クラリオン・ディスティニ

 

序、クラリオン

 

空は排気ガスで真っ黒。

地面はどす黒くタールで濁りきっている。

空気を吸って、気持ちいいと思ったことは一度もない。年がら年中戦争ばっかり繰り返して、街にいるのは子供とお爺ちゃんだけだ。空を見て、飛行機が来たら逃げ回るしかない。爆弾を何処に落とすか分からないからだ。

向こうに見えるのは、高い高い煙突を聳え立たせた工場ばかり。聞こえ来るのは、戦意昂揚だとかで毎日流されている国歌ばかりだ。

川は、魚どころか、もう虫の姿もない。

空に見える二つの月までもが、濁りきっているように思えた。もう二つ月が夜には出るのだが、それも綺麗に見えたことはまず無い。

サイレンの音が近付いてくる。憲兵が乗っているパトロールホバーカーだ。

「国家のため、そして民族の勝利のため、工場へ向かいましょう。 国民には労働の義務があります。 国民には、労働の義務があります。 繰り返します。 国民は、民族の栄光を守るために、労働をしなければなりません」

べえと舌を出す。そして、川縁の、朽ち果てた木の陰に隠れた。

どうせ天涯孤独の身だ。労働をさぼったって、親が思想矯正施設に引っ張られることもない。

ただ、お腹がすくのだけは困るのだった。

ホバーカーが、同じ文言を繰り返しながら、土手の上を通っていく。憲兵が周囲に目を光らせているのが、遠くからも分かった。

クラリオンは小さな帽子を取ると、ぼさぼさの髪の毛をかき回す。

肌も服も脂塗れ。爪の間には汚れがたっぷり詰まっていて、洗っても簡単には落ちはしない。

伝承に聞くお姫様の肌はさぞやつるつるぴかぴかなのだろうと思う。一方クラリオンの肌は、年がら年中細かい傷と痣と瘡蓋だらけ。寝ている間に、虫がはい回ることも珍しくなかった。

靴なんぞ随分昔に無くした。完全に擦り切れて、履いている意味もなくなったからだ。服だけはかろうじてあるが、既につんつるてんである。このままだと、その内裸で過ごさなければならなくなるかも知れない。

男の子の中には、上半身裸で過ごしている者も少なくない。女の子にも、幼い内はそうしている者もいる。だが、裸で過ごしていると、憲兵に目を付けられやすいので、どうにかして着るものを確保しなければならなかった。

ホバーカーがいなくなるのを見計らって、虫のように物陰からはい出す。

工場に行っても、パン一切れのために、死ぬような思いをして働くだけだ。実際に、死ぬ子供も少なくない。ずっと動き続けている機械は非情で、子供が巻き込まれても平然としている。疲れ果てても、休むことは許してくれない。

それだったら、街にある高級将校の家族用のパン屋の裏にあるゴミ箱でも漁った方がマシだ。何が民族の栄光だか国民の未来だか知らないが、クラリオンが産まれる何十年も前から同じ言葉を繰り返して、ドンパチドンパチばかりしている連中の言うことなんか、信用できなかった。

もう少し年が行ったら、変態高級将校に処女でも売りつけて小金が稼げそうなのだが、それもこんな痩せた体ではどこまで値が付くか。それに大人になるまでもう時間も無さそうだし、そんな事して小金を稼いでも意味など無さそうである。

土手で寝そべるのも飽きたから、街へ。同じような浮浪児と、途中ですれ違った。

「クラリオン、工場さぼったのか?」

「ああ、そうだよ」

「何だ、悪い奴だな」

「お前もな」

笑いあって別れる。

どんなに腐った国でも、貧しくても。

子供は、生きている。

クラリオンは、その一人だった。

街に入っても、不清潔なことに代わりはない。昔は空気清浄化機能とか自動清掃機構とやらが働いていたらしいが、戦争が長引いてそんなものにエネルギーを廻す余裕が無くなった、とかいう話だ。

立ちこめている薄い霧は、工場から流れてきたものだ。路には薄く汚れが膜になっていて、ホバーカーが来ると吹き散らされる。いつも汚臭がするから、体に掛かっても気にはならない。

同じように、工場をさぼった子供は、道を歩いていても、いつも地面を気にしている。マンホールがある場所を、しっかり把握しておくためだ。憲兵が来た時に、其処に逃げ込むためである。

昔はロボットが巡回していたそうなのだが、燃料が無いとかで、今は憲兵が彷徨き回っている。だから、却って逃げ回るのは簡単になった。ロボットには隠れてもごまかせない事が多かったそうだが、今では結構簡単に逃げおおせるからだ。

街の方で、爆発音。

多分、またテロだろう。戦争が終わらないから、爆弾を街で破裂させる連中がいるらしい。クラリオンにはよく分からないが、子供の中にもそうやって爆弾を運ばされるものがいるそうだった。パン一切れと代わりに木っ端微塵にさせられるのである。冗談ではない。

数少ない大人はみんな子供を消耗品だと思っているのだ。

裏路地にはいる。髭ぼうぼうの浮浪者が、汚いコンクリの壁に背中を預け、赤ら顔で何か呟いていた。酒を口にしているのだろう。酒なんか、何処で手に入れたのか。足下には開いた缶が転がされているが、コインは一つも入っていなかった。

「何だ、クラリオンじゃねえか」

足は止めない。

浮浪者はけたけたと笑った。

「まだおめえじゃ、客もとれねえか。 良い仕事を紹介してやろうかと思ったがなあ」

「ふざけんな」

「ひひひひ、その内パン一切れのために体も売るようになるってのに、何を粋がってるんだよ」

振り返ると、浮浪者は白目を剥いていた。手元には、酒瓶が無造作に転がっている。

多分うわごとだったのだろう。その割には会話が成立していたので、不愉快だった。

その内体を売らなければならなくなる事くらい、承知している。男の子も幼い内は、変態金持ち相手に、体を売って商売が出来る。クラリオンは一応女の子だから、男の子よりもある程度は、そうやって喰っていけるだろう。

だが、そうやって稼ぐようになったら、今度は性病にいつかかるか分からなくなる。それに、紐が付いたりマフィアに囲われたりして、結局稼ぎはみんな持って行かれてしまうのだ。

ついでにいえば、そうやって稼げるのも大人になるまでの少しの間だけ。

どっちにしても、先は真っ暗だ。

いっそのこと、爆弾で吹き飛ばされて死んだ方が楽かも知れない。街で時々起こるテロにでも巻き込まれれば、こんな腐った世界からはおさらばできると思うと、クラリオンはそれも悪くはないと思うのだった。

裏路地の奥で、マンホールから地下に降りる。

ホバーカーが近付いてくる音に気付いたからだ。さっきの浮浪者は、多分矯正施設に連れて行かれてしまうだろう。矯正施設に連れて行かれると、高い確率で生きては帰れない。何をされているのかは、帰ってきた奴が殆どいないので、クラリオンも知らなかった。

地下は非常に暗いが、所々光が差し込んでいる。汚水を流し込むための側溝に金属の蓋が付けられていて、其処からだ。それを頼りに、歩く。

今日のねぐらは何処にしようと、クラリオンは思う。足下をドブネズミが通りすぎていった。子猫ほどもあるどでかい奴だ。憲兵は、この街では鼠も蠅も根絶したとかほざいているらしいが、噴飯ものである。地下に降りれば、蠅もごきぶりも鼠も、売るほどひしめいているというのに。

油断すると指を囓られかねないので、気をつけなければならない。昔詰まって、もう乾ききっている大きな下水管が寝るのに丁度いい場所だ。匂いは酷いが、少なくとも憲兵は来ない。

それだけで、何よりもマシだった。

先客がいないことを確認して、潜り込む。ちょっと狭くなってきている。もう少し育ったら、此処も使えなくなるかも知れない。此処はかなり昔に詰まったらしく、匂いもそんなに酷くない穴場だったのだが。

足音。

大きさからいって、他の浮浪児だ。

既に先客がいる場合は、下水管を横取りしないのが暗黙のルールである。子供同士で争っていると、いざというとき憲兵から逃げる体力が無くなるからだ。体力があるなら、逃げるのに使え。食べ物を得たら、その場で食べてしまえ。それが、子供達の間にある、ルールだった。

「何だ、クラリオンかよ」

「睡眠中」

「ちぇっ。 余所に行くよ」

あの声は、片腕のカロンかと思って、クラリオンは身じろぎだけした。カロンはクラリオンより二歳年上だが、テロに巻き込まれて左腕を失った。だから男子の中ではかなり喧嘩が弱い方で、あまり日の当たる所には出ないし、憲兵との追いかけっこも避ける傾向がある。

足音は、すぐに聞こえなくなった。

自分は、いつまで五体満足でいられるのだろう。そう、クラリオンは思った。

 

翌朝は、早朝からゴミ箱を漁ったが、殆ど食べ物は見つからなかった。子供の間でも縄張りはあって、横取りすると大概はばれて殺し合いになる。もっとも、最近は子供も浮浪者も数が少なくなってきているから、縄張り争いは滅多になかった。

昔ほど飛行機が飛んでこなくなってきたのも、それが関係しているのだろう。

戦争が終わるとか言う噂もあるそうだ。だがその理由も、多分皆が努力したから、とかではないだろう。高級軍人が御用達にしているような店でさえ、客が殆ど入っていないのである。

多分、どっちも軍隊が死に絶えたのだ。

それで、戦争が終わったとして、どうなるのだろう。大人が街に帰ってきたとして、世界が少しでも良くなるのだろうか。

そんなわけがないと、クラリオンは冷笑してしまう。

どうせまた訳が分からない法律が出来て、子供や浮浪児は駆り立てられるのだ。街は綺麗になるかも知れないが、そうなればきっと汚いものが処理される。処理された先にあるのは、燃やされるか、消されるか。いずれも、ろくなものではないだろう。

空きっ腹が酷くなってきた。

工場にでも行こうかと思う。パン一切れのために、命がけの仕事をしなければならないが、それでもこのまま餓死するよりはマシだ。

地上に上がる。今日は一段と霧が酷かった。

光化学スモッグとか言われているそうだが、知ったことではない。クラリオンにとって、霧以上でも以下でもない。有毒だそうだが、そんなの知らない。いつもゴミ箱の残飯を漁っているクラリオンに、多少の毒なんぞ多分通じないだろう。

ホバーカーが近付いてきたので、マンホールから地下に逃れる。

面倒だなと思って、地下道を通って街の外まで行くことにした。何だか知らないが、今日はホバーカーが多い。昨日のテロが原因かも知れなかった。

郊外で、使われていない下水道を通って、外に出る。

街の外も、酷い霧だった。聖陽が霞んで見える位である。太陽はもっと酷くて、何重にも輪が掛かって見えていた。

土手を歩いて、工場に。

おなかがぎゅうぎゅう鳴った。ろくに食べていないのだから、仕方がない。これ以上お腹がすくと、身動きが取れなくなる。

どんなにすばしっこい奴も、ご飯を食べないと動けなくなる。そうすると、ひとたまりもなく憲兵に捕まってしまうのだ。目の前で、何度もクラリオンは見た。

工場に出る。今日も子供や老人が一杯働かされていた。一定周期で動く機械がたくさんあって、色々武器やら弾薬やらを作っている。

クラリオンは、ずっと何かを押しつぶしている機械の所に廻された。何かの塊を、そのハンマーみたいな腕が振り下ろされる度に、押しつぶしているのである。そして潰された後には、何に使うのか見当もつかない部品が出来る。

クラリオンの仕事は、その部品を手にとって、設計図通りか確認する事だった。確認したらベルトコンベアに乗せる。作業の時は手袋をしていなければならない。マスクも無理矢理付けさせられた。

ずっと機械が、隣で塊を押しつぶしている。できあがる部品は殆どがまともだったが、たまにおかしいのが混じっていた。おかしいのは、別のコンベアに流す。がしょん、がしょんと、嫌な音がしていた。

工場の彼方此方では、子供や、腰の曲がった老人ばかりがいる。空気は此処だけ異常に清潔で、逆に息が詰まりそうだった。

監督している連中を除くと、大人はいない。

この街では、大人になることは死刑と同じだ。理由は幾つもある。

「良し、休憩だ」

やっと時間が来た。機械が止まる。耳がおかしくなりそうだったから、やれやれと溜息が漏れてしまった。

片腕のカロンがいた。カロンは顔の右半分が焼けただれていて、未だにケロイドが治らない。浮浪児をたまに見てくれる医者からは、栄養が足りないのだとか言われているそうだ。

醜い面相だと工場の監督達は笑うが、この辺りの子供はみんなこんなだ。五体無事な子供の方が少ないくらいである。テロに巻き込まれたり爆撃で吹き飛ばされたり、或いは犯罪に巻き込まれることも多い。

