救えなかった者
序、荒野の破滅と再生
咳き込みながら、立ち上がる長老。
今回の破滅は何だろう。そう思って、周囲を見回す。正直何が起きたのかさえも分からなかった。
そして、気付く。
どうやら、火山性のガスが、周囲を焼き払った様子だった。これは、気付けないのも無理はない。
木も一度消し炭になったようだが。
これもすぐに元に戻っていく。
しばらくは、ぼんやりと立ち尽くしていた。ガス系の場合は、これが必須なのだ。下手に体勢を崩すと、すぐに死んでしまう事がある。死んでも蘇生するけれど、ガスが引くまで死に続ける事になるから面倒なのである。
幸い、災害の影響は。
すぐに収まる。
この世界の法則の一つだ。
ガスが引いたのを確認してから、手を叩いて皆を集める。災害は毎回、致命的な被害を集落にもたらすが。
集落を直せる分の原始的な物資も同時にもたらす。
木材や石材がそうだ。
まずは手分けして、それらを集めに行って貰う。
今回も、作った家は全て焼き払われてしまっていた。
だが、別に困る事はない。
生きているとき。長い長い旅をした。
その結果、ありとあらゆる不幸をまき散らした。
何もかもが無駄だった。
破滅と破壊だけをまき散らし続けた。例え、そう作り出された存在だったからだとしてもだ。
やっと滅びてからそれが分かった。
今でも己が許せない。
いや、生前からうすうす分かっていた。
だからこそに、今でも許せないのだ。
長老と呼ばれるまで、此処に留まる程に。そして結局の所、自分への憎悪は今でも燃えさかっている。
納得も出来ていない。
一体何に怒りをぶつければ良いのか分からない。
何処に贖罪すれば良いのかも分からない。
ただ静かに、今は出来る事をするだけ。
それしか、長老には無かった。
この姿も、生きていた時とはあらゆる意味で真逆だ。それもまたおかしな話ではあるけれども。
或いは、暴威の権化だった生きているときに対して。
あらゆる意味で、この世界に長老を導いた存在は、皮肉な対応をしたのかも知れなかった。
さて、仕事だ。
新しく来たものに、話をしなければならない。
今度来たのは、妙齢の女性だ。
とても長い金髪で、美しい立ち姿をしているが。どうも困惑している様子から見て、中身は男だろう。
長老が出向くと。
金髪の女性は言う。
「ここはどこだ……」
「此処は地獄のようで地獄ではない場所。 誰かが納得出来ずに果てた後に来る世界です」
「……納得出来ずに」
「あの世と言えばあの世とも言えます。 貴方はどこから来たのですか?」
聞くと、金髪の女性はしばらく黙り込んだ後、何とかコロニーと言った。
文明のレベルや出身地を聞くと、やはり地球圏の文明だが。しかしながら、どうやら太陽系からは出られていないらしい。
しかし、いつも来る者とはまた別の世界から来ている様子だ。
「地獄だか何だか知らないが、私の格好は何だ。 これはあまりにも」
「私も生きていた時とは格好が真逆です。 貴方もそういう事なのでしょう」
「……どうやら、まともな世界ではないと言う事で良さそうだ。 生徒達が心配なのだが、どうにかならないか」
「残念ながら」
話ながら、この世界の説明をする。
そうすると、どうも不可思議なことを言い出す。
「他にも私と同じ世界の出身者が来ているのだとしたら、不幸すぎる」
「どうしてそう思うのです」
「私のいた世界は、人間の宇宙進出が上手く行かなかった場所だ。 地獄のような殺し合いを続けて、ずっと太陽系の内部を血に染め続けている」
「人間の好戦性は何処の世界でも同じですよ」
金髪の女は口をつぐむ。
長老にとってすれば、その程度が何だというのかという次元だが。
しかしながら、相手を尊重しない言葉は、傷つけるだけ。
この世界から出るのを遅らせるだけだ。
贖罪のためにも長老は出来る範囲内で、救済を行わなければならない。生きているときにやっていたのとは、違う方法でだ。
そもそも生きているときにやっていたものは。
今になって思うと、救済などではなかった。
「この世界に、生徒達が来ないことを祈るしかない。 あの様子では、生徒達も大勢命を落としただろう。 私はどうでもいい。 未来ある子供達が、無慈悲な戦乱に巻き込まれてしまった。 それが悲しくてならない。 せっかく人類を半減させる悲惨な戦争が終わったばかりだったというのに。 断続的に続いていた紛争が一段落して、数年しか経過していなかったのに」
「貴方は責任感が強い人だったのですね」
「責任感か。 責任感が強い人間から死ぬ社会だったのに、私の年まで生きられたのは……私がただの犬死にだったことを示しているのかも知れないな。 あの様子では、まだまだ紛争は続くだろう。 もう未来が見えないでは無いか」
そうか。
生徒と口にしていると言う事は、この者は教師だったのだろう。そしてとても真面目で、生徒を第一に考えている教師で。そして何一つそれが報われなかった、と言う事だ。
どんな世界だったのだろう。
同じ世界の出身者がいれば、少しは分かるのだが、そうも行くまい。
頭を振る教師。
とりあえず、現状を告げて。まずは村の復興に協力して貰う。集団行動には慣れているらしく、殆ど躊躇わずに、復興作業に協力を開始してくれた。
恐らく、本当にずっと復興作業ばかりしてきたのだろう。
指示をすると、原始的な道具。てこやころなどしかないのに、てきぱきと作業をしてくれる。
最初は難色を示したのだが。
それも、怪我がすぐに溶けるように消えていくことや。
死んでも即座に復活する事を悟ると。
口をつぐんで、作業を黙々とやってくれた。
基本的に復旧作業には一月は掛かる。
誰かが「上がり」を迎えたときにはこれが必ず起きるので。此処の住民はもうみんな慣れている。
新しく来た者も、それはすぐ悟ったらしい。
片付けが一段落して。
家を建て始める。
こんな原始的な家を建てるのかと、新しく来たものは呟いたが。しかし、此処がどういう場所か思い出したらしい。
俯くと、作業には淡々と協力してくれた。
その過程で、色々と説明をしていく。
いつものように村の外に連れていき。
そして、新しき者は驚くのだった。
「空間でも歪んでいるのかこれは……」
「恐らくそうでしょう。 我々はとても狭い世界に閉じ込められているのです。 此処から出るには、それぞれが「納得」するしかない」
「なんということだ……」
「いずれにしても貴方はもはや戻る事は出来ません。 生徒達が心配だというのは分かりますが……ここに来る者には、家族を失って訪れる者も、そればかりかもっとたくさんの大事な者を失って来る者も多いのです」
新しき者は黙る。
そろそろ、家が揃ってきた頃だ。長老に、蜥蜴頭の男が告げてくる。
これについても、既に新しく来た者は慣れたようだった。
「少し家の一つの石材が足りません。 探しに行きたいのですが」
「それなら私が手伝おう」
「新入り、良いのか」
「少しでもまずは出来る事をしたいんだ。 私は……皆が好き勝手な事をほざいて、平気で廻りを傷つける場所で生きてきた。 だから」
長老が頷くと、蜥蜴頭の男が、新しき者を連れていく。
長老の家は出来ていたので、中で休む事にする。
全く違う姿に困惑するのも、いつの間にか慣れる。
長老とて例外では無い。
文字通りの真逆だったのだから。代謝や欲望があればまた話は別だったかも知れないが。長老はそもそも。
少し休んで、頭をクリアにする。
集落の真ん中にある木は、何をしても枯れることがない。実は、此処が嫌になった者が、木を一度執拗に傷つけたことがあるのだが。何をやっても木は即座に回復するので、結局根負けしてしまった。
木の所に行って、木の実をもいで食べる。
それぞれの死者に合わせた木の実がなる。
必要分を食べると自然と木から離れる。
一種の本能だ。
家でまた、座り込んでぼんやりと休む。頭の中が焼けそうな怒りが、時々襲いかかってくる。
ここに来てからどれだけの月日が過ぎたのだろう。
それでも、どうしようもない。
こればかりは、自分が辿ってきた人生を思えば、仕方が無い事なのだろうと思う。
顔を上げる。
集落の者の一人が来たのだ。
「石が見つかりました。 住宅の建造を再開します」
「分かりました。 私も念のため指揮を執りましょう」
「お願いします」
立ち上がると、集落のために動く。
こんな小さな規模の集落。
指揮する事くらい、何でも無かった。
美しいブロンド。粗末な服装だけれど、それでも立ち姿の美しさはよく分かる。
違和感はあるが、あくまで精神的なもの。
説明された通り、欲求も代謝も消え失せてしまっているらしく。素足で地面を踏んでも痛みを感じない。
説明を受けたとおり、どこまでも荒野が拡がっていて。
獣の姿一つない。
美貌とも呼べるこの姿。
何ともおかしな話だった。
貰った家で、少し休む。みっともない休み方はしない方が良いかとも思ったが。代謝も欲求もないのだから関係無いか。
若者も見かけるが、本当にそれぞれが一人ずつ暮らしていて。夫婦やカップルを作る様子も無い。
中身がバラバラだから、そうもなるのだろう。
相当な高齢者もいるが。
話を聞いてみると、中身は子供だという。
見た目が子供である長老も、話を聞く限り中身はそうではない。
此処は、何もかもが無茶苦茶な世界なのだ。空の色も見えている太陽らしきものも。世界の法則さえも。
溜息が出る。
何もかもが無茶苦茶か。
金髪の女。仮に自分をそう呼ぶとして。金髪の女が生きていた世界では、そもそも全てが狂っていた。
人間が宇宙に進出するのに失敗。
進出するのはいいが、棄民化政策とそれが結びつき。ありとあらゆる不幸が引き起こされていった。
やがて人々のモラルは完全に崩壊。
元々腐っていたモラルは、何もかもがどうしようもないところまで転げ落ちていった。
そしてモラルが腐れば、真っ先にエジキになるのが弱者だ。
被害者を気取った者達が、星間国家を建設し、独立宣言。
「国力の差を埋めるため」と称して、歴史上類を見ない凶行を働き、地球の人口は半分になった。
太陽系からすら出られていないのに。
人間は壮絶なつぶし合いを始めたのだ。
「地球に住んでいる奴は金持ちばかり」「自分達は被害者だ」と言いながら、月の近くに作られたコロニーを本拠にした勢力は、無差別虐殺を続けた。虐殺のターゲットは地球人だけではなく、宇宙に住んでいる者にも及んだ。
凄惨な戦いはやがて月の近くのコロニーを本拠とした勢力の敗北で終わったが。
後に彼らは、地球の人間を皆殺しにする事を計画していたことまでが判明している。
