた子供達を洗脳し。そして魔道によって肉体を強化し。場合によっては急速成長さえさせた。
無茶苦茶な方法で子供達の心を壊して、暗殺者に仕立て上げ。冷徹な言葉を掛けて、徹底的に支配し。
そして使い捨てにし、あの邪悪なものの手下として、各地で破壊活動や誘拐を実施させた。
更には、その邪悪な者は。
用が済むと同時に。
全ての洗脳を、解除したのだ。
一気に全てが流れ込んできた。
二度の全ての喪失に、心は耐えられなかった。
そのまま自害して果てたら。
地獄にいた。
当然だろうと思った。周囲には、心と肉体がちぐはぐな者ばかり。地獄なのだから当たり前だろう。
話す事は何一つない。
自害も試してみたが、出来なかった。此処では死ぬ事さえ許されない。
魔道も発動しない。
どうやら、力ある技術は、殆ど何一つ使う事が出来ないようだった。加害は一切出来ない、と言う事だ。自分に対してはある程度の加害は出来るが、全てが無駄だった。
心が蕩けそうになる。
文字通り、何一つ無い世界なのだ。
感情が薄れていく。
欲求はない。
代謝も存在していない。
此処は、地獄だと言う事は分かっている。だが、責め苦を与えられる事はない。むしろ堕落を誘われている気がする。
許されないのだ。
何があろうとも。
守ろうとした子供達を一度は守れず。
そして二度目は自分から積極的に加害した。
たった一人が生き延びたことだけは分かっているが。それだけだ。あの子だって、戦後無事でいられるだろうか。
あの子にも、酷い言葉をたくさん掛けた。
問いに答えて良いのははいだけだと教え込んだ。
徹底的に心も体も痛めつけた。
嗚呼。
許される事じゃない。
どうしてこの世界では、口が滑りそうになる。ずっと地獄の獄卒に、あらゆる責め苦を受けなければならない身だというのに。
何か話しかけてくる相手もいるが。
それについては応じない。
自分には、口を開く権利がない。
あれだけ、多くの子供達からまともな思考も行動も奪っておいて。
どの面下げて、口を開くというのか。
許される筈も無い。
そもそも、食事だって許される行動では無いのに。
それなのに、何故からだが動いて、勝手に木に実を食べに行く。美味しくもない実を。
それでさえも許される事では無いと思う。
無様に餓死し。
そして死体を蛆に貪られるのがお似合いだというのに。
或いは極限の飢餓で、永遠に苦しみ続けるべきだというのに。
どうしてそれすらも、許されないのか。
また、喪服の女の子が来た。
今の姿が子供になっている事も分かっている。
子供を見るだけで悲しくなる。
もはや自分が子供に接する資格が無いことを知っているからだ。
話しかけてくる内容は、この世界の仕組みなどだが。
上がると言う事は考えられない。
此処で一生心の地獄を味わい続ける。
それだけが、自分に許される事だからだ。その証拠に、罪の証とも言える子供の姿を与えられている。
神がいるかどうかは分からない。
竜族の長が神なのかも知れない。
だが、その裁定で、ここに来たのかは分からない。
分かっているのは、ずっと罪悪感の中でもがき続けることしか自分には許されないという事だ。
また、喪服の女の子が戻っていく。
家の中に書いた、死なせてしまった子供達の名前。
見られた。
覚えられたかも知れない。
さぞや軽蔑することだろう。勿論甘んじて受けなければならない。軽蔑されるべき立場なのだから。
魔道の都で学んだ魔術は。
それこそ学府で教鞭を執れる技量だった。
それなのに、誰一人として助けられなかったのだ。
そのような許されざる者が。
何の罰を受けるのも当たり前だ。
ただ、誰も此処では、加害が出来ないのかも知れない。本来は、此処にいる者総出で加害してきても良いくらいなのだが。
それすら許されないのは。
罪が、それだけ重いという事なのだろう。
堕落せず、自分で自分を罰せよ。
そういう事なのだと、自分で解釈した。
それからは、色々な方法で自害を試みる。首を枝でかっ切ってみる。手をそのまま、激しく岩に叩き付けてみる。頭も。
しかしなげら、どれだけ自分を殺しても、体は瞬時に再生するし、痛みも一切存在しない。
これが、罰だ。
この程度では、痛みを受ける事すら許されない。
ならば、もっともっと自分で自分を罰しなくては。
荒野に出向く。
此処でぼんやりしていれば、餓死できるかも知れない。
必死に体を押さえ込むが。
それでも本能なのか。
食事の時間になると、勝手に木に歩き出す。
そして実を手に取り。口にする。
もう、言葉も無い。
このような愚か者、荒野でのたれ死にするのが似合いなのに。それも許されない。そしてこの世界の狭いこと。何処にいても、どれだけ抵抗しても。食事は妨げることが出来ない様子だった。
岩などで足を挟んだりしてみてはどうだろう。
試してみるが、そんな風にしても、体は勝手に動いてしまう。
無理に体を拘束しようと色々してみたが。
体が抜けてしまうか、或いは拘束できないか、だ。
その度に悲しくなる。
お前は罰を受けることすら許されぬ。
そう言われている気がする。
そして横になっても、楽に眠る事さえ出来ない。炎の中で鏖殺され、陵辱される子供達の姿。まだ年端もいかないのに、賊どもは平然と蛮行を行った。人間に心なんてものはないと、思い知らされた。
そして今度は洗脳されていたとは言え。
自分が全く同じ事をして。大量の子供達を親からさらい、鉄砲玉として使い潰して行った。
夢に見るのは、子供達の姿。
名前、経歴、姿が、淡々と並べられていく。
そして、己の魔道で改造した姿へと変わっていく者もいるのである。
思わず声を上げて目を覚ましそうになるが。
目が覚めると、すっと心が落ち着いてしまう。
呼吸を整えると、あっと言う間に呼吸も落ち着く。
自分に罰を与えることは許さない。そんな言葉さえ、空耳で聞こえてくるかのようだった。
小さな手を見る。
こんな小さな手を、幾らでも守れなかった。何のための努力だったのか。全て無駄だった。
こんな小さな手を、たくさん暗殺者に変えてしまった。
何のために。
洗脳されていたとは言え、己の所行は全て覚えている。どれだけの地獄に落ちても許されない。
その全ての罪悪感が、一秒ごとに全身を押し潰す。
そして自分の心も。
また、喪服の女の子が来る。
この女の子も、中身は違う。
多分屈強な男性だろう。
物腰は柔らかいが。しかしながら、なんというか強い威圧感がある。無愛想な表情と裏腹の言葉遣いや雰囲気も、違和感の塊を作り上げる一因になっていた。
「少しは話してくれる気になりましたか?」
「……」
「そうですか。 此方では少しずつ推測するしかないのですが。 困りましたね」
「……」
何を喋り掛けてこようと。
答えるつもりはない。
勿論相手も、もう返答は期待していないようだった。此処の長老であるようだが、どうでもいい。
長老なら、せめて相応の罰をくれてほしいものだが。
恐らく長老といっても、同じように此処の仕組みには無力なのだろう。
「一人の死で心が壊れる者もいれば、百万人を殺しても何ら問題にさえ思わない者もいます。 それが人の心というものです」
「……」
「貴方が其所に書かれた名前の子供達を守れなかった事は分かりました。 しかし、一体何があったのです。 侵略者に攻撃されたのですか? それとも賊にでもやられたのですか?」
「……」
かなり判断力が高いようだ。
流石に長老というべきか。
だが、話をするつもりはない。
そんな資格すらないのだから。
「反応からして、賊にやられた……だけでは無さそうですね。 貴方は生前かなりの使い手だったとみた。 それがこうも深い罪悪感に捕らわれ、身動き一つ出来ぬようになっている。 それは恐らくですが、賊によって殺された事だけが原因では無いでしょう」
