実直な大天使の苦悩

 

序、中間管理職

 

大天使ウリエルは、精悍な鎧を着た姿の青年である。背中には純白の翼を一対だけ持っている。

他にも戦闘形態とかいろいろあるのだが。

今はこの姿を取るようにしていた。

大天使というのは、一神教における天使の階級における下から二番目。下級二位である。

ところがどういうわけか、天使の管理者級……四大とか七大とか言われる最高位天使は、この大天使と呼ばれる事が多く。

一神教の思想や設定が、雑である事を既に物語っていた。

ウリエルは四大天使と呼ばれる存在であり。

地獄を管理し。

世界の終わりの時には、その一角を担うという重要な仕事を受け持っている。

にもかかわらず、だ。

人間の信仰に振り回されてきた、悲惨な存在でもあった。

まあ同僚であり。

今ではすっかり堕天使という事にされてしまったサリエルよりはマシかも知れないが。

「ウリエル、こんな所にいましたか」

「ガブリエルか」

今、腰掛けているのは天の国の端。

下には雲海が拡がっていて。

その下には多数の人間がいる。

天の国は物理的に存在している訳では無い。

人間の信仰心が作り出した精神世界だ。

それは魔界と同じである。

それなのに、天使達は狂信的に自分達は悪魔とは違うと言っている。実際には同じようなものなのに。

一時期堕天使扱いされ。

悪魔にされた経験があるウリエルは、それを良く知っていた。

ガブリエルは四大天使の一角。

つまりは同僚である。

女性型の珍しい天使だ。

実の所、女性型の天使というのは一神教では珍しく、多くは男性的な姿をしている。

この女性的なイメージは、近代の創作で描かれる天使のモデルとなったニケやキューピッドの像などが要因なのだろうが。

どっちもギリシャ神話の神格なので。正直笑うに笑えなかった。

「仕事にはいかないのですかウリエル」

「今の時点では魔界の悪魔達は大人しくしている。 だから私がわざわざ出向くまでもなかろうよ」

「大人しくしているといっても……」

「分かっている。 何がいつおきても仕方が無いし、何よりきりが無い」

一時期は、ウリエルは大まじめに働いていた。

どうしようもない悪人の魂を容赦なくかり集め。

地獄に叩き落としていた。

だが、ある時神に言われたのである。

信仰心を集めろと。

地上をよくしろと言って欲しかった。

地上の人間達の堕落ぶり、もはや見るに堪えない。

これをただすのが天使の役割なのでは無いだろうか。

そうウリエルは、唯一絶対とされる神に意見したが。

神はもう一度、信仰心を集めろと言った。

それで全てだ。

三度目はない。

しかも、四大の中でウリエルは堕天使扱いされたことがある唯一と言ってもいい存在なのである。

立場も悪い。

最悪の場合、また堕天使にされるかも知れない。

そうなると、もう復帰は絶望的だった。

立場が不安定な天使は他にもたくさんいる。

一神教の宗派によっては天使だったり堕天使だったりするような輩である。

そういう輩ははっきりいって必死だ。

神に応えるために、必死に信仰心を集めている。

そのために手段を選ばず。

カルトを作って、信仰心を無理矢理かき集めている者さえいる。

悪魔と取引しているものすらいて。

それが大天使級の天使だったりする。

それらを嘆いていても。

神の信仰心をまず集めろという言葉に従わなければならないのが、ウリエルの辛いところだ。

だから従うしかない。

ウリエルの仕事も、本来は地獄の管理なのだが。

それも今では、すっかり人間世界の信仰集めに代わってしまっていた。

「分かった。 出向く」

「何だか気力が散逸しているようですね」

「当たり前だろう。 こんな状況だぞ……」

「私から申請しておきましょうか。 少し休憩を取るべきでは」

鬱陶しいと思いながらガブリエルを見る。

一神教は現在主に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に別れるが。

キリスト教では最高位天使はミカエルなのに対して。

イスラム教ではガブリエルが最高位天使だ。

実の所、ガブリエルは神の愛人では無いかと言う噂があるが。

ウリエルは、それについてはノーコメントである。

唯一絶対の神が寵愛する天使は何体かいる。

ウリエルもどちらかと言えば寵愛されている方だろう。何しろ堕天使扱いされていたのが、四大にまで戻っているのだから。

だが、神の公平性をウリエルは疑っている。

これについては、地獄の管理をしているからという立場もあるが。

仕事上地上を見回れば、どうしてもそんなものは信じられなくなる。

それでも光側の存在として。ウリエルは大きなものを背負っている。だから無責任な言動はできない。

故に、余計なことを喋らないようにするしかない。

ウリエルが不満を零せば。

それは大きな影響力を持ち。

天使達に波及していくのだから。

立ち上がる。そしてガブリエルに告げる。ガブリエルが何を考えているのかはよく分からないが。

ミカエルと並んで、もっとも神の寵愛あつい天使だ。

余計なことは、口が裂けても言う訳にはいかなかった。同じ四大でも、だいぶ立場は違うのである。

「信仰を集める者の邪魔がいないか地上を見回ってくる」

「悪魔狩りですか……」

「見かけたら倒すだけだ」

「……」

ガブリエルは視線を伏せた。

まあどうでもいい。

ウリエルはそのまま、パワーを呼び集める。

魔界の悪魔と戦う事を主な任務とした天使達だ。階級的には中級下位に相当する。

厳しく武装した天使達だが。

戦闘を司る一方、悪魔と接して堕落し、堕天する者も多いのが実情だ。

パワーは天界の兵士と言う事もあって、良く統率されている。

ウリエルが呼び集めると、わざわざ言うまでも無く、空中で見事な陣形をくみ上げて見せる。

一口にパワーといってもかなり個人で力量差があり、隊長になると中級上位に当たる天使のドミニオンに匹敵する者がいるが。

こういう者達が抜擢されているとは言い難いのも事実だ。

神はあまり積極的に仕事をしない。

だから、人材抜擢や育成も、されているとは言い難かった。

パワー達はこれほど真面目に務めているのに。

これでは堕天してしまうものが出るのも、仕方が無いのかも知れないとウリエルはいつも思う。

こんなに即座に戦闘隊形を取れると言う事は、相応に苦労しているし、努力をしているという事だ。

それを評価されないというのは。

それぞれの心に染みを絶対に作っていく。

そしてそういった染みが重なっていくと。

やがて致命的な激発につながってしまうし。場合によっては心を病んでしまう。

実力者のパワーが心を病むと、そのまま上位の悪魔になってしまう可能性がある。

それは、とても悲しい事だとウリエルは思う。

「これより地上を巡回し、悪魔がいた場合駆逐する。 人間に見つからないように、結界を展開せよ」

「ははっ!」

ほぼ何も喋らないパワーだが。

それでも、魔術担当の者が即座に結界を展開。

隊全てを包み込む。

ウリエル自身は別にかまわない。

人間に認識されるような生やさしい結界で、身を包んでいないからだ。

そのまま高度を落とすと。

やがて、人間の都市が見えてきた。

光が夜中だというのにさんさんと点っていて。

まるで星空が地上に落ちたかのようだ。

人間は夜中だというのに動き回っている。これは今は、世界中何処でも同じだと聞いている。

夜中だったら寝るものだ。

人間はそもそも、夜中に動き回る生物としての構造をしていない。

夜中に無理に動き回ると、やがて体を壊してしまう。

それどころか、場合によっては心も壊してしまう。

そのつらさはウリエルにはよく分かる。

エジソンという男が発明した灯りは、怪異に対して致命的なダメージを与えたという話を聞く。

確かに夜闇を、これほど弱めた発明は存在しないだろう。

だが、それでもだ。

これはいくら何でも、やり過ぎだと思う。

三百体のパワーが。隊列を組んでついてくる。見事な陣形を敷いているが、地上の人間には一切関知できないし。

なんなら飛行機などがぶつかっても透過してしまう。

ウリエルは周囲を警戒するように指示を出すと、夜の街を見回る。

いわゆる春をひさいでいるものもいるけれども。

最近はそういう仕事をしている人間は、どんどん食べづらく。要するに仕事がなくなっているそうだ。

むしろ働いているのは、サラリーマンと呼ばれる存在や。

工場などで勤務しているもの。

更には、ITと呼ぶか。

電子関連での仕事をしている者達。

彼らは場合によっては栄養ドリンクなどを飲みながら、無理矢理夜中に起きて仕事をし。

命をすり減らしながら、小銭に替えている。

搾取している連中は、それこそ好き勝手にやっているというのに。

このいびつさは、文字通り反吐が出る程嫌いだ。

神がこの好き勝手をしている、悪魔より邪悪な人間共にしっかり天罰を与えていけば、この世界はもっとずっとマシになるだろうに。

ウリエルは、いっそ自分でと思ったが。

そうする訳にもいかず。

しばらく、悪魔がいないか、丁寧に周囲を見て回るのだった。

天使が近付いてくる。

それなりの大物である。

空中で翼を拡げて、止まる。

パワー達にも、臨戦態勢を維持するようにハンドサインを出し。

相手を待つ。

近づいて来たのは、マンセマット。

マスティマとも言われる、天界の掃除屋だ。

汚れ仕事を専門に行う天使であり。

実の所ルシファーなどよりずっと古い存在である。

いわゆるモーセの出エジプトにも関わっている程の古い存在であり。

悪魔を扱う事を許されているというその性質から。

やはり堕天使扱いされる事も多い存在だ。

そのため、性質は陰険極まりない。

また極めて野心的だが。

これらは恐らくだが、人間によって好き勝手に天使にされたり悪魔にされたりしている内に。

歪んだものだろうと、ウリエルは同情的に見ていた。

同じく堕天使にされた経緯があるからか。

マンセマットの方も、ウリエルに対しては好意的である。

浅黒い肌と、青白い不健康な唇。そして薄着のマンセマットは。真っ黒な翼をはためかせて飛んできたが。

やがてウリエルの至近で止まった。

「これはウリエルどの。 このような場所に何用ですかな」

「マンセマットどのこそ。 私は悪魔がいないか見張りにきたのだが」

「貴方ほどの存在が来てしまうと、悪魔は逃げ散ってしまいますよ。 今はデジタルで情報が悪魔の間ですらも共有されていますからね。 恐らく、天界から大物降下、とアラートが鳴ったのでしょう」