そればかりか、地球側が武装の解体と駐屯だけで済ませたのに。
逆恨みを拗らせ、何度も過激なテロを起こし。紛争は何度も何度も続いた。
地球に住むものと宇宙に住むものはもはや修復不可能な所まで関係を悪化させ。どうしようもないような状態だった。
金髪の女が向こうで死んだころには、漸くそれが少しは落ち着いたかと思った所だったのに。
テロリストが、コロニーごと皆殺しに掛かって来た。
必死に生徒達を逃がそうとした。
爆発から隔壁を身を以て閉じ、焼かれたことまでは覚えている。あの隔壁が、何人の生徒を守れただろう。
何も教えられていなかった。
これからの人材ばかりだった。
悔しくて涙がこぼれそうになるが。感情が希薄になっているのか、それすら起きなかった。
自分が死んだ事なんてどうでもいい。
何もできなかった。
それを見せつけられたことが、とても悔しい。
周囲が狂っているのなら、せめて自分だけでも理性的であろう。
未来を築く子供達のために、自分だけでも努力しよう。
そう思い続けたのに。
狂気は容易くその願いと思いを踏みにじったのである。
それこそ、良きあろうとすることなど全て無駄で。
この世界は狂気と暴力だけで構成されていると、嘲笑するかのように。
大きな溜息が漏れる。
生徒達の名前を一人ずつ思い出していく。一割、生き残れただろうか。勉強がどれだけ大事な事なのか、誰かに伝わっただろうか。
手を見る。
華奢な手だ。
今、この地獄か何だか分からない土地で。復旧作業のために乱暴に扱ったのに、傷一つついていない美しい手。
こんな手では、向こうでは生きていけなかっただろう。
彼処こそ、本当の地獄。
もしもクリエイターが存在したのなら。
悪意で塗り固めたのであろう、地獄の中の地獄だった。
それでも、少しでも良くしようとしたのに。
或いは、良くしようと。自分が少しでも可能な限りよくあろうとした事が。あの世界の法則に反していたのだろうか。
自分のせいで。
生徒達まで死なせてしまったのだろうか。
頭を抱えて、ため息をつく。
英雄に憧れる生徒がいた。
悲惨な紛争の中、鬼神としか言えない活躍をした英雄が何人かいた。その者達には、どうしてもあこがれが集まった。
だけれどもだ。
そんな英雄がいた所で、何かが変わっただろうか。
結局の所、一人バケモノがいた所で、大局は変わらなかった筈だ。
駄目だ。
悩みがたまるばかりで、どうにもならない。
そもそも歴史の教師をしていたのだ。少しでも、周囲の事や自分の事を整理して。そして対応しなければならない。
歴史の知識を思い出す。
この知識を使って、このわけが分からない場所を、少しでも良く出来ないだろうか。
歴史だけじゃない。他にも色々教えられることはある。
知恵が足りなくて困っている者はいないか。
世の中では、生まれつき全ての才覚は決まっていて。努力はするだけ無駄などと言う考えがあったが、それは否だ。
世界を支えているのは、多くの人々。
教育が行われれば行われるほど、人々の力は底上げされる。
それを無視すれば、全てが荒廃していくだけ。人類の力は落ちていくだけだ。
もしも、人間が最初から全て才覚だけで決まっているなんて妄想が人類に行き渡っていたら。
その後考えられないくらいの未来まで。人類は太陽系を脱することさえ出来ず、無間地獄の中で殺し合い続けるのでは無いのか。
何ら進歩さえせずに。
だとしたら何のために生きてきたのだろう。
金髪の女は、酒がほしいと思った。
生徒達を死なせたこと。この先のくらいくらい未来。何よりも、自分に対する無力感。その全てが、自分の心を痛めつけ続けていた。
1、学習というもの
復旧が完全に終わってから、長老の所に出向いて、話を一つずつ聞いていく。長老は立て板に水のごとく、此処の全てを知っていて。分からない事についても、分からないし、解析してみたけれどどうにもならなかったと教えてくれた。
女の子の姿をしているが。
これは、元は凄い人物だったのでは無いかと金髪の女は思ったが。
それについては黙っておく。
此処の仕組みを考える限り。
女の子に見える此処の長老が、想像を絶する程の闇を抱えているのはほぼ確実なのである。
恐らくだが、金髪の女がいた世界よりも悲惨で。
それ以上にどうしようもない場所だったのではあるまいか。
そんなところで、自分以上の鬱屈を拗らせて。
それが故に、此処にずっと留まっているのではあるまいか。
一通り話を聞く。
そして、納得がいった。
「それでは、これらの住居が極めて原始的で、文明的なものを作ろうとしないのも、誰かが「上がる」度に致命的な破壊が集落を襲うから、なのだな」
「これは妥協の産物です。 私がここに来るまでは、皆土の上で雑魚寝をしていたのですよ」
「……そうか、それはあまりにも褒められた事では無いな。 人間は文明的に生きてこそ人間だ」
「そうですね。 ですから、個々の空間だけでも必要だろうと考えて、破滅の後は家を作ることにしたのです」
頷く。
元は歴史教師だったのである。
この辺りの話は、自然に頭に入ってくる。
興味があると言うよりも。
もはや習性、というべきだろう。
集落に住んでいるのは、一クラス分程度である。
皆がそれぞれ、相当な鬱屈を抱えているのだろう事は、すぐに見当がついた。そうでなければ、即座に「上がり」を迎えて、こんな集落を作る暇さえ無いだろう。
上がりを迎えた後、どうなるかは分からない。
こんな所に、元とは全く違う姿で現れたのだ。
だから、また別の所に、全く違う姿で出向くのかも知れない。
その時、記憶は持ち越せるのだろうか。
少しはマシな世界に出来るのだろうか。
咳払いを受けて、顔を上げる。
長老が、愛想のない顔のまま、丁寧に言う。
「それでは、皆の紹介をしましょう」
「よろしく頼む。 それにしても、申し訳がない。 どうも職業柄、考え込んでしまうことが多くてな。 授業をしていない時は、ずっと考え込んでいるくらいだったのだ」
「全く問題はありませんよ」
「度量が大きいな」
寂しそうに首を横に振られる。
そして、一人ずつ、紹介を受けていった。
大きな星間文明に発達した世界の住民もいた。中には銀河規模の文明にまで発達した世界の者もいた。
後で、話を聞いてみたい。
ひょっとしたら、自分が住んでいた世界の過去や、未来の住人もいるかも知れない。もしくは、知識を持っている者がいるかも知れない。
一人ずつ覚えていく。
これでも教師だったのだ。
人を覚えるのは得意だ。
ましてや此処にいる者は、皆姿が千差万別である。覚えるのは、とても容易かった。
軽く歓迎会をしてもらって。
自分の名前を名乗る。
しがない歴史教師で、元々は全く違う姿だったと説明すると。此処では姿が変わっていることが当たり前だからか、皆そうだなと頷いていた。
雰囲気も優しい。
ある程度、うまくやって行けそうだ。
そう思った。
まず最初に思ったのは。此処は地獄だか何だか住人にも分からない、という事実を告げるように。
おぞましい退屈が、襲いかかってくると言う事だった。
基本的に欲求がない。
また野心などもない。
焼けるような野心のまま、己の周囲を薙ぎ払っていくような者も見たことがあるが。そういった者にとっては、此処は文字通りの悪夢ではないのだろうか。
いずれにしても、此処で暮らす事はそれほど金髪の女には苦痛では無い。
今は、心の整理が出来ていない。
だから、それぞれ、住民と一人ずつ話をして。それぞれの暮らしていた世界について聞いていくのだった。
地球圏に住んでいた者もいたが。
話を聞く限り、どうも歴史にズレがある。
銀河文明に発展した世界から来た者もいるが。
此方も、明らかに同じ世界だとは思えない歴史を辿っていた。
そうなると、此処では自分はひとりぼっちか。
少しばかり寂しいことだが。
それでも、ひとりぼっちに生徒達を巻き込まなかったのならそれでいい。いや、こう言う場所は他にもたくさんあるかも知れないと聞いている。
ならば、こういう所に飛ばされてしまった生徒達がいるかも知れない。
生意気な子供も多かったが。
それでも未来を担うはずだった人材だったのだ。
いや、そもそもだ。
いらない人間なんて、いない。
そんな事を考える事が出来る人間なんて、一体何処の何様なのか。神にだって、そんな選別をする権利は無い。
考えを振り払って、丁寧に皆の話を聞いていく。
生徒達が心配だからだ。
ひょっとしたら、少しは足跡をたどれるかも知れない。
全員は無理かも知れないと諦めてはいる。
だけれども、生き残れた者はいるかも知れない。その可能性を少しでも、自分の手で探りたいのだ。
一人、ひょっとしたらと思える者がいた。
人型の戦闘兵器を主体に用いている文明の出身者で。人類が二千光年四方くらいまで文明を広げた世界の住人だ。
だけれども、話を聞く限り違う。
大きな溜息が漏れた。
そもそも、良く話を聞いてみると、どうやら地球文明ですらないようだった。
「いわゆる天の河銀河の出身ではあるが、オリオン腕ではないのだな」
「その通りだ」
「そうか、それではしかたがない。 手間を掛けさせたな」
どうやら、駄目らしい。
金髪の女が、歴史について詳しく聞いて回って。それで一月。
全員の話を聞き終わった。
長老も含めて、である。
どうやら此処にいる、同じ文明、同じ歴史の連続体に所属する者は、金髪の女だけであるらしい。
正確には、過去の地球出身者はいた。
21世紀頃の地球にいたもので。
或いはパラレルワールドの出身者かも知れない。
ただ、過去の話であっても、金髪の女が知る歴史とは微妙にずれがあったし。
結局何の参考にもならなかったが。
自宅に戻る。
酒がほしいが、そうも行かないだろう。
どうしてこうも、人類は愚かなのだ。
此処にいる皆の話を聞く限り、どこでも戦争をやっている。長老の世界では、銀河単位での戦争までやっていた。
理由もどれも馬鹿馬鹿しい者ばかり。
歴史の授業をすると、どうしても戦争については触れざるを得ないけれども。それでも、どうしてこうも馬鹿馬鹿しい殺し合いばかりするのか。
溜息が一度ならず漏れた。
何一つ手がかりは掴めないまま。
歴史の教師として、世界に自分で出来る範囲の貢献をしたいと思っていたことは、全て無駄だったとさえ思えてくる。
そもそも、世界に拒絶されていたような気すらする。
他人を効率よく殺せて、残忍な人間だけが必要だ。
他人を否定出来る人間こそが格好良い。
そんな考えが蔓延し。
そしてそれに巻き込まれたのでは無いのか。
いや、それはオカルトだ。
