縁からの帰還

 

序、泡の先

 

遠くに見えるのは、何だろう。

光か。

手を伸ばす。

しかし、届くことはない。

ぼんやりとしているうちに、何となく思い出す。私の名前はトゥトゥーリア=ヘルモルト。

お母さんを殺した邪神イビルフェイスと戦って。

そして結局、闇を抑えきれなくて。

その代償だろうか。

死んだ。

そうだ、多分あの時。トトリは死んだのだ。結局の所、報いを受ける事になったのだろう。

どうしても、理性で感情を制御出来なかった。

心の闇と、上手にやっていくことが出来なかった。

何度も、周りが止めてくれた。ミミちゃんもお姉ちゃんも。必死に、トトリが行ってはいけない方向に進んでいるときには、引き戻してくれたのに。それだというのに、トトリは。

悪い子だった。

どうしようもない、無能だった。

だから、こうなったのも仕方が無い。

ここはどこだろう。噂に聞く地獄だろうか。もしそうだとすると、きっと最下層なのだろうなと、トトリは思った。

ぼんやりと、光を見つめる。

周囲には、たくさんの泡が浮かんでいる。それらの一つ一つには、思いでが浮かび上がっていた。

最初は、リス族の調査だった。

結果は、スピアの侵略によって、ジェノサイドを受けて。それから逃れるために、必死に逃げてきた人達だと言う事がわかって。

受け入れるために尽力して。

多くの悲劇を避ける事が出来た。

あの事件から、色々あった。

砂漠に道を作り。

緑化に協力し。

ペンギン族と不可侵条約を締結し。

敵中に孤立した部隊を救出し。

誰もが怖れる地獄のアーランド北東部に踏み込み。

霧に消えた国に足を踏み入れたり。幾つもの国の国境がある半島へと、足を踏み入れたり。

ホープ号を建設し。

フラウシュトライトを打ち倒して。

そして、国家の重鎮にまで上り詰めた。

もっと若くして、国家軍事力級の称号を得た天才戦士は、アーランドの歴史にたくさんいる。

トトリは戦士として優秀だったから、この過分な地位を得たのでは無くて。周囲のお膳立てがあって、この地位まで押し上げられたのだった。

結局の所。

トトリの人生は、今見ている泡のようなもの。

何一つとして自分で成し遂げた事なんて無くて。周囲のお膳立てがあったから出来た事で、自分の力なんて。

手を伸ばしても、泡にさえ届かない。

嗚呼。

何て意味のない人生だったのだろう。

ごぼりと、口から泡が漏れる。

まだ二十歳にもならない段階で、命を落としたことは、親不孝なのだろうか。アーランドどころか、世界の敵を葬って、相打ちになったのだ。それは、誇るべきなのだろうか。それも、分からない。

トトリは生きていて、意味があったのだろうか。

意味があったと、誰かが言ってくれたとして。

それは救われたとでも、言えるのだろうか。

分からない。

何ももう、分からない。

手に、温かい感触が触れた。

視界を移動することが出来ないから、それが何かは分からない。はっきりしているのは、とても懐かしい感触だと言う事。

起きろ。

懐かしい声がする。

でも、ごめんなさい。起きようとしても、起きられない。今、私は。地獄の中にいる。混濁した意識と、弱々しくなりつつある自我。

自業自得の結末がこれで。

誰を恨む事も出来ない。

起きなさい。

また、別の声。

起きて、トトリちゃん。

また、違う声だ。

起きるんだ、トトリ。まだお前は、死ぬには若すぎる。やっとお母さんが、帰ってきてくれたんだぞ。

え。

お母さん。

そんな筈はない。ごぼごぼと、口から泡が零れて、水面に向かって、浮かんでいく。だってお母さんは。邪神イビルフェイスと相打ちになって。多くの弱き人々を守るために、跡形もなく。

さあ、起きるんだ、トトリ。お前は充分な功績を立てた。こんな所で寝ているたまじゃないだろう。今後も、世界のために働け。

光が、近づいてくる。

 

気がつくと。

側で、ミミちゃんが寝ていた。

揺られている。いや、違う。感覚がおかしくて、揺られているように、感じるだけだ。この天井、見覚えがある。

というよりも、トトリのアトリエだ。

少しずつ、記憶がはっきりしてくる。イビルフェイスとの戦いの後。エリキシルの副作用で、倒れたのだ。盛大に血を吐いた記憶もある。そして何より。あの戦いの時、身体能力も、頭の冴えも、魔力も。

異常なほどに高まっていた。

副作用が小さいはずがない。

あんなにロロナ先生に注意されていたのに。もろに浴びてしまったのだ。無理もない事だったのだろう。

体がふわふわする。ベッドに寝かされていて。地面の上にいるはずだというのに、異常なほどに安定感がない。

側を見ると、やっぱりトトリの手を掴んだまま、ベッドにもたれかかるようにして寝ているミミちゃん。ゆっくり、周囲を見回して、状況を確認。

ベッドから出ようとして、失敗。

体が、上手く動いてくれない。

どれくらい眠っていたのだろう。

アトリエに戻ってきているという事は、最低でも二週間以上ということだろう。いや、そんな程度で済むはずが無い。

排泄はどう処理していたのだろう。

栄養の摂取は。

着ている服は、リネンだ。

ロロナ先生に作ってもらった、大事な錬金術師の正装は、戦闘時に血だらけのぼろぼろにされてしまった。

でも、きっとお姉ちゃんが直してくれたのだろう。

何度か苦労しながらベッドを起きだして。タンスを漁ってみると。中に、綺麗な状態で入っていた。

少しずつ、体が動くようになる。

居間を覗いてみると。

お姉ちゃんが、いた。

お姉ちゃんも、トトリに気付いた。

「トトリちゃん!」

「トトリ!」

お父さんも立ち上がる。

トトリは、情けない笑みを浮かべることしか、出来なかった。ちむちゃん達は、いない。港で働いているのだろうか。

ベッドに慌てて戻るように、急かされる。

あれから何があったのか、聞くけれど。

お姉ちゃんは、ゲートを開けて、アーランド王都へすっ飛んでいった。お父さんは、相変わらず、口を固く結んだまま。

もう一度聞いてみると。

やっと、重い口を開いてくれた。

「やはり、何も覚えていないんだな」

「うん……」

「東の大陸の戦いで、イビルフェイスをお前達が倒して。 そしてお前がひどい怪我をして、戻ってきた。 ロロナ先生が調合してくれたお薬を投与して、どうにか死ぬ事だけは避けたけれど。 それからが大変でな」

そういえば。

寝かされているベッドが違う。

トトリの肉体は、おぞましいほどに、変化を続けていたという。肉が盛り上がり、傷が再び開き。

それでいながら、栄養は殆ど必要とせず。

排泄もしなかったという。

トトリのアトリエに戻った後、ロロナ先生がトトリを何処かに連れて行って。しばらくは、戻ってこなかった。

帰ってきてからも、容体は安定せず。

体が、人間の形に固定したときは、お姉ちゃんもお父さんも、涙を流して喜んだという。

それほど、エリキシルは、危険すぎる禁断の薬だったのだ。

そういえば、思い出す。

ロロナ先生も、言っていた。

そのまま摂取したら、巨大な肉塊になって、破裂していてもおかしくはないのだと。人間の形を今しているだけでも、奇蹟なのだろう。

今、生きているだけでも。

トトリは、とても幸運なのだ。

こんな程度の事が罰になるのかなと、トトリは自嘲する。自分の体について、もうどうでもいいという感覚が強い。

同年代の女子みたいに、着飾ったりお化粧したりという意欲も湧かない。

身ばえを良くしようという本能自体が、ごっそり消え失せている。

お姉ちゃんが戻ってくる。ロロナ先生と、リオネラさんを連れていた。リオネラさんは、もうお子さんを産んだのだろう。おなかは引っ込んでいた。

すぐに診察される。

リオネラさんは、しばらく脈を取ったりしたあと。ロロナ先生に耳打ち。

ロロナ先生は、悲しそうにうつむいた。

「……お二人とも、此方に来てください」

トトリは、びっくりするほど、静かだった。

分かっていたのだ。

もう、自分が。

恐らくは、人間では無いと言うことは。

 

ミミちゃんは余程疲れていたのだろう。目を覚ますこともなかったので、そのままにさせておく。

トトリは起き出すと。

リオネラさんが良いと言うので。棒を手にとって、外で型をはじめた。

驚いたのは、その時だ。

異常に良く体が動くのだ。さっきまで、全然動かなかったのに。急速に馴染んできていると言うべきだろうか。

魔力自体も、とても強い。

本職の魔術師並みの魔力が、全身を巡っているのが分かる。最終決戦時、ぽんぽんデュプリケイトで複製スキルをこなしたけれど。あの時と同等か、それ以上の魔力が、トトリの全身を動き回っていた。

お姉ちゃんが。

いつの間にか、ドアの近くで、トトリを見ていた。

「また、そんな風に、動き回って」

「リオネラさんの許可は貰ったよ」

「……」

お姉ちゃんが、槍を取る。

無言で向かい合って。そして、稽古を始めた。

風のように、体が動く。

ずっと眠っていた半病人のものとは、とても思えない。お姉ちゃんの達人級の槍捌きを軽々と捌く自身に、トトリは驚いていた。

一本取られた後。

一本取り返す。

もう一度やって、一本取られて、其処までで終了。

お姉ちゃんは、大きく嘆息した。

「もう、前のトトリちゃんじゃないのね」

「そうみたいだね」

「ロロナ先生が、全てを話してくれるわ。 話を聞いて来なさい」

「うん……」

アトリエに戻ると、ミミちゃんがいない。

今、稽古している間に、居間の方に行って。そしてトトリがアトリエに入ったのと同時に、外に出たのだろう。

ロロナ先生が待っていたので、椅子に座る。

体が軽すぎて。

今なら、何でも出来そうなくらい。力が溢れてくる。

「トトリちゃん、まず最初に質問から」

「はい」

ロロナ先生に言われたとおり。順番に、幾つかの話に応えていく。

記憶は、ある。

だけれど、自分が前と違っていると言うことは、はっきり分かっていた。かといって、完全に断絶している、というわけでもなさそうだ。

しばらく質問をされた後。

ロロナ先生は、ため息をついた。

「トトリちゃんはね。 半分ホムンクルスになったの」

「え……」

「エリキシル剤の強烈すぎる肉体強化効果に、元々アーランド人として、それほど強くなかったトトリちゃんの肉体は耐えきれなかった。 かといって、エリキシル剤の効果を全て取り去ってしまうと、トトリちゃんの生命活動は、停止することが目に見えていた」

