大罪人
序、塩の柱
災厄については、最近長老も楽しみにしている。というのも、どうせ何も起こらないに等しいし、皆が手際よく復興できるし。
何より、色々な災厄が起きて面白いからだ。
不謹慎かも知れないが。
災厄そのものは、この亡者の体にとってはなんでもない。
死のうがどうしようが速攻で元に戻る。
過去の災厄には、数万度、数十万度の熱で焼き尽くされたものもあった。あれは恐らくだが、超新星爆発に巻き込まれたのだろう。
だけれども、それでも再生した。
そういう場所なのだ。
だが、今回の災厄は。
いつもとちょっと違っていて、思わず小首をかしげてしまった。
ばりばりと、体を引きはがす。
これは、塩か。
ぴかっと何かが光ったのは覚えている。
だが其所までだ。
光った後、しばらくして気付くと、何かコーティングのようにされていて。そして今、塩の柱になっていたのだと気付いた。
何だこれは。
新入り含め、皆を助け出す。
集落は無事だ。
これは今回は、亡者だけを狙い撃ちにする災厄だったのだろう。いや、集落の真ん中にある木も塩漬けになっていた。
しかし、それも塩がくずれて、すぐに元に戻る。
小首をかしげていると、蜥蜴顔の男が教えてくれた。
「これは地球の一神教の伝承ですわ」
「ほう。 どういうものなのでしょうか」
「悪徳の街ソドムとゴモラを襲った災厄ですね。 神の怒りの光が降り注ぐと、住民は塩の柱になってしまったのだとか」
「へえ……」
神の怒りか。
長老を滅ぼした神は、怒ってはいなかった。長老が宇宙そのものに害意を持っているので、やむなく排除した。
そういう雰囲気だった。
悪だったから殺したのでは無い。
宇宙の管理者。高位次元の存在として、排除せざるを得なかった。そういう印象を受けた。
それに対して、頭に来たから塩の柱にする、か。
悪徳も背徳も、人類の文明にはいつもつきものだっただろう。
だいたい一神教の神は、虐殺を平気で行う苛烈な正義の神だ。もしも悪徳と背徳に怒りを見せるというなら。
地球人類は、何度も塩の柱にされて滅びているだろう。
要するにその神話。
火山の噴火か何かを、神話として描写したものなのだろう。
そして迷惑なことに。
その災厄が此処で再現されたと。
ともかく、新入りを確認する。
粗末な服を着た、小さな子供だ。まだ性別は分かりづらいが。中身は少なくとも男だとみた。
ぼんやりとしていたが。
今回は復興作業がない。
連れ歩いて、話をする。
ある程度話は理解出来るようだったけれど。不意に立ち止まると、顔を上げた。
「そ、そうだ……私は……!」
「どうかなさいましたか」
「私は、死んだんだ……」
「そうですよ。 だから此処にいるのです」
違うと、子供はいう。
死んだ後、死体を利用されて。そして兵器にされていた、というのである。
何だそれは。
どんな時代に生きたのか聞いてみるが、そうすると古い古い時代だ。しかも魔法などが存在したという。
となると、物理法則から異なる異世界か。
確かに今までも、そういった異世界から来たものはいた。
だが、ここに来ると、戦闘スキルの類は全て無くなる。長老だって、それは同じである。そういうものなのだ。
いずれにしても、今までは話は聞けていても。
どうも頭自体は働いていなかった、と言う事らしい。
咳払いすると、もう一度此処について説明していく。少しずつ、状況を飲み込んでいく様子だが。
どうもおかしい。
何か此奴、隠していないだろうか。
目を細めると。
じっと、相手を見つめる。
相手は怯えたように振る舞うが、それが嘘なのは一目で分かった。これでも嘘にこっぴどく騙されて、酷い目にあった事がある。生きていた頃の話だ。それによって、大事なものを失った。
だから、すぐに理解出来た。
「この場所では貴方の悪辣な策謀は何の役にも立ちませんよ。 勿論嘘をついても全て無駄です」
「……」
「いずれにしても、此処の法則を理解してください。 他人への暴力脅迫も一切無意味なので、それも理解しておくのですよ」
「……そうか」
凄絶な笑みを浮かべる子供。
とはいっても、感情が消えている亡者だ。
それも、大したものではない。
もっと凄まじい表情を、長老は生きているときに、彼方此方で見て来た。一番凄まじかったのは。
何もかも失った時。
鏡で自分の顔を見たときだろうか。
あの後、何かが決定的に壊れ。そして、決定的に間違える切っ掛けを起こしてしまった。あの時の自分に比べれば。
この程度の悪党。
正直どうでもいい。
世界の仕組みを説明して回る。
魔法とやらが使えるかどうか試してみるように促す。案の定、そんな力は発動しない。勿論念入りに待つ。何をやっても無駄だ。
青ざめる子供。
長老は、此処では暴力は一切無駄だと示すために。
敢えて、その辺りに落ちていた石で、自分の頭を思い切りぶん殴って見せた。
勿論傷などすぐに消えていく。
痛みだってない。
これを誰もが知っているから。
此処では脅迫とか、恐喝とか。相手を拘束しての実験とかも、何もかもが無意味。そして相手を拘束すること自体が、そもそも出来ない。拘束しようという暴力への意欲が消えてしまうのだ。
呆然と立ち尽くしている子供の手を引いて、歩いて周り。
此処から物理的に出られないことも証明した後。
上がりを迎えた者の家に、子供を送る。
今日から、此処が新しいその子供の家だ。
蜥蜴頭の男が来る。
じっと、子供の様子を見ていたが。
あまり良い気分はしなかったらしい。
「長老、あれは……」
「どうやら生前相当なことをして来たようですね。 私ほどではないでしょうが」
「今も反省している様子はないでしょうな、アレは」
「……しばらく様子を見ましょう」
頷くと、蜥蜴頭の男は、警戒すると言って側を離れた。
警戒してもしなくても同じだ。
此処では武器などの全てが意味を成さないのである。暴力などの全てが、相手にダメージを与えられない。
そもそも死んでも即座に復活する上に、代謝も欲求もない。感情すらもが、沸騰することは無い。
どんなシリアルキラーでも。
ここに来れば完全に牙を抜かれてしまう。
此処は文字通り虚無の土地。
外がどうなっているかはまったく分からない。
だからこそに。
あの子供の様な姿をした怪物は、此処に送り込まれてきたのかも知れないが。
塩の柱から脱出できていない者はいるか。
見て回る。
今の時点で、アレによって完全拘束されている者はいない様子だ。服もきっちり再生している。
此処では服は体の付属品のようなもので。
破こうが燃やそうが再生する。
でなければ、毎回破滅の度に服がなくなって、そして皆裸になっているだろう。性欲がないから関係無いのだが。
この今着ている喪服のような黒い服であっても。
それは同じ。
そもそもそうでなくても、万を超える年月この服のままなのだ。代謝がないだけではなく、此処には風化さえもない。
文字通りの虚無。
だからこそ。
納得いかずに死んだ者が来るには、丁度良いのだろうが。
しばしして、後片付けが済んだ。
普段は一月は掛かるのだから早いものである。手を叩いて住人を集める。新入りも、きちんと来ていた。
此処の説明は既に完全に終わっている。
だったらこれ以上かまうこともないだろう。様子を見ながら、此処を上がれるように、話をしていけば良い。
此処には善人も悪党も来る。
多分あの子供、中身は相当にいかれた悪党だったとみたが。
それでも此処ではそもそも、犯罪そのものが成立しないし。
犯罪という行為を行おうという気にさえなれない。
これは巨大な感情によって圧倒的な破壊を宇宙にもたらし続けた長老でさえそうだったのである。
誰であっても同じだ。
「それでは、復旧がなかっただけでも良しとしましょう。 解散」
「解散だ」
蜥蜴頭の男が言う。
彼は長老の次の古参。皆も、それについてどうこう言うことは無かった。
さて、今度来た新入りは、毒物に等しいが。別に此処にいるのは長老含めて悲劇の主というわけでもない。
此処が地獄の可能性もある以上。
別に何が来ても不思議では無い。
しばし、横になって眠る事にする。眠りすら娯楽であるこの世界。そいつが。新人が家に忍び込んできても、何とも思わなかった。
おもむろに長老を拘束しようとするそいつだが、どうしても上手く行かない。
しばし四苦八苦して。
そして、ため息をつく。
悪意が働かない。
勿論善意も。
相手に対して罵倒の類も出来ない。
此処は、そういう場所なのだ。
「満足しましたか?」
「これでも生前は学者だったのでね。 言われても、そのまま納得する訳ではありませんよ」
「学者、ですか」
「貴方の文明は話を聞く限り、私の文明とは桁外れの代物だったようだ。 むしろ興味が湧いてきましたよ。 私が其所にいったら、何をできたのか」
何もできなかっただろう。
長老のいた世界。長老のいた国では、育成という概念が存在しなかった。
学者は捕獲してくるものだった。
捕獲した学者を働かせて。
そして新しいものを無理矢理に開発させていた。
此奴もそうなっただけだ。
長老が生前に犯した罪は数多い。
その中には、ありとあらゆる非人道的行為が含まれている。それさえも、愛のためだと思い込んでいた。
それが間違いだったと気付いたのは。
全ての終わりを起動して。
そして蹂躙の限りを尽くして。最後の最後に、あのまばゆい光。長老がいた世界の高次元生命体、つまり本物の神を見たときだっただろうか。
何もできなかっただろう事を告げると。
子供はため息をつく。
「何ともつまらない世界ですね。 何かを知ろうとか、試してみようとか、貴方は思わないのですか」