「カロン、顔は大丈夫?」

「平気だ」

無心に、子供達はパンを食べている。持って帰ろうとする子供は一人も居ない。

昔は、より幼い子供や、身動きが取れない親のためにパンを持って帰ろうとする子供もいたそうである。しかし軍人ではなく、社会的な弱者となってしまった大人は、皆何処か連れて行かれてしまったか、或いは死んでしまった。幼い子供など、生きていける環境ではなかった。

子供の数自体も著しく減っている。新しく子供が殆ど出てこないのだから、当然のことだろう。老人の数も、だ。何処に連れて行かれているのか、連れて行かれた老人は二度と戻ってこない。

パンを食べ終える。

足りないが、我慢するしかない。食べておけば、まだ動けるのだ。後は街のゴミ箱を漁ってみるしかない。

一応、もう一回パンは出る。しかし昼より少ないので、此処で仕事を切り上げて逃げてしまう者も多かった。憲兵がどんなに目を凝らして見張っても、監督達が出口に立っていても、逃げる人間は逃げおおせるのである。

「また不味くなったな」

「体が大人になってきてるんだよ」

溜息が漏れる。

大人にはなりたくない。しかし、生きていれば嫌でも大人になってしまう。

「大人になっても、逃げおおせる方法って無いのかなあ」

「ナイフのガロでも、三日と保たなかったって話だよ。 私達が、逃げられるとはとても思えないけどなあ」

ガロというのは、兎に角喧嘩が強かったガキ大将だ。運も強くて、子供でも憲兵相手に一対一なら引けを取らなかった。

だが、そのガロでも。大人になった数日後には、姿を消してしまった。子分も纏めて、全員である。

何が起こったのかは分からない。

だがガロでも駄目だったという絶望だけが、子供達の間には残った。

大人になるという事に対する絶望の理由。その一つが、これだ。

「休憩終わりだ。 配置に付け」

鞭で追い立てられるようにして、再び配置に就く。なにやら国威昂揚のためとやらの曲が掛けられ始めるが、異常に清潔な空気の中、虚しく響くだけだった。

工場から解放されて外に出ると、すっかり夜中になっていた。

カロンとは無言で別れた。他の子供とも特に話さず、ねぐらに帰る。皆、疲れ切っているのだ。

工場で支給されるパンは、ますます不味くなってきていた。

 

1、星の降りる夜

 

夜中までゴミ箱を漁っていた成果はあった。多少は美味しい残飯を見つけることが出来たのだ。

こういう御馳走も、滅多に食べることが出来なくなった。だから、力が湧いてくるような気分だった。

地下下水道に入って、適当な排水管に潜り込む。最近は使える排水管も増えてきているし、寝床に困ることはなかった。気分よく寝ていると、空から地響きのような音が轟き始める。

星降り、だ。

無視して寝ようかと思ったが、この音は兎に角凄まじいのである。しばらく我慢したが、とうとう耐えきれなくなって、排水管から這い出た。

外に出ると、文字通り星が降ってくるような光景が、頭上に広がっていた。

よく分からないが、宇宙船とかいうものらしい。聖陽よりもずっと高い所から降りてくるものだとか聞いたことがある。

分かるのは、それが空を覆い尽くすほどにでかいと言うことだ。これが降りてくると、聖陽も月達も、みな隠れてしまう。

辺りがビリビリと凄い音を立てている。まるで、この小さな街そのものがひっくり返りそうな気配だ。

前にあのデカブツが来たのはどれくらい前だろうか。

たしか、ナイフのガロが失踪した直後くらいだった。関連性があるのではないかと騒ぎも起こったが、考えてみればこのばかでかいものが来るのとあまり関係なく人はいなくなる。

「まあた、きおったか」

「蛇の目爺さん」

側に立ったのは、大きな目を持つ猿のような老人だ。意味はよく分からないのだが、蛇の目と呼ばれている。だから、クラリオンはまわりに合わせて、蛇の目爺さんと、彼を呼んでいた。

蛇の目は物知りで、何でも良く知っている。憲兵でさえ、だから敬意を払っていた。もっとも、それでも貧しいことに代わりはなく、工場ではいつも苦しそうに働いている姿を見ることが出来たが。

「何なんだよ、あれ。 五月蠅くて眠れないんだけど」

「多分銀河連邦の視察船だろうよ。 事情は分からんが、少し前に大きな会戦があったとか聞いてるでのう。 その影響かもしれんな」

「会戦って、戦争のこと?」

「ああ。 ただしあの星空で、この星の人間が想像も出来ない規模で行うものだがな」

本当だろうかと疑問に思ったが、しかし蛇の目の言うことは信用できる。この老人が語ったことは、大体本当のことになるからだ。

それにしても、宇宙とやらでも人間は戦争をしているのか。そうなると、こんな街があっちこっちにあると言うことなのか。今住んでいる街が、人類の世界の中では隅っこの方にあるという事は聞いている。そうなると、真ん中の方でも、こういう生活を子供はしているものなのか。

宇宙船とか言うのは、ある程度まで降りてくると止まった。偽物の星空はゆっくり回転しながら、その場で高度を維持している。手を伸ばしても、とても届きそうにない。この街にある一番のっぽなビルでもとても届かないだろう。

「あんなところで止まって、何してるんだ」

「あれだけ近ければ、人間を送ったり迎えたり出来るんだよ。 連邦の技術だとな」

「わけがわからない」

「理屈を説明してやっても良いが、何時間か掛かるぞ」

流石に丁重に断ると、そろそろ首が痛くなってきたので地面に転がった。

どうせ汚い体だ。汚い地面に転がって、何が変わるというのか。

「女の子が、そんな事をするもんじゃあない」

「うるせー。 どーせ大人になったら死ぬんだ。 生きてるんだから、どんなに汚れたっていいじゃないか」

体なんか、一月に一回も洗えない。

というよりも、清潔という概念そのものが無いのである。たまに気持ち悪くなったりもするが、もう慣れた。

ぴかぴか眩しい偽りの星空は、しばらく滞空していたが、やがてまた上昇していった。何をしに来たのか、さっぱり分からない。他所の世界で戦争をしているのかどうか知らないが、せめて食べ物の一つでも落としていって欲しいものである。

やがて、最初から巨大な星降ろしなどいなかったかのように。夜空は静かになった。

上半身を起こして大あくびする。

「寝よ。 騒音まき散らしやがって」

辺りを見回すが、いつの間にか蛇の目はいなくなっていた。

また、地下に潜り込んで下水管に入る。さっきまであれほど酷い騒音がしていたからか。静かすぎる地下は、却って寝づらくなっていた。

 

自分を呼ぶ声に、クラリオンは目を覚ます。

孤児同士が、互いを呼び集まることは滅多にない。余程大きな事があったのだ。絶対に伝達が必要な情報が出た時、子供は互いに相手の名前を大声で呼ぶ。そうしないと、憲兵に捕まる可能性があるからだ。

名前を呼ばれても、すぐに反応してはいけない。以前憲兵が、子供を捕まえて、そういったやり方で他の子供をあぶり出したことがあったからだ。おそるおそる排水管から顔を出すと、見えた。

カロンだ。

のっぽのジロも連れている。カロンは相変わらず片腕なのに、器用にバランスを取って歩いていた。

憲兵はいない。そう判断してから、外に出る。

「何だカロン。 どうした」

「其処にいたか。 蛇の目の爺さんが、この辺りにいるだろうって言ってたけど、当たったな」

「ちっ、そんな事まで当てなくていいのによ」

のっぽのジロは、爆撃で兄弟を焼き殺されたらしく、今でも喋らない。ぼーっと虚空をいつも見つめていて、何処で何をしているのか、他の誰も知らなかった。たまに工場で見掛けると、もの凄い力を発揮して、軽々と工場の仕事をこなしている。仲間内でも、力仕事が必要な時には、いつも探すようにしている様子だ。

排水管から這いだして、話を聞く。

「それで、何のようだよ」

「憲兵がいなくなった」

「はあ?」

「本当だよ。 憲兵がいなくなって、替わりになんかよく分からない奴らが街を彷徨いている。 あの五月蠅い曲も流れなくなった」

そういえば。

国威昂揚とやらの目的で流されているあの五月蠅い曲は、いつも遠くから聞こえてくる。雨だろうが嵐だろうが聞こえてくるから、フレーズからして覚えてしまっているのだが。それも聞こえてこない。

地上にはいだしてみる。

いつものように霧が出ているが、確かに憲兵の気配はなかった。ホバーカーもいない。街はどんよりとしているが、それはいつものこと。遠くから、あの五月蠅い音が聞こえないだけでも、随分ましだった。

「蛇の目の爺さんは?」

「わかんね。 なんか政府が倒れたとか言ってたけど」

「政府? なんだそれ」

「よく分からないけど、この国の事らしいぜ。 もう憲兵に追い回されないし、工場で働かなくても良いんだと」

飯はどうするんだろうと、クラリオンはまず思った。憲兵どもがいなくなったのは非常に嬉しいことなのだが、工場も止まったらパンを得られなくなる。しかもこう人がいないんじゃあ、残飯だって少ないだろう。

漠然とした不安を抱えながら、歩く。

昨日来た星降りが原因なのだろうか。銀河連邦がどうのこうのと蛇の目は言っていたが、それが原因なのか。

空中を走る車を見つけた。憲兵が乗っているホバーカーよりもずっと動きが滑らかで、飛んでいる高さも違う。ホバーカーは地面すれすれを飛んでいるのに、あれは手を伸ばしても届かないくらいの高さを移動していた。

憲兵のホバーカーとは違い、遠くまで響くが、しかしあまり五月蠅くない音を、車は発し続けている。

「食糧の配給と、生体情報の登録を行います。 食料の配給と、生体情報の登録を行います。 住民の皆さんは、近くの公園にお集まりください」

「……」

何だか物珍しいが、本当に大丈夫なのだろうか。

憲兵の新手の作戦ではないかと、クラリオンは考えた。連中はそれこそあの手この手で、子供達を追いかけ回した。以前には、食べ物で釣ってきたこともあったのだ。もちろん、連れて行かれた子供は、二度と帰ってこなかった。

「彼奴ら憲兵じゃ無さそうだけど、大丈夫かな」

「さあな。 俺は様子を見てくるけど、どうする?」

「私は後でいいや。 どうなってるか、見てきてくれよ」

「食い物が残って無くてもしらねえぞ」

そんな事は分かっている。

リスクと食事を天秤に掛けたら、前者の方が上回ったと言うだけのことだ。そして、カロンは後者を優先した。それだけのことである。

暗黙の了解として、全員で一緒に行ったら、一網打尽にされる可能性がある、というものもある。

ジロはカロンに着いていった。クラリオンは以前と様変わりしている街の様子を見て回る。

何だかよく分からないものがたくさん動いていた。車に見えるものが、腕のようなものを伸ばして、先端部にある毛状の部分を回転させ、地面や壁に押しつけている。押しつけている所からは泡が一杯出ていて、汚れが落ちている様子だ。

霧も以前に比べると、薄くなっている。というか、その原因を見つけた。

機械で出来ている鮹のような物体だ。上部から霧を吸い込んで、無数にある足から別の空気みたいなのを吐き出している。よく分からないが、その周囲では良い匂いがするから、危険では無さそうだ。

他にも色々なのがいる。

人間に見えるが、違うのもいた。全身銀色の鎧みたいのを着ていて、憲兵が持っているのよりもずっとごっつい銃を持っていた。遠巻きにクラリオンが見つめているのに気付いている様子なのに、何も仕掛けてこない。

街の外に出てみると、小さな円盤が宙に一杯浮いていた。水に長い棒を突っ込んだり、地面に突っ込んだりしている。何をしているのかよく分からない。

工場を見に行く。

閉鎖されていた。近くの丘に行って中を覗き込んでみると、監督達が一箇所に集められて、銀色の人間みたいのに取り囲まれていた。頭の後ろに両手を回して座らされているのはなぜか。

工場には、防衛のためとかで、一杯武器が集められていた。その武器も、広場の一箇所に纏めておかれている。アレを使って抵抗しなかったのか。或いは、抵抗したけれど刃が立たなかったのか。