人類はそんな大きな意思に動かされてもいないし。そもそもそんな大きな意思があったとしても、気にも留めない程度のゴミクズに過ぎなかっただろう。
ゴミクズなりに矜恃を示そうとすることは。
それは愚かな事なのか。
愚かな事だから、殺されたのか。
生徒達に何か一つでも残せただろうか。
残せていないだろう。
どう客観的に見ても、良い影響など、残せたはずがない。あの状況では、どうせまだまだ断続的に戦争が続くだろう。
血に飢えた人間が、ひたすら殺し合いの切っ掛けを探しているような世界だったのだ。
隙間さえあれば殺し合いをねじ込む。
如何に兵器を運用し、如何に虐殺をねじ込むか。そればかりを考えている。
それがあの世界だった以上。
未来に、希望など無い。
いつの間にか眠っていた。
酒もない。
あったとしても、酩酊することさえ出来ないだろう。そもそも酒を造る手段がない。酒の素材が存在しないのだから。
ふと顔を上げる。
今金髪の女が貰っている家は、いわゆる竪穴式住居なのだが。誰かの影が入り口から差し込んでいる。
英雄的な光景だ。
反吐が出る。
英雄なんて大嫌いだ。
戦争なんて大嫌いである事と同じように。
「よろしいですか」
「ああ、かまわない。 どうせ何もできない」
「……少し話をしましょう」
長老だった。
長老は、きっと何処かの文明の長だったのだろうと推測している。どんな人物だったのかは分からない。
だが、少なくとも今は罪の意識を感じていて。
そしてそれにとても苦しんでいる。
それだけは確かだ。
外に出ると、長老が促す。軽く歩こう、というのである。
頷いた。
断る理由も無かった。
思考の袋小路に陥ったとき、コロニーの中を歩いて回ることはよくあった。考えてみれば、生前から自分がやっている事に意味があるのかは、疑問だったのだ。悩むことも多く、そんなときはコロニーの中を歩いた。
空は存在しない。
円筒形のコロニーを回転することで、擬似的に重力を発生させていたのだから。
故に、如何に色がおかしいとは言え。
空の下を歩いている今は、ある意味生前殆ど体験できなかった事、なのかも知れない。
「貴方の罪悪感は、無力感から来ているのですね」
「ああ。 実際無力だったからな」
「人とは無力な存在です。 私は、そんな人々を愛で救おうとしました。 手段が決定的に間違っていましたが」
「……」
そうか。確かに愛で人を。正確には、個人を救う事は出来るかもしれない。
だけれども、人間という種族を愛で救うことは出来ない。
そもそも、愛という定義が極めて曖昧だ。
長老が言う愛が、一体どんなものだったのかは聞かない。そんなものに、決まった答えなど存在しないからだ。
「貴方は、生徒達を愛していたのですね」
「愛というのでは無く、生徒達にとってよりよい未来のため手助けをしたかった。 ろくでもない歴史を送ってきた人類だ。 せめて未来を担う若者達には、少しでも知識を持ってほしかった。 知識があれば間違いは減らせる。 間違いを減らせれば、愚かな行為をする可能性は減る。 だが……あまりにも時間が足りなかった」
「本当に、戦闘ばかり起きている文明だったのですね」
「そうだな。 社会の上層にいる者達は、何処までも血に飢えていた」
社会の上層を変えるしか無かったのかも知れないけれど。
腐敗は極限まで達し。
そして犠牲になるのは、いつも社会の底辺だった。
だから、そんな愚かな指導者を選ばないようにも、知識が必要だったのだ。
しかしながら、その理屈も、今は自分で信じられなくなってきている。
人間がどこまでも、際限なく愚かだと思えてきているからだ。
勿論金髪の女。昔は違う姿だった自分も含めて。
「結論から言えば、貴方は無力だった自分を許せない」
「……そうなるだろう。 恐らくは、その他の問題も、其所に全て起因する」
「では聞きましょう。 貴方の時代に、力があった存在は本当にいましたか?」
思わず、足を止める。
そういえば。
愚かな者はいた。
金を持っている者はいた。
だが、歴史を変えるほどの傑物はいたか。
英雄は存在したが、結局戦略的な視野など持っていない、ただ強いだけの戦士に過ぎなかった。
大人と自称する者達は、どいつもこいつもエゴの塊で。結局の所、己のほのくらい感情に動かされているに過ぎなかった。
俯く。
人類の歴史だって、概ねそうだった。
確かに歴史の転換点に、巨大な才覚を持つ者が出て。閉塞を打開する事はあった。歴史的な規模の英雄は存在した。過去の歴史には、確かに実在した。
だが、金髪の女がいた時代はどうだったか。
そんな傑物は。戦士として強い者はいたかも知れない。人類史をダイナミックに変革し、良い方向に動かして流れを作る英傑はいたか。
いなかった。
歴史の教師だからこそ言える。
あの時代には、小物しか存在しなかった。
月の側のコロニーを本拠地にしていた勢力だって、そもそもさもしい独裁者の一族に過ぎなかった。
地球の富を独占していた連中だって、ただの金の亡者の集まりで、文字通りの無能者ばかりだった。
どこの政体も腐りきっていて。
いずれもが、歴史を逆行させることにしか興味が無いような者達ばかりだった。
その後はどうなのだろう。
口をつぐむ。彼処までモラルが徹底的にクラッシュし、教育にも人類が進歩しようという意欲すらも失われた時代。
後に巨大な才能を持つ英雄が本当に現れるだろうか。
否、としか言えないと思う。
人類が滅ぶかどうかは分からないが。
いずれにしても、金髪の女の世界では。人類が太陽系から外に進出することは無いだろう。
「そのような者はいなかったな。 力の使い方を間違えた愚か者ばかりだった」
「私もその一人です」
「……」
「貴方は力の使い方を間違えなかった。 まずは、其所を一つ、考え直してみては如何ですか」
力が、そもそも無かったのだ。
もしも、当時主流だった人型兵器に乗って、戦う力があったら。コロニーで、あんな無惨な虐殺を許しはしなかっただろう。
あれだけの無差別虐殺をしておきながら被害者面をしている連中を、許さず叩き潰す事だって出来ただろう。
だが、力はなかった。
だから知恵を使った。その知恵が無力だったのが、悲しいのだ。
「知恵は無力などではありませんよ」
「だが、私は誰一人救えなかったのだ!」
「本当にそうかは、まだ分かりませんよ」
「……あの状況……脱出できた者がいたとは思えない」
やっと、本音が出た。
そして、本音が出たことに気付いて、更に口が重くなった。
そうだ、分かっている。
誰も脱出できなかった。教えてきたこと全てが役立たなかった。神に嘲笑されているような運命よりも。生徒達が無惨に殺された事そのものが許せないのだ。
その運命を覆せなかった自分も。
何か、出来る事は無かったのか。
無かった。
そもそも、コロニーごと皆殺しにするような連中だ。何をしたって、助かりっこ無かっただろうし。
避難艇をかろうじて出せたとしても、どうせ追撃して皆殺しにしようとしたに決まっている。
ちらっと見たが、新型の兵器も使っていたらしい。
金髪の男の世界では、新型は強いと同義だった。
そうなれば、恐らくは避難艇だって容赦なく攻撃され、民間人だって皆殺しにされていただろう。
元々民間人ごと虐殺することを何も厭わないような連中だ。
分かっていた。
運命は分かりきっていたのだ。
「情報が足りていません」
「……しかし……どう考えても……」
「貴方は歴史教師でしょう。 それならば、歴史というものが、ちょっとした情報で動く事を思い出すべきです」
はっと、顔を上げる。
長老は笑顔をいつも浮かべている訳では無い。
むしろ愛想は無い方だ。
今の長老は、むしろ哀れむような視線を、金髪の女に向けていた。
「今貴方がするべき事は、新しい情報が入るまで待つ事です。 もしも……貴方が想像する最悪の事態が来たのだとしても。 今はそれが分からない状態です。 だから、今は少し休みなさい。 何も考えずに。 或いは、此処にいる者に、歴史の授業をするのもまた良いでしょう」
「私に……その資格があるだろうか」
「貴方の他に、私が知る限り歴史の教師は存在しませんよ。 ですから、胸を張って歴史について教えると良いでしょう」
目を乱暴に擦る。
こんな情けない感情が胸に溢れているのはいつぶりか。
悔しい事に、死人だからだろうか。
感情が溢れているのに決壊しない。
既に自分は死んでいるのだと、思い知らされる。
感情がなく、代謝もない。
いや、体に感情が影響を与えないのは。生物として死んでいるのが原因なのだろう。
長老は一人ずつに目を配っている。
それは金髪の女に対しても同じ。
一旦自宅に戻る。
そして、何の授業をするべきか。
少し、真面目に考え始めていた。
今はいずれにしても、出来る事など何一つ存在していない。
それならば、歴史の授業でもして。
皆のために、何かがあるのなら。それで良かった。
2、死後の教壇
歴史の授業をしたいが、興味がある者はいるか。
そうやって呼びかけると、数人が集まった。
退屈している者も多いのだろうし。
単純に違う世界の歴史に興味がある者もいるのだろう。
少なくとも、過去の存在はいたとしても。
金髪の女にとって未来から来た者は恐らくいない。
そして未来から来たものにとっても。
過去の存在が行う歴史の授業は興味があるかも知れない。
そういうものだ。
歴史は時代によって評価が変わる。
ただの蛮行が英雄的行為に持ち上げられることなど珍しくもないし、その逆もしかりである。
だからこそ。時代に生きた存在が、歴史を学ぶことは。
それはそれとして、興味を持てることなのかも知れない。
集まった数名に、軽く歴史の講義をしていく。
オリエントからが良いだろう。
古代には文明が存在していた。
いわゆる四大文明という奴である。
現在は、この四大文明という考え方には懐疑的な見方も多いのだが。いずれにしても、大規模な文明の痕跡が発掘されているのはこの四つである事は事実である。ただし、文明は世界各地で勃興し、それぞれで影響を与えあった。それもまた事実だ。
そんな中でも、特に古く研究が進んでいるのがオリエント。
定義は様々だが、有名なのはバビロニア等とも呼ばれる事がある文明である。他にも中東全般にあった古代文明をこう呼ぶ事が多い。
地球史では、中東は必ずしも宇宙に出る直前、大きな影響力を持っていた地域ではないのだが。
古き時代には、歴史の中心地点でもあった。
例えばイタリアが、一時期ローマ帝国の中心地として、地球の歴史をリードしたように。