「……」
「何かしらの理由で貴方が手に掛けた?」
静かに見つめ返す。
何を聞かれても無駄だ。
此処まで的確に把握してくるのは凄いが。だからといって、それに答えるわけにはいかないのだから。
しばし沈黙が流れる。
そして、長老と呼ばれている喪服の女の子は言う。
「此処は虚無の世界。 一人が上がると、また別の一人が上がります。 此処を上がった者がどうなったかは分かりません。 しかし、納得する事で此処を上がる以上……此処に長く滞在することは、きっと他の者のためになりません。 それは私自身がそうなので、一番心苦しい事でもあるのですが」
「……」
「貴方の心を苦しめ続けているものは何ですか? 子供達の死だと言う事は分かっています。 しかし、一体その過程で何があったのです」
沈黙。
長老は大きく嘆息する。
そして、少し居住まいを直した。
余程、根気強いとみる。此処で殴り殺してくれでもすればいいのに。そうされても仕方が無いのだから。
「……貴方は生半可な使い手では無かった。 そしてその子供の数。 ひょっとして、組織的に手に掛けたのですか?」
「……」
「そのようですね。 理由は?」
答える資格が無い。
静かに沈黙を続ける。
それにしても長老を長い間しているという話だが、それだけの事はある。何万年も此処にいると言っていたか。
それならば竜族の賢者も驚く洞察力も、当然なのかも知れない。
「それも望んで手に掛けたわけでは無さそうですね。 人質……ではなさそうですが、一体何がありました」
「……」
「黙っていては分かりません。 此方にも、推察できる限度というものがあります」
厳しい言葉が出てきたが。
それでも、此方を責めている様子は無かった。
程なくして。
長老は立ち上がる。
そして、子供達の名前について指摘する。
「途中から字体が乱れていますね。 それに明らかに名前がワンパターンになっているのが分かります。 このラインですね。 此処までは殺された。 そして、此処からは殺した……」
その通りだ。
だからこそ、許されない。
そして、ずばり指摘される。
「この子だけは、貴方の魔の手を生き延びたのですね。 或いは、この子の手に掛かって貴方は果てた……いや違いますね。 貴方は自害したのでしょう」
「……」
「口を閉ざしても、時間が掛かるだけです。 勿論時間はいくらでもあるのでかまいませんが、話してしまっても問題は無いと思いますよ」
問題があるから黙っている。
殺した子達が報われない。
あの子達が復讐に来て、思う存分の殺意をぶつけて、殺してくれないと。許され等はしない。
「この虚無の土地で。 感情すら失われた土地で。 それほど苦しそうにしている者は初めて見ましたよ。 体も心もダメージを受けないはずなのに。 本当に、辛かったのですね」
言葉は無い。
ただ黙ったまま、相手の言う言葉を聞き続ける。
それが罰になるのなら。
そう思ったからだ。
見当違いのことを言ってくるなら、それは罰にさえならなかっただろう。長老は此方の反応から、的確に真相を当ててくる。罰になっている。
分からないと言いながらも。
どんどん見抜いてくる。
この長老は、或いは。本当に、ただ者では無かったのかも知れない。自分を討った、本物の英雄のように。
「罪を償おうと思うのなら、なおさら此処にいてはいけません。 此処はただの虚無しかない場所です。 私はずっと此処から出ようとあがき続けていますが、どうにもならない状態です。 貴方は恐らく違う……。 その罪悪感をどうにかしたいと思うなら、いや罪を償いたいとおもうのなら。 此処を早く上がるべきでしょう」
「……」
「しばらくは、そうしているといいでしょう。 ですが、いずれは喋ってください。 貴方の口から、直接真相が聞きたいのです」
言うだけ言って、長老は去って行く。
頭の中で。
死なせてしまった子供達の事を考える。
一人、一人、名前を呼んでいく。
忘れないために。
嫌でも忘れない。
頭の中で焼き付いてしまっているのだから。
どんな風なことをさせたのかも徹底的に頭に刻み込んでいく。
全てが自分の罪なのだから。
分かっている。
全ての作業が終わった後は、横になって休む。
まだだ。まだ罰で心を焼き続けなければ。己の心を焼き続けなければ、何一つ償いになどならない。
長老はああいっていたが。
楽になる手段が山のように溢れているこの土地は。
自分にとっては、最悪の地獄だ。
ならば、地獄で罰を受け続けなければならない。
それだけのことをしたのだから。
2、無言の解剖
長老は蜥蜴頭の男と話す。
最近上がりを迎えられる者がいないので、積極的に話をしているのだ。そうしなければ、上がりを迎えられる者や、その兆候さえ分からない。
外の世界は広い。しかも一つや二つでは無い。
だからこの数十人しかいない世界には、それこそ上がっても上がっても次が来る。
そしてその皆が、心に大きな傷を抱えている。
悪党だった者も、善人だった者もいるが。
はっきり分かっているのは、この世界から上がらせなければならない、と言う事。
それには納得させなければならない。
これが、難しい。
色々な世界から来る。
文化も違う。
だが、基本的に人間である以上。
納得は、とても難しい事なのだ。
普通に生きて普通に死んだ人間でさえ、納得せずにここに来る者が珍しくもないのである。
ましてや地獄を見てきた者や。
ろくでもない環境で生まれ育った者なら、なおさらだ。
長老は前者にも後者にも属する。
しかも宇宙規模で、である。
だから数万年も此処にいるわけだ。
「しばらくは切っ掛けがほしいですな。 この状況だと、誰も上がれないまま、年月だけが過ぎますぜ」
「今、例の寡黙な新入りに話しかけています」
「手応えは?」
「大体は分かってきましたが、経緯が分かりません。 恐らく孤児院か学校の教師だったのでしょう。 それも相当腕利きの。 それが賊に襲われ、子供達を皆殺しの憂き目に遭わされた……」
宇宙中で。
それより酷い事を続けてきた。
だからこそに、心に刺さるのだ。
償いが出来るのなら償いたいが、きっと難しいだろう。それでも、やらなければならない。
「孤児院を焼き討ちですか。 俺が知っている孤児院はろくでもない場所で、院長は人身売買や児童虐待を平気でやっていましたっけね。 実際海賊に下働きで流れてくる者も、孤児院出身の者が多かったですわ。 だから海賊側も、容赦なく焼き討ちして蓄えている金品を奪ったりもしていましたっけ」
「そうでしょうね。 貴方の暮らした時代は特にそうだったでしょう。 しかしあの新入りは違った」
「まあそれは想像がつきやすな。 それも、海を怖れさせた俺をも越える腕だったと長老が明言するとなると……」
「不慮の事故だったとしか考えられませんね」
そう。
何かの理由で孤児院を離れていたとか。
そういう不慮の事故がない限り、生半可な賊など歯が立たないはずだ。
更に、もう一つの謎がある。
「そしてあの新入り、どうもその事件の後、人が変わったように邪悪な孤児院院長へと変わり果てたようなのです」
「……何があったんでしょうね。 頭でも打ったんでしょうか」
「私は洗脳だと考えています」
「ほう?」
心が強い者ほど、不慮の事故には隙を晒す。
そしてその隙に入り込まれると、もうどうしようも無くなるものなのである。
元々、凄まじい使い手だったのだろう。
だからこそに、その心の隙には、大きな溝が生じたのだ。其所を何者かに突かれた。強い者ほど、そういうときには、壊れてしまうものなのだ。
頑強なものが、内側からの攻撃には、時にとても脆いように。