確かに銀色の人間は、憲兵よりもずっと強そうだ。銃で撃ったくらいで、どうにかなるとも思えない。

何だか良く分からないが。途轍もなく大きな事が起こったことは、よく分かった。

街に戻ってみる。カロンがいた。ご機嫌な様子で、おなかを撫でている。

「おう、クラリオン」

「何だ、どうしたんだ」

「すげえ一杯飯をくれた。 工場でくれる奴よりも、ずっと美味かったぜ」

のっぽのジロが涎を垂らしたので、カロンが器用に拭いてやる。ジロは行動が本能と直結している様子だから、嘘をついてはいないのだろう。

「何だか街に知らない奴らが一杯いるけど、彼奴らか?」

「ああ。 何だか銀河連邦の連中だとか言ってる。 良くわかんねえけど、飯をくれるんなら大歓迎だよな」

「そうだな」

興味が出てきたので、公園に行く。

さっきの銀色の鎧を着た奴が一杯いた。近くで見ると、目がある所には、一つだけ光が灯っている。

時々それが上下左右に動いている。此奴は目が一つしかないのかも知れないと、クラリオンは思った。これが人間だとすると、連邦とかいう所の人間は、全員一つ目で、銀色をしているのだろうか。

どこから集まってきたのか、結構な数の浮浪児がいた。公園から出て行く浮浪児は、みんな満腹している様子である。クラリオンはむしろ、最後発組のようだった。

見回す。

公園に置かれていた、指導者様の像は取っ払われている。あの糞忌々しいおっさんの像は、見ていてむかむかしたので、無くなって良い気分だった。

替わりに大きな円筒状の機械みたいなのがあって、その周囲に銀色の鎧の奴らがいた。子供は一列に並ばされて、順番に食事を受け取っている。円筒形のは腹の真ん中から、次々に飯を出すことが出来る様子だった。

クラリオンの番が来た。

銀色の皿を渡されて、其処に何か熱いのが盛られた。器具を渡される。これで食べろと言うのだろうか。

使い方がよく分からない。困っていると、目の前にいる銀色の奴の前に、映像が浮かび出た。立体映像くらいは知っているが、クラリオンが見たことのあるものよりも、ずっとクリアで緻密だ。

「スプーンの使い方。 このようにして使ってください。 持ち方はこうです」

「うるせえ」

頭に来たので、熱いのを我慢して、皿を傾けてそのまま食べた。食べ終えた後、スプーンとか言うのを投げつけてやったが、銀色の奴の直前で停止。そのまま、さっきから水が流れて回っている所に飛んでいった。

訳が分からない。後ろがつかえているので、当然のことだが怒号が飛んできた。横に避ける。皿も、その時取り上げられてしまった。

「何だよ、ケチ。 くれたっていいじゃないかよ」

銀色の一つ目は応えない。ひょっとすると、人間ではないのかも知れない。

そういえば、蛇の目から人間そっくりのロボットがいるという話は聞いた。ロボットと言えば、工場で動いている奴しか知らないクラリオンである。もしもこいつらがロボットだとすると、衝撃的だ。

他の浮浪児も、物珍しそうに銀色の連中を見ている。クラリオンの袖を引いたのは、浮浪児の中で一番若い世代の一人である、イダだった。よく分からないのだが、すばしっこいので、イダと呼ばれている。鼻水をいつも垂らしている、ちょっとだらしのない男の子だ。

「クラリオン、あいつら、何?」

「私に聞くなよ。 蛇の目爺さんにでも聞きな」

イダはすぐ泣くので苦手だった。ぼんやりした様子で銀色の奴らを見つめていたイダは、不意に我に返ったようにクラリオンの服の袖を離す。

理由に気付く。銀色の奴が、クラリオンに近付いてきたからだ。歩き方は、普通の人間と何ら変わらない。

顔の中央にある一つ目が、クラリオンを見ている。

「な、何だよ」

「お名前は」

「クラリオン」

「記録しました」

銀色の奴の受け答えは、どうも妙に硬い。やっぱり人間ではないのかも知れないと、クラリオンは思った。

イダはクラリオンの陰に隠れて、がたがた震えている。此奴の逃げ足の速さは、臆病から来ていることを、クラリオンは知っている。クラリオンの様子を見て、他の子供もいつでも逃げられるように、既に構えているようだった。

状況判断能力が低い奴は、此処にはいない。もうみんな憲兵に捕まって、連れて行かれてしまっている。

クラリオンは、死んだかも知れないとちょっと思った。

「クラリオンに質問です。 この街で浮浪児を調査しましたが、皆貴方と大差ない生活水準のように思えます。 いつからこうなったか、記憶していませんか」

「いつかもなにも、ずっとだよ」

物心ついた時には、既にこうだった。

ずっとずっと小さい時には、親がいた気はする。だが、今ではもう顔も覚えていない。

後生大事に、親のものを取っていた子供もいる。だがそれも、殆ど生きている内に失ってしまう。或いは憲兵に追われて落としたり、場合によっては食べ物と交換したり、といった具合にだ。

もっとも、どうして親がいなくなったかと言えば、理由は様々だ。今クラリオンの影で震えているイダの場合は、確か軍隊に取られたはず。片腕のカロンの場合は、両親についてはよく分からないが、他はテロで纏めてドカンだったはず。それで、カロンだけ生き残ったのだ。

「なるほど、理解しました。 制圧したこの国の首脳部は戦争犯罪だけではなく、民間人に対する統治義務の放棄と、虐待の罪でも裁くことが出来そうです」

「何言ってるのかわかんねーよ。 そんな事よりも、明日からも飯くれねーかな」

「食事は配給します。 また、衣服についても近々配給いたしましょう。 矯正施設に囚われていた大人達に関しても、近々解放を予定しています。 軍については既に解散しておりますので、武装解除の後、解放します」

何だか景気がよいことを言っているが、信じられない。矯正施設とかに送られて、生きて帰ってきた者なんかいないからだ。

それに、今更両親だと言われても、見て分からない可能性も高そうだ。

「パパとママ、帰ってくるの?」

「さあな。 此奴はそう言ってるけど、期待しないで待ってた方がいいんじゃないのか」

他の浮浪児も、銀色の奴の質問攻めにあっている様子だ。

面倒くさいと思ったクラリオンは、しがみついたまま離さないイダに辟易したこともある。そそくさと、公園を後にした。

素足でずっと歩いていたから、足の裏は丈夫になっている。だが、それが故に。逆にしっかり掃除されて、磨き抜かれたアスファルトは不気味な感触を足の裏に伝えてきた。軍隊は解散したとか言っていたが、戦争は終わったのだろうか。そんなに簡単に、戦争が終わるものなのだろうか。

「クラリオン、パパとママの顔、覚えてる?」

「お前のか? 正直言って、覚えてないな」

「クラリオンのは?」

「そっちもだ。 毎日生きるのだけで精一杯だったからな」

イダも、覚えていないと言った。

生きて両親が帰ってきたとしても、これでは感動の再会とは、なりそうにもなかった。

食事は配給するとか言っていた。喰うものに困らなくなるというのだけは、とてもありがたい。

しかし銀色の奴らが何を考えているのか分からない以上、食い物をくれるからといって、ホイホイ着いていくのは危険だった。

 

翌朝。

下水道から這いだしたクラリオンは、吃驚した。大人が歩いているのである。しかも、憲兵ではない。高級軍人でもないし、ましてやテロリストでも無いはずだった。

汚い格好のクラリオンを見て、大人は吃驚した様子だった。背の高いのっぽの男は、呆然としているクラリオンに、近付いてくる。

「き、君」

「何だよ」

「ジョゼフ=モーンを知らないか。 私の息子なんだ」

「ジョゼフう?」

聞いたことのない名前だ。そんな名前の奴、この街にいたか。

この街にいる子供は大体把握している。憲兵に連れて行かれた奴も含めてだ。慌てた様子で、大人はジョゼフとかいう奴の特徴を述べ立てる。その幾つかに、聞き覚えがあった。

ひょっとすると、彼奴かも知れない。

「カラカルのジョーの事か?」

「な、何でもいい。 何処にいるか、知らないかね」

「彼奴は街の西の方の下水をねぐらにしてるよ。 でも、目が見えないから、あんたが親でも分からないと思う」

ジョーの奴は確か憲兵に警棒でしこたま殴られて、目が見えなくなったのだ。ただそれは結構最近の話である。前は目が見えにくいとは言っていたが、少しは見えていて、それでどうにか生きてこられていた。

完全に見えなくなってからは、下水道に住み着いて、夜中に這いだしてきては手探りでゴミ箱を漁って生きていたらしい。

「分かった。 西の方だね」

「あのおっきなビルあるだろ。 あの辺で見掛けることが多いらしいぜ」

「親切に有難う。 これ、上げるよ」

そそくさと去っていく大人。くれたのは、綺麗な紙に包まれたキャンディだった。

甘いものなんか、口に入れるのは何ヶ月ぶりだろう。他にも大人が歩いている。あの銀色の奴らが来た影響なのだろうか。

多くの大人は、子供を捜しているようだった。あののっぽ以外にも子供を捜しているという大人に、何度か捕まった。誰かと間違えているらしい大人にも、何度か質問攻めにされた。

無事に、子供に出会えたらしい大人にも会った。

涙を流して、ハグしている。子供はよく分からないようで、目を白黒させていた。その温度差が、見ていて滑稽であり、何処かでもやもやしたものを感じさせもした。

飯をもらいに行こうと思って、公園に。

銀色の奴は、昨日と同じくらいいた。並んでいる人数も、少し多くなっている。手際が良くなったのか、或いは並ぶ方が慣れたのか。スムーズに、クラリオンの所まで順番が来た。

昨日は液状の食べ物だけだったのに、今日はパンもついている。がっついている子供も、昨日に比べると減った様子だった。

食べ終えて、皿を返す。子供達の態度も、昨日に比べるとだいぶ柔らかくなっている。あの水が出ている機械は、多分皿を洗っているのだろうと思った。

銀色の奴が、また歩み寄ってくる。他の子供ではなく、クラリオンに向けて、まっすぐ、である。

「クラリオン、話をまた聞かせてもらえますか」

「また来た。 何で私なんだよ」

しかも名指しでご指名だ。他の子供達はさっとクラリオンから離れて、様子を見守っていた。

「貴方は年齢的にも周囲を理解できる状況ですし、ギブアンドテイクという概念についても理解しています。 浮浪児の中では、貴方はかなり情報を得るのに的確だ」

「なんだよそれ」

もうすぐ大人になると言う点では、確かに銀色の奴らが言うとおりなのかも知れない。でも、自分がやり玉に挙げられる事については、納得が行かない点も多かった。

警戒を隠さないクラリオンに対して、銀色の奴は胸に手を当てて、丁寧に話をしてくる。飯をくれたからか、昨日よりは少し警戒心も薄れては来ているが、まだ信用は出来なかった。

だが、話を始めると、警戒心は更に薄れていくのが分かった。銀色の奴は見下ろすことが無く、同じ目線で話をしてくる。それが、今まで出会った大人とは違って、とても心地よい。

「なるほど、テロも頻繁に起きていたのですね」

「手とか足とか無い子供、一杯いるだろ。 昔は爆撃でやられたけど、今は殆どがテロが原因だよ」

「なるほど。 実は、炊き出しを始めた時に、テロを試みた者が何名かいました。 接近前に取り押さえて無力化しましたが、まだ警戒は緩めない方が良さそうですね」

「何だよ、あぶねえな」

テロをやる奴の頭の中は分からない。

どうして飯を貰おうと子供が並んでいるだけなのに、爆弾で殺そうとするのか。むしろ連中よりも、この銀色達の方が、話が分かるかも知れない。

だが、必要以上に近付こうとは思わない。此奴らは人間ではないと、何となく感じるのだ。

「やはり犯罪に遭う可能性も高いのですか?」

「何だよ、それ。 当たり前だろ。 この街の大人は、子供を痛めつけることだけが生き甲斐なんだからよ」

「なるほど、よく分かりました」

「?」

銀色の奴の言葉はよく分からなかった。だが、クラリオンの受け答えだけで、相手はなにやら察したらしい。多分、それだけ相手にとって分かり易い内容だったのだろう。ちょっと不愉快だったが。

やっと解放してくれた時、もう一つパンをくれた。その場で食べてしまうのは、当然のことだ。

工場ももう開いていないし、食べ物も腹に入れた。後は体力を温存するためにも、寝ておくべきだろうとクラリオンは判断。あの銀色どもが、いつ飯をくれなくなるか、知れたものではないからだ。それに、憲兵のように豹変して、子供を襲うかも知れない。大人が帰ってきたからと言って、まだ信用は出来なかった。

マンホールを開けて、下水に潜り込む。

驚いたのは、だいぶ匂いがマシになっている事だろうか。

彼奴らが来たおかげなのかも知れない。そう思うと、少しだけ嬉しいかなと、クラリオンは思った。

排水管に潜り込んで、横になる。

誰だか知らないが、大人が子供を呼んでいるのが聞こえた。しばらくは、あんな風に子供を呼ぶ大人が大勢現れるのかも知れない。既に両親共に死んだはずのクラリオンには、あまり関係がない事だった。

 