歴史の中心地点は、必ずしもいつも同じとは限らないのである。
その歴史について、ちょくちょくと話しつつ。
神話と歴史の関わりについても話していく。
あくまでも判明している歴史について、だが。
やはり、興味を持つ者は多いようだった。
「先生、質問」
「おお、受けつけよう。 何かな」
「ふふ、こうしていると昔を思い出すな。 それでは聞きたいのだが……」
質問をしてきたのは、幼い女の子の、長老よりも更に幼い姿をした者だけれども。実はある文明で軍事を統括する立場にいる、大臣のような存在だった事が分かっている。生前の性別は同じだったらしいが。
この文明は銀河系の半分程まで拡がっていたものらしいので。
金髪の女なんて、それこそ古代人に過ぎないだろう。
だけれども、故にだからこそ。
歴史の授業については面白いと判断してくれているようだった。
数学や物理とは違う。
どうしてか皆の言葉が通じる此処では。
歴史こそ、娯楽になりうるのかも知れない。
案の定、とても鋭い質問が飛んできたので、素直に応えていく。これでも教鞭を執っていたのだ。勿論答えられる。
人にものを教えるには、三倍は知識を得なければならないのだ。
「なるほど、興味深い識見だ。 幾つか類例の説は聞いた事があるのだが、良く戦乱の時代に其所まで説と知識を練り上げたな」
「そう言って貰えると光栄だ。 他に質問は何かあるかな?」
幾つか質問を受ける。
大歓迎である。
全てに丁寧に答えていく。
歴史は、基本的に検証の学問だ。出てきた証拠を精査する。しかしながら、書物などには嘘が多い。史書というものは絶対では無く、勝者の目線で書かれるからだ。だから第三者が。利害関係がない者が書いた資料が好ましい。ただし一番優先されるのは、同時代の資料だ。如何に利害がない者が書いた資料でも、百年も時が離れていたら意味がない。
他にも様々な証拠が歴史を補強していく。
それら全てを総合して歴史。
有能な君主とされていた人物が、実際は単に部下に恵まれていただけだったり。単なる脳筋で、部下が後始末をしていたり。
逆に無能と呼ばれていた人物が、実際には最善手を打っていたことが後の時代になって分かったり。
色々と歴史は資料が出るたびに顔を変える。
それは恐らく、古代の生物などについてと同じ。
化石などの発見が一つ出る度に定説がひっくり返るのと同じように。
歴史は資料が新しく発見される度に定説が変わるものなのだ。
やがてオリエントの授業を終えると。
満足した様子で、授業を受けた者達は戻っていった。少しずつ、勘が取り戻せているような気がする。
一人、猫背の青年が残る。
最後の最後まで、周囲から罵り続けられ。そして精神を病んで死に、ここに来た者だ。
人間を駄目にするには二つの方法がある。
一つは全ての行動を肯定すること。もう一つは全ての行動を否定する事だ。
猫背の青年は、見かけは青年だが。
周囲に「何をしても良い存在」として社会的に設定され。
老人になるまであらゆる罵倒を浴び続け。
そして死んだ。
許しがたい非人道的行為だが、彼が生きた時代にはそれが許されていたのである。つくづく、人間賛歌など放り捨てるしかないと思うほか無い。
実際、金髪の女が別の姿で生きていた時代にも。
人間を褒める要素なんて、何一つ無かった。
それでも。輝かしい部分を探すために。努力を続けたのだ。
努力は踏みにじられたが。
「何か、疑問があるかね」
「オリエントの頃は……俺のような存在はいたのですか」
「文明が未発達だったのだ。 文明が発達しても君のような存在は出る。 人間という生物そのものが作る社会に問題がそもそもあるのであって、君はその犠牲者だ。 気に病む事は無い」
勉強を教えていて、いつも注意を配っていたのが。
相手を馬鹿にする事で自分が偉いと錯覚する輩をのさばらせないようにする事だ。
この手の輩は相手のあらゆる意欲をそぎ落としていく、スポイルマシーンである。
得てしてこの手の輩は、相手を貶めるためのあらゆる努力を惜しまなかったりする。要するに、弱者を殴るのが好きで好きで仕方が無いのだ。好きな事には人間も力を注ぐのである。
そうして、自尊心もやる気も徹底的に打ち砕かれた者が周囲に量産される。楽しいのはそいつだけである。
故に、金髪の女は。どれだけ優秀な相手でも、そういう者には個別授業をするか。
もしくは別のクラスに移すようにしていた。
良い成績を上げていると不満の声を上げる同僚もいたが。
基本的に、この手の輩がもたらす害について、金髪の女は丁寧に説明し。そして排除することを必要としていた。
一人の超人が、小さな戦場では戦闘の趨勢を決めるかも知れない。
だが、金髪の女がいた時代にも。
超人が活躍しやすい舞台は整っていたし。
実際華々しい戦果を上げることはあったが。
それでも大きな戦いの結果を、超人一人が変える事は無かったのである。
どんな天才だろうが。
ライフルで撃たれれば死ぬ。
それが容赦の無い事実なのだ。
「歴史を学ぶと知る事になるんだ。 人間という生物が如何に未完成で非人道的か、ということをな。 あらゆる装飾で誤魔化そうとしてきたが、それらの全ては上っ面に過ぎないものだ。 だからこそ、未来を少しでも良くしようとしなければならない。 君は犠牲者だ。 社会そのものを構築していた当時の人間達が悪い」
「でも、俺は……ずっと言われて来ました。 お前の全てが間違っているって。 顔や姿が醜い。 言う言葉がおかしい。 どもりがあったんです。 頭がおかしい。 つねにそう言われました。 俺は頭の回転はあまり早くなかったから、勉強を必死にやって、知識を身につけました。 そうしたら、小賢しいといつも殴られました。 やることなすこと否定されて、親にも兄弟にも、いつも人前で罵られました。 俺が書いたものは全て破り捨てられて、或いは見るなり何もかもが馬鹿にされました」
手を覆う男。
最悪の環境だなと、金髪の女はぼやくしかなかった。
金髪の女が生きた時代とは違う世界の出身者のようだが。それでも、この男は恐らく、地獄のような人生を送っただろう。
納得など行く筈が無い。
悲しそうではあるが、それだけ。
此処では感情は爆発しないのだから。
丁寧に、説明をする。
「人間は基本的に愚かな生き物だが、その中でも特に愚かな連中は、自分より下の存在を作り続けないと満足できない。 怖くて仕方が無いんだよ。 これは人間が群れの中で序列を作る動物である事が要因にもなっているし、群れを大きくしすぎると生じるストレスが問題にもなっている。 飼う際に規模が大きくなると、鶏や魚ですら虐めを始めるが、それは要するに人間が鶏や魚と同レベルの生物だと言う事を意味している。 君を虐めたのはそんな程度の相手だ。 気にする必要などない」
「だけれども……俺は……何にも自信が持てません」
「それが君の心残りか」
「……はい」
何か、得意だったことはないのか。
聞くと首を横に振られた。
得意だったものを頑張れば頑張るほど否定され。馬鹿にされて、どんどん嫌になっていった。
好きだったものに関して、この世で一番自分が下手だった自信があるとまで、青年は言い切った。
金髪の女は呻く。
それでは、よくその年まで生きられたものだ。
オリエントの時代では、精神科医など存在しなかったから、きっとストレスで死んでしまっただろう。
だが、青年が生きた時代は違った。
対処療法は存在していたから、きっとそれで「生かされた」のだろう。周囲が、あざ笑い馬鹿にするために。
どうしようもない。「先進国」の出身のようだが、はっきりいって金髪の女の記憶には、実際に問題をクリア出来ていた先進国など歴史上存在し得なかった。
金髪の女の時代の少し前に、地球文明を崩壊寸前にまで追い込んだ国は典型的な独裁制の国家だったし。
かといって、地球の統合政府的な国家にしても、腐りに腐りきっていた。
「分かった。 少しずつ、君の得意を探そう」
「そんなもの、ある訳ないですよ」
「人間の能力っていうものは、それほど変わらないものなんだよ。 そして能力がどこかしら特化して高い人間は、その分欠陥も突出している」
俯いている青年に、根気よく声を掛ける。
誰もが世界一を持っている、等と言うことは無い。
それは残酷な事実だ。
人間の性能は特化してでさえそうなのだ。
だからこの青年についても同じ。
他の連中だって、この青年を笑っていたが。だが、全てにおいて本当にこの青年を上回っていたのだろうか。
自信をへし折って馬鹿にしていけば、それはその内ミスもする。ミスをした時に盛大にはやし立て、足手まといだ何だと馬鹿にしていったのでは無いのだろうか。
見返そうとすれば集団で馬鹿にされる。
それでは、どうしようもない。
「一つずつ、順番にやっていこう。 何、時間はいくらでもあるのだ。 それに……そのような事をしていた輩が、地獄に落ちなかったはずがない。 少なくとも、このような不可思議な世界があるのだ。 地獄はあるだろう」
「……そうだと良いんですが」
「私の授業を受けなさい。 少しずつ、君の頭の中の淀みを取り除いていけば良い」
まずは、この壊されてしまった青年に、一つずつ優しい言葉を掛けていこう。
教師としての仕事だ。
それにしても、この様子では。
この青年の場合、周囲の生徒だけではなく、教師も駄目だったのだろう。
情けなくて溜息が漏れる。
人間はいつの時代も。
本当に駄目な生物なのだと、それしか結論が出来ない。
歴史を学んだ事があると、どうしても、そうとしか結論出来なかった。
青年を家に帰した後。ため息をつく。
木を見上げる。
空はあまりにも精神衛生的に良くないから、木を見るようにしているのだ。
何かしらの方法を使わないと、人間は変えられない。
もしも、金髪の女の時代の人間が、太陽系外に進出でもしていたら。
その時には、他の宇宙の知的生命体にとって、最大最悪の有害生物と化していただろう。
それについては、疑う余地のないところだった。
それから、様子を見ながら歴史の授業を行う。
実際に教えているのは、いずれもが見かけと中身が一致しない者ばかり。だから、多少緊張もした。
余裕がある時代には、大人になってから学校に戻ってきて学び直す、というようなケースもあったらしいが。
少なくとも金髪の女の時代。
そんな余裕を持つ者はいなかった。
手抜きは出来ない。
此処では資料の参照も出来ない。
ただ、自分の記憶については、とても冴え渡っている。歴史の授業をどんな風に行ったか、全て覚えているほどだ。
