幻想郷で釣りをする

 

序、釣りをするもの

 

釣りは古くからある文化だ。

ある名君は、優れた家臣を得るために釣りを利用したという逸話が残されている。その逸話により、釣り人は太公望とも呼ばれる。

近年では、自分が釣りを楽しむために、害のある外来魚を持ち込む論外な釣り人も存在しているが。

少なくとも幻想郷にそれはいない。

もし幻想郷にバスやギルが持ち込まれたら。

即座に全部駆除しなければならないだろう。

少し前に、天狗関係のごたごたが一段落して。

ようやく少し落ち着いた幻想郷の管理者。賢者と呼ばれる最上級妖怪の一人である八雲紫は。

たまには釣りでもしようと思って。

秘蔵のスポットに来ていた。

妖怪の山の中腹。

どの妖怪も知らない秘密の場所だ。

あまり釣れそうには見えない小川なのだけれども。

実は此処には一部深くなっている所があって。其処に広い地下空間が拡がっている。

その地下空間が丁度良い魚の隠れ場所になっていて。

大物が釣れるのだ。

なお、幻想郷には幻と言われるあの「滝太郎」もいるが。

妖怪扱いなので、流石に手は出せない。

紫は久しぶりののんびりした時間を、釣り竿片手に楽しみながら。石に腰掛けて、笑みを浮かべていた。

妖怪の山から、幻想郷全域に波及する可能性があった大紛争の種を。

博麗の巫女と共に何とか除去した。

まだ全て除去は出来てはいないが。

実際に天狗は組織の改革を紫の式神である藍の監視の下開始しており。

それに伴って、守矢も妖怪の山の完全制圧を一時停止。

幻想郷が二分され。

総力戦が開始される恐れはなくなった。

思ってもみない事に、これの引き金になったのが。

紫もあまり注目していない、霊夢の友人の霧雨魔理沙と。

それに天狗の中でもどちらかといえば孤立していた姫海棠だというのだから。

世の中は分からないものである。

文字通りのスパゲッティコードだと思っていた案件が。

思わぬ所から解決した。

勿論紫は喜ぶべきなのだが。

これは幸運であって。

自分で作り出した結果では無い。

だから喜ぶ事はあっても。

慢心することはあってはならない。

何しろ、賢者として引き当てた結果ではないのだ。

一匹目。

そこそこ大きなヤマメだ。

頷くと、クーラーボックスに放り込み、また釣り糸を垂らす。

此処には基本的に誰も来ない。

静かな場所。

誰も来ない場所。

孤独が耐えられない、という奴はいるが。

紫はむしろ孤独の方が好きだ。

これは者によって違う。

孤独を好む人間も妖怪もいる。

それを理解出来ていない者もいる。

少なくとも紫は。

たまには一人でゆっくりする時間を作りたいと思う派で。

ましてや最近は高負荷高ストレスの仕事が続いていたのだ。

釣りに何て。

来る暇も無かった。

ふと気付く。

藍からの通信だ。術によるものである。

「紫様。 お休みの所申し訳ありません」

「何か問題が?」

「はい。 出来るだけ急いで来ていただけますか」

「分かったわ」

楽しい釣りの時間は終わりか。

釣り具を片付けると。

釣果は一匹だけかと、ため息をつく。

ヘラブナでも釣れる場所があるならそれは嬉しいのだが。

良い釣り場は大体他の奴にも知られている。

幸い幻想郷では、魚を取り尽くすような阿呆はいないが。それでも大勢押しかけるような釣り場では、問題も起こりやすいし、何よりゆっくりできない。釣り好きの妖怪は珍しく無いし、その中には大物もいる。喧嘩好きの大物と、一緒にのんびり釣りなんて出来る訳もない。

手軽に戦えるスペルカードルールはとても便利なのだが。

それが故に、強豪になってくると、喧嘩を気軽に売られることもある。

事実として、そういう問題点もあり。

ただでさえ多い紫の頭痛の種の一つになっていた。

紫はさっさと空間の隙間を通り。

家に戻る。

通信が来ていたのが、家からだった、からだ。

紫が戻ると。

恐縮した体で、藍が既に待っていた。珍しく藍の式神である橙までいる。

ふむ、と鼻を鳴らす。

これは面倒事の予感だ。

「何があったのかしら」

「此方のデータをご覧ください」

「ふむ」

立体映像で展開されるデータ。

天狗の本拠を藍が精査して、今までの腐敗をすべて洗い出してきた結果、結構とんでもない事が分かってきた、というのである。

妖怪の山が色分けされているが。

天狗が領土を主張している場所の内、三割近くが鬼が出て行ってから確保した場所である。

そう。

まだ三割も残っていたのだ。

しかもその領土を得るために妖怪を追い出していたならまだしも。

勝手に封印された妖怪までいるという。

「随分舐めた真似をしてくれるわね彼奴ら……」

「長老格の天狗数名の仕業のようです。 長老格と言っても、大天狗達では無く、年老いた鴉天狗の年長者ですが」

「名前は」

「はい。 調べ上げています」

名前を見ると、確かに鬼がいた頃から評判が悪かった連中である。

一番危険な射命丸は、含まれていない。

彼奴も鴉天狗としては最古参の一人なのだが。今名前が挙がった連中に比べると、流石に若い。

「封印の場所は吐かせた?」

「いいえ、これからです。 問題が多すぎて、洗い出しをした中間報告からと思いまして」

「まだこれと同レベルの問題が?」

「ええ、幾つか」

頭が痛い話だ。

妖怪にとっては、封印措置は非常に重い罰になる。封印と言っても、地底に落として戻ってこれなくなるようにするパターンと。死なない妖怪を、身動きできないようにして死より辛い目にあわせるパターンと。二つがあるが。

後者は幻想郷での死刑に等しく。今回はその後者が行われていた。口封じも兼ねていたのだろう。

この死刑が執行されるケースは、人里の人間を多数喰らったりとか、他の妖怪をたくさん殺したりとか。いずれにしても、幻想郷のルールに逸脱する行いをした場合に、賢者複数の同意で実施される。今までに数例しか無い、レアケースだ。それだけ重い罪なのである。

一、或いは少数の天狗が勝手に執行して良い事では無い。執行するにしても、余程説得力のある理由が必要になる。それも執行後、レポートを出して貰い、精査をする事になる。今回はレポートどころか、説得力さえない。単に自分にとって邪魔だったから封印した。文字通り鬼畜外道の仕業だ。

いずれにしても、報告された内容を頭に入れると。

すぐに藍と橙を伴って、天狗の本拠に出向く。

この間博麗の巫女と共に、大掃除のために出かけたときには。

一戦交える事も覚悟した。

妖怪の山の紛争の原因が。

天狗達の組織の腐敗にある事。

更にそれを足がかりに、守矢が幻想郷の乗っ取りに王手を掛けていたこと。

それらは分かっていたのだが。

天狗も守矢に比べれば戦力が劣るとは言え、それでも妖怪の勢力の一つ。

しかし実際に足を運んでみて。

想像以上に弱体化しているので、驚いたのである。

忙しすぎて放置していたが。

失敗だったと認めざるを得ない。

腐敗は組織を著しく弱らせる。

人間の世界でもそれは同じだし。

幻想郷でも基本である。

清濁併せ飲む、何て言葉もあるが。

その言葉を勘違いすると、ずるずると腐敗に引きずられていき。最終的には取り返しがつかない事になる。

何度も実例を見てきているのに。

どうしてこう、失敗をしているのか。

紫は苛立ちながらも、流石に出迎えてきた天魔に、データを突きつける。

名指しで呼ばれた古老格の鴉天狗数名が真っ青になるが。

藍が証拠の数々を述べると。

言い逃れは出来ないようだった。

「封印の即時解除を」

「……」

「早くしなさい。 私もそう暇では無いのでね」

この間ここに来たとき。

想像以上の腐敗に、本気でキレていたのは、紫よりむしろ博麗の巫女の方だった。幾つもの言い逃れできない腐敗を目にして、普段は怠け者の博麗の巫女も、流石にこれは看過できないと判断したのだろう。

紫もキレている。

場合によっては、天狗の組織を潰す。

そんな言葉が会談時に出るくらいには。

慌てた天狗の長である天魔が、即座に事実関係の確認をさせると。言い逃れは不可能と悟ったか。

数名の鴉天狗は、共謀して邪魔な妖怪を封印し。

倉庫にある封印用の要石を、帳簿を誤魔化して取り出して使用し。

あげく開いた縄張りを、私物化していたことまで認めた。

厳しい目で見ている藍の前で、蛙のように這いつくばる数名の鴉天狗。

此奴らは、地底送りだ。つまり、先ほど揚げた二例の封印の内、前者を行う事になる。

地底送りにされた妖怪は多数がいる。そしてある処置をすることで、もう地上には戻れなくなる。

この腐れ天狗どもには、それが相応しい。地底送りの場合は、他の賢者に後でレポートを出せば良い。以前この処置を受けた妖怪は、いずれも地底で平然とやっている。えん罪だった場合も取り返しが利くから、終身刑が近いと言える。

すぐに理不尽に封印されていた妖怪達の封印を解除させる。

妖怪は肉体が滅びても死なないが。

精神が滅びると死ぬ。

封印を解除された妖怪達は、人型を保つのがやっとの様子で。フラフラになっていた。

鬼が妖怪の山を出て行ってからの出来事だから、比較的最近の事だが。

ようやく解放されたと悟ったのか。

泣き出す者までいた。

肉体が滅びても死ねない、というのはそれほど辛い運命にあうことも意味している。もう少し救出が遅れたら、精神が死んで、妖怪としての死を迎えてしまっていたかも知れない。