下水からはい出すと、カロンと顔を合わせた。向こうは丁度クラリオンを探していた様子だったので、寝ぼけなまこを擦りながら応答する。

「どうしたんだよ、カロン」

「ジロが連れてかれた」

「何? 銀色の奴らか?」

「違う。 両親が出てきた」

ジロの兄弟は爆撃で吹き飛ばされたと聞いているが、両親については知らなかった。いずれにしても、生きていたというのは驚きだ。ちょっと嫉妬に近い感情も覚えてしまう。クラリオンの場合は、望みがそもそも無いのだ。

「そうか。 ジロの奴、頭がどうにかなるといいな」

「それがよ、もうどうにかなり始めてるみたいだぜ。 両親の顔見るなり、パパとか、ママとか言ってやがった。 あの分だと、すぐちゃんと喋られるようになるんじゃねえの」

「それはすげえな」

そう応じたが、やっぱり嫉妬は消えない。

ただ、ジロのことは嫌いじゃなかったし、幸せになるのなら良いことだとは思う。自分には縁のない話だが。

漠然と話していても、仕方がない。食事でも貰おうと思って、公園に向かう。友達がいなくなって寂しいのか、カロンも一緒に着いてきた。

親子連れが、歩いているのが見えた。子供の方には見覚えがある。以前は常に殺気立っていた子供だったのだが、親に連れられて歩いている表情はとても穏やかだった。ただ、歩いている大人にも、体に不具合がある者は多い様子だ。多分、矯正施設とやらが、相当に過酷だったのだろう。

生きて帰ってきた奴がいないことからも、酷い場所だっただろう事は想像が出来る。だが、予想が当たっても、あまり嬉しくない。

「羨ましいな」

「そうだな。 私もそう思う」

「矯正施設って、どんな所だったんだろうな。 生きて帰ってきてる大人もいるって事は、全員が死んだ訳じゃ無さそうだけど」

「そもそも意味が分からない。 何を矯正するんだか」

公園に着く。少し朝としては遅い時間だったからか、既にだいぶ行列も捌けていた。

銀色の奴がたくさんいる。貧しいみなりの子供に、何か巻き付けたりしている様子だ。周囲には、銀色の奴の、感情の無い声が充満していた。

「全員分が用意されています。 丈に合う服をその場で用意できます」

「何だ、今日は服配ってるのか」

「そうらしいな」

しばらく素足で歩いていた事もある。服も欲しいが、体を洗ってさっぱりしたいというのもあった。

銀色の奴がまたピンポイントで声を掛けてくる。さっとカロンは逃げた。判断としては間違っていない。

「クラリオン、良く来てくれました」

「あんた、同じ奴か? 違う公園に来たのに」

「我々は全員で知覚と記憶を共有しています。 誰もが私で、私は誰もでもあります」

「意味が分からないけど、全員があんたって事なんだ」

理解が早いと、銀色は言う。声に感情が交じったようだった。

服も良いけど、体も洗いたいと言うと、翌日はそれを準備していると銀色は言った。意思の疎通が出来ると、少し嬉しい。こっちの言葉で、何だかよく分からない納得をされるのが、一番困る。

「他に要求はありませんか」

「いや、私達にあんたが何を求めてるのが知りたい。 ただで喰いもんくれたりとか、話がうますぎる。 何か企んでるんじゃないのか?」

「我々の仕事は、圧政で苦しめられた貴方たちに、解放と物資の供給をすることです」

「それがよくわかんねえ。 それで、あんた達は何かもらえるの?」

銀色の連中は、それが自分たちの誇りになるとか言う。

誇りっていうのが何かはよく分からない。だが、誤魔化されたようにも感じなかった。

もらった食い物は、昨日よりもだいぶ分量が増えていた。列に並んでいる大人の中には、子供のためにと食料を持ち帰ろうとしている者までいた。馬鹿な連中だなと最初は思ったが、しかし考えてみれば今街には食料が溢れかえり始めている。わざわざ奪わなくても、公園に行けば幾らでも手に入る状況である。よほど変わった奴じゃなければ、リスクを冒してまで他人を襲ったりはしないだろう。

すぐに食べる癖が付いてしまっている、クラリオンの方が今後は異物になるのかも知れなかった。

公園を出た時には、新しい靴を貰っていた。スカートという布きれも貰ったのだが、スースーするのでズボンに替えた。何より動きにくいし、夜は寒そうだからだ。それに、肌をあんまり多く曝さないというのは、子供達の中での暗黙のルールだ。憲兵に何か酷いことをされるという噂が、幼い子供達の間でさえ漠然と流れていた。もちろん大人になる寸前のクラリオンは、具体的に何をされるか知っている。わざわざ言おうとも思わないが。

もう憲兵はいないとはいえ、警戒するに越したことはない。

カロンも服を貰っていた。片腕が無いとはいえ、随分とこざっぱりした。

「なあ、クラリオン。 さっき銀色に、変なことを言われた」

「変な事って?」

「腕をくれるってさ。 一月くらいで出来るとか言ってた」

「それは……」

流石に信じられないことだ。

腕はほいほい生えてくるようなものではないし、他の奴のをくっつけてどうにかなるものでもない。でも、あの銀色の連中は、実際問題今まで嘘をついていない。だが、いくら何でもすぐには鵜呑みには出来ない話だ。

「もしも腕がまた出来たら、俺はどうしよう」

「そんな事、期待するな。 出来なかった時、ショックがでかいぞ」

「その通りだよな。 でも、やっぱり今でも夢見るんだよ。 もう一本、腕があった時の事さ」

カロンが遠い目をする。

カロンは良い奴だ。憲兵の事をしっかり見張って、何人も他の子供を逃がしてきた。そのせいで憲兵に目を付けられていて、工場では食事を減らされたこともあるとか聞いているのに、である。

クラリオンと違って、本当に良い奴。

だから、もしも。あり得ないことだが、カロンに新しい腕とかが出来たのなら。クラリオンも、銀色を信じてみようかなと思った。

 

2、飛躍

 

起きると、外は一面の星空だった。

もうあまり感動はない。こういう生活を初めて五年以上が経過しているからだ。いそいそとベットから起き出すと、全周型の環境モニタを停止する。感動はないが、寝る時はいつもこうするようにしていた。

あの、狭い故郷のことを、思い出さないようにするためだ。

壁際にある電話を取りだして、プッシュ。すぐに立体映像に、オペレータロボットが映り込む。

「クラリオン様、おはようございます。 今日もモーニングコールは必要ありませんでしたね」

「お世辞はいいから。 それよりも、朝食は準備できている?」

「出来ております。 皆様と一緒にお食べになられますか?」

「いや、今日は一人で食べるわ。 此処に運んできてくれる?」

「承知いたしました」

立体映像が消える。

ロボットはすぐに来た。パジャマのまま出迎える。

昔、銀色と呼んでいた、銀河連邦の標準的モノアイサポートロボットだ。他の星間国家では人間型のロボットを使用することも多いのだが、銀河連邦は今だ倫理面の問題がクリアできず、ロボットに人間の姿をさせることが出来ないでいる。

ただし、それはあくまでこういう公的機関の場合のみだ。繁華街や、特に歓楽街などでは、人型のロボットは見掛ける。特に性風俗店などでは、今はセクサロイドを使うことが一般的になってきていた。

といっても、それらは学んだ歴史だ。自分で見たものではない。

顔を洗うと、食事にする。

今日はハムエッグを中心に、温かいポタージュスープ、サラダなど、七品目の朝食だ。適当に口に入れると、自室の備え付けの洗面を利用して顔を洗い、さっぱりする。パンツタイプの銀河連邦の制服に着替えると、自室から外に。すぐに着替えるから意味はないのだが、これは仕事に出る時の、自分なりの儀式だ。

遠くまで広がる廊下。前後が二キロほどもあるから、ベルトウェイが完備されている。無音で、通路の端でゆっくり動いているベルトウェイは、催眠を誘うように滑らかであった。

ベルトウェイに乗ると、同僚が声を掛けてきた。同じように辺境星系からこの船に乗ってきている、カーラだ。

「おはよう、クラリオン」

「おはよー、カーラ。 お、新色使ってる?」

「分かるー? 通販で買ったの!」

きゃいきゃいとカーラが喜ぶ。

カーラは内戦がずっと続いた星からスカウトされてきたという点で、クラリオンに似ている。船に来た頃は本当に暗い娘だったのだが、二年もしないうちにすっかり本性が出て、脳天気で明るいようになった。ただし若干仕事が雑なので、サポートロボットが多めに付けられている。

カーラは化粧が得意で、今日も口紅に新しい色を使っている。給金は殆ど化粧品につぎ込んでいるのではないかとクラリオンは勘ぐっているが、まあ確かにそんな雰囲気である。クラリオンはあまり化粧っ気がないので、それとは対照的だが。

「今日は軍事班に仕事はあるの?」

「うん。 訓練は昨日で一段落したから、進路にある小惑星の調査かな」

「多分鉱物資源の調査だけで終わると思うけど、気をつけてね」

「分かった。 じゃ、またね。 夕ご飯は一緒に食べよ」

笑顔でカーラと別れる。

クラリオンは、十八歳になっていた。

故郷であるフォーランド第三星系から、この銀河連邦の深宇宙探査船ヘイムダルに乗り込んで。既に随分経った。

元々の厳しい環境での生活からか、配属されたのは戦闘も行う軍事班。十万を超える人員を搭載しているこの巨艦の周辺に展開して、主に進路の惑星にある調査を行ったり、場合によっては脅威を排除するのが仕事だ。

昔は年齢もあって、流石に前線にも出るアクアグリフォンには乗せてもらえず、遠隔操作のシースパイダーを操作するだけだった。二年前から実績を評価されて、アクアグリフォンに乗せてもらうことも可能となった。

今、とてもやりがいがある。

かっての閉塞感と裏腹に、クラリオンはとても満たされていた。

通路が終わると、通路外側が宇宙の画像を映し出していた。真っ暗なので、必然的に鏡になる。

かって少年と大差ない格好をしていたクラリオンは、栄養状態が良くなったから、必然的に手足がしっかり伸びた。髪の毛も、一切手入れをしていなかった頃と違い、腰まで綺麗に伸ばしている。若干黒みが掛かった赤の髪は、歩くと風を孕んで綺麗に広がる。

自覚はないが、顔立ちも一応それなりに整っているらしい。声を掛けてくる男も結構多い。ただし、交際が長続きしたことは無かった。

肌も随分綺麗になった。浮浪児だった頃とは雲泥の差だ。食べるものと環境が違うと、こうも体には影響が出る。

故郷も、すっかり状況は良くなったと聞いている。銀河連邦は古いだけあって決して良いだけの国ではないのだが、あのどうしようもない内戦に対する介入だけは正しかったのだと、今もクラリオンは思う。カロンとは今も手紙で連絡を取り合っているが、向こうは無病息災の様子だ。この船に乗り込む切っ掛けになったカロンの生体義手も、すこぶる調子は良いらしい。

すれ違う知人や同僚と、挨拶しながら愛機の下へ。

軍事格納庫は、地下の二階だ。オペレーションルームも併設されている。大型のエレベーターを使って移動。他にも何名か女性士官はいる。仲が良い相手が多いが、中には連邦の本星出身であることを鼻に掛けるような嫌な奴も何人かいた。

基本的に、朝のミーティングは此処で行う。この船は小型の星間国家が相手なら、単独で戦える実力があるが、今はしばらくその予定もない。だから、軍事班と言っても、生活時間は普通と同じだ。

クラリオンが所属している第十七宙航旅団の団長である、カーレット大佐が来た時には、全員が整列を済ませていた。クラリオンも、すでに臨戦態勢に頭を切り換えている。

カーレットは物静かな男性だが、無言で黙々と仕事をこなす。一方本星から来ている副官は地球時間半年ほどの経歴が浅い男で、見事なまでに空回りする滑稽な輩だった。特に本星出身の連中を集めては派閥を作ろうとしたり、クラリオンらをスケープゴートにして排斥しようとしたりと、面倒この上ない。

もっとも、元々の魂胆がゲスそのものなので、本星出身者の中にも、奴を好まない者がいるようだ。

整列している士官の中で、この第十七宙航旅団では、二十機のアクアグリフォンが配備されている。その内二機は訓練機であり、三機は予備機なので、基本的に十五機を使い廻していくこととなる。

専用機というものは存在しないので、現在十人いる士官が、状況に応じて機体を換えていく方式だ。クラリオンも、パイロットの一人である。

一機のアクアグリフォンには、真空で行動可能な戦闘ロボットが二十五機付き、万が一の事態に備える。更に五機の無人支援機シースパイダーが着くことになる。シースパイダーは戦闘能力こそ高いのだが、遠隔操作の弱みもあって、どうしても現場ではアクアグリフォンが必要となるのだった。