だから、ロロナ先生のアトリエに、運び。

其処で、処置を施したという。

元々の肉体を、極限まで強化する措置を。

そして。それは。

昔、ロロナ先生とクーデリアさんが死にかけたとき。

ロロナ先生の師匠であるアストリッドさんが、二人に施した、禁断の秘術だった。

その時は、ロロナ先生もクーデリアさんも。体の半分以上を失うほどの、悲惨な怪我をしていて。

それこそ、全身をホムンクルスと融合させないと、そのまま死んでしまうような状態で。

それで今でも、異常に体が若々しい。

何とか、子供は作れるように再調整はしたらしいのだけれど。それでも、今後、普通の人と同じように年を取ることは出来ないだろうと、ロロナ先生は、寂しそうに言うのだった。

そして、トトリの場合も。

異常すぎる身体の進化に耐えられるように。

肉体を弄った。

そして、どうにか人間の形として固定できたのが、半月前。

トトリが倒れてから、実に三ヶ月が経過していたという。

そうか、そんなに時間が経過していたのか。

渡されたのは、小さな薬瓶。

「それはね、死にたいと思った時に使って」

「特殊な薬を使わないと、死ぬ事さえできない、ですか」

「恐らくは、相当に苦しみ続ける事になると思う。 ごめんね、他に手が無かったから」

「ロロナ先生は悪くありません。 最後に私がドジを踏んだりしなければ、こんな事には」

側でお姉ちゃんが、手で顔を覆っていた。

お父さんは、別の方向を向いていた。

二人の悲しみは、嫌と言うほど分かる。

何しろ。

大事な娘と妹が。人ではなくなってしまったのだから。

でも、どうしてか。トトリは、特にそれが悲しい事だとは、認識出来なかった。理由は、はっきりしている。

トトリはずっと、弱いという事で、迫害され続けてきたから。

アーランド戦士にとっての価値観は、強さ。

それ以外のものは、どれだけ努力しても、どうしても認められる機会が少ない。トトリだって、錬金術師として業績を上げ、評価されたのは。そもそも、国によるお膳立てがあったからだ。

人としてのトトリを評価している存在なんて、この世に誰もいなかった。

家族は優しかったけれど。

それは、優しいだけ。

迫害から守ってくれていたのは。単に家族だから。

勿論、家族の愛情を疑っているつもりはない。でも、それは、トトリが評価されていることとは、全く別の話だ。

「私は、これからどうすればいいですか?」

「少しの間療養して貰った後、アーランド王宮に来て貰うよ。 冒険者ランク10にって声が上がっているから」

「10、ですか」

ついに、この辺境の村から。

錬金術師として、立身し。

国家の最上層権力である、ランク10の冒険者が出る訳だ。トトリに対する嫉妬心や憎悪も、最大級に集まるだろう。

当たり前の話で、トトリはまだ十代。

更に言うと、剣腕で立身した存在では無い。トトリを良く想っていない冒険者は、幾らでもいる筈だ。

「それと、三日くらい後に、大きなプレゼントがあるよ。 ミミちゃんが連れて帰ってくるから、待っていてね」

「? 何ですか」

「秘密」

ロロナ先生は、可愛らしく指を唇に当てると。

お父さんとお姉ちゃんに頷いて、家を出て行った。

そういえば。

おなかが、すかない。

今でも、排泄したいと思わない。

人間では無くなったのだと、こういうときに、トトリは思い知らされる。でも、それでも。

トトリは、生きていけるのだと。

何処か、漠然と思った。

 

1、成し遂げたことの意味

 

検診を終えて、リオネラさんが帰ると、アトリエは静かになった。翌日の朝のことである。ゲートがつかえるようになるのと同時に、リオネラさんは帰って行った。

トトリは棒を振るって、体を馴染ませようと思ったけれど。

今まで、散々積み重ねてきた修練は伊達では無く。

すぐに、体が経験についていくようになった。

おかしな話だ。

今までどれだけ努力しても出来なかった棒の技も。今なら、簡単に再現できる。色々な達人の技を戦場で見たけれど。

それの幾つかも、殆ど苦労せずに、再現することが出来た。

トトリは今。

ランク10冒険者になりうる身体能力を手に入れている。

くすりと、笑みがこぼれる。

でも、熱がない。

今までと違って、必死にあがこうという気力も湧いてこなかった。これが、強さを得た代償なのだろう。

余裕と同時に。慢心も生まれたのだ。

勿論、他のランク10冒険者達の圧倒的な実力については、トトリだって目で見て良く知っている。

これから努力して、追いついていかなければならないだろう。

太鼓判も押して貰ったので、港に出る。

ちむちゃん達は、やっぱりそこにいた。ただ、ホープ号はいない。多分、東の大陸と、行き来しているのだろう。

アランヤの北にある荒野に、キャンプが作られている。

恐らくは、イビルフェイスが倒れたことで、気候が元に戻りつつある東大陸と、アーランドが本格的に交流を開始したのだ。

あのキャンプは、東大陸に行きたい人達が、一時的に逗留する場所。

見ると、アランヤに、警備の人らしい見かけない屈強な冒険者達と。港で働いている労働者が。ともに見受けられた。

酒場に入る。

メルお姉ちゃんとペーターお兄ちゃんが、向かい合ってお酒を飲んでいた。

トトリが目を覚ましたという事は、二人とも知っていたのだろう。

テーブルに招かれる。

「心配したんだよ。 どう、体調は」

「異常なくらい良いです」

「そうか」

言葉短く、ペーターお兄ちゃんは言う。

二人が飲んでいるのは、トトリが作ったお魚のお酒だ。お魚の臭みは取り除いて、旨みだけを抽出したお酒。

既に、アランヤの名物になっている様子である。

ホウワイとの交易も、既に軌道に乗っているのだろう。

他のお客も、お魚酒を注文している様子が目だった。繁盛しているようで、マスターもホクホク顔である。

トトリも、焼いたお魚の料理を注文する。

でも、どうしてだろう。

味がしないし。

食べても、あまり満足感がなかった。

ロロナ先生が、トトリを生かすために、精一杯やってくれた施術。それを恨むつもりは毛頭ないけれど。

こういうときは、悲しいとまでいかなくても。

少し、残念だと思ってしまった。

何より、気がつくと、お魚の骨もばりばりとかみ砕いてしまっている。それくらい、体が強くなっているのだ。

綺麗にお魚を食べ終えて。

笑顔を作ってくれている二人に、ごちそうさまと言い残して、酒場を出る。二人とも、トトリの異常には、気付いていたはずだ。

だから、それ以上の言葉は、必要なかった。

港に出る。

ホープ号の二番艦。それにホープ号の小型版を作るべく、準備が開始されている。二隻を同時に作るつもりらしく。ちむちゃん達が、せっせとプラティーンを増産していた。多分雇われた労働者階級の人だろう。パイを一生懸命、露天の竈で焼いている。見ると、ちむちゃん達も、四人じゃあない。十人以上が、来ているようだった。

たくさんいることは、知ってはいたけれど。

こんなにたくさんいると、ちょっと普通の人は怖がるかもしれない。パイ焼き職人の人も、大変そうだった。

トトリが世話をしていた四人を呼ぶ。

みんな、こっちに来てくれた。

「みんな、お仕事は順調?」

「ちむ! ちむちむ!」

「そう。 それは良かった」

以前より更に良く、ちむちゃんの言葉が理解できる。これもきっと、トトリが人間では無くなった影響なのだろう。

そして、ちむちゃん達も、それに気付いている。

「私ね、もっとちむちゃん達の事を理解できるようになったよ。 今後はビッグちむとでも名乗ろうかな」

冗談めかして言うけれど。

ちむちゃん達は、困惑したように、顔を見合わせる。

きっと気付いたのかもしれない。トトリが笑顔を作っていても。心が、完全に冷え切っているという事に。

あれ、どうしたのだろう。

死んだと思った。

光に手を伸ばして。

そして、ロロナ先生が奇跡の御技を使って、トトリをよみがえらせてくれた。それなのに、どうして全く嬉しくないのだろう。

お母さんを殺したイビルフェイスを葬った。殺してはいないけれど、もう二度と悪さは出来ないだろう。

世界を救えたかは分からないけれど。少なくとも、東大陸の混乱は、これで回復させることが出来たはず。

東大陸の気候は、時間を掛けて元に戻っていく。

ランク10冒険者になるのに、ふさわしい功績を挙げたトトリだ。誰に対してだって、胸を張ることが出来る筈。

それなのに。

なんでこんなに、トトリは乾いている。

悲しいとも嬉しいとも思わず。

作った笑顔だけを、浮かべている。

 

