月の裏側

 

序、月の真実

 

月は、常に地球へ一定の面を向けつづけている。故に、古来より地球から観察できるその模様は一定であり、様々な神話の題材となってきた。

日本では、月にはうさぎが住んでいるという神話がある。大きな鋏を持つ蟹という解釈もあり、これはヨーロッパの神話だ。南アメリカでは、月に住んでいるのは、何と鰐だという。

もちろん、時代と供に、それは月に無数に刻まれたクレーターが造り出した幻想だと言うことがはっきりしてきた。望遠鏡が発達すると供に、神話は過去へと葬り去られ、ますます強固に科学的な真実が浮き彫りとなっていったのである。

しかし。

月には、それでもなお、人類にとって、未知の領域があった。

裏側である。

なまじ表側が見えてしまっているからこそ、それは神秘性を増した。中には裏側が見えないことを根拠に、月は円盤であるなどと言う珍説を唱える者さえもがいた。

やがて、人類が宇宙に探査用ロケットをとばせるようになると、当然月の裏側は、調査の対象となった。今までどうやっても見ることが出来なかったそれも、探査船からの撮影で、充分確認することが出来るからだ。

そうして、アポロ計画が稼働した頃。人類は、とある事実に直面して、それを知ることになる。

あくまで民間には秘匿され続けたその情報は、人類へ宇宙への興味をかき立てさせると同時に、恐怖も煽ったのだった。

 

何度目の月探査船であろうか。

NASAの宇宙港から打ち上げられたその巨体は、わずかな先端部分のみを宇宙に飛ばすと、残りは全て焼き尽くされるか外されて捨てられ、地面に落下していった。加速して大気圏内を抜けると、後はスィングバイの力も利用して、更に速度を上げる。

成功だ。今や最高の技術を独占しているアメリカ合衆国製のロケットは、完全に予定通りの飛行ルートに入った。無人船とはいえ、膨大な国家予算の結晶である。船が無事飛び立ったことを、一流の人材が集められた研究チームは皆安堵していた。

表向きは火星の探査衛星であり、事実其処まではいく。だが、本当の目的は、月の裏側の定期的な撮影である。すぐれたカメラを搭載した探査船は、加速する過程で、月の裏側を撮影し、地球へと送り届けるのだ。計440枚の写真が撮られ、それらを受け取ったNASAでは、いつものように、公開できるものとそうではないものへと、振り分けようとしていた。

チームリーダーのジェネシスが、研究チームの一人サムソンに呼び出される。真っ青な顔をしているチームメンバーは、ノーベル賞候補にも挙がったことがあるほどの、高名な大学教授だ。経歴はチームリーダーには劣るとしても、分別をわきまえている社会的な大人の筈の彼が、此処まで取り乱すのである。チームリーダーも、ただごとではないと察するのに時間は掛からなかった。

呼ばれるままに、無数の写真を収めている研究ルームへと急ぐ。

今の時代、デジタル加工された写真は、わざわざ現像しなくても見ることが出来る。ましてや、NASAに配備されているものは、最高品質のものである。生半可なカメラでは敵わないほどに、美しい映像を造り出すことが出来る。

だからこそに。その映像は、より強烈な衝撃で、チームリーダーを迎えた。

何が起こっているかは、一目瞭然であった。

「見ての通りです。 いよいよ、彼らが動き出すようです」

「信じられん。 アポロ計画の初期段階から、全く動きを見せていなかった彼らが、何故今になって」

「兎に角、動き出したのは事実です。 近日中に、発表を行わなければならなくなる可能性も高いでしょう」

「そうだな。 知らなかったでは済まされないからな。 すぐに大統領へ対応を要請しろ」

頷くと、すぐにチームが動き出す。どうせ探査船そのものは、火星への安定飛行に入っていて、しばらくは手を出すこともない。後は積んでいるコンピューターが、勝手に微調整をしてくれるからだ。

大統領を呼び出す部下を横目に、改めて画面を見直すジェネシス。

其処に映っているもの。それは。

高度に入り組んだ、月の裏の地形。明らかな人工物の数々。それも、地球の文明とは、明らかに違う構造のものばかり。

そう。

月の裏には、人ならぬ者達の都市があるのだ。

アポロ計画の頃から、知られていたことだ。もちろん、地球人類は彼らにコンタクトを何度となく試みてきた。しかし、反応が全くなかった。何度か送り込んだ探査船は、ことごとく近付いただけで撃沈され、あらゆる方法で試みられた交流も、ことごとく空振りに終わっていた。

宇宙の友人がどうのこうのというような、夢のある話ではない。

月まで進出するほどの文明の持ち主である。どうやって月に来たのかを解明するだけで、数十年は文明の進展が見込める。だから、米国は必死になって月の裏側にある都市との交流を図ってきた。各国の上層がそれを掴んだ後は、独占しようと躍起にさえなっていた。

だが、近年ではあまりにも反応がないため、交流は諦めかけていたのだ。

それだというのに。どうして、今頃になって、向こうが動き出したというのか。

「チームリーダー」

「どうした」

「大統領が」

それだけで、ジェネシスの足を向かわせるには充分だった。

たまたま日本を訪問中だった大統領が、テレビ電話に出ている。アメリカで三番目になる黒人の大統領で、敏腕で知られる男だ。現在では、赤道直下で進められている軌道エレベーターの建造計画の音頭を取っていることでも知られている。それにより、ノーベル賞まで取ったほどなのだ。

アメリカのエリートは、基本的に桁違いの能力を持っていることが多い。彼もその例に違わず、科学の面でかなりの知識を持つ。その上洞察力も鋭いので、ジェネシスも面と向かって立つと緊張した。

禿頭のカーマイン大統領は愛想のひとかけらも浮かべず、厳しい表情だった。

「ジェネシス君。 状況を説明して欲しい」

「は。 月の裏側には、三つの都市が存在することは、既にご存じかと思います」

「ああ。 いずれも大型のクレーターの影に存在していて、高度な自衛能力を備えているのだったな」

「はい。 その一つ、我らがβと呼ぶ都市が、不意に活動を開始しました」

βは、二番目に発見された都市だが、その規模が段違いだと言うこともあって、もしも月の裏側が国家として動いているのなら、首都であろうと推測されていた。映像を示す。それが明々と輝いており、しかもなにやら衛星のようなものを打ち上げているのだ。今のところ、まだ一つだけではあるが。

「これは、どうやって打ち上げているのだ」

「我々の文明では理論上でしか実現していないのですが、マスドライバーでしょう。 月の重力が地球よりだいぶ小さい事を考慮しても、恐ろしい技術力です」

マスドライバー。

要するに、宇宙空間まで物資を打ち上げるカタパルトだ。空母が標準的に積んでいるあれを、宇宙まで届くように強力化したものと思えば分かり易い。地球よりも重力が遙かに小さい月であれば、非常に有効な重力圏脱出手段だと見込まれていた。

それを、まさか異文明の者達に、先に行われるとは。

科学技術の進歩は、21世紀の半ばから一気に鈍化した。それが故に、どの国も月にはなかなか進出できてはいなかった。もちろんマスドライバーも実現は出来ていない。しかも、月の裏側が今までまるで動きを見せていなかったことを考えても。発見当時から、技術的には似たようなものを確保していた可能性が高い。

「しかし、どうして今頃になって、彼らは動き出したのだ」

「分かりません。 ただ、射出した小型の宇宙船から考えて、侵略をしようというのではないでしょう。 もちろん未知の細菌兵器や、強力な戦略兵器を打ち込んでくる可能性もあります。 警戒は最大限に保つ必要があるでしょうが」

「分かった。 ICBMの準備を進めてくれたまえ。 後は、宇宙ステーション神楽に、オペレーションαの起動を」

大統領は冷静に、大陸間弾道弾と、この日のために準備してきた、宇宙空間上の目標に核ミサイルを射出するプログラムの起動を命じる。当然のように、米国は今では宇宙空間に核兵器を配備しており、いざというときには、月の目標に炸裂させる事も出来るようにはしていた。もちろん、月の文明側の防衛能力から考えて、それでも不十分だという意見も出ていた。しかし、備えないよりはいい。

緊張の時間が続く。

やがて、月の裏側から射出された衛星が、地球の軌道上に乗った。スペースデブリの類を巧みに避けて、するりと滑り込むように、である。緊張を湛える米国の主要回線。既にその時には、中国、ロシア、日本、EU等でも、状況は把握して、裏で動きが開始されていた。特に血の気が多いロシアの宇宙軍は、ICBMを発射基地に配備し始めてさえいる。まあ、血の気が多いという点では、アメリカも大して代わりはしないのだが。

無数の核兵器に狙われる衛星の様子が、徐々に分かってくる。直径十六メートルほど。ごてごてと機械がついている様子はなく、まるで水滴のような形状だ。滑らかすぎる表面は、何かしらの廃棄物資なのではないかという意見をも出させるほどであった。だが、どうやってかは分からないが、衛星が的確に姿勢制御をして、地球の軌道上に乗っているのは事実なのだ。恐ろしい技術が詰め込まれているのは間違いない。

「月より、第二の射出物!」

監視班が叫ぶ。今度の射出物は大きい。直径は百メートルを超えていて、しかし形状はさっきと同じ水滴型だった。緊張した各国が見守る中、大型母船は複数の小型衛星を射出し、それらの全てが衛星軌道上に滑り込んだ。母船は軌道衛星上に乗ろうとせず、月と地球の中間地点を維持している。

八つの小型衛星が、軌道上にて安定。

最初の衛星射出から、七日が経過していた。大統領も早めに各国訪問を切り上げて、ホワイトハウスに帰還していた。訪問そのものは、影武者に行わせるという念の入りようである。

監視チームは、殆ど一週間寝ていなかった。月側の動きが、あまりにも機械的かつ無駄がないので、まるで休む暇がなかったのだ。何だか、ただ機械的なプログラムを用いて、作業をしているようにさえ見える。

月の裏側にあるのは、単なる工作機械の基地群だったという説さえあった。それをジェネシスは思い出していた。ひょっとすると、本当なのかも知れない。しかしそうなると、彼らは一体何を始めるつもりなのか。それが分からない。衛星軌道上から、各国の主要都市を同時に狙うのは難しいという報告が来ている。それなのに、彼らは一定の間隔を保ったまま。静かに漂っているのだ。

中国側の偵察衛星が、月側の衛星に、静かに忍び寄っていった。無人衛星だが、馬鹿なことをするものである。一気に緊張する各国の首脳。

だが、ある程度進んだ所で。中国の衛星は、急に機械的トラブルを発生させて、押し戻されるように元いた位置へ戻っていった。

誰もが安心したが、それは長続きしなかった。

突如、事態は急展開したからである。

 

1、22世紀の日常

 

日本の高校生である櫻井香奈実は、自室のベットに転がって、ポテトチップスをほおばりながら、ぼんやりとニュースを見ていた。

東シナ海上で、日本と中国の海軍が、小さな油田を巡ってにらみ合っているとか、西ヨーロッパでのドイツとフランスの小競り合いが徐々に激化しているとか、そんな内容ばかりであった。一世紀前は、経済戦争の話題ばかりだったとか言うのだが、信じられない。

海面の上昇も著しく、幾つかの島国は既に消滅してしまっている。日本の海岸線、特に東京近辺はコンクリートで固めており、海水浴は地方まで行かないと出来ない有様である。もっとも、20世紀の末くらいまでは、日本の海など汚すぎて海水浴など気持ちよくは出来なかったらしいのだが、そんな事は知らない。何しろ香奈実は、海水浴自体、したことがなかったからだ。

「香奈実、晩ご飯よ」

「はいはい」

下の部屋から来た、母親の声。テレビを消そうとして起き上がった香奈実は、唖然とした。

いきなりテレビ番組が消えて。不意に何か気味の悪い生物が写り込んだからである。

テレビのチャンネルを弄ってみるが、何処も同じ映像を映し出している。その気味が悪い生物は、うさぎにどこかで似てはいたが、細かい部分のバランスがことごとく違っていた。目らしきものは額にもあり、頭からは長い何かが直上に伸びている。触角だろうか。

全身は緑色で、口の中には大きな前歯が見える。人間とうさぎを足して二で割ったような姿だなと、香奈実は思った。どれだけチャンネルを変えても、映像に代わりはない。普段は砂嵐になる番組まで、同じ生物が映っていた。

「香奈実、どうしたの」

「母さん、見て」

部屋を見に来た母も、テレビを見て小首を傾げた。携帯電話が鳴る。取り出して電波を受信すると、バストアップの立体映像が浮かび上がった。幼なじみの親友である、菊埜(きくの)からだ。菊埜は風呂上がりらしく、ターバンのように髪をタオルで巻いていた。長い髪が綺麗な娘なのだが、性格は香奈実と同じく悪い。

「かなみ、テレビ見てる?」

「見てる見てる。 何このクリーチャー」

「さあ。 で、さっき気付いたんだけど、医療とか警察とかのラインだけは生きてるみたいだよ」

言われたとおりにテレビを切り替えると、確かに警察回線や、医療回線は生きているようだった。ただしアクセスが集中しているらしく、重い。

「ハッキングかしら」

「さあ、だとしても、こんな大規模なのは私も見たことがないけれど」

かって、映像や報道が絶対であったという時代もあるらしいが、今ではそれもない。ハッキングによる映像侵害くらい日常的に起こるのが現在だ。だから、訳の分からない映像がテレビに映り混むこともある。ただ、これほど大規模なものは、初経験であった。

母子で小首を傾げる内に、映像のクリーチャーが動き出した。口元がもごもご動くと、音声が聞こえ来る。

「地球のみなさん。 はじめまして」

「はあ?」

「何このキモいうさぎ。 何いってんの?」

香奈実と菊埜で、呆れた声を掛け合う。だが、この強烈なハッキングという事実を見せつけられている現状、あまり笑い飛ばすことも出来ない。このようなこと、国家レベルでのバックアップを受けたハッカーにでも難しいだろう。この国は、今でも世界最高水準の技術を保持しており、様々な事件を経験した結果、ネットワークの防衛技術も高い。だからこそに、あり得ないのだ。

「これから、我々が何者かを、あなた方にお教えいたしましょう。 そして、あなた方と交渉を行わせていただきたい」

「交渉だって。 何言ってるのかしら」

「とにかく、夕食にしましょう。 何処の番組もこうなってるんじゃ、下で見ても同じでしょうし」

「そうね」

一旦テレビを切ると、携帯も一度停止して、下へ。

円筒形の家事サポートロボットが、皿を頭に乗せて来る。世界でもっとも早くロボットが普及した日本ならではの光景だ。フレキシブルアームを伸ばして配膳するロボットを横目に、香奈実はご飯を炊飯器からよそう。

テレビを付けると、相変わらずうさぎが喋っていた。配色が気味が悪くて、高度に日本で進化したアニメーションのデザインが、如何に現実を越えてしまっているかがよく分かる。

「まず最初に説明させていただきますと、我らは宇宙人です。 あなた方の単位で、2000光年ほど離れた星からやってきています」

「2000光年だって」

「妙に現実的な距離ね」

母が口に料理を運ぶ。

母と言っても、十一歳しか年は離れていない。父の再婚相手なのだ。その父も四年前に他界して、今ではすっかりこの二人での生活が続いている。年よりも遙かに若く見える母なので、時には姉妹に見られることもあるほどだ。

子供はいるが、まだ託児施設である。今時、ロボットが幼児の世話をするのは普通のことで、七歳くらいまで親と暮らさない子供さえいる。冷凍保存された精子と人工授精で作った子供は、まだ二歳である。母はそれなりに託児所に足を運んでは、子供との接し方を勉強している所だ。時々香奈実も託児所に行って妹を抱き上げているのだが、そのたびに泣かれるので、辟易していた。