或いは感情をそぎ落とした結果。本能も奪い去った結果。
何もかも、己の「個」に特化した存在になっているのかも知れない。
古代の歴史の授業から、近代に向けて少しずつ授業をしていく。
そうすると、かなり鋭い指摘が入ってくる事がある。
やはり歴史にズレが生じているのか、後の時代には見解が違うケースがあるのか。
勿論笑顔で丁寧に話を聞き。
そして訂正すべきならする。知識のアップデートは常に必要だから、である。
一方で、見解が単純に異なる場合については、幾らでも議論をする。
それが必要だと判断出来るからだ。
授業が面白いと感じたのか。
歴史の授業に参加するものが増えてきた。
長老は授業には参加してくれなかったが。そもそもこの乾ききった土地では、急いでする必要がある事は無い。
死に到るような怪我をしても、基本的に即座に元に戻るのである。
大きな作業が必要になるのは、「上がり」が生じたとき。
歴史の授業をし始めてから、一度だけ、それは経験した。
残念ながら例の青年ではなかったが。
他の者が上がる時は盛大に祝い。
そして、本当に集落が消し飛ぶ大災害に見舞われて。
一月掛けて集落を再建し。
本当に此処では何をするのも無駄なんだなと思い知らされた。
「というわけで、古代の中国、秦王朝の成立については以上だ。 何か疑問があったら、遠慮無く言って欲しい」
「……」
待っていた。
青年が、手を上げる。
他にも手を上げている者がいるが。
青年は勇気を振り絞ってくれた。
とてもか細い勇気だ。これを掴まなくて、教師と言えるだろうか。教師として、生徒を守れなかったのだ。
今度こそ。
此処では守らなければならない。
青年の名前を呼ぶ。
青年は、少し躊躇ってから、言う。
「そ、その。 間違っているかも知れませんけれど、始皇帝は本当に不老不死など願ったのでしょうか」
「どうしてそう思うのかね。 思うところを述べてみなさい」
「……その、秦王朝がすぐに滅びてしまったことは、自分も知っています。 実際に長期政権になったのは、その後の楚漢時代の混乱を経て成立した前漢です。 始皇帝は、無理な統一の結果、国が固まっていなくて、それで時間がほしかったのではないの……でしょうか……」
良い意見だ。
実際問題、中華は古くからいわゆるオカルトに対する為政者の態度が厳しかった。しかしながらまだまだ厳然たる実証主義、なんていうものは存在せず。オカルトは堂々と語られてもいた。
君子怪力乱神を語らず。
そう言ったのは孔子だが。
その孔子でさえ、オカルトに関する話をした説話が残っている。
つまり、どれだけ実証主義を唱えようと。
まだまだ社会が未熟だったのだ。
オカルトは、金髪の女の時代にまで残っていたほどなのだ。
古代にオカルトを排除しきれる筈が無い。
「残念ながら、君の意見は実証できるものではない。 それこそ始皇帝がここに来れば分かるのだろうが……それはどうしようもないからな。 西晋の司馬炎はここに来たと聞いているが」
はははと笑い声が起こるが。
咳払いをする。
こう言うとき、周囲が笑うことは。
一番精神を痛めつける事を、金髪の女は知っていた。
教師なら当然知っているべき事だったが。
それさえ知らないものが、金髪の女の時代にもいて。結構苛烈な言い合いになった事もあった。
まあ生きていた頃はごついオッサンだったので。
意見は通しやすかったが。正直な話、そうでなかったら意見をうまく通せたかは、正直自信が無い。
「だが、面白い意見ではある。 今後、資料が見つかれば、君の意見は立証される可能性もある。 始皇帝は宦官の趙高に好き勝手にされていたという説もあるが、そんな人物が乱世を一代で統一まで持っていくことなど出来はしない。 ましてや始皇帝は、幼少時から地獄の苦労を重ねて生き延びてきた人間だ。 きっと世界について良く知っていて、まだ死ぬべきときでは無いと思っていたのだろう」
「……」
「悲しい話だが、誰でも晩年は思考能力が落ちる。 判断力も低下する。 趙高ら佞臣がそれに乗じたのは事実かも知れない。 ただ、始皇帝ほどの人物ともなれば、恐らくは客観的に己が作り上げた国を見る事が出来ていたのだろう。 民を加害する事を好んだ、というのは穿ちすぎた考えだ。 先に授業でも説明したが、焚書坑儒も後の時代に脚色された悪行であって、実際には言論弾圧の域にまで行っていたかは分からない」
ずっと青年はそわそわしている。
分かる。
怖いのだ。
周囲が馬鹿にしに来るのが。
自分より立場が低い相手を作って喜ぶのが人間だ。
幸いと言うべきか。此処には、そういう者は存在しなかったし。いたとしても、金髪の女が止めるが。
「今の意見は中々に素晴らしかった。 始皇帝は実際問題、生きている間は秦を小揺るぎもさせなかった。 あれだけ不満分子が多く、燻るものもいたのにだ。 そういう意味では、二代皇帝を傀儡化した趙高の責任がより大きい。 そもそも生前から政務を怠り佞臣を侍らせ、破滅の種をまいていた西晋の司馬炎とは根本的に違うと言う事だ」
そう告げて、授業は終わりにする。
そして、解散後。
青年を呼び止めた。そして褒める。此処は褒めなければならない。
「なかなかに素晴らしい洞察力じゃないか。 歴史を学ぶ者としては、すぐに肯定は出来ないのが悲しいところだが。 こう言う意見を出してくれると、授業も面白くなる」
「でも、皆嘲笑って……」
「君の意見を嘲笑っていたわけではない。 前の環境と此処は違う」
はっきり言い切る。
青年は、まだ怖いようだったが。
それを攻める気は無い。
弱肉強食などと言う言葉は大嘘だ。
そんな言葉に沿って政治を動かした国は、例外なく衰退し滅びている。
あのスパルタだってそうだ。
過剰に暴力的な統治をしたスパルタは。苛烈すぎるやり方が結果として反動による急激な堕落を招き。
その凋落はあまりにも惨めだった。
それにスパルタはそもそもの存在が神格化されている。
実際には誇張されている描写が多いとされており。
あらゆる意味で、弱肉強食などと言う理論では社会は動かない。残念ながら、「一部のスペシャリスト」の能力は、人間が思っているほど高くは無い。
如何に弱者の力を引き出し、活用するか。
それには弱者にもきちんと旨みがある世界を構築する必要がある。
古くから言われてきた事だが。
これをきちんと理解し、実践できた君主は殆どいない。
残念ながら、それが現実だ。
「今の意見は、見所があった。 今後も、どんどん歴史の授業をするから、参加して意見を出して欲しい」
「……」
「勿論その全てを肯定することは出来ない。 だが、とても興味深い意見を出してくれたことを、私は忘れない。 それを君も忘れないでほしい」
青年は、ずっと俯いていた。
時間が掛かるが、仕方が無い。
少しずつだが。
自信をつけさせていくしかない。
授業が終わった後、しばらく自宅で休む。体が根本的に変わっても、本能も生理反応も、代謝もなくなっているから、何がどうしようもならない。汚れも勝手に落ちるのだ。フロも必要ない。
食事も木の実だけだから色々と味気ないが。
少しずつ、自分を取り戻せている気がする。
教師として生徒を守れなかった。
その口惜しさだけがあったが。
今は、守るべき生徒が出来はじめている。
少なくとも、あの青年には上がりを迎えさせてやりたい。それが、悪夢の時代に、子供達を救えなかった自分の贖罪。
英雄などクソくらえだ。
何が新人類だ。
人間が進歩しなければならないのは事実だが。金髪の女の時代には、愚劣な大衆が無責任に英雄を求め。
独善的な専制君主が反動的な方法で人類だけではなく地球そのものを滅茶苦茶にした。
民がいなければ国など成り立たない。
そんな現実さえ見えていない愚か者ばかりだった。
だからこそ、教師として頑張らなければならない。
教師として、一人一人に教育をしなければならない。
教育制度の問題は、教師として出来る範囲内で解決しなければならない。
戦士と兵器ばかりが注目される世界で。
その弊害を見て来たからこそ。
金髪の女は、そう決意する。
そして、少しずつ、教師としての誇りを取り戻せ始めている事も感じる。彼奴らは救えなかったかも知れない。
だが、今。
目の前にいる、駄目な教育制度のエジキになった哀れな者だけでも。
絶対に救うのだ。
人を救うというのは簡単な事では無い。
教師に出来る事も限られている。
だが、今できるのであれば。
やらなければならない。
木を見上げに行く。長老が来ていた。
なんというか、超然的な長老だが。木の実は普通に食べている。それを見ると、少しおかしい。
「どうかしましたか」
「なんというか、貴方は超然として人間的ではないと感じていたから、食事をしているのを見ると少し面白い」
「私は人間でしたよ。 正確には、最後に人間になった、というのが正しいのでしょうが」
「詳しい事は聞かないでおこう。 なあ、長老。 私がいた世界の事を、どう思う。 素直に聞かせてほしい」
長老はしばし黙ると。
木の実を頬張り、丁寧に口を拭ってから答える。
なお、汚れは見る間に消えていく。
「特に変わった世界ではないと思います。 人間が進歩せずに宇宙に出れば、多かれ少なかれ、そんな風になるでしょう」
「貴方の世界ではどうだったのだ」
「私の世界では、そもそも宇宙規模の古代文明が種をまいていきました。 意図は私も分かりませんが、いずれにしても故に複数の銀河に渡って、人類が存在していました」
驚いた。
それは確かに、色々と別の世界だ。
銀河系はそんな世界にも存在していた、と言う事か。
なるほど、前提が根本的に違うのなら。長老がなんというか、色々超然としているのも納得がいく。
「教師としては上手くやれているようですね」
「ああ。 少しずつ……教師として出来る範囲で、自分の出来る事をしていきたい」
「あの青年、少し経歴を偽っています」
「!」
そう、なのか。
そういえば、此処にいる者は、皆見かけと中身が異なっている。だが、此処で偽る理由はない。
何かあるのか。
「大筋では間違っていません。 しかしながら、ほんの少し違う部分が、青年の心残りなのです」
「……そうか」
「もしもあの青年を救うつもりなのであれば。 いずれ、青年からその事を詳しく聞き出してください」
「分かった」
頷く。
ならば、そうしてやる。如何にどうしようもない世界に生きていたかは分からない。はっきりいって、自分だって同じようなものだったのだ。
だからこそ、話を聞くことは出来る。
だからこそ、相手の壊れた心に手をさしのべられる。