「今日の任務には、七機のアクアグリフォンを出すこととなる。 一号機にはクレイ、二号機には……」

クラリオンは七号機である。最後尾なのは、最年少であり、経験も浅いからだ。

今回調査するのは、ヘイムダルの行方にある小惑星の一つであり、このまま放置すると二光秒程の距離をすれ違うことになる。現時点では危険もないが、念のために調査を行い、先に進路を逸らしておく。

現在、まだ人類が未到達の星系α=ドラウプニルの外縁部にヘイムダルはいる。今のところ目的地に生命体やましてや文明は確認されていないが、既に何種類か発見されている星間文明が既に来ていないとも限らない。中には交戦状態に近い所まで行った文明もあり、無用のトラブルを避けるためにも、慎重な行動が重要だった。

「此処は慎重な行動を心がけるように。 特にバックアップ班は、万全の警備を行うこと」

「イエッサー」

「それでは、各自行動開始」

さっと散る。まだ若い士官や、ベテランでもシースパイダーの操作端末に取りかかる者もいる。

熟練したシースパイダーは、時にアクアグリフォンの僚機よりも頼りになることもある。今日の面子を見て、クラリオンは安心した。ベテランが二人混じっている。しかもシースパイダーは、パイロットの生存性を考慮しなくていいので、大胆な機動を取れる分、強いことも多いのだ。

格納庫の隅の七号機の前まで歩く。既に待機していた整備班から話を聞く。サングラスを掛けた初老の男性で、副官と激しく対立している一人であった。公然と対立している彼は、副官がいつも辞めさせようとしているが、カーレットが阻止している。

カーレットにしてみれば、彼以上の人材がいないのだから、当然だろう。他の旅団からも、引き抜きの話が来ているくらいなのである。ベテランとしての手腕は、誰にも負けていない。実際、誰も見抜けなかった不具合を、一目で特定する場面にも何度か遭遇していた。

「今日の機体状況はどうですか?」

「問題ない。 この間、彼奴が壊した所も直した」

一瞥したのは、カーレットに何か話し掛けている副官だ。此奴が前線に視察に出るとかほざいた結果だった。しかもそのせいで、一人降格されている。

だが基本的に副官にとって、全ての責任は現場の人間の行動の結果、らしい。唾棄すべき下郎であった。

アクアグリフォンは円筒形をした航宙機械であり、大きさは前後三十六メートル、上下に八メートルという所だ。主力武装はレーザーで、小型の有線ミサイルを二十発、他にレールガンを四門積んでいる。

機体の右側には、第十七宙航旅団のマークである、流星がペイントされていた。

名前通り若干青黒いのは、適度に宇宙空間にとけ込むためである。味方同士の激突を避けるために、ある程度姿は見せる。しかしステルス性も考えなければならず、それを考慮するとこれがベストなのだった。

機体には、真下から乗り込む。整備時はタラップを開けたままにしており、パイロットが乗り込んでから密閉する仕組みだ。梯子を上がって、蓋を閉じる。内部空間は比較的広めで、二週間程度の生存能力も有している。

シートに座ると、座席の手すりにあるボタンを操作して、全周モニタを起動する。透過型モニタは、周囲全ての映像を映し出す。もちろん人間の視界には限界があるから、前方にある程度集中して周囲の画像を表示する機能もついている。

更に、OSを起動。

4秒ほどで起動したOSが、ヘルメットを被ったクラリオンに、移動可能であることを告げてくる。

「クラリオン、配置に就きました」

「カタパルトへ移動せよ」

不機嫌そうな副官の声に従って、カタパルトへ。既に他の六機も動き始めていた。

アクアグリフォンの地上移動手段はキャタピラである。これは故障が少なく、悪地形にも対応しやすいからだ。

他にも、機体下部には複足が備え付けられているが、これは機動速度が遅く、非常時用の移動手段でしかない。

キャタピラと言っても、地球時代のものとは違い、移動も静かでスムーズだ。カタパルトに移動した機体から順番に、宇宙空間に射出されていく。クラリオンの番が来た。

全長四百メートルほどあるカタパルトから、射出。

射出時のGも、それほど酷くはない。しばしの浮遊感が収まると、既にOSが宇宙空間で移動用のエンジンとバーニヤを展開し、姿勢制御に入っていた。

「クラリオン、射出成功」

ヘイムダルの側面から切り離された戦闘ロボットが集まってくる。これは多くが人型で、背中に大きなバックパックを背負っていた。ただし人間とは違うことを示すために、モノアイが導入されている。

そして同じように、ヘイムダルの側面から切り離されたシースパイダーが集まってくる。

シースパイダーは六本の足を備えた長方形の機体であり、全体が兵器である。二本の長いレールガンが主力兵装であり、これを用いて戦闘を行う。内部にはかなりの量の燃料が入っているため、時には自爆行動を取るベテランもいる。それで、沈められた戦艦もあるという事だ。

エピソードからも分かるように、この兵器は実戦経験がある。人類国家の中でも銀河連邦と争う勢力を持つ一つであるフォルトレート民主立国との小競り合いで、実力を発揮したのだ。

連邦はその当時、退廃からの脱却をようやく成し遂げた時代であり、どうにかの立て直しが巧く行った所だった。それに対して立国は優秀な人材を多く抱えた上り坂の国であり、戦いは非常な苦戦を強いられた。

何度かの会戦の末に決着は付いたが、連邦は何個かの星系を失うこととなった。それ以降、連邦は大幅な人材の育成と軍事強化を行い、領地の拡大にも着手した。ヘイムダルはその過程で作られた宙航探査艦である。一隻で小規模な艦隊と戦える戦闘能力を持ち、太陽級と呼ばれる大型戦艦でも迂闊には近づけない火力を誇る。

一方、百機ほど搭載されている艦載機アクアグリフォンは比較的新しい機体であり、実戦経験は少ない。人類国家の軍勢とは、少なくとも戦ったことがない。噂では、辺境の小国家などで小競り合いに巻き込まれたことはあるそうだが、それくらいである。

「目的地まで、オート航行いたしますか」

「いや、私が操縦する」

「分かりました」

宇宙を駆ける、青い機体。先鋒を行く一番機の、バーニヤから噴き出している炎が美しい。

音楽を掛ける。環境機能として、幾つか用意されているのだ。

地球時代、といってもよく分からないが、人類が地球だけにいた頃があったという。その頃の曲には、色々な種類があった。数百種類くらい聞いたが、途中から作曲家を一人に絞った。

ベートーヴェン。

この人の天才的な曲は、聞いていてとても和むのである。理由はよく分からない。だが、これをいつも流すようにしていた。

七機のグリフォンの最後尾で、飛翔するクラリオン。しばらく眼を細めて音楽を堪能していたが、やがて警告音が鳴る。音楽を切り、設置シークエンスに従った。

目標の小惑星は、太陽系にある冥王星ほどの大きさだ。星系の陽光が届かないため、平均気温はマイナス二百度以下である。

「戦闘ロボット降下。 アクアグリフォン部隊、衛星軌道上に展開せよ。 シースパイダー部隊は戦闘ロボットと共同して、情報の収集に当たれ」

カーレットが指示を出し、部隊が展開を始める。クラリオンは他の機体の動きを見ながら、衛星軌道上を移動。陽光が当たらない裏側に潜り込むと、幾つかの小型衛星を発射し、光を地表に投下した。それに合わせて、戦闘ロボット部隊がブースターを噴かし、地上へ降下していく。

シースパイダー部隊が、戦闘ロボット部隊の情報を収集。分析して、後方に展開開始した。もしも得体が知れない存在がいたら、この時点で大体は分かる。そのための、捨て駒なのだ。

戦闘ロボットは使い捨てだ。

昔は銀色とか言っていたが、今は気の毒に思っている。船の中で通常任務を行っているロボットと構造もあまり変わらない彼らは、人間の替わりにその身を散らす。自我も与えられておらず、全体で同じ知識を共有しているという。

銀河連邦は、ロボットに関する倫理的な問題を、ついにクリアできなかった。

他の星間国家では、人間そのもののロボットも多くいる。そちらは、既に問題をクリアしたのだ。

この点だけでも、銀河連邦は遅れている。古い体制が、それに拍車を掛けているのは明白だ。

地表の情報が、次々入ってくる。

地表の温度は、マイナス200℃から210℃。大気は非常に希薄であり、二酸化炭素が中心。もちろん、宇宙服がなければ活動できる環境ではない。しかしながら、宇宙空間の平均から比べれば、まだまだ穏やかな気候であると言える。

「生物の影は」

「分析中。 この地域には見あたりません。 難破船などの痕跡も」

「そう」

とりあえず、鉱物資源の調査だけになれば良いのだが。

銀河連邦は五十年ほど前、戦争に派手に負けた。その結果、色々と混乱が起きた。人類最大の国家の混乱は、七国家時代と呼ばれた時代を終わらせ、無数の小国家を辺境に誕生させた。

その一つがクラリオンの暮らしていた惑星だ。

その時代に、彼方此方の星系を目指して、船が出た。そう言った船の残骸が、時々宇宙空間や、辺境惑星で見つかる。いずれも自己責任での行動だから、誰も恨むことは出来ない。

ただ、難破船に救命カプセルが積まれている事がある。そう言う場合、延命装置は百年二百年と乗った人間を冬眠させる。これがかなり面倒で、救出がかなり難しい。かろうじて生きているような延命装置を無事なまま運び出さないといけないからだ。

とりあえず、難破船の類はない。

まずはシースパイダーが地表に。此方は人間が遠隔操作するので、戦闘ロボットよりある程度柔軟な対応が可能である。

シースパイダーから、次々に情報が入ってくる。その中の一つ。ベテランの乗っている機体が、興味深い情報を流してきた。

「何か谷間に影がある。 生体反応は無いが、何かいるかも知れない」

「三機で調査に。 私も降ります」

「まずは我らに任せよ。 まだ危険がある可能性も低くない」

「分かりました。 簡易シールドの展開も怠らずにやっておきます。 調査が終わったらすぐに行きます」

何か、いやな予感がする。

そして、数分後。それは現実のものとなった。

地上に降りたシースパイダー三機が、突如通信途絶したのである。

すぐには何が起こったか、判断できなかった。通信の回復を試みるが出来ない。

「戦闘ロボット、何機か向かって。 シースパイダー、交戦の可能性あり。 戦闘に備えて」

「了解。 何が起こったか、分析は」

「今、分析中です。 そちらは」

呼びかけたのはオペレータールームだが、返答がない。電波障害の類か。まさかヘイムダルが撃沈されたとは思えないが。

後方を確認すると、ヘイムダルが襲われている様子はない。衛星軌道上にも、戦闘の光は視認できなかった。シースパイダーも、爆発したようには思えない。あれの燃料は、結構な威力で爆発するのだが。

「OS、状況は。 電波障害?」

「ご指摘の通り、恐らくはジャミングです。 ただし、経路と方法がよく分かりません」

「そういえば、シースパイダーとも連絡は取れている機体がある。 解析を急いで」

地表部分で爆発。どうやら戦闘ロボットが何かに攻撃を受けているらしい。当然その場で最適の戦術で反撃するはずだが、一瞬でシースパイダー三機を倒したとなると、それも何処まで通用するか。

光通信に切り替える。後方から、光通信が来た。

「解読します。 電波障害。 此方の全機と連絡が取れず。 一度撤退せよ」

「私が殿軍になります。 他の機体はすぐに撤退を。 シースパイダー全機、すぐに離脱してください。 戦闘ロボットは私の周囲に集まって。 時間を稼ぎます」

一番機も殿軍を申し出てくるが、断る。次々と離脱していくシースパイダー。実際に地表に降りているから、充分なデータを持ち帰られる筈だ。ベテランの何機かが、周囲に集まってくる。

「データは光通信で後送する。 支援するぞ」

「分かりました」

「副官の野郎、なんかほざいてやがるが気にするな。 その代わりクラリオン、後で一杯つきあえよっ!」

OSが通訳してくる光通信の内容は微笑ましい。ただ、シースパイダーの中にも、通信が巧く通らず、その場で動きが止まってしまう機体も少なくない。操作状態が悪い機体は、ただ逃げるしかない。ベテランの中には、冷静に僚機を改修していく機体もあるが、次々に離脱していく戦力は精々良くて半分という所か。地上に降りた戦闘ロボットは全部駄目だろう。

爆発が、地上で起こった。

映像を解析していたOSが告げてくる。

「地上に降りた戦闘ロボットは全滅です。 攻撃は恐らく荷電粒子かと」

「シールドを張りながら後退。 シースパイダー各機も、連携してシールドを増幅してください」

「おしっ! 任せろ!」

多重結合したシールドを展開し、逃げるのがやっとの各機を庇いながら後退を開始。

次の瞬間、直径七メートルはある巨大な火球が、シールドを直撃した。先ほど三機が消息を絶った地点に敵が潜んでいるとすると、一万キロ以上の狙撃能力を持っていると言うことになる。