「そうか。 だが、悪魔が身を潜めたのならそれでいい」

実際、悪魔が身を潜めているのなら。

その間は悪さなんか出来ないのだから。

だが、この街を見る限り。

悪魔などよりも、余程人間の方が悪さをしているように見えてならないが。

神はいう。

人間を誘惑するために、悪魔はあえて配置してある。

誘惑に負けない人間が必要なのだと。

だがそれは詭弁だ。

堕天使の長であるルシファーは、いまやどの天使よりも強い。

ミカエルですら、一対一では勝てないだろう事をウリエルは知っている。

それに魔界は天界よりは多少力が落ちるとは言え、充分過ぎる程の戦力を有しているし。

近年では、唯一絶対の神が気に入らないらしい神々が、大連合を組む予兆があるらしいとも聞いている。

つまるところ、神がもっと仕事をしなければ。

いずれ致命的な事がおきかねない。

いっそ、悪人をどんどん罰するようにと命令をしてくれれば。

ウリエルは動くものを。

そう思うと、歯がゆくてならない。

「眉間に皺が寄っていますな。 貴方も不満をお抱えで?」

「滅多な事を言うな。 それに貴殿は立場も危うかろう」

「貴方が相手だから言うのですよ。 これから数年、いや十数年ほどは、人間達にとって大きな転機が続くでしょう。 貴方はその時、天界の尖兵として動かなければならないでしょうが……もしも力が混沌側に傾いたら、恐らく真っ先に倒される立場になるでしょうな」

「それもまた本望だ」

力及ばず、悪魔に倒される。

その方が、堕天するよりも遙かにマシだ。

それについては、ウリエルの本音である。

堕天使にされていた頃の記憶は残っているが。

とにかく怒りと憎悪で、心が煮えたぎるようだった。

人間達の神学者のせいで、天使と悪魔を行ったり来たりしている者は他にもいるが。

話を聞く限り、ウリエルとあまり状況は変わらないそうである。

そういう話を聞くと、いつも悲しくなる。

天界の間では評判が極めて悪く。

今も人間の金持ちの組織を牛耳っているという噂があるマンセマットにウリエルが厳しく出ないのも、それが理由だろう。

「貴方は真面目だウリエルどの。 だが、今後の世界は真面目なだけでは渡ってはいけないでしょう。 いざという時は、いつでも相談に乗りますよ」

「……分かった。 それが貴殿の言い分だと言う事はな」

「これは手厳しい」

「巡回に戻る。 貴殿は貴殿の仕事をなされよ」

敬礼をかわすと、それぞれ別れる。

たまに野良での仕事をしている下級天使を見かける。それらはウリエルを仰ぎ見て敬礼をするが。

その心に悩みが満ちている事など、想像もしないだろう。

しばらく巡回を続けるが。

マンセマットが言うアラートとやらが出ているからだろうか。

悪魔は全く発見できなかった。

たまに都市伝説のような小物を見かける事はあるが。

そのままウリエルが指示を出し。

パワー達がその場で八つ裂きにしてしまう。

デジタル化されたアラートすら聞けていないような小物だ。

どれだけ倒しても、なんの影響も無いだろうが。

時間を見る。

そろそろ日の出か。

天使達もつかれてきているだろう。

この辺りで切り上げるべきだと、ウリエルは判断した。

「よし、天界へ撤退する」

「はっ!」

「隊長は倒した悪魔についてレポートを後で提出するように。 小物ばかりだが、それでもだ」

「分かっております」

頷くと、天界に戻る。

ぎらついた街の灯りは。朝近くになっても全く消える様子が無い。

経済活動が過熱しすぎて、もはや行き着くところまでいこうとしている人間達の世界には。

もはや倫理も、因果応報も。

存在しないように、ウリエルには思えてならなかった。

 

1、大天使は中間管理職

 