「俺もヤクザな商売をしていたから、人を壊す方法はしっていやすがね。 そこまで人格豹変するレベルの洗脳ってのは、淫祠邪教の輩でも簡単にはいきませんよ。 長老、どう思います?」
「……魔法やあやしの技が使われたのかもしれませんね」
「なるほど。 しかしそうも便利な技術があるのなら、どうして抵抗しなかったのか……」
抵抗できる状態ではなかった。
それだけ、心身喪失状態が酷かったのではないのか。
そう推察する。
蜥蜴顔の男は、それを告げると。
ため息をついた。
「俺はこの世の悪を全て見て来たつもりだし、実施もしてきたつもりです。 勿論それを今は恥だと思ってやすがね。 そこまでの事をやらかすとなると、一体どれだけの鬼畜外道だったのか……」
「さあ、何とも言えませんが。 いずれにしても、ほぼこれで確定でしょう」
「……魔法か。 俺の世界の物語にも、夢溢れるものとして魔法が出てくるものがありましたよ。 そんな風に使うのは、何だか悲しいですな」
「魔法が実際にあったのなら、人間がどう使うかは……」
以上は、いちいち言う必要もなかった。
いずれにしても、異能か魔法かは分からないけれども。通常の世界と違って、余程異能と呼べるような技術があったのは間違いないだろう。
洗脳というものは、心の隙をついて相手への依存性を高めていき、徐々に言う事を何でもいうようにしていくものだ。この過程で薬物や暴力も交えていく。相手の人格も否定していく。
そうすることで、すがるものがない状態にして行き。
ヒトの形をした道具にするのだ。
だが、それも絶対では無い。
強靭な精神力を持っている者は、それでも耐え抜き。隙を突いて、洗脳を仕掛けている相手に反撃する場合もある。
実例を、見た事がある。
恐らくだが。
あの新入りは、何かしらの形で精神を強烈に支配され。そしてすり込まれたのだろう。
子供を暗殺者に仕立てるように、と。
しかし、いまわの際に何かの切っ掛けでそれが解けた。
身体的な大きなショックか。
或いは。
いずれにしても救えない話だ。
ともかく。少しずつ何とか相手に話をさせていくしかない。
時間は掛かるだろう。
あれほど己の内にある信仰に籠もってしまっている相手だ。ちょっとやそっとでどうにか心を解きほぐせる訳がない。
だが、ここの長老として。
虚無の土地を治め。そして、宇宙最悪の罪を少しでも償うために。
ここに着た者達を、納得させなければならない。
その目処すら立たない状態では。
いわゆるトリアージをしていかなければならない。
今回は、たまたまその対象があの新入りだった、というだけの事。
他の者達は、時間を掛けてやっていくしかないのだ。
ふと顔を上げる。
一人、此方に来た。
そこそこの古参で、もう此処には百年ほどいる。
ぺこりと礼をしたのは、目が覚めるような青年美の若者だった。ただ、中身は幼児だが。
「長老、やっと分かりました。 わたし、これで此処を抜けられそうです」
「すっと掴めたのですね……」
「はい」
恥ずかしそうにはにかむ。
この者、生前はとにかく周囲から徹底的に暴圧を受けて育った。故に、己はこの世に存在してはいけないのではないのかと、考え続けた。
幼い頃からのストレスで、何度も自殺未遂を起こし。
親はそれを見て、「手に負えない」という理由で育児放棄。精神病院に入れる金も惜しいと言う事で、一室に閉じ込めた。
やがて数日食事が続かない日が続き。
餓死したこの者は、ここに来た。
「周囲と違う事が悪かった」。
そう認識してしまったこの者は、ずっと苦しみ続けていた。
だが、やっと。長い間話をして、そのような事はないと言い続けてきたのだが。それを受け入れる事が出来たらしい。
「生まれた場所が悪かった。 周囲に恵まれなかった。 それだけだということを、やっと理解出来たようです。 本当に有難うございました」
「人に出来る事には限りがあります。 貴方は幼子で、親の暴力には為す術もなかったのです。 ましてや児相という貴方の世界にあったセーフティネットが、まだ上手に働いていなかった。 貴方に責任はありません」
「ありがとうございます」
「では、送別会を行いましょう」
皆を集め。
そして送別会をする。
新人は無言で家から出てきたので、全て説明する。
しばし俯いて話を聞いていたが。
納得したようで、送別会には参加してくれた。
送り出す。
久々の上がりだ。
わいわいと、めいめい勝手に騒ぐ。
そんな中、ずっと黙り込んでいる新入りに。上がりを迎える者が言った。
「貴方の声が聞きたいです。 心残りはもうありませんが、貴方が親であれば良かったと想います」
「……」
首を横に振る新入り。
それをする資格は自分には無い、という動作だった。
理解したのか。寂しそうに上がりを迎える者も頷く。
納得はできた。
だから、此処を上がれるのだ。
その晩、何か凄まじいものが空から降り注ぎ。そして集落を、何もかも残さず、徹底的に木っ端みじんにした。
多分大陸間弾道弾か何かだろう。
それも火薬兵器が活躍していた頃のものであろうか。
いずれにしても、集落は欠片も残さず消し飛び。
そして、復旧と。
新入りの出迎えが行われた。
復旧作業の時、新入りはむしろてきぱきと動いた。指示をすると、その通りにやってくれる。
相当になれている。
それは見ただけで分かった。
腕力があったのかは見た感じ良く分からないのだけれども。
しかしながら、体を使って重いものを動かす方法や。
力を込めるのでは無く、上手に体を使う方法を良く知っている。
やはり生前、相当な修羅場をくぐってきた者だったのだろう。それが誰かの手によって洗脳された。
異能だろう。
そうとしか、結論することは出来なかった。
薬物などを用いる方法もあるのだが。
それではどうしても、絶対に無理が出てくるのである。
無理なく、記憶も保ったまま。全ての凶行を成し遂げたのだとすると。
やはり、何かしらの異能だとしか言えない。
復興が終わるまで一月。
今度来た奴は、何も中身が無かったらしい奴で。
話してみると、どうもいわゆる春をひさぐ商売で、女達からむしり取る仕事をしていたらしい。
ホストとかいうのか。
ところがだ。
ある時点で、不意に罪悪感を覚えてしまったらしい。
自分がむしり取っている金が。カモにしか見ていなかった女達が、血を流すようにして貯めていたものだったり。
或いは更なる別のターゲットからだまし取っていたりと。
業を連鎖させていることに気付いてしまった結果だ。
周囲からは馬鹿じゃ無いのかと笑われた。
この世界は、そうやって弱者を食い物にして行くものなのだと。女を相手にするホストでも男を相手にするホステスでも同じで。相手に都合が良い嘘を吹き込んで、有り金むしり取って使ってやっているのだと。
相手はバカでクズなんだから、賢い俺たちが使ってやっているんだとまで、周囲は笑いながら言っていて。
それを見て、何かがふつりと切れたそうだ。
自宅に、今までに行った悪行の数々を遺書として残し。強引な借金をして作った返済金を用意すると、首をくくった。
同僚達の悪行も、悉く全てが遺書に残るようにした。
警察と通じている可能性も考慮して。遺書は実体のものと。それと全く変わらないものを、複数の警察署に同時にメールで送った。
一つの警察署が腐敗している事はあっても。
全てが腐敗している事は流石に考えにくい。
また、生前悪行に手を染めていたからか。
やりにくい地域は知っており。そういった、警察として手強い相手に、メールを送る工夫もした。
そして、毒を飲んで死んだという。
話を一通り聞くと、アドバイスをする。
しゃべり方はなんというかとてもいい加減だったが。
余程腹に据えかねていたのだろう。
同僚達や、自分の過去の話をするときは、掛け値無しに不快感が溢れていた。この虚無の土地でなければ、何度も激高していたかも知れない。