「我々先発調査隊は、大型のビジネスのために、星間調査船で400年ほど前にやってきて、あなた方が言う月の裏側に拠点を作成しました。 今、話をさせていただいている私kldhsflsrhdfihrgは第七次調査隊の隊長であります。 あなた方の基準で、五年前からこの月基地に駐留しております」

「聞き取れない名前ね」

「まあ、妙に可愛らしい名前よりは良いけれど」

香奈実と母の性格は、微妙に似ている。宇宙人とやらが自分の説明をしている横を、家事サポートロボットが、黙々と掃除している。掃除機は非常に静かであり、かって轟音と供に埃を吸い込んでいた機械と、同じものとは思えない。

うさぎっぽい生物が、側に頭の触手を伸ばして、なにやらカップらしいものを取り出した。

そして口らしき場所へと運ぶと、ぱくりと飲み込んでしまう。カップごと食べるものであったらしい。ちょっと驚かされる映像であった。

「ええ、我々が目的とする取引物質は、あなた方の海に多量に含まれている、カルシウムの一種なのです。 これが、あなた方の文明で、全く活用されていないことは分かっています。 我々の星ではこれがとても不足していて、人工的に生成しているのですが、とてもコストが掛かるのです」

「カルシウムなんかのために、わざわざ2000光年も来てるっていうんだ」

「何だか進んでるんだか、遅れてるんだか、よく分からない宇宙人ね」

「もちろん、ただでとはいいません。 銀河連邦の規約によって、文明の提供はできないのですが、代わりに物質の提供をさせていただきます。 あなた方が、現在軌道エレベーターの建造をしているのは、既に我々の文明でも察知しています。 その軌道エレベーターの計画が、近々頓挫すると言うことも」

流石にこれは、香奈実と母が、同時に唖然とした。

赤道直下で行われている軌道エレベーターの建造は、珍しく各国が協調していることで有名なビックプロジェクトだ。軌道エレベーターが実現すれば、宇宙空間で極めて効率の良い太陽熱発電を行うことが出来る他、様々な恩恵が人類を潤すことになる。宇宙へ出るのも簡単になるし、宇宙空間で捕らえた小惑星を分解して、地球に下ろすことで、膨大な資源を確保することも出来る。

だが、順調だと聞かされていた軌道エレベーターの計画が頓挫するとは、いかなる事なのか。

うさぎの映像が消えて、軌道エレベーターの計画が表示される。かなり分かり易い映像であり、今まで組まれたどの特集よりも緻密で、しかも深部に到るまでの設計が示されていた。

「これ、本当に宇宙人だったら、今頃アメリカはパニックじゃないの?」

「かも知れないね。 軌道エレベーターを主導していたのはアメリカだったし。 あ、でも見て。 此処の素材を提供しているのは、中国って言ってるわよ」

さっきまでの気楽な雰囲気は、どこかへ失せていた。

そして、淡々と続けられる説明に、いつしか食事も忘れて集中していた。

 

翌朝。寝不足気味の頭を揺らさないように気をつけながら、香奈実は学校へ急いでいた。まだベルトウェイが配備された地面は少ないから、自分の足で歩かなければならない。どこかで、犬が遠吠えしていた。

全世界中のテレビネットワークを全て乗っ取った放送は、四時間にわたって続いた。そしてそれは唐突に終了し、後は大混乱が世界中を覆った。

放送の中には、月の裏の隠蔽されていた情報もあり、それはNASAが今まで公開してきていたものとは根本的に違った。幾つかのクレーターの影に、巨大な都市群が映し出されており、UFO論者や陰謀論者はそれを見て驚喜していた。

また、軌道エレベーター計画の嘘についても、議論が紛糾していた。

宇宙人の主張によると、今建造されている軌道エレベーターには、二つの無理があるという。

一刀両断とも言える指摘は、多分地球に利害が絡んでいない宇宙人だったからなのだろう。香奈実はこれから学校中が大騒ぎになっていることを予感して、ちょっと既にげんなりしていた。

宇宙人の指摘する二つの無理。まず一つは、芯となる部分の、強度不足である。

世界最大どころか、地球史上最大の建造物となること確実の軌道エレベーターには、巨大な芯が必要になる。分厚い地盤に突き立てられる芯となる素材については、中国が提供している特殊合金が使われていたのだ。

だが、これは宇宙人によると、耐久強度と年数が決定的に欠けており、実際に建造した場合軌道エレベーターが倒壊するだろうというのである。これに対して、プライドが高い中国政府がどんな風に反論するのかが面白そうである。

また、もう一つの無理。それは資金である。

現在軌道エレベーターは十四の「先進国」が関わった財団によって建設が進められている。各国から募られた寄付や、国家予算の一部などからも資金が作られているのだが。宇宙人の指摘によると、トップの数人による予算の横流しやリベートが行われており、組織構成に問題があるというのだ。

流された映像の中には、彼らがお金を使い込む様子が克明に映し出されていた。高級娼婦を買ったり、別荘を建てたり。実名や顔まで公開されており、その腐敗官僚どもの下卑びた笑顔までが大写しにされていた。

これに関しては、各国まんべんなく、腐敗官僚が分散していた。その中の一つには、日本の首相と握手して高級料亭で食事をしているもの、中国の国家主席と高級娼婦とよろしくやっている所、さらにはロシアの大統領と豪華なバーベキューパーティをしているものもあり、各国の上層が大混乱に落ちているであろう事は疑いない。

「あなた方地球には、様々な利権があることは承知しております。 しかし、あなた方はこのままでは、地球から出ることなく滅ぶことになるでしょう。 我々としても、低い確率をくぐり抜けて、高度な文明を築くに到った存在が滅び去るのは悲しいことであると考えています。 是非我々と取引をして、現実的な宇宙進出計画を進めることを、期待しております」

宇宙人が最後に宣言した言葉を、もう一度口の中で反芻してみる。

香奈実は非常に昔から記憶力が優れていた。まだ珍しい飛び級で高校生をしているのも、この記憶力が評価されたからだ。昨晩の報道も、殆ど全て覚えている。今日は質問攻めにされそうだなと思うと、もう一つ憂鬱になった。

高校の前に来る。あと十分ほどでチャイムが鳴るから、少し急ぎ足に。上の方の靴箱には手が届かないので、わざわざ下の方を用意して貰っているのだ。開けて、上履きに。中学の時も急ぎ足で進級したから、高校の靴もまだ真新しい。

ぬっと、影が香奈実を覆った。振り返ると、同級生の、男子生徒だった。ぶっきらぼうな眼鏡男で、野球が得意な奴である。長沼というその男は、今日もあまり機嫌が良く無さそうであった。

「よお」

「な、何よ」

「朝の挨拶をしただけだ。 邪魔ならもう行くぞ」

靴箱に靴をしまうと、窮屈そうに上履きを履く長沼。足が長いので、歩くのも速い。何かむっとした。

香奈実はまだ十三才。この年頃の五才差は、かなり大きい。周囲の生徒達は皆香奈実よりずっと大きいから、対等に接してくれる同級生は貴重だ。同じ年の菊埜と未だに交流があるのも、高校でとけ込めていない事が大きいのかも知れない。

小走りに、教室へ。五歳も飛び級している香奈実は不本意ながらかなりの有名人らしく、視線が集まりやすい。放って置いて欲しいのにと、香奈実はよく思う。無理して大人っぽい髪型にもしてみる事が多いのだが、まるで効果がないのが口惜しい。

教室にはいると、やはり視線が集まってきた。席に座ると、案の定だった。自分を玩具扱いする何人かの女子生徒が寄ってくる。

「かーなーみん!」

いきなり後ろから抱きつかれた。ぎゅうぎゅうと頬ずりされる。

名前も良く覚えていないが、確か暁藤子とかいう奴だ。高校生にしては背が低く、それでも香奈実よりも頭一つ大きいのが不愉快である。成績は中の上で、時々数学を教えてくれとせがまれる。家庭環境も把握しているが、わざわざ思い出す意味もない。

どうやらさっきの長沼はこの暁が好きらしくて、それで香奈実に対して敵意を燃やしているらしい。子供に嫉妬するのは実に恥ずかしいことだと思うのだが、その自覚がないのだから始末に負えない。

「ねーねー。 昨日の宇宙人報道、見た?」

「見ました。 多分本物でしょ」

「おお。 かなみんは、本物説か」

周囲の生徒達は、きゃあきゃあと騒いでいた。本物だというのは半分くらいらしく、残りはトリックだのジョーク放送だろうと、自分勝手な意見を述べ立てていた。

「だいたいよー、あの宇宙人とか言うキモいうさぎが、そもそも妖しいんだよな」

「安物のクリーチャーって感じ? ハリウッド辺りの技術者が、適当にでっち上げたんじゃないの?」

そう女子生徒が茶化すと、コンピューターに詳しい男子生徒が反論する。

「いや、あれだけの局を同時に乗っ取るなんて、しかもあれだけの長時間ハッキングを維持するなんて、国の支援を受けたハッカーでも出来ない。 宇宙人かどうかは分からないが、相当な力を持っている奴が動いているって事だろう」

「なんだよ、その相当な力を持っている奴って」

「そこまでは俺は分からん。 でも、笑い飛ばすにはあまりにも難しい条件が揃いすぎているのも事実だ」

彼らの話の焦点は、宇宙人ばかりだ。軌道エレベーターについての交渉や、各国の首脳とも取引がある財団官僚達の醜聞については殆どまな板に上がらない。これは多分、興味が無くて見るのをやめてしまったか、或いは重要性を理解できていないからだろう。

欠伸が出そうになったが、我慢する。これならまだ菊埜の方が、知的な会話が出来るくらいだ。

先生が来て、一旦話題は中断された、かと思った。

「朝礼」

「起立、礼」

「おはようございます」

「おはよう」

一通りの挨拶が済むと、着席した生徒達を見回した、長身の先生は、面白くも無さそうに言った。

「ええ、昨晩の事件は、皆も知っていると思う。 全世界のネットワークが同時に乗っ取られ、警察、医療などの特殊重要回線以外に、宇宙人を名乗る謎の存在が現れた事件のことだ」

「やだ、世界中!?」

「じゃあ、本当に宇宙人なのか」

「とにかく、あのうさぎ、ただ者じゃあないな」

何を今更。そう呟く香奈実は、更に教室がざわついていくのに、げんなりしていた。

結局昼休みまで、授業らしい授業は出来なかった。どの先生も、あの宇宙人の事件を授業で取り上げたし、中には授業を完全にそっちのけで、生徒と低レベルな議論に興じた教師までいたからである。

昼休みになった頃には、香奈実は疲れ切っていた。

「ねーねー、かなみん。 ご飯食べよ?」

「ああ、はいはい。 私は構わないですよ」

ハートをたくさん語尾に付けながら、弁当を持ってくる暁。長沼の恨めしそうな視線が不愉快であるが、我慢するほかない。暁は童顔で、目が大きくて人形のような容姿だ。その辺り、クールぶっている長沼のような男にとって、保護意識を刺激されるのかも知れない。

暁は何と、自分で弁当を作ってきているのだという。しかも毎度毎度結構凝った作りだ。ただし幼児趣味というか何というか、たこさんウインナーとか、うさぎさんのリンゴとか、そういうものがたくさん毎回入っている。

しかも場合によっては、箸でつまんで食わせようとするので、ちょっと弁当の時間が苦手だった。

「あ、かなみんのお昼、今日は凝ってるね」

「母さんが妙に張り切って、作ってくれたの」

香奈実の母は、日本でも有数の技術者だ。父とそれは同じである。知的好奇心を刺激されると、何もかもにやる気を出すという難儀な性格をしていて、今日も必然的にお弁当がとても凝る事になった。

今日はあの事件の後だから、多分うちには帰ってこないだろう。そればかりか、香奈実にも声が掛かる可能性さえある。学校に黒塗りの車か何かが横付けする光景を思い浮かべて、香奈実は弁当を口に入れながら、げんなりしていた。

体は小さいが、それでもひょいひょいぱくぱく弁当を食べる暁。自分のをあっさり食べ終えた後は、香奈実のを物欲しそうに見つめる有様だ。何という健康優良児だろうか。とても香奈実には真似できない。

「あ、どーぞ。 ちょっと多すぎるくらいだから」

「ほんと? ありがとー!」

蟹クリームコロッケをひょいと略奪された。余計なことを言わなければ良かったと、香奈実は思った。幸せそうにクリームコロッケをほおばっているので、なおさら頭に来るが、黙っている。

ごくんと音を立てて飲み下すと、暁は顔を近づけてくる。どうやら宇宙人の話を聞きたいらしい。

「それで、かなみん」

「何?」

「宇宙人だとすると、あのうさぎって、何が目的なんだろ」

「話を聞く分だと、純粋なビジネスにも思えるけど」

確かに、ビジネスの用件は満たしている。ギブアンドテイクである。

地球側としては、軌道エレベーターの完成によって、大きな未来への道が開かれる。今までの効率が悪いロケットで大気圏外を突破する必要はなくなり、更に宇宙から極めて高品質なエネルギーを直接手に入れることが出来る。彗星や小惑星から、無限に近い資源を手に入れることが出来、夢物語だった火星や金星のテラフォーミングも現実性を帯びてくることだろう。

また、交渉としても、非常に紳士的だと言える。

「え? 何だか急だし、一方的じゃなかった?」

「地球人に比べれば、何千倍も紳士的かな」

これが、もし地球人だったら。攻撃を加えてから一方的に資源を略奪するか、或いは交渉とは名ばかりの詐欺的な取引で、資源をやっぱり一方的に略奪していたことだろう。歴史上、人類が幾らでも同胞から繰り返してきたことだ。

ましてや、地球人ではない相手に、どれだけ高圧的かつ残虐な手段を執るのかは、わざわざ実際に見なくても明らかである。さぞや残虐な手段が執られることであろう。

携帯を弄っていた長沼が、話し掛けてくる。此奴はずっと暁を独占している(と主観的に考えている)香奈実をじろりと睨むと、言う。

「アメリカの政府が、公式発表を出したぞ」

「え? ホント? わあ、ホントだ」

自身でも、携帯を弄って、表示をする。

驚いたのは、アメリカ政府がほぼ全面的に、宇宙人の主張を認めたことだ。今まで月の裏側の情報を隠蔽していたのは、混乱を避けるためだという。そして、財団の腐敗については、厳しく追及すると言うことであった。

続いて、中国政府が公式発表を出す。新素材の性能不足については触れなかったが、地球で活用していない資源の代わりに、有用な資源を提供してくれるのなら、交渉には乗っても良いと、鷹揚に言っていた。ただし、此方は、財団の腐敗についての言及は無かった。主席が映像の中で、アホ面をして高級娼婦に乗っかっていたからかも知れない。

ロシア、日本、EU等でも、おいおい発表が行われる。紛争中のドイツとフランスは、それぞれがEU代表を立てて、低次元な争いをしていた。ドイツが今では一方的に押してはいるのだが、フランスにも意地があると言うことなのだろう。日本は相変わらず低姿勢で、見ていて頭が痛くなる。どうやらこの国の低姿勢は、この間の紛争で勝ってからも、あまり代わりはしないらしい。ロシアに到っては、宇宙人の発言を大筋では認めながらも、財団の腐敗については一切事実無根だとかほざいていた。

足並みが揃ったとは、言えない状況だ。

だがそれでも。交渉のテーブルにはどうにか着けそうである。

「これ、本当に宇宙人だったら、で言うとおりに軌道エレベーターが完成したら、私達でも宇宙に行ける時代が来るのかな」

「さあな。 来るのかも知れねえな」

「かなみんはどう思う?」

「さあ、そうだね。 今では何とも言えないね」

宇宙へ行く事自体は、あまり難しくない。21世紀の初頭でさえ、金持ちなら、限定した時間という縛りはついたものの、宇宙へ行くことは出来た。今でも、短時間でのクルージングは出来る。