橙に、封印されていた妖怪達を、幻想郷一の医療設備がある永遠亭に連れていくように指示し。

この問題に関しては、天狗の方からレポートを出すように厳しく天魔に叱責。

更に他にも同レベルの問題が幾つか起きている事も突きつけ。

関わっていた天狗数名は、その場で地底送りにした。

戻ってくる事はもうないだろう。

今までアンタッチャブルにしていたのが間違いだった。

組織として古く、人員規模も多い。

河童のように組織を作る能力が低く、個々の独立が強い妖怪だったらまだマシだったのかも知れない。

だが、天狗が暴走する条件は揃っていた。

守矢が来なかったら。

天狗が幻想郷を蹂躙していたかも知れない。

勝手に死刑に等しい封印措置までしていた事まで考えると。

これは由々しき事態だった。

何度も大きな溜息が出たが。

とにかく、一つずつ順番に問題を解決していかなければならない。天狗の組織を立て直さないと、守矢の妖怪の山制圧に、正当性を与えてしまうからだ。

元々の天狗の縄張りは確保させる。

これも心苦しい。

ペナルティは与えておきたいのだが。

天狗が弱体化しすぎると、今度はそれはそれで問題になる。

守矢の二柱は、どちらも高位の神。

龍神でもでてこない限り、幻想郷の賢者達では手に負えない。

龍神ならどうにかなるかも知れないが。

もしも龍神まで出てくるような戦いになったら、幻想郷そのものがひっくり返る可能性が高い。

現状の、複数組織が互いににらみ合っている。

その状態を維持する。

それが幻想郷の、危ういバランスを作り出す。

積極的に動いている、人里に影響力を持とうとしている妖怪達にばかり目を向けていて。新聞を撒いて情報操作、などという点で人里にささやかな関与をしている天狗には、ほぼ着目していなかった。

これでは確かに、このような事態にもなる。

守矢を抑えるのでは無く。

天狗をたたき直すのが急務だったのに。

打つ手の順番を間違えてしまっていた。

家に戻ったのは、真っ暗になった頃。

無心に眠る。

今回は本当に疲れたからだ。

起きだすと、藍が険しい顔で、プレゼンの準備をしていた。

分かっている。

すぐに対処しなければならない。

「現状の再確認と、処理状況です」

「はあ。 しばらくは釣りどころじゃないわね」

「こればかりは仕方がありません。 まだ幾つか、解決していない問題があります」

「……続けて」

プレゼンを確認。

まず封印されていた妖怪達は、全員永遠亭でリハビリを開始。リハビリの料金は、当たり前だが天狗に負担させる。

続けて以前鬼の監視役をしていたニワタリの神。庭渡久侘歌。

此方にも声を掛けておく。

此方は逆に守矢の監視が主体だ。

ニワタリ神は高位の神である。実力は守矢の二柱ほどではないが、少なくとも鬼を押さえ込み掣肘するくらいの次元にはある。

もしも守矢が暴挙に出た場合は。

久侘歌にある程度時間稼ぎをして貰う必要がある。

しかしながら彼女は彼岸にも仕事場を持っている。

もう一柱くらい、同格の監視役が必要になってくるのだが。それについては、何か適当に考えるしかあるまい。

今までは妖怪の山で鬼を。そして鬼の後に覇権を握った天狗を監視して貰っていたのだが。

これからは守矢の監視が仕事の主体になる。

はっきりいって鬼の監視より荷が重いが。

こればかりは頭を下げて頼むしかない。

藍がお願いしますというので。

紫は鷹揚に頷いた。

他にも幾つか片付ける事がある。

特に守矢との話し合いは難儀だ。

彼奴らは幻想郷の支配権を奪い取る野心を隠そうともしていない。

実力的にはまあ確かに優れた次元にあるが。

しかしながら、今の秩序を全てひっくり返されると。

今度は新しい秩序を作り直すまでに、大量の血が流されることになる。

人的資源をゴミのように浪費している外の世界と、幻想郷を同じと考えて貰っては困るのである。

勿論守矢の二柱の言いたいことも分かるから。

此方としても、反論の材料は用意しておかなければならない。

頭が痛い話だった。

他にも幾つもの問題を提示され。

順番に片付けるべく頼まれたので。

重い腰を上げる。

「もう一人か二人、同じくらい働いてくれる賢者がいてくれると助かるのだけれど」

「こればかりは、どうにも……」

「仕方が無いわね。 博麗の巫女に餌をやって、パトロールを強化させなさい。 今問題を起こされると幻想郷は詰むわ」

「分かりました。 餌……ですね」

藍が笑顔を引きつらせる。

ものぐさとは言え、博麗の巫女は勘が鋭い。

幻想郷がかなりまずいところまで行っていたことは気付いているだろうし。餌で釣ろうとしたら却って怒るかも知れない。

それについて藍が述べたが。

紫はため息をつく。

「まだあんまりあの子が理解出来ていないようね。 あの子はまず最初に自分の欲の充足が来るの。 怠けたい、儲けたい、良いものを食べたい。 幸い異性には殆ど興味が無いようだけれども、欲の充足を邪魔するもの。 つまり異変の排除を行う時、人格が変わるのはそれが原因よ」

「なるほど」

「だから適当に人里のだんごでも買い込んで、機嫌を取ってきなさい。 今回は私と藍で手分けしないととても解決できないわ」

「分かりました。 しかし困りましたね。 此処まで拗らせていたとは……」

紫も口をつぐむ。

もしもこのタイミングで龍神が起きだしたりしたら。それこそ土下座しないといけない。

龍神の鉄拳の痛いこと。

あの博麗の巫女と同じかそれ以上なのだ。

龍神から見れば、紫はまだ子供も同然。

流石に紫も、あの龍神にはあらゆる意味で勝てる気がしない。多分苦手な存在がいるとしたら間違いなく龍神がそれだ。

最低限の身繕いをするとすぐに屋敷を出る。

人里にも。

他の妖怪組織にも。

こんな大問題になっている事は悟らせない。

全て裏で処理し。

幻想郷は平和で、何も起きていないと思わせなければならない。

それが賢者としての。

紫の仕事だ。

 

1、釣りをする天人

 

桃のついた帽子を被り。

腰に剣を帯びたその女の子は。

石に座って、ぼんやりとしていた。

手にしているのは釣り竿。

しかしながら、釣果が上がっている様子は無かった。

少し前に、また天界から追放され。

幻想郷をふらついている天人。

比那名居天子である。

よく勘違いされるのだが。

天の国は楽園でも何でも無い。

有名な第六天魔王が住んでいて、統治しているのも立派な天の国である。魔王と呼ばれるのは、仏教徒が望む輪廻からの解脱を阻むため。話に昇る第六天も魔界などではなく、ごく穏やかで平和な世界だ。

天子は鬱屈していた。

そんな天界が大嫌いだったからだ。

幼い頃、いきなり両親に告げられたのだ。

今日から天の国に行く。

何の話だと思ったが。

本当のことだった。

一族が仕えている偉い人達が、功績を認められたとかで天に迎えられ。

その「おまけ」で、比那名居の一族も天に迎えられるというのである。

そして有無を言わさず。

天人にさせられた。

地上は穢れている。

そんな考えを持つ天人達は。

いつも楽しそうに歌って踊って酒を飲んで。

それしかなかった。

清浄すぎる国。

清浄すぎる故に、其処には何の変化もないのだ。

名前さえ変えられた。

昔は地子という名前で。

これが気に入っていたのに。天子という名前に無理矢理変更させられたのである。

ある意味楽園であると言うのは事実かも知れないが。

地子の心のまま天子にされ。

あげく周囲の天人からは差別された。

修行をした訳でも無い。

偉人のおまけで天人にして貰った一族の不良娘。

そう面と向かって言われた事が何度もある。

勿論反発した。人間としての心のまま天人にされた天子はどうしても歪んでいた。だが、天人となるべくしてなった天人達は。押しても引いても手応えがなかった。とてもではないが、話は通じなかった。