家に戻った後、コンテナに入る。外出用のお薬や、贈答用の食糧やお菓子を詰め込む。お姉ちゃんは、居間で料理を続けているけれど。

どうしてだろう。

背中が、とても寂しそうだった。

「お姉ちゃん、ちょっと出かけて来るね」

「何処へ行くの?」

「リス族や、ペンギン族の人達の所」

「そう。 危ない事はしないようにね」

頷くと、家を出る。

ジーノ君もミミちゃんもいない。酒場には、もうメルお姉ちゃんも、ペーターお兄ちゃんもいない。

港に行くけれど。

マークさんは、マクヴェリオンの改良に掛かりっきり。

護衛をする余裕は無いと言う。

代わりに、此方に来たのは、106さんと、シェリさん。

ホープ号に関しては、他のホムンクルス達と、悪魔族に任せているという。まあ、バリベルトさんがいるだろうし、手練れも乗っているから、心配はない。

「護衛、お願いできますか」

「貴方の頼みなら、喜んで。 しかし、お体は大丈夫ですか?」

シェリさんが、不安そうに言う。

106さんも、困惑気味に、シェリさんの方を何度か見た。悪魔族のシェリさんは、気付いている筈だ。

トトリが、もう人間では無い事に。

二人についてきて貰うけれど。何となく分かる。現在のトトリの実力は、多分二人と同等か、それ以上。

本当は、護衛は必要ないかもしれない。

それでも、念には念を入れ、だ。

スピアにとって、今やトトリは、最優先抹殺対象の一人だろう。一人でいるとき、どんなことをしてくるか分からないからだ。

荷車を引いて、村の外に出ると、加速。

二人は当然ついてくるけれど。

驚いている様子だ。

リス族の村に到着。多分、馬車よりずっと速く走ることが出来た。こんなに身体能力が上がっているなんて。

それに、息も乱れていない。

これだけの距離を、こんな速度でいどうしたのに。全く疲弊していないのだ。

どれくらい出来るのか試そうと思ったのだけれど。この様子なら、日帰りでペンギン族の縄張りにも行けるかもしれない。

採集もはかどる。

以前、クーデリアさんが、一瞬でレポートに目を通すのを見て。羨ましいと思ったけれど。

今のトトリなら、少し鍛えれば。

彼処までではないにしても、似たような事は出来そうだ。

リス族に呼びかける。

森の中から現れたリス族は。トトリを見ると、すぐに嬉しそうに破顔した。今までに無いほど、彼らの表情もよく分かる。

細かく、見えるのだ。

トトリは視力も、相当に高まっているらしい。明らかにクリアに。それ以上に精密に。細かい動きまで、読み取ることが出来ている。

「おお、先神トトリ。 ひどい怪我をしたと聞いて、心配していましたぞ」

「おかげさまで、すっかり良くなりました。 長老はご息災ですか」

「今、別の集落に出向いています。 貴方が来たと聞けば、きっと喜んでくれるでしょう」

「それは何よりです」

軽く、物資の交換を行う。

リス族が喜ぶ物資についても、ずっと前から理解している。荷車に積んできた物資と。森の奥底でしか取れない貴重な素材を交換。彼らも、錬金術で、これらの素材が貴重な薬品や物資に化けることを知っているのだ。

握手をして、森を離れる。

すぐに、ペンギン族の村に向かうけれど。

106さんが、隣を併走しながら、眉をひそめた。

「無理をしすぎてはいけません。 まだ病み上がりなのですよ」

「大丈夫。 これでも抑えすぎているくらいです」

「……」

シェリさんが、不安そうにしているけれど。

トトリは分かる。

この程度なら。どれだけ走り回っても、大丈夫だ。

ペンギン族の縄張りに到着。此方も族長は出払っていていなかった。そして、以前より、ペンギン族は、人間に対してぐっと友好的になっていた。

以前、イビルフェイスを倒す前。ホープ号で幾つかの国を回ったとき。

トトリが、ペンギン族との諍いを仲裁したのだ。

その事もあって、トトリはペンギン族に良く知られるようになっているのだろうとは、容易に予測がついた。

此方でも、物資の交換をして。近況について聞く。

何か問題が起きていたら、すぐに対処すると言うと。どうやら悪さをしている人間が、少しいると言う事だった。

すぐに調査すると約束して、縄張りの側を離れる。

106さんが、眉をひそめた。

「よりにもよって、ペンギン族相手に諍いを起こすとは。 命知らずな輩ですね。 散々各地の村に周知している現状、恐らくはアーランド人では無いでしょう」

「同感です。 近場の村に、ふれを出すように、指示をしておきます。 ペンギン族との友好関係は貴重なもので、やっと確立できた背後の安全を守るためにも重要です。 彼らとの交遊を壊すわけにはいかない」

「やはりトトリ殿は、こういう点では変わっていない。 安心しました」

シェリさんが胸をなで下ろす。

トトリは、安心して貰えると、とても嬉しかった。

そのまま、日帰りでアランヤに。今までの五倍、いや十倍のスピードで走っても、平気だろう。

国家軍事力級戦士に比べると、流石に何段も見劣りするけれど。

それも、鍛えていけば、話は変わるはず。

いずれ、国家上層の人間として、恥ずかしくない実力を身につけることも、可能なはずだ。

酒場に出向くと、すぐにレポートをその場で書き上げる。

凄まじい速度で筆を動かしたためか。

ゼッテルが発火してしまった。

びっくりして、火を吹き消す。

別のゼッテルを出して、レポートを造り。そして鳩便の体裁にして、マスターに渡した。各地の村への指示。

そして、村が庇っている時に備えて。王宮へも鳩便を出す。

これで、備えは万全だろう。

出来ればトトリで犯人を捕まえたいのだけれど。今は多くの人に動いて貰う立場になっている。

それに、療養が終わったら、アーランド王都に来いと言われているのだ。

あまり、勝手な動きをするわけにも行かない。

106さんとシェリさんと別れて。家について。

まだ、夕方にもなっていない事に気付く。

今までは数日がかりの行程だったのに。乾いた笑いが漏れてきたのは、どうしてなのだろう。

身体能力の、圧倒的な差。

今までの自分が、ナメクジか何かに思えてくる速さ。

効率の、極限強化。

これでは、化け物に見えてくるのも仕方が無い。

何となく、トトリは。

イビルフェイスがどうして、現在の人間を害獣と判断し、駆除しようとしたのか。分かった気がした。

 

ロロナ先生に三日待てと言われていたけれど。

ずっと寝ているわけにも行かない。

何というのか。時間が過ぎるのが、とてもゆっくりに感じられるのだ。今までよりも、一日が遙かに長く感じる。

年を取ると、一日があっという間に過ぎると言うけれど。

その真逆だ。

今のトトリにとっては、一日が数日にも感じられる。明らかに、今までとは感覚が変わってしまっている。

何もかもが、色々おかしい。

ロロナ先生のアトリエで、今はピアニャちゃんが勉強しているという事だけれど。それで良かったと想う。

ちょっと触って、ものを壊してしまったり。

訓練用の棒を、握りすぎて折ってしまったり。

強く速いだけではない。

全身の感覚が、異常になっているのだ。パワーが有り余りすぎて、ちゃんと制御出来ていないのである。

相手がアーランド人の子供だったら、まだいい。

幼い頃から陸魚をはじめとするモンスターと戦い、鍛え抜かれているから、ちょっとやそっとじゃ壊れない。

でも、ピアニャちゃんは、東の大陸出身。

あんな柔らかそうな子。今のトトリが下手に力を込めたら、首や手足が簡単に取れてしまうだろう。

前はそうでも無かった。

とにかく今は、この有り余ったパワーを制御することが最優先だ。

ひょっとして、ロロナ先生も。こんな風に、苦労したのだろうか。

そう思うと、感慨も深い。

パワーをフルに発揮すれば、どれくらいのことが出来るかは分かった。問題は、力を抑える方法だ。

戦闘時は、むしろパワーなんか制御しなくてもいい。

フルパワーで敵をブチ殺せば、それだけ簡単に戦闘も終わるし。味方への被害も、抑えられるからだ。

だが、日常生活では。

力を抑えなければならない。

錬金術の道具類だって、壊してしまうかもしれない。それでは、今までやってきた意味がない。

力が有り余っていることが、こんなに大変だったなんて。

トトリは、知らなかった。

コツを掴むまで、時間が掛かる。多分一月は、柔らかいものを触らない方が良いだろう。食器も、下手をすると握りつぶしたりしてしまうのだ。子供に触るのは、自分で絶対に御法度と決めた。

一日が、長い。

訓練だけで、ずっと時間が過ぎていく。

お姉ちゃんに組み手の相手もして貰う。お姉ちゃんは、最初は手加減していた様子だけれど。

戦闘面ではコツを掴んできているトトリに会わせてか、もう明らかに本気で向かってきている。

それでも、時々一本を取れる。

単純な戦闘力では、まだまだずっとお姉ちゃんの方が上だ。

でも、今は。

トトリがデュプリケイトを使いこなせる。それを考えれば、もうお姉ちゃんに、戦闘で遅れを取らないかもしれない。

礼をして、訓練を終了。

残心も、一瞬で済ませることが出来る。

ありあまった力を抑えるのは、こんなにも難しいのに。

制御を外して相手にぶつけるのは、こんなにも簡単。それが、トトリには、難儀でならなかった。

いっそ、何もかも壊してしまったら、楽なのだろうか。

ベッドで横になって。自分の首に、手を掛ける。

今だったら、簡単にもぐことが出来るだろう。

何だろう、この虚無感。

自分の命でさえ、どうにでも良くなってきている。強力な肉体を得て。そして人生の目標を失って。

それは、こんなにも、寂しいことだったのか。

力を込めようとした、その瞬間。

村に、懐かしい気配。

思わず、身を起こす。

アトリエに飛び込んできたのは、ミミちゃんだ。息を切らしている。

「トトリっ!」

「あれ、どうしたの? そんなに急いで」

「……っ」

ミミちゃんが、目を背けた。

悲しそうな光が、目に宿っている。どうしたのだろう。トトリは別に、何もしていないのに。

変貌が、悲しいのだろうか。

戸に、誰かが手を掛ける。

そして、入ってきたその人は。

「あれ、トゥトゥーリア。 随分大きくなったね。 それに、見るからに強そうになった。 ちょっと撫でただけでバラバラになりそうな貧弱な子だったのに。 母親冥利に尽きるねえ」

大柄で。

筋肉質で。

女性らしさよりも、たくましさを感じさせる、長身の戦士。顔にも体にも古傷が多くて、ドアの向こうには。

家ほどもある、特注の巨大剣が見える。

何も、変わっていない。

その人は。

「おかあ、さん……!?」

「そうだよ。 なんだい、みんなせっかちだねえ。 あたしがあんな邪神程度に、あっさり殺されるとでも思ったのかい?」

何事かと、アトリエに来たお姉ちゃん。

お姉ちゃんを見て、お母さんは、破顔した。

「おや、ツェツェーリアかい? 綺麗になったね。 あたしに似なくて何よりだ」

「ど、どういうこと!? なんでおかあさんが」

「ギゼラ!」

お父さんが、珍しく大声を出して、アトリエに飛び込んでくる。

お母さんは。悪びれた様子も無く。

ただいまと。

一言だけ、言った。

その体が、ぶれているように見えるのは。

きっと、気のせいでは無い。

トトリは気付く。

お母さんは、生きてはいるけれど。この世の人では、既に無くなっているのだと。

そして、理解した。

ロロナ先生が言っていたプレゼントとは。お母さんの生存のことなのだと。

 