しかし、宇宙ステーションはまだまだ限定的な施設であるし、何よりコストが掛かりすぎる。未だに宇宙開発が進んでいないのも、コストがあまりに大きすぎるからだ。軌道エレベーターの実現は、その問題を一気に解決する。

また、本心から言えば。確かに憧れも強い。香奈実も、行ってみたいと思っている一人だ。だから、昨日の宇宙人の指摘は残念だった。問題が山積していることは知ってはいたのだが。

「宇宙へは、行ってみたいね」

「だよねー。 宇宙遊泳って、やってみたいよー」

「お前とろいからなあ。 宇宙遊泳は良いけどよ、そのままデブリになるなよ」

「分かってるよ。 ながちゃんって相変わらず意地悪だなあ」

別に意地悪で言っている訳ではないだろうに。食後の茶をすすりながら、香奈実は内心で呟いていた。まだ恋愛をしたことがないからかも知れないが、こう言うのはよく分からない。

携帯を弄っていた長沼が呟く。

「国連が動き出したみたいだな」

これで、交渉のテーブルがもたれるという訳だ。しかし、巧く交渉がまとまるか。今の時代も、大国はマキャベリズムに基づいて、醜い争いを繰り返している。今回の一件も、彼らが矛を収める契機に、果たしてなるのだろうか。

ぴかっと、何かが光った。

窓の外からだ。何だろうと思って、そちらを見ると。其処には、悪夢のような光景が広がっていた。

ステルス爆撃機のような、銀色の飛行物体が、窓の外に横付けしていたのである。しかもそれはフレキシブルアームを伸ばして、強引に香奈実を引っ?んだ。悲鳴を上げる暇さえもなく、機体の中に拉致されようとする。アームに、とっさに掴まったらしい長沼と暁の顔が、意識が消える寸前に、見えた。

 

2、軌道エレベーター四苦八苦

 

各国首脳の前で、中国が製法をブラックボックス化している特殊合金の、綿密な強度実験が行われている。以前提出された合金は、問題ない耐久性を見せていた。しかし、納品されている合金は。

振り下ろされたハンマーに脆くひび割れ、指定の温度よりも早く溶け出し。中国の技術士官の顔を青ざめさせていた。これでは、確かに軌道エレベーターは、中途で倒壊してしまうだろう。

「こ、これは、何かの陰謀だ! あの宇宙人がやったに違いない!」

「あなた方が最初に納品したものが、通常品の倍のコストでつくられたもので、しかも偶然出来たと言うことは、既に判明しています」

冷静な声を挙げたのは、櫻井京子。国連の技術士官をしている優秀な女科学者である。まだ若いのだが、数年前に親ほども年が離れた夫を亡くしており、美貌もあって様々なVIPが狙っているとか言う話もある。

国連側の優秀な調査員という肩書きも持っていて、二年も前から納品される品がおかしいという現場の声に、調査を進めていた。今までは中国の圧力もあって発表は出来なかったのだが、あの宇宙人による放送は、良い機会になった。

「そ、それに! 糾弾されるべきは、我が国だけではないだろう!」

「技術士官、問題は一つずつ解決しましょう」

「ぐっ……! 女狐め!」

夜叉のような顔になって黙り込む技術士官。一触即発の空気が辺りを覆うが、国連事務総長が咳払いすることで、どうにか収まった。

「不正についての調査は、後回しです。 兎に角、今は櫻井女史の言葉通り、一つずつ問題を解決していきましょう」

「……承知した。 此方でも、この忌まわしい醜聞に関しては、重々に調査する!」

調査も何も、実際は国の上層部が絡んだ、相当に深いものであろう。汚職の規模から考えて、浮いたコスト分をリベートしていたのは、一人や二人ではないだろう。軌道エレベーターが実際に倒壊した時にどうするつもりだったのかは分からないが。

それにしても、逆恨みを買う可能性もあるし、今後は気をつけなければならない。特に娘二人については、重々な警護を頼む必要があるだろう。今の技術士官の様子からしてまだ手は出してはいないだろうが、プライドを肥大化させた大国は何をするか分からない。歴史が証明している通りである。

「さて、各国の皆様には、財団の不正について調査して欲しい。 というよりも、各国首脳のみなさんには、弁解の言葉を用意していただいた方が良いのでしょうかな」

「あ、あのような映像が、本物であるものか!」

「その通りだ! 我が国の尊厳を著しく侮辱している!」

「既にあれらの映像が、合成ではないことは分かっております。 国連技術チームの判断です」

世界的な権威として、各国が認めるチームのお墨付きである。それを否定することは、今や各国が緩衝材として重宝している国連の価値を著しく下げることになる。ただ、此処で追い詰めては、やぶ蛇になってしまう。老獪な国連総長は、声を低くした。

「まあ、財団側の人間が本物だという事は分かっていても、各国の首脳がどうかとなると、また別の問題でしょう。 早めに、財団に対する確固たる処置をすることを、我らとしても望んでおります」

「わ、分かっておる!」

「我らが人民の栄光に泥を塗ったあのような輩、許してはおかぬ!」

既に国連の調査チームが、財団の者達を捕らえている。数名はまだ逃走中だが、この様子では近々掴まるだろう。問題は、各国のヒットマンによって消されることだが、それを避けるためにも、迅速な逮捕が必要になってくるだろう。

それにしても、宇宙人とやらは、一体どうやって此処までの情報を得たのか。月の裏側から、全てを見ていたというのはいくら何でも無理がある。宇宙人の手下となって活動している地球人がいるか、別種の宇宙人が既に地球に潜入しているのか。或いは、無人の探査機のようなものが飛び回っているのか。そのいずれかだろう。

「それで、衛星軌道上に展開している、忌々しい宇宙人どもは何をしているのだ!」

「現在は静止していますが、月からは小型の隕石をマスドライバーで何度となく搬送している様子です。 あれが彼らが言う、援助物資なのではないでしょうか」

「ふん、元々月は地球人のものだ! それを勝手に使いおって、何が取引だ」

「それは暴論でしょう。 彼らの言葉が正しいとすれば、月に進出したのも、彼らが先のようです。 何より2000光年を踏破する能力を持つ相手だとすると、戦っても勝ち目はありませんよ」

血の気多く吠えたてるロシア代表を、国連総長がたしなめる。実際問題、2000光年の旅路を越えてくる相手と、戦闘という選択肢はない。出来の悪いSF映画なら勝ち目が生じるかも知れないが、これは現実だ。だいたい、これだけ的確に此方の弱点を把握してくる相手である。既存の軍事技術など、全て把握されていると考えて間違いないだろう。二重の意味で、勝ち目など無い。

「それにしても、連中は何故今頃、取引を持ち出してきたのだ」

「それは、二つの理由からです」

不意に、場に違う声が割り込む。

そして、皆の中央に、不意に緑色の人影が出現した。そう。あの発表とやらで顔を見せた、うさぎに似た生物だ。

一斉にSP達が拳銃を抜くが、それは半透明で、立体映像であることが伺えた。それにしても、立体映像は投影装置が必要となるはず。周囲を見回す京子だが、それらしいものは発見できない。

実際に全ての姿を見てみると、その異形は際だっていた。上半分は緑色のうさぎに近い姿だが、下半身は全く異なっている。足は四本あり、腕の役割を果たすらしい触手は頭の上にあるだけである。つまり、頭の上下に腕と足がある訳で、人間で言うと腹に頭部がくっついていることになる。

また、近くで見ると、腕の役割を果たす触手は、非常にフレキシブルな稼働を実現する上に、指に相当するだろう突起が複数先端部分についている。これはかなり便利な生物だ。しかも足を四本使うことで、敏速に行動できることも推定できる。

頭が大きいのは、この複雑な体を動かすために、大容量の脳が必要だからだろう。しばしの沈黙の後、うさぎは周囲を見回した。そして英語で言う。

「あなた方のもっとも使用率が高い言語で会話させていただきます」

「どうせだったらエスペラントにしたら?」

「あなた方の誰もが使えない言語では、意味がありません」

一刀両断である。京子は思わず苦笑していた。

ロシア代表などには、すぐに通訳がやりとりを耳打ちした。日本代表が咳払いして、言う。

「交渉を持とうというのなら、本人が来るべきではないのかね」

「まだ、地球人の対応が決まっておりません。 あなた方の中には、我々を武力で排除しようという輩もいることが分かっています。 そのため、立体映像で失礼させていただいております。 また、万が一の場合は、不幸な事態が到来するだけです」

「不幸な事態だと?」

「我々は平和主義者ですが、あなた方の言う無抵抗主義者ではありません。 もしも仕方がない場合は、月にいる同胞を守るために、あなた方の戦闘能力を沈黙させる用意もあります」

涼しい顔での恫喝である。見るまに真っ赤になったロシア代表が喚き散らすが、何しろ立体映像である。また、2000光年を踏破してくる存在である。それくらいは可能だろうと、京子は冷静に見ていた。

「まあまあ、ニチリシェンコ大使、落ち着いて」

「これが落ち着いていられるか! こんなクリーチャーごときに、地球人が恫喝されているんだぞ!」

「クリーチャーかも知れませんが、相手は2000光年を渡ってくる相手ですよ。 地球人が洗剤でごきぶりを殺すかのように、地球人を殲滅できるんじゃないですかね」

「方法は違いますが、似たようなものです。 現時点での発動は考えていませんが、我々がその気になれば、三時間で地球の平均気温を十五度上げることが出来ます」

流石にロシア代表が硬直する。

もしも地球の平均気温がいきなり十五度も上がったら、生態系が壊滅的な被害を受ける……だけでは済まない。北極南極の氷が一気に溶け出して、海面もかなり上昇することになる。それだけではなく、ハリケーンやサイクロンも突発的に起こり、文字通り人類文明は壊滅することになるだろう。

しかも、三時間で、である。文明が壊滅するまで、数日と掛からないかも知れないほどの災厄が、地球を襲うことだろう。

この場にいる人間は、それくらい理解できる者ばかりだ。ロシア大使が黙り込んだのを見計らって、うさぎは言った。

「もちろん、現時点では、そのようなことは考えておりません。 ただ、我々が研究した限り、人類はこの宇宙でももっとも好戦的かつ凶暴な知的種族の一つです。 身を守るために、我々もある程度乱暴な手段を必要とすることについては、理解していただきたいのです」

「なるほど、面白そう」

「つ、続けてくれたまえ」

京子の無責任な言葉に、頭に青筋を浮かべながら、米国代表が言う。中国代表や、二人いるEU代表も、おおむね同意して頷いた。

「まず話を戻します。 この時期に何故あなた方と交渉を持つことにしたのか。 それは二つの理由からです」

「聞かせてくれたまえ」

「一つは、あなた方が、比較的簡単に宇宙にでられるようになったと言うこと。 我々も所属している銀河連邦の定義では、知的文明を、宇宙空間にコロニーを作って永住可能な存在として定義しております。 あなた方はそれに近い力を有しており、交渉が可能な相手だと判断しました」

「もう一つは」

「もう一つについては、あなた方に最初説明したとおり。 軌道エレベーター用の材質という、便利な交渉材料が見つかったからです」

うさぎの言葉は澱みがない。

そして、地球代表の面々に関しても、あまり異存はないようだった。感情的には、沸騰寸前の者もいるようだが。

「それで、その材料とやらは、どうやって渡してくれるのかね」

「まずは翌日。 サンプルを、ネバダ砂漠の核実験場に、隕石の形で投下します」

いきなり大胆な方法での提供である。隕石として叩き込んでも壊れないという自信が、うさぎたちにはあると言うことか。

ロシア代表と、中国代表が、自分たちにも寄こせと間髪入れずに言う。三十年前の大戦以来犬猿の仲の両国だが、こう言う時は息が合うのだから面白い。

「そう焦らずに。 まずはサンプルをアメリカに提供します。 それを各国で、共同調査すれば良いではないですか」

「そのような調査結果など、信頼できるものか!」

「ならば、国連で調査しましょうか?」

事務総長の言葉に、両国の代表は喚きださんばかりの勢いで拒否の姿勢を示す。米国代表はそれを静かに見つめ、日本代表とEU代表は困惑するふりをしながら、影ではせせら笑っていた。うさぎはしばし狂態を見つめていたが、やがて静かに言う。

「あなた方の足並みが合わないのは分かりきってはいましたが。 それならば、こうしましょう。 共同調査作業に利害の絡みで公平性が保てぬと言うのであれば、此方で研究施設を用意します。 其処へ、各国選りすぐりの研究者を派遣してもらえませんか」

「研究施設だと!? 何処にだ」

「我々の打ち上げた人工衛星の一つです。 知っての通り今は斥力を発生させる仕組みになっていますが、それを限定的に解除しましょう。 ああ、ちなみに無人衛星の上、内部はライブで監視しています。 余計なことをすれば木っ端微塵になりますので、取り扱いには気をつけてください」

「なるほど、良い提案だ。 多少恫喝的だが、どこかの国の施設で研究すると決めて、調整に何ヶ月も掛かるよりはましなのではありませんかな」

国連総長が揶揄するように、そしてたしなめるように言う。

そうすると、各国代表は、腕組みして必死に考え始めた。

打算もあるだろう。それ以上にあるのは、技術を先に全てものにされるのではないかという不安感だ。しばしして、米国代表が最初に動く。それに続けて、各国代表が、首脳部に慌てて連絡を入れ始める。京子はそれを、冷め切った視線で見つめていた。

ほどなく、うさぎの前で、米国代表が挙手した。

「米国は異存がない」

「ロシアもだ!」

他の国も、次々に挙手。

強引ではあるが、うさぎの話術は見事であった。利権やら何やらでがんじがらめになっている各国を、見事に誘導している。恐らく宇宙人の国でも名のある営業マンに違いないとか、京子は脳天気な事を考えた。

そして、彼女の携帯電話が鳴った。

 

気がつくと、其処は柔らかい光に包まれた世界だった。

頭を振りつつ体を起こそうとするが、ぐっと引き留められる。どうやらシートベルトのようなもので固定されているらしい。苛立ち紛れに体をよじるが、やはり動くことは出来なかった。

香奈実は、何が起こったのかをゆっくり思い出していく。

そうだ。冗談のような飛行物体に、いきなり学校で拉致されたのだ。同時にアホが二人ほど拉致されたような気がするが、それはまずはいい。どうにかして、自分の状態と、今後のことを考えなければならない。

「ちょっと、何するんだよっ!」

声を出してみるが、わんわんと反響した。つまり、狭い部屋の中にいると言うことだ。人間の気配はなく、近付いてくる様子もない。舌打ちすると、やっぱり体を動かそうと揺するが、やはり縛り付けている台のようなものはびくともしなかった。

アブダクションか。2世紀も前の米国で、よく起こったと称される事件のことを、香奈実は思い出していた。要は宇宙人にいきなり拉致されて体をいじくられたと自称する人々が多くでたものであり、中には本当に主張通りの目にあった者もいるかも知れない。だがこの時代は事情が特殊だった。宇宙人が神に成り代わった存在として期待されており、愛憎入り交じった、いわゆる「夢のある存在」として認知されていたのである。故に、そういった幻覚を見る人も出たのではないかと、今では言われている。事実、多くはそうであったのだろう。

それから半世紀もすると宇宙への研究が進み、宇宙人への盲目的な夢も綺麗に覚めていったが、事件の記録は未だに残っている。香奈実も、昔の事件というデータベースで、それらの一部を見たことがあった。