問題を幾つも起こした。

両親には殆ど勘当同然の扱いも受けた。

今では天界の自宅には居場所もない。

今回も、天界の宴で使う丹とかいううまくもないものをつまみ食いしたという理由で、追い出され。

反論するのも馬鹿馬鹿しいので。

そのまま地上に降りてきたのだ。

どうせその内、向こうが勝手に許しを出してくれて。

そして天界に戻る事になるだろう。

此処にだって。

幻想郷にだって、天子の居場所なんてないのだから。

力を振るって暴れる事が出来る。

そう思って、天子は此処でならと、最初は思った。

だが。すぐに期待は裏切られた。

桃を食ってるだけで強くなる。

何もしていないのに天人と言うだけで強い。

何だそれは巫山戯ているのか。

最初に力を見せつけた相手は、そう言って天子を拒んだ。強い事を褒めてくれるかと思ったら、最初から現実を突きつけられたのだ。

結局今は、幻想郷でも腫れ物扱いされ。

こうして魚もいない水たまりに、釣り糸を垂れている。

天人だから腹も減らない。

時間の感覚も地上の人間とは違う。

心は人間のままでも。

体はもう天人だ。

幸いと言うべきか。暴れなければ、幻想郷の住人は、天子にはちょっかいを掛けてはこない。

天子が強い事。

彼らから見ても不快な事。

それが理由だからだろう。

編み込みのブーツの踵で地面を擦る。

昔の名前がせめて取り戻せたら。

もう少し「功績」とやらが認められるのが遅くて。少なくとも、人間のまま死ねていたら。

どれだけ幸せだっただろう。

地子だった頃、好きだった相手もいた。思いが届くことはなかったが。それでも、見ているだけで幸せだった。

今は、釣れもしない魚を待ちながら。

ぼんやりとしていることしか出来ない。

目を擦ると。

一旦釣り糸を引き上げた。

やはり、釣り針には何も掛かっていなかった。

「おや、不良天人」

顔を上げる。

目の前にいたのは、手に瓢箪を持った鬼である。頭の左右から大きな角を生やしていて、姿は子供のようだが。そのパワーは折り紙付きだ。

幻想郷では比較的かまってくれる方の相手。

伊吹萃香である。

大昔に外での居場所を失った、三大妖怪の一角。酒呑童子の現在の姿であり。

地底から出てくる珍しい鬼の一人だ。

基本的に気の良い奴で。

人間を食らう事も今はしていないようである。

その一方で強い相手と戦う事に関しては、昔同様貪欲で。

天子と戦うのも、楽しみとしているようだった。

とはいっても、天子は幻想郷に来る者の中ではかなり強い方とは言え。

流石に神々には及ばないし。

萃香が本気になったらかなわないとも思う。

「どうした、こんな所で釣れるわけないだろ」

「知ってるわよ」

「ふうん。 また何かやらかして天界を追い出されたのか」

「そうよ酔っ払い」

ぐいぐいと酒を呷る萃香。

完全に蟒蛇だ。

幻想郷でも鬼は酒豪として知られるが、その中でも四天王と呼ばれる支配者階級で、しかもそのトップの鬼である。

酒に弱い訳がない。

「釣れない釣りをして、楽しくもない時間を過ごす、か。 本当に居場所がないんだな、お前」

「ずばり言うわね。 その通りよ。 で、私を笑いに来た訳?」

「いんや。 今ちょっと色々手が混んでいてな。 問題を起こしそうな奴を見張る手がいるって紫に言われてる。 それでお前の所に来た」

少し考え込んでから。

問題を起こしそうなのが自分である事を天子は悟るが。

そうか、としか思わなかった。

今更問題なんて起こそうとは思わない。

自分の実力も分かっている。

弱い妖怪には強気に出られるけれど。此奴や、博麗の巫女、賢者辺りが出てくるともうどうにもならない。

悪戯を起こせばかまって貰える。

それは幼児の考えだ。

それも分かっているのに。

この人間の心で、肉体は天人という歪んだ状況は。

そんな情けなくて、身勝手な行動を自然に引き起こす。

だから。釣れない釣りでもしていた方が良い。これ以上拒否されることもないし。出て行けとも言われないだろう。

側に座ると。

胡座を掻いて、まだ飲み始める萃香。本当に底なしだ。

鯨飲という言葉があるが。

その体現者である。

「で、何か起きたわけ?」

「さあな。 少し前に畜生界関連で問題が起きたが、幻想郷に影響は出ていないし、それじゃあないだろ。 紫の奴、面白い事があるんだったら噛ませろって言ってるのになあ」

「信頼されてないんじゃない」

「ハ。 彼奴は私を信頼しているさ。 だから一番厄介なお前の監視役に寄越したんだよ」

そうか。厄介とまだ思われているのか。

そして何となく悟る。

萃香も同レベルで厄介だと思われているのだろうと。

くすりと笑みがこぼれるが。

それは暗い笑みだった。

「二人で組んで異変でも起こさない?」

「お断りだ」

「どうして?」

「お前、手加減が分かってないだろ。 その剣、お前に扱えるものじゃないのに、平然と振り回しやがって。 自分で手に負えない問題は起こすもんじゃあ無い」

またぐいぐいと瓢箪の酒を飲む萃香。

袖にされたが。

天子はまだ悪事に誘惑してみる。

簡単には死ねないことくらい分かっているが。

それでもいっそのこと。と最近は思うようになりはじめていた。

「ひょっとしてびびってる?」

「……なんだ、挑発してるのか」

「それが分かるくらいの頭はあるのね」

「小娘が、調子に乗ってるんじゃない。 お前如きが私を掌で転がすつもりか? 百年早いわ」

萃香の方がずっと年下に見えるが。

その口から出た言葉は。

酒臭かった一方で。どうしてか、凄く重かった。

空気が悪くなってきたか。

萃香は立ち上がると、顎をしゃくる。

「たまには釣れる釣りをしないか」

「釣っても食べられないんだけれど」

「ああ、そういえば天人はそうなんだったな。 だったら釣った魚は私が食う。 それで良いだろ」

「……どうせ釣れないわよ」

ついてこいと言われたので。

そのままついていく。

魚もいない水たまりから。

そのままぐいぐい山の中に入っていく。

藪だらけでちょっと気分が悪い。油断すると動物の糞でも踏みそうだ。萃香は歩き慣れているようで、平然としていたが。

不意に景色が開けて。

川に出た。

流れが蛇行している場所で、何カ所かが深くなっている。

ブルーカラーの制服を着た河童が何匹かきゃっきゃと黄色い声を上げて笑っていたが、萃香を見ると頭を下げて、さっと逃げていく。

鬼は今でも。

妖怪の山では、現役で恐怖の対象なのだ。

「嫌われてるわね」

「嫌われてる? 違うね。 怖れられているんだよ」

「何処が違うの?」

「私達は妖怪の山で絶対者として君臨し続けた。 絶対者ってのは、自分の鬱屈やら我が儘やらを弱者に押しつける存在じゃない。 管理をきちんとする存在のことだ。 まあ私達の中には調子に乗りやすい奴もいるから、見張りもつけられたがな。 私達は山をずっと管理し続けた。 だから今でも、山の妖怪にとって私達鬼は支配者で恐怖の対象なんだよ」

よく分からない話だ。

近くの浅瀬に岩を積んで水たまりを作る。簡易のいけす、というわけだ。手伝えと言われたが、何をして良いのかよく分からなかった。そうすると、意外に分かり易く、其処の岩を此処に、と教えてくれる。その通りに動くと、すぐにいけすが出来た。

どうやら面倒見は良い方らしい。あまり良い気分はしなかったが、萃香には天子が小娘に見えているのだろう。

並んで腰掛けると。

どこから取り出したのか、萃香も釣り糸を垂れる。

すぐに魚が釣れた。

酔っていても釣りの腕は確か、と言うわけだ。

「良い酒の肴だ。 ただ採りすぎには注意だがな」

「バス釣りとかが外では人気らしいわね」

「あれはそもそも外道がやる事だ。 元々の場所に勝手にバスだか言う外来の魚を放して、自分の楽しみのためにその場を滅茶苦茶にする。 滅茶苦茶にしておいて、都合の良い言い訳で誤魔化す。 迷惑を掛けている自覚は微塵もなく、自分の欲のためにあらゆる全てを踏み躙る。 鬼でさえやらない外道の遊びだよ」

「鬼に其処まで言われると同情するわ」

ひょいと、また一匹釣られる。

酔っ払いにも負けるのか、と言われて。

天子も少し頭に来た。

少し大きめの奴が連れた。

いけすに入れると、元気に泳ぎ始める。

丸々と太っているが。

天人は生臭を口にしない。

前に試してみたのだが、吐き戻してしまった。酒や植物は大丈夫なのだが。

足をぶらぶらさせながら、萃香は言う。

「普通の釣りでも面白いもんだ。 外道働きまでする必要なんぞ無いんだよ」

「よく分からない理屈ね」

「昔色々やらかしたからな。 外道のむなしさはよーく知ってる」

「……」

ひょいと、三匹目をつり上げる萃香。

上手に釣り針から外すと、いけすに。

天子がもう一匹釣り上げると、腰を上げた。

「もう一匹で切り上げろ。 ちょっと野草を取ってくる。 焚き火を起こしておいてくれるか」

「何よ、もう終わり」

「食べる分だけ釣れば良いんだよ。 それ以上は外道の仕業だ。 口に針をブッ刺されて、お前は気分良いのか?」

「良いわけが……」

もう萃香は藪に消えていた。

何だか完全にペースが狂わされるが。

彼奴が戻ってくるまでには、もう一匹を釣っておきたい。

久しぶりに、心に少し暖かみが戻ったかもしれない。

そして、丁度萃香が戻ってくると同時に。

天子はもう一匹、つり上げていた。

 

焚き火で魚を焼く。

同時に小さな調理器具を使って、萃香が野草を炒め始める。天界では上品な料理しか出ないのだが。

野草を使った料理でも、鬼が始めると豪快だ。

「食わなくても平気だとしても、多少は食っておいた方が良いだろ。 油も植物由来の奴だから気にするな」

「鬼式の料理って奴?」

「いや、一時期生臭を排除する方法について考えた事があってな。 先にそういう事を始めた同類に教わって、色々試してみたんだよ。 むしろ仙人式が近いかもな」

「随分豪快な仙人ね」

よっと、と声を上げて。

萃香が調理器具を跳ね上げ。

野草が宙に踊った。

勿論一つも落とさない。

それから、酒をある程度分けてくれる。

鬼の酒は強烈に酔うのだが。

酒は天の国でも禁じられていない。

酒を飲みながら、鬼の作った野草炒めを食べる。ずっと酔っているように見えるのだが、萃香の手がぶれる事は一度もなかったし。或いは酔っている時の方が普通で、ミスもしないのかも知れない。

魚をばりばりと食べている萃香は。骨も残していない。

骨も残さず食べるくらい顎が強いのか。

或いは食べるからには全て無駄にしないと考えているのか。

ぼんやりとしていると。

萃香は話を振ってくる。

「今日観察して思ったが、もう異変は起こしそうにないな」

「最初から起こす気なんて……」

「そういう意味じゃあない」

じゃあどういう。

言い返そうとしたが、萃香は腰を上げる。

食事もしたし。

観察も終わったし。

もう充分、という意味だろうか。

マイペースな奴である。

勿論天子だってそれは同じだけれども。

自分以上に、好き勝手に色々やっている印象だ。

「一つ忠告しておくぞ。 反発し続けるくらいなら、いっそのこと天の国なんか出ちまえよ」

「……」

「体が天人、心は人間、か。 天の国は行きたい奴が行けばいいんであって、それも色々この世で地獄を見た奴が、安楽のために行くような場所なんじゃねーのかな。 お前は何も知らないままいきなり天の国に行ったからおかしくなった。 そういう奴は、いっそもう天の国と縁を切るべきだと思うぞ」

「そんな事言っても……」

正直、どうすれば良いのか分からない。

試してみた。

悪行を行えば天人ではなくなるのか。

そんな事はなかった。

天人は死ぬとき、天人五衰というものを起こすらしいが。天子にはその前兆さえない。

生臭を口にしたこともあった。だが吐き戻してしまった。とてもではないが、口にはもう出来そうにはない。

事実、幻想郷を滅ぼしかけた天子は。

大悪行をしている筈で。

どうしてまだ天人のままなのかよく分からない。

一度天人になってしまったら、死ぬまでそのままなのか。

「それか開き直るかだな。 周囲の言う事は一切気にせず、踊って歌って寿命が尽きるまで平和に過ごす、と」

「そんなの御免だわ。 彼処の退屈さ、知らないでしょうに」

「退屈、ね。 私も退屈の恐怖は知っているつもりだがな」

「どういうことよ……」

もう一度酒を呷ると。

応えずに、萃香は山に消える。

もう気配も捕らえられなかった。

今日は迎えも来ないだろう。

普段天子のお目付をしている竜宮の使い(魚の方ではない。 れっきとした妖怪)、永江衣玖も、流石に今回の悪戯には言葉も無いだろうし。或いは天子の代わりに怒られているのかも知れない。