立国でも、法国でも、少なくとも艦載機レベルの兵器に此処までの能力はないはずだ。エイリアンでないとすると、艦船か。

「攻撃の正体特定。 荷電粒子。 パターンから言って、法国のものと一致」

「そうなると、法国の戦艦?」

「可能性は70%以上。 主砲か、副砲。 或いは要塞砲かと思われます」

これは厄介なことになった。このジャミングの正体はよく分からないが、下手をすると国境紛争になりかねない。

そして、銀河連邦には、今立国と強固な同盟を結んで七国最強の地位にある法国と戦う力はない。下手をすると、この情報ごとクラリオンは葬り去られる可能性さえあった。

「何だか厄介なことになってやがるな」

「高度な政治的判断って奴がいるんじゃねえのか。 あのチキン野郎にそんな事できやしねえよな」

「だな。 トチ来るってカーレットの旦那より先に独自に勝手な判断しそうだぜ」

笑えない話だ。本星にコネがあるとか日頃から噴いている様子だし、何をしでかしてもおかしくはない。

他の僚機を狙っているのが分かった。斜線上に移動。

荷電粒子の球体をはじき返す。だが、無理に割り込んだから、負荷も凄まじい。シールドが食い破られ、シースパイダーが一機、火を噴きながら爆散した。もう一回防げるかどうか。

「クラリオン、もう良い。 逃げろ」

「まだ一機、逃げ切れていません。 後一撃、どうにか防いでから」

「馬鹿、死ぬぞ!」

「シールドを全開に! 三番機が、逃げ切れていません!」

アクアグリフォン三番機はジャミングの影響をもろに受けた様子で、かなりふらつきながら飛んでいる。OSが割り出した敵の射程からまだ逃れられていない。今全力で逃げればクラリオンは敵の射程から脱出できるかも知れないが、三番機は確実に背中から撃たれて爆散だろう。パイロットが助かるわけがない。

OSが警告してくる。敵がもう一発撃ってくる様子だと。

「地上の戦闘ロボット部隊の残骸、分析完了。 敵の射撃速度から考えて、三番機が離脱するまでもう一回攻撃があります」

「三番機の後ろを守って」

「分かりました」

斜線上に移動する。シースパイダーの操作手が、下品な言葉で悪態をつくのが聞こえた。

敵の正体が何か、考えている暇はない。

今はベストな判断をして、味方を逃がすことに全力で注力しなければならないのだ。

かって、クラリオンは浮浪児だった。

プログラム上の命令であったからとはいえ、銀色と当時呼んでいたロボット達は、自分が壊れることよりも、クラリオンを救うことを優先してくれた。

正確にはクラリオン達だが、それでも同じ事だ。テロで爆破された機体もいたし、政府軍の抵抗で破壊された者もいた。かたくなだった浮浪児のクラリオンに、それでもロボット達はしっかり尽くして救ってくれたのだ。

それはプログラム上の命令であったが、クラリオンが救われたことに違いはない。

今度は、クラリオンが誰かを救う番だった。

「砲撃、来ます!」

「三番機は!?」

「もう少しで離脱完了します。 次の砲撃が来た後の空白時間を利用して、脱出できるはずです!」

「攻撃の衝撃を利用して、私達も脱出! シールドを全開に……」

「待ってください。 これは、敵エネルギー反応増大! 此方を狙ってきています! 先ほどまでの倍以上の威力で、攻撃してくる模様です!」

まずい。これは死んだか。

だが、僚機を死なせるよりはマシだ。三番機のパイロットは確か結婚したばかりで、まだ未来のある人物である。

未来があるという点ではクラリオンも同じだが、誰かを救えるなら。

閃光が、小惑星の上で走った気がした。

衝撃が、一瞬置いて全身に走る。全周モニタが粉々になり、機体の彼方此方から空気が吸い出されているのが分かった。OSがダウンし、再起動してくる。凄まじいGが四方八方から掛かっている。回転しているのだろう。

「制御不能」

「逃げることだけを優先!」

「分かりました。 まだ生きているバーニヤを使い、敵の斜線から逃れることだけを考慮して機動を試みます」

パイロットスーツは宇宙服も兼ねているが、流石にもう一撃貰ったら助からないだろう。しかもあの射撃の速さである。斜線から逃れられる可能性は、極めて低いと言わざるを得ない。

相手を恨むことはない。多分、自動機械だろう。こんな所にわざわざ潜んで、不意打ちを仕掛けてくるような暇な人間がいるとは思えない。宇宙海賊というのもいるにはいるらしいのだが、こんな武装を持っている訳がない。

機体の彼方此方で、噴射音がする。応急処置として、まず亀裂を塞いでいるのだ。艦主砲の直撃を受けたのである。もちろん機体が消し飛んでいないことから最新鋭型の主砲ではないとは思われるが、それでもこの機体はもう駄目だ。

今までのことを思い出す。既に、自分に出来ることはなくなっていた。

この船に来てから、色々苦労した。催眠学習で知識を叩き込み、会話や礼儀作法を身につけた。学習効率が高いとか言うことで、クラリオンは出世が早く、シースパイダー使いとして周囲に信頼された。

パイロットになった時、嬉しかった。やっと自分が評価されたと思ったからだ。かっては自分のためだけに生きてきたクラリオンだったが、その時気付く。社会に馴染み、その評価を喜べるようになっていたのだと。恨みも買った。先輩の何人かを追い越して抜擢されたからだ。

だが、出来るだけ皆と仲良くと振る舞うことで、出来るだけ恨みは緩和してきた。実際、クラリオンの献身的な行動で、今も僚機が救われたのだ。

「ね、貴方に乗るのは何回目だっけ」

「四回目です、クラリオン少尉」

「ありがとう。 よく働いてくれたね」

「まだ諦めないでください。 バーニヤにより、待避行動継続中。 Gが少し多めに掛かります。 歯を食いしばって」

となると、まだこの機体はぐるぐると回っているのか。

モニタの一つが回復した。

忌々しい小惑星は、其処に佇立し続けている。小さな小さな冷えた星と言っても、このアクアグリフォンに比べれば途轍もない巨体だ。

目を閉じる。

「モニタのエネルギーを、計算とバーニヤに廻して」

「しかし、そうなると貴方の精神的閉塞感が、ストレスを増大させます。 場合によっては、精神の疾患へとつながりかねません」

「構わない。 貴方も受け答えしなくて良いからね。 それと、亀裂を塞ぐのも全て後回しにして、脱出に全力を。 照明も消していい」

「分かりました」

ふっと、周囲が完全な闇になる。

そして、後は、空気が宇宙空間に吸い出される音だけが残った。全て吸い出されれば命はもう長くは保たない。

大きく揺れた。

或いは、攻撃が掠ったのかも知れない。外で生きているカメラを使って、OSが回避行動を成功させたのだろうか。分からない。いずれにしても、死ぬならもうそう長くはないだろう。

真っ暗な中で、ベートーヴェンの旋律を思い出す。

目を閉じたのは、少しでも閉塞感を緩和するため。五感を遮断されて、ベットに縛り付けられると、大の男でも一時間保たずに発狂するという。だから、最初から自分を闇の中に置くことで、少しでも負担を減らすのだ。

何、幼児の頃から、闇には慣れている。

むしろ、闇こそ自分の味方だった。

ただし、どうしても死の恐怖だけは遮断できない。時々叫び出したくなるのを、こらえなければならなかった。

 

救出されたと気付いた時。周囲がよく見えなかった。

人影が行き来している。ベットに乗せられているらしい。どうやら、生き残ることが出来たらしかった。

ぎゃあぎゃあ叫いているのは副官か。

「だまりたまえ」

「し、しかし大佐!」

「彼女が最後まで体を張って残ったから、死者は一人も出ずに済んだ。 それをさっきから君は批判するばかりだな。 前々から見ていたが、君は減点法でしか他人を評価できない様子で、著しく思考に柔軟性を欠く。 君の今回の件における醜態は、私の方から報告書を出しておく」

呻いた副官の声が遠ざかっていく。

辺りがよく見えない。或いは今のは、願望による幻覚と幻聴か。自分に話し掛けている声が、聞こえた。

「クラリオン少尉、聞こえますか」

「何とか」

「そうですか。 今、医務室に向かっています。 気を確かに保ってください」

バイタル正常とか、色々な音が聞こえてくる。ぼんやりと他人事として聞いていたが、ほどなく不意に沸き上がって来る感情があった。

「ロボットはいる?」

「我々は全員そうです。 医療チームは医療室で治療のため待機していますから」

見上げた先のモノアイの光を見て、クラリオンは涙が流れるのを止められなかった。

「ごめん。 君たちの仲間、一人も救えなかった」

後悔が、心を焼き尽くしていくのを感じた。

 

3、影を背負って

 

視線の先にあるのは、今だ人類未到の宙域を写し込んだ立体映像。銀河連邦の辺境の更に外であり、もはや人の版図上にはない星系だ。一応天文学的な観測は為されていて、居住の可能性があることは分かっているが。逆に言えば、それ以上のことは何一つ分かっていない。

恒星は安定した壮年期で、年齢は二十億年ほど。太陽よりも若干小振りの恒星。

周囲に十一ある惑星群の中で、地球型は三つ。その内一つは大気が存在しない。もう二つは灼熱地獄。

どちらも、人間が住むには、大規模なテラフォーミングが必要不可欠だった。可能性が一番高いのは、内側から二番目の地球型。もっとも、現在のテクノロジーを保ってすれば、どの地球型もテラフォーミングできる。時間さえ、掛ければ。

クラリオンはデータを確認すると、パイロット達を見回す。

此処は、格納庫だ。オペレーションルームも併設されている。

既に出撃体勢に入っているパイロット達の長所と短所、経歴を、クラリオンは完璧に頭に入れている。以前いた上司が、減点法でしか相手を見なかったことで学習したクラリオンは、適度に褒め適度に叱る方式で、部下達の信頼を得ていた。

もっとも、鬼中佐と部下達の間では思われているようだが。

「先見偵察隊の報告では、特に問題は確認されていません。 ただし、突発的な事故が起こったり、未知の存在と遭遇する可能性は低くありません。 それぞれが心して、対応するように」

「イエッサー!」

今回は自分も出ると告げると、部下達は一気に顔に緊張を漲らせた。

この太陽級戦艦アグニの宙航部隊の総司令官になるクラリオンは、良く前線に出ることで部下達に知られている。若干黒みが掛かった赤い髪から、血の滝などと呼ばれているようだが、あまり興味はない。

実戦経験も積んだ。

二度の紛争で、それぞれ三十機以上の敵機を撃墜した。それが、益々部下達を萎縮させていることを、クラリオンは知っている。だが、それも利用して、統率する素材にしていた。

「私は二番手で出る。 一番手はアッシャー少尉、貴方が務めなさい。 三番手はキリンス中尉、四番手は……」

適所に部下を配置すると、クラリオンは愛機へと歩く。

銀河連邦の最新鋭艦載機、ディープサーペント。真っ黒の非常に長細い機体であり、玄人向けとされる艦載機だ。完全な戦闘機であり、既に一世代前のアクアグリフォンと違って、探査機能は高くない。

ただし、電子戦機としても機能する。今回は護衛兼指揮官機として、既に前線で戦うには厳しくなってきているアクアグリフォンを護衛する目的もあるのだ。

もちろん、それは戦闘が発生しなければ意味がない。

意味がないと一番良いという点では、燃料の無駄とも言えた。しかし十二年前に、クラリオンが遭遇した事件の結果、連邦は偵察に必ず戦闘能力の高い機体を入れるようにしている。

乗り込む。

ディープサーペントは、機体の右にハッチがあり、其処から入る。脚立が乗り込むのには必要であり、入る時はハイハイをするようにして狭い空間を進まなければならない。

戦闘に主眼を置いている機体であるため、内部はアクアグリフォンに比べて非常に狭い。脱出装置はあるが、後はサポートOSによって無理矢理不快指数を下げる設計だ。環境音楽もある。

狭い空間の中、身をねじって着席。シートベルトは自動で締まった。

この凄まじい閉塞感が、パイロットに掛ける負担は小さくない。実際他のエースパイロットの中にも、これだけは乗りたくないとぼやく者も少なくないのだ。医師に、出来れば止めた方が良いと、再三にわたって止められもした。