まさか、それの本物に自分が遭遇することになるとは。

足音が近付いてくる。首を曲げてみようとするが、出来ない。影が覆ってきたので、誰かが側に立った。

「おお、元気なことだ。 結構結構」

「結構じゃねえ! テメーは誰だ!」

「口の悪いお嬢さんだ。 自分の状況が分かっていながら、虚勢を張ることが出来る姿勢には、感服するよ」

綺麗な日本語だが、妙な雰囲気がある。そう言えば耳に違和感がある。

声は老人のものだ。だが落ち着きすぎていて、まるで機械の声のようであった。ハウリングも、微妙に日本語のものとは異なる。

「どうしたね。 私の日本語は理解できるはずだが」

「誘拐犯の寝言なんか理解できるか! さっさと解放しろ!」

「ほほう、威勢がいい。 それで、私はその気になれば、君をすぐに焼き殺すことも出来るのだが、いいのかね?」

「勝手にしろっ!」

がたがた寝台を揺らしながら叫ぶが、やっぱりまだ香奈実は所詮子供だ。声は高いし、どうしても迫力は出せない。相手の顔が見えないことも腹立たしい。ただし、恐怖は不思議と感じない。どうして怖くないのか。それは、相手が未知の存在ではなく、会話でも折衝でも出来ると分かっているからかも知れない。

それにしても、さっきの飛行物体。あれだけのホバリング能力は、既存の飛行兵器ではかなり難しいだろう。前大戦では第五世代の戦闘機と呼ばれるものが活躍したが、それをもってしても、此処までの高精度なホバリングは出来たかどうか。それに、日本の空軍はそれなりに優秀で、領空侵犯をして気付かれないというのも考えにくい。

そうなると、あのうさぎどもの宇宙船か。

そう考えたが、しかしそれも短絡的すぎると思い直す。まだ判断するには情報が少なすぎる。

ちょっと心細くなってきた。

もしもあの飛行物体の中にいるのなら、すぐ近くに暁と長沼もいるのかも知れない。しかし、安物のSF映画ならともかく、あっさり脱走して助けに来ることなど無いだろう。苛々を抑えて、ゆっくり心を整理していく。

「ねー。 誰かいないの?」

「はいはい、何ですかな」

「体くらい起こさせてくれない? さっきから照明が眩しくって、鬱陶しいんだけれどさ」

「いちいち注文が五月蠅いですな。 足の一本も切り落として上げましょうか?」

「無事だから人質には意味があるって知らないの? 取引しようって言ってるんだから、さっさと上役連れてこい。 お前じゃ話にならん」

わざと挑発的なことを言ったのは、相手が此方をもてあましていることに気付いたからだ。もしも知識を引きずり出せるとか、記憶を全て検索出来るとかの能力があるのなら、わざわざこんな台に縛り付けて、放っておく事はないだろう。

苛立ち混じりに、舌打ちする声。気配が遠ざかると、今度は若い声がした。ただ、さっきよりも更に嫌みったらしい。

「交渉をする気になったとか聞きました。 どういうつもりですか?」

「まず、体を起こして。 そうしないと、何も話さないよ」

「……まあ、いいでしょう」

指を鳴らす音がした。

ゆっくり寝台が起こされる。病院なんかのベットと同じ仕組みかなと、香奈実は思った。そして、ゆっくり部屋の様子が、視界に入ってくる。体の拘束を解かせるのは流石にすぐには無理だろう。

だが、まず一つ此方の要求を聞かせた。全ては、此処からだ。

視界に入ってきたのは、人間によく似た生物だ。ダークグレーのスーツを身に纏っているが、どこかが人間と違う。

見ていると、気付くことがある。そうだ。皆、靴が妙に広いのだ。ひょっとすると、足下が人間と違っているのかも知れない。目は二つで、鼻は一つ。口も人間とあまり変わらない位置にある。

今、言葉を発したのは、香奈実より少し年上に見えるくらいの若造だった。髪の毛は瞳と同じく黒く、顔も日本人とよく似ている。自分も子供である香奈実だが、親の仕事の関係上もあるし、何より飛び級で高校に行っている事もある。大人は嫌いだが、接し慣れてはいる。だから、すぐに若造という言葉が頭に浮かんでいた。

「随分肝が据わっているねえ」

「余計なお世話だ。 それで、私をさらってどうしようっていうの?」

「君だけをさらったわけではない。 他にも、何名かさらっている。 君の友達についても、預からせて貰っているよ」

そうなると、かなり大騒ぎになっているだろう。古典的なアブダクションである。しかも香奈実は、一般人とは正直言い難い。母はかなり高度な研究をしている人間で、国連でも知名度とパイプを確保している。父も科学者としては権威と呼ばれる所まで行った。それに香奈実自身も、日本でも珍しい五連飛び級をしている人間だ。

「各国のVIPを掠い回ってるってるってこと?」

「それを知りたければ、まずは交渉に応じて貰おうか。 此方は今、一つ君の要求を聞き届けた。 そして、嘘をついているか、すぐに判別も出来る」

思ったよりも冷静な奴だと、香奈実は思った。このまま話術で探り出せれば簡単だったのだが、そう簡単にはいかないだろう。

冷酷な笑みを口元にひらめかせると、若造はさっそく、余計なことを言い出した。

 

「香奈実が掠われた!?」

うさぎとの話し合いが一段落して。トイレで携帯を受けた京子は、思わず大声を上げていた。隣の個室から、がたんと音がした。利用者が驚いたのかも知れない。

声を落として、携帯に耳を寄せる。ベテランらしい中年の警官は、携帯越しに声を落としていった。ひょっとすると、かなり警察の中でも上位にいる人間なのかも知れない。

「目撃証言はあるのですが、いずれも飛行物体に吸い込まれたという内容です。 実は、櫻井教授のお子さん以外にも、複数のVIPやそのご子息が掠われておりまして。 しかも、被害は日本だけにとどまっておりません」

「一体何! 空軍は何をしていたの!?」

「それが、レーダーにさえ反応していません。 しかも、掠われた地点以外では、殆ど目撃報告もありませんですし」

「何てこと」

そこまでいって、ふと思い当たる。ひょっとして、うさぎの空軍による誘拐か。しかし、あれから衛星は念入りに監視していて、各国の空軍もスクランブルを掛けている状況である。そのようなことになるとは思えない。そうなると、一体誰が。

「目撃証言から、各国の軍用機で、似たようなものは割り出せないの?」

「全体は光り輝いていたとか。 それに米国のB2爆撃機に似ているという意見はあるようなのですが、B2にホバリング機能はありません。 目撃された機はいずれも高度なホバリング飛行と、さらには殆ど無音での音速航行をしている所が確認されています」

馬鹿なと、京子は呟いていた。そんなの、最新鋭の戦闘機にさえ無理だ。

もちろん現在には、高度なホバリング機能を有している戦闘機も開発されている。だが、それらは形状がB2とは根本的に異なっている。ホバリングという機能を、数トンにも達する重量を持つ戦闘機に持たせることは、とても難しいのだ。高速を出すこともまた難しくなるから、特化した目的の戦闘機にしか、ホバリング機能は持たされない。

ただ、京子は科学者ではあっても、あくまで門外漢だ。それに、何より。香奈実が掠われたと言うことの方が心配だ。

「犯人からは、何の連絡もないんですか?」

「今の時点では」

警察の人に、連絡先を聞いて、京子は携帯電話を切った。

誘拐が目的だとしたら、掠った後に交渉をしてくるはずだ。

それが上手く行くまで、人質は無事でおいておくはず。だから、現状は心配しなくてもいい。そう自分に言い聞かせながら、京子はトイレを出た。

 

翌日。

先進国がこぞって、短期間宇宙滞在用のロケットを打ち上げた。

今の時代、宇宙ステーションを持つことが、先進国の条件となっている。一番大きいアメリカの宇宙ステーションは円筒形のもので、常に回転して遠心力を生じさせ、外面に疑似重力を発生させる仕組みだ。次に大きいものは中国製の宇宙ステーションだが、此方は過去に四回の大事故を起こしており、死の棺桶と揶揄されている。

各国から選抜された研究チームは、それぞれの国の宇宙ステーションで装備を調えると、うさぎ型の宇宙人が指定してきた、人工衛星に向かった。直径十六メートルとかなり小型だが、ほぼ正円形をしていて内部は想像以上に広いことが予想される。問題は検査器具の類だが、それはあのうさぎが全て用意するとか言っていた。

京子も、調査チームの一人であった。

ただ、各国では、既に謎の拉致事件が話題になっており、香奈実の友人も心配して電話をしてきていた。今のところ犯人らしき存在からの連絡は一切無く、それが余計に京子の不安を煽る。

もしも、掠うのが目的ではなくて。例えば調査とか、捕食が目的であれば。高い確率で、もう香奈実は生きていないだろう。救いに行くにも、場所さえもが分からないのだ。それにあのうさぎは、あれ以来顔を見せていない。もしも次に姿を見せたら、顔を撃ち抜いてやりたい所だと、歯を噛みながら京子は考えていた。

隣にいるインドから来たアルキマナ博士が、ちょっとたどたどしい日本語で言った。

「プロフェッサー京子、お子さんのことが心配か」

「ええ、大丈夫です。 娘はあれでしっかりしているから、不安で泣いているような事はないでしょう」

「強いお子さんですな」

そういって、アルキマナ博士は笑みを浮かべた。

とりあえず。不安で泣いているようなことだけはない。それに関してだけは、京子は心配していなかった。

 

3、争乱

 

香奈実の前に連れてこられたのは、四歳くらいの女の子だった。不安と恐怖で顔をくしゃくしゃにしており、部屋に放り込まれるとわんわん泣き出した。

なるほど、そう言う作戦か。香奈実は女の子を抱きしめて頭をなでなでしながら、相手の作戦の姑息さ加減を呪っていた。

ストックホルム症候群と呼ばれるものがある。要するに監禁犯などと、被害者が仲良くなってしまう事例のことである。これはどういう現象かというと、人間は身近な存在に感情移入しやすいのだ。

つまいこの状況に動揺している人間を側に置くことで、面倒な香奈実を陥落させようと言う訳だ。女の子は余程怖い目にあっていたらしくて、どれだけなだめても泣きやまない。ぎりぎりと歯を噛む香奈実の前に、あの男が現れる。にらみ付けてやるが、にやにや笑いを崩さない。

あれから交渉を進めて、両手の拘束は解かせた。寝台から歩き回れるようになって、最初にしたのは辺りを確認すること。此処には香奈実しかおらず、部屋の大きさは七メートル四方ほど。まず間違いなく、あの飛行物体の中ではない。

そして、この若造、影がない。多分立体映像だ。噛みついてやろうかと考えてもいたのだが、やるだけ無駄だ。

「少し寂しい様子だったのでね。 君に預かって貰おうと思って連れてきた」

「分かってんだろうね」

「何がだ」

「これも一つ、言うことを聞いたって事になる。 条件をも一つ、受け入れて貰う」

流石に絶句する相手に、香奈実は指先を突きつけた。

「私の同級生を二匹連れ込んでるだろ。 あいつらはVIPでもなんでもない。 さっさと解放してやれ!」

 

憮然として立体映像投影装置の前に立っていたlkhdafhdfaohouefhwhuは、にやにやしている部下を見て、噛みついた。

「何がおかしい」

「いやはや、貴方のような人物でも、あの子供の前では形無しですな」

「黙れ」

部下が本当に黙り込む。舌打ちすると、光る床をけりつけながら、lkhdafhdfaohouefhwhuは自室に戻る。

重力発生装置で安定しているとはいえ、此処は宇宙空間だ。しかも一世代前の母船だから、ステルス性もあまり高くない。カパトギア共和国の連中に嗅ぎつけられる可能性もそれなりにあり、油断は出来なかった。

だから、寝台に転がっても、眠るまではしない。落ち着くために精神安定用の錠剤を口に含むだけにする。

今回の特殊任務は、かなり危険なものだ。だから相当な覚悟をしてやってきた。全員が体内に自爆装置を仕込んでいるし、機械類も銀河連邦が腰を上げた時にはすぐに消去できるようにしてある。

必死の任務だ。

だが、それなのに。まさか小娘一人に、此処まで引っかき回されるとは思っていなかった。

地球人は危険だ。宇宙に出してはならない。

それが、大体の種族が抱く印象だ。1400を越える銀河連邦の所属国家の中でも、脳天気な考えを抱いているのはカパトギアくらいであり、lkhdafhdfaohouefhwhuが所属しているアンテノウラル連合は、絶対反対の立場だ。

一時期、銀河連邦は、文明の段階が宇宙進出一歩手前にまで来た地球人類を調査するため、大規模な部隊を送り込んだ。地球人達がアブダクションと称する一連の事件が起こったのも、その時のことである。かなり強硬な調査をした一派もいたが、それでも基本的に検体は全員を地球に送り返した。もちろん無傷で、である。

それで出た結論こそ、地球人の凶暴性を証明するものであった。

宇宙にでようという段階まで来ているというのに。未だに肌の色だの髪の色だの下らぬ要素で互いを差別し合う。場合によっては些細な鼻や口の造作などでさえ、差別は行われる。

イデオロギーの違いなど、もってのほかだ。もしあった場合は、まず手を取り合うことが出来ない。それほどに地球人は凶暴で偏狭であり、宇宙にでても銀河連邦に所属する種族を虐げること疑いなかった。

もちろん好戦的な種族も、銀河連邦には存在する。だが、地球人は彼らを引き合いに出しても、度を超した凶暴性の持ち主だ。もしも宇宙進出して、特に超光速宇宙航行を手に入れた場合、あっという間に多くの星が植民地化されるという試算も出ていた。あまりにも、宇宙に出すには危険すぎる存在なのだ。

だから、今回、カパトギアとの交渉を失敗させる。それがlkhdafhdfaohouefhwhuの仕事だった。

まず各国のVIPを誘拐する。

続いて、彼らから必要な情報を引きずり出す。

それを材料にして、各国の不満分子を扇動する。

テロを起こさせて、カパトギアを交渉の席から遠ざけさせる。

それが、一連の目的である。

だが、その中で、二番目。必要な情報の引き出しが上手く行かない。特に櫻井香奈実の手強さは異常だ。他の子供らはある程度言うことを聞くのだが、あの子供だけはあまりにもおかしい。

地球人の振りをして、異常な腹の探り合いばかり続く地球で暮らしたこともあるlkhdafhdfaohouefhwhuだが。それでも、あの子供は手に負えない。話していると、どんどん相手のペースに巻き込まれていく。

このままでは、無傷で解放しかねない。それだけは、どうしても避けなければならなかった。

頭が冷えたので、ミーティングルームに戻る。既に主な部下達が集まっていた。

最初に邪険にされた部下が挙手する。立体映像では老人だが、実際には若々しい。若いだけあって、その怒りも陰湿に籠もっている様子だ。反面lkhdafhdfaohouefhwhuは若々しい姿を使っているが、実際は老人だ。

「櫻井香奈実は、対処が面倒です。 処分してしまってはどうでしょうか」

「そうはいかん。 あれが日本でも有数の天才科学者の娘で、そのコネクションの何割かを把握していることは分かっているだろう。 乱暴に脳みそを取り出して解析するようでは、詳細なコネクションの分析が出来なくなる可能性が高い。 それでは、当初の目的が達成できなくなる」

「それに、余計なのも抱え込んでしまいましたしね」

「それはお前達回収班のミスだろう!」

部下達がいがみ合う。四チームに分かれた回収班の中でも、櫻井を担当した班の責任者は、相当に苛立っていた。まさかあれほどに手強いとは思ってもいなかったからだろう。地球人が非常に厄介な種族だとは、誰もが知ってはいた。だが子供までもあれほどだとは。まだまだ調査が不足していたと言うことか。