それは少しばかり心が痛む。

唯一本気で天子を心配してくれたのは、彼奴だけだったから。

さて、どうしたものか。

すぐには追放処分は解除されないだろう。

その辺りをうろついていても仕方が無い。

また、釣れない釣りでもするか。或いは、幻想郷で珍しく天子と相性が良い貧乏神、依神紫苑でも探すか。

天子は宴の後をぼんやりと見やると。

魚が釣れないただの水たまりに向け。

力なく、歩いて行った。

 

2、釣るのは魚に非ず

 

幻想郷を流れる川は、峻険な山岳地帯に相応しく、それなりに流れが速い。川で泳ぐ事はあまり推奨されていない。

人里に水を引く水路も。相応な苦労の末作られたし。

川で釣りをするときは、天気が良いときと、人里では暗黙のルールが出来ている。

それを守らないと。

事故が起きる。

人里に引かれている水路には、工夫が色々為されていて。

水害が起きやすい土地であるから。

一気に水が流れないように、二重三重の工夫が凝らされており。

そればかりか、人里では知られていないが。

地下には貯水槽も作られている。

水が増えすぎると、下手をすると人里が一気に押し流される事があるから、というのが理由で。

貯水槽の概念が都市計画の歴史で出来はじめた頃に紫が採用し。

密かに工事が行われ。

作られた、という経緯がある。

いずれにしても人里の上水も下水も、作るのは人間がほぼ関わっていない。幻想郷において、インフラは妖怪に握られているのだ。

その辺りの事情は、知る者もごくわずかである。

その数少ない知る者。

八雲紫の式神であり、九尾の狐に鬼神を更に憑依させた存在である八雲藍は。

今、ランタンを手に。

幻想郷の地下貯水槽を確認していた。

今、問題が起きると一番困るのは人里である。

故に紫の手駒は総動員され。

普段は手駒として使わないような問題を起こしやすい奴にまで声を掛けて。幻想郷の問題分子を監視している。

そして藍は。

最高機密の一つであるこのインフラ廻りを、徹底的にチェックして回っていた。

地下貯水槽は、雄大な空間である。

今は殆ど水も溜まっていないが。

わずかにある水は、昨日の雨の影響だ。これは川に時間を掛けて戻していく事になる。

問題は前から、此処に妖怪が入り込んでいるという噂がある事。

誰だか知らないが。

此処は幻想郷のトップシークレットの一つ。

もし発見したら、出ていって貰う事になる。

「藍様、この暗いところに誰かがいるかを調べればいいの?」

「そうです。 手分けして探しましょう」

「分かった!」

藍の式神。未熟故八雲の名を与えられていない猫又の式神である橙。幻想郷のスタンダードに沿って人間の姿をしているが、その人格を示すように幼い女の子の格好をしている。

橙は楽しそうに広い空間に消えていったが。

藍は気分がとても重い。

前に、此処を巡回していた紫の手が掛かった妖怪から、何かを見たと言う報告が複数あり。

もしもそれが本当だとしたら、厳重に管理されている区画に何者かが入り込んでいる、という事を意味する。

それは文字通りの大問題である。

消えて貰うとか、そういう話ではなく。

本来入る事が出来ない場所なのに。

誰かが入り込んでいる、という事を意味するからである。

それは要するに、管理側の問題だ。

そもそもこんな設備がある事を知られている筈がない。

排水を川と合流させる際にも、複数にルートを分けて。細かく水を流し込むようにしている。その穴はとても小さくて、小さな妖怪でも入り込む事は不可能だ。

更に言えば、知っていたとしても。

こんな所に入り込む意味がない。

もし何かが入り込んでいるとしたら。

それは悪さに使っている可能性を否定出来ないのである。

幸いタチの悪い妖怪が住み着いて、人間を引きずり込んで貪り喰っている、とかそういう事件は起きていない。

人里にはしっかり監視をつけていて。

人間をさらうような妖怪が出た場合には、すぐに分かるようになっている。

大体、此処を見回りに来る妖怪は、藍ほどではないにしても紫配下の凄腕ばかり。

それも嫌な予感を加速させる。

「藍様」

「どうしたの、橙」

「誰かいる」

ぞわりと、橙の声に背中が冷えた。

闇の中。

人型を取っていても。猫又である橙の目は光っている。

九尾の狐という超ド級の妖怪なら兎も角。

猫又なんて下級になると。

どうしても獣の要素は強く出てくる。

逆に言うと。

生物的な感覚の鋭さも強くなってくる。

指を鳴らして、非常灯をつける。

此処は水没する可能性があるので、壁に埋め込まれているあまり強くないライトが少しだけ。

それでも、その人影を浮かび上がらせるのには。

充分だった。

「ひゃあっ!?」

「貴方は!」

「捕まえる?」

大きな溜息をつく。

すっころんで此方を見ている人間。

ただし幻想郷の人間では無く、外来人と呼ばれる外から来た例外。それも、外と幻想郷をある理由から行き来している現在唯一の例外。

宇佐見菫子である。

いわゆるサイキックで、並外れた能力者だが。

流石に幻想郷の妖怪達には実力で及ばない。

見かけもオカルト趣味を拗らせたと一目で分かる、懐古的な格好に洒落っけもないめがね。更に言えば、前に色々問題を起こした事もあって、紫は許しているが。藍はあまり良く想っていない。

がくがく震えている菫子に。

大きく。

威圧的に、咳払いを藍はしていた。

「こんな所で、何をしているのかしら?」

「え、ええと……」

「あ、釣り竿ー!」

橙が無邪気に指さす。

菫子は、外から持ち込んだらしい。

何だか豪華なギミックのついた釣り竿を、掴んでいた。

 

しこたま説教してやりたい所だが。

今は文字通り猫の手まで借りている状況だ。そんな時間がない。

まず順番に話を聞いていく。

どうして此処を知ったか。

そうすると、菫子は言う。

「偶然……ですよ」

菫子は口を尖らせた。

それによると、外の世界にもこういった巨大貯水槽が存在していて。災害に備えているという。

ひょっとして幻想郷でも存在しているのでは無いかと思い。

地下にテレポーテーションを試してみたのだそうである。

其処に何かがある場合、テレポーテーションは弾かれてしまう。

だが、すんなり入り込む事が出来てしまった。

それで、それ以来誰もここに来ていることは教えずに、何か怪奇的なものがないか探し廻っているのだとか。

筋金入りのオカルトマニアである事は知っていたが。

まさかそんな理由から、この幻想郷のアンダーグラウンドを知ってしまったのか。

苛立ちがピークに達するが。

菫子は怯えるばかり。

まあ前に、異変を起こした菫子は。殺す殺さないという話をした相手である。

最終的に博麗神社に逃げ込んだ菫子は本気で怯えきっており。

霊夢に小突かれて紫の所に出頭。

幻想郷を大事件に巻き込んだことには流石に反省の色もあったようで。

今では外の話を妖怪や人里にてべらべら喋らないこと、を条件に。ある程度の自由を認めている。

そもそも菫子が幻想郷に来るのは、体質的な問題でもあるので。

その辺りは仕方が無い部分もあるのである。

容赦なく邪魔な相手は殺すとか。

外の人間を大量に喰らっているとか。

そういう噂のある紫だが。

此処までの問題行動を起こしまくった菫子を殺していない時点で(いつでもその気になれば殺せるのに)。それらの噂が嘘である事が分かる。事実、此処までやらかしたら、如何に人間に寛容な外の世界の護法神でさえ、菫子が殺されるのを黙認しただろう。それでも紫は殺さなかったのだ。

「それで、その釣り竿は」

「その、前に来たときに、水がある程度溜まっていて、試しにと釣り糸垂れてみたら、結構面白い魚が釣れたんです。 それでレイムっちの所に持っていってあげたら喜んでくれたから、時々ここに来て、釣りを……」

「あ、本当だ!」

クーラーボックスを開けて、魚があるのを見て大喜びしている橙。

此処で釣りをする。

その発想はなかった。

呆れた話だが。

こんな事をする奴がいるとは。

恐らく、十中八九。

此処を巡回した妖怪が見たのは、菫子だろう。

だが、一応念のために確認する。

「此処で誰かを見ていない?」

「いえ、貴方たち以外は誰も。 オカルト趣味ですので、こういう都市伝説の舞台になりそうな場所には何かいないかなって隅々まで探しましたけど何もいないです」

「本当に誰にも喋っていないのね」

「は、はいそれはもう! 人里でこんな場所を作る技術があるとはとても思えないし、話しても仕方が無いかなって……」

じっと黙って見つめるが。

菫子は涙目になるばかり。

前に徹底的に脅かしたから、嘘をついている可能性は考慮しなくても良いだろう。いずれにしても、しっかり話しておく。

「幻想郷には、妖怪にも人間にも知らせていないインフラが幾つもあります。 理由は分かりますか?」

「いえ、なんでそんな事してるのかな……とは思いますが」

「幻想郷には、貴方たちが想像している以上のテクノロジーがあります。 しかしテクノロジーに堕落した者がどうなるかは、貴方が外で散々見てきているのではありませんか?」

「はあ、まあ……」

どうやってか幻想郷の事を知った菫子は。

此処に無理矢理な力業で侵入。

それ以降、二回にわたって大問題を引き起こした。

今は幻想郷に来る時は、主に霊夢のいる博麗神社にいるようだ。妖怪が怖いから、というのが理由らしい。

妖怪を怖れていること。

もう悪さをするつもりもないこと。

それもあって、紫は殺す必要無しと判断しているようだが。

藍は甘すぎると思っている。

実際問題、今回もこんな事を引き起こしている。

妖術とは違う系統の力である超能力とは言え。

このような事態は流石に想定外だった。

「とにかく、場所を移しましょう」

「ねえねえ菫子、お魚くれる?」

「え、ええ。 どうせ余ったらレイムっちと食べようと思っていたものだし、どうぞ」

「わーい!」

問題の深刻さを理解していない橙が、クーラーボックスの中の魚をとりだして、食べ始める。

此処で魚が釣れる。

そんな事は考えもしなかった。

まあ水が溜まっている間はそうなのかも知れない。

ともかく、橙を促して、一旦場所を移す。勿論灯りも消した。

説教している暇は無い。

ただ、博麗神社に一度移動。

インカムを使って紫と話し。隙間を空けて貰って、其処へ移動した。移動している過程も見られたくなかったからである。

博麗神社では、霊夢が退屈そうにゴミを焚き火にくべていたが。

突然現れた藍と橙、それに恐縮して身を縮めている菫子を見て、思わず真顔になる。

「珍しい組み合わせね。 てか菫子、また何かした!?」

「ひいっ! な、何もしてないわよ!」

「そうね、悪意があってした事ではないようだから、貴方から言い聞かせてやってちょうだい」

「具体的に何があったのよ」

手短に博麗の巫女に説明を終える。

菫子を見て、大きく嘆息した霊夢は。

しっかり説教しておくと明言した。

霊夢も、菫子が如何に危ない立場にいるのかは理解しているのだろう。外の情報をもたらしてくれる重要な存在でもあるが。それが人里に拡がるのはまずいのも理解している筈だ。

