地下の太陽の憂鬱
序、太陽は賢くない
もはや妖怪が存在し得なくなった世界の一角。
失われた伝承の存在が生きるために作り上げられた理想郷が世の片隅に存在している。
人は妖怪を恐れ。
妖怪は人を襲い。
人は勇気をふるって妖怪を退治する。
そんないにしえのルールが存在する最後の理想郷。
その秘境こそが幻想郷だ。
500年前に幻想郷が妖怪の有力者や、一部の神々。何よりも、神々の中でも力のある存在「龍神」の提言によって作り上げられ。
明治時代に、妖怪の衰退が決定的になったとき。
「存在の反転」を促す「博麗大結界」が展開されたことで。
この小さな理想郷は完成した。
なお、小さな理想郷である事からも分かるように。
この世界の中では、様々な自己申告の強力な能力持ちが存在しているが。
いずれもが自己申告に過ぎず。
その能力も、限定的にしか使えない。
大半の幻想郷の住人は、幻想郷から出るだけで消滅してしまうし。
そもそも現役で信仰されている外の世界の神々には、あらゆる意味で勝ち目がないのが実情なのだ。
龍神だけは別格だが、500年前の幻想郷建造以来、ずっと眠っていることもあり。
現在幻想郷の住民は、退屈になりすぎないようにたまにそれぞれが「異変」と呼ばれる問題を起こし。
その問題を知恵を絞って解決しながら。
穏やかだが危険でもある世界で。
厳しいバランスの中、静かに生きている。
そんな幻想郷の最底辺。
地下世界が存在する。
幻想郷のルールですら生きられなくなった妖怪達が最後に行き着く場所。
幻想郷最大の山岳地帯である「妖怪の山」の地下にある其所は。
通称「地底」である。
古い時代に地獄として使われていた場所も一部含むこの地底は、広大であり。幻想郷ともまた違うルールが蔓延る異質な土地だ。
管理しているのは「地霊殿」と呼ばれる建物で。
其処に住む心を読む妖怪、さとりの姉妹が名目上のトップ。
だが、実際には無法地帯に等しく。
多数のあらくれの妖怪達が、地底では今も好き勝手に遊び暮らしている。
妖怪は基本的に、精神が死なない限りは死なない。
これは妖怪が本質的には精神生命体だからである。
そして精神が死なない限り死なないと言うことは。
体が壊れてもある程度は平気、と言う事だ。
故に鬼をはじめとする好戦的な妖怪達は。
今でも地底で、遊び感覚で戦闘を楽しんでいる。
今日も、である。
ずしん、と強烈な揺れが来た。
妖怪、地獄鴉である霊烏路空(れいうじうつほ)は、まーたやってるなあとぼんやりと地霊殿から、拡がっているスラムを見た。
空は仲間からはお空と呼ばれる事も多い。なお空と書いて「うつほ」と読むのだが、お空と呼ばれるときは普通に「おくう」や「おそら」と言われる。
この名前は。
飼い主。要するに主君であるさとりの姉妹に貰ったもの。
だから大事なのだけれど。
お空と呼ぶものの方が多いので。
今ではどちらで呼ばれても反応できるようになっている。
元々地獄鴉というのは、地獄で亡者をついばむ妖怪だったのだが。
ある事件から空は体内に、太陽神の眷属である八咫烏の分霊体を宿すことになり。
その結果、核融合の力を操作できるようになった。
元々地獄は時代によって使われている地区が違い。
今地底に含まれている範囲は、「旧地獄」と呼ばれ、既に放棄区画となっている。
其所の住人だった空は、寂しくなってしまった地獄を哀しみ。
一度は大量殺戮して、地獄を賑やかにしようという短絡的思考に走りかけた。
寸前で幻想郷の管理者である博麗の巫女に頭をかち割られなければ。
幻想郷の人間は、核の炎に焼き尽くされていたかも知れない。
今は反省し。
静かに過ごしている。
空は地獄鴉だった時と、八咫烏と融合してからで、姿も変わった。
現在は人間に鴉の翼を生やしたような長身の女性の姿。
胸元には目のような形状の球体。
右手には着脱可能な六角棒。
右の足下には分厚い靴下と。
これらの衣装を好んで着込んでいる。
これらは、いずれもが核融合に親和性が強いものだという話は聞いているけれど。空の頭では理解は出来なかった。
空の頭は記憶に致命的な欠点があり。
昔から鳥頭と良く言われていた。
戦闘時は働く事から、頭が悪いわけではないようなのだけれども。
それでも、鳥頭と言われて怒る気にはなれない。
実際自分がやらかしかけた事で。
敬愛する主であるさとり姉妹の姉の方。古明地さとりが、各所に頭を下げて回っているのを見て、本当に悲しくなった。
だから、今は力がわき上がっても。地底で静かにするようにしている。
前は、暴れている地底の住人を見て、それが楽しみの一つだったのだけれど。
暴力そのものが嫌いになった今は。
また暴れているなあとしか、思えなくなっていた。
ぼんやりと頬杖をついて、地霊殿の屋根に登って見ていると。
スラムの方が、何度か爆発して、ぎゃあとか、ひいとか、悲鳴が聞こえる。
この様子だと、喧嘩しているのは多分上位の鬼と誰かだろう。
血の気が多い地底の住人は、相手が格上の妖怪でも平気で挑んでいく。
勿論鬼も挑戦を受ける。
だから、ああして戦いは起きる。
勝てっこないのに。そう思っていたら、バラバラに千切れた妖怪の死体が、吹っ飛ぶのが見えた。
どうせその内再生する。
だからやった方もやられた方も気にしない。
戦いが楽しくて仕方が無いのである。
だけれども、戦いの何が楽しいのか。
そもそも今は分からなくなっていた。
八咫烏の分霊が体に宿ったときは。恐らく気がとても大きくなっていたのだろう。非常に好戦的になり、地底でも散々暴れに暴れた。
縄張りになった旧地獄に近付く妖怪がいなくなるほどに凄まじいあばれぶりをした。
当然の話で、神々の力を振り回していたのである。
妖怪で勝てる訳がない。
戦いになっても、そもそも一方的な蹂躙になるだけ。
流石に戦いを好む地底の妖怪達も、そんな戦いは好まない。
それに気付くことさえ出来なかった。
今でも後悔がすごく心を締め付けている。
何でもすぐ忘れてしまうのに。
謝って回るさとり様の悲しそうな顔だけは覚えていて。
それがいつまでも、心に引っ掛かっているのだった。
「どうしたんだい、お空」
「ああ、お燐」
隣に腰掛けたのは、火車の火焔猫燐。通称お燐である。
名前の通り猫の妖怪であり、猫車を引いて幻想郷を駆け回っている。
目的は死体。
食べるのでは無く、地獄の燃料にするためだ。
燐は妖怪としては珍しく、人間を食べる事に機会があっても興味を見せないタイプで、人を襲う事もない。
その代わり葬式に出没しては死体を盗もうとするので。
人里ではとても嫌われている妖怪だ。
幻想郷の妖怪らしく、人間型をしているが。猫の耳と二股に分かれた尻尾だけはそのままにしているので。
猫又の一種か何かと勘違いされる事もあるようだった。
一般に猫と鳥はとても仲が悪いらしいのだが。
燐と空は古くからの親友で。
旧地獄で空が暴れていた頃、心配して地上に危機を知らせてくれたのも燐であり。
それを裏切りだとか思った事はないし。
今でも感謝している。
小柄な燐が側に座ると身長差が凄い。更に空は翼もあって横にも長いので、大きさという点でかなり小さく見える。
それでも、二人の友情に変わるところはない。
どちらかというとドライな交友関係が目立つ幻想郷にあって。
空と燐は、珍しい親友同士である。
「何だかさ、すっごく無意味な戦いしてるなーって」
「地底の住人とも思えない言葉だね」
「うん……。 収穫はあったの?」
「動物の死体がちょっとだけ」
ため息をつく。
昔、行き倒れの死体などは好きに運んで良いし。人里で隙があれば、葬式の死体は盗んでも良い。
そういう風に、幻想郷の賢者には言われていた燐である。
ところがだ。
そもそも現在では旧地獄が稼働していないし。
だいたい前提として行き倒れなんていない。
しかも人里では、葬式に命蓮寺という強力な妖尼僧がトップを務め、人間達にも慕われている勢力が出張ってきている。この命蓮寺はとにかく強大な使い手が揃っていて、葬式でも隙なんて一切見せなかった。
人里では、信仰を奪い合って三つくらいの勢力がしのぎを削っているらしいのだけれども。
葬式の時だけは現金な話で、どの家でも命蓮寺に頼むのだという。
おかげで、最近燐が引く猫車に乗っているのは、動物の死体ばかり。
気の毒に思ったのか、妖怪の賢者が外の世界で確保したらしい死体をくれたりもするのだけれども。
どうも病気か何かで死んだ人間の一部を、本人が生前に同意した上で引き取ったものらしく。
燐はそれを見て、これしかないのかという、悲しそうな顔をするのだった。
それもまた、空には悲しい事だった。
一応旧地獄の灼熱地獄の一部は、まだ死体を燃やして動いている。
亡者は誰もいないけれど。
其所に死体を運んでいる燐の行動は、無意味なのかも知れない。
だが、本能だし仕事だ。
燐は妖怪としては珍しく、人を殺す事はありえないし、そもそも襲う事もない。
これくらいは許してほしいものだと空は思うし。
或いは賢者も哀れんで、たまに死体を供給してくれるのかもしれなかった。
しばらく二人並んで、ぼんやり地底の町並みを見ている。
する事も無いし。
してはいけないからだ。
空はたまに「核融合炉」というのを動かすように言われるけれど。
それも地上にある守矢から指示が来て、主のさとりの姉妹が決済して、それでやっと動く事になる。
勝手に火をくべるな。
そういう風に、厳しく念押しされていた。
どんなに記憶力に問題がある空も、それは守るつもりである。
二度と、自分のために。
主が頭を下げて回る姿は、見たくなかった。
他の妖怪が、下から呼んでくる。
食事の時間だそうである。
燐はひとっ走り行ってくると言って、猫車を引いて虚空に姿を消す。
灼熱地獄に行って、死体をくべてくるのだろう。
動物の死体ばかりだが。
いずれにしても、不衛生なことは事実。