だがクラリオンは今も愛機としてディープサーペントを使用している。

周天モニタが付き、OSが3秒で起動。

「おはようございます、クラリオン中佐」

「おはよう。 状況の分析を開始」

「分かりました」

起動したOSは、十七秒ほどでオペレーションセンターからデータを受け取り、分析を終了する。

まず一番機が出撃。カタパルトから宇宙空間に射出された一番機に続いて、クラリオンのディープサーペントが続く。楕円形をしているアクアグリフォンと比べると、如何にも鋭角なディープサーペントは、戦闘を主目的にしているのだと一目で分かる。搭載兵器も多く、そして強力だ。

船体から次々と剥落するようにして射出されるシードラゴン。小型の遠隔操作戦闘機であり、かってのシースパイダーの後継機に当たる。ディープサーペントはこれらを操作支援する機能も持っている。

いずれもが、以前の失敗に懲りた軍が、搭載した機能ばかりである。

そして戦闘ロボットが次々と周囲に展開。

ただし、充分な自衛能力があるディープサーペントの周囲には来ない。これに関しては、クラリオンの要望も含まれていた。

指揮官機だからと言って、特別扱いはしない。それは、日頃からクラリオン自身が周囲に宣言していることだ。そして自身でそれを実施してみせることにより、まわりを納得させてきた。

「全機、編隊を維持。 そのまま目的の第四惑星に向かう」

クラリオンは、三十歳になっていた。

 

医療用ナノマシンを入れることが普通になっている現在、老化速度は地球時代の七割から六割という所である。だから三十台の大台に乗ったとはいえ、クラリオンの肉体はまだまだ充分に瑞々しい。

もっとも、それは未だに子供を産んでいないという事も、原因の一つとしてあるだろう。

自然分娩が少なくなっている今でも、自分で子供を産む女性は少なくない。クラリオンも、相手が見つかればそうしたいとも思っている。

だが、前線で働くのが楽しいのもまた事実。

体制が古い銀河連邦で、三十歳で中佐というのはかなり出世が早い。典型的な行き遅れだと馬鹿にする声があることも知っている。だが、そんな事と関係なく、クラリオンは任務をしっかりこなすことを楽しんでもいた。

子供を作るとしたら、前線から何らかの理由で後退しなければならなくなった時だろう。だが、いずれにしても。今はまだその時ではない。

ただ、若くして、しかも辺境惑星の浮浪児であったにもかかわらずエリートコースに乗っているクラリオンの遺伝子は、政府のデータバンクに登録されている。或いは見たことも会ったこともないだけで、クラリオンの子供は何処かで育てられているかも知れなかった。

ディープサーペントが、宇宙を駆ける。最初に充分加速したから、後はバーニヤの調整だけで、充分に宇宙を進むことが出来る。宇宙空間だから、抵抗係数はほぼゼロだ。

ディープサーペントのOSは寡黙で、必要なことしか喋らない。これも恐らくは、閉塞感を増す要因となっているのだろう。

「ベートーヴェンを」

「了解」

音楽を掛ける。邪魔にならない程度の音量で、だが。

激しい曲調の音楽が、冷徹なまでに寡黙な宇宙空間とは不思議とマッチする。かっての技術であれば何年もかかっただろう距離を、数分で踏破する能力を持つ宙航戦闘機が合計七機。くさび形の陣形を組んで、一つの惑星に向かう。

惑星に到着。衛星軌道上に展開する僚機を見ながら、クラリオンは音楽を切らせた。

此処からは、最大限の警戒をする必要がある。

まず、戦闘ロボットを降下させる。そして調査を進めさせて、次に探査用の小型ロボットだ。それが終わってから、シードラゴンが続き、最後に有人機が降りる。以前よりも一段階作業が多いのは、事故の結果マニュアルが改訂されたからだ。

「中佐。 今のところ、問題は発生していません」

「そのまま探査を続けてください」

「了解しました」

あの時も、確かこうだったか。

クラリオンが大けがをする原因になった、十年以上前のあの事件。結局原因は、数十年前の会戦中に短距離ワープに失敗して、難破した法国の駆逐艦だった。元々無人艦であり、ワープ失敗で全ての機能が故障。そして、当時の敵国である連邦の機器の存在を感知して、暴走したのだ。

それが立国の仲介による調査で判明するまで、かなりの緊張状態が続いた。

その時、副官は主張したものだ。現場で行動していたパイロット達に責任があると。解任されてから、コネのある上層部に泣きついたらしい。当然軍法会議にもクラリオンは出席した。

ただ、その時他のパイロット達の証言で、副官の普段の悪行が露わになった。その結果、クラリオンは賞されることもなく罰されることもなく、ただしもとの部署から異動する事となった。

激動の人生だ。

暇な時に、ベートーヴェンの人生について調べても見た。

何だか、自分と似ていると思った。だからこそに、その音楽に、共感を覚えたのかも知れない。

緊急通信が入る。先に動いていた戦闘ロボット隊からだ。

「中佐、気になるものを発見しました」

「何ですか」

「映像をお送りします」

情報がモニタに映し出される。

第四惑星は、灼熱の星だ。地球星系にある金星と同じく、膨大な二酸化炭素が原因で凄まじい温室効果を発し、地表付近の温度は二百℃を超えている。圧力も五十気圧に達しており、空には硝酸の雲が懸かっている状態だ。

こんな星だから、地表には酸の川があり、しかも煮たって流れている。地面にはもちろん緑など無く、地獄絵図と呼ぶに相応しい惨状だ。

赤茶けた岩が無数に転がる中、戦闘ロボットが指し示すのは。

直径四キロほどの、何かの残骸。宇宙船に見える。直径四キロというと、かなりの大型船であろう。

「本船に連絡します。 周囲に戦力を集めて、警戒。 攻撃を受ける可能性がありますから、下手な刺激はしないように」

「イエッサー」

敬礼するロボットの返事を聞くと、すぐに本艦に。

この船の艦長をしているのは、以前同じ船に乗ったこともあるカーラである。カーラは出世コースに乗り、今では大佐となって戦艦の艦長をしている。クラリオンは艦に三人いる中佐の一人だから、部下という形だ。

カーラの映像がモニタに出る。

時々愚痴を聞かされる相手だが、今は仕事中だ。表情も互いに厳しい。

「何か問題が起こりましたか、クラリオン中佐」

「艦長、此方のデータをご覧ください。 恐らくは、輸送船か、或いは移民船かも知れません。 解析を」

「分かりました。 すぐに展開します」

後は、この小さな戦闘機の貧弱な分析装置ではなく、太陽級戦艦の大型スーパーコンピューターが、的確な結果を弾き出してくれるだろう。データベースも大きなものを積んでいるから、問題は多分起こらない。

他のパイロットから、次々情報が入ってくる。

「此方の担当地区には、特に異常はありません」

「分かりました。 調査が終わり次第、先ほど法国があったG3地区に増援を展開してください」

「イエッサー」

「中佐、此方にはなにやら残骸らしきものが見つかりました。 件の宇宙船が、大気圏に突入する時にまき散らした破片かと思われます」

回収を命じさせると、クラリオンは警戒態勢を一段上げるように指示。

「監視中の宇宙船ですが、内部に生命反応があります。 それも、かなりの数です」

「もしも人間か、或いは知的生命体の場合は、かなり対応が難しくなります。 下手な接触をせず、様子を見るように」

「クラリオン中佐」

本艦から連絡が来た。

連絡してから三時間ほどだ。かなり早いと言える。その間クラリオンは軽めに食事を済ませておいた。

カーラはかなり表情を強張らせている。どうやら面倒な状況らしい。

「銀河連邦だけでなく、各星間国家の事故記録などを調べた所、どうも開拓時代の移民船が、この辺りで難破したらしいの。 もう二百三十年も前の話よ」

「内部には生命反応がある様子ですが」

「もし中に人間が生き残って独自の集落を作っていた場合、この星系の権利関係がかなり面倒なことになりますね。 とりあえず、彼らを刺激しないように、接触を試みてください」

上層部が発狂しないことを祈るしかない。

銀河連邦は混乱時代を、首脳部の血を入れ替えることでようやく脱した。分裂の危機さえ一時はあったのだが、それもどうにか乗り越えたのである。

そして、他の国家同様、外部進出に向けて動き出すのは十年遅れた。

だから必死に移民や資源開発を進めているというのに、その矢先にこれだ。逆に言うと、彼らを早めに衆目に知らしめないと、連邦政府によって抹殺される可能性さえある。利権のために、それくらいのことをしかねない人間もいるのだ。

「それでは、交渉用のロボットを何機か廻してください。 それまでは、待機させます」

「分かりました。 直ちに手配します」

カーラは部下としてではなく、同僚としてクラリオンに接してくる。

これは、例のもめ事がなければ、クラリオンは自分より出世していただろうと考えているからだそうだ。

クラリオンもその友情に感謝して、カーラのことを大事に思っていた。

「中佐、此方は調査終了しました。 地下にも特に異常はありません」

「G3地区に増援を廻すように」

程なく、降下の準備が整った。

交渉用のロボットが来る。それを確認してから、クラリオンは愛機を灼熱の惑星の大気圏内に降下させた。

硝酸の雲を突き抜けて、地表に。外に出ることを思うと憂鬱になる。昔と違って宇宙服は動きやすい素材で出来ているが、それでも閉塞感が結構厳しい。ましてや既に調査開始から五時間近く経過している状況である。戦闘機に乗っている場合は、OSから閉塞感緩和のバックアップもあるのだが、外に出るとそうもいかないのだ。

軽く様子見したら、戻ってシャワーを浴びるという訳にもいかない。

部下達にはまだまだきつい残業を任せることになるだろう。もちろん自分が率先して残業することで、彼らの負担を少しでも減らさなければならない。

上司の仕事は、部下を評価することではない。

統率することだからだ。そして統率するだけではなく、彼らの負担を如何に軽減するかも考えなければならない。

それがしっかり出来ていなければ、給料を貰う資格はない。

そう、クラリオンは考えていた。

目標の地点近くに降下。着陸。

少し離れた所に、何機か待機。同行したいと言い出した部下がいたが、此処は一人で行くべきだと思ったので、待機させた。

あまり大人数を連れて行く事も出来ないので、戦闘ロボット二機と、交渉用ロボット一機だけを伴う。

「内側からの反応は?」

「全くありません。 此方に気付いていない可能性も高そうです」

この大きさの船となると、内部に生存のためのプラントくらいはあると見て良いだろう。そうなると、世代が経過する内に、此処が宇宙船の中である、という事さえ忘れてしまうかも知れない。

銃のエネルギーパックを確認。容量は十分にある。

宇宙服のシールド容量を確認。特に問題はない。地球時代で言う戦車砲くらいなら、充分に跳ね返すことが可能だ。更に生存を考えなくて良い戦闘ロボット二機が護衛してくれるのである。鉄壁の守りと言って良かった。

少なくとも、クラリオン一人だけなら、問題はなかった。

プライベートの通信回路に、カーラが連絡を入れてくる。

「ちょっとクラリオン、大丈夫?」

「大丈夫よ。 モノアイの戦闘ロボットだと、中にいるのが人間の場合、色々誤解を招きやすいから。 人間が行った方が良いの」

「何も貴方が行かなくても」

「誰かが行かなきゃならないでしょ。 それに、私はむしろこういう場所の出身だから」

カーラが気まずそうに黙った。

クラリオンも、こういう閉塞された場所に生まれ育ったのだ。だから、話はむしろよく分かるかも知れない。

船の周囲を見て回る。

シールドの類はない。これは放っておくと、後数十年もすると船体の劣化で、中の人間は全滅してしまうだろう。元々この星は、人間が住める環境ではないのだ。生体反応はあると言うことだが、それも何時まで保つか。

公式の回線に切り替える。

「艦長。 ざっと見て回りましたが、船体のダメージが深刻です。 環境緩和用の素材と、大型のシールドを幾つか、早急に手配してください」

「分かりました。 すぐに手配します」

話が早くて良い。カーレット大佐も頭が多少硬いだけで根はしっかりした軍人だったが、しかし若干接しづらかった。

そう思うと、クラリオンももっと部下に親しまれる必要があるのだろう。

戦闘ロボットが、エアロックを見つけた。もっとも、機能はしていないだろう。周囲をシールドで封鎖すると、空気を発生させて大気を調整。気圧も確保するまで十五秒ほど。

「エアロック解除準備、完了しました」

「開きそう?」

「百年以上前のシステムですので、何とも。 努力します」

戦闘ロボットが、無線を使い、停泊中のディープサーペントからソフトをインストールしては次々に試している。エアロック側のハッチにはどうにか回線をつなげたようだが、内部はかなり損傷が酷い様子だ。