「私に取っては愛が全てでした」
「愛など本能に起因するものに過ぎませんよ」
「ふふ、そうですね。 私はその本能に従って、宇宙の全ての生命を無に帰そうとしましたが」
さっと子供が青ざめる。
流石にそれほどの事とは、思っていなかったのだろう。
こうやって長老を拘束しようと忍び込んだのもそれが故。
長老が自傷しても無駄だと言う事は見ていて確認できた。
死んでも再生する事も。
この世界から脱出するのが無理なことも。
だが拘束したり、実験したりすることはどうか。
それを試してみたかったのだろう。
まあ、無駄だった訳だが。
「素直に家に戻りなさい。 此処は静かに、己の納得出来なかったものを解決する場所です」
「……完成したのに」
「何がです」
「私は死を克服した……! 人間を止める必要はありましたが、それでも死を克服したのですよ! 世界でもっとも偉大な研究だ! それなのに、どうして!」
なるほど。
此奴の生きていた世界において魔法とやらは、余程すぐれた技術だったらしい。
それがどれほどのパワーを持っていたかは分からないが。
少なくとも、星を砕く事は無理だっただろう。
肩をすくめる。
「死を克服、ですか。 私も擬似的にですが、似たような事は出来ていましたよ。 つまり貴方は、此処ではさほど珍しい存在でも無い、と言う事です」
「なんと……」
「分かりましたか? この世に特別なことなど何も無い。 完成させたと思ったものは、人間である限り完璧である事などあり得ない。 ……もしも納得して果てていたのなら、此処になど来ていないでしょう?」
ぐっと、口をつぐむ子供。
そして俯くと。
長老の家を出ていった。
この家にこっそり忍び込んできた奴は久しぶりだ。桁外れの悪意を持っていた、と言う事なのだろう。
それでも、この程度の事しか出来ない。
此処はそういう場所なのだ。
それにしても、どんな世界から来たのだろう。
いずれにしても、話をして、じっくり接していく必要があるだろう。
幸い此処では、どんな狂人であろうと、精神が崩壊していようと、全く関係がない。強すぎる精神は中和されてしまうから、元がどうであろうと関係がないのである。
アレはスプリーキラーかシリアルキラーか、それに科学者を合わせた存在か。いずれにしても、ろくでもない者だったのだろう。
今でも真面目に死を克服したなんて寝言を口にしている事からも。
生前は余程な人物だったのは間違いない。
さて、彼奴をどう上がらせるか。
まあ、それも鬱屈を解きほぐしていけば別に良いだろう。
どんな精神構造が破綻した奴でも。
納得はそれぞれの形で出来るはずだ。
何しろ、長い時間を掛けて長老でさえ変わってきているのだ。
恐らくもっとも宇宙で罪深いだろう長老が、である。
寝直すことにする。
そして起きて来て。
食事をしていると、蜥蜴頭の男が来た。跪き、幾つかの話をしてくれる。
「あの新入り、他の者の家に侵入して、どこまで出来るか色々試していたようです」
「うちにも来ましたよ。 私を拘束しようとしました。 多分拘束して、色々実験しようと試みたのでしょう」
「またそれは、随分な目にあいましたな」
「気にしてはいませんよ」
食事を終える。
ゴミの一つも残らないし、代謝がないから排泄もしない。本能のまま、この木に引き寄せられて、美味しくもない実を食べる。
此処で、唯一の不満だ。
「監視しますか? 俺ならかまいませんが」
「必要ありません。 むしろあがけばあがくほど、疲れるのが早くなります」
「なるほど……それもそうですね」
「放置しておきなさい。 どうせ、何もできないのですから」
そう。
此処では何もできない。それこそが、重要なのだ。たくさん上がりを迎えていく者を見たからこそ、そう結論出来る。
どんなに心を病んだ者でも。
此処で長い時間、虚無の中で過ごしていくうちに。
己の納得を見つけて。
旅だって行くことが出来る。
その旅立つ先が何なのかは分からないけれども。
それでも納得の先にあるのだ。それぞれにとって、悪い場所では無いだろう。
或いは本物の地獄かも知れないが。
それもまた一興だ。
少なくとも長老は、もし本当の地獄に落ちるとしても、後悔などしない。其所が無であっても構いはしない。
何人かと話をして回る。
しばらくこれといった逸材が来ていないから、最近の上がりの間隔は長めだ。
だから、長老としては。
少しずつでも話をして、上がりの手助けをしたいとも思っていた。
1、サイコパス
何時からだっただろう。
死が怖くて仕方が無かった。
人があまりにも簡単に死ぬ場所で生きてきたからだろうか。
あまりにも身近すぎたからだろうか。
死ぬと人は簡単に腐り果て。
そしてどろどろに崩れていく。
どれほど美しかろうと同じだ。
偉大なる神が存在すると聞いている。ならば、どうしてこのようにむごい姿を皆にさらさせるのか。
最初は、そう考えていた。
やがて自分には魔法の才能がある事を知った。必死に勉強したが、思えばその時から既に箍が外れていたのかも知れない。
並外れた才覚があるという事で、偉い魔法を使う者に弟子入りを許されたが。
二年と掛からず相手を超え。
更に破門された。
外道と言う事が理由だった。
外法に躊躇無く手を染め。そして犯罪者が相手とは言え、非人道的な実験を何ら躊躇わないというのである。
だから追い出されたが、別に何とも思わなかった。
むしろ師と呼んでいた相手を軽蔑さえした。
其所からは主に独学に移った。
結婚して子供も出来た。
だが、子供さえも実験の材料にした。妻も勿論そうした。
悪意からでは無い。
単純な興味からだ。
そして導き出した結論がある。
どのような悪徳が行われようと、神はそれに興味など一切持っていない。人間が何をしようと、どうとも思わない。
死ぬと天使に転生する者がいるようだが。
それは恐らくだが、神の尖兵として丁度良いから、というのが理由であったのだろう。
正直な話、神の尖兵にされることなどどうでもいいし。
何よりも、このような地上の有様を放置している事こそ、神の無能をこれ以上も無いほど露骨に示していたし。
そして、どれだけの悪行を積もうとも。
天罰などくだらない事も、よく分かっていた。
だからこそ、際限なく行動は加速していった。
自身の子供を実験にして、死を克服する研究を始めた。兄は実験台に出来たが、妹には逃げられてしまった。
まあ別にそれはどうでもいい。
戦乱の時代。
材料は幾らでも転がっていた。
そして実験を重ねた末に、ついに死を克服する。それも神の尖兵になって洗脳されるようなこともなく、自我を保ったまま……方法を発見した。
それは外法の中の外法。
不確実な「吸血鬼」という存在になる方法ではなく。
自主的に制御したままなる、文字通り究極の存在。
すなわち「リッチ」への転生である。
やがて戦乱の中、外法のやりすぎで目をつけられていたからか。
討伐隊が差し向けられ。
そして逃げた先まで、そいつらは追ってきた。
最高傑作の試作品まで倒された。
だが、躊躇無く自分を実験体にして。
ついに秘法を成功させることに成功した。
その後は、しばらく安泰だろうと思っていた。どうせ放置しておいても大丈夫だろうと思っていた。
何しろ潜んだのは究極の迷宮の最深部。
どれだけの豪傑だろうがこれるはずがなかった。
迷宮の者達を蹴散らし従え配下にし、そして完全な安息の中、更なる完璧を求めて研究を続けられるはずだった。
だが、奴は来たのだ。
これといって取り柄もないはずの若造が。
その時、憎悪が煮えたぎった。
退路はなし。
別に歴史に関与するつもりも無い。
ただ此方は実験に専念したいだけ。それなのに、どうして執拗に。「人道に反した」とかいう理由で追ってきたのか。
自分が人道に反していたというなら。
戦乱がずっと続き。
狂信のまま人間同士が喰らいあい殺し合い、魔界からの介入まで許している地上を放置している神は何だというのか。
自分を討つ前に討つ相手がいるだろう。
そう吠えたが。
相手は聞く耳を持たず。
そればかりか、相手の中には、自分以上の憎悪を燃やした娘と。それを守ろうと、未完成品のくせに動き続ける息子の姿もあった。
何か、何処かで動揺したのかも知れない。
討たれた。
完璧だったはずの研究がくずれさり。
そして倒された。
愕然として、全てが消えていくのを感じとりながら。ただ、ひたすらに世界の理不尽を呪い。
そして気がついたら。
ここに来ていた。
それが、その者の生と、その後だった。
長老とやらに聞かされ。実際に実践もしてみて。確認した。此処は文字通りの地獄であると。
何だ此処は。
創意工夫も許されない。
苦労して身につけた力も何一つ発揮できない。
作った所で定期的に来る破滅で全て駄目になる。
そんなもの、死んでいながら生きているのと同じでは無いか。
いや、そもそも今は亡者か。
死ぬのは別に怖くは無い。というか、死などそれこそどうでもいい。実験の素材にしてきた事も。
実験の材料にしてきた者達も。
苦しもうが恐怖に悶えようが。
それこそどうでもよかった。
不満があるとしたら。地獄とやらがあるなら、どうして神とやらが落ちていないか、と言う事だ。
或いは落ちているのかも知れないが。
だとしたら落ちている姿が見たい。
反吐が出る話だとも思う。
あれだけの理不尽を世界中にばらまいておいて。何故に、自分だけがこんな地獄に落ちなければならないのか。
不公正だらけの世界を作っておいて。
何が神か。
前から徹底的に軽蔑していた相手だが。
今は憎悪さえ感じる。
前は嘲笑していたが。