食事前にはしっかり片付けなければならないのだ。
地霊殿は広大な建物で。
内部にはステンドグラスの床が規則的に並んでいる。
空が中に入ると、既に人型、そうでないもの、いずれにしても妖怪達が黙々と食事処に向かっていた。
食事を作るのは当番制で。
たまに空にも順番が回ってくる。
料理はそこそこに出来る自信はあるが。
流石に本職の料理人ほどではない。
たまに、地上の妖怪が料理をするために地霊殿に来てくれる事があるのだが。
これはどうもさとりの姉妹が呼んでくれているらしく。
そういうときは、地上から料理人が来てくれたと声が掛かり。
みんな楽しみに食堂に出向くのだった。
今日は妖怪の山の川で取れたお魚の料理である。何種類かあるのを、ビュッフェスタイルで取る。
空は図体の割りに燃費がいいが。
これは元が鳥の妖怪だからかも知れない。
何種類かの料理をお皿にもって、席に着くと。
急いで戻って来たらしい燐が、向かいに座った。
誰も食事は始めない。
食事前に、だいたいの場合此処の主であるさとり姉妹からの短めのスピーチがあるからである。
そしていただきます、と声が掛かると。
皆食事に掛かる。
地霊殿は動物の妖怪ばかりの場所だが。
主による統率がしっかりしていて。
その点では、地底の他の場所とはかなり違っている。
地霊殿の外は文字通りのカオスなのだが。
此処には明確な秩序があるのだ。
以前ここに遊びに来た地底の妖怪が驚いていた程で。
これも、さとりの姉妹の人徳が故だろう。
今日は、さとりの姉の方。
古明地さとりが食事前に姿を見せる。
人間の心を読む能力を持つ彼女は、人間の幼子のような姿をしているが。胸の部分に第三の目を持ち。常に相手の心を読むことが出来る。
流石に格上の神などには通用しないようだが。
それでも、此処の皆の心は、常に把握しているようだった。
また見かけと裏腹に非常に落ち着いた性格をしている一方。
自己評価は、非常に高い様子だ。
以前、自分について確認したら、妙に普段と違う高い評価が返ってきたので、驚いたことがある。
「今回の食事は、守矢の指示の元、養殖していた魚です。 養殖とは言え、天然のものと同じかそれ以上の味である事は既に確認しています。 皆、ゆっくり味わって食べるのですよ」
「はい!」
「それでは、いただきます」
「いただきます」
人型の妖怪も、そうでないものも。
ようやく、食事を開始する。
一番の上座についているさとりは、黙々と一人で食事をしているが。幼い姿と裏腹にテーブルマナーは完璧。
最近は妹の方の古明地こいしが殆ど姿を見せない事もあって。
ほぼ確実に食事開始の音頭などは、さとりが取っていた。
「確かに脂が載っていて美味しいね」
「養殖って狭い所に閉じ込められた魚が、美味しくもないエサで無理矢理太らされてまずくなっているイメージがあるんだけど、そうでもないんだね」
「昔はそうだったらしいけれど、守矢が新しい技術を持ち込んで、河童が協力したらしいよ」
「へえ……」
わいわいと声が聞こえる。
空はあまり頭が良くないので。
昔、さとりに言われた、食事中は喋るなと言う言いつけを必ず守るようにしている。
燐は口の中にものが入っているときは喋らないけれど。
そんな空に対して、色々話をしてくれるので。
一緒に食事をしていて楽しい。
「そういえば、近々査察が来るとかって話だよ」
「?」
「賢者が地底の町並みを見学に来るらしいんだ。 博麗の巫女も一緒らしくて、鬼達が喧嘩したいって騒いでた」
「……」
博麗の巫女が。
わざわざ地底に。
しかも賢者と一緒に。
それはまた妙な話だが。
最近、地底は再開発とやらを進めているので、それの進捗を確認しにくるつもりなのかも知れない。
いずれにしても騒がしくなるのは良いけれど。
地霊殿に迷惑が掛かるのは嫌だなと、話を聞きながら空は思った。
1、地底の名目上の主
旧地獄の一角、灼熱地獄の隅にある核融合炉の点検を終える。この後は、今日分の組み立てなどの作業だ。頭は悪いが、使い方は知っている。
此処の仕組みも。
八咫烏の力が体に入ったとき。使い方も一緒に頭に入ってきたのだ。
それによって、空のただでさえ良くない頭が圧迫されて、色々と良くない影響が出た。
凶暴化もその一つだろう。
今は収まっているが。
それは、八咫烏の言う通りに、核融合炉を整備するという条件が入っていて。
指示通りに実験もこなさなければならない。
此処がちゃんと動くようになり。
動力が行き渡るようになると。
妖怪の山の妖怪達が、とても楽に暮らせるようになるという。
特に河童はその時を心待ちにしているとかいう話で。
現時点では力を制御出来ていることもあり、空は此処で働くようにと、さとりに命じられていた。
作業が一通り終わる。
時々河童が来て、物資を持ってくる。組み立ては空がやる。河童は好き勝手なことをしようとして、滅茶苦茶にしてしまう事が多いからだ。
このことを前報告したら、河童と一緒に鬼が来るようになった。
鬼が側にいると、河童は絶対に恐怖心からか悪戯はしないようになる。
故に作業は随分とやりやすくなるのだった。
額の汗を拭った後、作業を終える。
実の所、核融合炉は現時点で動く。
問題は安定性で。
どうも動力がきっちり地上に届かないのである。
これは途中で色々と問題が起きているから、らしく。
現時点で、妖怪の山の安定した動力は。
賢者達が以前に作った、地熱発電所によって賄われている。
地熱発電は、旧灼熱地獄の熱だけを利用し、それを使って蒸気を作ってタービンを回しているものらしく。
仕組みについて詳しくは知らないが。
現時点で安定して電力を作れる、幻想郷唯一の仕組みらしい。
此処に関しては、あらゆる意味で生命線のため。
河童はそもそも入れて貰えないとか。
賢者とその子飼いの妖怪だけが足を運ぶ事を許されているらしく。
空も「ある」という事だけしか知らない。
作業が終わったことを告げると。
河童が不平満々の様子で。
鬼に尻を叩かれて、その場を後にする。
空も後片付けを済ませると。
地霊殿に戻る。
昔はたくさんの亡者がいて、鬼達もこの辺りに住んでいて。とても賑やかだった地獄の跡地。
今は点々と、亡者を苦しめる仕組みだけが残っていて。
それ以外には文字通り何も無い。
寂しいなあ。
そう思う。
だけれど、そう思う余りに暴れてしまった事を思い出して。
頬を叩く。
記憶力がただでさえ悪いのだ。
一日一回、自分が何をやらかしたのか思い出して、自戒するように。
そうさとりに言われている。
それを、空は素直に守っていた。
空に舞い上がると、地霊殿に戻る。
鳥の妖怪ではあるのだけれど。
空はそれほど飛ぶのが速くない。
体が大きすぎるのである。
体の割りには体重は軽いのだけれども。それでも、そもそも人型をぶら下げて飛ぶというのがとても大変な事で。
翼だけではとても無理。
妖力を用いて空を飛んでいるのだけれども。
無理をしない範囲で空を飛ぶには、相当に速度を落とさなければならず。
「幻想郷で最高の攻撃力」とか言われる事はあっても。
速度に関して言及されないのは。
はっきりいって遅いからだ。
誰でも空を飛ぶのが当たり前の幻想郷なのに。
鳥の妖怪が速度で劣るというのも情けない話ではあるけれども。
体が大きすぎて。
更には、火力のために色々犠牲にしているので。
ある意味、仕方が無いのかも知れなかった。
地獄跡を離れると、地霊殿が見えてくる。
地霊殿はとても大きいので。遠くからもよく見えるし、迷う事もない。
地上に向かう穴も見える。
あの穴の途中は色々と法則が歪んでいて。途中に浮かんでいる岩などにも気を付けなければならない。
また、穴には番人もついていて。
余計なものが入ってきたり。
或いは地底から脱走しないように。
しっかり見張りもしているようだった。
現時点で、地底は治安が最悪な、幻想郷でももっとも危ない場所の一つである。
間違っても人間が来てしまってはいけない。仮に来るとしても、力持つ者。例えば博麗の巫女などの、例外でなければならない。
見張りがつくのは当然で。
今日はかなり体格が良い鬼が、真面目に見張りをしているようだった。
地霊殿に到着。
翼を畳む。
肩を掴んで揉むのは、色々と重いから。翼を動かすための筋肉が其方に集中していて。如何に妖力で飛んでいるといっても、鳥時代の習性もあって、どうしても凝るのである。
後、人型を取れるようになってから、空はあまり時間が経っていない。
その上、体のバランスが左右で取れていない。
これらもあって、どうしても歩くのは苦手だ。
そもそも鳥自体が、地面で歩くのをあまり得意としていない。
得意としている鳥も外の世界にはいるらしいけれど。
ひょいひょいと跳ねるようにして移動するのは。そもそも歩くことを苦手としているからである。
鷺などはすらっとのびた足を持っているが。
それでもゆっくり、ゆっくりと歩く。
大型の鳥は、飛び立つときに走ったりするけれども。
それも体に掛かる負担が決して小さくは無いのだ。
空もその辺りはあって。
どうしても、歩くときは色々と苦労していた。
仲間とすれ違ったとき、挨拶して。
右手を挙げ掛けたら、仲間を腕で殴りそうになってしまう。空は力も強くなっているので、周囲は冷や冷やらしい。
ごめんねえと謝るけれど。
まだまだ人型には慣れない事を周囲も察しているのか、いちいち怒ることもなくなってきていた。
さとりの所に出向く。
地霊殿の一番奥に執務室が存在し。
其所にさとりの姉妹のどちらかがいる。
何名か、比較的執務の手伝いが出来る頭の良い妖怪が控えている事が多いのだけれども。皆、燐のように仲が良い相手ではなかった。
空を良く想っていない妖怪も多く。
そういう相手にはいじわるをされる事もあった。
勿論さとりへの忠誠心で負けているつもりはないけれど。