他の者が出来ないのであれば、自分でやるしかない。
全てを否定されて、そして社会の安全弁として過ごさなければならなかったのは事実なのだろう。
だったら。その悪夢から、解き放ってやらなければならない。
教師としてそれが出来るのなら。誇りを掛けて、やらなければならなかった。
3、黒い影
何度目かの歴史の授業を行う。
紙もペンもないので大変だ。だから棒で地面に書いて説明をしていく。時間は掛かるが、棒を用意するまでとか、色々授業が原始的で楽しい。
また地面そのものも柔らかく。
字を書けば、かなりの長時間残った。
このような状況だから、あまり長時間勉強をするわけにもいかない。手短にまとめていくしかない。
教師としての腕の見せ所である。
「今日は遊牧騎馬民族についてだ。 中華では様々な呼ばれ方をしたが、彼らは決して蛮人では無かった。 ただその生活スタイルが、略奪を主体としたものだった、ということだ。 文明の形としては、そういうものだったとして考えるしか無い。 そして彼らに決定的な強さを与えたのが馬具の改良と、弓矢に用いる膠の改良だった。 これにより、遊牧騎馬民族は、圧倒的なアウトレンジからの射撃と、高速機動という極めて凶悪な戦略的優位を手に入れた」
とはいっても、遊牧騎馬民族は後の歴史で言われる程残忍でもなければ、非文明的でもなかった。
遊牧騎馬民族は基本的にまず友好の使者を送り、相手との交友を計った。それが決裂した場合は相手に苛烈な攻撃を加えたが。その虐殺の程度については、実際にはどの程度か分かっていない。事実生き残りがいるのだから。
問題は遊牧騎馬民族に被害を受けた文明圏が歴史を後に編纂していった立場になった事で。
その結果、遊牧騎馬民族は極悪非道の邪悪の権化とされていった事だ。
おかしな話である。
残虐性や歴史に与えた害悪で言えば、ヴァイキングに代表される海賊の方が余程に上である。
これらは歴史の勝者側に存在する故に、その残虐極まりない歴史は「勝利と征服の歴史」とされ。
一方シルクロードを完成させ、文明圏を接続させることに大きな役割を果たした遊牧騎馬民族は。
現在でも虐殺と強姦しか能がない冷徹で邪悪な民族として描写されている。
これらは極めて不平等なものであり。
偏見と、人間の歴史を見るときに客観性が如何に重要か、というのを示す事例である。
これらを淡々と説明していく。
恐らく、銀河規模の文明に発展した人類の中には、異星人と接触したものもいるだろう。
銀河系だけでも、恒星系は最低2000億。
宇宙人がいない方がおかしいのだ。
だから、耳が痛い話かも知れない。
メンタルがそのままで宇宙に解き放たれた人類は。人類が様々な映画で醜悪かつ残虐に描写してきた、どんなエイリアンよりも残忍非道だっただろうから。
それは、金髪の女が実際に生きていた時代でもはっきり分かる。
外に出してはいけない生物だったのだ。地球人類は。
軽く授業をした後、質問を受ける。
今日は、青年は手を上げなかった。
一方、鋭い質問も飛んでくる。
「チンギスハンについてだが……」
かなり未来の文明から来た人間らしいが、ズバズバ質問が来る。実は彼こそ、この間の災厄でここに来た新人だ。
見かけはひょろっとした少年だが。
実は武の権化とまで呼ばれていた存在らしく、生前は武勇で鳴らしていたらしい。それも宇宙時代にだ。
なお、少し話を聞いてみたが。
やはり金髪の女の生きた世界とは、別の世界の人間らしく。色々と異なる話を聞かされた。
「そうか。 その功績を加味しても、残忍な君主という評価は覆らないのだな」
「当たり前だ。 ただ、同時代の人間達に比べて、寛容な面も大きかったのも、また事実でもある」
「武によっての評価はされないのか」
「個人の武勇、将軍としての武勇、いずれもチンギスハンは卓越していた。 だが、彼の武はどちらかというと自分でも制御出来ない凶暴なものだった。 事実彼は実の兄弟を諍いによって殺している」
少年はむっと口をつぐむ。
チンギスハンにあこがれを有していたのだろうか。
「どんな文明でも、少なくとも家族を殺す事は悪徳となる。 彼は有能で英明な君主であり、愛妻家でもあったが、残忍な面があった事は否定出来ない。 とはいっても、何度も言うが、彼よりも同時代の君主は残忍だったのも事実だ」
「……面白いな」
「何がだ」
「否定と肯定をバランス良くしている。 徹底的に否定するわけではないのだな」
当然だろうと言うと、少年は苦笑する。
どうしてかは分からない。
武の権化には、おかしな話なのだろうか。
「どれほど強くとも、一人では出来る事に限界がある。 文明が発達した世界では、補給はどうしても戦闘で必要になってくるし、休息もそうだ。 歴史的に武勇が知られるあの楚の項籍ですら、最後には数百人を倒すものの全身傷だらけで動けなくなった。 どれだけ強くあろうとも、人は一人で出来る事など知れている。 つまり、人には長所と短所が必ずあるのだ」
「軟弱な理論だと、生前の我なら言っていただろうな。 だが、今ならそれも納得出来る」
「そうか、それは有り難い話だ」
「また授業を聞かせてくれ。 俺は此処で、武以外の事を知りたい」
授業が終わる。
片付けをしていると、意外な事にあの気弱な青年と。それこそ戦闘しかしらなかっただろう少年が話をしている。
だが、別に青年が臆している様子は無い。
むしろ、少年の方が。
ひょっとして、同じ世界の出身者か。
だとすると、何かしらの理由があって、此処に来た関係者なのかも知れない。いずれにしても、あの青年、少しずつは心を開けるようになって来たのか、それとも。
もしかすると、唯一、生前心を許していた相手なのかも知れない。
まあ、歴史に関わる者としては。
それらは、様々なデータを得て、漸く立証できる。
話を直接聞いたからと言って、その内容を全て鵜呑みに出来る訳でも無い。
それが歴史の面白いところだ。
しばしして、様子を見に行く。
少しだけ、時間をおいてから、話を聞いてみた。
「あの少年とは知り合いなのか」
「……はい。 姿は随分違いますが」
「そうか。 何か、分かった事はあったか」
「俺を守りきれなかったことが心残りだったようです。 俺もここに来ているのを知って、驚いていました。 ただ、俺が少しだけ、心が安らかになったようだと、安心してもいました」
「……」
話してくれるまで、気長に待とう。
そう判断。
いずれにしても、こういう大事な事を口にしてくれたのだ。ならば、信頼関係が少しずつ出来上がってきていると言う事だ。
それだけで、現状は満足するべきである。
ただ、一つ気になる事がある。
「彼は、君を否定したのか」
「……彼は、俺に対して何も言いませんでした。 ただ俺の剣となって、戦い続けてくれました。 その死後からです。 俺が完全に孤独になったのは」
「そうか……」
「少し、一人にしてください」
「ああ」
分かっている。
少し事情が複雑だと思っていたが、何処かの偉いさんだったらしい。うすうすそうではないかと思ってはいたのだが。
どうやら予感は当たった。
そうなると、恐らくだが。
勘違いした帝王教育をされた、というのが事実だろうか。
帝王教育では、基本的に精神を徹底的に叩く。その結果、脱落する者も出るが。親は見向きもしないという。
文字通り非人道的な教育で、絶対に許されるものではないが。
色々言い訳して、この非人道的な教育を行う者はいるのだ。
その犠牲者だとすると。
どうにかしなければならないだろう。
一旦その場を離れる。
あの少年が、青年に仕えていた武人だったとしたら、さぞや辛かった事だろう。
いずれにしても、まだ情報が足りない。
もっと知らなければならない。
ふと気付く。
歴史について、此処まで真摯になれている。
いつの間にか、無力感は消えてきている。
そうか、やはり自分は。
歴史が好きなのだ。
手を見る。
生徒達を救えなかったことは、今でも心に大きな傷を残している。多分金髪の女が生きた時代だったら、「男らしくない」とか言われて面罵されていたかも知れない。
だがそれはどうなのか。
そもそも狂ったマッチョ文化の結実が、被害者意識の暴走からの特権階級意識へと飛躍したのではないのか。
偉そうに名前をつけていたが。
結局欧州圏のマッチョ文化が、あらゆる意味で後の時代の歴史に悪影響を与えたのは疑いない。
やはり、生きていた時代の社会そのものが間違っていた。
その結論は揺るがない。
だったらあの子達を救えなかった事は。
勿論許せない。
だが、それ以上に。
あんな社会にしてしまった、全ての人間に責任があり。
自分だけではなく、皆が責任を背負ったのだとしたら。
思わず俯く。
子供達は無駄死にさせられたのではなく。
社会に殺されたと言う事か。
恨むべきは社会だとしたら。
大人でも変えられない社会だ。どうしようもなかったと、諦めるしかないのか。
ふと、側に長老が立っていた。
情けなくて泣きたくなるが。
泣くことさえ出来ない。
「どうしようもない社会だったから、仕方が無い、と言う所ですか」
「……それは、歴史を学んだ者としては、出してはならない結論だ。 誰かが、誰かが原因なんだ」
「少なくとも貴方は原因ではありませんよ。 貴方が育ててきた者達も、多く社会に貢献していたでしょう」
「……」
長老は、見透かしている。
というか、経験したことがあるのだろう。
一体この長老、何処でどんな地獄を見てきたのか。一体元の姿は、どんな存在だったのか。
天を仰ぐ。
知っているのとは違う天を。
ひょっとしてだが。
此処はむしろ地獄などではなく。今まで生きていた世界こそが、地獄なのでは無いのか。そう金髪の女は思った。
それから、歴史の授業を進める。
悩みながらも授業はするが、基本的に好評だった。質問についてもどんどん受けつける。別の世界では出てきている資料もあったりして、それについて聞くと、むしろ感心させられた。
「一本取られたな」
そう言うと。
周囲は皆、楽しげに笑う。
決して嘲弄ではない。それについては、事実として受け止められる。
だが、やはり青年は辛い様子だ。周り中から馬鹿にされていたというのが、やはり此処でトラウマになって心に刺さるのだろう。大いに分かる。子供の陰湿な虐めは異次元だ。相手を殺す事など何とも思わない。
単に面倒だからやらない。
枷が外れれば、子供は平気で相手を殺す。
それを金髪の女は知っていた。
授業が終わった。今日は中東の衰退についての話をしたのだが。授業後に、青年が話をしてくる。