今はそれが怒りに変わっていた。
ため息をつきながら、膝を抱える。
魔法が使えないなら、不死も何も無い。そもそも絶対死なない亡者という研究の究極を、独占するのでは無く文字通りの地獄のギミックにされては、此方としてはお株を奪われたようで面白くないのである。
長老とかいうのは言っていた。
アレは恐らく。見かけは黒服の女の子だが、中身は違う。話す限り、凄まじい規模の国家の覇王か何かだったのだろう。
奴は口にした。
此処は納得出来ずに死んだ者が来る場所だと。
その通りだ。
全く、何一つ納得など出来ていない。
研究が結局未完成だったことも。
死を克服した筈なのに結局体が滅びたことも。
こんな世界に来た事も。
神が野放しにされていたことも。
そしてクズ共ばかりがのさばり、世界は結局何一つ良い方向へ等向かって等いなかった事も。
むくれて膝を抱えていると、長老が来る。来るように促されたので、無言で従った。なんというか、逆らう気が起きないのである。
生きている間は、文字通り天上天下我が意思のみありという感じであったのだが。
ここに来てからは、どうも調子が悪い。
勿論反省なんぞするつもりはない。
そもそも悪とは何か。
そんなもの、嫌と言うほどやってきた。
だが天罰など受けた事も無い。
結局自分を切ったのは、正義気取りのエセ野郎の剣だった。その出力が高かっただけだった。
「何用でしょうかね。 放って置いて貰えませんか」
「そうもいきませんよ。 私は此処の長老ですから。 上がりを迎えて貰うのが、私のするべき事です」
「誰が長老だと決めたのです」
「勿論自分です。 此処に最も長くいて、最も能力が客観的に見て高い。 それだけの理由です」
随分な自信だな。
そう思ったので、幾つか問答をふっかけてみる。
魔法の理論を最初に説明し。
それについて、問題を幾つか出してみた。
絶句したのはその後だ。
すぐに相手はすらすらと答えてくる。
そして、説明しなかった部分についての応用問題についても、普通に反論をこなしてきた。
引っかけ問題も多数混ぜ込んでいたのに。
いずれも全て粉々に粉砕された。
涼しい目をしていやがる。
そう思うと、苛立ちに体が焼けそうになるが。しかし、魔法が使えない今、出来る事などない。
ただ拳を固めて。
負けを認めるだけである。
「恐らく、法則が違う世界なのでしょうね。 微妙に違う発達を遂げた結果、徹底的にあらゆる全てが違ってしまった世界なのかも知れません」
「魔法がないなんて、此方からして見れば信じられない世界ですよ。 畜生ですら魔法を使う世界だったのに」
「色々な世界から此処には人が来ます。 別に不思議な事ではありませんよ」
「いや、不思議でしょうよ」
そういうと、長老は今度は自分がルールを説明して、そして色々と質問を返してくる。
幾つか、返答に困った。
此奴、科学者がいらないとかいっていたが。
此奴自身が、科学者など必要ないほどの知識を持っている、というだけなのではないのか。
悔しいが認めざるを得ない。
此奴は、学者としても自分より上。
客観的に見て長老に相応しいと豪語していたのもあながち嘘ではない。此奴は正直、手に負える相手では無いかも知れない。それほどに桁外れな圧を感じる。生きていた頃には、全く感じたことがないほどの圧だ。
目を細めて、長老は此方を見ている。
心理を的確に掴んでいる、と言う事か。
何たる不愉快。
見透かされるなんて、いつぶりだろう。
正義を口にし、相手の事情などどうでもよく。ただ戦い続けていたあの小僧は。此方を理解出来ていなかった。単に感情的に不愉快だから討ちに来ている。それが目に見えていた。
息子も娘も。妻も。全てがそうだった。
此奴は、ものが違いすぎる。だが、恐怖は感じない。それが、虚無そのものという事なのだろう。
「貴方の心残りについて聞かせてください」
「研究が完璧では無かった事です」
「ならば納得するのはむしろ簡単ではありませんか」
「何がです」
いちいち神経を逆なでされる。
そして、長老の言葉は、子供の胸を強烈に抉った。
「完璧な研究など、存在し得ない」
「……っ!」
「先に私の世界の法則について話をしましたね。 此処に来たものから聞いた言葉があります。 ……高度に発達した科学は、魔法と見分けがつかない。 魔法が実際にある世界の住民と話して、それが真実だと確信できましたよ。 そして貴方の世界の魔法は、そもそも自分以外の力によってもたらされ揺らぐものです」
その通りだ。
神話を見る限り、闇に落ちた神は多い。
古くの戦役では、何柱もの神が「暗黒道」と呼ばれる闇に落ち、天に牙を剥いたり、魔界に幽閉された。
それらの力も行使できるし。
そればかりか、場合によっては閉じ込めたり、或いは神そのものを使役する事だって可能だろう。
神は完璧では無い。
ならば、その神からもたらされる力も。確かに完璧である筈が無かった。
いや、それは考えてはならないことだ。
だって、もしそうだとしたら。
何のために、研究をしてきたのか。
己の研究は。
研究が全てだった人生は。
一体何だったというのか。全ては無駄だったとでも言うのだろうか。
絶句して、腹を抱えて蹲る子供を、長老は冷徹に見下ろしていた。気付く。此奴、子供の事を嫌っていると。
だが、それはそれとして。
上がりは迎えさせたいのだろうとも。
その方法は、とてつもなく強烈で。心の傷を、容赦なく抉り。無理矢理納得させるものになるだろうとも気付く。
だが、どうにも出来ない。
此処では感情を爆発させることも、相手に危害を加えることも出来はしないのだ。
喪服のような黒を着込んだ女の子。
このくらいの年頃だっただろうか。自分に反発して出ていった娘は。それは息子を生体兵器の実験体にすればそうなるのかも知れない。だが、あくまで完璧のために礎だったのだ。
実際、自分を実験台にすることだって厭わなかった。
少なくとも平等だった。
神と違って。
「ふむ、どうやら最初から研究が完璧では無かった事には気づけていたようですね」
「……」
「ここに来る者は、心残りが一つだけとは限りません。 多くの心残りを持ったまま、来る場合もあります。 貴方の場合は、恐らく。 自分の研究が無駄だったという事以上に、大きな心残りがあるのでしょう」
「だ、だまれ……」
くつくつと笑う長老。
目に悪意は無い。
だからこそに、凄まじいまでの悪寒が背中を走った。
此奴は、とんでもない闇を見て来た目だ。
一体自分は、何を目の前にしている。
恐らく、闇に落ちた神を目の前にしても、どう実験するかを考えられた自信がある。だが、此奴は。
生唾を飲み込む。
長老は、静かに。無愛想な顔のまま、諭すようにいった。
「貴方の本当の心残りは、恐らく他の者と接すること無く見つけることができるでしょう」
「そ、それが何だというのです」
「手が掛からなくて助かると言う事ですよ。 私は出来る事をしました。 後は、貴方が自分でどうにか出来る筈です」
無言で蹲っている子供を後に。
長老が去る。
舌打ちして、地面を拳で殴るが。
痛いだけだった。
それも、記号的に痛いだけで。傷もすぐに溶けるように消える。心にも、ダメージが来る事はなかった。
自宅として与えられた掘っ立て小屋で、転がってぼんやり過ごす。
崖にへばりつくように作られる家々。
生きていた頃に暮らしていた島の光景だ。
此処は其所以下。
まるで古代の竪穴式住居。
毎回破滅に襲われて、全て押し流されるというのだから、まあ仕方が無いのかも知れない。作っても全て無駄になるのだ。
最低限の個人の空間だけあればいい。
そういう考えなのだろう。
だが、それにしてもこれでは、研究器具を作るとか、そういう事さえできない。研究は頭だけではできない。
ましてや魔法もないとなると。
完全に手詰まり、お手上げだ。
まさかとは思うが、神の野郎。
地上にも色々な神の解釈があったが、確かある国では、神は絶対の一つで、様々な神々はその側面に過ぎないとか言う解釈をしていたか。
別にそれはどうでもいい。
ともかく、まさかとは思うが。神にとって、これが子供に対する罰だとでもいうのだろうか。
だとしたら大正解だとしか言えず。
腹も立たない。
実際問題、人生を賭けていた研究を取りあげられ。それを継続さえ出来ない環境に置かれたのだ。
残りは何も無い。
世界の法則さえ違ってしまっているし。それを学んでも意味がまったくない。
何しろ、この虚無の場所を出た後、どこに行くかも分からないのだから。
頭を抱えて、しばらくもがく。
どうすればいい。
考えろ。
自分に言い聞かせる。
自分は、理不尽に抗おうとした。世界の不完全さを軽蔑した。だから完全になろうとした。
それは間違いの無い事実だ。
だが此処では。それも出来ない。
本物の虚無だからだ。
学んでも、その先がどうなるか分からない。文字通り、此処とは比べものにならない地獄に行くかも知れない。
大体納得そのものが出来るわけが無い。
研究が不完全だった。
それは負けたのだから、ある程度は許容できる。
だが、自分がやってきた事が間違いだった。
それは認められない。
神が何をした。世界は公平だったか。弱者は救われていたか。神がいない世界だったらまだ分かる。
信仰の中に神を飼っているような世界だったら、まだ話は分かる。
だが。そもそも子供が元々いた世界では、人間は神の尖兵として魔界の軍勢と戦いさえした。
そんな人間に神が何か報いたか。
戦乱と醜い政治闘争、邪悪の放置、そればかりか聖職者にさえ蔓延る腐敗。それらに鉄槌を下したか。下してなどいない。そんな例は見た事がない。