どうしても頭が悪いと、こう言うときどうして良いか分からなくて、悲しくなってしまう。
ぎこちなく敬礼して挨拶をして。
核融合炉の今日の作業が終わったことを告げる。
中にはいるように言われたので、頷いて部屋に。部屋に入るとき、ドアを擦りかけたので、睨まれた。
首をすくめてしまう。
一時期好戦的に噴き上がっていたからか。
今はその反動で、どこか気弱になっているようだった。
「お空ですか。 其方に座りなさい」
「はい、さとり様」
言われたまま、執務机の前の席に座る。後ろでドアがばたんと閉じられた。
さとりはしらけた目で様子を見ていたが。
別に説教が始まるわけでは無い。
空の記憶を読んで。
仕事が上手く行ったかを、自分で確認しているのだ。
「余計な事をせず、必要な事だけをしたようですね。 ちゃんと出来ていて立派ですよ」
「ありがとうございます、えへへ」
「今日はこれで仕事は終わりです。 午後は地底を離れて、たまに地上に遊びに出ると良いでしょう」
「うにゅ?」
午後から空いているのは知っていたが。
何故、敢えてそんな事を言われるのだろう。
そうすると、さとりは大きくため息をついた。
「午後から、地上からの客人を私が案内しなければなりません。 貴方は客人に対して、きちんと礼を取る事が出来ますか?」
「苦手です」
「そうでしょう? 燐も今空いているようですから、一緒に遊んできなさい」
「はい!」
これで午後は遊びに行ける。
空いた時間も、核融合炉の問題が起きた時を考えて、いるように。そう言われる事もあるので。
遊びに行けと言われたのは嬉しかった。
核融合炉は基本的に、動かし続けなければいけないものではなく。
事故が起きても、地底が吹き飛ぶような危険施設では無い。
常に空がついていなければいけない訳でも無いのだが。
どうも核融合は危険という印象が、以前の騒ぎでついてしまったらしく。
空は禊ぎのつもりで。
地霊殿にいることを受け入れていた。
外にスキップ混じりで出ると、燐が待っていた。一緒に遊びに行こうと言われた事を告げると。燐は少し悲しそうに言う。
「ごめんねえ。 急用が入っちゃったんだよ。 これからさとり様に報告しに行くつもりなんだ」
「ええっ」
「視察班が、地獄を見に行くらしくて、案内人として私が指名されたらしくてね。 ごめんよ」
むーと頬を膨らませるが。
しかし、これは地底にとって大事な事だ。
そして、以前地底で問題を起こした空がいたら、更に話がややこしくなる。
それを何とか頭の中で組み立てると。
空はさっきのさとりのように、大きくため息をついていた。
「そっかあ。 じゃあ、一人で遊びに行ってくるね」
「からかわれても、挑発に乗るんじゃないよ。 あんたの火力、ちょっとぶっ放すだけで洒落にならないんだから」
「分かってる。 喧嘩はしないよ」
手をぱたぱた振ると、仕方が無いと、地上行きの穴へ向かう。
今は、気分も落ち着いている。
ちょっとからかわれても、喧嘩を買う事はないだろう。
足が遅いから、いじめっ子に出会ってしまったらどうしようもないけれど。
その時は頑張って逃げるしか無い。
地上に向かう。
途中、特に問題は起きない。
地上への穴を抜けると。
やがて、太陽の下に出た。
普段地下にずっといるからか。
空の肌は白い。
肌が白くて綺麗で羨ましい。
そう言われたこともあるけれど。
実際には青白いだけで。うらやましがられて何ていないだろうと思っている。
ずっと地下にいれば日に焼けないのは当たり前で。
それは決して良い事だとは思えない。
周囲を見回す。
昔通りの妖怪の山だ。ただ。すぐに妖怪がスクランブルしてきた。守矢神社が妖怪の山を最近はがっちり握っていると聞いている。前だったら天狗が来ただろうが、今は普通の色々な妖怪達である。
「地底から遊びに来ましたー」
「地底の地獄鴉……!」
「気を付けろ、油断するな」
「何もしないよぉ」
にへらにへらと笑っているが。
周囲の妖怪達はあからさまに警戒している。
不意に、大きな気配。
側にいきなり出現したのは、緑色の髪の巫女。そう、守矢神社の風祝、東風谷早苗である。
守矢にはそれなりに因縁があるから知っている。
最初の頃は、幻想郷が楽しくて仕方が無かったらしく、空と同じように無邪気なアホ面をさらしていた早苗だが。
今ではすっかり守矢の半人半神として。威厳と威圧感を備えている。
ごくりと生唾を飲み込む。
歴戦を経験したのだろう。
気配がまるで前とは別物だ。
「霊烏路空さん。 地上に何の御用ですか」
「遊びに来ました。 本当はお燐と一緒に来るつもりだったんですけど」
「それでは、此方に必要事項を記載してください。 貴方ほどの力を持った妖怪が地底から来ると、色々と手続きが必要なんですよ。 幻想郷のためにも」
「うにゅ?」
渡された紙。何か板に止められている。
読んで見ると、来た理由、滞在する時間、行く場所などを書かなければならないらしい。そういえば、前も地上に出る度に、さとりにこんな紙を書かされていたっけ。今では守矢が代行しているわけだ。
本当に妖怪の山をがっちり管理しているんだなあと、感心してしまう。
人間は成長が早い。
早苗が幻想郷に来たのは、空の感覚では比較的最近の筈なのだけれど。
もうこんなに変わっているのかと思うと、驚かされるばかりである。
前は妖怪達に舐められている事もあったようだけれど。
今はすっかり、妖怪達が早苗を畏怖しているのが分かる。
「はい、これでいい?」
「……良いでしょう。 分かっていると思いますが、人里には出来るだけ迷惑を掛けないようにしてください」
「はい、大丈夫でーす」
「では、自分で書かれた時間通りには戻って来てください」
早苗はにこりと笑みを。それもあからさまな作り笑顔を浮かべると、そのまま姿がかき消える。守矢神社に戻ったのだろう。
色々やりづらいな。
笑顔を保ったまま。
内心で、空はそう思っていた。
早苗がいなくなると、さっと妖怪達も散って行く。本当にすごく統率が取れている。この統率が、地底にももたらされたら、少しは暮らしやすくなるのだろうか。いや、窮屈なのが嫌だから、地底に来た妖怪もいる筈。
そうなると、地底にもそういった妖怪の居場所がなくなってしまう。
居場所がなくなる悲しさは。
空が一番良く知っている。
とりあえず、燐と一緒に遊びに行こうと思っていた無縁塚に、何も考えずに飛んで行く。
幻想郷の外れ。
結界が緩みがちで、外から変なものが流れやすい場所。
昔は人間の墓場とかもあったらしいのだけれども。
今は墓場は命蓮寺に丸ごと移ってしまい。
無縁塚は今の時点では、外からよく分からないものがたまに流れ着く、よく分からないものだらけのゴミ捨て場のような感じの場所になっている。
変なものを見つけると楽しい。
人間には危険かも知れないが。
日常的に危険物を触っている空には、大して危ないものでもない。
あまり速く飛べないのは地上でも同じ。
風に振り回されながら四苦八苦しながら飛んで、無縁塚に到着。燐がいれば、もっと楽しかっただろうに。
そういえば、地上の人間達には、此処には妖怪に襲われた、外から迷い込んだ人間を埋葬しているという話にしているんだっけ。
そういう事を思い出す。
燐に聞いたから知っているが、そもそも現在、外から人間が迷い込むことは殆ど無いし。迷い込んでも賢者がすぐに外に追い出してしまうと言う。本人が気付く暇もないほどの速度で、だそうだ。
そのため、「妖怪に襲われて死ぬ外来人」なんてものはいない。
知らないのは人里の人間だけ。
なお外来人については、空も一人知っているが(あんまり話した事はない)。
その外来人にしても、妖怪と普通に楽しく話して仲良くやっている。
その事から考えても、外来人が襲われて妖怪に食われてしまうと言うのはないのである。
むしろ人里の人間が、幻想郷のルールを理解していないなりたての妖怪に殺されたり。
現象として見境無く人間を襲うタイプの人格がない妖怪に殺される方が多い。
そういう妖怪は、他の妖怪にも牙を剥くので。
空にとっても、安全な相手とは言い難かった。
周囲を見回す。
ごみだらけ、訳が分からないものだらけだなあと思った。
見ているだけでうきうきする。
汚いものも多いけれど。それ以上に、見ていて楽しいものが多かった。
燐と一緒に来たかったなあ。
そう思うが。そればかりは仕方が無い。
楽しそうな模様が描かれている大きな缶を見つける。
どうしてだか分からないけれど。
うきうきと心が躍った。
近づいて見ようとすると。
不意に、手を掴まれる。振り返ると、青ざめた顔の外来人だった。さっき思い浮かべた相手。
宇佐見菫子とか言ったか。
何度か顔を見たことはあるけれど、殆ど話した事はない。
前に色々悪さをして、とっちめられたらしい。しかも二回。
……外来人の上に悪さをしてもとっちめられる程度で済んでいる時点で、幻想郷に迷い込んだ外来人には死しか無いとかいう話が嘘だと分かる生きた証拠である。
「あ、あなた、妖怪でしょう。 でも幾ら妖怪でもそれは危険だから近付いては駄目だわ」
「ええと……外来人の」
「宇佐見菫子よ。 と、とにかく離れて! 危ないから!」
「にゅー?」
手を引かれる。
やっぱり体格差があるからか、必死に引っ張る相手にいやいやついていく感じではあるが。必死な様子からして、きっと危ないものなのだろう。
無縁塚から一緒に出てしまう。
そういえば、乱暴に放り出したのか。
なんかよく分からないものをたくさん積んだ、台車が放置されていた。其所まで来ると、菫子は額の汗を拭う。
見ると真っ青である。
今日はむしろ日差しがしっかり差している位なのに。
「どうしたの?」
「あれは核廃棄物といって、触るととても危ないものなの! 妖怪が頑丈でも、何が起きるか分からないわ」
「核廃棄物?」
記憶の何かが反応する。
八咫烏の知識だろうと思った。