正座した半泣きの菫子が、説教をされ始めるのを横目に、さっさと戻る。

もう此方は任せてしまって大丈夫だ。

後はレポートをまとめなければならない。

魚を食べたそうにしている橙は、首根っこをひっつかんでそのまま連れて帰る。

愛くるしい橙だが。

こう言うときは、流石にもう少し精神年齢を上げられなかったのかと、色々悔やんでしまう。

一度紫の屋敷に戻り。

レポートをまとめる。

そして、まだ確認が終わっていない次の場所に向かう。

巡回は真夜中まで掛かり。

とりあえず、菫子以外に問題分子は見つからなかった。

疲れ切った様子で帰ってきた紫に、レポートをプレゼンする。

ぐったりした紫は机で溶けていたが。

菫子の名を聞いて、うんざりした様子で大きな溜息を零していた。

「まーたあの子……」

「今回は悪意がないようだったので許しましたが、それにしても次に問題を起こしたら処分することも考えないといけないのでは」

「ダメよ。 悪意があって悪さをしたのなら兎も角。 外の神々に、どんな理由でも介入の口実を与えてはいけないの。 悪さをした分の仕置きはしたし、本人もそれで反省している。 それで充分よ」

「はあ、そう仰るなら」

レポートを聞き終えると。

紫は布団に直行。

橙はとっくに寝ていたので、少しだけ藍も休む事にする。

妖怪に鬼神を憑依させることで出来ているこの体。

相応に頑丈だが。

多少の睡眠は必要になる。

ストレスで体を壊して半日眠る事が必要になっている紫ほどでは無いが。

無理をしていると、いつか一気に反動が来るかも知れない。

少しだけ眠って。

それで回復したと判断。

巡回に戻る。

途中、博麗神社に寄って、昨日の話を聞く。

霊夢は紫ではなく藍が来たことで大体の状況は察しているのだろう。

手短に、という言葉に対して。

要点だけを返してくれた。

「如何に危ない場所に首を突っ込んでいるかはしっかり言っておいたわ。 あの子も懲りてるし、許してあげて頂戴」

「それは分かっているけれど、二人きりの時は随分気安いようね」

「ああ、レイムっちって呼ばれている事? 別にそれくらいはかまわないわよ。 同年代のようだし」

「貴方にも同年代の友達が必要、と言う事かしらね」

友達と言われて、ぴんと来なかったようだが。

博麗の巫女はしばしして、頷いていた。

これは恐らく、単純に霊夢の性格上の話だろう。

去る者は追わない。

来る者は拒まない。

霊夢はそういう性格だ。

魔法の森の魔法使い、霧雨魔理沙とは肩を並べて戦っているが。

それも魔理沙がいつか死んだとき。

霊夢は悲しんだりするのだろうか。

かなり疑問だと藍は思っている。

自分を幻想郷のバランサーと位置づけているからか。

時々恐ろしい程霊夢は非情になるし。

異変の時の見敵必殺ぶりも、それが思い切り表に出た結果では無いのだろうかとも藍は分析している。

ひょっとすると霊夢は。

誰も友人だ等と思っていない可能性もある。

紫の事は信頼しているようだが。

あくまでそれだけだ。

「今、少し問題が山積しているの。 貴方も気を付けて頂戴」

「まあこの間の件で色々あったものね。 此方も気を付けておくわ」

「よろしくね」

それから巡回に戻る。

幻想郷の人里だけではない。

妖怪の生活を支えるライフラインは、殆ど妖怪達も知らない。

全てを丁寧にチェックしていき。

問題が無いことを確認し終えると。

屋敷に戻る。

紫は紫で、地底で色々と問題があったらしくて。

疲れ切って既に机で溶けていた。

「問題が一段落したら、甘いものでも作りましょう」

「今甘いの食べたい……」

「残念ながら在庫がありません」

「はあ……」

涙目になる紫。

まあ天狗の組織のゴタゴタを、今まで放置していたツケが来ているとも言えるのだけれども。

今後は更にきめ細かい管理をしていく必要があるかも知れない。

だがそれには手が足りない。

他の賢者にも動いて貰わないと。

そう思う。

だが、それを口に出すと。

紫は薄く自虐的に笑うばかりだった。

「無いものはねだれないの。 やる気がない奴を無理矢理働かせても、失敗しかしないわよ」

「はあ、しかしそれでよろしいのですか」

「いいわけないでしょう」

「……」

相当鬱屈がたまっているようなので。

もうその事には触れないことにした。

明日からもしばらく忙しい日が続く。

幸いと言うべきか。

幻想郷でもトップクラスの危険分子である不良天人は、現時点では問題を起こしそうにないと連絡があった。

もう少し状況が落ち着けば。

少し休む事が出来ると思う。

あくまでそれは楽観論だが。

今は楽観でもしていなければ、やっていられなかった。

 

3、意外な釣り人

 

あくびをしながら歩いているのは、幻想郷でも珍しい西洋の妖怪。レミリア=スカーレットである。

幼い子供のような姿をしているが、彼女はれっきとした吸血鬼。

実力は幾つかある妖怪勢力の長に相応しいもので。

決して侮る事が出来るものではない。

側についているのは彼女の腹心にて。

幻想郷における妖怪勢力の一つ、紅魔館を事実上取り仕切っているメイドの十六夜咲夜。人間とされているが、本当にそうなのかはよく分からない。少なくとも時間を操るという驚天の力の持ち主であるのは事実だ。