その全てが、神が無能である証拠では無いか。
くそ。畜生。
何度も叫びながら、地面をか細い手で殴る。
そういえば、このくらいの手だったか。
実験台にした死体の、一番小さいのはこれくらいの手だった。
生きたまま実験台にした者もいた。自分も含めて。
だが多くの場合、死体を拾ってきた。
何も死体があるのは墓場だけでは無い。
年がら年中戦争をやっていたのだ。
どこにだって死体なんてあった。
軍隊が動けば、幾らでも略奪や暴行が起きる。統制が取れていない軍隊の場合、味方の集落だろうがお構いなしに略奪し殺し尽くす。
死体に。実験材料に困る事なんて一度もなかった。
子供の実験材料だって、それこそ幾らでも手に入れる事が出来た。
そんな状態を見逃しておいて。
どうして真理に近付こうとした自分を、都合良く罰するか。
雄叫びを上げようとしたが、出来ない。
押さえ込まれてしまう。
こんな所まで虚無なのか。
反吐が出るような状態だ。
都合の良いところだけ、神を気取りおって。無能。クズ。役立たず。恥を知れ。
ありとあらゆる罵声を吐き出そうとしたが。
この虚無の空間ではそれさえかなわず。
ただ、虚しい沈黙が。その場に流れ続けるばかりだった。
2、許されざるもの
食事のために体が勝手に動く。これも非常に腹立たしい。しかも食事がまずいこと。
生きているときから、栄養しか基本的に興味が無かった。味なんてどうでも良かった。だから、食事についてはそれこそ自分の体を維持するためのものだった。
だが、それだからこそ。
勝手にさせろ。
そう言いたいが、どうも此処における唯一の本能らしい。
感情も代謝もなくなったこの虚無の狭い世界で。
木に定期的に出向いて、食事をする。
それだけは絶対の法。
しかも頭が来る事に、この木。どれだけ粉々にしようと、即座に元に戻るという。それもまた、腹立たしい話だった。
事実やった奴はいるらしい。
また、「上がり」が出る度に木も木っ端みじんにされているらしい。
だが、それでも木は平然と元に戻り続ける。
一体この世界は何なのか。
魔界ですら、此処よりはマシなのでは無いのかとさえ思えてくる。
孤独は平気な方だ。
というか、弟子入りしていた頃でさえ、基本的にずっと孤独だった。孤独は、むしろ落ち着く。静かになれる。
だが、それはあくまで、孤独の中で我を通していたから。
孤独にすら干渉され。
そして我を通すことは一から十まで許されない。
此処は子供にとって。
最低最悪の地獄とも言えた。
長老はあれから話しかけてこない。他の奴と、ずっと話していたり。或いは専門的な話をしている。
どうやら子供には、これ以上話す必要はなく。
後は勝手に自己解決すると判断したのだろう。
軽蔑の視線は感じた。
だが、あの長老、自分も軽蔑している雰囲気があった。少なくとも自分は好いていない。その辺りは、同族嫌悪的なもので分かる。
だから、嫌いだから近付いてこない、というわけではないのだろう。
ため息をつく。
こんな事は、過去には無かった。
生きていた頃には、無かった。
生きていた頃。
完全に駄目だと判断した倫理と世の中に唾を吐いた後は、自分が好きなように実験を続けた。
そして、失敗は勿論たくさんした。
だが、それは新しいものを発見するための必要な失敗だった。
たくさん殺したが。
それで天罰を受けるようなことなど一度もなかった。
たくさん命を弄んだが。
むしろ有用な研究として、色々な勢力に売り込むことだって出来た。
周囲は此方を怖れたが。
そもそも他人そのものに興味が無かった。自分の子だろうが、配偶者だろうが、同じ事である。
この世界に情など無意味。
それを知っているから、ずっと道など無視していたし。
その世界で暗黒道と呼ばれる非道だって、全く気にせず過ごしていた。
殺されたのだって、単に利害関係の調整を失敗しただけで。
負け側についてしまったから、というのが理由。
もう少し早く、勝つ側に売り込むべきだっただろう。
不死の技術を上手に売り込めば。
其方に潜り込んで、やりたい放題は出来たはずだ。
そういう点では確かに失敗した。
だが、それも運の類の話であって。
神などが干渉し。
天罰を与えたとかでは断じてない。
あの世界に神はいた。
確かに魔法は神由来の力として存在していた。
だが、それなのに、神は人間の凶行の限りを見過ごし。それを「見守っている」などと聖職者共はほざき。
むしろ政争にも戦争にも積極的に関与し。
自分で守るべき規範や倫理を破りに破っていた。
それがあの世界の人間と神々。
それに対しての対応。後悔などは一つも無い。
後悔があるとしたら、何の因果かこんな世界に来てしまった事。これでは実験も出来ないし。
今まで積み上げてきたものが、全て無駄では無いか。
何度でも再生する死人だから実験し放題だとも思えたのに。
実際にはそもそも魔法が発動しないし。何をやっても意味がない。
此処では戦うための技術そのものが全て役に立たない。
相手を無力化する事も制圧する事も出来ない。
感情も欲望も代謝も意味を成さない。
それでは、こんな所は。
一体何のために存在しているのか。
何が納得するためだ。
こんな所で、一体何を納得しろというのか。
もう一度溜息が出た後、気付く。此方を見ている視線がある。じっと、こっちを見続けている。
長老でさえ、完全に此方を見放したのに。
実験材料にでも出来るだろうか。
そう思って、此方を見る者を探る。
修羅場は散々くぐってきた。
逆恨みした奴が襲撃を仕掛けてくる事だって珍しくはなかったし。
視線の元をたぐるくらいは容易い。
今の姿。
今の自分と同じ年頃の子供くらいに見える相手だ。
はて。何だ。
如何に自分が危険かは、長老が周知している筈。いや、周知しなくても大丈夫か。此処には危険など存在しないのだから。
はっきりいって。何をしても良いから、好きなようにしろと言われても。相手が無抵抗であっても。殺せる気がしないし、相手に拷問とか、精神的なダメージとか、与えられる気がしない。
「何を見ているんですか?」
相手は見た感じ、まだ性別もよく分からないような年頃だ。
動きからいって本当に子供か。
周囲の人間がどんな奴で、どんな経歴の持ち主か何て、それこそ興味の一つもないので、覚える気が最初から無い。
だからこんなのもいたなとは思ったが。
それ以上は何も感じなかった。
いい加減鬱陶しくなってきたが。向こうの方から、近づいて来た。
面倒だな。来ないでほしいのだが。
そう思っていると、話しかけてくる。
「あの、おじちゃん」
名前を告げる。
きょとんとしているので、苛立ってもう一度名前を告げると、向こうはようやく理解したようで、頷いて名前を呼んできた。
そして、自分の名前も告げてくる。
知らない名前だった。
「何ですか貴方みたいな子供が。 私はオウガより恐ろしい存在ですよ。 手段さえあれば、貴方を死体兵器に改造したり、生きたまま実験をして内臓を引きずり出したりしますよ」
「……そういう人だったんだね」
「そういう人だったんですよ。 まあ楽しくて仕方が無かったです。 此処では何もできない上、こんなけったくそわるい子供の姿ですがね」
此処では性別さえ関係無い。
若い年頃の男女も見かけるが、つがいになる様子も無い。
要するに、此処はとても御清潔な場所、という事だ。
反吐が出る。
利害さえ一致していれば、子供(今の姿)の様なゲスにすら、配偶者が出来たのが生きていた頃である。
子供も普通に生まれた。
この辺りからしても、神が人間なんぞ見ていない良い証拠なのだが。
「おじちゃんは、何だか寂しそう」
「それはそうですよ。 此処では私が好きなことが何一つ出来ないのですからね。 実験も出来ないし、天に唾を吐くことだって出来ない。 此処まで何もかも封じられたら、私も腕が振るいようがないですよ全く」
「本当にそれが理由?」
「はあ」
何を言っている。
そう思った次の瞬間。臓腑が沸騰するような言葉を、相手が吐いていた。
「ひょっとしておじちゃん、天罰が下ったのが腹立たしいんじゃないの?」
「……なんだと小僧」
「小僧じゃないもん」
「じゃあ小娘」
襤褸を纏っている上に、まだ性別の特徴が出るような年でもない。性別もそれこそどうでもいい。
だから小娘だと言う事には気付かなかったけれども。
まあそれはどうでもいい。
今のは聞き捨てならない。
「私がやっていた事なんて、他の人間共に比べれば些細な事に過ぎませんよ。 何が天罰ですか。 聖職者が政争を煽り戦争を起こし、金を蓄え子供を犯す。 他の人間共はエゴを振り回して戦争を大喜びで繰り返し、嬉々として他者を殺す。 種族どうして争いあい、場合によっては魔界の力を得るために道だって踏み外した。 そんな人間共を放置していた神が、私にだけ天罰を下す!? 私は運が悪かっただけですよ。 そもそもあんな深い迷宮の最深部にまで潜って、以降はただ研究だけするつもりだったのに。 クッソ暇な坊やが攻めこんできたせいで、こんな事に……っ!」
「天罰だよそれは」
「どうして分かるんです!」
「貴方が見ていなかっただけ。 本当にそういう悪い人達は、報いを受けなかったのかな」
受けていたはずがない。
大往生を遂げたとされていたクソ坊主が、生前汚職の限りをしていた事を知っている。
大量殺人をしていた奴だって、騎士として尊敬までされていた。
ある国では騎士団のボスにそれぞれ通常騎士百人に匹敵するという怪物じみた使い手を配置していたが。
そいつらだって、殺しに殺してきた真っ赤な手の持ち主。