不意に、それが検索されて。口から出てきた。
「核分裂の時に出る汚染物質だね」
「そう、その通り……って知っているならどうして近付いたの!?」
「うん? 知らないよこんなの。 私の中の八咫烏が知っているだけだと思う」
「何よそれ……幻想郷って、本当に訳が分からない」
眼鏡をなおしながら、特徴的な帽子を被った菫子はぼやく。
ともかく、場所を変えようと言われたので、言われた通りついていく。
どうせ今日は一人、無縁塚で面白そうなものを漁ろうと思っていたのだ。
面白そうな人間が話しかけてきて。
今、話していて面白い。
それで、空には充分だった。
2、地底の孤独な太陽と外の孤独な人
無縁塚からある程度離れて、見晴らしの良い場所に出る。
遠くにひまわり畑が見えるが、彼処は非常に強力な妖怪の縄張りだ。前に近付いたら、ぼっこんぼっこんにされた記憶がある。風見幽香といったか。何よりも花を愛する一見平和的な性格の持ち主なのだが、逆に花を傷つけるものには徹底的に容赦をしない。
人間もそれを知っているらしく。
たまに人里に来る時は、かなり気を遣って対応するようだ。
逆に言うと、人里を訪れる程度に人間との距離が近い妖怪ではあるので。
むしろ妖怪に怖れられているのかも知れないが。
今も強烈な妖気を感じる。
多分空の存在に気付いていて、近付くなと警告してきているのだろう。
「この時間の此処だと安全だと思うよ。 見晴らしも良いから、危ない妖怪が来てもすぐ分かるし」
「ありがとう。 どうも幻想郷はまだ分からない場所だらけだわ」
「あははー。 幻想郷の人間だって、一生行かない場所だらけだからねー」
「はあ。 それにしても何なのよ貴方。 そういえば前に花火大会で見かけたかしら」
自己紹介をすると。
みるみる青ざめる菫子。
名前は聞いたことがあったのかも知れない。
それに、核融合を操る能力と口にした途端に、完全に真っ青になって口をつぐんだ。
核融合。
人間には、有名なのか。
「花火大会で、そんな危ないもの使ってたの!? それじゃあかき氷が全部駄目になるわけだわ」
「かき氷してたの?」
「そうよ。 熱いで済まない所だったわ……」
「そっかあ」
ぴんと来ないけれど。
以前博麗神社でやった花火大会で、多少能力を披露したのである。その時に菫子も見ていたらしい。
かき氷を食べていたのだとしたら。
悪い事をしたものである。
それにしても、なんで無縁塚に。
そう聞くと、菫子は、台車に乗せてきたものを視線で指す。
「今ではどれも外では見られないものばかりなの。 私、幻想郷に来られるようになってから、ここの偉い妖怪に空き屋を貰っていてね。 其所で組み立てたり調べたりして、暇つぶししているのよ」
「河童みたいだね」
「たまに河童と取り合いになるのよねえ。 河童はそもそも、何か理解していないものを持っていこうとするから困るわ」
「河童は人間の機械が大好きなんだよ。 だから分解して見たいんだと思う」
逆に何をしに来たのかと聞かれて。
空は笑顔のまま答える。
何か面白そうなものがあったらいいなあと。
本当は燐と一緒に来るつもりだった事も話すと。
菫子は、呆れ果てたようだった。
「その挙げ句に、核廃棄物入りのドラム缶をひっくり返す所だったんだとしたら、洒落にならないわ」
「あれ、そんなに危ないものなの?」
「……幻想郷にいる貴方は知らないと思うけれど、外では核の力で大勢の人が死んだ悲しい事件が何度もあったの」
笑顔が消える。
此処を、噴き飛ばしかけた。
己の行為を、思い出したのだ。
空がもし実施していたら。
幻想郷でも、同じ事が起きていたのだろう。
しかも菫子の話によると、聞いた事もない数の人間が、一度に命を落としたらしい。
もしそんな事をしていたら。
地獄が賑やかになるどころか。
幻想郷が、欠片も残らなくなっていただろう。
そして地底には、怒り狂った外の世界の神々が攻めてきて。
みんな処分されてしまったはず。
外の世界の太陽の神の使い、八咫烏の力の一部ですらこれである。幻想郷の住民は、外の神々には絶対に勝てない。
今更ながら思い知る。自分が何をしでかすところだったのかを。
「分かった、気を付ける」
「うん。 あの印は覚えておいた方が良いと思うよ」
「うん……」
もう、それ以上の言葉は必要なかった。
以降は無言になった。
菫子が使わせて貰っているというあばら屋に。人里の外れだけれど、一応翼は何とかして隠す。
あまり姿を変えるのは得意ではないのだけれど、頑張れば翼を隠して人間のふりをする事くらいはできる。
ただし疲れる。
そのまま、人里の外れのあばら屋に、菫子の戦利品を格納する。菫子は普段超能力というものを使うらしいのだけれど、今日は力自慢の空が手伝うからか、一緒に荷物を運び込んだ。
さっきの会話がまずかったのか、菫子も気付いているらしい。
時々申し訳なさそうにしたのだけれど。
ただ、空も何を喋って良いか分からなかった。
それに、人里はこの地点ではもう見えている。
塀で覆われていて。
中には人々がたくさんいる。
みんな殺して、地獄を賑やかにしようなんて考えていた。
そんな人達が、比較的幸せに過ごしている。
震えが手に出ているけれど、必死に押し殺す。
やがて、一番大きいのを、二人がかりで奥の方にしまう。
「ありがとう、お空さん。 後は私一人でやるから」
「いいの?」
「うん。 後は細かい作業ばかりだから」
「そう……」
帰ろうかな。
そう思った空に、声を掛けて来る菫子。
最初、少し悩んだようだが。
しかし、言ってくれる。
「手伝ってくれたから、お礼するわよ。 お団子で良いかしら」
「ありがとう。 でも、ごめんなさい。 ちょっと、何も喉を通りそうにないから」
「……その」
「貴方は何も悪くない。 私が、馬鹿なのが悪いの」
あれ。
いつのまにか、抑えていたのに。
涙が溢れてきた。
何度か乱暴に目を擦る。
そして、あばら屋を飛び出すと。
後は、何も考えず、地底に戻った。
妖怪の山で、予定より随分早いとかぶつぶつ文句を言われたけれど。空の目が死んでいるからか。
それ以上山の妖怪は、空を虐めなかった。
そのまま、ぐったり肩を落として地底に戻ると。
地霊殿の自室に戻り。
そして、膝を抱えてじっとする。
こういうとき、図体が無駄にでかいことが邪魔でしようがない。
翼は隠していない方が疲れないし。
何よりも、体が大きいから、他の同僚達と同じ大きさの部屋が狭く感じて仕方が無いのである。
地獄鴉だった頃は、特にそんな事は感じなかったのだけれど。
八咫烏が混ざってしまった今は。
もう、そうもいかなかった。
力が溢れてくるから、定期的に核融合炉に行かなければならない、という理由もある。
それも、今までは地底で力を放出するわけにはいかないから、くらいに考えていたのだけれど。
今は違う。
外の世界で何があったのか。
明確に聞かされた上に、理解してしまった。
そうなってしまうと、自分が同じ事をする寸前だったと気付いてしまうと。
もう、洒落にならなかった。
しばらく、膝を抱えて。
声を殺して泣く。
あの菫子という外来人が話してくれて本当に良かった。
そうでなければ、ずっと何も知らないままだっただろう。
本当にどうしようもない馬鹿だった自分が悪い。
食欲がないどころか。
精神が壊れそうだった。
部屋の戸が開く。
顔を上げると、お燐だった。
どうやら仕事が終わったらしい。
空の所に戻って来て、外の話でも聞くつもりだったのだろうけれど。空の様子を見て、唖然とした後、血相を変えた。
「ど、どうしたんだいお空! 外で博麗の巫女に虐められたのかい!?」
「違う……」
「じゃあ他の誰か!? 許せないねえ!」
珍しいな。
温厚なお燐が本気で怒っている。
でも、違うのだと説明。
外の世界で、核の力で何があったのか、知ってしまった事を伝えると。お燐は絶句していた。
そして、ぼそりと呟く。
「そうか、知ってしまったのかい」
「お燐は知っていたの?」
「……あんたが騒ぎを起こしたときの後に聞かされたんだよ。 賢者にね」
「……」
そうか。
では、本当は言わないようにと言われていたのかも知れない。
空が相手だから、教えてくれたのだろう。
或いはこうやって話している事だけでも危険なのかも知れないけれど。
それでも、友情の方を選んだと言う事だ。
「外では核の力は戦争にも使われて、事故も起きて、たくさんの人が命を落としたって話だ。 ただし、今も研究が続けられていて、多くの人が幸せに暮らせるように技術を開発しているって話でもある」
「私さ、全然知らなかったんだ」
「だから、それはあんたのせいじゃないよ。 中に入った八咫烏が……」
「私のせいだよ!」
お燐の優しさは嬉しいけれど。
人里を見て。
そして、遊んでいる子供達を見て。
それでようやく思い出したのだ。
自分が何をしようとしていたか。
何をしでかす寸前だったのかを。
それを思うと、自分の力が怖くなって。そして、逃げ帰ってきた。怖くて、何も食べる気にもならない。
体の中にいる荒神の力も、どうにも出来ない。
そもそも太陽の神だ。
妖怪でどうこうできる存在じゃない。
「落ち着いてお空。 もし力が暴走したら、地霊殿がふっとんじまうよ」
「ねえ、お燐」
「なんだい」
「もし私が死にたいっていったら、殺してくれる?」
生唾を飲み込む音が、すぐ側で聞こえた。
お燐まで完全に青ざめている。
空にとっての誰よりも尊い親友。
頼めるのはお燐しかいない。
「今は力を制御出来ているけれど、できなくなったら私、地霊殿も、地底も、人里も、妖怪の山も、何もかも吹っ飛ばしちゃうと思う。 前に暴れてたときなんか、八咫烏の力のほんの一部しか引き出せていなかった。 体を全て八咫烏に奪われたら、幻想郷なんか隅から隅までなくなっちゃうと思う」
「馬鹿な事をお言いでないよ」