「大帝国の衰退は、あっと言う間なんですね」
「今までの授業でも説明したが、一度腐敗し自浄作用が働かなくなると国はあっと言う間に瓦解するものなのだ。 上手く行っている内は皆が我慢もする。 だがそうならなくなると、一気に不満が噴出する。 そして国は金持ちが動かしているんじゃない。 金持ちが動かしているように錯覚されることもあるが、実際には金持ちなんて大した影響力を持っていない。 文明が滅びるときに、金持ちは悉く駆逐される。 だが結局末端の人間は残る。 そういう事だ」
「……みんな、不満だったんでしょうか」
「人間は皆身勝手な生物だ。 ただでさえ身勝手で残忍な生物が、露骨な不公平に晒されたらどうなると思う」
それはもう、歴史が証明している。
青年は頷く。
知っていると、言った。
「俺は……子供の頃は親から何もかも否定されながら育ちました。 たまたま地位につけたのは、俺の兄たちが皆死んだからです。 地位に就いてからは、あいつが側にいてくれましたが。 側にいてくれただけです。 実権は相変わらず親達が握り、常に兄が生きていたらと俺の存在を否定し続けました。 それは父親が死ぬまで続きました。 母親は、父親が死ぬと、更に態度が酷くなりました」
連日、お前など産まなければ良かった。そうヒステリックに叫ぶ母親の言葉は、今でも耳にこびりついているという。
誰も味方をしなかった。
周囲から聞こえてくるのは陰口だけだった。
「それは酷い環境だ」
「しかしそれが俺の周囲では正義でした。 俺は無能な君主で、武神に担がれているだけの椅子の上のハリボテとされていました。 民も家臣も皆俺を嘲笑っていました。 家臣は俺の一挙一動を嘲笑い、何かあったらまず武神に聞きに行くだけ。 俺は、自分が無能であったのか、よく分からないのです」
「……そんな環境を良く耐えた。 それだけでも立派だ」
「立派だなんて。 俺は耐える以外には何もできませんでした」
そうか、それが此処までの無力感につながっていたのか。
同情の言葉は、今は掛けてはならない。
吐き出させなければならないのだ。
「俺は老人になるまで、罵られながら生きました。 一応後宮もありましたが、誰かがうらやんでいるのが不思議なくらいの地獄でした。 子供は何人か出来ましたが、皆それぞれ母親に囲い込まれて、俺は会う事も出来ず、会った所で次代のためにさっさと死ねとしか言われませんでした。 何度か毒殺未遂もあったようですが、偶然俺の所に毒入りの食事が届かなかっただけです」
それで国が良く回ったものだ。
国が良く回っている内は、そう簡単に壊れることはない。
実際問題、小国だった日本が、世界最強のモンゴル軍の直系子孫である元軍を撃退した元寇という歴史的実例もある。
しかも台風で偶然生き延びたのでは無く、実力で押し返したことが現在ははっきりしている。
国が腐らなければ。
簡単に侵略など受けないし。
受けた所で撃退出来るものなのである。
「俺の死と同時に、国は瓦解したらしいです。 前に俺と同じ世界から来た奴と会ったことがあります。 全ては俺の責任にされました。 その時には、武神と呼ばれた唯一の俺の理解者もこの世を去っていました。 瓦解はあっと言う間で、俺の死体は葬儀さえされず、ずっと放置されていたそうです」
「……そうか」
「俺の生きた意味はあったのでしょうか」
「あった」
断言する。
国家の安定を保ち続けるために、必要なピースとして存在していた。
それは客観的な情報からして確実だ。
無能と呼ばれていても、例えばその存在自体が、有力な家臣が互いを掣肘し合い、トップを奪えない要石になっていたのだとしたら。
武神と呼ばれる名将が周囲に睨みを利かせ、王を無言で支えていることにより、権力が安定していたのだとすれば。
それには大きな意味がある。
恐らく、それを崩して政権を取りたい人間が周囲にはうようよしていたのだろう。
腐りきった金髪の女の故国もそうだった。
恐らく、国自体が安定していたのは、受け継がれてきたシステムが良かった、という点もあったのだろうが。
それにしても、歴史的には充分な価値があったのだ。
それを順番に説明していく。
そして、数十年に達する安定に、どれだけの価値があるかについても。
「俺は、王宮どころか、殆ど寝室と玉座の間以外の場所は知りません。 後宮でさえ、実際に物理的な場所がある訳では無く、家臣達が侍らせる女を毎回勝手に選んでいただけです。 相手の素性さえ知りませんでした。 そんな王でも、ですか」
「本当に大変だったな」
「……」
「歴史を学んだものとして保証する。 君はよく頑張った。 君は数十年の平和の維持に良く寄与した。 君は名君とは言えなかったかも知れないが、改革者を気取る暴君よりも何百倍も立派だ」
俯く青年。
ずっと、何一つ出来ない無力感にうちひしがれていただろう彼は。
やっと、それで安心したのだろう。
少年が来る。
そして、金髪の女に頭を下げた。
「有難う。 俺の心残りは、苦しみ続けた主君の事だけだった。 俺自身、喋るのが苦手で、主君が耐え抜いているのを分かっていても、何も具体的に話に乗ってやることすらできなかった。 だが、はっきり専門家がそう言ってくれるのなら……俺の心残りはなくなる」
「……お前」
「もう良いでしょう。 同時代の人間の誰もが貴方を無能と罵ったとしても、それは同時代の人間達が無能だっただけです。 社会そのものが間違っている事はあるのです。 社会そのものが間違っていても、それに大きな混乱も生じさせず、数十年の平和の要石になった貴方は立派だ。 貴方が少しでも我が儘をいうなら。 例えば佞臣どもを駆除しろと命じたなら、俺はすぐにでもそうしていたでしょう。 しかしそうすれば、国は一気に崩壊へと向かったはずです」
大きな溜息が、青年の口から漏れた。
きっと普通だったら、泣いていただろう。
だが、歴史を知り。
歴史を教えるものだからこそ。
この青年がいただろう時代が、奇跡的なバランスで成り立っていて。そして平和で価値のある時代だったのだと理解出来るし。
それを相手に教える事も出来る。
ずっと苦しかっただろう。
だが、もう苦しむ必要はない。
なぜなら、腐っていたのは社会の方。むしろ青年は、被害者だったと断言できるからだ。
もう一度、丁寧に言い聞かせる。
「必ずしも、天下万民はかしこくも無ければ愚かでもない。 天下万民そのものが腐敗することもある。 自浄作用が働かなくなれば、天下万民そのものが国の癌になる事だってある。 私の時代ですらそうだったのだ。 人間が何も変わらず宇宙に進出したのなら、きっとどんな条件が整おうと、結果は変わらなかっただろう。 愚かだったのは、君を嘲笑い続けた民衆や家臣の方だ。 君が気に病む事など、一つも無い」
「有難う、先生」
もう、何も言うことは無いだろう。
後は、二人だけにしておいてやるといい。
その場を離れる。
救えただろうか。
だとしたら。
歴史の教師としては、これ以上もない授業が出来た。そして、彼らの閉じた運命を、開く事が出来たかも知れない。
それは、とても誇らしいことだ。
自宅に戻ると、酒がほしいと思ったけれど。流石に此処では、酒は造りようがないだろう。
それに、アルコールで酔うことも出来ないはず。
苦笑すると、横になった。
ほんのわずかだけ、心が楽になった。
人間という生き物がどれだけ血に飢えていて、愚かだかは。歴史を少しでも学べば、誰でも分かる事だ。
自分でも経験してきた。
だが、それでも光はあると信じて。
自分に出来る事を伝えたかった。
今日は、それを出来たかも知れない。未来に若者を送り出すことは出来なかったが。この閉じた世界を、誰かが出る手伝いは出来たかも知れない。
もしもそうなら。
歴史教師としては、これ以上もないほどの成功だったのではあるまいか。
溜息が漏れる。
救われたのは、此方なのかも知れない。
それから数日が過ぎた。
相変わらず歴史の授業をして過ごし。
それが終わってから食事に出る。殆ど全自動で体が動くので、こればかりは仕方が無い。余韻に浸れず色々と台無しだが。それはまあ、此処の法則である以上、どうしようもないと言うほかないだろう。
食事をしていると、隣に長老が来る。
そして、告げられた。
「珍しい事に二人上がりです。 どうやら、貴方の言葉が、切っ掛けになったようです」
「そうか。 あの二人だな」
「恐らく貴方が思っている二人です。 良く、どうしようもなく詰んだ心を解きほぐしてくれましたね」
「いや……私こそ。 歴史を教えるだけの事しか出来なかった。 あの二人が、歴史の犠牲者だと言う事は良く分かった。 それを教えて、それが救いになったのなら……それだけで充分だ」
頷くと。
長老主導で、二人を送る会を行う。
酒は出せないが、軽く思い出話などをする。少年は来たばかりだったが。或いは、何かしらの法則が働いたのかも知れない。
そして翌日。
まずは青年の方が、災害と一緒に消えた。
上がりを迎えたのだ。
更に翌日。
少年も、災害と一緒に消えた。
此方も上がりを迎えたのである。
どうやら。少年の方は。完全な納得が、青年の。無能と言われ続けた王が、救われる事で為されたらしい。
或いは、完全同時に此処から上がりで誰かが抜ける事は、無いのかも知れなかった。
これもある意味歴史か。
二度の立て続けの災害だが。
結局の所、この集落がリセットされるだけ。
再建もされていないのだから、リセットのダメージはむしろ小さい。
更には此処では、災害が起きても誰も死ぬ事はないのだ。
ならば、災害など屁でもない。
長老が主導し、再建を開始する。
やはり破壊と同時に、ある程度の物資はどうしても支給されるらしい。何人かと一緒に見に行き。家の材料や、家を作るのに必要な原始的な素材類を集めてくる。片付けは他の者がやってくれている。
手分けして再建をしていると、少しずつ楽しくなってくる。
勿論、心の奥底に少しわき上がる、程度だが。
「先生、其方を頼めるか」
「ああ、任せてくれ」
「何だか楽しそうだな」
「ああ。 誰かのためになれることが分かった。 これほど嬉しい事は、早々にないだろうからな」
教師としての誇りが戻って来ている。
自分は役に立てる。
問題があったのは社会の方だとしっかり指摘できるほど、精神も回復してきている。そう、あの腐りきったモラルと、崩壊しきった社会こそが、子供達を殺した元凶。自分に、責任など無かった。
むしろ、今は。生き延びた生徒達が、何かを成し遂げることを祈り。