神への謁見は四大でも滅多に許される事はない。

今日も朝の内に謁見の申し込みをしたのだが。残念ながら神の秘書をしている知恵の大天使ラジエルは、許可が出なかったと申し訳なさそうにいうのだった。

ラジエルは実直な大天使である。

彼を責めるわけにはいかなかった。

それにしても、本当に神は何をしておられるのか。

我等に対して、地上の悪人に天罰を下せと指示していただければ。それこそすぐにでも実施するのに。

試練だ誘惑に対する反応を見る為だと称して。

堕落を好き放題に許しているのは、本当にどうしてなのか。

苦悩しながら天界の宮殿を退出すると。

メタトロンとすれ違った。

メタトロン。

天界の最大戦力である。

残虐性の強い性格をしていて、非常に巨大な体躯を持つ雄偉な天使だ。

一神教では神格は唯一絶対の神しか存在しないため、天使にされているが。

多神教だったら間違いなく軍神とされている存在だろう。

一応七大天使に所属するが。

実力は現状、ミカエルよりも上だ。

戦闘能力が高い事よりも、その無機質さがウリエルには気になる。

見ていると、メタトロンはまるで機械のような無機質さで。

会話が成立するかも怪しいと思えてくるのだった。

いずれにしても、メタトロンは顔パスで神に謁見できるのだろうなと思うと、少し腹立たしい。

神の寵愛を受けているなどといっても。

ウリエルの扱いなど、こんなものなのである。

とりあえず自宅に戻る。

それなりの宮殿は与えられており。

内部では下級の天使が忙しく働いているが、ただそれだけだ。

寝室でさっとねむって疲れを取ると。

すぐに書類仕事などをする。

ウリエル自身が出向かなくても、パワーの群れは隊列を組んで地上の巡回に時々出向く。大天使級が混じっていない場合は、当然悪魔との小競り合いも起きる。

そういった小競り合いなどによる被害などの報告は、一旦はウリエルの所に来る。

あまり目だった被害は出ていないが。

たまに堕天の報告書が来る。

そうなると、色々と書類仕事が大変になるし。

何よりとても心が痛む。

故に、被害が小さく。

堕天した天使の報告も無い事で、ウリエルは少しだけ安心していた。

鈴を慣らして、秘書官をしているドミニオンを呼ぶ。

中級上位の天使であるドミニオンは、ウリエルなどの大天使級の秘書官なども務めている。

それだけ天界では重要な立場にいる、ということだ。

上級天使になってくると、それぞれがかなり重要な仕事をしており。

生半可な悪魔よりも強いし。

何より上級天使が多数地上に出向くというのは、それだけの緊急事態である事を示している。

故に上級天使は、天界にいるのが普通だ。

その点、中級は天界にも下界にも出る事が出来る立場にあるため。

ウリエルとしても重宝していた。

書類を引き渡し。そして少し考えてから。天界を見て回る。

今日は地上に降りる予定はないが。

天界を見回って、風紀を引き締めるべきだろうと思っていたのだ。

天使達だって、心はある。

実際、堕天するものは今でも出るのだ。

それは悪魔に誘惑されたケースもあるが。

多くの場合は、この現状に不満が抑えきれなくなったから、というのが大きい。

そんな事はウリエルだって分かっている。

だから、少しでも風紀を引き締めるために。

ウリエルは周囲を見て回り。

そして何か問題が起きていないかを、自分の目で確認するのだ。

見て回っていると、不意にラファエルに出会う。

同じ四大の一角であり。

癒やしを司ると言われる、強力な大天使である。

敬礼をすると、近況について話をする。

ラファエルは実の所、地獄の魔王アバドンなどの強力な悪魔とのコネを今でも保っているらしい。

そのため、たまに秘密任務で魔界に出向くと聞くが。

それについては、ウリエルはあまり指摘するつもりはなかった。

「ウリエルどの。 今日も真面目に仕事をこなしておりますな」

「何しろ私は一度堕天させられた身だからな。 しっかり仕事をして、二度はないということを示さなければならぬ」

「貴殿の生真面目な仕事態度には本当に勇気づけられる。 私の配下の間抜けどもに見習わせたい程だ」

「天使達をそのように言ってやるな」

苦言を呈する。

不真面目になる天使が出るのも、今の状況では仕方が無い。それを暗に指摘したのだが。ラファエルには伝わっていない様子である。

厳しい武人という雰囲気のウリエルほどラファエルはいかめしくないが。それでも普段から鎧姿である事には代わりは無い。

その代わり髪の毛をつんつんに立てていて。

それがとても遠くからでも目立つのだった。

幾つか情報交換をしておく。

やはりラファエルの方でも、神にはあまり謁見はできないそうだ。

「ミカエルどのから又聞きで情報を聞く事が最近はとにかく多くてな。 私としても不便だとは感じている」

「其方もか。 少しは我等の前にも姿を現してほしいのだが」

「そうもいくまい。 これから大きな変革がある可能性がある。 故にお力を蓄えておいでなのだろう」

「……そうだといいがな」

大きな変革がある可能性については、ウリエルも知っている。

実際、つい最近東京の米国大使館にて、人間に化けて潜り込んでいた雷神トールの分霊体が倒される事件が起きた。

もう少し放置していたら、世界で全面核戦争が起きていた状態だったらしい。

ただその場合は、より厳しい世界になれば人間の信仰心が更に強くなるという理由で。神は放置するように指示を出されていたそうだ。

ウリエルからすれば信じがたい話だ。

今でも信仰を続け。救いを求めている民草を核の火で焼き尽くせというのか。

だが、それが未遂で終わった。

胸をなで下ろしている所である。

「今、ミカエル殿が日本に出向いて、状況の後始末をしているそうだ。 魔界からも、アスラ王だとかいう不埒な大悪魔が来ているそうでな」

「アスラ王か。 大魔王の側近ではないか」

「しばらくは緊張状態が続くだろう。 他にも日本の東京には世界壊滅を引き起こしかねない火種が幾つもねむっていると聞く」

「それは私も聞いている」

だから力を蓄える、か。

逆だろうにとおもう。

そんな最果ての時代だからこそ、人々を積極的に救い。

神の光と、お力を示すべきではないのか。

より弱きものが泣く時代になってしまっているのに。

神が全てを放置してしまっていていいのだろうか。

そうウリエルは感じてしまう。

ましてや一部の天使達には、信仰心を集めるようにと指示していると聞く。

ラファエルが言うように、力を蓄える為なのかも知れないが。

それでは人間の欲望を吸い上げ、力に変えている悪魔どもと同じでは無いかと思ってしまう。

「私は出動があるかも知れないから、もう自宅に戻る。 ウリエルどのも、根を詰めすぎないようにな」

「努力する」

「うむ……」

ラファエルを見送ると。

ウリエルは天界の見回りを続ける。

上級天使を時々見かける。

ウリエルは大天使と呼ばれるが。

階級的には上級上位の熾天使に所属している。大天使でありながら、熾天使でもあるわけだ。

この辺りは、神学者が適当かつ言ったもの勝ちで神学をこねくり回した結果である。要するにいい加減なのだ。

ともかく、熾天使であるのだから、他の階級のどの天使よりも偉いし。

階級が絶対の天界では、上級天使達でもウリエルには謙る。

中には露骨過ぎる程に阿ろうとしてくる輩もいるが。

そういう相手には、ウリエルは厳しく叱責するようにしていた。

結果としてついた渾名が石頭である。

逆に言えば。

そういう上級天使を甘やかしている熾天使もいるのだろう。

文字通り君側の奸であり。

頭が痛い話である。

パワーが訓練をしている。

今回は下位の天使も混ぜての、大規模な訓練だ。

指揮を執っているのはメタトロンらしい。

かなり厳しい訓練のようで、メタトロンの機械的な怒号がここまで聞こえてくる。

天界には設定上億を超える天使がいるのだが。

数万規模の天使が。今丁度訓練を受けているようだ。

人間でいうなら、数個師団の規模という所か。

しばらく訓練の様子を見ていたが。

パワーは非常に規則正しい隊列を組む事が出来ているのに対して。

より下位の天使は、やはり若干もたつく様子が目立つ。

訓練が足りないな。

そう思ったウリエルは、途中で訓練を見るのを切り上げて。宮殿に。

秘書官をしているラジエルを呼び出すと。

訓練の必要性を訴えて。神に報告するように頼んだ。

ラジエルは咳払いをすると、善処するとはいったが。

本当に善処してくれているのかは。分からない。

ラジエルは真面目な奴で。ウリエルも信頼出来るとは思っているが。神にその言葉が通じるかは別の問題だ。

それについては。

昔、堕天使だった頃に。

嫌と言うほど思い知らされていた。

 

結局ラジエルから、それから一切話はなく。翌日の朝が来た。

地上に巡回に出るとするか。そう思って館で準備をしていると、下級の天使が来る。ラジエルが書いたらしい手紙を携えていた。

蜜蝋を切って中身を確認。

悪魔ですらデジタルにしているのに。天界では未だにこういうアナログが主体だ。

勿論デジタルがアナログより全ての面で優れている訳ではないが。

少なくともこういう仕事には、デジタルを導入するべきだとおもう。

ともかく非常に効率が悪いし、情報の伝達も遅れがちだ。

力で劣っている魔界に、徹底的に強く当たれない理由の一つがコレだ。

行きすぎた保守性が、どうしても組織の柔軟性を殺してしまっている。

故に何歩も遅れる。

人間達を扇動するのも、今だったら悪魔の方が上手いだろう。

その辺りも何度も報告したのだが。

神がデジタル化を進めるようにと言う指示を出してくれたことは、一度もない。

書類の内容を確認する。

昨日の報告した話ではない。

集まるように、と言う事だ。

久々の謁見か。

神はとにかく一方的に喋る事が多く、基本的に天使達の。四大も含めて、天使の意見など求めない。

それが唯一絶対の神であるがゆえのように。

ともかく、呼ばれたのなら出向くしか無い。すぐに準備をすると、天界の王宮に出向くことにする。

人間の神学者の中には、神は概念的な存在だと説明している者もいるようだが。

その割りには神は聖書において人間と相撲を取ったりしている。

更には明確な人格も明らかに有している。

神を絶対の存在とし。

社会を支配するためのシステムにするために。

人間は多くのものをねじ曲げてきた。

それを示すような矛盾はいくらでもあるが。指摘していても仕方が無い。ともかく、神の下に出向く。

宮殿に入ると、強い力を感じる。

唯一絶対の神と言うだけあって、流石に感じる力は次元違いだ。

あの天上天下唯我独尊な態度を崩さないルシファーですら、正面からは絶対に挑もうとしない唯一の存在。

それが一神教の、ウリエル達の神である。

七大天使が全て揃っている。

四大が前に。

残りの三体が少し後ろに傅くが。

これは別に力関係が四大の方が上だから、ではない。単にこういう風に決まっているからだ。

何もかもが因習で凝り固まってしまっている。

それが天界である。

一番前にミカエルが跪くと、しばしして声が聞こえる。

神はいる。

幸いなことに。

だけれども、一方的に話をする事はあるが。天使達の話を聞こうとすることも基本的にはない。

それもまた、事実だ。

ルシファーに会った時に、それを指摘され。何度か嘲笑われた事がある。

事実なので、ウリエルは返せなかった。

ミカエルはある意味羨ましい。

天使の長とも言える現状のミカエルは、極めて狂信的だ。神に絶対にしたがっていればそれでいい。

そう考えて割り切れる事は、狂信的だが。ある意味ウリエルには羨ましかった。

「日本の東京にて、不埒な悪魔共が集まりつつある……」

「ははっ。 既に偵察は済んでおります」

「……ミカエルの持ち帰った情報によると、魔界の重鎮が姿を見せているようだ。 いつでも動けるように、準備を欠かさないように……」

それで終わり。

声はぴたりとやみ。気配も消えた。

気配が消えたことで、謁見が終わった事を理解した他の七大が下がる。

ウリエルは顔を上げる。

昨日報告したことは。少しでも他に言う事はないのか。

色々問いただしたかったが。

もはや、そこに気配はないし。

まくし立てても、ラジエル他の側近天使を困らせるだけだった。

だから、肩を落としてその場を後にする。

ラファエルは少しだけ同情的な視線を向けていたが。

ミカエルは神の言葉以外にはまるで興味が無い様子だし。メタトロンに至っては言葉が通じるかさえ怪しい。

他の七大も、すぐに散って行ってしまった。

何とも言えない虚脱感の中。

ウリエルは、一度自宅に戻る。

それで大きく溜息をついた後。訓練場に出向くことにした。

幸い、ある程度の自主的行動権は与えられている。

神に最大規模の演習をと言っても許可されなかったが。少なくとも天使達の訓練をすることは禁止されていない。

手を叩いて、演習場に集まっている天使達を集める。

今日はウリエルが急に来たからか。

下級の天使達も目だった。やはり一番多いのは、戦闘階級のパワーだったが。

多少秩序が乱れつつも整列した雑多な天使達を、まずは階級ごとに分ける。

戦闘では階級ごとに仕事がある。

どうしても下級の天使は力が落ちるから、戦闘に特化したパワーの支援に回ることになる。

ウリエルとしては、下級の天使達も使い捨ての駒にするつもりはない。

訓練を出来るだけして、いざという時はきちんと戦えるように鍛えておきたかった。

例え相手が格上の悪魔であっても、連携と訓練次第ではある程度は戦える。

それについては、膨大なウリエルの経験が事実だと告げていた。

相手の格が高すぎる場合はどうにもならないが。そういう時は、ウリエル達の出番である。

整列が終わると、ウリエルは告げる。

「昨日は大規模な演習があったようだな。 だが遠くから見ていても、訓練が足りないのが一目で分かった。 今日は私が訓練を見よう。 戦闘で生き延びたければ、少しでも戦闘の経験を増やせ。 そのための訓練だ」

ここに来ている天使達は。それなりに意欲があると言う事だろう。

真面目そうに頷く。

後は、しばらく隊列を組んだまま動かして見て、様子を見る。

そして、隊列を崩したり、動きが遅い天使を呼び。

どうして遅れているのか。

隊列が崩れるのか。

それらを丁寧に説明して、論理的にどうすれば良いのかを話していった。

頭ごなしに叱っていては伸びるものも伸びない。

だから、丁寧に論理的に教える。

実はこれは、堕天使だった頃。人間の名将と呼ばれている人間の戦闘指揮を見て、覚えた事だ。

確かにそうやって丁寧に訓練を受け、鍛え抜かれた兵士は図抜けて強かった。

指揮官に対する信頼も篤く。

戦場では数倍の敵を打ち破る事すらあった。

それを見てウリエルは感心したのである。

一体の最強だけでは勝てない強さもあるのだな、と。

事実その部隊は、当時その文明圏では最強と名高かった猛将を、巧みな戦術で疲弊させて討ち取ったのだ。

堕天使時代の記憶だが。

とても印象に残っている。

天使達を鍛え抜いて、しばらくすると。

少なくとも、隊列はしっかり組めるようになってきた。

後は配置換えをして、同じように動けるかを試す。今日はどうせ他に仕事もないのだから、目一杯訓練をしていくつもりだ。

やがて他にも訓練場に天使が集まって来たので。

それらも配置して、訓練を行う。

駄目な動きをしている天使はすぐに呼び出して、論理的にどうすればいいのかを説明していく。

それを見て、質問をしてくる天使もいたので。

それにも丁寧に答えていった。

丸一日訓練をして、天使達がかなり良く動けるようになったので満足する。しばらくは警戒しろとかいう話だし。

それだったら、こうやって訓練して天使の練度を上げることは警戒に上がるだろう。

地上近くに出向いても、どうせアラートやらで悪魔は隠れてしまうし。

悪人を罰することだって許されていない。

それなら、こうやってできる事をやれるだけやる。

それがウリエルのするべき事だ。

かなり皆の動きが良くなった。

普段ウリエルが巡回に出る時集まってくるパワーは、どれも練度が高い者ばかりなのだと分かる。

天使の数は数億いるのだ。

やはりこうして、練度が低いものがいるのは仕方が無い事である。

また訓練に来る事を告げる。

いつの間にか、訓練を開始する前の数倍の規模になっていたが。皆、敬礼で見送ってくれる

少しだけ気分がいい。

これでも、天界に貢献できたのかも知れない。

そう感じたからだ。

そう感じることが出来たのなら。

やはり。気分は良いのだろう。

後は、訓練を欠かさないようにして。有事には役立てるように、更に訓練を進めていくだけである。

自宅に戻る途中。

褐色肌の女性天使が声を掛けて来た。

厳しい鎧姿で、とにかく生真面目さが伝わる。

アブディエルという大天使である。

昔は天使時代のルシファーの部下にいたのだが。人望篤いルシファーの部下の中で、唯一堕天を拒否したという筋金入りの堅物。

その後のルシファーとの戦闘では、先陣を切ったと言う逸話もある。

ルシファーの部下にいた。

そういう観点からあまりいい扱いはされていないが。

勇敢さと生真面目さで、どうにか天界での地位をある程度保っている、珍しい大天使だ。いい加減な神学者どもに堕天使にされていてもおかしくなかっただろうに。

「ウリエルどの」

「アブディエルどのか。 如何為された」

「先ほどの訓練、見事でした。 一昨日の訓練よりも、ずっと一日で練度が上がっていたように思えます」

「うむ。 実はあれは人間の名将の訓練でな。 ある時期に目にして、それから自分で訓練をするときには採用するようにしている」

そういうと、アブディエルは複雑な顔をする。

この者は生真面目で責任感は強いが、その一方で思考はミカエル以上に保守的だ。

神に対する信仰は絶対を通り越して盲目的で。

それ故に危ういとウリエルは思っていた。

「人間のやり方を真似たのですか」

「事実成果は上がっていただろう」

「それでは堕天の危険も上がるのでは」

「訓練は成果を出し、天使達の練度も上がった。 いつ悪魔との大規模戦闘があってもおかしくない情勢だ。 練度を少しでも上げて、悪魔との戦いで命を落とす天使は少しでも減らしたいのだ」