「……お燐にしか頼めない」
「も、もうこの話止め! お願い、これ以上、こんな話聞かせないでおくれよ!」
お燐の方も泣き出した。
罪悪感が体の中であふれかえっている。
空も涙が止まらない。
一体どうすればいいのか。
もう、分からなかった。
いつの間にかお燐は部屋から消えていて。それから、しばらくずっと空は膝を抱えて、部屋の隅で泣いていた。
どれくらい時間が経っただろう。
部屋の扉がノックされる。
顔を上げると、そこには。
音も無く、さとりがいた。
「さとり様」
「四日も食事をせずにどうしたのです」
「おなかがすきません……」
「いくら妖怪だといっても、流石に体にさわります。 ほら、立ちなさい」
手をさしのべてくる小さな主。
だけれども、それが今は、とてつもない恐怖となった。
幻視してしまう。
人里が何もかも消し飛んでしまう光景が。
普通に静かに暮らしている人間達が、一瞬で全部消し飛んでしまう。
それだけじゃない。
人里の人間は、幻想郷の妖怪達の存在も支えている重要な仕組みだ。
もしも彼らが一瞬でいなくなったりしたら。
それこそ、幻想郷の妖怪の大半は、一瞬で消えて無くなってしまうだろう。
残るのは鬼とか、一部のとても強い妖怪だけだ。
暴走した空が、地霊殿を吹き飛ばす姿も想像してしまう。
お燐もさとりも皆消し飛んでしまう。
幾ら肉体が破損しても死なない妖怪と言っても、限度がある。
完全に消し飛んだ地霊殿。
そして、取り押さえようと襲いかかってくる妖怪も、みんな返り討ちに、熱量で消し飛ばしてしまう。
へたり込んで、見るのだ。
何も無くなってしまった、地底の悪夢のような姿を。
決して妄想では無い。
あり得る未来の話であり。
あの時博麗の巫女に頭をかち割られなければ。
実際にやってしまったかも知れない事なのだ。
さとりはそれを一瞬で読んだはずだ。
ためいきをつくさとり。
指を鳴らす。
部屋に入ってきたのは、博麗の巫女だ。思わず、小さく悲鳴が漏れる。前に、頭をかち割られたときと同じ。
鋭い戦気を全身から放っている。
更に博麗の巫女が札を放つと。
一瞬で空の全身が縛り上げられていた。
空に戦う気が無かったとは言え。
以前とは、比べものにならないほど力が上がっているのが分かった。
「どうですか、力を封印は出来そうですか?」
「……見た感じ暴走の恐れは無さそうだけれども、それでも定期的に力を核融合炉だかに放出しないと駄目ね。 多分暴発するわ」
「そうですか。 では、無理にでも核融合炉に連れていきましょう」
「そうしなさい。 ただ、こいつにしかあのデカイ炉だか何だか、扱えないんでしょう?」
頷くさとり。
霊夢は頭を掻くと、鋭い目で空を見る。
「何を聞いたか知らないけれど、前にも言ったわよね。 あんたは地上を危うく消し飛ばす所だったって。 逆に言うとあんたは地上を消し飛ばしていない。 今後も消し飛ばさなければ良い。 それだけよ」
さとりが促すと、部屋にお燐と、あと何名かの同僚が入ってくる。
空を無理矢理猫車に乗せると、地底の奥、核融合炉に運び始める。
恐怖しか感じず、嫌だって悲鳴を上げたけれど。
許してはくれなかった。
また、さとりが霊夢に頭を下げているのが見えた。
嗚呼。
また頭を下げさせてしまった。
声のない悲鳴を上げて。
空は、己の存在を呪っていた。
無言で、お燐が猫車を引く。普段死体を乗せて運搬している猫車であるのが、何だか示唆的だ。
他の妖怪達は、事情を知らないのだろうか。
空を見て小首をかしげていたが。
お燐の真剣な様子を見たからか。
茶化すものは、流石にいなかった。
ほどなく、核融合炉に到着。封印が解ける。
ここに来ると、本能でどうしても動いてしまう。
右手を核融合炉に接続し、内部に熱量を放出する。放出する熱量についても、体が覚えている。
死んだ目のまま作業をしている空を、ずっとお燐は心配そうに見ていたけれど。
作業をミスする事はない。
多分、体の中にある八咫烏の力が。
ミスをしたら何が起きるか、知っているのだと思う。
黙々と、機械類を点検して。壊れている部品のチェックをする。幸い、今の時点ではどこも壊れていない。
点検終了。
一応、念のための予備の部品を要請する。
全ての作業が終わると。
へたり込んでしまった。
完全に青ざめている空を、お燐が抱きしめる。身長差があるから、空は座ったまま。お燐は立ったままだが。
「ほら、あんたらは帰った」
「何があったんだよ……」
「さあ……」
小首をかしげながら、戻っていく地霊殿の同僚達。
一度空はやらかした事もあって、今でも避ける奴は多い。
でも、それも自業自得だと思ったし。
今は、罪を受け入れなければならないとも感じた。
「ねえお燐、私どうすればいいんだろう」
「八咫烏の力を得たのもあんたのせいじゃないし、そもそもあんたはなにもしていないんだよ。 だから、そんなに苦しむ事は……」
「八咫烏の力を受け入れたのは私の意思なの」
「!?」
これは、お燐にだから話すのだが。
そうなのだ。
守矢の二柱の片方。強大な武神である八坂神奈子に言われたのだ。
原子炉を作りたい。制御が簡単な上廃棄物が出ない核融合炉がいい。外ではまだ実現していない技術だが、幻想郷の力を利用すれば作れる可能性が高い。
だから力を授けてやる。
それによって安定した電気を作れ。
その代わり、此方はお前の望みにある程度手を貸してやる。
その時、言われている事は殆ど意味が分からなかった。
だけれども、何となく理解出来た。
強大な力を手に入れる好機が巡ってきたのだと。
寂しい地獄を、また昔のように賑やかにする好機なのだと。
寂しいのがつらかった。
これ以上の孤独に耐える自信が無かった。
昔から空は友人がお燐しかいなくて。
人型を取れるようになったのもごく最近だった。
地獄鴉自体が地獄では底辺の妖怪で。
力も弱く、出来る事も殆ど無かった。
だから、むしろ飛びつくようにして、話に乗ってしまった。
本当に馬鹿だった。
体の中に仕込まれた八咫烏の力を、むしろ八坂神奈子は上手に制御してくれたのだと思う。
本来、八咫烏なんて強大な神格、空にどうこうできる相手では無い。
それがこう静かにしてくれているのだ。
よほど上手にあの古代の武神はやってくれたのだろう。
むしろ、その後暴走したのは空のせい。
神奈子も、此処まで空が馬鹿だとは、思っていなかった、と言う事だ。
そして、さとりは。
それを知っていた。
だから、さとりが謝って回ることになったのだ。
守矢側も管理不行き届きと言う事で、色々ごたごたがあったようだが。それ以上に問題だったとさとりは知っていた。
それ故に地底の責任問題になったのである。
今でも原子炉が閉鎖されていない。
理由がそれだ。
「そうかい。 心を読まれてしまうさとり様ならともかく、他の誰にもいえなかったんだね」
「ごめん、しばらく一人にして」
「……博麗の巫女に言われただろう? 力を定期的に放出しなければ、あんたは死んでしまうんだよ。 そんな事はさせない。 絶対にさせない」
もう、答える気力もなかった。
そのまま、意識が薄れていく。
お燐に呼ばれているような気がしたが。
もう、それ以上は、何も分からなかった。
3、力の使い方
完全に体調を崩した空は、それからしばらく、自室に籠もりっきりになった。妖怪は元々、物理的な食事を其所まで必須としない。
妖怪の本質は精神生命体である。
故に人間の恐れを必要とする。
人間を脅かさなければならない。
物理的な生命体だったら。
別にそのような事をしなくてもいいのである。
それでも、お燐が時々おかゆとかの消化が良いものを部屋に運んできてくれた。お燐が持って来てくれた食事を、無駄にする訳にはいかず。無理をしてでも食べた。力は出なかった。
精神生命体は、己の精神状態に大きな影響を受ける。
お燐の猫車に乗せて貰って、原子炉に。
体調が悪いのだから仕方が無いと、無二の親友は言うのだけれど。
そんな問題じゃないと、空はずっと自責し続けていた。
更に、核融合炉につくと、勝手に体が動いて、作業をしてしまう。
八咫烏の意思だ。
力を核融合炉に放出し。
暴発も避ける。
八咫烏はずっと黙り込んでいて、一切喋る事はしない。基本的に、これに関してはずっとそうだった。
八咫烏が空の中に入ってきてから。
圧倒的な力は感じたことはあっても。
その意思を感じたことはなかった。
八咫烏の存在そのものは嫌と言うほど感じる。
こう言う作業をしているとき、知る筈も無い知識がガンガン頭の中に流れ込んでくるし。体も勝手に動く。
菫子に言われた恐ろしい力であるかどうか何て関係無い。
体が勝手に動いて、全て処理してしまう。
それが今は怖くて仕方が無かった。
もともと地獄鴉なんて底辺妖怪と神の一柱八咫烏では、存在が違いすぎる。
それでも、何とかやっていかなければならない。
そうお燐は言う。
へたり込んで涙を拭っている空を見かねたか。
お燐に聞かされる。
実はお燐が守矢に出向いて、二柱に土下座してきたのだという。
空から、八咫烏の力を分離してくれないかと。
答えは不可能、だった。
なぜなら、空が自分で八咫烏を受け入れたから。
無理矢理力を移植したなら、外すことも出来ただろう。
だが、そもそも生きた神社とも言える存在になる事を選んだのは空だ。
八咫烏もそれを理解した上で空に入り込んだ。
である以上、分離は不可能。
もし分離するつもりなら、地底が全て消し飛ぶ覚悟で、八咫烏と幻想郷で総力戦をする事になるだろうとも。
勿論守矢は力を貸さない。力を貸せば勝てる可能性は上がる。古代の武神である。太陽神とはいえ末端の八咫烏が相手なら、勝つ可能性は高い。
だがそんな事はしない。貸す利が無いからだ。
そう、冷たく言われたという。
お燐の言葉を聞いて、軽く空は絶望する。
確かにその通り。
だけれども、それ以上に悲しいのは。