いずれにしても、今度の新入りはそれほど掛からないだろう。
ため息をつくと。
じっと、再建された家を見ている。
孤児院院長の所に行く。
話しかけても、やはり応える事はない。
あれほどの災害で木っ端みじんになっても。何もかもが再生していく。
集落の生命線である木も。
「そろそろ、喋って貰えませんか。 此処は地獄。 災害と復旧の過程を見て、それは理解出来たはずです」
「……」
「己の中で全て完結していても、何も解決しませんし、償うことも出来ません。 償いたくはないのですか?」
凄く悲しそうに見られる。
此方としては、それはもう覚悟の上だが。
相手は、どうしてもそれが出来ないのだと、表情で告げていた。
家の中に入ると、また一人ずつ名前を書き続ける。
これは償いの道だ。
子供の小さな手が。
それ自体が罪の形として。
自分の殺した子供達の名前を順番に書き殴っていく。全てが悪夢の産物で。全てが何一つ救い無き生の結実。
それをじっと見ていても。
やはり相手は喋る気が無い様子だった。
此処では誰も救われない。
本来なら、確かに情状酌量の余地はない。子供達を救えなかった事に対して、罪はないだろう。
だが洗脳されていたとは言え、この名前を見る限り、軽く三桁に達する子供を虐待し、暗殺者に仕立て上げ、多数の不幸をばらまいてきたのは事実。洗脳されていたからと言って、罪にならない筈も無い。
死、以外にはなかったのだ。
だが、その死の先に此処はある。
だから、罪を償うべきなのだ。
そう、根気強く話をする。
災害を見た直後だからこそ。
話をすれば、通じるはずだ。
そういう勘が、何処かで働いていた。今まで数限りないものを上がらせてきたのである。その手腕、侮って貰っては困る。
学習能力にだって自信はある。
戦闘種族として作られたとは言え。
新しいものはどんどん取り入れて、自分の軍団を強くしていく知恵くらいは持っていたのだから。
しばし、沈黙が続く。
そして、やっと。
相手が口を開いてくれた。
「私には、何も語る資格すらありません。 罪を償う場所が此処であるのだとすれば、罪を償う資格すら無い……それが事実です」
「ようやく、口を開いてくれましたね」
「……」
「もし、自分に資格が無いのだと思うのなら、それも良いでしょう。 此処を上がったあと、更なる地獄にいくなりなんなりすると良い。 此処は誰かが納得するためにある場所で、貴方も此処に来たということは、納得するために何かしらの力で送られたという事なのです」
一言だけ喋った後は。また黙りである。
この一言を引き出すだけに、どれだけ苦労させられたか。
だが、それもまたいい。
「一言だけでも話してくれたのは嬉しかった。 感情が殆ど無くなってしまっている此処でも、そんな風に思えるのですね。 貴方は罪を償うべきだ。 その資格は、ここに来た時点である。 それについては、此処に万年単位で居着いている私が保証します」
「……」
「話すつもりになったら、来てください。 私は何時でも待っています」
孤児院長の家を出る。
小さく溜息が漏れたが。
ようやく、ようやく第一歩か。
そういえば。敗残兵達と共に宇宙を旅しているとき。あの究極破壊兵器を見つけるまでの時。
側には亡骸だけがあり。
そして物言わぬ傀儡達だけがいた。
あの時のような虚無感が、周囲にはある。
ようやく口を開いてくれた者は。
やはり、予想通り、想像を絶する罪悪感に押し潰され。立ち上がる事も出来ない状態になっていた。
それは哀しみからではない。
自分への怒りからだろう。
他への怒りからだった長老とはそこが決定的に違っているが。だが、それはそれ。他者の感情が、自分と同じである筈も無いし。
理解は出来ても、共感できるとは必ずしも限らない事と同じである。
蜥蜴頭の男が来る。
「ようやく、一言、ですかい」
「ええ。 しかし、大きな一歩です」
「……そうですね。 俺も、自分の生前の罪を、改めて思い知らされた気分です」
「私もです」
その後は、皆を回って、話を聞いていく。
少しでも、誰かが。
此処を上がれる、準備を手伝えるように。
数ヶ月ほどかかっただろうか。
ようやく、孤児院長が家に来てくれた。
既に二度、上がりが起きていた。
新入りが立て続けに二度上がったのである。やはり、この間のホストだかをやっていた新入りは、話を全て終えると。更に償うために、新しい世界へ去って行った。その先がどうなのかは分からない。
だが、この世界に仕組みによって飛ばされている以上。
望みは、ある程度かなえられる。
そう考えても良いだろうと、長老は思っている。
そしてその元ホストは孤児院長に言ったのだ。
自分は本物の悪党だったから、あんたみたいな綺麗な人間を一度も見たことが無かった、と。
それは生前の職から出てくるような甘い都合の良い言葉だったけれども。
此処では、虚無の土地が故に。
本音として、口から出たのだろう。
故に孤児院長は、ホストの言葉に何も返さず。
だが、影響は少しだけ受けたようだった。
そして今。
ようやく、長老の家に、孤児院長が来てくれた。
どのように考えが変わったのかは、まだ分からない。本当に話をしてくれるのかも分からない。
もてなす方法もない。
だから、向かい合って座ると。
ただ静かに、相手が喋るのを待った。
「……この世界を上がれば、更なる地獄へ行く事が出来るというのは、本当の事でしょうか」
「それについては分かりません。 ただ此処は、誰かが納得するためにある場所なのですから。 ただ、何度も言うとおり、仕組みとして貴方は此処に飛ばされてきているということです」
「……」
「ならば、その願いを、神に……貴方がいた世界に存在していた神よりも、更に上位の、世界の理そのものを司る神に……届けることも可能かも知れませんよ」
ゆっくり、待つ。
少し話してくれているだけでも、大いなる進歩なのだ。
既に孤児院長が沈黙という渾名で呼ばれている事を、長老は知っている。
だから、それについてはたしなめつつ。
こうやって、沈黙ではなくなるように、少しずつ手管を使って来た。
そして今。
やっと、話をしてくれ始めているのである。
全てを台無しにしてはいけないのだ。
「話してください。 此処を納得して去るための方法を、一緒に考えましょう。 貴方の考えが知りたいのです」
「……」
やはり、長い沈黙が挟まれる。
そして、長い長い沈黙の末に。
やっと、少しずつ話がなされ始めた。
「私は魔道が存在する世界から来ました。 魔道は竜族からもたらされたもので、竜族は既に世界を去った種族でした。 わずかな生き残りがいるとも噂されてはいましたが、殆どは退化した野生の獣として。 そして、そうでないものは、落ちた神に等しい伝説の存在として、山奥に国を作り人に牙を剥くのでした」
「続けてください」
「……戦乱が絶えない土地でした。 腐敗した貴族。 無能な軍人達。 無法。 やがて戦乱は拡大し、多くの力なき者が蹂躙されました。 魔道を学んだ私は、せめて救える範囲の子供達だけでも救おうと、孤児院を作ったのです」
元々魔道の使い手であり。
優れた使い手であった孤児院長は、今まで蓄えてきた金を使って、孤児院を作り。多くの戦災孤児を引き取り育てたという。
最初は苦労もあったけれど。
一人ずつ丁寧に接していき。
言葉や手足を失っていた子供達も。心が壊れてしまった子供達も。
一人ずつ、救おうと四苦八苦していたという。
賊も襲ってきたが。
全てすぐれた魔道の技で撃退した。
さほど難しい事では無かった。
魔道を使う盗賊もいたが。
それらも、撃退することは用意だった。魔道の次元が違っていたからである。
だが、故にだ。
無数の逆恨みを買った。