2、帰ってきた母

 

お母さんの体には、魔力が感じられない。それどころか、微妙に、この世界から、ずれているのが感じ取れた。

まずは食事。

そういって、台所に。

ミミちゃんに視線を向けると。お母さんが、先に説明してくれた。

「あの戦いの後ね。 あたしは邪神の最後の一撃を食らって、どうやらこの世界と、別の世界の間に飛ばされて、其処で存在が固定されたらしいんだよねえ。 通信装置は壊れるし、人によってはあたしを認識出来ないしで、随分困ったんだけど。 ただ、遺跡で話を聞いた、根とやらが気になってね」

それで、東大陸中の遺跡に殴り込みを掛けて。

片っ端から、根を潰して廻っていたというのだ。

なるほど、それでか。それで、あの遺跡で。東大陸には根がないという話を、パメラさんがしていたわけだ。

お姉ちゃんは大慌てしていて。

珍しく、料理を何度か失敗していた。

お母さんが、大きな手で。男の人と比べても、充分すぎるくらいに大きな手で。ミミちゃんの頭を掴むようにして撫でる。大きすぎて、撫でると言うよりも、掴んでいるようにしか見えない。

何しろ、極めて大柄なお母さんだ。腕の太さだけでも、ミミちゃんの胴くらいある。

「この子がね。 東の大陸に残って、一人であたしを探しに来てくれたのさ。 一人で彼方此方を回って、必死にね。 多分トゥトゥーリア。 あんたが目覚めたときに、あたしが生きているって知らないと、心がおかしくなるって分かっていたんだよ。 良い親友を持ったね」

「……感謝しなさいよね」

ミミちゃんは、涙目だ。

トトリは、嬉しいと思うのだけれど。

もう泣けない自分に気付いて。それが、口惜しいと思った。

お母さんは、トトリの身体の異常には、気付いている様子で。それについては、何も言わない。

そして、お姉ちゃんが準備してくれた料理を。

片っ端から、口に入れ始めた。この食欲、間違いない。色々おかしくなっていても、やっぱりお母さんだ。

「今、お母さんは、どうしているの?」

「しばらくは王様の命令で、北の前線に行っていたよ。 敵を見つけ次第引きちぎってたけどね」

「引き……」

流石にミミちゃんが青ざめるけれど。

お母さんは全く動じる気配もない。

「で、それも一段落した。 前線が落ち着いたとか言う話だし、これから西の大陸に行くつもりだよ」

「西に大陸が?」

「あるんだよ。 そこは一なる五人が、この大陸以上に好き勝手をしているらしくてねえ」

メルお姉ちゃんと、他の何人かの精鋭と一緒に、西の大陸に出向いて。遺跡を周り、一なる五人が作った根を潰して回るつもりだという。

彼奴らは許せない。

そういったお母さんの手は、透けていた。

お母さんはがさつでいい加減なところもあるけれど。弱き人々のために、体を張る事も出来る熱い心の持ち主だ。

だから誰にでも好かれる。

今でも、トトリは。お母さんが大好きだ。

例え、もう厳密な意味で、人間では無いとしても。

「こっちの世界に体を固定するのは難儀でね。 便利な事もあるんだけれど、それ以上に不便も多い。 ひょっとすると、この状態を直せるかもしれない。 その意味もあるのさ」

「そうなるといいね」

「トトリ、あんたも大変だと思うけれど。 闇には飲まれないようにね」

半分透けた、大きな手が。

今度は、トトリの頭を包む。

しばらくはまた、帰ってこないだろう。これから数日は家にいてくれると言うけれど。それが済んだら。

きっと、また何年かは会えない。

でも、トトリは、ぐっと心が楽になるのを感じていた。

お母さんが生きていてくれただけで。

トトリは、こうも救われたのだ。

 

翌朝。

武術の稽古を、お母さんに見てもらう。お母さんは家の側に突き刺している巨大な愛剣を一瞥したけれど。

流石にそれを使う気にはならないようだった。

その代わり、薪を一本、手に取る。薪といっても、加工前の、殆ど丸太に近い代物だ。

トトリは、棒を構える。

どうしてだろう。

ぐっと、力の制御が、上手になってきている。今なら、優しく握って、棒を潰さずにいられそうだ。

「やれやれ。 これは王様に頭を下げて、滞在を延ばさないと行けないね」

お母さんがそう言ったのは、きっとトトリの状態に気付いているから、だろう。トトリが力をきちんと制御出来るように、稽古をつけてくれると言っているのだ。

大柄な男性と比べても遜色ない体格のお母さんと向き合うと、非常に威圧感がある。実のところ、背はお父さんの方がちょっとだけ高いのだけれど。体格的な面や、何より戦士としての才覚、力量、経験、あらゆる点でお母さんが上だ。

丸太を、棒のように軽々と構えるお母さん。

トトリは、無言で踏み込んで、突き込んだ。

巨体が、滑らかに動いて。

するりと、棒を外す。

しかも、トトリが無理な力を入れないように、上手に誘導してくれている。これは、凄い。内心で舌を巻く。

お姉ちゃんだって、今はもう達人に分類される使い手なのに。

それとも完全に次元違いだ。

あらゆる攻め手を試す。

突き、薙ぎ、払い、振るい。腰当てや振り返りざまの突き上げ。実戦で効果があったあらゆる戦術を試すけれど。

その全てが通らない。

剛なだけではない。

本物の使い手は、こうも守りと回避にも長けているのか。

「此処まで」

お母さんが、一歩下がる。

防御さえ、させられなかった。でも、これでいい。残心をして、離れる。

今度はミミちゃんの稽古をつけるという。ミミちゃんも果敢に攻めこんだけれど。まるで子供扱いだ。ランク7の冒険者だというのに。

トトリ同様、防御さえさせられないまま、稽古終わり。

続いて、お姉ちゃんが稽古をつけて貰う。

楽しい時間だ。

お姉ちゃんは流石に格が違う。一本取れるようになってきたとは言っても、まだまだトトリよりずっと強い。攻め手も非常に多彩で、動き自体が歴戦に裏付けられたものだ。

何より、とにかく速い。

槍の動きを目で追うのがやっとだ。総合力でお姉ちゃんに多分勝てると言っても。相当に厳しい戦いになるだろう。

本気を出しているのが分かる。

お母さんが、丸太を軽々と振るって、訓練槍の突きを捌く。何度か防御も。

弾きあって、訓練終わり。

お姉ちゃんが息を乱している。それだけ、本気だったという事である。お母さんは、まるで息を乱していなかったけれど。

また、お母さんが薄くなる。

位相がずれているというやつなのだろう。そして、訓練中も、薄くなっている今も。全くお母さんからは、魔力を感じ取れない。

「少し訓練した後、トゥトゥーリア。 またやるよ」

「うん」

「分かってるなら良い。 ツェツェーリア。 めしにしてくれるかい」

「ちょっと待ってね、お母さん」

お姉ちゃんが、先に台所に入っていく。

ミミちゃんが、肘で小突いた。

「どういうこと」

「力の制御が上手く行かないの。 エリキシルの影響なんだろうね。 油断すると、棒をすぐ握りつぶしちゃって」

「な……」

「お母さんが、きちんと稽古してくれるから。 すぐに何とかなると思うよ」

しばらく何か言いたそうにしていたミミちゃんだけれど。

大きくため息をつく。

「いいわ別に。 それに貴方がそんなに嬉しそうにしているの、久しぶりに見たし」

「ねえ、お母さんを見つけたときの話、してくれる?」

「良いけど、くだらないわよ」

ミミちゃんと一緒に座って、話を聞く。

お母さんは、居間でむしゃむしゃと食事中だ。外にまで、賑やかな食事の音が聞こえてくるほどである。

「あの人、とにかく派手でね。 貴方たちが帰った後、東の大陸の街を回ったのだけれど、何処でも話を聞かない事は無かったわ。 あらゆる街の周囲でスピアの洗脳モンスターを皆殺しにして、遺跡に殴り込みを掛けて。 根があるようなら潰して。 そうでないようなら、元から国に渡されていたらしい無力化の装置をうち込んで。 片っ端から、大陸中の遺跡を片付けていったみたいなの」

「凄いね」

「苦情もたくさん聞かされたわ。 名前を出すだけで、あっという間に情報が向こうから集まってくるのだもの。 後は時系列を考えて、追っていくだけでよかったわ」

それはそうだろう。

あのお母さんのことだ。モンスターを殺す事で、食事料金の対価にしたような事も多かっただろう。

ただでさえ、国家が成立しないような状況の東大陸。

数も減っていて、気候も厳しい中暮らしている人達にとって。お母さんみたいな大食いの大魔神が到来するのは、あまり好ましい事では無かったに違いない。でも、誰もがお母さんを嫌ってはいなかった事は、容易に想像できる。

不思議な魅力は。

人ではなくなってしまった今も。変わっていないのだから。

食後、また訓練を始める。

その後、トトリは鳩便をアーランド王都に出した。現在の体の状況と、それに関するリハビリをしている事。

そして、お母さんについても。

それらが終わってから、王都に行く。

おしかりはその時受けます。

そう書いたけれど。

意外にも、返事はすぐに来た。

今は無理をしなくても良いから、しっかり体を治してから、王都に来るように。その時のために、仕事は準備してあると。

クーデリアさんらしい。

そして、リハビリが終わったら。

もうトトリは、闇に心を掴まれることも無さそうだ。

お母さんの関連する問題は全て片付いた。

憎む相手も、恨む相手も、存在しない。

支えてくれる家族も。

何より、お母さんが、帰ってきてくれたのだ。

戦いの中で、相手に全ての悪を押しつける事は、愚かな事だ。過ちを犯してしまったことは、事実。

だから、トトリは。

こんな体になると言う事で、報いを受けた。

もしも、これからトトリが弟子を取ることになったら。弟子には、教えていかなければならないだろう。

敵に敬意を払わず。悪と断定し。一方的に自分の理屈を押しつけて殺す事は。

何にとっても、不幸を呼ぶ結果にしかならないのだと。

お母さんが呼んでいる。

もう、ペンを握りつぶすことも。紙を破いてしまうことも。かなり減っては来ているけれど。

まだ体の制御は、完璧では無い。

お母さんは、それを分かっている。

さあ、訓練をしよう。

人生は最後まで、勉強と訓練だ。

そしてトトリは道を作り続ける。

多くの人々を救う事が出来た。

自分自身はお母さんに救って貰った。

だから、今度は。

また、今までのように。

多くの人を、救うために。道を作っていかなければならない。

今度はお膳立て無しでも行けるように。トトリは今度こそ。自分の中の愚かしいものを、制御出来るようにならなければならなかった。

 