お燐に土下座行脚までさせたことだった。
帰りは、猫車を使わず、自分で飛ぶ。そのくらいの力は残っている。弱っていることを察すれば、妖怪は人間と同じように際限なく残虐になる。
弱っている所をこれ以上見せたくない。
地底の妖怪には荒々しいものも多い。
気が良い奴もいるけれど。
クズだっている。
地底に封印されたような妖怪はだいたいその類だ。そういった妖怪に、空は兎も角、お燐が見られるとまずいかも知れない。
二人で飛んで行くと、不意に殺気。
自分の中の八咫烏が反応する。
空が反応したのでは無い。
これもまた、情けなかった。
一瞬で、振り向き様に火力を絞った熱線砲で消し飛ばす。
体を失った妖怪は、這々の体で逃げていった。姿さえ見なかったけれど、多分あれはキスメだろう。
地底でもっとも獰猛で残忍なつるべ落としの妖怪。
昔人を殺して地底に封印されて以降も悪行を繰り返し。鬼以外の妖怪にはあらかた喧嘩を売って回るという、極めて好戦的な妖怪だ。
桶に入った童女という愛らしい姿こそしているが。
その性質は戦闘本能に全てを支配された殺戮狂であり。
油断した妖怪が肉体を壊される例が今日でも後を絶たないという。
地上との交流計画の最大の懸念事項となっている妖怪であり。
どうやってキスメを大人しくさせるかを、地底の妖怪のお偉いさん達が常に考えているとも聞く。
今のは、危なかった。
多分狙っていたのは。
弱っていた空ではなくて。お燐だっただろうから。
「ふー、流石の火力だねえ」
「私のじゃない……」
「今はあんたのだよ。 とにかく、戻ろう。 少しずつ、体調を戻していこう」
「……」
優しくお燐は声を掛けてくれるけれど。
その優しさが、嬉しくもあり。
辛くもあった。
地霊殿に客が来る。
よりにもよって人間、それも外来人だという。空は自室にまだ籠もっていたが、廊下をばたばた走り回っている同僚の会話からそれを聞いた。
よりにもよって地底に人間。
博麗の巫女や、魔法の森の魔法使いのような例外を除いて。
良く此処に人が来るものだ。
地上との交流計画はまだ途中の段階で。
動き出すのはずっと先の話の筈。
というか、今無理矢理計画を動かしても、行方不明者や死者が少なからず出るだろう。それくらい、地底は危ないのだ。
いずれにしてもお客なら、お燐辺りが出迎えるだろう。
応対するのはさとりだ。
関係がないと思って、膝を抱えていると。
部屋に来た。
驚いて顔を上げると。
そこにいたのは、この間無縁塚で会った人間。
宇佐見菫子だった。
「ど、どうも……」
「外来人の……菫子」
「うん、覚えてくれていて嬉しいよ」
「名前、覚えるの苦手だけど、頑張って最近は覚えるようにしてる」
さとりがひょいと部屋を覗く。
後は二人で話せ。
そう視線で告げられて。
少しだけ困った。
だけれども、他にする事も無い。狭い部屋だけれどと言って、席を勧める。頷くと、菫子は大きな椅子だと言いながら、空の使っているデスクチェアに座った。
「うっわ、本当に大きな椅子。 背高いね。 モデル並み?」
「モデル?」
「ええと、外の世界にいるすごい美人達の事かな」
「そんなあ、照れるなあ」
図体がでかいこと、正確には人型になるようになってから、やたら背が高くなってしまってから。
良い思いをしたことはあまりない。
翼は大きくてしまうのが大変だし。
小柄な鳥の妖怪は幻想郷にたくさんいて。
彼女らを見ていると、本当に羨ましいとさえ感じる。
大きい事を褒められたのは。
実は始めてかも知れない。
「地底に何てどうしてきたの? それも今のを見る限り、護衛付きでしょ?」
「あー、それはね。 お空さんが、私との話を聞いて、様子がおかしいって聞いたから」
「それは、私の自業自得で」
「……聞いたよ、地霊殿異変の事」
菫子が、ごめんなさいと頭を下げる。
どうして。
謝るのは、此方の方なのに。
もし地上を噴き飛ばしていたら。
幻想郷だけではない。
外の世界にも、小さくない影響が出た。
或いは、博麗大結界が消し飛んで。
現実世界の幻想郷がある地帯が、何もかも消し飛んで。其処に住んでいる人達も、みんな死んでいたかも知れない。
だから、悪いのは空だ。
「私も、二回もここで大迷惑掛けて、それでも許して貰ってるから。 その、お空さんが辛いの分かる。 だから、不用意な話聞かせて、ごめんなさい」
「謝らないで。 私が悪いんだから」
「で、でも」
「私、みんな死なせる所だった……」
もしも、あのまま暴れていたら。お燐もさとりも含めて、みんな死ぬところだったのである。
それも分からず、地獄を賑やかにしようなんて考えていた。
寂しいと言う理由だけで、悪しき囁きに乗ってしまった。
全て悪いのは空なのだ。
だけれど、菫子は言う。
「私も……幻想郷潰し掛けたから」
「え……」
「それも、ただオカルトへの興味本位で」
菫子の表情を見ると、事実なのだろう。
この外来人の話は後から聞かされた。
大事件を起こしたことは知っているけれど。
それがどんな内容だったのかは、良く理解していなかった。
そんなに危ない異変だったのか。
咳払いする。
菫子が、外の話、してあげるという。
でも、それは。
空にとっては辛い話かも知れない。
だけれども、菫子が、何だか綺麗な本を見せてくれる。
外から持ち込んだ本だという。
「あ、賢者さんの許可は得ているから大丈夫だよ。 エアシャワーみたいの通ったりしたけど」
「この本は」
「核融合の平和利用について」
「……」
口をつぐむ空に。
椅子に逆向きに座ると、読んで見て、という。
書かれているのはかなり難しい日本語だけれども。
空にも何とか理解出来る内容だった。
更に、絵がとても綺麗だ。
どうやったら、こんな綺麗な絵を描けるのだろう。
「これ、一品ものの本? こんな凄い絵がついているって、菫子さんってものすごくお金持ち?」
「うーん? これ、お昼ご飯1回分くらいで買える本」
「へ……」
「外の技術はそれだけ進んでるの。 河童の技術とかも見せてもらったけれど、外の技術に比べるとまだまだ全然なんだよ」
そう、だったのか。
促されるまま見る。
現在核融合は、実用の前段階に入っている。
戦争での利用を想定した水素爆弾は実用化しているが。
平和利用で用いる核融合炉は、現在試験炉が稼働し、実験的に動かす事には成功している。
そういった話が書かれていた。
難しい話なのだけれども。
内容を理解出来るのは、多分八咫烏のおかげなのだろう。
そうでなければ、多分途中で眠っていたはずだ。
「うにゅ……」
「核融合は危険なだけの技術じゃないんだよ。 それをちゃんと伝えられていなかったから」
「……」
「それと、こっちも見て」
同じように渡される本。
こっちは電気の歴史だ。
電気か。
幻想郷でも、河童や天狗が使っている技術。
地霊殿でも少し使っている。地熱発電というのをやっていて、其所から少し電気を分けて貰っているのだ。
一方で人里には殆ど電気は普及していない。
これは賢者の方針であるらしい。
一応普及には普及しているが。
ごく限定的で。
外とは比較にならない程遅れている、という話は聞いたことがある。
電気の作り方についてから。
色々書かれている。
技術については、やはり八咫烏の知識なのだろう。
すんなり頭に入ってくる。
だけれども。
電気が、こんなに危険なものだとは、思いもしなかった。
人を簡単に殺せる。
事故が起きると大惨事になる。
電気は、今の時代でも、基本的に蒸気を作り出して、それでタービンというものを回して作る。
この仕組みはどれも同じだ。
たまに、タービンをまわす動力が違う方法もあるけれど。
基本的に電気はタービンを回して作る。
この時に使う蒸気が危険なのだ。
水を沸騰させて蒸気にすると、容積が爆発的に増えるのだが。
それを利用してタービンを回すと言うことは。
何かしらの事故が起きると。
凄まじい高熱の蒸気が、辺りを蹂躙することになる。
その結果の事故映像も見たが。
妖怪である空でさえ。
絶句するような内容だった。
菫子も何も言わない。
それだけ、酷い絵だと言う事だ。
青ざめている空に、菫子は言う。
「分かった? 核融合も他の電気も同じ。 エネルギーってのは使い方次第で、やり方を間違えると何だってこうなるんだよ」
「……」
「だからお空さんは、安心して核融合使ってよ。 その代わり、戦いのためじゃなくて、みんなを笑顔にするために」
「……菫子さん、この本、貸してもらってもいい? 二冊とも」
不意に変なことを言われたという顔をして。
それから、菫子は苦笑いする。
かまわない、と言われる。
ただ、賢者に色々説明しなければならない事と。又貸しは絶対に禁止という事も念押しされた。
又貸しは禁止か。
そうなると、さとりに相談した方が良いだろう。
多分何か、対策をしてくれるはずだ。
一緒に、菫子とともにさとりの執務室に行く。
菫子を見て舌なめずりしている同僚もいる。
やはり、地底に人間が来るのは無謀だ。
あの博麗の巫女が来た時も、襲いかかる同僚はいたと聞いている。千切っては投げ千切っては投げされたそうだが。
ここはまだ。
人間が足を踏み入れて良い場所ではないのだ。
執務室につくと、一目でさとりは全てを察したのだろう。大事に抱えている本を見て、貸すように言う。
そして、呪術を施しながら、言うのだった。
「何かあったら、まずは私に相談しなさい。 貴方はお世辞にも頭が良くないのだから、一人で抱え込んでも何も解決しません」
「ごめんなさい、さとり様」
「はあ。 それと、菫子さん。 貴方は本来まだここに来ては行けません。 周囲の視線にも気付いていますね」
「はい……正直怖いです」
地底にいる妖怪は。
人間を食いたいと思っているものだっている。
地上にいる成り立ての妖怪だってそうなのだ。特に獣から妖怪になった妖獣はその傾向が強く、地霊殿の主要構成妖怪は妖獣である。