そして。咲夜が担いでいるのは。

釣り道具一式だった。

今は夕方。

これから夜になる時間帯である。

夜釣りというのは危険なので、実際にはあまり推奨されない行為だ。

更に言うと、流水が致命傷になる吸血鬼には、余計に止めた方が良い行動である。

だから怖いもの知らずで知られる吸血鬼レミリアも、流石に一人でやるつもりは無い様子で。

メイドであり、時間停止能力持ちの咲夜を連れてきている。

実のところ夜間よりも日中に起きていることが多いレミリアなので。

これは夜遊びになるのかも知れない。

いずれにしても、日光を浴びると体が焼けてしまうので。

レミリアも真っ昼間から、日傘を差さずに外に出ることは無いと聞く。

むしろ夜の方が、レミリアにとっては良い時間帯なのだが。

すっかり幻想郷に馴染んでしまったからか。

日中起きていることの方が増えているようだ。

そして一緒に歩いているのは。

まったくレミリアと関係無いはずの付喪神。

多々良小傘である。

今回、二人を案内するように、恩がある命蓮寺の住職。聖白蓮に言われたのが、小傘だった。

そもそも物理的な食事をしない小傘である。付喪神には新陳代謝がなく、相手の驚きを食べるからだ。

色々な驚きを探してみるのも良い。

そう恩人である命蓮寺の住職に言われ。

そして言われるまま住職と縁がある吸血鬼の案内を買って出たのだが。

そもそもその性質上、釣りはしないのだ。

ただ水を操る能力は持っているので。

最悪の時には、何か役に立てるかも知れない。

また、昔から子供達の遊びにはつきあっていたので。

何処で何が釣れるか。

穴場については、相応の知識も持っていた。

小傘から見れば、レミリアは戦闘の実力もあるし、財力もある。人材も豊富。幻想郷で必要なものは全て持っている。今後も余程の事が無い限り、脅かされる事も無いだろう。

相手を驚かすのが苦手で、餓死寸前まで行った経験がある底辺妖怪の小傘からして見れば、羨ましい相手だとも言える。

だが、側で観察してみると。

何処かレミリアは、見かけ相応に子供っぽい。

小傘は子供が好きなので。

どうしてもその辺りは分かってしまう。

子供の扱いも分かる。

色々な性格の子供がいるが。長い年月子供と接してきた小傘は。

いじめっ子が虐めをしないようにする方法や。

いじめられっ子が虐められないようにする方法。

孤立した子の救出法や。

親に虐待されている子の見分け方など。

子供と接する時に必須な知識は大体身につけていた。

最近では、まずい環境にいる子供を見つけては、住職に相談し。救出する事も何回かしている。

幻想郷の人里でも、やっぱり不幸な家庭や子供は存在している。

そんなとき、住職は功徳を積んだと褒めてくれはするけれど。

小傘だけでは殆どの場合何もできない。

大体は住職が諭して親の問題を解決したり、或いは寺にいる化けダヌキの親分が裏側から手を回してどうにかする。

それが本当に功徳を積んだ事につながるかどうかは分からないし。

ただ子供が好きなので、不幸な目にあう子が出るのは見たくないのは事実だった。

「命蓮寺の住職にはフランの事で世話になったけれど、その子で大丈夫なのかしら」

「根拠無く大丈夫と口にする者では無いとみましたが」

「確かにそうでしょうけれどね。 多々良小傘と言ったかしら。 本当に此方に穴場があるの?」

「ええ。 此方ですよ」

プライドが高い相手だから。

対等にではなく、腰を低く対応する。

今小傘は、命蓮寺に世話になった結果、おなかはまったく空いていない。驚きは定期的に得られるし。多分今まで付喪神をやってきていて、一番充実している時代である。

だが住職は言うのだ。

ずっと同じ状況が続くとは限らない。

だから、いざという時には自分で対応出来る力を身につけなければならない、と。

確かに離散して悲惨な目にあっていたらしい命蓮寺の面々の話を聞くと、それは重い言葉である。

小傘も里の子供達と遊んだり、技術で相手を驚かせるだけではなく。

色々な方法で相手を驚かせて。

なおかつ相手も満足させる。

そういう方法を身につけていく必要がある。

それは事実だと思う。

小傘は夜釣りをする人間を脅かしたりはしない。

夜釣りが危険な行為だと言う事を知っているからだ。

足は滑らせやすい。

落ちたら助かる可能性も低い。

妖怪とはいえそれは同じ事。

ましてや流水に弱いレミリアの場合は、かなり危険な遊びと言う事になるのだろう。

だから却ってノリノリで釣りに来ているのだろうが。

しかしながら、それもまたあまり褒められた行為ではないように思う。

子供の好奇心は死に直結する事があるのだ。何度も小傘はそれを見てきた。

「今日は……誰もいないか」

小傘は周囲を念入りに確認。

ランタンを置いて、灯りを作る。

集魚灯というのがあるらしい。それについては。以前何処かで聞いた。

魚は夜。

光に集まってくるのだ。だからこうして魚を集める。

後は釣るだけである。

此処は幻想郷の、人里の端。人間と妖怪の住む境界。ギリギリ人里だが、妖怪も結構姿を見せる。そんな境界線上にある、川の土手の上。

特に河童はこの辺りにも平気で出入りしていて。

夜になると人を脅かしたりもする。

今日は河童はいない様子だが。

或いはレミリアの気配に気付いて、さっさと逃げたのかも知れない。

「特に面白そうな場所じゃないみたいだけれど、本当に釣れるのでしょうね」

「釣りは意外なところが穴場なんですよ」

「へえ。 じゃあまあやってみようかしら」

人里では見られない、豪華そうな釣り竿をせっせと準備し始める咲夜。その前に、いつの間にか組み立て式の椅子が準備されていた。

川の様子を確認。

気のせいだろうか。

ちょっと濁り気味だ。

上流には妖怪の山がある。

あちらで何か起きているのだろうか。少し前に、天狗が騒いでいるという噂は聞いたけれども。

いやだなあと小傘は思う。

スペルカードルールでの戦いは嗜んでいるが。

戦いそのものが小傘は嫌いだ。

積極的に傷つくことの何が楽しいのだろうとも思う。

子供は乱暴な遊びが好きだったりもするけれど。

その辺り小傘は受け流す方法も心得ていた。

先に土手を念入りに確認しておく。空を飛ぶ事が出来る小傘は、子供が落ちないように、事前にチェックする事を忘れない。

今回は相手も飛ぶ事が出来る吸血鬼だが。

その代わり川に落ちたら助からないので。

しっかり事前に調べておくのだ。

レミリアはしっかりしているようで意外にだめな所も多いと聞いているし。

ドジを踏んで川にドボン、という事態だけは避けないといけない。

住職を慕っているレミリアの妹も悲しむだろうし。

何より大問題になるのも避けられないからだ。

土手は大丈夫そうだ。

地盤も弱っていない。

川の近くで、水の気配を探る。

鍛冶の技術を持つ関係で、水の術を使いこなす小傘は、ある程度水を「読む」事が出来る。

さっきは川の上からだったが。

今度は水面の至近からだ。

少し川がおかしい。

小首を捻る。

此処は止めるべきだろうか。

だが退屈そうにしているレミリアの事を考えると。滑落事故などの危険性がないならば、此処で良いだろう。

そう小傘は判断した。

「随分と念入りね」

「夜釣りは危ないんですよ。 だから事故が起きないように徹底的に調べておく必要があるんです。 とりあえず、問題は無さそうです」

「ふうん。 咲夜、釣り竿」

「かしこまりました」

餌をつけるのも全部咲夜がやっている。

レミリアは釣り糸を垂れるだけか。

あまり褒められた行動では無いが。

まあ勢力の長が、いちいちそんな事に体を動かすのも馬鹿馬鹿しい、という考えなのかも知れない。

小傘はランタンで照らして水面を見張る。

流石に吸血鬼を人間と勘違いする妖怪はいないだろうけれど。

何か馬鹿な事をする奴がいるかも知れない。

そんな奴がいたら。

みんな不幸になるだけだ。

レミリアは人間ならともかく、妖怪相手に手加減なんてしないだろうし。

少し間が開いたので聞いてみる。

「それにしても、どうして急に釣りを?」

「外の世界の本を入手してね。 たまには釣りでもと思ったのよ」

「普段は釣りはしないんですか?」

「それはそうよ。 流水に近付くだけでも恐ろしいもの」

それは確かにそうか。

吸血鬼の致命的な弱点の一つだ。

実力がある吸血鬼である以上、余計に流水は苦手だろうし。まあ無理も無いと言えばそうなるか。

それにしても外の世界の本。

それを見て釣りに。

小首をかしげたくなる。

何だか今妖怪の山がきな臭いという話なのに。どうしてそんな本がレミリアの手元に。レミリアもこのタイミングで釣りにどうして出る気になったのだろう。

咲夜はずっと無言で側に立っている。

ぴりぴりしている様子は無い。

小傘を危険な存在では無いと認識しているのか。それとも他に何か理由があるのか。

「お、掛かった」

「もう少しお引き寄せください、お嬢様」

「分かっているわよ」

一匹目。

颯爽とたもを取り出した咲夜が、さっと魚を引き揚げる。慣れている様子からして、少なくとも咲夜は魚釣りに習熟している様子だ。そういえばさっき釣り竿の扱いも手慣れていた。

一匹目は小さめのナマズだ。

ナマズは結構美味しいと聞くが。小傘は残念ながら食べる事は出来ない。そもそも驚きしか食べられないのだ。酒くらいなら飲む事は出来るが、固形物は喉を通らないし、無理に食べても栄養にはならないのである。

ただ捌いて料理にすることは出来るが。

それは咲夜の仕事だろう。

「ナマズは他の魚を襲うので、クーラーボックスとは別にしておく方が良いですよ」

「あら、そうなの。 どうしようかしらね」

「少しお待ちを」

ぱちんと咲夜が指を鳴らすと。

いつのまにか、小さな水槽を持ってきていた。

それにナマズを入れると、釣りを再開。

しばしして、二匹目が掛かる。

三匹目が続く。

今日は当たりだなと思って見ているが、何だか妙だ。少し釣れすぎる気がする。一目で分かるが、レミリアの腕が良いわけではない。いわゆるビギナーズラックだろうか。

見たところ、レミリアに釣り人の勘みたいなものはない。

小傘は子供が好きそうな遊びは大体知っている。

だからそういう勘を持っているか否か、位はすぐに見分けがつく。

五匹目が釣れた辺りで、声を掛けた。少し大きめのが続けて釣れているし、もう良いだろう。時間的にもそろそろだ。

食べる分以上の殺生は好ましい事じゃあない。

小傘は今でも命蓮寺の食客で、仏教徒では無い。でも、無駄な殺しはやはり良くないと想う様になっている。

住職の影響なのか。

それとも戦いが嫌いという考えの延長なのか。

それは良く分からない。

「もう充分だと思うので、そろそろ引き上げましょう」

「何よ、まだこれからじゃないの」

「お嬢様」

「咲夜? ああ、分かったわ」

咲夜が時計を見せる。それで、そろそろ引き上げる時間だろうと思ったのだろう。

素直に咲夜の言う事は聞くレミリア。この辺りは、信頼関係もあるし、咲夜の扱いのうまさもあるのだろう。

既にすっかり真夜中だ。

出たときは夕方だったのに。

この時期は、兎に角夜になるのが早い。そして陽が落ちるとあっという間に真っ暗である。

これではランタンに魚も集まる訳か。

「楽しい時間はあっと言う間ね。 今度また釣りに行く時は穴場に案内して頂戴」

「分かりました」

「咲夜、釣れた分料理してくれるかしら」

「館に戻り次第すぐに」

そういえば。

吸血鬼の館である紅魔館のすぐ近くには湖があるが。

彼処にはあまり魚はいない。

いるにはいるが、魚はあまり多くは無いので、釣りと言うよりも暇つぶしに来る釣り人が多い。

多分レミリアもそれは知っていたのだろう。

館の前にある湖には、見向きもしなかった。

そのまま紅魔館に案内される。

もう帰れと言われるかと思っていたので意外だったけれど。咲夜に誘われて、一緒に料理をする。

料理の時はきっちり手を洗い。

エプロンも借りてつける。

人肉料理を出したりもするという噂がある紅魔館だが。

人の死の嫌な臭いは。厨房ではしなかった。

住職は言っていた。

今の吸血鬼姉妹からは、人間を喰らっている妖怪特有の臭いはしないと。

血は恐らく幻想郷の賢者から提供されているのだろうけれども。

それは多分生き血ではないだろうとも。

一緒に並んで魚を捌く。流石に本職。咲夜の包丁捌きは見事だ。小傘も負けてはいられない。

命蓮寺では生臭を調理することはないが。

鍛冶のスキル持ちだ。

一応包丁は最初から扱えた。

そして最近は料理をする機会が増えたので、包丁の扱いにも習熟してきた。

魚を捌くのは久しぶりだが。

まあ三枚おろしくらいなら何とでもなる。

「川魚は寄生虫が怖いので、しっかり火を通しましょう。 料理は何にしますか?」

「お嬢様は天ぷらが好みです」

「分かりました」

丁寧に骨を取って。衣をつけて。下ごしらえもして。

それから揚げる。

いわゆる生臭になるから、命蓮寺では殆ど肉料理の類はしないので、魚を料理するのは久々だ。料理は最近どんどん技量が上がっているが。それは命蓮寺のみんなに驚いて貰いたいから。如何に肉を使わず美味しい栄養のある料理を作るか。それについては住職もかなり研究している様子で。住職と並んで料理をすることも多い。住職はかなり凝ったレシピをどこからか貰ってくることもよくあって、再現するのは楽しかった。