3、暗雲とその先へ

 

トトリのリハビリが順調だと聞いて、クーデリアは胸をなで下ろした。

国家軍事力級戦士としては、今後も期待は出来ないけれど。

プロジェクトの要である、道を作ることに関しては。ランク10昇進が決定しているトトリがいなければ、立ちゆかない。

短時間で、トトリは成長した。

以降、アーランドの対外外交と、道を作る事に関しては。トトリに任せきっても大丈夫だろう。

問題は、それ以外の事で。

課題が山積しすぎている事だ。

今来た鳩便は、その一つ。

北部の列強連合が、また前線を下げた。敵の勢いが激しくて、前線を維持できないのである。

かろうじて、南部の辺境国家群との同盟は間に合ったけれど。

ガウェイン公女は、もう前線に立つのでは無く。敵のジェノサイドから逃れる民を指揮して。一人でも多く助けるために、奮闘している有様だった。

エスティが精鋭を連れて敵の出鼻を挫き続けているけれど。

それにも限界がある。

その上、である。

東大陸での戦線を敵が縮小したのと同時に。また、アーランド北部前線に敵が増えた。しばらくは復帰したギゼラに活躍して貰ったけれど。それでも手が足りていない。出来ればエスティの所に、もう一人国家軍事力級の使い手を廻したいのだけれど。

情報が入った西大陸が非常にまずい。

其方にギゼラと、メルヴィアをはじめとするハイランカー数名に向かって貰う。

西大陸が陥落すると、人間がある程度勢力を保っている大地は、この世界にはもはや此処しかなくなるという話で。それこそ、一なる五人の勢いには、手が付けられなくなる。西大陸を洗脳モンスターの養殖場にでもされたら、それこそ此処での戦況は絶対的な絶望だけに包まれる事だろう。

東大陸で勝利は収めたけれど。

一なる五人は、いまだ余裕の優勢を保っている。

東大陸は元々イビルフェイスのせいで国家が存在し得ないほど、衰退している状況だったのだ。

廻している戦力も少なく。

更に、搾り取る魔力に関しても、もう充分な量に達していたのだろう。

鳩便が来る。

また悪いニュースだ。

砂漠の砦の方にも、敵の増援が来ている。数は、およそ八千。

北部の列強が押されているため。其方に回っていた戦力が、アーランドに圧力を掛けてきているというのが実情だろう。

今、アーランドは。近隣の小国と連合を組んで、傘下に収め始めているけれど。

兵力はとてもではないけれど、足りない。

しばらくは、ホープ号で敵の沿岸地域を荒らし回るどころでは無いだろう。プラティーン装甲の艦隊を編成した頃には、もう北部列強の軍勢は、壊滅している可能性も高くなっていた。

敵の猛攻が、度を超しているのだ。

すぐに手配をして、砂漠の砦の方にも増援を廻す。

トトリが作った砂漠の道の存在が有り難い。更に言うと、北東部の荒野開拓も進んでいて、緑化も部分的に成功し始めている。村も実験的に幾つか作られており、難民も其処へ移り住みはじめていた。

つまり、もう少しすれば。

その村から、直接増援を砦に飛ばせる、という事だ。

敵から、レオンハルトが消えたことは救いか。

奴は存在するだけで、様々な戦略的脅威を産み出していた。

一なる五人がレオンハルトを切り捨てたことだけは、連中の失敗だ。勿論手の一つだったのだろうけれど。

それでも、クーデリアは、明らかに敵の手札が減ったことを感じて。その点だけは、楽を出来るようになっていた。

作業を済ませると、後をフィリーに任せて、最前線に。

ジオ王が、敵の増援を、手をかざして見ていた。

「クーデリアか」

「状況はどうなっていますか」

「敵の増援は一万五千から七千というところだな。 今までの戦いで随分削ってやったが、これでまた四万を越える」

「きりがありませんね」

「全くだ」

嬉しそうな笑みを口元に浮かべているジオ王。

この辺りは正直ついて行けないところだが。幸い、現状では新しい世代の戦士達も育って来ている。

国家軍事力級になれそうなのは、ジーノとミミくらいだけれど。

その下の世代にも、何人か有望な子もいる。

戦いはこれから更に厳しくなる。

国家軍事力級戦士の負担は、もっと大きくなるだろうけれど。

それでも、クーデリア達が前線で体を張れば。それだけ、若い世代がきちんと育っても来るのだ。

敵は相変わらず、軍勢全てで一匹の獣という風情の、完璧な統率。

見ていて、舌を巻くほどだ。

敵の領土が拡がっている今、遺跡の情報も得づらくなっているけれど。こんな状況でも、エスティは地道に情報を集めて、少しずつ遺跡の情報を送ってきている。

此方に戻ってきてから、クーデリアはロロナと一緒に、二カ所の遺跡を潰しているけれど。

未だ、一なる五人本体の姿は確認できていない。

「少し敵を削ってくる」

「お気をつけて」

ジオ王が、側からかき消える。

クーデリアは城壁を降りると。此方での仕事を片付けるべく。自身のデスクに向かった。其処で、気付く。

何か、おかしい。

ホムンクルス達が、不安そうにしている。

それだけではない。

ロロナの近衛の一人、確かセンと言ったか。そいつが、此方に走ってきているのが見えた。

「クーデリア様」

「どうしたの」

「貴方をロロナ様の盟友、比翼の友と見込んで、お願いがございます!」

跪かれる。

しかも血の臭いがした。

これは、尋常なことでは無い。

此奴らはロロナに対して、絶対の忠誠を誓っている集団。それが、クーデリアに助けを求めてくるのだ。

何か、とんでも無い事があったとみて良いだろう。

「我等が主をお救いください」

武装したまま、無言で立ち上がる。

センに連れられてついていくと。既に、異常な状況である事が、一目見るだけで分かった。

最前線の砦に仮に作られたロロナのアトリエが、破壊されている。アーランド王都のものや、馬車と一体化している移動式のものほどではないけれど。結構本格的な設備が導入されていたアトリエで。防爆の備えもされていたのに。

外部からの攻撃では無い。

その証拠に、ホムンクルス達が人垣を作ったまま、困惑して顔を見合わせている。ロロナの近衛は、いない。

拘束されて、連れて行かれた様子だ。

ホムンクルス達は此方を見て、困惑。

「クーデリア様、我々にも分からないのです」

「……命じたのは誰?」

「……」

「いいなさい」

冷え切った声に。

感情が薄い筈のホムンクルス達が、青ざめて下がる。クーデリアが本気で怒っていることに気付いたのだろう。

アストリッドという名前が出て。

やはりと、クーデリアは思った。

「セン、貴方は隠れていなさい。 後で呼びに行くわ」

「お願いします」

センが消える。

そして、クーデリアは。アストリッドが巧妙に消した気配をたどって、後を追う。まだ砦からは出ていないはずだ。

様子から見て、アトリエはロロナのホムンクルス達を捕らえるために、破壊された雰囲気である。

ロロナ自身は、抵抗していない。

アストリッドに、連れて行かれるとき。ロロナは、きっとこれで、分からず屋の師匠が、少しは分かってくれるとでも思ったのだろう。

アストリッドのトラウマが、解消しようがないものだということは、クーデリアにも分かっている。

彼奴は本物の天才で。

だからこそ、歪みも異常なのだ。

しかし、その歪みに、親友が殺される事を、看過は出来ない。

辿り着いたのは、アストリッドが隠れ家にしている家の一つ。

手練れのホムンクルス数名が、一瞬前まで誰もいなかった場所に、いきなりクーデリアが出現したのを見て、慌てて武器を構える。

「あたしとやり合うつもり?」

「アストリッド様は、誰もいれるなと仰せです」

「そう」

手練れでも。

所詮はベテラン相応の実力。

全員を地面に伸ばして、手をはたくまで、心臓の鼓動が四拍。勿論殺してはいない。此奴らは命令を忠実に守っているだけだし。

何よりも、殺さなくても、制圧可能だからだ。

無用な殺しほど無意味なものはない。

戦士として極限にいるクーデリアだからこそ。それは嫌と言うほど分かっている。

ドアを開けて、内部に。

気配がおかしい事は、分かっていた。

その光景を。

クーデリアは生涯忘れることが出来ないだろう。

ロロナは床に倒れ。

何かを呷ったらしく、薬瓶を握りしめたままだ。

アストリッドは、倒れて意識を失っている弟子をみくだしている。

表情はない。

暗い笑みさえも、浮かべていなかった。弟子が死のうとどうなろうと、どうでもいいのだ。

何をした。

自分でも驚くほどに、冷え切った声。

アストリッドはクーデリアを見もせずに、応える。

「計画を進めただけだ。 ロロナはこれより神になる」

「神、ですって……!?」

「そのためには、肉体の再構成が必要だ。 ロロナの能力はそのままにな。 ロロナに飲ませたのは、子供に戻すための薬。 まあ、私が作ったものだ。 上手く行くだろう」

反射的に。

クーデリアは動いていた。

拳を、アストリッドの顔面に叩き込む。

軽く弾かれる。

数百発のラッシュを叩き込むが、その全てをアストリッドが凌ぎきって見せ。しかし、クーデリアはロロナを抱えて飛び退く。

ロロナは意識もなく。

そして、既に薬は効き始め。見る間に体が縮んでいるのが分かった。

「人間とホムンクルスの融合体。 元々非常にいびつなものだと思わなかったのか? これから、完全なる神の肉体を作るためには、後付けの融合ではだめだ。 馴染んだ今の状態を、更に発展させなければならぬ。 更に言うなら、神の精神は大人の心には宿らぬのでな」