「とにかく、今は粘り強く、情報を引き出すことだ」

「しかし、このままでは、カパトギアは地球に技術提供を済ませてしまうのではないでしょうか」

「それは危険だ。 少し拙速だが、地球人どもの足並みを乱すために、交渉を開始するべきか」

「しかし、それではミスにミスを上塗りすることになるのではないでしょうな」

けんけんがくがくの議論が続いていたが、やがてlkhdafhdfaohouefhwhuは部下達の視線の中立ち上がり、決断した。

「分かった。 各国の反対派と交渉を開始する。 地球人どもの足並みを乱し、適当な馬鹿にテロを実行させろ」

「分かりました。 少しまだ情報が足りませんが、実行を開始します」

部下達が敬礼して立ち上がる。そして母艦から、ステルス機を使って、すぐに地球の各地へ散っていった。

問題は山積しているが、しかし技術提供が終わってしまってはおしまいだ。地球側にとって、使っていない資源をカードに、軌道エレベーターが完成されては困る。少しでも地球人には、精神的に進歩してから、宇宙に出てきて欲しいのである。

何も、lkhdafhdfaohouefhwhuも、地球人を滅ぼそうとは考えてはいないのだ。そんな物騒な事を考えるのは、地球人くらいであろう。

「さて、問題は、何処まで話を大きくできるか、だが」

腕組みして、lkhdafhdfaohouefhwhuは呟いた。問題は、彼が想像している以上に、大きくなってきていた。

 

連れてこられたのは、香奈実の同級生二人だった。流石に青ざめていたが、香奈実を見ると、暁はわっと飛びついてきた。

「かなみん! 大丈夫だった!? 痛いことされなかった!?」

「だ、大丈夫だから、離して」

元々華奢な香奈実の体格である。しかも暁はどういうわけか女子にしてはとても腕力が強く、本気で抱きしめられるとかなり痛い。しばらくもがいていたが、勝手に感動した暁はわんわん泣き出して、全然離してくれなかった。

窒息寸前になった所を、長沼が咳払いして、引きはがしてくれた。子供の嫉妬も、たまには役に立つものである。

それにしても、こんな人数を集めてどうするつもりなのか。邪魔者をまとめているとしか思えなかった。

何だか怖がって隅っこでがくがくぶるぶるしている女の子が、おそるおそる此方を伺っていた。あの子もひょっとすると、邪魔者と判断されたのかも知れない。

今までの展開を見ていると、どうも香奈実には、誘拐だとは思えない。一般的に誘拐というと、取引のために行われるものである。しかし、今まで連中に聞かれたのは、母の交友関係についてばかりだ。それに、香奈実自身を、ピンポイントで狙ってきたことも気になる。

「もう、一体なんなんだよー。 ねえながちゃん、何か掠われる心当たりはあるの?」

「あるわけねーだろ。 俺んちがただのラーメン屋だって、お前だって知ってるだろうがよ」

「ええー。 じゃあなんで」

「あのうさぎの仲間か、或いは敵か。 分からないけど、多分あいつら、宇宙人だと思うよ」

混乱している暁に、ゆっくり言い聞かせるように言うと。女の子がやっぱり怖がって、また泣き出した。その子をよしよしとか言いながら撫でていた暁が、ふと手を止める。

「どうしたの?」

「この子、どっかで見たことがある」

そう言って、暁は頭から手を離す。こわごわと暁を伺う子供。その辺にいるような、ごく普通の子供に、香奈実には見えるが。

超記憶力を誇る香奈実だが、やはり興味がないことに関しては、その能力も曖昧になりがちだ。特に、少し年下の子供なんか、それこそどうでも良い。記憶しようと思わなければ、覚えられない。

「そんなに特徴的な子かな、それ」

「うん。 どっかで見たことがあるよ。 ええとね。 ながちゃん、ほら、前に、おじさんとおばさんと一緒に、遊園地行ったことあったじゃん。 あの時に、見なかったっけ」

「あの時? 何時のことだよ。 三年くらい前じゃねえの」

「あ、そっだ。 思い出した。 この子より、だいぶ老けてたんだ。 そうなると、やっぱりあの時見た子の妹かな。 でも、ちょっと違うような」

ひょっとして、此奴の方が記憶力良いのではないかと、一瞬香奈実は思ってしまった。ただ、知識として知っている。女子は年頃になると、子供、特に幼児に強い興味を示すようになる。子育てのためだが、その関連かも知れない。

発育が遅めの香奈実に、やたらと此奴が絡んでくるのも、その辺が理由なのかも知れないと思ったが、それは敢えて黙っておく。しばらく唸っていたが、ぽんと手を一打ち。子供が怯えて、香奈実の影に引っ込んだ。

「そうだ! 思い出したよ!」

「おお。 で、誰?」

「先々代の総理の娘! そうだよ、先々代の総理が、アイドルの石沢三和と結婚したって話題になったジャン。 石沢三和にそっくりなんだよ」

「そ、それ、ままの名前」

子供がおずおずと言って、視線が集まるとやっぱり首をすくめた。

そう言われると、確かに。先々代の総理である小沢浩介は、孫のような年の娘と結婚したと言うことで、稀代の狒々爺として話題になった。清純派として慣らしていた石沢も、金目当てだったのだと言われて、一気に人気を無くして、芸能界から消えた。そういう事実に関しては記憶していたが、石沢の顔の部品までは分からなかったから、気付けなかったのだ。

腰をかがめて視線を合わせると、にっこり暁は微笑む。

「名前は何? お姉さん達怖いコトしないから」

「み、みちる」

「みちるちゃんかあ。 可愛い名前だねー」

「おい、暁。 そんな事してる場合かよ」

「いや、ひょっとすると、これは脱出のチャンスになるかも」

いい手を思いついた。

この子の素性が分かったことではっきりしたことがある。連中は誘拐をしていたのではなく、情報を収集していたのだ。それならば、手は一つだ。

「耳貸して」

 

作戦が各地で始まり、これから出かけようとしていたlkhdafhdfaohouefhwhuは、部下に呼び出されて苛立ちながら監視ルームに向かった。問題児櫻井香奈実らを押し込んだ部屋で、異変があったという。

監視モニターを見入る部下が、確認をしてくださいと、画面を視線で指す。頷いて覗き込んだlkhdafhdfaohouefhwhuは、思わず呻いていた。

ぎゃあぎゃあ泣くみちるにつかみかかろうとしている香奈実を、他の二人が必死に押しとどめている。しかもその二人も、口早く喧嘩を続けているではないか。これはひょっとすると、少しずつ効いてきたのかも知れない。

「もう一押しだな」

「ストックホルム症候群ですか?」

「そうだ。 子供の弱気が、此奴らの苛立ちを刺激しているのだ。 地球人類は性質はどうあれ、身近にいる相手に感情移入しやすい」

lkhdafhdfaohouefhwhuは、何処かおかしいと思いながらも、そう呟いていた。しかし、あの鉄壁を思わせた櫻井香奈実も、弱い部分があったと言うことだ。聞き苦しい罵声は、徐々に大きくなってきていて、みちるの泣き声も止むことはなかった。

「ぶっ殺す! 殺してやる!」

「抑えて、かなみん! ながちゃん、あんたも何とかしてよお!」

「うるっせえな! てめーもさっさとそのガキ泣きやませろ! 苛々するんだよ!」

どんどんヒートアップしていく牢内の三人。子供は怖がって泣くばかり。そろそろ潮時かなと思ったlkhdafhdfaohouefhwhuは、動くことにした。

 

京子が案内された研究施設は、思った以上に広かった。円形の衛星だったのに、内部は四角く区切られていて、淡い照明が目に優しい。その上、回転している様子もないのに、重力が発生している。研究チームの人間は、誰もがそれに驚きの声を挙げていた。京子も香奈実がどうなっているのか不安ではあったが、表面上は彼らに併せて、研究に意識を集中していた。

提供された素材は、七つ。どれも小石大のサイズであったが、ずっしりとした重さがあり、触った感じでは安定感も抜群に思えた。それぞれの代表チーム事に振り分けられ、別の部屋に送られる。その部屋も、京子から言わせると、外から見た体積よりも明らかに大きい。どういう仕組みなのか、あのうさぎに聞いてみたい。

不安感と同時に、知識欲がむくむくと沸き上がってくる。これは恐らく、どうしようもない学者の性であろう。何人かの国内有数の権威と一緒に、他の国から来ている学者達も注目する中、京子はうさぎが言うまま、検査器具を確認していく。学識の浅い学者達は、感心一方になっているほどに、うさぎが用意した器具類はとても充実していた。

強度確認をする、ハンマーに似た道具は、何と磁力加速を用いているらしく、非常に微細な調整が出来る。酸性度に関しては、コンマ八桁まで調整が可能。劣化速度計算については、同じく0.1秒単位で劣化を計算できる。そして何よりも。高度なアイソトープ検査装置によって、分子の安定度までもがはかれる。ただ、これは大きな円筒形をしていて、かなりかさばる。普通の研究施設には入らないだろう。一部はスライドするドア状になっていて、人間大のものまで計ることが可能だ。天井と床にくっついているこの計器は、パイプらしきものが一つもくっついておらず、デザイン的にも極めて洗練されている。

これは学者なら、垂涎の施設だ。

娘が誘拐されているというのに、わくわくが止まらない。

しかも彼らの技術的には、かなり古いものを用いていると言うではないか。凄まじい技術力がよく分かる。

「まずは重量から計算しましょう」

「おお、見ろこの計器を。 構成している分子を全て表示するようになっている。 数までも判別できるぞ」

「それならば、其処から逆算して重量を割り出せるな」

「凄い技術力だ。 もっとも、これらの計器類が正しいのか、どうやって確認するべきなのか」

難色を示した博士の一人に、少し太めの博士が応えた。はげ上がった頭をハンカチで拭いながら。

「なら、まず私の体重を量ってみよう。 私の体重は、81.3キロだ」

「また少し太りましたなあ」

「入って見せてもらえますか?」

博士が円筒形をしている計測装置に入ると、水分子を中心とした組成物質がつらつらと表示されていく。さっと計算した所、確かに81キロ超。ただ、申告よりも0.4キロほど重い。

「誤魔化しましたか、中津川博士」

「おう、かまを掛けた。 嘘をつかれてはたまらんからな」

「しかしこの数値は、ざっと見たところ妥当ですね。 他の器具類についてはどうなんでしょうか。 信用して、実験を進めますか?」

何も此方からは持ち込めないというのが痛い。何かしらを基準にして、少しずつ調べていくしかない。

それも、創意工夫で一つずつ埋めていく。

しばらく研究を進めていく内に、戸をノックする音。京子がでると、一緒に来ていた政府の通信士官だった。彼らは控え室で待機していたはずなのだが。

「どうしたの?」

「娘さんから、連絡がありました。 正確には、人を介して、ですが」

詳細を聞きただす前に、どやどやと中国の代表チームが控え室に入ってきた。ロシアもである。

彼らは慌ただしくドッキングしているシャトルに移っていった。京子が声を潜めて、通信士官に聞く。

「何あれ。 かなり慌ててるみたいだったけど」

「それが、両国でかなり大きな規模のテロが発生したらしく。 一部は立てこもり事件に発展していて、犯人の指定条件が、この研究の公開らしいのです。 それで、重く見た政府が、彼らを一旦戻したと言うことでしょう」

「ひょっとして、例の誘拐事件に、関係している事かしら」

「恐らくは。 娘さんからの伝言からも、それが分かるかと」

そう言って、通信士官は、内容を耳打ちした。京子は何度か頷いていたが、やがて意味を悟って、通信士官に逆に耳打ちした。

「政府の高官に連絡。 後、国連の事務総長も」

 

さっきまでの演技が余程怖かったのか、まだみちるはくすんくすんと泣いていた。隅っこの方でむくれている振りをしながら、小声で香奈実は暁と長沼に言う。もちろん、視線は向けない。

「さっき、連れてこられる時に、通路の様子は確認した?」

「うん。 丁度長い廊下になってて、左右に独房が点々としてる感じだったよ」

「ドアに殆ど継ぎ目が無くて、よく見ないと分からなかった。 照明の感じでも、工夫はしてるんだろうけどな」

みちるを抱きしめて背中をさすりながら、暁が応える。長沼も忌々しそうな表情で香奈実を見ながら、小声で付け加えてくれた。

僅かな沈黙。こう言う時には、蚊や何かが飛んでいる方が、まだ間が持つ。最初に耐えられなくなったらしく、暁が声を落としながらも聞いてくる。

「ねえ、さっき言ってたのって、何?」

「ああ、あれはね。 政府の学者の中でも、変わり者で知られる夕月教授って人が、テロリストとして使えるかも知れないって情報」

あまりにもさらりと香奈実が応えたので、二人が同時に噴き出す。しっと鋭く言ってから、付け加えた。疑問点を残しておいて、しつこく聞かれるよりは、この場で分かり易く解消しておいた方がいい。

「もちろん、引っかけだよ。 夕月のおじさんは変わり者でかなりの偏屈爺だけど、テロなんかやるような人じゃない。 世間一般にはそう思われてるみたいだけれど、実際には違う。 何度か一緒にご飯食べたから分かる。 あの人は社会が嫌いで馴染む気も無い感じだけれど、積極的にそれを壊そうってタイプじゃない」

「な、なんでそんな情報を聞くの? あいつら何者なの?」

「あいつらはね、私が思うに、この間テレビに出てきたうさぎとは別の宇宙人。 それで、多分うさぎの邪魔をするために、地球の過激派を焚きつけて大規模なテロを起こさせて、撤退に追い込ませようとしてるんだと思う。 同種族か、異種族かまでかは分からないけれどね」

何でその結論に到ったのか。

それは、先々代の総理の娘をひっさらっている事が、決め手になった。

明らかにイレギュラーケースだった暁と長沼を除くと、どちらの両親も変わり者で、場合によっては反政府側に転ぶような人間を親に持っている。特にみちるの親は政界から追われており、その人脈は恨みから闇に広く拡散していると聞いたことがある。一見まともに見える香奈実の母京子も、かなり過激な思想の持ち主で、条件次第では簡単にテロリスト御用達の科学者に姿を変えるだろう。

それくらいは、少し調べれば分かること。地球を調査しているエイリアンなら、把握していて当然の情報だ。

「おっそろしいなあ、かなみん」

「そう? 人類の歴史なんて、こんなもんでしょ? 特に今の時代は政界の再編成が昔みたいに根こそぎって感じで行われないから、凝りも溜まってるしね」

「ああ、そうかもしれねえけど。 お前のその年でそんな事を把握してる事が、はっきり言って恐ろしいよ」

どこか呆れたような長沼の言葉に、香奈実は小首を傾げていた。どうして恐ろしいのかがよく分からない。一般的な知識だと思うのだが。

ついでなので、夕月教授について、もう少し補足しておく。

「夕月博士って、暗号の権威なの」

「暗号?」

「そ。 だから、テロを起こしそうな情報って言った内容の中に、二進法の数字使って、イロハ式のモールス信号で混ぜといたんだ。 現在の状況を短く」

モールス信号は、ばれないように、ごく短いものとした。

つまり。

うちゅうじん。うさぎいがい。かなみ。

である。

元々偏屈な分頭が良い夕月教授である。これだけ聞けば、適切な所に問題のない連絡をしてくれるはずだ。そうすれば、母も動いてくれるだろう。

ただし、状況から言って、楽観ばかりも出来ない。もしもモールスで送り込んだ内容がばれれば即座に殺されるだろうし、この宇宙人どもがうさぎに勝る武装を持っていてもかなり厳しいことになるだろう。

要は、政府を通じて、うさぎを動かすしか対処策がないから、である。うさぎが銀河連邦がどうのこうのと言っていたが、それが何処まで効力を持つかは分からないし、あまり期待しすぎると辛いかも知れない。