そういうと、更にアブディエルは複雑そうな顔をして押し黙った。

狂信的なこの天使には、それらの言葉は憶病に聞こえるのかも知れない。

敬礼をすると、アブディエルは去って行く。

あれは確か、七大の誰の配下にも入っていない特務の天使の筈だ。

要するに七大天使に何かあった場合、動けるようにしている独立部隊である。

このため、色々な権限も与えられている。

練度が高い天使も優先的に回されているはずだ。確かウリエルが率いるパワーの中からも、時々アブディエルの部署に転属が出る。

少し考え込んでから、自宅へ戻る。

部下を呼んで、書類を書く。

ラジエル宛てだ。

神に警戒するように指示を受けた。

故に、今後は警戒度を高めるために。天使達の練度を上げるべく集中的に訓練を行うつもりだ。

それについて、神に報告をお願いする。

それだけ書いて、蜜蝋で封をし、後はハンコを押してラジエルに送らせる。

さて、と。

天使の中には、本当に盲目的にしか動けないものがおおい。

そういう連中は、例外を見ると身動きが取れなくなり。容易く倒されてしまう事が珍しくもない。

だから、今のうちに可能な限り鍛えておこう。

そう、ウリエルは決めていた。

 

2、古い時代の事

 

夢を見た。

呆然としているウリエルの隣で、猛り狂っているのはサリエル。

熾天使だった者。

堕天使に堕とされた存在。

月を司る天使にて。魔術と、何より魔眼と呼ばれる特殊な眼術のスペシャリスト。

だが一時期の一神教では、魔術を使うこと事態が悪とされた。

おかしな話だ。

偉大なるソロモン王は、魔神を多数従えて配下にしていた、というのに。ソロモン王は一神教の重要な聖人だというのに。

ウリエルも地獄の管理者という観点から、堕天使にされた。

二人揃って呆然としている所に、ルシファーが来た。

堕天使になっても誇りを捨てなかったウリエルと違って。サリエルは、ルシファーの言葉に歓喜した。

そして、サリエルの大半は。魔界に行ってしまった。

神格というのは、簡単に分裂する。

アジア系の神々などが顕著だが。元が同じでも、それぞれが悪魔になったり神になったり。

場合によっては調伏する側される側が、元は同じ神格だというケースすら存在している。

それが精神生命体である神々という面倒な存在で。

一神教の天使も、それについては同じ。

だから今は天界にいる弱体化したサリエルと。

殆どの力を持って堕天使になった魔界にいるサリエルが存在している。

ウリエルは忘れられない。

堕天使になった時のサリエルの、救われたような顔を。

以降、天界にいるサリエルはいつも腐って何もかもを諦めた顔をしているし。

魔界にいるサリエルは、風聞を聞く限りとても生き生きとやっている様子だ。堕天使になったのに、である。

堕天使になった事を恥だと考え、今でも苦しんでいる悪魔はいるらしい。

噂によるとアバドンがその代表例で。

何回か、ラファエルに天界に戻りたいと零した事があるのだそうだ。

他にも天使に戻りたいと零す悪魔は希にいるそうである。

それでいながら、今でも時々堕天する天使はいる。

世の中、上手く行かないものだ。

目が覚める。

天使の方のサリエルに会いに行こうかと思ったが、止めておく。

ただでさえ立場が微妙なのだ。

今は熾天使であることすら重荷になっているようで、見ていて痛々しい程である。

同じように天界では茨のむしろに座らされている天使はいて。

伝承によってはモーセに殺されているカマエルや。

この間軽く話したマンセマットなどが良い例である。

どちらも神話で良く扱われていない事もあるし。特にカマエルは破壊の天使という名前も付けられていることから、堕天使扱いされることも多く。

やはり天界での周囲の視線は厳しい。

汚れ仕事をする存在はどんな世界にだって必要だ。

ましてや天の国は、簡単に汚染されるような場所なのだ。

それなのに、人間の神学者は言いたい放題。

好き勝手に悪魔を作ったと思ったら。今度は元は天使だった存在を勝手に悪魔へと貶めていく。

言った者勝ちの世界だからとはいえ、あんまりにもあんまりだ。

しかもそんな神学者どもの言う事を真に受ける人間はあまりにも多い。

中には「宗教に真面目に向き合う」等という言葉を口にして。

数多いる神学者の適当かつ言った者勝ちの発言を鵜呑みにし、宗教の非合理性を糾弾する人間を叩くような輩すらいる。

はあと、大きな溜息が出る。

人間が歪めに歪めた宗教。

支配のために都合良くねじ曲げた思想。

神はそれについて何もしようとしない。

結果として。

人間世界でいつも宗教関係者は裕福だった。

そして、腐りきっていた。

そんな連中こそ、まっさきに地獄に叩き落とすべきだろうに。天罰を下せという言葉に、いつも神は応えてくれなかった。

本当にいつも昼寝しているのではないのか。

ウリエルは、哀しみと共にそう思ってしまう。

地上で、人間が書いた宗教の本は。

もはや怪文書の塊だ。

ウリエルも部下に調査のために集めさせて目を通しているが、特に近年は目を覆う程に酷い。

これでは、もはや自浄作用はないと言い切ってしまって良いのかも知れなかった。

訓練場に歩く。

憂鬱な気分だ。

だから、せめて天使達を戦えるようにする。

ウリエルは何もできない。

神の寵愛を受けているといっても。ウリエルの言葉なんて、神は聞いてくれた試しが無いのだ。

大天使の中でも別格。

四大の一角に属するウリエルが、そんな程度の扱いを受けているのである。

他の天使なんて、それこそどんな思いで神を見ているか。

堕天するものが出ることを。

今やウリエルは責められない。

今後、魔界との力関係が逆転してもおかしくない。

四大や七大が全滅する可能性だってある。

そんなときのためにも。

アブディエルのような遊撃を出来る部隊はもっと鍛えておきたいのだが。

アブディエルはあれはあれで狂信の徒だ。

ウリエルがどうしようもない。

訓練場に出向くと、天使達が集まってくる。

普段は戦闘をあまり行わない階級の天使達も、昨日の話を聞いたからだろうか。かなりの数が集まって来ていた。

無言で、訓練を始める。

まずは戦列を組む事から。

その後は、格上の悪魔と戦う方法など。

一つずつ、丁寧に仕込んでいく。

どんどん途中で話を聞いた天使達が来て、訓練に加わるが。

ウリエルはそれを咎めなかった。

迷いがある。

だからそれを晴らすためにも、少しでも部下達が死なないように鍛え上げる。

そうしている時だけは、ウリエルも迷いを忘れられる。

声を荒げるような事はしない。

訓練を幾つかのパートに分けて実行し。

そのパートが終わる度に、動きが悪かった者を喚んで、どうすれば良いのかを論理的に教えていく。

天使も人間とは比較にならない程の年月生きている。

だから、教えてやればきちんと出来るようになる。

中にはずば抜けて動きが良いものもいる。

そういう者は、どんどん抜擢していく。

主にアブディエルの部隊に回すのが良いだろうとは思っているが。

後はアブディエルがもう少ししっかりした考えを持つ事が出来れば、としか言えない。

あの狂信性では。

何かあった場合。

ころっと、簡単に堕天使に転んでしまうかも知れない。

考え方に柔軟性を欠くというのはそういう事で。

文字通り、硬いものほど折れる時はあっと言う間なのである。

訓練を終える。

天使達は、ばっと敬礼をしてきたので。それに応じる。

汗を少しウリエルもかいた。

天使には欲求はあるにはあるのだが。長い間かけて、それは排除されてきた。

古くは人間への愛から堕天する天使がいたのだ。

グリゴリと呼ばれる連中がそれだ。

有名なアザゼルやサタナエルなどが相当し。

今ではすっかり悪魔扱いされている。

だが、人間を愛したことで堕天使にされるというのもおかしな話である。

アザゼル達は、どう思っているのだろう。

今の天界と。

歪んだ一神教の教えを、だ。

偉大な予言者キリストは、隣人愛と赦しの思想を説いた。

だがその弟子達が、その思想をねじ曲げ。原罪に人々が怯える恐怖の思想へと変えてしまった。

支配に都合が良いからだ。

それなのに、その弟子共は聖人扱いされている。

ウリエルには、もはや何が何だか分からない。

はっきりしているのは、人間には守る価値があるのかどうか分からないと言う事だけである。

愛すれば堕天。

堕落してもみているだけ。

そもそも地獄を管理したら堕天使扱いされる。

そんな事では。それこそ何も悪人を掣肘などできないではないか。

自宅へと戻る。

訓練の間は、悩みから無縁でいられた。

だが訓練を終えると、悩みはどんどん湧いてくる。

せめて、神が少しでも声を掛けてくれれば。

それも、望み薄なのが悲しかった。

酒などに逃避することも大天使は許されていない。だから、潰れてしまう者がいるのかも知れない。

ぼんやりとしていると、下級の天使が来た。

ウリエルの屋敷にいる天使は、どれも皆極めて丁寧に躾をしている。

ウリエルの生真面目な性格もあるのだが。

それ以上に、誰にも隙を見せる訳にはいかない、というのが理由としてあるのだった。

「ガブリエル様がおいでです」

「客間に通しておくように」

「分かりました。 ただちに」

ガブリエルが何用か。

まあいい。兎も角顔を見に行く。

ガブリエルは客間で、無言で待っていた。

茶を出させて、軽く話をする。

社交辞令が終わると。ガブリエルは早速本題に入る。

「随分と訓練に熱心なようですね」

「ああ。 天使の中にも鈍っている者が多い。 戦場ではそういう者から倒れていくからな。 少しでも生き残る可能性を上げてやりたいのだ」

「貴方らしい厳しい優しさですね」

「よせ。 私は別に優しくなどは無い」

優しかったら。

今の状況にも、甘んじることが出来ている筈だ。

だけれども、そんな事は出来ていない。ウリエルという天使の限界を示しているように、だ。