「黙れ外道!」

「道などしらん。 道が師匠を救ってくれたか? 道が師匠を横死から救ってくれたとでもいうのか!? 愚民共の目を開かせたか!? 道など、知らん!」

ふくれあがる殺気。

二つ分の怒気が、凄まじいぶつかり合い。

建物が揺らぐ。

相応に頑丈に作られているというのに。

クーデリアが銃を抜く。

アストリッドが、構える。

怒気に任せていたとはいえ、今まではクーデリアも本気では無かった。しかし、それはアストリッドも同じと言える。

今まで、随分力を増した。

誰にも知らせていない切り札も、幾つか持っている。

その中には、直撃させれば、王でも無事では済まないものもある。

目の前にいるのが、才覚という点ではアーランド随一で。恐らくジオ王に世界で唯一単独にて対抗できる化け物だと言う事はわかっているが。

それでも。クーデリアは。

汚された、そして裏切られた親友の尊厳のために。

此処は、引くわけには行かなかった。

「殺す……!」

「やってみろ」

二つの殺意がぶつかろうとした、その瞬間。

ふわりと。

その場に。おぞましいまでの冷気が、舞い降りていた。

クーデリアは、青ざめたまま、悟る。

今、自分が。本物の化け物が、爪を降り下ろそうとする真下にいることに。アストリッドさえ、構えを止めて、停止している。

其処には。

今までいなかった、化け物の中の化け物。アーランド国家軍事力級戦士の中でも、次元違いの使い手。

ジオ王が、いた。

「其処までだ。 お前達が本気でやり合ったら、この砦が崩壊してしまうからな」

「離してください」

「そうはいかぬ。 それと、計画は上手く進行したようだな、アストリッド」

「御意」

ぞくりと。

心の奥が、焼け付くような痛み。

そうか。神を作る計画があると言う事には気付いていたし。ロロナをそうするという話も、何処かで耳に入れていた。

甘かった。

今のロロナは、アーランドでも特級の戦士の一人。そんな無茶な事をするはずがないと、何処かで油断していた。

ロロナは、本当にアストリッドの事で、心を痛め続けていた。

其処さえ突けば、簡単に壊すことが出来るのに。

側にいれば大丈夫だと、考えていた。

周り中、化け物だらけだというのに。

涙が零れてくる。

とっさに、自分の頭を拳で砕こうとしたけれど。それも、即応したジオ王の手によって止められる。

ダメだ。

どうにも出来ない。

「くーちゃん?」

自分が抱えているロロナが。

見上げているのが分かった。

その声は。幼い頃の。ロロナのものそのもの。

そして、分かる。

全身から立ち上っている魔力は。今までの、アーランド最強と言われたものとさえ、次元が一つ違う。

「どうしたの? いたいの?」

「幼子を不安にさせるでない」

おぞましいまでに、冷え切った声。

ジオ王も。アストリッドも。それこそ、地獄の底からわき上がってくるような笑みを、その場で浮かべていた。

何も分かっていない、幼児化したロロナが。小さな手で、眠そうに目を擦っている。何という、いたましい事か。

何と、自分は無力なことか。

「くーちゃん、おかしたべたい」

ぎゅっと、小さな手で、服を掴まれる。

もう、どうにも出来ない。

クーデリアは、立ち上がると。ついに人生を完全に破壊されたロロナを連れて。自分のデスクに向かった。

「おいしいお菓子を用意するわ」

「ほんとう? ロロナねえ、パイがいいな」

「知っているわ。 ミルクパイにしましょうか」

「うん!」

甘かった。

この世界を包む状況を考えれば、彼奴らがどんなおぞましいことをしても不思議では無いのは、理解していたのに。

この計画は、恐らく、ずっとずっと前から練られていたもの。

そうでなければ、此処まで鮮やかに推移するはずがない。ロロナは、最後まで、アストリッドを信じ。

そして、裏切られたのだ。

政庁に着く。流石に、ホムンクルス達も、ぎょっとした様子だ。

「そ、その子供は」

「ロロナよ。 パイを用意してくれるかしら」

「すぐにでも」

一番驚いていたのは34だが。彼女はしばし立ち尽くした後、顔をくしゃくしゃにして、厨房に走り去った。

世界を破壊しうる怪物に勝つため。

神を作る必要があった。

そのためには、ひとつの人生を破壊しつくすことなど、何でもない。

分かっている。

クーデリアだって、今まで散々敵を殺してきた。敵の人生を破壊したのだ。一なる五人ほどの規模では無いにしても。

戦場では、相手をひたすらに殺すしかない。

殺さずに済ませられれば、それはとても幸運なこと。クーデリアほどの使い手でも、それは同じなのだ。

すぐに手を回して、ロロナの近衛達を解放させる。隠れていたセンも、駆けつけてきた。

センは、ロロナを見て。

膝から、崩れ落ちてしまった。

「おおおっ! なんといういたましい……!」

「せんちゃん、ミルクパイたべう?」

「ロロナ様……」

ロロナは、幼い姿になっても、周囲の人をきちんと認識している。精神構造が幼児になっただけ。

戦闘も錬金術もこなせるだろう。

差し出されたミルクパイを見て、目を擦るセン。

何故センが泣いているのか。

ロロナは、理解できないようだった。

「ごめんなさい」

クーデリアは、生まれて始めて。

ロロナを慕っている忠臣達に、土下座した。自身も涙を流しながら、額を床にこすりつけていた。

「あたしが、もっと早くに気付いているべきだった! ロロナを、ロロナを! こんな目に! あたしだったら守れた! 守れたのに!」

「クーデリア様のせいではございません」

「お顔をお上げください」

「ごめん。 本当にごめん」

ホムンクルス達も泣いているのが分かった。

嗚呼。

世界が残酷なことも分かっている。

これが恐らく、ジオ王が立てていた計画の一端だという事も。人生を滅茶苦茶に破壊されたロロナ同様、多くの血が流されてきて。そしてそれは、一なる五人が滅び去り、状況が安定するまで、終わることがない。

悪夢の連鎖だ。

卑劣な行為で、許すことだって出来ない。

でも、これくらいしないと、圧倒的すぎる戦力差が縮まらないのも事実だ。それが理解できる事が、余計に腹立たしい。

困惑した様子で、口の周りをパイのカスだらけにしたロロナが。椅子で脚をぶらぶらさせながら、皆を見ている。何かの遊びだとでも思っているのか。そうなのだろう。

クーデリアは。

絶望のあまり、また自分の頭を砕きたくさえなった。

でも、クーデリアが死んだら、ロロナは更に好き勝手をされる事になる。兵器として、運用される可能性だって高い。

死ねない。

死ねないのだ。

センが跪く。

「クーデリア様。 こうなれば、皆でロロナ様をもり立てていきましょう。 幼子になったのなら、また育つ可能性もあります。 幸いロロナ様は、全てを覚えているご様子でありますから、何もかもを無駄にすることはありますまい」

「……そうね」

立ち上がると、クーデリアは乱暴に顔を拭い。

そして、服の埃も払った。

「力を貸してくれるかしら。 これからあたしは、同意してくれる人間を集めて、ロロナを守るための態勢を作るわ。 一なる五人の暴虐に対抗できるのは、人間を超越したロロナである事は確かよ。 でもそのまま、ロロナを兵器としてなど利用させないわ。 あくまでロロナの意思で、戦いを挑んで貰う。 そのためには、ロロナのために動ける人間が、どうしても周囲に必要よ」

「我等の命、既にロロナ様に捧げております。 ロロナ様の為であれば、我等は肉塊になろうと、悔いはありませぬ!」

センが率先して言うと。

他のロロナの近衛達も、同じように頷いた。

それだけではない。

今までロロナと一緒に仕事をしてきたホムンクルス達の数名も、協力を申し出てくる。

ベテランの34も、その中にはいた。

「このような非道、流石に許せるものではありません。 私も協力します」

「私もです」

トトリと一緒に戦ったホムンクルスも、挙手する。

全員は、流石に協力を申し出ない。困惑した顔で、右往左往しているホムンクルスや文官も多い。

冒険者の中には、その場で協力を申し出る者も何名かいた。

ロロナに救われた者は、多いのだ。戦闘でもそうだし、医療でも。ロロナが実用化した道具の多くは、今でもアーランドの力になっている。

頷くと、クーデリアは。

もう、頭を切り換えた。

ステルクは恐らく、絶対に味方になってくれる。

それに、この場だけでも。これだけの数の人間が、味方になる事を申し出てくれている。

だが、この数で、クーデターを起こしても意味がない。一刻も早く一なる五人を叩き潰して。

その後に、ロロナの人生を修復していけば良い。

ロロナは嬉しそうにパイを頬張っている。

周囲のきりきりした空気など、どうでもいいのだろう。幼い子は正直だ。そしてこの子は。力は大人以上で、精神は子供と。非常にいびつな状況になっている。絶対に、目を離すわけにはいかないし。

ましてやアストリッドに渡すわけにも行かない。

トトリにも、声を掛けておくか。

彼奴は多分、助けになってくれるはず。

邪神討伐の件で、ランク10昇格は確定だ。国家の重鎮として、時には一軍や艦隊を率い。

国賓として、各国との外交を任せられる立場になる。

味方に引き込めば。

より確実に、ロロナを守る事が出来るだろう。

忙しく思考を働かせるクーデリアの服の袖を。ロロナが掴む。

「くーちゃん、くーちゃん」

「どうし……」

此方に来るのは、ジオ王だ。

何か、新しい作戦か。

思わず身構えようとするホムンクルス達を制止。無闇に逆らったところで、勝てる相手では無い。

それに王はステルクとアストリッドを連れていた。

ステルクは、かなり穏やかでは無い表情だった。もう、状況を知っているのだとみて良い。

そして、ロロナを見ると。

青ざめ。そして唇を引き結び、無念そうにうなだれる。

味方には出来る。

問題は、その後だ。

王は白々しく、周囲を見回した。

「政庁が騒がしいようだな」

「理由は分かりますでしょうに」

「ふむ、まあいい。 これより、プロジェクトを次の段階に進める。 三日後にアーランド王都で会議を行い、詳細を告げる。 可能な限りの幹部に、参加するように手配を済ませよ」