無慈悲な殺戮を繰り返したという点では。
子供より遙かに上だろう。
それがどうだ。
天罰など受けたか。
そう矢継ぎ早に言うが。
首を小娘は横に振る。
「それはあくまで生きている間の話。 神様があって天国もあったんでしょう?」
「ええ、無能な連中でしたがね」
「実際に会ったことは?」
「ありませんよ。 ただ無能なことは地上の様子を見ていれば分かりましたが。 ああ、使いとなる天使は見た事がありますが、連中だって私の危険性を見抜くことは出来ませんでしたが」
静かな目で見つめられる。
何だ此奴。
一体どうして、これだけの事を聞かされて、平然としていられる。
むしろ気味が悪くなってきた。
流石に閉口していると、相手が今度は矢継ぎ早に話し始めた。
「一つ聞いても良い?」
「何か」
「おじちゃん、本当は神様に罰してほしかったんじゃないの?」
「ハア?」
笑おうとして失敗する。
そして、ハラワタが更に煮えくりかえりそうになったが。
しかしながら、途中で収まる。
そう、感情さえ沸騰しないのだ。
生前だったら、流石にキレていただろうが。
此処ではそれすらも許されない。
呼吸を整えようとするが。
最初から穏やかだ。
頭に来るが。怒ることさえ出来ない。何て土地だと、思わずぼやいてしまうけれども。しかし、どうしようもない。
「世の中の不公平を見て、それに対して諦めた。 だから徹底的に悪の限りを尽くした」
「……それが何か」
「いや、私の生前とそっくりだなって思ってね」
「……」
まさかの同類か。
此奴、何者だ。
くつくつと笑うと。小娘は、ふっと表情を変えた。
流石に、ぞっとした。
女は化ける者だとは知っていたが。まさか、ここまで強烈に豹変するとは、思っていなかった。
「私もこんな姿だけれど、生前はおじちゃんと同じような存在だったから。 もっとも、私のいた世界に神はいなかったけれどね」
「だったら何故に天罰などと」
「天罰は降ってるじゃない。 こんなところに送られてるし」
「だが、私より罪深いものは幾らでもいたっ!」
絶叫したつもりだったが。
穏やかな声が漏れただけだった。
静かに覚めた目で見つめられる。
「私もねえ、最初は不公平だと思ったんだよ。 でもさ、知ってる? こう言う世界、一杯あるかも知れないんだって。 それに此処に亡者がこうして集まっていると言う事は……要するに地獄だってあると思うよ」
「……」
「天罰は落ちるよ。 その世界に神を気取る無能な霊的存在がいたとして、人間に適切に振る舞えなかったとして。 そういう神々だって、場合によってはスパンが違うだけで、地獄に落ちるんじゃないのかな」
「何を分かったような口を……」
ふっと鼻を鳴らす小娘。
何だ此奴。
何もかも見下しているようで。気味が悪いにも程がある。
視線をそらして、しまったと呟く。
まさか、感情が無くなっている今。
恐怖というか、嫌悪というか。
そういうものを相手に覚えたのか。あからさまに同類である相手に、である。
「ね、おじちゃん」
まさか、最初に頭が弱い子供を演じていたのは。
あくまで、此方を油断させるための心理トラップだったのか。
そこまで計算していたのだとしたら。
此奴は一体何者だ。
「私が怖いみたいだね。 まあ話を聞く限り、私の方が無茶苦茶をしたのだから、当たり前とも言えるかな」
「はっ、私より無茶苦茶だと? 一体何を……」
聞いた事もない数字が出てきた。
にこにこと、笑みを浮かべる小娘は。
静かに言う。
「私が生前、面白おかしく殺した人数だよ。 殺すときは出来るだけ苦しめながら殺したし、全員の顔も覚えている」
「な……」
「私はある星間王国の王女でね。 戦場で武勲をたくさん立てたから、捕虜を好きにしていいと言われたの。 だから最初はどうすればより効率よく人間を殺せるのか、実験をするために捕虜を使って、どんどん殺して行った。 でもね、その内殺す事がとても楽しくなってね」
完全に化けの皮を脱ぎ去ったそこにいたのは。
子供(今の姿)以上の化け物だった。
こっちを伺っていたのは。
早い話が、ただ。
同類に興味があって、様子を見に来ただけ、と言う事だったのだろう。
悪寒が走る。
勿論生きていた頃に比べれば、とても小さな悪寒だが。
恐怖なんて、生きている頃に感じたことは数度だけ。
本当に幼い時の事や。
そして死ぬとき。
それ以外にはなかった。
それと同質以上の恐怖を、生きていた時なら、感じていたはずだ。
「戦場で暴れ狂っては、たくさんの捕虜を手に入れて帰った。 可愛い可愛い実験動物たち。 勿論一匹も逃さなかった。 その内、噂が立つようになってね。 王が直々に様子を見に来て、ショックで倒れたよ。 何を馬鹿な。 散々戦争をしておいて、たくさん兵士を殺しているのにね。 直接殺していなくても、殺すように命令しているんだから同じだっての。 そもそも国の最高責任者が戦争を始めさせたんだから、自分で味方も敵も殺しているのと同じだって言うのにね」
けらけらと。
バケモノ小娘は笑い続ける。
以降、親は恐怖からか、完全に小娘を避けるようになったと言う。
そして小娘は、更に実験に没頭した。
ありとあらゆる拷問を試した。
どのくらい出血すれば、どのくらい傷つければ死ぬか。
徹底的に試して行った。
あらゆる試行の結果、芸術とも呼べる拷問が多数完成した。たまに得られる非戦闘員の捕虜は、とても貴重な材料になった。
目の前で子供を拷問したときの親の悲痛な声。
目の前で恋人の首を切りおとしたときの怒号。
何もかもが気持ちよくて仕方が無かった。
男と寝るときの快楽なんて、コレに比べればゴミも同然だった。
とにかくひたすらに殺戮が楽しくて楽しくて。
気がつくと、兵士達も、自分を怖れるようになっていた。
「最後はあっけなかったなあ。 戦いの分が悪いと思って撤退戦を始めたんだけれど、そうしたら自分の戦艦に既に破壊されていた戦艦の残骸が直撃したんだよねえ。 運が悪い事に、丁度そのタイミングで敵の攻撃がバリアに直撃してさ、防ぎきれなかった。 結果、死んだ事も分からないうちにこの辛気くさい土地に来た。 ……とまあ、私も最初ここに来たときは、なんでこんなところに、と思った訳よ」
また声色が変わる。
既にもはや相手を、魔界の尖兵。
伝説の悪鬼であるオウガとしか、子供(今の姿)には見えなくなっていた。
本物のバケモノが目の前にいる。
それは、疑いようがない事実だった。
それも、自分をも超える殺戮の限りを尽くした存在が、だ。
「ここに来て悟ったんだよ。 世の中上には上がいるし、何よりどんな風に死んだ後なるかなんて分からないってね。 何人かと話しているうちに、自分がやってきた事がどういうことだったのか、やっと分かってきた。 それでようやく反省したときに、おじちゃんが来てさ。 何かしらの仕組みか何かが働いているかは分からないけれど、いずれにしても天罰は落ちるんだなと理解は出来たんだよ」
「……」
「おじちゃんさ、自分を涜神や非人道的行為の第一人者だとか勘違いしてない? 私でさえ、あの長老と比べると子供以下だよ」
「な……」
あいつ。
一体、どれだけの無茶苦茶を生前やってきたというのか。
長老の覚めた目。
ひょっとして、そういう意味だったのか。
くつくつと笑いながら、小娘。血に塗れた人生を送った、殺戮の権化は、更に言うのだった。
「色々な人と腹を割って話して、結局分かった事は。 天罰はちゃんと、落ちると言う事だけ。 神が落とさなくても、ルールが落とすんだって事だね。 死ねばみんな肉の塊、だと生前は思っていたんだけれど。 こういう場所があるって知った以上は、仕方が無い事だね」
「そ、そうなのかも知れないですね」
「認める気になった? じゃ、私は失礼するよ。 私もまだ納得は完全に出来た訳じゃあない。 だけれども、おじちゃんよりは早く「上がれる」かも知れないね。 でも、「上がった」後に、私は多分地獄に落ちると思う。 此処は、地獄に落ちて、罪を償うための覚悟を決める場所だと解釈してる」
肩をすくめると、家を出ていく。
バケモノ。
あんなのが、世界には実在するのか。
子供がいた世界には、彼処までの怪物はいなかった。
凶暴なもの。
愚かなもの。
欲に塗れたもの。
そういうのはそれこそ幾らでもいたけれども。それどまりだった。さもしい子悪党に過ぎなかった。
あれほどのバケモノが存在して。
彼奴は自分が天罰を受けたことを認めていた。
ならば、子供も。
そうなのだと、認めるしか無いのかも知れない。
それに、長老は。
あの小娘が、自分など到底及ばないバケモノだと認めるレベルの、とんでもない怪物だという。
だとしたら。
やはり此処は、そういう場所なのだろうか。
今更ながらに恐怖が。
体の中で、わずかに疼く。
本来だったら、悲鳴を上げてのたうち廻っていたことだろう。
勿論慈悲になどなっていない。
むしろ生殺しのような有様だ。
呼吸を整えようとして、乱れてもいない事に気付く。
つまり冷静極まりない状態で。
この恐怖を素直に受け止めなければならない、ということなのか。
それこそ悪魔の所行では無いか。
しかし、だ。
考えてみれば、子供は生前、その悪魔の所行を遙かに凌ぐ行為を、ずっと続けて来た訳で。
そう考えてみると、色々な意味で。
これは妥当な結末なのか。
無言になり。
そして口をつぐんだ。
もしも、今のやりとりで、それを気付かされたのだとすれば。それこそ天に力なし、地に人無しと考えていた今までの全てが。
単に井戸の中のカエルが、自分が一番凄いと思い込んでいたに過ぎず。