地上で問題を起こして、地底送りにされた妖怪ならなおさらだ。
「今回の事がないように、余計な外の世界の知識は出来るだけ持ち込まないようにお願いします」
「はい、ごめんなさい……」
「里の人間に対しては、余計な事を教えていないようで、感心はしました。 賢者の指示をきちんと守っているようで何よりです。 ただもう少し、今後は……」
くどくどとお説教が続く。
考えを全て読まれてしまうので。
迂闊に反論する事も出来ない。
菫子も知っているようで、棒立ちしたまま青ざめてお説教をずっと聞いていた。
或いは。
空がこんな事になった禊ぎとして、罰を受けているのかも知れないが。
お説教がたっぷり二時間ほど続き。
疲れ果てた菫子が、部屋の隅でぐったりする。
空は困り果てたが。
弱り切った状態で、地上まで護衛も出来ないだろう。
代わりに、お燐が来てくれる。
「ほら、猫車に乗りな。 地上まで送ってあげるから」
「えっ、でもその猫車って」
「贅沢はいわない」
お燐は体格的に優れている訳でも無いし、人食いの妖怪でもない。死体はさらうけれど、生きている人間を殺したことはないし、殺して食べる事だって考えない。彼女はあくまで死体を集めるだけだ。
ただ、それでも普通の人間とは力が根本的に違うし。
お燐が死体を乗せるのが猫車だと、状況からして菫子は知っているのだろう。
菫子は無理矢理猫車に乗せられて青ざめていたが。
それでも今は逆らう力も残っていないのだろう。
身を縮めて大人しくしていて。
「キスメにだけは気を付けてね」
「ああ、さっき地下の再開発の工事現場を襲おうとして、勇儀姉さんにしめられてたから、すぐには復活しないと思う。 他の危ない妖怪は、さとり様が声を掛けたから、多分ちょっかいは掛けてこない」
「そっか……」
「お空も、とにかく休みな。 顔色も良くなって来ているから」
頷く。
貰った本を、読み返したいと思う。
核の力について、見れば理解はする事が出来る。
電気がどんなことをできるのか、読めば分かる。
八咫烏の力が故だ。
菫子には、いずれまた会いたいが。
さっきさとりが余計な事を言わないようにと言っていたので。
多分、もう外の話はして貰えないだろう。
ただ、この本をくれたことからして。
この本の内容についてだけは、話しても大丈夫だろうか。
ああ、でも。
外にこの本を持ち出すのは止めた方が良いか。
別の鳥の妖怪が。
博麗の巫女に本を楽しそうに読んでいるのを見られて。
ぼこぼこにされたあげく本を奪われた事があると聞いている。
空は前科持ちだし。
同じように、本を奪われかねない。
そうなると、面倒な事になるだろう。
とにかく、少し元気が戻って来た。
お燐に言われたように横になって、粥も食べて力を取り戻すことに専念する。
なまじ理解してしまったから。
衝撃を受けてしまった。
今は、しっかりとした知識をつけて。
そして頭の中で理解を深め。
言われたように、きちんとした正しい使い方で。
核融合を使っていきたい。
使い方次第では。
みんな、とても幸せになれるはずの力なのだ。
危ないだけの力じゃない。
戦闘が主眼に置かれる幻想郷では、空は幻想郷最大火力なんて言われていたけれども。それでも神々にはかなわない事だって知っているし。
むしろ、みんなの生活が便利になるための力だと割切って。
自分の力と向き合っていきたい。
前向きになると。
精神生命体だと言う事を実感する。
体の回復が早まっていくのが分かる。
菫子が帰ってからは、仕事をするのも、自分で行くようになった。前は弱っているのを見て、明らかに狙おうとしている妖怪がいたが。それもなくなった。普段の空はどちらかといえば強い方の妖怪に入る。それを知っているのだ。
仕事についても、前は八咫烏にやらされている感触が強かったのだけれど。
今は黙々と、原子炉、正確には核融合炉を操作して、電気を作り出す実験をしている。
外でも核融合炉の完成品は出来ていないらしい。
此処でもし完成品を作り出す事が出来たら。
それはとても素敵なことだと思う。
それに、まずい場合は空には分かる。
核融合の権化が体内にいるのだから。
色々実験を進めながら、作業を行う。
タービンに関する事故が起きても、幸い妖怪だから死ぬ事はない。人間だったら一発であの世行きだろうけれども。
空は妖怪。
肉体が壊れても平気だ。
精神が壊れない限り。
作業が終わった後は、地霊殿に戻り。
自室で、空以外が触れないように呪術を施された本を読む。
原子力発電に関する本だ。
何度読んでも、どうしても忘れてしまう部分があるけれど。
それでも一生懸命覚える。
記憶力が致命的に駄目なのは。
多分八咫烏が入った時に、ただでさえ少ない頭の容量を圧迫したからではないか、という話をどこかでされたけれど。
それさえ誰に何処でされたのか覚えていない。
ともかく、黙々と読む。
集中して読む。
咳払いを受けて顔を上げると。
お燐だった。
「その外の本、お気に入りみたいだね」
「うん。 暴力以外に力を使える事が分かって嬉しいから」
「あの大火力を暴力以外に使えるなんてねえ」
「あの旧地獄にある原子炉が何なのか、誰も分かっていないんだよね。 ちょっと前までの私も含めて」
苦笑いする。
お燐には、本の内容を読み聞かせて。
大まかな内容は伝えた。
お燐は空よりずっと頭が良いので。
内容については、理解してくれた。
ただ、さとりには、お燐以外には絶対に喋るなとも言われている。
きっと、あの原子炉に余計な妖怪が入り込むのを避ける為、なのだろう。それにさとりは恐らくだが。
原子炉がどういうものか。
菫子や空の中にいる八咫烏から。
読み取っていたのは、ほぼ疑いない。
地底の名目上の管理者として。
あまり、危険を増す事は出来ないと判断しているのだろう。
ともかく、食事だ。
そろそろ粥以外も良いだろうと言われているので、食堂に出る。空が食堂に出てきたのを見て、他の妖獣達は色々複雑な目で見ていた。
人間と仲良くしていた。
変な本を貰っていた。
それが気にくわないのだろう。
此処にいる者達の中には、人間を食べたがっている者だって多いのだ。
空が人間と仲良くするのは。
その肉をついばもうとしているから。
そう勘ぐるものだっている。
あまりぴんと来ないが。
お燐に言われて、そういうものなのかと思った。そんなつもりだったら、最初から押さえつけて肉を貪り喰っている。
大体地獄鴉だって。
亡者を罰するためについばむ存在なのであって。
亡者をエサにして生きている存在ではないのに。
「気にするんじゃないよ」
「うん。 ありがとう」
「ただ、あの人間とは、距離を置いた方が良いかも知れないね。 あんたよりも、あの人間の方が危険だ」
「どうして?」
お燐が言うには、簡単に騙される馬鹿な人間かも知れないと、周囲の妖怪が考え始めているかも知れない、というのだ。
もしもそうだとしたら。
確かに空がほいほい会いに行ったら、あの人間の身に危険が及ぶ可能性はある。
地底と地上は断絶しているが。
それでも、たまに地底の妖怪は地上に出るし。
交友関係があるケースもある。
変な風に噂が流れたら。
あの人間。
菫子に、危害が加えられるかも知れない。
「一応、博麗の巫女に声を掛けて貰えないかな。 今回の一件について」
「それならもう声は掛けておいたよ。 さっきの言葉、博麗の巫女からのアドバイス」
「ああ、そういうことだったんだ。 うにゅー」
「まあしばらくは体調を戻すことに注力しな。 まずはそれからだ」
食事を終えると、さとりの所に顔を出す。
原子炉で働く以外にも、雑用はしているのだ。
あまり頭が良くない空だから、難しい仕事は任されていないけれど。
例えばものを運ぶとか。
力仕事とか。
そういうのは任される。
暴れている妖怪をまとめて吹き飛ばすとか。
そういう事もたまにさせられる。
今になって、核融合の力について知ると、それがどういうことなのか、少し怖くなってしまうけれど。
それでも、空の存在が抑止力になるのなら。
それで喧嘩が減るし。
良い事だとも思う。
今日は、倉庫の整理をするように言われたので、何人かの妖怪と組んで作業をする。監視役に、あまり話した事はないけれど、さとりの側近がつく。これは倉庫が結構大事な場所だから、だろう。
地霊殿にも宝はあるし。
中にはあまり外に出してはならないものもあるのだ。
力仕事を淡々としていると。
同僚の妖怪が話しかけてくる。
「なあ、あのうまそうな人間、ちょっと囓らせてくれよ」
「だめだよ。 あんた地底送りにされた身でしょ。 そんな状態で人間を襲ったりしたら、もう地底でさえ生きていけなくなるよ」
「ばれないようにすれば大丈夫だろ。 賢者が持ってくる人間の死体、味気なくってよう、たまには血の滴る肉が食べたいんだよ」
「だめ。 人間以外ので我慢して」
口を尖らせる同僚。
友達だ、という事は言ってはいけない。
そうすれば、余計に菫子に危険が及ぶ。
今度会うとしても、ずっと先になるだろう。
人間と妖怪では、時間の感覚が違っている。今はまだ若々しい菫子だが。次に会うときは、どうなっているか分からない。
倉庫の整理が終わると。
指示通り、部屋に戻る。
空がちゃんと復帰したと言う事はすぐに地霊殿に伝わったらしく。しらけた目で見る者もいなくなった。
空はかなり強い妖怪と認識されている様子で。
それが頭が弱いと言う事を補っている。
地底を管理している場所だけあって。
地霊殿は、決して平和な場所とは限らないのだ。
自室に戻ると、また菫子に貰った本を読む。
外ではお昼ご飯1回分くらいの価値しか無いと言っていたっけ。
外はもう、幻想郷とは根本的に違う世界なんだなと、綺麗な絵を見ながら思う。力をちょっと加減し間違えると、本をびりっと破いてしまうから、気を付けなければならないとも感じる。