「仰せのままに」

見ていなさい。

最強だって。最終的に正しいとしたって。いつかは、必ず報いを受けるときが来る。

例えこの世界における最悪の存在を倒すためだとしても。貴方はあまりにも、手段を選ばなすぎた。

あたしの親友は、あんたとアストリッドに人生を狂わされた。

事情があるとしても、あたしには関係無い。アストリッドに救われた分の命くらいは、もうロロナもあたしも働いて返した。

これ以上は、過剰返済。あんたたちに何もかも、好き勝手をさせるわけにはいかない。

いつか必ず、絶対に償わせる。

皆の心は一つだ。一なる五人を倒し、この大陸の状況を安定させたら。

その時は、貴様を打ち倒す。

殺しはしない。

でも、権力の座からは引きずり下ろす。その時は、絶望するがよい。この世の全てが敵に回り、何もかもが暗闇に見える恐怖を、生まれて始めて思い知らせてやる。

宣戦布告。

クーデリアはこの時。

この大陸最強の王に。いずれ必ず、報いを受けさせるのだと、誓った。

 

4、心の鎧

 

アーランド王都に向かう事にした。

お母さんに稽古をつけて貰って、やっと力を抑えられるようになって。お母さんが、メルお姉ちゃんやペーターお兄ちゃんと一緒に、港から出るのを見送った。これからホープ号で一旦西の大陸に出向いて。

様子を見てから、行動を開始するのだとか。

ホープ号は、バリベルト船長に任せる。元々、トトリが人事不省に陥っている間は、クーデリアさんが代わりに人事を取りはからって。バリベルト船長が、決済を任されていたという。つまり、それを正式化するだけ。どちらにしてもホープ号と乗員は、しばらくは、精鋭を連れて西の大陸周辺で活動することになるだろう。

急ピッチで作っている二番艦が完成するのは、速くても来年の末以降。小型の廉価版が完成するのも、来年の初頭だ。

どちらもトトリが管理して。最終的には、他の傘下にいれた国、同盟国との連合艦隊を編成することになるらしい。

名実共に、ランク10冒険者の権限で、任せられることだ。

辺境国家は一枚岩では無い。

伝統的にアーランドとあまり仲が良くない国もある。

北部の列強連合が潰される前に。

アーランドとしては、南部の辺境国家群を可能な限り糾合し。また、逃れてきた人間や亜人種を取り込み。

大連合を編成して、一なる五人に対抗できる態勢を作る。

アーランドに反対している国家も、今の状況が危機的である事は理解している。彼らも味方できるように、利害を調整していかなければならない。

お膳立てがあった今までとは違う。

今後は、もっと難しい交渉をして行かなければならない。

相手の国情を確認し。利害で有利に立てるようにし。そして、旨みもみせながら、不利な話も飲んで貰わなければならない。

南部諸国の勇猛な戦士を一丸とし。

北部の人間の数と文明をあわせれば。

一なる五人を押し返せる。

今は、エスティさんが、遅滞戦術で敵の浸透を食い止めてくれている。今のうちに、準備を整えきらなければ、

この世界そのものが、終わるのだ。

お母さんが行くと、家の中はまた寂しくなったけれど。

アランヤは、数年前とは比較にならないほど発展している。

森を傷つけないように注意深く村を広げて。荒野の緑化を進めながら、居住区画を増やして。

船を作るための工場も、拡張して。

お父さんも忙しく働いている。

お姉ちゃんの背中は。

どうしてだろうか、少しだけ寂しい。

でも、トトリは。いまは、少しだけ、心も静かになった気がした。でも、どうしてなのだろう。

人間では無くなってしまった事で、魔力も増大して。

勘も良くなった。

何となく分かるのだ。

今、アーランド王都に行くと、取り返しがつかないことに巻き込まれる気がする。しかし、今はもう、トトリも責任のある立場。

数年前の、小娘では無い。

自衛も出来る実力も身についた。

相手が余程の使い手でなければ、不意も討たれないし、瞬殺されることもない。

しかし、そうなると。

一体、何なのだろう。

ゲートをくぐって、ロロナ先生のアトリエに。

最初に目があったのは。

参考書を片手に、ホムンクルスのお目付と一緒に錬金釜に向かっている、小さな背中だった。

ピアニャちゃんである。

此方の衣服にもすっかり慣れて。肌もかなり焼けている。

寒いところではもこもこの服を着ていたけれど。此方では動きやすいワンピースにしているようだ。

ただ錬金術だと、薬品の跳ね返りが怖いから。エプロンもつけているようだけれど。

「あ、トトリ」

「錬金術は順調?」

「うん! ロロナが、凄く優しく教えてくれるの」

「そう……」

ロロナ先生の教えを理解できるという事は。この子はとても頭が良いとみて良い。多くの人は、ロロナ先生の抽象的な教え方を理解できずに、その場を去って行ったのだから。

そういえば、トトリには、錬金術を教える立場につく話が来るかも知れないという。

とはいっても、現状のトトリの立場では、弟子をマンツーマンで鍛えるのはとても厳しいだろう。

アトリエに荷物を置くと、王宮へ。

笑顔は作ったままだけれど。

どうしてだろう。

嫌な予感は、加速する一方だ。

そして、王宮に到着したとき。どうして嫌な予感がしていたのか。その現実を、見せつけられることになった。

「ととりちゃん!」

鈴を鳴らすような声。

天使のような笑顔。

嗚呼。

その人が、ロロナ先生なのだと。一目で分かり。そして、トトリは気付いてしまう。絶望的な悪意に、ロロナ先生が襲われて。

そして、人生を破壊されたのだと。

ロロナ先生は満面の笑顔。

側にいるクーデリアさんは。表情こそ笑みを浮かべていたけれど。

腹の底には、殺意が溶岩のように煮えたぎっているのが分かった。

トトリは、満面の笑顔で抱きついてくるロロナ先生から。視線を外せなかった。血の気が引いていく音が、聞こえるような気さえする。

「後で大事な話があるわ」

応えられない。

頷くので、精一杯だった。

そして、トトリは思い知らされる。

そうか、そうだったのか。

これが、本当の罰なのだと。人間では無くなったことなんて、何ら罰でさえなかった。真の罰は、自分以外の。自分よりも大事な人に、降りかかるものなのだと。

トトリは今まで。自分の感情にまかせて、多くの馬鹿な事をしてしまった。

戦士として相手に敬意を持って対する事も忘れ。ただの動物であるフラウシュトライトを諸悪の根元と決めつけ、惨殺し。

お母さんを殺した相手だと思ったイビルフェイスに、戦士としてあるべきではない、過剰すぎる攻撃を繰り返した。

人の尊厳を、最後の最後に守る鎧、誇り。

それを感情にまかせて踏みにじっていたのは、トトリだって同じ。以前、ある文官に、誇りを捨てるなと諭したのに。

自分だって、誇りを泥に投げ捨てるようなことをしたのだ。

だから、ついに。

こんな形で、報いが来た。最低最悪な形で、トトリには罪が突きつけられたのだ。

天を仰ぐ。

そうだ。私は、結局感情を抑えることが、ついに出来なかった。肝心なところで、心の闇を抑えきれなかった。だから、こんな事が、回り回って起きた。

ロロナ先生を不幸にしたのは。

私だ。

全部、私のせいなのだ。

どうにもならない。トトリの技量では、こんな驚天の出来事を、転回させる事なんて、出来るはずもない。ロロナ先生でも、きっと無理だろう。

罪を償うにはどうすればいい。

最低でも、もう、繰り返してはいけない。

もう繰り返さないためには。

トトリは、感情を完全に制御しなければならないだろう。

心に鎧を作ろう。

感情なんて、いっそ無くしてしまった方が良い。あるにしても、完璧に制御した状態で、使うのだ。

もう、どうせ人間では無いこの身。ただでさえ、感情は非情に希薄になってきているのだ。

それくらいは、出来る筈。

「会議に出るわよ」

「はい」

「……恐らく今回の会議は、今後の基本的戦略の調整になるでしょうね。 トトリ、貴方には恐らく、周辺諸国の調整と、人材の発掘育成が命じられるはずよ」

冒険者ランク10への昇格は、その後する。

そう、クーデリアさんは。

トトリの方を見ずに言った。

彼女も無念なはずだ。

ロロナ先生とは竹馬の友だと聞いている。ロロナ先生は、会議に参加するらしい。クーデリアさんに手を引かれて、明るいおうたを歌っている、無邪気な顔。周りの人は覚えているし。戦闘もこなせる。むしろ魔力は。更に桁外れに上がっている様子だ。

でも、これは。

いびつすぎる。

何となく、どうしてこんな状態にされたのかが分かった。ロロナ先生は、切り札として用意されたのだろう。

一なる五人と、戦うための。

でも、ロロナ先生が、そんな目に会ったのは。

やはり、トトリのせいだとしか、思えない。

会議の場に出る。

ジオ陛下が、トトリがこれよりランク10冒険者として。アーランドの最上層権力に加わる事を明言。

拍手で迎えられたけれど。

何一つ、嬉しくない。

いや、違う。笑顔を作っている。そして、嬉しいと言う風に見せている。

そういう風に、感情を制御出来なければならない。

できはじめてきた。

本当だったら、決壊していてもおかしくない闇は。鎧に押さえ込まれて、完全に封じられている。

感じの良い笑顔だって作れる。

喜んでいるふりも。悲しんでいるふりも。

従順なふりだって。

クーデリアさんの予想は当たった。

これからトトリは、近場の国を回って、アーランドとの軍事同盟および、共和国への傘下を求めるべく、動く。

目標は、今年中に更に四国を麾下に。

そして来年中に、アーランドの国土を倍に広げる。三年で、大陸南部を、軍事同盟という点では一つにまとめるのだ。それくらいは最低条件だろう。

大陸北部の戦況は、どの国も危惧している。

トトリは、各国の利害を調整し。

ある国は共和国に参画させ。

ある国とは、軍事同盟を締結しなければならない。

「分かりました。 すぐに取りかかります」

「それに加えて、有能な錬金術師を最低でも三名、一人前に育てて貰う。 一人は今アトリエにいるピアニャという娘。 ロロナよ、中々に有能なそうだな」

「うん! ぴあにゃちゃん、かしこいよ!」

「そうかそうか」

陛下が目を細めて笑っているけれど。

分かる。

笑っているのは、表面だけ。

トトリも、そうしなければならない。これ以上、悲劇を繰り返さないために。心はいっそ、凍らせてしまうべきだろう。

会議では、他にも厳しい話が出た。

ロロナ先生には、錬金術での幾つかの開発強化。ロロナ先生はきょとんとしていたけれど。クーデリアさんがかみ砕いていうと、満面の笑みで頷く。頭自体は悪くなっていないのだ。人格が幼児になっただけで。