或いは、中の人間は、これがエアロックだと言うことも、理解していないのかも知れない。

「大丈夫? 無理そうだったら、爆破に切り替えるけれど」

「ご心配なく、大佐」

「貴方は我々を常に大事にしてくださいますので、多少無理をしても要望を叶えたく思っています。 しばしお待ちください」

違う個体だと言うことは分かっている。

だが、クラリオンにとって、ロボットは恩人なのだ。

大げさな音がして、ドアがずれる。どうやら、恩人がやってくれたらしい。

「エアロック解放しました。 潜入調査を開始します」

「最大限の警戒を。 くれぐれも無理をしないようにしてください」

駄目よ、カーラ。もっと冷静を装わないと。

そう呟くと、クラリオンは宇宙船の内部に、足を踏み入れた。

周囲のロボットが、分析結果を次々と口にする。

「地球の大気と差がありません。 酸素と窒素、二酸化炭素が主成分です。 ただ、アルゴンが存在しません」

「典型的な人工大気の成分ね」

「はい。 温度は18℃に保たれています。 流れる空気を分析する限り、恐らく中心部も同じ状況です」

生体反応は、もっと奥だという。

人間が生き残っているとは思うが、得体の知れないクリーチャーが繁殖しているな状況だって考えられる。この状態になって、救難信号を出していないというのも妙だからだ。もしそうなれば、この戦力では、逃げ帰るので精一杯だろう。

足音がやけに高く響く。

全体的に錆が浮いている部分が多く、壊れかけだと一目で分かる。墜落の衝撃に加えて、経年劣化もある。更にこの星の過酷な環境から言えば、当然であろう。むしろ、中に影響がないのが奇跡も同然だ。

ロボット達が反応。

生体反応が近いという。

「形状は人間か、もしくは人間大。 八割方内部の人間でしょう」

「ヘルメットはとっても大丈夫?」

「あまりお勧めはしませんが」

「いざというときは守ってね」

ヘルメットを取る。頭部の防御力は落ちるが、多少相手の警戒を削ぐことは出来るだろう。

髪が待機中にばらけた。

そして、補助用の眼帯を左に付ける。

左目は、あの事件以来、見えなくなっている。バイオテクノロジーで復活できるという話もあるのだが、戒めのためにもそのままにしている。だから、眼帯で視力を補助するのだ。

交渉用ロボットが前に出る。

長い通路の左右には部屋が点在しており、中を覗くと明らかな生活臭があった。食べ散らかした食料もある。自動ドアは生きているものと生きていないものが半々程度である。

生活の痕跡は明らかだ。

問題は、住人が何処にいるか、だが。

「一度戻り、もう少し大規模な捜索部隊を作る手もあります。 中に人間か、それに類する生物がいるのはほぼ確定的です」

「いや、銀河連邦上層部が余計なことを考える前に、早めに情報を抑えて置いた方が良いだろう。 あまり時間を掛けると、面倒が余計に増える」

「政治的判断は我々には出来ません。 中佐のご意志のままに」

場合によっては、クラリオンだけではなく、このロボット達も消されかねない。危険な行動だが、出来るだけ急ぐ必要がある。

生体反応、至近と報告。周囲を見回す。

飛び退いたのは、反射的な行動だった。

天井から落ちてきた鉄塊が、一瞬遅れていたら頭を直撃する所だった。シールドも間に合わなかっただろう。

即座に攻撃態勢に移行する戦闘ロボット達を制止する。

上はダクトが縦横無尽に伸びており、その中から此方を覗く人影があった。

 

シャワーを貸してもらう。生きている給水設備が奥の方にあったのだ。

閉塞感を洗い流すにはこれが一番だ。問題は着替えが無いことで、それはディープサーペントから交渉用ロボットに持ってきて貰った。

最初にシャワーを使った時のことを思い出す。

お湯を使うという習慣自体が無かったから、気持ちが悪かった。だが、全て洗い流した後、随分さっぱりしたものだ。

髪の毛も洗って、気分を切り替えて。

体を清潔にしたことで、心まで綺麗になったような気がした。

シャワー室から外に出る。着替えに身を包む。宇宙服は要らないだろう。ただし、護衛には控えて貰う。何があるか、まだ分からないからだ。

先にシャワーを調査して、問題がないことを確認してくれた戦闘ロボットが傅いていた。

「クラリオン中佐、晩餐の準備が出来ております」

「ありがと。 艦長もお呼びしたかったけれど」

「お呼びしましょうか」

「駄目」

今、カーラには、後方の政治的圧力に対処して貰わなければならない。大佐という階級の彼女には、それが出来る。場合によっては、避難民を連れて、立国なり法国なりに政治亡命するという手もある。

兎に角、誰もが納得する形で、彼らの存在を広報するまで安全を保つ。もちろん連邦だけではなく、他の国家に対してもだ。

それで初めて、この難破船にいる住民達の安全は確保されるのである。

着替え終えると、外に。

この船の主な住民とやらが、外には集まっていた。かっては大食堂だったらしい空間は、伸びた蔦や木の枝に覆われてはいたが、三百を超える現在の住民が入るには充分な広さを持っていた。

「言語は英語。 医療関係のみ、ドイツ語が混じっています」

「なるほど、遭難した後に混じった可能性が高いのね」

「はい。 思った以上の水準で文明を維持してくれていて、此処が宇宙船であることも理解はしていたようです」

ただし、宗教的な意味合いも含んで、のようだ。

無理もない話である。二百年以上というと、十世代程度は経過していることになる。教育が充分でないと、自分が住んでいる場所の形も理解できないという話を聞いたことがある。むしろ宇宙船に住んでいると知っている事だけで、大したものである。

ざっと見回す。

雑然とした衣服の者が目立った。生産設備は死んでいるのか或いは稼働方法を忘れたのか。新しい服を着ている者は殆どいない。

髪の毛や歯はそれなりに清潔な様子で、栄養失調の人間も見受けられなかった。

視線があったのは、ダクトの破片を落とした子供だ。

そうだ、故郷を出た時には、この子供くらいの年だったか。もうすぐ大人になることで、非常に憂鬱だった。

後で矯正施設とやらが、怖気が走る狂気の人体実験場だったと聞いて、恐怖を感じるよりも悲しくなった。連れて行かれた人間達は、発見された時には殆ど生きていなかった。中には恐怖のあまり記憶をおかしくして、矯正施設で、目の前で死んだ者を、街で探していた大人までいたらしい。

人の集団は、容易に狂うのだ。

街に戻ってこられた大人達は、強制的に兵士を排除した戦闘ロボットによって救助された。

クラリオンの星を実質的に救ったのは、連邦の人間ではない。ロボット達だった。

「他所から来たというのは、あんたかね」

「はい。 銀河連邦軍中佐、クラリオンです。 姓はありません」

「儂はネネ=ブルゴーニュ=アンネ。 この星船の民達の、統率者をしておる」

ブルドッグのように頬が垂れた気難しそうな老婆が応える。警戒心と、それ以上に厳しい戦いを生き延びてきた強靱さが目の光に現れている。

少なくともこの箱庭は。天国では無かったようだ。出迎えてくれたのは、恐らく打算が恐怖を上回ったからだろう。

民達の顔を見回す。此処からは、交渉用ロボットに任せる。

あらゆる交渉ごとのエキスパートだ。味方に有利なばかりではなく、相手にも落としどころをきちんと用意する優秀なロボットである。

「出来ればあんたと交渉したいんだがね」

「規則ですから。 ただ、貴方たちの要求については、私も証人としてしっかり聞かせていただきます」

「ふん、そうかね」

子供が、恐怖と興味をない交ぜにした視線を向けてきている。何人かいる子供は、どれもとても良く似ていた。

部屋を移ろうと言われた。

どうして此処で話さないのかと疑念を感じたが、それはすぐに氷解する。

老婆が、口の端をつり上げる。

「気付いたようだね。 私らはみんなクローンさ」

「どういう事ですか?」

「星船が落ちた時に、生存者は七名。 しかも、男性しか生き残りはいなかった。 だから、船内の医療施設を使って、クローンを作った。 死体はそこら中に転がっていたからね」

しかし、保存できた遺伝子はそう多くなかったという。

遺伝子はすぐに欠損するものなのだ。結局十人ほどしかクローンは確保できなかったのだそうだ。

「シミュレートしたら、すぐに遺伝子の交配が進みすぎて滅びるって結論が出てね。 結局儂らの先祖は、それぞれの生殖能力を無くして、クローンを順次作って救援が来るのを待とうって話になったらしい。 もっとも、そんな事言って誰も納得しやせんからね、知識を与えないことで、じわじわ船が壊れる恐怖から解放したのさ。 以降は船内のプラントを使って、今まで生き延びてきたんだが」

それも限界が近いという。

元々墜落で大きなダメージを受けた。船内にも補修ロボットはいるが、重要な部分以外は手が回らない状況で、どうにかやってきたのだという。そうこうする内に人間は増えるだけ増えて、三百人にも達した。

「あんたらが今来てくれて良かったよ。 その内、この船は内部から瓦解していただろうさ」

「……」

何処も同じなんだなと、クラリオンは思う。

愚かな人間、愚かな大人。

そして、子供はその犠牲になる。

最初、これしか方法はないと思ったのかも知れない。実際クラリオンの故郷で独裁政権が天下を取ったのも、長く続いた戦争を終わらせるためには、権力を集中するしかないと権力者達が考えたからだ。

だがそれはやがて支配と粛正の連鎖につながり、やがて外部からの力が加わらなければどうにもならない状況にまで墜ちたのだった。

「不妊はどうやってやっていますか」

「ああ、それは薬物さね。 今いる大人はもう無理だが、子供らは薬の投与さえ辞めれば、数年で性成熟するだろうよ」

「まるでモルモットみたいな言い方ね」

「そうさ。 でもそうしないと、生き残れなかったんでね」

嘆息。

まず権利関係とかが片付いたら、真っ先にあの子を外に連れ出して上げたいところだ。

今度は自分が、闇に囚われた誰かを救い出す番である。

老婆は交渉用ロボットと話を進めている。この星の権利はどうなるとか、テラフォーミングの費用はとか。多分権力者だけで知識を独占してきたのだろう。そうすることで、多数の弱者を縛ってきた。

目を背けると、クラリオンは外に出た。

そして、さっきからずっと此方を見ていた子供に、歩み寄っていった。

 

4、その先に

 

クラリオンが家に帰ると、座り込んでシャルナがコンポに向かっていた。

聞いている音楽は、やはりベートーヴェン。クラシックは幾つか用意しているのだが、彼女が好きなのはベートーヴェンばかり。

クラリオンと趣味が合う。

義理の親子だが、こう言う所はとても相性が良い。

「お帰り、ママ。 また戦争?」

「いいや、しばらく戦争はないよ」

少し前に結婚もした。同時にこの子を養子として受け取った。

あの船にいた、この子を。

結局、予想通り、揉めに揉めたのだ。だから早めに子供は避難させた。連邦は星をくれてやりたくなかったらしく、難破船に乗っていた住民達を詐欺師呼ばわりする者まで出始めた。

結局カーラが早めに立国に介入を依頼し、複数国家に展開された情報がものを言って、強硬派は黙った。ただし、難破船の民達に星が丸ごと明け渡されることはなく、土地が多少優遇されるくらいで終わった。

人間の社会は、結局何処も同じなのかも知れない。

腐臭が漂い、困難が立ちふさがっている。

だが、クラリオンは負けない。底辺を知っているからという事もある。

それ以上にやはり、世界には光があるのだと、知ったことが大きいのだろう。

ベートーヴェンについても調べた。激動の人生を送り、音楽家にもかかわらず、難聴にも悩まされた。

だが苦悩の末に、傑作を造り出し続けた。

彼の人生には勇気づけられる。

そして、その音楽にも。

苦悩に満ちた肖像画を見ていると、歯を食いしばってでも生きろと言っているようで、とても力が湧く。

チャイムが鳴る。無言で控えていたハウスメイドロボットが、玄関に出る。長い髪の少女型で、とても愛らしい顔立ちだ。少し小柄なのは、シャルナを見下ろさないように、なおかつ特殊な事情のシャルナに友達を作って上げたかったからである。

連邦のロボットではない。ようやく連邦でも、倫理面での問題がクリアされて、人型のロボットが出回るようになってきたが、やはり不備が多い。

既に他の国より三十年遅れている技術だ。だから、わざわざ奮発して、高い関税が掛かっている他の国家のを取り寄せたのだ。

若干無表情なのは、連邦政府に感情機能の幾らかを凍結させられているからである。実際はもっと朗らからしい。

「カーラ様です」

「入ってもらって」

「承知しました」

来てくれた友人と、団らんの席を囲む。

ベートーヴェンは掛けたままだ。時に軽妙に、時に勇壮に流れるこの曲こそ、クラリオンにとって人生そのもの。

そして、今は。

娘の笑顔を見ることが、何よりの楽しみだった。

 

(終)