ガブリエルは咳払いすると、図面を見せてくる。

これは、兵器か。

ざっと見てみるが、人間が作った核兵器とか言う恐ろしい神の稲妻に似ている。

あれは文字通り、ソドムとゴモラを滅ぼした神の怒りに匹敵する凄まじい代物であるのだが。

少なくとも、最大規模の核兵器と同じくらいの火力は出るようだ。

仕組みはざっと見て理解した。

「メギドアークと呼んでいます」

「このような恐ろしいものをどうしたのだ」

「ラジエルが神のご指示で理論を組んだのです。 ただ、現状では使う予定はありません」

「当然だ」

ソドムとゴモラの逸話でもそうだが。

こんなものを使ったら、巻き込まれる範囲にいる者はすべて死ぬ。

中には穢れと無縁な子供もいるし。

敬虔な神の使徒だっているだろうに。

ガブリエルは、ウリエルの怒りももっともだと頷きながら。順番に説明をしてくれた。

今後、世界の状況が激変する可能性がある。

混沌の勢力。要は魔界。更には多神教の神々。

これらとの戦いが始まる可能性がある。

実際問題、少し前に東京でおきかけた。トールの分霊体を人間の対魔師が倒していなければ、事実地獄は顕現していただろう。

そういった戦いが起きたとき。

人間を選別する必要が生じるかも知れない、とガブリエルは言うのだ。

人間を選別か。

いつもウリエルは、悪党に天罰を下さないことに憤っていた。

それはある意味、人間の選別なのかも知れない。

だが、神は明らかにそう考えてはいない。

あれは単に、決断を放棄しているだけ。

或いは、そもそも信仰心をエサとして考え。人間を単に増やすように仕向けているだけだとウリエルは考え始めている。

堕天の第一歩なのかも知れないが。

もうそれについては知らない。

内心の自由とかいう言葉があるが。

少なくともウリエルは。今の時点では神への疑念をもう隠せないし。

何よりも、何もしないその行動には。明確な怒りすらも感じていた。

そしてこのメギドアークとかいう恐ろしい兵器を神が作らせたというのなら。それは珍しく、神が今後の事を考えて行った事。

それについては、評価するべきなのか。

いずれにしても、この兵器は使わないことを前提にするべきだろう。

それは、強く感じた。

「ウリエル。 強い怒りを貴方から感じます」

「当然だ」

「それを聞いて安心しました。 私も、最悪の事態が起きるまでは、これを使うつもりはありません。 例えば、人間が本当にごく少数しか生きていない世界になり。 救うべき者を救ったら、悪魔ごと焼き払ってしまうべき。 そういうときが来たのなら、或いは使うかも知れません」

「……」

このメギドアークという兵器。

人間に対する殺傷能力も凄まじいが。

直撃すれば、高位の悪魔でも恐らくはひとたまりもないだろう。

それこそ大魔王級の悪魔でも、一撃で粉みじんだ。

ある意味対悪魔兵器の究極と言えるかも知れない。

だが、それに対する代償はあまりにも大きい。大きすぎると言ってもいい。

いずれにしても、おぞましいしろものだった。

「何故、私にこれを見せに来た」

「貴方が強く悩み、苦しんでいるのが明確だったからです」

「……」

「私は神のご指示で、今地上に多くの天使を派遣して様子を見ています。 それによると、数年以内に破壊的な変革が起きる可能性が何度もあります」

それについてはウリエルも知っているが。

ガブリエルが更に強調するくらいだ。

より、事態は深刻なのかも知れない。

「貴方も備えておいてください、ウリエル。 もしも最悪の事態が起きたときには、あなたは天界の尖兵として、人々のために……」

「分かっている」

「そうですか。 分かっているのであれば、それでかまいません」

ここ数百年。

いや、一神教ができて以来。

天使が人々のために動いたことなんかあったのか。

そう言いたくなったが。

ウリエルはぐっとその怒りを飲み込んでいた。

ガブリエルに悪意が無い事はすぐに分かったし。ガブリエルだって、苦しんでいるのだと分かったからだ。

怒りを思うままにぶつけていたら、それこそ堕天使と同じだ。

堕天使だった頃に感じていた、灼熱のような怒りを思い出して。

ウリエルは、自分を必死に押さえつける。

ガブリエルが帰ったので、自室に戻る。

酒でも飲みたい気分だが。

そのような享楽的なことは。

少なくとも、一神教の天使には許されない事だった。

 

翌日も訓練は苛烈を極めた。

いい動きをする天使をどんどん抜擢する。逆に駄目な動きをしている天使には、丁寧に指導をしていく。

少し前にメタトロンがやっていた訓練の時ほどではないにしても、既に訓練の話を聞きつけた天使が山と押し寄せていて。

空には幾つも美しい戦列陣が出来。

それらが匠に連携していた。

下級の天使でも、千万が集まれば上級の悪魔を倒せる。

これは単なる事実だ。

流石に大魔王などの規格外になれば話は別だが。

それでも、精鋭の天使の群れとなると。魔王と呼ばれるような悪魔でも、数十を相手にするのが精一杯だ。

だから、そういう精鋭をどんどん育成していく。

悩みは大きくなる一方だ。

だからこうやって、どんどん訓練をして皆を鍛え上げていくことで。結論として、天界の総力を挙げていく。

駄目な天使を駄目として弾くことはしない。

それではむしろ、堕天使になってしまう者を増やすだけだろう。

だから、ウリエルが手ほどきをして。

どんどん丁寧に皆を鍛え上げていく。

それが皆のためになると、ウリエルは信じていた。

だが、そろそろ限界が出て来ているか。

今訓練を見ている天使達のうち。駄目な天使達を丁寧に指導していると、それだけでかなり時間が過ぎてしまう。

これでは気が短いメタトロンなどが、怒号を張り上げるのも分かる気がする。

そして天使の最大の弱点だが。

高位の存在でもない限り、自主的にものを考えると言う事は基本的に禁止されているのである。

堕天使になったものが、中々戻ってこない理由の一つがこれである。

そして、組織としての柔軟性を欠くのも。

ウリエルにしても、上奏を繰り返すことを、良く想っていない天使が何人もいると聞いている。

神の御心のままにある事が天使の本分だ。

そう言っているのが、何よりもミカエルである。

天使の長が、狂信の徒たれと周囲に言っているのだ。

思考する必要などないと。

だが、神がふわっとした指示しか出さない現状。

このままでは、天界は瓦解してしまう。

それについて、ミカエルと何度か議論はした事があるが。

彼奴は基本的に、ウリエルを認めてくれてはいるが。ウリエルの話を聞こうとすることは一度もなかった。

その辺りは、恐らくだが。

神に寵愛されるが故。

恐らく、神の思想にとても近いのだろう。

訓練が終わった後、少し訓練場で考える。天使達は、今日の訓練は終わりだと告げたので、さっといなくなって消えていった。

今後、更に訓練を続けると。このままのやり方では上手く行かなくなる。

だが、例えばだ。

中級上位の天使であるドミニオンを指導して。

下位の天使達に、的確な動き方を教えるような仕組みを導入しようとする場合。

神に上奏しなければならず。

恐らく許可は下りない。

かといって、大天使はそれぞれに仕事がある。

勿論ウリエルがそうであるように。今はふわっとした命令しか与えられていない。それに性格の差もある。

ウリエルのように真面目な大天使は意外に少ないのだ。

天使達の訓練を行って質を上げようなどと言う考え。

大天使達の間で話しても、賛同する者がどれだけ出るか分かったものではなかった。

訓練所で腕組みをしていると、アブディエルが来る。

訓練所に直接来るのは珍しいなと思いながら敬礼をかわす。

「ウリエル殿が抜擢してくれた天使達は、みな良い動きをしています。 有事では活躍が見込めるでしょう」

「皆天界の宝と言える貴重な天使達だ。 大事に扱ってやってくれ」

「その辺りがもうよく分かりません。 天使は天界のために戦うものであって……」

「アブディエル殿。 それでは精鋭は育たない。 私が鍛え上げた精鋭の中には、訓練の初期にはまるで駄目だった者だって少なくないのだ」

よく分からない、と顔に書いているアブディエル。

思考の放棄というのは、こうも存在を駄目にするのか。

人間もそうだが。

天使でも同じだ。

地上で蔓延している一神教の本質は、「絶対」を設定することによる正義の肯定だ。

これは人間を簡単に酔わせるし、思考を放棄もさせる。

これがとても統治には都合がいい。

人間なんて正義を担保してくれるものがあれば何でも良いと考える生物だからだ。

支配者にしてみれば、文字通りの愚民を支配するのが簡単になるし。

何も考えない愚民にしてみれば、相手を嬉々として殴れる棍棒を何もせずに手に入れる事が出来る。

かくして一神教は世界中に広まり。

人間に、他者を棒で殴るための方便として。最強の存在になっていった。

隣人愛だとか、赦しの思想だとかは邪魔だった。

キリストを裏切ったユダの逸話は有名だが。

実際にキリストを裏切ったのは、「裏切らなかった」弟子どもである事はどう考えても確定である。

「アブディエル殿。 私の訓練を少し実際に見て行くか」

「……分かりました。 しかし、神の御心から外れるような言動をしているようで、不安なのです」

「貴方こそアブディエル殿。 少しでも神の御心とは何か、自分がどうするべきかを考えないと。 いざという時、簡単に折れてしまうぞ」

少し厳しい言葉だが、これは事実だと思う。

もしも四大や七大が全滅するような未来が来た時。

ルシファーに逆らい。

そして精鋭をまかされているアブディエルは、恐らく天界をになう重鎮となるだろう。

その時、神への盲目的な愛で暴走したとき。

堕天使をもしのぐ。

最悪の堕天をしてしまうかも知れない。

一度、堕天使に仕立て上げられてしまったことがあるウリエルは。自分以上に生真面目に思えるアブディエルが。

見ていて不安になるのだった。

 