「ほんのわずか出かけていただけだったのです。 そのほんのわずかな隙を突かれてしまいました。 守りのための魔道も残しておいたのに。 恐らく、逆恨みした盗賊が、総動員で突破したのでしょう。 戻ると、孤児院は燃やされ、子供達は陵辱され殺し尽くされ、そして勝ち誇った賊達が騒いでいました」
賊を皆殺しにした後。
無惨な姿をした子供達を集めた。
女の子は。いや男の子でさえ例外なく陵辱され。
切り刻まれ。
肉を食われた形跡まであった。
やっと心が少しずつ戻り始めていた子や。
孤児院長が苦労して魔道で作った義手や義足で生活する事が出来るようになっていた子もいた。
口を押さえる孤児院長。
そして、ふるふると頭を振った。
「人間が本質として獣以下の外道である事は分かっているつもりでした。 賊には特にそのような者が集まっていることも。 だけれども、境遇が変わらないだろう相手に、どうして此処までの事が出来るのか。 私は、全てを、何もかもを失ったのです。 そこに……あの者につけ込まれたのです」
「あの者」
「恐らくその世界で最強の魔道の使い手だった者。 最悪の邪神と化した悪竜の長と手を組み。 そして世界の支配を目論んでいたものです。 私は心の隙に入り込まれ、心を邪悪にねじ曲げられてしまいました。 以降は貴方が予想したとおり。 子供達を集めては、暗殺集団へと育て上げ、使い捨てていったのです。 たくさん非人道的な行いをしましたし、させました。 ただ無惨に殺す事だけもさせましたし、新しい犠牲者もさらってこさせました。 子供達の心を壊して、自分の道具へと変えました」
血を吐くような独白だ。
なるほど、予想は当たっていたが。
これでは、確かに何も喋れなくなるのも道理である。
悪いのは賊と。
その洗脳を行った最強の魔道の使い手とやらだが。
本人は納得できる筈が無い。
それにしても、賊か。
今、腹心にしている蜥蜴頭の男も賊だった。生前だったら、殺し合いまった無しで。そして屈服させていただろう。
そして本人が認めている。
賊などクズだと。
いわゆるピカレスクロマンとかいう、賊を格好良く書く文学が存在していたらしい。だが、そんなものはまやかしだ。
賊などと言うのは、今孤児院長が語ったとおりの存在。
そして、その賊よりも更に悪辣だったのが。
愛を語りながら、宇宙を蹂躙していった長老だったのだと、改めて思い知らされるのだった。
口をつぐんでいる長老。
また長い時間の後。
孤児院長が話し始める。
「やがて、英雄が来ました。 私が手がけた子供達の一人が、自力で洗脳を解くことに成功したのです。 その子供は英雄に許され、そして全てを終わらせるために私の所にやってきました。 私は酷い非人道的な言葉を掛けました。 そして、戦いに敗れ去ったのです」
「戦いに負けただけでは、そうはならないでしょう。 逃げ延びたのですね」
「……はい。 戦いに敗れ、身一つで逃げ延びました。 勿論追うつもりだったでしょうが、その必要はありませんでした。 魔道による激しい戦いで……私を超える程に成長していたあの子との戦いで、洗脳の魔道がどこか壊れたようです。 孤児院から転移の魔法で逃げ、そして気付きました。 自分が今まで、どれほどの悪行に手を染めていたのかを」
そして、現れたのだという。
その、世界最強の魔道の使い手が。
更には、全ての罪をつげ。
その場で死ねと言い残したそうだった。
後ろからその世界最強の魔道の貫いたが。それは影に過ぎず、揺らめいて消えてしまった。
けたけたと笑う声。
絶望した孤児院長は。
その場で。己の心臓を止める魔道を使ったのだった。
話を聞き終える。
何とも救えない話だ。
恐らくは、セーフティとして、用意されていたのだろう。洗脳が解けた時には、自爆処置が執られるようにと。
そんな状態でも、一矢報いようとして、出来なかった。
それはそれとして、凄い事なのかも知れない。
いずれにしても、よくよく分かった。
これでは、正直な所。
ずっと言葉を喋る事さえ出来ない状態になったのも、納得出来る。
何一つ、孤児院長に罪は無い。
だけれども、そう納得出来るかといえば。
それは違うだろう。
社会的な意味でもそうだ。
許される筈も無い。
洗脳されていたのだ。
だが、その時に行っていたことがあまりにもまずすぎる。それに、洗脳されていたときに行った事を、全て記憶に残されていたのだとしたら。
どうしたって、助かる事はなかっただろう。
恐ろしい程に狡猾な輩だ。
同時にある程度悟る。
その者。
世界最強の魔道の使い手とやらは、恐らく人間を徹底的に研究し尽くした存在だったのだろうと。
何があったのかは分からないが、其所まで出来ると言う事は、恐らくは元は真逆……。本来は善たらんとして。
現実を見た挙げ句、闇に引きずり込まれた存在だったのだろうと、容易に予想ができる。
長老も似たような存在だったから。
本当の闇のその闇に落ちる者は。
むしろ、そうなる前は違った事が多いのだ。
長老だって、愛によって目覚め。
愛を守ろうとした。
それが全て裏目に出て。
破壊神と化したのだから。
重苦しい空気の中。
孤児院長は言う。
「私の話はこれで終わりです。 後は、何も語る事はありません」
「それでは、此方からも。 貴方は納得しなければなりません。 それがどのような形であろうとも。 貴方には、客観的に見れば罪はありません。 しかし、社会的、それに事件の被害者達から見れば死以外の罰はありません。 それを貴方は良く理解している……だからこそ、貴方は苦しみ続けているのです」
「……」
「だからこそに、納得して、更なる責め苦がある地獄に行く事を望むなり、償うために更なる善行を働く事を望むなり。 いずれにしても此処で黙っていても、償いにはなりません。 それを理解してください」
それだけ話し終えると、立ち上がる。
後は、様子を見ながら、話をしていけば良い。
話をしてくれた。
それは、此処について理解してくれた、と言う事だ。
結論はどちらでもいい。
いずれにしても、此処にいても償いにはならない。
長老自身がそれはよく分かっている。
上がりをどれだけ手伝っても。
それが世界そのものに、良い方向に働きかけるとは、どうにも思えないし。何より兆に達する恒星系を蹂躙した身だ。
此処で少しずつ、人を救っていったとして。
それが何の償いになるだろうか。
自宅に戻る。
そして、横になって、じっと考えた。
あの者を救うには、どうしたら良いのだろう。
客観的に罪がない、というのは何の意味もなさない。更なる邪悪がいるという事もしかりである。
というか、あの者を打ち倒せるほどの英雄が現れたのなら。その邪悪とやらも、悪竜とやらも、無事では済むまい。
そしてそんな連中は。ここには来ないだろう。地獄があるのだとしたら、確実に其処へ行く。
神はいたのだ。それは、長老が直に見て知った。直に宇宙の文明を悉く滅ぼせる破壊兵器を滅ぼされた。
ならば、地獄はあっても不思議では無いし。地獄があるのなら、落とされなければおかしいのである。
いずれにしても、孤児院長が悲しむ事はない。
さて、問題は此処からだ。
あの悲しい亡者を、どうやって解き放つべきなのか。
きっとだけれども、当事者による許しがなければそれは不可能だろうが……そもそも当事者があの者を、洗脳されていたからといって許すわけがない。
本物の悪は別にいるのに。
ため息をつく。
これは本人の心の問題だが。しかし、本人だけで解決できる問題なのだろうか。
有識者を集めて、話をしてみたい。
いずれにしても、今の立場は長老。此処での問題を解決するからこそ、長老なのだ。
ため息をつくと、頬を叩く。気合いを入れ直す。
今回はとても厳しい案件だが、どうにか上がりを迎えさせてみせる。