結局の所、本物の悪鬼によって、自分の弱さを見せつけられたと言う事なのだろうか。
呆然としたまま、天井を見つめる。
何度見ても粗末な家だ。
再建しても無駄だから、粗末な家なのだ。
そして、此処ではどうあがいても逃げる事は出来ない。彼奴は、あの小娘は、既に覚悟を決めているようだった。
或いは、地獄に落ちる覚悟なのだろうか。
鬼畜外道と己を認め。
地獄で罪を受けることを納得したと言う事なのか。
怖くなってきた。
どうして自分が。
そう思っていたが。神などいなかったとしても。仕組みとして天罰が落ちるようになっているのだとしたら。
子供にだって天罰は当然落ちる事になる。
きっと、今まで見てきたクズ共も。死んだ後は相応の場所に送られているのは間違いないだろう。それは、神話で語られているようないい加減な地獄では無く。そんなものが生やさしく思える程の、悪夢のような場所なのかも知れない。
隅っこで震えている内に。
長老が来た。
「送別会を行います。 一人、上がりを迎えられそうなので」
「勝手にやってください。 私にかまわないでほしいのですが」
「良いから貴方も来てください」
その声には。
恐ろしい強制力があった。
王は見た事がある。
玉座に座っているだけのハリボテだった。
英雄は見た事がある。
剣を振るうだけの肉塊だった。
だが、此奴は違う。
今まで見てきた相手とは、完全に格が違うことを悟って、もはや従うほかに、何一つ選択肢は存在しなかった。
黙々と従い、そして送別会を行う。
上がりを迎えたのは、むさ苦しい親父の姿をしたもの。だが、生前はどんな姿をしていたのかは分からない。
送別会といっても、静かなもので。
ごく短時間、世話になったと言う長老に、その親父が話をして。
そして長老が皆に訓戒を述べて、おしまい。
訓戒など、なんの興味も無かったのに。
どうしてか、その言葉は、嫌でも耳にねじ込まれていた。
「此処に来たものは、納得いかずに生を終えた者ばかりです。 そして納得したとき、やっと此処を出る事が出来ます。 出た後にどうなるかは分かりません。 しかし、納得するにはそれぞれが自分と向き合わなければなりません。 己の納得出来なかった全てに納得したとき……」
長老は、神に対する感謝とか。神の慈悲がとか。
そう言ったことは、一切口にしなかった。
そして自己責任論も口にしなかった。
ただ、納得は自分だけのものだという事を話していた。
それは、嫌でも意識にねじ込まれた。
余程の凄まじい手腕を持った覇王だったのだろう。
自分など、此処では小魚に等しいのだと、子供は何度も思い知らされ。そして敗北感を覚えていた。
「それでは、明日は高確率で復興作業が入ります。 皆、備えていてください」
送別会が終わる。
皆、なれている様子で引き揚げて行く。
災厄が起きる。
それなのに、こうも慣れている。
その事実もまた。
子供には恐ろしかった。
3、滅びの炎
気がつくと、何もかもが無くなっていた。
何もかもが黒焦げになり、そしてみるみる木が再生していく。
呻きながら立ち上がる。
服も再生しているようだ。
代謝もないのだから関係無いが。いずれにしても、本当に元に戻る事を理解して、感心する。同時に恐怖もした。
やはり此処では。
何もかもが無意味。
虚無なのだ。
こんなところは、学者だと自負していた存在には、地獄以外の何者でもないだろう。どうしようもない。
ふと、視界に誰か入る。
長老だった。
手を掴まれ、引き起こされる。
女の子の姿をしているのに。
力の使い方、体の動かし方を完璧に理解しているのか、とても力強い引き起こしだった。これは、生前の子供よりも、肉体能力では今のこの女の子の方が上なのでは無いかとすら思った。
まあ生前は、そもそも力で戦う事は一度もなかったのだが。
「復旧作業をしますよ。 貴方はあの班に入ってください」
「わ、わかりましたよ……」
指示には逆らえない。
此奴に対する恐怖が、確実に体にしみこんでいる。
慈悲を持って接する事もあるようだが。
此奴は。子供(今の姿)には容赦しないだろう。文字通り、逆らったら何をされるか知れたものではない。
黙々と班に加わり。
焼き払われた周囲を見回す。
何が起きたのかと聞くと。どうやら、何か爆発したと言う事だった。反物質とかいっていたが、意味が分からない。
よく分からないものが爆発して、辺り一面が消し飛んだ。
そういう事で、納得するしかない。
黙々と作業を進めていく。荒野を歩いていると、家の材料になるような木材や石材が見つかる。
それらをてこやころを使って運んでいく。
班の中心になって働いているのは、いずれもがこの世界に長くいる者達ばかりらしい。復旧には慣れているようで、淡々と作業を進めていく。そして、的確に指示を出してくるので、有無を言わず動く事が出来た。
家を作り。
人が住むための空間を作って。
淡々と一月働く。
以前は飲まず食わずで研究をすることが、何の苦にもならなかったのだけれども。
単純労働の嫌さときたらどうだ。
やはり、好きな事に労力を使ってこそなのだなと思い知らされるが。
そもそも、長老に逆らうという概念が心から消え去っている。
それに、流石に野ざらしで雑魚寝をするのは嫌だ。
ほったてでも家はあった方が良い。
家を黙々と作り、その中で寝転がる。一月が経つ頃には、全員の家が出来ていた。そして、子供の家は、前と全く同じデザインだった。
コレはどういうことなのかと少し興味を持った。
食事をしに木の所に行ったとき。あの小娘が話しかけてくる。
「おじちゃん、家が全く同じで驚いた?」
「驚きましたよ。 どういうことですか」
「此処では破滅の度に、物資が補給されるみたいなんだよね。 それで、その物資を色々組み合わせて、同じように村を再建するノウハウを長老が生み出したんだって」
まるで他人事だなと言いたくなったが。
長老は万年単位で此処にいるという。
それならば、その程度のノウハウは出来て当然か。
いや、何をやっても全く進歩しない奴も世の中には存在している。
この長老、此処でも向上心を発揮し続け、出来る事をどんどん進歩させている、と言う事なのだろう。
この虚無の土地で。
そういう意味でも、かなわない相手だ。
悔しいが、此奴が生きていた時。
もしも子供が遭遇していたら。確実に勝てなかっただろう。あの成り行きで周囲に持ち上げられていた英雄より、器が上だ。
長老に呼ばれて、家に出向く。
最初にまず殺してみようと思ったのが嘘のようだ。
今は怖くて、足の震えを抑えるのに必死である。
相手も勿論、此方を見透かしているようだった。
「座ってください。 軽く話をしましょう」
「はい。 い、一体何用でしょうか」
「貴方についてです。 ここに来たのが、当然の結果だったと、ようやく認めることが出来たようですね」
「……」
今でも、色々気には食わない。
こういう風に本当に天罰があるのなら。どうして見て来た悪徳の数々には、天罰がその場でくだらなかったのか。
それが納得いかない。
今でこそ、彼奴らは。悪徳の限りを尽くしていた下郎共は、自分同様天罰を受けただろうと言う事がわかる。
地獄なり、こういう虚無の世界なりに送られたのだろう。
そのくらいは分かっている。
だが、それはそれ。
やはり、まだまだ納得しろと言われても、簡単にはできない。
口をつぐんでいると、見透かされる。
「此処に来るべきして来た事は納得出来たようですね。 後は、世界の理不尽さに納得出来ないのをどうにかするべきでしょう」
「そのような事を言われても、私は相応の年月生きて、悪徳が悉く野放しにされているのを見て来ました。 私だってそうだ。 私はあらゆる涜神と悪逆を繰り返したのに、結局天罰が下ったのは死んだ後。 しかもこの天罰、あの無能な神々が降したものではないでしょう。 どうしてあのような無能な者どもが、神を気取っているのか。 理不尽を許容など出来る筈もありませんよ」
「私の世界にも神は存在してしました。 そして私を滅ぼしたのは神です」
「……」
神によって直接断罪されたのか。
此奴ほどのバケモノを断罪したのは、一体どれほどの凄まじい神だったのか。恐らくだが、子供(今の姿)が知る神とは、全く別の存在なのだろう。
「その神は、そもそも現世に干渉など出来る存在ではありませんでした。 私という存在を撃ち倒したのは、そもそも幾つもの条件が重なった結果です」
「そのような者を何故神と!」
「事実世界の上位存在だったからですよ。 ただ、万能ではなかった。 それだけの事です」
「万能では無いくせに、最高神を気取るカスはどうすれば良いんですかね……」
ブッ殺してやりたい。
口から言葉が漏れる。
そもそもだ。
最初に自分を雷でも天罰でも何でも良い。焼き払っておけば、あれだけのことは起きなかっただろう。
腐敗した聖職者どもを。血に飢えた鬼畜共を。戦争のために戦争をする連中を。魔界に住まうオウガどもを。
みな殺してしまえば。
何も問題など起きなかっただろうに。
どうして死んでからやっと手を下す。
そう訴える子供を、静かに長老は見つめ。そして、諭した。
「私の世界にいた神は、世界の全てを滅ぼせる兵器ですらも破壊する事が可能な存在でした。 貴方が知っている世界ではありません。 世界の森羅万象全てと思った方が良いでしょう。 しかし、そんな神ですら、万能では無かったのです。 ましてや貴方の世界にいた「最高神」が万能だったと思いますか?」
「……いや、思いません」