3、少しずつ近付く崩壊の音

 

なんだかんだで、翌日も訓練を行う。

厳しい訓練だが。ウリエルは意外に楽になったかも知れないと思った。

というのも、アブディエルが自身の麾下の精鋭とともに、様子を見に来たからだ。

嬉しい事にウリエルが抜擢した精鋭もその中には混じっていた。

だから、ウリエルは。

駄目だと判断した天使を、自分が抜擢したものに任せて。全体の質の向上に務めることが出来るようになった。

何しろアブディエルにまかされている精鋭だ。

それが精鋭では無い天使を鍛えて、何が問題か。

アブディエルも黙って見ている。

そんな状況である。

文句なんて、どこからも出ようが無かった。

これはいい状況だ。

そう思ったウリエルは、満足して訓練を終える。

動きが良くなかった天使達も、ウリエルが抜擢した天使達からアドバイスを受けて。戦列に戻った時はだいぶ状態が改善されていた。

それでも改善されていないものだけをウリエルが諭し。

随分とそれだけで、負担が改善されたのだ。

じっと考え込むように様子を見ていたアブディエルだが。訓練が終わった後、話を聞いてくる。

「やはりよく分かりません。 現状の天使のうち、強い者だけを抜擢すればいいように思えます」

「今、地上の人間達はそのままの事を言っていてな」

「……人間達が」

「ああ、そうだ」

ウリエルも何度天罰を下してやりたいと思ったか分からない連中だ。

そいつらは、人材が勝手に生えてくると思い込んでいる。

何でも出来る人材が、その辺に転がっていると思い込んでいる。

更に言えば、どれだけ使い潰しても代わりがいると思い込んでいるのだ。

救いがたい阿呆どもである。

人間の近代国家は、教育機関の整備が根幹となった。

日本という国は、近代国家に急激に変化したが。これは元々傑物が整備した基盤があったのもあるのだが。

それ以上に教育水準が元から相応にあった、というのが大きい。

寺子屋とかいうそうだが。

西欧では考えられないような立場にいる子供達が、それなりに勉学を教わる仕組みが存在していたのだ。

ウリエルは、丁寧に話を進めて行く。

「天使もそれは同じだろう。 実際に私が抜擢した天使達は、元から皆優れていたわけではないぞ」

「なる程……」

「アブディエル殿も訓練に加わってくれないか。 少しでも戦える天使を増やしていきたいのだ」

「分かりました。 確かに私の麾下に加わる天使であるのなら、精鋭である事が望ましいでしょう。 魔王のような上位悪魔が相手でも、連携すれば戦えるような」

頷く。

ただ狂信のまま向かって行くのでは駄目だ。

それでは無為に命を散らすだけである。

元からある力を最大限に引き出し。

連携して戦闘すれば、格上相手でも勝利をもぎ取り。天界の勝利に少しでも貢献できる。

そんな天使を育成していかなければ駄目だろう。

人間世界の悪い真似だけは絶対にしてはならない。

人材はその辺に生えているものではない。

育成して。

抜擢していくものだ。

訓練とは、天使を躾けるためのものではない。

皆を鍛え上げ。

少しでも天使達の質を上げて。天界の勝利のために鍛え上げるために行うものなのである。

ともかく、アブディエルが協力してくれるなら少しは楽になるだろう。

帰路、少しだけ気持ちが楽になったウリエルだが。

メタトロンが来るのを見て、少し表情が強ばった。

天界一の暴れん坊である。

その性格は、獰猛を通り越して凶暴極まりない。

「ウリエル」

「メタトロン殿か。 如何為された」

「何やら雑魚天使共を鍛えているようだな。 それは俺への当てつけか」

「そのような事はございませぬ。 これも「備えよ」と言われた通りにしているだけ」

機械そのもののメタトロンは、鋭い眼光でウリエルを見据える。

此奴はミカエルを遙かに凌ぐ戦闘力をもつ最強の天使。

文字通り天界における最終兵器だ。

聖典でも、ミカエルがかなわなかった相手に圧勝した逸話が残っているほどの武闘派で。その実力は文字通り天界一。

天使という概念から外れるなら。神の戦車であるメルカバなどが比較対象になるかも知れない。

皮肉な話で、あれも天使と言うよりも天界の兵器だ。

メタトロンも、言動は天使と言うより兵器に近い。

「そうか。 てっきり俺を貶めようとしているのかと思ってな」

「天使の質を上げていくことは、天界の最終的な勝利につながりましょう」

「……有能な奴を抜擢するだけでは駄目なのか」

「残念ながら、誰もが最初から有能なわけではございません」

メタトロンは舌打ちする。

ひょっとすると、メタトロンもある程度はわかっているのかも知れない。

現状の閉鎖的極まりない天界の状況では。

人材なんて、放置していては育たないという事を。

何しろ規則規則で、そのまんま何もしない天使もいるのが実情だ。

そのような状況で自己研鑽して、強くなっていける天使は少ないし。

自己研鑽というのは、必ずしも報われるものではない。

適切な指導があって花開くものも多いのだ。

ウリエルは、幸いそういう点では経験を相応に積んでいる。

それだけが救いか。

「まあいい。 俺の配下にも、使えない天使がいる。 そいつらの訓練を任せても良いだろうか」

「喜んで承りましょう」

「……頼むぞ」

獰猛なメタトロンだが、これでも地上などに降りるときには、多少は言動が柔らかくなる。

まあそのままだと、恐怖しか周囲にばらまかないから、なのだろう。

それにメタトロン自身も、分かってはいるようだった。

このままでは、まともな天使など育ちようが無い事は。

それに、部下に不満も抱えているようだ。

このままでは、メタトロン直下の天使にとっても不幸なことがおきかねない。

メタトロンは基本的に高い戦闘力を持つ事から、単独行動が非常に多い事で知られているが。

そんなメタトロンだから、逆に最重要局面に投入される事が多いと聞く。

それならば、恐らくだが部下は上級の天使。特にソロネが主体になってくるだろう。

座天使ソロネは上級下位に位置する天使で、燃え上がる炎そのものと称される強大な力の持ち主だが。

更に上位の存在である智天使ケルビムに比べると数がぐっと少なく、戦力もかなり落ちるのが実情だ。

ただ上級天使である。

換えが効くような存在では無く。

メタトロンが使えないと言い捨てていても。それはメタトロンから見て、の話であろう。

しっかり鍛え直せば、メタトロンも満足する力を手に入れる筈。

少なくとも、彼の目から見て役に立たないからという理由で斬り捨ててしまうのは、あまりにも天界にとって損失が大きい。

他の大天使や熾天使にも、同じように声を掛けておくのも良いかも知れない。

直下の精鋭に不満があるのなら。

今のうちに鍛え直しておくべきだ。

ここ数年が正念場というのならなおさらである。

何が起きても対応できるように。

ウリエルは、どうせそのままでいても腐るだけだ。

だったら、少しでもできる事をする。

一時期は堕天使だった。

それは天界の、神の寵愛を受ける天使の中では珍しいことだ。

だから。それを生かして。

少しでもできる事を、順番にやっておきたい。

 

翌日。

訓練場には、更に天使が増えていた。

ソロネをはじめとする高位天使の姿もある。

実力は、ウリエルから見ても低いとは思えなかった。

高位天使。つまり上級は、中級以下の天使と作戦行動を一緒にしない。勿論部下として戦場には赴くが。

それはあくまで部下として。

基本的に同じように戦列を組んで戦う事は無い。

これについては、何か対策がないかとウリエルは考えていた。

例えば上位天使は優れた力を持っている。これを中核にして戦列陣を組めば、更に上位の悪魔とも互角以上に戦える。

ソロネ自身が、生半可な堕天使を圧倒するくらいの力を持っているのだ。

これが中級以下でも、組織戦を叩き込んだ天使達と共に連携して動けば。力は何倍にもなるのではないのだろうか。

そう思える。

だけれども、勝手にそれを実施するわけにはいかないのが厳しい所だ。

アブディエルも来る。

なんだかなんだで、思うところはあったらしい。

それにウリエルとアブディエルはかなり似ている所がある。

アブディエルも、仲間を捨てて天界に残ったという経緯がある。

それは裏切りの一種とも取れる。

勿論裏切ったのはアブディエルの仲間全てという風に言い換えてもいいだろうけれども。それは詭弁だ。

実際その場にいて、アブディエルのように振る舞える存在がどれだけいるだろうか。

少なくともウリエルは出来るか自信が無い。

堕天使から復帰するという不可思議な経緯を遂げたウリエルと。

その異常性は、近いのかも知れない。

訓練を進める。

戦列陣は空に十以上展開しており。整然たる陣形は、それだけで悪魔をたじろがせるのに充分だ。

魔界の悪魔が戦列陣を組むのを見た事があるが。

魔界の悪魔達は己の実力を過信する傾向があり、組織戦を得意とはしていない。

人間の中に希にいる悪魔使いが、たまに悪魔を組織的に使う事があり。それで天使が大苦戦する事がある。

悪魔達は、あくまで自分本位の存在。

だから自分達から軍を編成して、組織的に戦おうとはしない。

そこがつけいる隙なのだ。

ウリエルは訓練を続けながら、どんどん駄目な場所について指示を出し。指導をアブディエルに任せた精鋭に委任。

同時にソロネ達も動いて貰い。

なるほど、何となくメタトロンが苛立つ理由が分かってきた。

このソロネ達も、思考を放棄している。

天使達の最悪の部分を、ソロネも継承している、と言う事だ。

少し悩んだ後、少数ではあるが戦列陣を組んでの戦闘方法を教える。

天使というのは下級から徐々に昇進していく存在ではない。

だから中級以下の戦い方を、必ずしも上級が知っている訳では無い。

教え込んでいくと、すぐに飲み込んでいくが。

それでもやっぱり動きそのものは遅い。

恐らくだが、メタトロンは悪魔を見るやその場で襲いかかって食い殺すような動きを求めているのだろうが。

逆にそれは駄目だ。

指揮官の指示がないのに戦端を開くような部下は最低である。

それについては、メタトロンにも非がある。

後で少し話す必要があるだろう。

ともかく、戦列陣での戦い方。

上位天使でも勝てない更に上位の悪魔に対抗するための集団戦術について叩き込んでいくと。

それなりにすぐに一日が早く終わってしまう。

悩む時間が減る。

しようもない人間は、放置しておくとしょうもない事で悩むものだ。

それは何処かの人間の言葉だったか。

ウリエルにはぴったりと当てはまるな。

そう思って。苦笑する。

最後に優秀な動きをしていた天使を数名抜擢し、アブディエルの所へ配置換えを言い渡す。

中には、少し前にウリエルが指導した、動きが悪かった天使もいた。

それはアブディエルに言っておく。

アブディエルはまだ納得しきれてはいないようだったが。

それでも、拒否することはなかった。

自宅に戻る。

訓練漬けで、しばらく地上にパトロールにいっていないが。どうせ行くだけ無駄だ。

ウリエルの部隊は、基本的に常に訓練に混ぜているから、部下の訓練が疎かになっている事も無い。

しばし自室でぼんやりとしていると。

不意に、部下が来た。

緊急招集だという。

立ち上がる。何かあったとみて良い。

すぐに神の宮殿へと急ぐ。

天使達もざわついている。どうやら、少しばかり洒落にならない事態がおきたようだった。

 