最初は驚きを得るためだった。

つまり自分のためだったけれど。

今は驚いて貰うのが素直に楽しくなっている。おなかも一杯になるし、小傘にとっては良い事づくめだ。料理は昔は好きでも何でも無かったが。今は普通に好きである。

綺麗に上がった天ぷらを並べて出す。

紅魔館の構成員達も集まっているようだった。

和食に皆馴染んでいる。

だるそうにしているパジャマっぽい服の魔法使いも。

使い魔らしい小悪魔も。

レミリアと妹のフランドールも。

後は門番の中華拳法使い紅美鈴も。

レミリアの釣果を、しっかり美味しく食べているようだった。

良かった。

丁度これくらいで充分だろうと思ったのだけれど。妖怪にはたまに凄い大食いがいたりする。

幸い紅魔館の面子は、少し美鈴が多めに食べるくらいで。

それは以外はむしろ小食な様子だったので。

とりあえず問題は無さそうだ。

「天ぷらには一家言あるつもりだったのだけれど、これは充分に美味しいわね。 貴方は食べないの?」

「私は驚きしか食べられないんです。 みんな美味しいと喜んで驚いてくれたのが分かります。 要するにおなかいっぱいです」

「そう。 随分と経済的なこと」

「そうですね」

レミリアは小傘の笑みに裏がある事に気付いただろうか。

上手に相手を驚かせることが出来ず。

夜道で相手を脅かすことしか考えておらず。

結果として、身を滅ぼしかけた。

小傘は比較的器用だが、頭は悪かった。だからどうしても、発想を転換する事を思いつけなかったのだ。

住職に助けて貰わなかったら死んでいただろう。

いや、住職だけではなく、いろんな人や妖怪が助けてくれた。あの時の事は忘れない。忘れないからこそ。色々な驚きを探せと言われた今は、素直に従っている。

妖怪は精神が死ななければ死なないが。

その精神が壊れる寸前まで行ったのだ。

忘れてはならない。

自分のために泣いた子もいたのだと言う事を。

今は、何も夜道で傘を開くことだけが、相手を驚かせることでは無いと小傘も知っているから。

おなかはいつも一杯。

力も存分に振るう事も出来る。

それでも妖怪としては強い方ではないし。

戦いそのものが嫌いな事には代わりは無いが。

その後、山菜を分けて貰う。レミリアがタラの芽が大好きらしく、かなり山菜は蓄えているらしい。

これはおいしそうだ。命蓮寺の皆も喜ぶだろう。

礼を言って、紅魔館を後にする。

釣りは随分していないが。

流石に住職も、釣りを手伝うことを殺生の幇助だと言う事は無いだろう。流石に其処まで厳格な人ではない。

命蓮寺に戻ると。

皆、夕食を待っていた。

釣りをして来たと、何処かで聞いていたらしい。

絶滅寸前の山彦。幽谷響子が、何か釣れたと、尻尾を振ってくるが。流石に苦笑いしか返せない。

山菜を住職に手渡すと。

一緒に料理をしないかと誘われたので、頷く。

流石におなかいっぱいだけれども。

料理の腕は磨いておいて損は無い。

いつでも驚きを得られるようにしておく事。

それが大事だ。

「これは良い山菜ですね。 紅魔館はどこから仕入れているのでしょうね」

「分かりません。 多分その辺は親分さんの方が詳しそうですけれど」

「そうですね。 今度聞いてみましょう」

山菜は確かに良いものは美味しいが、まずいものは相応である。

野菜がどうして人里であんなに流通しているのか。

それは人間向けに美味しく改良されているからだ。

直接野菜や山菜を食べられなくても。

長く人を見てきた小傘はそれを知っている。

住職は料理をたまにやる。命蓮寺では出家信者回り持ちで料理をやっているけれども、どうしても苦手な者もいるので、研究も兼ねて時々台所に立つのだ。なお料理の腕はレシピさえしっかりしていればしっかりしたモノを作ってくる。

要するに再現力が高いので。

駄目な料理を作る人にありがちな、レシピに余計なアレンジを加えて大惨事を引き起こすような人では無い。

逆に言うとダメな料理をよくする事もレシピの出来を見抜くことも出来ないので。

その辺りはまだ要相談だろう。

小傘は朝も夜も回り持ち関係無く台所に立つことが多いが。

それは驚きを得るための訓練。

仏教徒になるつもりはないけれど。

食客として扱ってくれるなら此処で受けた分くらいの恩は返すし。

何より住職に言われたように、生きるために必要な驚きを得るための訓練はしていかなければならない。

それにしても、味見くらいしか出来ないのに。

料理を喜んで貰えているというのは、或いは小傘には料理人の才覚もあったのか。

それはそれとして、妙な気分だ。

料理人を人里でやっていれば。

或いは最初から全て解決していたのかもしれないのだから。

「釣りは楽しかったですか?」

「レミリアさんは楽しそうでした」

「そうですか」

「?」

住職は、それ以降釣りについては何も聞かなかった。

なお、山菜を料理して出した夕食は、皆に好評で。

昔にはもう戻りたくないなと、驚きを充分に摂取した小傘は、思うのだった。

 

4、竹林から離れて

 

人里の端を見回っていた藤原妹紅は、目を細めて足を止める。天狗を見かけたからだ。それも地上で、そわそわと周囲を見回している。

人里を守る自警団としての仕事をしている妹紅は、幻想郷でも最上位に入ってくる戦闘力を持つ人間だ。とはいっても不老不死なので普通とはとても言えない。年齢も見た目とはまるで別。戦闘経験が多い上、不老不死。その上妖術も多数身につけているため、実力は生半可な妖怪なら束でのせるほどである。荒れていた頃の妹紅を知る者は、今の妹紅を見て、随分優しくなったと驚くことも多い。優しくなったつもりはないのだが。

気合いを入れて見回りをしていたのには理由がある。

ここのところ妖怪の山で大きな出来事があったらしく。

天狗が新聞を配っていない。

いや、配っているには配っているのだが。

それの内容が露骨に変わった。

ゴシップ記事だったものが。

多少たどたどしいが、まともな新聞に変わってきている。

天狗がまともな新聞を書いていると、驚き苦笑している者も周囲にいたが。

どうも何か大きな出来事があったなと、妹紅は職業病で考えてしまうものなのだった。

天狗の組織がグダグダも良い所である事は妹紅も知っていた。

守矢がその隙を突いて、一気に勢力を拡げていることも知っていた。

そして天狗にとっての唯一の娯楽のこの変貌ぶり。

取材と称して弱い妖怪を嬲りものにし。

挙げ句の果てに必要に応じて消す。

そんな事をやっていた連中だ。

賢者が重い腰を上げたのか。或いは何かもっと大きな事があったのか。

天狗がいるという事は、守矢が天狗を屈服させ、支配下に置いたという最悪の事態は避けられたのだろう。

もしそうなっていたら、当面人員整理が行われて、天狗は山から見かけなくなったはずだ。新聞どころでは無いだろう。

いずれにしても、間違いなく何か大きな事があったのだ。人里に何か影響が出る可能性は小さくなかった。

だから気合いを入れて警戒していた。

そんな中で見かけた天狗である。なお、相手は知っている。姫海棠はたてである。

殆ど見かけない天狗で、かなりのお嬢だと聞いた事がある。有象無象の天狗に比べるとかなり強く、多分天狗の中でも実力は上位に食い込んでくるはずだ。その一方で親が過保護だとかで、滅多に人里には出てこない。

射命丸辺りは、人間に変装して平然と人里に来るのに。

咳払いすると。

妹紅は、戦闘態勢を崩さないまま、声を掛ける。

「おい」

「っ、何!?」

「此処はもう人里だ。 最低限の変装くらいはしろ」

「おっと、本当だわ。 失礼」

ひゅうと、つむじ風がはたての身を包む。

それが収まったときには。

はたての服装は、地味なものに一変していた。背中の翼は隠しているし。確かに人間に見える。

真っ昼間から、妖怪と分かる姿のまま人里に出入りすることは御法度である。理由があるなら姿を人間に見えるようにしろ。

長い間を掛けて。

妖怪と人間の間で作られていった決まり事だ。

妖怪の中には、もうこの辺りが面倒で、最初から人間にしか見えない姿をしている者もいる。

ごくごく例外として、人里で受け入れられている妖怪もいるにはいるが。

無害かもしくは時間を掛けて馴染んでいった存在であって。

少なくとも天狗のように人間の脅威になりうる存在ではない。

真っ昼間から来た妖怪を見かけたからには、害がないと言い切れない相手に対しては、誰何する義務が妹紅にはある。

「何用だ。 取材か?」

「ええ。 でも、貴方にではないわ」

「そうか。 あまり取材対象に迷惑を掛けないようにな」

「分かってる。 それじゃあね」

小走りで人里の方に行くはたて。

まあ彼奴が人をさらったり食ったりはしないか。

天狗に何かあったのか聞こうと思ったのだが、まあ仕方が無い。

その内博麗の巫女でも姿を見せたら聞けば良い。

もしも問題が大きいのなら、どうせ姿を見せるだろう。

それに人里の方で備える事があるのなら、妹紅に声くらい掛けてくるはずだ。

土手に出る。

誰かが夜釣りをした形跡があるが。

綺麗に片付けられている。几帳面すぎるほどだ。

マナーの悪い釣り師は何処にでもいるが。

少なくとも此処で釣りをした奴は違った、と言う事だろう。

特に問題は無い。此処は釣り場としては比較的危険な方だが、どう見ても夜釣りの跡で。入念に調べた後に釣りをした形跡がある。

ならば此方でも言う事は無い。

少し歩いていると、あっと前から声が聞こえた。顔を上げると、見覚えがある奴がいる。

確か複数回幻想郷で問題を起こした人間。

宇佐見菫子だ。

悪い印象は無い。人生に問題を抱えた者同士、意気投合した程だ。

最終的には強豪妖怪達に袋だたきにされ追い回されて恐怖のどん底にあった菫子を、博麗神社に送り届けてやった程である。まああれは出頭に近かったが、その時泣いて感謝された。

「貴方は確か!」

「久しぶりだな。 外での学校生活の問題は解消できたか」

「え、それは……」

「まあいい。 問題さえ起こさなければ、妖怪達もあんなに怖くは無いさ」

何があったのか聞くと。

どうやら入っては行けない場所に入ってしまい、それをしかも賢者の式神に見つかったとかで。

賢者にも霊夢にも散々絞られて、しょぼくれていたという。

それは、正直菫子が悪いとしかいえない。てか、どうしてこう問題ばかり起こすのか。

ただ、今回もきっちり絞られたという話なので。

あまり妹紅からも絞っても仕方が無いとも思う。

だから軽く言うだけにしておく。

「とにかく、好奇心のまま動くと酷い目にあうぞ。 此処はただでさえ外とは違う意味で怖い世界なんだ。 賢者はお前が思っている以上に寛容だが、それでもやってはいけないことをしたら相応の仕置きをされる。 覚えておかないと危ないぞ」