「二人とも」

「何だ」

「どうしたの?」

声を落とすと、香奈実は言った。

「地球は救われるかも知れないけれど。 私達はスペースデブリになるかも知れないから、それは覚悟しておいてね」

「もう、覚悟は出来てるよ」

「そうだな。 俺は此処で死ぬんなら、別にかまわねえよ。 ただ、そのまま死ぬのはいやだな。 あのクソ野郎どもの顔面に、一発ぶち込んでから死にてえけど」

これが恋の力という奴か。ちょっと凄いなと、初めて香奈実は思った。此処に来て、この馬鹿二人も、何だか強い絆を見せてくれている。

今まで恋とは無縁だったし、別にしたいとも思わなかった香奈実だが。ちょっとだけ、興味が出てきたのは、二人に対して今作った秘密だ。

「後、何かできることはある?」

「人事を尽くしたから、天命を待とう」

「何だかお前、子供とは思えねえよ」

やっぱりちょっと呆れたように、長沼が言った。香奈実も今のは子供っぽくなかったかと思ったので、言い直した。

「じゃあ、もう少し、宇宙人どもに嫌がらせをしてやろう。 その方が子供っぽいと思うしね」

 

同時に巻き起こるテロの嵐の中、国連事務総長はようやく各国の首脳と連絡を付けることに成功していた。国家非常事態宣言を出し、軍の指揮を執っている中国とロシアの首脳が遅れたが、他はどうにか刻限通りに顔を出してくれた。

国連の建物の一つ。重要会議が行われる地下議事場である。広さは百メートル四方。ただし殆どはテレビ会議用の機械類で占められていて、硬質の印象を与える部屋だ。また、座っているのも国連事務総長だけで、後は機械管理用のスタッフばかりである。ただし、天井近くにずらりと並んでいる大型液晶テレビには、各国の首脳がアップで映し出されている。

うさぎに呼びかける。どこかで見ていたのだろう。うさぎは、程なく顔を出してくれた。

「騒がしいようですが、何事でしょうか」

「良くもぬけぬけと」

噛みつきかけたのは、氷の女帝とあだ名されるロシアの大統領だ。もっとも、実権は大臣達に握られているという噂だが。若い頃の美貌は既に異次元に消え去り、肉の塊になっている彼女がすごむと、魔物が吠え掛かっているかのようである。

録音していたうさぎの名前をいつでも再生できるように構えながら、国連事務総長は咳払いした。

「おほん。 ええと、kldhsflsrhdfihrgどの。 一つ聞きたいことがあります」

「何でしょうか」

「今、この場所が、盗聴されているか、そちらから確認できますか?」

うさぎが身じろぎして、映像が乱れた。

しばしして、部屋が一瞬停電した。すぐに電気系統が復活するが、それまで国連事務総長は冷や冷やした。

「今、確認終了しました。 二つほど盗聴器があったので、此方で取り除きました」

「ど、どうやったんだ! 信じられん!」

「各国首脳の部屋の確認も出来るかね。 これはテレビ会議用の部屋なのだ」

「其方は既に済ませてあります」

うさぎは頷くと、本題にはいるように促してきた。

やはり根本的に技術力が違う相手だ。そうなると、日本から来た報告も、あながち嘘とも思えない。それに、うさぎを全面的に信用する訳にもいかないだろう。

基本的に反乱分子の頭目であったり、或いは反政府的な態度を取っている人間ばかりがアブダクションされたからか、各国政府の反応は鈍かった。それが逆に、此処まで問題を大きくした根本的な理由だったとも言える。

櫻井香奈実が掠われていなければ、今頃手の打ちようが無くなっていた可能性もある。

冷や汗を拭いながら、国連事務総長は、一つずつ順番に、現在の状況をうさぎに説明していく。何度か頷いていたうさぎだが、やがて触角を目の少し前で擦り併せ始めた。人間でいう腕組みかも知れない。

「なるほど、我々以外の宇宙人による誘拐と、それによるテロの扇動ですか」

「心当たりはありませんか? このままだと、宇宙ステーションにテロが実行されかねません。 そうなれば困るのは我々だけではないはずです」

既に各国監視の下、うさぎの宇宙船が海から資源の吸い上げを始めている。極めて静かに行われているから誰も気付いてはいないが、プロジェクト自体は既に動き出しているのである。

約束を破るのはうさぎとしても本意ではないはず。今までの動きを見ていて、国連事務総長はそう結論していた。事実うさぎは、突き放すようなこともなく、しっかり考え込み始めた。

「我々の中にも反対派はいましたが、彼らでは此処までの事は出来ないでしょう。 そうなると、思い当たる節があります。 地球人の宇宙進出に反対していた国家が、幾つかありましたから」

「彼らによるアブダクションと、テロの扇動だというのかね」

「恐らくは」

感情的な非難の声が、場を蹂躙した。しばし暴力的な罵声を、目を閉じて聞いていたうさぎだが、国連事務総長が話しやすいように手を叩いて皆を鎮める。宇宙人と言えば、地球にとって客も同然であろうに。その前でもこのような醜い争いや言動を繰り返す同胞に、国連事務総長は苛立ちを抑えきれなくなってきていた。

やっと静かになったのは、たっぷり五分も経ってからである。ぎゃあぎゃあ騒いでいた連中も、今はテロを収めることが先だと気付いたのだろう。それには、うさぎの手を借りて、もう一つの宇宙人勢力とやらを、どうにかしなければならない。捕まっている連中を救出すれば、事態は沈静化、まではいかなくとも、回復には向かうはずだ。

それにしても、こんな簡単な陰謀に軽々と踊らされるとは。三十年前に終結した大戦以来、安定した政権に依存して誰もがだらけきっているのかも知れない。結局、人類は、井戸の中の蛙に過ぎなかったと言うことだ。

「分かりました。 本国から、戦闘用の艦隊を既に呼んであります。 本来はあなた方が愚行に走った時の抑え役でしたが、今は違う用途で用いることとしましょう」

「お願いします。 此方としても、早急な対応をしたいことに代わりはないのです」

国連総長が頭を下げると、ちょっとぎこちなく礼をして、うさぎは消えた。意思の疎通は、少し前より随分スムーズになってきている。喜ばしいことである。

ぶつぶつ文句を言う他の首脳と違い、額の汗を日本の総理大臣が拭っている。彼一人が、不安げであった。

「やれやれ、上手く行くと良いのだが」

「人質が全員助かるかは分かりませんが、少なくとも、彼らが嘘をつくことはないでしょう」

もしも彼ら自身が犯人だったのなら、もっとマシな嘘をついているはずだ。極めて素直かつ、正直にうさぎは応じていた。そう国連事務総長は見た。

後は、できるだけ丸く、事態が収まるのを期待するしかない。

そして、もう一つ、やるべき事があった。

「最悪の事態に備えて、手は打っておきましょう」

「国連事務総長、それはどういう事かね」

「いざというときに全ての責任を押しつける犯人を作っておくことです。 丁度中東方面で、この間大型テロリスト集団のボスを、米軍の特殊部隊が捕らえましたね。 もしもうさぎたちが失敗して人質が死んだ場合、全て彼の陰謀だったことにしておきましょう」

元々、狂信的かつ独善的であり、死刑以外になんら道のない男だ。それ以外の全てが、世間に災厄を振りまき続けるような輩である。それならば、絞首台に登らせる前に、毒入りの料理を喰わせるくらい大した違いもない。

一見悪辣な陰謀にも見えるが、人間社会では平然と行われてきたことだ。人間という生物は、集団になればなるほど愚劣になり、その本質を剥き出しにする。最大集団である国家を制御するには、これくらいのことは思いつき、実行できるようでなければならないのである。

「そ、そうだな」

「では、手配をお願いします。 各国首脳の方々も、証拠を適当にでっち上げておいてください」

「分かった。 それが良さそうだ」

鼻白んだ様子で、米国の大統領が応じる。他の国の首脳達も、おいおい国連事務総長の提案に乗った。

それで会議は終了となる。めいめいテレビ電話が切れると、大きく国連事務総長は歎息した。まだまだ、地球人類は。確かに今アブダクションを起こしている宇宙人達が危惧しているように。宇宙にでるには、少し早いのかも知れなかった。

国連事務総長は、宇宙から連絡してきた京子に、連絡を取るように部下に命じた。先に、謝っておかなければならない相手がいるとしたら彼女だと、思ったからである。

 

4、救出作戦と、その裏

 

もしも、SOSがきちんと届いていれば。もう、国連は動いているはずだ。そう隅でむくれた振りをしながら、香奈実は結論していた。

既に小声で何度か長沼と暁と打ち合わせはしている。残念ながら香奈実は年相応、或いはそれ以下の運動能力しか備えていないので、荒事には決定的に向かない。いざというときには長沼を頼るしかない。それなりに喧嘩の経験がある長沼は、訓練を受けた軍人などと比べるとあまりにも頼りないが、今は雲間から垂れ落ちる一筋の蜘蛛糸だ。長沼もそれは理解していて、緊張を解かずに、時々ドアの方を見やっていた。

此処が地球であれば、まだいい。問題なのは、宇宙で、宇宙人どもの母艦か何かである場合だ。うさぎよりも優れた技術力を持っていた場合、救出作戦が成功する可能性が極めて低くなる。

幸い、この宇宙人どもが、政治的にうさぎより上というのが、ほぼあり得ないことだけが救いか。もしそうなら、こんなこそこそアブダクションもどきをしなくても、堂々と圧力を掛ければ良いのである。対等か、むしろ立場が弱いと言うことが、このアブダクションもどきからも分かる。

それらの状況は、暁にも長沼にも知らせてある。

まだ、子供はくすんくすんと泣いていた。いい加減本当に苛々してきたが、此処は我慢だ。感情の爆発は、破滅を呼ぶ。今はただ、機会に備えて牙を研いでいれば良い。腕組みして、しばし待つ。

やがて、大きな揺れが一つ。

今まで、動いている形跡がまるでなかったこの空間に、一瞬だけ遠心力らしきものが働いた。

「かなみん、今の」

「電車が動き出した時の感覚に似ているね。 となると、此処は母船か。 面倒くさいなあ」

「何、いざというときは、コックピットを乗っ取ってやれば良いんだろ? 地球人を舐めてくれた礼をたっぷりしてやるぜ」

すっと壁際に、長沼と暁が貼り付く。みちるを手招きして、側に呼び寄せた。そうすると、いつの間にかみちるは泣きやんでいて、ぱたぱたと走り寄る。

「まさか、泣き真似してた?」

「え? そうしろって、お姉ちゃん言ってたよ」

「ああ、そうだったね」

ぎゅっと隅で身を縮めるように指示しながら、香奈実はしてやられたと呟いていた。すっかりだまされていた。見事な演技力である。

この子は賢くはないかも知れないが、もう充分にしたたかな女の子だ。将来はさぞや男どもを振り回すことだろう。

もう一つ、揺れが来る。がくんと、強烈な遠心力。備えていた暁も長沼も持ちこたえるが、香奈実は一人床に顔をしたたか打ち付けていた。

「……いたい」

顔を上げると、暁が笑いをこらえるのに必死になっていた。

今噛みついている暇はない。鼻を拭うと、いざというときは動けるように、二人に念を押した。ちょっと恥ずかしかったので、心持ち強く。

 

「命中弾、来ます!」

オペレーターの言葉と同時に、揺れ。直撃したミサイルが、船体を揺らしたのだ。シールドの出力が、どんどん下がっていく。後方から追尾してくるのは、戦艦だけでも十隻以上。大規模な艦隊である。綺麗な紡錘陣形を組んでおり、付けいる隙が全くない。攻撃も間断なく、何度か任務中に地球で浴びたシャワーのようだった。

既に護衛の艦は全隻が脱落し、動力を停止して降伏している。ぎりぎりと歯がみする他無い。

基本的に、宇宙での戦闘は勝ち目がない場合は降伏するのがルールだ。デブリになると周辺の海域に著しい迷惑を掛けることになる上に、資源がもったいない。数百年、数千年後の事を考えると、国家に殉じるよりも、降伏の方がモアベターとされている。銀河連邦の所属国家に共通する認識である。

それは特務部隊でも同じ事だ。だから、自決する場合は船体の内部で、外部へ被害が出ない方向で行うことになる。

しかし、其処までlkhdafhdfaohouefhwhuにする気はなかった。

地球人どもに捕らえられたり引き渡されたらどうなるか分からないが、カパトギアなら宇宙法に照らした処置をしてくれるはずである。テロで多くの地球人が死んだかも知れないが、それも仕方の無かったことなのだ。宇宙に地球人どもが進出してきたら、その被害は計り知れない。瞬く間に無数の星が植民地化され、武力で劣る住民は奴隷か、下手をすると食料にされてしまうだろう。文明も資源も略奪されて、ことごとく焼き尽くされるのは疑いがない。そして、銀河連邦そのものも、いずれ地球人の手で乗っ取られてしまうことだろう。

地球人の歴史が、それを証明している。同族にさえそういった処置をする生物なのだ。自分と違う姿をした存在を、対等になど扱えるはずがない。

通信が入ったので、lkhdafhdfaohouefhwhuはスクリーンに飛びついた。カパトギアの司令官に、早速lkhdafhdfaohouefhwhuは噛みつく。

「貴様、自分が何をしているか分かっているのだろうな!」

「あなた方こそ、銀河連邦の決定を覆すつもりですか」

「巫山戯るな! 地球人がいかなる連中かは、貴様らも見て知っているはずだ! 些細な資源を得るために、あんな獰猛で凶暴な連中を宇宙に出そうとしおって! 後悔することになるぞ!」

「確かに地球人は著しく精神的に未熟な知的生命体ですが、宇宙進出に関しては銀河連邦が共同して監視することを決めているではありませんか。 それに、軌道エレベーターが完成したところで、恒星間飛行が実現するまでは彼らの技術進歩レベルから考えて12000単位時間は掛かります。 無駄なことをして歴史に傷を残さず、さっさと降伏してください」

通信が切られる。

雄叫びを上げて、lkhdafhdfaohouefhwhuがスクリーンに拳を叩きつけるのと、また直撃弾が来るのは同時だった。船体が大きく揺れる。更に、悪い報告が来る。

「捕縛していた地球人が、逃げ出しました! あの櫻井香奈実と、他数名です!」

「移動させようとした部隊員数名が人質になっています!」

露骨に部下達が動揺する。lkhdafhdfaohouefhwhuもである。あのような子供に、此処までしてやられるとは。

そうだ。そもそもどうして外に情報が漏れた。カパトギアの艦隊が、此処を嗅ぎつけたのも、此方の存在に気付いたからではないか。どうしてだ。母船は旧式だが、アブダクションに使った小型艦艇は最新式のステルスを施していた。簡単に見つかるはずもないのに。しかし見つかった。

そうだ。誰かが、此方を手玉に取り、何らかの方法で、地球人に情報を流したのだ。それはあの櫻井香奈実に間違いない。

「おのれっ!」

地団駄を踏むlkhdafhdfaohouefhwhuの前で、警告スピーカが作動。緊迫感のある音楽が流れ始めた。

「シールド出力、三十%にまで低下!」

「敵高速艇、退路を塞ぎました! もう逃げ切れません!」

「船を止めろ。 降伏する」

静かにlkhdafhdfaohouefhwhuは言う。

部下達が後ずさったのは、気付いたからかも知れない。lkhdafhdfaohouefhwhuの目に、狂気が宿ったことに。

降伏はする。

だが散々此方を苦しめてくれたあの小娘は。生かしておかない。あのような地球人がいるから、宇宙進出はさせてはならないのだ。他の種族全てが迷惑することになる。ただでさえ地球人は、弱い方が悪いという理屈を振りかざして、弱者を欲望のままに蹂躙するような連中なのである。

カパトギアの連中が船に乗り込んで来る前に、事故を装って、消す。

今、それだけは、lkhdafhdfaohouefhwhuがやっておかなければならなかった。

 