そして、仮に誰も生き延びられなかったとしても。今までに教鞭を執った生徒達が、必ず生きている事を。何かを成し遂げてくれることを祈るしかない。
あの社会では仕方が無かったのだ。
まともな精神の持ち主ほど苦しいだろう。まるで社会、もしくは社会を動かしている神の悪意にねじられるようにして命を落としたり、精神を病んだりするかも知れない。だが、そこまでは責任を持てない。
大人としての役割は。果たした。
それを理解するまで。いや、納得するまで。
随分時間が掛かってしまった。
多分、此処での時間で一年以上は掛かっただろう。
だがそれでいい。
それでいいんだ。
集落の修復まで一月。授業を通して、他の者達とも、すっかり打ち解けていた。
歴史の授業をするときは先生だが。その時以外は、先生でも何でも無い。むしろ話している相手の含蓄の深さに驚かされる事もしょっちゅうである。
だが、歴史の専門家としての誇りは取り戻すことが出来た。
まだ、兆候はないが。
恐らくは、もう少しでこの世界からは離れる事になるだろう。
そう金髪の女は、察していた。
4、最後の授業
歴史の授業をする。人類の宇宙進出についてだ。
なんと今日は長老が参加している。
或いは悟ったのかも知れない。
そろそろ金髪の女が、此処を後にするのだと。だからこそに、最後には、少しつきあおうと思ったのかも知れない。
「かくして技術の革新は進み、人類は宇宙に出た。 月に人類が降り立ったときは、誰もが未来を無邪気に信じた。 しかしながら、この辺りでどうも皆の歴史は分岐するようだな。 太陽系内で、愚かすぎる殺し合いを延々と続ける事になる歴史。 銀河系に進出出来ても、結局何ら進歩できない人類の歴史。 或いは此処にいることはないのかも知れないが、何かしらの進歩を遂げた結果、人類は万物の霊長であると言う妄想を脱して、星間文明を構築するのに相応しい人類へと変わった歴史もあるのかも知れないな」
授業を終えると拍手が起きる。
此処にいる皆は、姿こそ老若男女様々だが。
いずれもが、見かけと中身が一致していない。
含蓄だけなら、金髪の女より遙かに上の者だっている。だから、授業には最初から最後まで気を遣ったし。
何よりも、時々とんでくる鋭い質問が。
教師としての好奇心や楽しさを、とても後押ししてくれた。
学会は基本的にギスギスするものだ。
とはいっても、金髪の女の時代、まともに稼働している学会など存在しなかったのだが。それでも、ともかく学会とは違う。
スペシャリスト達に教え。
そして教わる。
こんな楽しい場は、教師として存在し得なかっただろう。
何よりも、袋小路に入り込んでいた者を、一人の大人として救えた。
救えなかった哀しみに苦しんでいたが。
社会そのものが悪いという現実を、素直に受け入れる事も出来た。
やはり歴史の教師は天職だったのだと理解出来たし。
それでもう、思い残すことは無い。
授業を終えた後片付けをしていると、長老に言われる。
「明日、です。 兆候が出たと言う事は、もう思い残すことは無い、ということですね」
「ああ。 全ての悩みは晴れた」
「それならば、後はゆっくりすると良いでしょう」
「……此処を上がったら、どうなるかは分からないのだよな」
寂しそうな笑顔を長老が作る。
勿論表情だけだろうが。
それでも、充分だ。
「分かっている。 此処自体がまともではない場所だ。 此処を上がったら、完全な無が待っているのかも知れないし、或いは何処か別の場所に、古代の宗教が言っていた様に輪廻転生するのかも知れない。 出来れば歴史の教師になりたいが、それは難しいのだろうな」
「何か思いを馳せるのも良いでしょう。 後はご自由に」
「長老、感謝している。 それにしても貴方は、どれだけ此処にいるのだ」
「覚えているだけでも数万年……ですね」
そうか。
それでは、余程の罪を犯したのだろう。典型的な暴君だったのかも知れない。
此処で聞かれる経歴は本当に様々だ。過去の時代の者までいる。そうなってくると、この長老が何処の何者なのかは、本当には分からない。
だが、もしも、今まで嘘をついていないとすると。
推察だが、複数銀河に渡る文明を構築した、圧倒的な武力で周囲をねじ伏せていく覇王だったのではあるまいか。
今は儚げな女の子の姿をしているが。
それは恐らく、生前と逆の姿だという言葉からも推察できる。
生前は筋骨隆々とした大男だったのではあるまいか。
だとしたら、どうしてこう言葉遣いが柔らかい。
数万年の時を経て、己の罪と向き合う間に。
或いは、性格自体がとても優しく、丸くなっていったのかも知れない。その可能性は、大いにある。
ただ、いつも無愛想な表情をしている事は多い。或いは、まだ己を許せないから、なのだろうか。
そうでなければ、数万年もの時、此処で過ごすことは無いだろう。
家に戻る。
授業を通じて、親しかった皆とは話をした。
だからもう良い。
後は静かに過ごすことにする。
酒があれば良いのだけれど、それはもうどうしようもない。此処は健全すぎる世界だからだ。
だが、健全すぎるからこそ。
皆、静かに過ごせていた。
ここに来たものは皆訳ありだっただろう。
そのままの性格出来ていたら、きっと此処は文字通り本物の地獄絵図になっていた筈だが。
それも起きなかったのは。此処を作った存在の采配なのか。
それとも、或いは此処は何かしらの偶然で出来た場所で、ただたまたま納得出来ずに死んだものが引き寄せられているだけなのか。
どちらかは分からない。
いずれにしても、静かに過ごすことにする。
時間は、あれだけ長く感じる事もあったのに。
最後の時は、あっと言う間だった。
ふと気付くと、光が見える。
ああ、時が来たな。
そう思った。
手を伸ばす。
生徒達は、全員は無理でも、生き延びた者がいるはず。そして、生き延びた者がいるなら、きっと後の歴史を少しでも良い方向に変えてくれるはず。
駄目だとしたら、それは社会の責任。
やれることはやったのだ。
これ以上の事を、責任感に押し潰されて悩み続けても仕方が無い。
静かな気分で、光の中を歩き出す。
いつの間にか、死んだときと同じ。中年男性の姿に戻っていた。あの美しい女の姿もそれはそれで良かったのだが。
やはり長年「自分」だった、この姿の方がいい。
さて、この先は何だろう。別に無であっても一向にかまわない。
やがて意識は、光に溶けて消えた。
長老として、新しい者を出迎える。その者の話を聞くと、どうも思い当たる節があった。
あの歴史の先生と、同じ世界の出身者らしいのだ。
少し話を聞いてみる。
どうやら、あの歴史の先生が命を落とすとき、やはり相当数の生徒達が一緒に死んだようだ。
だが、それでも。
生き延びた者はいて。そして、活躍したようだった。
その者は衝撃を受けていた。
肩を落としてもいた。
何となく分かる。
あの歴史の先生。相当な修羅の世界。長老が生きていた世界と同じような修羅の世界にいたのだろう。
だからこそ、文化など顧みられることはなかったし。
暴力が全ての世界だった。
故に、文化によって若者を育て。
そして未来を託すなどと言う行為を、理解出来ない者もいるのかも知れなかった。
肩を落としている者に指導して、復興作業を急ぐ。
この様子だと、しばらくは新しい者は来ないだろう。何かしらの刺激がない限り、此処を「上がる」者はそうそうに出ないのだ。
その刺激はいつも違う。
長老は、全ての刺激について覚えている。
だから、アドバイスをする事が出来るし。
己の心に巣くった心残りに、呼びかけることだって出来る。
とはいっても、己がやったことがやったことだ。ちょっとやそっとの事では、どうにもならないが。
新しく来たものにも家を用意した後。
先生がいなくなった家を見る。新しく来た者のために用意した家であるが。これらの家は、基本的に全て同じ構造である。毎回同じように組み立てるのだ。
家の専門家が前に来たことがあり。
それから様々な家の作り方を学んだ。
パーソナルスペースとしての家を用意して、皆が雑魚寝をして過ごす状況を改善してからは。
少しずつ、上がりを迎える者は多くなっていったし。ペースも上がっていった。
だから、毎回災害が起きる度に、黙々と家を作る。
此処を上がった者がどうなるかは分からないけれど。
きっと、光の中に溶けて。
そして新しい世界に行くことだけは、間違いないのだろうから。
呼ばれたので、出向く。
新入りが、新しい家が文化的では無いとごねているというのである。長老として、諭さなければならないか。
勿論、一日二日でどうにかなる話では無いが。
それでもしっかり諭す必要はある。
長老が出向く。
家で、少し痩せた女の姿をした者は、文句を言うが。それに対して、順番に説明していく。
説教するのでは無い。
丁寧に現状と、出来る範囲で出来る事をしていると告げるのだ。
此処では欲望の類は無くなる。
代謝もない。
それも説明すると、しばしして、納得したようだった。
長老としての仕事だ。
昔とは指導する者の数が違うが。
それはそれで、別にかまわない。慣れているし、何よりも昔とは違うやり方が色々と新鮮である。
刺激がほしいとは思うが。
それはそれ。この虚無の世界が今の自分には相応しいとも思うので、それ以上は考えない。
自宅に戻ると、ぼんやりと天井を見上げる。
焼け焦げるような憎悪に常に心を焼いていた昔とは違う。
今は、ただ静かだ。
あの歴史の先生は面白かったな。
生きている頃に会っても一瞥もしなかっただろうが。
しかし、今だからこそ言える。
歴史の片隅にしか残らなくても。
価値のある存在はいる。
最後の最後まで教師であろうとし、後続のために己の全てを捧げた存在を、誰が馬鹿にする資格があろうか。
神であろうとそのような事は許されない。
だからこそ、今はただ静かに、何か別の世界に行くなら其所で優遇されることを。或いは平和な世界に行ける事を願うばかりだ。
娯楽として眠る。
次の上がりが出るまで、少し時間が掛かるだろう。
その間に、心境を色々と整理しておきたい。
何もかもが終わってしまったように思えるこの世界でも、誰かが新しい場所に旅立てる。
それは何度も証明されている。
それが嬉しくもあるし。
いつまでも心残りが消えない自分が、口惜しくもある。
この世界に来たものを、あの教師のように導けるだろうか。
やり方を取り入れよう。
長老は、うつらうつらと睡眠を楽しみながら、そう考え続けていた。
(続)
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