原子炉の仕組み。
電力の有効活用。
それらのページは、特に何度も読み込む。
電気の歴史についても触れられていた。
外の世界でも、人里にあるような灯りが普及し始めたのは、結構最近の話であるらしい。電気そのものは、ずっと昔から作られ、研究されてきたらしいのだけれども。
灯りという、妖怪にとってある意味致命的で、そして人間にとって究極の武器ともなった存在が出来、普及するまでには。
相当な苦労があったそうだ。
エジソンという性格が悪そうな顔の人間を見て、ふーんと唸る。
この人間が。
電球を普及させた、最大の功労者なのか。
多分、外の世界では妖怪達にさぞや恨まれているんだろうなとも思う。
幻想郷のある国では、妖怪はもう大妖怪クラスしか、外の世界では生きていけない。
他の国でも、妖怪はどんどん駆逐されて言っていると聞いている。
だとすると、このエジソンこそ。
どんな妖怪殺しの豪傑よりも。
たくさん妖怪を殺してきた存在なのだろう。
でも、電気が普及することで。
河童や天狗が使っているような、便利な道具もまた、使えるようになっていったのも事実であるらしい。
色々な機械類の映像を見て。
少しわくわくした。
やはり核融合の力は、みんなが喜ぶように使っていかなければならない。
そう、空は思うのだった。
4、知らなくても良い事
空は無邪気に喜んで本を読んでいる。
そう聞かされて、菫子はほっとした。
なお、そう聞かせてきたのは、地霊殿の中でも特に訳が分からない存在。
自分の心を閉ざすことで、周囲から認識されなくなるという力を持った者。
さとりの姉妹の妹。
古明地こいしである。
こいしは比較的自由に幻想郷の彼方此方を出歩いていて。最近は命蓮寺を中心に、地上をふらふらしている。
ここまで自由に幻想郷をふらつけるのは、能力故だが。
その能力故に姉にも居場所が掴めないらしく、希に心配した姉が命蓮寺に探しに来るそうである。
この間、空が問題を起こしたときに。
博麗の巫女と地霊殿のパイプ役をしたのもこいしだ。
そんなこいしに、今菫子は。
命蓮寺の境内で、話を聞かされていた。
「お空ね、外のこの道具いいなーって、お燐と話してたよ」
「ありがとう。 お空さんには、本当の事、話さないでね」
「本当の事?」
「夢を見ている所に、冷や水掛けたくないから」
じっと見つめられる。
さとりと同じくらいの年頃の童女に見えるこいしだけれども。とにかくつかみ所がなくて菫子には怖い。
菫子はサイキックであり、ある程度相手の心を読むことが出来るのだけれど。
だからこそ分かるのだ。
へらへら笑っているこいしの中身が空っぽだと言う事を。
何も考えていない虚無の妖怪。
閉ざした内側も完全に空っぽ。
だからこそ、悟りの境地に近いと言う話らしいのだけれども。
その辺りはよく分からない。
なお、以前に菫子が幻想郷で問題を起こしたときに交戦した相手の一人でもあるが、その時はコテンパンに叩きのめされて酷い目にあった。その辺りもあって苦手意識もあるのかも知れない。
「それって、外の世界の精神文明が滅茶苦茶って話?」
「そういう言い方になるのかな。 難しい言葉知ってるね」
「紫さんに、色々話はしてもらうから。 私は何処に行くか分からないから、外の世界の危険性を教えてくれているみたい。 外の世界に行きかねないって思われているんだろうね。 流石に私も、外の世界にまで行こうとは思わないよ」
「……」
精神文明、か。
確かにそういう観点で言えば、今幻想郷の外は滅茶苦茶だ。
みんな恐ろしい程心が貧しい。
学校生活は苦痛でしかない。
特に菫子のような変わりものは、周囲との距離を取りつつ、排斥されずに過ごすのが兎に角大変だった。
それが下手な人間は、文字通り徹底的に痛めつけられる。
痛めつけられても自業自得とされる。
幸い、菫子は、そんな醜悪な集団心理に巻き込まれず、周囲から距離を取って過ごすことに成功しているが。
絶対に、「みんな」とは関わり合いになりたくない。
それが外の世界の現実だ。
幻想郷でも、厳しいルールは幾つもあるし、人間が主体になって動かしているわけでは無いという点もある。
菫子も、何度も怖い目にあった。
だけれども、それでも幻想郷にいて感じるのは。
とてもおおらかな世界だな、と言う事だ。
事実、幻想郷が外の世界と同じレベルの厳しさで動いている世界だったら。菫子は今頃何かしらの方法で閉じ込められて一生そのままか、或いは妖怪のエサだっただろう。二回も幻想郷で大事件を起こしても、叱られるだけで許されている。それが此処が如何に優しい世界なのか、告げていると言っても良い。
外のように、ちょっとした言葉遣いや「マナー」だので、人間関係が一瞬で崩壊したりだとか。
ちょっとした失敗で一生許されないだとか。
そういう事は無い。
人材を湯水のように使い潰して。
金持ちだけが楽な生活をして。
それ以外の人は奴隷のように使い潰されている。
それが外の現実で。
そんな事は、外の進歩した文明を見て喜んでいる空には、知って欲しく無い。
核融合が夢の力である事は事実だけれど。
実際には、現在も石油メジャーなんて余計な勢力がその浸透を阻もうと陰湿な行動を繰り返しているし。
技術の進歩どころか、その足を人間自身が積極的に引っ張っている。
人間がどうしようもない生物だと言われたら。
菫子は反論できない。
そういえば、この間守矢の早苗とも話した。
やはり、外には戻りたくないという。
菫子も、こっちで暮らせるなら。
時々、そう思ってしまう。
衛生面などは色々問題があるけれど。
それでも、外の世界のスクールカーストやら、ブラック企業やらで、すり潰されていくよりはマシかも知れない。
いずれにしても、空にはそんな外の世界の汚い部分を、知って欲しく無いのである。
「お空さんに出会わなければ良かったのかなあ」
「それは違うよ」
「え……」
「ええと、一期一会っていうのかな。 本来は接点がない相手だったんだし、会って良かったんだと想う。 気付いてたかな。 私面白そうだから、途中からずっと見ていたんだよ。 もし問題があるようだったら、菫子さんを捕まえて、もう二度とお空には合わせないつもりだった」
笑顔のまま言われるので。
ぞっとした。
確かに、こいしに名乗られるまでは、殆ど認識する事自体できなかった。
この子は、幻想郷の最アンダーグラウンドの一翼を担っていると聞いている。
必要に応じて暗殺のようなこともするらしい。
能力から考えると、この子以上の暗殺者は存在し得ないだろうし。
まあ妥当なところではあるけれども。
まさかその刃が首筋に突きつけられていたと思うと。
ぞっとしない話だった。
「菫子お姉さんは最初からお空を助けてくれたし、色々行き詰まっていたお空に手もさしのべてくれたし。 お空がどう思ってるかは分からないけれど、私に取ってお姉ちゃんの部下であるお空は大事な存在なの。 そんなお空に、ちゃんと接してくれたから、見守るだけにしていたんだよ」
「そ、そう……」
「あ、怖がってる。 大丈夫、何もしないよ。 ただ問題ありと判断した場合は「忘れて貰った」かも知れないけれど」
「……」
それが怖いのだけれど。
まあ、通じる事はないかも知れない。
それに、外の世界で、十把一絡げで売っている科学雑誌を持ち込むのを、あの恐ろしい妖怪の賢者は条件付きとは言え許してくれた。
本来だったら、たかが一妖怪を救うために其処までしない。
外の世界だったら、見捨ててポイだろう。
犯罪者に仕立て上げるか、或いは殺すか。
どっちか二択だったに違いない。
空に対する賢者の対応だけでも。
此処が、外の世界とは違う事が、よく分かるのだ。
命蓮寺の住職が、こっちに来る。
慌てて立ち上がって礼をすると、丁寧に礼を受けてくれた。
食事をしていくかと言われたので、そうすることにする。
お寺の料理は味気ないと思っていたのだが。
此処の料理は、肉食を断つための本気の努力をしているためか、意外と、いや本当に美味しいのである。
多分、此処の住職自身が。
煩悩を断つだったか。兎も角そういう修行的な事が、如何に大変か理解しているのだろう。
本人も台所に立つし。
弟子達にも常に不満がないか聞いて、問題点を解決することに注力しているようだった。
博麗神社の巫女である霊夢が、悔しいが命蓮寺が出来てから、良くなったことが多いとぼやいているわけである。
くせ者が多い幻想郷の中でも、珍しい本物の善人だ。
悟りを開いているかどうかは、また別なのだろうけれど。
こいしと一緒に食堂に。
それなりの人数と一緒に食事にするが。
学校で苦痛でしかなかった食事が、此処では楽しみだ。
わいわいと食べる訳では無く、静かに食べるのだが。
植物由来の素材と、味付け。あとは魔法による栄養の付与だけで、良くもここまで美味しい料理に出来るものだと感心である。
それでも弟子達の一部は、まだ肉食が断てていないらしいので。
贅沢だなとも思う。
空は、地下でどんな食事をしているのだろう。
食事を終え、食器を運びながらそう菫子は思う。
今日はごちそうしてもらったので、食器洗いを手伝う。シンクは普通に存在しているので、食器洗いは外のやり方とあまり変わらなかった。流石に食洗機はなかったが。
食事の礼を言って、命蓮寺を出る。
見送りに来たこいしに、もし空がまた地上に来たら、知らせてほしいと告げると。
こいしは、にやりと、見た事も無い笑顔を浮かべた。
「もう少し様子を見て、良い影響が出ていたらね」
おお怖い。
この子は幼児の姿をしていても、大妖怪。賢者側の存在だと言う事だ。
そのまま、今日はもう戻る事にする。
幻想郷は不思議な場所だと。
菫子は、また思い知らされていた。
(終)
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