「そういうものです。 もしもその神が万能だったら、敵対勢力をそもそも許しはしなかったでしょうし、或いは許して帰依させていたかも知れません。 悪行を為す人々に、適切に罰を与えもしていたでしょう。 それが出来ていなかったと言う事は……ただの人間の上位存在以上でも以下でもなく。 力が強い存在、と言う事でしかなかったのです」
「そうなのですか」
そうなのだと、長老は言う。
素直に、今なら話を聞くことが出来る。
そして気づきを得た。
此処に感情は存在しない。
だからこそ。
本来だったら、灼熱の怒りが打ち消してしまうだろう言葉を、素直に聞くことが出来るのだと。
ぐっと考え込む。
だとしたら、ずっと何をしていたのだろう。
悪徳に塗れた。
周囲はもっと凄まじい悪徳を行っているのだから、自分だってやって構わないと言うのが出発点だった。
それがそもそも間違っていた。
神など無能極まりない存在で。
そもそもあの世界を主体的に動かしていたのは人間だ。
希にオウガと呼ばれる魔界の者なども現れたけれども。それも所詮はあくまで尖兵に過ぎず。
結局人間に打ち払われる程度の存在に過ぎなかった。
英雄などといっても所詮は人殺しで。
そんな人殺しが大手を振って社会を動かし。
そして周りがありがたがる。
その程度の世界に過ぎなかったのだ。
要するに、そんなものに期待した方が悪かった。人間などがゴミカスだったのは知っていた。
事実その通りだった。
外面ばかり取り繕った畜生の群れ。
結局の所ゴミの山に過ぎない連中。
思うに、最初にそんな事にさえ気づけなかった自分も。あれらとは、全く違わなかったのである。
溜息が漏れる。
「どうやら、これ以上は必要がないようですね」
「私は地獄に落ちるでしょう。 どうやら、それも妥当なようです」
「ええ。 貴方は既に地獄に落ちています」
「……」
長老の言葉は容赦ない。
だが、今は。
素直に受け入れる事が出来た。
更に言えば此処はまだ地獄の一丁目に過ぎない。多分、今後もっと凄まじい地獄へと落ちていくのだろう。
それは当然の結果であり。
座して受け入れなければならない運命でもあった。
自宅に戻る。
ぼんやりとしている内に、時間が過ぎていく。
まだ、何処かに燻っているものがある。
これが残っている限り、「上がり」は迎えられないだろう。
最初から間違えていた。
人間などゴミカスに過ぎないと言う事に、気づけなかった。勿論それは自分も含むのだ。何が万物の霊長か。何が神のもっとも偉大なる愛を受けているだ。そのような寝言がまかり通る中。
大まじめに人間なんかを信じたのが間違いだったのだ。
そして。
そろそろ考えなければならない。
自分はどうすれば良いのか。
たくさんの者を不幸にした。
そもそも、信じるべきでは無かったのに勝手に信じ、勝手に失望して。
その結果、手を血に染めた。
地獄に落ちて当然だ。
だがそれは妥当なのか。
もっと、別に地獄に落ちる理由があったのでは無いのか。
少しずつ、思い出す。
どうしても、ぼんやりとしていて、ぴんとこない。
だが、此処はしっかり考えなければならないのだ。
何かが麻痺してしまっていないか。
どうしてか、気づけていないものがあるのではないのか。もっともっと、大事な事が、である。
思い出せない。
本物の畜生に落ちてしまった自分には。
どうしても、思い出せない。
周囲の連中だってそうだろう。どれだけ殺してきたかを誇るような輩ばかりだったのだから。
もしも、子供(今の姿)が反省しているのを見たら。
指を差してゲラゲラ笑うに違いない。
バカじゃねえの。
相手を殺してなんぼなのがこの世界だ。
搾取するのが当然であって弱い奴は死んで当たり前なんだよ。
そんな当たり前の理屈も理解出来ないなんて。
お前、子供以下だな。
そういって、周囲にいる全員がゲラゲラ笑うのは確実だ。そして、それは何も、子供(今の姿)が生きた時代に限るまい。
人間はどうせ進歩なんかしない。
実際、あの姫君だったという輩の話を聞く限り。
多分何千年と経っても、人間は卑しい畜生以下の存在であるはずだ。そんな生物には、最初から期待するだけ無駄なのである。
とっとと滅びてしまえば良い。
それが素直な感想だ。
だが、それでも何かまだ足りないのだ。
麻痺して、見えなくなっている先に。
何か、きっとあるのは間違いない。
その何かが分からない。
分からない事が、情けなくて仕方が無かった。
数日、鬱々として過ごす。やった事を、逐一思い出していく。周囲もやっていたという言い訳は既に頭の中にない。
周囲は畜生だった。
結局の所、独立不羈、天下に我のみを気取っていても。
その言葉の前提条件として。
人間はどうしようもない腐れ生物だというものがあって。だから自分もオウガになって良いと言うものがあった。
其所が違うと言う事には気づけた。
平均的な人間が如何にオウガの映し鏡であろうとも。
自分がそうなっていいという理由になど、なって良い筈がないのだから。
食事をしていると。
姫君に会う。
軽く話をする。他愛もない内容だった。前のように、血なまぐさい話では無かった。
向こうは向こうで、どんな美味しいものを食べたとか、そんな事を言っていた。どうでもいい。
此方の反応が薄いことに気づくと。
逆に聞き返してくる。
「おじちゃんは、どんなものを食べていたのですか?」
「何でもですね」
「何でも?」
「食べられる生き物は、当時は何でも食糧に早変わりでしたよ。 食糧が足りないときは、子供を交換して食べ合うことも珍しくありませんでした」
ふうんと鼻を鳴らされる。
驚かないのか。
まあ、驚かなくても不思議では無いか。
実際、その場で言われる。
「世界各地に似たような話はありますね。 私の時代にも、領地の飢餓に包まれた星では、人肉を喰らうケースがあったようですけれども」
「そもそも食事が安定して供給されなかったのですよ。 技術的に未熟で、そういう時代だったのです。 世界全土がそうだったでしょうね」
「意外に冷静な判断で驚きます」
「目が覚めただけですよ。 周りが畜生だったのは事実。 だけれども、私まで一緒になって良い筈が無い。 例え周囲の畜生共がゲタゲタ笑おうが、それでも自分を本当の意味で貫くべきだった」
嘆息する。
肩をすくめる姫君。
「ようやく、まともになりましたのね」
「ええ、ようやく」
「それでは、きっと上がりも近いでしょう。 私も、近々上がれそうです」
「それは復興が大変だ」
その後、苦笑いした後、おめでとうと言う。
向こうも、其方ももう少しですねと答えてくれた。
家に戻る。
食事、か。
ふと気付いた。
そういえば、そもそもどうして不死の兵器を死体から作り上げた。場合によっては、生きた人間を不死に変えようと思った。
お父様、止めて。
お兄様に何をするの。
悲痛な叫び声を思い出す。
娘がそんな風に、必死にすがってくるのを突き飛ばした。五月蠅いですね、黙っていなさい。そんな冷徹な声を掛けて。
そうだ。
不死にこだわった理由。
そもそも、人間を食いたくなかったからだ。
飢饉では、人間を食う事なんて当たり前だった。生前、生きている間、何度も耐えられなくなって死んだ奴の肉を焼いて喰らった。
おぞましくまずかった。
周囲は目をぎらつかせて、肉だ肉だと頬張っていたが。
まるで死人の群れにしか思えなかった。
あれが、恐怖そのものだったのだ。
当たり前の光景だったが。
要するに、世界は。
当たり前に狂っていたのではあるまいか。
何が光の神の慈悲だ。
そんなもの、あの世界の何処にあった。
何が暗黒道だ。
人間の誰もが暗黒道に落ちていたではないか。それは、自分だって全く例外ではない。
人間以外の種族なんて、人型だろうが何だろうが、関係無く食糧だった。特に人魚などは、食べると不死が得られるとか言う理由で、積極的に狩る輩もいた。勿論それで不死が得られた事なんてなかったのに。
ああ、そうだ。
食べなくても良い。
それが不死兵の研究のきっかけ。
人間のもっとも浅ましい部分が。
食、だったのだ。
他の人間を殺してでも奪い取る食。それを見ていて、決定的に失望した。そして、此奴らがやっているなら、何故自分だってやってはいけないと考えた。そしてねじくれて。此奴らとは一緒になりたくないとも考えた。
だからこそ死人兵。
そうだ、歪んでいたのだ。
決定的に。
息子も死人兵にした。試作品段階だったが。
その根元にあったのは。
幼いときに見た、人肉を美味い美味いと喰らう大人達の姿では無かったか。
乾いた笑いが漏れる。
そうか、そうだったのか。
結局、頭の箍が外れたのは。それが原因だったのか。勿論、箍が外れた後も、戻る機会はいつでもあった。
だが、その機会は全て失ってしまった。
息子を死人兵にし。
娘に逃げられて。
気付くべきだったのだ。
気付けず、試作品を取り返そうと、追っ手まで差し向けた。本当に愚かな事だったと今では思う。
究極的に、食事など必要がないリッチへと自らを変えたのも。
思うに、出発点は。
あのおぞましい食を貪る、大人達の姿が脳裏の何処かにて、焼き付いていたからだったのだろう。
もう、取り返しはつかない。
いや、取り返しはつかないけれど。
取り返さなければならない。
素直に地獄に落ち。
そして、今までの罪を克服しよう。
自分がいた世界の神々など、どうでもいい。あんな連中に頭を下げるくらいだったら、此処に永遠にいた方がマシだ。
だが、もしも公平な裁きを下せる存在がいるのなら。
その者に頭を下げ。
しっかりと裁きを下して貰いたい。
研究者としての誇りなどと、勘違いしていた。
結局の所、逃げていただけだった。
それをやっと今。