シュバルツバース。

その名前は、ウリエルも聞いた事がある。

この星の自浄作用。

あまりにも星の環境を悪い方向に変えすぎる生物が出ると、押し流して浄化するためのシステム。

神とも悪魔とも別の仕組みで動いている存在で。

発動してしまうと、その力の前には、神も大魔王も基本的に為す術がない。

この星の神々は人間と密接に関わってきた。

古くはバアルの時代から。更に古い神々がいるという話もある。

だが結論として、人間と神々は一蓮托生。悪魔も同じ意味では一蓮托生だと言えるかも知れない。

人間が滅びたら、信仰心を得られなくなる。

そうなれば神々は終わりだ。

信仰が絶えた神々がどれだけ惨めかは、魔界にいる悪魔達を見れば分かる。

そして地上が押し流されてしまえば。

その時には、神々にも悪魔にも惨めな末路だけが待っている事だろう。

七大の前で、ラジエルがそれについて説明。

青ざめている皆の前で、神が荘厳な声で言う。

ただし姿は見えない。

何かのベールのようなもので、光に包まれた自身を覆い隠しているらしい。

ウリエルも、直接神を見た事は無い。

ひょっとすると、ミカエルやメタトロンですら、かもしれない。

「そのシュバルツバースが出現する確率は」

「現時点では三割ほどという所です。 これから数十年は、人間にとっても我々にとっても激動の時代になります。 もしもシュバルツバースが出現した場合は、恐らくはそこを焦点に戦いを行わなければならないでしょう」

「私が出向きましょうか」

メタトロンが顔を上げる。

神の前では、流石にこの荒々しい戦いの天使も、多少は口調が穏やかになる。

だが神は言う。

無用、と。

「もしもシュバルツバースが出た場合は、汚れ仕事をさせている天使達に任せるように」

「マンセマットらですか」

「……」

「分かりました。 そのように手配いたします」

分からない。

世界が押し流されるかも知れないのに。どうして野心が強いあのような者に任せると言うのか。

人事の采配がまったく分からない。

ウリエルは混乱しつつも、その場を退出する。

ラジエルに呼び止められた。

「ここ最近、訓練を忙しく行っておいでのようですな」

「ああ。 私に出来そうな事はそれくらいしかないのでな」

「あまりこれは大きな声では言えないのですが……マンセマットどのは、どうも強い野心を抱いているようなのです」

そんな事は周知の事実だろうに。

ウリエルは何を今更と眉をひそめたが。

ラジエルが伝えて来ると言う事は、何かやらかしたということか。

「ここ最近、かなりダーティーな手で人間界の大きな財閥を掌握したという報告を受けています。 そこで非人道的な実験を繰り返しているとか。 カマエルどのと、サリエルどのもそれに荷担している模様です」

「何をしているのだあ奴は……」

「その財閥自体が極めて邪悪な人間達によって運営されていたものでしたので、天罰という形で済まされてはいますが」

「何故普段から、天罰を執行するように我等に言ってくださらぬ!」

ラジエルは首を横に振る。

分からない、ということだろう。

全知全能の内、全知の象徴であるラジエルの書。世界の全ての情報が載るという書物を手にしているラジエルである。

神の秘書官も同様の立場であり。

そんなラジエルが、このような様子なのだ。

ひょっとしてだが。

天界の状況は、思った以上にまずいのではないのだろうか。

そうウリエルは思ったが。

神の宮殿で、そんな事を口にするわけにもいかない。ともかく、ラジエルに話の続きを聞く。

「それで私はどうすればいい」

「貴方方に成り代わる、というのがマンセマットどのの目的だったら良いのですが。 もしも恐れ多くも神の座を狙うようであれば……」

「その場合は奴を討てば良いのか」

「現在、マンセマットどのは地上で主に活動している天使を集めて、独自の派閥を作ってられるようです。 もしもシュバルツバースが出現した場合は、大魔王が好機と天界に攻めこんでくる可能性がございます。 シュバルツバースには七大のどちらかの方には出向いて貰うでしょうが……そのうち四大の皆様方には、天界の守りを固めていただきとうございます」

それでは何もできないでは無いか、と思ったが。

なるほど、そこで分かった。

シュバルツバースは今すぐに出現するわけではない。

幾つかある未来の可能性の一つだ。

未来に何が起きるか分からない時点で、神は全知全能ではないということがはっきりしているのだが。

それについてはもういい。

ウリエルはすぐに麾下の精鋭に声を掛ける。

やるべきことは一つ。

マンセマットに、余計な派閥を作らせない。

それだけのことだ。

すぐに精鋭達と共に地上を目指す。今回は戦闘目的のパワーだけではなく、他の階級の天使も相応に連れている。

相手はマンセマット。

一応大天使でもかなり格の高い存在である。

いまでこそダーティーな天使のように思われているが。

それだったらウリエルも同じである。

目的は監査だが。

当然、戦闘も想定しなければならなかった。

マンセマットが制圧したという、財閥の本部を一旦包囲する。連れてきた天使の数は相応。

少なくとも、マンセマットの側にカマエルとサリエルがいて。

全力で抵抗しても、取り押さえられるだけの数は連れてきた。

それに連れてきたウリエルの部下は皆精鋭ばかりである。統率は取れていて、文字通り蟻一匹這い出る隙間もない包囲を即座に形成する。物理的にも、魔術的にもである。

「マンセマットどの。 でてこられよ」

ウリエルが呼びかける。

しばらくして、人気のないその建物から。

陰気な顔のマンセマットが。薄ら笑いを浮かべながら出て来た。

「おやウリエルどの。 この間ぶりですな」

「随分と派手に色々とやらかしてくれたようだな。 此方でも話を聞かせていただこうと思うのだが」

「ふふ、何でもお聞きください」

マンセマットは両手を挙げてさえ見せる。

配下の天使達には警戒を続けるように指示。

それにしても、この死の臭いの濃さはどうだ。

降り立つと、マンセマットの案内を受けて建物へと入る。配下の中でも特に選りすぐった精鋭を護衛に連れる。万が一を考えての事である。何名かには、指示も出してある。

もしもウリエルに何かあったら、即座に外に逃げ。

他の七大を連れてくるように、とも。

建物に入ってみると分かる。

豪奢なだけの。全くという程に空虚な建物だ。

荒廃した人心を示すかのような。

金持ちの方が貧乏人より優秀である。貴族や王族は皆優秀である。

そんな思想が今地上でとても流行しているそうだが。

そんなことが大嘘だと言う事が一目で分かる建物である。俗悪で、金の使い方が全く分かっていない。

天罰をウリエルが下したいくらいだ。許可が下りていないからやっていないが。

周囲を見て回るが、殺戮の跡が凄まじい。

此処で死んだのは、百人や二百人ではないな。

そう判断して、何時でも剣に手を掛けられるようにしていた。

「何とも俗悪な建物でしょう」

「ああ、それについては同意見だ」

「この建物の地下に研究所がありましてな。 此処の連中は、金に任せて孤児や浮浪者をかき集めて。 人体実験をしていたのですよ」

「……」

なる程、即座に死刑に値する連中だ。

そんな連中を、金があると言うから放っておいたという訳か。

人間の法曹はクズだな。

そう思う。

だが、神はどうしてそれを放置しておく。

曲がりなりにも法の神だぞ。

それが、法がこうも悪用され。邪悪が好きかって跋扈しているというのに。

特に血の臭いの痕跡が濃い一角をマンセマットが操作すると、地下への階段が現れた。

周囲には、まだ片付けきれていないらしい人間の残骸の一部が散らばっているが。どれも生命力を吸い尽くされていた。

此奴の仕業だなと、マンセマットを見た。

もはや、どうでも良いことだ。

この屋敷にいた人間達は、連れてきた哀れな弱者を使って悪魔ですら目を背けるような邪悪な実験を行い。

好き放題に悪の限りを尽くしていた。

地獄に落ちたのは、当然の話。

むしろ今まで落ちなかったのが、不思議なくらいなのだから。

地下に降りても、悪趣味な様子は変わらなかった。

辺りには機械が点々。

見覚えがある機械がある。

確か悪魔合体とかいう。悪魔や天使を合成し、別の悪魔を作り出すための装置である。

悪魔召喚プログラムとかいう、悪魔との契約を自動で行ってくれるシステムに少し遅れて普及したとか。その前からあったとか。色々な説があるが。

昔に比べて普及しているのは事実のようだ。

いずれにしても、制約が多いシステムで。

基本的に呼び出す人間より弱い悪魔しか従える事が出来ない。

このため。人間達が改良しようとしていると噂は聞いている。

とはいっても、この装置はさっと見た所でも、契約システムについては従来のものと同じのようだ。

そして、此処が。

一番血の臭いの痕跡が強かった。

此処で死んだ人数は、多分千をくだらないとみた。

「おぞましい装置でしょう。 此処の屋敷の持ち主。 欧州の名門財閥だったかなんだかの連中は、私を呼び出すために人間を大量に使用していたのです」

「何……」

「悪魔合体といいますが、実は人間も材料に出来るらしいのです。 そこにあるログを確認した結果ですがね。 今の時代も、人間も悪魔を捕まえるのには相当苦労するようでしてね。 この財閥の人間は、より安く手に入れられる人間をたくさん集めて、それで強い悪魔を作り呼び出して。 自分達の守護をしたり、或いは兵器として従えようとしていたようです」