そうでなければ、自分だって。
もっと罪が重い自分だって。
此処を上がる事なんて、出来はしないのだろうから。
さて、まずは一つずつ片付けていこう。
それが、どのような理由があろうとも。いずれにしても、此処で長老をしている者の務めなのだから。
3、罪深き闇の檻
本当に虚無なのだと理解して。
結局全て長老に話してしまった。
長老は自分を更に罪深きものだと考えているようだったが。いずれにしても、やるべき事は変わらない。
自分には何をする資格も無い。
納得する。此処をでるにはそれしかないのだとすれば。
納得した後、此処をでて。
そして罪を償う。
どのような方法を神に言われるのかは分からない。仕組みとしての神なのかよく分からないけれど。
竜族の先祖とは違う神が、世界には存在しているようなのだから。
ならば此処に仕組みとして送り込まれ。
納得する、というプロセスが必要なのだろう。
それについては、もう疑っても仕方が無い。
何度か長老と話をして。
長老が辿ってきた罪の道を聞かされた。
確かにどうしようもない悪逆の覇王だ。しかし、愛というものを間違えてしまった者という点では共通している。
それに長老は、ずっと人としての愛は、ただ一人にしか注がなかった様子だ。
覇王としての、責務としての狂った愛は全てに平等に注いでいた様子だが。
そういう点では、例え狂ってしまっていたとしても。筋は通す存在だったのだろう。多分だが、だからここに来ているのだと思う。地獄としてはヌル過ぎる、この虚無の土地に、である。
じっと、不幸にしてしまった子供達の名前を見つめる。
長老は何やら集まって話をしている様子だが。
声を掛けられているのでもない。
いく必要はないだろう。
それに話す事は話している。
これ以上話す理由は何一つとして存在しない。
しばし、黙々と思索にふける。
納得か。
どう納得すれば良い。
アレは洗脳されていたから仕方が無かった。
運が悪かったから子供達を死なせてしまった。
違う。
そのような事は、理由にはなっていない。
賊がどれだけ束になろうが、追い返せるような結界を張っておくべきだった。
それが出来なかったから、子供達は死んだ。
世界最強の魔道の使い手が相手とは言え、隙を突かれて洗脳された。
それは要するに自分が弱かったから悪いのだ。
子供達を守れなかったのも。
自分が弱かったのが原因だ。
あの世界は全てが力で動いていたのか。
そうだとしか思えない。
事実、凶行を止めたのも、子供達の一人。いや、ただ一人生き残った一人とでも言うべきだろうか。
口を押さえて、しばし黙る。
生前だったら泣き濡れていただろうが。
感情が消えかけている此処では、それさえ起きない。
何度も自害を試みたが。
それさえ許されない。
何しろ、あれだけの災害で完全に木っ端みじんになっても、すぐに再生してしまうほどなのである。
ちょっとやそっと傷つけて死ぬくらいでは。
何の意味もない。
長老に対して話をしたのは、それが理由。
そうでなければ、話なんてしなかっただろう。
或いは、完全に消滅するレベルの破損を受けてなお、容易に再生するのを見て。心の何処かで、箍が外れたのかも知れない。
いずれにしてもこの罪人は。
どうしようもない。
そう自責で、今も押し潰されていた。
もっと力があれば。
もっと完全だったら。
こんな事にはならなかったのに。
何度も目を閉じる。
自責は重くなる一方。
そして、己を罰することさえ出来ない。どれだけ自分を傷つけても、ロクな痛みも感じないのだから。
ため息をつくと。外に出て、食事をする。
木から実をもいで食べる行為は、どうやっても止められない。
もう、散々試した。
そういえば、長老と話していた者達はいなくなっている。何かあったのだろうか。まあ、関係無いか。
此処は虚無の土地。
やることといったら、破滅の後に復興作業を行うだけ。それも恐ろしく手際が良い長老が指揮を執るので、此方でやる事は殆ど無い。一応肉体労働はやらなければならないけれども。
そもそも戦乱がずっと続いた土地で、相応の技術は持っていたのだ。
それくらい容易い。
「食事後でしたか」
不意に、後ろから声を掛けられる。
長老だった。
振り返り、丁寧に礼をすると。
長老は、話があると言う。
そうか、話か。
それにしても、今の気配、全く見破れなかった。相当な使い手だったのだと、実感させられる。
あの、忌むべき世界最強と、どちらが上なのだろう。
分からないが、いずれにしても自分よりも強い事は確実だ。
そのまま、長老の家に。
向かい合って座る。
そして、咳払いすると、長老は話し始めた。
「そもそも、前提条件がおかしいと言う事がわかりました」
「何のことでしょうか」
「貴方が孤児院を焼かれたことについてです」
すっと、居住まいを正す。
あの孤児院は。設立まで相当な力を掛けた。
事実、その気になれば何処の貴族でも王家でも雇ってくれる実力はあったのを。全て放り投げたものなのだ。
そして守りだって散々徹底的に考慮して固めた。
どんな敵が来ても防ぎきれるように。
その驕りが。
全てを台無しにしたのだが。
「貴方は孤児院を焼かれたことを、驕りによるものだと思っているようですが、恐らく状況証拠からして違いますね」
「どういうことでしょう」
「貴方を洗脳した世界最高の魔道士……でしたか。 そもそもその者は、それほどの力を持ちながら、貴方などを必要としたのか、と言う事です。 貴方は実際問題、切っ掛けを機に洗脳を解いている。 貴方のような危険度が高い者を配下に加えるよりも、最初から弟子でも育てた方が良いに決まっています。 何より、貴方が全てを失った場所に現れた事がおかしい」
「……っ」
そういえば。
その通りかも知れない。
そもそもだ。奴ほどの存在なら、配下に無数の部下を持っていてもおかしくはないのである。
孤児院を失い、完全に茫然自失していた自分を。
どうして洗脳などしたのか。通りすがったのも、今になって考えてみればおかしい。
「自作自演だったのですよ」
思わず、膝から崩れ落ちそうになった。
考えてみれば、そこいらの賊ごときが、あの結界を破れたのがおかしかったのだ。
殺戮の嵐を降らせ、孤児院を襲った賊どもと。
周辺に潜んでいた山賊ども。
まとめて根絶やしにしたが。
その時、少しでも手応えのある魔道士はいたか。用心棒代わりに賊が魔道士を雇うことはよくあるのだが。
それでも、そもそも抵抗すらロクに出来ないような輩ばかりだったではないか。
教会の子供達を葬ったあと洗脳され。
その後まずやったのが、周辺に潜んでいた賊共の殲滅だが。
記憶ははっきり残っている。
いずれも雑魚ばかりで。文字通り、鎧柚一触に薙ぎ払うばかりだった。
あのような連中には、とても結界を破る力はなかったはずだ。
「その世界最強の魔道士とやらは、何かしらの理由であなたの経歴を知っていたのでしょう。 そして奴にとっては物好きなことに、戦災にあった子供達のために孤児院を作った事も。 其所で計画を立てた。 まずは貴方に恨みを抱えている賊達を集める。 続けて、其奴自身が貴方の結界を破る。 監視は賊では無くその者がやったのでしょう。 貴方に気付かれないほどの使い手となると、それくらいしか考えられません」
「そんな……そこまでの事を……!」
「恐らく目的は最初は違っていて、貴方を殺す事だった筈です。 大きな隙を実際に貴方は晒し、そして邪魔者になる可能性があった使い手である貴方を、其奴は排除できる好機に恵まれた。 しかしながら、実際に状況が推移してみると、予想外の事に、洗脳を掛ける好機にまで恵まれた」
震えが来る。
今まで感じていたものではない。
怒りに対してだ。
自分に対しては強い怒りと憎しみを感じていた。