気付くことが出来た。
なんと簡単な事だったのだろう。
ここに来てから、多分一年以上は経過しているはずだ。それで、やっと気付けた。
本能や代謝があったままでは、絶対に気付けなかっただろう。感情もだ。感情が極限まで薄くなっているから、やっとやっと此処に気付けたのだ。
情けない。
泣くことさえできない。
今は、静かに、己の最大の罪業に向き合わなければならない。
周りもやっている。
平均的な人間は、それで己の邪悪を肯定する。
どんなことでも平気でする。
つまり、平均的な人間はゴミである。
そこまでは気づけたのに。
どうしてだから自分でもやって良いと思ってしまったのか。そんな風に考えてしまったから、クズと。オウガ共と、同レベルになってしまったのではないか。
何度も、溜息をつく。
いずれにしても、この罪、償わなければならない。
今するべき事は、己が犯した罪を、全てまとめておくこと。あのいけ好かない……今でもいけ好かない英雄の所に逃げ込んだ息子と娘は、美味くやれただろうか。あの英雄の島は、かなり危ない所にまで行っていた。世界最大の大国を本気で相手にしていたから、下手をすると信じられない数の軍勢に蹂躙されても不思議では無い。
それでも、何とかなったと信じたい。
気付く。
長老だった。
そして、もう一つ気付く。
何だか、すっきりしていた。
ああ、これが。
言われていた納得なのだなと、ようやく理解出来ていた。
屍術師と、生きていた世界では軽蔑され呼ばれていた子供(今の姿)は。
「納得出来たようですね。 明日には、貴方の此処でのつとめは終わります」
「はい。 その後は地獄でしょう。 ようやく己がやってきた事と、向き合うことが出来ました。 本当に……色々と迷惑をお掛けしました」
「ちなみに貴方はここに来てどれくらい時間が経過したか覚えていますか?」
「一年程度でしょうか」
長老は首を横に振る。
そして、十二年だといった。
そうか、時間の感覚がそうも狂ってしまっていたか。
もはや決定的におかしくなっていたから。
時間の感覚も何も無かったのだろう。
それは分かる。
分かるからこそ、あらゆる意味で悲しかった。
送別会を行うというので、外に出る。姫君もいた。彼奴はもう少し先か。まだ、何か心残りがあるのかも知れない。
あるのだろう。だが、それももう少しで解消できると言っていた。
ならば、今は信じよう。
同類だったのだから。
まずは、集まった皆に頭を下げる。
本当にどうしようも無い外道だった。
自分のような輩に、普通に接してくれたことを感謝すると。
皆、何も言わなかった。
それぞれ、多くの罪や鬱屈を抱えてここに来たのだろうから、それも当然なのだろう。
それから、長老が色々と話をして。
そして、素直に認めることが出来た。
自分が罪人だと。
周りがどうだったか何て関係無い。
あの狂った世界で、自分が罪を犯したのは事実。それも、救いがたい罪を、だ。
地獄に殆どの人間が墜ちるかも知れない。
そういう世界だ。
そしてあの世界の魔界は、地獄として機能していなかった。きっとあの世界の地獄もまた、不平等な世界だったのだろう。
ならばむしろ僥倖。
ここに来たのは正しい采配だった。
ならば、この先が無であっても後悔はしない。
此処に送られて、当然の事をしたのだから。
研究などもはやどうでもいい。
ただ、今は罪を償いたかった。
送別会を終えて、自宅に戻る。ごっと、風が吹き付けてきた。家が消し飛ばされる。
そして、光の中で見た。
何か、ものすごいものが飛んできている。
それよりも光だ。
自分にも光が差すのだな。
それが、少しだけ。
どこか、おかしかった。
4、血肉に染まりし者は去り
長老の所に、蜥蜴頭の男が来る。
この者も、生前は相当な業を抱えていた。
だからこそに、ずっと長老と共にいる。
蜥蜴頭の男は、言う。
「あいつ……望み通りに、地獄に落ちたんでしょうかね」
「さあ、どうなんでしょうね。 此処は確かにあります。 しかしながら、彼が望むような地獄があるのかは何ともいえないというのが事実です。 ただ、あっても不思議ではないでしょう」
「ふふ長老。 もし地獄があるなら、長老は落ちるべきだと思いやすか」
「ええ、その最深部にいくべきでしょう」
ため息をつくと、蜥蜴頭の男は去って行った。
彼奴は何を考えているのか。
たまに分からないが。
まあ、それはいい。
問題は、鬼畜の如き研究を繰り返していたあの者さえ、納得出来たと言う事だ。いずれ、何とかしなければならない。
あの者の直後。
ずっと此処にいた、姫君。
星間国家レベルのシリアルキラーだった彼奴も、此処を去って行った。
同じように、地獄があるなら落ちたい。
最後に、そう言っていたっけ。
そうやって己をきちんと見つめ直し。
罪を受け入れる事が出来るというのは、とても尊い事だと思う。結局、それが出来ずに。あがいて被害を拡大してしまった自分とは偉い違いだと、長老は思う。
とはいっても、あの者も、姫君も。
生きている間は、絶対に反省など出来はしなかっただろう。
勿論、長老も。
それはまったく変わらない。
二度の災害が立て続けに起きたが、別に不思議な事でも無い。連鎖的に災害が起きて、此処が更地になる事は珍しくもない。
今回は間隔が空いたが。
たまに良いのが来ると、一気に数人が此処を上がる事もある。
そうなれば、災害がその回数だけ来る訳で。
結局の所、一から立て直す回数が増えるだけ。
今回は、もうしばらくは誰も上がりそうにない。
勿論長老も、その辺りは同じだ。
手を叩くと、皆を集める。
そして、復興作業を開始した。
家を建てる。
ほったてだが、それぞれが静かに、自分を見つめ直すには良い場所だ。
そして、皆が指示通りに動いているのをしっかり確認し。丁寧に指導を続けていくのである。
指導を続けるのは得意……とは言わないが。
そうあるべく作られたのだから、出来るとは言うべきか。
ともかく皆を指導して。
いつも通り、一月ほどで復興を終える。
これは、進歩がないのでは無い。
ここに来る人間の数と練度から考えると。
最高効率で動いても、これが限度と言うだけである。きちんと細部まで計算をして動いているのだ。
復興が終わった後。
新入り二人と話をする。
どちらも、邪悪とか悪党とかではなく。
大きな心残りがあって来たタイプだ。
そうなると、此処を出るのにも、そう時間は掛からないかも知れない。
丁寧に話を聞き。
そして何を納得出来ていないのか、自分で気づけるように仕向ける。
後は自分次第だ。
長老は、ただ黙々と。
己がやるべきを、こなし続ける。
ふと気づくと。
屍術師と呼ばれたものは、形を失っていた。
周囲の様子は分かる。
だけれど、どうやらヒトの形を無くしたらしい。
それはそれで別にかまわない。
どんな罰を受けても良いと考えたのだから。
周囲は光に満ちていて。
ただ声だけが響いた。
「大きな罪を犯しものよ。 ですがそなたは虚無の土地にて、己がどういう存在だったのかを、客観的に理解する事が出来た」
「貴方が何者かはしりませんが、その通りです。 どのような罰でも受けましょうぞ」
「よろしい。 貴方は罰については既に受けています。 故に貴方がするべき事は、人間の社会を建設的に動かす事です。 貴方は研究者としては、決して無能ではありませんでした。 今度こそ、しっかりとその才能を生かし。 未熟な人間の社会を、少しでも栄光ある光に導きなさい」
「それが、私の贖罪だと」
返事は無い。
そうか。それは願ったりだ。
更に言葉は続ける。
「貴方の意識の中に、善くあれという言葉を常に残しておきます。 貴方は次こそ、その才能をまっとうに生かし、社会を正しく動くように働くのです」
「は。 それが贖罪というのなら」
「ではいきなさい」
言葉が消えると同時に。
相手の気配も消えた。
では、やるとしよう。次は、もう間違えない。
世界を少しでも便利にし。
富の不公平を解消し。何をやっても無駄という社会にしない。
愚か者共がのさばらず。
そして少しでも誰もが不便を感じない世界にするために。
今度こそ、きちんと自分の才能を使おう。
きっと周囲の人間共は馬鹿にするだろう。だが、そんなものは完全に無視。平均的な人間がどれだけどうしようもないかは、前の生で徹底的に思い知らされた。だから興味など無い。
ただ一人の研究者として。
人間という生物が、少しでも先に行けるように。たくさんの便利な発明をしていこう。
尊敬がほしいわけでは無い。
自分がやってきた事に対する贖罪。
ただそれだけのことだ。
徐々に意識が薄れていく。だが、はっきりとした、強い突き動かす意思だけは残っていた。
それを使って。今後も頑張って行こう。
その頑張りは他人に強制するものではない。
自分で決めたものだ。
贖罪なのだ。
例え周囲から何を言われようと、それに変わりは無い。ただ一人の研究者としての最善を尽くしていこう。
嗚呼。
自分がなくなっていく。
これが転生というものだろうか。
だが、意思は引き継がれる。
あの虚無の土地で培われた、今度こそという意思は。周囲になど迎合しないという強い力は。
確かに意思として残っていた。
さて、どんな存在に転生するのだろう。
少なくともあの世界ではないだろう。
だが、魔法がなかろうが。
研究者としての矜恃は残っている。
絶対に善き研究者となる。
その意思は。
胸の中で、強い炎として、燃えさかっていた。
(続)
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