マンセマットは嘘をついていない。

ウリエルは拳が震えるほどだった。

この屋敷を今すぐ地上も地下もまとめて消し飛ばしてやりたいほどの怒りが全身に満ちたが。

マンセマットはしっと指先を口に当てた。

何とも芝居がかっていて、不愉快な動作である。

「まあまあ。 落ち着きください。 私が残虐の限りを尽くしていた財閥の首脳部は皆殺しにし、配下の者達も傀儡化しました。 後はこの組織は天の国のために用い、大いに信仰心を献上するための基点としましょう」

「貴様は、これほどの事があったのにそのような事をいうか!」

「事実神はお認めくださいました」

それを言われると悔しいが。

実際問題、マンセマットのくだした天罰に、神は何も言わなかったのだ。

それに、この屋敷の有様だ。

天罰を下されたのは、ごく当然の事だろう。

人間の自主性だとか。

人間の心だとか。

そんなものが本当に存在しているのか、疑わしくなってくる邪悪の館だ。

悪魔ですらここまでの事はしない。

だからもっと人間をしっかり監督しなければいけないのに。

そう思うウリエルに、順番にマンセマットは説明をしていく。

「ここの財閥が蓄えていた膨大な金は様々に利用できます。 地上での活動で、我々天の国は非常に有利になるでしょう」

「……それで?」

「他にも面白いものを見つけています」

何が面白いか。

即座に首を刎ねたくなるが。我慢だ。

そのままついていく。

最深部の部屋。

どうやらこの財閥とやらの長がいたらしい地下室も、既に死の臭いが満ちていたが。

マンセマットは、にこりと笑みを浮かべる。

「ここに、面白いデータが多数存在していました。 全て献上いたします。 ウリエルどの、お持ちください」

「面白いとは、何の話だ」

「簡単に説明すると、ここの者達は今後核戦争などで地上が汚染されつくした場合、自分達だけに都合がいい国家やシステムを作り、人間達を統率することを目論んでいたのですよ。 かれらはミレニアム。 千年王国と名付けていたようですが」

「不遜にも程があるな」

そうですと、いきなりマンセマットは大きな声で目を輝かせた。

その狂気は、ウリエルも思わず剣に手を掛けたほどだった。

手を拡げて、役者じみた様子で言う。

「人間にはあまりにも不遜! 故にお持ちくださいウリエルどの。 これによって、今後の動乱期。 もしも人間を統率する新しいシステムが必要になったとき、我等光の陣営は極めて有利になりましょう。 人間が不遜なものに手を出す事は許されませんが、我等がそれを使う事は……ありでしょう?」

「正気か貴様」

「いたって。 私はこれから、この資金を利用して、米国などの自称先進国と取引をしておきます。 シュバルツバース発生の可能性などは貴方も聞いているでしょうが、それについて対策をしておかなければなりませんので……」

「……好きにしろ」

ウリエルは、データが入ったディスクを受け取ると。

部下達を連れて、外に出る。

屋敷には、外からサリエルとカマエルが来ていたが。天使の軍勢に囲まれていた。

なるほど、そういうことか。

ウリエルは顎をしゃくって、中に入れるようにさせてやる。

天使達は包囲を解き。

体の大半が堕天使になってしまって分割されたサリエルと。

戦いの天使であり、単に門番だっただけなのに。破壊の天使と言う事で、堕天使とされることも多いカマエルは。

マンセマットと徒党を組んでいることを隠しもせず。

慇懃に例をして、屋敷に入っていくのだった。

帰ろうとするウリエルに、マンセマットはまだ声を掛けて来る。

「ウリエルどの。 情報の進捗については、これからも逐一報告させていただきます故に、ご心配なされず。 我等天の国への忠誠心は、誰にも負けぬつもりですよ」

「……そうか」

「それでは」

礼をするマンセマットだが。

此奴の忠誠心やらは、野心と矛盾せず存在している。

つまり、神に対しての忠誠心はあっても。

四大や七大を蹴落として、神の寵愛を受けるための陰謀に手を染めることは全く躊躇しないと言う事だ。

明けの明星が嗤うかも知れない。

天界の天使達は、一枚岩などでは無い。

これほどに愚かしい争いを繰り返している様子は。

まるで人間のようだと。

そうだなとウリエルは、神妙に返すしか出来ないと思う。

事実、ウリエルだってその通りだと思ったからだ。

天界に戻る途中。配下の天使達は何も言わなかった。側近達は、ずっと黙り込んでいた。

天界に到着すると、軍勢を解散。屋敷を一緒に検分した天使達に、ウリエルは褒美をそれぞれ手渡した。

「ウリエル様、これは」

「おぞましいものを見聞きさせてしまったな。 休暇を与える故、それぞれ休んで力を蓄えよ」

「も、もったいない話にございます」

「いいからそうせよ」

あのような有様をみたのだ。

どんな者だって、心に傷がつく。

いわゆるPTSDと言う奴だ。

天使だってそれは同じだろう。

ましてや天使の心に強い傷がついたばあい。その結果として、堕天という可能性もありうるのだ。

ウリエルが側近として育てて来た天使達に堕天なんてされたら、たまったものではない。

ディスクを見る。

これから提出してこなければならない。

神はどういう反応をするのだろう。

喜ぶのだろうか。

もし喜ぶのだったら。

ウリエルはどういう顔をして良いのか、もはや分からなくなっていた。

 

4、激動の時代は近い

 

邪悪な実験結果とミレニアムとやらの情報を提出して、ウリエルは神の宮殿を後にした。

酒を飲みたい。

そう思ったのは、堕天使時代以来初めてだ。

無言で屋敷に帰ると。

じっと黙り込んでしまう。

しばらく無言でいたが。そうしていてもどうにもならないと判断し。訓練場に出る。その途中でラファエルと会った。

ラファエルは、大変だったなと声を掛けて来る。

無言で頷くと。

既にあのディスクの内容については話題になっていると言う話をされた。

「テンプルナイトというのは聞いた事があるか」

「ある。 あの無意味で残忍な十字軍の頃だったかに組織された狂信者集団であろう」

そう。

格好良い名前と裏腹に、その実態は腐敗した狂信者集団であり。

膨大な富を蓄積し。

あらゆる悪事に手を染めていた外道集団である。

最後は無様な壊滅を遂げることになったが。それを悲しむ存在など、恐らく当時は存在しなかっただろう。

擁護意見もあるにはあるが。それは殆ど空虚なこと。

実態はウリエルが知っている。

テンプル騎士団を壊滅させた連中も外道だが。テンプル騎士団そのものも同様の連中だったということを。

「あのディスクの中に、有事の際にテンプル騎士団を再結成するというものがあったらしくてな」

「なんだと……」

「財閥だとかが集めた「優秀な人間」の遺伝子データを掛け合わせて作り出した強い人間を訓練教育し、神の僕たる軍に教育する計画だそうだ。 ミレニアム計画の一端にあるそうで、すぐに神が許可を出されたとか」

「おお……」

思わず呻いてしまう。

大丈夫かとウリエルに聞かれたが。大丈夫な訳がない。精神生命体であることは、天使も悪魔も同じだ。

衝撃を受けたウリエルは、思わずその場に崩れ落ちそうになったが。

それでも、何とか立ち直った。

「ウリエルどの! 少し休まれよ」

「いや、いい。 このまま休んでいても腐るだけだ」

「いずれにしても、もう計画は動き出している。 流石にこれをマンセマットにやらせるわけにはいかないから、私が統括する。 前の腐りきったテンプル騎士団とは違う集団に育てるつもりではあるが……」

「分かっている」

ラファエルが直接指揮を執るなら大丈夫だと思いたいが。

それにしても、なんということだ。

本当に信仰心を貪る事しか興味が無いのか。

だが、今の世界にかろうじて秩序があるのも神のおかげ。

そう思うと、少しだけウリエルは。

まだ、心を建て直す事が出来た。

何度もため息をついたあと。訓練場に歩き出す。ラファエルは、その背中を無言で見送った。

訓練場に着くと。

数日留守にしていたからか、また天使の数はだいぶ減っていた。

ただアブディエルが来ていて、厳しく基礎訓練をしているようだったが。

「おおウリエルどの。 ……どうなされた。 顔色が良くないようだが」

「いや、何でも無い。 天使達に個人武芸を教え込んでいたのか」

「そうだ。 私は個人武芸には自信があるのだが、集団指揮はそれほど得意でもないのでな」

「それなら、それぞれ得意分野を分担して訓練をしていこう」

頷くアブディエル。

天使達が整列したのを見て、ウリエルは皆を見回した。

「これから厳しい時代が来るかも知れない」

噂には聞いているのだろうか。

天使達は皆、無言で話を聞いていた。

ウリエルだって、そうしていたいほどだ。

思考を放棄できれば、どれだけ楽だろうか。

いっそのこと、自分の理想の神が降臨してくれれば、どれだけ有り難い事だろうか。そうとさえ思う。

「だから我々は鍛え抜く。 同胞を守るために。 世界を守るために。 一人一人が強くなることで、よりその安寧は近付くと知ってほしい」

「はっ!」

天使達が敬礼する。

頷くと、戦列陣を編成して、訓練を開始する。

後の流れはいつもと同じだ。

いずれ、これを人間の精鋭部隊。テンプル騎士団……と一緒に行う時が来るのかも知れない。

だが、そもそも優秀な人間、などというのが主観に過ぎない。

実際問題、何が優秀か何て。そんな定義、誰にだって分からないのだから。

神はそれに乗っている。

天使を試すつもりなのだろうか。

人間を試すように。

いや、違う。

そうだとすると、説明がつかないことが多すぎる。

いずれにしても、今は無言で訓練を続けるだけだ。幸いアブディエルは、訓練の補助役として極めて的確に動いてくれている。

仮に七大がいなくなっても、まだまだ天の国の人材の層は厚い。

最悪の事態が起きても、まだまだ何とかなる。

そう信じて、ウリエルは訓練を続ける。

そして頭を可能な限り空っぽにする。

悪い想像ばかりをしてしまう。

それもこれも、なにもこれも忘れてひたすら訓練をする。

訓練に参加する天使の中から、良い動きをするものを抜擢し。精鋭部隊に加え。

更に出来が悪いものにも、きちんと指導をして動けるようにしていく。

また、訓練場が活気を帯びていく。

此処にいる天使達が、きっと今後の未来を明るい方向へ導いてくれるはずだ。

そうウリエルは。

自分でも信じていない事を無理に信じ込みながら。

訓練を続けるのだった。

 

(終)