だが、もしこの長老が話していることが事実だとしたら。いや、事実だろう。思い当たる事が多すぎるのだ。
「そして奴は、貴方をいっそのこと、もっとも残酷に殺す事にした。 ついでに強力な手駒を確保する事にもした。 残酷な……の意味は分かりますね」
「……はい」
そう。
あの外道は、最後に見た時、こう言い放った。
お前やあの英雄のような正義面をした奴を見ていると反吐がでると。
そう、あれは。
ああなることを見越した上で、全て自分が面白がるためにやっていた事だったのである。
目の前が真っ赤になりそうだが。
すっと、怒りがある程度の線で収まってしまう。
これも、此処が虚無の土地だから、なのだろう。
「貴方は、世界最強とやらの想像を超える活躍をしたのでしょう。 だから本来は、早々に「英雄」にでもぶつけて葬るつもりが、暗躍させ最後の最後まで使い倒した。 そして、本来なら合流して「英雄」と戦えば良いところを、敢えて各個撃破させた。 自分が勝てるという自信以上に、昔は自分と同じように良識を旨として動いていた貴方のような存在を、これ以上もないほど無惨に殺すためだけに。 ……子供達は、それこそどうでもよかったのでしょう。 ……それと、そのような輩は、どうせ敗れたに決まっています」
呼吸が乱れそうになり。
その度に穏やかになる。
許せない。
本気での怒りが、体内を駆け巡りそうになり。その度に収まる。頭を抱えて、うめき声を上げる。
長老は、静かに此方を見ている。
言葉も、今まで以上に耳に入る。
「分かりましたか。 貴方には責任はありません。 勿論その世界に対して許されぬ存在であったのは事実ですが、貴方自身の責任はないと私が保証します。 だから、此処をでて償うことを考えなさい」
「私は……一体何のために……」
「もしも力が強い者が何をしても良い、というのならそれは間違っていますよ。 貴方を良いようにしたその外道はその後敗れたことがほぼ確定でしょう。 それに……最強の力で蹂躙を続けても、いずれは報いを受けるのは、この私が身を以て知っています」
「少し……一人にしてください」
頷くと、長老は家を出ていった。
頭が一気に混乱した。
そうだ、言われて見ればおかしかったのに。どうしてその可能性に思い当たらなかったのか。
言われた通りだ。客観的に資料をまとめてみれば、どう考えても奴が最初から最後まで糸を引いていたのは分かったのに。
奴はそれをほのめかす発言までしていたのに。
自分への怒りで目が眩んで。
どうしても思い出せずにいた。
はっきりいって、己の愚かさにこれ以上もないほどに頭が来る。というよりも、である。許せない。
長老は、奴は敗れたと太鼓判を押してくれていたが。
確実に敗れたところを確認しなければならない。
いや、奴を敗れるように。
せめて唯一生き残ったあの子のために。
助力をしなければならないだろう。
深呼吸をする。
そして、死なせてしまった子供達の事を、思い浮かべる。全ての名前を覚えている。どのような非道を働いたかも。どのような目にあわせてしまったかをも。
考えてみれば、賊もあまりにも執拗すぎたのだ。
あの結界を敗れるほどの手練れがいる賊だったら、さっさと教会に火をつけ、宝だけ(そんなものはないが)奪って逃げる事を考えたはず。それが執拗に子供達に加害を加え、自分が戻るまであの場にいた。
それも、恣意的だ。
分かってしまうと、なんとも愚かだ。
自分への怒りに目の前が完全に曇りきっていた。
こうも完全に、死後でさえ掌の上で踊らされていたとは。
それに、奴は分かっていたのだろう。
こうすれば、自分は完全に思考が壊れて。
復讐には来なくなるのだと。
そうはさせない。
絶対に奴は許さない。
何もかもを滅ぼし、焼き尽くしてやらなければ。
あの世界のためにも。
あのような究極の邪悪は、いかしておく訳にはいかないのである。
これほど、殺意を募らせたのはいつぶりだろう。魔道の学府で学んでいた頃だって、此処までの殺意を滾らせたことはなかった。
今になって思えば、何もかもがおかしかった事に、不信感を抱くべきだった。
そしてこんな事だからこそ。
奴に対して、隙を見せてしまったのだとも。
順番が逆だったのだろう。
孤児院は、どこかしらの信頼出来るものに任せ。
英雄の所に合流するべきだったのだ。
そうすれば、少しでも戦乱の終結を早める事が出来た。より多くの子供達も、救う事が出来たはずである。
近視眼的な思考の末に。
全てを台無しにしていたのは、今も昔も同じだ。だから、駄目だったのだ。
結局の所、奴に目をつけられなくても、子供達を不幸にしていたのかも知れない。
そう思うと、ハラワタが煮えくりかえりそうになるが。
それもすぐに収まる。
此処が虚無の土地で良かった。
素直にそう思えていた。
しばし思考を巡らせて、一つずつ自分への怒りを解きほぐしていく。絶望を処理していく。
方向性を与えられれば、後は難しい事では無かった。
一月ほど、だろうか。
じっと座ったまま、食事以外では動かず、思考を巡らせ続け。
己を縛り上げていた、完全な網を解きほぐしていく。
一つずつ解きほぐす度に。
怒りが、静かに消えていくことが分かった。
自縄自縛に陥っていた亡者である自分が。
戦うべき真の相手への、戦意を滾らせていくことが分かった。
ほどなくして。
長老が来た。
全てが、心の中で整理がついた。
自分がするべき事は、あの子達の死を嘆くことでは無い。勿論あの子達の死を忘れてはいけない。
するべき事は、奴にさせられた悪逆の限りを忘れず。
死なせてしまった全ての者の名を忘れず。
そして、奴を破滅させることだ。
英雄達だけでは、大きな犠牲を出すかも知れない。伊達に世界最強の魔道の使い手ではないのだ。
あらゆる攻撃に対して完璧な守りを誇る邪悪な術も持っていた。
対抗できる術も存在するが。
それが英雄の手に渡っていたかは分からない。
英雄が奴を倒せるのはほぼ確定だろうが。
しかしながら、それには大きな犠牲を伴う可能性が小さくないのである。
それならば。
償いの内容は、分かりきっていた。
「どうやら、上がりを迎えることが出来そうですね」
「ご迷惑をお掛けしました」
「……貴方のように真面目な人間は、時に一つの何かに狂ってしまうことがあるのです」
長老は、自分が思えばそうだったと話し出す。
そういえばそのような事を言っていた。
お互い、世界の犠牲になったもの。
そう思うと、何ともしっくり来るものがあった。
苦笑は、している暇も無い。
子供の姿。
己の罪を現すようなこの姿ともお別れだ。
送別会をするという。
頷くと、この世界を離れる準備をする。
神がいるというのなら。
せめて罪滅ぼしに、あの邪悪なるものを滅ぼすための、手助けをさせてほしい。
それだけが願いだ。
静かに、皆と話し合う。
ずっと何も喋らないことで有名だった自分が喋るのを見て、集落の者達は驚いていた。皆に、静かに事情をつげ。そして此処を離れる決意がついたことを話す。皆、或いは驚き。そして自分の事のように怒ってくれた。
何人か静かにしていたのは。
きっと長老が、意見をまとめるために話をした。つまり情報を共有した有識者達だろう。彼らにも、感謝しなければならない。一人では、絶対にどうしても気付けなかったのだから。
やがて、ささやかな送別会とも言えない宴が終わると。
後は静かに最後の時を待つ。
ふと、気付くと。
何もかもが灰になって行くのが分かった。
ああ。そうか。
やっと、皆の所に行けるのだ。
そしてもしも許されるのなら謝罪し。更に許されるなら。皆の仇をとるために、助力をしなければならない。
光が見える。
あれが神だなと。
孤児院長をしていた事を思い出しながら。