ただごとではないと香奈実が判断してから、事態は急展開を迎えていた。やはり予想通り、実体を持つ宇宙人が、移動のため部屋に入ってきたのである。

野球がメインだが、一応空手もやったことがある長沼が、不意を突いて回し蹴りを叩き込み、彼らの武器を奪った。後はその武器を、腕を捻り上げて使い方を聞き出した。そして隣の部屋の人質を移そうとしている宇宙人を後ろから蹴り倒して、今は何人か救出した地球人と一緒に、ちいさな部屋に分散して立てこもっている。奥には、縛り上げた宇宙人を転がしてある。

まさか、強硬手段には出てこないとは思うが。しかし、宇宙船がこう揺れていると言うことは、多分うさぎからかなり激しい攻撃を受けているのだろう。そうなると、精神の均衡を失う可能性も高い。

「かなみん、もう乱暴なことにはならないかな」

「いや、もう一波乱あるかもしれないよ」

不安そうに言う暁に、香奈実は人質の顔から剥いだマスクを被りながら応えた。マスクを剥がしてみると、宇宙人は殆ど地球人と変わらない姿をしていた。ただ、やはり足が少し違う。かなり広がっていて、まるでスキューバの際に付ける足ひれのようである。半水中で進化してきた種族なのかも知れない。

また、一つ大きな揺れ。暁が可愛い悲鳴を上げた。

「きゃっ!」

「揺れるね」

転びそうになるが、何とか耐え抜く。長沼は何度か振り回して既にこつを覚えた宇宙人の武器を構えて、油断無く通路を見張っていた。既にマスクは被っている。無力化ガスくらい投入してくる可能性があるからだ。

「櫻井香奈実!」

不意に響く声。廊下の奥からだ。見れば、いかめしいパワードスーツに身を包んだ男が、機械的な足音と供に歩み寄ってくる。まるでアニメにでて来る戦闘ロボットだ。背丈も四メートル近い。

「良くも舐めた真似をしてくれたな! 殺してやる! 出てこい!」

「わー。 かなみん、ご指名だよ」

「無茶言うなっての」

どう考えても、小口径の銃弾が通じるとは思えない。格闘戦に到っては、蟻が象に挑むようなものである。しばらく部屋の中から様子を伺っていると、何と容赦なく発砲してきた。右手についているガトリング砲に似た武器が咆吼し、床に巨大な銃痕を穿つ。悲鳴を上げて身をすくめる暁を庇いながら、長沼が呟く。

「おいおい、冗談じゃねえぞ」

「もう、頭がおかしくなっちゃってるんだよ」

床に穿たれた穴はそれぞれ直径六十センチほどもある。人間があんなものを喰らったら、一撃でミンチだ。掠っただけでも即死だろう。しかもあの宇宙人、そのまま放っておいたら、部屋にいる人質ごと、香奈実を撃ちかねない。

まるで地球人のような行動である。

今までの人質の扱いから考えて、この宇宙人はまだ地球人よりはましな倫理観念を備えていた。だが、ああいう行動にでたと言うことは、宇宙人は相当に追い詰められている。ならば、時間を今は稼ぐことだ。小さく舌打ちすると、香奈実はマスクをはぎ取って、暁に渡した。

「被っておいて。 多分、ガスはこれで防げるから」

「ちょっと、まさか! かなみん!」

「出るつもりだよ。 そうしないと、時間だって稼げない」

真っ青になった暁が、すがるように長沼を見る。俯いた長沼は、俺が出ると勇ましく言ったが、無理だ。敵は香奈実しか眼中にないのである。他の誰にも、代役はこなせない。そして、これは自業自得でもある。

確かに、宇宙人どもはアジトをうさぎに突き止められ、追い詰められている。だが、その要因を作ったのは、間違いなく香奈実だ。あらゆる状況証拠が、それを裏付けている。ならば、行動に伴う責任を取らなければならない。当然のことである。

香奈実が学んだ限り、地球人は基本的にエゴの塊だ。市場原理や政体を言い訳にして、どんな原始的生物でもやらないような暴虐を堂々と繰り返す。子供の内からそんな事を理解している香奈実はあまり幸福な子供ではないのかも知れない。だが、だから故に。外宇宙から来た知的生命体と接する時には。他の地球人どもと一緒でいてはならないのだ。地球人の強みであるしたたかさを見せながらも、他の連中が行わない責任取りを、きちんとやらなければならない。

「待って、かなみん! 私が宇宙人説得するから!」

「良いから」

長沼に目配せして、暁を抑えさせる。血を吐きそうな表情で、長沼は暁を抑えてくれた。そのまま、廊下に出る。

そして、殺気の塊と化している宇宙人と、相対した。

 

最初に実験を終えたのは、日本が主導していた研究チームだった。米国チームも早かったが。

結果、確かに軌道エレベーターの基幹部分として、問題ない強度を有していることが分かった。そしてこの金属は、これからネバダの砂漠をはじめとする何カ所かに、連続して投下すると、うさぎは言っていた。

凝った肩を揉みながら、京子は部屋の外に出る。

何しろ、検査器具の精度から確認しなければならなかったから、大変だった。それをインドの研究チームと共同して精度を確認した後は、丁寧に何度も素材の検査をした。結局、丁寧に検査をしたことが幸いして、却って一番早く終わったのは、皮肉というほかない。

他のチームが検査を終えるまでに、香奈実の状況を調べておきたい所だ。

情報士官が、外で待っていた。最初に知らせてくれたのは別の、まだ若い女性士官である。

「櫻井博士、新しい情報です」

「どうしたの?」

「香奈実ちゃんが囚われているらしい宇宙船をみつけたと、先ほどうさぎ達が連絡してきました。 今、抑えるべく艦隊を動かしているそうです」

研究中で無くて良かった。もし研究中であれば、確実に手元が狂っていただろう。

生唾を飲み込む京子に、情報士官は続ける。

「誘拐の実行犯を、地球側に引き渡すことは出来ないそうですが、ただし人質の八割以上は助かるだろうと、うさぎは言っていました」

「……被害が出る事は、覚悟しろと言う事ね」

「残念ながら」

人質を取っての立てこもりは、効果的な作戦だ。突入は非常に難しくなるし、兎に角守りやすいからだ。

しかも、情報士官が続けた所によると、敵は多少旧式ではあるが、宇宙戦艦に乗ってきているという。つまり、戦艦ごと落とさなければならないと言うことである。地球の常識で言えば、もう人質の命は諦めなければならないだろう。うさぎはよくやってくれていると言える。

ぞろぞろとシャトルに乗って、研究結果を本国に報告するべく帰る研究班が、京子をちらりと見た。半数ほどは事情を知っているから、同情的な視線を向けていたが。発表役を買って出た東大の名誉教授は、欲に目をぎらつかせていて、気にもしていない。えらそうに指示をするだけで自分は何も手を動かさなかった男だ。東大にもコネを使って入ったという噂であり、虫が好かない。

「お気になさらないように。 辛い中、櫻井博士が苦労なされたことは、誰もが知っています」

「ありがとう」

下手な慰めの言葉が、余計に辛い。敬礼してシャトルに乗って行った情報士官を見送ると、京子は壁を蹴りつけていた。

そして自分の短慮に舌打ちすると、シャトルに遅れて乗り込む。

自分には、何も出来ない。香奈実の言葉を、コネを使って国連総長に連絡して、各国の対応を仰いだだけだ。

その無力が、今はただ辛かった。

エアロック前の着替え室で、宇宙服を着込む。巨大な機密式の宇宙服を着るのが、ただ煩わしい。

席に着く。上機嫌でふんぞり返っている例の男が、取り巻きにワインを飲みたいとかほざいていた。それを見かねてか、アルキマナ博士が慰めてくれた。

「プロフェッサー櫻井、気にしないほうがいい」

「ありがとう」

「私も、ちょっとあの男は苦手だ」

頷きながら、シートベルトを。当然無重力だが、今まで人工的とはいえ重力のある空間にいたので、違和感が大きい。技術力が根本的に違うのだと、こう言う所でも思い知らされる。

ドッキングしていたシャトルが切り離しを行い、船体ががくんと揺れた。そのまま逆噴射を掛けて、発進する。宇宙服の上からも、びりびりと加速が伝わってくる。シートベルトをするようにアナウンスが流れて。

後は、加速するシャトルの中で、京子はただ香奈実のことだけを考え続けていた。

無茶はしないといいのだが。

いや、多分無茶をしているだろう。

あの子は早くに親を亡くしたから、妙に大人びている所がある。優れた知性もそうなのだが、大人びた心そのものが、武器になっているのだ。香奈実が宇宙人の情報を流したことは、多分マイナスに働く。

責任を取って、皆を生かすために、犠牲になろうとするかも知れない。いや、多分そうするだろう。

賢い子だから、むざむざ死ぬようなことはないはずだが。だが、危険は大きい。そして、その場に、自分は行くことが出来ない。

ただ口惜しかった。

馬鹿笑いをしている東大の教授。これで名誉は私のものだとかほざいている。そういえばこの男の息子は、国内の大学には入れないようなオツムの持ち主で、名前も知らない海外の大学へ「留学」しているとか。

だが、それも場合によっては良いのかも知れない。香奈実のように、責任感から危険に立ち向かうこともないのだろうから。そう、京子は自嘲的に考えていた。

程なく、宇宙ステーションにシャトルが到着。此処からは、ロケットを使って、順番に帰還していくことになる。

京子は最後で良いと告げた。

少なくとも、香奈実の安全を確認してから。地球に帰りたかったからである。

ゆっくり回転して、遠心力による疑似重力を作っている宇宙ステーションは、さっきまでいたうさぎの衛星とは、あまりにも技術が違う。まるで玩具だ。これでも、多少米国のものよりは小振りながら、地球人類としては最高峰の技術が使われているのだが。それでも、結果に代わりはない。

宇宙服を脱いで、ぼんやりと窓から外を見る。月の向こうで、チカチカと光が瞬いていた。ひょっとすると、あれが宇宙人同士の戦いなのかも知れない。宇宙船ごと吹き飛ぶような事がなければ良いのだけれどと、京子は思った。

 

通路に堂々と出てきた香奈実を見て、宇宙人は逆上していた。いつ引き金に指をかけてもおかしく無い状況だ。香奈実は静かな覚悟を決めてはいたが、それを見るとやはり怖い。怖いが、もう決めたことだ。

先ほどから、揺れは激しくなる一方。隙が出来たら、飛び出してきて宇宙人を捕らえて欲しいとは、長沼に告げてある。だが、少なくとも、あの戦闘ロボットじみたパワードスーツに乗っている間は、それも無理だろう。時々通路は傾いているが、平衡をパワードスーツは失っていない。常に平衡を保っている上に、床を横滑りもしていない。直撃弾の拍子に中身が放り出される、というようなことは、期待しない方が良いだろう。

「良く出てきたなあ、地球人!」

「……」

巨大な銃口が、香奈実に向けられる。

狂気に囚われているとはいえ。少なくとも今、この宇宙人は、野蛮で残虐な地球人と同レベルの存在に落ちていると言える。かといって、香奈実にこの宇宙人をどうこう言う資格など無いが。説教などもってのほかだ。なぜなら、追い詰めたのは香奈実なのだから。

「何か言い残すことは?」

「別に?」

「そうか! では……」

「ちょっと待った。 一つあった」

火を噴こうとしていた銃口が下がる。

意外に律儀な奴だと思いながら、香奈実は続けた。後ろの部屋の中で、固唾を呑んで長沼と暁が此方を見つめているのが分かった。彼らがトラウマを宿さないように、最後まで生きる努力はしてみよう。そう香奈実は決めた。しかし、卑劣ではない方法で、それをやるのは難しい。

「地球人を危険視する理由は何となく分かるけど、そんなに宇宙的な水準から考えて、地球人は愚かな種族なの?」

「言うまでもないことだ。 本来なら、惑星表面を出立する頃には果たしていなければならない精神的な進歩を、未だに成し遂げない存在。 それがお前達だ。 もしもお前達を宇宙に出したら、瞬く間に銀河系中の星々を侵略し、強奪し、植民地化して、我が物顔に蹂躙して回るだろう」

「違いないね」

「ほう? 意外に理解が早いではないか。 地球人の中にも例外的な存在はいるようだが、まさか貴様のような卑劣な子供が、その一匹だとはな」

狂気を湛えた笑いを、宇宙人が浮かべている。

今だその感情は爆発寸前だが、しかしながら僅かずつ、心に踏み込むことは出来つつある。そう香奈実は実感していた。

それにしても。意外な話だ。他の宇宙人達は、宇宙に出る頃には、種族的に揃って精神的な進歩を果たしていたという訳だ。今話してみていると、この宇宙人も、個人的な憎悪からテロに走っているのではなく、ちゃんとマクロ的な視点に立って、しかも恐らくは国家レベルの支援を受けて行動をしている。結局の所、政治にも軍事にも学問にさえも個人的な主観が絡んでくる地球人とはえらい違いだ。

多分、香奈実を殺そうとしているのも。狂気の裏には、マクロ的な危機感があるのだろう。

かって、地球人の間にも、似たような思想はあった。宇宙に出る前には、精神的な進化を果たすべきだというようなものだ。

だが結局の所、それを為すことなく、地球人は宇宙へ進出しようとしている。その凶暴な性質を、内部に抱えたままで。ありのままの人間が美しいというような思考停止も、未だに根強い思想だ。このままだと、人類が宇宙に戦禍と狂気を持ち込むのは、ほぼ間違いないだろう。

「それならば、何故うさぎと思想が食い違ってるの?」

「うさぎとはカパトギアの連中のことか! 奴らは貴様らが恒星間飛行能力を手に入れてからでも、対処は遅くないと考えている! くだらんほどに楽観的な思想だ! 今だ多くいる、未発展知的種族や、平和的な思想を持つ者達を貴様ら地球人に蹂躙させないためにも! 今此処で、叩いておかなければならないのだ!」

再び、銃口が持ち上がる。

この宇宙人の言うことも正しいだろう。香奈実が同じ立場なら、地球人を宇宙に出すべきでは無いとも考えるかも知れない。

結局の所、香奈実は死にたくない。だから、時間を稼いでいるのだとも言える。

どすんと、ひときわ大きな揺れが来た。この宇宙船に、何か大きなものがぶつかったのだろう。多分揚陸艦だと、香奈実は思った。つまり、もう少し時間を稼げれば、それで良い。良いのだが。

「ねえ、あのさ」

「くだらんおしゃべりはおわりだ。 お前達を宇宙に出すのを阻止することはかなわなかったが、せめて貴様だけでも、葬り去ってくれる。 この私の、命に代えてもだ!」

どうやら、無理らしい。

後、一言。届かなかった。目を閉じた香奈実の額に、銃口が合わされる気配。

そして、殺気が爆発した。

 

父の記憶は、殆ど無い。

香奈実は複雑な家庭に育った。父は天才であったが、それに相応しい性格破綻者。借金さえ作らなかったが、二人の女性と交際できたのが不思議なほどの社会性欠如者であったらしく、友人は殆どいなかったらしい。だから、祖父や叔父に聞いても、父の話は殆どしてくれなかった。実際の母に関しては、顔も知らない。写真も残っていないからだ。

だが結局、今の鞘に収まったのは、幸せなことであったのかも知れない。現在の母である京子は、香奈実同様の変人で。故に悩みを共有することも、苦悩を分かち合うことも出来た。親子と言うには年が近いが、それくらいは別に何とも思わない。ただ、世間一般で言う、親子の情愛というものに関しては、経験したことがなかった。羨ましいと思ったことはあったが、今ではそれも無い。

妹に関しても、それは同じだ。

幼子を可愛いと思うのは、女としての本能だろうと、香奈実は冷静に分析している。世の中には、血がつながっていないとか、男を作るのに邪魔だからとかいうくだらない理由で子供を虐待するような親もいると聞いているが、香奈実はそんな連中とは違う。しかし、ある意味では同じだとも言える。