「うう、分かってる……ただ……」

「何だ」

「妹紅さんって、時々おばあちゃんみたいな事言うなって」

おばあちゃんか。

苦笑しかないが。

その通りだと言うことを告げると、流石に菫子も驚いたようだった。

「え、見かけと年が一致しない系!? 妖怪みたいに!?」

「別にべらべら話す事じゃないがな。 これでももう1300年ほど生きているよ」

「はあっ!? せ、1300年!?」

「そうだ。 だから多少は言う事も聞け。 人生経験はまっとうな人間の誰よりも上だろうからな」

「うん……」

菫子もすっかり意気消沈したようだったので。

団子屋に連れて行く。

そういえば玉兎の団子屋が、少し前から休業している。のれんには店主急病のためとか書かれているが、なんでだろう。

ともかく他の団子屋に連れて行けば良いだけの事なので。

その辺りは気にしない。

甘いものを食べると人間は落ち着くものだ。

軽く甘いものを食べさせて。

そして、帰らせる。

一度帰らせるのでは無く。

しっかり此処が怖いところで、下手に好奇心を発揮すると危ない事を教えておくことが大事なのだ。

見回りを終えてきた他の退治屋と合流。

最近鍛え方が足りなかったので、徹底的に鍛え直したからか。

全員多少逞しくはなっていた。

術もそれぞれ得意分野において使えるようにはしている。

強豪妖怪相手ならどうしようもないが。

弱めの妖怪相手なら、どうにでもなる。

博麗の巫女はあくまで例外だ。

少なくとも、人間を殺す可能性がある成り立ての妖獣を苦も無く倒せるくらいには仕込んだし。

それで此奴らには充分だ。

点呼を取った後。

報告を聞く。

どんな細かい事でも見逃すなと言ってある。

理由は当然、妖怪の山の様子がおかしいから。退治屋の一人が言う。

「そういえばあの無害な唐傘お化けが、また山彦と一緒に包丁を売っていましたが、それくらいですね」

「それは放置で良い」

「はい、それが……紅魔館のメイドらしいのも一緒にいまして」

「……ほう」

妹紅が聞かされた所によると。

実演にメイドも加わっていたという。

紅魔館お墨付き、とか幟にも書かれていたとか。

客は苦笑していたようだが。

そのメイド当人が、業物ぶりにぎょっとするように驚いていた様子なので。

或いは紅魔館と命蓮寺で関係強化をしているのかも知れない。

そういう事だった。

「分かった。 後で話を聞いてみる」

「お願いしやす」

「では解散。 今日はこの後も気を付けて見回りをしろ」

「はい」

びしっと敬礼を決める退治屋達を解散させると。

妹紅は、先回りして命蓮寺の方へ急ぐ。

案の定、包丁を売って帰りの小傘と山彦に出会うが。

山彦が怖がるのを見て。

小傘が庇いながら、眉をひそめた。

心に余裕が出てきたからか。

自分より年下だったり、立場が悪かったりする相手を自然に庇えるようになっている。行動にも余裕が出ている。

前は何処か悲壮ささえ感じたのだが。

今は充分「驚き」を腹に入れて、満腹で力も出せるというのが大きいのだろう。

貧すれば鈍するのだ。

「妹紅さん、この子は悪い子じゃないよ。 威圧しないであげて」

「ああ知っている。 すまないが、話を聞かせてくれ。 少しばかり気になる事があってな。 紅魔館のメイドと一緒に包丁を売っていたって?」

「あ、それは親分さんに言われたの。 少し前に、紅魔館のレミリアさんの釣りと、釣ったお魚の料理を手伝って。 そうしたら、その縁を生かせって言われて」

そういえば。

紅魔館と命蓮寺が接近している、と言う話は聞いている。

恐らくだが、妖怪の山の不穏な情勢を見て。

化けダヌキもレミリアも危機感を覚えていたのだろう。

それにしても、メイドをあっさり派遣するとは。

彼奴が事実上の紅魔館の主と言ってもかまわない状況なのだが。

「よくまあそんな露天売りにあのメイドが出てきたな」

「紅魔館で料理したら好評だったから。 包丁を私が作ったと言ったら、出来を見てこいって咲夜さんが言われたみたい。 それで丁度良いから、露天売りで手伝って貰ったの」

「そうか……まあそれならば良い」

「うん。 咲夜さんも驚いたみたいで、こっちが驚いちゃった。 もっと腕を上げれば、みんな驚いてくれるかな」

仏教の寺に行ったのに。

良い意味で貪欲になっている気がする。

いずれにしても今の小傘は最底辺の妖怪でも、膝を抱えて隅っこで泣いているだけの妖怪でもない。

或いは命蓮寺の住職の方針か。

どこででも生きていけるように、誰でも驚かせる事が出来るように、色々な方法を試せと教えているのかも知れない。

小傘は元々かなり器用だ。

鍛冶のスキルがある事は知っていたが。

応用すれば幾らでも使い路がある。

最悪命蓮寺がなくなっても、人里で料理屋をやっていくのも有りかも知れない。

まあ不謹慎だからそんな事は口にしないが。

なお包丁は二振り作って。

一振りは気前よく紅魔館のメイドに譲ったそうだ。

実演でどれだけの業物か一発で分かったメイドは、静かに喜んでいたという。

あの鉄仮面が。

まあそういう事もあるのか。

小傘は頭が悪いが。

ブレインがつけば器用さを生かせるタイプだ。

そして今、理想的な環境にいるのかも知れない。

ならば、これ以上の無駄話は本人のためにもならないだろう。

「無駄話につきあわせて悪かったな。 それと顔が怖いのは昔からだ。 あまり怖がってくれるな」

「うん。 響子ちゃん、いこう」

「分かった」

ちょっと不安げに妹紅を見ていたが。

それでも、小傘に手を引かれたのが切っ掛けになったか。

山彦の響子は一礼すると、小傘と一緒に命蓮寺に戻っていった。

それにしても小傘の奴。無自覚のようだが、あのまま修行すれば。付喪神なんて最底辺ではなく。或いは護法神の類になれるのではないのか。

もっと何百年と修行しないといけないだろうけれど。

それでもその先にあるのは、きっと光に満ちた場所だ。

ずっと血まみれの道を歩いていた妹紅は、今は多少落ち着いているに過ぎない。

小傘が多少羨ましい、とさえ感じた。

それから、夜まで見回りを続ける。

夜になると。

千鳥足で、小柄な人影が人里に来る。

見覚えがあるが。

今はそれほど危険な存在ではない。

元鬼の四天王。

伊吹萃香である。

実力で言うと四天王の中でも図抜けているが、それも当然。此奴はあの日本三大妖怪の一角、酒呑童子の今の姿だ。

「おっと、見つかったと思ったら不死身の蓬莱人」

「酒か?」

「ああ、そうだ。 良い魚を出す店があってな。 うひひ」

「今はもう夜だし、朝までに帰るなら別に問題は無いさ」

道を空けてやる。

一緒に飲むかと言われたが。

仕事中と応える。

絡んでは来なかった。

「そうか。 私は仕事が丁度終わった所でな」

「仕事?」

「妖怪の山が揉めてただろ。 それで私も、ちょっと面倒なのを見張ってたんだよ」

「……」

此奴が見張るレベルの相手となると。

思い当たるのは、幻想郷随一の危険分子と言われる比那名居天子か。

それはご苦労さんとしか言えない。

千鳥足で、萃香は妖怪にも酒を出す店に消えていく。あれだけ飲んでいるのに、まだ飲むというのが凄まじい。鬼と言う種族そのものだ。

今は人も喰らっていないようだし。

妹紅が手を出す理由も無い。

今日、彼奴が行く店の店主はさぞや儲かる……というか在庫がすっからかんになるまで飲まれるだろうが。

まあそれは儲かるという事も意味する。

それなら別に言う事も無い。

萃香はむしろ金払いが良い方で。

それについて文句が出たという話は聞いたこともない。

さて、見回りは適当な所で切り上げて。

自警団の事務所にしている家に戻る。

状況を引き継いだ後。

壁に背中を預けて眠る。

もうしばらく、床で眠ったことは無い。

基本的にいつ襲われても対応出来るように眠っているが。

もうこれは病気のようなものだ。

この姿勢でないと眠れない。

血だらけの道を1300年も歩いていると。

そういう癖がついてしまうのも、致し方あるまい。

しばらく眠って。

それから起きだす。

引き継ぎを受けた感じでは、特に問題は無さそうだ。

少しだけ不安になったので、博麗の巫女の所に行ってくると告げて、人里を出る。

博麗神社に赴くと。

怠惰な巫女は、普段以上にぐったりしているようだった。

「何だ、二日酔いか」

「違うわよ。 てか酒なんて数日飲んでないわよ」

「何かあったのか」

「あったけれど、人里には迷惑は掛からないから気にしなくて良いわ」

なるほど。

どうやら天狗関連で、何かあった事は確定か。

縁側に腰を下ろすと、土産に持ち込んだ干物を渡す。干物だから、長持ちすることだろう。

ありがとうと、だらだらした声で応えると。

霊夢はスローな動きで立ち上がり、茶を淹れ始める。

あの様子だと、本当に疲れているのだろう。

萃香が繰り出されるくらいだ。

余程の面倒事があったのだろうなと、妹紅は悟り。

追求は止めた。

これ以上は藪蛇になるからだ。

「粗茶だけど」

「いや、充分だ」

一杯だけ茶を貰うと、引き上げる事にする。

いつのまにか人里が大事になっている。

一時期は里だろうが妖怪だろうがどうでも良くて。道を阻む相手は手当たり次第に叩き伏せていたのに。

確かに多少は落ち着いたのかも知れない。

「あんたがわざわざ博麗神社に来たって事は、何かあったと気付いた訳ね」

「ああ。 だが人里に影響が出ないと言うことは、幻想郷全体規模の問題では無いという事だろう」

「……正確にはあるんだけれど、もう収束したから、あんたに手を借りる必要は無さそうよ」

「そうか。 いずれにしても大変だったな」

今度は手伝いを頼むかも知れない。

そう言われて、妹紅は頷く。

自然に、頷いていた。

いつのまにか、すっかりあの暗闇の道を歩くのが嫌になっていたらしい。

後進を育てたり。

不幸な目にあう奴を助けたり。

そんな事をしているのが、いつの間にか性にあうようになっていた。

そのまま、人里に戻る。

また何か問題があるかも知れないし。

有事で戦力になる妹紅は。

人里にいた方が良いだろうから。

 

(終)