痛ましいけれど。

そう思うな。

心を凍らせろ。冷静に判断するには、そうしなければいけない。勿論、表向きには表情を作れ。

心が。

固まっていくのを、トトリは実感した。

 

会議が終わる。

クーデリアさんに、中庭に呼び出された。

同志だというメンバーを紹介される。ステルクさんを筆頭に、アーランドの重役ばかりだ。

ロロナ先生は、先にセンさんと一緒に帰った。護衛に他にもホムンクルス達がついている。危険はないだろう。

「今、ツェツェイが指揮する手練れの分隊が影からロロナをガードしているわ。 側にはセンをはじめとする優秀な護衛もいる。 例え国家軍事力級の戦士に襲われても、あたしがいくまでは間に合う戦力よ」

「ロロナ先生を、本気で守るつもりなんですね」

「貴方は?」

「勿論、私も参加します。 ロロナ先生の人生を、これ以上無茶苦茶にさせるわけにはいきませんから」

頷くと、クーデリアさんは言う。

「現状の戦況推移を見る限り、三年程度で北部の列強は敗退して、残存戦力が南部の辺境に逃げ込んでくるでしょうね。 その戦力を糾合して、決戦を挑む土地は、おそらくアールズになるわ」

アールズ。

聞いた事がある。

アーランドと仲の良い小国だ。確か数年前の大会戦でも、援軍として国王がわざわざ来てくれたとか。

そして、その国王と、ジオ陛下は、親友同士だという。

緑が多く、強力なモンスターが多数いる土地だとか。

「アールズの王女がね、貴方の弟子候補の三人目。 もう一人については、これから紹介するけれど、恐らく味方に抱き込めるわ。 ピアニャはロロナに懐いているし、恐らくは問題なし。 全員を抱き込めば、アストリッドに対抗できる」

発言権を無視できない勢力を造り。

ロロナ先生を、少なくとも元に戻す。

アストリッドさんを説得することは無理だけれど。王がそう命じれば、おそらくあの冷血は動くだろう。

そうクーデリアさんは言う。

確かにそうだろう。しかし、それは内部分裂を招かないだろうか。

クーデリアさんは、トトリの思考を読んだのだろう。すぐに、それについて説明してくれた。

「ロロナを守りながら、戦いには参加して貰うわ。 それで互いの利害調整はできる」

「つまり、その先に何かがある……」

「ええ」

クーデリアさんは明言しない。

でも、これは。

トトリが、罪を償える好機かも知れない。

ロロナ先生は、あまりにもひどい人生を送りすぎた。トトリから見ても、それは思う。そして、これ以上悲劇を拡大はさせない。

させないためには。

するべきことは、決まっているのだ。

「やります」

「戦力の確保、急ぎなさい。 どちらにしても、此方の意図は、現時点では王にダダ漏れになっていると思った方が良いでしょうね。 決戦は、最後の最後。 一なる五人を確実に潰すのが、まずは当面の目標よ」

頷きあうと、トトリはその場を離れる。

王宮を出て。そして、空を仰いだ。

この世界の流血は止まらない。

クーデリアさんはああ言ったけれど。恐らく、ジオ陛下と殺し合いをするつもりはないのだろう。

だから、ジオ陛下も、見透かした上で、行動を見逃している。

最終的に、クーデリアさんは。

恐らくこの国の実権を奪うつもりだ。

トトリも、その方が良いと思う。ジオ陛下は、最強の戦士として君臨はしているけれど。恐らく、一なる五人を倒した後は、この世界は変わる。

勿論、アーランド戦士のあり方を変える必要はないだろう。

世界を再生させるためには、最適な生き方だからだ。

でも、アーランド戦士を束ねるのが、最強のアーランド戦士である理由は、必ずしもないはずだ。

アトリエに戻ると。

ロロナ先生が、お絵かきをしながら、ピアニャちゃんにアドバイスをしていた。

順応能力が高いピアニャちゃんは、すぐに取り入れて、上達している。これはうかうかしていると、追い越されるかもしれない。

もう二人弟子を取るとしても。

トトリがマンツーマンで鍛えるようなことは出来ないだろう。半分くらいはロロナ先生にやってもらって。

トトリはその間に、やるべき事をやっていく。

アールズの王女様も。

もう一人いるという弟子候補も。

味方に引き入れていかなければならない。

悲劇の連鎖は、此処で止める。

そのためにトトリは。心にヨロイを着て、感情を凍結させる。悲劇は、終わらせなければならないからだ。

資料は、すぐに届いた。

これからどの国に向かって、どう交渉するかは。既に任されている。

ちなみにランク10への昇格時、研修はもう受けない。ランク9での研修が、最後になる。

それだけは、有り難い。

さあ、旅に出よう。

道は、作ったのだ。

今までは、トトリが、結局の所エゴで道を作っていた。お母さんの情報を集めるため。仇を討つため。そんなんだから、罰が当たったのだ。

これからは違う。トトリは、今まで助けてくれた人達のために。感情を凍らせて、道を作る。

そして、最後には。

ため息一つ零して、トトリが足を止めると。

空は、嫌みなほどに、澄み渡っていた。

 

エピローグ、道の果て

 

先行していたミミちゃんが戻ってくる。彼女も既に、ランク8の冒険者。押しも押されぬハイランカーだ。

キャンプでは、106さんをリーダーとするホムンクルスの小隊が、警護に当たっている。警護には隙が無く。キャンプに入っている馬車も、ガッチリ守っていた。

此処は、アールズ王国国境の丘。

丘からは。美しい森に包まれたアールズを一望できる。

国は広いが、人は少ない。

そして森が多いと言っても。この世界では、あくまで比較の話。荒野もたくさんある。これから、更に土地を守り、緑を増やしていかなければならないだろう。

ミミちゃんは戻ると、トトリが渡したぬれタオルで手を拭きながら、報告してくれる。

「思っていたほど戦士の質は高くないわね。 大物のモンスターに対しては、専守防衛が基本のようよ」

「そう。 アールズの王様はどんな人だった?」

「相当な食わせ物ね。 実力は今の私と殆ど同じくらい。 全盛期だったら、向こうの方が数段は強かったでしょうね」

「そうだよね」

くつくつと、トトリは笑う。

違う。

笑うふりだ。

もう、完璧に感情は凍結させた。今は必要に応じて、感情を引っ張り出しているに過ぎない。

人間では無くなってから、身体制御がとても良く出来るようになっている。感情も然り。

ミミちゃんもそれを知っているようだけれど。

味方に引き込んだとき、話をした。

それ以降。トトリに、何か言うつもりは無いらしい。ただ、時々苦しそうにはしていた。

ジーノ君は話をしてはみたけれど。難しい事はよく分からないと、それっきり。まああの性格だ。此方の敵には回らないだろう。それで今の時点はいい。

現時点で。

アーランドとの軍事同盟を締結した、もしくは傘下に入った辺境諸国は半分という所。

一なる五人の戦力は、南下を続けている。

エスティさんによる遅滞戦術にも限界がある。来年には、アールズに戦線が接触するという噂もある。

クーデリアさんがエスティさんと共同で戦闘を行っているけれど。それでも、敵を押し返し切れていない。

ホープ号の二番艦、ブレイブ号。更に小型の真理、光、情熱の五隻で編成された艦隊で、スピアの後方海岸を何度か襲撃しているのだけれど。敵はもう領土なんぞどうでも良いようで、ただジェノサイドするためだけに、膨大な洗脳モンスターを動かしている。殺戮の限りを尽くし、焼け野原にした場所には、もう見向きもしない様子だ。

今年中に、辺境をまとめきらないと。

恐らく、戦いに負ける。

お母さんも西大陸で苦戦を続けているらしいし。一なる五人の居場所だって、未だに突き止められていない。

ただし、敵の主力が集結したところを叩き潰せば、かなりの時間を作る事が出来るという試算もある。

アールズは要石だ。

此処を中心にして、決戦をする。

そのために、トトリは。拠点を此処に移すことにした。

他にも、アーランドからかなりの精鋭が来る。エスティさんも遅滞戦術が限界を迎えればここに来るだろうし、ジオ陛下も来るという噂だ。

ロロナ先生を連れて、クーデリアさんも。

恐らくはアストリッドさんもくるだろう。

アーランド側の前線は、今安定していて。今後は此方が主体になる。状況に応じて、守りは柔軟に変えていく必要があるのだ。

偵察に出ているホムンクルスの分隊が戻るまで、軽く状況を話し合う。

ミミちゃんには、トトリの右腕として、活躍して貰わなければならない。親友で、対等に話せる立場だけれど。

社会的な立場は二人ともわきまえているから。ミミちゃんが、トトリの補佐を躊躇う事は無い。

「で、お姫様はどう?」

「ちょっと物覚えは悪いかな。 錬金術師と言うよりも、純粋戦士だね。 固有スキルの持ち主で、それも強力だよ」

「また面倒な弟子を取ったわね」

「でも前向きで、将来は有望だと思う。 本人は錬金術を使ってどう戦うかを考えるのが、一番楽しいみたいだけれど」

ピアニャちゃんともう一人の弟子も、しばらくしたらアールズに呼ぶ予定だ。

此処が、トトリの作る道の終着点になるだろう。

そして、其処から先の道は。

もっと若い世代が、切り開いていくことになるのだ。

分隊が戻ったので、丘を降りる。既に先発として、数名の手練れがアールズに入っているけれど。

ランク10冒険者、つまりアーランドの重鎮であるトトリが入る事で、周辺国に、立場を明確にする事が出来る。

既に此処の王様には、アトリエを準備して貰っている。小さいけれど、よく手入れされたアトリエだ。

トトリとアールズのお姫様。それにロロナ先生が暮らすには、充分な大きさだろう。

「言っておくけれど」

「どうしたの?」

「私が側にいる限り、貴方を死なせたりはしないわよ」

有り難う。

そう返すと、トトリはミミちゃんを促して、丘を降りる。

あの先は、間もなく血だまりの戦場になる。

この世界を死に包ませないためにも。

トトリは。

もう二度と、失敗を重ねる訳にはいかなかった。

 

(暗黒錬金術師伝説4、暗黒!トトリのアトリエ 完)