家族の愛情。それが完璧に欠落しているのだから。

結局の所、香奈実は自分の存在意義を、今でも見つけることが出来ずにいた。家族という枠の中では、特に、である。

もちろん生きたいとは思っている。

だがそれも、自分のためや、家族のためではない。生物としての本能に従ってのことだ。それに、自分が守れる命のためでもある。

そう言う意味で、香奈実はあれほどやりこめて馬鹿にした、宇宙人と同水準の存在なのかも知れない。

体温を感じた。

そう言えば、暗闇の中にいる。

ゆっくり流れていくのは、幼い頃の記憶。何が何だか分からないうちに、父は死んだ。葬式の時に、母が泣いていた。まともな写真がないとかで、親族が安置されている亡骸の側で揉めている。そんな中、香奈実はぼんやりと、高等数学の数式について思いを馳せていた。

泣かない香奈実を見て、親族は皆えらいねと言った。意味が分からなかった。殆どの人間は、家族が死んだら泣くのだとは学習したが。それだけだ。香奈実には、ぴんとこなかったのである。

やはり、なぜだか温かい。

遠くに光が見えた。死んだのかなと思ったが、手を伸ばしてみる。

泡のように浮かんでくる記憶。小学校に入った時。飛び級を告げられて、あまり実感はなかった。ただ、同級生と仲良くする気はさらさら無かったから、それでも良かった。クラスは泡。同級生は顔と性格と経歴を覚えてはいたが、ただそれだけ、周囲にいる記憶の数々。ただの記号。

だから、関わることもしなかった。

小学校の頃は、自分を虐めようとしてきた連中もいた。だが、ことごとく返り討ちにしてやった。運動神経はなくとも、武術や人間の壊し方の知識は持っている。此方が社会的に地位もある上に、武力や財力でも上だと知ると、今度は無視を始めた。だから、こっちからも壁を作った。

高校に入った頃からは、少しはましになったが。壁を作っていたことに代わりはない。だが、このぬくもりは何だろう。別に欲しいと思ったことは一度も無いが、しかし心地は良かった。

ゆっくり、浮上していくような感覚。

気がつくと、ベットに寝かされていた。

自分に折り重なるようにして、暁が寝転けている。頭に包帯を巻いているのは、どうしてだろう。

ゆっくり、記憶を整理していく。

そうだ。撃たれたのだ。だから記憶がない。しかしあの大口径の銃で撃たれて、どうして無事だ。それこそ赤い霧になってしまっていてもおかしくはなかっただろうに。手足も無事だ。指が欠けているようなこともない。ざっと観察して、打ち身と、頭部への打撃があったくらいだと気付く。頭部のほうも、ベット周辺の機器類を見る限り、それほど深刻なものではないのだろう。

天井を見る。見覚えがあった。確か近所の赤十字。窓から外を見て、その記憶が正しいことを確信する。大学病院などで、権力闘争が弊害化していた病院は22世紀少し前から統合が進み、今では殆どが赤十字と化している。此処も、百年ほど前には都内有数の大学病院だったのだが、今では看板を変えていると言う訳だ。

「んー。 かなみんー」

寝転けている暁が、寝言を呟いた。咳払いが一つ。顔を上げると、個室の入り口に、長沼が来ていた。

「起きたか」

「うん」

「おふくろさんも、さっきまで来てたんだぜ。 無茶ばっかりしやがってよ。 だから俺は、お前が嫌いなんだよ」

随分ずけずけ言う奴だ。苦笑いも浮かばない。

香奈実の脇のテーブルに、果物を並べる長沼。チョイスから言って、母の選んだものだろう。席に腰掛けると、自分の思い人の頭を一瞥する長沼。相当に、複雑な状況だったのであろうか。

「何があったか、詳しく話してくれる?」

「……あの後、宇宙人が銃をぶっ放す寸前に、暁が飛び出した。 それで、俺がとっさに、銃をパワードスーツのカメラ当たりに投げつけた。 ロボットがそれで照準を崩して、お前と暁はミンチにならないで済んだんだが、代わりに天井が崩落してな。 パワードスーツはぺしゃんこ、お前達も生き埋め。 心臓が止まるかと思った」

暁が体で庇うようにして、瓦礫の中で香奈実を守っていたのだという。

その後すぐに、うさぎの宇宙人が操るらしい無人の戦闘ロボットが大勢やってきた。瓦礫をバターみたいに切り裂いて、すぐに香奈実と暁を救出してくれたという。ただ、うさぎ自身は、顔を見せてはくれなかったそうだ。あの気が狂った宇宙人も助け出していたという。皮肉なことに、目を回していたそいつは、やはり人間そっくりであったとか。

後のことは、良く覚えていないという。気がつくと地球にいて、周囲は政府の関係者が一杯。日本語が通じない人達も大勢いて、中にはヒステリックに叫いている者もいたそうである。必死に自分を守ったことに気付いていたからか、みちるは香奈実から離れようとせず、引きはがすのに苦労したという。みちるの両親らしい老人が来て、やっと離れたとか、疲れた様子で長沼は語った。

「そうか。 ニュースは、どんな感じ?」

「どうもこうも、中東の方で、何とかって言うテロリストが捕まって、そいつのアジトから俺達が救出されたって事になってる。 多分、宇宙人の話は、報道されないんじゃないのか」

「そうだろうね。 マスコミってのは20世紀の頃から、金のためなら嘘でも何でも平然と報道するみたいだからね」

あまり宇宙人のことは喋らない方が良いと釘を刺すと、長沼は分かったと頷いた。

テレビをジャックしたうさぎの事も、皆すぐに忘れてしまうことだろう。マスコミの横暴を許しているのは、愚かな大衆であることを、忘れてはいけないのだ。もっとも、だからもう誰からも信頼されていないわけだが。

「んー、かなみん?」

「おはよう」

寝ぼけ眼で、暁が顔を上げた。しばらく呆けた様子だったが、不意に抱きしめられて、香奈実はびっくりした。

「良かった! 本当に……」

「ちょ、ちょっとっ!」

「もう、無理しないで! かなみんが、責任なんて、とることないんだから!」

それは、違う。あの時は、香奈実が責任を取るべきだった。

そう冷静に働く頭と。どうしてか、このぬくもりを喜んでいる自分に。香奈実は気付いていた。

やがて、母が来た。

そして、事件の顛末を、知らされた。

 

5、宇宙文明との道と、魔王の誕生

 

軌道エレベーターが完成した。十九才になった櫻井香奈実は、母と一緒に主要研究チームの一人として、落成式に立ち会っていた。文字通り、天まで届く巨大な塔。そして、其処から縦横に伸びるパイプ類。その麓に、100万を超える人間が集まり、エレベーターの搬入口にて国連事務総長をはじめとする各国のVIPの言葉を聞いていた。

無理もない。軌道エレベーターは、人類が苦労し続けたエネルギー問題と資源問題を、一気に解決しうる、救世の塔とも言える仕組みだ。

ただし、所詮はハードウェア。きちんと使いこなすには、厳重なソフトウェア上の管理が必要になってくる。その点で、ある程度の学識と同時に、超記憶力を持つ香奈実は期待されていた。何しろ落成までに関わった人間全てと、帳簿の全てを記憶しているのである。各国から集まっているハイエナどもにも、付けいる隙など与えはしない。

国連事務総長が、壇上で空虚な演説をしていた。これが人類文明の成果だとか、平和の象徴だとか。

それを作るのに、宇宙人の技術協力が必要だったと、いつになったら知らせることが出来るのだろう。まだ、人類は、精神的に進化しようというそぶりを見せていない。場合によっては、強制的に進化をさせなければならないのかもしれない。だから、香奈実は、準備を進めてきた。

あの時相対した宇宙人は。決して間違ったことを言ってはいなかった。それは香奈実もよく分かっている。このまま地球人を宇宙に出すことは、それこそ調教していない虎を町中に放つようなものだ。宇宙人達も黙ってはいないだろうし、確実に双方にとって不幸な結果が待っている。

落成式が終わる。その場で会食となった。世界各国の珍味が、「記念すべき」日のために並べられた。だが、首脳部はどいつもこいつも顔を強張らせていたのは何故だろう。香奈実という、完璧な記憶装置がいて、軌道エレベーター計画を担っていた財団に隙がなかったからだろう。事実、リベートを求めて接近してきた者は幾らでもいたのだ。合計して15兆ドルに達する資金がつぎ込まれた、史上最大の計画だった。だからこそに、香奈実が果たした役割は、大きかったのである。

会食の最中、香奈実によってくるVIPは国連の関係者以外一人もいなかった。それが、何を示しているか、一目瞭然であっただろう。

会食が終わると。夕刻、母と一緒に頑丈な防弾式の護衛車に乗って、政府の関連施設に向かうことになった。装甲車のような車両には、前後に護衛もついていた。無理もない話である。香奈実は核地雷も同然の存在で、下手に傷つけさせる訳にはいかなかったからだ。香奈実を怒らせれば、軌道エレベーターに関する各国の醜聞がネットに嫌と言うほど流出することになる。そして、今の時代、メディアの言うことなど、誰も信じない。

しばらくは、無言だった。だが、最初に口を開いたのは。京子だった。

「香奈実、本当にやるつもり?」

「そのつもりだよ」

「貴方がやろうとしている事は、人類規模での、一種の洗脳よ。 それを分かってはいるのよね」

「私を誰だと思ってるの、母さん」

不敵な笑みを浮かべる香奈実を見て、京子はそうと短く答えた。

携帯電話を取り出すと、香奈実は連絡を始める。

「G計画を開始する。 例の物資を、軌道エレベーターに搬入せよ」

 

軌道エレベーターにより、物資の第一陣が宇宙へと運ばれていく。今までにない効率での発電を可能とする巨大ソーラーパネルと、スペースデブリをキャッチする電磁フィールド発生装置。そして、飛んでくる遊星を自動で捕縛して、刻んで資源として吸収するための一連の装置類。

その中に、誰もが使い方を知らない、コンテナが二つあった。

まるでビルのフロアのような、巨大なエレベーターに、荷物が積み込まれていく。その半ばが埋まった所で、性能試験もかねて、エレベーターが動き始める。

幾つかが得体の知れない荷物だというのに。櫻井香奈実が全てを管理しているのに慣れた役員達は、誰もそれを疑念に思わない。監視カメラはついているが、ついていないも同じだ。

この場を見ているものの殆どが案山子なのだ。櫻井香奈実の思想に共鳴している、僅かな者を除いて。

その一人が、今は軌道エレベーターで働いていて、荷物に混じって運搬に立ち会っている長沼だった。

計画の途中から参加した長沼は、結婚した暁藤子と一緒に、エレベーターの近辺に勤務してきた。いつからだっただろう。香奈実が計画にとってシールドとなり、各国の愚物どもを退けて、強力な推進を実現している事に気付いたのは。やがて、その思想を知って。かって宇宙人達が言ったことも、あながち間違っていないことに気付き始めていた。

元々子供離れしていると、一目置いていた香奈実の事もある。親しい間柄が、思想の浸透を早めたのかも知れない。いつの間にか、長沼は香奈実の思うままに動くようになっていた。自分でもそれが分かっていたのに、代わろうという気は起こらなかった。

自分と似たような手下が複数いることを、長沼は知っている。

しかしながら、互いには顔も知らない。

そして、もちろん素性も分からなかった。

コンテナの側に立っていた長沼は、一つだけ付いている壁側の大きな窓の外が、徐々に暗くなっていくのを、無感動に見つめていた。やがて成層圏を抜けて、対流圏を越え、磁界層を通った。それまで、一時間とかからない。巨大な支柱の周囲に、放射状に設置されている軌道エレベーターは、地上のどんな乗り物よりも速い。

やがて減速。ほどなく、宇宙へ来た。エレベーターが止まると、かりそめの重力も消えて無くなる。上のステーションに来たのはこれが四度目だ。中はがらんとしていて、まだ殆ど設備がない。だが、此処だけを考えても、現在世界最大の宇宙ステーションの一つなのだ。

機材を搬送していく。これから、ピストン輸送で設備類が追加されていくのだ。その中の一つ。コンテナを磁力式のキャタピラを持つフォークリフトで運び出す。何人かがついてきた。きっと、香奈実の部下達だろう。

外縁部に来た所で、コンテナを開く。

中に入っているのは、大量の白い粉。数人が壁になって、忙しく働いている他の者達から、作業を隠す。

そして、エアロックを開けて。衛星軌道上に、粉をばらまいた。

それを見ていたものもいるのに、誰も咎めない。

櫻井香奈実の指示によるものだろうと、思考停止しているのだ。事実その通りなのだが、今回のこれは根本的に意味が違う。

神々の裁きが、始まる時が来た。

 

自宅にたどり着いた香奈実は、テレビを付ける。もちろんニュースなどどうでもいい。パニックが始まるタイミングを見極めるためだ。

同時に携帯端末も立ち上げて、リアルタイムでの監視も開始する。何人か国連の中に飼っているスタッフも、既に動き始めているはずだ。

始まったのは、午後四時過ぎ。

衛星軌道からばらまいたのは、カパトギアの技術提供を受けて造り出した、精神進化促進用のナノマシン。それは大気流にのって世界中に拡散し、やがて全世界の人類を一斉に蝕み始める。

そして人類は、戦争も革新も経験することなく、生物として一歩先へ行くのだ。

強制的に。

こんな手は、香奈実も使いたくなかった。

だが、人類は、科学技術の進歩を望むことはあっても、精神の進歩を望まない生物だ。だから、誰かが強制的にやらなければならないのである。この過程で三割ほどの人間が死ぬだろう。しかし、それも必要な犠牲だ。

世界中から、膨大な不審死の情報が届き始める。

自分にも、抗ナノマシン剤は投与していない。不平等を避けるためだ。

外が騒がしくなってきた。香奈実は小さく欠伸をすると、風呂にはいると言い残して、浴室へ。

後に、自分は魔王と呼ばれることだろう。人類史上最悪の大量虐殺に手を貸したのだから。

だが、これを越えなければ、人類は宇宙に出る事が出来ない。

出たら、他の知的生命体全てに迷惑を掛けることになるだろう。

咳が出てきた。この夜を越える確率は、香奈実も等しく七割。生き残ることが出来るかは運次第だ。

シャワーでも浴びようかと思って、香奈実は服を脱ぐ。そして思い出す。シャワーを浴びるために、浴室に来たのだと。

不意におかしくなって、香奈実は笑った。

視界の隅に、うさぎが一匹。それを哀れむように、或いは興味深そうに、香奈実を見つめていた。

「人は、宇宙へ出られるのか」

自問自答。

「今のままでは、出られない。 だから、出られるようにする」

香奈実の答えを、聞く人間はいない。

だが、うさぎは、聞いていたようだった。

月の裏側にいる宇宙人達は、異変を察知しているはず。それもまた一興だ。

かなみはシャワーを浴びながら、思った。

人類が、外宇宙に手が届く日が、来るといいなと。

阿鼻叫喚の中、香奈実は一人笑う。意識がクリアになってきた。どうやら生き残るらしい。

生き残った後は。残った人間を、宇宙進出可能なように、徹底的に矯正することとしよう。

タオルで体を拭いて外に出ると、携帯を開いた。友人達から、メールが届いている。既に、行動は開始したという。この混乱に乗じて、各国政府の中枢をまずは掌握。そして、統一政府を力づくで作り上げる。

今まで、人間は努力してこなかった。しては来たが、いずれもエゴに基づくものばかりだった。今後は宇宙に出るために、ある程度意思を統一しなければならない。そして、それが出来る最後の機会が、今なのだ。

香奈実は、号令を掛ける。全ての支配を始めるべく。

今日、この夜。

此処に、地球の文明史上最強最悪となる、魔王が誕生した。

 

(終)