静かに、悟っていた。
言うべき事は決まっている。
もはや、それ以外に。
自分がする事は無い。
4、邪悪滅すべし
無数の分身を産み出して、それによる消耗戦を仕掛けて来た闇の大魔道士との死闘は激戦を極めたが。
しかし、途中で不意に闇の大魔道士の分身が出現しなくなった。
英雄の右腕と呼ばれた戦士が突破口を開き。
そして、英雄に許され。
軍に加わった暗殺組織の生き残りが、闇の大魔道士の元へ突貫した。
彼女は、暗殺組織を率いていた師か、それ以上にまで成長しており。
この戦いでは、光の最上位魔法を任されていたのだ。唯一、闇の大魔道士が使う、闇の最高位魔法に比肩できると言われる光の魔法を。
光の最上位魔法が、文字通りの奔流となって闇の大魔道士を襲う。
余裕を持って迎撃しようとする闇の大魔道士が、不意に恐怖に顔を歪める。闇の最高位魔法が放たれるが、どうにも精彩を欠いた。おのれ亡霊が。闇の大魔道士が叫ぶ。
其所へ、魔法のぶつかり合いの中を果敢に突貫した英雄の右腕が。
一刀の元、闇の大魔道士の首を刎ね飛ばしていた。
体を、光の魔法が焼き尽くす。
首は転がって段差を落ちていき。
そして、元から存在しなかったように、消滅していった。
「気を付けろ! 奴は前の戦いでも殺したはずだ! どんな隠し玉を持っているか分からないぞ!」
そう叫んだのは英雄。
それを英雄の右腕は、側で見ていた。言われた通り、剣に手を掛けたまま、周囲の警戒を続ける。
呼吸を整えながら、暗殺組織から引き戻した者が、側に来た。
訓練兵だった時から一緒にいて。
途中から暗殺組織に戻り。
何度も干戈を交えながらも。
洗脳を解き、どうにか仲間に引き戻すことが出来た
歩み寄ってくる彼女の手を掴んで、引き上げる。
周囲にもう敵の気配はない。それでも油断せず周囲に目を光らせながら、英雄の右腕は聞く。
「大丈夫?」
「はい。 貴方こそ、いつもその勇敢さには驚かされるばかりです」
「いいのよ、そんな風に話さなくても。 それにしても、一体どうしたのかしらね。 あのクソ爺、途中から苦しみだしたように見えたけれど。 幻覚でも見えていたのかしら」
「……何となく分かります。 先生が……一瞬だけ見えました。 あの大魔道士の力を抑えてくれました。 そうでなければ、きっと闇の大魔法が、多くの味方を飲み込み、エジキにしていたでしょう」
振り返る。
激しい戦いで、傷ついた味方多数。此処には少数精鋭で来ている。時間が無かったからだ。
増援を呼びに戻っている暇も無い。
さっと計算。
このままなら、応急処置、更には負傷者の撤退を考えても、充分過ぎる戦力を確保出来る筈だ。
奥へ急ぐべし。
そう判断する。
奥には闇の大魔道士が復活させようとしていた、暗黒竜が目覚めようとしている竜の祭壇がある。
祭壇があるであろう場所には凄まじい殺気と戦意が渦巻いている。
今まで多くの敵を斬ってきた。
この戦争が始まる時には新兵だったけれど。英雄の右腕と呼ばれる程、戦場では膨大な活躍をしてきた。討ち取った敵将は数も知れない。だから、気配や敵の実力は、正確に見抜けるのだ。
英雄が来たので、敬礼して状況を報告。
英雄は頷くと、英雄の右腕と呼ばれた剣士と。以前は自分を狙った暗殺者の娘を。交互に見た。
「二人ともよくやってくれた。 此処で大きな被害を出すわけには行かなかった」
「はいっ。 この様子だと、手当の時間も短縮できます。 すぐに進みましょう」
「君は体力底知れずだな」
「ふふ、先輩方のご指導あってのことです」
英雄の右腕はにっこり笑う。
そして、手当を始める皆を見回しながら思う。
あの暗殺組織の本拠となっていた孤児院。
彼処の長について、周辺の街を通るときに、情報を得ていたのだ。
元はとても優しい先生で。
そんな非道をする人では無かった。
いつも戦災孤児を如何にして守り、幸せにすることばかり考えていて。凄い魔道の使い手なのに、戦争をとことん憎んでもいたと。
だとすれば。あの狂気に塗れた姿はおかしすぎる。
闇の大魔道士に洗脳でもされていたのだとすれば。全てのつじつまが合う。
そして、さっき聞いたとおり。
もしも、孤児院の先生が助けてくれたのだとすれば。この先に進むための、余力を残してくれたとも言える。
声が上がる。負傷者の手当、後送完了と。
英雄が言う。
先に進むぞと。
もちろん最前列は、英雄の右腕が進む。英雄の盾に、或いは剣になるために。
更に決めているのだ。
この戦いが終わったら、小さな屋敷だけ貰って引退すると。
先の大戦が終わった後。英雄が二人いたことが問題になった。一人は今そこにいる英雄。もう一人は祀り上げられた挙げ句、心を病んで闇に落ちてしまった。
そうなってはならない。
だから、引退して、英雄は一人だけにする。英雄の右腕が、英雄になってはならないのである。
さあ、最後の戦いだ。
如何なる理由があろうと、この奥にいる暗黒の竜がやろうとしてきた事。やってきた事は許されない。
全ての禍根を、これから断つ。
全てを見届けた。
あの闇の魔道士の術は、側で見ると分かったが、本人にも制御し切れていなかった。だから、少し制御を乱すだけで充分だった。
まさか、後ろから制御を崩されるとは思わなかったのだろう。
分身を作る魔法を、同時に発動していたこともある。
そして、力量が迫る魔道士と、力をぶつけ合っていたこともある。
だから介入は簡単だった。
目を剥いた奴に後ろから囁いてやった。たっぷりと怨念を込めて。
お前を迎えに来た。
多くの子供達の無念、晴らさせて貰う。
恐怖に目を向いた闇の魔道士が、首を刎ね飛ばされ消し飛んだ後は。その魂を捕まえ、握りつぶした。これで二度と奴は復活することはない。
もう誰にも見えていない。
あの子は、生きていた。
自分を超えるほどにまで成長して。
そして守り抜くことが出来た。
それだけで、まずは一段落だ。
神の声が聞こえる。
「大望を果たしましたね」
「はい。 それでは、地獄へとなんなりとお連れください」
「貴方はもう地獄に落ちるべきではありません。 既に一度地獄に落ちたではありませんか」
「しかし……」
多くの子供達を。無為に死なせてしまった事に変わりは無い。
それを告げると。光の。形さえ伴わない意思は、言い聞かせるように言う。
「貴方がするべき事は、同じような犠牲者を出さない事。 別の世界にて、犯した罪以上の功績を立てなさい。 多くの子供達を救い、そして世界のために貢献するのです」
「……よろしいのですか」
「殺された子供達は、既に皆救いの世界に引き上げています。 後は……貴方だけですよ」
そうか。
涙が零れそうになる。
もう肉体もないのに。
虚無の世界と違って、霊体になった此処では心もちゃんとあるようだ。
不思議な話である。
言われるまま、光の中に。
子供達にせめてわびたいが、それは許される事では無い。だが、光の中に意識が溶けるとき、確かに聞いた気がする。
先生、と。
嗚呼。
このような罪人を、まだ先生と呼んでくれるのか。
誰一人守れなかったのに。
いや違う。
これから、守るのだ。
機会を貰った。
今度こそ、守り抜かなければならない。
そして次は、近視眼的な所を直して。大局を見て動けるようにならなければならないだろう。
そうでなければ、同じ事を何度でも繰り返すはずだ。
やがて、新しい世界が見えてくる。
此処で生き、そして多くの子供達を守る。
そう言い聞かせる。
前は出来なかった事を今度こそ成し遂げるのだ。
意識が徐々に消えていく。
だが、その強い目的だけは残った。
強い強い、近視眼的であってはならないという気持ちも。
(続)
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